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    2010 エホバの証人の年鑑
    • 1933年にベリーズシティーに入ったフリーダは,ビークス夫人の家の小さな一室を間借りします。ビークス夫人は,フリーダが毎朝出かける前に聖書を朗読し,賛美歌を歌うのを聞きます。その揺るぎない熱意は多くの人の目に留まります。熱帯では普通のことである,昼寝の休憩も取りませんでした。フリーダがこの国に滞在した半年の間に,証言を受けたジャマイカ出身のタディウス・ホジソンというパン屋が関心を示します。

  • ベリーズ
    2010 エホバの証人の年鑑
    • 人々がさらに真理に導かれる

      当時,通信連絡の手段は非常に限られていましたが,ジェームズとタディウスはそれぞれの地方で宣べ伝える業を続けながら連絡を取り合いました。早くも1934年に,タディウスはブルックリンの世界本部に手紙を書き,録音再生機と聖書の講演のレコードを送るよう依頼しました。

      タディウスは土曜日の晩になると,最高裁判所の建物の前にある小さな公園でレコードを流しました。駐留軍はその公園を練兵場として使っていました。“戦場”として知られていたその公園は,まさにその名のとおりの場所となります。タディウスは公園の片側でラザフォード兄弟の講話を収めたレコードを流します。反対側では救世軍の楽隊が演奏をし,ボーモント・ボーマンが大太鼓をたたいていました。やがてボーモントが王国の音信にこたえ応じ,“戦場”のタディウスの側に付きます。「あの太鼓から手を引くよう助けてくださったことをエホバ神に感謝しています」とボーモントは言います。

      公の伝道を行なうのに適していた別の場所は,ミュール・パークとして知られていた青空市場の前の広場です。そこには,運搬用の荷車を引くラバをつなぐための杭がありました。そうした荷車で荷物を町に運び,あちこちに届けていたのです。タディウスは,背が高くて顔立ちのよい,褐色の肌の男性でした。とても力強い話をすることで知られており,その場所ではよく,講話を行なう兄弟の声が聞こえていました。聖書を愛するベリーズの人々に対して,キリスト教世界の諸教会は強い影響力を振るっていましたが,多くの心の正直な人々が良いたよりにこたえ応じました。その中に,ジャマイカ出身のジェームズ・ハイアットとアーサー・ランダルも含まれています。

      ベリーズシティーの北側では,タディウスが自分の店で集会を開くようになります。集会の前に,カウンターを移動し,椅子に板を渡して間に合わせのベンチを作りました。町の南側では,コラ・ブラウンの家で集会が開かれていました。さらに,ノラ・ファヤド姉妹は子どものころ,隣に住むアーサー・ランダルの家の庭で開かれていた集会に,同じ地区にいた少数の証人たちが来ていたことを覚えています。

      精力的な伝道が良い結果を生む

      初期の証人たちの多くを特徴づけていたのは,たゆみない伝道活動です。例えば,ジェームズ(ジムシー)・ジェンキンズは,目が見えないものの,ベリーズシティー全体を杖を頼りに歩いて回りました。モリー・ティレットは,市場で伝道する兄弟の話し声が二ブロック先からでも聞こえたと言います。ジェームズが集会でいつも注意深く話を聴いていたことを覚えている人もいます。兄弟は一言も聞き漏らすまいと,杖を支えに身を乗り出すように座っていました。さらに,多くの聖句を暗記していて伝道で使いました。

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