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動物実験 ― 祝福か のろいか目ざめよ! 1990 | 7月8日
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動物実験 ― 祝福か のろいか
読者がもし今世紀初頭に生まれた何千万という人々の一人であれば,あなたは自分が親や,出産に立ち会った医師または助産婦の期待をはるかに超えて長生きしていることをご存じでしょう。西暦1900年当時,米国,カナダ,あるいはヨーロッパで生まれた人の平均寿命は約47歳で,他の国々ではもっと短命でした。ところが今では,平均寿命が70歳を超えている国は少なくないのです。
しかし今は,何歳の人にとっても,矛盾をはらんだ時代です。祖父母や曾祖父母の時代には,いろいろな病気のために大勢の人が死にました。例えば,天然痘は毎年数えきれないほど多くの人命を奪い,幾百万もの人々の身に生涯消えない傷跡を残しました。インフルエンザの犠牲者も出ました。一種類の流行性感冒だけで1年間(1918-1919年)に2,000万人に上る死者が出ています。第一次世界大戦後,ロシアでは流行性発疹チフスによって300万人が死にました。第二次世界大戦中には他の多くの国でも発疹チフスが流行しました。その流行期間中に発疹チフスに感染した人100人につき25人は死亡したとみられています。
後ほどポリオという名でも知られるようになった恐ろしい病気,小児麻痺のために,世界人口は毎年およそ3万人減少し,ほかに幾千人もの人,特に子供たちが身体障害者になりました。腸チフスやジフテリア,しょうこう熱やはしか,百日咳や肺炎など,初めてかかった病気を乗り切ることができずに死んでしまう,いとけない幼子たちもいました。病名を挙げれば切りがないように思えます。1915年に生まれた子供の場合は,10万人につきおよそ1万人が1歳の誕生日を迎える前に死亡しています。脳腫瘍は手術不能でした。詰まった血管を開通させる技術は知られていませんでした。医師たちには心臓発作を起こした患者を救う力はなく,ガンは確実な死を意味しました。
20世紀に入ってからも,またその前にも,命取りの色々な伝染病が世界で猛威を振るってきたにもかかわらず,今日,人の寿命は25年ほど延びました。ですから,世界の多くの場所では,今日生まれる子供の平均寿命は約70歳になっています。
救命のために払われる代償
幸いなことに,今生きている若い人たちの大半は,先祖たちの若死にの原因であった命取りの病気の多くを免れています。しかし,次のことを知るなら,喜ぶ気持ちにはなれないかもしれません。それは,科学者たちの言う『今日の人々がより長く,より健康な生活を送ることを目的とした』医学のために,犬,猫,うさぎ,猿など,人間の友である多くの動物が犠牲になっているということです。
小児麻痺,ジフテリア,耳下腺炎,はしか,風疹,天然痘など,今世紀になって根絶,もしくは抑制された疾病は全部と言ってよいほど,動物実験によって制圧されました。麻酔薬や鎮痛薬,静脈摂食法や薬物療法,ガンに対する放射線療法や化学療法などもみな,最初は動物でテストされてその効果が実証されました。しかもこれらはわずかな例にすぎません。
著名な神経科医のロバート・J・ホワイト博士は,「現代医学における主な治療法や外科的処置のうち,動物実験をせずに開発されたものはないと言ってよい」と語りました。同博士は,「犬や他の動物を使った実験によって,インシュリンの発見と糖尿病の抑制,心臓切開手術,脈拍調整装置,多くの分野における臓器移植などへの道が開かれた。米国ではポリオが……猿を使った研究によって完成した予防ワクチンでほぼ完全に撲滅された。動物実験によって研究者たちは,急性白血病にかかった子供の回復率を1965年の4%から現在の70%にまで引き上げた」と述べています。
動物実験の果たす役割については,米国オハイオ州クリーブランドにあるウェスタン・リザーブ大学のF・C・ロビンズ博士のもとで働いていた,元実験室助手のハロルド・ピアソンも認めています。ピアソンは,自分たちが取り組んでいた小児麻痺用経口ワクチンを開発するための計画に,猿の腎臓を用いる実験が関係していたことを「目ざめよ!」誌に語りました。一つの腎臓から取った組織は何千ものテストに使えます。ピアソンはこう説明しました。「猿たちは人道的な待遇を受けていて,手術の時には必ず麻酔をかけられていた。猿をわざと残虐に扱うようなことは決してなかった。それでも,猿たちは手術をされるのだから,いやでも科学の残虐さの犠牲になった」。
心臓手術とアルツハイマー病
動物実験の直接の成果として,コレステロールで詰まった動脈を開通させる新たな外科技術が開発され,西欧では死因の筆頭に挙がっている心臓発作の多くを防ぐことができるようになりました。医師たちは,人間の脳から大きな腫瘍を首尾よく取り除いたり,腕,足,手,指など,切り離された肢体を接合したりする方法を,まず動物実験によって学びます。最初に冠状動脈のバイパス手術に成功したマイケル・デバーキー博士は,「わたし自身の臨床研究の分野では,心臓血管手術における先駆的な開発はほとんどすべて,動物実験を基礎にしたものである」と述べました。
米国立老化研究所のツァベン・ハチャトゥリアン博士は,アルツハイマー病についてこう述べています。「8年前には我々はゼロ地点にいたのだが,アルツハイマー病の研究は信じられないほど進歩したものだ。それも我々が1930年代から脳の機能に関する基礎的な研究に精力を投じていたからだ」。その研究の大部分は動物を用いて行なわれたため,同博士は,継続的な進歩の鍵を握っているのは動物であると言います。
エイズとパーキンソン病
今行なわれている非常に困難な研究,科学者や免疫学者が残業して行なっている研究は,エイズに効くワクチンの開発に関するものです。エイズは,1991年までに米国だけで約20万人の死者が出ると見る専門家もいる,恐ろしい病気なのです。1985年に,米国ニューイングランド州霊長類センターの科学者たちは,マカークザルのSTLV-3ウイルス(猿のエイズであるSAIDS)を分離し,他の動物に移入することに成功しました。ニューイングランド州霊長類センターの免疫学者,ノーマン・レトビン博士は,「ウイルスが分離されたからには,猿や人間のためのワクチンを開発するための一種の動物モデルがあることになる。人間のエイズ患者を何百人も観察するより,自分の思いどおりになる研究室でごく少数の動物を用いるほうが,ずっと多くの事柄を学ぶことができる」と述べています。
ドーパミン生成組織を脳の中に移植すればパーキンソン病を治療できるということを,アカゲザルを用いた研究によって初めて実証したのは,アトランタのエモリー大学のヤーキス霊長類研究所の医師たちでした。1985年以来,エモリー大学病院の神経外科医たちはその手術を人間に施してきました。医師たちはこれがその病気の治療法を見つける糸口になるかもしれないと考えています。
人は自分の不完全な命を,たとえ一時的にせよ,向上させ維持する方法に関する複雑な問題の答えを求めて動物に頼ってきました。しかし,動物を医学実験に用いることは,解決の難しい道徳上また倫理上の深刻な問題をもたらします。
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動物実験 ― 古くからある慣行
医師や科学者が人間の生理機能を理解するために動物を用いることは,この20世紀独特のものではありません。動物は少なくとも過去2,000年間,医学のために用いられてきました。幾つかの記録は,西暦前3世紀にエジプトのアレクサンドリアで,哲学者であり科学者であったエラシストラトスが,動物を用いて体の機能を研究し,それが人間にも当てはまるということに気づいたことを示唆しています。4世紀には,有名なギリシャの科学者アリストテレスが,動物を研究して,人体の構造や機能についての貴重な情報を集めました。それより5世紀後に,ギリシャの医師ガレノスは,血管には空気ではなく血液が通っているという自説を証明するために猿や豚を使っています。
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動物実験 ― 暴力的な反応目ざめよ! 1990 | 7月8日
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動物実験 ― 暴力的な反応
もし研究室で行なわれる種々の実験や,医学の実験に用いられる四つ足の動物の数が正確に記録されるとしたら,その数は世界全体からすると毎年膨大な数に上ることでしょう。米国だけでも毎年,犬,猫,霊長類,モルモット,ウサギなど,少なくとも1,700万匹の動物が用いられているということです。この数の85%を占めているのは,大小のネズミです。これらの動物がどんな所でどれほどの数用いられているのか,その正確な記録がないため,専門家の中には,それらの数字をいい加減な概算とみなす人もいます。一部の情報筋は,米国におけるそれらの動物の総数を1億に近いものと見ています。衝撃的な数だと思いますか。
それらの動物が何の目的もなく犠牲にされているわけではないにしても,動物が殺されることを考えるだけで嫌な気持ちになりますか。そのような殺生は道徳に反していると思いますか。幾百万もの人々が研究に動物を使うことを嫌悪しています。動物を虐待するのは種差別だと主張する人もいます。種差別主義者とは,「自分の種の利益を重視し,ほかの種の利益を軽視する偏った見方」をする人のことです。(「典型的な生体解剖賛成論議に対する正攻法的/対位法的反論」)動物解放論者たちの主張によれば,種差別主義者は「目的は手段を正当化すると信じており,[人間のために]善を成し遂げるには[動物に対して]悪を行なわざるを得ないと考えて」います。
他方,科学者たちの言い分は次のような質問に要約されます。あなたは,医師たちが人に施す手術の新しい技術を学ぶためなら,あるいは命取りの病気の蔓延を防止するためなら動物を殺してもよいとする体制に憤りを感じますか。あなたは,新しい救命薬や治療法を勧められるとき,それらは最初に動物を使ってテストされたものだから自分は受け入れないと言いますか。あなたは,自分の子供か親が脳死状態になった場合,動物の代わりにその脳死状態にある肉親が医学実験に用いられても構いませんか。むしろそのほうがいいと思いますか。そしてもう一つ,こういう質問があります。もし動物を用いた研究によってあなたや家族が非常につらい病気や死から救われるとしたら,人間を救うために動物を犠牲にするのは道義に反するとしてそれを拒絶しますか。このジレンマはそう簡単には解決できないと言う人もいます。
動物解放運動
しかし,1980年代の10年間に,動物実験反対の気運は高まりました。今日それは活動的な諸団体の世界的な組織化へと進み,その勢力も支持者の人数も増加し続けています。彼らは動物を用いた医学実験の完全な廃止を,声を大にして要求しています。
動物権擁護の運動家たちは,街頭デモ,政府への陳情運動,雑誌や新聞,ラジオやテレビなどを通して,特に目立った方法としては好戦的,暴力的な手段に訴えて,自分たちの意見を知らせています。カナダのある著名な活動家は,その解放運動についてこう語りました。「この運動はヨーロッパ,オーストラリア,ニュージーランドなどに急速に広まっている。米国ではますます強力なものになってきている。カナダにおけるこの運動の発展は驚異的なものがある。世界に広がる幾つもの組織網を含むグループもあり,世界的な傾向としては一層果敢な動物権運動を支援する方向にある」。
こうした『果敢な組織網』の中には,この運動のためなら暴力も辞さないというものもあります。過去数年の間に米国の少なくとも25の研究施設が,動物権擁護団体による蛮行の被害を受けてきました。幾つかの大学の実験室が爆破されました。そのような襲撃が原因で何億円にも上る損害が生じました。重要な記録や貴重なデータが破壊されました。研究用の動物を盗んだり,逃がしたりする者もいました。そうした行為によって,子供の失明に関する貴重な研究がふいになった例があります。何千万円もする高価な設備が打ち壊される事件もありました。
ある好戦的なグループは,大学関係者や報道機関に対する公開状の中で,1万㌦(約150万円)の顕微鏡を5㌦(約750円)の鉄パイプを使って約12秒で破壊したのだから,「我々の投資は良い収益をあげた」と豪語しました。他の研究所では,医師や科学者たちが行ってみると,書類や研究資料には血が振り掛けられ,壁にはスプレーで解放運動家のスローガンが書かれていました。ある報告によれば,「科学者とその家族には,殺すぞという脅しや嫌がらせ」があるということです。米国の動物解放運動家たちは,個々の科学者たちに対して何回となく,殺してやる,痛い目に遭わせてやるといった脅しをかけてきました。1986年にロンドンのBBC放送のある解説者はこう語っています。「活動家たちを結びつけているのは,動物解放闘争における直接行動 ― 資産の破壊,さらには殺人 ― は正当化されるという信念なのだ」。
動物解放運動のある女性指導者はこう言いました。「負傷者こそ出ていませんが,それは危険な脅しです。……遅かれ早かれ,だれかが反撃に出るでしょう。そうなれば人間に危害が及ぶかもしれません」。1986年のその同じ対談で,解放運動のその指導者は,英国と西ドイツで暴力事件が起きることを予言しました。火炎瓶を投げる暴力事件が何箇所かで発生してその予言は現実となりました。米国では,動物実験を行なっている会社の社長に対する殺人未遂事件がすでに何度か起きています。警察側の素早い行動のおかげで,その人は爆死せずにすみました。しかし,すべての動物解放論者がそういう暴力的で違法な戦術を使うことに賛成しているわけではありません。
なぜ反対するのか
「アメリカ医師会ジャーナル」誌は,こう説明しています。「生物医学における動物実験を問題にする人のほとんどは,大きく二つに類別できる。(1)動物の福祉を問題にしている人々。生物医学に関する研究に反対するわけではないが,動物をできる限り人道的に扱う,用いる動物の数を最小限にする,本当に必要な時にだけ動物を用いるなどの保証を取りつけようとする」人々です。最近の調査によれば,大多数の人は,あまり強い発言をしないこのグループに入っています。
同じ資料によると,第2のグループは「動物権を問題にしている人々。より急進的で,生物医学における研究に動物を用いることに全面的に反対する」人々です。そのようなグループの共同調整者は,「動物は,だれも奪うことのできない幾つかの基本的な権利を有している。苦痛や恐れを感じることのできる動物であれば,その動物にはそういう苦痛や恐れを避ける権利がある」と語りました。別の代表者はこう言いました。「人間は特別の権利を有していると言えるような,道理にかなった根拠は何もない。ネズミも豚も犬も子供も同じだ。みな哺乳類なのだ」。
強い確信を抱く動物解放論者の中には,衣食やスポーツに動物を用いることはおろか,ペットにすることにも反対の人が少なくありません。魚を獲ることや食べることに反対する人たちは漁民を水中に突き落としたり,毛皮のコートや革の服を着ている人たちを路上で口汚くののしったりしたことがありました。動物の誤用と虐待に関して急進的な考えを持つ人たちが商店に押し入り,高価な毛皮のコートを台なしにしたこともあります。「私は朝食に卵を食べたり,革製品を身に着けたりする気はありません」と言った人もいます。米国動物愛護協会のある会報は,「薄切りのベーコン1枚にせよ,何の変哲もない卵一つにせよ,その背後には,耐え難い苦しみの,長い隠された歴史が潜んでいる」と警告しています。また,狭い囲いやおりの中に閉じ込められている豚や鶏の写真を掲載して,養豚場や養鶏場は一般にこういう状態なのだから,「ベーコンや卵の料理は“残虐の朝食”にほかならない」と非難しています。動物権の擁護には強い,誠実な感情が関係していることは明らかです。
恐ろしい話
多くの人は,動物実験に反対するのは全く正当なことだと考えています。アメリカのある名門大学の頭部傷害研究所の件は,恥ずべき事例の一つとして知られています。ある動物解放運動団体が同研究所を急襲した時に盗んだビデオテープには,「殴打機に掛けられて頭をひどく打たれている猿たちと,脳を害された動物が示すけいれん性の動作を見て笑っている研究者たち」とが映っていた,と1988年9月号のキワーニス誌が報じたのです。その結果,同研究所に対する政府からの資金援助は打ち切られることになりました。
また,化粧品,シャンプー,洗剤,染料などの業界ではよく知られている,評判の悪いドレイズ・テストがあります。これは,製品が人間の目に入った場合の刺激性を測るテストです。6匹ないし9匹の白ウサギを,頭と首しか出ないかせにはめて行なうのが一般的な方法です。このようにすれば,ウサギの目に化学物質を垂らした時,ウサギが目を激しくこすることができないからです。ウサギは苦痛のあまり金切り声を上げると言われています。研究者たちの中にもこの種のテストに強く反対し,ウサギを使うテストを阻止する努力をしている人も少なくありません。動物権擁護団体は,動物実験を行なっている研究室にまつわる多くの恐ろしい話に関する情報を提供してきました。
動物解放論者たちは,前の記事で引用したロバート・ホワイト博士の意見を好意的には評価していません。アメリカ生体実験反対協会は,同博士に関し,「クリーブランド出身の悪名高い,生体実験を行なう研究者で,かつて猿の頭を移植したり,脳を体外の液体の中で生き続けさせたりしたことがある」と書いています。
多くの論議に見られるとおり,主張には両極端があります。そして趣旨の良いところを取り,悪いところをできるだけ除こうとする中道もあります。例えば,動物を用いた実験に代わる実際的な方法があるでしょうか。実行可能な平衡のとれた解決策は,動物実験の全廃以外にないのでしょうか。次の記事ではそれらの質問が取り上げられます。
[9ページの囲み記事]
さまざまな意見
「私は動物も権利を有していると信ずる。それは人間の権利とは異なっているが,人権と同様,奪うことはできない。動物には,我々がもたらしている苦痛,恐れ,肉体的欠乏状態などを免れる権利がある,と私は信ずる。……動物には,食物としてであれ,娯楽としてであれ,あるいは他のいかなる目的のためであれ,どのような方法の惨殺をも免れる権利がある」― 自然主義者ロジャー・カラス,米国ABCテレビ・ニュース(ニューズウィーク誌,1988年12月26日号[英文])。
「総合的に見て,研究の結果非常に大きな益がもたらされたことを無視することはできない。実験室で開発されたワクチン,治療法,外科技術,手術法などのおかげで,寿命はこの100年間に劇的な延びを見せた。……この観点からすると,動物を研究に用いないこと,つまり病苦を軽減する方法を知る手段を持ちながら,それを用いないことは,非人道的な選択とみてよい」― マーシャ・ケリー,米国ミネソタ大学発行,ヘルス・サイエンス誌,1989年秋期号。
「私は動物実験に“反対”だ。倫理的な理由のためだけではない。これには主に科学的な理由がある。動物実験の成果は少しも人間に適用できないことが実証されている。代謝に関連した自然法則があり,……それによれば,一つの種に確立されている生化学的反応は,ただその特定の種に限って有効であり,他の種には通用しない。……動物実験は当てにならず,無益で,高くつき,おまけに残酷だ」― ジアンニ・タミノ,パドバ大学 ― イタリア随一の医学校 ― の研究者。
[7ページの図版]
目のドレイズ・テストに用いられる,かせにはめられたウサギ
[クレジット]
PETA
[8ページの図版のクレジット]
UPI/Bettmann Newsphotos
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動物実験 ― 平衡のとれた見方目ざめよ! 1990 | 7月8日
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動物実験 ― 平衡のとれた見方
払われる代償が議論を呼んでいるとはいえ,大抵の人は,動物実験によって人類に大きな益がもたらされたと考えています。動物実験に反対して暴力行為を支持する人たちでさえ,病気と闘う薬はもちろん,新しい医療上の知識や手術の方法の恩恵を受けてきました。
米国動物愛護協会のマーティン・スティーブンズはこう述べました。「我々は,動物を使った研究から幾らかの恩恵を受けていることを正直に認めなければならない。しかし,我々の究極の目標は,動物を全く用いないことである」。(パレード誌,1988年10月9日号)トロント動物愛護協会の会長,ビッキー・ミラーはこう言いました。「今世紀に入ったころから動物が幾らか善用されるようになったことは認めます。動物実験によって糖尿病が抑制できるようになったことは確かです。しかし,今はあらゆる種類の代替技術がそろっているのですから,動物を用いる必要はありません」― トロントのサンデー・スター紙,カナダ。
この批評家は,次のように主張する人にどう答えるかという質問をされました。赤ちゃんの命を救うためにネズミが死なねばならないとしたら,その死には価値がある。研究に動物を用いない場合,ネズミを救うために赤ちゃんが死ぬことになる。トロントのグローブ・アンド・メール紙に対し,この批評家は次のように回答しました。「これは非常に感情的な問題です。ですから,そういう観点に立っていたのでは,まず答えは出ません。……ネズミか赤ちゃんかと言われれば,こちらが負けるに決まっています」。
前の記事で,「もし動物を用いた研究によってあなたや家族が非常につらい病気や死から救われるとしたら,……それを拒絶しますか」という質問が提起されました。米国カリフォルニア州にあるスタンフォード大学の法学教授,ジョン・カプランは,サイエンス誌の1988年11月号の中で一つの答えを書いています。「動物を用いた研究に反対する人たちが主義を固守して,動物実験による生物医学の成果を,家族の者や自分自身に益となる場合でも用いないようにと医師に指示することはめったにない。動物実験による今後のどんな進歩も決して利用しないと誓う気概もない。我々は,エホバの証人に輸血を拒否させる原則や,……毛皮動物の狩猟に反対して毛皮を着ようとしない人たちは称賛できる。しかし,模範を示すよりもむしろ欺まん的な反対論を掲げて争い,すべての人から恩恵を奪ってまで自分たちの主義主張を通そうとする動物実験反対者たちのイデオロギーとは断固闘わねばならない」。
サイエンス誌の編集者は,1989年3月10日号にこう書いています。「一般の人々は,動物を用いた研究が他の動物の益にもなっていることを知るべきである。事実,幾百万頭もの牛を苦しませながらじわじわと殺すウイルスによる牛疫と闘うためのワクチンは,動物実験によって開発された。このワクチンは現在,世界保健機関によってアフリカの何百万頭もの牛に接種されている」。
聖書的な見方
エホバ神は,ノアの日の地球的な大洪水のすぐ後に,ノアとノアの子孫に対して次の布告を出されました。ノアの子孫にはわたしたちの世代も含まれます。「生きている動く生き物はすべてあなた方のための食物としてよい。緑の草木の場合のように,わたしはそれを皆あなた方に確かに与える。ただし,その魂つまりその血を伴う肉を食べてはならない」。(創世記 9:1,3,4)動物の皮は衣服として用いることもできました。それは,人間が神から与えられた,動物界に対する支配権を乱用することではありません。―創世記 3:21。
『人々の命を支えるために動物を食物として用いることが許されているのであれば,命を救う医学実験に動物を使うのは妥当と思われます。しかしそれは,往々にして無価値で,単なる繰り返しに過ぎない,激しい苦痛を与える実験を無制限に行なっても良いということではありません』と,「目ざめよ!」誌,1980年9月22日号には書かれています。確かに,聖書的な観点からすれば,動物に対する無慈悲で残酷な行為は正当化できません。―出エジプト記 23:4,5,12。申命記 25:4。箴言 12:10。
医師や科学者たちの中には,動物実験に反対する人たちの急進的な運動から幾らかの良い結果がもたらされたことを認めている人も少なくありません。ある科学者は,「動物愛護運動の非常に多くの主張は,極端なものではあるが正しい」と言いました。アメリカの科学者,ジェレミー・J・ストーンは,「動物の命と苦しみは確かに考慮しなければならない事柄だ」と言明しました。英国の生理学者,D・H・スミス博士は,「幾らかの知識を得るのに,余りにも高い代償が支払われている場合がある」ことを認めました。米国立衛生研究所のJ・B・ウィンガーデン博士は,「我々は,研究を動物の苦痛の少ないものにし,動物に十分の配慮を示し,実験に使う動物の数を減らしてほしいという願いに同意する」と述べました。それで,ある動物愛護運動家は,「かつては動物を用いること,またそれについては何も考えないというのが男らしいことのようにみなされていたが,今では,代替手段を考えるのが当然とされている」と述べました。
「代替手段」がキーワードです。科学者たちは,研究に動物を全く用いないというところまではゆかないものの,可能なところでは絶えず代替手段を探していることを認めています。例えば,人の妊娠を確かめるためにウサギが用いられることはもはやありません。今では化学的な手法が用いられます。結核菌を分離するためにモルモットが用いられることもありません。培養法が用いられるようになったので,さもなくば死んでいたはずのそれらの動物の命が救われています。そのほか,ある種のハツカネズミを使って行なわれていたテストに代わって組織培養法が用いられるようになっています。また,苦痛の伴うドレイズ・テストの実験台にされていた多くのウサギも,テスト面として鶏卵の細胞膜が代わりに用いられることによって難を免れるかもしれません。動物の苦しみに敏感な人々は,もっと多くの代替手段が見いだされること,それもすぐに見いだされることを望んでいるに違いありません。
しかし,動物実験に代わる最もすばらしいものは,真のクリスチャンが祈り求めてきたあの待望の地上の楽園です。愛ある創造者エホバ神は,あらゆる病気と死そのものを永久になくすことを約束しておられます。神の約束しておられる新しい世では,人と動物は互いに平和な関係を永久に保ち,彼らを恐れさせるものは何もないのです。病気がないので動物実験の必要もありません。残酷な行為は過去のものになるのです。―イザヤ 25:8; 33:24; 65:25。マタイ 6:9,10。
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