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ベリーズ2010 エホバの証人の年鑑
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王国会館が必要になる
1950年1月,兄弟たちは4回にわたる一連の特別講演を行なうことになりました。そのために1949年12月,ベリーズシティーのリバティー・ホールを借りる予約をし,支払いも済ませていました。最後の講演の前日,ある著名人の葬儀が明日そのホールで行なわれるとの知らせがラジオで放送されました。ホールの所有者に幾度か訴えがなされたにもかかわらず,特別講演の最中に一群の人たちが会場に入ってきて,大きな音を立てながら葬儀の準備を始め,講演は中断させられました。結局,兄弟たちは警察を呼ぶしかありませんでした。自分たちの王国会館が必要であることは明らかでした。既存のホールはどれもクラブやダンスホールとして用いられ,使用料も高かったのです。
そのころ支部の監督だったドナルド・スナイダーはこう述べています。「ある日曜日の夜,『ものみの塔』研究に174人が出席しました。会場に入りきらず,かなりの人が立たなければなりませんでした。人であふれていたため,暑さも半端ではありませんでした」。支部事務所と宣教者ホームも借家で,引っ越しを繰り返していました。
1958年9月,2階建ての建物の建設が始まりました。1階は小さな支部事務所と宣教者ホームになり,2階全体は集会場として用いられます。1959年に工事が完了し,ベリーズシティー会衆はついに王国会館を持てるようになったのです。
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ベリーズ2010 エホバの証人の年鑑
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[221ページの図版]
ベリーズシティーで支部事務所,宣教者ホーム,王国会館として使った建物
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