ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 信頼すべきか,信頼せざるべきか
    目ざめよ! 2007 | 11月
    • 信頼すべきか,信頼せざるべきか

      「腐った板を信用してはなりません」と,英国の劇作家ウィリアム・シェークスピアは書いています。確かに,船板の上に立つ時には,腐っていないことを確かめたほうが良いでしょう。

      シェークスピアと同様のことを,今から3,000年ほど前に古代イスラエルの賢王ソロモンもこう書いていました。「愚か者は何でも信じ,目ざとい者は足元に気をつける」。(箴言 14:15,「今日の英語訳」)まさにそのとおりです。聞いた事柄を確かめずに何でも真に受ける人,軽薄なアドバイスや根拠のない教えに基づいて決定したり行動したりする人は,愚かな人であると言わざるを得ません。頼りにならないものに頼るのは,腐った船板の上に立つのと同じく危険なことです。では,本当に信頼に値する導きとなるものがあるのでしょうか。

      世界中の多くの人たちは,ある非常に古い本を心から信頼しています。その本とは聖書です。自分の歩みを導くものとして,聖書に頼っているのです。聖書のアドバイスに基づいて物事を決定し,聖書の教えにのっとって行動します。そのような人たちは“腐った船板”の上に立っているのでしょうか。それを見極めるためには,まず次の点を考えなければならないでしょう。聖書は信頼できると言えるだけの確かな根拠があるのか,という点です。この特別号の「目ざめよ!」では,その証拠を検討します。

      この特別号の目的は,読者に宗教的な信条や見方を押しつけることではありません。納得のいく証拠をありのままに提出することです。多くの人はそれらの証拠を調べ,聖書が信頼に値することを得心しました。あなたも,この一連の記事をお読みになり,聖書が信頼できるかどうかをご自分で判断なさってください。

      ここで考えるのは,ただ好奇心をそそるだけの事柄ではありません。もし聖書が本当に信頼できる導きであり,創造者からのものであるなら,あなたもご家族も聖書の言葉を真剣に受け止める必要があるでしょう。

      ではまず,聖書に関する幾つかの際立った事実を取り上げましょう。実のところ,聖書はとてもユニークな本なのです。

  • ユニークな本
    目ざめよ! 2007 | 11月
    • ユニークな本

      「聖書は史上最高の頒布数を誇る本である」。―ワールドブック百科事典(英語)。

      今から550年以上前,ドイツの発明家ヨハネス・グーテンベルクは活版印刷を始めました。その印刷機から生み出された最初の大作は聖書でした。a それ以来,ありとあらゆる種類の無数の本が印刷されてきましたが,聖書は他をはるかにしのぐ,全く別格の存在です。

      • 聖書(全巻あるいは一部)はこれまでに推定47億冊以上印刷されています。頒布数第2位の「毛沢東語録」の5倍以上です。

      • 最近の1年間だけで,聖書の全体または一部が5,000万冊以上も頒布されました。「聖書は毎年,年間ベストセラーとなっている」と,ニューヨーカー誌(英語)は報じています。

      • 聖書の全巻あるいは一部は,2,400以上の言語に翻訳されてきました。聖書の入手可能な言語をすべて合わせると,世界人口の90%以上をカバーできます。

      • 聖書の筆者たちの約半数は,中国の有名な賢人である孔子や仏教の始祖であるガウタマ・シッダールタが生まれる前に,筆記を終えました。

      • 聖書の影響を色濃く受けた芸術作品は数多く,その中には絵画,音楽,文学の世界的な傑作も含まれます。

      • 聖書は,政治当局による禁令,宗教上の反対者による焚書,批評家からの攻撃といった試練に耐えてきました。それほどの反対を受け,しかも生き残った本は,歴史上ほかにありません。

      こうした事実は際立った特徴であると言えるのではないでしょうか。もちろん,感銘を与えるデータや数字があるからといって,それだけで聖書が信頼に値するというわけではありません。では次に,多くの人が聖書は信頼に値すると得心した五つの理由を調べてみましょう。

      a 四十二行聖書とも呼ばれるグーテンベルク聖書はラテン語訳で,1455年ごろに完成しました。

  • 1. 歴史記録の確かさ
    目ざめよ! 2007 | 11月
    • 聖書が信頼できる理由

      1. 歴史記録の確かさ

      内容に不正確なところのある本を信頼するわけにはいかないでしょう。例えば現代史の本を読んでいる時に,第二次世界大戦は1800年代に起きたと書かれていたり,米国大統領が王と呼ばれていたりするのを見つけたなら,どう感じるでしょう。そうした不正確さのゆえに,その本全体の信頼性を疑うのではないでしょうか。

      聖書の歴史記録の正確さに異議を唱えて誤りを実証できた人は一人もいません。聖書は,実在の人物と実際に起きた出来事を記録しているのです。

      人物。

      聖書批評家たちはかつて,ポンテオ・ピラトが実在したことに疑問を唱えていました。ピラトはローマのユダヤ総督で,イエスを杭につけさせた人物です。(マタイ 27:1-26)1961年に地中海の港湾都市カエサレアで一つの石碑が発見され,それに刻まれた碑文によって,ピラトがユダヤの支配者であったことが証明されました。

      1993年より前には,ダビデが実在の人物だったことを示す記録は聖書以外にはありませんでした。ダビデは,若いころには勇敢な羊飼いであり,後にイスラエルの王となった人です。1993年に,イスラエル北部で考古学者が,西暦前9世紀の玄武岩の石碑を発見しました。専門家によると,その碑文には,「ダビデの家」および「イスラエルの王」という言葉が記されていました。

      出来事。

      最近まで多くの学者は,ダビデの時代にイスラエルと戦ったエドムという国に関する聖書の記述の正確さを疑っていました。(サムエル第二 8:13,14)当時のエドムは単純な牧畜社会にすぎず,ずっと後になるまで十分な組織もイスラエルを脅かすような力も有していなかった,と学者たちは論じていました。しかし「聖書考古学レビュー」誌(英語)によると,最近の発掘作業の結果,「エドムは[以前に考えられていたより]幾世紀も早い時点で,聖書に記されているとおりの複雑な社会になっていた」ことが分かりました。

      正しい肩書き。

      聖書が筆記された1,600年ほどの期間中,多くの支配者が登場しました。聖書は,支配者について述べるときには必ず,正しい肩書きを用いています。例えば,ヘロデ・アンテパスを「地域支配者」,ガリオを「執政官代理」と正確に呼んでいます。(ルカ 3:1。使徒 18:12)エズラ 5章6節では,タテナイという人が,「川向こうの総督」,つまりユーフラテス川の向こう側にあるペルシャの州の総督とされています。西暦前4世紀に作られた硬貨に同様の表現が記されており,ペルシャの総督マザウスが「川向こう」の州の支配者と呼ばれています。

      重要とは思えないような細部でも正確であるのは,大切なことです。細部においても聖書の記述を信頼できるのであれば,聖書の他の部分についても確信を抱けるのではないでしょうか。

  • 2. 率直で正直
    目ざめよ! 2007 | 11月
    • 聖書が信頼できる理由

      2. 率直で正直

      正直さは信頼の土台です。正直者だという評判のある人は信頼されますが,一度でもうそをつくと信頼を失います。

      聖書の筆者は正直な人たちで,包み隠しなく筆記を行ないました。そうした率直さのゆえに,聖書には明快な真実の響きがあります。

      失敗と欠点。

      聖書筆者たちは自分自身の過ちや弱さを包み隠さずに認めています。モーセは,自分が失敗を犯して自らに大きな損失を招いたことを述べています。(民数記 20:7-13)アサフは,裕福に暮らす邪悪な者たちをねたましく思う時期があったことを明らかにしています。(詩編 73:1-14)ヨナは,自分が不従順だったことと,悔い改めた罪人たちに神が憐れみを示された時に自分が悪い態度を取ったことを述べています。(ヨナ 1:1-3; 3:10; 4:1-3)マタイは,イエスが捕縛された晩に自分がイエスを見捨ててしまったことを隠さずに書き記しています。―マタイ 26:56。

      ヘブライ語聖書の筆者たちは,自国民が幾度も不平を言って反逆したことを明らかにしています。(歴代第二 36:15,16)自国の支配者についても例外ではありません。(エゼキエル 34:1-10)使徒たちの書いた手紙も同様に率直で,1世紀の,責任ある人々を含む個々のクリスチャンや幾つかの会衆が抱えていた深刻な問題について述べています。―コリント第一 1:10-13。テモテ第二 2:16-18; 4:10。

      ヨナなどの聖書筆者は自分自身の失敗を書き記した

      真実をありのままに。

      聖書筆者たちは,恥とみなされるような事実を取り繕おうとはしていません。1世紀のクリスチャンたちは,自分たちが世間では敬われず,かえって愚かで卑しい者と見られていたことを,ありのままに認めています。(コリント第一 1:26-29)イエスの使徒たちが「無学な普通の人」とみなされていたことも記しています。―使徒 4:13。

      福音書の筆者たちは,イエスをいっそう魅力的に仕立て上げるために事実を脚色したりはしていません。むしろ,イエスが労働者階級の貧しい家庭に生まれたことや,当時の名門校で学んだわけではないこと,イエスの話を聴いた人の多くがイエスの教えを退けたことを正直に記録しています。―マタイ 27:25。ルカ 2:4-7。ヨハネ 7:15。

      このように,聖書を読むと,その筆者たちが正直であることがよく分かります。そのような正直さのゆえにも,聖書は信頼できるのではないでしょうか。

  • 3. 内面的な調和
    目ざめよ! 2007 | 11月
    • 聖書が信頼できる理由

      3. 内面的な調和

      こんな状況を考えてみてください。さまざまな経歴の持ち主を40人集め,手分けして1冊の本を書いてもらいます。40人は幾つもの国に分かれて住んでおり,全員がお互いを知っているわけではありません。他の人が何を書いたかを知らない人もいます。そのようにして出来上がった本の内容は,果たして調和の取れたものとなるでしょうか。

      聖書はそれと似た状況で書かれた本です。a いえ,もっと難しい条件のもとで書かれました。それにもかかわらず,驚くほどの内面的な調和が見られます。

      イエスの衣は紫か緋色か

      ユニークな背景。

      聖書は,西暦前1513年から西暦98年ごろまでの1,600年ほどの期間にわたって書き記されました。約40人の筆者の多くは,幾世紀も離れた時代に生きていたことになります。職業も様々でした。漁師もいれば,羊飼いや王もいました。医者も一人います。

      調和の取れた内容。

      聖書は一つのテーマを中心として書かれています。人類に対する神の支配権の立証と,世界政府である天の王国による神の目的の成就,というテーマです。このテーマは「創世記」で紹介され,それに続く各書の中で展開され,「啓示」の書で最高潮に達します。―19ページの「聖書にはどんなことが書かれていますか」をご覧ください。

      細部も合致。

      聖書の各書はごく詳細な点に関しても一致していますが,そのような調和の多くは,明らかに,筆者たちが意図したものではありません。一例を挙げましょう。聖書筆者ヨハネの記録によると,大群衆がイエスの話を聞きに来た時,イエスはフィリポに,群衆に食べさせるためのパンをどこで買ったらよいかと尋ねています。(ヨハネ 6:1-5)同じ出来事を記録したルカは,これがベツサイダという都市のそばでのことであったと書いており,ヨハネの記録の初めのほうには,フィリポはベツサイダから来ていたと書かれています。(ルカ 9:10。ヨハネ 1:44)イエスは,近くに住んでいたことがある人に尋ねた,というわけです。このように細部も合致しており,しかも意図的に調和を図ったとは思えません。b

      違いはあるが矛盾はない。

      記述に違いが見られることもあります。しかし,それは当然のことではないでしょうか。ある犯罪の目撃証人が幾人もいるとしましょう。全員が同じ詳細な点を同じ表現で述べるなら,共謀が疑われるのではありませんか。それぞれ見る角度が異なるので,証言もいくらか異なっているのが自然でしょう。聖書筆者についても同じことが言えます。

      一つの例を考えましょう。イエスが亡くなる日に身に着けていたのは,マルコとヨハネが記録しているように,紫の衣でしたか。(マルコ 15:17。ヨハネ 19:2)それとも,マタイが述べているように,緋色の衣でしたか。(マタイ 27:28)実際のところ,どちらも正しいと言えます。紫には赤い色が含まれています。見る角度によって,また光の反射や背景によって,何らかの色彩が抑えられ,衣の色合いが違って見えたのでしょう。c

      聖書の各書が調和しており,意図せずに一貫していることは,聖書が信頼に値することの一層の裏づけとなっています。

      a 聖書は,「創世記」から「啓示」(黙示録)までの66の書が合わさって出来た本です。

      b こうした調和を示す他の例については,エホバの証人の発行した「すべての人のための書物」という冊子の16,17ページをご覧ください。

      c さらに詳しくは,エホバの証人の発行した「聖書 ― 神の言葉,それとも人間の言葉?」という本の第7章,「聖書には矛盾がありますか」をご覧ください。

  • 4. 科学的な正確さ
    目ざめよ! 2007 | 11月
    • 聖書が信頼できる理由

      4. 科学的な正確さ

      現代,科学は飛躍的に進歩しています。その結果,古い学説が次々と新たな学説に置き換えられてきました。かつて事実として受け入れられていた事柄が今では俗説とみなされることもあります。科学の教科書にはしばしば改訂が必要です。

      聖書は科学の教科書ではありません。しかし,科学的な事柄に関して,聖書が述べている事柄だけでなく,述べていない事柄も注目に値します。

      非科学的な考えはない。

      古代には,多くの間違った事柄が広く信じられていました。地球は平らだとか,何らかのしっかりとした物の上に載っているなどと考えられていました。病気の伝染と予防を科学者が理解するようになるまでの長い間,医師たちは,効き目がなく時には命を奪いかねない治療を行なっていました。一方,聖書の1,100以上の章のどこにも,非科学的な考えや有害な行為を支持する箇所は全くありません。

      科学的に確かな記述。

      今から3,500年ほど前に聖書は,地は「無の上に」掛かっていると述べていました。(ヨブ 26:7)西暦前8世紀にイザヤは,「地の円[または球]」と,はっきり述べました。(イザヤ 40:22)丸い地球が何の支えもなく空間に浮かんでいる ― この説明は驚くほど現代的ではないでしょうか。

      聖書の最初の五つの書にはモーセの律法が含まれています。西暦前1,500年ごろに書き記されたその律法には,病人の隔離,死体の扱い方,排泄物の処理に関する適切な規定が収められていました。―レビ記 13:1-5。民数記 19:1-13。申命記 23:13,14。

      科学者たちは,強力な望遠鏡による観測などに基づいて,宇宙は突如“誕生”したと考えるようになりました。この説の“含み”が気に入らない科学者もいます。ある教授はこう述べました。「宇宙に始まりがあったのであれば,その第一原因がどうしても必要に思われる。十分な原因なくしてそのような結果が生じることは想像できないからだ」。とはいえ,望遠鏡が発明されるよりずっと前に,聖書冒頭の言葉は簡明にこう述べていました。「初めに神は天と地を創造された」。―創世記 1:1。

      はるか昔に聖書は,地球は丸くて「無の上に」掛かっていると,正しく述べていた

      聖書は非常に古い本であり,様々な分野について論じていますが,科学的に不正確なところは一つもありません。そのような本は,少なくとも研究の対象とする価値があるのではないでしょうか。a

      a 聖書の科学的な正確さに関する他の例については,エホバの証人の発行した「すべての人のための書物」という冊子の18-21ページをご覧ください。

  • 5. 成就した預言
    目ざめよ! 2007 | 11月
    • 聖書が信頼できる理由

      5. 成就した預言

      ある気象予報士の天気予報が長年にわたって確実に的中していて,外れたことは一度もない,としましょう。その人の予報が雨なら,あなたも出かける時には傘を持って行くのではないでしょうか。

      聖書には,予告つまり預言がたくさん記されています。a それらの確実さに関する歴史の記録は明らかです。聖書の預言は必ず的中するのです。

      際立った特徴。

      聖書の預言の多くは具体的であり,ごく詳細な点に至るまで成就しています。たいてい,非常に重大な事柄にかかわるものであり,その預言が書かれた時代の人の予想とは逆の事も予告しています。

      顕著な例。

      ユーフラテス川をまたいで守りを固めた古代バビロンは,「古代オリエントの政治的・宗教的・文化的中心地」と呼ばれています。西暦前732年ごろに預言者イザヤは陰うつな預言を書き記します。バビロンが陥落するという預言です。イザヤは具体的な点を述べ,「キュロス」という名の指導者が征服を行ない,防御となっているユーフラテス川の水が『干上がり』,バビロンの門は「閉じられない」と預言します。(イザヤ 44:27–45:3)200年ほど後の西暦前539年10月5日,この預言は詳細な点に至るまですべて成就します。ギリシャの歴史家ヘロドトス(西暦前5世紀)は,バビロンがそのようにして陥落したことを確証しています。b

      大胆なまでに詳しい預言。

      イザヤはバビロンについて別の驚くべき事柄も予告し,バビロンは『決して人の住む所とはならない』と書きました。(イザヤ 13:19,20)有利な場所に位置する広大な都市が永久に荒廃したままになる,と予告するのは実に大胆なことです。そのような都市であれば,滅ぼされたとしても再建されると考えるのが自然ではないでしょうか。バビロンは征服された後も都市として生き延びていましたが,ついにイザヤの言葉どおりになります。スミソニアン誌(英語)によれば,古代バビロンのあった場所は,今では「のっぺりとした,暑くてさびれた,ほこりっぽい場所」になっています。

      イザヤの預言のスケールを考えると,驚嘆せざるを得ません。その預言は,今に例えると,ニューヨークやロンドンなどの現代都市が200年後に滅ぼされる様子を正確に予告し,その都市には二度と再び人が住まないと断言するようなものなのです。しかも,イザヤの預言はまさにそのとおり現実となりました!c

      聖書は,キュロスという名の指導者が強大なバビロンを征服するということを正確に予告していた

      この一連の記事で考えたような証拠に基づき,多くの人は,聖書は信頼に値すると確信するようになりました。それゆえに聖書を,自分の歩みを導く確かな助けとみなしています。あなたも,聖書についてさらに調べ,聖書が信頼できるかどうかを考えてみるのはいかがですか。

      a 天気予報は可能性を示すものです。聖書の預言は神の霊感によるものであり,神は物事の進展を導くこともできます。

      b イザヤの預言の成就に関してさらに詳しくは,エホバの証人の発行した「すべての人のための書物」という冊子の27-29ページをご覧ください。

      c 聖書預言とその成就である歴史上の事実については,ほかにも例を挙げることができます。エホバの証人の発行した「聖書 ― 神の言葉,それとも人間の言葉?」という本の117-133ページをご覧ください。

  • 聖書の著者はだれですか
    目ざめよ! 2007 | 11月
    • 聖書の見方

      聖書の著者はだれですか

      聖書には,だれがその内容を書き記したかが率直に述べられています。この本の様々な部分は,「ネヘミヤの言葉」,『イザヤが見た幻』,「ヨエルに臨んだエホバの言葉」といった表現で始まっています。(ネヘミヤ 1:1。イザヤ 1:1。ヨエル 1:1)ガド,ナタン,サムエルのものとされている歴史記述もあります。(歴代第一 29:29)幾つかの詩編に付された表題は,作者を明示しています。―詩編 79,88,89,90,103,127編。

      聖書を書くのに人間が用いられたため,懐疑的な人たちは,聖書も他の本と同様に人間の知恵の所産にすぎないと言います。しかし,そうした意見にはもっともな根拠があるのでしょうか。

      筆者は40人,著者はひとり

      ほとんどの聖書筆者は,唯一まことの神であるエホバの名によって書いていること,また神ご自身や神の代理者であるみ使い(天使)に導かれていることを認めていました。(ゼカリヤ 1:7,9)ヘブライ語聖書を書いた預言者たちは300回以上も,「エホバはこのように言われた」と宣言しています。(アモス 1:3。ミカ 2:3。ナホム 1:12)「ホセアに臨んだエホバの言葉」などの表現で始まっている書もたくさんあります。(ホセア 1:1。ヨナ 1:1)使徒ペテロは神の預言者たちについて,「聖霊に導かれつつ,神によって語った」と述べました。―ペテロ第二 1:21。

      ですから,聖書は多くの部分から成っていながらも調和の取れた本であり,それを書いた大勢の人は,神の後ろ盾を得て記述を行なったことを認めていました。言い換えれば,神がご自分の考えを筆記するために人間の秘書を用いたということです。どのようにして,そうしたのでしょうか。

      「神の霊感を受けた」

      「聖書全体は神の霊感を受けたもの」と,使徒パウロは説明しています。(テモテ第二 3:16)「神の霊感を受けた」と訳されるギリシャ語は,字義的には「神が息を吹き込んだ」という意味です。すなわち,神が目に見えない力を用いて人間の筆者の思考に影響を与え,ご自分のメッセージを伝えたということです。ただし十戒の場合には,エホバご自身が石の書き板に文字を記しました。(出エジプト記 31:18)時には神が直接,メッセージを人間の僕に口述しました。出エジプト記 34章27節にはこうあります。「エホバは続いてモーセに言われた,『あなたのためにこれらの言葉を書き記しなさい……』」。

      神が人に幻を見させ,記録させたい事柄を伝えたこともあります。エゼキエルは,「わたしは神の幻を見るようになった」と述べています。(エゼキエル 1:1)同様に,「ダニエルは床の上で夢と頭の中の幻とを見た。その時,彼はその夢を書き留めた」とあります。(ダニエル 7:1)聖書の最後の書である「啓示」は,同じような方法で使徒ヨハネに伝えられました。ヨハネは次のように書いています。「わたしは霊感によって主の日に来ており,ラッパの音のような強い声がわたしの後ろでこう言うのを聞いた。『あなたが見ることを巻き物に書き……なさい』」。―啓示 1:10,11。

      人柄が表われている

      神の霊感を受けたからといって,筆者の個性が失われてしまったわけではありません。事実,神からのメッセージを記すには,筆者自身の努力が求められました。例えば,聖書の「伝道の書」の筆者は,「喜ばしい言葉を見いだし,真実の正確な言葉を書き記そうと努めた」と語っています。(伝道の書 12:10)エズラは歴史的な記録を編纂するに当たり,「ダビデ王の時代の事績の記録」や「ユダとイスラエルの“王たちの書”」など,少なくとも14の資料を調べました。(歴代第一 27:24。歴代第二 16:11)福音書筆者のルカは,『論理的な順序で書いて伝える』ために,「すべてのことについて始めから正確にそのあとをたどりました」。―ルカ 1:3。

      聖書の幾つかの書には,筆者の性格が表われています。例えば,イエスの弟子となる前に収税人だったマタイ・レビは,数に特別な注意を向けました。イエスが裏切られた時に支払われた代価を「銀三十枚」と記録している福音書筆者は,マタイだけです。(マタイ 27:3。マルコ 2:14)医者であったルカは,医学面で詳しい情報を正確に記録しました。イエスがいやした人たちの状態を描写する際に,「高い熱」や「体じゅう」重い皮膚病などと表現しています。(ルカ 4:38; 5:12。コロサイ 4:14)ですから,エホバは多くの場合,筆者たちが自分の言葉や文体で表現するのをお許しになりました。しかし同時に,書かれたものが正確でご自分のメッセージを伝達するものとなるように,筆者の思考を導きました。―箴言 16:9。

      最終結果

      約40人の人が様々な土地で1,600年もの期間にわたって書いたものが,すべての面で完全に調和した本となり,その中で一つのすばらしいテーマが貫かれているというのは,驚くべきことではないでしょうか。(19ページの「聖書にはどんなことが書かれていますか」という記事をご覧ください。)ひとりの著者によってすべてが導かれたのでなければ,こうしたことは不可能だったでしょう。

      エホバはみ言葉を筆記するのに人間をどうしても用いなければならなかったのでしょうか。そうではありません。むしろ,人間を用いたことは神の知恵の表われでした。実のところ,聖書が万人の心に訴えるのは,一つに,人間のあらゆる感情をありありと表現しているためです。中には,罪を悔い改めて神の憐れみを嘆願したダビデ王のように,自責の念を表現した例もあります。―詩編 51:2-4,13,17,表題。

      エホバが人間の筆者を用いたとはいえ,初期クリスチャンは聖書を,「人間の言葉としてではなく,事実どおり神の言葉として」受け入れました。わたしたちも,それらのクリスチャンと同じ確信を抱くことができます。―テサロニケ第一 2:13。

      考えたことがありますか

      ■ 「聖書全体」の著者はだれですか。―テモテ第二 3:16。

      ■ エホバ神はご自分の考えを伝えるのに,どのような方法を用いましたか。―出エジプト記 31:18; 34:27。エゼキエル 1:1。ダニエル 7:1。

      ■ 霊感を受けた筆記者たちが書いたものには,書き手の性格や関心事がどのように表われていますか。―マタイ 27:3。ルカ 4:38。

  • 聖書はこうして現代まで伝わってきた
    目ざめよ! 2007 | 11月
    • 聖書はこうして現代まで伝わってきた

      聖書が現代まで生き延びてきたのは,まさに奇跡です。書き終えられてから1,900年以上もたっています。原文はパピルス紙や動物の皮など朽ちやすい材料に,しかも今日では少数の人しか話さない言語で記されました。さらに,皇帝や宗教指導者といった権力者たちからは,根絶をもくろむ激しい攻撃を受けました。

      この驚嘆すべき書物は,どのような試練の歴史を経て,世界で最も広く知られる本となったのでしょうか。二つの面を考えてみましょう。

      多くの写本が作られたために生き残った

      イスラエル人は初期の聖書本文の守り手として,原本の巻き物を注意深く保存し,非常に多くの写本を作りました。例えば,イスラエルの王たちは,「祭司つまりレビ人たちが保管するものからこの律法の写しを」作るように命じられました。―申命記 17:18。

      多くのイスラエル人は聖書の朗読をとても大切なことと考えました。聖書を神の言葉と認めていたのです。それゆえ,写本の作業は,高度の訓練を受けた書士たちが細心の注意を払って行ないました。エズラという名の敬虔な書士は,「イスラエルの神エホバが賜わったモーセの律法の熟練した写字生」と呼ばれています。(エズラ 7:6)西暦6世紀から10世紀にかけて“旧約聖書”つまりヘブライ語聖書の写本を行なったのはマソラ学者です。マソラ学者は,誤りを防ぐために本文の文字の数を数えることまでしました。このように非常に注意深く書き写されたため,本文の正確さが保たれ,聖書は生き延びました。敵が執ように,また必死になって葬り去ろうとしたにもかかわらず,生き延びたのです。

      例えば西暦前168年,シリアの支配者アンティオコス4世は,パレスチナじゅうのヘブライ語聖書の写本を一つ残らず葬り去ろうとしました。ユダヤ人の歴史に関するある記述によると,「彼らは見つけた律法の巻き物をすべて引き裂いて焼き捨てた」ということです。「ユダヤ百科事典」(英語)にはこうあります。「この任務を与えられた役人たちは,非常に厳しい態度で臨んだ。……聖なる書物を所有する者……は,死刑に処された」。それでも,聖書の写本は,パレスチナのユダヤ人の間でも他の土地に住む人々の間でも,生き延びました。

      “新約聖書”つまりクリスチャン・ギリシャ語聖書は書き終えられてから程なくして,霊感によるその聖書中の手紙,預言,歴史記述などの写しが数多く作られてゆきました。例えば,ヨハネはエフェソスかその近くで福音書を書きましたが,エフェソスから何百キロも離れたエジプトでその写本の断片が発見されました。専門家たちによれば,その写本はヨハネが福音書を書き終えてから50年もたたないうちに作られたものです。この発見により,当時,遠くの土地に住んでいたクリスチャンも,霊感のもとに書かれて間もない聖書の写しを持っていた,ということが分かりました。

      聖書が広く頒布されたことも,この本がキリストの時代以降,幾世紀も生き延びる一因となりました。例えば,西暦303年,2月23日の早朝,ローマ皇帝ディオクレティアヌスは,配下の兵士たちが教会の扉をたたき壊し,聖書の写本を燃やすのを見守った,と伝えられています。ディオクレティアヌスは,聖典を除き去ればキリスト教を根絶できると考え,翌日には,ローマ帝国全土で聖書の写本をすべて公衆の面前で焼き捨てるように,との布告を出しました。しかし,焼失を免れた写本からさらに写本が作られてゆきました。実際,ディオクレティアヌスの迫害の後,程なくして作られたと思われる,ギリシャ語の二つの聖書写本のかなりの部分が,今日でも残っています。一つはローマに,もう一つは英国ロンドンの大英図書館に保存されています。

      聖書の原本は一つも見つかっていませんが,聖書の全巻もしくは一部の手書き写本が幾千点も残っており,中には非常に古いものもあります。では,原本の内容は,書き写されてゆくうちに変わってしまったでしょうか。学者のW・H・グリーンは,ヘブライ語聖書について,「古典の中で,これほど正確に伝わってきたものはほかにないと言っても差し支えないだろう」と述べました。クリスチャン・ギリシャ語聖書に関しては,聖書写本の指導的権威者フレデリック・ケニヨン卿がこう書いています。「したがって,原文がまとめられた年代と現存する最初期の証拠の年代との隔たりは,事実上無視できるほど小さくなっており,聖書は実質的には書かれたとおりに我々のもとに伝わってきた,ということに対する疑いの最後の根拠は今や取り除かれた。新約聖書の各書の信ぴょう性も全体として元のままの形を保っている点も最終的に確証されたとみなすことができるであろう」。また,「聖書の本文は実質的に見て確かなものであると明言してさしつかえない。……このようなことは世界の他のどんな古代文書に関しても例を見ない」とも述べました。

      聖書翻訳

      聖書が世界で最も広く知られる本となった二番目に大きな要因は,多くの言語で入手できることにあります。この事実は神の目的とも調和しています。神は,あらゆる国の,あらゆる言語の人々が神を知り,「霊と真理をもって」神を崇拝するようになることを望んでおられるのです。―ヨハネ 4:23,24。ミカ 4:2。

      ヘブライ語聖書の最初の翻訳として知られているのは,ギリシャ語のセプトゥアギンタ訳です。この訳は,パレスチナの外の地域に住んでいたギリシャ語を話すユダヤ人のために作られたもので,イエスが地上で宣教奉仕を始める時より2世紀ほど前に完成しました。それから何世紀もたたないうちに,クリスチャン・ギリシャ語聖書を含む聖書全巻が多くの言語に翻訳されました。ところが後に,王たちだけでなく聖職者たちまでが,本来なら聖書を民衆に与えるよう尽力すべきであったのに,それとは正反対のことをしました。聖職者たちは,神の言葉を一般の人々の用いる言語に翻訳することを許さず,信徒たちを霊的な闇にとどめておこうとしたのです。

      しかし,ある人たちは,教会や国家に逆らうことになったにもかかわらず,勇敢にも,聖書を一般の人々の言語に翻訳するために命懸けの努力をしました。オックスフォードで教育を受けた英国人ウィリアム・ティンダルは1530年に,ヘブライ語聖書の最初の五書(ペンタチューク)の翻訳を刊行しました。多くの反対に遭いながらも,初めてのこととして,聖書をヘブライ語から直接英語に訳したのです。また,英語の翻訳者としては初めて,エホバの名を用いました。スペインの聖書学者カシオドーロ・デ・レイナは,初期のスペイン語聖書の翻訳に携わりました。カトリック教会の迫害者たちから絶えず命をねらわれましたが,英国,ドイツ,フランス,オランダ,スイスへと旅をして,翻訳を完成させました。a

      今日,聖書はますます多くの言語に翻訳されており,年に幾千万冊も出版されています。聖書が今日まで生き延びて世界で最も広く知られる本となったことは,使徒ペテロの霊感によるこの言葉の真実さを物語っています。「草は枯れ,花は落ちる。しかしエホバのことばは永久に存続する」。―ペテロ第一 1:24,25。

      [脚注]

      a レイナ訳は1569年に出版され,1602年にシプリアーノ・デ・バレラによって改訂されました。

日本語出版物(1954-2026)
ログアウト
ログイン
  • 日本語
  • シェアする
  • 設定
  • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
  • 利用規約
  • プライバシーに関する方針
  • プライバシー設定
  • JW.ORG
  • ログイン
シェアする