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  • 聖書は孤独な人の助けになりますか
  • 目ざめよ! 1987
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目ざめよ! 1987
目87 11/8 26–27ページ

聖書の見方

聖書は孤独な人の助けになりますか

奥さんが療養所に入ってしまったため,そのお年寄りの生活は孤独だった。何週間かが過ぎ,この人は,自分には生きてゆくべき理由がないと判断した。この人が銃を手にしたのはそのためである……

孤独は「20世紀の病気」と言われてきました。それは老人を襲っているだけでなく,麻薬の乱用,アルコール中毒,それに若年層の自殺の原因ともなっています。

そうです,孤独は現代の疫病なのです。孤独に伴う空虚感を満たそうとしても,ほとんどうまくゆきません。“幾人もの友”に囲まれる生活を求める人もいますが,そうした関係は表面的で意に満たないものであることを思い知らされるにすぎません。急いで結婚する人々もいます。有名な心理学者のジョイス・ブラザース博士はこう述べました。「急いで結婚することは[孤独に対する]答えとはならない。何らかの関係を享受できるようになるには,自分自身の問題について,より多くの洞察を得る必要がある」。

正しい見方

しかし聖書は,孤独について実際的な見方を示しています。明らかに,孤独はつらいものとなる場合がありますが,独りでいるのは必ずしも悪いことではありません。イエス・キリストは短い時間独りでいるのを楽しんだ,と言われています。(マタイ 14:13)イエスは,孤立したり引きこもったりするのではなく,そのような機会を用いて必要な休息を取ったり祈りをしたりされました。―マルコ 6:31。ルカ 9:18。

このことからどんな教訓が得られますか。自分が独りであることを知っても,孤独を感じる必要はないということです。実際には,あなたの感じ方を左右する要素となるのは,物理的に孤立しているという事実より,独りでいることに対するあなたの見方なのです。では,独りでいるとき,どのように自分の時間を使いますか。暇つぶしをするだけですか。そのような時間を生産的に用いてはどうでしょうか。音楽を聞いたり,たまってしまった家事を行なったりするような,独りでもできる有意義な活動はたくさんあります。神の言葉を読むのは,特に有意義なことです。それは「生きていて,力を及ぼし」,わたしたちの思いを自分のことから別の事柄に振り向けることができます。(ヘブライ 4:12)正しく用いるなら,独りの時間は,自分を身体的にも感情的にも霊的にも充電するための助けとなります。

他の人々との良い関係

とはいえ,人には他の人々と一緒にいることを欲し,必要とする場合があります。ですから,聖書の中に,満足のゆく対人関係を培うことに関する助言があっても驚くにはあたりません。例えば箴言 18章24節は,「兄弟より固く付く友人もいる」と述べています。したがって,孤独感を和らげるために,必ずしも大人数の友人が必要になるわけではありません。数人との親しい友情を培うことができます。

ところが,孤独な人は往々にして友を作るのが難しいことに気づきます。しかし,家庭問題のカウンセラーをしているあるカナダ人は,「孤独な人々,とりわけ20代の人たちは,多くのことを期待するだけで,何かを与えたいとは思わない」と述べました。聖書も同様の点について,「自分を孤立させる者は利己的な願望を追い求める」と述べています。―箴言 18:1。

そのようなわけで,孤独感にさいなまれている人は,他の人に一層強い関心を表わす必要があるかもしれません。新しく友達になれそうな人に会ったなら,あなたは相手の関心事に興味を示しますか,それとも会話を自分自身のことに向けますか。孤独の悪循環を打破するには,与える人にならなければなりません。

フィリピ 2章4節で使徒パウロはわたしたちにこう勧めています。「自分の益を図って自分の事だけに目を留めず,人の益を図って他の人の事にも目を留めなさい」。この助言はどのように孤独感を癒すのでしょうか。聖書の原語では,『目を留める』と訳されている動詞には,行動を起こすのに最も良い時を正確に見極めるため,『頭で考える』,あるいは『調査する』という意味があります。ですから,周囲を見回し,だれに助けが必要でだれに友が必要かを調べてください。そのような人を見つけたなら,すぐに行動することです。多くの人は自分のことだけに目を留めます。ほかの人たちのことは,目を留めるとしても最後になります。聖書はそれとは逆のこと,つまり第一に他の人に目を留めることを勧めています。

このように,友を得るためには,まず自分が友として行動しなければなりません。「いつも与えなさい。そうすれば,人々はあなた方に与えてくれるでしょう」と聖書は述べています。(ルカ 6:38)それに加えて,「受けるより与えるほうが幸福」なのです。―使徒 20:35。

「わたしは独りではありません」

しかし,人間同士の関係は,わたしたちの必要すべてを完全に満たせるわけではありません。人間は創造者と親しい関係を保つべき者として創造されたからです。(マタイ 5:3と比較してください。)神との友情は,人間の友情が絶えたときでも安定したものとなり得るのです。イエス・キリストはかつて弟子たちにこう言われました。「見よ,あなた方がそれぞれ自分の家に散らされてわたしを独りだけにする時が来ます。そうです,現に来ているのです」。何と悲惨なことでしょう。しかしイエスはこのように言うことができました。「それでも,わたしは独りではありません。父が共にいてくださるからです」。―ヨハネ 16:32。

したがって,神との友情は孤独を癒す最善の方法です。ですから,時間を取って神を知るようにしてください。聖書の研究を始めることにより,『エホバが善良であることを味わい知ってください』。(詩編 34:8。ヨハネ 17:3)しかし,それを独りでする必要はないのです。

神は「ご自分のみ名のための民」を取り出されました。(使徒 15:14)今日では300万以上の人々が,エホバの証人としてその名を担うことを誇りにしています。それらの人々はこの神について学ぶよう,喜んで皆さんを助けたいと思っています。冒頭で述べた孤独なお年寄りのことを覚えていますか。この人が自殺をする前にエホバの証人が訪問し,その人を気遣っておられる生ける神がおられることを理解できるよう助けました。(ペテロ第一 5:7)そのお年寄りは聖書の研究を始め,絶望が喜びに変わりました。

興味深いことに,真のクリスチャンと交わることによっても,新しい友を作る機会が開かれます。そのような友情は互いに抱く神への愛に基づいているので,必ず永続し,絶えることのない関係となるのです。ですから,エホバの民を探してください。彼らの助けと神の言葉の助けがあれば,あなたは孤独のつらさを一掃することを学べるでしょう。―マタイ 12:48-50。ヨハネ 15:14。

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