-
ベニン1997 エホバの証人の年鑑
-
-
「私は先駆者にすぎません」
この時期に,人を自由にする,神の言葉の真理を感謝して受け入れる人がベニンにはまだ大勢いることを示す出来事が生じました。ピエール・アバントは,自分が属していた「天上のキリスト教会」の中で宗教上の偽善,金銭に対する愛,不道徳を目にしてがっかりしていました。その教会は信仰治療を行なっていましたが,彼の子供の命を救うことはできませんでした。『神は息子さんを天に召されたのです』と,牧師は言いました。その説明に満足できず,教会で許されていた慣行に悩まされていた彼は,自分の教団を設立することを考えて1973年にその教会を去りました。他の教団で見られていた偽善や邪悪な習わしのない教団を作りたいと考えていたのです。
こうしてピエール・アバントは,アイビベ(聖心)教会の自称創始者また牧師となりました。彼は1964年にエホバの証人と接したことがあり,証人たちには敬服していました。そして,自分の教会を設立すれば,エホバの証人のように,貪欲や不道徳のない教団を自分も持つことができるに違いないと思っていました。彼の教会は短い間に成長し,21の会衆に2,700人を超える信徒が集まるまでになりました。彼には勢力と富がありました。
ある日,一人の男性がいやしてもらうために彼のもとにやって来ました。男性はかなりの間しつこい皮膚病を患っていました。ピエール・アバントは,彼をいやしました。男性はとても喜んで,お礼に家を1軒くれました。
しかし,不道徳と貪欲,つまりピエール・アバントが自分の教団を設立するそもそもの理由となった慣行が,今や自分の教会でも少しずつ見られるようになっていました。彼は,もし清い崇拝を望んでいるのなら,エホバの民のまねをするだけではだめで,エホバの民にならなければならないということに気づくようになりました。それでエホバの証人と聖書を勉強し始めました。彼は次第に,証人たちとの聖書研究で学んだことを説教壇から教えるようになりました。そして,説教の終わりにはしばしば,「私は先駆者にすぎません。本当に真理を持つ人々が後に現われるでしょう」と,奇妙なことを言いました。彼の話を聞いていた人の多くは,これがどういう意味なのか不思議に思いました。
証人たちとの研究の回数を週2回に増やした後,彼は決定を下さなければならないことに気づきました。自分の教会の牧師を全員,集会に呼びました。全部で28人集まりました。彼は聖書を使いながら,真の宗教と偽りの宗教の違いを説明しました。その集会で,教会の中からすべての偶像を取り除き,僧職者がもはや特別な職服を着ないという決定が下されました。そして,牧師たちは地元で証人たちと連絡を取って家庭聖書研究をするように指示されました。自分の教会で,ピエール・アバントと同じようにし始める牧師も少なくありませんでした。教会の指導者は毎週水曜日に聖書を研究し,日曜日には学んだ事柄に基づいて説教を行ないました。後に水曜日の取り決めは会衆の書籍研究に変わり,日曜日の説教は公開講演になりました。
1989年にピエール・アバントは,信徒を総会に招集しました。ポルト・ノボで行なわれたその集まりには1,000人を超える人が出席しました。その席で彼は,「皆さんは,私がいつも説教の終わりに,『私は先駆者にすぎません。本当に真理を持つ人々が後に現われるでしょう』と言っていたのを覚えておられるでしょう。ついにその人々が現われました。それは,エホバの証人です」と述べました。この発表で,質疑応答が始まり,それは7時間ほど続きました。すべての人がそれを良い知らせだと思ったわけではありません。妻を複数持つことを含め,自分の生き方のほうを好んだ人もいました。しかし,今までのところベニンだけでも,アイビベ教会の元信徒でバプテスマを受けた人が75人余りに上り,さらに200人ほどが現在研究中で,バプテスマを目標にして進歩しています。そのグループの中の多くの人が読み書きも学んでいます。
ピエール・アバントのほうは,1991年6月にバプテスマを受けました。以前の教団とは法的にすべての関係を絶ちました。以前の彼の教会のうちの八つが王国会館に改装されました。いやした男性から贈り物としてもらった家はどうなったでしょうか。アバント兄弟はそれを返しました。その男性が非常に驚いたことは言うまでもありません。しかし兄弟は,私は真理を見いだしたので,自分が行なうことのできたいやしはすべて神からの力ではなく,悪霊たちからの力によるものだということが分かったのです,と説明しました。
-
-
ベニン1997 エホバの証人の年鑑
-
-
[115ページの図版]
以前は自称牧師だったピエール・アバントは,今ではまことの神の叙任された奉仕者になっている
-