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  • その4 ― 地の最も遠い所にまで証人となる
    エホバの証人 ― 神の王国をふれ告げる人々
    • 1954年,南アフリカのものみの塔協会の支部事務所は,アンゴラ南部の流刑地バイア・ドゥスティグラシュのアフリカ人のグループから驚くべき手紙を受け取りました。手紙の主であるジョアン・マンコカは,「アンゴラのエホバの証人のグループには1,000人の成員がいます。リーダーはセマウン・ゴンサルベス・トコです」と述べていました。トコとはだれでしょうか。彼の追随者は本当にエホバの証人なのでしょうか。

      ポルトガル語を話せる宣教者ジョン・クックがアンゴラを訪問するよう取り決められました。植民地の役人との長い話し合いの末に,クック兄弟はマンコカを訪問するための許可を得ました。クック兄弟は,トコがベルギー領コンゴ(現在のザイール)のバプテスト派伝道団とつながりのあった1940年代にものみの塔の文書を幾らか入手し,学んだ事柄を親しい仲間に伝えていたことを知りました。しかしその後,そのグループは心霊術者たちの影響を受け,やがてトコはものみの塔の文書や聖書を全く用いなくなり,その代わりに霊媒を通して導きを求めました。彼の追随者たちは政府によってアンゴラへ送還され,その後アンゴラ各地へ分散させられました。

      マンコカは以前はトコの仲間でしたが,後に,心霊術の習わしをやめるよう,聖書につき従うよう他の人たちを説得しました。トコの追随者の一部はそれを嫌い,言いがかりをつけてマンコカをポルトガル当局へ訴えました。その結果,マンコカと,彼の考えに同調する人たちは流刑地へ追放されました。マンコカはそこからものみの塔協会と連絡を取り,聖書文書をさらに入手しました。彼は謙遜で,霊的な思いを持ち,自分が真理を学ぶ経路となった組織と密接に働くことに深い関心を抱いていました。クック兄弟は,何時間もかけてそのグループと共に聖書の真理について話し合った後,ジョアン・マンコカが主の真の羊であると確信しました。マンコカ兄弟は非常に困難な状況のもとで,これまで長年にわたり自分が主の真の羊であることを実証してきました。

      トコおよび彼の追随者の一部との話し合いも行なわれました。しかし,わずかな例外を除いて,彼らにはキリストの追随者の羊のような特質を示す証拠がありませんでした。それで,当時アンゴラにいたエホバの証人は1,000人ではなく,わずか25人ほどでした。

  • その4 ― 地の最も遠い所にまで証人となる
    エホバの証人 ― 神の王国をふれ告げる人々
    • [482ページの図版]

      ジョアン・マンコカ(妻メアリーと共に写っている)は非常に困難な状況のもとで何十年もエホバに忠節に仕えてきた

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