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バルバドス,西インド諸島1989 エホバの証人の年鑑
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胸の躍るような日々の思い出
自分の活動がそれら初期の時代にまでさかのぼる人たちの中に,リナ・ゴール姉妹がいます。姉妹は,若い人からも年配の人からも親しみを込めて,“ゴールばあや”と呼ばれました。姉妹の記憶は以前ほど鮮明ではないにしても,姉妹は当時の胸の躍るような日々を思い起こし,エホバがご自分の民を扱われたすばらしい方法を回想するのがとても好きです。現在90代になるゴールばあやは,1910年の昔に,彼女の父親と母親が学校の教師のトマス氏から1冊のパンフレットを受け取ったときのことを思い出します。聖書研究者が印刷したこのパンフレットや他の出版物の助けを得て,家族はやがて地獄,魂,三位一体,その他の教えに関する真理を学びました。家族はほどなくして,ワークマン・ビレッジにあるクリスチャン伝道団教会とのつながりを一切絶ち,ブリッジタウンのローバック通り40番で集まっていた聖書研究者のエクレシア(つまり会衆)とすぐに交わるようになりました。1911年になるころには,リナの両親はどちらもバプテスマを受けるまでになり,その翌年にはリナも浸礼を施されました。
ゴール姉妹と彼女の両親アレクサンダー・ペインとジョセフィン・ペインは,クリスチャン伝道団と交わるかつての仲間から“迷い出た羊”とみなされ,姉妹の家族を“取り戻す”ためのいろいろな努力が払われました。その目的で,この伝道団はペイン家の自宅の真ん前で公の集まりを開き,彼らをクリスチャン伝道団の囲いの中に送り返してください,と主に嘆願しました。
ゴール姉妹は,にこやかな微笑みを浮かべて目を輝かせながら,その伝道団から彼女の母親のかつての親友がペイン家に遣わされたときのことを回想します。まるでそのときの会話をもう一度全部聞いているかのように,姉妹はこう語っています。
「母の友人は,『ペイン姉妹,私はあなたへのメッセージを主から預かって来たの』と言いました。
「『あなたは主と会ったの? どんな姿だった?』と,母は言葉を返しました。
「『主は背の高い白人で,白い衣装をまとい,白馬にまたがっておられたわ。そして,あなたに対して,ワークマン・ビレッジ・ホールに戻って来るようにとおっしゃったの』。
「母がそのあとに返した一言で,伝道団教会に私たちを連れ戻そうとする彼らの試みはあえなく失敗しました。母はこう言ったのです。『じゃあ,戻ったら,その“男性”に,私,ジョセフィン・ペインは戻る気がないと言っていることを伝えてちょうだい』」。
ペイン家の人々はもとより,それら初期に聖書研究者たちと交わっていた他の人々は,かなりの嘲笑や根強い反対に遭いました。とはいえ,それらの人々の信仰は強いものでした。振り返ってみると,聖書の中で提起されている,「小さな事の日を侮ったのはだれであろうか」という質問の意味がよく理解できます。(ゼカリヤ 4:10)ご自分のみ名を全地でふれ告げさせるというエホバの目的の中に,西インド諸島にあるこの小さな島が含まれていることに疑問の余地はありません。
ゴール姉妹はいまも活発に奉仕しており,1912年にバプテスマを受けて以来,一月も欠かすことなく良いたよりを宣べ伝えてきました。地元で“過ぎ越し”と呼ばれる発作を2度患ったものの,姉妹は依然しっかりとした思考力を保ち,他の人々と良いたよりを分かち合う機会を常に探し求めています。
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バルバドス,西インド諸島1989 エホバの証人の年鑑
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[153ページの図版]
バルバドスの初期の証人,リナ・ゴール“ばあや”(左)とウォルデマー・ライス
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