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    2010 エホバの証人の年鑑
    • 初めて巡回大会のプログラム全体がスペイン語で行なわれたのは1968年2月のことで,会場となったのはオレンジ・ウォークの王国会館です。85人が出席し,4人がバプテスマを受けました。

      スペイン語を話す証人たちは,言語がじゅうぶんに理解できなくても,英語の集会や大会に忠実に出席していました。マルセロ・ドミンゲスとラファエル・メディナといった兄弟たち,それにディオニシオ・テクと妻のカタリナなどです。1964年10月,スペイン語会衆がオレンジ・ウォークに設立され,20人の伝道者が交わるようになります。それまでは英語の会衆に属していた人たちです。

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    2010 エホバの証人の年鑑
    • ある日,オレンジ・ウォークのマルガリータ・サラザールの家に二人の見知らぬ人がやって来て,「マルガリータ・サラザールというエホバの証人をご存じですか」と尋ねました。訪問したのは23歳のテオフィラ・マイとその母親で,オレンジ・ウォークの34㌔南西の村オーガスト・パイン・リッジから来たのです。なぜマルガリータを探していたのでしょうか。

      テオフィラはこう説明します。「1年ほど前,9か月の息子が重い病気になりました。それでボテス村に連れて行き,聖クララという処女聖人に息子をささげる儀式をしてもらうことにしました。トラックの前の席に乗せてもらい,同じ地域に住む運転手から証言を受けました。その人は,わたしが赤ちゃんをボテスに連れて行く理由を聞いてから,聖書は偶像崇拝を認めていないと言いました。その言葉にとても興味をそそられました。それ以後もその人は,エホバの証人から学んでいた聖書の真理をいろいろ教えてくれました」。

      テオフィラはさらにこう続けます。「ある日,トラックに乗せてもらった時,本物のクリスチャンは家から家に伝道する,と運転手は言いました。そしてエホバの証人は伝道し,ゼパニヤ 1章14節や2章2,3節といった聖句を読むだろう,と説明しました。それでわたしは小さな息子の手を引き,もう片方の手に赤ん坊を抱いて,オーガスト・パイン・リッジで近所の家々を訪問し,それらの聖句を読みました。後にその運転手は,真理を本当に知りたいならエホバの証人と聖書を学ぶとよいと言いました。そしてオレンジ・ウォークのサラザール夫妻について話し,どこに住んでいるかを教えてくれました。オレンジ・ウォークに行ったことがなかったので,母に一緒に行ってもらい,その夫婦を探したのです」。

      マルガリータは,テオフィラが母親と共に初めて訪ねて来た日の朝のことを覚えており,こう言います。「二人は聖書についてたくさんの質問をし,わたしたちは長く話をしました。エホバの証人は,人々が聖書を理解できるよう助けに来てくれるのか,どんなに遠くても来てくれるというのは本当か,知りたかったようです。わたしは,本当ですと言い,聖書研究を司会するため一週おきに二人の村に行くことを約束しました」。

  • ベリーズ
    2010 エホバの証人の年鑑
    • [223ページの図版]

      最初のスペイン語の巡回大会。1968年,オレンジ・ウォークの王国会館で

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