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“鷲の国”でエホバの言葉が高く舞うものみの塔 2005 | 10月15日
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熱心な外国の開拓者たちが業の先頭に立つ
1992年の初め,統治体はアルバニア系の宣教者夫婦マイケル・ディグレゴリオとリンダ・ディグレゴリオがアルバニアに移動するように取り決めました。二人は長年忠実を保ってきた兄弟たちと連絡を取り,国際的な霊的家族に再び加わるよう助けました。11月には,イタリアから16名の勤勉な特別開拓者つまり全時間の福音宣明者が来て,ギリシャからも4人の開拓者がやって来ました。それらの人たちが地元の言語を学べるよう,言語コースが組織されました。
外国から来たそれらの開拓者たちにとって,日々の生活は楽ではありませんでした。電気の供給は断続的でした。冬は寒くてじめじめしていました。食糧や他の必需品を手に入れるために何時間も列に並ばなければなりません。しかし兄弟たちが直面した最大の問題は,真理に応じる大勢の関心ある人たちを収容できる大きな建物を見つけることでした。
アルバニア語に四苦八苦していた開拓者たちは,言語は目的を達成するための手段にすぎないことを悟りました。経験豊かな聖書の教え手はこう述べました。「動詞の活用が完ぺきでなくても,温かくほほえんだり,兄弟たちと抱擁を交わしたりすることはできます。アルバニア人は皆さんの完ぺきな文法ではなく,心からの愛にこたえ応じるのです。心配しないでください。アルバニア人は分かってくれます」。
最初の言語コースが終了すると,開拓者たちはベラト,ドゥラス,ギロカスタル,シュコデル,ティラナ,ブロラで奉仕を開始しました。ほどなくして,それらの都市で会衆が次々に設立されてゆきました。ブロラには,すでに80代になり健康の衰えていたアレティ・ピナがいて,アレティと奉仕するために二人の特別開拓者が遣わされました。人々は外国人がアルバニア語を話していることに驚きました。「他の宗教グループの宣教師たちは,何か学びたければまず英語かイタリア語を勉強しなさい,と言います。でも皆さんが実際にアルバニア語を学んだということは,わたしたちのことを本当に愛していて,何か大切なことを伝えたいと思っておられるのですね」。
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“鷲の国”でエホバの言葉が高く舞うものみの塔 2005 | 10月15日
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[19ページの図版]
言語コースに出席する,外国から来た開拓者の第一陣
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