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アルバニア2010 エホバの証人の年鑑
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[175ページの図版]
1992年,ティラナの最初の王国会館で開かれた集会
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アルバニア2010 エホバの証人の年鑑
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集会が秘密ではなくなる
アドリアナ・マフムタイ
生まれた年 1971年
バプテスマ 1993年
プロフィール 秘密裏に開かれていた集会に誘われて以来,生活が大きく変わる。現在は特別開拓者。
■ いとこが1991年に亡くなった時,バリエという女性がおばに聖書から慰めを与えるのを耳にしました。わたしがすぐにいろいろな質問をすると,バリエは同じ職場で働いている友人のライモンダと会うよう勧めてくれました。ライモンダの家族は“会”に出席していたのです。ライモンダは,新しい人はすぐには会に出席できないので,まずしばらく二人で聖書の討議をする必要があると言いました。わたしはその研究をとても楽しみ,やがて出席することが認められました。
その会は,バプテスマを受けていない人たちで構成されていましたが,もともとはソティル・パパとスロ・ハサニが始めたものでした。何年も前に,シグリミの捜査員が会に潜入し,その二人の兄弟を警察に連行するという事件が起きていました。そのため,皆は用心し,だれを集会に誘うかについて注意深くなっていたのです。
初めて集会に出席した時,友人のリストを作って,学んでいる事柄を伝えるよう勧められました。それですぐにイルマ・タニに話しました。やがてイルマも会に出席することを認められます。15人から成る小さな会は,すぐに大きくなりました。
1992年4月,マイケル・ディグレゴリオと妻のリンダがベラトを訪れます。兄弟の講演に人々を公に招くよう勧められ,結果として54人が出席しました。全員バプテスマを受けていない人でした。その集会の後,わたしたちはディグレゴリオ兄弟姉妹にたくさん質問し,そのやり取りは長時間に及びました。わたしたちのグループがどのように活動したらよいのか,ついに分かりました。
程なくしてエホバの証人は法的に認可されます。わたしはイルマと二人の兄弟と共にティラナに行き,家から家の伝道の方法を教わります。そして学んだ事柄をベラトの他の人たちにも伝えるようにと言われました。わたしたちは最善を尽くしました。1993年3月,イタリア人の4人の特別開拓者がベラトに割り当てられ,会衆は勢いを増し,毎週二つの集会が公開で行なわれることになりました。
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