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アルゼンチン2001 エホバの証人の年鑑
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水上王国会館
ある人たちは,宣べ伝えるのに順調な時期を活用しようと決心し,ブエノスアイレスに近い,パラナ川のデルタ地帯に住む人々に証言するという,やり甲斐のある仕事に取り組みました。デルタ地帯で証言するのは,決してたやすい仕事ではありません。島と島の間の距離,利用できる輸送機関,気まぐれな天候などの問題があるからです。自家用ボートでの旅は費用もかかり,危険な場合もあります。それでも,粘り強さは報われました。1982年に,孤立した群れがティグレ会衆の一部として設立されたのです。
経費を削減するために,ティグレ会衆のアレハンドロ・ガスタルディニ兄弟が,プロパンで動くエンジンの付いた全長7㍍の軽量プラスチック・ボート,エル・カルピンチョ号を作りました。それとほぼ時を同じくして,ブエノスアイレスのラモン・アントゥネスとその家族が,デルタ地帯で王国の関心事を促進するために,ヨットを提供しました。これらの熱心な兄弟たちが精力的な態度で先頭に立ち,他の会衆の奉仕者たちに週末の宣教を支持するよう呼びかけました。幾つもの研究が始まり,実を結ぶようになりました。幾つもの家族全体が真理を受け入れるようになったのです。
それらの島の住人はほとんどボートを持たず,公共の乗り物もあまりなかったので,関心のある人の大半は集会に出席するのが困難でした。それで兄弟たちは,集まり合って霊的に強め合えるよう,互いに助け合いました。例えば,全員が記念式に出席できるように,ボートで辺り一帯を回って,バプテスマを受けた証人たちや関心ある人たちを拾ってゆきました。こうして,船上で記念式を祝うことができました。
その後,カルロス・ブストスと妻のアナ,そして娘のマリアナが開拓者としてデルタに割り当てられました。支部は,プレクルソール1号というモーターボートを購入して援助しました。このモーターボートには,台所と洗面所,そして3人の寝られる場所がありました。船尾にあったマリアナのベッドは,とても細長く棺桶に似ていたので,エル・サルコファゴと呼ばれました。
現在,このデルタ地帯には20人の奉仕者が住んでおり,ティグレ会衆の一部としてエホバに仕えています。兄弟たちの大半は個人用ボートを持つようになり,神権的な責任を果たすためのより良い備えができています。しかし,自分たちの王国会館を建てるという夢は実現不可能に思えました。なぜでしょうか。
この地域では洪水が絶えないため,建物を建てるのに適した土地は非常に値が張るのです。限られた資金しかない少人数のグループにとって,この障害は克服し難いように見えました。とはいえ,土地は不足しているものの,水は豊富にあります。ですから,水上王国会館を建てるのはどうでしょうか。支部は率先して,そうした王国会館の建設を進め,会館は1999年6月に完成しました。今では,ティグレ会衆の長老たちが交代でその王国会館を訪問し,群れのために毎週の集会を司会しています。
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アルゼンチン2001 エホバの証人の年鑑
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[193ページの図版]
パラナ川のデルタ地帯にある水上王国会館
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