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    2001 エホバの証人の年鑑
    • ウイラ州からの報告が物語っているように,真理の種が芽を出すまでに幾らかの年月がかかることもありました。スミス夫妻の伝道旅行から何年も後のこと,アンドラーデという男性は,自分がサ・ダ・バンデイラに住んでいた41歳のころ,南アフリカから車で通りかかったある人からものみの塔の出版物を受け取ったことを思い出しました。当時アンドラーデ氏は「富」という本を手に入れ,「ものみの塔」誌の予約購読もしていました。彼はブラジル支部にあてて手紙を書き,支部は手紙で行なう家庭聖書研究から益を得られるように取り決めました。しかしその後,アンドラーデ氏は自分あての郵便物が検閲されていることに気づき,聖書研究を続けることができなくなってしまいました。同氏は何年も証人たちと連絡を取ることができませんでした。

      1967年に,バプテスマを受けたばかりのズレイカ・ファルレイロは,サ・ダ・バンデイラに引っ越しました。姉妹は真理に関する知識を比較的わずかしか持っておらず,当時エホバの証人の活動はアンゴラで禁令下にありました。それにもかかわらず,姉妹は自分の知っていることを他の人々に伝えたいと強く望んでいました。やがてある女性との聖書研究が始まり,その女性は同じ宗教の人らしい靴屋さんを知っていると述べました。ファルレイロ姉妹は靴を何足か直してもらいに持って行き,その靴屋の主人に「とこしえの命に導く真理」という本を見せたところ,主人は目を輝かせました。姉妹はその主人と聖書研究を始めることができました。その主人とはアンドラーデ氏で,そのころには車いすの生活をしていました。また妻が殺されるところを目撃したことから,心に深い傷を負っていました。それゆえ王国の希望は心に訴えるものとなり,彼はそれをしっかりとらえました。やがて1971年にバプテスマを受けてエホバの証人となり,1981年に80歳で亡くなるまで,忠実にエホバに仕え続けました。抱えていた障害や老齢にもかかわらず,会衆の集会すべてに定期的に,また活発に参加していた姿は,他の人々を大いに励ましました。

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    2001 エホバの証人の年鑑
    • アンゴラで最初に報告されたエホバの証人の活動は,南アフリカのケープタウンから来た開拓者の夫婦,グレー・スミスとその妻オルガによるものでした。1938年7月に,彼らはヨハネスブルクから,録音された聖書の講話を流すために設計された車に乗って,北へ向かいました。車にはものみの塔の出版物が詰め込まれていました。3か月に及ぶ旅で,スミス夫妻は「ものみの塔」誌の予約購読を取り決め,聖書,書籍,小冊子を合計8,158冊配布しました。二人は広い地域で自由に聖書文書を広め,ベンゲラ,ルアンダ,サ・ダ・バンデイラ(現在のルバンゴ),またアンゴラ西部の他の町々に住む人々に音信を伝えました。

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