-
アルバニア2010 エホバの証人の年鑑
-
-
バシル・ジョカは,可能な限りの努力を払って兄弟たちを短く訪問しました。
-
-
アルバニア2010 エホバの証人の年鑑
-
-
バシル・ジョカはギリシャに行って支部事務所にしばらく滞在し,伝道の業を組織する方法を教わります。バシルのギリシャ語の能力は限られていたため,アルバニア語を少し話せる兄弟たちが最善を尽くして教えました。ティラナに戻ったバシルは,学んだ事柄を懸命に当てはめ,週ごとの二つの集会をきちんと組織するよう努めました。そのうちの一つは,刊行されて間もないアルバニア語の「ものみの塔」誌を用いた研究です。
-
-
アルバニア2010 エホバの証人の年鑑
-
-
ローマの支部で,ディグレゴリオ兄弟姉妹はギリシャとイタリアの兄弟たちからアルバニアの状況について短い説明を受け,バシル・ジョカを含むアルバニアの兄弟たちの写真を見せられました。
-
-
アルバニア2010 エホバの証人の年鑑
-
-
二人が空港から外に出ると,迎えに来ていたマイケルの親族数人が駆け寄りました。その時マイケルは,バシル・ジョカに気づきます。バシルも,二人がその日に到着することを知らされていたのです。
マイケルはリンダに,「君は先に家族と行きなさい。僕はすぐ戻るから」と言います。
親族はリンダを抱き締め,二人の荷物をつかんで車へと急ぎました。マイケルはすぐにバシルに近づきます。
そして,「日曜日にティラナに戻り,兄弟のところに伺います」とだけ伝えます。
-
-
アルバニア2010 エホバの証人の年鑑
-
-
マイケルは思い出してこう語ります。「ティラナでバシルの家が見つかりませんでした。通りの名称が記されていないからです。コチョは,郵便局で尋ねてみようと言いました」。
リンダはこう続けます。「郵便局から出てきたコチョはぼう然とした様子でしたが,ともかく迷わずバシルのアパートに行けました」。
あとからコチョはこう説明しました。「郵便局に入ってバシルについて尋ねたところ,こう言われたんだ。『あの方はまさに聖人です。どんな人生を送ってきた人か知っていますか。あれほど立派な人はティラナのどこを探してもいませんよ』。それを聞いて,神様が君たちの旅を導いていることが分かったよ。わたしが邪魔してはいけない」。
ティラナで業を組織する
バシルはディグレゴリオ兄弟姉妹に会えて喜び,3人は何時間も話し合いました。晩に帰るころになって,ヤニ・コミノがその日の朝に亡くなったと,バシルは言いました。コミノ兄弟は,ナショー・ドーリーと共に投獄されたことのある人です。バシルが,愛する兄弟で親しい友でもあるコミノ兄弟の葬式に行かずに,家にいたのはなぜでしょうか。「統治体から遣わされる人が来ると分かっていたからです」と本人は答えました。
-