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  • 聖書のアドバイスは時代遅れですか
    ものみの塔(一般用)2018 | No. 1
    • 宇宙飛行士,ジェット機,科学者,家族,聖書を読んでいる男性。

      聖書のアドバイスは時代遅れですか

      時代遅れだと言う人もいます。ある医師は,聖書のアドバイスに従うことを,化学の授業で1920年代の教科書を使うことに例えました。また,聖書に価値を見いださず,最新型のコンピューターを使う時に,昔の説明書を読んだりはしない,と言う人もいます。聖書はどうしようもないほど時代遅れだ,と思っているのです。

      この科学の進んだ時代に,古くさいアドバイスにあえて従おうとする人などいるでしょうか。何しろ,数えきれないほど多くのウェブサイトやブログが,最新のアドバイスを発信し続けています。テレビでは,学者やコメンテーターが次々に登場して,様々なアドバイスをしています。書店には自己啓発の本があふれており,莫大な収益を上げる産業となっています。

      分刻みの最新情報が手に入るのに,なぜ今,ほぼ2000年前に書き終えられた聖書なのでしょうか。ある人たちが言うように,そんな古ぼけた本に頼るのは,時代遅れの化学の教科書やコンピューターの説明書を使うようなものではありませんか。とはいえ,そういった比較には無理があります。科学やテクノロジーは急速に変化します。しかし,人間の本質は変わってきたでしょうか。今でも人々は,人生の意味を見いだしたい,幸福と安全,家族との温かい絆,価値ある友情を得たいと思っています。

      聖書は古い本ですが,そうした必要を満たしています。それだけでなく,人間の創造者の導きによって書かれた本です。聖書を読めば,生活のあらゆる分野におけるアドバイスが得られ,どんな問題にも対処する備えができます。(テモテ第二 3:16,17)そのうえ,そのアドバイスは決して時代遅れになりません。聖書そのものが,「神の言葉は生きてい[る]」と述べているのです。(ヘブライ 4:12)

      では,本当に聖書の言うとおりなのでしょうか。聖書は時代遅れでしょうか。それとも,今でも“生きている”,本当に役立つ本なのでしょうか。本誌のこの号は,こうした疑問に答えます。

  • 聖書の教え 生きている知恵
    ものみの塔(一般用)2018 | No. 1
    • 様々な人種の人々

      聖書の教え 生きている知恵

      想像してみてください。あなたは古代のモニュメントが数多く展示されている博物館を見学しています。そのほとんどは劣化しており,大きく破損しているものもあります。しかし,たった1つだけ無傷のものがあります。複雑なデザインにもかかわらず,細部までそっくりそのまま残っています。そこであなたはガイドに尋ねます。「これは,この中で一番新しいものですか」。「いいえ,一番古いんですよ。修復したわけでもないんです」。「じゃあ,大事に保存されていたんですね」。「とんでもない。ずっと野ざらしでした。破壊しようとした人も大勢いました」。あなたは驚いて,「これは一体何でできているんだろう」と思うかもしれません。

      聖書はある意味で,その驚くべきモニュメントに似ています。聖書は何千年も昔に書かれた本です。もちろん,古い本はほかにもありますが,そのほとんどは劣化した昔のモニュメントのように,完全に時代遅れになっています。例えば,その中の科学に関する記述は,新しい知識や証明可能な事実と食い違っています。医学に関するアドバイスのほとんどは,役立つどころか,危険でさえあります。また,多くの古文書は,わずかな断片を残すのみで,大部分が失われたりひどく損傷したりしています。

      しかし,聖書はそれらとはまったく違います。3500年余り昔に書き始められたにもかかわらず,その内容は少しも損なわれていません。何世紀にもわたって,燃やされたり,禁書にされたり,軽視されたりして,度重なる攻撃を受けたにもかかわらず,それを切り抜けてきました。聖書の内容は,時代遅れになるどころか,時代を先取りしていることが少なくありません。(「時代遅れ,それとも時代を先取り?」という囲み記事をご覧ください。)

      今日必要とされている価値観

      とはいえ,「聖書の教えは本当に今日でも役立つのだろうか」と思うかもしれません。では,こう自問してみてください。「人類はどんな深刻な問題に直面しているだろうか。その中で,特に恐ろしいのはどれだろうか」。戦争,環境汚染,犯罪,社会の腐敗などが思い浮かぶかもしれません。ではこれから,聖書の教えを幾つか調べてみましょう。「もし皆がこうした価値観に従えば,世界はもっと住みやすくなるのではないだろうか」と考えてみてください。

      平和を愛する

      「平和を求める人たちは幸いです。その人たちは『神の子』と呼ばれるからです」。(マタイ 5:9)「できるなら,あなた方に関するかぎり,すべての人に対して平和を求めなさい」。(ローマ 12:18)

      憐れみ深くあり,人を許す

      「憐れみ深い人たちは幸いです。その人たちは憐れみを受けるからです」。(マタイ 5:7)「だれかに対して不満の理由がある場合でも,引き続き互いに忍び,互いに惜しみなく許し合いなさい。エホバaが惜しみなく許してくださったように,あなた方もそのようにしなさい」。(コロサイ 3:13)

      人種差別をしない

      神様は「一人の人からすべての国の人を造って地の全面に住まわせ……ました」。(使徒 17:26)「神[は]不公平な方ではなく,どの国民でも,神を恐れ,義を行なう人は神に受け入れられ」ます。(使徒 10:34,35)

      地球を大切にする

      「エホバ神は人を取ってエデンの園に住ませ,それを耕させ,またその世話をさせ」ました。(創世記 2:15)神様は「地を破滅させている者たちを破滅に至らせ」ます。(啓示 11:18)

      貪欲や不道徳を憎む

      「あらゆる強欲に警戒しなさい。満ちあふれるほどに豊かであっても,人の命はその所有している物からは生じないからです」。(ルカ 12:15)「聖なる民にふさわしく,あなた方の間では,淫行やあらゆる汚れまた貪欲が口に上ることさえあってはなりません」。(エフェソス 5:3)

      正直かつ勤勉に生活する

      「わたしたちは……すべてのことにおいて正直に行動したいと願ってい」ます。(ヘブライ 13:18)「盗む者はもう盗んではなりません。むしろ,骨折って働き……なさい」。(エフェソス 4:28)

      困っている人を助ける

      「憂いに沈んだ魂に慰めのことばをかけ,弱い者を支え,すべての人に対して辛抱強くありなさい」。(テサロニケ第一 5:14)「孤児ややもめをその患難のときに世話」しなさい。(ヤコブ 1:27)

      聖書は,これらの価値観を挙げているだけではありません。それを大切にし,日々の生活の中で実践するよう,分かりやすく教えています。こうした教えに従う人が増えれば,人類が抱える深刻な諸問題も大きく改善されるのではないでしょうか。つまり,今,かつてないほど聖書の教えが必要とされている,ということです。では,あなたにはどのように役立つでしょうか。

      聖書の教えは今,役に立つ

      最も知恵のある人はかつて,「知恵はその働きによって義にかなっていることが示される」と述べました。(マタイ 11:19)知恵の真価は,働かせてみて初めて明らかになるものです。ですから,「聖書が本当に役立つのなら,わたしの生活にも影響を及ぼすはずではないだろうか。わたしの今の問題にどう役立つだろうか」と思うかもしれません。一例を挙げましょう。

      デルフィーンbは,忙しくても充実した生活を送っていました。そんな時,立て続けに悲惨な出来事が起きました。10代の娘が亡くなり,結婚が破たんし,経済的にも立ち行かなくなったのです。当時をこう振り返っています。「もう途方にくれてしまいました。娘も夫も家も失ったからです。自分には何の価値もないように思えました。自尊心も気力もなくなり,この先どうしたらよいかも分からなくなりました」。

      デルフィーンはかつてなかったほど,次の言葉の真実さを痛感しました。「わたしたちの年の日数そのものは七十年です。そして,特別の力強さのために,たとえそれが八十年であっても,ただ難儀と有害なことが付きまとうだけです。それは必ず速やかに過ぎ去り,わたしたちは飛び去ってしまいます」。(詩編 90:10)

      デルフィーンは,助けを必要としていた時に,聖書を調べました。その効果はてきめんでした。次の3つの記事にあるように,他の多くの人たちも聖書のアドバイスを当てはめて,素晴らしい結果を経験してきました。聖書が前述の驚くべきモニュメントに似ていることを実感したのです。多くの本が古びて,内容も時代遅れになってゆくのとはまったく違います。それは聖書が何か特別なものでできているからでしょうか。聖書には,人間の考えではなく,本当に神様の考えが収められているのでしょうか。(テサロニケ第一 2:13)

      あなたも,人生は短く苦難に満ちている,と感じておられるかもしれません。様々な問題に圧倒されそうになるとき,慰めや支えや信頼できるアドバイスをどこに求めることができるでしょうか。

      では,聖書をあなたの生活に役立てられる,3つの分野を考えてみましょう。

      1. 問題を回避する。

      2. 回避できない問題は解決する。

      3. 解決できない問題とはうまく付き合う。

      続く記事では,この3つの分野を取り上げます。

  • 1 問題を回避する
    ものみの塔(一般用)2018 | No. 1
    • 1人の女性が酒におぼれている。後にその女性が聖書を学んでいる。

      1 問題を回避する

      聖書は,そのアドバイスが神様からのもので,「教え,戒め,物事を正[す]のに有益」だと述べています。(テモテ第二 3:16)本当にそのとおりなのでしょうか。生活の中で厄介な問題に陥らないために,聖書の知恵がどのように助けになるか,考えてみましょう。

      アルコールの乱用

      前述のデルフィーンは,心配を紛らわせるためにアルコールに頼るようになりました。聖書は,適度の飲酒を禁じてはいませんが,「ぶどう酒を多量に飲む者……の仲間に加わってはならない」と述べています。(箴言 23:20)アルコールの乱用は,深刻な健康問題や人間関係の破綻の原因になると共に,毎年,多くの人命を奪ってきました。聖書の賢明なアドバイスに従っていたら,そのほとんどは回避できたことでしょう。

      デルフィーンはそれに従いました。今ではこう述べています。「アルコールで心配が消えるわけではないことに気づきました。それで,聖書のフィリピ 4章6,7節の知恵を当てはめました。そこにはこうあります。『何事も思い煩ってはなりません。……あなた方の請願を神に知っていただくようにしなさい』。心がざわざわして不安な気持ちになる夜は,エホバに真剣に祈りました。怒り,苦痛,失望など,自分の気持ちをすべて打ち明け,もっと前向きになれるよう助けてください,とお願いしました。朝,起きてからも,前向きに考える努力を続けました。祈ることで,持っていないものではなく持っているものに目を向けられたと思います。アルコールは二度と飲みません。せっかく見つけたこの心の安らぎを失いたくないからです」。

      不道徳

      これほど心痛や不幸をもたらすものはありません。しかし聖書は,その主な原因となる思わせぶりな態度やポルノなどに気をつけるよう勧めており,問題を回避するのに役立ちます。サムエルという若い男性はこう言います。「思わせぶりな態度を取るのは簡単でした。何とも思っていない相手でも,気のあるそぶりをされると,こちらも気のあるふりをしたくなりました」。サムエルはそのつもりがない時でも,思わせぶりだと言われることが多かったので,今度は自分から異性の気を引こうとするようになりました。しかし,そのことでとてもいやな気持ちになりました。「悪い影響がありました。どんどん自己中心的になっていきました」。

      サムエルはウェブサイトjw.orgの若い人向けの記事を読み,箴言 20章11節について考えました。「少年はまさにその行ないによって,その行動が浄く,廉直であるかどうかを明らかにする」とあります。この言葉がどう役立ったのでしょうか。サムエルは,自分のしていることが清くも正しくもないことに気づきました。今ではこう述べています。「思わせぶりな態度を取っていると良くない配偶者になりかねないということも分かりました。結婚後,わたしがほかの女性とふざけているのを見たら,妻はどう思うだろう,と考えるようになりました。それで,そんな態度を取るのは良くないと気づきました。気軽にできるからしてもよい,ということにはなりません」。サムエルは変化しました。思わせぶりな態度を避けることで,不道徳に陥るのも避けられました。

      アントニオは,さらに危険な状態にありました。ポルノにはまり込んでいたのです。心から愛する妻がいましたが,なかなかやめられませんでした。ペテロ第一 5章8節がたいへん役立ちました。こうあります。「冷静さを保ち,油断なく見張っていなさい。あなた方の敵対者である悪魔がほえるライオンのように歩き回って,だれかをむさぼり食おうとしています」。アントニオは言います。「この世界はポルノだらけです。ポルノは脳裏に焼き付きます。この聖句を読んで,誘惑の源について考えるようになりました。ポルノの背後に悪魔がいることをすぐに思い出せるようにする必要がありました。『冷静さを保ち,油断なく見張ってい』られるようわたしを助け,思いや心や結婚生活に対する攻撃に立ち向かえるようにしてくださるのはエホバだけだということが分かりました」。アントニオは必要な助けを得て,ついに悪い習慣を断つことができ,もっと深刻な問題に陥らないようにも助けられました。

      難しい問題を避けるのに役立つアドバイスを聖書から得られることは明らかです。では,回避不能で,長引きそうな問題についてはどうでしょうか。そうした深刻な問題を解決するのに聖書がどのように役立つか,考えてみましょう。

      聖書のアドバイスは,様々な問題を回避するのに役立つ。

      1人の女性がアルコールを含まない飲み物を飲んでいる。
  • 2 問題を解決する
    ものみの塔(一般用)2018 | No. 1
    • 1人の女性が過度の心配にとらわれている。その後,子どもたちと散歩している。

      2 問題を解決する

      生活の中で直面する問題は,長引いて何年も続くことがあります。気づけば,深く根を下ろしてしまっているかもしれません。聖書は,そうした厄介な問題を解決するうえでも役立つでしょうか。例を幾つか考えてみましょう。

      過度の心配性

      ロージーはこう言います。「物事を悪く考えたり最悪の結果を想像したりして,くよくよしていました」。聖書のどの言葉が役立ったでしょうか。その1つがマタイ 6章34節です。そこにはこうあります。「次の日のことを決して思い煩ってはなりません。次の日には次の日の思い煩いがあるのです。一日の悪いことはその日だけで十分です」。ロージーは,このイエスの言葉を知って,次の日のことを心配しないようになったと言います。「まだ起きていないことや,起きそうにないことを心配しなくてもいいんです。悩みの種はもう十分ありますから」。

      ヤスミンも心配に押しつぶされそうになっていました。「週に2,3日は泣いていました。眠れない夜もありました。マイナス思考に飲み込まれているようでした」。聖書のどんな言葉が役立ちましたか。ペテロ第一 5章7節です。「自分の思い煩いをすべて神にゆだねなさい。神はあなた方を顧みてくださるからです」。ヤスミンはこう述べています。「いつもエホバ神に祈りました。すると,エホバは祈りに答えてくださいました。肩の重荷が下りたようでした。マイナス思考になることはまだありますが,今はどう対処すればよいかが分かっています」。

      ぐずぐずする癖

      イザベラという若い女性はこう言います。「ぐずぐずするのは親譲りだと思います。父に似ているんです。大事なことを放っておいて,何をするわけでもなく,だらだらしたりテレビを見たりしてしまいます。悪い癖だと思います。ストレスは増えるし,いろんなことがうまくいかなくなります」。役に立ったのは,テモテ第二 2章15節です。こうあります。「自分自身を,是認された者,……何ら恥ずべきところのない働き人として神に差し出すため,力を尽くして励みなさい」。イザベラはこう述べています。「ぐずぐずしていて,自分のことをエホバから恥ずかしいと思われるのはイヤでした」。こうして,ぐずぐずする癖を改善できました。

      ケルシーもこう言います。「やらなければならないプロジェクトがあっても,いつもぎりぎりまで放っておきました。泣いたり,眠れなくなったり,心配になったりしました。良いことは少しもありませんでした」。ケルシーには,箴言 13章16節が役に立ちました。「明敏な者はみな知識をもって行動し,愚鈍な者は愚かさを広める」とあります。この言葉を熟考して分かったことがあるとケルシーは言います。「現実から逃げないで計画的に行動するのは賢明なことです。今では,デスクに予定表を置き,仕事のスケジュール管理をしています。そのおかげで,物事をぎりぎりまで放っておかないようになりました」。

      孤独感

      「夫はわたしと4人の子どもたちを捨てて,出て行きました」とキルステンは言います。聖書のどの言葉が助けになったでしょうか。箴言 17章17節には,「真の友はどんな時にも愛しつづけるものであり,苦難のときのために生まれた兄弟である」とあります。キルステンは,共にエホバを崇拝する仲間たちに助けを求めました。どうなりましたか。「友人たちは様々な方法で助けに来てくれました。ドアのところに食料品や花を置いてくれた人たちもいます。引っ越しを3回しましたが,その都度,みんながどっとやって来て,手伝ってくれました。仕事探しを手伝ってくれた人もいます。友人たちはいつもそばにいて助けてくれました」。

      前述のディルフィーンも孤独感と闘っていました。すべてを失った時のことをこう述べています。「自分だけが蚊帳の外にいるような気がしました。とても寂しかったです」。助けになったのは,詩編 68編6節の,「神は孤独な者たちを家に住まわせ……る」という言葉でした。デルフィーンはこう言います。「その聖句は実際の家のことだけでなく,霊的な家のことも言っているのだと分かりました。神様はわたしたちを,真に安全な場所に住まわせて,エホバを愛する人たちとの本物の友情を得させてくださいます。しかし,他の人たちと親しくなるには,まずエホバと親しくなる必要があります。それで,詩編 37編4節が役立ちました。そこには,『エホバを無上の喜びとせよ。そうすれば,神はあなたの心の願いをかなえてくださる』とあります」。

      デルフィーンはこう結論しています。「わたしはエホバとの絆をもっと強める必要があることに気づきました。エホバは最も素晴らしい友だからです。そして,エホバを愛する人たちと友情を深めるために,どんなことを一緒に行なえるか,書き出してみました。人の不完全さではなく,良い所だけを見るようになりました」。

      もちろん,エホバを愛する人であっても,不完全な人間です。エホバの証人も,多くの人たちと同じように,様々な問題と闘っています。しかし,聖書を学んでいる人は,どんな時でも他の人を助けようとします。そうした人と友達になりたいものです。では,聖書の教えは,慢性的な病気や死別の悲しみなど,今のところ解決できない問題についても役立つのでしょうか。

      聖書のアドバイスに従えば,頼りになる友人が見つかる。

  • 3 問題と付き合う
    ものみの塔(一般用)2018 | No. 1
    • 1人の女性が墓地で悲しんでいる。その後,車椅子の女性に聖書のメッセージを話している。

      3 問題と付き合う

      現状では回避も解決もできない問題もあります。例えば,愛する家族を亡くしたり,慢性的な病気になったりしたら,その苦しみと付き合ってゆくしかないかもしれません。聖書はそうしたつらい状況でも助けになるのでしょうか。

      慢性的な病気

      ローズはこう言います。「わたしは遺伝病を患っており,絶えず激しい痛みがあります。人間らしい生活ができなくなってきました」。ローズが特に気にしていたのは,聖書や神様についての勉強に集中できない時があるということでした。しかし,マタイ 19章26節にある,「神にとってはすべてのことが可能です」というイエスの言葉に癒やされました。そして,勉強の方法が1つだけではないことに気づきました。痛みがひどくて本を読めない時は,聖書などの朗読を聴くようにしました。a 「この方法がなければ,自分の霊性を保てなかったと思います」。

      以前できていたことができなくて悲しくなる時は,コリント第二 8章12節の言葉に慰められています。こうあります。「進んでする気持ちがまずあるなら,持っていないところに応じてではなく,持っているところに応じて特に受け入れられるのです」。限界があっても最善を尽くしているローズのことを,神様は喜んでおられるのです。

      死別の悲しみ

      前述のデルフィーンはこう述べています。「娘が18歳で死んでからは,つらくてたまらず,死んでしまいたいとさえ思いました。もう元には戻らないのです」。しかし,詩編 94編19節で詩編作者が神に述べた言葉に大いに慰められました。「不安の念を起こさせるわたしの考えがわたしの内で多くなったとき,あなたの慰めがわたしの魂をいとおしむようになりました」。デルフィーンはこう言います。「どうぞこの痛みを和らげる方法を教えてくださいとエホバに祈りました」。

      デルフィーンは,やりがいのあるボランティア活動に打ち込みました。やがて,自分はクレヨンのようだと考えるようになりました。クレヨンは,折れてしまっても塗り絵に使えます。同様に,心が折れてしまっても,だれかを助けることはできます。こう語っています。「聖書から研究生を慰めていた時,はっとしました。エホバがそのことを通してわたしを癒やし,慰めてくださっていることに気づいたのです」。デルフィーンは,聖書中の人物で,死別から来る強い悲しみを乗り越えた人のリストを作りました。すると,「それらの人たちは,例外なく祈りの人である」ことや,「聖書を開かないと,答えは得られない」ことが分かりました。

      デルフィーンは,聖書を勉強して,過去ではなく将来に目を向けることも学びました。使徒 24章15節の,「義者と不義者との復活がある」という希望にも慰められました。エホバが娘を復活させてくださることをどれほど確信しているでしょうか。こう述べています。「わたしには,将来,楽園にいるあの子が見えます。あの子と再会する日はもう決まっています。天の父である神様のカレンダーに書き込まれているんです。2人で一緒に庭にいるところが見えます。生まれたばかりのあの子と対面し,あふれるような愛情を抱いた時と同じほど,はっきりと感じられるのです」。

      a こうした朗読は,ウェブサイトjw.orgで聴くことができます。

      聖書は,最もつらい時期にも慰めを与えてくれる。

      神様はどのように助けてくださいますか

      聖書の答えはこうです。「エホバは,ご自分を呼び求めるすべての者,ご自分を真実に呼び求めるすべての者の近くにおられます。神はご自分を恐れる者たちの願いを遂げてくださり,助けを求めるその叫びを聞き,彼らを救ってくださいます」。(詩編 145:18,19)実に心温まる言葉です。では,神様はそうした叫びにどのように答えてくださるのでしょうか。

      力を与える

      問題があると,体も心も疲れ果ててしまうことがあります。(箴言 24:10)しかし,エホバは「疲れた者に力を……活動力のない者にみなぎる偉力を豊かに与えてくださ」います。(イザヤ 40:29)大きな試練を何度も乗り越えた使徒パウロは,「自分に力を与えてくださる方のおかげで,わたしは一切の事に対して強くなっている」と述べました。(フィリピ 4:13)神様から聖霊を与えられ,力を得たのです。あなたも神様に,聖霊を求めて祈ることができます。(ルカ 11:13)

      知恵を与える

      聖書を学んで当てはめるために助けが必要なら,どうですか。ヤコブはこう書きました。「あなた方の中に知恵の欠けた人がいるなら,その人は神に求めつづけなさい。神はすべての人に寛大に,またとがめることなく与えてくださるのです。そのようにすれば,それは与えられます」。(ヤコブ 1:5)祈った後は,聖書を読んでその教えを当てはめます。(ヤコブ 1:23-25)そうすれば,聖書のアドバイスがいかに知恵のあるものかを実感できます。

      平和を与える

      大きな不安を抱えていても,エホバは穏やかな気持ちを与えてくださいます。聖書にはこうあります。「何事も思い煩ってはなりません。ただ,事ごとに祈りと祈願をし,感謝をささげつつあなた方の請願を神に知っていただくようにしなさい。そうすれば,一切の考えに勝る神の平和が,あなた方の心と知力を,キリスト・イエスによって守ってくださるのです」。(フィリピ 4:6,7)平和を与えてくださるよう,エホバにお願いしてみてはいかがですか。

      問題が長引いてなかなか解決しなくても,神様から見捨てられたわけではありません。神様は勇気や忍耐する力を与えてくださいます。(コリント第一 10:13)そして聖書の約束によると,問題はやがて永久に解決されるのです!

  • 聖書とあなたの将来
    ものみの塔(一般用)2018 | No. 1
    • 列車の中で1人の女性が聖書を読んでいる。

      聖書とあなたの将来

      夜遅くに,暗い小道を歩いているところを想像してみてください。真っ暗ですが,心細くはありません。強力なフラッシュライトを持っているからです。下に向ければ,足元をはっきりと見ることができます。前に向ければ,闇を貫く光がずっと先まで道を照らしてくれます。

      ある意味で,聖書はこの強力なフラッシュライトに似ています。これまで考えてきたように,神様の言葉である聖書は,わたしたちがこの不確かな世界で日々直面している問題に対処するのに役立ちます。しかしそれだけでなく,将来を明るく照らして,永続する幸せや満足に至る道を歩んでいけるようにしてくれるのです。(詩編 119:105)どのようにでしょうか。

      次の2つの方法によってです。1 人生の目的を見いだせるよう助ける。2 創造者との永遠の友情を築く方法を教える。

      1 人生の目的

      聖書は問題に対処するための的確なアドバイスを与えています。しかし,単に役立つだけの本ではありません。聖書は,ただ自分のことだけを考えるのではなく,自分を大きな絵の一部として見るよう教えています。そのようにして初めて,人生は本当に意味あるものとなるのです。

      例えば,「受けるより与えるほうが幸福である」という聖書の教えについて考えてみてください。(使徒 20:35)あなたは,生活に困っている人を助けたことがありますか。あるいは,だれかの話を親身になって聞いたことがあるでしょうか。その時,その人の一日を明るくできたという満足感を覚えたのではありませんか。

      人は,何も見返りを求めずに与えるとき,最も幸せに感じるものです。ある作家はこう書きました。「自分を与えるなら,与えた以上のものが必ず返ってくる。もっとも,見返りを期待しないという条件が付くが」。さらに,だれかのため,特にお返しができない人のために,喜んで自分を与えるなら,確かに報いが得られます。そうすることで,わたしたちは大きな絵の一部として,創造者である神様と一緒に働いていることになります。そして神様は,そのような親切をご自分への貸しとみなしてくださいます。(箴言 19:17)神様は,わたしたちが弱い立場の人のために行なうことを高く評価して,パラダイスとなる地球での永遠の命という報いを与えると約束してくださっています。なんと胸の躍る見込みでしょう!(詩編 37:29。ルカ 14:12-14)a

      聖書は,まことの神エホバを崇拝するなら,人生の本当の目的を見つけられる,と教えています。また,エホバに賛美と誉れをささげ,従順であるよう勧めています。エホバはそれにふさわしい方だからです。(伝道の書 12:13。啓示 4:11)その勧めに従う時,驚くべきことを成し遂げることができます。創造者に喜んでいただけるのです。実際,神様は,「賢くあって,わたしの心を歓ばせよ」と強く勧めておられます。(箴言 27:11)考えてみてください。わたしたちが,聖書の教えに従って賢い決定をするなら,愛する天の父の心を歓ばせることができるのです。なぜそう言えますか。神様はわたしたちのことを気にかけ,ご自分のアドバイスを役立ててほしいと願っておられるからです。(イザヤ 48:17,18)宇宙の主権者を崇拝し,その方の心を歓ばせるような生き方をすること以上に,優れた人生の目的があるでしょうか。

      2 創造者との友情

      聖書は,創造者である神様との友情を築くようにも勧め,「神に近づきなさい。そうすれば,神はあなた方に近づいてくださいます」と述べています。(ヤコブ 4:8)全能の創造者との友情などあり得るのだろうか,と思うかもしれません。しかし聖書は,わたしたちが「神を求める」なら,「ほんとうに見いだ」せると保証しています。「神は,わたしたちひとりひとりから遠く離れておられるわけではありません」。(使徒 17:27)神様の友となることに関する聖書のアドバイスに従えば,将来に対して良い備えができます。どのようにですか。

      考えてみてください。わたしたちはどうあがいても,究極の敵である死から逃れることができません。(コリント第一 15:26)しかし,神様は永遠に生きておられます。死ぬことがなく,ご自分の友にもずっと生き続けてほしいと願っておられます。聖書は,エホバがご自分を求める人たちのために望んでおられることを,美しい言葉でこう描写しています。「あなた方……が永久に生きつづけますように」。(詩編 22:26)

      どうすれば神様との永遠の友情を築けるでしょうか。聖書を読んで,神様について学び続けてください。(ヨハネ 17:3。テモテ第二 3:16)聖書を理解するための助けを神様に求めましょう。聖書は,わたしたちが誠実に「知恵[を]神に求めつづけ」るなら,必ず与えられると保証しています。b (ヤコブ 1:5)学んだことを当てはめるよう努力しましょう。そのようにして,今そして永遠に,聖書を「足のともしび」また「通り道の光」とするのです。(詩編 119:105)

      a パラダイスとなる地球での永遠の命という神様の約束について詳しくは,エホバの証人の発行した「聖書は実際に何を教えていますか」という本の第3章をご覧ください。

      b エホバの証人は,聖書を理解していただくために,無料の聖書レッスンを行なっています。詳しくは,「聖書レッスンのご案内」というビデオをご覧ください。jw.orgにアクセスし,「検索」をクリックし,タイトルを入力してください。

      神様は永遠に生きておられ,ご自分の友にもずっと生き続けてほしいと願っておられる。

  • 時代遅れ,それとも時代を先取り?
    ものみの塔(一般用)2018 | No. 1
    • 数式

      時代遅れ,それとも時代を先取り?

      科学

      聖書は科学の教科書ではありませんが,書かれた当時の常識をはるかにしのぐ情報が収められています。例を幾つか取り上げます。

      宇宙には始まりがありましたか

      かつて科学者たちは,その答えは「ノー」だと考えていました。しかし今では,宇宙に始まりがあったことをほとんどの人が認めています。聖書は最初からはっきりとそう述べていました。(創世記 1:1)

      地球はどんな形をしていますか

      古代の多くの人は,地球は平面だと思っていました。西暦前5世紀のギリシャの科学者たちは,地球が球体ではないかと考えました。しかし聖書筆者イザヤは,西暦前8世紀にはすでに,円または球を意味する語を用いて,地球のことを「地の円」と述べています。(イザヤ 40:22)

      宇宙はやがて崩壊しますか

      西暦前4世紀のギリシャの科学者アリストテレスは,崩壊は地上だけで起こり,星の輝く天空は決して変化したり崩壊したりしない,と教えました。その見解が,何世紀にもわたって受け入れられていました。しかし19世紀,科学者たちによってエントロピーという概念が導入されました。宇宙のものであれ地球のものであれ,すべての物質はやがて崩壊する,という概念です。この概念の構築に貢献した科学者の1人であるケルビン卿は,天と地は「衣のようにみな古びてしまいます」という記述が聖書にあることに注目しました。(詩編 102:25,26)とはいえ,ケルビンは,聖書が教えているように,神様ならご自分の創造したものが崩壊しないようにもできる,と信じていました。(伝道の書 1:4)

      何が地球などの天体を支えていますか

      アリストテレスは,すべての天体が幾層もの透明な同心球状の殻の中にあり,その中心に地球がある,と教えました。西暦18世紀までには,科学者たちは星や惑星が宙に浮かんでいることを認めつつありました。しかし,西暦前15世紀に書かれた,聖書のヨブ記は,宇宙を造った神様が「地を無の上に掛けておられる」と述べています。(ヨブ 26:7)

      医学

      聖書は医学の教科書ではありませんが,衛生に関する先進的な情報が収められています。

      病人の隔離

      モーセの律法は,重い皮膚病にかかっている人を隔離するよう指示していました。中世にペストなどが大流行して,医師たちはようやく隔離の大切さに気づきました。隔離という方法は今でも有効です。(レビ記 13,14章)

      死体に触れた後の手洗い

      19世紀の終わりまで,医師たちは死体を扱った後,手を洗わずに患者を治療することが少なくありませんでした。そのせいで,多くの死亡者が出ました。モーセの律法によると,死体に触れた人は皆,宗教的に汚れたものとみなされ,水で清める必要がありました。そうした宗教的な習わしには,健康面での益もありました。(民数記 19:11,19)

      排せつ物の処理

      毎年,50万人を超える子どもたちが下痢のせいで死亡しています。排せつ物が適切に処理されていないことが主な原因です。モーセの律法は,排せつ物を人が住んでいる所から離れた場所に埋めるよう命じています。(申命記 23:13)

      割礼を施す時期

      神の律法によると,男の子には生後8日目に割礼を施すことになっていました。(レビ記 12:3)新生児の血液の凝固力は,生後1週間が過ぎると正常なレベルに達すると言われています。現代のような医療が受けられなかった聖書時代には,生後1週間を過ぎてから割礼を施すのは賢明なことでした。

      心の健康と体の健康

      研究によると,喜び,希望,感謝,進んで許す態度といったポジティブな気持ちは体の健康に良い影響を及ぼします。聖書も,「喜びに満ちた心は治療薬として良く効き,打ちひしがれた霊は骨を枯らす」と述べています。(箴言 17:22)

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