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  • 古代エルサレムが滅ぼされたのはいつか ― 第2部
    ものみの塔 2011 | 11月1日
    • 専門家は何と言っているか。楔形文字文書研究の権威者の一人であるR・H・サックによると,この年代記は重要な出来事の不完全な記録でしかありません。b サックは自著の中で,歴史家たちは「実際に何が起きたかを判断したければ,別の資料」を調査しなければならない,と書いています。

      文書そのものは何を示しているか。バビロニア年代記に記録されている歴史には幾つもの空白があります。3 (下の囲みをご覧ください。)ですから,論理的に言って,そのような不完全な記録に基づく推論はどれほど信頼できるのか,という疑問が生じます。

  • 古代エルサレムが滅ぼされたのはいつか ― 第2部
    ものみの塔 2011 | 11月1日
    • 専門家は何と言っているか。R・H・サックは,新バビロニア時代の商取引関係の粘土板を数多く調査しました。そして1972年には,大英博物館に新たに収蔵された未公開のテキストを調査させてもらった結果,ネブカドネザル2世からその息子アメル・マルドゥク(エビル・メロダクとしても知られる)へと支配が移行した時期に関する以前の結論が「完全に覆された」,と書いています。6 なぜ覆されたのでしょうか。サックは,それまで幾つもの粘土板に基づいて,ネブカドネザル2世が最後の統治年(第43年)の第6の月にもまだ支配していた,と思っていました。ところが,新たに解読された,次期の王アメル・マルドゥクの即位年のものである数々の粘土板は,その同じ年とされていた年の第4の月と第5の月のものだったのです。7 矛盾があったことは明らかです。

      文書そのものは何を示しているか。王権の移行した時期に関しては,ほかにも数々の矛盾があります。例えば,ある文書によると,ネブカドネザル2世は,後継者が統治し始めたとされている時から6か月後の,第10の月にもまだ支配していました。8 アメル・マルドゥクからその後継者ネリグリッサルに王権が移行した時期に関しても同じような矛盾があります。9

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