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「誰かが救われないとしても私は潔白で[す]」神の王国について徹底的に教える
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パウロはそれから,「圧制的なオオカミ」が会衆に入り込み,「弟子たちを引き離して自分に付かせようとして曲がった事柄を言う」と警告します。
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「誰かが救われないとしても私は潔白で[す]」神の王国について徹底的に教える
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19. 1世紀の終わりにはどのような背教が見られましたか。その後の時代はどうでしたか。
19 1世紀の終わり頃には,すでに「圧制的なオオカミ」が現れていました。98年ごろ,使徒ヨハネはこう書いています。「今や多くの反キリストが現れました。……彼らは私たちから去っていきましたが,もともと仲間ではありませんでした。もし仲間だったなら,ずっと私たちと一緒にいたはずです」。(ヨハ一 2:18,19)3世紀までには,背教が進んで聖職者階級がつくられ,4世紀には,コンスタンティヌス帝が,腐敗した偽のキリスト教を公式に認可しました。聖職者たちが異教の儀式を次々と取り入れて,あたかもキリスト教のものであるかのように見せ掛けました。「曲がった事柄を言う」とパウロが言っていた通りです。今も一般のキリスト教には,正しくない教えや習慣が受け継がれています。
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