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キリストの精神態度を反映するものみの塔 2000 | 9月1日
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キリストでさえ自分を喜ばせることはされませんでした。むしろ,『あなたをそしっている者たちのそしりがわたしに降り懸かった』と書かれているとおりでした」。―ローマ 15:1-3。
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キリストの精神態度を反映するものみの塔 2000 | 9月1日
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6 反対や非難に対するイエスの反応に,どのように倣えますか。
6 イエスがはっきり示したもう一つの立派な特徴は,考え方と行動の仕方が常に積極的であったことです。イエスは,神に仕えることに対する自分の立派な態度が他の人の消極的な態度に影響されるようなことを決して許しませんでした。わたしたちもそうあるべきです。神を忠実に崇拝するゆえに非難され,迫害されても,イエスは不平を言うことなく,辛抱強く耐え忍びました。「築き上げるのに良い事柄によって」隣人を喜ばせようとする人が,不信仰で理解しようとしない世から反対される,ということをイエスはご存じだったのです。
7 イエスはどのように辛抱強さを示しましたか。わたしたちも同じようにすべきなのはなぜですか。
7 イエスは他の点でも,ふさわしい態度を示しました。エホバに対してじれったく思っているような様子は少しも示さず,神の目的が成し遂げられてゆくのを辛抱強く待ちました。(詩編 110:1。マタイ 24:36。使徒 2:32-36。ヘブライ 10:12,13)また,追随者たちに対してしびれを切らすということもありませんでした。「わたしから学びなさい」と言いましたが,「気質が温和」なので,イエスの指示は弟子たちを築き上げ,さわやかにするものでした。また,「心のへりくだった」方なので,大言壮語することも,せん越になることも決してありませんでした。(マタイ 11:29)パウロはイエスの態度のそうした面を見倣うよう勧め,こう述べています。「キリスト・イエスにあったこの精神態度をあなた方のうちにも保ちなさい。彼は神の形で存在していましたが,強いて取ること,つまり,自分が神と同等であるようにということなどは考えませんでした。いえ,むしろ,自分を無にして奴隷の形を取り,人のような様になりました」。―フィリピ 2:5-7。
8,9 (イ)人の益を図る態度を培うために努力すべきなのはなぜですか。(ロ)イエスの残した模範どおりにできないとしても,失望すべきでないのはなぜですか。この点でパウロはどのように良い手本ですか。
8 他の人に仕えたいとか,他の人の必要を自分のことより優先させたい,と述べるのは簡単です。しかし,自分の精神態度を正直に吟味すると,心はそのような方向に十分に傾いてはいないことが分かるかもしれません。なぜでしょうか。第一に,わたしたちはアダムとエバから利己的な特性を受け継いでいるからであり,第二に,利己心を助長する世界に住んでいるからです。(エフェソス 4:17,18)人の益を図る態度を養うとは,多くの場合,生まれ持つ不完全な性質とは逆の思考パターンを培うことです。それには,決意と努力が必要です。
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