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神の王国は支配している!
国 14章 148–156ページ

14章

神の政府だけを忠節に支持する

この章で考えること

神の民は,王国に対する忠節ゆえに世のものとはならない

1,2. (イ)今日に至るまでイエスの追随者たちの指針となってきたのはどんな原則ですか。(ロ)敵対者たちはどのような方法でわたしたちを征服しようとしてきましたか。どんな結果になっていますか。

イエスは,ユダヤ国民を裁く世俗の最高権威者ピラトの前に立ちました。その際,今日に至るまでご自分の真の追随者たちの指針となる原則を示し,こう語りました。「わたしの王国はこの世のものではありません。わたしの王国がこの世のものであったなら,わたしに付き添う者たちは,わたしをユダヤ人たちに渡さないようにと戦ったことでしょう。しかし実際のところ,わたしの王国はそのようなところからのものではありません」。(ヨハ 18:36)ピラトはイエスを処刑しましたが,その勝利は長くは続きませんでした。イエスは復活したからです。強大なローマ帝国の皇帝たちは,キリストの追随者たちを打ち砕こうとしましたが,成功しませんでした。クリスチャンは当時知られていた世界の各地に王国の音信を広めたのです。―コロ 1:23。

2 王国が1914年に設立されて以来,史上有数の軍事大国の幾つかは神の民をぬぐい去ろうとしてきました。それでも,わたしたちを征服した国は一つもありません。多くの政府や党派は,紛争の際に,わたしたちを自分たちの側に無理やり付かせようとしてきました。しかし,わたしたちを分裂させようとするその働きかけも成功していません。今日,王国の臣民は事実上,世界のあらゆる国に住んでいます。とはいえ,わたしたちは真の世界的な兄弟関係で結ばれ,世の政治的な事柄に関して厳正中立を保っています。わたしたちの一致は,神の王国が支配しており,王イエス・キリストが今なお臣民を指導し,精錬し,保護していることを示す紛れもない証拠です。イエスがこのことをどのように行なってこられたかを考えましょう。また,「世のものではない」という立場を貫くわたしたちに対し,イエスが与えてくださった,信仰を強める法的勝利の幾つかを取り上げます。―ヨハ 17:14。

前面に掲げられた問題

3,4. (イ)神の王国が誕生したころ,どんな出来事がありましたか。(ロ)神の民は最初から,中立の問題を十分に理解していましたか。説明してください。

3 王国が誕生した後,天で戦争が起こり,サタンは地に投げ落とされました。(啓示 12:7-10,12を読む。)地上でも戦争が起こり,その戦争によって神の民の決意は試みられました。神の民は,イエスの手本に従って世のものではないという立場を取ることを決意していました。それでも当初は,政治的な事柄すべてから離れているために何が求められるかを十分には理解していませんでした。

4 一例を挙げましょう。1904年に発行された「千年期黎明」(英語)第6巻は,a 戦争に加わらないようクリスチャンに勧めていました。しかしながら,その本は,クリスチャンは徴兵されたなら,非戦闘員の何らかの任務に配属されるよう手を尽くすべきである,と論じていました。それがかなわず戦場に送られたなら,殺人を決して犯さないようにするべきである,ともありました。当時の状況について,1905年にバプテスマを受けた英国のハーバート・シーニアーはこう語りました。「兄弟たちの間で大きな混乱が生じていました。軍に入隊して非戦闘員の作業だけを行なうのは正しいことなのかどうか,明確な指示はありませんでした」。

5. 「ものみの塔」1915年9月1日号の中で,わたしたちの理解はどのように精錬され始めましたか。

5 しかし,「ものみの塔」(英語)1915年9月1日号の中で,この問題に関する理解が精錬され始めました。この記事は,「聖書研究」(英語)の本で勧められていた事柄について,「そのような歩みは妥協に当たるのではないだろうか」と問いかけました。ではクリスチャンが,軍服の着用と兵役を拒むなら銃殺する,と脅される場合はどうでしょうか。その記事はこう論じました。「平和の君に忠節を保つゆえに,またその命令に背くことを拒むゆえに命を落とすほうが,地上の王たちを支持する者,はたから見ると天の王の教えに従わない者として命を落とすよりもよいのではないか。わたしたちが望むのは前者であろう。つまり,天の王に忠実であるがゆえに死ぬことを選ぶのである」。このような力強い論議を展開しながらも,その記事は,「こうするよう強く勧めているわけではない。これは単なる提案である」と結んでいます。

6. ハーバート・シーニアー兄弟の経験からどんなことを学べますか。

6 関係する問題点を明確に理解し,正面からそれに向き合った兄弟たちもいます。前述のハーバート・シーニアーはこう述べました。「わたしにとっては,弾丸を船から降ろすこと[非戦闘員の任務]と,それらの弾丸を銃に装填し発射できるようにすることには,原則的に何の違いもありませんでした」。(ルカ 16:10)シーニアー兄弟は良心的に兵役を拒否した結果,刑務所に入れられました。シーニアー兄弟と他の4人の兄弟は,16人の良心的拒否者から成るグループに区分されていました。16人の中には他の宗派の人も含まれていました。彼らは一時期,英国のリッチモンド刑務所で服役し,後に“リッチモンドの16人”として知られるようになります。ある時,ハーバートと他の良心的拒否者たちは,船でひそかにフランスの前線へ護送されます。そして現地で銃殺刑を宣告され,銃殺隊の前に整列させられました。しかし,実際に処刑されることはなく,10年の刑に減刑されました。

サイモン・クレーカー

「私は,たとえ戦争の脅威にさらされていても,神の民はすべての人に対して平和な態度を保つべきだということを認識するようになりました」。―サイモン・クレーカー(7節を参照)

7. 第二次世界大戦が始まったころ,神の民はどんな点を理解していましたか。

7 第二次世界大戦が勃発したころには,エホバの民は全体として,中立の意味とイエスの手本に従うために求められる事柄とをいっそう明快に理解していました。(マタ 26:51-53。ヨハ 17:14-16。ペテ一 2:21)例えば,「ものみの塔」(英語)1939年11月1日号には,「中立」と題する重要な記事が掲載されました。その記事はこう述べていました。「現在,エホバの契約の民を律する規範とは,交戦当事国の間で厳正中立を保つことである」。後にニューヨーク市ブルックリンの本部で奉仕したサイモン・クレーカーは,この記事から学んだことについて次のように述べました。「私は,たとえ戦争の脅威にさらされていても,神の民はすべての人に対して平和な態度を保つべきだということを認識するようになりました」。この霊的食物は時宜にかなったものでした。その記事によって神の民は,王国に対する忠節が前例のない攻撃を受ける事態に備え,思いを引き締めることができたのです。

反対という「川」に脅かされる

8,9. 使徒ヨハネの預言はどのように成就しましたか。

8 王国が1914年に誕生した後,龍である悪魔サタンは象徴的な川を口から吐き出すことにより,神の王国の支持者たちをぬぐい去ろうとします。そのことが使徒ヨハネによって預言されていました。b(啓示 12:9,15を読む。)この預言はどのように成就しましたか。1920年代以降,神の民に対する反対は急増しました。第二次世界大戦中に北米に住んでいた多くの兄弟たちと同様,クレーカー兄弟も神の王国に忠節であったため刑務所に入れられました。実際,当時米国では,宗教上の理由で戦争に行くことを拒んで連邦刑務所に収容された受刑者のうち,3分の2以上がエホバの証人でした。

9 悪魔とその手先たちは,王国の臣民がどこに住んでいるかにかかわりなく,その忠誠を打ち砕こうと躍起になりました。アフリカ,米国,ヨーロッパの各地で,王国の臣民は法廷や仮釈放審査会に連れ出されました。彼らは,中立の立場を貫くことを固く決意していたため,投獄され,殴打され,障害を負わされました。ドイツにおいて神の民は,「ハイル・ヒトラー」とあいさつすることや戦争に加わることを拒んだため,極度の圧力にさらされました。ナチ時代には推定6,000人が収容所に入れられ,ドイツ人や外国人のエホバの証人1,600人以上が迫害者たちの手にかかって命を落としました。それでも悪魔は,神の民に永続的な害を及ぼすことはできませんでした。―マル 8:34,35。

「神の誉れのために死す」

ゲルハルト・シュタイナハー

第二次世界大戦中のナチス・ドイツで,エホバの証人は少数派のグループに過ぎませんでした。それにもかかわらず,歴史家のデトレフ・ガルベが述べるとおり,「第三帝国……の軍事法廷で良心的兵役拒否者として有罪とされた人の大多数はエホバの証人」でした。オーストリアの19歳のゲルハルト・シュタイナハーも,その一人でした。第二次世界大戦が始まってからまだ幾らもたっていないうちに,ゲルハルトはドイツ軍への入隊を拒んだためナチスの当局者に逮捕されました。

1939年11月,ゲルハルトは死刑を宣告されます。同じ月に刑務所から次の手紙を送っています。「わたしは何より神に誉れを帰し,神のおきてを守りたいと思っています。またご自分の王国にわたしたちを迎え入れてくださるようにと神に願い求めています。その王国ではとこしえの命と平和が得られるのです」。

刑が執行される前日の1940年3月29日,ゲルハルトは両親に宛てて別れの言葉をしたためました。「わたしはまだ子どもです。主に力を願い求めています。その力が与えられなければ,立ち続けることはできません」。翌朝,午前6時ごろ,ゲルハルトは処刑されました。ギロチンが使われたものと思われます。墓碑には,「神の誉れのために死す」と記されています。

「地」が「川」を呑み込む

10. 「地」は何を象徴していますか。「地」は神の民のため,どのように事態に介入してきましたか。

10 使徒ヨハネの記した預言が明らかにしているところによれば,「地」すなわちこの体制の諸要素のうち良識ある態度を取る部分が,迫害という「川」を呑み込み,神の民を助けることになります。預言のこの箇所はどのように成就してきましたか。第二次世界大戦に続く数十年間に,「地」はメシア王国の忠実な支持者たちのため,しばしば事態に介入してきました。(啓示 12:16を読む。)例えば,大きな影響力を持つ裁判所が,エホバの証人の権利を保護したことがあります。それには,兵役を拒否する権利や,国家主義的な儀式への参加を拒む権利などが含まれます。これからまず,兵役の問題に関連してエホバがご自分の民にお与えになった重要な勝利について考えましょう。―詩 68:20。

11,12. シクレラ兄弟とトリメノス兄弟はどんな問題に直面しましたか。それぞれどんな結果になりましたか。

11 米国。アンソニー・シクレラは,エホバの証人の両親に育てられ,15歳の時にバプテスマを受けました。シクレラ兄弟は21歳の時,宗教の奉仕者として徴兵委員会に登録しました。2年後の1950年には,良心的拒否者として再分類されることを求める申請をしました。連邦捜査局の報告書は兄弟に関して何の問題も指摘していませんでした。それにもかかわらず,司法省は兄弟の申請を退けました。幾度かの裁判を経た後,米国最高裁判所がシクレラ兄弟に関する件を審理した結果,下級裁判所の判決は取り消され,兄弟に有利な判決が下されました。この判決は,兵役を良心的に拒否する他の米国市民のために判例を確立する助けとなりました。

12 ギリシャ。1983年,イアコボス・トリメノスは軍服の着用を拒んだため不服従の罪で有罪とされ,刑務所に入れられました。釈放後,トリメノス兄弟は会計士として働くための申請を行ないましたが,前科の記録があったため申請は却下されました。兄弟は裁判を起こしましたが,国内のすべての裁判で敗訴し,ヨーロッパ人権裁判所に申し立てを行ないます。2000年に,17人の裁判官から成るヨーロッパ人権裁判所の大法廷は,兄弟に有利な判決を下しました。これは,差別的な扱いを非とする判例となりました。この時まで,ギリシャの3,500人余りの兄弟たちには,中立の立場を守って投獄されたことで前科がありました。ですが,この有利な判決が下された後,国は兄弟たちの前科を取り消すための法律を制定しました。加えて,国は数年前に別の法律を制定しており,代替の市民的奉仕活動を行なう権利をすべての市民に与えていました。その法律が有効であることは,ギリシャの憲法が改正された時に再確認されました。

イバイロ・ステファノフ

「法廷に入る前に,エホバに熱烈に祈りました。穏やかな気持ちになれるようエホバが助けてくださるのを実感しました」。―イバイロ・ステファノフ(13節を参照)

13,14. イバイロ・ステファノフとバハン・バヤティアンに関する裁判から,どんなことを学べると思いますか。

13 ブルガリア。1994年,19歳のイバイロ・ステファノフは軍隊に召集されました。ステファノフ兄弟は,軍隊に入ることを,また軍の指揮下で行なう非戦闘員の任務を果たすことを拒みました。兄弟は1年半の刑を言い渡されましたが,良心的に兵役を拒否する権利を主張し,上訴しました。この件は最終的にヨーロッパ人権裁判所で審理されることになりました。2001年,まだ審理が行なわれていなかった時点で和解が成立しました。ブルガリア政府はステファノフ兄弟に,さらには代替の市民的奉仕活動を行なう意志のある国民全員に,恩赦を与えたのです。c

14 アルメニア。2001年,バハン・バヤティアンは兵役義務の対象者になりました。d 軍隊に入ることを良心的に拒否したバヤティアンは,国内におけるすべての裁判で敗訴します。2002年9月,2年半の刑に服役し始めますが,10か月半で釈放されました。そのころバヤティアンはヨーロッパ人権裁判所に申し立てを行ないました。その件を審理した同裁判所は,2009年10月27日,バヤティアン側敗訴の判決を下しました。この判決により,同じ問題に直面するアルメニアの兄弟たちも望みを絶たれたかに思えました。しかし,ヨーロッパ人権裁判所の大法廷がこの件を再び審理します。2011年7月7日,同裁判所はバヤティアン側勝訴の判決を下しました。ヨーロッパ人権裁判所において,宗教的信条による良心的兵役拒否が,思想,良心および宗教の自由に基づき保護されるべきであると認められたのは,これが初めてでした。この判決は,エホバの証人の権利だけでなく,欧州評議会の加盟国に住む何億もの人々の権利を保護するものでもあります。e

アルメニアの兄弟たちが刑務所から釈放される

アルメニアの兄弟たちは,ヨーロッパ人権裁判所による勝訴判決の後に刑務所から釈放された

国家主義的な儀式に関する問題

15. エホバの民が国家主義的な儀式への参加を拒むのはなぜですか。

15 エホバの民はメシア王国に忠節を保つゆえに,兵役を拒否するだけでなく,国家主義的な儀式への参加を敬意ある態度で拒みます。国家主義の風潮は,とりわけ第二次世界大戦の開戦後,世界中で一気に強まりました。多くの国で,市民は誓いの暗唱や国歌斉唱や国旗敬礼により,自国への忠誠を誓うよう求められてきました。しかし,わたしたちはエホバだけに全き専心をささげます。(出 20:4,5)その結果,洪水のような迫害がわたしたちに押し寄せました。それでもエホバは,やはり「地」が水のような反対を呑み込むよう動かしてこられました。この点で,エホバがキリストを通して与えてくださった注目すべき勝利の幾つかを取り上げましょう。―詩 3:8。

16,17. リリアン・ゴバイタスとウィリアム・ゴバイタスはどんな問題に直面しましたか。二人に関する事件から,どんなことを学べますか。

16 米国。1940年,米国最高裁判所は,「マイナーズビル学区 対 ゴバイティス」事件において,8対1でエホバの証人側敗訴の判決を下しました。12歳のリリアン・ゴバイタスfと10歳の弟ウィリアムは,エホバに忠節を保つことを願い,国旗敬礼と忠誠の誓いをすることを拒みました。そのため,二人は放校されました。この件は最高裁判所で審理され,学校側の措置は「国家の一致」という利益にかない合憲である,という判断が下されました。この判決を機に,エホバの証人に対する熾烈な迫害が生じます。放校される子どもが増え,大人は仕事を失いました。かなりの数の人が暴徒からひどい攻撃を受けました。「我が国の名誉」(英語)という本は,「1941年から1943年にかけてエホバの証人に対してなされた迫害は,20世紀のアメリカにおける宗教的不寛容としては他に類を見ないものである」と述べています。

17 神に敵対する人たちの勝利は,長くは続きませんでした。1943年,最高裁判所はゴバイティス事件に似た,もう一つの事件を審理しました。「ウェスト・バージニア州教育委員会 対 バーネット」事件です。今回,最高裁判所はエホバの証人側勝訴の判決を下したのです。米国の歴史上,最高裁判所が自ら下した判断をこれほど短期間に覆したのは,前例のないことでした。この判決の後,米国のエホバの民があからさまな迫害を受けるケースは激減しました。それとともに,すべての米国市民の権利が強化されることにもなりました。

18,19. パブロ・バロスは,自分が強さを保つうえで何が助けになったと述べていますか。エホバの僕たちは,この手本にどのように見倣えますか。

18 アルゼンチン。1976年,8歳のパブロ・バロスと7歳の弟ウーゴは,国旗掲揚式に加わらないため放校されました。その処分が下される前に,女性の校長はパブロを突き飛ばし,頭をたたきました。さらに,二人を放課後1時間学校に残らせ,愛国的な儀式に無理やり加わらせようとしました。この試練についてパブロは次のように述べています。「エホバの助けがなかったら,忠誠を曲げさせようとする圧力に耐えることができなかったと思います」。

19 この件で裁判が起こされ,裁判官は二人を放校するという学校側の決定を支持しました。しかし,アルゼンチンの最高裁判所に上訴が行なわれます。1979年,最高裁判所は下級裁判所の判決を覆し,こう述べました。「当該処罰[放校処分]は,憲法で保障された学習の権利(第14条)および国が初等教育を確実に施すという義務(第5条)とは相いれないものである」。エホバの証人の子ども約1,000人がこの勝利の恩恵を受けました。放校処分が差し止められた子どもたちもいれば,パブロとウーゴのように,公立学校へ再入学を認められた子どもたちもいました。

若い兄弟が学校で中立を保っている

多くのエホバの証人の子どもたちは試練のもとで忠実を保っている

20,21. ロエル・エンブラリナグとエミリー・エンブラリナグに関する裁判の例から,あなたの信仰はどのように強められますか。

20 フィリピン。1990年,9歳の少年ロエル・エンブラリナグと10歳の姉エミリーは,国旗に敬礼しなかったために放校されました。エホバの証人のほかの児童66人も同じ理由で放校されました。ロエルとエミリーの父親レオナルドは,学校側と話し合う努力をしましたが,成果は得られませんでした。状況がいっそう深刻になったため,レオナルドは最高裁判所に申し立てをしました。しかし,経済的に余裕がなく,弁護士をつけることができませんでした。この家族はエホバに導きを求めて熱烈に祈りました。その間にも,子どもたちは周りからひどいことを言われました。レオナルドとしても,自分は法律の知識がないので裁判には勝てないだろう,と感じていました。

21 そのような中,弁護士のフェリーノ・ガナルがこの家族の弁護を引き受けてくれました。国内でも有数の法律事務所に勤めていたことのある人です。この裁判が行なわれるころには,ガナル氏はすでに法律事務所を退職し,エホバの証人になっていました。最高裁判所はこの件に関し,全員一致でエホバの証人側勝訴の判決を下し,放校処分を無効としました。神の民の忠誠を曲げさせようとする人たちのもくろみは,またしてもくじかれたのです。

中立が一致につながる

22,23. (イ)エホバの民がこれほど多くの画期的な勝訴判決を得てきたのはなぜですか。(ロ)わたしたちが全世界に及ぶ平和な兄弟関係を築いていることから,何が分かりますか。

22 エホバの民がこれほど多くの画期的な勝訴判決を得てきたのはなぜでしょうか。わたしたちは政治的な影響力を持っていません。それでも,世界各地の数々の裁判で,公平な裁判官は反対者たちの執拗な攻撃からわたしたちを保護してきました。またその過程で,憲法の判例を築いてもきました。勝利を得るためのわたしたちの努力に,キリストの後ろ盾があったことは明らかです。(啓示 6:2を読む。)わたしたちが法的な闘いを行なうのはなぜですか。法制度の改革を意図しているわけではありません。むしろ,今後も妨げられることなく王イエス・キリストに仕えられるようにすることを目指しているのです。―使徒 4:29。

23 今の世では,政治的な争いによる分裂や,根深い憎しみによるひずみが見られます。統治する王イエス・キリストは,そうした状況においても中立の立場を保とうとする世界中の追随者たちの努力を祝福してきました。サタンは,わたしたちを分裂させて征服しようと躍起になっていますが,成功していません。王国は現に,「戦いを学」ぶことを拒む幾百万もの人々を集めています。全世界に及ぶ平和な兄弟関係を築いているわたしたちの存在そのものが一つの奇跡であり,神の王国が支配している紛れもない証拠なのです。―イザ 2:4。

a この第6巻は,「新しい創造物」(英語)という題でも知られています。「千年期黎明」のシリーズは後に,「聖書研究」と呼ばれるようになりました。

b この預言について詳しくは,「啓示の書 ― その壮大な最高潮は近い!」という本の27章,184-186ページを参照。

c この和解により,ブルガリア政府には,良心的拒否者全員に対し,軍の管理下にはない代替の市民的奉仕活動の機会を提供することも求められました。

d 詳しくは,「ものみの塔」2012年11月1日号の「ヨーロッパ人権裁判所 ― 良心的兵役拒否の権利を擁護」という記事を参照。

e アルメニア政府は過去20年間に,450人を超えるエホバの証人の若者を投獄しました。2013年11月,投獄されていた最後のエホバの証人たちが釈放されました。

f 裁判所の記録はつづりの間違いにより「ゴバイティス」となっています。

あなたにとって王国はどれほど現実的ですか

  • エホバの民が政治的な事柄に関して中立を保つ理由を,あなたはどう説明しますか。

  • 裁判におけるエホバの民の勝利から,神の王国についてどんなことを学べますか。

  • 自分が神の王国だけを支持しているということを,どのように示せますか。

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