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    1997 エホバの証人の年鑑
    • この大会に出席した人の中にスル・ウエヌーがいました。この人は,公証人兼判事で,先祖崇拝に関係する「幽霊」というグループのリーダーでもありました。そして妻が4人いました。この人は,イエス・キリストの足跡に従って歩むために必要な変化を遂げることができるでしょうか。スルは,心霊術と関連のある先祖崇拝を捨て去りました。「あなたの神エホバをあなたは崇拝しなければならず,この方だけに神聖な奉仕をささげなければならない」というイエスの宣言と調和して,そのようにしたのです。(ルカ 4:8)また,クリスチャンの規準に調和して,結婚に関する事柄も調整しました。使徒パウロになる前のタルソスのサウロと同じように,現在の体制で高く評価される職業に就いていましたが,それをすべて「多くのくずのように」みなして,後にしました。(フィリ 3:8)自由な立場になって王国の関心事のために働けるよう,公証人兼判事の地位を退き,全時間宣教を始めました。

      コトヌー会衆は,市内のミセボ地区にあるウエヌー兄弟の家で定期的に集まり合っていました。ある時,カトリックの指導者たちが,一群の子供たちをけしかけて集会を中断させようとしました。ウエヌー兄弟の家の,塀で囲まれた中庭で公開講演が行なわれていた時,一人の若者が木に登り,塀越しに講演者に向けて野次を飛ばし,石を投げつけ始めました。しかし,ねらいを定めるのが得意ではなかったようで,投げた石はどれも講演者に当たりませんでした。かえって,標的を外れた一つの石が,妨害していたグループの若者の一人に当たりました。あまりにもひどく当たったため,その子は入院しなければなりませんでした。子供たちは皆,それが神からの罰だと思い,恐れをなして逃げてゆきました。集会は,そのあと何事もなく続けられました。

  • ベニン
    1997 エホバの証人の年鑑
    • オグディナ姉妹を1週間かくまった後,ウエヌー兄弟は車を1台借り,彼女を乗せてポルト・ノボを通り抜け,彼女が生きていることをみんなが見られるようにしました。アフリカでは1949年当時,自動車はまだ珍しかったので,気づかなかった人はほとんどいませんでした。ウエヌー兄弟は,できるだけ多くの人が姉妹を見られるようにし,それから姉妹が以前にいた尼僧院のドアのところで車を止めました。

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