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ネブカドネザル,ネブカドレザル聖書に対する洞察,第2巻
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非常に信心深い人物 種々の手がかりによれば,ネブカドネザルは極めて信心深い人物で,バビロンの数多くの神々の神殿を建てたり,飾ったりしたようです。そして,特にバビロンの主神マルドゥクの崇拝に傾倒していました。ネブカドネザルは自分の収めた軍事上の勝利の誉れをマルドゥクに帰しました。エホバの神殿の神聖な器を含め,戦勝記念品はマルドゥク(メロダク)の神殿に保管されたようです。(エズ 1:7; 5:14)ネブカドネザルの一碑文はこう述べています。「おお,高貴なるメロダクよ,汝の栄光のために我は家を造れり。……願わくはその家,国々の王やすべての民のおびただしき貢ぎ物を受け入れんことを」―「過去の記録: アッシリアおよびエジプトの記念碑」,ロンドン,1875年,第5巻,135ページ。
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ネブカドネザル,ネブカドレザル聖書に対する洞察,第2巻
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現在入手できるネブカドネザルに関する楔形文字の碑文の歴史的な注記は,聖書の記録を多少補っています。それらの碑文によれば,ナボポラッサル王はその治世の第19年に軍隊を召集しました。当時,皇太子であったその子ネブカドネザルもそうしました。両軍は別々に活動したようです。ナボポラッサルが1か月足らずでバビロンに戻った後,ネブカドネザルは山岳地域で戦いを首尾よく進め,その後多くの分捕り物を携えてバビロンに戻りました。ナボポラッサルの治世の第21年に,ネブカドネザルはバビロンの軍隊を率いてカルケミシュに進軍し,そこでエジプト人と戦いました。そして,自分の軍勢を勝利に導きました。それはユダの王エホヤキムの第4年(西暦前625年)のことでした。―エレ 46:2。
碑文はさらに,ネブカドネザルが父の死に関する知らせを受けたために,バビロンに戻り,エルル(8-9月)の1日に即位したことを伝えています。その即位年に彼はハットゥに戻り,「シェバトの月[西暦前624年1-2月]にハットゥのばく大な戦利品をバビロンに運び」ました。(「アッシリア・バビロニア年代記」,A・K・グレイソン著,1975年,100ページ)ネブカドネザルは西暦前624年,王位に就いた公式の第1年に,再び軍隊を率いてハットゥを通り,フィリスティア人の都市アシュケロンを攻略し,略奪しました。(「アシュケロン」を参照。)そして,王として治めた第2年,第3年,および第4年中,さらにハットゥで軍事行動を進め,第4年にはユダの王エホヤキムを従属者としたようです。(王二 24:1)また第4年に,ネブカドネザルは軍勢を率いてエジプトへ行き,続いて起きた戦闘で両軍は大変な損失を被りました。
エルサレムの征服 その後,ユダの王エホヤキムがネブカドネザルに反逆したため,エルサレムはバビロニア人に包囲されることになったようです。その包囲中にエホヤキムは死に,その子のエホヤキンがユダの王座に就いたものと思われます。それからわずか3か月と10日後,エホヤキンはネブカドネザルに降伏して(バビロニア年代記によれば,ネブカドネザルの第7在位年[西暦前617年のニサンに終わった]のアダルの月[2-3月]に),その新しい王の治世は終わりました。楔形文字の碑文(大英博物館 21946)はこう述べています。「第7年。キスレウの月にアッカドの王はその軍隊を召集し,ハットゥに進軍した。彼はユダの都市に向かって野営し,アダルの月の第2日にその都市を攻略し,(そしてその)王[エホヤキン]を捕らえた。彼は自分が選んだ王[ゼデキヤ]をその都市に任命し,(また)ばく大な貢ぎ物を取り,それをバビロンに運んだ」。(「アッシリア・バビロニア年代記」,A・K・グレイソン著,1975年,102ページ。第2巻,326ページの写真)
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ネブカドネザル,ネブカドレザル聖書に対する洞察,第2巻
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残存するネブカドネザルの楔形文字の碑文の中には,神殿や宮殿や城壁などを含め,ネブカドネザルの建設事業について述べているものが少なくありません。それらの碑文の一つから抜粋した一文はこうなっています。
「ネブカドレザル,バビロンの王,エサギラとエジダの復興者,ナボポラッサルの子,それがわたしである。強力な敵や破壊者がバビロンを攻め取ることがないよう,戦列がイムグル・ベル,バビロンの城壁に近づくことがないように,エサギラにとって保護になること,以前の王がだれも行なわなかった[わたしが行なった]こと,すなわちバビロンの囲い地で,わたしは東側に堅固な城壁の囲いを造った。わたしは堀を掘り,水面に達した。わたしはその後,わたしの父の建造した城壁の造りが小さすぎることを知った。わたしは瀝青とれんがで,動かすことのできない山のような巨大な城壁を築き,それをわたしの父の城壁とつないだ。その基礎を地下の懐に据え,城壁の頂を山のように高くした。その城壁を強化するために,わたしはそれに沿って第3の城壁を建造し,保護壁の基として,れんがの土台を据えてそれを地下の懐に築き,その土台を据えた。わたしはエサギラとバビロンの防備を強化し,わたしの治世の名声を永久に確立した」―「考古学と聖書」,G・バートン著,1949年,478,479ページ。
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