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メロダク・バラダン聖書に対する洞察,第2巻
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サルゴン2世がアッシリアの王として即位した時,メロダク・バラダンはすでにバビロンに入って自らを王と宣言していたと言われています。メロダク・バラダンはその行為に対してエラム人の支持を得ていました。サルゴンは間もなくメロダク・バラダンをバビロンから追い出そうとしましたが,バビロニア王名表によれば,このカルデア人は12年ほどの期間その地位を維持することができました。
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メロダク・バラダン聖書に対する洞察,第2巻
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バビロニア王名表によれば,サルゴンの没後2年目に,バビロンの王「マルドゥクアプライッディン」が9か月間(ポリュヒストルによれば6か月)2度目の統治を行ないました。それは,同一の王がバビロンの王座に就く2度目の努力を払ったことへの言及であると一般にみなされています。しかし,そのバビロニアの碑文は「ハビ生まれの人物,マルドゥクアプライッディン」とあるのに対し,先の統治の場合は「海の国の王朝のマルドゥクアプライッディン」となっていることは注目できます。(「古代近東テキスト」,J・プリッチャード編,1974年,272ページ)この2度目の統治はごく短い期間でした。アッシリアのセナケリブ王がバビロンをたちまち占拠し,メロダク・バラダンはエラムに逃げざるを得なかったからです。彼はそこで野心的な生涯を閉じたものと思われます。
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