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アルゼンチン2001 エホバの証人の年鑑
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1945年には,当時のものみの塔協会の会長ネイサン・H・ノアがアルゼンチンを訪問して,スペイン語による神権宣教課程(神権宣教学校)を始めるよう諸会衆を指導しました。ノア兄弟は,アルゼンチンの兄弟たちに,開拓奉仕を始めて,ものみの塔ギレアデ聖書学校に出席する目標を持つようにも勧めました。
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アルゼンチン2001 エホバの証人の年鑑
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例えば,1949年にノア兄弟がアルゼンチンを訪問した際,警察は突然,ブエノスアイレスの非常に立派なホールでの集会に対する許可を取り消す,と言ってきました。そこで大会は王国会館で開かれましたが,妨害がなかったわけではありません。日曜日の午後4時40分,警察はノア兄弟の講演を中断させ,出席していた人たちとノア兄弟を逮捕しました。警察は逮捕の理由を示しませんでした。当局は,翌日の明け方近くまで,兄弟たちを広い中庭に何時間も立たせておきました。その後,兄弟たちは釈放されました。
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アルゼンチン2001 エホバの証人の年鑑
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ノア兄弟は兄弟たちを励ますため,1953年にミルトン・ヘンシェルと共に再びアルゼンチンを訪問しました。禁令のため,大きな大会を開くことはできませんでした。世間の注目を引くからです。それでも,全国的な規模の大会と呼ばれるものを取り決めました。ノア兄弟はチリから飛行機でメンドサ市に行き,ヘンシェル兄弟はパラグアイからアルゼンチンに入国しました。二人は別々に旅行し,56か所で開かれた地元の“大会”で話を行ないました。それらの集まりの中には,地元の証人の所有する農場で,ピクニック風に行なわれたものもありました。ブエノスアイレスでは,ノア兄弟もヘンシェル兄弟も,集まった証人たちのもとを訪れ,それぞれのグループのために2時間の集会を司会しました。ある日には9か所でそうした集まりが開かれました。この非常に変わった大会に合計2,505人が出席しました。
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[156ページの図版]
ノア兄弟(右)。禁令期間中の1953年に開かれた大会の一つ
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