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研究3 ― 時の流れの中で出来事の年代を算定する『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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ですから,パウロとバルナバが『救援の仕事を果たした』のは,この時だったに違いありません。(使徒 12:25)この二人はシリアのアンティオキアに戻った後,最初の宣教旅行を行なうよう,聖霊によって取り分けられました。その宣教旅行はキプロスを初め,小アジアの多くの都市や地区に及ぶものでした。k この旅行は恐らく,小アジアで過ごした一冬を含め,西暦47年の春から同48年の秋にまで及んだことでしょう。パウロはその次の冬をシリアのアンティオキアに戻って過ごしたようです。こうして時は西暦49年の春となります。―使徒 13:1-14:28。
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研究3 ― 時の流れの中で出来事の年代を算定する『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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24 パウロは何年から何年までの間に2回目の宣教旅行を行ないましたか。パウロがコリントに着いたのは西暦50年の終わり近くに違いないと言えるのはどうしてですか。
24 西暦49年ごろから同52年ごろまでのパウロの2回目の宣教旅行。パウロはエルサレムから戻った後,シリアのアンティオキアで時を過ごしました。したがって,彼がそこをたって2度目の旅行を始めたのは西暦49年の夏もかなり過ぎたころだったに違いありません。(使徒 15:35,36)この旅行は最初のものよりもずっと広範囲にわたるもので,小アジアで冬を過ごさなければならなかったようです。彼がマケドニア人の招きにこたえ応じてヨーロッパに渡って行ったのは,恐らく西暦50年の春だったでしょう。こうして彼は宣べ伝え,フィリピ,テサロニケ,ベレアおよびアテネでそれぞれ新しい会衆を組織しました。こうして彼は,およそ2,090㌔の行程をほとんど徒歩で旅行した後,西暦50年の秋にアカイア州のコリントにたどり着きました。(使徒 16:9,11,12; 17:1,2,10,11,15,16; 18:1)使徒 18章11節によれば,パウロはそこに18か月とどまりましたから,時は西暦52年の初めごろとなります。冬も終わったので,パウロはエフェソス経由でカエサレアに向けて出帆しました。彼は,明らかにエルサレムの会衆にあいさつをするために上って行った後,恐らく西暦52年の夏に本拠地であるシリアのアンティオキアに帰りました。l ―使徒 18:12-22。
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