ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • エホバは私たちを決して見捨てられなかった
    ものみの塔 1996 | 1月1日
    • アルバニアの首都ティラナ市に遣わされました。その町で私は,ギリシャ語の聖書を読んでいたスタシ・ムチに会いました。「教会に行っているんですか」と尋ねると,「いいえ,私は教会を脱退しました。私は国際聖書研究者です」という返事です。もう一人の軍人と私は,スタシと一緒に日曜日の集会に出席しました。私はその集会で,真の教会とは建物や宗教のことではなく,キリストの油そそがれた僕たちによって構成されていることを学びました。この時やっと,「神の立琴」が言わんとしていることが理解できたのです。

      ナショー・イドリジとスパイロ・ブルホは1920年代の半ばに米国からアルバニアに戻り,米国で学んだ聖書の真理を広めていました。私はティラナで行なわれていた集会に出席するようになり,そこには,ほんの一握りの聖書研究者が集まり合っていました。間もなく,エホバの組織を見いだしたという確信が私の中で強まりました。それで,1930年8月4日に近くの川でバプテスマを受けました。

  • エホバは私たちを決して見捨てられなかった
    ものみの塔 1996 | 1月1日
    • 私たちはティラナで旅行を終え,キリストの死の記念式を執り行なうのにちょうど間に合いました。

  • エホバは私たちを決して見捨てられなかった
    ものみの塔 1996 | 1月1日
    • 3か月後にはティラナの刑務所に移送され,事情聴取もされずにさらに8か月間,投獄されました。

      最終的に私たちは軍事裁判にかけられました。シティ兄弟と私は2年3か月,コミノ兄弟は2年の刑を宣告され,他の兄弟たちは10か月後に釈放されました。

  • エホバは私たちを決して見捨てられなかった
    ものみの塔 1996 | 1月1日
    • ティラナの証人たちは捕らえられ,そのうちの3人は辺ぴな場所にある強制労働収容所の5年間の刑を宣告されました。その結果,彼らの家族は苦しい目に遭いました。

  • エホバは私たちを決して見捨てられなかった
    ものみの塔 1996 | 1月1日
    • 1975年,アルジロと私は数か月の間,ティラナに住む息子のところにいました。選挙の時期に市の当局者たちは,「もし投票しないなら,息子さんの仕事を取り上げます!」と脅しを加え,私たちに圧力をかけました。

      私はこう答えました。「息子は25年間その仕事をしてきました。息子と息子の家族に関する詳しい個人記録をお持ちですね。私は40年余り投票してきませんでした。こうした情報は一般に人事関係の記録に収められているものです。もし収められていないとすれば,皆さんの書類は管理がずさんです。もし皆さんの記録に収められているなら,これほど長い間息子に仕事の許可を与えてきたわけですから,皆さんは政党に対して不忠実だったことになります」。当局者たちはこの答えを聞くが早いか,私たちがムブレシュタンに帰ればこれ以上面倒は起こさない,と言いました。

日本語出版物(1954-2026)
ログアウト
ログイン
  • 日本語
  • シェアする
  • 設定
  • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
  • 利用規約
  • プライバシーに関する方針
  • プライバシー設定
  • JW.ORG
  • ログイン
シェアする