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アルゼンチン2001 エホバの証人の年鑑
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禁令のため,大きな大会を開くことはできませんでした。世間の注目を引くからです。それでも,全国的な規模の大会と呼ばれるものを取り決めました。ノア兄弟はチリから飛行機でメンドサ市に行き,ヘンシェル兄弟はパラグアイからアルゼンチンに入国しました。二人は別々に旅行し,56か所で開かれた地元の“大会”で話を行ないました。それらの集まりの中には,地元の証人の所有する農場で,ピクニック風に行なわれたものもありました。ブエノスアイレスでは,ノア兄弟もヘンシェル兄弟も,集まった証人たちのもとを訪れ,それぞれのグループのために2時間の集会を司会しました。ある日には9か所でそうした集まりが開かれました。この非常に変わった大会に合計2,505人が出席しました。
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アルゼンチン2001 エホバの証人の年鑑
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1956年に,支部は国内の各地で小規模な大会を開くことにしました。最初の大会は,ブエノスアイレスから約60㌔離れたラプラタ市で開かれました。300人の出席者は,「諸国民よ,神の民と共に喜べ!」という最初の歌をよく歌えませんでした。感極まって声が出なかったのです。こんなに大勢の仲間の信者と集まって一緒に歌えるのは6年ぶりのことでした。
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アルゼンチン2001 エホバの証人の年鑑
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[156ページの図版]
ノア兄弟(右)。禁令期間中の1953年に開かれた大会の一つ
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