ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • セラフたち
    聖書に対する洞察,第2巻
    • 「しかしながら,ウジヤ王の死んだ年に,わたしはエホバを見た。高大で,高く上げられた王座に座しておられ,そのすそは神殿に満ちていた。セラフたちがその上の方に立っていた。各々六つの翼を持っていた。二つで顔を覆い,二つで足を覆い,二つで飛び回るのであった。そして,この者がかの者に呼びかけて言った,『聖なるかな,聖なるかな,聖なるかな,万軍のエホバ。全地に満ちるものはその栄光である』。……それから,わたしは言った,『わたしは災いだ! 沈黙に陥れられたも同然だからだ。わたしは唇の清くない人間であり,唇の清くない民の中に住んでいるからだ。わたしの目は王を,万軍のエホバご自身を見たからだ』。すると,セラフのひとりがわたしのところに飛んで来た。その手には祭壇から火ばしで取った真っ赤におこっている炭があった。そしてわたしの口に触れて言った,『見よ,これがあなたの唇に触れたので,あなたのとがは離れていった。あなたの罪は贖われている』」― イザ 6:1-7。

      神であられる方については何も説明されていません。しかし,その方の壮麗な外衣のすそは神殿に満ちており,だれの立つ余地も残されていなかったと言われています。その方の王座は地面に置かれているのではなく,「高大」である上に,『高く上げられて』いました。セラフたちが「立って」いたというのは,何組かのうちの一組の翼によって「宙に浮いていた」という意味なのかもしれません。ちょうど雲が荒野のエホバの天幕の入口のそばに『立って』,つまり宙に浮いていたのと同様です。(申 31:15)フランツ・デリッチ教授はセラフたちの位置について次のように注解しています。「セラフィムは確かに王座に座っておられる方の頭上に舞い上がることはなかったであろう。むしろ彼らは,広間を満たした,その方の長い衣の上方で宙に浮いていたのである」。(「旧約聖書注解」,1973年,第7巻,第1部,191ページ)ラテン語ウルガタ訳は,「セラフたちがその方の上の方に立っていた」とする代わりに,「その」上の方に立っていたと述べています。―イザ 6:1,2。

  • セラフたち
    聖書に対する洞察,第2巻
    • 幻の中の彼らの姿 セラフたちは足や翼などのある姿で描写されていますが,その描写は象徴的なものと解さなければなりません。地上の被造物に似たその姿は,彼らが持っている能力や行なっている働きを表わしているに過ぎません。ちょうど神がご自身のことを目や耳,その他の人間の特徴を備えた者として象徴的に述べておられるのと同じです。使徒ヨハネは,人間がだれも神の姿を知らないことを示して,「愛する者たちよ,今やわたしたちは神の子供です。しかし,わたしたちがどのようになるかはまだ明らかにされていません。彼が現わされる時にわたしたちが彼のようになることは知っています。彼のあるがままを見るからです」と述べています。―ヨハ一 3:2。

日本語出版物(1954-2026)
ログアウト
ログイン
  • 日本語
  • シェアする
  • 設定
  • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
  • 利用規約
  • プライバシーに関する方針
  • プライバシー設定
  • JW.ORG
  • ログイン
シェアする