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クラサオ2002 エホバの証人の年鑑
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1950年には,ウィリアム・イエーツ(ラッセルのいとこ)と妻メアリーがギレアデの第14期のクラスを卒業し,クラサオ島で奉仕するよう割り当てられました。1953年に二人はアルバ島に移りました。それから50年近くたった今でも,二人は任地にとどまっており,信仰と忍耐の優れた模範となっています。時たつうちにメアリーは,宣教における並外れた熱意でよく知られるようになりました。彼女が常に証しの業の先頭に立つ一方,ビル(ウィリアム)は聖書関係の出版物の翻訳に専念しました。ビルとメアリーがやって来るまで,二つの英語会衆の業は土地の人々の間ではほとんどはかどっていませんでした。ビルとメアリーは,パピアメント語を話すアルバ島民の間で辛抱強く,かつ入念に真理の種をまき始めました。二人の努力は徐々に報われるようになりました。ビルはそのころのことを思い返して,こう語ります。「私たちは,宣教者ホームの庭にあった大きなクィヒの木の下で『ものみの塔』研究を行なうようになりました。100人もの人々が出席したこともあります。私たちはカトリック教会の捨てたベンチに腰掛けました」。1954年にキリストの死の記念式が執り行なわれ,その後,パピアメント語での会衆の書籍研究が組織されました。
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クラサオ2002 エホバの証人の年鑑
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やがて,ガブリエルも関心を抱くようになりました。そして,1953年にビル・イエーツとメアリー・イエーツがガブリエルと研究を始めました。
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