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ベリーズ2010 エホバの証人の年鑑
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1960年代の後半には,テントを用いて国内の各所で大会を開くことができました。しかし,大型のテントを張って準備するのはたいへんな作業で,何日もかかりました。サンティアゴ・ソサはこう説明します。「週の前半に仕事を始め,テントを張り,王国会館からベンチを運び,ほかから椅子も借りました。そのころ大会では食事が提供されたので,調理用具を借り,大会に間に合わせるために,時には一晩じゅう料理や他の仕事をしました。準備が整ってから夜中に強いスコールが襲い,すべてがなぎ倒されてしまうことがありました。翌日には会場を設置し直す必要がありましたが,だれも文句を言いませんでした」。
ジーン・トンプソンは,ベリーズシティーとオレンジ・ウォークの間の田舎の集落で開かれた大会を覚えています。王国会館の横に茂みがあり,兄弟たちはそこにテントやベンチを設置できるよう草木を切り払いました。ジーンはこう言います。「地域大会の間じゅう雨が降り,テントの下も水浸しでした。それで,前のベンチに足を掛けて座りました。わたしたちはその地域にサンゴヘビが多いことを知りませんでした。雨だったので,テントから出ずに,王国会館のそばにいました。茂みの中に入って行ったら危険だったでしょう」。
1970年代には,ベリーズシティーの南東の端から120㍍ほど先にあるバーズ・アイル島という熱帯の小島で大会を開けるようになりました。島にある草ぶき屋根のホールは,持ち主が娯楽施設として建てたもので,電気や水道やトイレが整っていました。兄弟たちはベリーズシティーと島を木の橋を造って結びます。静かで穏やかなその場所で,大会が幾度も開かれました。
1983年3月,兄弟たちはレディービルに大会ホールを建てるため,政府から土地を借りました。当初はそこに巡回大会や特別集会や地域大会のための仮設の建物を造りました。しかし1988年,グアテマラにあった鉄骨の建物を購入してその土地に運び,恒久的な大会ホールとして使えるようにしました。
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ベリーズ2010 エホバの証人の年鑑
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翌日には,新築の美しい宣教者ホームと,レディービルの改装された大会ホールの献堂式が行なわれました。統治体のゲリト・レッシュによる献堂式の話を聞いた人の中には,五,六十年にわたってエホバに忠実に奉仕してきた人たちも少なくありませんでした。
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[252,253ページの図版]
下の鉄骨の建物が現在は大会ホール(右)になっている
改装された大会ホール
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