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創造者はご自身について啓示される ― わたしたちの益のために!あなたのことを気づかう創造者がおられますか
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第8章
創造者はご自身について啓示される ― わたしたちの益のために!
雷鳴がとどろき,稲妻がひらめく中,シナイ半島のひときわ高い山の前に,およそ300万の人々が立ちました。シナイ山は雲に包まれ,地は震動します。このような忘れ難い情景の中で,モーセは,古代イスラエルの民を,天地の創造者との正式な関係に導き入れました。―出エジプト記 19章。イザヤ 45:18。
しかしなぜ宇宙の創造者は,ただ一つの国民,しかも比較的に小さな国民に対して,ご自身を啓示しようとされたのでしょうか。モーセは次の洞察を与えています。『エホバがあなた方を愛し,あなた方の父祖たちに誓ったその誓いのことばを守られたがためである』― 申命記 7:6-8。
このような記述は,聖書が,宇宙や地上生物の起源に関することだけでなく,それをはるかに超えた多くの情報を収めたものであることを示しています。聖書は,人間に対する,創造者の過去,現在,そして将来の取り計らいについて多くのことを述べています。聖書は,世界で最も多く研究された書物,最も広く頒布された本であり,教育を重んじるすべての人がその内容に通じているべきものです。聖書にはどんなことが記されているのかを概観しましょう。一般に旧約聖書と呼ばれている部分にまず注目しましょう。そうすることによって,宇宙の創造者,また聖書の著者である方の性格について,貴重な洞察を得ることもできます。
本書の第6章,「古代の創造の記録 ― 信頼できますか」の中で,聖書の創造の記録には,わたしたちの起源である,いちばん初めの先祖について,他からは得られない情報が含まれていることを学びました。聖書のこの最初の本には,ほかにも多くの事柄が含まれています。例えばどんなことでしょうか。
ギリシャや他の土地の神話には,神々や半神半人の者たちが人間とかかわりを持った時代のことが述べられています。また人類学者は,太古の時代に洪水があって人類の大半がぬぐい去られた,という伝説が世界じゅうに残っていることを述べています。そのような神話そのものは退けてしまっても差し支えないでしょう。ですが,創世記の書だけが,後代のそのような神話や伝説に反映されている歴史の背景的事実を明らかにしていることをご存じだったでしょうか。―創世記 6,7章。a
創世記の中では,多くの人間男女についても読むことができます。それは,どのような人物だったかをはっきり知ることのできる現実の人々であり,創造者の存在を知って,そのご意志を念頭に置いて生きた人たちでした。わたしたちは,モーセが「父祖たち」と述べた,アブラハム,イサク,ヤコブなどの人々について知るのが良いでしょう。創造者はアブラハムをよく知って,「わたしの友」と呼びました。(イザヤ 41:8。創世記 18:18,19)なぜでしたか。エホバはそれまでに,アブラハムが信仰の人であるのをよく見て,そのことに確信を持っていたのです。(ヘブライ 11:8-10,17-19。ヤコブ 2:23)アブラハムの経験した事柄は,神が人間にとって近づきやすい方であることを示しています。エホバの力と能力は畏敬すべきものですが,神は決してただの非人格的な力ではなく,単なる物事の原因でもありません。現実の存在者であり,わたしたち人間は,この方に対して敬意のこもった関係を築いて,永続する益を受けることができます。
エホバはアブラハムに対し,「あなたの胤によって地のすべての国の民は必ず自らを祝福するであろう」と約束されました。(創世記 22:18)これは,到来する「胤」に関してアダムの時代になされた約束に基づいており,それを敷衍するものでした。(創世記 3:15)そうです,エホバがアブラハムに告げた事柄は,その者,つまり「胤」がやがて登場して,すべての人に祝福を差し伸べるという希望を堅いものにしました。あなたは,この点が聖書全体を貫く中心的な主題であり,聖書が人間の種々さまざまな文書をただ集めたものではないことの裏付けであることに気づかれるでしょう。聖書のこの主題をとらえていれば,神が古代に一つの国民を用いた理由を理解できるはずです。それは,すべての国の人々に祝福を得させることを最終的に目ざしていたのです。―詩編 147:19,20。
イスラエルとの関係でエホバがこのような目標を持っておられたことは,『神が不公平な方ではない』ことを示しています。(使徒 10:34。ガラテア 3:14)さらに,神がもっぱらアブラハムの子孫を扱っておられた時代にも,他の国の人々がやって来て同じようにエホバに仕えようとするなら,喜んで迎え入れられました。(列王第一 8:41-43)そして,これから先のところで見るとおり,神の公平さはきわめて行き届いたものであり,今日のわたしたちすべては,国家また人種的背景がどうあろうとも,神を知って,神に喜ばれる者となることができます。
創造者が何世紀にもわたって関係を持たれた国民の歴史から多くのことを学べます。その歴史を三つの部分に分けましょう。各部を考察するにあたって,いかにエホバが,「彼はならせる」というご自身の名のとおりに行動されたか,また現実に生存した人々の扱い方にその性格がいかに表われているかに注目なさってください。
第一部 ― 創造者の支配を受けた国民
アブラハムの子孫はエジプトで奴隷になりました。やがて神はモーセを起こし,西暦前1513年,モーセがその民を自由へと導き出しました。イスラエルが一つの国民となった時には,神がその支配者でした。しかし,西暦前1117年,民は人間の王を求めました。
どのような経緯で,イスラエルはモーセと共にシナイ山ろくに来たのでしょうか。聖書の創世記はその背景を伝えています。それよりもずっと前,ヤコブ(イスラエルとも呼ばれた)がエジプトの北東に住んでいた時,当時知られていた世界の全域に及ぶ飢きんが起きました。家族を心配したヤコブはエジプトに食糧を求めました。そこには穀物が豊富に蓄えられていました。ヤコブにとって意外にも,エジプトの食糧管理官となっていたのは,自分の息子のヨセフでした。その息子は何年も前に死んだものと思っていたのです。ヤコブとその家族はエジプトに移り,勧められてその地にとどまることになりました。(創世記 45:25–46:5; 47:5-12)しかし,ヨセフの死後,新しいファラオがヤコブの子孫を強制労働に徴用して,『粘土モルタルやれんがを扱う厳しい奴隷労働をもって彼らの生活をつらいものにしていき』ました。(出エジプト記 1:8-14)この時期についての鮮明な記述,および他の多くの事柄は,聖書の二番目の書である出エジプト記の中でお読みになることができます。
イスラエル人は幾十年にもわたって虐待を忍びました。「助けを求めるその叫びが終始まことの神のもとに上った」と記されています。エホバに目を向けたのは賢明なことでした。エホバはアブラハムの子孫に関心を持ち,将来すべての人々に祝福を得させるというご自分の目的を遂行することを思い定めておられました。エホバは『イスラエルのうめきを聞き,それに意を留められ』ました。これは,創造者が,虐げられて苦悩する人々に同情を抱かれることを示しています。(出エジプト記 2:23-25)神はモーセを選んで,イスラエル人を奴隷状態から救出させようとしました。しかし,モーセとその兄アロンがエジプトのファラオのもとに来て,奴隷にされたその民を去らせてくれるようにと求めた時,ファラオは不敵にも,「エホバが何者だというので,わたしはその声に従ってイスラエルを去らせなければいけないのか」という言葉で応じました。―出エジプト記 5:2。
当時最大の軍事強国の支配者からのものだったにせよ,宇宙の創造者がこのような挑戦的態度にひるむとでも思われますか。神はファラオとエジプト人を一連の災厄で打ち,ついに十番目の災厄の後,ファラオは,イスラエル人を解放することに同意しました。(出エジプト記 12:29-32)こうしてアブラハムの子孫は,エホバを現実の存在者,時が来れば自由を得させてくださる方として知るようになりました。そうです,エホバはその名前のとおり,ご自分の約束を劇的なかたちで果たす方となられました。(出エジプト記 6:3)しかし,ファラオもイスラエル人も共に,その名についてはさらに多くを学ぶことになっていました。
それが起きたのは,ファラオが間もなく心変わりをしたためでした。ファラオは軍隊を率い,去って行く奴隷の集団を猛追し,紅海のほとりでこれに追いつきました。イスラエル人は,海とエジプトの軍隊との間にはさまれました。その時点でエホバは介入し,紅海のただ中を通る道を開きました。ファラオはそれを,神の無敵の力の表明として認めるべきでした。しかしそうはせず,向こう見ずにも軍を率いてイスラエル人の後を追い,軍隊もろともおぼれ死ぬ結果になりました。神は海を元の状態に戻したのです。出エジプト記の記述は,神がこうした偉業をどのような方法で成し遂げられたかを細かには述べていません。わたしたちはこれをまさしく奇跡と呼ぶことができます。起きた事そのものも,その時間的要素も,人間の制御するところを超えていたからです。しかし,宇宙を造り,そのすべての法則を定めた方にとって,そのような行為は決して不可能ではなかったはずです。―出エジプト記 14:1-31。
この出来事は,エホバが救い主であり,その名前のとおりに行動する方であることをイスラエル人の前に実証しましたし,今日のわたしたちにもその点を際立たせるはずです。しかしわたしたちは,この記述から,神の物事の行ない方についてさらに多くのことを見きわめるべきです。例えば神は,圧制的な国に対して公正を執行し,約束の胤が出る民に対しては愛ある親切を示されました。この後のほうの視点で言えば,出エジプト記から読み取れる事柄は,明らかに単なる古代史ではありません。それは,すべての人に祝福を得させようとする神の目的と関連があるのです。
約束の地へ
エジプトを出たあと,モーセとその民は砂漠地帯を通ってシナイ山へと進みました。そこで起きた事柄は,そののち幾世紀にもわたり,この国民に対する神の扱いを方向づけるものとなりました。神は法を与えました。もちろん,その幾十億年も前から,創造者は宇宙の物質を統御する数々の法則をすでに定めておられ,それは今でも作用しています。しかしシナイ山で,神はモーセを通して,ひとつの国民を治める法を与えたのです。神がこのとき行なわれたこと,また神が与えた律法典については,出エジプト記と,それに続く三つの書,レビ記,民数記,申命記の中で読むことができます。学者たちは,モーセがヨブ記も記したものと考えています。ヨブ記の重要な内容については,本書の第10章で取り上げます。
今日でも,世界の非常に多くの人が十戒について知り,それに従って生きようとしています。それは,この一式の律法典の中心をなす道徳上の命令です。しかしその法典には,卓越したものとして称賛される定めがほかにも数多く含まれています。当然ながら,多くの規定は当時のイスラエル人の生活にかかわるものでした。例えば,衛生,清潔,疾病などに関する規則です。もともと古代の民を対象として述べられたものですが,それらの規則は,人間の研究者たちがようやく前世紀ごろになって発見したような科学的事実に関する知識を反映しています。(レビ記 13:46,52; 15:4-13。民数記 19:11-20。申命記 23:12,13)次の点を考えてください。古代イスラエルに与えられた法が,同時代の諸国民の知っていたところをはるかに超える知識と知恵を反映していたのはどうしてでしょうか。それらの法は創造者を源としていた,という点に納得のゆく答えがあります。
それらの法は,それぞれの家族の系譜を保たせると共に,約束された胤の出現までの間イスラエル人が遵守すべき宗教上の務めを明記していました。神の求めた事柄はすべて行なうと同意したことによって,民はその律法にそって生きるべき責任を負いました。(申命記 27:26; 30:17-20)確かに,民はその律法を完全には守れませんでした。しかし,その事自体にも,益となる面がありました。後代に法律の専門研究者であった人は,その律法が『違犯を明らかにし,約束のなされた胤が到来する時にまで及ぶ』ものであったと説明しています。(ガラテア 3:19,24)ですから,その律法典はイスラエルを他と分かたれた民とし,約束の胤つまりメシアの必要を銘記させて,それを迎え入れる用意をさせました。
イスラエル人はシナイ山のふもとに集まり,神の律法典に従って生きることに同意しました。こうして民は,聖書が契約と呼ぶもの,つまり一種の協定のもとに置かれました。この契約は神とその国民との間で結ばれたものです。その民は進んで契約に入りましたが,うなじのこわさを幾度も示しました。例えば,金の子牛をこしらえて,それを自分たちの神の表象であるとしました。これを行なうのは罪でした。偶像崇拝はあからさまに十戒に反していたからです。(出エジプト記 20:4-6)さらに彼らは,備えられた物資に不平を述べ,神の任命した指導者(モーセ)に背き,偶像を拝む異国の女性たちとの不道徳な関係に身をゆだねました。しかし,モーセの時代から遠く離れたわたしたちにとって,これらの事にどんな興味があるのでしょうか。
これも単なる古代の歴史ではありません。感謝に欠けたイスラエルの行動と神の側の対応についての聖書の記述は,神が真に気づかいをされる方であることを示しています。聖書は,イスラエル人が「繰り返し」エホバを試し,エホバに「痛みを覚え」させ,「痛みを与えた」と記しています。(詩編 78:40,41)ですから,創造者には感情があり,人間の行なう事柄に気づかいを持たれるという点をはっきり理解できます。
わたしたちの観点からすれば,神はイスラエルの悪行ゆえに契約を終了させ,自分の約束を果たすため別の国民を選ぶのではないかとも思えるかもしれません。しかし,そうはされませんでした。甚だしい悪行者に処罰を科しつつも,全体的にはその気まぐれな国民に憐れみをかけました。そうです,神は,忠実な友であったアブラハムに対する約束を忠節に守られました。
ほどなくしてイスラエルはカナンに近づきました。それは,聖書が約束の地と呼んでいる所です。そこには,勢力のある幾つもの民が,道徳的に堕落した習俗につかって暮らしていました。創造者はそれらの民に干渉することなく,それまで400年の経過を許されました。しかし今,正当なこととして,その地を古代のイスラエルに引き渡そうとされました。(創世記 15:16。この本の132,133ページの「ねたむ神 ― どのような意味で?」もご覧ください。)そのための準備として,モーセは12人の斥候をその地に遣わしました。そのうちの10人は,エホバの救いの力に対する信仰の不足を表わしました。その人たちの行なった報告は,民に影響して神に対してつぶやかせ,エジプトに戻ろうとする陰謀にまでなりました。そのため神は,その民が40年のあいだ荒野をさまようことになると宣告しました。―民数記 14:1-4,26-34。
この裁断によって何がなされたでしょうか。モーセは死ぬ前,エホバがイスラエルの子らを謙遜にならせた年月のことを忘れないようにと,民に訓戒しました。モーセはこう述べました。「あなたが自分の心でよく知るとおり,あなたの神エホバは,人が自分の子を正すようにしてあなたを正しておられたのである」。(申命記 8:1-5)民が侮辱的な行動を取ったにもかかわらず,エホバはずっとその民を支え,民がエホバに依存していることを現実に示されました。例えば,民が生き延びられたのは,エホバがその国民にマナを供給されたからでした。それは,蜜いりの菓子のような味のする食べ物でした。確かに彼らは荒野での経験から多くを学ぶべきでした。それは,憐れみ深いその神に従い,神に依り頼むことの大切さを十分示したはずです。―出エジプト記 16:13-16,31; 34:6,7。
モーセの死後,神はヨシュアを任じてイスラエルの指導に当たらせました。この勇敢で忠節な男子がその国民をカナンに導き入れ,土地の平定に取りかかりました。ヨシュアは31人の王を撃ち破り,約束の地の大半を配下に収めました。この躍動の歴史は,ヨシュア記でお読みになることができます。
人間の王がいない時代の統治
荒野にとどまっていた間,そして約束の地に入って間もない時期,その国民はモーセを,次いでヨシュアを指導者としていました。イスラエルの民に人間の王は必要ではありませんでした。エホバが民の主権者だったからです。神は,任命を受けた年長者たちが都市の城門のところで法的な事件を審理する取り決めを設けました。それら年長者たちが秩序を保ち,民を霊的に助けました。(申命記 16:18; 21:18-20)ルツ記は,そのような年長者たちが,申命記 25章7節から9節の律法にしたがって,法的な事件をどのように扱ったかについて,興味あふれる一面をのぞかせてくれます。
多年にわたり,その国民は何度も神に背き,カナン人の神々に走ってはしばしば神の不興を招きました。それでも,民が窮境に陥ってエホバに助けを叫び求めると,神は彼らについて思い返されました。イスラエルを自由にならせるため,裁き人を起こしてその先頭に立たせ,圧迫する近隣の民から救出させました。裁き人の書(士師記)は,これら勇気ある裁き人のうち12人について,その功業を生き生きと描いています。―裁き人 2:11-19。ネヘミヤ 9:27。
記録はこう述べています。「そのころイスラエルに王はいなかった。自分の目に正しく見えるところを各自が行なっていたのである」。(裁き人 21:25)その国民には,律法に明示された規範がありました。ですから,年長者たちの助けや祭司たちからの諭しを受けつつ『自分の目に正しく見えるところを行ない』,それによって着実に歩んでゆくための基礎がありました。また,その律法典には,幕屋つまり移動式の神殿に関する規定があり,そこで各種の犠牲がささげられていました。それが真の崇拝の中心となり,その時期の国民を一つに結び合わせていました。
第二部 ― 王たちのもとでの繁栄
サムエルがイスラエルの裁き人であった時,民は人間の王を求めました。初めの3人の王,サウル,ダビデ,ソロモンは,それぞれ40年ずつ,西暦前1117年から997年まで統治しました。イスラエルは富と栄光の絶頂に達し,創造者は,やがて来る約束の胤の,王としての統治に備える重要な段階を踏まれました。
裁き人また預言者として,サムエルはイスラエルの霊的な福祉をよく顧みましたが,息子たちはそうではありませんでした。やがて民はサムエルに,「どうか今,諸国民すべてのように,私たちを裁く王を私たちのために立ててください」と要求しました。エホバは,その要求が何を意味するかをサムエルに説明して,「民……の声に聴き従いなさい。彼らが退けたのはあなたではない。彼らは,わたしが彼らの王であることを退けたからである」と言われました。エホバは,こうした進展の悲しむべき結末を予見しておられました。(サムエル第一 8:1-9)それでも,民の要求に応じて,サウルという名の慎みある人物をイスラエルの王として指名しました。当初は前途有望に見えたのですが,サウルは王になると,気ままな傾向を表わして神の命令を踏み越えました。神の預言者は,王権がエホバの意向に添う人に与えられることを告げました。この事は,創造者が心からの従順をどれほど重視されるかをわたしたちに銘記させるはずです。―サムエル第一 15:22,23。
イスラエルの次の王となることになったダビデは,ユダ部族に属する一家族の最年少の息子でした。この思いもよらない人選について,神はサムエルに,「人は目に見えるものを見るが,エホバは心がどうかを見る」と告げました。(サムエル第一 16:7)創造者が,外見ではなく,人の内面をご覧になるというのは励みとなる点ではないでしょうか。しかし,サウルは別の考え方をしていました。エホバがダビデを将来の王として選んだ時から,サウルは強迫観念に取り付かれ,ダビデを亡き者にしようとする思いに駆り立てられました。エホバはそれを許さず,サウルとその息子たちはついに,フィリスティア人と呼ばれた好戦的な民との戦闘で死にました。
ダビデはヘブロン市で王としての支配を開始しました。その後,エルサレムを攻略して,そこに都を移しました。ダビデはイスラエルの領地をさらに拡張し,神がアブラハムの子孫に与えると約束した土地の境界いっぱいにまで広げました。この時期(ならびに,その後の王たちの歴史)については,聖書の六つの歴史書の中で読むことができます。b これらの書は,ダビデの生涯が問題のないものではなかったことを示しています。例えば,人間的な欲望に屈して美しいバテ・シバと姦淫を犯し,その罪を覆うためにさらに悪行を重ねました。公正の神として,エホバはダビデの誤りをただ見過ごすことはできませんでした。しかし,ダビデの心からの悔い改めのゆえに,神は律法の刑罰が厳密に適用されることは求めませんでした。それでもダビデは,自分の罪の結果として,家族内に多くの問題をかかえることになりました。
そうした数々の難局を通して,ダビデは神を人格的な存在,つまり実際の感情を持つ方として知るようになりました。ダビデはこう書きました。『エホバは,ご自分を呼び求めるすべての者の近くにおられます。助けを求めるその叫びを聞いてくださいます』。(詩編 145:18-20)ダビデの誠実さと献身的な態度とは,ダビデの作った幾つもの美しい歌の中にはっきり表現されており,それは詩編のほぼ半分を占めています。この詩集からは,無数の人々が慰めと励みを得てきました。詩編 139編1節から4節で,ダビデがいかに神を身近に感じていたか見てください。「エホバよ,あなたはわたしをくまなく探られました。あなたはわたしを知っておられます。あなたご自身がわたしの座ることも立ち上がることも知るようになり,遠くからわたしの考えを考慮されました。……わたしの舌に言葉が上る前から,ご覧ください,エホバよ,あなたは既にそれをすべてご存じなのです」。
ダビデはとりわけ神の救いの力を感じていました。(詩編 20:6; 28:9; 34:7,9; 37:39)それを体験するたびに,エホバに対するダビデの信頼は厚くなりました。その軌跡は,詩編 30編5節,62編8節,103編9節などに見ることができます。あるいは,詩編 51編をお読みになってください。それは,ダビデがバテ・シバとの罪を戒められた後に書いたものです。わたしたちは自分の思うところをいつでも創造者の前に言い表わすことができるのです。何とさわやかなことではないでしょうか。神が尊大ではなく,進んで謙遜に耳を傾けてくださることを確信してよいのです。(詩編 18:35; 69:33; 86:1-8)ダビデはただ体験を通してのみそのような認識を持つようになった訳ではありません。「わたしは……あなたのすべての働きを思い巡らしました。わたしは自ら進んであなたのみ手の業に思いを留めました」と書いています。―詩編 63:6; 143:5。
エホバは,永遠の王国のための特別な契約をダビデと結びました。ダビデはその契約の意味を十分には理解していなかったことでしょう。しかし,その後に聖書に記された細かな点からすると,神は約束の胤がダビデの家系から来ることを示しておられたことが分かります。―サムエル第二 7:16。
賢王ソロモンと人生の意味
ダビデの子ソロモンは豊かな知恵で知られた人でした。非常に実際的な書物である箴言と伝道の書cを読むことによって,わたしたちもその益にあずかれます。(列王第一 10:23-25)とりわけ伝道の書は,賢王ソロモンと同じように人生の意味を探求する人にとって有益です。王族に生まれ育った最初のイスラエル人の王として,ソロモンには洋々たる前途が開けていました。数々の壮大な建築事業も手がけ,その食卓にはとりどりの食物が美しく並び,音楽を楽しみ,優れた朋友に恵まれました。それでも,ソロモンはこう書いています。「わたし自身,自分の手の行なったすべての業と,成し遂げようとして自ら骨折って働いたその骨折りを振り返って見たが,見よ,すべてはむなし……かった」。(伝道の書 2:3-9,11)これは何を言おうとするものでしたか。
ソロモンはこう記しています。「すべてのことが聞かれたいま,事の結論はこうである。まことの神を恐れ,そのおきてを守れ。それが人の務めのすべてだからである。まことの神はあらゆる業をすべての隠された事柄に関連して,それが善いか悪いかを裁かれるからである」。(伝道の書 12:13,14)この言葉に沿うこととして,ソロモンは壮麗な神殿を建築する7年がかりの事業に携わりました。それは,民が神を崇拝するための場所でした。―列王第一 6章。
多年にわたり,ソロモンの治世は平和と豊かさで際立っていました。(列王第一 4:20-25)それでもソロモンの心は,ダビデの場合ほどにエホバに対して全きものではありませんでした。ソロモンは異国の妻を多くめとり,誘われるままに,それら妻たちの神々に心を傾けるようになりました。ついにエホバはこう言われました。『わたしは必ず王国をあなたから裂き取る。わたしの僕ダビデのため,またエルサレムのために,一つの部族を,わたしはあなたの子に与えるであろう』― 列王第一 11:4,11-13。
第三部 ― 分かたれた王国
西暦前997年にソロモンが死んだ後,北の十の部族は離反してゆきました。それら十部族はイスラエル王国を構成しましたが,西暦前740年,アッシリア人に征服されました。エルサレムの王たちは残る二つの部族を治めました。このユダ王国は,西暦前607年にバビロニア人がエルサレムを征服して,その住民を捕虜として連れ去るまで存続しました。その後ユダは70年のあいだ荒廃したままでした。
ソロモンが死んだ時,その子レハベアムが権力を執り,民の生活を厳しいものにしました。これは反抗を誘い,十部族は離反して,イスラエル王国となりました。(列王第一 12:1-4,16-20)長年にわたり,この北王国はまことの神には付き従いませんでした。その民は幾たびも金の子牛の偶像の前にひざをかがめ,あるいは他のかたちの偽りの崇拝に陥りました。歴代の王の中には暗殺された者たちもおり,王朝は簒奪者により幾たびも覆されました。エホバは多大の堪忍を働かせ,何度も預言者を遣わして,背教にとどまるならば前途の悲劇を避けられないことをその国民に警告させました。ホセア書とアモス書は,おもにこの北王国への音信を伝えた預言者によって書かれました。ついに西暦前740年,神の預言者たちが予告した悲劇はアッシリア人によってもたらされました。
南では,ダビデ王家の19人の王が,西暦前607年まで,相次いでユダを治めました。アサ,エホシャファト,ヒゼキヤ,ヨシヤなどの王たちは,父祖ダビデのような支配を行なって,エホバの恵みを受けました。(列王第一 15:9-11。列王第二 18:1-7; 22:1,2。歴代第二 17:1-6)これらの王の治世に,エホバはその国民に祝福を与えました。「イングリッシュマンズ批判解説聖書百科」(The Englishman's Critical and Expository Bible Cyclopædia)はこう述べています。「ユダにとって大きな安定要素となったのは,神によってそこに設けられた神殿,祭司職,書き記された律法,また唯一まことの神エホバを真の神権的な王として認めていたことであった。……このように律法を守ろうとしたことは……王たちの順当な継承となり,賢明で善良な君主が幾人も出た。……こうしてユダは,人口がもっと多かった北の姉妹国よりも長く続いた」。これら善良な王がいたとはいえ,ダビデの道を歩まなかった王たちの数のほうが上回りました。それでもエホバは物事を動かして,『み名をそこに置くため,神自らのために選んだ都市エルサレムで,その僕ダビデが神の前にいつも一つのともしびを保つ』ことができるようにされました。―列王第一 11:36。
滅びに向かう
マナセは真の崇拝から離れたユダの王たちの一人でした。「彼は自分の息子に火の中を通らせ,魔術を行ない,兆しを求め,霊媒や出来事の職業的な予告者たちを任じた。彼はエホバの目に悪いことを大規模に行なって,神を怒らせた」と記されています。(列王第二 21:6,16)マナセ王は民をたぶらかして,「エホバが……滅ぼし尽くされた諸国民よりももっと悪いことを行なわせ」ました。マナセとその民に繰り返し警告を与えた後,創造者は,「人が柄のない鉢をすっかりぬぐ(う)ように,わたしはまさしくエルサレムをぬぐい去る」と言明されました。―歴代第二 33:9,10。列王第二 21:10-13。
エホバはひとつの前ぶれとして,アッシリア人がマナセを捕らえ,銅の足かせをかけてとりこにして連れ去るのを許しました。(歴代第二 33:11)流刑の地にあって,マナセは本心に立ち返り,「父祖たちの神のゆえに大いにへりくだ(り)」ました。エホバはどう応じましたか。「[神は]恵みを求めるその願いを聞いて,彼をエルサレムに,その王位に復帰させられた。こうして,マナセはエホバこそまことの神であることを知るようになった」と記されています。マナセ王も,その孫のヨシヤ王も,必要な改革を実行しました。とはいえその国は,道徳および宗教面での大々的な退廃からの恒久的な立ち直りは果たせませんでした。―歴代第二 33:1-20; 34:1–35:25。列王第二 22章。
意味深い点として,エホバは熱心な預言者たちを遣わして,そのような状況をご自分がどのように見ているかを宣明させました。d エレミヤはエホバの言葉をこう伝えました。「あなた方の父祖たちがエジプトの地を出た日から今日に至るまで……わたしはあなた方に預言者であるわたしのすべての僕を遣わしつづけた。毎日早く起きては彼らを遣わした」。しかし,民は神に耳を傾けず,父祖たちにもましてよこしまに行動したのです。(エレミヤ 7:25,26)神は彼らに繰り返し警告を与えました。「その民……に同情を覚えられたから」です。それでも,彼らはこたえ応じようとしませんでした。そのため神は,西暦前607年,バビロニア人がエルサレムを壊滅させ,その地を荒廃させるのを許しました。70年の間,その地は見捨てられたままになりました。―歴代第二 36:15,16。エレミヤ 25:4-11。
神の行動についてのこの短い考察は,その民に対するエホバの配慮と公正な取り扱いを認識する助けになるはずです。エホバは引きこもってはおられませんでした。さながら無関心でもあるかのように,民の行なう事をただじっと見ているということはされませんでした。民を助けようと積極的に行動されました。イザヤが次のように述べた理由を理解できるはずです。「エホバよ,あなたはわたしたちの父です。……わたしたちは皆,あなたのみ手の業なのです」。(イザヤ 64:8)今日の多くの人々も,創造者を「父」と呼びます。創造者は,愛をこめて関心を払う人間の父親がするようにして物事に対応されるからです。同時に神は,わたしたちを,自分の歩みとその結果に責任を持つべきものとしておられます。
その国民がバビロンで70年にわたる捕囚を経験したのち,エホバ神は,エルサレムを元どおりにするというご自分の預言を果たされました。民は解放され,自分たちの故国に戻ることを許されました。それは,『エルサレムにあったエホバの家を再び建てる』ためでした。(エズラ 1:1-4。イザヤ 44:24–45:7)聖書の幾つもの書eが,この回復と神殿の再建,またその後の出来事を扱っています。その一つであるダニエル書にはとりわけ興味深いものがあります。約束の胤であるメシアが厳密にいつ登場するかを預言し,また,わたしたちの時代の世界的な物事の展開をも予告していたからです。
神殿はついに再建されましたが,エルサレムは哀れな状況にありました。その城壁や城門は崩れたままでした。そのため神は,例えばネヘミヤを起こして,ユダヤ人を励まし,組織させました。ネヘミヤ記の9章に記された祈りは,イスラエル人に対するエホバの取り計らいをよく要約しています。それはエホバについて,『許すことをなさる神,慈しみ深くて憐れみ深く,怒るのに遅くて愛ある親切に富んでおられる』と述べています。その祈りは,エホバがご自身の完全な公正の規準にしたがって行動されることも示しています。その力を行使して裁きを執行すべきもっともな理由のある時にも,愛をもって公正を和らげようとされます。平衡を取りつつ実に見事なかたちでこれを行なうには知恵が求められます。確かに,イスラエル国民に対する創造者の取り扱い方は,わたしたちを創造者に引き寄せ,そのご意志を行ないたいという動機を抱かせるはずです。
聖書のこの部分(旧約聖書)が終わる時点で見ると,ユダはエルサレムの神殿も含めて復興していたとはいえ,なおも異教の支配下にありました。では,神がダビデと結ばれた,「永久に」支配を行なう「胤」に関する契約はどのようにして果たされるのでしょうか。(詩編 89:3,4; 132:11,12)ユダヤ人は依然,「指導者であるメシア」の登場を待望していました。そのメシアは,神の民を解放して,地上に神権的な(神の支配する)王国を確立してくれるものとみなされました。(ダニエル 9:24,25)しかし,それがエホバの目的でしょうか。もしそうでないとすれば,約束のメシアはどのように救出をもたらすのでしょうか。それは,今日のわたしたちにどのように影響するでしょうか。次の章では,これらの重要な点を考察します。
[脚注]
a 聖書の各書の名称は太字にして,その書の内容を確かめやすいようにしてあります。
b その六つとは,サムエル記第一,サムエル記第二,列王記第一,列王記第二,歴代誌第一,歴代誌第二です。
c ソロモンは,身分の低い羊飼いに対する若い女性の忠節を描いた愛の詩である,ソロモンの歌も書きました。
d 聖書の幾つもの書が,霊感によるそのような預言的音信を収めています。その中には,イザヤ書,エレミヤ書,哀歌,エゼキエル書,ヨエル書,ミカ書,ハバクク書,ゼパニヤ書があります。オバデヤ書,ヨナ書,ナホム書は,神の民に影響する行動を取った周辺諸国民のことを述べています。
e それら歴史と預言の書としては,エズラ記,ネヘミヤ記,エステル記,ハガイ書,ゼカリヤ書,マラキ書があります。
[126,127ページの囲み記事]
奇跡 ― 信じることができますか
「電気や無線を使い,現代の内科および外科医療の数々の発見の恩恵に浴しながら,同時に,霊たちや奇跡を論じる新約聖書の世界を信じることはできない」。ドイツの神学者ルードルフ・ブルトマンのこの言葉は,今日の多くの人の持つ奇跡に対する見方を反映しています。神が紅海を分けたことなど,聖書に記録されている奇跡について,あなたもそのように感じておられるでしょうか。
コンサイス・オックスフォード辞典(The Concise Oxford Dictionary)は,「奇跡」(miracle)を,「何らかの超自然的動因に帰せられる通常とは異なる物事」と定義しています。そうした通常と異なる物事には自然の秩序に逆らうような事柄がかかわっているために,多くの人は奇跡を信じようとしません。しかし,自然の法則に反するように見える事柄も,関係する他の自然の法則に照らして見れば,容易に説明できることがあります。
その例として,ニュー・サイエンティスト誌(New Scientist)の伝えたところによると,東京大学の二人の物理学者は,半ば水を満たした水平の管に,きわめて強い磁場をかけました。水は勢いよく管の両端に寄り,真ん中に水のない部分ができました。1994年に発見されたこの現象は,水にわずかながら反磁性的な性質があり,磁石に反発するために起きます。磁場の非常に強いところから弱いところへと水が移動する,この確認された現象は「モーゼ効果」と呼ばれています。ニュー・サイエンティスト誌はこう述べていました。「水を周辺に押しやるのは簡単である。それに見合うだけの磁石があればよい。それがあるなら,どんな事も可能である」。
もちろん,神がイスラエル人のために紅海を分けた際にどんな仕組みが用いられたかについてだれもはっきりとは言えません。しかし創造者は,自然界のすべての法則を細大もらさず知っておられます。自分の創始した法則の一つを用いて別の法則の幾つかの面を容易に制御することがおできになるはずです。その結果は,人間にとっては奇跡に思えることでしょう。関係している法則を十分に把握していない場合にはとりわけそう見えるでしょう。
聖書の中の奇跡について,京都大学の山田 晶名誉教授は次のように述べています。「自分のたずさわっている科学の立場からすれば(あるいは,科学の現状からすれば),そのこと[奇跡]はまだ分らないというのは正しいが,現代の進歩した物理学によれば,とか現代の進歩した聖書学の研究によれば,とかいうことを権威にふりかざして,それは存在しないと断定するのは正しくない。現代の科学もあと10年すれば過去の科学となり,10年前の科学者は本気でこんなことを考えていたなどと笑い話にされることは,科学の進歩が速ければ速いほど起りうることだからである」―「科学時代の神々」。
エホバは,創造者として自然のすべての法則を連携させることができ,その力を働かせて奇跡を行なうことができます。
[132,133ページの囲み記事]
ねたむ神 ― どのような意味で?
「エホバは,その名をねたむといい,ねたむ神だからである」。出エジプト記 34章14節にこのように述べられています。しかし,これはどのような意味でしょうか。
「ねたむ」と訳されているヘブライ語には,「全き専心を要求し,対抗するものをいっさい容認しない」という意味もあります。創造物の益という積極的な意味において,エホバはご自身の名と崇拝に関してねたみのような熱情を抱かれます。(エゼキエル 39:25)み名に表わされていることをそのとおりに行なおうとされるエホバの熱心は,人間に対する神の目的を遂行する力となるのです。
一つの例として,カナンの地に住んでいた民に対する裁きについて考えてください。ひとりの学者は次のような衝撃的な描写をしています。「バアル,アシュトレテ,その他カナン人の神々の崇拝は,甚だしく度を過ごしたお祭り騒ぎであった。彼らの神殿は悪徳の中心地であった。……カナン人は……不道徳行為にふけることにより,またその後,自分たちの長子をそれら同じ神々への犠牲として殺害することにより礼拝を行なった」。考古学者たちは,いけにえにされた子供たちの遺骨の入った壺を発見しています。神はアブラハムの時代にカナン人のとがに注目されましたが,400年にわたって辛抱を示し,変化のための時間を十分に与えました。―創世記 15:16。
カナン人は自分たちのとがの重大さを意識していましたか。彼らにも人間として良心の機能があったのです。法学者たちは,それが人間にとって道徳心と正義感の普遍的な土台となっていることを認めています。(ローマ 2:12-15)にもかかわらず,カナン人は嫌悪すべき子供の人身御供を続け,低劣をきわめた性の習俗を離れませんでした。
エホバは平衡の取れた公正感覚のうちに,その土地を清めるべきものと見定められました。これは,民族虐殺ではありませんでした。カナン人は,ラハブのように個人としても,またギベオン人の場合などのように集団全体としても,それぞれ自発的に神の高い道徳規準を受け入れて,生き長らえる機会がありました。(ヨシュア 6:25; 9:3-15)ラハブはメシアへと続く王統の系譜上の人となり,ギベオン人の子孫はエホバの神殿で奉仕する特権にあずかりました。―ヨシュア 9:27。エズラ 8:20。マタイ 1:1,5-16。
ですから,事実に基づいて全体像をはっきり見ようとするとき,エホバがたたえるべき公正の神であり,忠実な被造物にも益となる良い意味で,ねたみの情を持たれる,ということが理解しやすくなります。
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偉大な教え手は創造者をさらに明確に示すあなたのことを気づかう創造者がおられますか
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第9章
偉大な教え手は創造者をさらに明確に示す
1世紀のパレスチナの人々は「待ち設けて」いました。何をでしたか。「キリスト」を,つまり,神の預言者たちが幾世紀も前から予告していた「メシア」を待っていたのです。人々は,聖書が神の導きのもとに記されたこと,そして将来を前もって示すものを含んでいることを確信していました。その一つとして,ダニエル書は,メシアがその世紀の早い時期に到来することをあらかじめ示していました。―ルカ 3:15。ダニエル 9:24-26。
とはいえ,注意深くしていなければなりませんでした。メシアを自称する人たちも出て来るからです。(マタイ 24:5)ユダヤ人の歴史家ヨセフスは,その例を幾人か挙げています。例えばチウダは,追随者たちを率いてヨルダン川に行き,そこの水が二つに分かれるであろうと唱えました。また,エジプトから来た一人の男は,人々をオリーブ山に連れて行き,エルサレムの城壁は自分の命令のとおりに崩れるであろうと主張しました。さらに,総督フェストの時代のある詐欺師は,種々の苦悩からの安息を約束しました。―使徒 5:36; 21:38と比較してください。
これらに惑わされて従った人たちの場合とは異なり,「クリスチャン」と呼ばれるようになった人々は,ナザレのイエスを偉大な教え手,また真のメシアとして認めるようになりました。(使徒 11:26。マルコ 10:47)イエスは決してメシアを詐称する者ではありませんでした。その立場を明確に証しするものを備えていました。それは,福音書と呼ばれる四つの歴史記録の中で余すところなく確証されているとおりです。a 例えば,ユダヤ人は,メシアがベツレヘムで生まれること,ダビデの家系の者であること,数々のくすしい業を行なうであろうことを知っていました。イエスはそのすべてにかなっていました。それは,敵対した人々からの証言によってさえ裏付けられています。そうです,イエスは聖書が述べるメシアの資格条件を満たしていました。―マタイ 2:3-6; 22:41-45。ヨハネ 7:31,42。
非常に大勢の人々がイエスにじかに会い,その抜きんでた業を見,比類のない知恵の言葉を聞き,またその先見の明を認めて,これこそメシアであると確信するようになりました。その宣教奉仕の期間(西暦29年-33年)に,イエスがメシアである証拠はさらに増し加わりました。現にイエスは,ただメシアであっただけではありませんでした。事実によく通じた弟子の判断したとおり,『イエスは神の子キリスト』でした。b ―ヨハネ 20:31。
イエスは神に対してそのように緊密な関係にあったため,創造者がどのような方かを説明し,また啓示することができました。(ルカ 10:22。ヨハネ 1:18)イエスは,み父とのその緊密な関係が天において始まったものであることを証言しました。そこにおいてイエスは,神と共に働いて,有生無生の他のすべてのものを存在に至らせたのです。―ヨハネ 3:13; 6:38; 8:23,42; 13:3。コロサイ 1:15,16。
聖書は,このみ子が霊の領域から移されて,『人のような様になった』ことを伝えています。(フィリピ 2:5-8)これは確かに通常の事ではありませんが,はたして起き得ることなのでしょうか。科学者たちは,ウランなど自然界の元素を別の物質に変換し得ることを確証しています。物質がエネルギーに転換された場合の,その結果についての計算もなされています。(E=mc2)したがって,霊の被造物が変えられ,ひとりの人間として生きるようになったと聖書が述べていることを疑うべき理由があるでしょうか。
これを別の例で説明しましょう。一部の医師たちが体外受精で行なっている事柄について考えてください。“試験管”の中で始まった生命が女性の体内に移されて,後に赤ちゃんとして生まれてきます。イエスの場合,聖書は,「至高者の力」によってその命がマリアという名の処女の体内に移し入れられたと述べています。マリアはダビデの家系の人でした。こうしてイエスは,ダビデに約束されたメシア王国の永久の相続者となることができました。―ルカ 1:26-38; 3:23-38。マタイ 1:23。
創造者とのこうした親密な関係を持つ者,また創造者とよく似た面のある者として,イエスは,「わたしを見た者は,父をも見たのです」と語りました。(ヨハネ 14:9)また,こうも語りました。「父がどのような方であるかは,子と子がすすんで啓示する者をほかにすれば,だれも知りません」。(ルカ 10:22)ですから,イエスが地上で何を教え,何を行なったかを学んでゆくことによって,創造者の性格をいっそう明確に知ることができます。イエスに接した人間男女の経験を取り上げながら,この点を考えましょう。
サマリア人の女性
「もしやこれがキリストではないでしょうか」。サマリア人の一女性は,イエスとしばらく会話をしてこのように思いました。(ヨハネ 4:29)この女性は,近くのスカルの町のほかの人たちをも促してイエスに会いに来させました。彼女に,イエスをメシアとして受け入れさせたものは何だったのでしょうか。
この女性がイエスに出会ったのは,イエスがサマリア丘陵の土ぼこりの道を昼までずっと歩いたあと,しばらく休んでいる時のことでした。イエスは疲れてはいましたが,その人と言葉を交わしました。その霊的な関心が鋭いのを見たイエスは,「霊と真理をもって父を崇拝する」べきことを中心に,真理の深遠な点を話しました。さらにイエスは,ご自分がまさしくキリストであることも明らかにしました。それは,イエスがまだ公には表明していない事柄でした。―ヨハネ 4:3-26。
このサマリア人の女性にとって,イエスとの出会いはきわめて意義深い経験でした。彼女のそれまでの宗教活動はゲリジム山での礼拝が中心で,それは聖書の最初の五つの書だけに基づくものでした。ユダヤ人はサマリア人を遠ざけていました。サマリア人の多くは,イスラエルの十部族と他の諸民族との混血の子孫であったためです。しかし,イエスは何と違っているのでしょう。進んでこのサマリア人に教え,しかも,「イスラエルの家の失われた羊」のところに行く任務を帯びていたのにそうされたのです。(マタイ 15:24)ここでイエスは,どの国民でも誠実な人を受け入れようとするエホバの態度を反映していました。(列王第一 8:41-43)そうです,イエスもエホバも共に,今日の世界に染み込んでいる,狭量な宗教的敵対心を超越しています。この点を知ると,創造者とそのみ子に引き寄せられるはずです。
イエスがこの女性に教えようとされたことから学べる点がほかにもあります。その時この女性は,夫ではない男性と生活していました。(ヨハネ 4:16-19)それでもイエスは,そのことのために話しかけるのを控えたりはしませんでした。尊厳をもって扱われたのをこの女性がうれしく感じたであろうことを理解できるでしょう。しかし,このような事は決して彼女だけの経験ではありませんでした。ユダヤ人の指導者のある人々(パリサイ人)から,悔い改めている罪人たちと一緒に食事をしているとして批判された時,イエスはこう答えました。「健康な人に医者は必要でなく,病んでいる人に必要なのです。それで,『わたしは憐れみを望み,犠牲を望まない』とはどういうことなのか,行って学んできなさい。わたしは,義人たちではなく,罪人たちを招くために来たのです」。(マタイ 9:10-13)イエスは,神の律法や規準に対する違反という罪の重荷のもとでうめいていた人たちに助けを差し伸べたのです。神とそのみ子は,過去の行動のために問題を持っている人々を助けようとされます。この点を知るのはほんとうに心温まることではないでしょうか。―マタイ 11:28-30。c
サマリアでのこの出来事のさい,イエスが女性に対して,相手を助けようとする親切な態度で話しかけた点を見落とさないようにしましょう。なぜそれは意味あることだったのでしょうか。当時のユダヤ人男性は,ちまたで女性に話しかけることは,たとえ妻に対してであっても控えるようにと教えられていました。ユダヤ教のラビたちは,女性が霊的に深い教訓を取り入れられるとは考えず,女性を「思いの軽薄なもの」とみなしていました。一部の人々は,「律法の言葉は,女たちに伝えるよりは燃やしてしまったほうがましである」とまで言いました。イエスの弟子たちはそのような風土の中で育っていました。そのため,弟子たちはその場に戻って来たとき,「イエスが女と話しておられたので不思議に思うようになった」と記されています。(ヨハネ 4:27)ここで取り上げたような記述はほかにも多くありますが,イエスが,男性と女性を創造して,そのどちらにも誉れを配されたみ父の像を反映した方であることをよく示しています。―創世記 2:18。
後にそのサマリア人の女性は,同じ町の人たちに説いてイエスの語ることを聴かせました。多くの人は事実を調べて信者になり,「この人こそ確かに世の救い主だということが分かる」と言うようになりました。(ヨハネ 4:39-42)わたしたちはその人類の「世」の一部です。ですから,イエスはわたしたちの将来にとってもきわめて重要なのです。
漁師の見たもの
次に,親しい関係にあったふたりの人,ペテロとヨハネの目を通してイエスを見ることにしましょう。二人は普通の漁師で,早い時期からイエスの追随者となっていました。(マタイ 4:13-22。ヨハネ 1:35-42)パリサイ人たちは二人を「無学な普通の人」とみなし,地の民(アム ハーアーレツ)と見ていました。それは,ラビたちのような学校教育を受けていないために見下げられていた人々でした。(使徒 4:13。ヨハネ 7:49)そのような人たちの多くが,宗教的伝統主義者の負わせたくびきのもとで「労苦し,荷を負って」いて,霊的な啓発を請い求めていました。ソルボンヌ大学のシャルル・ギニュベール教授は,「彼らの心はもっぱらヤーウェ[エホバ]のものであった」と述べています。イエスは,富裕な,あるいは有力な人々を手厚く迎えて,これら目立たない人たちに背を向けるというようなことはしませんでした。むしろ,教えと人に対する接し方とを通して,それらの人たちにみ父を啓示しました。―マタイ 11:25-28。
ペテロは,人のことを気づかうイエスの態度にじかに接しました。イエスの宣教に同行するようになってまもなく,ペテロのしゅうとめが熱病にかかりました。イエスがペテロの家に来て,彼女の手を取ると,熱は引きました! どのような方法でこれが治ったのか厳密には分からないでしょう。今日の医師たちも,治癒の過程を十分には説明できないことがあります。いずれにせよ,この婦人の熱は下がりました。いやしの手法がどうであったかを知るより大切なのは,イエスが病で苦しんでいる人たちを治して,哀れみの気持ちを実際に示したことです。イエスは真に人々を助けようとしました。み父も同じです。(マルコ 1:29-31,40-43; 6:34)ペテロはイエスとの経験を通して,創造者が一人一人を大切にして気づかいを示すべきものとみなされることを理解できました。―ペテロ第一 5:7。
それより後のある時,イエスはエルサレムで,神殿内の婦人の中庭にいて,人々が宝物庫の箱に寄付を入れているのを見ていました。富んだ人たちが沢山の硬貨を入れていました。じっと注意を払ったイエスは,貧しいやもめが価のごくわずかな硬貨二枚を入れるのを見ました。イエスは,ペテロとヨハネおよび他の弟子たちにこう言いました。「あなた方に真実に言いますが,この貧しいやもめは,宝物庫の箱にお金を入れているあの人たち全部よりたくさん入れたのです。彼らはみな自分の余っている中から入れましたが,彼女は,その乏しい中から,自分の持つもの全部,その暮らしのもとをそっくり入れたからです」― マルコ 12:41-44。
こうして分かるように,イエスは人々の良いところを見ようとし,各人の努力を評価しました。これはペテロや他の使徒たちにどんな感化を与えたと思われますか。ペテロは,イエスの模範からエホバがどのような方かを見きわめ,後に詩編から次のように引用しました。「エホバの目は義にかなった者たちの上にあり,その耳は彼らの祈願に向けられる」。(ペテロ第一 3:12。詩編 34:15,16)創造者とそのみ子は,あなたの良いところを見つけようとし,あなたの嘆願に耳を傾けられます。わたしたちはこのような方たちに引き寄せられるのではないでしょうか。
イエスと親しく接して2年ほどした時,ペテロは,このイエスこそメシアであると確信するようになりました。ある時,イエスは弟子たちに,「人々はわたしのことをだれだと言っていますか」と尋ねました。いろいろな答えが出されました。そこでイエスは尋ねました,「だが,あなた方は,わたしのことをだれであると言いますか」。ペテロは確信をこめて,「あなたはキリストです」と返答しました。イエスがそれに続いて行なったことは不思議に思えるかもしれません。そのことについて「だれにも告げないようにと彼らに厳重に言い渡された」のです。(マルコ 8:27-30; 9:30。マタイ 12:16)どうしてそのように言われたのでしょうか。その時イエスは人々のただ中にいました。ですから,人々が世間の評判だけで判断することを望まなかったのです。それは,もっともなことではないでしょうか。(ヨハネ 10:24-26)つまり,創造者もまた,わたしたちがしっかりした証拠を自分で調べて神を見いだすようにと望んでおられます。事実に基づいた確信を持つようにと期待しておられるのです。―使徒 17:27。
想像できることですが,創造者からの後ろ盾のしるしがイエスに豊富に与えられているのを見ても,そのイエスを受け入れない人々が,同国人の中にもいました。多くの人は,自分の地位や政治的な目標にとらわれる余り,この誠実でへりくだったメシアを,自分たちの好みに合わないもののように感じました。イエスは宣教活動の終わりごろにこう語りました。「エルサレム,預言者たちを殺し,自分に遣わされた人々を石打ちにする者よ ― わたしは幾たびあなたの子供たちを集めたいと思ったことでしょう。……しかし,あなた方はそれを望みませんでした。見よ,あなた方の家はあなた方のもとに見捨てられています」。(マタイ 23:37,38)この国民のこうした状況の変化は,すべての国の人々に祝福を得させる神の目的を実現する上で,一つの重要な段階を画するものとなりました。
そのすぐ後,ペテロとほかの3人の使徒は,イエスが「事物の体制の終結」について細部に及ぶ預言をするのを聞きました。d イエスが予告した事柄は,西暦66年から70年にかけての,エルサレムに対するローマの攻撃と同市の滅亡の時期に最初の成就を見ました。歴史は,イエスがあらかじめ述べた事柄が生じたことを裏書きしています。ペテロは,イエスが予告した点の多くがそのとおりに起きるのを目撃しました。そのことは,ペテロが記した二つの書,つまりペテロの第一の手紙とペテロの第二の手紙に表われています。―ペテロ第一 1:13; 4:7; 5:7,8。ペテロ第二 3:1-3,11,12。
宣教期間中,イエスは自分の周囲に来るユダヤ人に辛抱づよく,親切に接しました。しかし,悪を糾弾する点ではひるみませんでした。これはペテロにとって,創造者をさらに深く理解する助けになりました。わたしたちにとっても助けになるはずです。イエスの預言が他の面でも成就してゆくのを見たペテロは,クリスチャンが「エホバの日の臨在を……しっかりと思いに留め」ているようにと書きました。ペテロはさらに,「エホバはご自分の約束に関し,ある人々が遅さについて考えるような意味で遅いのではありません。むしろ,ひとりも滅ぼされることなく,すべての者が悔い改めに至ることを望まれるので,あなた方に対して辛抱しておられるのです」と述べました。次いでペテロは,『義の宿る新しい天と新しい地』について励みの言葉を与えています。(ペテロ第二 3:3-13)わたしたちはペテロと同じように,イエスのうちに反映された神の特質を正しく認識し,将来に対する神の約束に信頼を表明するでしょうか。
イエスが死んだのはなぜか
使徒たちと過ごした最後の夜,イエスは特別の食事を共にしました。そのような食事のさい,主人役となるユダヤ人は,歓待のしるしとして客の足を洗うのが普通でした。土ぼこりの道をサンダルで歩いてきた人もいるからです。ところが,イエスに対してだれもこれを行なおうとしていませんでした。そこでイエスは謙遜にも身を起こし,たらいとふき布を取って,使徒たちの足を洗い始めました。自分の番になった時,ペテロはそのような奉仕をイエスにしてもらうことを恥ずかしく感じました。ペテロは言いました,「わたしの足をお洗いになることなど,決してあってはなりません」。「わたしが洗わないなら,あなたはわたしと何の関係もありません」とイエスは応じました。イエスは,自分がまもなく死ぬことを知っていました。それで,さらにこう言われました。「それで,わたしが,主また師でありながらあなた方の足を洗ったのであれば,あなた方も互いに足を洗い合うべきです。わたしはあなた方のために模範を示しました。あなた方も,わたしがあなた方にしたと同じようにするためです」。―ヨハネ 13:5-17。
その時から何十年かのち,ペテロはイエスに見倣うべきことをクリスチャンに促しました。足を洗う儀式を行なうことではなく,他の人に「威張る」ことなく謙遜に仕え合うことによってです。ペテロがもう一つ気づいたことがありました。イエスの模範は,「神はごう慢な者に敵対し,謙遜な者に過分のご親切を施される」ことの例証でした。創造者について何とすばらしい教訓でしょう。(ペテロ第一 5:1-5。詩編 18:35)しかし,ペテロが学んだのはそれだけではありません。
その最後の食事のあとでしたが,使徒でありながら盗人となっていたユダ・イスカリオテは,イエスを捕縛しようとする一群の武装集団を先導してきました。彼らがまさにイエスを捕らえようとした時,ペテロはとっさに対応しました。剣を抜いて,暴徒のひとりに切りかかったのです。イエスは,「あなたの剣を元の所に納めなさい。すべて剣を取る者は剣によって滅びるのです」と言ってペテロを正しました。ペテロが見ていると,イエスは傷を負ったその男に触れていやしました。(マタイ 26:47-52。ルカ 22:49-51)明らかにイエスは,「敵を愛しつづけ」なさいという,自らの教えのとおりに行動していました。それは,「邪悪な者の上にも善良な者の上にもご自分の太陽を昇らせ,義なる者の上にも不義なる者の上にも雨を降らせてくださる」み父に倣うことでした。―マタイ 5:44,45。
その張りつめた夜,イエスはユダヤの高等法廷で,にわか仕立ての審理を受けました。虚偽の告訴で冒とくの罪を着せられ,ローマ総督のもとに引き立てられ,不当にも処刑のために渡されました。ユダヤ人もローマ人もイエスを嘲弄しました。非道にあしらわれ,ついには杭に付けられました。そうした虐待の多くは,幾世紀も前に書かれた預言のとおりでした。苦しみの杭の上のイエスを見守っていた兵士たちも,「確かにこれは神の子であった」と認めました。―マタイ 26:57–27:54。ヨハネ 18:12–19:37。
こうした成り行きはペテロや他の者たちに,『なぜキリストは死ななければならなかったのか』と考えさせたことでしょう。それが理解できたのはしばらくたってからの事でした。一つの点として,これらの出来事はイザヤ 53章の預言の成就でした。それは,キリストがユダヤ人だけでなく全人類のために解放をもたらすことを示していました。ペテロはこう書いています。「杭の上でわたしたちの罪をご自身の体に負い,わたしたちが罪を断ち,義に対して生きるようにしてくださったのです。そして,『彼の打ち傷によってあなた方はいやされました』」。(ペテロ第一 2:21-25)イエスは自分について,「人の子(は),仕えてもらうためではなく,むしろ仕え,自分の魂を,多くの人と引き換える贖いとして与えるために来た」と語っておられましたが,ペテロはこの真理の意味をとらえました。(マタイ 20:28)そうです,イエスは,人類を,アダムから受け継いだ罪の状態から買い戻すために,完全な人間としての自分の命の権利をなげうたねばならなかったのです。これが,聖書の基本的な教理である贖いです。
この贖いとはどういうことでしょうか。このように考えることができるでしょう。あなたがコンピューターを持っておられて,その電子ファイルの一つが損なわれてしまったとしましょう。他の面では完全なプログラムであったのに,だれかが入れてしまった何かの誤り(あるいは,ウイルス)のために,それは損なわれてしまいました。これは,アダムが故意に神に背いた,つまり罪をおかした結果がどのようになったかの例えです。この例えをさらに続けましょう。損なわれた電子ファイルからどれだけコピーを作っても,コピーはすべてその影響を受けています。しかし,すべてが失われたわけではありません。特別なプログラムを持ってきて,異常の元となった誤りを見つけ出し,あなたのファイルやコンピューターの中からそれを除くことができます。同じように人間も,“ウイルス”のような罪をアダムとエバから受け継いでいるので,それをぬぐい去るには外からの助けが必要です。(ローマ 5:12)聖書によると,神はイエスの死を通してこのような清めのための用意をされました。それは,愛のこもった備えであり,わたしたちはその益にあずかることができるのです。―コリント第一 15:22。
イエスの行なわれたことを正しく認識したペテロは,「肉体における自分の残りの時を,もはや人間の欲望のためにではなく,神のご意志に関して生きる」よう思い定めました。ペテロにとってもわたしたちにとっても,これは堕落した習慣や不道徳な生き方を避ける,ということです。「神のご意志」を行なおうと努める人を他の人たちが妨げようとすることもあるかもしれません。それでもその人は,自分の生活がより実り多く,より意義深いものになってゆくのを知るでしょう。(ペテロ第一 4:1-3,7-10,15,16)ペテロの場合にはそうでした。『善を行ないつつ,自分の魂,すなわち自分の命を忠実な創造者にゆだねて』ゆくにつれ,わたしたちもそのようにすることができます。―ペテロ第一 4:19。
愛を知った弟子
使徒ヨハネもイエスと身近に接した弟子であり,そのために,わたしたちが創造者についてより深く理解する助けとなってくれます。ヨハネは福音書のほかに,3通の手紙を書きました。(ヨハネの第一の手紙,第二の手紙,第三の手紙)そのうちの一つの手紙の中で,次のような洞察を差し伸べています。「わたしたちは,神のみ子が来て,真実な方[創造者]について知ることができるよう,わたしたちに知的な能力を与えてくださったことを知っています。そしてわたしたちは,み子イエス・キリストによって,真実な方と結ばれています。この方こそまことの神であり,永遠の命です」― ヨハネ第一 5:20。
ヨハネが「真実な方」について知ったのは,「知的な能力」を働かせたためでした。ヨハネは創造者の特質についてどんなものを識別したのでしょうか。「神は愛であり,愛にとどまっている者は神とずっと結ばれて(いる)」とヨハネは書いています。ヨハネはどうしてこのことを確信できましたか。「愛はこの点,わたしたちが神を愛してきたというよりは,神がわたしたちを愛し,ご自分のみ子を……遣わして」,わたしたちのための贖いの犠牲を備えてくださったということです。(ヨハネ第一 4:10,16)ペテロと同じように,ヨハネも,わたしたちのために死ぬようみ子を遣わされたことに示されている神の愛に心を動かされました。
イエスと非常に近しい関係にあったヨハネは,イエスの情感を敏感に察知できました。エルサレム近郊のベタニヤでのある出来事は,ヨハネの印象に刻み込まれました。友人ラザロが重い病気になっているとの知らせを受けたイエスは,ベタニヤに赴きました。イエスと使徒たちが到着するまでに,ラザロは死んで少なくとも四日はたっていました。ヨハネは,人間の命の源である創造者がイエスの後ろ盾となっておられることを知っていました。では,イエスはラザロを復活させることができるでしょうか。(ルカ 7:11-17; 8:41,42,49-56)イエスはラザロの姉妹マルタに,「あなたの兄弟はよみがえります」と言われます。―ヨハネ 11:1-23。
その時ヨハネは,ラザロのもうひとりの姉妹マリアがイエスを出迎えに来るのを見ました。イエスはどのように対応されるでしょうか。イエスは「霊においてうめき,また苦しみを覚えられ」ました。イエスの反応を描写するためにヨハネが用いたのは,心の中から絞り出すような深い情感を指すギリシャ語(日本語で『うめく』と訳されている)です。ヨハネは,イエスが「苦しみ」を,もしくは内面の動揺また非常な悲しみを覚えているのを見ました。イエスは,無感動でも無関心でもありませんでした。「涙を流された」のです。(ヨハネ 11:30-37)明らかにイエスは,優しさのこもった深い感情を持ち,そのことはヨハネにとって創造者の感情を知る助けになりました。わたしたちにとっても同じように助けになるはずです。
ヨハネは,イエスの情感が積極的な行動へと結びついているのを知りました。イエスが,「ラザロよ,さあ,出て来なさい!」と叫ぶのを聞いたのです。そして,そのとおりの事が起きました。ラザロは生き返り,墓の中から出て来たのです。ラザロの姉妹たちにとって,またそれを見ていた他の人たちにとっても,何と大きな喜びとなったのでしょう。その時,多くの人がイエスに信仰を持ちました。敵対していた人々さえ,イエスがこの復活の奇跡を行なったことは否定できませんでした。ところが,その事が知れ渡ってゆくと,それらの人々は,イエスばかりか,「ラザロをも殺そうと相談した」のです。―ヨハネ 11:43; 12:9-11。
聖書は,イエスのことを『創造者の存在そのものの厳密な描出』と表現しています。(ヘブライ 1:3)ここで見たとおり,イエスの宣教奉仕には,病気と死のもたらす破壊のつめあとを除き去ろうとする,イエス自身の,またみ父の強い願いがよく表われています。しかもこの事は,聖書に記録されている数例の復活にとどまるものではありません。事実ヨハネは,「記念の墓の中にいる者がみな,[神の子]の声を聞いて出て来る時が来ようとしている」とイエスが言われるのを,その場にいて聞きました。(ヨハネ 5:28,29)墓を指す通常の語ではなく,「記念の墓」と訳される語をここでヨハネが用いている点に注目してください。これはなぜでしょうか。
神の記憶が関係しているのです。確かに,広大な宇宙の創造者は,死んだわたしたちの愛する人たち一人一人について,生まれつき受け継いだりその後に身に着けたりした特性も含め,細かな点をことごとく覚えることができます。(イザヤ 40:26と比較してください。)しかも,単に覚えることができるというだけではありません。創造者もみ子も,そうすることを望んでおられるのです。壮大な復活の見込みについて,忠信の人ヨブは神にこう述べました。「もし,強健な人が死ねば,また生きられるでしょうか。……あなた[エホバ]は呼んでくださり,私はあなたに答えます。ご自分のみ手の業をあなたは慕われます」。(ヨブ 14:14,15。マルコ 1:40-42)何とすばらしい創造者なのでしょう。まさしくわたしたちの崇拝すべき方です。
復活したイエス ― 意義ある人生のためのかぎ
愛された弟子ヨハネは,イエスの死に至るまでをつぶさに見守りました。それだけではありません。ヨハネは,かつて起きた中で最大の復活についても記録しています。それは,わたしたちがずっといつまでも意義ある人生を送るための強固な基盤となる事柄でした。
敵対した人々は,イエスを杭に釘づけにして,普通の犯罪者のごとくに処刑させました。宗教指導者も含め,それを傍観した人々は,何時間も苦しみにさらされているイエスをあざけりました。イエスは,杭の上で苦もんしながらも自分の母を目にし,ヨハネを指してその母に,「婦人よ,見なさい,あなたの子です!」と言いました。そのころまでに,マリアはやもめになっていたものと思われますが,ほかの子供たちはまだ弟子となってはいませんでした。e そのためイエスは,老いてゆく自分の母の世話を弟子のヨハネに託しました。これも,やもめや孤児の立場にある人々を顧みるように励ます創造者の考え方を反映するものでした。―ヨハネ 7:5; 19:12-30。マルコ 15:16-39。ヤコブ 1:27。
しかし,死んだのであれば,イエスはどのようにして「胤」の役割を担い,その胤を通して『地のすべての国の民が必ず自らを祝福する』ことができるのでしょうか。(創世記 22:18)西暦33年4月のその日午後の死をもって,イエスは自らの命を贖いのための基礎として差し出しました。イエスのみ父は明敏な感覚の方であり,罪のないみ子の苦もんに痛みを覚えられたに違いありません。しかしこのようにして,人類を罪と死の束縛から自由にするために必要な贖いの代価が備えられました。(ヨハネ 3:16。ヨハネ第一 1:7)壮大な最終楽章<フィナーレ>のためのステージが整えられました。
イエス・キリストは神の目的の進展において中心的な役割を果たします。そのため,どうしても生命に復帰しなければなりませんでした。まさしくそのとおりになり,ヨハネはそれを目撃しました。イエスの死と埋葬の日から数えて三日目の朝早く,幾人かの弟子たちは墓に行きました。来てみると,それは空になっていました。弟子たちはどういう事なのか分かりませんでした。やがてイエスがいろいろな人たちに現われました。マリア・マグダレネは,「わたしは主を見ました!」と報告しました。弟子たちはその証言を受け入れませんでした。後に弟子たちが部屋の中から錠をかけて集まっていると,そこへイエスが再び現われ,弟子たちと言葉も交わしました。日ならずして,500人を超える男女が,確かにイエスは生きているということの目撃証人となりました。その時代にいて何か疑念を感じる人がいたなら,それら信頼できる証人たちに会って尋ね,その証言の真実性を自分で確かめることができました。クリスチャンとしては,イエスが復活したこと,そして創造者と同じような霊者として生きていることを本当に確信できたのです。このことの証拠があふれるほどあり,確実であったからこそ,多くの人々はたとえ死に直面しようとも,イエスの復活を否定しませんでした。―ヨハネ 20:1-29。ルカ 24:46-48。コリント第一 15:3-8。f
使徒ヨハネも,イエスの復活について証言したゆえに迫害を忍ばなければならなかった人のひとりです。(啓示 1:9)しかし,流刑の身にあった時に,思いもよらない報いを受けました。イエスはヨハネに一連の幻を与えたのです。それは,創造者についてわたしたちにさらに明確に示すと共に,将来の物事を啓示するものでした。その内容は啓示の書(黙示録)でご覧になれます。そこには,多くの象徴表現が用いられています。イエス・キリストはその中で,勝利の王,また敵対者に対する征服をやがて完了する方として描かれています。その敵の中には死(わたしたちすべての敵でもある),および堕落した霊の被造物であるサタンも含まれています。―啓示 6:1,2; 12:7-9; 19:19–20:3,13,14。
自分の受けた黙示的な音信の終わり近くで,ヨハネは,全地が楽園<パラダイス>となる時の幻を見ました。一つの声が聞こえ,その時に行き渡る状態を次のように描き出しました。「神みずから[人]と共におられるであろう。また神は彼らの目からすべての涙をぬぐい去ってくださり,もはや死はなく,嘆きも叫びも苦痛ももはやない。以前のものは過ぎ去ったのである」。(啓示 21:3,4)神の目的が進展するにつれ,神がアブラハムに約束した事柄は果たされてゆきます。―創世記 12:3; 18:18。
その時,人の命は「真の命」,つまり創造当初のアダムの前に置かれた命に匹敵するものとなります。(テモテ第一 6:19)人間はもはや創造者を見いだそうと,また自分と神との関係を知ろうと模索することはありません。しかし,『それはいつ到来するのか。悪と苦しみが今日まで続くことを,気づかいの深い創造者が許してこられたのはどうしてか』と問われる方もおられるでしょう。それらの点は次の章で取り上げます。
[脚注]
a マタイ,マルコ,ヨハネは目撃証人でした。ルカは文書や直接の証言を学究的に調べました。これらの人たちの記した福音書は,正直で,正確で,信頼できる記録としての明確な特徴を備えています。―ものみの塔聖書冊子協会発行の「すべての人のための書物」,16,17ページをご覧ください。
b コーラン(英語訳)はこう述べています。「その名はキリスト・イエス,マリアの子,この世で誉れを与えられ,また後の世でも」。(スーラ 3:45)イエスは人間としてはマリアの子でした。しかし,だれがその父でしたか。コーランにはこう述べられています。「神の前でのイエスは,神の前でのアダムと相似する」。(スーラ 3:59)聖書は,アダムを「神の子」としています。(ルカ 3:23,38)アダムにもイエスにも人間の父はいませんでした。どちらも,女性との性的関係から生まれたのではありません。ですからイエスは,アダムの場合と同じように神の子でした。
c イエスの態度は,詩編 103編やイザヤ 1章18節から20節に述べられているエホバの態度とも一致しています。
e そのうち少なくとも二人は後に弟子となり,聖書にある励ましの手紙,つまりヤコブの手紙とユダの手紙を書きました。
f ローマの一士官は,ペテロによる次のような目撃証言を聞きました。「あなた方は,……ユダヤ全体にわたって話題となった事柄を知っています。……神は三日目にこの方をよみがえらせ,さらに,彼が人々に明らかになることをお許しになりました。……この方は,民に宣べ伝えるように,そして,これが生きている者と死んでいる者との審判者として神に定められた者であることを徹底的に証しするようにと,わたしたちにお命じになりました」。―使徒 2:32; 3:15; 10:34-42。
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イエスがペテロのしゅうとめをいやしたことに関する並行記述を比較してごらんになるのは楽しいでしょう。(マタイ 8:14-17。マルコ 1:29-31。ルカ 4:38,39)医者であったルカは,医療上の細かな点を含めて,それが「高い熱」であったとしています。イエスがこのしゅうとめや他の人々を治せたのは何によるのでしょうか。ルカは,「[イエス]がいやしを行なうようにエホバの力がそこにあった」と書いています。―ルカ 5:17; 6:19; 9:43。
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これまでで最大の垂訓
引用されたある言葉の中で,ヒンズー教の指導者モハンダス・ガンジーは,その教えに従えば「全世界の問題をも解決することになる」と述べていました。著名な人類学者アシュレー・モンタギューは,心理学的に今日明らかにされている愛の重要性はひとえにこの垂訓の「正しさを裏付けている」と書きました。
これらの人たちは,イエスの山上の垂訓について述べていました。ガンジーは,「この垂訓の教えは,わたしたち一人一人みんなのためのものである」とも述べました。ハンス・ディータ・ベッツ教授は近年このように述べました。「山上の垂訓が及ぼす影響は,全般的に見て,ユダヤ教やキリスト教の枠を,さらには西欧文化の枠をはるかに超えている」。同教授はさらに,この垂訓には「特異なほど,あらゆる人に訴える力」がある,とも述べました。
比較的に短いながら,人を魅了してやまないこの講話をぜひお読みになってください。それは,マタイ 5章から7章,またルカ 6章20節から49節にあります。この最大の垂訓から学べる幾つかの点は以下のとおりです。
どうすれば幸福でいられるか ― マタイ 5:3-12。ルカ 6:20-23。
どのように自尊心を保てるか ― マタイ 5:14-16,37; 6:2-4,16-18。ルカ 6:43-45。
どうしたら対人関係を改善できるか ― マタイ 5:22-26,38-48; 7:1-5,12。ルカ 6:27-38,41,42。
結婚生活の問題をどうしたら減らせるか ― マタイ 5:27-32。
思い煩いにどのように対処できるか ― マタイ 6:25-34。
宗教上の欺きをどうしたら見分けられるか ― マタイ 6:5-8,16-18; 7:15-23。
人生の意義をどのように見いだせるか ― マタイ 6:9-13,19-24,33; 7:7-11,13,14,24-27。ルカ 6:46-49。
[159ページの囲み記事]
行動の人
イエス・キリストは,消極的な隠遁者ではありませんでした。いえ,むしろ,毅然とした行動の人でした。イエスは出かけて行って,「村々を巡回して教え」,「羊飼いのいない羊のように痛めつけられ,ほうり出されていた」人々を助けました。(マルコ 6:6。マタイ 9:36。ルカ 8:1)今日の多くの富裕な宗教指導者とは異なり,イエスは富を蓄えたりはしませんでした。イエスには『頭を横たえる所もありません』でした。―マタイ 8:20。
イエスは,霊的ないやしと,霊的な糧を与えることにもっぱら努力を集中したとはいえ,人々の身体面の必要も無視しませんでした。病気の人,体の不自由な人,悪霊につかれた人などを治しました。(マルコ 1:32-34)二度にわたり,話を聴こうとしていた幾千人もの人たちに食事をさせました。それは,その人たちに哀れみを感じたためでした。(マルコ 6:35-44; 8:1-8)イエスが奇跡を行なったのは,人々に対する心づかいを動機としてのことでした。―マルコ 1:40-42。
イエスが神殿から貪欲な商人たちを追い出した時,その行動は毅然としていました。それを見ていた人たちは,詩編作者の,「あなたの家に対する熱心がわたしを食い尽くすであろう」という言葉を思い出しました。(ヨハネ 2:14-17)偽善的な宗教指導者たちを糾弾した時にも,言葉を控えませんでした。(マタイ 23:1-39)政治的な要人たちを前にしても,圧力に屈するようなことはありませんでした。―マタイ 26:59-64。ヨハネ 18:33-37。
活動に満ちたイエスの宣教奉仕について読むと,胸の躍るものを感じることでしょう。初めてそうする人の中には,この行動の人についての,短いながら生彩に富んだマルコの記述から始める人が少なくありません。
[164ページの囲み記事]
イエスは人々を活動へと動かした
「使徒たちの活動」の書の中には,ペテロやヨハネまた他の人々がイエスの復活についてどのように証ししたかについての歴史の記録があります。この書のかなりの部分は,聡明な律法の学徒であったサウロ,つまりパウロをめぐる出来事を伝えています。この人は,一時はキリスト教に激しく反対した人でした。復活後のイエスがこのサウロに現われました。(使徒 9:1-16)イエスが天で生きておられることについて疑う余地のない証拠を得たパウロは,それ以後,その事実について,ユダヤ人にもユダヤ人でない人にも熱心に証ししました。哲学者や支配者たちもそれを聞きました。それら教育のある有力な人々にパウロが話した事柄の記録には心を動かすものがあります。―使徒 17:1-3,16-34; 26:1-29。
十数年ほどの間に,パウロは,一般に新約聖書と呼ばれるクリスチャン・ギリシャ語聖書の多くの書を書きました。たいていの聖書にはその内容を示す目次がありますが,パウロはそのうち,ローマ人への手紙からヘブライ人への手紙にいたる14の書を記しました。これらの書は,当時のクリスチャンに,深い真理と賢明な導きを伝えるものでした。しかしそれらは,使徒たち,またイエスの教えや活動や復活などに関する他の証人たちにじかに接することのできないわたしたちにとって,なおいっそう価値があります。あなたも,それらパウロの書いたものが,家族の生活に,仕事の仲間や近隣の人々との接し方に,また真に意義ある幸福な生き方をするために役立つものであることに気づかれるでしょう。
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