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シャルマン聖書に対する洞察,第1巻
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それで,シャルマンはアッシリアの5人の王たちが持っていた「シャルマネセル」という名前の短縮形であるというのが最も一般的な見方となっています。その中でも,ここで言及されている可能性が最も高い人物として浮かび上がるのはシャルマネセル5世です。なぜなら,ホセアが預言を行なっていた期間の終わりごろ,シャルマネセル5世はイスラエルに侵入し,サマリアを攻囲したからです。
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シャルマネセル聖書に対する洞察,第1巻
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2. シャルマネセル5世はティグラト・ピレセル3世の後継者でした。一般の記録に関する限り,その治世については定かでありません。ウルライアという名で5年間バビロンを治めた王として挙げられているのはこのシャルマネセル5世のようです。(「古代近東テキスト」,272ページ,脚注4)さらに,ヨセフスはシャルマネセル5世によるティルスの攻囲を描写した歴史家メナンドロスの言葉を引用しています。(ユダヤ古代誌,IX,283-287 [xiv,2])それを別にすれば,聖書がこの王に関するおもな情報源となっています。
イスラエルに対する支配 イスラエルのホシェア王の治世中(西暦前758年ごろ-740年)に,シャルマネセル5世はパレスチナに進撃し,ホシェアはその従属者となって年ごとの貢ぎを課せられました。(王二 17:1-3)しかし,ホシェアは後に貢ぎを払わなくなり,エジプトの王ソと陰謀を巡らしていることが発覚しました。(「ソ」を参照。)そのため,シャルマネセルはホシェアを留置してから,サマリアを3年間包囲しました。その後,防備の固められたこの都市はついに陥落し,イスラエル人は流刑に処されました。―王二 17:4-6; 18:9-12。ホセ 7:11; エゼ 23:4-10と比較。
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