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聖書に対する洞察,第1巻
洞-1 「古代エジプト」

特集

古代エジプト

イスラエルとエジプトとの間には繰り返し接触があったため,聖書にはエジプトの地に関する細かな点が多く記されています。エジプトでの出来事を通して,エホバご自身のみ名はくすしいまでに大いなるものとされました。

[531ページの地図]

地図: 古代エジプト

エジプトは,多くの神々が崇拝されていた土地でした。ある種の動物が神とみなされていたことに加えて,エジプト人の奉じる個々の神々にとって特に神聖とされる動物もいました。イスラエルがエジプトで動物の犠牲をエホバにささげれば民衆が暴力を振るうであろう,とモーセが言ったのも当然だったのではないでしょうか。(出 8:26)また,荒野でイスラエル人の心がエジプトに戻った時,「エホバへの祭り」と呼ぶ祝いで子牛の鋳物の像が用いられた理由も理解できます。―出 32:1-5。

エジプト人の行なった崇拝の別の顕著な特色は,死後の世界に対する信仰でした。その信仰は,遺体を香詰め保存する習慣や,死者をたたえる巨大な墳墓を築くことに表わされました。

モーセは「エジプト人の知恵をことごとく教授された」にもかかわらず,モーセの記したエホバの崇拝に関するおきては,少しもエジプト人の信条に汚されていませんでした。(使徒 7:22)モーセが書いた事柄は人間から出たものではなく,神の霊感によるものでした。

[532ページの図版]

テーベの近くにあるアメンホテプ3世を表わす彫像は高さが18㍍近くもあります。このような彫像は人々を威圧するために作られたものと思われます

[532ページの図版]

ツタンカーメンの建築の業績を列挙した大石柱。ところが,後にホルエムヘブ王はその業績の栄誉を自分に帰するために刻文を変更させました。そのような不正は古代エジプトの記録において珍しいことではありませんでした

[532ページの図版]

ラムセス2世を神アモンと女神ムートの間に置いた三つ組。ファラオは神,生きたホルスと考えられていました

[532ページの図版]

ホルスの前に身をかがめるファラオ・タハルカ。彼は自らホルスの化身ととなえていました。エジプトの宗教では動物が際立った存在となっていました

[533ページの図版]

印象的なルクソールの神殿列柱

[533ページの図版]

ルクソールのアモン・ラーの神殿までスフィンクスの並ぶ街路

[533ページの図版]

ミイラと共に納められた「死者の書」の一部で,故人が自分の保護として唱えるため,また死後の世界での裁きの際その死者の導きとするために書かれた呪文が載せられていました

[533ページの図版]

黄道十二宮に囲まれた天空の女神ヌート。バビロンから入った占星術もエジプトの宗教の一要素となっていました

[534ページの図版]

エジプトはナイル川沿いの幅の狭い肥沃な谷に依存していました。遠景に,草木の茂る所から急に砂漠に変わってゆく様子が見られます

[534ページの図版]

兵車に乗ったファラオ。このような兵車はエジプトの軍備の一部で,他の国々にも売られていました

[534ページの図版]

セティ1世はカルナックのアモン・ラー神殿の壁に自分の軍事的功績を記録しました。髪の毛をつかまれている捕虜たちの様子が示されています。予期されるとおり,エジプトの記念碑には勝利の事例が誇らしげに記録されています

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