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エストニア2011 エホバの証人の年鑑
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無神論者の裁判官が真理を学ぶ
ソ連時代のこと,ビクトル・センは兵役を拒否したため2年の刑に処されました。1年服役した後,自由移民としてシベリアへ流刑にされることを願い出ました。当時はそのような選択肢があり,それによって一層の自由が得られました。仮釈放のための審問で,裁判官たちはビクトルに対して憤りをあらわにしました。ある裁判官は,お前のようなやつは絞首刑か銃殺刑にすべきだと言い放つことまでしました。
それから何年もたってから,大会でビクトルはある兄弟から関心を持つ幾人かの人を紹介され,「この中に見覚えのある人がいますか」と聞かれました。
ビクトルは,「いません」と答えます。
兄弟は,「本当ですか」と言いながら一人の男性を指さし,「この人はどうですか」と聞きました。その人は見るからにきまり悪そうな様子でした。
そう言われてもビクトルには見覚えがありません。驚いたことに,ユーリーというその男性は,ビクトルの仮釈放のための審問で裁判官を務めた人の一人だったのです。ユーリーは今では聖書を研究し,ビクトルと同じ大会に出席していました。何がきっかけでエホバの証人に対する考え方が変わったのでしょうか。
ユーリーは説明します。「わたしは強硬な無神論者の家庭で育ちました。学生時代には,宗教の危険についてのスピーチをよく行なっていました。それから幾年も後,友人がエホバの証人と聖書研究をしていて,何度か研究に同席しました。わたしは宗教上の偽りについてはよく知っていたものの,聖書については実際に何も知らないことに気づかされました。そのため,聖書を学んでみようと思ったのです」。
バプテスマを受けた後,ユーリーはビクトルにこう言いました。「法廷では,裁判官と被告人として違う席に座りました。でも,このような裁判が再び行なわれるとすれば,今度は同じ側に座ることでしょう。あなたに刑を宣告する者とはなりません」。ユーリーもビクトルも,今ではタリンで長老として奉仕しています。
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エストニア2011 エホバの証人の年鑑
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[247ページの図版]
ユーリーとビクトル
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