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弱さ,邪悪さ,および悔い改めを見極めるものみの塔 1995 | 1月1日
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次に,アナニアとサッピラのことを考えてみてください。二人は偽善的にも実際以上に寛大であるふりをし,うそをついて使徒たちを欺こうとしました。それは重大なことでしたか。その通りです。殺人や姦淫と同じほど悪いことでしたか。決してそうではありません。それでも,アナニアとサッピラは死刑になりました。―使徒 5:1-11。
異なった審判が下されたのはなぜでしょうか。ダビデは肉の弱さのために重大な罪に陥りました。ダビデは自分のしたことを指摘された時,悔い改めたので,エホバはダビデをお許しになりました。もっとも,ダビデは家族に生じた種々の問題に関して厳しく懲らしめられました。アナニアとサッピラは,偽善的にうそをつき,クリスチャン会衆を欺こうとして『聖霊と神に対して虚偽の振る舞いをする』という罪をおかしました。それは邪悪な心を抱いていた証拠となりました。ゆえに,二人はより厳しい裁きを受けたのです。
いずれの場合もエホバにより裁かれたので,正しい裁きが行なわれました。エホバは心を調べることがおできになるからです。(箴言 17:3)
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弱さ,邪悪さ,および悔い改めを見極めるものみの塔 1995 | 1月1日
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邪悪な人はアナニアとサッピラのように,口では良いことを語りますが,心には悪いことを宿しています。そのような人は偽善者かもしれません。『確かに外面では義にかなった者と人に映りますが,内側は偽善と不法でいっぱいだった』,イエスの時代のパリサイ人のようです。(マタイ 23:28。ルカ 11:39)エホバは偽善を憎まれます。(箴言 6:16-19)もし審理委員と話し合っている時でさえ,偽善的にも自分の重大な罪を否認する,あるいはほかの人にすでに知られていることだけをしぶしぶ認め,すべてを告白しようとしないとしたら,それは邪悪な心を抱いている証拠とみなせるでしょう。
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弱さ,邪悪さ,および悔い改めを見極めるものみの塔 1995 | 1月1日
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[29ページの図版]
アナニアとサッピラは聖霊に対して偽善的に虚偽の振る舞いをし,心の邪悪さを示した
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