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キュロス聖書に対する洞察,第1巻
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ナボニドス年代記は,イシュトゥメグ(アステュアゲス)王が「自分の軍隊を召集し,アンシャンの王キュロスに向かって進撃させ,[戦場でこれに相]対させようとした。イシュトゥメグの軍隊は彼に反逆し,彼らは[これに]足かせをはめてキュロスに引き[渡した]」と述べています。(「古代近東テキスト」,305ページ)
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キュロス聖書に対する洞察,第1巻
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考古学者が発見した楔形文字の書字板は,その征服が正確にどのように行なわれたかについて詳しく述べていませんが,バビロンがキュロスの前に突然陥落したことをまさしく確証しています。ナボニドス年代記によれば,ナボニドスの治世の最後の年(西暦前539年)となった同年のティシュリの月(9-10月)にキュロスはオピスでバビロニア軍を攻撃し,これを撃ち破りました。その碑文はさらにこう述べています。「第14日,シッパルは戦うこともなく奪い取られた。ナボニドスは逃げた。第16日,グティウムの総督ゴブリアス(ウグバル)とキュロスの軍隊は戦わずしてバビロンに入城した。その後,ナボニドスは……帰って来た時に,バビロンで捕らえられた。……アラハシャムヌの月[マルヘシュワン(10-11月)]の第3日,キュロスはバビロンに入城した」。(「古代近東テキスト」,306ページ)この碑文により,バビロン陥落の日付は西暦前539年ティシュリ16日で,キュロスが入城したのは17日後のマルヘシュワン3日と定めることができます。
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