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    2010 エホバの証人の年鑑
    • 支部はわたしが家を借り,聖書を学ぶ人たちを集めて,サン・アントニオで特別講演を行なうよう勧めました。そして,その地域に加え,他の八つの村で『王国ニュース』を配布するよう指示されました」。

      カードーサ夫妻は,借りた地下の部屋で週に一度,グループで行なう研究を司会しました。数週間後には三,四家族が来るようになりました。二人はさらに,それら関心のある人たちを,プンタ・ゴルダで開かれていた神権宣教学校と奉仕会に連れて行きました。一行は,ぽんこつの小型トラックで1時間かけて,わだちのある舗装されていない道を行ったのです。移動した最初の月に,フランクはサン・アントニオで特別講演をします。初めて出席した人の中に,一心に耳を傾けていたヘスス・イチがいました。ナザレン教会に所属していたヘススは,火の燃える地獄の教えが異教に根ざしており,聖書の言う地獄は人類共通の墓を指すということを知って,とても感銘を受けました。集会後にフランクのところに行って,その点についてさらにいろいろ尋ねました。ヘススは結果として聖書研究を始め,1年後にバプテスマを受けました。

  • ベリーズ
    2010 エホバの証人の年鑑
    • この件についてエホバに祈り,エホバが祝福してくださればその地域に会衆を設立できるに違いないと考えました。それで支部に手紙を書き,サン・アントニオに正規開拓者としてぜひとどまりたいと伝えました」。

      エホバが二人の決定を祝福してくださったことは,すぐに明らかになりました。早くも半年後の11月には,借りていた家で初めて公開集会を開けました。翌年の4月には,サン・アントニオで神権宣教学校と奉仕会を行なうまでになっていました。そのおかげで,毎週プンタ・ゴルダまでの30㌔余りの道を往復しなくてよくなり,少人数のグループはほっとしました。

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