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  • ガマリエル ― タルソスのサウロを教えた人
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1996
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1996
塔96 7/15 26–29ページ

ガマリエル ― タルソスのサウロを教えた人

群衆は立ったまま静まり返っていました。ほんの少し前,使徒パウロはすんでのところで群衆に殺されるところでした。タルソスのサウロとしても知られていたパウロは,ローマの軍隊によって救出され,今やエルサレムの神殿のそばの階段から人々と向かい合っていました。

静かにするよう手で合図をしながら,パウロはヘブライ語で話しだしてこう言いました。「皆さん,兄弟たちと父たち,今,あなた方に対するわたしの弁明を聞いてください。……わたしはユダヤ人で,キリキアのタルソスで生まれましたが,この都市においてガマリエルの足下で教育され,先祖の律法の厳格さに応じた教えを受けており,今日のあなた方すべてと同じように神に対して熱心な者です」― 使徒 22:1-3。

命を失うおそれがあったのに,パウロはなぜ,ガマリエルから教育を受けたことを述べて弁明を始めたのでしょうか。ガマリエルとはどんな人物でしたか。ガマリエルの教えを受けることには何が関係していましたか。サウロはクリスチャンの使徒パウロになった後でさえ,そうした訓練の影響を受けましたか。

ガマリエルとはどんな人物か

ガマリエルは有名なパリサイ人でした。彼は長老ヒレルの孫でした。ヒレルはパリサイ派ユダヤ教思想の二大学派の一方の開祖となりました。a ヒレルの取り組み方は,対抗者であったシャマイのそれよりも緩やかなものだったと考えられています。西暦70年にエルサレムの神殿が破壊された後,ベト・シャマイ(シャマイ家)よりもベト・ヒレル(ヒレル家)のほうが好まれるようになりました。神殿が破壊された後,他の分派はみな消滅したため,ヒレル家がユダヤ教を正式に表わすものとなりました。ヒレル家の下した決定は,タルムードの基盤となったミシュナの中のユダヤ教の律法の根拠になっている場合が少なくありません。また,ヒレル家が優勢になった主な要素は,ガマリエルが与えた影響だったようです。

ガマリエルは非常に尊敬されていたので,ラビよりも位の高い称号であるラバンと呼ばれた最初の人になりました。実際,ガマリエルは非常に尊敬された人だったので,ミシュナはガマリエルについてこう述べています。「長老ラバン・ガマリエルが死去すると,トーラーの栄光は終わり,浄さと神聖[字義,分離]は消えた」― ソター 9:15。

ガマリエルの教えを受ける ― どのように?

エルサレムで群衆に向かって,自分は『ガマリエルの足下で教育された』と語った使徒パウロは,何を言わんとしていたのでしょうか。ガマリエルのような教師の弟子になることには何が関係していたのでしょうか。

そのような訓練に関し,アメリカ・ユダヤ神学校のドブ・ツロトニク教授はこう書いています。「口伝律法の正確さ,したがってその信頼性は,ほぼ完全に主人と弟子の関係に,すなわち律法を教える主人の気配りと律法を学ぶ弟子の真剣さに依存している。……それゆえ,弟子たちは学者の足元に座り……『彼らの言葉を意欲的に吸収するよう』しきりに勧められた」― ミシュナ,アボット 1:4。

エミール・シューラーは自著「イエス・キリストの時代のユダヤ人の歴史」の中で,1世紀のラビであった教師たちが用いた方法を明らかにして,こう書いています。「多くの場合,より有名なラビは,教えを受けたいと願う若者を数多く自分の周りに集めた。非常に細分化された,おびただしい『口伝律法』に若者たちを精通させるためであった。……授業の一環として,記憶力の根気強い継続的な訓練が行なわれた。……教師は生徒に解決させるため,法的な問題を幾つか提起して生徒に答えさせたり,問題の答えを自ら述べたりした。生徒は教師に質問をすることも許されていた」。

ラビの見地からすると,生徒には単に合格点を取る以上の重要な問題がありました。それらの教師たちのもとで研究している人たちは,「聖書によれば,だれにせよ,学んだ事柄をたった一つでも忘れたなら,あたかも自分の命を捨ててその責めを負うべきものとみなされる」と警告されました。(アボット 3:8)「漆喰を塗って一滴の水も失わないようにした井戸」のような学生には,最高の賛辞が与えられました。(アボット 2:8)当時,ヘブライ語名でタルソスのサウロとして知られていたパウロが,ガマリエルから受けたのは,そのような訓練でした。

ガマリエルが教える際に示した精神

ガマリエルはパリサイ派の教えに従って,口伝律法に対する信仰を奨励しました。ですから,霊感を受けて記された聖書よりもラビの伝承を重要視しました。(マタイ 15:3-9)ミシュナにはガマリエルの語った次のような言葉が引用されています。「教師[ラビ]に師事できるようにし,疑念を取り除け。当て推量で余分の什一を納めてはならないからである」。(アボット 1:16)これは,どうすべきかがヘブライ語聖書にはっきり述べられていない場合,人は勝手に推論して,あるいは自分の良心に従って決定をすべきではないということを意味していました。そうするのではなく,自分に代わって決定をしてもらえる,資格のあるラビを探さねばなりませんでした。ガマリエルによれば,そのようにして初めて,人は罪を犯さずに済むのです。―ローマ 14:1-12と比較してください。

しかしガマリエルは,宗教上の法的な決定をする際に,より寛容で進歩的な態度を取ったことで広く知られていました。例えば,「[夫の死亡を裏づける]ただ一人の証人の証言に基づいて妻の再婚を許す」という裁定を行ない,女性に対する配慮を示しました。(ミシュナ,イェバモット 16:7)さらに,離婚した女性を守るため,ガマリエルは,離縁状を出すことに幾つかの制限を加えました。

また,イエス・キリストの初期の追随者たちに対するガマリエルの扱い方にも,この精神が見られます。宣べ伝える業を行なったために逮捕されていた,イエスの使徒たちをユダヤ人のほかの指導者たちが殺そうとしていた時のことについて,「使徒たちの活動の書」はこう述べています。「ある人がサンヘドリンの中で立ち上がった。それはガマリエルという名のパリサイ人で,民のすべてから重んじられる律法教師であったが,彼は,この人々をしばらくのあいだ外に出すようにと命令した。それから,彼らにこう言った。『イスラエルの皆さん,この人たちをどうするかについては,自分のしようとすることに注意してください。……あなた方に言いますが,この人たちに手出しせず,彼らをほっておきなさい。……さもないと,あなた方は,実際には神に対して戦う者となってしまうかもしれません』」。ガマリエルの助言は聞き入れられ,使徒たちは釈放されました。―使徒 5:34-40。

パウロにとって,それは何を意味したか

パウロはかつて,西暦1世紀のラビで最も偉大な教師の一人であるガマリエルから訓練と教育を受けました。エルサレムにいた群衆は,この使徒がガマリエルに言及するのを聞いたので,恐らくその話に特別の注意を払ったことでしょう。しかしその使徒は,ガマリエルよりもはるかに優れた教師,つまりメシアであられるイエスについて人々に話しました。今やパウロはガマリエルの弟子としてではなく,イエスの弟子として群衆に語りかけていたのです。―使徒 22:4-21。

ガマリエルから受けた訓練は,クリスチャンとしてのパウロの教えに影響を及ぼしたでしょうか。聖書やユダヤ教の律法に関して受けた厳格な教育は,クリスチャンとして人を教える立場にあったパウロにとって恐らく有益だったでしょう。しかし,パウロが神からの霊感を受けて記した,聖書に収められている何通かの手紙は,ガマリエルが抱いていたパリサイ派の信条の本質をパウロが退けていたことを,はっきりと示しています。パウロは仲間のユダヤ人やほかの人々を皆,ユダヤ教のラビ,もしくは人間が作り出した伝承にではなく,イエス・キリストに導きました。―ローマ 10:1-4。

もしパウロがガマリエルの弟子のままでいたとしたら,大いに信望を集めたことでしょう。ガマリエルの門下生のほかの人々は,ユダヤ教の将来の方向を定めることに寄与しました。例えば,パウロの仲間の学生だったかもしれない,ガマリエルの息子シメオンは,ローマに対するユダヤ人の反乱で主要な役割を演じました。神殿が破壊された後,ガマリエルの孫であるガマリエル2世はサンヘドリンの権威を回復し,サンヘドリンをヤブネに移しました。ガマリエル2世の孫ユダ・ハナシーはミシュナの編纂者であり,そのミシュナは今日に至るまでユダヤ教思想の礎石となっています。

ガマリエルに師事する学生であったタルソスのサウロは,ユダヤ教の非常に著名な人物になっていたかもしれません。しかしそうした経歴に関して,パウロはこう書き記しています。「わたしにとって得であった事柄,それをわたしは,キリストのゆえにすべて損と考えるようになりました。いや,この点で言えば,わたしは実際のところ,わたしの主キリスト・イエスに関する知識の優れた価値のゆえに,一切のことを損とさえ考えています。キリストのゆえにわたしはすべてのものを損失しましたが,それらを多くのくずのように考えています」― フィリピ 3:7,8。

パリサイ人としての経歴を後にして,イエス・キリストの追随者になることにより,パウロは,「実際には神に対して戦う者」とならないよう用心すべきであると語った,かつての師の助言を実践しました。パウロはイエスの弟子たちを迫害するのをやめることにより,神と戦うことをやめました。かえって,キリストの追随者になることにより,「神と共に働く者」の一人になりました。―コリント第一 3:9。

現代の熱心なエホバの証人は引き続き真のキリスト教の音信を告げ知らせています。それら証人たちの中の多くの人は,パウロのように人生の劇的な変化を遂げてきました。中には,確かに「神からの」仕事である王国を宣べ伝える活動に,より多くあずかれるようにするため,前途有望な職業をやめた人さえいます。(使徒 5:39)パウロのかつての師ガマリエルの模範ではなく,パウロの模範に従ってきたそれらの人たちは,何と幸いなのでしょう。

[脚注]

a ガマリエルはヒレルの息子だったとする向きもあります。タルムードはこのことについてはっきり述べていません。

[29ページの囲み記事]

パリサイ人とはどんな人たちでしたか

西暦1世紀に存在していたユダヤ教の著名な教派。一部の学者によれば,この名称は字義的には,「取り分けられた者; 分離主義者」を意味し,儀式上の汚れを避けることや異邦人から離れていることを指しているのかもしれません。パリサイ人がいつごろ起こったのかについて正確には知られていません。ユダヤ人の歴史家ヨセフスの著作によれば,パリサイ人はすでにヨハネ・ヒルカノス1世の時代(西暦前2世紀後半)に有力な一団を成していたようです。「そして,彼らが大衆に及ぼす影響は絶大であったので,彼らが王や大祭司に言い逆らうとしても,その言葉はただちに信用を得た」とヨセフスは書いています。―ユダヤ古代誌,XIII,288(x,5)。

ヨセフスはまた,パリサイ人の信条に関しても詳しく説明してこう述べています。「彼らは,魂が不死の力を持つこと,また有徳あるいは悪徳の生活を送った者たちには,地下においてよき応報なり刑罰なりがあることを信じている。すなわち,邪悪な魂にはとこしえの投獄が定められており,善良な魂は新しい命に通じる平易な道筋をたどる」。(ユダヤ古代誌,XVIII,14 [i,3])「彼らの主張によれば,魂はすべて不滅であるが,他の体に移るのは善人の魂だけであり,悪人の魂はとこしえの刑罰に苦しむ」。ヨセフスは,運命と神慮に関する彼らの考えについて,「[彼らは]すべてのことを運命と神に帰する。すなわち,義を実践するか否かはかなりの程度人間に依存するが,各々の行為には運命が関与すると考えている」と伝えています。―ユダヤ戦記,II,162,163(viii,14)。

[28ページの図版]

タルソスのサウロは使徒パウロとして,良いたよりをあらゆる国の人々に告げ知らせた

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