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生き残るために清い宗教を実践するものみの塔 1991 | 12月1日
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「自分では正しい方式に従う崇拝者である[「『宗教的』である」,フィリップス訳]と思っていても,自分の舌にくつわをかけず,自らの心を欺いている人がいれば,その人の崇拝の方式[「宗教」,フィリップス訳]は無益です。
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生き残るために清い宗教を実践するものみの塔 1991 | 12月1日
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ヤコブは,人が自分では本当に宗教的だと思っていても,その人の崇拝の方式が無益なものとなり得ることを示しています。ここで『無益な』と訳されているギリシャ語には,「無駄な,空虚な,実を結ばない,役に立たない,力がない,真実さに乏しい」といった意味もあります。クリスチャンであると唱える人が自分の舌にくつわをかけず,神を賛美したり仲間のクリスチャンを築き上げたりするために舌を用いない場合がそうでしょう。その人は「自らの心を欺いている」
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