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『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
1 聖書はその著者をどのように明らかにしていますか。聖書はどんな知識を与えますか。
「聖書全体は神の霊感を受けたもので(す)」。テモテ第二 3章16節のこの言葉は,エホバという名を持たれる神が聖書の著者であり,それに霊感を与えた方であることを示しています。霊感を受けたこの聖書は,満足感を与える,何と喜ばしいものなのでしょう。真の知識の,何と驚くべき蓄えを備えているのでしょう。それはまさに,義を愛するあらゆる時代の人々が追い求め,宝とみなしてきた,「神についての知識」なのです。―箴言 2:5。
2 モーセ,ダビデ,ソロモンは神の知恵をどのように評価しましたか。
2 それら,知識を追い求めた人々の一人にモーセがいます。神の国民となったイスラエルの見える指導者であり,その組織者となったモーセは,神の諭しのことばについて,「露のように……[また]草に降る静かな雨,草木に降る豊潤な雨のように」さわやかなものと述べました。次いで,エホバのみ名のための勇敢な戦士であり,その擁護者であったダビデがいます。彼はこのように祈りました。「エホバよ,あなたの道をわたしに教え諭してください。わたしはあなたの真理によって歩みます」。平和なソロモンもいます。かつてこの地上に建てられた中で最も栄光ある建造物の一つである,エルサレムのエホバの家を建てたソロモンは,聖書の知恵に対する評価をこのような言葉で言い表わしました。「それを利得として得ることは銀を利得として得ることに勝り,それを産物として得ることは金そのものにも勝る。……それはさんごよりも貴重であり,あなたの他のすべての喜びもこれに及ばない」。―申命記 32:2。詩編 86:11。箴言 3:14,15。
3 イエス,そして神ご自身は,神の言葉にどんな価値を付しておられますか。
3 神のみ子イエスは,「あなたのみ言葉は真理です」と述べて,神のみ言葉を最も価値あるものとしました。イエスはご自分の追随者たちにこう言われました。「わたしの言葉のうちにとどまっているなら,あなた方はほんとうにわたしの弟子であり,また,真理を知り,真理はあなた方を自由にするでしょう」。(ヨハネ 17:17; 8:31,32)イエスがみ父から受けたこのみ言葉はまことに強力です。それは神のみ言葉です。死んで復活し,天におられるエホバの右に上られた後,イエスは,パラダイスとなる地上で人類に差し伸べられる神の数々の祝福に関する喜ばしい描写を含め,父のみ言葉をさらに啓示しました。そののち神は使徒ヨハネにこう諭しました。「書きなさい。これらの言葉は信頼できる真実なものだからである」。霊感を受けた聖書の中のすべての言葉は「信頼できる真実なもの」であり,これに注意を払う人々に計り知れない益を得させます。―啓示 21:5。
4 霊感を受けた聖書はどんなことのために有益ですか。
4 その益はどのようにしてもたらされるでしょうか。テモテ第二 3章16節と17節の使徒パウロのことばを終わりまで読むと,その答えが得られます。「聖書全体は神の霊感を受けたもので,教え,戒め,物事を正し,義にそって訓育するのに有益です。それは,神の人が十分な能力を備え,あらゆる良い業に対して全く整えられた者となるためです」。それで,霊感による聖書は,正しい教理と正しい行動を教え,わたしたちの思いと生活の中で物事を正し,わたしたちを戒めまた訓育して,真理と義にそって謙遜に歩ませるのに有益です。神のみ言葉の教えに服することによって,わたしたちは「神と共に働く者」となることができます。(コリント第一 3:9)『十分に能力を備え,全く整えられた神の人』として神のみ業に忙しく携わることに勝る特権は今日地上にありません。
信仰のための強固な土台
5 信仰とは何ですか。それはどのようにしてのみ得られますか。
5 神と共に働く者となるためには信仰が必要です。信仰は,今日非常に広く見られる,水で薄められたような軽信と混同すべきものではありません。党派的なものでも,進化論に根ざすものでも,哲学的なものでも,とにかく信念を持てばよいと考える人が多くいます。しかし,神の人は,「キリスト・イエスに関連した信仰と愛をもって……健全な言葉の型を常に保(た)」なければなりません。(テモテ第二 1:13)その信仰は生きた,現実のものでなければなりません。「信仰とは,望んでいる事柄に対する保証された期待であり,見えない実体についての明白な論証」であるからです。それは,神の存在と,神を喜ばせる人々に与えられる神からの報いに対する確信に根ざすものでなければなりません。(ヘブライ 11:1,6)このような信仰は,神のみ言葉である聖書を勤勉に研究することによってのみ得られます。それは,聖書と聖書の神エホバとそのみ子イエス・キリストに対する深い愛を基としています。主イエス・キリストはただ一人であり,すべてのものの神また父であられるエホバが一人であられるのと同じように,そのような生きた信仰もただ一つしか存在しません。―エフェソス 4:5,6。
6 真の信仰はどのようなものですか。
6 わたしたちは,神のみ言葉が何を述べているか,それがどこから来たか,またその権威と,目的と,義に向かわせるその力とについて知ることが必要です。そこに含まれる栄光ある音信の価値に対する認識が深まるにつれ,わたしたちは信仰を持つようになります。それだけではありません。わたしたちは聖書とその著者とを熱烈に愛するようになって,何ものもその信仰と愛を抑えることができないまでになります。信仰のための強固な土台となるのは,イエス・キリストの言われた言葉をも含む聖書です。真の信仰は試みや厳しい試練に,迫害に,また物質主義的な誘いや神を信じない社会の色々な哲学にも耐え抜きます。それは栄光ある勝利を収めて,神の義の新しい世にまで至ります。「わたしたちの信仰,これが世を征服する力となったものです」― ヨハネ第一 5:4。
7 聖書の知恵を見いだすことにはどんな報いが伴いますか。
7 信仰を得て,それをしっかり保つために,わたしたちは自分で努力して,神のみ言葉である,霊感を受けた聖書に対する愛と認識とを育てることが必要です。聖書は人類に対する神からの無比の賜物であり,霊的な宝の倉です。その知恵の深さは測り難く,啓発を与え,義に向かわせるその力は,これまでに書かれた他のどんな本にも勝っています。神のみ言葉の知識を得ようとして深く調べるにつれ,わたしたちは使徒パウロと同じようにこう叫ばずにはいられないでしょう。「ああ,神の富と知恵と知識の深さよ」。霊感を受けた聖書とその著者とを知ることは,とこしえの喜びのある快い道に入ることを意味しています。―ローマ 11:33。詩編 16:11。
エホバ ― 自分の意思を伝達される神
8 (イ)エホバがご自分の意思を伝達される神であることになぜ感謝すべきですか。(ロ)エホバは悪霊の神々とどのような点で対照的ですか。
8 エホバのみ名の栄光について語った際,ダビデはこう叫びました。「あなたは大いなる方であり,驚くべきことを行なっておられ(ます)。あなたが,ただあなただけが神なのです」。(詩編 86:10)エホバは地上の人類のために多くの「驚くべきこと」を行なってこられましたが,その一つは,ご自身のみ言葉を人類に伝達されたことです。そうです,エホバは意思を伝達される神,被造物の益のために愛をもってご自身を表現される神です。わたしたちの創造者が冷淡な支配者のような方ではなく,神秘に包まれて,義を愛する地上の人々の必要に何の反応も示さないような方でないのは,何と感謝すべきことなのでしょう。エホバは,来たるべき新しい世において行なわれるのと同じことを今すでに行なわれ,神に信仰と愛を働かせる人々と共に住まれます。その関係は,あれこれと尋ねる子供に優しい父親が良い事柄を伝えるかのようです。(啓示 21:3)わたしたちの天の父は,恐ろしい形をした,ものを言わない偶像に代理をしてもらわなければならない悪霊の神々のような方ではありません。石や金属の神々は,暗闇にとどまるその崇拝者たちに対して父親のような関係を持つことはありません。そのような神々は,その崇拝者たちに益となることを何一つ伝達することができません。そうです,「これを作る者たちは,まさしくこれと同じようになる」のです。―詩編 135:15-19。コリント第一 8:4-6。
9 上の領域におられる神からどのようなことが伝達されましたか。
9 エホバは,「憐れみと慈しみに富み,怒ることに遅く,愛ある親切と真実とに満ちる神」です。(出エジプト記 34:6)その満ちあふれる愛ある親切のゆえに,エホバは満ちあふれるほどの真理を人類に伝達されました。それはすべて人類の導きとなる健全な助言であり,人の歩む道を明るく照らして将来の祝福に至らせる預言を含んでいます。「以前に書かれた事柄は皆わたしたちの教えのために書かれたのであり,それは,わたしたちが忍耐と聖書からの慰めとによって希望を持つためです」。(ローマ 15:4)下の領域に住む人類を教え諭すために,上の領域から,すなわち天そのものから,信頼すべき事柄が伝達されたのです。―ヨハネ 8:23。
10 エホバはどんな国語で伝達を行なわれましたか。それはなぜでしたか。
10 エホバは人の知らない言葉で意思を伝達されたことはありません。いつも,人類の言語,ご自分の忠実な証人たちの話す生きた言葉を用いられました。(使徒 2:5-11)アダム,ノア,アブラハム,モーセ,またヘブライ人の預言者たちに対して,エホバは,人類の最初の言語,すなわち今日ヘブライ語として知られる言葉で話されました。ヘブライ語は,それが理解される言葉である限りずっと用い続けられました。ずっと後代の,タルソスのサウロの時にもそうであり,復活したイエスもその言語でサウロに話しかけました。(使徒 26:14)カルデア人の用いたアラム語が,流刑となっていたイスラエル人の間で通用するようになると,その時には幾らかの事柄がアラム語で神から伝達されました。民がその言語を理解するようになったからです。(エズラ 4:8-6:18; 7:12-26。ダニエル 2:4後-7:28)後に,ギリシャ語が国際的な言語となり,ご自分の証人たちの主要な言語になると,エホバからの伝達はその国語でなされて,保存されるようになりました。聖書の中に保存されたことばはエホバが伝達された事柄であり,真理を愛する地上の謙遜な人々の益のために,いつでも生きた国語で話されました。
11 エホバはすべての言語を作られた方であると言えるのはなぜですか。
11 知能を,そして数ある言語体系の一つ一つのために微細な差異を持つあらゆる音声を作り出す,舌や口やのどなどの発声器官を創造されたのはエホバです。したがって,すべての言語を形造った方はエホバであると言えるでしょう。人類の言語に対してエホバが持たれる権威は,バベルの塔で行なわれた奇跡によって実証されました。(出エジプト記 4:11。創世記 11:6-9; 10:5。コリント第一 13:1)どんな言語もエホバにとって聞き慣れないものはありません。エホバは初めのヘブライ語を人間に与えましたが,それだけでなく,知能および発声の器官を創造することによって,アラム語やギリシャ語,また人類が今日話す3,000ほどの言語すべてのための基礎を備えられたのです。
真理という言語
12,13 (イ)エホバはご自分の伝達される事柄をどのように理解しやすいものとされましたか。(ロ)例を挙げてください。
12 エホバがお用いになった人間の言語の体系がどんなものであったにせよ,いつの場合にも神は,宗教的な神秘主義ではなく,真理という言語によって意思を伝達されました。それは平明で,理解しやすい言語です。(ゼパニヤ 3:9)地的な人間は,三次元的な事柄,すなわち,高さと幅と長さを持ち,時の流れの中に設定される事柄は容易に理解できます。そのためエホバは,見えない事柄を,人間の知能が把握できる模型的な表象を用いて表現されました。例えば,神によって設計され,荒野でモーセによって建てられた幕屋があります。パウロは,霊感のもとに,その三次元的な象徴を用いて,天そのものにある,栄光ある実体について説明しています。―ヘブライ 8:5; 9:9。
13 別の例を挙げましょう。霊であられるエホバは,天で王座のようないすに実際に座っておられるわけではありません。それでも,見える実体によって拘束されるわたしたちただの人間のために,神はそのような見える象徴を用いてご自身を表現し,わたしたちに理解を得させようとしておられます。神が天廷において執務を開始される時,それはさながら地上の王が自分の王座に着いて執務を始めるのに似ているのです。―ダニエル 7:9-14。
容易に翻訳できる
14,15 聖書が,人間の哲学的な書物とは対照的に,他の国語に翻訳しやすいのはなぜですか。例を挙げて説明してください。
14 聖書はこのように実際的で,容易に理解できる用語で書かれたため,そこに記される象徴や種々の行動は,現代の大多数の言語に,明解かつ正確に翻訳することが可能です。真理の持つ元々の力と勢いはすべての翻訳の中に保存されています。「馬」,「戦争」,「冠」,「王座」,「夫」,「妻」,「子供」など,平明な日常語が,どんな言語でも正確な考えをはっきりと伝えます。これは,正確に翻訳することができない人間の哲学的書物と対照的です。後者の場合,その複雑な表現とばく然とした用語が,他の国語で精確に意味を伝え得ない場合が多いのです。
15 聖書の表現力ははるかに勝っています。不信者たちに裁きの音信を伝達する場合にさえ,神は哲学的な言語は用いず,むしろ日常的な表現による象徴を用いられました。そのことは,ダニエル 4章10節から12節によく示されています。その中で,自分に栄光を付す異教の王の王国は1本の木の象徴をもってかなり詳細に描写され,次いで,その木に関する処置によって,将来に起きる事柄が正確に予告されました。このすべては翻訳によって他の言語にはっきりと伝えることができます。こうしてエホバは,愛をもってご自分の意思を伝達され,「真の知識が満ちあふれる」ようにされました。これは,この「終わりの時」に預言を理解する点で何とすばらしい助けとなったのでしょう。―ダニエル 12:4。
伝達の道筋
16 エホバの伝達の経路はおおむねどのようになっていますか。
16 その伝達はどんな手段で行なわれたのか,と尋ねる方もおられるでしょう。それは現代的な例で説明できるでしょう。伝達の道筋には次のものがあります。(1)音信を発する者,つまり発信者,(2)送信者,(3)音信が送達される媒体,(4)受信者,(5)聞き手。電話による伝達の場合には次のものがあります。(1)伝達事項を発信する電話の使用者,(2)音信を電気信号に変える,電話の送話器,(3)電気信号を目的地に伝える電話線,(4)音信を,信号から音声に直す受話器,(5)聞き手。同様に,天においては,(1)エホバ神がご自身のことばを発信し,(2)次いで,多くの場合,神の公式の「言葉」つまり代弁者 ― 今ではイエス・キリストとして知られている方 ― がその音信を送達し,(3)活動する力であり,伝達の媒体として用いられる神の聖霊がそれを地上に伝え,(4)地上にいる神の預言者が音信を受け取り,(5)次いでその預言者が神の民の益のためにそれを言い広めます。重要な音信を伝えるために今日でも特使の遣わされる場合がありますが,同じようにエホバも,時には霊の使者であるみ使いたちを用いて,幾つかの伝達事項を天から地上の僕たちに伝えられました。―ガラテア 3:19。ヘブライ 2:2。
霊感の過程
17 ギリシャ語のどんな言葉が「神の霊感を受けた」と訳されていますか。その言葉の意味は霊感の過程を理解するのにどのように助けになりますか。
17 「神の霊感を受けた」という表現は,「神が息を吹き込んだ」という意味のギリシャ語「テオプネウストス」の翻訳です。(テモテ第二 3:16,最初の脚注をご覧ください。)神の活動する力である神ご自身の霊が忠実な人々に『吹き込まれ』,それがその人々を動かして聖書を編さんさせ,また書き記させました。この過程が霊感として知られているものです。霊感を与えられた預言者やエホバの他の忠実な僕たちは,その思いに,この活動する力による導きを受けました。このようにして彼らは神の意図しておられる事柄に関する映像を含む音信を受け,それらは彼らの思いの回路の中に固くとどめられました。「預言はどんな時にも人間の意志によってもたらされたものではなく,人が聖霊に導かれつつ,神によって語ったもの」なのです。―ペテロ第二 1:21。ヨハネ 20:21,22。
18 霊感による音信はそれを受ける人の脳裏にどのように深く刻まれましたか。
18 これら神の人が目ざめていて十分に意識を持っている場合でも,あるいは眠って夢を見ている場合でも,神の霊は,伝達の道筋の神の側の源から出て来る音信をしっかりと植え込みました。一度音信を受け止めると,次いでそれを言葉の形で他の人々にさらに伝えることは,その預言者の責任となりました。モーセその他の忠実な預言者たちは,復活して戻って来た時,自分たちが書き記して保存されてきた記録の正確さを確認できるに違いありません。再創造された,彼らの認識に富む思いは,初めに伝達された事柄を依然はっきりと記憶にとどめているに違いないからです。同じように使徒ペテロも,変ぼうの幻を極めて深く印象にとどめていたために,その荘厳さについて,30年以上後にも生き生きと書き記すことができました。―マタイ 17:1-9。ペテロ第二 1:16-21。
著者とその指
19 神の「指」とは何ですか。そのことはどんな聖句によって示されますか。
19 人間の著者はものを書くために指を用いてきました。古代においては,ペンや尖筆が,そして現代においては,ペンやタイプライターやコンピューターが使用されます。こうして指先を用いて生み出されたものは,その指の所有者の知能によって書き著わされたものとされます。あなたは,神が指を持っておられることをご存じでしたか。というのは,イエスは,神の霊のことを神の「指」と呼んでおられるからです。イエスが悪霊に取りつかれていたある人を治してその人が話す能力と視力とを取り戻した時,宗教上の敵たちは,イエスがその人を治したその方法について冒とく的なことばを述べました。マタイによると,イエスはその人々に対してこう言われました。「わたしが悪霊たちを追い出すのが神の霊によるのであれば,神の王国はほんとうにあなた方に及んだのです」。(マタイ 12:22,28)ルカは,それと似たような状況でイエスが述べた言葉を次のように引用して,わたしたちの理解を深めさせてくれます。「わたしが悪霊たちを追い出すのが神の指によるのであれば,神の王国はほんとうにあなた方に及んだのです」。(ルカ 11:20)それよりも前,エジプトの魔術を行なう祭司たちは,エジプトに下された災厄がエホバのはるかに勝った力の表明であることを思い知らされ,「これこそ神の指です!」と言いました。―出エジプト記 8:18,19。
20 神の「指」はどのように作用しましたか。どんな結果をもたらしましたか。
20 「指」という言葉のこうした使い方に照らしてみるとき,「神の指」には大きな力があること,そしてこの呼び方が聖書を書き記す際に用いられた神の霊の働きによく当てはまっていることが理解できます。それで聖書は,十のおきてが「神の指」によって2枚の石の書き板に書き記されたと述べています。(出エジプト記 31:18。申命記 9:10)神が人間を用いて聖書の色々な本を書かせた時にも,その象徴的な指である霊がそれらの人間の背後にあって導く力となりました。神の聖霊は目に見えませんが,驚嘆すべき方法で活動してきました。そして,目に見える有形の結果として,人類は貴重な賜物である神の真理の言葉,神の聖書を受けることができました。天からご自分の意思を伝達されるエホバ神が聖書の著者であられることに疑問の余地はありません。
霊感による収集が始まる
21 (イ)聖書を書くことはどのように始まりましたか。(ロ)その保存のためにエホバはどのようなものを備えられましたか。
21 既に見たとおり,エホバは「証の書き板二枚をモーセにお与えに」なりました。それは「神の指によって書き記された石の書き板」でした。(出エジプト記 31:18)こうして書かれたものが十のおきてです。そして,この文書が神のみ名エホバを正式に8回も提示しているのは興味深いことです。その同じ年である西暦前1513年,エホバは永久的な記録を作り始めるようにとモーセに命じました。こうして神聖な書物を書き記すことが始められました。(出エジプト記 17:14; 34:27)神はまた,「証の箱」すなわち「契約の箱」を造ることをモーセに命令しました。それは美しく製作された大きな箱であり,イスラエル人はその中に,神から伝達された事柄を記すこの極めて貴重なものを保存しておくことになっていました。(出エジプト記 25:10-22。列王第一 8:6,9)その箱,およびそれを入れておく幕屋の設計はエホバによって備えられました。そして工匠や建設者の長ベザレルは「知恵において,理解力と知識とあらゆる技能とにおいて神の霊」に満たされていましたが,それは神から与えられた型にしたがってその仕事を成し遂げるためでした。―出エジプト記 35:30-35。
22 (イ)霊感を受けた聖書の著者はどなたですか。それを書くのにどれほどの年月がかかりましたか。(ロ)聖書の共同筆者はどんな人々ですか。その人々についてどんなことが知られていますか。
22 ご自分の目的を知らせるに当たって,神は長期間にわたり,「多くの場合に,また多くの方法で」語られました。(ヘブライ 1:1)神のみ言葉を筆記した人々は,西暦前1513年から西暦98年ごろにわたって,すなわちおよそ1,610年をかけてそれを行ないました。唯一の著者であられるエホバ神は,これらの書記もしくは人間の秘書を合計40人ほどお用いになりました。これら共同の筆者は皆ヘブライ人であり,それゆえに「神の神聖な宣言を託された」国民に属する人々でした。(ローマ 3:2)そのうち8人はクリスチャンとなったユダヤ人であり,自ら接してイエスを知り,あるいはその使徒たちを通してイエスを知るようになった人々でした。彼らの時代よりも前に書かれた霊感による聖書は,メシアすなわちキリストの到来に関して証ししていました。(ペテロ第一 1:10,11)多くの階層から召されていましたが,モーセから使徒ヨハネに至るこれら地上の聖書筆者は皆,地上でエホバ神の主権を擁護し,その目的をふれ告げることに加わりました。彼らは,エホバのみ名により,その霊の力に導かれつつ書きました。―エレミヤ 2:2,4。エゼキエル 6:3。サムエル第二 23:2。使徒 1:16。啓示 1:10。
23 一部の聖書筆者は以前のどんな記録を用いましたか。それはどのようにして霊感を受けた聖書の一部となりましたか。
23 これらの筆者のうちの幾人かは,以前の筆者たちが目撃証人として書き残した文書から編さんしたものを自分の記録の中に含めています。それら以前の筆者たちは,そのすべてが霊感を受けていたというわけではありません。一例として,モーセは創世記の大部分をそのような目撃証人の記述に基づいて編さんしました。サムエルも裁き人の書を同じようにして書きました。エレミヤも列王記の第一と第二を編さんし,エズラも歴代誌の第一と第二をそのようにして書きました。聖霊がこれら編さん者たちを導いて,人間の古来の文書のうちのどの部分を取り入れるべきかを判断させ,こうしてそのような編さんが確かに信頼できるものとなるようにしました。そのようにして編さんされた時以来,それら古い文書から抜き出された部分は霊感を受けた聖書の一部となりました。―創世記 2:4; 5:1。列王第二 1:18。歴代第二 16:11。
24,25 (イ)歴史のどんな時期が聖書の中で扱われていますか。(ロ)12ページの表から興味深い点を幾つか挙げてください。
24 聖書の66冊の書はどのような順序でわたしたちに与えられたのでしょうか。それらは無限の時の流れのうちのどの部分のことを記しているのでしょうか。創世記の記述は,天と地がどのように創造され,地が人間の住みかとしてどのように整えられたかを述べた後,西暦前4026年における最初の人間の創造に始まる人間の歴史を取り上げています。以後この神聖な書物は,西暦前443年の少し後までの重要な出来事について叙述しています。次いで400年以上の中断の後,西暦前3年のことから再び記述が開始され,それは西暦98年ごろにまで至っています。こうして,歴史の観点から言えば,聖書の記述は4,123年間のことに及んでいます。
25 12ページの表は,聖書の筆者たちの背景や聖書のそれぞれの書がわたしたちに与えられた順序を理解するのに助けとなるでしょう。
神の真理の完全に整った「本」
26 どのような意味で聖書は完全に整った一冊の本ですか。
26 創世記から啓示の書までを集めた聖書は,その全体が,一人の至上の著者からの霊感を受けた,完全に整った一つの本,完全に整った一つの書庫を成しています。それは,二つの部分に分けて,一方が他方より価値が少ないかのようにみなすべきものではありません。ヘブライ語聖書とクリスチャン・ギリシャ語聖書とは相互に必須な部分をなしています。後者は前者を補って神の真理の完全に整った一つの本を作り上げています。聖書の66冊の書は,そのすべてが集まって,聖なる書物の一つの書庫を成しています。―ローマ 15:4。
27 「旧約聖書」また「新約聖書」という呼び方はなぜ適切ではありませんか。
27 記された神の言葉を二つの部分に分けて,創世記からマラキ書に至る第一の部分を「旧約<オールド・テスタメント>」,マタイから啓示の書に至る第二の部分を「新約<ニュー・テスタメント>」と呼ぶのは伝統的な誤りです。広く用いられてきたジェームズ王欽定訳は,コリント第二 3章14節で,「旧約を読む」ことについて述べていますが,ここで使徒は古代のヘブライ語聖書全体に言及しているのではありません。また,霊感を受けたクリスチャンの書物が「新約[新しい契約]」を成していると言っているのでもありません。使徒は,モーセによって五書<ペンタチューク>の中に記録され,クリスチャン時代以前の聖書の一部を成すにすぎない律法契約について述べているのです。そのようなわけで,次の節の中では,「モーセが読まれるとき」と言っています。ジェームズ王欽定訳の中に何度も出て来る「testament」(聖約,遺言)という言葉は,現代の大部分の翻訳の中では一貫して「covenant」(契約)と訳されています。―マタイ 26:28。コリント第二 3:6,14,新世界訳聖書,改訂標準訳,アメリカ標準訳。
28 聖書の預言に関してどんな保証が与えられていますか。
28 聖書の中に記録され,保存されてきた事柄は,みだりに変更すべきものではありません。(申命記 4:1,2。啓示 22:18,19)使徒パウロはその点についてこう書いています。「しかし,たとえわたしたちや天からのみ使いであろうと,わたしたちが良いたよりとして宣明した以上のことを良いたよりとしてあなた方に宣明するとすれば,その者はのろわれるべきです」。(ガラテア 1:8。ヨハネ 10:35もご覧ください。)エホバの預言の言葉はすべて必ず成就します。「わたしの口から出て行くわたしの言葉も,それと全く同じようになる。それは成果を収めずにわたしのもとに帰って来ることはない。それは必ずわたしの喜びとしたことを行ない,わたしがそれを送り出したことに関して確かな成功を収める」― イザヤ 55:11。
聖書を調べる
29 聖書の各書を順に調べつつ,導きとなるどんな情報がこの本の中で与えられていますか。
29 この本の以下のページでは,聖書の66冊の書が一つ一つ検討されています。それぞれの書の背景が説明され,その筆者,書かれた年代,またある場合にはそこで扱われている期間に関する情報が与えられています。その書が信頼の置ける書物であり,まさに,霊感を受けた聖書の一部であることを示す証拠も提出されています。そのような証拠は,イエス・キリストの言葉や,神の他の僕たちが霊感によって書き記したものの中に見いだされます。それぞれの書の信ぴょう性は,否定の余地のない聖書預言の成就や,その調和,正直さ,率直さなど,その書そのものの内部的な証拠によって示される場合も少なくありません。考古学上の発見や信頼できる世俗の歴史の中に裏付けとなる証拠の得られる場合もあります。
30 聖書の各書の内容はどのように提出されていますか。
30 各書の内容を論ずる際には,聖書の筆者が伝えようとした強力な音信を際立たせて,読者の心の中に,霊感を受けた聖書とその著者であられるエホバ神に対する深い愛を鼓舞し,こうして神の言葉の生きた音信の持つあらゆる実際性と調和と美しさに対する認識を高揚させることに努力が向けられています。各書の内容は節の初めに副見出しを付して示してあります。これは研究の際の便宜のためであり,それが聖書の各書の細分項目であると決めているわけではありません。各書はそれ自体が統一体であり,神の目的についての理解を得させる点で価値ある貢献をしています。
31 (イ)聖書の各書が有益であることを示すためにどんな情報が提出されていますか。(ロ)聖書の各書についての論議全体を通してどんな栄光ある主題が強調されていますか。
31 各書に関する結びでは,霊感を受けた聖書のその部分がなぜ,「教え,戒め,物事を正し,義にそって訓育するのに有益」であるかが論じられています。(テモテ第二 3:16)預言の成就が後代の聖書筆者の霊感を受けた証言によって示されている場合には,そのことが取り上げられています。どの場合にも,聖書の全体的な主題を発展させる上でその書がどのような位置を占めているかが示されています。聖書の述べていることは神話ではありません。それは人類に対する唯一の生きた音信を載せているのです。最初の書の創世記から最後の書の啓示の書に至るまで,霊感を受けた聖書は,ご自分の胤の治める王国によってご自身のみ名を神聖なものとするという,宇宙の創造者エホバ神の目的について証言しています。義を愛するすべての人のための栄光ある希望はそれにかかっているのです。―マタイ 12:18,21。
32 聖書に対する認識を高めるために他のどんな情報が与えられていますか。
32 聖書の66冊の書そのものについて検討した後,わたしたちは聖書の背景的な情報のために幾らかのページを割いています。それには,約束の土地の地理や,聖書中の出来事の年代を定めることや,聖書の翻訳,聖書の信ぴょう性に関する考古学その他裏付けとなる証拠の研究,聖書目録の検証なども含まれています。その部分には他の価値ある情報や幾つかの表も載せられています。そのすべては,今日地上にある最も実際的で有益な本としての聖書に対する認識を高めることを目的としています。
33 聖書をどのようなものと言うことができますか。それを研究することにはどんな益がありますか。
33 著者であられる神は人類に対して非常に多くのことを語られました。神は地上にいるご自分の子供たちのために行なわれた事柄の中で非常に深い愛と父親のような関心とを示されました。霊感を受けた文書の何とすばらしい収集を聖書の中に与えてくださったのでしょう。まさにこれは,比類のない宝,『神が息を吹き込まれた』情報の大々的な収蔵,その豊かさにおいても規模においても単なる人間の著作をはるかに上回るものとなっています。神の言葉の研究に専心することが『体の疲れ』となることはありません。むしろそれは,『永久に存続するエホバのことば』を知る人々にとこしえの益をもたらすのです。―伝道の書 12:12。ペテロ第一 1:24,25。
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研究1 ― 約束の地への訪問『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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霊感による聖書およびその背景に関する研究
研究1 ― 約束の地への訪問
その地の区分,自然の特徴,山や渓谷,河川や湖沼,気候,土壌,および多様な植物。
1 (イ)「約束の地」という名称はなぜ最も適切であると言えますか。(ロ)その地の地理を調べてみると,どんな輝かしい見込みが考えられますか。
古代の約束の地の境界線はエホバ神によって設けられました。(出エジプト記 23:31。民数記 34:1-12。ヨシュア 1:4)この地域は何世紀にもわたって,一部の人々により,パレスチナの地と呼ばれました。これはラテン語の「パレスティナ」とギリシャ語の「パライスティネ」から来た名称です。この後者の言葉はヘブライ語の「ペレシュト」に由来する語です。ヘブライ語聖書では,「ペレシュト」は「フィリスティア」と音訳されており,これは神の民の敵であったフィリスティア人の領地だけを指しています。(出エジプト記 15:14)しかし,エホバはこの地を忠実なアブラハムとその子孫に与えると約束されましたから,「約束した土地」,もしくは「約束の地」というのが最も適切な名称です。(創世記 15:18。申命記 9:27,28。ヘブライ 11:9)この地はその地勢上の多様性の点で著しいものがあり,その小さな地域の中に,地上全体にわたって見られる際立った特徴や極端な状態の多くが含まれています。もしエホバがご自分の昔の証人たちに,多種多様な麗しいものすべてに富む,このような約束の地を相続地として与えることがおできになったのであれば,エホバは確かに将来,ご自分の献身した崇拝者たちに喜びをもたらす,山や渓谷,河川や湖沼のある,全地にわたる,輝かしい新しい世のパラダイスをそれら崇拝者たちにお与えになることができるはずです。では,これから,想像上の訪問旅行をして,約束の地の地理的な特徴によく注意を払いましょう。a
全体の大きさ
2 ユダヤ人は約束の地のどれほどの部分に定住しましたか。それに加えて,どんな領土にも定住しましたか。
2 民数記 34章1節から12節に述べられている神によって定められた境界線に従えば,イスラエルに約束された土地は細長い区域となるはずでした。それは南北に約480㌔,幅は平均56㌔ほどになるはずでした。約束されたその地域全体が軍事的に占拠され,服従する多くの民族が支配下に置かれるようになったのは,ダビデ王やソロモン王の治世になってからのことでした。しかし,実際にユダヤ人が定住した部分は,普通,ダンからベエル・シェバに及ぶ,南北約240㌔の距離の土地とされています。(列王第一 4:25)カルメル山からガリラヤの海までこの国を横断する距離は51㌔ほどあります。地中海の海岸線が徐々に南西方向に湾曲している南部では,ガザから死海までは80㌔ほどあります。人々が定住したヨルダン河西のこの地域はわずかに1万5,000平方㌔余りしかありません。しかしイスラエル人はこれに加えて,ヨルダンの東の土地(最初に約束された境界線内には含まれていなかった土地)にも定住し,人々が定住した領土は全部でおよそ2万6,000平方㌔になりました。
自然区分
3 「約束の地の自然区分」と題する地図とこの節を用いて,この土地の次のような自然区分に含まれている地域を簡単に説明しなさい。(イ)ヨルダンの西の平原,(ロ)ヨルダンの西の山地,(ハ)ヨルダンの東の山岳地と台地。
3 約束の地へのこの訪問では,この国の次の自然区分にしたがって,その各々を訪ねることにいたします。下記の大要は,ここで論じられている地域の大体の境界線を示す添付の地図の記号を説明したものです。
地勢区分
イ. 大海の海岸 ― ヨシュア 15:12。
ロ. ヨルダンの西の平原
1. アシェルの平原 ― 裁き人 5:17。
2. ドルの細長い沿岸地帯 ― ヨシュア 12:23。
3. シャロンの沿岸平原 ― 歴代第一 27:29。ソロモンの歌 2:1。
4. フィリスティアの平原 ― 創世記 21:32。出エジプト記 13:17。
5. 中部東-西渓谷
イ. メギドの平原(エスドラエロン)― 歴代第二 35:22。
ロ. エズレルの低地平原 ― 裁き人 6:33。
ハ. ヨルダンの西の山地
1. ガリラヤの丘陵 ― ヨシュア 20:7。イザヤ 9:1。
2. カルメルの丘陵 ― 列王第一 18:19,20,42。
3. サマリアの丘陵 ― エレミヤ 31:5。アモス 3:9。
4. シェフェラ ― ヨシュア 11:2。裁き人 1:9。
5. ユダの丘陵地帯 ― ヨシュア 11:21。
6. ユダの荒野(エシモン)― 裁き人 1:16。サムエル第一 23:19。
8. パランの荒野 ― 創世記 21:21。民数記 13:1-3。
ニ. 大アラバ(地溝)― サムエル第二 2:29。エレミヤ 52:7。
1. フーラ(フーレ)盆地
2. ガリラヤの海の周辺地方 ― マタイ 14:34。ヨハネ 6:1。
3. ヨルダン渓谷の地域(ゴール)― 列王第一 7:46。歴代第二 4:17。ルカ 3:3。
4. 塩の海(死海; アラバの海)― 民数記 34:3。申命記 4:49。ヨシュア 3:16。
5. アラバ(塩の海の南方)― 申命記 2:8。
ホ. ヨルダンの東の山岳地と台地 ― ヨシュア 13:9,16,17,21; 20:8。
1. バシャンの地 ― 歴代第一 5:11。詩編 68:15。
2. ギレアデの地 ― ヨシュア 22:9。
3. アンモンおよびモアブの地 ― ヨシュア 13:25。歴代第一 19:2。申命記 1:5。
4. エドムの山岳高原 ― 民数記 21:4。裁き人 11:18。
ヘ. レバノン山脈 ― ヨシュア 13:5。
イ. 大海の海岸
4 海岸の特色や気候についてはどんなことが分かりますか。
4 この訪問を西の方から始めると,最初に,美しい青い地中海に沿って伸びている海岸が見えます。広々と伸びている砂丘のために,カルメル山の下方の唯一の自然の良港はヨッパですが,カルメルの北には幾つかの自然の良港があります。この沿岸地方に住んでいたフェニキア人は,船乗り業で有名な民族となりました。陽光に恵まれたこの沿岸地方の年間平均気温は摂氏約19度で,気持ちの良い気温ですが,夏は相当暑く,ガザでは日中の平均気温が34度ほどになります。
ロ-1 アシェルの平原
5,6 (イ)アシェルの平原,(ロ)ドルの細長い沿岸地帯について簡単に説明しなさい。
5 この沿岸平原はカルメル山から北に40㌔ほど伸びています。その幅の最も広い所は13㌔ほどあり,この地はアシェルの部族に割り当てられた地の一部です。(ヨシュア 19:24-30)これは肥沃な細長い平原で,産物が豊かなので,ソロモンの王宮の食卓のための食物を供給しました。―創世記 49:20。列王第一 4:7,16。
ロ-2 ドルの細長い沿岸地帯
6 この細長い土地は約32㌔にわたってカルメル山脈と接しています。その幅はわずかに4㌔しかありません。それは実際,カルメルと地中海の間に横たわる細長い沿岸地帯を成しています。その南部にはドルの海港都市があり,その都市の南方から砂丘が始まっています。ドルの後ろの丘陵地はソロモンの宴に供された最上等の食物を産しました。ソロモンの娘の一人はこの地区出身の代官と結婚しました。―列王第一 4:7,11。
ロ-3 シャロンの沿岸平原
7 (イ)シャロンのことは預言の中でどのように言及されていますか。それはなぜですか。(ロ)ヘブライ人の時代には,この地方は何のために用いられましたか。
7 この地の花の有名な美しさを考えれば,シャロンのことが,回復されたイスラエルの地に関するイザヤの預言的な幻の中で指摘されているのも適切なことです。(イザヤ 35:2)それはよく潤された肥沃な土地です。この地はドルの細長い沿岸地帯から南に64㌔ほど伸びており,幅は所によってさまざまで,16㌔から19㌔ほどある平原です。ヘブライ人の時代にはシャロンの北部にオークの森林が生育していました。穀物が刈り取られた後,そこでは多くの羊の群れが草をはみました。ダビデ王の時代には,王室の羊がシャロンで飼われました。(歴代第一 27:29)今日,この地方には柑橘類の広い果樹園が見られます。
ロ-4 フィリスティアの平原
8 フィリスティアの平原はどこにありますか。その特徴は何ですか。
8 この地区はシャロンの南にあって,海岸沿いに約80㌔伸びており,24㌔ほど内陸に広がっています。(列王第一 4:21)海岸線に沿っているその砂丘は時には約6㌔にわたって内陸に入り込んでいます。ここは起伏の多い平原で,草原に似ており,南のガザ後方では30㍍から200㍍ほども高くなっています。土壌は肥えていますが,雨は余り多くないため,常に干ばつに見舞われる危険があります。
ロ-5 中部東-西渓谷
9 (イ)中部東-西渓谷はどんな二つの部分でできていますか。この地域にはどんな実際的な価値がありましたか。(ロ)「約束の地の典型的な断面図」を用いて,この地域の一般的な地勢を説明しなさい。
9 中部東-西渓谷は実際には二つの部分でできています。すなわち,それは西のメギドの谷あいの平原つまりエスドラエロンおよび東のエズレルの低地平原です。(歴代第二 35:22。裁き人 6:33)この中部渓谷地方を通れば,ヨルダン地溝から地中海沿岸までの横断旅行が容易だったので,この渓谷は重要な交易路となりました。メギドの平原はキションの奔流によって排水が行なわれ,その奔流はカルメル山とガリラヤの丘陵地との間の狭い山あいを通ってアシェルの平原へ,そしてそこから地中海へと流れ出てゆきます。この小さな水路は夏の月々の間はほとんど干上がってしまいますが,ほかの時期にはその水はどっとあふれて奔流となって流れます。―裁き人 5:21。
10 (イ)エズレルの低地平原について説明しなさい。(ロ)この地域は聖書のどんな出来事と関連づけられていますか。
10 エズレルの低地平原の水は,ヨルダンに向かって南東に流れて排水されます。エズレル平原のこの渓谷回廊は幅は3.2㌔ほどあり,長さは19㌔ほどに及んでいます。標高は海抜90㍍余から始まって,徐々に下降し,ベト・シェアンの近くでは海面下120㍍にまで下がります。この中部渓谷全域は非常に肥沃で,エズレル地区はこの国全体の中でも最も肥えた土地の一つです。エズレル自体,「神は種をまかれる」という意味です。(ホセア 2:22)聖書はこの地域の快さと美しさについて述べています。(創世記 49:15)メギドもエズレルも共に,イスラエルや周囲の諸国民の行なった戦いにおいて戦略上重要な所でした。バラクやギデオン,サウル王やエヒウなどが戦ったのもここでした。―裁き人 5:19-21; 7:12。サムエル第一 29:1; 31:1,7。列王第二 9:27。
ハ-1 ガリラヤの丘陵
11,12 (イ)イエスの宣教に関連して,ガリラヤはどれほど特筆すべき役割を演じましたか。この地域はだれの出身地でしたか。(ロ)下部ガリラヤと上部ガリラヤを比べなさい。
11 イエスがエホバのみ名と王国について証しをする業の大半を行なわれたのは,ガリラヤ丘陵の南部の地区(およびガリラヤの海の周囲)でした。(マタイ 4:15-17。マルコ 3:7)イエスの忠実な使徒たち11人全部を含め,その追随者たちのほとんどはガリラヤ出身でした。(使徒 2:7)下部ガリラヤと呼ばれる,この地域は本当に気持ちの良い所で,その丘陵は標高610㍍を超えることがありません。春から秋まで,この心地よい土地では雨に乏しいということはありませんから,この土地は砂漠ではありません。春の時期には,丘の斜面はどこでも花で燃え立つほどになり,渓谷の盆地はみな穀物を豊かに産します。小さな高原には農耕に適した肥えた土壌があり,丘陵はオリーブの木やぶどうの木を育てるのに大変適しています。この地域の聖書で有名な町とされるのは,ナザレ,カナおよびナインです。(マタイ 2:22,23。ヨハネ 2:1。ルカ 7:11)この地域はイエスが例えを工夫するのに利用できる題材の豊富な背景を成す地となりました。―マタイ 6:25-32; 9:37,38。
12 北部の地区,すなわち上部ガリラヤは,丘陵が標高1,100㍍を優に超えており,実際上,レバノン山脈のふもとの丘陵地帯となっています。上部ガリラヤは他の地方から隔たっており,雨の多い,吹きさらしの土地です。聖書時代には,西の方の斜面には森林がうっそうと茂っていました。この地区はナフタリの部族に割り当てられました。―ヨシュア 20:7。
ハ-2 カルメルの丘陵
13 (イ)カルメルは実際はどんな所ですか。(ロ)聖書の中でカルメルのことはどのように言及されていますか。
13 カルメル山の尾根は堂々と地中海に突き出ています。カルメルは実際は,長さ約48㌔にわたる一連の丘陵で,高い所は海抜545㍍ほどに達します。それはサマリアの丘陵から伸びて地中海に達しており,北西の端で主要な山稜を形成しているその岬は,優雅さや美しさの点で忘れ難い景観を成しています。(ソロモンの歌 7:5)カルメルという名は「果樹園」という意味なので,その有名なぶどう園や果樹やオリーブの木で飾られた,この肥沃な高台に実によく合います。イザヤ 35章2節で,カルメルは回復されたイスラエルの地の豊かな実りをもたらす輝かしい状態の象徴として用いられており,『カルメルの光輝が必ずそれに与えられる』と述べられています。エリヤがバアルの祭司たちに挑戦し,エホバの至上権の証しとして『エホバの火が降って来た』のはこのカルメルでのことでした。また,カルメルの頂上からエリヤは小さな雲に注意を引きました。それは大雨をもたらし,こうしてイスラエルを襲った干ばつは奇跡的に終わりました。―列王第一 18:17-46。
ハ-3 サマリアの丘陵
14 サマリアの丘陵にはどの部族が定住しましたか。この地方はどんな作物に適していますか。
14 この地区の南部は一層丘が多く,その東の方では標高900㍍余りに達しています。(サムエル第一 1:1)この地区は南のユダよりも降雨量が多く,また降雨もより確実です。この地区にはヨセフの年下の息子エフライムの子孫が定住しました。ヨセフの年上の息子マナセの半部族に割り当てられた,この地区の北部は,渓谷盆地や周囲を丘陵で囲まれた小規模な平原でできています。丘陵地はそれほど肥沃ではありませんが,低いほうの丘の広範な斜面は段々畑にされているので,ぶどう園やオリーブ畑があります。(エレミヤ 31:5)しかし,より大きな渓谷盆地は穀物の栽培や一般的な農業にとって申し分のない所です。聖書時代にはこの地区に多くの都市が点在していました。北王国の時代中,マナセの地ではシェケム,ティルツァおよびサマリアの三つの都市が次々に首都となり,この地区全体はその首都の名にちなんでサマリアと呼ばれるようになりました。―列王第一 12:25; 15:33; 16:24。
15 (イ)ヨセフに対するモーセの祝福の言葉はサマリア地区でどのように成就しましたか。(ロ)この地はイエスの時代中,さらにどのように祝福されましたか。
15 ヨセフに対するモーセの祝福の言葉はこの地に対してまさにそのとおりに成就しました。こう記されています。「[モーセは]ヨセフについてこう言った。『彼の土地は絶えずエホバから祝福されるように。天のえり抜きのものである露をもって……えり抜きのものである太陽の産物をもって,またえり抜きのものである太陰の月々の産出物をもって。東の山々からの最良の物をもって,また定めなく保つ丘からのえり抜きのものをもって』」。(申命記 33:13-15)そうです,これは大変気持ちの良い地方でした。その山々には森林がうっそうと生い茂り,その渓谷は豊かに産物を出し,その地はかなりの人口を持つ繁栄する都市で満たされるようになりました。(列王第一 12:25。歴代第二 15:8)後代になって,イエスはサマリアの地で宣べ伝える業を行なわれ,弟子たちもその業を行なったので,キリスト教を奉ずる多くの人々がこの地で見いだされました。―ヨハネ 4:4-10。使徒 1:8; 8:1,14。
ハ-4 シェフェラ
16 (イ)何がシェフェラを特徴づけていますか。(ロ)聖書時代にはこの地域はどんな点で重要でしたか。
16 シェフェラという名称は「低地」を意味していますが,実際にはその南部は標高450㍍ほどに達する丘陵地帯で,ここは東から西に流れる幾つもの渓谷によって分断されています。(歴代第二 26:10)この地はフィリスティアの沿岸の平原の真東にせり上がっていますが,さらに東に位置する一層高いユダの丘陵と比べて低地とみなされているにすぎません。(ヨシュア 12:8)エジプトいちじくで覆われていたその丘陵には,今ではぶどう園やオリーブ畑が作られています。(列王第一 10:27)この地には多くの都市がありました。聖書の歴史の中で,この地方はイスラエルとフィリスティア人,または沿岸の平原の方面からユダに入ろうとする他の侵略軍との間の緩衝地帯の役目をしました。―列王第二 12:17。オバデヤ 19。
ハ-5 ユダの丘陵地帯
17 (イ)聖書時代にはユダの丘陵地帯はどれほど産出的な所でしたか。今日ではどうですか。(ロ)ユダは何をするのによい場所と考えられましたか。
17 これは岩の多い高地で,長さは約80㌔ありますが,幅は32㌔そこそこで,標高は海抜600ないし1,000㍍と場所によって異なります。聖書時代には,この地域は材木になる樹木で覆われており,特に西側の丘陵や渓谷には穀物の畑やオリーブの木やぶどう園が数多くありました。ここはイスラエルのために良質の穀物や油やぶどう酒を大量に生産した地域でした。聖書時代以来,特にエルサレムの周辺の地域では山林がひどく伐採されてしまったため,この地方はかつての状態と比べれば不毛も同然のように見えます。冬には,ベツレヘムなどの中部の標高の高い所では時には雪が降ります。昔の時代にはユダは都市や要塞を築くのによい場所とみなされ,困難な時期には人々は安全を求めてこれらの山岳地に逃げることができました。―歴代第二 27:4。
18 (イ)エルサレムはいつイスラエルとユダの首都となりましたか。(ロ)この都の興味深い特色を幾つか挙げなさい。
18 ユダとイスラエルの歴史の中で際立っているのは,そのとりでの名称にちなんでシオンとも呼ばれたエルサレムです。(詩編 48:1,2)元々,これはヒンノムとキデロン両渓谷の合流点の上方の高い土地に横たわる,エブスというカナン人の都市でした。ダビデがこれを攻略して首都にした後,この場所は北西に拡張され,やがてテュロペオンの谷をも含むようになりました。やがて,ヒンノムの谷はゲヘナと呼ばれるようになりました。ユダヤ人がそこで偶像に犠牲をささげたため,それは汚れたところとされ,ごみや卑劣な犯罪者の死体を捨てる場所となりました。(列王第二 23:10。エレミヤ 7:31-33)こうして,その火は完全な絶滅の象徴となりました。(マタイ 10:28。マルコ 9:47,48)エルサレムはキデロンの谷の西にあるシロアムの池から限られた量の水を供給されていただけでしたが,ヒゼキヤはその池を都の内側に置くため,外側の城壁を築いてこれを保護しました。―イザヤ 22:11。歴代第二 32:2-5。
ハ-6 ユダの荒野(エシモン)
19 (イ)エシモンはその名称の意味にどのようによく合っていますか。(ロ)この地域では聖書のどんな出来事が起きましたか。
19 エシモンとはユダの荒野を指す聖書の名称です。それは「砂漠」という意味です。(サムエル第一 23:19,脚注)この名称は何と叙述的で,適切なのでしょう。この荒野はユダの丘陵の東側の険しい不毛の傾斜地で,白亜質の地層でできており,死海に近づくにつれて,標高は24㌔で900㍍以上下降し,死海付近ではのこぎりの歯のような絶壁となっています。エシモンには都市はなく,ごく少数の部落しかありません。ダビデがサウル王のもとから逃れたのはこのユダの荒野でしたし,バプテスマを施す人ヨハネが宣べ伝える業を行なったのもこの荒野とヨルダンの間の土地でした。また,イエスもこの地区に退いて40日間,断食をされました。b ―サムエル第一 23:14。マタイ 3:1。ルカ 4:1。
ハ-7 ネゲブ
20 ネゲブについて説明しなさい。
20 ユダの丘陵の南にはネゲブと呼ばれる土地が横たわっていますが,そこには族長アブラハムやイサクが長年住んでいました。(創世記 13:1-3; 24:62)聖書はまた,この地域の南部を「チンの荒野」と呼んでいます。(ヨシュア 15:1)この半乾燥性気候のネゲブは北のベエル・シェバから南はカデシュ・バルネアまで広がっています。(創世記 21:31。民数記 13:1-3,26; 32:8)この土地はユダの丘陵から幾筋もの尾根となって下っており,それらの尾根は南からの交通や侵略に対する自然の障壁となって東西に走っています。この地はネゲブの東部の丘陵から海岸沿いの西の砂漠平原に向かって傾斜しています。夏になると,この地は幾つかの奔流の谷の近くを除いて砂漠のように不毛の地となります。しかし,掘り下げ井戸から水を入手することができます。(創世記 21:30,31)現代のイスラエル国家は潅漑を行なって,ネゲブの一部を開発しています。「エジプトの川」はネゲブの南西の境界線を示すと共に,約束の地の南の境界の一部ともなっていました。―創世記 15:18。
ハ-8 パランの荒野
21 パランはどこにありますか。それは聖書の歴史の中でどんな役割を果たしましたか。
21 ネゲブの南でチンの荒野と一緒になっているのはパランの荒野です。シナイを去ったイスラエル民族は,約束の地に向かう途中この荒野を横断しました。モーセが12人の斥候を送り出したのは,このパランからでした。―民数記 12:16-13:3。
ニ 大アラバ(地溝)
22 この節と共に272ページの地図と273ページの図表を用いて,アラバ(地溝)の主要な特色とその周辺地域との関係を説明しなさい。
22 この地上で最も異常な地層の一つは,この大地溝です。約束の地を北から南に縦断しているその部分は,聖書では「アラバ」と呼ばれています。(ヨシュア 18:18)サムエル第二 2章29節では,地殻のこの裂け目は一種の峡谷として述べられています。その北にはヘルモン山があります。(ヨシュア 12:1)この地溝はヘルモンのふもとから南に向かって急速に下降し,死海の海底では海面下およそ800㍍に達します。このアラバは死海の南端からさらに続いてゆき,死海とアカバ湾の中間地点で海抜約200㍍までせり上がり,その後急速に下降して,紅海が東に突き出た部分の生ぬるい水の中に没してゆきます。添付の断面図はこの地溝とその周囲の地方との関係を示しています。
ニ-1 フーラ(フーレ)盆地
23 フーラ地区は聖書時代のどんな事柄と関連していますか。
23 ヘルモン山のふもとから始まるこの地溝は,鋭く下降し,標高が海面とほぼ等しいフーラ地区まで490㍍以上下がります。この地域はよく潤されており,暑い夏の月々でさえ美しい緑を保っています。ダン人はこの地方でその都市ダンに定住しました。このダンは裁き人の時代からイスラエルの10部族王国の時代に至るまで偶像崇拝の中心地となっていました。(裁き人 18:29-31。列王第二 10:29)イエスが弟子たちに対してご自分がキリストであることを確証されたのは,昔のダンがあった場所の近くの町,カエサレア・フィリピでのことでした。また,多くの人は,その六日後に変ぼうが起きたのは近くのヘルモン山上でのことであったと考えています。この地溝はフーラから,海面下210㍍ほどの所に位置するガリラヤの海まで急速に下って行きます。―マタイ 16:13-20; 17:1-9。
ニ-2 ガリラヤの海の周辺地方
24 (イ)聖書ではガリラヤの海はほかにどんな名称で呼ばれていますか。(ロ)その周囲の地方はイエスの時代にはどのような所でしたか。
24 ガリラヤの海とその周囲の地方は大変気持ちの良い所です。c この地区でイエスが宣教を行なわれた際に起きた数多くの出来事のゆえに,この地に対する関心は高まります。(マタイ 4:23)この「海」はまた,ゲネサレあるいはキネレトの湖,さらにティベリアの海とも呼ばれています。(ルカ 5:1。ヨシュア 13:27。ヨハネ 21:1)これは実際,ハート型の湖で,長さはおよそ21㌔,幅は最も広い所で11㌔ほどあり,この国の全土のための重要な貯水場の一つとなっています。それはほとんど四面を丘陵でしっかりと囲まれています。湖の水面は海面下210㍍ほどの所に位置しており,その結果,この地方は冬は暖かくて気持ちが良い代わりに,夏は非常に長くて暑くなります。イエスの時代には,ここは大変発達した漁業の中心地で,コラジン,ベツサイダ,カペルナウム,ティベリアなどの繁栄した都市が,この湖の沿岸やその近くに位置していました。この穏やかな湖もあらしになると,たちまちかき乱されてしまいます。(ルカ 8:23)ゲネサレの三角形の小さな平原は,この湖の北西に位置しています。土壌は肥沃で,約束の地で知られている作物のほとんどすべてを産します。春になると,華やかに彩られた傾斜地は,イスラエルの地のどこよりも勝る輝きを帯びて燃えるようになります。d
ニ-3 ヨルダン渓谷の地域(ゴール)
25 ヨルダン渓谷の主な特色は何ですか。
25 この峡谷のような下降する渓谷全体はまた,「アラバ」とも呼ばれています。(申命記 3:17)今日,アラブ人はこれを「窪み」という意味のゴールと呼んでいます。この渓谷はガリラヤの海から始まっており,概して広く,場所によっては幅19㌔ほどの所もあります。ヨルダン川それ自体はこの谷あいの平原より46㍍ほど低い所にあって,死海までの105㌔ほどの所を蛇行しながら流れ,その全長は約320㌔に及びます。e それは滝のように落ちる27か所の急流を越えながら,死海に達するころまでに約180㍍下降します。下部ヨルダンは主に ぎょりゅう,きょうちくとう,柳などの木や低木のやぶで縁取られており,聖書時代にはそのやぶの中にライオンが親子連れで潜んでいました。そこは今日ではゾルとして知られており,春にはその一部がはん濫します。(エレミヤ 49:19)このジャングルのような細長い土地の各々の側のせり上がっている所がカッタラです。すなわち,小さな高原のある荒れ果てた土地とゴールそのものの平原に達する開析された傾斜地とで成る,人の住みにくい境界地です。ゴールつまりアラバの北部にある平原は,よく耕作されています。死海寄りの南部,つまり今日では非常に乾燥しているアラバの高原でさえ,かつては数多くの種類のなつめやしや他の多くの熱帯性の果物を産していたと言われています。エリコはヨルダン渓谷で最も有名な都市でしたが,今でもそうです。―ヨシュア 6:2,20。マルコ 10:46。
ニ-4 塩の海(死海)
26 (イ)死海に関する驚くべき事実を幾つか挙げなさい。(ロ)この地区はエホバの裁きに関してどんな顕著な証しを立てていますか。
26 この湖は地球の表面にある最も驚くべき水域の一つです。それはいみじくも死海と呼ばれています。というのは,この海には魚は1匹もいませんし,またその岸には植物もほとんどないからです。聖書ではそれは塩の海,もしくはアラバの海と呼ばれています。というのは,それはアラバの地溝の中に位置しているからです。(創世記 14:3。ヨシュア 12:3)長さは南北に75㌔ほどあり,幅は15㌔ほどあります。その水面は地中海の海面より約400㍍低いので,ここは地上で最も低い所です。この海の北部の水深は400㍍ほどあります。この海の両側は不毛の丘陵と険しいがけで閉ざされています。ヨルダン川は淡水を運び込みますが,蒸発による以外に水のはけ口はありません。その蒸発の速度は水を取り入れる速度と同じ位です。この閉じ込められた水には約25%の溶解した固形物質が含まれており,そのほとんどが塩分で,魚にとっては有毒ですし,人間の目に入れば痛みを引き起こします。死海の周りでは,訪問者は大抵,荒廃し,破壊しつくされているという感じに圧倒されます。それは死の場所です。この地区全体はかつて「よく潤っており……エホバの園のよう」でしたが,死海の周囲の地域は今では大方「荒れ果てた所」となっており,その地でソドムとゴモラに対して執行されたエホバの裁きが不変なものであることを示す,顕著な証しとして,ほとんど4,000年にわたり,そのように荒れ果てたままになってきました。―創世記 13:10; 19:27-29。ゼパニヤ 2:9。
ニ-5 アラバ(塩の海の南方)
27 南方のアラバはどんな地域で成り立っていますか。昔,だれがこの地域を支配しましたか。
27 その地溝のこの最後の部分は,さらに約160㌔南の方に伸びています。この地区は事実上すべてが砂漠です。雨はまれで,太陽が容赦なく照りつけます。聖書はこの地区のことも「アラバ」と呼んでいます。(申命記 2:8)それは大体中間地点で海抜200㍍余の最高点に達し,それから再び南方に下降し,紅海が東に突き出た部分であるアカバ湾に達します。そこのエツヨン・ゲベルの港で,ソロモンは船団を造りました。(列王第一 9:26)ユダの王たちの時代のかなりの期間中,アラバのこの部分はエドム王国の支配下にありました。
ホ ヨルダンの東の山岳地と台地
28 農業の点で,バシャンとギレアデの両地はどんな価値のある所でしたか。これらの地区はどのように聖書の歴史に関係していましたか。
28 「ヨルダンの東側」はその地溝から急にせり上がって,一連の台地を形成しています。(ヨシュア 18:7; 13:9-12; 20:8)北方にはバシャンの地(ホ-1)があり,この地はギレアデの半分と共にマナセの部族に与えられました。(ヨシュア 13:29-31)ここは畜牛の放牧地,農夫のための土地であって,肥沃な高原は標高が平均海抜600㍍ほどあります。(詩編 22:12。エゼキエル 39:18。イザヤ 2:13。ゼカリヤ 11:2)イエスの時代にはこの地方は大量の穀物を輸出していました。今日でも農業の点で産出的な所です。次に,その南にはギレアデの地(ホ-2)が横たわっており,その下方半分はガドの部族に割り当てられました。(ヨシュア 13:24,25)ここも冬はかなりの雨が降り,夏は大量の露で潤される,標高約1,000㍍に達する山地なので,牧畜に適した土地でした。また,特にそのバルサムでも有名でした。今日,その地は上等のぶどうで知られています。(民数記 32:1。創世記 37:25。エレミヤ 46:11)ダビデはアブサロムのもとからギレアデの地に逃げました。その西部,「デカポリス地方」ではイエスが宣べ伝える業を行ないました。―サムエル第二 17:26-29。マルコ 7:31。
29 ヨルダン東には,どんな土地が南の方に横たわっていましたか。それらの地はどんなことで知られていましたか。
29 ギレアデのすぐ南には『アンモンの子らの地』(ホ-3)が横たわっており,その半分はガドの部族に与えられました。(ヨシュア 13:24,25。裁き人 11:12-28)それはなだらかに起伏する台地で,羊の放牧に最適の場所です。(エゼキエル 25:5)さらに,もっと南には「モアブの地」があります。(申命記 1:5)モアブ人自身も羊の優秀な牧夫で,今日に至るまで羊の飼育がその地方の主要な職業となっています。(列王第二 3:4)それから,死海の南東で,わたしたちはエドムの山岳高原に出ます(ホ-4)。ペトラのような,その偉大な貿易拠点の廃虚が今日でも残っています。―創世記 36:19-21。オバデヤ 1-4。
30 台地は東で何と境を接していますか。
30 これらの丘陵や台地の東には,岩の多い広大な土地が広がっており,その荒野は約束の地とメソポタミアの間をまっすぐ旅行する進路を完全に遮断し,隊商の通路を何キロも北方にうかいさせる結果となりました。この荒野は南の方では壮大なアラビア砂漠の砂丘と出合っています。
ヘ レバノン山脈
31 (イ)レバノン山脈はどんな山々で構成されていますか。(ロ)レバノンのどんな特色は聖書時代と同様に存続していますか。
31 約束の地の風景を見下ろしてそそり立っているのはレバノン山脈です。実際には,2本の山脈が並行して走っています。レバノン山脈本来の丘陵地帯は上部ガリラヤに続いています。それらの丘陵は多くの場所で海岸にまで達しています。この山脈の最高峰は海抜約3,000㍍あります。近接しているアンティ・レバノン山脈の最高峰は標高2,814㍍の美しいヘルモン山です。その溶ける雪はヨルダン川の主要な水源となっており,晩春の乾季の時期には露をもたらします。(詩編 133:3)レバノン山脈は特にその巨大な杉で知られており,その材木はソロモンの神殿の建立に際して特筆すべき役割を果たしました。(列王第一 5:6-10)今日では杉の木立はほんの数か所しか残っていませんが,傾斜地の下部は今でも聖書時代と同様,ぶどう園やオリーブ畑や果樹園を支えています。―ホセア 14:5-7。
32 モーセは約束の地をどのように正確に描写しましたか。
32 東の近づき難い荒野と大海との間にはさまれている,エホバの約束の地への訪問を,これで終えることになりますが,わたしたちはかつてイスラエルの時代にこの地に見られた輝かしい様子を頭の中で描くことができます。確かにそれは『この上なく良い土地で……乳と蜜の流れる地』でした。(民数記 14:7,8; 13:23)モーセは次のような言葉でその地に言及しました。「あなたの神エホバは,あなたを良い地に携え入れようとしておられる……それは,水のあふれる奔流の谷,また谷あいの平原や山地にわき出る泉や水の深みのある地,小麦・大麦・ぶどう・いちじく・ざくろの地,油オリーブと蜜の地,乏しさを感じながらパンを食べることはなく,何にも欠けることのない地である。その石は鉄であり,その山々からは銅を掘り取ることのできる地なのである。食べて満ち足りた時に,あなたはその与えてくださった良い地のゆえにあなたの神エホバをほめたたえなければならない」。(申命記 8:7-10)今,エホバを愛する人もみな同様に,エホバが昔の約束の地の型にしたがって全地を輝かしいパラダイスにするよう意図しておられるゆえに,感謝をささげますように。―詩編 104:10-24。
[脚注]
a 「聖書に対する洞察」(英文),第1巻,332,333ページ。
b 「聖書に対する洞察」(英文),第1巻,335ページ。
c 「聖書に対する洞察」(英文),第1巻,336ページ。
d 「聖書に対する洞察」(英文),第2巻,737-740ページ。
e 「聖書に対する洞察」(英文),第1巻,334ページ。
[272ページの地図]
(正式に組んだものについては出版物を参照)
約束の地の自然区分
(隣接地域を含む)
キロ 0 20 40 60 80
(A ― A,B ― B,C ― C,D ― D,E ― Eの断面図については,次のページをご覧ください)
番号の説明
地中海
イ 大海の海岸
ヨッパ
ロ-1 アシェルの平原
ロ-2 ドルの細長い沿岸地帯
ドル
ロ-3 シャロンの沿岸平原
ロ-4 フィリスティアの平原
アシュドド
アシュケロン
エクロン
ガト
ガザ
ロ-5 中部東-西渓谷(メギドの平原,エズレルの低地平原)
ベト・シェアン
ハ-1 ガリラヤの丘陵
カナ
ナイン
ナザレ
ティルス
ハ-2 カルメルの丘陵
ハ-3 サマリアの丘陵
ベテル
エリコ
サマリア
ティルツァ
シェケム
ハ-4 シェフェラ
ラキシュ
ハ-5 ユダの丘陵地帯
ベツレヘム
ゲバ
ヘブロン
エルサレム
ハ-6 ユダの荒野(エシモン)
ハ-7 ネゲブ
ベエル・シェバ
カデシュ・バルネア
エジプトの川
ハ-8 パランの荒野
ニ-1 フーラ(フーレ)盆地
ダン
カエサレア・フィリピ
ニ-2 ガリラヤの海の周辺地方
ベツサイダ
カペルナウム
コラジン
ガリラヤの海
ティベリア
ニ-3 ヨルダン渓谷の地域(ゴール)
ヨルダン川
ニ-4 塩の海(死海; アラバの海)
塩の海
ニ-5 アラバ(塩の海の南方)
エツヨン・ゲベル
紅海
ホ-1 バシャンの地
ダマスカス
エドレイ
ホ-2 ギレアデの地
ラバ
ラモト・ギレアデ
ヤボクの奔流の谷
ホ-3 アンモンおよびモアブの地
ヘシュボン
キル・ハレセト
メデバ
アルノンの奔流の谷
ゼレドの奔流の谷
ホ-4 エドムの山岳高原
ペトラ
ヘ レバノン山脈
シドン
レバノン山脈
ヘルモン山
[273ページの地図]
(正式に組んだものについては出版物を参照)
約束の地の典型的な断面図
(位置については前ページをご覧ください)
水平距離に対して高さは約10倍にしてあります
エフライムの東-西断面(A ― A)
地中海
ロ-3 シャロンの沿岸平原
ハ-3 サマリアの丘陵
ニ-3 アラバ,すなわちヨルダン渓谷(ゴール)
カッタラ
ゾル
ホ-2 ギレアデの地
キロメートル 0 8 16
標高の数字はメートル 標高の数字はメートル
+900 +900
+600 +600
+300 +300
0 (海面) 0
−300 −300
−600 −600
ユダの東-西断面(B ― B)
地中海
ロ-4 砂丘
フィリスティアの平原
ハ-4 シェフェラ
ハ-5 ユダの丘陵地帯
エルサレム
ハ-6 ユダの荒野
ニ-4 地溝
ホ-3 アンモンおよびモアブの地
キロメートル 0 8 16
標高の数字はメートル 標高の数字はメートル
+900 +900
+600 +600
+300 +300
0 (海面) 0
−300 −300
−600 −600
ユダの東-西断面(C ― C)
地中海
ロ-4 砂丘
フィリスティアの平原
ハ-4 シェフェラ
ハ-5 ユダの丘陵地帯
ハ-6 ユダの荒野
ニ-4 地溝
塩の海
ホ-3 アンモンおよびモアブの地
キロメートル 0 8 16
標高の数字はメートル 標高の数字はメートル
+900 +900
+600 +600
+300 +300
0 (海面) 0
−300 −300
−600 −600
−900 −900
ヨルダンの西の山地の南-北断面(D ― D)
ハ-7 ネゲブ
ハ-5 ユダの丘陵地帯
ハ-3 サマリアの丘陵
ロ-5 エズレルの低地平原
ハ-1 ガリラヤの丘陵
へ
キロメートル 0 8 16 32
標高の数字はメートル 標高の数字はメートル
+900 +900
+600 +600
+300 +300
0 (海面) 0
アラバすなわち地溝の南-北断面(E ― E)
ニ-5
ニ-4 塩の海
ニ-3 アラバ,すなわちヨルダン渓谷(ゴール)
ニ-2 ガリラヤの海
ニ-1 フーレ盆地
ヘ
キロメートル 0 8 16 32
標高の数字はメートル 標高の数字はメートル
+900 +900
+600 +600
+300 +300
0 (海面) 0
−300 −300
−600 −600
−900 −900
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研究2 ― 時と聖書『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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霊感による聖書およびその背景に関する研究
研究2 ― 時と聖書
聖書で用いられている時の区分,一般的に用いられている暦,聖書のための要となる年代,および「時の流れ」に関連した興味深い事柄に関する説明。
1,2 ソロモンは時について何と書きましたか。時は速く過ぎ去るものだということを考えると,わたしたちは時間をどのように用いるべきですか。
人間は時の経過を十分に意識しています。時計がカチカチと時を刻むごとに,人は時という回廊を一歩一歩先へ進んで行きます。自分の時間を正しく利用する人は,本当に賢明な人です。ソロモン王が次のように書いているとおりです。「何事にも定められた時がある。天の下のすべての事には時がある。誕生のための時があり,死ぬのに時がある。植えるのに時があり,植えられたものを根こぎにするのに時がある。殺すのに時があり,いやすのに時がある。崩すのに時があり,建てるのに時がある。泣くのに時があり,笑うのに時がある」。(伝道の書 3:1-4)時間は何と速く過ぎてゆくのでしょう。70年という普通の寿命は多くの知識を取り入れたり,エホバがこの地上の人間のために設けてくださったほかの良いものすべてを享受したりするためには,余りにも短すぎます。こう記されています。「神はすべてのものをその時にかなって美しく造られた。定めのない時をさえ彼らの心に置き,まことの神の行なわれた業を,人間が始めから終わりまで決して見いだすことができないようにされた」― 伝道の書 3:11。詩編 90:10。
2 エホバご自身は永遠の時の中で生きておられます。その被造物について言えば,エホバはこれを時の流れの中に置くことを喜ばれました。反抗したサタンをさえ含めて,天のみ使いたちは,時の経過を十分に知っています。(ダニエル 10:13。啓示 12:12)人間については,『時と予見しえない出来事とが彼らすべてに臨む』と記されています。(伝道の書 9:11)いつも自分の考えの中に神のことを含め,『時に応じて食物』を与える神の備えを喜んで受け入れる人は,何と幸いなのでしょう。―マタイ 24:45。
3 時と宇宙空間にはどんな共通点がありますか。
3 時は一方向にしか進まない。時は普遍的なものですが,生きている人で,それが何であるかを言える人は一人もいません。それは宇宙空間と同様に計り知れないものです。時の流れはどこで始まったのか,あるいはそれはどこに流れてゆくのかを説明できる人は一人もいません。これらのことは,「定めのない時から定めのない時に至るまで」存在する神として述べられているエホバの無限の知識に属する事柄なのです。―詩編 90:2。
4 時の動きについては何と言うことができますか。
4 一方,時には理解することのできる,ある種の特色があります。時が流れてゆく速さは計ることができます。その上,時はただ一つの方向にしか進まないということです。一方通行の道路の交通のように,時はただ一つの方向へ ― 前へ,常に前へ容赦なく進んで行きます。時はどれほどの速さで進むにしても,これを逆方向へ向かわせることは決してできません。わたしたちは現在という一瞬に生きています。それにしても,この現在は動いており,絶えず過去に流れてゆきます。それを止めることはできません。
5 過去は勝ち取られたもの,でなければ失われたものと言えるのはどうしてですか。
5 過去。過去は過ぎ去ったもので,それは歴史であって,これを繰り返すことは決してできません。過去を呼び戻すことは,滝の水を丘の上へ逆流させようとしたり,矢をこれを射た弓のもとに飛び帰らせようとしたりするのと同様に不可能なことです。わたしたちの犯す間違いは時の流れの中にその印を残しており,その印はエホバしかぬぐい去ることができません。(イザヤ 43:25)同様に,人間の過去の良い行ないは,エホバからの祝福と共に『その人のもとに帰って来る』一種の記録となっています。(箴言 12:14; 13:22)過去は勝ち取られたもの,でなければ失われたものとなります。もはやそれを支配することはできません。邪悪な者についてはこう記されています。「彼らは草のように速やかに枯れ,緑の若草のように衰えるからだ」― 詩編 37:2。
6 未来は過去とどのように異なっていますか。わたしたちはなぜ未来に特に関心を持つべきでしょうか。
6 未来。未来は異なっています。それは常にわたしたちの方に向かって流れて来ます。わたしたちは神のみ言葉の助けによって,前途に迫る障害物が何であるかを見極め,これに対処するよう備えることができます。わたしたちは自分自身のために「天に宝を」蓄えることができます。(マタイ 6:20)その宝は時間が経過するにつれて一掃されるということがありません。それはわたしたちと共にとどまり,祝福のあふれる永遠の将来にわたって存続してゆきます。わたしたちは時間を賢明に用いることに関心を抱いています。時間はそのような将来に影響を及ぼすからです。―エフェソス 5:15,16。
7 エホバは人間のために時を指示するどんなものを備えられましたか。
7 時を指示するもの。現代の時計は時を指示するもので,時を計る定規の役をします。同様に,創造者であられるエホバは,時を指示する巨大な物体 ― 地軸を中心にして回転する地球,地球の周りを回る月,および太陽 ― の運行を開始させました。それで,人間は自分の立っている地上から時間を正確に知ることができるようになりました。こう記されています。「次いで神は言われた,『天の大空に光体が生じて昼と夜とを区分するように。それらはしるしとなり,季節のため,また日と年のためのものとなる』」。(創世記 1:14)こうして,互いに関連のある目的を帯びた多数の物体であるこれらの天体は,ただ一つの方向に進む時の動きを絶え間なく,また過たずに計り,完全な周期を保って運行します。
8 「日」という言葉は聖書では幾つかのどんな異なった意味で用いられていますか。
8 日。「日」(day)という言葉は,現代でも様々な適用法があるとおり,聖書でも幾つかの異なった意味で用いられています。地球がその地軸を中心にして完全に1回転すると,24時間の1日が測定されることになります。この意味での日(day)は,合計24時間に相当する,昼間と夜間で成り立っています。(ヨハネ 20:19)しかし,普通,平均12時間ある昼間の期間は昼(day)と呼ばれていますが,これは日(day)という言葉の第2の意味なのです。ですから,こう記されています。「そして神は光を“昼”(Day)と呼ぶことにし,闇のほうを“夜”と呼ばれた」。(創世記 1:5)これは,闇が普通,平均12時間続く期間である「夜」という時間を表わす用語の基になっています。(出エジプト記 10:13)別の意味では,「日」(days)という言葉はある傑出した人物と時を同じくする時代を指します。例えば,イザヤは「ウジヤ,ヨタム,アハズおよびヒゼキヤの時代(days)に」幻を見ました。(イザヤ 1:1)また,ノアやロトの日(days)は預言的な意味を持つものとして言及されています。(ルカ 17:26-30)「日」という言葉の融通性のある,もしくは比喩的な用法の別の例は,『エホバにあっては,一日は千年のようである』と述べたペテロの言葉です。(ペテロ第二 3:8)創世記の記述では,創造の日はさらに長い期間,つまり何千年もの期間を指しています。(創世記 2:2,3。出エジプト記 20:11)聖書の文脈は,「日」という言葉がどのような意味で用いられているかを示しています。
9 (イ)1日を各々1時間が60分で成る24時間に区分する方法はどのようにして始まりましたか。(ロ)ヘブライ語聖書の中では時間を指示するどんな言葉が指摘されていますか。
9 時間。1日を24時間に区分する方法の起源はエジプトまでたどることができます。1時間を60分に区分する現代の方法はバビロニアの数学に由来するもので,その数学は60進法(60という数に基づく計算法)でした。ヘブライ語聖書の中では,1日を時間に区分することは述べられていません。a ヘブライ語聖書では,日は特定の時間に区分される代わりに,時間を指示する言葉として「朝」,「昼」,「真昼」,および「夕刻」などの表現が使われています。(創世記 24:11; 43:16。申命記 28:29。列王第一 18:26)夜は「夜警時」と呼ばれる三つの時間に区分され(詩編 63:6),聖書の中でそのうちの二つは,「夜半の見張り時」(裁き人 7:19),および「朝の見張り時」として明確に呼ばれています。―出エジプト記 14:24。サムエル第一 11:11。
10 イエスの時代のユダヤ人はどのようにして時を数えましたか。このことを知ると,イエスの亡くなられた時を定めるのに,どのように助けとなりますか。
10 しかし,クリスチャン・ギリシャ語聖書では「時」という言葉がしばしば言及されています。(ヨハネ 12:23。マタイ 20:2-6)時間は日の出,つまり午前6時ごろから数えられました。聖書には「第三時」という表現が出てきますが,それは午前9時ごろだったでしょう。イエスが刑柱に付けられて,闇がエルサレムに垂れこめた時として,「第六時」のことが指摘されています。これは今の昼の12時に当たると思われます。イエスが苦しみの杭の上で息を引き取って亡くなられたのは,「第九時ごろ」,すなわち午後3時ごろであったと述べられています。―マルコ 15:25。ルカ 23:44。マタイ 27:45,46。b
11 時を計る方法としての「週」はどれほど古くから用いられていますか。
11 週。人間が七という周期で日数を数えるようになったのは,歴史の初期のころでした。こうして,人間は,創造の六日間の最後をやはり日と呼ばれる第七の期間をもって飾られた創造者の模範に従ったのです。ノアは七の周期をもって日数を数えました。ヘブライ語の「週」という言葉は,文字どおりには7部分のある単位,もしくは期間を指しています。―創世記 2:2,3; 8:10,12; 29:27。
12 太陰月とは何ですか。それは現代の暦月とはどのように異なっていますか。
12 太陰月。聖書は「太陰月」について述べています。(出エジプト記 2:2。申命記 21:13; 33:14。エズラ 6:15)現代の暦の月は太陰月ではありません。なぜなら,それは月によって決められてはいないからです。それは単に太陽年を任意に12に分けたものにすぎません。1太陰月は新月によって決められるひと月のことです。月には四つの位相があって,平均29日と12時間44分の1朔望月がそれらの位相で成り立っています。月の形を見さえすれば,太陰月の何日かが大体分かります。
13 大洪水のことは時の点でもどのように正確に記録されましたか。
13 ノアは厳密な意味で太陰月を用いる代わりに,各々30日で成る月を用いて出来事を記録したように思われます。ノアが箱船で記録した航海日誌によれば,大洪水の水は5か月,すなわち「150日」の期間地を覆っていたことが分かります。地がすっかり乾いて,箱船の乗船者たちが外に出られるようになったのは,12か月と10日の後のことでした。こうして,この画期的な出来事は時の点でも正確に記録されました。―創世記 7:11,24; 8:3,4,14-19。
14 (イ)エホバは季節のための備えをどのように設けられましたか。(ロ)季節の取り決めはいつまで続きますか。
14 季節。エホバは地を人が住めるよう整えるに際し,季節という賢明な愛ある備えを設けられました。(創世記 1:14)それは,地球が太陽の周りを運行するその軌道面に対して23.5度傾いているために生じます。その結果,まず南半球が,次いで6か月後に北半球が太陽に向かって傾くので,季節は順番に移り変わってゆきます。この季節の変化は多様性と対照をもたらし,また種まきと収穫の時期を支配します。神のみ言葉は,1年を通して季節の変化や対照をもたらすこの取り決めが永遠に続くものであることを保証しています。「地の存続するかぎり,種まきと収穫,寒さと暑さ,夏と冬,昼と夜は決してやむことはないのである」― 創世記 8:22。
15,16 (イ)約束の地の雨季はさらにどのように分けられますか。(ロ)雨の季節とそれらの季節と農業活動との関係について述べなさい。
15 約束の地の1年は雨季と乾季に大別できます。4月半ばごろから10月半ばまでは雨はほとんど降りません。雨季は早い,すなわち「秋の」雨(10月から11月),冬の大雨と寒い気候(12月から2月),および遅い,すなわち「春の」雨(3月から4月)の時期に分けることができます。(申命記 11:14。ヨエル 2:23)これらは大体の区分で,この土地の様々な場所では気候の違いのために季節が重なり合っています。早い雨は乾いた地面を軟らかくするので,10月から11月の時期は「すき返す」時で,「種まきどき」でもあります。(出エジプト記 34:21。レビ記 26:5)12月から2月にかけての冬の大雨の時期には,降雪は珍しいことではなく,1月や2月には標高の高い地方では気温が氷点下まで下がることもあります。聖書は,ダビデの力ある者の一人であったベナヤが「ある雪の降る日に」1頭のライオンを殺したことについて述べています。―サムエル第二 23:20。
16 3月と4月(大体ヘブライ人のニサンとイヤルの月に当たる時期)は「春の雨」の月です。(ゼカリヤ 10:1)その雨は,秋に植えられた作物の穀粒を大きくならせて良い収穫をもたらすのに必要な遅い雨です。(ホセア 6:3。ヤコブ 5:7)これはまた,初めの収穫の時期で,神は収穫の初物をニサンの16日にささげるようイスラエルに命じました。(レビ記 23:10。ルツ 1:22)それは麗しさと喜びの時です。こう記されています。「花も地に現われ,ぶどうの木を刈り込む時が来た。そして,やまばとの声もわたしたちの地で聞かれるようになった。いちじくの木は,早なりのいちじくのために色が熟し,ぶどうの木は花を開いて,その香りを放っている」― ソロモンの歌 2:12,13。
17 (イ)乾季の間,作物はどのようにして支えられますか。(ロ)「イスラエル人の1年」と題する表を考慮し,15-17節で論じられている季節にしたがって1年を分けなさい。(ハ)穀物の収穫はいつ行なわれましたか。すべての果物が取り入れられたのはいつでしたか。どんな祭りがこれらの出来事と同時に行なわれましたか。
17 4月の半ばごろには乾季が始まりますが,この時期のほとんど全期間にわたって,それも特に沿岸平原や山岳地帯の西側の傾斜地では露がたくさん降りて夏の作物を支えます。(申命記 33:28)5月中に穀物は刈り入れられます。七週の祭り(ペンテコステ)が祝われたのはこの月の終わりごろのことでした。(レビ記 23:15-21)それから,気候がだんだん暖かくなり,地面が乾燥してくると,ぶどうの木ではぶどうの実が熟し,収穫され,続いてオリーブ,なつめやし,いちじくなどほかの夏の果物が同様に収穫されます。(サムエル第二 16:1)乾季が終わり,早い雨が降り始めるころまでに地のすべての産物は収穫されており,それから(10月の初めごろ)仮小屋,もしくは幕屋の祭りが執り行なわれました。―出エジプト記 23:16。レビ記 23:39-43。
18 (イ)ヘブライ語の「年」という言葉の意味はどうして適切ですか。(ロ)地球に関する真太陽年とは何ですか。
18 年。聖書における時に関するこの研究で,次に「年」という表現を取り上げましょう。人間の歴史の初めから年のことが言及されています。(創世記 1:14)「年」というヘブライ語は「シャーナー」で,これは「繰り返す; 再び行なう」という意味の語根に由来し,時の周期という考えを含んでいます。これは適切な言葉でした。というのは,毎年季節の周期は繰り返されたからです。地球上の1年は,地球が太陽の周りを完全に1回公転もしくは周回するのに要する時間に関係しています。太陽年はさらに正確で,太陽が春分点を通過してから次に通過するまでの時間を指します。その平均は,365日5時間48分46秒,つまり約365 1/4日です。これは真太陽年と呼ばれています。
19 (イ)聖書によれば,昔,年はどのように数えられましたか。(ロ)エホバは後にどんな「教暦」を定められましたか。
19 聖書の年。昔の聖書的な計算方法によれば,1年は秋から秋までです。これは特に農業生活に適していました。1年は今日の10月の月の初めごろにかけて,すきで耕して種をまくことで始まり,収穫物の取り入れをもって終わるからです。ノアは年を秋に始まるものとして数えました。彼は大洪水が「第二の月」に始まったと記録していますが,その月は10月の後半から11月前半に相当したことでしょう。(創世記 7:11,脚注)今日でも,地上の多くの民族は依然として秋の時期を新年の始まりとしています。西暦前1513年にエジプトからの脱出が行なわれた時,エホバはアビブ(ニサン)をユダヤ人のための「始めの月」とするようお命じになったので,それ以後ユダヤ人は春から春までの教暦を持つことになりました。(出エジプト記 12:2)しかし,現代のユダヤ人は秋に始まる政暦つまり一般暦を守っており,ティシュリが第一の月になっています。
20 太陰年は太陽年に対応できるよう,どのように調整されましたか。太陰太陽年とは何ですか。
20 太陰太陽年。キリストの時代に至るまで,大抵の国民は時を計るために太陰年を用い,太陽年と大体一致させるよう,1年の長さを調節する様々な方法を使用していました。12太陰月で成る普通の太陰年は354日で,その各月は新月の現われ方によって29日もしくは30日になります。ですから,太陰年は365 1/4日の真太陽年よりも約11日と4分の1日短くなります。ヘブライ人は太陰年に従いました。彼らがその1年をどのように調整して太陽年や季節と合致させたかは聖書では説明されていませんが,必要に応じて余分の月,つまりうるう月を加えたに違いありません。このうるう月の取り決めはその後,西暦前5世紀に体系化され,今日ではメトン周期として知られるようになりました。こうして,19年ごとにうるう月が7回加えられることになり,ユダヤ暦では第12の月であるアダルの後に加えられ,それは「ベアダル」つまり「第二アダル」と呼ばれました。太陰暦がこのようにして太陽暦と合致するよう調整された場合,12ないし13か月で成るその年は太陰太陽年と呼ばれます。
21 (イ)ユリウス暦とは何ですか。(ロ)どうしてグレゴリオ暦の方がもっと正確ですか。
21 ユリウス暦とグレゴリオ暦。暦法とは,1年の始まりや長さや分け方を定め,それらの分け方を秩序立った仕方で決めた一つの体系です。ユリウス暦は西暦前46年に,太陰年の代わりに太陽年に基づく時間の取り決めをローマ人に与えるため,ユリウス・カエサルによって導入されました。ユリウス暦は365日から成る1年でできており,例外として4年目(うるう年)ごとに1日が加えられ,その年は366日とされます。しかし,時がたつうちに,ユリウス暦が実際には真太陽年よりも11分少々長いことが分かりました。西暦16世紀までには,まる10日の食い違いが生じました。そこで,1582年に教皇グレゴリウス13世はわずかに改正された暦を導入し,今日グレゴリオ暦として知られる暦法を制定しました。教皇教書により,1582年から10日が削除され,10月4日の翌日は10月15日とされました。グレゴリオ暦によれば,100の倍数の年のうち400で割り切れない年はうるう年とはみなされないことが規定されています。例えば,1900年は2000年とは違って400で割り切れないので,うるう年とはされません。グレゴリオ暦は今では世界の大抵の土地で一般に用いられている暦です。
22,23 預言的な年とはどれほどの長さの期間ですか。
22 預言的な「年」。聖書預言の中では,「年」という言葉はしばしば,各々の月を30日とする12か月,つまり合計360日に相当する期間としての特別の意味で使われています。エゼキエル 4章5節と6節に関する注解の中で一権威者が次のように述べていることに注目してください。「我々はエゼキエルが360日で成る1年について知っていたと考えなければならない。これは真太陽年でもなければ,太陰年でもない。それは各月が30日で成る『平均』年である」。c
23 預言的な年は「時」とも呼ばれており,啓示 11章2節と3節および12章6節と14節を調べれば,一「時」がどのようにして360日と計算されるかが分かります。預言の中では,1年は象徴的に1「日」によって表わされる場合もあります。―エゼキエル 4:5,6。
24 古代の多くの民族は数をどのように数え始めましたか。
24 存在しない0年。学識のあったギリシャ人,それにローマ人,およびユダヤ人を含め,古代の諸民族は0という概念を持っていませんでした。彼らにとって,すべては1から始まりました。学校でローマ数字(I,II,III,IV,V,Xなど)を勉強したとき,0に当たる数字を学びましたか。学ばなかったはずです。というのは,ローマ人にはそのような数字はなかったからです。ローマ人は0という数字を使いませんでしたから,西暦紀元は0年ではなく,西暦1年から始まりました。これがまた,第1,第2,第3,第10,および第100という序数の取り決めの基となったのです。現代数学においては,すべては無,つまり0から始まるものと考えられています。この0は多分,ヒンズー人によって考案されたのでしょう。
25 序数は基数とどのように異なりますか。
25 ですから,序数が用いられているときに全数を得るには,必ず1を差し引かなければなりません。例えば,20世紀中のある年代について語る場合,これはまる20世紀がたったという意味ですか。いいえ,それはまる19世紀に何年かを足すという意味です。全数を表わすために,聖書では現代の数学同様,1,2,3,10,100などの基数が用いられています。これらの数はまた,「整数」とも呼ばれています。
26 (イ)西暦前607年10月1日から西暦1914年10月1日までは何年間か,また(ロ)西暦前607年10月1日から2,520年後はいつかをそれぞれどうすれば計算できるでしょうか。
26 さて,西暦紀元は0年をもって始まったのではなく,西暦1年をもって始まりましたし,西暦紀元以前の暦年も0年からではなく,西暦前1年からさかのぼるのですから,どの年代に用いられている年数も実際には序数なのです。すなわち,西暦1990年は西暦紀元の始まり以来,まる1989年たったことを表わし,1990年7月1日という日付は西暦紀元の始まり以来の1989年と半年たったことを表わしています。同じ原則が西暦前の年代にも当てはまります。ですから,西暦前607年10月1日から西暦1914年10月1日までに何年が過ぎ去ったかを計算するには,606年(と前年の残りの3か月)を1913年(と翌年の最初の9か月)に加えます。すると,結果は2,519年(と12か月),つまり2,520年となります。あるいは,西暦前607年10月1日から2,520年後は何年になるかを計算したいなら,607が序数であることを思い出してください。それは実際にはまる606年を表わしています。また,西暦前607年12月31日からではなく,西暦前607年10月1日から計算するのですから,606に西暦前607年の終わりの3か月を足さなければなりません。さて,2,520年から606 1/4年を引きます。残りは1,913 3/4年です。ということは,西暦前607年10月1日から2,520年たつと,西暦紀元の時代に入って1,913 3/4年たつことになります。つまり,まる1,913年は西暦1914年の初めに当たります。これに3/4年を追加すれば,西暦1914年10月1日となります。d
27 要となる年代とは何ですか。それはどうして大いに価値がありますか。
27 要となる年代。聖書による信頼できる年代計算は,ある特定の要となる年代に基づいています。要となる年代とは,受け入れるに足る確かな根拠があると共に,聖書に記されたある特定の出来事と符合する,歴史上の暦の年代のことです。それがあれば,その年代を起点として聖書中の一連の出来事を暦の上で正確に位置づけることができます。この要となる時が一度確定されれば,明記されている人々の寿命や王たちの治世の期間など,聖書そのものの中にある正確な記録を用いて,その年代の前後に計算を進められます。こうして,わたしたちはある確証された点から始めて,聖書の数多くの出来事の年代を定めるのに,聖書そのものの中にある信頼できる年代順の記録を用いることができます。
28 ヘブライ語聖書のためには,どんな要となる年代が定められていますか。
28 ヘブライ語聖書のための要となる年代。聖書と一般の歴史の双方に記されている一つの顕著な出来事は,キュロスの率いるメディア人とペルシャ人によってバビロンの都が打ち破られたことです。聖書はこの出来事をダニエル 5章30節に記しています。様々な史料(ディオドロス,アフリカヌス,エウセビオス,プトレマイオス,およびバビロニア書板を含む)は西暦前539年がキュロスによるバビロン倒壊の年であることを裏付けています。ナボニドス年代記はその都が陥落した月日(年は不明)を示しています。ですから,一般の年代学者はバビロン陥落の日付をユリウス暦では西暦前539年10月11日,またグレゴリオ暦では同年10月5日としています。e
29 キュロスの布告はいつ出され,何を行なう機会が与えられましたか。
29 バビロンの倒壊後,キュロスは征服したバビロンの支配者となったその第一年に,ユダヤ人がエルサレムに戻ることを許した有名な布告を出しました。聖書の記録からすれば,その布告は西暦前538年の終わりごろ,もしくは西暦前537年の春ごろまでには出されたと思われます。こうして,ユダヤ人は故国に再び定住し,「第七の月」,つまりティシュリのころ,もしくは西暦前537年10月1日ごろ,エホバの崇拝を回復するため,エルサレムに上って行く十分の機会に恵まれたことでしょう。―エズラ 1:1-4; 3:1-6。f
30 西暦29年がクリスチャン・ギリシャ語聖書にとって要となる年代であると言えるのは,なぜですか。
30 クリスチャン・ギリシャ語聖書のための要となる年代。クリスチャン・ギリシャ語聖書のための要となる年代の一つは,ティベリウス・カエサルがアウグスツス皇帝の跡を継いだ日付によって定められます。アウグスツスは西暦14年8月17日(グレゴリオ暦)に死に,ティベリウスがローマの元老院により西暦14年9月15日に任命されました。ルカ 3章1節と3節には,バプテスマを施す人ヨハネがティベリウスの治世の第15年にその宣教を始めたと述べられています。もし,アウグスツスの死んだ時から計算するなら,その第15年は西暦28年の8月から同29年の8月までの期間となりますし,ティベリウスが元老院により皇帝として任命された時から計算するなら,第15年は西暦28年の9月から同29年の9月までの期間となります。その後まもなく,バプテスマを施す人ヨハネより約6か月年下のイエスはバプテスマを受けましたが,その時,「およそ三十歳」でした。(ルカ 3:2,21-23; 1:34-38)これは,「エルサレム[とその城壁]を修復して建て直せという言葉が発せられて」からメシアが出現するまでに69「週」(各々7年で成る預言的な「週」で,合計483年)が経過するというダニエル 9章25節の預言と合致します。(ダニエル 9:24,脚注)その「言葉」はアルタクセルクセス(ロンギマヌス)により西暦前455年に正式に出され,その年の後半にネヘミヤによりエルサレムで実行されました。そして,483年の後,西暦29年の後半に,イエスはヨハネによってバプテスマを施され,同時に神からの聖霊によって油そそがれ,こうしてメシア,つまり油そそがれた者となられました。また,イエスがその年の後半にバプテスマを受けて宣教を始められたことは,彼が「週[年]の半ばに」(つまり,3年半の後に)絶たれることになっていた預言と合致します。(ダニエル 9:27)イエスは春に亡くなられたのですから,その宣教が行なわれた3年半の期間は西暦29年の秋に始まったに違いありません。g ついでながら,これら2種類の証拠はまた,イエスが西暦前2年の秋に生まれたことを証明しています。というのは,ルカ 3章23節は,イエスがその業を開始した時,およそ30歳であったことを示しているからです。h
31 (イ)時の経過する度合いはなぜ異なっているように見えますか。(ロ)したがって,若い人々にはどんな有利な点がありますか。
31 時はどのようにより速く流れるか。「じっと見ていると,湯沸かしは煮え立たない」ということわざがあります。時間を見守り,それを意識し,何かが起こるのを待っていると,確かに時間がたつのは大変遅く思えるものです。ところが,忙しくして,自分のしていることに関心を持ち,夢中になっていると,実際,「時間は速くたつ」ように思えるものです。その上,年配の人々には幼い子供たちの場合よりも時間はずっと速く過ぎ去るように思えます。これはどうしてでしょうか。1歳の子供の人生に加えられる1年は,人生経験の点では100%の増加を意味しています。50歳の人の人生に加えられる1年は,わずか2%の増加を意味するにすぎません。子供にとって1年は非常に長い時間のように思えます。年配の人は,もし忙しく働いて,健康にも恵まれているなら,1年がますます速く過ぎ去って行くように感ずるものです。そのような人は,「日の下には新しいものは何もない」という言葉の意味を一層深く理解するようになります。一方,若い人々は依然として成育期にあるので,その年はより遅く過ぎて行くように思えます。そのような人たちは物質主義の世と共に「風を追う」代わりに,敬虔な経験という富を蓄えて,若い時代の年月を有利な仕方で用いることができるでしょう。ソロモンがさらに次のように述べた言葉は時宜にかなったものです。「それで,あなたの若い成年の日にあなたの偉大な創造者を覚えよ。災いの日々がやって来る前に,『自分はそれに何の喜びもない』と言う年が到来する前に」。―伝道の書 1:9,14; 12:1。
32 人間はどのようにして時に関するエホバの見方を一層十分に認識するようになりますか。
32 人々が永久に生きる時。しかし,決して災いとはならない喜ばしい時代が前途に待ち受けています。義を愛する人たちの『時はエホバのみ手にあります』が,そのような人たちは神の王国の領域で永遠の命を享受する時を待ち望めるでしょう。(詩編 31:14-16。マタイ 25:34,46)王国のもとでは,死はもはやなくなるでしょう。(啓示 21:4)怠惰,病気,退屈さ,むなしさなども消えうせてしまうでしょう。その時にはなすべき仕事があります。それは人間の完全な能力を発揮することを求める,非常に興味深い魅惑的な仕事ですから,それを成し遂げる時,非常な満足感を味わえるでしょう。年月はいよいよ速く流れてゆくように感じられ,物事の真価を認める,優れた記憶力を備えた人間の思いは,幸福な出来事の思い出で絶えず豊かにされてゆくことでしょう。幾千年かがたつにつれ,この地上の人間は確かに,時に関するエホバの次のような見方を一層十分に認識できるようになるでしょう。こう記されています。『エホバの目には千年もまるで過ぎ去った昨日のようだからです』― 詩編 90:4。
33 時に関して言えば,エホバはどんな祝福を命じておられますか。
33 現在の人間の見地から時の流れを考え,義の新しい世に関する神の約束を考慮に入れるとき,その日の祝福には何と喜ばしい見込みがあるのでしょう。「エホバはそこに祝福が,まさに定めのない時に至る命があるようにとお命じになったからである」と記されているとおりです!―詩編 133:3。
[脚注]
a ジェームズ王欽定訳のアラム語から訳されたダニエル 3章6,15節; 4章19,33節; 5章5節には「時間」という言葉が出ています。しかしストロング編,「用語索引,ヘブライ語・カルデア語辞典」(英文)は,この語の意味を「一見,すなわち一瞬」としています。この語は新世界訳聖書では,「即刻」その他の形に訳されています。
b これらの聖句の脚注をご覧ください。
c 「聖書の暦法」(英文),1961年,J・バン・ゴードエバー,75ページ。
d 「聖書に対する洞察」(英文),第1巻,458ページ。
e 「聖書に対する洞察」(英文),第1巻,453,454,458ページ; 第2巻,459ページ。
f 「聖書に対する洞察」(英文),第1巻,568ページ。
g 「聖書に対する洞察」(英文),第2巻,899-902ページ。
h 「聖書に対する洞察」(英文),第2巻,56-58ページ。
[281ページの図表]
イスラエル人の一年
月の名称 ニサン(アビブ)
対応する現行の月 3月-4月
教暦 第1月
政暦 第7月
祭り ニサン14日 過ぎ越し
ニサン15-21日 無酵母パンの祭り
ニサン16日 初穂の捧げ物
月の名称 イヤル(ジウ)
対応する現行の月 4月-5月
教暦 第2月
政暦 第8月
引用 列王第一 6:1
月の名称 シワン
対応する現行の月 5月-6月
教暦 第3月
政暦 第9月
引用 エステル 8:9
祭り シワン6日 七週の祭り(ペンテコステ)
月の名称 タンムズ
対応する現行の月 6月-7月
教暦 第4月
政暦 第10月
引用 エレミヤ 52:6
月の名称 アブ
対応する現行の月 7月-8月
教暦 第5月
政暦 第11月
引用 エズラ 7:8
月の名称 エルル
対応する現行の月 8月-9月
教暦 第6月
政暦 第12月
引用 ネヘミヤ 6:15
月の名称 ティシュリ(エタニム)
対応する現行の月 9月-10月
教暦 第7月
政暦 第1月
引用 列王第一 8:2
祭り ティシュリ1日 ラッパの吹奏の日
ティシュリ10日 贖罪の日
ティシュリ15-21日 仮小屋の祭り
ティシュリ22日 聖会
月の名称 ヘシュワン(ブル)
対応する現行の月 10月-11月
教暦 第8月
政暦 第2月
引用 列王第一 6:38
月の名称 キスレウ
対応する現行の月 11月-12月
教暦 第9月
政暦 第3月
引用 ネヘミヤ 1:1
月の名称 テベト
対応する現行の月 12月-1月
教暦 第10月
政暦 第4月
引用 エステル 2:16
月の名称 シェバト
対応する現行の月 1月-2月
教暦 第11月
政暦 第5月
引用 ゼカリヤ 1:7
月の名称 アダル
対応する現行の月 2月-3月
教暦 第12月
政暦 第6月
引用 エステル 3:7
月の名称 ベアダル
対応する現行の月 (うるう月)
教暦 第13月
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研究3 ― 時の流れの中で出来事の年代を算定する『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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霊感による聖書およびその背景に関する研究
研究3 ― 時の流れの中で出来事の年代を算定する
聖書時代における時の計算の仕方と,ヘブライ語聖書とギリシャ語聖書の際立った出来事の年代記述に関する討議。
1 (イ)エホバが時間厳守者であられることを何が示していますか。(ロ)聖書の年代記述を理解する点でどんな進歩が見られましたか。
エホバのみ使いは「北の王」と「南の王」に関する幻をダニエルに与えたとき,「定めの時」という表現を数回用いました。(ダニエル 11:6,27,29,35)また,エホバがその目的を時間通り正確に成し遂げる時間厳守者であられることを示す聖句は,ほかにも数多くあります。(ルカ 21:24。テサロニケ第一 5:1,2)エホバはそのみ言葉,聖書の中に,重要な出来事を時の流れの中で位置づけるのに役立つ「道標」ともいうべきものを幾つか備えてくださいました。聖書の年代記述に関する理解は大いに進んできました。考古学者その他による研究は様々な問題に引き続き光を投げかけており,その結果,聖書の記録の中の主要な出来事の起きた時を確定することができるようになりました。―箴言 4:18。
2 序数による計算の実例を挙げてください。
2 序数と基数。前の課の研究(24と25節)の中で,基数と序数には違いがあることを学びました。聖書中の種々の期間を現代の年代算定法と合致した仕方で算定する際,そのことを念頭に置くべきです。例えば,「ユダの王エホヤキンの流刑の三十七年目」について言うと,「三十七年目」というのは序数です。これは,まる36年に(36年目が終わった後に経過した)何日か何週間か,あるいは何か月かを加えた期間であることを表わしています。―エレミヤ 52:31。
3 (イ)国事に関するどんな記録は聖書中の年代を確定するのに役立ちますか。(ロ)在位年とは何ですか。即位年とは何ですか。
3 在位年と即位年。聖書はユダやイスラエルの政府の国事に関する記録はもとより,バビロンやペルシャの国事にも言及しています。これら四つの王国ではいずれも,歴代の王の在位期間にしたがって国事の年代が正確に算定され,年代順に記録されましたが,この同じ算定方法が聖書にも取り入れられました。聖書には,例えば,「ソロモンの事績の書」などのように,引用された文書の名称がしばしば出てきます。(列王第一 11:41)王の治世にはある期間の即位年が含まれており,その後まる1年ごとの在位年が続きました。在位年は王が位についていた公式の年数で,普通ニサンからニサンまで,つまり春から春までを数えました。王が位を継承すると,次の春の月ニサンまでの間の何か月かはその王の即位年と呼ばれ,その間は前任者のためにその任期を勤め上げました。しかし,その王自身の公式の在位期間は次のニサン一日に始まるものとして数えられました。
4 聖書に記録された出来事の年代は在位年数にしたがってどのように計算されるかを述べなさい。
4 例えば,ソロモンは西暦前1037年のニサン以前のある時に統治し始めたようですが,その時ダビデはなおも生存していました。その後ほどなくしてダビデは死にました。(列王第一 1:39,40; 2:10)しかし,ダビデの最後の在位年は西暦前1037年の春まで続き,依然として40年にわたる統治期間の一部として数えられました。ソロモンの治世の始まりから西暦前1037年の春までの1年未満の期間は,ソロモンの即位年と呼ばれていますが,その在位年としては数えることができませんでした。というのは,彼は依然として父の統治期間を勤め上げていたからです。したがって,ソロモンの最初の在位満1年は西暦前1037年のニサンまで始まりませんでした。(列王第一 2:12)やがて,満40年の在位年がソロモンの王としての統治期間として認められるようになりました。(列王第一 11:42)このようにして,在位年と即位年とを別個に扱うことにより,聖書の年代記述の個々の年代を正確に算定することができます。a
アダムの創造までさかのぼって計算する
5 エホバの崇拝がエルサレムで回復された年代はどのようにして確定されますか。
5 要となる年代から始める。アダムの創造までさかのぼって計算するための要となる年代は,キュロスがバビロニア王朝を倒壊させた年,すなわち西暦前539年です。b キュロスはその第1年に,すなわち西暦前537年の春以前に,ユダヤ人の解放を命じる布告を出しました。エズラ 3章1節は,イスラエルの子らが第七の月,つまり9月から10月にまたがる期間に当たるティシュリまでにエルサレムに戻っていたことを伝えています。それで,西暦前537年の秋は,エホバの崇拝がエルサレムで回復された年と考えられます。
6 (イ)予告されたどんな期間が西暦前537年の秋に終わりましたか。(ロ)その期間はいつ始まったに違いありませんか。種々の事実はこのことをどのように支持していますか。
6 西暦前537年の秋にエホバの崇拝がこのように回復されたことは,ある預言的な期間の終わりを画するものとなりました。それはどんな期間ですか。それは約束の地が『必ず荒れ廃れた所となる七十年』の期間のことで,この期間についてエホバはまた,「バビロンで七十年が満ちるにつれて,わたしはあなた方に注意を向けるであろう。わたしはあなた方をこの場所に連れ戻して,わたしの良い言葉をあなた方に対して立証する」と言われました。(エレミヤ 25:11,12; 29:10)この預言に精通していたダニエルは,「七十年」が終わりに近づくにつれて,この預言と調和して行動しました。(ダニエル 9:1-3)それで,西暦前537年の秋に終わった「七十年」の期間は,西暦前607年の秋に始まったに違いありません。種々の事実がこのことを裏書きしています。エレミヤ 52章はエルサレムの攻囲,バビロニア人による突破作戦,西暦前607年におけるゼデキヤ王の逮捕などの重大な出来事について述べています。それから,12節の述べるところによれば,「第五の月,その月の十日」,すなわちアブ(7月から8月にわたる時期に当たる)の10日にバビロニア人は神殿と都を焼きました。しかし,この時点では「七十年」の期間はまだ始まってはいませんでした。ユダヤ人の主権の多少の名残は,残存しているユダヤ人の村落の総督としてバビロンの王により任命された人であるゲダリヤのうちに依然残っていました。「第七の月に」ゲダリヤとほかの何人かの人々は暗殺されたため,残っていたユダヤ人は恐れてエジプトに逃げ去りました。そのとき初めて,つまり西暦前607年10月1日ごろからその地は完全な意味で「荒廃し……七十年を満了(する)」ことになりました。―列王第二 25:22-26。歴代第二 36:20,21。
7 (イ)ソロモンの死後,王国が分裂した時までの年数はどのようにして逆算できますか。(ロ)エゼキエルの預言によってこのことはどのように支持されていますか。
7 西暦前607年から同997年まで。エルサレムの陥落の時から,ソロモンの死後王国が分裂した時までさかのぼるこの期間を算定するには,数多くの難問題を克服しなければなりません。しかし,列王記第一および第二に記されているイスラエルとユダの歴代の王の治世を比較すると,この期間は390年に及ぶことが分かります。この数字が正しいことを示す強力な証拠はエゼキエル 4章1節から13節の預言です。この預言に示されているとおり,これはエルサレムが攻囲され,その住民が諸国民によってとりことして連れて行かれる時を指し示しています。そのことは西暦前607年に起きました。それで,ユダの場合に関して述べられている40年の期間はエルサレムの荒廃と共に終わりました。イスラエルの場合に関して述べられている390年の期間は,サマリアが滅ぼされた時に終わったわけではありません。なぜなら,エゼキエルが預言をした時には,それはすでに遠い昔の出来事だったからです。この預言は,エルサレムの攻囲と滅びを指し示していることをはっきりと述べています。ですから,「イスラエルの家のとが」もまた,西暦前607年に終わりました。この年代から逆算すると,390年の期間は西暦前997年に始まったことが分かります。ソロモンの死後,ヤラベアムはその年にダビデの家と関係を絶ち,「イスラエルをエホバに従うことから引き離し,彼らに大いなる罪をおかさせ」ました。―列王第二 17:21。
8 (イ)どのようにして出エジプトの時代までさかのぼって年代を計算できますか。(ロ)この時代のどんな変化が聖書の年代記述に影響を及ぼしますか。
8 西暦前997年から同1513年まで。ソロモンの在位満40年の最後の年は西暦前997年の春に終わりましたから,その最初の在位年は西暦前1037年の春に始まったことになります。(列王第一 11:42)聖書の記録は列王第一 6章1節で,ソロモンがその治世の第四年の第二の月にエルサレムでエホバの家を建て始めたことを述べています。これはその治世の満3年1か月がたった時であることを示していますから,神殿を建て始めた時は西暦前1034年の4月から5月にわたる時期ということになります。しかし,その同じ聖句は,それが「イスラエルの子らがエジプトの地を出てから四百八十年目」であったとも述べています。ここでも,480年目というのは序数ですから,満479年を表わしています。したがって,1034年に479年を足すと,イスラエルがエジプトから出た年として西暦前1513年という年代が得られます。研究 2の19節は,西暦前1513年以降,アビブ(ニサン)がイスラエルにとって「一年の最初の月」として数えられるようになったこと(出エジプト記 12:2),そしてそれ以前は1年が秋のティシュリの月に始まったことを説明しています。「新シャフ-ヘルツォーク宗教知識百科事典」(英文)は1957年版,第12巻,474ページでこう注解しています。「歴代の王の在位年数を計算する仕方は,春に始まる年に基づいており,これは一般的に行なわれていたバビロニア人の方法と類似している」。1年の始まりを秋から春に変えて年代を定める仕方が聖書中の期間に適用されるようになった時には,決まって時を数える際どこかで6か月が失われたり,加えられたりしたものと考えられます。
9 (イ)記録はアブラハム契約が発効した時まで,どのように年代をさかのぼれますか。(ロ)この期間の最初の215年はどのように説明できますか。(ハ)アブラハムはカナンへ行く途中,ユーフラテス川を渡ったとき,何歳でしたか。
9 西暦前1513年から同1943年まで。出エジプト記 12章40節と41節で,モーセは,「エジプトに住んだイスラエルの子らのその居住の期間は四百三十年であった」と記録しています。この言葉遣いからすれば,この「居住の期間」全部がエジプトで費やされたのではないことが分かります。この期間はアブラハムがカナンへ行く途中,ユーフラテス川を渡った時に始まっており,その時にアブラハムとエホバとの契約が効力を発しました。この「居住の期間」の最初の215年はカナンで費やされ,それから同じ長さの期間がエジプトで費やされ,ついにイスラエルは西暦前1513年に,エジプトによる支配とエジプトに対する依存から完全に独立するようになりました。c 出エジプト記 12章40節に関する新世界訳の脚注が示すように,マソラ本文よりも古いヘブライ語本文に基づくギリシャ語セプトゥアギンタ訳では,「エジプト」という言葉の後に「とカナンの地に」という言葉が加えられています。サマリア五書も同様です。この430年の期間について述べているガラテア 3章17節も,アブラハムがカナンへ向かう途中,ユーフラテス川を渡った時,アブラハム契約が発効すると同時にこの期間が始まったことを裏付けています。したがって,それは西暦前1943年のことで,その時アブラハムは75歳でした。―創世記 12:4。
10 ほかのどんな一連の証拠がアブラハムの時代の年代記述を支持していますか。
10 ほかの一連の証拠も上記の計算の仕方を支持しています。使徒 7章6節では,アブラハムの胤が400年の間苦しめられることが述べられています。エホバがエジプトによる苦しみを西暦前1513年に除き去られたのですから,その苦しみが始まったのは西暦前1913年に違いありません。これはイサクが生まれてから5年後のことで,乳離れをしたイサクをイシュマエルが『からかっていた』時に当たります。―創世記 15:13; 21:8,9。
11 聖書の時間表によれば,大洪水の年までどのようにさかのぼれますか。
11 西暦前1943年から同2370年まで。これで,アブラハムは西暦前1943年にカナンに入った時,75歳であったことが分かりました。今や,時の流れをさらにさかのぼって,ノアの時代までたどることができます。創世記 11章10節から12章4節の中でわたしたちのために示されている種々の期間を用いて,そうすることができます。その計算の仕方は次のとおりです。合計年数は427年です。
大洪水の始まりからアルパクシャドの誕生まで 2年
次にシェラハの誕生まで 35年
エベルの誕生まで 30年
ペレグの誕生まで 34年
レウの誕生まで 30年
セルグの誕生まで 32年
ナホルの誕生まで 30年
テラの誕生まで 29年
テラの死まで。この時アブラハムは75歳 205年
合計 427年
西暦前1943年に427年を加えると,西暦前2370年となります。このようなわけで,聖書の時間表は,ノアの時代の大洪水が西暦前2370年に始まったことを示しています。
12 どのようにしてアダムの創造の時までさかのぼって年代を計算できますか。
12 西暦前2370年から同4026年まで。時の流れをさらにさかのぼって行くと,聖書は大洪水の時からアダムの創造の時までの全期間の年数を示していることに気づきます。これは創世記 5章3節から29節,および7章6節と11節によって確定されます。その年代の数え方は次のように要約できます。
アダムの創造からセツの誕生まで 130年
次にエノシュの誕生まで 105年
ケナンの誕生まで 90年
マハラレルの誕生まで 70年
ヤレドの誕生まで 65年
エノクの誕生まで 162年
メトセラの誕生まで 65年
レメクの誕生まで 187年
ノアの誕生まで 182年
大洪水まで 600年
合計 1,656年
以前に計算した西暦前2370年という年代に1,656年を加えると,アダムの創造の時は西暦前4026年のおそらく秋ということになります。というのは,大抵,昔の暦の1年は秋に始まったからです。
13 (イ)では,この地上の人類の歴史はどれほどの期間を経ましたか。(ロ)この期間はどうしてエホバの休みの日の長さと合致しませんか。
13 今日,このことにはどんな意義がありますか。1963年に発行された本書の初版(英文)はこう述べています。「では,これは,エホバが『そのすべての業を休んでおられる』その『日』が1963年までに5,988年経過したことを意味していますか。(創世記 2:3)そうではありません。というのは,アダムが創造された時はエホバの休みの日の始まりに当たるわけではないからです。アダムの創造に続いて,なお創造の第六日のうちに,エホバはさらに動物や鳥などの被造物を形造られたように思えます。また,エホバはアダムに動物の名を付けさせましたが,それにはある程度の時間がかかりました。それからさらに,エバを創造されました。(創世記 2:18-22。また,19節に関する新世界訳,1953年版[英文]の脚注もご覧ください)アダムの創造から『六日目』の終わりまでにどれほどの時間が経過したにしても,『七日目』の始まりから[1963]年までに経過した時間の実際の長さを知るには,その『六日目』の終わりまでに経過した時間を5,988年から差し引かなければなりません。時の流れの中でなお将来の事柄に属する種々の年代について推測するのに聖書の年代記述を用いるのは無駄なことです。―マタイ 24:36」。d
14 人間の起源に関する聖書の記述の方がどうして人間の仮説や理論よりも好ましいと言えますか。
14 人間はこの地上に何十万年,あるいは何百万年も生存してきたという科学上の主張についてはどうですか。聖書の出来事の場合とは違って,その種の主張はどれ一つとしてそのような昔の時代の書かれた記録によって立証できるわけではありません。いわゆる“先史時代人”の出現した時として示されている途方もない年代は証明できない仮定に基づいています。事実,信頼できる一般の歴史やその年代表によれば,せいぜい数千年しかさかのぼれません。地球はノアの時代の世界的大洪水のような多くの変化や大変動を経てきており,そのために岩石の層や化石の保存状態は相当乱されており,大洪水以前の年代に関する科学的な発表はいずれも極めて推測的なものとなっています。e 人間の矛盾した仮説や理論のすべてとは対照的に,聖書は人間の起源に関する明確で調和のとれた記述やエホバの選ばれた民に関する,綿密な文書資料に基づく歴史によって,理性に訴えています。
15 聖書を研究すると,人はどのような影響を受けるはずですか。
15 聖書を調べ,偉大な時間厳守者であられるエホバ神の業を思い巡らすとき,人は非常に謙虚な気持ちを抱かされるはずです。無限の力を持たれる神と比べて,死ぬべき人間は本当に小さな存在です。幾十世紀とも知れない遠い昔に行なわれた,神のこの驚くべき創造の働きは,聖書の中で,「初めに神は天と地を創造された」と,実に簡潔に述べられています。―創世記 1:1。
地上におけるイエスの在住期間
16 (イ)四福音書はどのような順序で書き記されましたか。(ロ)どうすれば,イエスが宣教に携わり始めた年代を算定できますか。(ハ)それぞれ異なった福音書の中で,種々の出来事はどのような順序で述べられていますか。ヨハネの記述について言えば,どんな点に注目できますか。
16 イエスの地上での生活に関する霊感による四つの記述は,次のような順序で書かれたようです。マタイ(西暦41年ごろ),ルカ(西暦56-58年ごろ),マルコ(西暦60-65年ごろ)そしてヨハネ(西暦98年ごろ)。前の章で説明した通り,ルカ 3章1節から3節にある情報とティベリウス・カエサルの治世の初めの年である西暦14年という年代とを用いると,西暦29年がこの地上でのイエスの注目すべき宣教の開始された年となります。マタイに記されている出来事は必ずしも年代順に並べられてはいませんが,ほかの三つの書はおおむね,重要な出来事を実際に起きた順序に従って述べているようです。それらの出来事は掲載した一覧表の中に要約されています。それを見ると,ヨハネの記述はほかの三つの記述の最後のものが書かれた後,30年余りたってから書かれたものですが,ほかの記述では扱われていない歴史上重要な空白箇所を埋め合わせていることが分かります。特に注目に値するのは,イエスが地上で宣教に携わられた時,過ぎ越しが4回守られたことをヨハネが明らかにしている点です。このことは,その宣教の期間は3年半で,西暦33年に終わったことを確証しています。f ―ヨハネ 2:13; 5:1; 6:4; 12:1; 13:1。
17 ほかのどんな証拠がイエスの亡くなった年代を裏付けていますか。
17 また,イエスが西暦33年に亡くなられたことは他の証拠によっても確証されています。モーセの律法によれば,ニサン15日は,それがどの日に当たろうとも常に特別の安息日でした。もしそれが普通の安息日と重なるなら,その日は「大いなる」安息日と呼ばれました。ヨハネ 19章31節は,イエスの亡くなった日の翌日がそのような安息日であったことを示していますから,イエスの亡くなられた日は金曜日でした。それに,ニサン14日が金曜日だったのは,西暦31年,あるいは32年ではなく,西暦33年だけでした。ですから,イエスが亡くなられたのは,西暦33年ニサン14日だったに違いありません。g
18 (イ)ダニエルは69「週」に関してどんなことを預言しましたか。(ロ)ネヘミヤによれば,この期間はいつ始まりましたか。(ハ)アルタクセルクセスの治世の始まった年はどのようにして算出できますか。
18 西暦29年から同36年までの第70「週」。また,イエスの宣教の時間的特徴は,ダニエル 9章24節から27節でも取り扱われています。その節は,「エルサレムを修復して建て直せという言葉が発せられてから指導者であるメシアまでに」69週年(483年)が経過することを予告しています。ネヘミヤ 2章1節から8節によれば,この言葉はペルシャの王「アルタクセルクセスの第二十年」に出されました。アルタクセルクセスはその統治をいつ開始しましたか。その父で,前任者であったクセルクセスは,西暦前475年の後半に死にました。したがって,アルタクセルクセスの即位年は西暦前475年に始まりました。ギリシャ,ペルシャ,およびバビロニアの資料で,このことを裏付けている強力な証拠があります。例えば,ギリシャの歴史家ツキディデス(正確さで有名になった史家)は,アルタクセルクセスが「王位について間もない」ころ,ギリシャの政治家テミストクレスがペルシャに逃れたことについて書いています。西暦前1世紀のもう一人の歴史家ディオドロス・シクルスは,テミストクレスが死んだ年代を西暦前471もしくは470年であることを確証できるようにしてくれています。テミストクレスは自分の国から逃げ去った後,アルタクセルクセスの前に出るまでに1年間ペルシャ語を勉強する許可を求め,その通りに行なわれました。したがって,テミストクレスがペルシャに居住することになったのは,西暦前472年よりも後ではなかったはずで,ペルシャに到着した年代を西暦前473年とするのが穏当でしょう。当時,アルタクセルクセスは「王位について間もない」時分でした。h
19 (イ)「アルタクセルクセスの第二十年」から数えて,メシアが現われる年をどのようにして算定しますか。(ロ)70「週」に関する預言はこの年以降どのように成就しましたか。
19 このようなわけで,「アルタクセルクセスの第二十年」は西暦前455年だったことになります。この時点から483年(69「週」)を数えると,西暦紀元に移る際0年がなかったことを思い起こせば,「指導者であるメシア」の出現する年は西暦29年となります。イエスはその年の秋にバプテスマを受け,聖霊によって油そそがれてメシアとなりました。その預言はまた,「[第70]週の半ばに,彼は犠牲と供え物とを絶えさせる」ことをも示しています。このことは,イエスがご自身を犠牲としてささげたため,ユダヤ人のささげる予型的な犠牲が効力を失った時に起きました。この「週」年の「半ば」は3年半経過した西暦33年の春になりますが,そのときイエスは死刑に処せられました。しかし,この第70週の期間中ずっと,『彼は多くの者のために契約の効力を保たねばなりません』でした。これはエホバの特別の恵みが西暦29年から同36年までの7年間引き続きユダヤ人に示されることを意味しています。その後初めて,西暦36年にコルネリオが改宗することによって示された通り,割礼を受けていない異邦人も霊的なイスラエル人となる道が開かれました。i ―使徒 10:30-33,44-48; 11:1。
使徒時代の種々の年を計算する
20 ヘロデの死とそれに先行する出来事の起きた時を定める点で,一般の歴史と聖書の記録はどのように合致しますか。
20 西暦33年から同49年までの期間。西暦44年という年は,この時期の有用な年代として受け入れることができるでしょう。ヨセフス(「ユダヤ戦記」,XIX,351[viii,2])によれば,ヘロデ・アグリッパ1世はローマ皇帝クラウディウスの即位(西暦41年)後,3年間治めました。歴史上の証拠は,このヘロデが西暦44年に死んだことを示しています。j さて,聖書の記録を調べてみると,アガボが来たるべき大飢きんに関して「霊によって」預言し,使徒ヤコブが剣で殺され,ペテロが(過ぎ越しの時に)投獄され,奇跡的に解放されたのは,ヘロデの死ぬ少し前だったことが分かります。これらすべての出来事の年代は西暦44年と算定できるでしょう。―使徒 11:27,28; 12:1-11,20-23。
21 どんな根拠に基づいて,パウロの最初の宣教旅行の大体の年代を算定できますか。
21 西暦46年ごろ,予告されていた飢きんが起きました。ですから,パウロとバルナバが『救援の仕事を果たした』のは,この時だったに違いありません。(使徒 12:25)この二人はシリアのアンティオキアに戻った後,最初の宣教旅行を行なうよう,聖霊によって取り分けられました。その宣教旅行はキプロスを初め,小アジアの多くの都市や地区に及ぶものでした。k この旅行は恐らく,小アジアで過ごした一冬を含め,西暦47年の春から同48年の秋にまで及んだことでしょう。パウロはその次の冬をシリアのアンティオキアに戻って過ごしたようです。こうして時は西暦49年の春となります。―使徒 13:1-14:28。
22 ガラテア 1,2章に述べられているパウロの2度のエルサレム訪問の年代はどのように算定できますか。
22 ガラテア人への手紙の1章と2章の記録は,この年代計算と調和するようです。ここでパウロは,改宗後エルサレムへさらに2度特別に訪問したことを述べていますが,一度は「三年後」,そしてもう一度は「十四年後」のことでした。(ガラテア 1:17,18; 2:1)もし,これら二つの期間の年数を,当時の習慣に従って序数と解するなら,またパウロの改宗がその記録によって示唆されているように,使徒時代の初期に起きたとするなら,その3年と14年は西暦34年から同36年および西暦36年から同49年までの連続した期間とみなせるでしょう。
23 ガラテア 2章と使徒 15章は共に西暦49年におけるパウロのエルサレム訪問と関係があることを,どんな証拠が示していますか。
23 ガラテア人への手紙の中で述べられているパウロの2度目のエルサレム訪問は,割礼の問題と関係があったように思われます。というのは,パウロに同行したテトスさえ,割礼を受けるよう求められなかったと言われているからです。もしこれが使徒 15章1節から35節で説明されている割礼に関する裁定を求めるための訪問と同じであれば,西暦49年はパウロの最初の宣教旅行と2度目の宣教旅行との間の時期とぴったり合います。その上,ガラテア 2章1節から10節によれば,パウロはこの機会を利用してエルサレム会衆の「主立った人々」の前に,彼が宣べ伝えていた良いたよりを示しました。それは,『自分が無駄に走っていはしまいかと思ったからです』。これは,実際その最初の宣教旅行の後に彼らに報告して当然行なったであろうと思われる事柄です。パウロは「啓示があったので」,エルサレムへのこの訪問を行ないました。
24 パウロは何年から何年までの間に2回目の宣教旅行を行ないましたか。パウロがコリントに着いたのは西暦50年の終わり近くに違いないと言えるのはどうしてですか。
24 西暦49年ごろから同52年ごろまでのパウロの2回目の宣教旅行。パウロはエルサレムから戻った後,シリアのアンティオキアで時を過ごしました。したがって,彼がそこをたって2度目の旅行を始めたのは西暦49年の夏もかなり過ぎたころだったに違いありません。(使徒 15:35,36)この旅行は最初のものよりもずっと広範囲にわたるもので,小アジアで冬を過ごさなければならなかったようです。彼がマケドニア人の招きにこたえ応じてヨーロッパに渡って行ったのは,恐らく西暦50年の春だったでしょう。こうして彼は宣べ伝え,フィリピ,テサロニケ,ベレアおよびアテネでそれぞれ新しい会衆を組織しました。こうして彼は,およそ2,090㌔の行程をほとんど徒歩で旅行した後,西暦50年の秋にアカイア州のコリントにたどり着きました。(使徒 16:9,11,12; 17:1,2,10,11,15,16; 18:1)使徒 18章11節によれば,パウロはそこに18か月とどまりましたから,時は西暦52年の初めごろとなります。冬も終わったので,パウロはエフェソス経由でカエサレアに向けて出帆しました。彼は,明らかにエルサレムの会衆にあいさつをするために上って行った後,恐らく西暦52年の夏に本拠地であるシリアのアンティオキアに帰りました。l ―使徒 18:12-22。
25 (イ)考古学はパウロが初めてコリントを訪れた時期が西暦50-52年であることをどのように支持していますか。(ロ)アクラとプリスキラが「最近イタリアから来た」という事実は,このことをどのように確証していますか。
25 考古学上の発見も西暦50年から52年をパウロが初めてコリントを訪れた年代として支持しています。それは皇帝クラウディウス・カエサルからギリシャのデルポイ人にあてられた答書の碑文の断片で,その中には,「[ルキウス・ユ]ニウス,ガリオ,……執政官代理」という言葉が含まれています。この碑文にやはり見られる26という数字は,クラウディウスが皇帝として26回目の推挙を受けたことを指しているという点で,歴史家は大体意見の一致を見ています。ほかの碑文は,クラウディウスが皇帝としての27回目の推挙を52年8月1日以前に受けたことを示しています。この執政官代理の任期は夏の初めに始まって,1年間にわたりました。このようなわけで,ガリオがアカイアの執政官代理を務めた年は,西暦51年の夏から52年の夏までだったようです。「さて,ガリオがアカイアの執政官代理だった時であるが,ユダヤ人たちはパウロに敵していっせいに立ち上がり,彼を裁きの座に引いて行っ(た)」と記されています。ガリオがパウロを無罪とした後,同使徒は「なおかなりの日数」とどまり,それからシリアに向けて船出しました。(使徒 18:11,12,17,18)このすべては,パウロの18か月にわたるコリント滞在期間の終わりが西暦52年の春であったことを確証しているように思えます。時を示すもう一つのしるしは,パウロがコリントに到着した時,「ポントス生まれの人で,クラウディウスがユダヤ人すべてにローマ退去を命じたために最近イタリアから来た,アクラという名のユダヤ人と,その妻プリスキラに会った」という一文に見いだせます。(使徒 18:2)5世紀初頭の歴史家パウルス・オロシウスによれば,この追放命令はクラウディウスの第9年,西暦49年,もしくは西暦50年の初めに出されました。こうして,アクラとプリスキラはその年の秋の少し前にコリントに着くことができ,パウロが西暦50年の秋から52年の春までそこにとどまることができたと考えられます。a
26 パウロの3回目の宣教旅行の一連の時期を示すどんな年代が挙げられますか。
26 西暦52年ごろから同56年ごろまでのパウロの3回目の宣教旅行。パウロはシリアのアンティオキアで「しばらく」過ごした後,再び小アジアに出かけて行きました。そして,恐らく西暦52年から53年にかけての冬までにはエフェソスに着いたと考えられます。(使徒 18:23; 19:1)パウロは「三か月」過ごし,それからエフェソスで「二年」間教え,その後マケドニアへたちました。(使徒 19:8-10)後日,彼はエフェソスから来た監督たちに,彼らの中で「三年の間」仕えたことを思い起こさせましたが,これは恐らく大体の年数でしょう。(使徒 20:31)パウロは西暦55年の初めごろの「ペンテコステの祭り」の後にエフェソスをたち,ギリシャのコリントまでずっと旅行し,やがてその地で冬の時期の3か月を過ごしたように思われます。それから彼は西暦56年の過ぎ越しの時までにフィリピまで戻りました。そこから,トロアスやミレトスを経てカエサレアまで船旅を続け,さらにエルサレムに上り,西暦56年のペンテコステまでにそこに着きました。b ―コリント第一 16:5-8。使徒 20:1-3,6,15,16; 21:8,15-17。
27 ローマにおけるパウロの最初の捕らわれが終わるまでの出来事の時はどのように定められますか。
27 西暦56年から同100年までの終わりの期間。パウロが逮捕されたのは,エルサレムに到着してから間もなくのことでした。彼はカエサレアに連行されて2年間拘留され,フェリクスの代わりにフェストが総督として立てられる時までそこにとどまっていました。(使徒 21:33; 23:23-35; 24:27)フェストの着任およびそれに続くパウロのローマへの出発の年は西暦58年と思われます。c 船が難破して,パウロはマルタで冬を過ごした後,その旅行は西暦59年ごろに終了しました。記録の示すところによれば,パウロは2年間,つまり西暦61年ごろまで捕らわれの身となってローマにとどまり,宣べ伝えたり教えたりしました。―使徒 27:1; 28:1,11,16,30,31。
28 パウロの生涯の終わりごろの出来事には,論理的に考えてどんな年代が当てられますか。
28 「使徒たちの活動」の書の歴史的な記録からはこれ以上先をたどれませんが,種々の事柄は,パウロが釈放後も宣教者としての活動を続け,クレタ,ギリシャ,およびマケドニアへ旅行したことを示しています。パウロがスペインにまで達したかどうかは分かりません。彼は西暦65年ごろ,ローマで最後に投獄されて間もなく,ネロの手に掛かって殉教の死を遂げたと思われます。一般の歴史では,ローマで大火が起きたのは西暦64年7月とされており,それに続いて突如,クリスチャンに対するネロの迫害が起きました。パウロが「鎖」につながれて投獄され,その後処刑された時期は,論理的に言ってこの期間と合致します。―テモテ第二 1:16; 4:6,7。
29 使徒時代はいつ,また聖書のどの書が書き記されると共に終わりを告げましたか。
29 使徒ヨハネの著わした五つの書は,迫害,つまりドミティアヌス帝による迫害の時代の終わりごろに書かれたと考えられます。同皇帝は西暦81年から96年までの治世の最後の3年の間,狂人のように行動したと言われています。ヨハネが西暦96年ごろ「啓示」の書を書き記したのは,パトモス島に流刑にされていた時のことでした。d その後,釈放されてから,彼の福音書と3通の手紙がエフェソスもしくはその付近で書き記され,使徒たちの中の最後の人であるこのヨハネは西暦100年ごろ死にました。
30 聖書の年代記述に関するこの研究にはどんな益がありますか。
30 これで分かるように,一般の歴史の出来事と聖書中の年代記述や預言を比較すると,聖書の出来事を時の流れの中で一層明確に位置づけるのに役立ちます。聖書の年代記述に見られる調和は,神のみ言葉としての聖書に対するわたしたちの確信を増し加えるものとなります。
[脚注]
a この章を研究する際,「聖書に対する洞察」(英文),第1巻,458-467ページを参照すると,助けになるかもしれません。
b 研究 2,28,29節。
c アブラハムがユーフラテス川を渡った時からイサクの誕生までは25年で,それからヤコブの誕生までは60年です。ヤコブはエジプトに下った時130歳でした。―創世記 12:4; 21:5; 25:26; 47:9。
d 1990年の場合,その時間を6,015年から差し引かなければなりません。
f 「聖書に対する洞察」(英文),第2巻,57,58ページ。
g 「ものみの塔」,1976年,441,442ページ。「ものみの塔」(英文),1959年,489-492ページ。
h 「聖書に対する洞察」(英文),第2巻,614-616ページ。
i 「聖書に対する洞察」(英文),第2巻,899-904ページ。
j 「新ブリタニカ百科事典」(英文),1987年,第5巻,880ページ。
k 「聖書に対する洞察」(英文),第2巻,747ページ。
l 「聖書に対する洞察」(英文),第2巻,747ページ。
a 「聖書に対する洞察」(英文),第1巻,476,886ページ。
b 「聖書に対する洞察」(英文),第2巻,747ページ。
c ヤングの聖書分析用語索引(英文),342ページの「フェスト」の項。
d 「黙示録に関する注釈」(英文),1852年,アルバート・バーンズ,29,30ページ。
イエスが地上で生活しておられた時の主な出来事 ― 四福音書を年代順に配列
時 場所 出来事
イエスが宣教を開始するまで
西暦前2年 ベツレヘム イエス(つまり言葉,この方を
10月1日ごろ 通して他のすべてのものが存在
するようになった)が,
アブラハムおよびダビデの子孫と
して誕生
イエスの宣教の始まり
ヨルダン渓谷上流域 イエスの最初の弟子たち
エルサレム イエスはニコデモと論じる
ガリラヤにおけるイエスの大規模な宣教
ユダヤ ユダヤの諸会堂で宣べ伝える
ナイン やもめの息子をよみがえらせる
32年の過ぎ越し近く カペルナウム(?) 使徒たちが伝道の旅から戻る。
(ヨハネ 6:4) ガリラヤの海の北東岸 5,000人に食事をさせる
ユダヤにおけるイエスの後期の宣教
エルサレム 祭りの後の教え。盲人をいやす
ヨルダンの東におけるイエスの後期の宣教
ヨルダンの向こう側 多くの人がイエスに信仰を持つ
おそらくペレア 謙遜さ。盛大な晩さんの例え
おそらくペレア 弟子となるための費用を計算する
エルサレムにおけるイエスの最後の宣教
エルサレム イエスは使徒たちの足を洗う
「イエスが地上で生活しておられた時の主な出来事」の表に関する質問:
(イ)バプテスマを施す人ヨハネが投獄されるまでのイエスの宣教期間中の顕著な出来事を幾つか挙げなさい。
(ロ)次の出来事が起きた場所と年を述べなさい。(1)シモンとアンデレ,ヤコブとヨハネを召す。(2)12使徒を選ぶ。(3)山上の垂訓。(4)変ぼう。(5)ラザロを死者の中からよみがえらす。(6)ザアカイの家へのイエスの訪問。
(ハ)イエスの行なった際立った奇跡の幾つかを挙げ,それが行なわれた時と場所を述べなさい。
(ニ)西暦33年ニサン8日からニサン16日にかけて起きた,イエスに関係したおもな出来事として,どのようなものがありますか。
(ホ)イエスが地上での宣教期間中に話された優れた例えの中にはどのようなものがありますか。
歴史的に重要な出来事の年表
年代 出来事 出典
西暦前4026年 アダムの創造 創 2:7
西暦前4026年以後 エデンの契約が結ばれる。最初の預言 創 3:15
西暦前3896年以前 カインはアベルを打ち殺す 創 4:8
西暦前3896年 セツの誕生 創 5:3
西暦前3404年 義人エノクの誕生 創 5:18
西暦前3339年 メトセラの誕生 創 5:21
西暦前3152年 レメクの誕生 創 5:25
西暦前3096年 アダムの死 創 5:5
西暦前3039年 エノクは移される。 創 5:23,24。ユダ 14
その預言の期間は終わる
西暦前2970年 ノアの誕生 創 5:28,29
西暦前2490年 人類に関する神の宣告 創 6:3
西暦前2470年 ヤペテの誕生 創 5:32; 9:24; 10:21
西暦前2370年 メトセラの死 創 5:27
西暦前2369年 洪水の後に契約が結ばれる 創 8:13; 9:16
西暦前2368年 アルパクシャドの誕生 創 11:10
西暦前2269年以後 バベルの塔の建設 創 11:4
西暦前2020年 ノアの死 創 9:28,29
西暦前2018年 アブラハムの誕生 創 11:26,32; 12:4
西暦前1932年 イシュマエルが生まれる 創 16:15,16
西暦前1919年 割礼の契約が結ばれる 創 17:1,10,24
ソドムとゴモラに対する裁き 創 19:24
西暦前1918年 真の相続人イサクの誕生。 創 21:2,5。使徒 13:17-20
『およそ450年』の始まり
西暦前1878年 イサクとリベカの結婚 創 25:20
西暦前1868年 セムの死 創 11:11
西暦前1858年 エサウとヤコブの誕生 創 25:26
西暦前1843年 アブラハムの死 創 25:7
西暦前1818年 エサウは最初の二人の妻をめとる 創 26:34
西暦前1795年 イシュマエルの死 創 25:17
西暦前1774年 ヤコブはレア,ラケルと結婚する 創 29:23-30
西暦前1767年 ヨセフの誕生 創 30:23,24
西暦前1761年 ヤコブはハランからカナンへ戻る 創 31:18,41
西暦前1761年ごろ ヤコブはみ使いと格闘する。 創 32:24-28
イスラエルと名付けられる
西暦前1738年 イサクの死 創 35:28,29
西暦前1737年 ヨセフはエジプトの総理大臣とされる 創 41:40,46
西暦前1711年 ヤコブの死 創 47:28
西暦前1657年 ヨセフの死 創 50:26
西暦前1613年以前 ヨブの試練 ヨブ 1:8; 42:16
西暦前1600年以後 エジプトは第一世界強国として顕著に 出 1:8
なる
西暦前1514年ごろ モーセは燃えるいばらの茂みを見る 出 3:2
西暦前1513年 過ぎ越し。イスラエル人はエジプトを 出 12:12; 14:27,29,30。
去る。紅海における救出。エジプト 創 15:13,14
の権力は揺るぐ。400年の苦しみの
期間の終わり
シナイ山(ホレブ)で律法契約が 出 24:6-8
結ばれる
モーセは荒野で創世記を編さんする。 ヨハ 5:46
聖書が書き始められる
西暦前1512年 幕屋の造営が完了する 出 40:17
アロンの祭司職への任職 レビ 8:34-36
西暦前1473年ごろ モーセはヨブ記を書き終える ヨブ 42:16,17
モアブでイスラエルと結ばれた契約 申 29:1
イスラエルはヨシュアに率いられて ヨシュ 4:19
カナンに入る
西暦前1450年ごろ ヨシュア記が書き終えられる ヨシュ 1:1; 24:26
ヨシュアの死 ヨシュ 24:29
西暦前1117年 サムエルはサウルに油をそそぎ, サム一 10:24。使徒 13:21
イスラエルの王とする
西暦前1107年 ダビデがベツレヘムで生まれる サム一 16:1
西暦前1100年ごろ サムエルは裁き人の書を書き終える 裁 21:25
西暦前1090年ごろ サムエルはルツ記を書き終える ルツ 4:18-22
西暦前1078年ごろ サムエル記第一が書き終えられる サム一 31:6
西暦前1077年 ダビデはヘブロンでユダの王となる サム二 2:4
西暦前1070年 ダビデは全イスラエルの王となる。 サム二 5:3-7
エルサレムを首都とする
西暦前1040年ごろ ガドとナタンはサムエル記第二を サム二 24:18
書き終える
西暦前1034年 ソロモンによる神殿の造営が始まる 王一 6:1
西暦前1027年 エルサレムの神殿が完成する 王一 6:38
西暦前1020年ごろ ソロモンはソロモンの歌を書き終える 歌 1:1
西暦前1000年以前 ソロモンは伝道の書を書き終える 伝 1:1
西暦前993年 シシャクはユダに侵入し,神殿から 王一 14:25,26
財宝を奪う
西暦前980年 アビヤム(アビヤ)はレハベアムの 王一 15:1,2
跡を継いでユダの王となる
西暦前977年 アサはアビヤムの跡を継いでユダの王 王一 15:9,10
となる
西暦前976年ごろ ナダブはヤラベアムの跡を継いで 王一 14:20
イスラエルの王となる
西暦前975年ごろ バアシャはナダブの跡を継いで 王一 15:33
イスラエルの王となる
西暦前952年ごろ エラはバアシャの跡を継いで 王一 16:8
イスラエルの王となる
西暦前951年ごろ ジムリはエラの跡を継いでイスラエル 王一 16:15
の王となる
オムリとティブニはジムリの跡を 王一 16:21
継いでイスラエルの王となる
西暦前947年ごろ オムリはイスラエルの王として単独で 王一 16:22,23
支配する
西暦前940年ごろ アハブはオムリの跡を継いで 王一 16:29
イスラエルの王となる
西暦前936年 エホシャファトはアサの跡を継いで 王一 22:41,42
ユダの王となる
西暦前919年ごろ アハジヤはアハブの跡を継いで 王一 22:51,52
イスラエルの単独の王となる
西暦前917年ごろ イスラエルのエホラムはアハジヤの 王二 3:1
跡を継いで単独の王となる
西暦前913年ごろ ユダのエホラムはエホシャファトと 王二 8:16,17
共同の『王となる』
西暦前906年ごろ アハジヤはエホラムの跡を継いで 王二 8:25,26
ユダの王となる
西暦前905年ごろ 女王アタリヤはユダの王座をさん奪 王二 11:1-3
する
西暦前898年 エホアシュはアハジヤの跡を継いで 王二 12:1
ユダの王となる
西暦前876年 エホアハズはエヒウの跡を継いで 王二 13:1
イスラエルの王となる
西暦前859年ごろ エホアシュはエホアハズの跡を継いで 王二 13:10
イスラエルの単独の王となる
西暦前858年 アマジヤはエホアシュの跡を継いで 王二 14:1,2
ユダの王となる
西暦前844年ごろ ヤラベアム2世はエホアシュの跡を 王二 14:23
継いでイスラエルの王となる
ヨナはヨナ書を書き終える ヨナ 1:1,2
西暦前829年 ウジヤ(アザリヤ)はアマジヤの跡を 王二 15:1,2
継いでユダの王となる
西暦前820年ごろ ヨエル書が書き終えられたと思われる ヨエ 1:1
西暦前804年ごろ アモスはアモス書を書き終える アモ 1:1
西暦前792年ごろ ゼカリヤはイスラエルの王として 王二 15:8
支配する(6か月)
メナヘムはシャルムの跡を継いで
イスラエルの王となる
西暦前780年ごろ ペカフヤはメナヘムの跡を継いで 王二 15:23
イスラエルの王となる
西暦前778年ごろ ペカハはペカフヤの跡を継いで 王二 15:27
イスラエルの王となる
西暦前778年ごろ イザヤは預言を始める イザ 1:1; 6:1
西暦前777年 ヨタムはウジヤ(アザリヤ)の跡を 王二 15:32,33
継いでユダの王となる
西暦前761年ごろ アハズはヨタムの跡を継いでユダの王 王二 16:1,2
となる
西暦前758年ごろ ホシェアはイスラエルの王として 王二 15:30
『治めはじめる』
西暦前745年 ヒゼキヤはアハズの跡を継いで 王二 18:1,2
ユダの王となる
西暦前745年以後 ホセアはホセア書を書き終える ホセ 1:1
西暦前732年 セナケリブはユダに侵入する 王二 18:13
西暦前732年以後 イザヤはイザヤ書を書き終える イザ 1:1
西暦前717年以前 ミカはミカ書を書き終える ミカ 1:1
西暦前717年ごろ 箴言の編さんが完成する 箴 25:1
西暦前716年 マナセはヒゼキヤの跡を継いで 王二 21:1
ユダの王となる
西暦前661年 アモンはマナセの跡を継いで 王二 21:19
ユダの王となる
西暦前659年 ヨシヤはアモンの跡を継いで 王二 22:1
ユダの王となる
西暦前648年以前 ゼパニヤはゼパニヤ書を書き終える ゼパ 1:1
西暦前632年以前 ナホムはナホム書を書き終える ナホ 1:1
西暦前632年 ニネベはカルデア人とメディア人の ナホ 3:7
手に落ちる
バビロンは今や,第三世界強国としての
地歩を築き始める
西暦前628年 ヨシヤの後継者エホアハズはユダの王 王二 23:31
として支配する
エホヤキムはエホアハズの跡を継いで 王二 23:36
ユダの王となる
西暦前628年ごろ ハバククはハバクク書を書き終える ハバ 1:1
西暦前620年 ネブカドネザルは従属の王として 王二 24:1
エホヤキムを立てる
西暦前617年 ネブカドネザルはユダヤ人の最初の ダニ 1:1-4
捕らわれ人をバビロンへ連れて行く
ゼデキヤはユダの王とされる 王二 24:12-18
西暦前613年 エゼキエルは預言を始める エゼ 1:1-3
西暦前607年 第5の月(アブ)に神殿は破壊され, 王二 25:8-10。
エルサレムは滅ぼされる エレ 52:12-14
エレミヤは哀歌を書く 哀,七十人訳の前書き
西暦前607年ごろ オバデヤはオバデヤ書を書く オバ 1
西暦前536年ごろ ダニエルはダニエル書を書き終える ダニ 10:1
西暦前536年 ゼルバベルによって神殿の土台が エズ 3:8-10
据えられる
西暦前522年 神殿造営の仕事に禁令が課される エズ 4:23,24
西暦前520年 ハガイはハガイ書を書き終える ハガ 1:1
西暦前518年 ゼカリヤはゼカリヤ書を書き終える ゼカ 1:1
西暦前515年 ゼルバベルは2番目の神殿を エズ 6:14,15
完成させる
西暦前475年ごろ モルデカイはエステル記を書き終える エス 3:7; 9:32
西暦前468年 エズラと祭司たちはエルサレムに戻る エズ 7:7
西暦前443年以後 ネヘミヤはネヘミヤ記を書き終える ネヘ 5:14
マラキはマラキ書を書き終える マラ 1:1
西暦前406年 エルサレムの再建が完了したと ダニ 9:25
思われる
西暦前332年 第五世界強国ギリシャはユダヤを ダニ 8:21
支配する
西暦前280年ごろ ギリシャ語セプトゥアギンタ訳の翻訳
が始まる
西暦前37年ごろ ヘロデ(ローマによって任じられた王)
はエルサレムを強襲してこれを
手中に収める
西暦29年 ヨハネとイエスは宣教を始める ルカ 3:1,2,23
ニサン16日。イエスの復活 マタ 28:1-10
西暦41年ごろ マタイは“マタイ”の名を持つ福音書
を書く
西暦47-48年ごろ パウロは最初の宣教旅行を始める 使徒 13:1-14:28
西暦49年ごろ 統治体は,諸国民からの信者が割礼を 使徒 15:28,29
受ける必要のないことを決定する
西暦49-52年ごろ パウロの2回目の宣教旅行 使徒 15:36-18:22
西暦50年ごろ パウロはテサロニケ人への第一の手紙 テサ一 1:1
をコリントから書き送る
西暦51年ごろ パウロはテサロニケ人への第二の手紙 テサ二 1:1
をコリントから書き送る
西暦52-56年ごろ パウロの3回目の宣教旅行 使徒 18:23-21:19
西暦55年ごろ パウロはコリント人への第一の手紙 コリ一 15:32。
をエフェソスから, コリ二 2:12,13
コリント人への第二の手紙
をマケドニアから書き送る
西暦56年ごろ パウロはローマ人への手紙をコリント ロマ 16:1
から書き送る
西暦56-58年ごろ ルカは“ルカ”という名の付された ルカ 1:1,2
福音書を書く
西暦60-61年ごろ パウロはローマから次の書簡を書く:
エフェソス人への手紙 エフェ 3:1
フィリピ人への手紙 フィリ 4:22
コロサイ人への手紙 コロ 4:18
フィレモンへの手紙 フィレ 1
ルカは使徒たちの活動の書をローマで
書き終える
西暦60-65年ごろ マルコは“マルコ”という名の
付された福音書を書く
西暦61-64年ごろ パウロはテモテへの第一の手紙を テモ一 1:3
マケドニアから書き送る
パウロはテトスへの手紙をマケドニア テト 1:5
(?)から書き送る
西暦64年ごろ ペテロはペテロの第二の手紙を ペテ二 1:1
バビロン(?)から書き送る
西暦65年ごろ パウロはテモテへの第二の手紙を テモ二 4:16-18
ローマから書き送る
西暦70年 エルサレムとその神殿はローマ人に ダニ 9:27。マタ 23:37,38。
よって滅ぼされる。 ルカ 19:42-44
西暦96年ごろ ヨハネはパトモスで啓示の書を書く 啓 1:9
西暦98年ごろ ヨハネは“ヨハネ”という名の ヨハ 21:22,23
付された福音書と,ヨハネの第一,
第二,第三の手紙を書く。
聖書は書き終えられる
西暦100年ごろ 最後の使徒であるヨハネが死ぬ テサ二 2:7
注意: ここに挙げた年代の多くは確証されていますが,入手し得る証拠を基におおよその年代を記したものも一部にあります。この表の目的は,それぞれの出来事の変更できない年代を定めることではなく,聖書を研究する人々が,それらの出来事を時の流れのどこに位置づけたらよいかを知り,その相対関係を把握するのを助けることにあります。
「歴史的に重要な出来事の年表」と「聖書の各書の一覧表」に関する質問:
(イ)二つの表を比較して,次の時期に生きた預言者や聖書筆者の名前を幾人か挙げなさい。(1)西暦前1117年にイスラエルの王国が設立される以前,(2)イスラエルとユダの2王国時代,(3)バビロンへの流刑が始まった時からヘブライ語聖書の正典が完成するまでの間。
(ロ)パウロの宣教旅行に関連して,パウロの手紙類が書かれた時を定めなさい。
(ハ)クリスチャン・ギリシャ語聖書の他の書が書かれた時期について,注目できる他のどのような興味深い事柄がありますか。
(ニ)次に挙げる人物を聖書中の著名な出来事と関連づけ,その人がその出来事の前後いずれの時期に生きていたかを述べ,同じ時期に生きていた他の人々と結びつけなさい: セム,サムエル,メトセラ,ロト,サウル王,ダビデ,ヨブ,イスラエルのホシェア王,ソロモン,アロン,ユダのゼデキヤ王。
(ホ)次の人物が生きていた間にどんな顕著な出来事が起きましたか。(1)ノア,(2)アブラハム,(3)モーセ。
(ヘ)次の年代(西暦前)を下に記す著名な出来事と結びつけなさい: 4026年,2370年,1943年,1513年,1473年,1117年,997年,740年,607年,539年,537年,455年。
アダムの創造
シナイで成立した律法契約
エルサレムが滅ぼされる
キュロスの布告が出された後ユダヤ人はエルサレムに帰還する
霊感による聖書の執筆が始まる
洪水が始まる
バビロンはメディア人とペルシャ人の前に倒れる
イスラエルの最初の王が油そそがれる
アブラハムはユーフラテス川を渡る; アブラハム契約が発効する
イスラエルとユダの王国に分裂する
北の王国はアッシリアに征服される
エルサレムの城壁がネヘミヤによって再建される
イスラエル人はエジプトから救出される
ヨシュアはイスラエルをカナンに導き入れる
イスラエルの70年の荒廃は終わる
[298ページの図表]
聖書の各書の一覧表
(一部の年代[および書かれた場所]ははっきりしていません。)
西暦紀元前に書かれたヘブライ語聖書
書名 筆者 書かれた場所 書き終え 扱われている期間
られた年代
創世記 モーセ 荒野 1513年 「初めに」から
1657年まで
出エジプト記 モーセ 荒野 1512年 1657年-1512年
レビ記 モーセ 荒野 1512年 1か月(1512年)
民数記 モーセ 荒野/ 1473年 1512年-1473年
モアブの平原
申命記 モーセ モアブの平原 1473年 2か月(1473年)
ヨシュア記 ヨシュア カナン 1450年ごろ 1473年-1450年ごろ
裁き人の書 サムエル イスラエル 1100年ごろ 1450年ごろ-
1120年ごろ
ルツ記 サムエル イスラエル 1090年ごろ 裁き人の支配期間
の11年間
サムエル記第一 サムエル, イスラエル 1078年ごろ 1180年ごろ-1078年
ガド,ナタン
サムエル記第二 ガド,ナタン イスラエル 1040年ごろ 1077年-1040年ごろ
列王記第一と第二 エレミヤ ユダ/エジプト 580年 1040年ごろ-580年
エズラ記 エズラ エルサレム 460年ごろ 537年-467年ごろ
ネヘミヤ記 ネヘミヤ エルサレム 443年以後 456年-443年以後
エステル記 モルデカイ エラムの 475年ごろ 493年-475年ごろ
シュシャン
ヨブ記 モーセ 荒野 1473年ごろ 1657年から1473年
の間の140年余り
詩編 ダビデ, 460年ごろ
その他
箴言 ソロモン, エルサレム 717年ごろ
アグル,レムエル
伝道の書 ソロモン エルサレム 1000年以前
ソロモンの歌 ソロモン エルサレム 1020年ごろ
イザヤ書 イザヤ エルサレム 732年以後 778年ごろ
-732年以後
エレミヤ書 エレミヤ ユダ/エジプト 580年 647年-580年
哀歌 エレミヤ エルサレム付近 607年
エゼキエル書 エゼキエル バビロン 591年ごろ 613年-591年ごろ
ダニエル書 ダニエル バビロン 536年ごろ 618年-536年ごろ
ホセア書 ホセア サマリア 745年以後 804年以前
(地方) -745年以後
ヨエル書 ヨエル ユダ 820年ごろ(?)
アモス書 アモス ユダ 804年ごろ
オバデヤ書 オバデヤ 607年ごろ
ヨナ書 ヨナ 844年ごろ
ミカ書 ミカ ユダ 717年以前 777年ごろ-717年
ナホム書 ナホム ユダ 632年以前
ハバクク書 ハバクク ユダ 628年ごろ(?)
ゼパニヤ書 ゼパニヤ ユダ 648年以前
ハガイ書 ハガイ エルサレム 520年 112日(520年)
ゼカリヤ書 ゼカリヤ エルサレム 518年 520年-518年
マラキ書 マラキ エルサレム 443年以後
西暦紀元後に書かれたクリスチャン・ギリシャ語聖書
書名 筆者 書かれた場所 書き終え 扱われている期間
られた年代
マタイ マタイ パレスチナ 41年ごろ 西暦前2年
-西暦33年
マルコ マルコ ローマ 60-65年ごろ 西暦29年-33年
ルカ ルカ カエサレア 56-58年ごろ 西暦前3年
-西暦33年
ヨハネ 使徒ヨハネ エフェソスか 98年ごろ 序文の後,
その付近 西暦29年-33年
使徒 ルカ ローマ 61年ごろ 西暦33年
-61年ごろ
ローマ パウロ コリント 56年ごろ
コリント第一 パウロ エフェソス 55年ごろ
コリント第二 パウロ マケドニア 55年ごろ
ガラテア パウロ コリントか 50-52年ごろ
シリアのアンティオキア
エフェソス パウロ ローマ 60-61年ごろ
フィリピ パウロ ローマ 60-61年ごろ
コロサイ パウロ ローマ 60-61年ごろ
テサロニケ第一 パウロ コリント 50年ごろ
テサロニケ第二 パウロ コリント 51年ごろ
テモテ第一 パウロ マケドニ 61-64年ごろ
テモテ第二 パウロ ローマ 65年ごろ
テトス パウロ マケドニア 61-64年ごろ
(?)
フィレモン パウロ ローマ 60-61年ごろ
ヘブライ パウロ ローマ 61年ごろ
ヤコブ ヤコブ エルサレム 62年以前
(イエスの兄弟)
ペテロ第一 ペテロ バビロン 62-64年ごろ
ペテロ第二 ペテロ バビロン 64年ごろ
(?)
ヨハネ第一 使徒ヨハネ エフェソスか 98年ごろ
その付近
ヨハネ第二 使徒ヨハネ エフェソスか 98年ごろ
その付近
ヨハネ第三 使徒ヨハネ エフェソスか 98年ごろ
その付近
ユダ ユダ パレスチナ 65年ごろ
(イエスの兄弟)(?)
啓示 使徒ヨハネ パトモス 96年ごろ
-
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研究4 ― 聖書とその正典『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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霊感による聖書およびその背景に関する研究
研究4 ― 聖書とその正典
「聖書<バイブル>」という言葉の起源。どの書が神のこの書庫に正しく属するかについての決定。外典の排除。
1,2 (イ)「ビブリア」というギリシャ語はどんな一般的な意味を持っていますか。(ロ)この言葉とこれに関連する幾つかの語は,クリスチャン・ギリシャ語聖書の中でどのように用いられていますか。(ハ)「Bible」(バイブル)という言葉はどのようにして英語に入りましたか。
霊感を受けて書かれたこの聖典は一般に聖書<バイブル>と呼ばれていますから,この「聖書<バイブル>」という言葉の起源や意味を調べるのは興味深い事柄です。これはギリシャ語の「ビブリア」から来た言葉で,それは「小さな書(複数)」を意味します。そして,この「ビブリア」は「ビブロス」から来た言葉で,パピルスの茎の髄を表わしています。昔はこの植物から,文字を書くための「紙<ペーパー>」が作られました。(エジプトからパピルスを輸入するのに用いられたフェニキアのゲバルという港は,ギリシャ人の間ではビュブロスと呼ばれるようになりました。ヨシュア 13章5節の脚注をご覧ください。)この種の材料の上に記録された種々の情報はすべて,この「ビブリア」という語で知られるようになりました。こうして,「ビブリア」という語は書き物,巻き物,書物,文書,経典などのすべて,あるいは小形の書物を集めた書庫をさえ表わすようになりました。
2 意外なことに,“Bible”(聖書の意)という語そのものは普通,英語はもとより,他の言語に訳された聖書の本文にも出ていません。しかし,西暦前2世紀までには,ヘブライ語聖書の霊感を受けて書き記されたそれぞれの書を収集したものが,ギリシャ語で「タ ビブリア」と呼ばれるようになりました。ダニエル 9章2節で,預言者は「わたしダニエルは……幾つかの書によって知った」と書きました。ここで,セプトゥアギンタ訳は「ビブロス」の与格・複数形である「ビブロイス」を用いています。テモテ第二 4章13節で,パウロは「こちらへ来るさい……巻き物[ギリシャ語,ビブリア]……を持って来てください」と書いています。ギリシャ語の「ビブリオン」や「ビブロス」という言葉は,クリスチャン・ギリシャ語聖書の中で文法上の幾つかの形を取って40回以上出ており,普通「巻き物」あるいは「書」と訳されています。「ビブリア」は後に単数形の言葉としてラテン語で用いられ,そのラテン語から“Bible”という言葉が英語に入りました。
3 聖書の筆者たちは,それが霊感を受けて記された神のみ言葉であることをどのように証言していますか。
3 それは神のみ言葉です。霊感を受けてそれを書き記すのに様々な人が用いられ,さらに他の人々がそれを原語から現代の書き言葉に翻訳する業に参与してきましたが,聖書は完全な意味で神のみ言葉,すなわち霊感によって人間に与えられた神ご自身の啓示です。霊感を受けた筆者たちもそのようにみなしました。それは,『エホバの口から出る言葉』(申命記 8:3),『エホバのことば』(ヨシュア 24:27。マタイ 4:4),「エホバのおきて」(エズラ 7:11),「エホバの律法」(詩編 19:7),「エホバの言葉」(イザヤ 38:4。テサロニケ第一 4:15)というような言葉遣いで明示されている通りです。
神の書庫
4 聖書は何によって構成されていますか。だれがそれを定めましたか。
4 今日,聖書として知られている書物は,実際には神からの霊感を受けて書かれた昔の文書を収集したものです。それらの文書は16世紀余りの期間にわたって書きつづられ,書き物として編さんされました。このようにして収集された文書が全部まとめられて,ヒエロニムスがラテン語でいみじくも「ビブリオテーカ ディーウィーナ」,つまり「神の書庫」と呼んだものを構成しています。この書庫には目録,つまり公式の発行物一覧表があり,それはその書庫で扱われる範囲と専門分野に属する書物に限られています。非公認の書はすべて除外されています。エホバ神は,どの書き物が目録に入れられるべきかを決定する規準を定める偉大な書庫管理者であられます。それで聖書には定まった目録があり,その目録は,そのすべてが物事を導く神の聖霊の所産である66冊の書で成っています。
5 聖書の正典とは何ですか。この呼び方はどのようにして始まりましたか。
5 霊感を受けて書かれた真正な聖典として受け入れられて収集され,もしくは一覧表に載せられた書はしばしば,聖書正典と呼ばれています。元々,木切れが手元にない場合に,葦(ヘブライ語,カーネー)が物差しとして用いられました。使徒パウロはこのギリシャ語カノンによって,自分の割り当てとして測り分けられた「区域」はもとより,「行動の規準」にも言及しました。(コリント第二 10:13。ガラテア 6:16,脚注)ですから,正典の書とは,正しい信仰,教理,また,行状を定める上で直定規として用いるのにふさわしい,霊感による真実の書のことです。もし,下げ振り糸のように「まっすぐ」でない書を用いるなら,わたしたちの「建物」は正確なものではなくなり,それは主要な調査官であられる神による検査で不合格になるでしょう。
6 一つの書の正典性を定める要素には,どのような事柄がありますか。
6 正典性を確定する。聖書の66冊の書の正典性を確定するものとなった神からの指標としてどんな事柄が挙げられますか。まず第一に,その文書は地上におけるエホバの事柄を扱うものであって,人々をエホバの崇拝に向かわせ,そのみ名と地上におけるそのみ業と目的に対する深い敬意を鼓舞するものでなければなりません。それは霊感を受けた証拠を示さなければなりません。すなわち,聖霊の所産でなければなりません。(ペテロ第二 1:21)それは迷信や被造物崇拝に訴えるものであってはならず,むしろ神への愛や奉仕に訴えるものでなければなりません。その個々の書き物のいずれにも,全体に見られる内面的調和と矛盾するような事柄は一切あってはならず,むしろそれぞれの書は他の書との一致によって,著者がただ一人,エホバ神であることを裏付けていなければなりません。また,最も詳細な点に至るまで正確さの証拠があるはずです。このように基本的で肝要な事柄に加えて,それぞれの書が霊感によるものであり,それゆえに正典であることを各々の書の内容の性質にしたがって示す特別な事柄がほかにもあります。それらの事柄は本書における聖書の各書に対する序文の資料の中で論じられてきました。また,聖書の正典を確定するのに役立つ事柄で,ヘブライ語聖書とクリスチャン・ギリシャ語聖書の各々に当てはまる特別の状況もあります。
ヘブライ語聖書
7 ヘブライ語正典は,どんな漸進的な段階を経て完成されましたか。新しい部分はすべて何と調和していなければなりませんか。
7 霊感を受けて書かれた聖書を構成するものが受け入れられるのに,西暦前5世紀におけるヘブライ語正典の完成まで待たなければならなかったと考えるべきではありません。神の霊の導きを受けて記されたモーセの書は,霊感によるもの,つまり神の著作として,その最初からイスラエル民族に受け入れられていました。モーセ五書は完成されるに及んで,その時までの正典となりました。霊感のもとで人間に与えられるエホバの目的に関するそれ以後の啓示は当然,モーセ五書の中で説明されている真の崇拝に関する基本的な原則に即し,それと調和するものでなければならなかったでしょう。わたしたちは聖書の様々な書を考慮して,これがその通りであることを見てきました。それらの書が聖書のあの壮大な主題である,約束の胤,キリストの下にある王国によって成し遂げられるエホバのみ名の聖化とエホバの主権の正しさの立証とを直接扱っている場合は特にそうです。
8 聖書の預言書の正典性は,何によって立証されますか。
8 とりわけヘブライ語聖書には沢山の預言が収められています。エホバご自身が,モーセを通して,預言の真正さ,つまりそれが実際に神から出たものか,あるいはそうではないかを確証する根拠を提供されました。そして,それが預言の書の正典性を確定する助けとなりました。(申命記 13:1-3; 18:20-22)ヘブライ語聖書の各々の預言の書はもとより,聖書全体と一般の歴史書を調べてみると,預言者の語った「言葉」はエホバの名によって語られたものであり,それは完全に,あるいはそれがなお将来にかかわるものであれば縮図的もしくは部分的に確かに『実現し,そのとおりになった』こと,また,それが民を神に向かわせたことが疑問の余地なく立証されます。これらの要求にかなう預言が,霊感を受けた真正なものであると確証されました。
9 聖書の正典に関する問題を考慮する際には,どんな重要な要素を念頭に置かなければなりませんか。
9 イエスやクリスチャン・ギリシャ語聖書の霊感を受けた筆者たちが引用しているということは,ヘブライ語聖書の多くの書の正典性を確証する直接的な方法となっています。もっとも,この方法はエステル記や伝道の書などの場合のように,聖書のすべての書に当てはまるわけではありません。ですから,正典性の問題を考慮するには,もう一つの大変重要な要素,すなわち聖書正典全体に当てはまる要素を考えなければなりません。エホバは人々に霊感を与えて,人々を教え,築き上げ,その崇拝と奉仕の点で励みとなる神からの情報を書き記させたのですから,エホバは当然,霊感による書を照合して聖書の正典を確立するよう導き,また指導されたと考えられます。エホバがそうされたのは,何がその真理のみ言葉を構成するものなのか,また真の崇拝の点で永続する尺度となるものは何かに関し疑問の余地を残さないためだったのでしょう。実際,そのようにしてくださったからこそ,地上の被造物は引き続き「神の言葉を通して新たな誕生」を与えられ,「エホバのことばは永久に存続する」ということを証しすることができたのです。―ペテロ第一 1:23,25。
10 ヘブライ語聖書の正典は,いつまでに定められましたか。
10 ヘブライ語正典を確立する。ユダヤ人の伝承によれば,ヘブライ語聖書の正典をまとめて,目録を作成し始めたのはエズラで,その仕事はネヘミヤによって完成されたと言われています。エズラは自らも霊感を受けた聖書筆者の一人であり,祭司,学者および神聖な書き物の正式の写字生でもありましたから,確かにそのような業をする十分の備えがありました。(エズラ 7:1-11)ヘブライ語聖書の正典が西暦前5世紀の終わりまでに定められたという伝承に基づく考え方を疑うべき理由は何もありません。
11 伝統的なユダヤ教の正典では,ヘブライ語聖書のそれぞれの書はどのように列挙されていますか。
11 今日,ヘブライ語聖書の書は39冊挙げられています。伝統的なユダヤ教の正典ではそれら同じ書が収められているものの,それらの書は24冊と数えられています。中には,ルツ記と裁き人の書,哀歌とエレミヤ書をそれぞれ一緒にして,書の数を22冊と数えた権威者もいますが,それでもなお正典の書として含まれているのは全く同じものです。a こうして,霊感による書の数は,ヘブライ語アルファベットの文字の数と同じにされました。次の一覧表は伝統的なユダヤ教の正典に準じた24冊の書を掲げたものです。
律法(モーセ五書)
1 創世記
2 出エジプト記
3 レビ記
4 民数記
5 申命記
預言者たち(預言書)
6 ヨシュア記
7 裁き人の書
8 サムエル記(第一および第二が一緒になって一つの書とされている)
9 列王記(第一および第二が一緒になって一つの書とされている)
10 イザヤ書
11 エレミヤ書
12 エゼキエル書
13 12預言者(ホセア書,ヨエル書,アモス書,オバデヤ書,ヨナ書,ミカ書,ナホム書,ハバクク書,ゼパニヤ書,ハガイ書,ゼカリヤ書およびマラキ書が一つの書とされている)
諸書(聖文書<ハギオグラファ>)
14 詩編
15 箴言
16 ヨブ記
17 ソロモンの歌
18 ルツ記
19 哀歌
20 伝道の書
21 エステル記
22 ダニエル書
23 エズラ記(ネヘミヤ記はエズラ記に含まれていた)
24 歴代誌(第一および第二が一緒になって一つの書とされている)
12 さらにどんな事柄がヘブライ語正典の正しさを裏付けていますか。それはどんな書をもって完結しましたか。
12 これがキリスト・イエスや初期クリスチャンの会衆により,霊感を受けて書かれた聖書として受け入れられていた目録もしくは正典でした。クリスチャン・ギリシャ語聖書の霊感を受けた筆者たちが神の言葉として引用しているのは,これらの書からだけです。彼らはその引用句を「……と書かれている」というような表現で紹介することにより,それが神の言葉であることを確証しました。(ローマ 15:9)イエスはご自分が宣教に携わっておられた当時までに霊感を受けて書かれていた聖書全体について述べる際,『モーセの律法と預言者たちと詩編』の中に記されている事柄に言及されました。(ルカ 24:44)ここでは,聖文書<ハギオグラファ>の最初の書としての「詩編」は,この部分全体を指して用いられています。ヘブライ語正典に含められるべき最後の歴史書はネヘミヤ記でした。これが神の霊の導きによることは,ただこの書だけが,「エルサレムを修復して建て直せという言葉が発せられてから」メシアが到来するまでに預言的な69週があることを示す,ダニエルの際立った預言の時を計算する起点を提供していることから分かります。(ダニエル 9:25。ネヘミヤ 2:1-8; 6:15)ネヘミヤ記も,預言の書の最後のものであるマラキ書の歴史的な背景を教えてくれます。マラキ書が霊感を受けた聖書の正典に属するものであることは疑う余地がありません。というのは,神のみ子イエスでさえこの書を何度も引用されたからです。(マタイ 11:10,14)いずれもネヘミヤ記やマラキ書より前に書かれたヘブライ語正典の書の大多数からは同様の引用が行なわれていますが,クリスチャン・ギリシャ語聖書の筆者たちは,ネヘミヤとマラキの時代以降キリストの時代までに書かれた,霊感によるものと唱えられる書のどれからも一切引用していません。これは,ヘブライ語聖書の正典がネヘミヤやマラキの書をもって完結したという,ユダヤ人の伝統的な見方と,西暦1世紀のクリスチャン会衆の同様の確信の正しさを裏書きしています。
ヘブライ語聖書の外典
13 (イ)外典の書とは何ですか。(ロ)それはローマ・カトリックの正典にどのように受け入れられるようになりましたか。
13 外典とは何ですか。それは,ある人々が特定の聖書に含めたものの,神による霊感を受けた証拠がないゆえに他の人々からは退けられた書き物のことです。ギリシャ語のアポクリュフォスは,「注意深く秘められている」物事を指します。(マルコ 4:22。ルカ 8:17。コロサイ 2:3)この語は,原作者や典拠の不確かな書,あるいは個人で読むには多少の価値はあると考えられるものの,神の霊感を受けた証拠のない書に当てはまります。そのような書は別個に扱われ,公に読まれることはなかったので,「秘められた」という考えが生じました。西暦397年におけるカルタゴ会議の時,七つの外典をヘブライ語聖書に追加すること,および正典であるエステル記やダニエル書に追加を行なうことが提案されました。しかし,ローマ・カトリック教会が聖書の書の目録に対するこれらの追加を正式に受け入れることを明確に認めたのは,ずっと遅く,1546年に開かれたトレント公会議の時のことでした。それら追加されたものは,トビト書,ユディト書,エステル記への追加,知恵の書,集会の書,バルク書,ダニエル書への三つの追加,第一マカベア書および第二マカベア書です。
14 (イ)第一マカベア書はどんな点で興味深いものですか。(ロ)どんな確かな筋も外典には決して言及しませんでしたか。それはなぜですか。
14 第一マカベア書はどう見ても霊感を受けて書かれた書とは考えられませんが,歴史的には興味深い情報が収められています。この書は,祭司の家系に属するマカベア家の指導のもとで西暦前2世紀に独立を求めたユダヤ人の闘争についての記録です。その他の外典の書は作り話や迷信で満ちており,間違いだらけです。それらはイエスによっても,あるいはクリスチャン・ギリシャ語聖書の筆者たちによっても一度も言及されたことも,引用されたこともありません。
15,16 ヨセフスやヒエロニムスは,どの書が正典に属するかをどのように示唆しましたか。
15 西暦1世紀のユダヤ人の歴史家フラビウス・ヨセフスは自著,「アピオンへの反論」(I,38-41[8])の中で,ヘブライ人によって神聖なものと認められた書すべてに言及しています。彼はこう記しています。「我々のうちには,互いに食い違い,互いに矛盾する多数の書があるのではない。我々の書,すなわち正しいと認められたものは,22冊[11節で示したように,現代の39冊の書に対応するもの]しかなく,それらは全時代の記録を含んでいる。それらのうち5冊はモーセの書で,律法と人間の誕生から律法授与者の死に至るまでの伝統的な歴史とから成っている。……モーセの死から,クセルクセスの跡を継いでペルシャの王となったアルタクセルクセスに至るまでは,モーセの後の預言者たちが13冊の書に各々の時代の出来事の歴史を記した。残りの4冊の書は,神への賛歌と人間生活の行状に対する教訓を含んでいる」。このように,ヨセフスはヘブライ語聖書の正典が西暦1世紀よりずっと以前に定められていたことを明らかにしています。
16 西暦405年ごろに聖書のラテン語ウルガタ訳を完成した聖書学者ヒエロニムスは,外典の書に関して極めて明確な立場を取っていました。霊感を受けて書かれた書を列挙し,ヨセフスと同じ数え方に従って,ヘブライ語聖書の霊感による39冊の書を22冊と数えた後,彼はウルガタ訳のサムエル記と列王記の序文の中でこう書いています。「このようなわけで,22冊の書がある。……聖書のこの序文は,我々がヘブライ語からラテン語に翻訳するそれぞれの書すべてに対する確証された取り組み方を示すものとなろう。ゆえに,何であれこれらの書以外のものは外典の中に入れられなければならないということを知るべきであろう」。
クリスチャン・ギリシャ語聖書
17 ローマ・カトリック教会はどんな責任を持っていると主張しますか。しかし,どの書が聖書の正典を構成するかを実際に決定したのはだれですか。
17 ローマ・カトリック教会はどの書が聖書正典に含められるべきかを決定する責任を持っていると主張し,種々の書を含む目録が編み出されたカルタゴ会議(西暦397年)のことが引き合いに出されます。しかし,事実はその逆です。なぜなら,クリスチャン・ギリシャ語聖書を構成する一連の書を含む正典は,そのころまでにはすでに固められていたからです。と言っても,それは宗教会議などの布告によってではなく,神の聖霊,すなわち,最初にそれらの書を記すよう霊感を与えたその同じ霊によってそのようにされました。霊感を受けていない後の目録作成者たちの証言は,神の霊が正式に認可した聖書の正典を認めるものとしてのみ価値があります。
18 クリスチャン・ギリシャ語聖書の初期の目録を示す表から,どんな重要な結論を下せますか。
18 初期の目録に関する証拠。次に掲げた表を一見すれば明らかな通り,前述の宗教会議以前の年代のものであるクリスチャン聖書の4世紀の目録の多くは,現代の正典のそれと正確に合致しており,ただ「啓示」だけを省いた目録が二,三あります。2世紀の終わり以前に,四福音書,使徒たちの活動および使徒パウロの12通の手紙が一般に受け入れられていました。ただ二,三の小さな書だけが,ある地域で疑問視されていたにすぎません。これは,それらの書が最初に流布された時,様々な理由でその範囲が限られていたので,正典として受け入れられるのにより長い時間がかかったためと思われます。
19 (イ)どんな優れた文書がイタリアで探し出されましたか。それはどの時期のものと推定されていますか。(ロ)それは当時受け入れられていた正典をどのようにはっきり示していますか。
19 初期の最も興味深い目録の一つは,イタリア,ミラノのアンブロシウス図書館のL・A・ムラトーリによって発見され,1740年に彼によって出版された断片です。その初めの部分は欠けていますが,それがルカによる書を3番目の福音書と呼んでいることは,マタイおよびマルコによる書が最初に指摘されていたことを示唆しています。ラテン語で書かれているそのムラトーリ断片の年代は西暦2世紀の後半とされています。次に掲げるその翻訳文の一部が示す通り,これは極めて興味深い文書です。「福音書の3番目はルカによる書である。著名な医師ルカはこれを自分自身の名において書き記した。……福音書の4番目は弟子の一人ヨハネによる書である。……また,それゆえに,たとえ福音書のそれぞれの書の中で諸事実が違った仕方で選択され,述べられてはいても,信者たちの信仰にとって不一致を来たすものは何もない。なぜなら,[それらの書]すべての中では,人を導く唯一の霊のもとに,その降誕,受難,復活,弟子たちとの会話,二つの部分から成るその降臨などに関するすべての事柄が明らかにされているからである。屈辱から身を起こして恥辱に終わったその最初の降臨はすでに起きたが,王としての力の栄光を伴う2度目の降臨はやがて起こるのである。したがって,ヨハネが自ら,『我々が自分の目で見,自分の耳で聞き,自分の手で扱ったもの,それらのことを我々は書いたのである』と言って,これら幾つかの事柄をその何通かの書簡の中で同様に終始提示しているとしても,それは何か驚くべきことであろうか。というのは,こうして彼は自分が単に目撃証人であるだけでなく,主のくすしい事柄すべてを聞いた者であり,またそれをその順序に従って述べる語り手でもあることを公言しているからである。その上,すべての使徒たちの活動は一つの書の中に書き記されている。ルカはそれをきわめて優れたテオフィロ様のために[そのように]構成したのである。……さて,パウロの書簡はそれ自体,それがどういう性質のものか,どうして,つまりどんな理由で書き送られたのかを,これを理解しようとする人に明らかにしている。まず第一に,彼は異端の分派を禁ずることをコリント人に詳しく書き送り,次いでガラテア人に対しては割礼[に反対する立場について],またローマ人に対しては聖書の物事の順序について書き送り,さらにキリストが聖書の中で主要な事柄であることをほのめかしている ― その各々について我々は論ずる必要がある。恵まれた使徒パウロ自身,先輩のヨハネの模範に従って,次のような順序で名を挙げて七つほどの教会に書き送っている。すなわち,コリント人(第一),エフェソス人(第二),フィリピ人(第三),コロサイ人(第四),ガラテア人(第五),テサロニケ人(第六),ローマ人(第七)に対してである。しかし,彼はコリント人やテサロニケ人に対して矯正のために2度書き送ってはいるが,ただ一つの教会が全地の至る所に行き渡っていることが示されている[すなわち,この7部から成る書によって示されている?]のである。また,ヨハネも黙示録の中で七つの教会にあてて書いてはいるが,それでも教会全体に語りかけているのである。しかし,[パウロは]愛情と愛の気持ちから1通をフィレモンにあてて,また1通をテトスにあてて,そして2通をテモテにあてて[書き送った]。[そしてこれらの手紙]は教会により神聖なものとして尊ばれている。……さらに,ユダの書簡とヨハネの名を帯びている2通の書簡が数えられている……我々はただヨハネとペテロの黙示録のみを受け入れているが,我々のうちの一部の者はこれ[後者]が教会で読まれることを望んではいない」― 新シャフ-ヘルツォーク宗教知識百科事典(英文),1956年版,第8巻,56ページ。
20 (イ)ヨハネの手紙の一つとペテロの手紙の一つが漏れていることは,どのように説明されていますか。(ロ)それで,この目録は現代の目録とどれほど厳密に合致しますか。
20 ムラトーリ断片の終わりのほうでは,ヨハネの2通の書簡のことしか述べられていない点が注目されます。しかし,この点について前述の百科事典はその55ページで次のように述べています。ヨハネのそれら2通の書簡は,「第二および第三の書簡であるに違いない。その筆者は自分のことを単に『長老』と呼んでいる。その第一の書を,単に付随的にせよ,4番目の福音書に関連してすでに扱っており,それがヨハネによって書かれたものであるとの絶対的な信念をそこで表明したので,著者はここでは注解をより小さいほうの2通の手紙にとどめることができると感じたのである」。ペテロの第一の書簡について何も述べられていないように見えることについて,この資料はこう続けています。「最も確からしい仮説は,ペテロ第一とヨハネの黙示録を受け入れられたものとして名を挙げて示している数語,恐らくは一行が失われたとする見方である」。ですから,ムラトーリ断片の見地に立って,この百科事典は56ページでこう結論しています。「新約聖書は確かに四福音書,使徒たちの活動,パウロの13通の書簡,ヨハネの黙示録,それに恐らく彼の3通の書簡,ユダの手紙そして恐らくペテロの第一の手紙で構成されていたものとみなされるが,もう一つのペテロの書に対する反対意見はまだ沈黙させられてはいない」。
21 (イ)霊感を受けて記された書に関するオリゲネスの注解はどんな点で興味深いものがありますか。(ロ)後代の著述家たちは何を認めましたか。
21 西暦230年ごろのオリゲネスは,ムラトーリ断片ではいずれも欠けている,ヘブライ人への手紙とヤコブの手紙を霊感による聖書の一部として受け入れていました。彼は一部の者がそれらの書の正典としての特性を疑っていたことを示唆していますが,これもまた,そのころまでにギリシャ語聖書の大半の書の正典性が受け入れられており,ただごく少数の者だけが余りよく知られていない書簡の幾つかについて疑っていたにすぎないことを示しています。後に,アタナシウス,ヒエロニムスおよびアウグスティヌスは,今わたしたちが持っているのと同じ27冊の書を正典であると明示することにより,初期の一覧表に関する結論を認めました。b
22,23 (イ)この表の目録のリストはどのようにして用意されましたか。(ロ)ムラトーリ断片以前にこのようなリストがなかったように思われるのはなぜですか。
22 ここの表に掲げた目録の大半は,どの書が正典として受け入れられたかをはっきり示したリストとなっています。イレナエウス,アレクサンドリアのクレメンス,テルトゥリアヌスおよびオリゲネスの目録は,彼らが引き合いに出した引用文を基にして完成されたものですが,それらの引用文は彼らが自分たちの言及した書をどのようにみなしていたかを明らかにするものです。それらの目録はさらに,初期の歴史家エウセビオスの記録によって補足されています。しかし,これらの著述家がある正典の書に言及していないという事実は,その正典性に反論を唱えるものではありません。それはただ彼らが自分たちの著述の中でそれらの書に言及しなかっただけのことで,論議されている主題のゆえに,あるいは選択の問題のゆえにそうしなかったにすぎません。しかし,ムラトーリ断片よりも早い時期の正確なリストが見つからないのはなぜでしょうか。
23 クリスチャンがどの書を受け入れるべきかに関して論争が生じたのは,西暦2世紀の半ばにマルキオンのような批評家が出てからのことでした。マルキオンは自分の教理に合った独自の正典を作り上げ,使徒パウロの手紙の幾つかと,一部を削除したルカの福音書だけを取り上げました。これと共に,そのころまでに世界中に広まっていた多数の外典的な文献のために,目録作成者は自分がどの書を正典として受け入れているかを述べることが必要となりました。
24 (イ)“新約聖書”外典のそれぞれの書にはどんな特徴が見られますか。(ロ)学者たちはそれらの書について何と述べていますか。
24 外典の書。内面的証拠は,霊感によるクリスチャンの書物と偽物,つまり霊感によらない著作との間に明確な相違があることを確証しています。外典の書は大変劣っており,多くの場合取り留めのない子供じみたものです。それらの書は多くの場合不正確です。c 正典に含まれないそれらの書に関する学者の次のような陳述に注目してください。
「だれかがそれらの書を新約聖書から除外したことには疑問の余地がない。それらの書は自らそうなったのである」― M・R・ジェームズ,「新約聖書外典」(英文),11,12ページ。
「新約聖書のそれぞれの書を全体としてその種のほかの文献と比較しさえすれば,両者の隔たりがどんなに広いかが分かるのである。しばしば言われてきたことであるが,正典に属さない福音書は,実際には正典の福音書のための最善の証拠である」― G・ミリガン,「新約聖書の文書」(英文),228ページ。
「新約聖書以外には,教会の初期の時代から現代まで保存されている著作で,今日正式に正典に加えることができると言えるものは,ただの一つもない」― K・アランド,「新約聖書の正典の問題」(英文),24ページ。
25 クリスチャン・ギリシャ語聖書の個々の筆者に関するどんな事実は,それらの書が霊感を受けたものであるという見方の正しさを立証していますか。
25 霊感を受けた筆者。さらに,次の点も興味深い事柄です。クリスチャン・ギリシャ語聖書の筆者は皆,何らかの点でクリスチャンの最初の統治体と密接に関係していました。その統治体には,イエスにより個人的に選ばれた使徒たちが含まれていました。マタイ,ヨハネ,そしてペテロは最初の12使徒の中に入っていました。パウロは後に使徒として選ばれましたが,12使徒の一人とはみなされませんでした。d ペンテコステの時に霊が特別に注がれた際,パウロはその場にいませんでしたが,マタイ,ヨハネ,そしてペテロは,ヤコブやユダ,それに恐らくマルコと共に,その場にいました。(使徒 1:13,14)ペテロは,パウロの手紙が「聖書の残りの部分」の一部であることを特に指摘しています。(ペテロ第二 3:15,16)マルコやルカはパウロやペテロの親しい仲間で,一緒に旅行した同僚でした。(使徒 12:25。ペテロ第一 5:13。コロサイ 4:14。テモテ第二 4:11)これらの筆者は皆,ペンテコステの時のように,またパウロが改宗した時のように(使徒 9:17,18),特別に霊を注がれることによって,あるいはルカの場合が明らかにそうであったように,使徒たちに手を置いてもらうことによって聖霊による奇跡的な能力を与えられました。(使徒 8:14-17)クリスチャン・ギリシャ語聖書を書き記すことはすべて,霊の特別の賜物が働いていた期間中に完結しました。
26 (イ)わたしたちは何を神のみ言葉として受け入れますか。それはなぜですか。(ロ)わたしたちは聖書に対する感謝をどのように示すべきですか。
26 霊感を与えてみ言葉を書き記させ,それを保存させた方である全能の神に対する信仰は,この方こそそのみ言葉の様々な部分の収集を導いてこられた方であることをわたしたちに確信させるものです。それでわたしたちは,クリスチャン・ギリシャ語聖書の27冊の書に加えてヘブライ語聖書の39冊の書をただお一人の著者エホバ神による1冊の聖書として,確信を抱いて受け入れます。66冊の書であるみ言葉は,わたしたちの手引きであって,全体が調和し,釣り合いが取れていることは,それが完全にそろったものであることを証ししています。この比類のない書物を造り出された方であるエホバ神に,すべての賛美が帰せられますように! それはわたしたちに十分の備えをさせ,命の道に沿ってわたしたちの歩みを進めさせることができます。あらゆる機会にそれを賢明に用いてゆきましょう。
[脚注]
a ユダヤ百科事典(英文),1973年版,第4巻,826,827欄。
b 「書物と羊皮紙文書」(英文),1963年,F・F・ブルース,112ページ。
c 「聖書に対する洞察」(英文),第1巻,122-125ページ。
d 「聖書に対する洞察」(英文),第1巻,129,130ページ。
[303ページの図表]
クリスチャン・ギリシャ語聖書の初期の重要な目録
A - 少しの疑いもなく聖書の一部また正典として受け入れられていた
D - 一部の地域では疑いを持たれていた
DA - 一部の地域では疑いを持たれていたが,目録作成者は聖書の一部また正典として
受け入れていた
? - 本文の解読,あるいは,言及されている書がどのようにみなされていたかが学者の
間でもはっきりしていない
□ - 空白箇所は典拠として掲げられているものによってその書が用いられていないか,
あるいは言及されていないことを示す
名前と場所
ムラトーリ断片, イレナエウス, アレクサンドリア テルトゥリアヌス,
イタリア 小アジア のクレメンス 北アフリカ
おおよその年代
西暦 170 180 190 207
マタイ A A A A
マルコ A A A A
ルカ A A A A
ヨハネ A A A A
使徒 A A A A
ローマ A A A A
コリント第一 A A A A
コリント第二 A A A A
ガラテア A A A A
エフェソス A A A A
フィリピ A A A A
コロサイ A A A A
テサロニケ第一 A A A A
テサロニケ第二 A A A A
テモテ第一 A A A A
テモテ第二 A A A A
テトス A A A A
フィレモン A A
ヘブライ D DA DA
ヤコブ ?
ペテロ第一 A? A A A
ペテロ第二 D? A
ヨハネ第一 A A DA A
ヨハネ第二 A A DA
ヨハネ第三 A?
ユダ A DA A
啓示 A A A A
名前と場所
オリゲネス, エウセビオス, エルサレムの チェルテンハム・
リスト,
アレクサンドリア パレスチナ キュリロス 北アフリカ
おおよその年代
西暦 230 320 348 365
マタイ A A A A
マルコ A A A A
ルカ A A A A
ヨハネ A A A A
使徒 A A A A
ローマ A A A A
コリント第一 A A A A
コリント第二 A A A A
ガラテア A A A A
エフェソス A A A A
フィリピ A A A A
コロサイ A A A A
テサロニケ第一 A A A A
テサロニケ第二 A A A A
テモテ第一 A A A A
テモテ第二 A A A A
テトス A A A A
フィレモン A A A A
ヘブライ DA DA A
ヤコブ DA DA A
ペテロ第一 A A A A
ペテロ第二 DA DA A D
ヨハネ第一 A A A A
ヨハネ第二 DA DA A D
ヨハネ第三 DA DA A D
ユダ DA DA A
啓示 A DA A
名前と場所
アタナシウス, エピファニオス, ナジアンズスの アンフィロキオス,
アレクサンドリア パレスチナ グレゴリウス, 小アジア
小アジア
おおよその年代
西暦 367 368 370 370
マタイ A A A A
マルコ A A A A
ルカ A A A A
ヨハネ A A A A
使徒 A A A A
ローマ A A A A
コリント第一 A A A A
コリント第二 A A A A
ガラテア A A A A
エフェソス A A A A
フィリピ A A A A
コロサイ A A A A
テサロニケ第一 A A A A
テサロニケ第二 A A A A
テモテ第一 A A A A
テモテ第二 A A A A
テトス A A A A
フィレモン A A A A
ヘブライ A A A DA
ヤコブ A A A A
ペテロ第一 A A A A
ペテロ第二 A A A D
ヨハネ第一 A A A A
ヨハネ第二 A A A D
ヨハネ第三 A A A D
ユダ A A A D
啓示 A DA D
名前と場所
フィラストリウス, ヒエロニムス, アウグスティヌス, カルタゴ第三会議,
イタリア イタリア 北アフリカ 北アフリカ
おおよその年代
西暦 383 394 397 397
マタイ A A A A
マルコ A A A A
ルカ A A A A
ヨハネ A A A A
使徒 A A A A
ローマ A A A A
コリント第一 A A A A
コリント第二 A A A A
ガラテア A A A A
エフェソス A A A A
フィリピ A A A A
コロサイ A A A A
テサロニケ第一 A A A A
テサロニケ第二 A A A A
テモテ第一 A A A A
テモテ第二 A A A A
テトス A A A A
フィレモン A A A A
ヘブライ DA DA A A
ヤコブ A DA A A
ペテロ第一 A A A A
ペテロ第二 A DA A A
ヨハネ第一 A A A A
ヨハネ第二 A DA A A
ヨハネ第三 A DA A A
ユダ A DA A A
啓示 DA DA A A
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研究5 ― ヘブライ語聖書の本文『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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霊感による聖書およびその背景に関する研究
研究5 ― ヘブライ語聖書の本文
霊感を受けて記された神のみ言葉の一部であるヘブライ語聖書が書き写され,本文の完全な形が保存されて現代まで伝えられてきたいきさつ。
1 (イ)『エホバの言葉』はどのように過去のほかの宝物とは異なっていますか。(ロ)神のみ言葉の保存に関してはどんな質問が生じますか。
書き物として残された『エホバの言葉』は,霊感を受けて書かれた文書の驚くべき貯水池とも言うべきものに集められた真理の水に例えられるかもしれません。そのような天からの情報が伝達されていた期間中,エホバがその「水」を集めさせ,命を与える無尽蔵の情報源となるよう取り計らわれたのは,何と感謝すべきことでしょう。人間の王冠や家宝や記念碑など,昔の他の宝物は,時の経過とともに色あせ,むしばまれたり,崩れたりしましたが,わたしたちの神の話された宝のようなことばは定めのない時までも保つのです。(イザヤ 40:8)しかし,その真理の水が貯水池に入れられた後,汚染されたりはしなかっただろうかという疑問が生じます。それは混ぜ物などされずに保存されてきましたか。それは原語の本文から忠実に翻訳されたでしょうか。その結果として,今日,地上のどんな国語を話す民族でも利用できるようになりましたが,それは信頼できるでしょうか。この貯水池とも言うべきもののうち,ヘブライ語本文として知られる部分を調べて,それを正確な形で保存するために払われた配慮と,様々な訳や新しい翻訳によって人類の中のすべての国民にそれを伝え,それを利用できるようにするために設けられた驚くべき備えとに注目するのは,感動的な研究であることに気づかれるでしょう。
2 霊感を受けて記された書は,どのようにしてエズラの時代まで保存されましたか。
2 ヘブライ語とアラム語で書かれた元の文書は,西暦前1513年のモーセの時から前443年より少し後までかかって,神に用いられた人間の秘書たちによって記録されました。今日知られている限り,それらの原本は一つも存在していません。しかし,霊感を受けて記された書とその正しい写しを保存する際,最初から非常な注意が払われました。西暦前642年ごろ,つまりヨシヤ王の時代に,モーセの「律法の書」,恐らくその原本がエホバの家にしまってあるのが見つかりました。それはこの時まで871年間そのまま保存されていたのです。聖書の筆者エレミヤはその発見に深い関心を表わして,列王第二 22章8節から10節にその記録を残しました。また,西暦前460年ごろ,エズラも再びその同じ出来事に言及しました。(歴代第二 34:14-18)エズラはこうした事柄に関心を持っていました。「彼はイスラエルの神エホバが賜わったモーセの律法の熟練した写字生だった」からです。(エズラ 7:6)エズラは恐らく,彼の時代までに整えられていたヘブライ語聖書のほかの巻き物を利用できたことでしょうし,それには霊感を受けて記された書の幾つかの原本が含まれていたかもしれません。実際,エズラは当時,神からの書の管理者であったようです。―ネヘミヤ 8:1,2。
写本が書き写された時代
3 聖書の写しがさらに必要とされるどんな事態が生じましたか。その必要はどのように満たされましたか。
3 エズラの時代以降,ヘブライ語聖書の写本の需要は増大しました。西暦前537年における回復の際,またそれ以後,ユダヤ人が皆エルサレムとパレスチナに帰還したわけではありませんでした。かえって,幾千人もの人々はバビロンにとどまる一方,他の人々は仕事や他の理由で移住して,古代世界の大きな商業中心地のほとんどで見いだされるようになりました。多くのユダヤ人は神殿での様々な祭りのために毎年帰って来てはエルサレムに上り,そこで聖書のヘブライ語で行なわれた崇拝にあずかりました。エズラの時代になると,それら多くの遠い土地にいるユダヤ人たちは,会堂として知られる地元の集会場を使うようになり,そこではヘブライ語聖書の朗読や討議が行なわれました。a 崇拝のための場所が多くの土地に散在するようになったため,写字生たちは手書き写本の供給量を増やさなければなりませんでした。
4 (イ)ゲニザとは何でしたか。それはどのように用いられましたか。(ロ)19世紀に,そのようなゲニザの一つで,どんな貴重な発見がなされましたか。
4 それらの会堂には通常,ゲニザとして知られる倉庫がありました。時たつうちに,ユダヤ人は長期間使って破れたり,すり切れたりして用いられなくなった写本をゲニザにしまい,それを当面会堂で用いられる新しい写本と取り替えました。ゲニザに入れられたものは時々,儀式にのっとって地中に埋められました。それはエホバという聖なるみ名の記された本文の神聖さが汚されないようにするためでした。何世紀もの間に,ヘブライ語聖書の幾千もの古い写本はこうして使用されなくなり,姿を消しました。しかし,カイロ旧市街の会堂の写本の一杯入っていたゲニザは,そのような取り扱いを受けずにすみました。それは恐らく,そのゲニザが壁で封じ込められ,19世紀の半ばまで忘れられてしまったためだったのでしょう。その会堂が修理されていた1890年に,そのゲニザに入れられていたものが再び調べられ,それら貴重な品々はやがて売却あるいは寄贈されました。この出所から,かなり完全な写本や幾千もの断片(あるものは西暦6世紀のものと言われている)がケンブリッジ大学図書館や欧米の様々な図書館に流れ込みました。
5 (イ)今では,昔のヘブライ語のどんな写本の目録が作られていますか。それらはどれほど古い写本ですか。(ロ)それを研究すれば,何が明らかになりますか。
5 今日,世界の各地の図書館にあるヘブライ語聖書全巻あるいはその一部の写本は多分6,000点を数え,その目録が作成されています。近年に至るまでは,(少数の断片を除いて)西暦10世紀よりも古い写本はありませんでした。その後,1947年に死海地区でイザヤ書の巻き物が発見されました。以後何年かの間に死海地区の洞くつが,1,900年近くの間隠されていた写本という高価な宝物を引き渡すにつれ,ヘブライ語聖書の貴重な巻き物がほかにも明るみに出ました。専門家は今では,それらの写本の年代を算定し,そのあるものは西暦前の最後の一,二世紀に書き写されたものと見ています。ヘブライ語聖書のほぼ6,000点の写本を比較研究すれば,ヘブライ語本文を確立するための確かな根拠が得られる上,本文も正確に伝わってきたことが明らかになります。
ヘブライ語
6 (イ)ヘブライ語の初期の歴史についてはどんなことが分かりますか。(ロ)なぜモーセは創世記を書き記す資格を備えていましたか。
6 今日ヘブライ語と呼ばれる言語の最初の形態のものは,アダムがエデンの園で話した言語でした。このようなわけで,それは人間の言語と呼ぶことができました。語いは増えましたが,それはノアの時代に話された言語でした。その後,形態はさらに拡張されましたが,それはエホバがバベルの塔のところで人間の言葉を混乱させた時にも存続した基本的な言語でした。(創世記 11:1,7-9)ヘブライ語はセム語族に属しており,その語族の長とも言うべき言語です。それはアブラハムの時代のカナンの言語とも関係を持っていたようで,カナン人はヘブライ語のその一つの分かれから様々な方言を作り出しました。イザヤ書 19章18節で,ヘブライ語は「カナンの言語」と呼ばれています。モーセは当時,単にエジプト人の知恵だけでなく,父祖たちのヘブライ語にも造けいの深い学者でした。そのようなわけで,彼は入手した古代の文書を読める立場にあり,それらが今日,聖書の創世記として知られる書に彼が記録した情報のあるものの基礎を成したのかもしれません。
7 (イ)ヘブライ語は後にどのような発展を見ましたか。(ロ)聖書のヘブライ語はどんな働きをしましたか。
7 後日,ユダヤ人の王たちの時代になって,ヘブライ語は「ユダヤ人の言語」として知られるようになりました。(列王第二 18:26,28)イエスの時代のユダヤ人はより新しい,あるいは拡張された形のヘブライ語を話し,それがさらに後代になってラビの用いた後期ヘブライ語となりました。それにしても,クリスチャン・ギリシャ語聖書の中でその言語がアラム語ではなく,「ヘブライ」語として呼ばれているのは注目すべきことです。(ヨハネ 5:2; 19:13,17。使徒 22:2。啓示 9:11)遠い昔から,聖書のヘブライ語はクリスチャン以前のエホバの証人の大半,および1世紀のクリスチャンである証人たちによって理解され,情報を伝達して人々を結び合わせる言語でした。
8 聖書の目的を考えると,どんな点でわたしたちは本当に感謝できますか。
8 ヘブライ語聖書は,神からの霊感のもとに伝達され,収集された,水晶のようによく澄んだ真理の水の貯水池の役をしました。しかし,ヘブライ語を読める人だけが神によって備えられたその水を直接利用できたにすぎません。どうすれば,様々な言語を話す多くの国の人々も,その真理の水を飲む方法を見いだして,神からの導きと魂をさわやかにするものとを得ることができるのでしょうか。(啓示 22:17)その唯一の方法は,ヘブライ語から他の言語に翻訳して,人類の大群衆のもとに神からの真理の水が届くよう,その流れを広げることです。西暦前4ないし3世紀ごろから現代に至るまで,聖書の種々の部分が1,900以上の言語に翻訳されたことを考えると,本当にエホバ神に感謝できます。これは,実際,その貴重な水に「喜び」を見いだすことができた,義を好む人々すべてにとって何という恩恵となったのでしょう。―詩編 1:2; 37:3,4。
9 (イ)聖書そのものは翻訳に対するどんな権限を与えていますか。(ロ)さらに,聖書の古代の翻訳はどんな点でよく役立ってきましたか。
9 聖書そのものは,その本文をほかの言語に翻訳する権限,もしくは正当な理由を与えていますか。確かに与えています!「諸国民よ,神の民と共に喜べ」という,イスラエルに対する神の言葉や,「王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう」という,クリスチャンに対するイエスの預言的な命令は果たされなければなりません。そうなるためには,聖書の翻訳がどうしても必要です。聖書が翻訳されてきたほぼ24世紀の期間を回顧してみると,エホバの祝福がこの業に伴ってきたことは明白です。その上,聖書の昔の翻訳で,写本の形で残っているものも,真理を蓄えているヘブライ語本文の高度な正確さを確証するのに役立ってきました。―申命記 32:43。マタイ 24:14。
最初期の翻訳
10 (イ)サマリア五書とは何ですか。それは今日のわたしたちにとってなぜ有用ですか。(ロ)新世界訳でサマリア五書が用いられている実例を一つ挙げなさい。
10 サマリア五書。初期の時代のものとしては,サマリア五書として知られる訳があります。この訳には,その名称が示すように,ヘブライ語聖書の初めの五書だけが収められています。それは実際には,ヘブライ語本文を古代ヘブライ書体から発達したサマリア書体に字訳したものです。それは当時のヘブライ語本文を知る有用な手掛かりを与えてくれます。この字訳はサマリア人によって行なわれました。彼らは,西暦前740年にイスラエルの10部族王国が征服された後にサマリアに残された人たちと,その時にアッシリア人によって連れて来られた人たちとの子孫でした。サマリア人はイスラエルの崇拝と自分たちの異教の神々の崇拝とを混合させ,彼らはモーセ五書を受け入れました。彼らがその字訳を行なったのは,西暦前4世紀ごろのことと考えられています。もっとも,それはずっと後の西暦前2世紀であろうと言う学者もいます。彼らがその本文を読んだ時,実際にはヘブライ語を発音していたと考えられます。その本文にはヘブライ語本文の約6,000の異文が含まれていますが,その多くは重要でない細かな点に関するものです。現存する写本の中で西暦13世紀より古いものはほとんどありません。新世界訳の脚注でもサマリア五書が幾度か参照されています。b
11 タルグムとは何ですか。ヘブライ語聖書の本文に関連して,それはどのように役立ちますか。
11 アラム語タルグム。「解釈」あるいは「意訳」という意味のアラム語の言葉は「タルグム」です。ネヘミヤの時代以降,アラム語がペルシャの領土に住んでいたユダヤ人の多くの共通語として用いられるようになり,そのためヘブライ語聖書を朗読する際,それと同時にアラム語に翻訳することが必要になりました。それらが最終的な現代の形式になったのは早くとも西暦5世紀ごろのことと思われます。それはヘブライ語本文のおおざっぱな意訳にすぎず,正確な翻訳ではありませんが,ヘブライ語本文を理解する豊富な背景的情報を提供し,幾つかの難解な句を確認する助けとなっています。新世界訳の脚注には,このタルグムがしばしば参照されています。c
12 セプトゥアギンタ訳とは何ですか。この訳はなぜそれほど重要ですか。
12 セプトゥアギンタ訳。ヘブライ語聖書の初期の訳の中でも最も重要で,実際に初めてヘブライ語から翻訳されて書かれたのは,ギリシャ語セプトゥアギンタ(「七十」の意)訳です。その翻訳は,伝承によれば西暦前280年ごろ,エジプト,アレクサンドリアの72人のユダヤ人の学者によって始められました。後にどういう訳か70という数字が使われるようになり,その結果この訳はセプトゥアギンタと呼ばれるようになりました。明らかに,それは西暦前2世紀のある時期に完成されました。それはギリシャ語を話すユダヤ人のための聖書となり,イエスやその使徒たちの時代に至るまで広く用いられました。クリスチャン・ギリシャ語聖書の中で,ヘブライ語聖書から直接引用されている320箇所と合計およそ890の引用および参照箇所の大半は,このセプトゥアギンタ訳に基づいています。
13 セプトゥアギンタ訳のどんな貴重な断片が今日まで残っていますか。それらにはどんな価値がありますか。
13 今日でもなお,パピルス紙に記されたセプトゥアギンタ訳の相当数の断片を研究のために用いることができます。それらの断片は初期キリスト教時代のものですから,貴重な写本です。そして,それらはしばしばほんの数節や数章にすぎませんが,セプトゥアギンタ訳の本文を評価するのに助けとなります。エジプトでファド・パピルス266が発見され,西暦前1世紀の写本であることが分かりました。それには創世記と申命記の一部が含まれています。創世記の断片には保存の不完全さのため神の名が出ていませんが,申命記には様々な場所に神の名が出ており,それはギリシャ語本文の中に方形のヘブライ語文字で書かれています。d ほかのパピルス写本の年代は,一般に子牛,子羊,またはやぎの皮で作られた,もっと長持ちのする獣皮紙,すなわち上等の羊皮紙が写本を作るために用いられるようになった西暦4世紀ごろにさかのぼります。
14 (イ)オリゲネスはセプトゥアギンタ訳について何と証言していますか。(ロ)セプトゥアギンタ訳はいつ,またどのようにして不正な変更を加えられましたか。(ハ)初期のクリスチャンはセプトゥアギンタ訳を用いて,どんな証しを行なったに違いありませんか。
14 西暦245年ごろに完成した,オリゲネス編さんによる6欄の「ヘクサプラ」のセプトゥアギンタ訳の箇所にも神の名が四文字語<テトラグラマトン>の形で出ているのは興味深い事柄です。詩編 2編2節に関する注解の中でオリゲネスは,セプトゥアギンタ訳についてこう書きました。「最も正確な写本には,み名がヘブライ語文字で書かれている。しかし,それは現代のヘブライ語[文字]ではなく,最も古いヘブライ語文字によってである」。e 証拠によれば,セプトゥアギンタ訳には四文字語の代わりにキュリオス(主)やセオス(神)という語が用いられて,早い時期に不正な変更が加えられたことは疑問の余地がないようです。初期のクリスチャンは神のみ名の出ている写本を用いたので,宣教に携わる際,ユダヤ教の伝承に従って「み名」の発音をしなかったとは考えられません。それらクリスチャンは,ギリシャ語セプトゥアギンタ訳から直接エホバのみ名について証しをすることができたに違いありません。
15 (イ)314ページの表を用いて,セプトゥアギンタ訳の獣皮紙の写本について述べなさい。(ロ)新世界訳は,これらの写本をどのように参照していますか。
15 ギリシャ語セプトゥアギンタ訳の獣皮紙の写本は今でも何百もあります。西暦4世紀から9世紀にかけて作られた,そのうちの幾つかの写本は,ヘブライ語聖書のかなりの部分を含んでいるゆえに重要な写本です。それらはアンシャル体写本として知られています。なぜなら,それは全部大文字で,文字と文字は離して書かれているからです。残りの写本は小文字体写本と呼ばれています。なぜなら,それは手書きの小文字の草書体で書かれているからです。小文字体写本すなわち草書体の写本は,9世紀から印刷の開始される時までの間に盛んに用いられました。四,五世紀の優れたアンシャル体写本,すなわちバチカン写本1209,シナイ写本およびアレクサンドリア写本は皆,幾つかのわずかな異文の含まれているギリシャ語セプトゥアギンタ訳の写本です。新世界訳の脚注や注解の部分では,セプトゥアギンタ訳がしばしば参照されています。f
16 (イ)ラテン語ウルガタ訳とはどんな翻訳ですか。その訳はなぜそれほど貴重ですか。(ロ)新世界訳の中でそれが参照されている箇所の一例を挙げなさい。
16 ラテン語ウルガタ訳。この訳は大勢のカトリックの翻訳者たちに用いられた原型本文となり,西方キリスト教世界の数多くの言語で他の訳が作り出されました。ウルガタ訳はどのようにして作り出されましたか。ラテン語の「ウルガートゥス」という言葉には,「共通の,大衆向きの」という意味があります。ウルガタ訳が最初に出された時,それは当時の共通あるいは大衆向きのラテン語で書かれていたので,西ローマ帝国の普通の人々が容易に理解できるものでした。この翻訳を行なった学者ヒエロニムスは,それ以前にギリシャ語セプトゥアギンタ訳と比較しながら,古ラテン語による詩編を2度改訂していました。しかし,彼の翻訳したウルガタ訳聖書は原語のヘブライ語およびギリシャ語から直接訳されたので,重訳ではありませんでした。ヒエロニムスは西暦390年から同405年にかけて,ヘブライ語からラテン語に翻訳する仕事に従事しました。その完成した訳には,そのころまでにセプトゥアギンタ訳の写本に入っていた外典の書も含まれていましたが,ヒエロニムスは正典の書とそうでないものとをはっきり区別していました。新世界訳はその脚注の中でヒエロニムスのウルガタ訳を何度も参照しています。g
ヘブライ語本文
17 書士すなわちソフェリムとはだれのことですか。イエスはそれらの人たちをどんな点で非難されましたか。
17 ソフェリム。エズラの時代以来イエスの時に至るまで,ヘブライ語聖書を書き写した人々は書士すなわちソフェリムと呼ばれました。時たつうちに,これらの人々は本文を勝手に変えるようになりました。実際,イエスご自身,律法のそれら自称管理者たちのことを,自分たちに属していない権利を我がものにしているとして,容赦なく非難されました。―マタイ 23:2,13。
18 (イ)マソラ学者とはだれのことですか。彼らはヘブライ語本文に関してどんな貴重な注解を記していますか。(ロ)新世界訳の中で注記されている,ソフェリムによる修正の例を幾つか挙げなさい。
18 マソラは改変箇所を明らかにする。キリストの時代以後,何世紀かの間に,書士であるソフェリムの跡を継いだ人々はマソラ学者として知られるようになりました。これらの人々は初期のソフェリムによって改変された箇所に注目し,それをヘブライ語本文の欄外または最後に記録しました。それらの欄外注記がマソラとして知られるようになりました。そのマソラには,ソフェリムにより指摘された15箇所の特殊符号,すなわちヘブライ語本文に小点や線で印を付けられた15の語や句が挙げられています。それらの特殊符号の幾つかは翻訳もしくは解釈に影響を及ぼしませんが,中にはそのような影響を及ぼす重要なものもあります。h ソフェリムはエホバというみ名を発音することに対して迷信的な恐れを抱いていたため,134箇所でそれを「アドーナーイ」(主),また,ある箇所では「エローヒーム」(神)と変えて読むわなに陥りました。マソラには,それらの変更が挙げられています。i また,ソフェリムすなわち初期の書士も,マソラの注記によれば,少なくとも18箇所で修正(訂正)を行なったとされていますが,もっと多くの修正が行なわれたことは明らかです。j これらの修正は良い意図をもってなされたと考えてもまず間違いではないでしょう。なぜなら,元の章句は神に対する不敬の念を示すか,あるいは神の地上の代表者たちに対する敬意の欠如を示しているかのいずれかのように思えたからです。
19 ヘブライ語の子音本文とは何ですか。その形はいつごろ定められるようになりましたか。
19 子音本文。ヘブライ語のアルファベットは22の子音文字でできており,母音はありません。元々,読者はその言語の知識に基づいて母音の音を補わなければなりませんでした。ヘブライ語の書き方は略語を書くのに似ていました。現代英語でも,人々が用いる標準的な省略形は数多くあり,その場合にも子音文字だけが用いられます。例えば,“limited”(「有限責任の」)という語の省略形として“ltd.”という語があります。同様に,ヘブライ語は子音文字だけで成る一連の語によって構成されています。このようなわけで,「子音本文」とは,母音符号の付いていないヘブライ語本文のことを指しています。ヘブライ語写本の子音本文は西暦一,二世紀中にその形が定められるようになりました。しかし,その後もしばらくの間は異文を含む本文に基づく写本が流布しました。それ以前のソフェリムの時期とは違って,変更はもはや行なわれませんでした。
20 マソラ学者はヘブライ語本文に関して何を行ないましたか。
20 マソラ本文。西暦5世紀から10世紀にかけて,マソラ学者(ヘブライ語,バアレー ハッマーソーラー,「伝承の主」の意)は母音符号とアクセント記号の体系を確立しました。これは朗読と母音の発音の助けとなる,書かれた手引きとなりました。それ以前には,発音は口伝によって伝えられました。マソラ学者は自分たちの伝えた本文を一切改変せず,適当と考えられる場合にはマソラに欄外の注を記しました。彼らは本文を勝手に変更しないよう大変な注意を払いました。さらに,彼らはマソラで本文の特異性に注意を促し,必要と思われる箇所には修正された読み方を示しました。
21 マソラ本文とは何ですか。
21 三つのマソラ学派,すなわち,バビロニア学派,パレスチナ学派,そしてティベリア学派が,母音符号やアクセント記号の作成に携わりました。今日,印刷されたヘブライ語聖書に見られるヘブライ語本文はマソラ本文として知られており,ティベリア学派によって考案された記号体系を用いています。この体系は,ガリラヤの海の西岸にあった都市ティベリアのマソラ学者たちによって作り出されたものです。新世界訳はその脚注の中で,マソラ本文(「マソ本」という記号のもとに)とその欄外の注記であるマソラ(「マソ本欄外」という記号のもとに)を何度も参照しています。k
22 バビロニア系本文のどんな写本が利用できるようになりましたか。それはティベリア学派の本文とどのように比べられますか。
22 パレスチナ学派は母音の印を子音の上に付けました。そのような写本はごくわずかしか残っておらず,その母音の記号体系が不備なものであったことを明らかにしています。バビロニア学派の母音符号の体系も同じく文字の上に付けるものでした。バビロニア学派の記号体系を示している写本は,西暦916年の「預言者」のペテルスブルグ写本で,それはロシアのサンクトペテルブルク公立図書館に保存されています。この写本にはイザヤ書,エレミヤ書,エゼキエル書,および「小預言者」が含まれており,欄外の注記(マソラ)が付されています。学者たちはこの写本を熱心に調査し,それをティベリア系本文と比較しました。それは母音符号を文字の上に付ける体系を採用してはいますが,子音本文とその母音およびマソラに関しては実際にはティベリア系本文に従っています。大英博物館にはモーセ五書のバビロニア系本文が一部ありますが,実質的にはティベリア系本文と一致することが分かりました。
23 死海の近くでヘブライ語写本の一連のどんな発見がなされましたか。
23 死海写本。1947年,ヘブライ語写本史上胸を躍らせるような新しい一章が開かれました。死海地区のワディ・クムラン(ナハル・クメラン)のとある洞くつから,イザヤ書の巻き物が,聖書の他の巻き物,および聖書のものではない巻き物と共に発見されました。その後間もなく,保存のよいイザヤ書の巻き物の複写写真による完全なコピー(クム1イザa)が学者の研究用に刊行されました。それは西暦前2世紀の終わりごろのものと信じられています。実際,それは信じられない発見物でした。イザヤ書の公認のマソラ本文の現存する最古の写本より約1,000年も古いヘブライ語写本だったのです!l クムランの他の洞くつからは170以上の巻き物の断片が発見されました。それらはエステル記以外のヘブライ語聖書のすべての書の一部を含んでおり,それらの巻き物の研究は今なお進行中です。
24 これらの写本はマソラ本文とどのように比べられますか。新世界訳の中で,これらの写本はどのように活用されていますか。
24 一人の学者は,詩編の一つの重要な死海写本(クム11詩a)の中の長い詩編 119編を調査した結果,それが詩編 119編のマソラ本文と一語一語ほとんど完全に一致していることが分かったと報告しています。この詩編の巻き物に関して,J・A・サンダーズ教授は次のように述べています。「[異文の]ほとんどは綴字法に関するもので,古代のヘブライ語の発音の手がかりやそれに類する事柄に関心のある学者にとってしか重要な意味をなさない」。a これらの驚くべき古代写本の他の例も,たいていの場合,重大な異文は何もないことを示唆しています。このイザヤ書の巻き物それ自体も,つづり字や文法上の構造の点で多少の相違があることを示してはいますが,教理上の点では変わってはいません。新世界訳の準備をする際,公刊されたイザヤ書の巻き物の異文が検討されたので,新世界訳の中でその点が参照されています。b
25 これまでに,どんなヘブライ語本文が検討されましたか。その研究はわたしたちに何を保証するものとなっていますか。
25 これで,ヘブライ語聖書の主要な伝承系統が検討されました。それらの系統は主に,サマリア五書,アラム語タルグム,ギリシャ語セプトゥアギンタ訳,ティベリア系ヘブライ語本文,パレスチナ系ヘブライ語本文,バビロニア系ヘブライ語本文,および死海写本のヘブライ語本文です。これらの本文を比較研究した結果,確かにヘブライ語聖書は,事実上,霊感を受けた神の僕たちが最初に記録した形のままで,今日のわたしたちのもとに伝わってきたと言うことができます。
ヘブライ語校訂本文
26 (イ)ヘブライ語本文の批評的研究が唱道されるようになったのはいつですか。これまでに印刷された定本にはどんなものがありますか。(ロ)ギンスブルクの本文はどのように用いられましたか。
26 19世紀に入ってもヘブライ語聖書の標準印刷本となっていたのは,1524年から1525年にかけて出版されたヤコブ・ベン・ハイームの「第二ラビ聖書」でした。学者たちがヘブライ語本文の批評的研究を唱道し始めたのは,18世紀になってからのことでした。1776年から1780年にかけてベンジャミン・ケニコットはオックスフォードで,600以上のヘブライ語写本から集めた異文を出版しました。それから,1784年から1798年にかけてイタリアの学者J・B・デ・ロッシはパルマで,さらに731の写本の異文を出版しました。ドイツのヘブライ語学者S・ベイアーも定本を作りました。さらに近年では,C・D・ギンスブルクが幾年もの歳月をかけてヘブライ語聖書の批評的定本を作りました。これは最初,1894年に出され,最後の改訂版は1926年に出されました。c ジョセフ・ロザハムはこの本文の1894年版を用いて,1902年にその英訳である「エンファサイズド・バイブル」を出版し,マックス・L・マルゴリス教授とその協力者たちはギンスブルクとベイアーの本文を用いて,1917年にヘブライ語聖書の翻訳を出版しました。
27,28 (イ)「ビブリア・ヘブライカ」とは何ですか。それはどのようにして出来上がりましたか。(ロ)新世界訳はこの本文をどのように用いてきましたか。
27 1906年にヘブライ語学者ルドルフ・キッテルは,「ビブリア・ヘブライカ」つまり「ヘブライ語聖書」と題するヘブライ語校訂本文の初版(そして後に,第2版)をドイツで発表しました。この本の中でキッテルは,広範にわたる脚注を付して,本文研究の資料を提供しました。それは,当時調べることのできたマソラ本文の数多くのヘブライ語写本を校合,つまり比較照合したものです。彼は一般に受け入れられていたヤコブ・ベン・ハイーム本文を底本として用いました。西暦10世紀ごろに標準化されていた,それよりもずっと古くて優れたベン・アシェルのマソラ本文が入手できるようになると,キッテルは「ビブリア・ヘブライカ」の全く異なった第3版の出版に着手しました。この仕事は彼の死後,その同僚の手で完成されました。
28 キッテルの「ビブリア・ヘブライカ」の第7,第8および第9版(1951-1955年)が,英文新世界訳のヘブライ語部分のために用いる底本となりました。ヘブライ語本文の新版,すなわち,1977年に出された「ビブリア・ヘブライカ・シュトゥットガルテンシア」は,1984年に出版された新世界訳(英文)の脚注に収められている情報を最新のものにするために用いられました。
29 神のみ名を復元させる点で,「ビブリア・ヘブライカ」のどんな特色がとりわけ貴重ですか。
29 キッテルはキリスト教時代以前の書士たちが本文を変えた多くの改変箇所を注記している欄外のマソラを紹介しており,それはエホバという神のみ名の復元をも含め,新世界訳の正確な翻訳に役立ちました。聖書学の分野の絶えず増し加わる知識は,新世界訳を通して引き続き利用できるようになっています。
30 (イ)新世界訳の本文におけるヘブライ語聖書の部分に用いられた資料を示す308ページの図表を用いて,新世界訳の主要な資料となった「ビブリア・ヘブライカ」に至るまでのヘブライ語本文の歴史をたどりなさい。(ロ)新世界訳聖書翻訳委員会が参照したほかの資料にはどんなものがありますか。
30 この課に掲げられている図表は,新世界訳(英文)のヘブライ語聖書本文に用いられた資料を呈示したものです。この図表はヘブライ語本文がどのような経過をたどって,新世界訳の主要な資料として用いられたキッテルの「ビブリア・ヘブライカ」にまで至ったかを簡単に示しています。参考にした二次的な資料は白い点線によって示されています。これは,ラテン語ウルガタ訳やギリシャ語セプトゥアギンタ訳などの場合,原典が調べられたことを意味するものではありません。それらの訳については,霊感を受けて記されたヘブライ語の書それ自体の場合と同様,原本は今では存在しません。それらの資料は,信頼の置ける本文によって,あるいは信頼できる昔の翻訳や批評的注解に基づいて調べられました。新世界訳聖書翻訳委員会はそれら様々な資料を調べることによって,霊感を受けた元のヘブライ語聖書の権威ある,信頼できる翻訳を提供することができました。それらの資料はすべて,新世界訳の脚注の中に示されています。
31 (イ)そのようなわけで,新世界訳のヘブライ語聖書の部分は何の成果と言えますか。(ロ)ですから,わたしたちはどんな感謝の気持ちと期待を表明しますか。
31 このようなわけで,「新世界訳」のヘブライ語聖書の部分は,長年にわたる聖書学の研究調査の成果です。それは元の完全な形に極めて近い本文に基づいており,正確な本文伝承の点で豊かに恵まれた結果生み出された訳です。この訳は人を引き付ける流れるような文体であると同時に,真剣な聖書研究のための正直で正確な翻訳です。今日,神のみ言葉は生きており,力を及ぼしています。これは意思の疎通を図っておられる神エホバに何と感謝すべきことなのでしょう。(ヘブライ 4:12)心の正しい人々が,神の貴重なみ言葉の研究を通して引き続き信仰を築き,この重大な時代にエホバのご意志を行なうよう奮起させられますように。―ペテロ第二 1:12,13。
[脚注]
a 会堂の使用がいつ始まったかは分かっていません。神殿の存在していなかったバビロンにおける70年の流刑期間中か,流刑から帰還して間もないエズラの時代に始まったのかもしれません。
b 創世記 4:8; 出エジプト記 6:2; 7:9; 8:15; 12:40に関する脚注,「サマ五」の箇所をご覧ください。この最後の句の訳し方はわたしたちがガラテア 3章17節を理解するのに助けとなります。
c 民数記 24:17; 申命記 33:13; 詩編 100:3に関する脚注,「タル」の箇所をご覧ください。
d 参照資料付き聖書,付録1ハ,「古代ギリシャ語訳における神のみ名」。
e 「聖書に対する洞察」(英文),第2巻,9ページ。
f 新世界訳(英文)は,シナイ写本に対してはLXXא(邦訳,シナ写),アレクサンドリア写本に対してはLXXA(邦訳,アレ写),バチカン写本に対してはLXXB(邦訳,バチ写)の記号を用いて,それらの異文に注目しています。列王第一 14:2と歴代第一 7:34; 12:19に関する脚注をご覧ください。
g 出エジプト記 37:6に関する脚注,「ウル訳」の箇所をご覧ください。
h 参照資料付き聖書,付録2イ,「特殊符号」。
i 参照資料付き聖書,付録1ロ,「書写の際に神のみ名に加えられた変更」。
j 参照資料付き聖書,付録2ロ,「ソフェリムによる修正(訂正)」。
l 「聖書に対する洞察」(英文),第1巻,322ページ。
a 「詩編の死海写本」(英文),1967年,J・A・サンダーズ,15ページ。
[313ページの図表]
(正式に組んだものについては出版物を参照)
主要なパピルス写本の例
ヘブライ語聖書
写本の名称 ナッシュ・パピルス
年代 西暦前2世紀もしくは同1世紀
言語 ヘブライ語
所在地 英国,ケンブリッジ
写本の名称 ライランズ 458
記号 957
年代 西暦前2世紀
言語 ギリシャ語
所在地 英国,マンチェスター
内容の概要 申命記 23-28章の断片
写本の名称 ファド 266
年代 西暦前1世紀
言語 ギリシャ語
所在地 エジプト,カイロ
内容の概要 創世記と申命記の一部
写本の名称 レビ記の死海写本
記号 4Q LXX Levb
年代 西暦前1世紀
言語 ギリシャ語
所在地 イスラエル,エルサレム
内容の概要 レビ記の断片
写本の名称 チェスター・ビーティー 6
記号 963
年代 西暦2世紀
言語 ギリシャ語
所在地 アイルランド,ダブリン。米国,ミシガン州,アンアーバー
内容の概要 民数記と申命記の一部
写本の名称 チェスター・ビーティー 9,10
記号 967/968
年代 西暦3世紀
言語 ギリシャ語
所在地 アイルランド,ダブリン。米国,ニュージャージー州,プリンストン
内容の概要 エゼキエル,ダニエル,エステルの一部
クリスチャン・ギリシャ語聖書
写本の名称 オクシリンコス 2
記号 P1
年代 西暦3世紀
言語 ギリシャ語
所在地 米国,ペンシルバニア州,フィラデルフィア
内容の概要 マタイ 1:1-9,12,14-20
写本の名称 オクシリンコス 1228
記号 P22
年代 西暦3世紀
言語 ギリシャ語
所在地 スコットランド,グラスゴー
写本の名称 ミシガン 1570
記号 P37
年代 西暦3ないし4世紀
言語 ギリシャ語
所在地 米国,ミシガン州,アンアーバー
内容の概要 マタイ 26:19-52
写本の名称 チェスター・ビーティー 1
記号 P45
年代 西暦3世紀
言語 ギリシャ語
所在地 アイルランド,ダブリン。オーストリア,ウィーン
内容の概要 マタイ,マルコ,ルカ,ヨハネ,使徒たちの活動の断片
写本の名称 チェスター・ビーティー 2
記号 P46
年代 西暦200年ごろ
言語 ギリシャ語
所在地 アイルランド,ダブリン。米国,ミシガン州,アンアーバー
内容の概要 パウロの9通の書簡
写本の名称 チェスター・ビーティー 3
記号 P47
年代 西暦3世紀
言語 ギリシャ語
所在地 アイルランド,ダブリン
内容の概要 啓示 9:10-17:2
写本の名称 ライランズ 457
記号 P52
年代 西暦125年ごろ
言語 ギリシャ語
所在地 英国,マンチェスター
内容の概要 ヨハネ 18:31-33,37,38
写本の名称 ボドメル 2
記号 P66
年代 西暦200年ごろ
言語 ギリシャ語
所在地 スイス,ジュネーブ
内容の概要 ヨハネのほとんど全部
写本の名称 ボドメル 7,8
記号 P72
年代 西暦3ないし4世紀
言語 ギリシャ語
所在地 スイス,ジュネーブ。イタリア,ローマのバチカン図書館
内容の概要 ユダ,ペテロ第一,ペテロ第二
写本の名称 ボドメル 14,15
記号 P75
年代 西暦3世紀
言語 ギリシャ語
所在地 スイス,ジュネーブ
内容の概要 ルカとヨハネのほとんど全部
[314ページの図表]
(正式に組んだものについては出版物を参照)
主要な獣皮紙写本の例
ヘブライ語聖書(ヘブライ語)
写本の名称 アレッポ写本
記号 Al
年代 西暦930年
言語 ヘブライ語
所在地 以前はシリアのアレッポ。現在はイスラエル
内容の概要 ヘブライ語聖書の多くの部分(ベン・アシェル本文)
写本の名称 大英博物館写本 Or4445
年代 西暦10世紀
言語 ヘブライ語
所在地 英国,ロンドン
内容の概要 モーセ五書のほとんど全部
写本の名称 カイロ・カライ派写本
記号 Ca
年代 西暦895年
言語 ヘブライ語
所在地 エジプト,カイロ
内容の概要 前期と後期の預言書
写本の名称 レニングラード写本
記号 B19A
年代 西暦1008年
言語 ヘブライ語
所在地 ロシア,サンクトペテルブルク
内容の概要 ヘブライ語聖書
写本の名称 預言書のペテルスブルグ写本
記号 B3
年代 西暦916年
言語 ヘブライ語
所在地 ロシア,サンクトペテルブルク
内容の概要 後期の預言書
「新世界訳 参照資料付き」の中での使用例
(引照されている聖句については脚注を参照)
付録 2ロ
写本の名称 イザヤ第一死海写本
記号 1QIsa
年代 西暦前2世紀の終わり
言語 ヘブライ語
所在地 イスラエル,エルサレム
内容の概要 イザヤ
写本の名称 詩編死海写本
記号 11QPsa
年代 西暦1世紀
言語 ヘブライ語
所在地 イスラエル,エルサレム
内容の概要 詩編の最後の3分の1の41編の一部
セプトゥアギンタおよびクリスチャン・ギリシャ語聖書
写本の名称 シナイ写本
記号 01(א)
年代 西暦4世紀
言語 ギリシャ語
所在地 英国,ロンドン
内容の概要 ヘブライ語聖書の一部とギリシャ語聖書の全部,および幾つかの外典
写本の名称 アレクサンドリア写本
記号 A(02)
年代 西暦5世紀
言語 ギリシャ語
所在地 英国,ロンドン
内容の概要 ヘブライ語聖書とギリシャ語聖書の全部
(小部分が紛失もしくは破損),および幾つかの外典
写本の名称 バチカン写本 1209
記号 B(03)
年代 西暦4世紀
言語 ギリシャ語
所在地 イタリア,ローマのバチカン図書館
写本の名称 エフラエム・シリア重記写本
記号 C(04)
年代 西暦5世紀
言語 ギリシャ語
所在地 フランス,パリ
内容の概要 ヘブライ語聖書の一部(64葉)とギリシャ語聖書の一部(145葉)
写本の名称 ベザ写本ケンブリッジ
記号 Dea(05)
年代 西暦5世紀
言語 ギリシャ語-ラテン語
所在地 英国,ケンブリッジ
内容の概要 四福音書の大半と使徒たちの活動の大半。ヨハネ第三の数節
写本の名称 クレルモン写本
記号 DP(06)
年代 西暦6世紀
言語 ギリシャ語-ラテン語
所在地 フランス,パリ
内容の概要 パウロの書簡(ヘブライ人への書を含む)
[308ページの図]
(正式に組んだものについては出版物を参照)
新世界訳の本文のための資料 ― ヘブライ語聖書
ヘブライ語原文および初期の写本
アラム語タルグム
死海写本
サマリア五書
ギリシャ語セプトゥアギンタ訳
古ラテン訳
コプト訳,エチオピア訳,アルメニア訳
ヘブライ語子音本文
ラテン語ウルガタ訳
ギリシャ語訳 ― アキュラ訳,テオドティオン訳,シュンマコス訳
シリア語ペシタ訳
マソラ本文
カイロ写本
預言者たち(預言者)のペテルスブルグ写本
アレッポ写本
ギンスブルクのヘブライ語本文
レニングラード写本(冊子本)B 19A
ビブリア・ヘブライカ(BHK),ビブリア・ヘブライカ・
シュトゥットガルテンシア(BHS)
新世界訳
ヘブライ語聖書 ― 英語。英語から他の多くの現代語に翻訳
[309ページの図]
(正式に組んだものについては出版物を参照)
新世界訳の本文のための資料 ― クリスチャン・ギリシャ語聖書
ギリシャ語原文および初期の写本
アルメニア語訳
コプト訳
シリア語訳 ― キュアトン写本,フィロクセヌス訳,ハルケル訳,
パレスチナ訳,シナイ写本,ペシタ訳
古ラテン訳
ラテン語ウルガタ訳
シクツスおよびクレメンスのラテン語改訂本文
ギリシャ語筆記体写本群
エラスムス本文
ステファヌス本文
公認本文
グリースバッハのギリシャ語本文
エンファティック・ダイアグロット訳
パピルス ―(例えば,チェスター・ビーティーP45,P46,P47; ボドメルP66,P74,P75)
初期のギリシャ語アンシャル体写本群 ― バチカン写本1209(B),シナイ写本(א),
アレクサンドリア写本(A),エフラエム・シリア重記写本(C),ベザ写本(D)
ウェストコットとホートのギリシャ語本文
ボーベルのギリシャ語本文
メルクのギリシャ語本文
ネストレ-アーラントのギリシャ語本文
聖書協会連盟のギリシャ語本文
23のヘブライ語訳(14-20世紀),ギリシャ語またはラテン語ウルガタ訳から
の翻訳で,神の名に四文字語<テトラグラマトン>を用いている
新世界訳
クリスチャン・ギリシャ語聖書 ― 英語。英語から他の多くの現代語に翻訳
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研究6 ― クリスチャン・ギリシャ語聖書の本文『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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霊感による聖書およびその背景に関する研究
研究6 ― クリスチャン・ギリシャ語聖書の本文
ギリシャ語聖書本文の書写。現代に至るまでのギリシャ語および他の言語によるその伝達。現代の本文の信頼性。
1 クリスチャンの教育計画はどのように開始されましたか。
初期のクリスチャンは書き記された『エホバのみ言葉』を世界中で教え,それを広める業に携わった人たちでした。彼らは,イエスが昇天する直前に言われた,「聖霊があなた方の上に到来するときにあなた方は力を受け,エルサレムでも,ユダヤとサマリアの全土でも,また地の最も遠い所にまで,わたしの証人となるでしょう」という言葉をまじめに考えました。(イザヤ 40:8。使徒 1:8)イエスが予告しておられた通り,最初の120人の弟子たちは,人を活発に働かせる力を持つ聖霊を受けました。それは西暦33年のペンテコステの日のことでした。同じ日に,ペテロは徹底的な証しを行ない,先頭に立ってその新しい教育計画を進め,結果として多くの人々が音信を心から受け入れ,新たに設立されたクリスチャン会衆にさらにおよそ3,000人の人々が加えられました。―使徒 2:14-42。
2 今やどんな良いたよりが宣明されましたか。この証しの業は何についての論証となりましたか。
2 一集団として史上他に例を見ないほどの活動に携わるよう奮い動かされた,それらイエス・キリストの弟子たちは,人々を教える一つの計画を開始し,ついにそれは当時知られていた世界のすみずみにまで行き渡りました。(コロサイ 1:23)そうです,それら献身的なエホバの証人は自らの足を懸命に用いて,家から家に,都市から都市に,国から国に歩いて行き,「良い事柄についての良いたより」を宣明しました。(ローマ 10:15)この良いたよりは,キリストによる贖いの備え,復活の希望および約束された神の王国について語るものでした。(コリント第一 15:1-3,20-22,50。ヤコブ 2:5)目に見えない事柄に関するこれほどの証言が人々に対して行なわれたことはかつて一度もありませんでした。それは今や,イエスの犠牲に基づいてエホバを主権者なる主として受け入れた多くの人々にとって,「見えない実体についての明白な論証」,つまり信仰の表示となりました。―ヘブライ 11:1。使徒 4:24。テモテ第一 1:14-17。
3 西暦1世紀のクリスチャンの奉仕者にはどんな特徴が見られましたか。
3 これら男女のクリスチャンの奉仕者たちは,啓発を受けた神の奉仕者でした。彼らは読み書きができましたし,聖書の教育も受けていました。また,世の中の出来事にも通じた人たちでしたし,旅行することにも慣れていました。それらの奉仕者は,良いたよりを広めるその促進運動をどんな障害物にも妨げさせようとしなかった点で,いなごのようでした。(使徒 2:7-11,41。ヨエル 2:7-11,25)あの西暦1世紀当時,彼らは多くの点で現代の人々と余り変わらない人たちの中で働きました。
4 エホバによる霊感と導きのもとで,初期のクリスチャン会衆の時代には何を書くことが行なわれましたか。
4 「命の言葉」を宣べ伝える進歩的な奉仕者として,それら初期のクリスチャンは,何であれ入手し得る聖書の巻き物を十分に活用しました。(フィリピ 2:15,16。テモテ第二 4:13)それらの人のうちの4人,すなわちマタイ,マルコ,ルカおよびヨハネはエホバから霊感を与えられて,「イエス・キリストについての良いたより」を書き記しました。(マルコ 1:1。マタイ 1:1)中でも,ペテロ,パウロ,ヨハネ,ヤコブ,ユダなどの人々は,霊感を受けて手紙を書き記しました。(ペテロ第二 3:15,16)ほかの人々はそれら霊感を受けて記された情報を書き写す写字生となり,それらの情報は増えてゆく会衆の間で相互の益のために交換されました。(コロサイ 4:16)さらに,「エルサレムにいる使徒や年長者たち」は神の霊の導きのもとに教理上の決定を行ない,その決定は後で用いられるようにするため記録されました。この中央の統治体はまた,遠く離れた諸会衆にあてて教訓を記した手紙を書き送りました。(使徒 5:29-32; 15:2,6,22-29; 16:4)そして,そのために,彼らは自分たちで手紙を届ける方法を講じなければなりませんでした。
5 (イ)冊子本とは何ですか。(ロ)初期のクリスチャンは冊子本をどの程度用いましたか。それにはどんな利点がありましたか。
5 聖書の頒布を促進すると共に,参照するのに便利な形態のものを提供するために,初期のクリスチャンはほどなく巻き物の代わりに冊子本の形の写本を用い始めました。巻き物の場合,しばしばそれを相当広げなければなりませんが,冊子本は形の上で現代の本と同様で,容易にページをめくって参照箇所を調べることができます。その上,冊子本の形にしたので,正典に属する書を一緒にまとめることができるようになりました。一方,巻き物の形の場合,それらの書は大抵別々の巻き物にされていました。初期クリスチャンは冊子本を使う点で草分け的存在でした。あるいは,彼らがそれを発明したのかもしれません。冊子本はクリスチャンではない著述家の間では徐々に取り入れられていったにすぎませんが,二,三世紀のキリスト教関係のパピルス紙文書の大半は冊子本の形を取っています。a
6 (イ)古典ギリシャ語の時代とはいつのことでしたか。その時期には何が含まれましたか。コイネー,つまり共通ギリシャ語はいつ発達しましたか。(ロ)コイネーはどのようにして,またどの程度一般に用いられるようになりましたか。
6 コイネー(共通ギリシャ語)という媒体。ギリシャ語のいわゆる古典時代は西暦前9世紀から同4世紀まで続きました。これはアッティカおよびイオニア方言の時代でした。ギリシャの多数の戯曲作者,詩人,雄弁家,歴史家,哲学者および科学者が活躍したのはこの時代,それも特に西暦前5ないし4世紀のころでした。そのうちでも,ホメロス,ヘロドトス,ソクラテス,プラトンその他の人々が有名になりました。西暦前4世紀ごろから西暦6世紀ごろまでの期間は,コイネーとして知られる共通ギリシャ語の時代でした。この言葉が発達したのはおおむね,ギリシャのあらゆる地方から来た兵士で構成された軍隊を率いるアレクサンドロス大王の行なった軍事作戦のためでした。彼らはギリシャ語の様々な方言を話しました。そして,それらの方言が混じり合っていく間に,一つの共通の方言つまりコイネーが発達し,広く用いられるようになりました。アレクサンドロスはエジプトをはじめ,インドに至るまでアジアを征服したために,コイネーは多くの民族の間に広まり,その結果それは国際語となり,何世紀にもわたってそのような言語として存続しました。セプトゥアギンタ訳のギリシャ語の語いは,西暦前3世紀および同2世紀にエジプトのアレクサンドリアで通用していたコイネーに属するものでした。
7 (イ)聖書はイエスやその使徒たちの時代にコイネーが用いられていたことをどのように証言していますか。(ロ)コイネーはどうして神のみ言葉を伝達するのに適していましたか。
7 イエスやその使徒たちの時代には,コイネーがローマ世界の国際語でした。聖書そのものもこのことを証言しています。イエスが杭にくぎ付けにされた時,ユダヤ人の言語であるヘブライ語だけでなく,その地の公用語であったラテン語と,ローマ,アレクサンドリアあるいはアテネとさえほとんど変わらないくらい頻繁にエルサレムのちまたで話されていたギリシャ語で書かれたものをイエスの頭上に掲げる必要がありました。(ヨハネ 19:19,20。使徒 6:1)使徒 9章29節によれば,パウロはエルサレムで,ギリシャ語を話したユダヤ人に良いたよりを宣べ伝えました。そのころまでには,コイネーは十分に発達した,力強い,生きた言葉 ― いつでもすぐ使えて,しかも神のみ言葉をさらに伝達する点でエホバの高遠な目的にかなった言語でした。
ギリシャ語本文とその伝達
8 わたしたちは今,なぜギリシャ語聖書写本の貯水池ともいうべきものを調べるのですか。
8 前の課の研究の中で,わたしたちはエホバが文書資料 ― 霊感を受けて記されたヘブライ語聖書という貯水池にご自分の真理の水を保存されたことについて学びました。しかし,イエス・キリストの使徒たちやほかの弟子たちによって書き記された聖書についてはどうでしょうか。それも同様の注意を払われて,わたしたちのために保存されてきたでしょうか。ギリシャ語および他の言語で書かれて保存されてきた写本の巨大な貯水池とも呼べるものを調べると,その通りであることが分かります。すでに説明された通り,聖書正典のこの部分は27冊の書でできています。最初のギリシャ語本文が現代まで保存されてきたことを示している,それら27冊の書の本文伝承の系統を考慮してください。
9 (イ)クリスチャン聖書はどんな言語によって書き記されましたか。(ロ)マタイの書に関してはどんな例外が認められますか。
9 ギリシャ語写本の源泉。クリスチャンの聖書の27冊の正典の書は,当時の共通ギリシャ語で書き記されました。しかし,マタイの書は最初,ユダヤ人の益のため,明らかに聖書のヘブライ語で書き記されました。4世紀の聖書翻訳者ヒエロニムスはそのことを記しており,それは後にギリシャ語に翻訳されたと述べています。b マタイ自身が恐らくその翻訳を行なったと思われます。彼はローマ政府の官吏,つまり収税人だったので,ヘブライ語,ラテン語およびギリシャ語を知っていたに違いないからです。―マルコ 2:14-17。
10 聖書のそれぞれの書はどのようにしてわたしたちのもとにまで伝わってきましたか。
10 クリスチャン聖書のほかの筆者,つまりマルコ,ルカ,ヨハネ,パウロ,ペテロ,ヤコブおよびユダはいずれも,各々の文書を,1世紀のクリスチャンやほかのほとんどの人の理解できる生きた共通語,コイネーで書き記しました。それら元の文書の最後のものは西暦98年ごろ,ヨハネによって書き記されました。これまでに知られている限り,コイネーで記された,それら27冊の元の原稿は今日一つも残っていません。しかし,この最初の水源とも言うべきものから原書の写し,その写しをさらに書き写したもの,および様々な系統の写しがわたしたちの所に流れてきて,クリスチャン・ギリシャ語聖書の写本の巨大な貯水池とも言うべきものが形造られてきました。
11 (イ)今日,どれほどの量の蓄えられた写本を利用することができますか。(ロ)これは量や年代についていえば,古典的著作とどのように対比されますか。
11 1万3,000以上もの写本の一大貯水池。今日では,27冊の正典の書全部の蓄えられた膨大な量の写本を利用することができます。中には,聖書のかなりの部分を含む写本もあれば,単なる断片にすぎないものもあります。ある計算によると,原語のギリシャ語で記された5,000以上の写本があります。その上,ほかの色々な言語の写本が約8,000ありますから,全部で合計1万3,000余りの写本となります。西暦2世紀から同16世紀の年代のそれらの写本はすべて,正しい原文を確定するのに役立ちます。これらの多数の写本のうちでも最古の写本は,英国,マンチェスターのジョン・ライランズ図書館にあるヨハネの福音書のパピルス断片で,それはP52という符号で知られており,年代は2世紀の前半,恐らく西暦125年ごろと推定されています。c ですから,この写しは原書が作られてからわずか四半世紀ほど後に書かれました。大抵の古典著述家の本文を確かめるにはほんのわずかの写本しか使うことができず,原本が作られてから数世紀以内の写本はめったにないことを考えれば,クリスチャン・ギリシャ語聖書の権威ある本文を定める上で助けとなる実に豊富な証拠があることは高く評価できます。
12 最初の写本は何を用いて書かれましたか。
12 パピルス写本。セプトゥアギンタ訳の初期の写しの場合と同様,クリスチャン・ギリシャ語聖書の最初の写本はパピルス紙に書かれ,パピルス紙は西暦4世紀ごろまで聖書写本のために引き続き用いられました。聖書の筆者たちも,クリスチャンの諸会衆に手紙を書き送った際,パピルス紙を用いたと考えられます。
13 どんな重要なパピルス写本の発見物が1931年に公開されましたか。
13 これまでにエジプトのファイユーム州で大量のパピルス文書が捜し出されました。19世紀の後期になって,幾つかの聖書のパピルスが見いだされました。現代の写本のすべての発見物の中でも最も重要なものの一つは,1931年に公開された発見物です。それは11の冊子本の一部分から成っており,霊感を受けたヘブライ語聖書の八つの異なった書の一部とクリスチャン・ギリシャ語聖書の15の書の一部がすべてギリシャ語で書かれています。これらのパピルス文書は西暦2世紀から4世紀にかけて書かれたものと見られています。この発見物のうちクリスチャン・ギリシャ語聖書の部分の多くは,今ではチェスター・ビーティー・コレクションに収められており,「パピルス」(Papyrus)を表わす“P”という記号を用いてP45,P46,P47として目録に載せられています。
14,15 (イ)313ページの表に列挙されているクリスチャン・ギリシャ語聖書のパピルス写本のうち際立ったものを幾つか挙げなさい。(ロ)新世界訳の中でそれらの写本がどのように活用されているかを述べなさい。(ハ)初期のパピルス冊子本は何を確証していますか。
14 もう一つの注目すべきパピルスの収集が1956年から1961年にかけて,スイスのジュネーブで出版されました。それはボドメル・パピルスとして知られており,二つの福音書の初期の本文(P66とP75)を含んでいますが,それは西暦3世紀初頭のものです。この課の前に掲げた表には,ヘブライ語聖書とクリスチャン・ギリシャ語聖書の古代の際立ったパピルス写本の幾つかが列挙されています。その表の最後の欄には,新世界訳聖書の引照句が示されており,その訳し方はそれらのパピルス写本によって支持されています。このことはそれらの節に関する脚注に示されています。
15 それらパピルスの発見は,聖書の正典が非常に早い時期に完成されたことを示す証拠を提供しています。チェスター・ビーティー・パピルスの中の二つの冊子本 ― 一つは四福音書と「使徒たちの活動」の書の一部が一緒になったもの(P45),もう一つは表紙の間にパウロの14通の手紙のうち9通が収められたもの(P46)は,霊感を受けたクリスチャン・ギリシャ語聖書が使徒たちの死後まもなく収集されたことを示しています。これらの冊子本が広く頒布され,エジプトにまで達するにはかなりの時が経過したはずであり,聖書のそれらの書は遅くとも2世紀までには収集されて,その標準的な形態を整えていたことは明らかです。ですから,2世紀の終わりまでにクリスチャン・ギリシャ語聖書の正典がまとめられ,聖書全巻の正典が完成したことに疑問の余地はありません。
16 (イ)クリスチャン・ギリシャ語聖書のどんなアンシャル体写本が今日に至るまで残存していますか。(ロ)アンシャル体写本は新世界訳の中でどの程度用いられていますか。それはなぜですか。
16 獣皮紙写本。前の課の研究でも学んだ通り,西暦4世紀以降,写本を作るためにパピルス紙に代わって,もっと耐久力のある獣皮紙,つまり普通,子牛,子羊,もしくはやぎの皮でできた上等の羊皮紙が用いられるようになりました。今日存在している幾つかの非常に重要な聖書写本は獣皮紙に書かれた写本です。わたしたちはすでにヘブライ語聖書の獣皮紙写本については討議しました。314ページの表には,クリスチャン・ギリシャ語聖書とヘブライ語聖書の際立った獣皮紙写本の幾つかが挙げられています。挙げられているそれらギリシャ語聖書の写本はすべて大文字で書かれているので,アンシャル体写本と呼ばれています。「新聖書辞典」(英文)はクリスチャン・ギリシャ語聖書の274ものアンシャル体写本について報じていますが,それらの写本は西暦4世紀から10世紀ごろのものと推定されています。それから,カーシブ体,つまり筆記体で書かれた小文字写本が5,000以上もあります。d これらの写本にも獣皮紙が使用されており,これらの写本は西暦9世紀以降,印刷の開始される時までの期間に書き記されました。アンシャル体写本は早い時期に書かれ,総体的に正確なので,新世界訳聖書翻訳委員会はギリシャ語本文を注意深く訳出するに際して,それらの写本を大いに用いました。このことは「主要な獣皮紙写本」の表の中で示されています。
本文批評と校訂の時代
17 (イ)どんな二つの出来事が生じて,聖書のギリシャ語本文の研究が盛んになりましたか。(ロ)エラスムスは何を刊行したことで有名ですか。(ハ)印刷された定本はどのように作成されますか。
17 エラスムス本文。ラテン語が優位を占め,西ヨーロッパがローマ・カトリック教会による鉄のような支配のもとに置かれた暗黒時代の何世紀もの長い期間中,学問的研究は衰退期にありました。しかし,15世紀に可動活字による印刷術がヨーロッパで発明され,16世紀の初めに宗教改革が起こると共に,もっと自由が得られるようになり,ギリシャ語に対する関心がよみがえりました。オランダの有名な学者デシデリウス・エラスムスが「新約聖書」ギリシャ語定本の初版を出版したのは,この学芸復興時代の初期のことでした。(印刷されたそのような定本は,幾つもの写本を注意深く比較し,原文にあったものとして最も多くの同意が得られる語を用いることによって用意されます。そして,その下段の比較資料が載せられ,ある写本に異文があれば,しばしばその注記が施されます。)その初版はドイツで宗教改革が始まる1年前の1516年にスイスのバーゼルで印刷されました。その初版には多くの誤りがありましたが,その後の1519年,1522年,1527年および1535年に出された改訂版によって,改善された本文が示されました。エラスムスが校合を行ない,その定本を作成するのに用いることができたのは,後代の数点のカーシブ体の写本だったにすぎません。
18 エラスムス本文は何を可能にするものとなりましたか。だれがそれを活用しましたか。
18 エラスムスのギリシャ語校訂本は,西ヨーロッパの幾つかの言語でより良い翻訳を行なうための基礎となりました。こうして,以前ラテン語ウルガタ訳から翻訳していたものよりも優れた聖書翻訳を出版することができるようになりました。最初にエラスムス本文を用いたのはドイツのマルティン・ルターで,彼は1522年にクリスチャン・ギリシャ語聖書のドイツ語訳を完成しました。それに続いて,英国のウィリアム・ティンダルは多大の迫害をものともせずエラスムス本文から英訳を行ない,ヨーロッパ大陸に亡命して,1525年にその訳業を完成しました。イタリアのアントーニヨ・ブルチョーリは1530年にエラスムス本文をイタリア語に翻訳しました。エラスムスのギリシャ語本文の出現によって,今や本文批評の時代が開かれることになりました。本文批評とは,聖書の原本文を再建し,復元するために用いられる方法のことです。
19 聖書の章節の区分に関する歴史を述べなさい。そのために何が可能になりましたか。
19 章節の区分。パリのロベール・エティエンヌもしくはステファヌスは,16世紀の印刷業者および編集者として優れた人物でした。彼は編集者でもあったので,参照を容易に行なえるようにするため章節の区分を用いる方法が実際的であることに気づき,1551年に編集したギリシャ語-ラテン語新約聖書にその方法を導入しました。節の区分はマソラ学者によってヘブライ語聖書に初めて行なわれましたが,現行の区分が聖書全巻に初めて施されたのは1553年発行のステファヌスのフランス語聖書でした。その後,この方法は英訳聖書にも用いられるようになり,こうして1737年に出されたアレクサンダー・クルーデンの用語索引<コンコーダンス>や,英語の欽定訳聖書に対する2冊の徹底的な用語索引を出版することができるようになりました。それは1873年にエディンバラで初めて出版されたロバート・ヤングの用語索引と,1894年にニューヨークで出版されたジェームズ・ストロングの用語索引です。
20 「公認本文」とは何ですか。それは何の基礎となりましたか。
20 「公認本文」。ステファヌスはまた,ギリシャ語「新約聖書」を数版刊行しました。それらは主にエラスムス本文に基づくもので,1522年のコンプルートゥム多国語対訳聖書,それ以前の数世紀間に作られた15の後期カーシブ体写本に基づく訂正が含まれています。1550年に出されたステファヌスのギリシャ語本文第3版は事実上,「テクストゥス・レケプトゥス」(ラテン語で「公認本文」の意)となり,この本文に基づいて,16世紀のほかの英訳聖書や1611年のジェームズ王欽定訳が作られました。
21 18世紀以来校訂されたどんな本文が出版されましたか。それらはどのように用いられましたか。
21 ギリシャ語校訂本。その後,ギリシャ語学者たちは,さらによく校訂された本文を刊行しました。中でも際立ったものは,18世紀の終わりごろに利用できるようになった幾百ものギリシャ語写本を調べたJ・J・グリースバッハの本文でした。グリースバッハのギリシャ語本文全体の最も優れた版は1796年から1806年にかけて出版されました。この定本は1840年に出たシャープの英訳聖書の基礎となりましたし,1864年に初めてまとめて出版されたエンファティック・ダイアグロット訳のギリシャ語本文として用いられました。ほかにも優れた本文がコンスタンティン・フォン・ティッシェンドルフ(1872年)やヘルマン・フォン・ゾーデン(1910年)によって出版され,後者の本文は1913年に出されたモファットの英訳の基礎として用いられました。
22 (イ)どんなギリシャ語本文が最も広く受け入れられるようになりましたか。(ロ)その本文はどんな英訳聖書の基礎として用いられてきましたか。
22 ウェストコットとホートの本文。広く受け入れられるようになったギリシャ語の定本は,1881年にケンブリッジ大学の学者,B・F・ウェストコットとF・J・A・ホートによって刊行されたものです。ウェストコットとホートのギリシャ語本文の校正刷りは,ウェストコットやホートもその委員であった英国改正委員会により,この「新約聖書」の1881年版の校定のために検討されました。この定本が新世界訳のクリスチャン・ギリシャ語聖書の英語の翻訳に主として用いられました。この本文はまた,次のような英訳聖書の基礎ともなっています。それはエンファサイズド・バイブル,アメリカ標準訳,アメリカ訳(スミスとグッドスピード),および改訂標準訳です。e この最後の訳ではネストレの本文も用いられました。
23 新世界訳にはほかにどんな本文が用いられましたか。
23 ネストレのギリシャ語本文(1948年の第18版)はまた,照合を行なうために,新世界訳聖書翻訳委員会によっても用いられました。同委員会はまた,カトリックのイエズス会の学者ホセ・M・ボーベル(1943年)およびアウグスティヌス・メルク(1948年)の出した本文も参照しました。1975年の聖書協会連盟の本文と1979年のネストレ-アーラントの本文も,1984年の参照資料付き聖書の脚注を最新のものとするために参考にしました。f
24 新世界訳には,どんな古代訳も参照されていますか。その幾つかの例を挙げなさい。
24 ギリシャ語からの古代訳。ギリシャ語写本に加えて,今日では,クリスチャン・ギリシャ語聖書を他の言語に翻訳したものの多くの写本を研究することもできます。古ラテン語訳の写本(または断片)は50以上あり,ヒエロニムスのラテン語ウルガタ訳の写本は数千ほどあります。新世界訳聖書翻訳委員会はそれらの写本と共に,コプト訳,アルメニア語訳,およびシリア語訳をも参照しました。g
25 新世界訳の中で参照されているヘブライ語訳は特にどんな点で興味深い訳と言えますか。
25 少なくとも14世紀以降,ギリシャ語聖書のヘブライ語訳も刊行されてきました。その幾つかは神のみ名をクリスチャン聖書の中に復元しているので,興味深い訳です。新世界訳は,上付き番号のある「エ」の記号を用いて,それらヘブライ語訳を何度も参照しています。詳しいことは,「新世界訳聖書-参照資料付き」,9,10ページと付録1ニ,「クリスチャン・ギリシャ語聖書中の神のみ名」をご覧ください。
本文の異文とその意味
26 本文の異文や写本の系列はどのようにして生じましたか。
26 クリスチャン・ギリシャ語聖書の1万3,000余りの写本の本文には多数の異文があります。ギリシャ語の5,000の写本だけについて見てもそのような多くの相違点があります。初期の写本から作られた各々の写しにそれ独自の明確な誤写があることは十分に理解できます。これら初期の写本のどれかがある地域に送られ,用いられるにつれて,そのような誤りはその地域で再び書き写され,こうしてそれがそこの他の写本の特徴となってゆきました。類似した写本の本文系はこのようにして出来上がったのです。そうだとすれば,何千もの誤写があるのは警戒すべきことではありませんか。それは本文の伝達が正確に行なわれなかったことを意味するのではありませんか。決してそうではありません!
27 ギリシャ語本文の元の完全な形に関しては,どんな保証がありますか。
27 ウェストコットとホートの本文の共同刊行者であるF・J・A・ホート博士はこう述べています。「新約聖書の大半の言葉は差異を見分ける批評のどんな手法も及ばないほどしっかりしている。なぜなら,それらの言葉には異文がなく,ただそのまま転写すればよいからである。……比較的ささいな点を……別にすれば,我々の見地から見てなお疑問視される言葉は新約聖書全体の1,000分の1を超えることはまず考えられない」。h
28,29 (イ)校訂されたギリシャ語本文は最終的にどう評価されなければなりませんか。(ロ)この点で,権威あるどんな声明が出されていますか。
28 本文伝達に関する評価。では,何世紀にもわたって伝達が行なわれてきた後の今日,本文の完全性や信ぴょう性については最終的にどう評価されますか。比較検討できる幾千もの写本があるだけでなく,過去二,三十年間にさらに古い聖書写本が発見されて,西暦100年ごろ使徒ヨハネが死んだ後わずか数十年ほどしかたっていない西暦125年ごろのギリシャ語本文までさかのぼって調べられるようになりました。これらの写本の証拠は,わたしたちが今,校訂版という形で信頼できるギリシャ語本文を持っているという強力な保証を与えてくれます。大英博物館の元館長で,司書でもあったフレデリック・ケニヨン卿がこのことを評価して述べた次の言葉に注目してください。
29 「したがって,原本が作られた時期と現存する最も初期の証拠との隔たりは,実際には無視できるほど小さくなっており,聖書は実質的には書かれたとおりに我々のもとに伝わってきたということに対する疑いの最後の根拠は今や取り除かれた。新約聖書の各書の信ぴょう性も全体的な完全性も最終的に確証されたとみなすことができるであろう。しかし,全体的な完全性と詳細な点での確実性とは別問題である」。i
30 わたしたちは,正確な「エホバのことば」を読者に提供するものとしてなぜ新世界訳に確信を抱くことができますか。
30 「詳細な点での確実性」に関する前述の所見について言えば,27節に掲げたホート博士の言葉の引用文の中でもこのことが論じられています。詳細な点を訂正するのは本文校訂者の仕事であって,本文校訂者はこのことをかなりの程度行なってきました。このようなわけで,ウェストコットとホートのギリシャ語校訂本文は極めて優れた本文として一般に受け入れられています。したがって,「新世界訳」のクリスチャン・ギリシャ語聖書の部分は,この優れたギリシャ語本文に基づいているゆえに,「エホバのことば」を読者に正確に提供することができます。そのことばはわたしたちのためにギリシャ語写本という貯水池に驚くべき仕方で蓄えられてきたのです。―ペテロ第一 1:24,25。
31 (イ)ギリシャ語聖書の本文に関し,現代の諸発見は何を示してきましたか。(ロ)309ページに載せられている表は,新世界訳のクリスチャン・ギリシャ語聖書の部分のための主要な資料をどのように示していますか。使用された副次的な資料の幾つかを挙げなさい。
31 さらに,フレデリック・ケニヨン卿が自著,「我々の聖書と古代写本」(英文),1962年,249ページで次のように述べた言葉には興味深いものがあります。「我々は,新約聖書本文の一般的信ぴょう性が,最初の自筆の原稿と現存する最も初期の写本との隔たりを大いに縮めた現代の諸発見によって驚くほど裏付けられてきたこと,また読み方の違いは興味深い事柄ではあるが,キリスト教の信仰の基本的な教理に影響を及ぼすほどのものではないことを知って,満足すべきである」。309ページに掲げられている「新世界訳の本文のための資料 ― クリスチャン・ギリシャ語聖書」と題する表にも示されているように,正確に翻訳された英文本文を提供するために,関連のあるすべての文書が活用されました。それらの正確な訳し方はすべて貴重な脚注によって裏付けられています。新世界訳は立派な翻訳を作り出すに当たって,幾世紀にもわたって進展してきた聖書学の最良の成果を活用しました。わたしたちが今,利用できるクリスチャン・ギリシャ語聖書には,イエス・キリストの弟子たちが霊感を受けて書き留めた「健全な言葉の型」が確かにあるということを,わたしたちは今日まさしく確信できるのです。それらの貴重な言葉を信仰と愛を抱いてしっかり保持してゆけますように!―テモテ第二 1:13。
32 この課ではなぜかなりの紙面が聖書の写本や本文に関する討議に当てられましたか。どんな満足すべき結果が得られましたか。
32 この課と前の課の研究は共に,主に聖書の写本や本文に関する討議に当てられましたが,問題がこれほど徹底的に扱われたのはどうしてでしょうか。それは,ヘブライ語およびギリシャ語聖書双方の本文が本質的には,エホバが昔の忠実な人々に霊感を与えて書き記させた最初の信頼の置ける本文と同じであることを議論の余地なく示すためでした。それらの原典は霊感を受けて記されました。写字生たちは熟練していたとはいえ,霊感を受けてはいませんでした。(詩編 45:1。ペテロ第二 1:20,21; 3:16)したがって,偉大な源泉であられるエホバから最初に流れ出た純粋な「真理の水」を間違いなくはっきりと見分けるために,大貯水池ともいうべき幾多の写本を厳密に調べる必要がありました。神のみ言葉,すなわち霊感を受けて書かれた聖書という驚嘆すべき贈り物とその各ページから流れ出るさわやかな王国の音信とに対する感謝は,すべてエホバに帰せられますように!
[脚注]
a 「聖書に対する洞察」(英文),第1巻,354,355ページ。
b 176ページ,6節をご覧ください。
c 「聖書に対する洞察」(英文),第1巻,323ページ。「新聖書辞典」(英文),第2版,1986年,J・D・ダグラス編,1187ページ。
d 「新聖書辞典」(英文),第2版,1187ページ。
e 322ページの「七つの主な言語による主要な聖書翻訳の例」の表をご覧ください。
f 「ギリシャ語聖書 王国行間逐語訳」(英文),1985年,8,9ページ。
h 「ギリシャ語原語による新約聖書」(英文),1974年,第1巻,561ページ。
i 「聖書と考古学」(英文),1940年,288,289ページ。
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研究7 ― 現代の聖書『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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霊感による聖書およびその背景に関する研究
研究7 ― 現代の聖書
聖書協会の歴史,ものみの塔協会による聖書の出版事業,新世界訳(英文)の刊行。
1 (イ)神からの音信はどんな目的があって伝達されましたか。それで,そのあるものが書き記されなかったのはどうしてですか。(ロ)エホバは多くの預言者にどんな明確な命令をお与えになりましたか。「終わりの日」のわたしたちにとってどんな益がありますか。
今日,聖書として知られる,66冊の霊感による書から成る聖典には,書き記された「エホバの言葉」が収められています。(イザヤ 66:5)幾世紀にもわたって,この「言葉」はエホバから地上のその預言者や僕たちのもとに自由に流れて来ました。それら神から伝達された情報は直接の目的を成し遂げると共に,当時から見れば遠い将来に必ず起きる出来事を力強く予見させるものともなりました。神の預言者たちに伝達された「エホバの言葉」は,それを書き記すことがそれら預言者に常に求められたわけではありません。例えば,エリヤやエリシャが当時の世代の人々のために行なった発言の幾つかは書面の形では保存されませんでした。一方,モーセ,イザヤ,エレミヤ,ハバククその他の預言者は,自分たちに啓示された「エホバの言葉」を『書き記す』,あるいは『書もしくは巻き物に書き記す』ようにとの明確な命令を受けました。(出エジプト記 17:14。イザヤ 30:8。エレミヤ 30:2。ハバクク 2:2。啓示 1:11)こうして,「聖なる預言者たちによってあらかじめ語られたことば」は,ほかの聖なる書と共に保存されました。それは,エホバの僕たちの明せきな思考力を呼び起こし,とりわけ「終わりの日」に関して導きを与えるためでした。―ペテロ第二 3:1-3。
2 聖書の写本や翻訳が盛んに行なわれたことで注目されるのは,歴史上のどの時期ですか。
2 霊感を受けて記されたヘブライ語聖書はエズラの時代以降盛んに写本されました。そして,西暦1世紀以降,聖書は初期のクリスチャンによってまた写本され,さらに再写本され,当時知られていた世界の至る所でキリストにかかわるエホバの目的に関して証しをするのに用いられました。可動活字による印刷が(15世紀以来)普通に行なわれるようになると共に,聖書の部数を増やして頒布する一層の刺激が与えられました。十六,七世紀には種々の個人的なグループによって翻訳や印刷が盛んに行なわれるようになりました。1800年当時でさえ,聖書はその全巻もしくは一部分が71の言語で刊行されていました。
聖書協会
3 19世紀の初頭以来,聖書の頒布を大いに増大させる要素となってきたのは何ですか。
3 19世紀,そして20世紀になると,新たに設立された種々の聖書協会が聖書を頒布するこの大規模な仕事に加わり,この業は一層勢いを増してきました。それらの聖書協会のうちでもごく初期の団体の一つは,1804年にロンドンで創設されたイギリス聖書協会です。この聖書協会が創設されたことは,さらに多くの同様の協会が創設されるきっかけとなりました。a
4 (イ)命の言葉が確かに地にあまねく広まっていることを証明するどんな統計がありますか。(ロ)322ページの表は,そこに挙げられている様々の聖書翻訳に関してどんな有益な情報を提供していますか。幾つかの聖書翻訳を取り上げてこのことを例証しなさい。
4 数多くの聖書協会が活動してきたため,聖書を広める業は盛んになりました。1900年までに,聖書はその全巻あるいは一部分が567の言語で,また1928年までには856の言語で刊行されました。1938年までには1,000の言語の大台を超え,今や,聖書は1,900以上の言語で入手できます。人をさわやかな気持ちにさせるエホバの命の言葉は,確かに地にあまねく広まっています。こうして,すべての国の人々が,「諸国民すべてよ,エホバを賛美せよ。もろもろの民はみな神を賛美せよ」という招きに答え応じることができるようになりました。(ローマ 15:11)322ページの「七つの主な言語による主要な聖書翻訳の例」と題する表をご覧になれば,現代における聖書の類別に関するさらに詳しい情報が得られます。
5 聖書の頒布よりもさらに重要なのはどんなことですか。それでも,エホバの証人は何を感謝していますか。
5 地上の大勢の人々が聖書を利用できるようにするのは称賛すべき仕事ですが,その聖書を活用して人々が聖書を理解できるようにすることはなお一層重要な仕事です。聖書がほとんど入手できなかったユダヤ人の時代や初期キリスト教の時代に重要だったのは,み言葉の「意味」を伝えることでしたが,これは今でも最も重要な事柄です。(マタイ 13:23。ネヘミヤ 8:8)しかし,全地の人々に神のみ言葉を教えるこの業は,聖書が広く頒布されることによって促進されてきました。今日,エホバの証人は全世界にわたる聖書教育の業を推し進めており,今や,幾千万冊もの聖書が多くの土地で,また多くの言語で利用できることを感謝しています。
聖書の出版者としてのエホバの証人
6 エホバの証人は今日,昔の時代と同様,どんな活動で特徴づけられていますか。
6 エホバの証人は聖書を出版する人々です。エズラの時代でもそうでした。これはイエス・キリストの初期の弟子たちの時代についても言えることで,それら弟子たちは当時の古代世界に聖書の手書き写本を行き渡らせました。それも,大変な数だったので,わたしたちが受け継いだ豊かな遺産である,彼らの書き写した写本は,昔のどんな文学作品の写本をもしのいでいます。さて,この現代においても,同様の精力的な聖書出版活動がエホバの証人を特徴づけるものとなっています。
7 エホバの証人はどんな法人を設立しましたか。それはいつでしたか。また,その当時,宣教活動をどのように展開し始めましたか。
7 1884年のこと,エホバの証人は聖書出版の仕事を遂行するための法人,つまり今では米国ペンシルバニア州のものみの塔聖書冊子協会として知られている法人を設立しました。最初,聖書はほかの聖書協会から購入され,当時でも戸別訪問という独特の宣教活動を展開していた,それら証人たちによって再頒布されました。1611年に英語で刊行されたジェームズ王欽定訳が聖書研究用の基本的な翻訳聖書として用いられました。
8 (イ)ものみの塔聖書冊子協会はその名称にたがわず,どのように物事を進めてきましたか。(ロ)当協会は多くの聖書翻訳をどのように,また何のために利用してきましたか。
8 その名称にたがわず,ものみの塔聖書冊子協会は聖書の頒布をはじめ,書籍,冊子その他,キリスト教の文書を出版する業に携わってきました。それは神のみ言葉の正しい教えを人々に教えるためでした。その聖書教育によって,義を愛する人々は偽りの宗教的伝承やこの世の哲学との関係を断ち,イエスその他エホバの献身的な代弁者たちを通して啓示された聖書の真理がもたらす自由のもとに戻るよう助けられてきました。(ヨハネ 8:31,32)1879年に「ものみの塔」誌(英文)が発行されて以来,ものみの塔協会は出版物の中で,数多くの違った聖書翻訳を引用したり,参照したり,参考にしたりしてきました。こうして,当協会はそれらすべての聖書翻訳の価値を認め,宗教的な混乱を排除して神の音信を明らかにするのに価値のあるものとして,それらすべての翻訳の良い点を活用してきました。
9 当協会はどのようにして聖書出版の分野に入りましたか。
9 ロザハム訳聖書とホルマン聖書。早くも1890年に,エホバの証人はものみの塔協会を用いて,聖書の出版者ならびに頒布者として直接この分野に入りました。その時までに,英国の聖書翻訳者ジョセフ・B・ロザハムの訳した「新約聖書」の第2版を米国で刊行する版権を同氏から譲り受けていました。その刊本の扉には,「ペンシルバニア州アレゲーニーの ものみの塔聖書冊子協会」という名称が載せられていました。そこが当時の協会の本部所在地でした。1901年には,1895年から1901年までの当協会の出版物に基づく注記を欄外に載せた「ホルマン行別聖書」を印刷する特別の取り決めが設けられました。この聖書の本文そのものは,ヘブライ語聖書とギリシャ語聖書のジェームズ王欽定訳と改正訳の英文本文でした。その印刷版5,000部はすべて1903年までに頒布されました。
10 当協会は1902年にギリシャ語聖書のどんな翻訳を出版することになりましたか。
10 エンファティック・ダイアグロット訳。1902年に,ものみの塔協会はエンファティック・ダイアグロット訳の版権所有者,独占出版者および頒布者となりました。クリスチャン・ギリシャ語聖書のこの翻訳は,米国イリノイ州ジュニーバの英国生まれの聖書翻訳者ベンジャミン・ウィルソンによって作成され,1864年に完成されました。この翻訳に使われたのは,J・J・グリースバッハのギリシャ語本文で,その行間には英文による逐語訳が載せられており,右側には強調のための印を付した,ウィルソン自身の翻訳が掲げられています。
11 協会はいつ,「聖書研究者版」を出版しましたか。それには何が収められていましたか。
11 聖書研究者版。1907年に,ものみの塔協会は聖書の「聖書研究者版」を出版しました。この書物はジェームズ王欽定訳聖書を鮮明に印刷したもので,優れた欄外注が付され,エホバの証人によって作成された貴重な付録が載せられていました。後に増補されて550ページ余りに達したその付録は,「ベレア人聖書教師便覧」と呼ばれ,それは別個に本の形でも出版されました。その本には,聖書の数多くの聖句に関する短い注解と共に,「ものみの塔」誌や当協会の教本の参照箇所や教理に関する話題がまとめられ,主要な聖句が掲げられ,資料を他の人々に呈示しやすく配列したものが載せられました。これは形式の点で,当協会が後に出した「すべてのことを確かめよ」と題する出版物と似ていました。それにはまた,話題の索引,難解な聖句の説明,偽筆の章句の一覧表,聖句索引,比較年代表,および12葉の地図が収められていました。この優れた聖書は何十年もの間エホバの証人の公に宣べ伝える業で役立ってきました。
聖書を印刷する協会
12 協会はいつ聖書印刷の分野に入りましたか。
12 ものみの塔協会は30年にわたって,聖書の実際の印刷のために外部の会社を用いました。しかし,1926年12月に,エンファティック・ダイアグロット訳が,米国ニューヨーク市ブルックリンの協会の印刷機で印刷された最初の聖書となりました。クリスチャン・ギリシャ語聖書のこの版が印刷されたため,いつの日か聖書全巻が協会の印刷機で印刷されるであろうという希望をかき立てられました。
13 (イ)協会が印刷した最初の全訳聖書はどれでしたか。それはいつ発表されましたか。(ロ)それには助けとなるどんなものが収められていましたか。
13 ジェームズ王欽定訳。第二次世界大戦は聖書そのものを独自に出版する必要性を明示するものとなりました。その世界的な戦闘がなおたけなわだったころ,協会はジェームズ王欽定訳聖書全巻の鉛版を購入することに成功しました。1942年9月18日のこと,米国オハイオ州クリーブランドを主要大会都市として開催された,エホバの証人の「新しい世神権大会」で,協会の会長は「『御霊の剣』を執る」という主題の話をしました。この講演の最高潮として同会長は,ものみの塔協会のブルックリン印刷工場で印刷されたこの最初の全訳聖書を発表しました。その付録として,固有名詞にそれぞれの意味を付した一覧表や,特別に用意した「聖書語句索引」その他,助けとなる資料が載せられました。各ページの上部には適切な上部欄外見出しが掲げられました。例えば,裁き人 11章では,それまでの「エフタの早まった誓い」という句の代わりに,「エフタの真剣な誓い」という句が,またヨハネ 1章のところには「神の言葉の,人間となる前の存在と人間としての誕生」という句が載せられました。
14 1944年に協会は改善されたどんな聖書翻訳を印刷しましたか。その聖書にはどんな特色がありますか。
14 アメリカ標準訳。別の重要な聖書翻訳として挙げられるのは,1901年に出されたアメリカ標準訳です。アメリカ標準訳には,ヘブライ語聖書の中で神の名をおよそ7,000「エホバ」と訳出した大変称賛に値する特色が見られます。長期間の交渉の後,ものみの塔協会は1944年にアメリカ標準訳聖書全巻の鉛版の使用権を買い取ることができ,当協会の印刷機で印刷できるようになりました。1944年8月10日に,専用電話回線で接続され,17箇所で同時に開かれたエホバの証人の大会の主要開催都市であったニューヨーク州バッファローで,協会の会長はアメリカ標準訳の ものみの塔版を発表し,大勢の聴衆を喜ばせました。その付録には,拡充された大変有用な「聖書の語句および名称索引」が含められました。1958年にはその同じ聖書のポケット版が出版されました。
15 当協会は1972年にどんな翻訳を出版しましたか。
15 「生きた英語による聖書」。1972年に,ものみの塔協会は故スティーブン・T・バイイングトン訳の「生きた英語による聖書」を出版しました。この聖書は一貫して神の名を「エホバ」と訳出しています。
16 このようにして,エホバの証人はどんな二重の業に携わっていますか。
16 こうして,エホバの証人は全地の200以上の国々や島々で,設立された神の王国の良いたよりを宣べ伝えるだけでなく,その王国の音信を収めた貴重な書物,すなわちエホバ神の霊感を受けて書かれた聖書の大規模な印刷者ならびに出版者となりました。
新世界訳聖書
17 (イ)聖書の多くの翻訳はどのように役立ってきましたか。しかし,それらの翻訳にはどんな欠陥がありますか。(ロ)1946年以来,ものみの塔協会の会長は何を求めてきましたか。
17 エホバの証人は神のみ言葉の真理を研究するために用いてきた数多くの聖書翻訳すべてから受けた恩恵に感謝しています。しかし,これらの翻訳はすべて,最新のものでさえ,それぞれ欠陥があります。宗派的伝承やこの世の哲学の影響を受け,またそのためにエホバがそのみ言葉の中に書き記させた聖なる真理と完全には調和しない,一貫性の欠けた所や,訳し方の不満足な箇所があります。特に1946年以来,ものみの塔聖書冊子協会の会長は,原語から訳された,聖書の忠実な翻訳 ― 聖書が書き記された時代の理解力のある普通の人々にとってその原書が理解できたのと同じように,現代の読者にも理解できるような翻訳を望んできました。
18 協会はどのようにして新世界訳の出版者ならびに印刷者となりましたか。
18 1949年9月3日,会長は協会のブルックリンの本部で,新世界訳聖書翻訳委員会が存在し,クリスチャン・ギリシャ語聖書の現代語訳を完成したことを理事会に発表しました。同委員会の作成した文書が読まれましたが,同委員会はその文書により,全地で聖書教育の増進を図る当協会の非宗派的事業を認めて,その翻訳原稿の所有,管理,および出版を当協会に委任しました。また,その翻訳の性格や質を示す実例として原稿の一部が読まれました。理事たちは寄贈されたその翻訳を全員一致のもとに受け入れ,それを直ちに印刷するための取り決めが設けられました。1949年9月29日には活字組みが開始され,1950年の初夏までに,その製本が幾万冊も完成しました。
19 (イ)新世界訳はどのように分冊で刊行されましたか。(ロ)それら各巻を用意するために,どんな努力が払われましたか。
19 新世界訳を分冊で発表する。1950年8月2日,水曜日,ニューヨーク市のヤンキー野球場で開かれた国際大会の四日目のこと,「クリスチャン・ギリシャ語聖書 新世界訳」(英文)の発表にすっかり驚かされたエホバの証人の聴衆8万2,075人は,この聖書を心から喜んで迎えました。この最初の熱烈な歓迎ぶりと,この翻訳の長所に関して後に寄せられた数々の感謝の言葉に励まされた同委員会は,次にヘブライ語聖書の翻訳という膨大な仕事に着手しました。これは追加された5冊の本として刊行され,1953年から1960年にかけて相次いで発表されました。この6冊一組の本に現代英語の聖書全巻が収められました。また,その各々にも聖書研究のための貴重な助けとなる資料が載せられていました。こうして,現代の聖書研究者たちは聖書的な情報を収めた膨大な宝庫を利用できるようになりました。本文に関する情報の得られる,信頼できるあらゆる資料を調べて参考にする勤勉な努力が払われたので,「新世界訳聖書」は,霊感を受けた元の聖書の強力な音信を明快に,また正確に表現するものとなりました。
20 新世界訳の初版の(イ)脚注,(ロ)欄外引照,(ハ)前書きおよび付録にはどんな貴重な助けが収められていますか。
20 6部から成る新世界訳(英文)の初版に載せられた聖書研究の助けとなる資料の中には,訳文の背景を示す,本文に関する非常に貴重な脚注がありました。それらの脚注により,聖書を擁護する強力な論拠が得られるようになりました。また,貴重な連鎖引照方式も取り入れられました。それら教理上の重要語の連鎖引照は,研究者の注意をそれぞれの主題に関する一連の主要な字句に向けるよう作成されました。各ページの欄外には数多くの相互引照が掲げられていました。それらの引照は読者の注意を次のような点に向けさせました。(イ)並行語句,(ロ)思想,観念,および出来事の並行記述,(ハ)伝記的情報,(ニ)地理的情報,(ホ)預言の成就,それに(ヘ)聖書の他の箇所における,あるいは他の箇所からの直接の引用語句。この聖書にはまた,重要な前書き,幾つかの昔の写本の実例,有用な付録と索引,聖書の土地や場所の地図などが収められていました。新世界訳のこの初版は個人の聖書研究や,エホバの証人が心の正直な人たちを教える有益な業に役立つ知識の“宝庫”となりました。1巻にまとめられた研究者用のその特別版は後に15万冊印刷されて,1963年6月30日,米国ウィスコンシン州ミルウォーキー市におけるエホバの証人の「永遠の福音」大会の初めに発表されました。
21 (イ)改訂された新世界訳の発表に伴う状況について述べなさい。(ロ)その聖書の幾つかの特色を挙げなさい。
21 1巻にまとめられた改訂版。1961年の夏,米国およびヨーロッパで開催されたエホバの証人の一連の大会で,1巻にまとめられた,手ごろな大きさの完訳「新世界訳聖書」(英文)が頒布用として発表されました。それはこれらの大会に出席した幾十万もの人たちから喜びをもって迎えられました。緑色の布表紙で装丁された1,472ページのこの聖書には,優れた用語索引,聖書の話題に関する付録,および地図が収められていました。
22,23 その後さらにどんな版が出されましたか。それらの幾つかの特色を挙げなさい。
22 その後さらに出された版。1969年,ギリシャ語聖書王国行間逐語訳が発表され,1985年にはその第2版が出されました。この版にはウエストコットとホートの編集したギリシャ語本文の英語の字義訳と共に,1984年版,新世界訳聖書の現代英訳が載せられています。こうして,真摯な聖書研究者は,原語ギリシャ語が基本的な,もしくは文字通りの意味で何と述べているかを知ることができるようになりました。
23 新世界訳の改訂第2版(英文)は1970年に発表され,脚注を載せた改訂第3版(英文)は翌1971年に発表されました。1984年に開催されたエホバの証人の「王国の増加」地域大会の際,参照資料を載せた改訂版が英語で発行されました。その改訂版には,最初,1950年から1960年にわたって英語で用意された欄外(相互)参照を改訂して完全に最新のものにした資料が載せられています。この改訂版は真摯な聖書研究者のために用意されたもので,12万5,000以上の欄外参照,1万1,000以上の脚注,広範な用語索引,地図,および43項目の付録記事が載せられています。また,1984年には,1984年改訂版(英文)で,脚注はありませんが,欄外参照の付いた,普通の大きさの版の聖書が入手できるようになりました。
24 (イ)普通版と参照資料の付いた版の利点の幾つかを挙げなさい。(ロ)上部欄外見出しの用い方を示す例を挙げなさい。
24 幾つかの利点。必要とする資料を素早く見つけられるようにするために,普通版と参照資料の付いた版の各ページの上部には,注意深く作られた上部欄外見出しが付されています。それら上部欄外見出しは下の資料の内容を説明するもので,それは特に王国伝道者が受ける質問に対する答えとなる聖句を素早く見つけられるようにするために設けられています。例えば,伝道者が子供のしつけに関する助言を見つけようとしているとしましょう。1060ページ(普通版)の箴言の箇所を開くと,上部欄外見出しの真ん中に「良い名」という,かぎとなる語が見つかります。この見出しは中ほどにあるので,その論題はこのページの中ほどに出ていることを示しており,そこに,つまり箴言 22章1節にその論題が出ていることに気づきます。上部欄外見出しの最後の「少年を育て上げよ」という句によって見分けられる聖句は,そのページの下の6節に見いだされます。次に,1061ページの上部欄外見出しの最初の句は,「むち棒を惜しむな」となっています。この資料は第1欄の終わり近くの15節に見いだせます。各々のページのこれら上部欄外見出しは,探そうとしている聖句の大体の場所を知っている王国伝道者にとって,大きな助けとなります。これを用いれば,聖書を素早く開くことができます。
25 一種のどんな用語索引が備えられていますか。これはどのように実際的な仕方で用いられますか。
25 この聖書の普通版と参照資料の付いた版の後ろには,一つの特色となっている「聖書語句索引」が載せられています。その索引には,聖書の幾千もの重要語句がその文脈を成す文章の一部と共に載せられています。このようにして,本文で用いられている広範にわたる新しい記述的な語句を収めた,一種の用語索引を利用できるようになっています。ジェームズ王欽定訳の訳文に親しんできた人たちのために,古い英訳聖書の幾十もの言葉を現代の聖書用語に置き換えるための助けも備えられています。例えば,ジェームズ王欽定訳のgrace(恩寵)という言葉を取り上げてみましょう。この語もその索引(英文)に挙げられており,研究者は新しい翻訳で用いられている現代的な表現,undeserved kindness(過分のご親切)という項目を調べるよう指示されています。この語句索引を使えば,「魂」や「贖い」などの教理上の主要な論題に関する聖句を見つけて,直接聖句を用いて詳しい研究を行なえるようになっています。王国伝道者はそれらの際立った論題のどれかについて話すよう求められたなら,この用語索引に部分的に載せられている短文を直ちに用いることができるでしょう。その上,地理上の場所,ならびに聖書中の有名な人物を含め,著名な固有名詞の出ている主要な句も列挙されています。このようなわけで,この翻訳を用いる聖書研究者すべてのために貴重な援助が与えられています。
26 新世界訳の付録が役立つ一つの方法を例を挙げて説明しなさい。
26 さらに,学問的な付録は,教える際の有益で正確な情報を提供しています。付録の記事は,聖書の基本的な教理や関連した事柄を説明する際の助けとして用いられるような形式で配列されています。例えば,「魂」という論題を扱っている箇所で,付録は八つの異なった見出しのもとに,「魂」(ヘブライ語,ネフェシュ)という語が様々な意味で用いられていることを示す聖句を列挙しています。付録の記事には図表や地図も載せられています。「参照資料付き聖書」には,より広範な内容の付録と共に,本文に関する重要な情報を簡単な仕方で提供する有用な脚注も載せられています。このようなわけで,新世界訳は,読者が正確な知識を自由に,また素早く活用できるよう配慮されている点で際立っています。
27,28 新世界訳(英文)では固有名詞の発音がどのように示されているかを述べ,例を挙げて説明しなさい。
27 聖書中の名称の発音の仕方に関する助け。新世界訳のすべての版には,英文の本文そのものに固有名詞の発音に関する助けが備わっています。その方法は,1952年の改訂標準訳聖書のために専門家が考案したものと同じです。固有名詞は,小点あるいはアクセント符号(')によって分けられた音節に区分されています。アクセント符号は,その語を発音する際に主要な強勢を付すべき音節の後に付されています。もしアクセント符号の付された音節が母音で終わるなら,その母音は発音の際に長音となります。もし,ある音節が子音で終わるなら,その音節の母音は短く発音されます。
28 例えば,ヨブ 4章1節に注目してみましょう。そこでは「テマン人エリパズ」(“El'i·phaz the Te'man·ite”)のことが述べられています。これら2語のアクセントはいずれも最初の音節に来るのですが,これら二つの場合,“e”という字は違った仕方で発音されることになっています。“El'i·phaz”(エリパズ)ではアクセント符号は“l”という子音の後に来ているので,“e”という母音字は“end”(「終わり」)の場合のように短く発音されます。一方,“Te'man·ite”(テマン人)では,アクセントは“e”という母音に付いているので,“Eden”(エデン)の場合の語頭の“e”のように長く発音します。エステル 2章5節の“Mor'de·cai”(モルデカイ)や出エジプト記 19章1節の“Si'nai”(シナイ)の場合のように,“a”と“i”の二つの母音が結合すると,“ai”は単に“i”として発音されます。
29 新世界訳は以前の訳の単なる改訂版ですか。あなたの答えを裏付けるどんな特色がありますか。
29 新たな翻訳。新世界訳(英文)は原語ヘブライ語,アラム語,およびギリシャ語から新たに翻訳されたものです。それは決して他のいかなる英訳の改訂版でもありませんし,文体や語いあるいはリズムなどの点で他のどれかの訳を模倣したものでもありません。ヘブライ語-アラム語部分では,十分校訂され,一般に受け入れられているルドルフ・キッテル編,「ビブリア・ヘブライカ」の第7,第8,および第9版(1951-1955年)が使われました。「参照資料付き新世界訳聖書」の脚注に載せられている情報を最新のものにするため,「ビブリア・ヘブライカ・シュトゥットガルテンシア」として知られる,1977年に発行されたヘブライ語本文の新版が使われました。ギリシャ語部分は主に,ウェストコットとホートによって用意されて1881年に出版されたギリシャ語定本から翻訳されました。しかし,新世界訳聖書翻訳委員会は,ネストレのギリシャ語本文(1948年)を含め,他のギリシャ語本文をも調べました。これらの優れた定本については,この本の研究 5および研究 6で説明されています。新世界訳の翻訳委員会は聖書の力強い,しかも正確な翻訳を行ない,その結果,明確で生き生きした訳文が生まれ,神のみ言葉を一層深く,一層満足のゆく仕方で理解する道が開かれました。
30 ある批評家はこの翻訳をどのように評価していますか。
30 この翻訳について一批評家が次のように評価した言葉に注目してください。「ヘブライ語聖書の独創的な英訳は極めて少ない。したがって,創世記からルツ記までの[ヘブライ語聖書の]新世界訳の第一部の刊行を大きな喜びを抱いて歓迎するものである。……明らかにこの訳は十分に読みやすいものとなるよう特別の努力が払われている。それが斬新さや独創性に欠けていると言い得る人は一人もいないであろう。その術語は決して以前の種々の訳の術語などに基づいてはいない」。b
31 あるヘブライ語の学者は新世界訳をどのように評価しましたか。
31 ヘブライ語の教授である,イスラエルのベンジャミン・ケダル博士は,ものみの塔協会の代表者とのインタビューの際,新世界訳を評価して,次のように述べました。「ヘブライ語の聖書と翻訳に関連する言語学的研究に際し,私は新世界訳として知られる英訳聖書をしばしば参照しています。そうする度に,この訳は本文のできる限り正確な理解を得ようとする誠実な努力を反映しているという私の考えは繰り返し確証されています。原語を広範にわたって駆使する能力のほどを示す証拠として,この訳はヘブライ語の特定の構造から不必要に逸脱することなく,原語の言葉を理解しやすい形にして第二外国語に訳出しています。……言語による陳述はすべて,解釈したり,翻訳したりする際,ある程度の自由が許されるものである。それゆえ,どんな特定の場合でも,言語学的解決方法は論争を招く余地があります。しかし,新世界訳には,本文に含まれていない事柄を読み取ろうとする偏った意図のうかがえるような箇所は見つかったためしがありません。c
32 新世界訳ではどの程度字義訳が行なわれていますか。それにはどんな益がありますか。
32 字義訳。また,翻訳の忠実さは,それが字義訳であるという点にも明示されています。それには,現代英語の慣用法の許す場合に,英訳とヘブライ語およびギリシャ語本文との間にほとんど逐語的とも言うべき対応関係がなければなりません。本文をある言語に翻訳して表現する際,字義訳の度合いは翻訳者の言語の許す限り厳密であるべきです。そのうえ字義訳であるためには,ヘブライ語やギリシャ語の語順にも注意しなければならず,こうして訳文は原作の持っている強勢を保存するものでなければなりません。原作の趣や色彩やリズムは,字義訳によって正確に伝達できるでしょう。
33 時には本文の字義から離れた箇所がありますが,それらの箇所はどのように示されていますか。
33 時には,本文の字義から離れた箇所もあります。それはヘブライ語やギリシャ語の難しい慣用法を理解しやすい言葉で表わすためです。しかし,参照資料の付された新世界訳は,字義訳を載せた脚注によって,それらの箇所に読者の注意を向けさせています。
34 (イ)字義訳を断念すると,どんな結果になりますか。(ロ)例を挙げて説明しなさい。
34 多くの聖書翻訳者は,表現や形式の優雅さと言われるもののために字義訳の考えを断念してしまいました。それらの翻訳者は,字義訳はぎごちなく,不自然で,窮屈であると主張します。しかし,字義訳を断念して,分かりやすく言い換えたり,解釈したりしたために,元の正確な真実の陳述から逸脱した表現が数多く生じました。そして,実際のところ,神の考えをさえ手加減して述べるようになりました。例えば,アメリカのある大きな大学の名誉学部長がかつて,エホバの証人は聖書の美しさや優雅さを台なしにしていると非難しました。彼が聖書と言ったのは,美しい英語の規準として長年あがめられていたジェームズ王欽定訳聖書のことでした。彼はこう言いました。『あなた方が詩編 23編に対して行なったことを見なさい。あなた方は,“Je/ho/vah is/ my/ shep/herd”(「エホバはわたしの牧者」)という訳文で,この詩の調子と美しさを台なしにしてしまった。音節は六つではなく,七つになっている。ひどい話だ。釣り合いが失われている。リズムなどあったものではない。欽定訳では釣り合いの取れた六つの音節があって,そこにはまさしくリズムがある。―“The/Lord/ is/ my/ shep/herd”(「主は我が牧者なり」)』。同学部長に対しては,聖書筆者ダビデが言い表わした通りに言い表わすほうがより重要であるという趣旨の抗議が行なわれました。ダビデは「主」(Lord)という漠然とした語を用いましたか。それとも,神のみ名を用いましたか。同学部長はダビデが神のみ名を用いたことを認めましたが,それでも美しさと優雅さのために「主」という言葉を用いる十分の理由があると主張しました。エホバをたたえるこの詩編からその傑出したみ名を除去するにしては,何とつじつまの合わない弁解なのでしょう。
35 わたしたちは何に関して神に感謝できますか。わたしたちは何を望み,また何を祈り求めますか。
35 こうして,幾千もの訳文が表現の美しさに関する人間の考えという祭壇に犠牲としてささげられ,その結果,多数の聖書翻訳の中に不正確な箇所が見られるようになりました。神が明快で正確な訳文の新世界訳聖書を備えてくださったのは,実に感謝すべきことです。その大いなるみ名エホバが,この聖書を読むすべての人の心の中で神聖なものとされますように!
[脚注]
a 1804年以来設立された多数の聖書協会の中には,各地方の既存の協会をまとめて設立されたアメリカ聖書協会(1816年); エディンバラ聖書協会(1809年),グラスゴー聖書協会(1812年)などがあり,後者の二つは後に合併して(1861年),スコットランド国立聖書協会となりました。1820年までにスイス,アイルランド,フランス,フィンランド,スウェーデン,デンマーク,ノルウェー,オランダ,アイスランド,ロシア,およびドイツでもやはり聖書協会が設立されました。
b ディファレンシエイター誌(英文),1954年6月号,131ページ,アレグザンダー・トムソン。
c 1989年6月12日,ドイツ語からの訳。
[322ページの図表]
七つの主な言語による主要な聖書翻訳の例
訳名 初版の ヘブライ語 神の名の ギリシャ語
発行年 聖書の底本 訳出の仕方 聖書の底本
英語
レーンス-ドウェー訳* 1582-1610 ウルガタ Lord[主] ウルガタ
(ADONAI
[アドナイ],2回)
ジェームズ王欽定訳* 1611 M LORD 公認本文
(Jehovah
[エホバ],数回)
ヤング訳 1862-1898 M Jehovah 公認本文
英国改正訳* 1881-1895 M LORD ウェストコットと
(Jehovah, ホート
数回)
エンファサイズド・ 1878-1902 M Yahweh ウェストコットと
バイブル (ギンスブルク) (ヤハウェ) ホート,
トレゲリス
アメリカ標準訳 1901 M Jehovah ウェストコットと
ホート
アメリカ訳(スミスと 1923-1939 M LORD ウェストコットと
グッドスピード)* (Yahweh, ホート
数回)
改訂標準訳* 1946-1952 M LORD ウェストコットと
ホート,ネストレ
新英訳聖書* 1961-1970 M(BHK) LORD 新しい折衷本文
(Jehovah,
数回)
現代英語訳 1966-1976 M(BHK) LORD UBS
新ジェームズ王聖書/ 1979-1982 M(BHS) LORD(YAH 公認本文
改訂欽定訳 [ヤハ],数回)
新エルサレム聖書* 1985 M Yahweh ギリシャ語
スペイン語
バレラ訳 1602 M Jehová 公認本文
(ヘオバ)
モデルナ訳 1893 M Jehová スクリブナー
ナカル-コルンガ訳* 1944 M Yavé ギリシャ語
(ヤーベ)
エバリスト・マルティン・ 1964 M Yavé ギリシャ語
ニエト訳*
セラフィン・デ・アゥセホ訳* 1965 M(BHK) Yahvéh ネストレ-
(ヤーベ), アーラント
Señor[主]
エルサレム聖書* 1967 M Yahveh ギリシャ語
カンテラ-イグレシアス訳* 1975 M(BHK) Yahveh ギリシャ語
新スペイン語聖書* 1975 M Señor ギリシャ語
ポルトガル語
アルメイダ訳 1681,1750 M Jehovah ベザ-ラテン語,
(ジェオバ) 公認本文
フィゲイレド訳* 1778-1790 ウルガタ Senhor[主] ウルガタ
マトス・ソアレス訳* 1927-1930 ウルガタ Senhor ウルガタ
ポンティフィシオ・ 1967 M Javé メルク
インスティトゥト・ビブリコ訳* (ジャーベ)
エルサレム訳* 1976,1981 M Iahweh ギリシャ語
(イアーベ)
ドイツ語
ルター訳* 1522,1534 M HErr[主] エラスムス
チューリヒ訳 1531 M Herr[主], ギリシャ語
Jahwe
(ジャーベ)
エルベルフェルダー訳 1855,1871 M Jehova 公認本文
(イェホーバ)
メンゲ訳 1926 M HErr ギリシャ語
ルター訳(改訂)* 1964,1984 M HERR[主] ギリシャ語
現代ドイツ語聖書 1967 M(BHS) Herr ネストレ-
(良い知らせ訳)* アーラント,UBS
統一訳* 1972,1974 M Herr,Jahwe ギリシャ語
(ヤーベ)
改訂エルベルフェルダー訳 1975,1985 M HERR,Jahwe ギリシャ語
フランス語
ダービー訳 1859,1885 M Eternel ギリシャ語
クランポン訳* 1894-1904 M Jéhovah メルク
(ジェオバ)
エルサレム聖書* 1948-1954 ウルガタと Yahvé ウルガタと
ヘブライ語(ヤベ) ギリシャ語
TOB共同訳聖書* 1971-1975 M(BHS) Seigneur ネストレ,UBS
[主]
オスティ訳* 1973 M Yahvé ギリシャ語
(ヤーベ)
改訂スゴン訳 1978 M(BHS) Eternel ネストレ-
[永遠者] アーラント,
ブラック,
メツガー,
ウィグレン
現代フランス語訳 1982 M(BHS) Seigneur ネストレ,UBS
オランダ語
スターテン協会訳 1637 M HEERE[主] 公認本文
レイドスフェ協会訳 1899-1912 M Jahwe ネストレ
(ヤーウェ)
ペトルス-カニシウス協会* 1929-1939 M Jahweh ネストレ
(ジャーベ)
NBG協会訳 1939-1951 M HERE ネストレ
ウイルイブロード協会* 1961-1975 M Jahwe ネストレ
良いたよりの聖書* 1972-1983 M Heer ネストレ
イタリア語
ディオダーティ訳 1607,1641 M Signore[主] ギリシャ語
リベドゥータ 1925 M Eterno ギリシャ語
(ルッツィ)訳 [永遠者]
ナルドーニ訳* 1960 M Signore, ギリシャ語
Jahweh
(ヤーベ)
ポンティフィシオ・ 1923-1958 M Signore, メルク
イスティトゥト・ビブリコ訳* Jahve
(ヤーベ)
ガロファロ訳* 1960 M Jahve, ギリシャ語
Signore
コンコルダータ訳* 1968 M(BHK) Signore, ネストレ,メルク
Iavè
(イャーベ)
イタリア・ 1971 M Signore ギリシャ語
ビショップ協会訳*
パローラ・デル・ 1976-1985 M(BHS) Signore UBS
シニョーレ訳*
* 星じるしは,外典が含まれているが,すべての版に出ているわけではないことを示しています。
“M”はマソラ本文を指しています。この記号だけが用いられている場合は,マソラ本文の特定の版が明記されていないことを示しています。
“BHK”はキッテル編,「ビブリア・ヘブライカ」を指しています。
“UBS”は聖書協会連盟(United Bible Societies)編,「ギリシャ語新約聖書」を指しています。
“BHS”は「ビブリア・ヘブライカ・シュトゥットガルテンシア」を指しています。
「ギリシャ語」という表示はギリシャ語本文から翻訳がなされたことを示していますが,特定の本文の名は示されていません。
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研究8 ―「新世界訳」の利点『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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霊感による聖書およびその背景に関する研究
研究8 ―「新世界訳」の利点
その現代用語,統一性,動詞の注意深い訳し方および霊感を受けて書かれた神のみ言葉の力強い表現に関する討議。
1 (イ)新世界訳はどんな傾向を正していますか。どのようにしてそうしていますか。(ロ)英語ではどうして「ヤハウェ」や他の形の名前の代わりに,「エホバ」が用いられているのですか。
近年,聖書の現代語訳が数多く出版されて,原典の意味を手早く理解できるよう神のみ言葉を愛する人々を助ける点で大いに役立ってきました。ところが,多くの翻訳は神のみ名を神聖な記録から削除してしまいました。一方,新世界訳は至高者なる神のみ名を本文中のそのあるべき箇所に復元することによって,その価値あるみ名を威厳のあるものとし,尊重しています。今や,そのみ名はヘブライ語聖書の部分で6,973箇所,ギリシャ語聖書の部分では237箇所,全部で7,210箇所に出ています。ヘブライ語学者たちは一般に「ヤハウェ」という形のほうを好みますが,その正確な発音は今は分かりません。そのため,「エホバ」というラテン語化された形が引き続き用いられています。なぜなら,それは何世紀も用いられてきた形であり,テトラグラマトン,すなわちヘブライ語の四文字名יהוהの英訳として最も広く受け入れられているからです。ヘブライ語学者のR・H・ファイファーは次のように述べています。「その由来のあいまいさについて何と言われようと,“エホバ”は『ヤハウェ』の適切な英訳であり,これからもそうであってしかるべきであろう」。a
2 (イ)クリスチャン・ギリシャ語聖書の中に神のみ名を復元した前例がありますか。(ロ)こうして,どんな疑問が除去されましたか。
2 しかし,新世界訳(英文)はクリスチャン・ギリシャ語聖書の中に神のみ名を復元させた最初の翻訳というわけではありません。少なくとも14世紀以降,多くの翻訳者たちは神のみ名を本文に復元せざるを得ないと考えてきました。それも,クリスチャン・ギリシャ語聖書の筆者が神のみ名の出てくるヘブライ語聖書の本文を引用している箇所では特にそうです。アフリカ,アジア,アメリカ,および太平洋諸島におけるギリシャ語聖書の翻訳を含め,宣教師による現代語訳は,幾つかのヨーロッパ語訳と同じくエホバの名を多くの箇所で用いています。神のみ名が訳文中に出ている箇所ではいずれも,どの「主」を指しているかについてもはや何の疑問もありません。その方は天地の主エホバであって,そのみ名は新世界訳聖書の中で独特の明確な名として示されることにより,神聖なものとされています。b
3 新世界訳は原典の持つ迫力や美しさや意味を伝えるのを,どんな方法で助けていますか。
3 新世界訳は,意図された意味を読者の脳裏にはっきり伝える明快かつ理解しやすい言葉遣いで,霊感による聖書を翻訳することにより,エホバのみ名をいっそう神聖なものにしています。この訳は分かりやすい現代語を用いており,その訳し方にはできるだけ統一性を保たせ,ヘブライ語やギリシャ語の動詞で表わされている動作や状態を正確に伝え,また[英語版では]「あなた」という代名詞や動詞の命令形を用いる際,それが単数か複数か文脈から分からない場合には,その区別をも明示しています。これら,また他の様々な方法で,新世界訳はできる限り原典の迫力や美しさや意味を現代の言葉で明らかにしています。
現代語で訳される
4 (イ)初期の聖書翻訳者の一人はどんな気高い目的を述べましたか。(ロ)時がたつにつれて,どんなことが必要になりましたか。
4 古い聖書翻訳には十六,七世紀ごろ用いられて今では廃れた言葉が数多く使われています。それらの言葉は今では理解できませんが,当時は容易に理解できました。例えば,そのような言葉を英訳聖書に用いることに深いかかわりを持った人の一人であるウィリアム・ティンダルは,その宗教上の反対者の一人に次のように語ったと伝えられています。『もし神が私に命を長らえさせてくださるなら,多年を要せずに,鋤を引く牛馬を駆る少年をしてあなた以上に聖書を理解させてみせよう』。ティンダルのギリシャ語聖書の翻訳は当時,鋤を引く牛馬を駆る少年でも十分理解できるほどやさしいものでした。しかし,ティンダルの用いた言葉の多くも今では古語となり,『鋤を引く牛馬を駆る少年』はもはや欽定訳その他の古い聖書翻訳の多くの言葉の意味をはっきり理解することができません。ですから,古語の覆いを除き,聖書を一般の人の使う普通の言葉に直すことが必要になりました。
5 聖書はどんな言葉で公にされるべきですか。それはなぜですか。
5 霊感による聖書を書き記すのに用いられたのは,普通の人の話す言葉でした。使徒たちや他の初期クリスチャンは,プラトンのような哲学者たちの使用した古典ギリシャ語を用いませんでした。彼らは常用ギリシャ語,つまりコイネーすなわち共通ギリシャ語を用いました。したがって,ギリシャ語聖書は,それ以前のヘブライ語聖書と同様,人々の用いる言葉で書き記されました。ですから,原語の聖書の翻訳も人々の用いる言葉で行ない,容易に理解できるようにするのは極めて重要なことです。このような理由で,新世界訳は三,四世紀前の古語を用いずに,表現力に富む,現代の分かりやすい言葉を用いて,聖書が何を述べているかを読者がよく知ることができるようにしています。
6 古語の代わりに現在用いられている表現を使用することの益を例を挙げて説明しなさい。
6 17世紀から20世紀にかけて英語がどの程度の変化を遂げてきたかを幾らか知っていただくために,欽定訳と新世界訳(英文)の次のような比較に注目してください。欽定訳の“suffered”(容したまへり)は新世界訳では“allowed”(許された)となり(創世記 31:7),“was bolled”(さやをつけたり)は“had flower buds”(花のつぼみを付けていた)に(出エジプト記 9:31),“spoilers”(掠むる者)は“pillagers”(略奪者たち)に(裁き人 2:14),“ear his ground”(その地をたがへす)は“do his plowing”(その耕作をする)に(サムエル第一 8:12),“when thou prayest”(汝祈るとき)は“when you pray”(あなたが祈るときに)に(マタイ 6:6),“sick of the palsy”(中風)は“paralytic”(まひした)に(マルコ 2:3),“quickeneth”(活す)は“makes . . . alive”(生かす)に(ローマ 4:17),“shambles”(肉売り台)は“meat market”(肉市場)に(コリント第一 10:25),“letteth”(阻めをる)は“acting as a restraint”(抑制力となる)に(テサロニケ第二 2:7)などと,それぞれ改められています。これから見ても,古語の代わりに現在用いられている言葉を使用している新世界訳の価値を十分評価することができます。
訳し方の統一性
7 新世界訳の訳し方はどのように一貫していますか。
7 新世界訳はその翻訳に一貫性を保つようあらゆる努力を払っています。ヘブライ語やギリシャ語の特定の言葉に対して同一の訳語が当てられ,その訳語は慣用法,または文脈の許す限り,十分理解できる範囲内で統一的に用いられています。例えば,「ネフェシュ」というヘブライ語は一貫して「魂」と訳されています。それに相当する「プシュケー」というギリシャ語の言葉も,その出て来るすべての箇所で「魂」と訳されています。
8 (イ)同形異義語の実例を挙げなさい。(ロ)これらの言葉は翻訳に際してどのように扱われてきましたか。
8 中には同形異義語の翻訳をめぐって問題が生じた箇所もあります。それは原語ではつづりは同じですが,幾つかの違った基本的な意味を持っています。それゆえ,翻訳する際,正確な意味を持つ言葉を当てはめる点で挑戦となります。英語でも“Polish”(ポーランド語)と“polish”(磨く)や,“lead”(導く)と“lead”(鉛)のような同形異義語があります。これらの語はつづりは全く同じですが,明らかに別の言葉です。聖書の一つの例は「ラブ」というヘブライ語です。これは明らかに異なった語根語を表わしており,したがって,それは新世界訳の中で違った言葉に訳されています。出エジプト記 5章5節にある通り,「ラブ」という言葉は大抵の場合,「多い」という意味で使われています。しかし,列王第二 18章17節に出ている「ラブシャケ」(ヘブライ語,ラブシャーケー)のように称号の中に用いられている「ラブ」という語は,ダニエル 1章3節で「廷臣の長」と訳されているように,「長」を意味しています。(エレミヤ 39:3の脚注もご覧ください。)形の同じ「ラブ」という言葉は,「弓を射る者」という意味です。エレミヤ 50章29節の訳し方はその意味に基づいています。これら全く同じつづりの言葉の違いを見分ける上で,L・ケーラーやW・バウムガルトナーなどの語彙の専門家が,翻訳者たちにより権威者として認められてきました。
9 ヘブライ語およびギリシャ語の一注解者は新世界訳をどのように評価しましたか。
9 この統一性という特色については,ヘブライ語およびギリシャ語の注解者アレグザンダー・トムソンがクリスチャン・ギリシャ語聖書新世界訳(英文)に関するその書評の中で次のように述べていることに注目してください。「この翻訳は明らかに,熟練した有能な学者たちによる労作である。それらの学者は英語の表現力を可能な限り駆使してギリシャ語本文の真の意味を明らかにしようと努めたのである。この訳はギリシャ語の主要な言葉の各々に対応する英語の一語を終始用いて,できる限り字義訳を行なうことを目指している。……普通,“justify”(義とする)と訳されている語は,おおむね“declare righteous”(義と宣する)と極めて正確に訳出されている。……“Cross”(十字架)という言葉は“torture stake”(苦しみの杭)と訳されており,これももう一つの改善点である。……ルカ 23章43節は適切にも,『今日あなたに真実に言いますが,あなたはわたしと共にパラダイスにいるでしょう』と訳されている。この点は大方の訳の読み方に比べて格段の進歩である」。ヘブライ語聖書の翻訳についてこの同じ評論家は次のような注解をしました。「新世界訳は入手するだけの価値が十分にある。その訳は生き生きしていて真に迫るものがあり,読者をして考えさせ,研究させずにはおかない。それは高等批評家による訳ではなく,神とそのみ言葉を尊ぶ学者たちによる訳である」― ディファレンシエイター誌(英文),1952年4月号,52-57ページ,および1954年6月号,136ページ。
10 新世界訳に見られる一貫性がどのように聖書の真理を擁護する助けとなるかを例を挙げて示しなさい。
10 新世界訳の一貫性は,野外で行なわれた聖書の専門的な討論で幾度も勝利を収めるものとなってきました。例えば,数年前のこと,ニューヨークの自由思想家たちの一協会が,そのグループに二人の講演者を派遣して聖書について話してもらいたいと,ものみの塔協会に要請し,その要望が受け入れられました。それらの学者たちは,“ファルスム イン ユーノー ファルスム イン トートー”つまり一つの点で偽りと証明された論議は全体が偽りであるというラテン語の格言を信じていました。その討論の際,ある人が聖書の信頼性に関してエホバの証人に挑戦しました。彼は創世記 1章3節を聴衆のために読むよう求めたので,新世界訳からその節が読まれました。「それから神は言われた,『光が生じるように』。すると光があるようになった」。次に,彼は自信満々の態度で創世記 1章14節を読むよう求めたので,その句も新世界訳から読まれました。「次いで神は言われた,『天の大空に光体が生じ……るように』」。すると彼は言いました。「待ちたまえ。君は何を読んでいるのかね。わたしの聖書は,神が第一日に光を造り,第四日にもまた造ったと述べているのだが,これは矛盾している」。当人はヘブライ語を知っていると言ってはいましたが,3節で「光」と訳されているヘブライ語は「オール」であるのに対し,14節の言葉はそれとは違って,光体または光の源を指す「マーオール」であることが指摘されなければなりませんでした。この学者は敗北して腰を下ろしました。c 新世界訳が忠実に一貫性を保っていることが,この問題で勝利を得,聖書が信頼できる有益なものであることを擁護するものとなりました。
動詞の注意深い訳し方
11 元の聖書の特色であるどんな力強さが新世界訳の中で保存されていますか。どのようにして保存されていますか。
11 新世界訳(英文)はギリシャ語やヘブライ語の動詞の表わす動作の意味を伝えることに特別の注意を払っています。そのようにして,新世界訳は原語の原典の特別な魅力,簡潔さ,迫力および表現方法を保存することに努めています。したがって,様々な動作の実際の状態を注意深く伝えるために英語では補助動詞を用いることが必要でした。こうした動詞の持つ力ゆえに,原語の聖書における動作は大変力強く,表現力に富んでいるのです。
12 (イ)ヘブライ語が西欧の言語と異なっている一つの点は何ですか。(ロ)ヘブライ語動詞の二つの態について説明しなさい。
12 ヘブライ語の動詞には,西欧の大抵の言語で用いられているような意味での「時制」はありません。英語では,動詞は特に過去,現在,未来といった時制すなわち時の観点から考慮されます。一方ヘブライ語の動詞は,基本的に動作の状態を表わします。すなわち,終了したとみなされる動作(完了態)と,まだ終了していないとみなされる動作(未完了態)です。ヘブライ語動詞のこれらの態は,過去もしくは未来の動作を示すために用いられ,時の要素はその文脈によって決定されます。例えば,動詞の完了態,つまり終了した状態は当然,過去の動作を表わします。しかし,それは将来の出来事がすでに起こって,過ぎてしまったかのように述べる時にも用いられ,それはその未来の確実性,あるいはそうなることの必然性を示します。
13 ヘブライ語動詞の示す態を正しく考慮することは,創世記 2章2節と3節を正しく理解するのになぜ重要ですか。
13 ヘブライ語動詞の態を正確に英語に伝えることは大変重要です。さもないと,意味がゆがめられたり,全く異なった考えが表現されたりする恐れがあります。このことを示す実例として,創世記 2章2節と3節にある動詞の表現を考えてみてください。多くの翻訳では,第七日に神が休まれることについて述べるのに,「休まれた」,「やめられた」,「やめておられた」,「それから休まれた」,「神は休まれた」,「休んでおられた」などの表現が用いられています。これらの読み方からすれば,読者は,第七日の神の休みは過去のこととして完了したと結論づけることでしょう。しかし,新世界訳が,創世記 2章2節と3節で用いられている動詞の意味をどのように伝えているかに注目してください。こう記されています。「そして,七日目までに神はその行なわれた業を完了し,次いで七日目に,行なわれたすべての業を休まれた。それから神は七日目を祝福してそれを神聖にされた。その日に,造るために神が創造を行なったそのすべての業を休んでおられるのである」。2節の「次いで……休まれた」という表現は,ヘブライ語では未完了態の動詞であり,それゆえにまだ終わっていない,すなわち継続中の動作であるという考えを表わしています。「次いで……休まれた」という訳し方は,ヘブライ 4章4節から7節に述べられていることと調和します。一方,創世記 2章3節の動詞は完了態ですが,2節およびヘブライ 4章4節から7節と調和させるため,「休んでおられる」と翻訳されています。
14 新世界訳はワウ継続法に関する誤った見方を避けつつ,ヘブライ語動詞に関して何を行なうよう努めていますか。
14 ヘブライ語の動詞形の訳し方が不正確になる一つの理由は,ワウ継続と呼ばれる,現代の文法上の理論にあります。ワウ(ו)は基本的には「そして」という意味のヘブライ語の接続詞です。この接続詞は決して単独で用いられることはなく,必ず何かほかの語と一緒に用いられ,しばしば一つの語を形成するためにヘブライ語動詞と結合します。そして,この関係には動詞を一つの状態から別の状態に転換させる力があると考えた人がおり,また今でもそのように考える人がいます。すなわち,未完了から完了に転換する(現代の訳を含め,多くの翻訳が創世記 2章2節と3節で行なってきたように),あるいは逆に完了から未完了に転換すると言うのです。このようなことがまた,「ワウ転換」という用語で表わされてきました。動詞のこの形がこのように不正確に適用されたため,かなりの混乱が生じ,ヘブライ語本文が誤訳されてきました。新世界訳はワウという字母に動詞の態を変える何らかの力があるとは考えません。むしろ,ヘブライ語動詞の正しい独特の意味を明らかにするよう努力を払い,原典の意味が正確に伝えられ,保存されるようにしています。d
15 (イ)ギリシャ語の動詞は,何を考慮して訳出されてきましたか。(ロ)継続を示す考えを正しく表わすことの益を例を挙げて説明しなさい。
15 ギリシャ語の動詞を訳す際にも同様の考慮が払われてきました。ギリシャ語では,動詞の時制によってある動作または態の時だけでなく,動作の種類,つまり,瞬間的か,始まったか,継続しているか,繰り返されているか,完了したかというようなことも表現されます。ギリシャ語動詞の形の示すそのような意義に注目すれば,述べられている動作の意味を十分に伝える厳密な翻訳を行なえることになります。例えば,ギリシャ語の動詞が継続を意味する場合,その継続の意味を表わせば,ある状況の真相が明らかにされるだけでなく,訓戒や助言は一層強力なものとなります。一例として,「邪悪な姦淫の世代はしきりにしるしを求めます」と言われたイエスの言葉を読むと,パリサイ人やサドカイ人が終始不信仰であったことを痛感させられます。また,イエスの次の言葉は,正しい事柄において動作を継続させる必要のあることをよく言い表わしています。「あなた方の敵を愛しつづけ……なさい」。「ですから,王国……をいつも第一に求めなさい」。「求めつづけなさい。そうすれば与えられます。探しつづけなさい。そうすれば見いだせます。たたきつづけなさい。そうすれば開かれます」。―マタイ 16:4; 5:44; 6:33; 7:7。
16 ギリシャ語のアオリスト時制を考慮に入れることによって,ヨハネ第一 2章1節の「罪」に関するヨハネの注解はどのように正しく表現されていますか。
16 ギリシャ語には,1回の,または瞬間的な動作を指すアオリストと呼ばれる特異な時制があります。アオリストの動詞は文脈によって様々な仕方で訳すことができます。この時制の用法の一つは,どんな特定の時とも関係のないある種の1回の行為を表わすことです。そのような例の一つがヨハネ第一 2章1節にあります。多くの訳はこの考えを認めて,この句の動詞を「罪を犯す」と訳すことにより,継続的な罪という印象を与えていますが,新世界訳は『罪を犯すことがある』と訳しています。つまり,一度の罪の行ないを指しています。これは,万一,クリスチャンが罪を犯すことがあるとしても,そのクリスチャンにはイエス・キリストが,すなわち,天の父のもとにあって擁護者もしくは助け手として行動してくださる方がいるという正しい意味を伝えています。ですから,ヨハネ第一 2章1節は,ヨハネ第一 3章6節から8節や5章18節に述べられている,「罪を習わしにする」人が有罪宣告を受けるということと決して矛盾しているわけではなく,むしろそれと著しい対照をなしているのです。e
17 継続する動作を示すほかに,ギリシャ語の未完了時制はさらにどんなことを表わしますか。例を挙げて説明しなさい。
17 ギリシャ語の未完了時制は,継続している動作だけでなく,試みたが成し遂げられなかった動作をも表わします。ジェームズ王欽定訳のヘブライ 11章17節にはこう書かれています。「信仰によりて,アブラハムは試みられし時,イサクをささげたり。彼は約束を受けたりしが,その独り子をささげたり」。ギリシャ語ではこの「ささげたり」という動詞は,これら二つの箇所では形が違います。最初の箇所は完了(終了した)時制ですが,2番目の箇所は未完了(過去の継続)時制です。新世界訳は時制の相違を考慮に入れて,この動詞を次のように翻訳しています。「アブラハムは,試された時,イサクをささげたも同然でした。……人が,自分の独り子をささげようとしたのです」。こうして,最初の動詞の完結した意味は保たれ,2番目の動詞の未完了時制はその動作が意図され,あるいは試みられたものの,最後まで成し遂げられなかったことを示しています。―創世記 22:9-14。
18 ほかの品詞の機能にも綿密な注意を払うことによって,どんな結果が得られましたか。一例を挙げなさい。
18 名詞の格など,他の品詞の機能にも綿密な注意を向けることによって,一見矛盾と思える問題も解決されてきました。例えば,ダマスカスへ向かう途中でのサウロの驚くべき経験を詳しく述べている使徒 9章7節で,多くの翻訳は,一緒に旅行していた仲間の者たちに『声は聞こえた』が,だれも見えなかったと訳しています。それから,パウロがこの出来事について述べている使徒 22章9節で,それら同じ翻訳によれば,彼らは光は見ましたが,『声は聞かなかった』とされています。しかし,最初の句に出てくる「声」に相当するギリシャ語は属格ですが,2番目の場合は使徒 9章4節の場合と同様対格です。どうして違っているのでしょうか。上記の英訳の中では何も示されていませんが,ギリシャ語は格の変化によって別の事柄を示します。それらの人は字義通りには「声の」何かを聞いたのですが,パウロのように,つまり言葉を聞いてそれを理解するような仕方で聞いたのではありませんでした。ですから,新世界訳は使徒 9章7節のこの属格の用法に注目して,サウロと共にいた人々にとって「確かに声の響きは聞こえたが,だれも見えなかった」と訳出しています。
「あなた方」を表わす英語の複数形“YOU”
19,20 (イ)新世界訳(英文)は話しかけるのに用いられる信心深げな語形をどのように扱いましたか。それはなぜですか。(ロ)「あなた」に相当する英語の単数形と複数形をどのようにしてはっきり区別できるか,例を挙げて説明しなさい。
19 神に語りかける場合,「汝」(thou),「汝を」(thee),「汝の」(thy)に当たる二人称単数形の古い英語の言葉を依然として用いている英訳聖書も幾つかあります。しかし,聖書を書き記すのに用いられた言語には,神に語りかける際に用いる特別の人称代名詞はなく,仲間の人間に話しかける際に用いたのと同じ人称代名詞が用いられました。それで,新世界訳(英文)は,今では信心深げな用法とされるそれらの言葉の使用をやめて,どんな場合でも,普通の会話で使われる「あなた」(you)という語を用いています。英語では複数であることがすぐに分からない二人称複数形の“you”(「あなた方」)と動詞を,はっきり見分けるために,それらの語は全部小型の大文字で印刷されています。多くの場合,これは,英語の読者にとって,ある特定の聖句が個人としての「あなた」(you)を指しているのか,それとも一群の人々,つまり一つの会衆としての「あなた方」(YOU)を指しているのかを知る助けになります。
20 例えば,ローマ 11章13節でパウロは多くの人たちにこう語りかけています。「そこで諸国の人たち[であるあなた方(YOU)]に言います」。しかし,17節ではギリシャ語は単数の「あなた」(you)に変わっており,はっきりと個人に適用されて,「しかしながら,枝のうちのあるものが折り取られ,他方あなた(you)が……接ぎ木され……」と書かれています。
他の言語の新世界訳
21 (イ)どのようにして地上の住民のうちのますます多くの人が新世界訳の益を享受できるようになりましたか。(ロ)ものみの塔協会は1989年までに新世界訳を合計何部印刷しましたか。
21 新世界訳が,広く用いられている六つの言語,すなわちオランダ語,フランス語,ドイツ語,スペイン語,イタリア語,およびポルトガル語に翻訳され始めているということを,ものみの塔協会が発表したのは,1961年のことでした。この翻訳の仕事は力量のある献身した翻訳者たちにゆだねられ,それら翻訳者たちは全員ニューヨーク市ブルックリンにある,ものみの塔協会の本部で一緒に働くことになりました。それら翻訳者たちは一つの大きな国際委員会を構成し,適切な指導を受けて働きました。この訳業の最初の成果を手にすることができたのは,「クリスチャン・ギリシャ語聖書 新世界訳」が上記六か国語で同時に発表された,1963年7月の米国ウィスコンシン州ミルウォーキー市におけるエホバの証人の「永遠の福音」大会でのことでした。今や,英語以外の言語を話す地上の住民もこの現代訳の利点の益を享受できるようになりました。その時以来,翻訳の仕事は続けられ,1989年までには11の言語で新世界訳聖書が出版され,5,600万部以上が印刷されました。f
強力な道具に対する謝意
22,23 霊感を受けて書かれた聖書のこの翻訳はどんな際立った点でクリスチャンを益するものとなっていますか。
22 新世界訳はまさしく,『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益』であることを実証する,一つの強力な道具です。この課の中で論じられた点から見て,わたしたちはこの翻訳が正確で信頼でき,また神が現代の生きた言語を通して人を動かすような仕方で語りかけるのを聞きたいと願う人々に真の喜びを与える翻訳であることを正しく評価できます。新世界訳を読む人はその言葉遣いによって霊的に覚せいさせられ,霊感を受けた元の聖書の力強い表現にすぐなじんで読むことができるようになります。あいまいな語句を理解しようとして何度も節を読み返す必要はもはやありません。この訳は読み始めるその出だしの所から力と明快さとをもって大胆に語りかけます。
23 新世界訳聖書は,「霊の剣」である神のみ言葉を忠実に翻訳したものです。そのような翻訳ですから,これはクリスチャンの霊的な戦いにおける本当に効果的な武器であり,『神の知識に逆らって立てられ,強固に守り固められた,いろいろな偽りの教えや推論を覆す』助けとなります。それによってわたしたちはより良い理解を得,人を築き上げる有益な事柄,神の義の王国に関連した輝かしい事柄,そうです,「神の壮大な事柄」を何とよく宣明することができるのでしょう。―エフェソス 6:17。コリント第二 10:4,5。使徒 2:11。
[脚注]
a 「旧約聖書入門」,ロバート・H・ファイファー,1952年,94ページ。
b 「王国行間逐語訳」(英文),1985年版,1133-1138ページ。
c 「聖書に対する洞察」(英文),第1巻,528ページ。
d 「参照資料付き聖書」,付録 3ハ,「継続的行為もしくは進行的行為を表わすヘブライ語動詞」。
e 「聖書に対する洞察」(英文),第1巻,1008ページ。
f その全巻が出版されたのはデンマーク語,オランダ語,英語,フランス語,ドイツ語,イタリア語,日本語,ポルトガル語,およびスペイン語(その一部が出版されたのはフィンランド語とスウェーデン語)。
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研究9 ― 考古学と霊感による記録『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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霊感による聖書およびその背景に関する研究
研究9 ― 考古学と霊感による記録
考古学の発見と聖書の記録を確証する,一般の歴史の古代の記録とに関する研究。
1 (イ)聖書考古学,(ロ)人工物はそれぞれ何を意味していますか。
聖書考古学とは,地中に見いだされる文書,用具,建築物,その他の遺物を通して,聖書時代の民族や出来事を研究する学問のことです。古代の聖書地域の昔の遺跡や人工物を調査するには相当の探検が必要で,幾百万トンもの土砂を除去しなければなりません。人工物とは,人手によって作られたことを示す物品のことで,人間の活動と生活の跡を証拠づけるものを指しています。人工物には陶器類,建築物の遺跡,粘土板,碑文,文書,記念建造物,および石に記された年代記が含まれます。
2 聖書考古学にはどんな価値がありますか。
2 20世紀初頭までに,考古学は綿密な学問の一分野を形成するようになり,ヨーロッパとアメリカの主要な大学や博物館が聖書の地に関する探検を後援するようになりました。その結果,考古学者は発掘調査を行なって,聖書時代の風物がどのようなものかを明らかにする,豊富な情報を提供しました。時には考古学上の発見によって,聖書の信ぴょう性が実証され,聖書が極めて詳細な点に至るまで正確であることが明らかにされました。
考古学とヘブライ語聖書
3 古代のどんな遺跡や記録は古代バビロンにジッグラトがあったことを確証していますか。
3 バベルの塔。聖書によると,バベルの塔は巨大な建造物でした。(創世記 11:1-9)興味深いことに,考古学者たちは古代バビロンの遺跡内およびその周辺に数基のジッグラト,すなわち,ピラミッドに似た,階段状の神殿形式の塔の立っていた場所を発掘しました。その中には,バビロンの城壁内にあったエテメナンキ神殿の廃虚もあります。そのような神殿の古代の記録にはしばしば,「その頂は天に達するであろう」という言葉が含まれています。ネブカドネザル王は,「私はエテメナンキの階段状の塔の頂上を高くし,それが天の高さに匹敵するものとした」と語ったと言われています。ある断片はそのような神殿の倒壊を次のような言葉で述べています。「この神殿の建築は神々の不興を買った。神々は一夜のうちに,それまでに建てられたものを倒した。神々は人を広く散らし,彼らの言葉を奇妙なものにした。神々は工事の進行を妨げたのである」。a
4 ギホンでどんな考古学上の発見がなされましたか。それは聖書の記録とどんな関係があるかもしれませんか。
4 ギホンの泉の地下水道。1867年,チャールズ・ウォーレンはエルサレム地域で,ギホンの泉から丘の中に流れ込んでいる水路を発見しました。その水路には,上方にあるダビデの都市に通じる縦穴がありました。明らかに,ダビデの部下たちはこの地下水道を通って最初にこの都市に侵入したのでしょう。(サムエル第二 5:6-10)ギホンの泉から出ている水道の全容が明らかにされたのは1909年から1911年のことでした。高さが平均約1.8メートルある巨大なトンネルが,のみで岩盤の中を約533メートル掘り抜いて造られたのです。それは,ギホンから(市内にある)テュロペオンの谷のシロアムの池に通じており,これは明らかにヒゼキヤによって造られたものと思われます。狭いトンネルの壁に初期のヘブライ語書体で記された碑文が発見されました。それは一部次のように述べています。「そして,これが貫通の由来である。[…](が)なお,つるはしを[…]。彼らが互いに向かい合って掘って行くとき,そしてなお掘り抜く余地が3キュビトあったとき,お互いに仲間を呼び交う声が[聞こえてきた]。それは右手から,[左手にかけて]岩に亀裂があったからである。そして貫通の日に,石工たちはお互いに仲間のほうに向かってつるはしを振るって掘り進んだ。そして水は泉から貯水池まで1,200キュビト流れた。そして石工の頭上の岩の厚さは100キュビトであった」。この時代にしてみれば,何と驚くべき工学上の業績でしょう!b―列王第二 20:20。歴代第二 32:30。
5 カルナックではシシャクの侵略と聖書の地名に関するどんな考古学上の証拠が発見されましたか。
5 シシャクの戦勝浮き彫り。エジプトの王シシャクの名は聖書に7回出てきます。レハベアム王がエホバの律法を捨てたために,エホバはシシャクが西暦前993年にユダを侵略することを許されました。しかしそれはユダを完全に滅ぼすためではありませんでした。(列王第一 14:25-28。歴代第二 12:1-12)近年に至るまで,この侵略に関する記録としては聖書の記録しかないように思われていました。ところが,聖書でシシャク(シェションク1世)と呼ばれているファラオに関する一つの大きな文書が日の目を見ることになりました。それは,カルナック(古代テーベ)にある巨大なエジプト神殿の南壁に象形文字と絵で刻まれた堂々たる浮き彫りです。この巨大な浮き彫りには,右手に円形鎌の形をした剣を携えたエジプトの神アモンが描かれています。それは,神アモンが手かせを掛けられたパレスチナ人の捕虜156人をファラオ・シシャクのもとに連れて来るところです。その捕虜たちは神アモンの左手に綱でつながれています。彼らは各々都市または村を表わしており,その名が象形文字で示されています。今でも判読し,確かめることのできる名の中には,ラビト(ヨシュア 19:20),タアナク,ベト・シェアンおよびメギド(ヨシュア 17:11),シュネム(ヨシュア 19:18),レホブ(ヨシュア 19:28),ハファライム(ヨシュア 19:19),ギベオン(ヨシュア 18:25),ベト・ホロン(ヨシュア 21:22),アヤロン(ヨシュア 21:24),ソコ(ヨシュア 15:35),そしてアラド(ヨシュア 12:14)などがあります。その文書は「アブラムの畑」についても触れており,これはエジプトの記録に出てくる,アブラハムへの最初の言及となっています。c
6,7 モアブ碑石にはどんな歴史がありますか。それはイスラエルとモアブの戦闘に関してどんな情報を与えていますか。
6 モアブ碑石。1868年,ドイツの宣教師F・A・クラインはディーバーン(ディボン)で古文書碑文の大発見をしました。それはモアブ碑石として知られるようになりました。碑文に関しては鋳造取りが行なわれましたが,石自体は,移動させる前に,ベドウィン人によって砕かれてしまいました。しかし,その破片の大部分は回収され,その石は現在パリのルーブル博物館に保存されており,ロンドンの大英博物館に複製品があります。それは元々モアブのディボンに立てられたもので,イスラエルに対するメシャの反乱に関するメシャ王の側の説明文となっています。(列王第二 1:1; 3:4,5)その碑文には一部次のように書かれています。「わたしは,ケモシュ・[……]の子……ディボン人,モアブの王メシャ(である)。……イスラエルの王オムリであるが,彼は多年(字義,日々)にわたりモアブを卑しめた。ケモシュ[モアブの神]が彼の地に対して怒りを覚えたからである。そして王の子がその跡を継いだ。彼もまた言った,『わたしはモアブを卑しめよう』と。わたしの時に,彼は(そのように)言ったのである。しかしわたしは彼とその家に対して勝利を収め,一方,イスラエルは永久に滅びたのである。……そしてケモシュはわたしに言った,『行け,イスラエルからネボを取れ』。そこでわたしは夜のうちに行き,夜の明ける時から昼までこれと戦った。そしてわたしはそこを取り,そのすべてを打ち殺した。……そしてわたしはそこからヤハウェの[器]を取り,それらをケモシュの前に引いて来た」。d 最後の文に神の名が出てくることに注目してください。これはこのページの下に掲載されているモアブ碑石の写真に見られます。それは碑文の右側,18行目に四文字語<テトラグラマトン>の形で出ています。
7 モアブ碑石はまた,聖書の次のような地名にも言及しています。アタロトとネボ(民数記 32:34,38); アルノン,アロエル,メデバとディボン(ヨシュア 13:9); バモト・バアル,ベト・バアル・メオン,ヤハツとキルヤタイム(ヨシュア 13:17-19); ベツェル(ヨシュア 20:8); ホロナイム(イザヤ 15:5); ベト・ディブラタイムとケリヨト(エレミヤ 48:22,24)。こうして,この碑石はこれらの場所の史実性を裏付けています。
8 聖書はセナケリブに関して何を記録していますか。その宮殿の発掘により,何が明らかにされましたか。
8 セナケリブ王のプリズム。聖書は西暦前732年に起きた,セナケリブ王配下のアッシリア人による侵略の様子をかなり詳しく記録しています。(列王第二 18:13-19:37。歴代第二 32:1-22。イザヤ 36:1-37:38)1847年から1851年にかけて英国の考古学者A・H・レイヤードは,古代アッシリアの領地にあったニネベでセナケリブの大宮殿の遺跡を発掘しました。その宮殿には約70の部屋があり,彫刻の施された石板をはめた3キロ以上に及ぶ城壁のあったことが分かりました。セナケリブの年ごとの出来事に関する報告,すなわち年代記が,粘土の円筒印章,もしくはプリズム角柱に書き記されていました。それらの年代記の最後の版は彼の死の少し前に作られたらしく,それは大英博物館に保存されているテイラー・プリズムとして知られているものの上に掲載されています。しかし,シカゴ大学のオリエント研究所は,アッシリア帝国の首都であった古代ニネベの遺跡の近くで発見されたプリズムに基づくさらに優れた複製品を保管しています。
9 セナケリブは聖書の記述と調和する,どんなことを記録していますか。しかし,何を述べていませんか。それはなぜですか。
9 これら最後の幾つかの年代記の中で,セナケリブは自分がユダに侵攻したことについて次のように豪語しています。「わたしのくびきに服さなかったユダヤ人ヒゼキヤに関しては,わたしは彼の強固な都市46,すなわち城壁をめぐらした堡塁とその近隣の無数の小さな村を攻囲し,踏み固められた(地の)斜面,(そのようにして城壁の)近くに運ばれた破城槌,(それと共に)歩兵による攻撃,また坑道,破れ目,および土木工兵の作業によって,それらを征服した。わたしは(そこから)老若男女20万150人と,馬,らば,ろば,らくだ,大小の無数の家畜を追い出し,(それらを)戦利品とした。彼[ヒゼキヤ]をわたしはその王都エルサレムに閉じ込めて,かごの中の鳥のようにした。……わたしは彼の国から強奪し,取り去った町をアシュドドの王ミティンティに,エクロンの王パディに,ガザの王スィリベルに(引き)渡した。……ヒゼキヤ自身は……後に,わたしの堂々たる都ニネベに金30タラント,銀800タラント,宝石,輝安鉱,大玉の赤石,象牙で(象眼した)長いす,象牙で(象眼した)ニメドゥのいす,象の皮,黒檀,ツゲ材(と)あらゆる宝物と共に,彼(自身)の娘たち,そばめ,男女の楽人を送った。貢ぎ物を運び,奴隷として拝するために,彼は(自分自身の)使者を遣わした」。e セナケリブがヒゼキヤに課したこの貢ぎ物に関し,聖書はそれが金30タラントであったことは確証していますが,銀については300タラントとしか述べていません。しかも聖書は,これがセナケリブによるエルサレムの攻囲以前のことであることを示しています。アッシリアの勝利に関して事実をわい曲したその報告の中で,セナケリブはユダで自分が味わった決定的な敗北については故意に省略しています。エホバのみ使いが一夜のうちに彼の兵士18万5,000人を滅ぼし,彼は打ち負かされた犬のようにニネベに逃げ帰らざるをえませんでした。ともあれ,セナケリブのプリズムに記されたこの誇らしげな記録は,エルサレムに脅威を与えた後にエホバによって追い返されたアッシリア人が,ユダにどれほど広範に侵入していたかを物語っています。―列王第二 18:14; 19:35,36。
10,11 (イ)ラキシュ書簡とは何ですか。それは何を物語っていますか。(ロ)それはエレミヤの書に記された事柄をどのように裏付けていますか。
10 ラキシュ書簡。この有名な要塞都市ラキシュは聖書中に20回以上言及されています。それはエルサレムの西南西43キロほどの地点に位置していました。この廃虚の大掛かりな発掘が今日まで行なわれています。1935年,二重になった城門の衛兵の部屋で,文字の書き込まれた18枚のオストラカ,すなわち陶片が発見されましたが(1938年にはさらに3枚が発見された),これらは古代ヘブライ文字で記された幾つかの書簡であることが判明しました。この21枚の陶片コレクションはラキシュ書簡として知られています。ラキシュはネブカドネザルの攻撃に対して最後まで持ちこたえたユダのとりでの一つですが,西暦前609年から同607年の期間に,焼け焦げた廃虚の山と化しました。それらの書簡は当時の緊急な事態を物語っています。それらは,ユダの軍隊の残されていた前哨基地からラキシュにいた軍司令官ヤオシュにあてて書かれた手紙のようです。それらのうちの1通(4号)には一部次のように記されています。「YHWH[四文字語<テトラグラマトン>,“エホバ”]が今この時においてもわたしの主に良いたよりを聞かせてくださいますように。……わたしたちは,わたしたちの主がお与えになるすべてのしるしにしたがって,ラキシュの火の信号が見えるのを待っています。なぜならわたしたちにはアゼカが見えないからです」。これは,防備の施された都市の中で最後まで残された二つの都市としてエレミヤ 34章7節がラキシュとアゼカを挙げていることを確認する顕著な例と言えます。この書簡は,アゼカが既に倒れたことを示しているように思えます。四文字語<テトラグラマトン>で記された神の名はこれらの書簡の中に度々出てきており,当時のユダヤ人の間でエホバというみ名が日常的によく用いられていたことを示しています。
11 別の書簡(3号)は次のような書き出しで始まっています。「YHWH[すなわち,エホバ]がわたしの主に平和のたよりを聞かせてくださいますように! ……そして次のことがこの僕に報告されました。『軍勢の司令官,エルナタンの子コニヤがエジプトに,そしてアヒヤの子ホダビヤのもとに行くために下って来ました。そして彼から[糧食を]得るために部下を遣わしました』」。この書簡は,ユダがエホバの命令を破り,援助を求めてエジプトに下り,その結果自らの滅びを招いたことを確証しているようです。(イザヤ 31:1。エレミヤ 46:25,26)この書簡の完全な本文に出て来るエルナタンやホシャヤという名前は,エレミヤ 36章12節や42章1節にも出ています。これらの書簡で言及されている他の幾つかの名前もやはり聖書のエレミヤ書に出ています。それはゲマルヤ,ネリヤ,そしてヤアザヌヤです。―エレミヤ 32:12; 35:3; 36:10。f
12,13 ナボニドス年代記はどんなことを述べていますか。それはどうして特に価値あるものと言えますか。
12 ナボニドス年代記。19世紀後半にバグダード近くで発掘が行なわれ,多くの粘土板や円筒印章が出土し,古代バビロンの歴史が大いに明らかにされました。その一つはナボニドス年代記として知られる非常に貴重な文書であり,現在,大英博物館に保存されています。バビロンのナボニドス王は,共同統治者であったベルシャザルの父でしたが,ペルシャ人キュロスの軍隊がバビロンを攻め取った西暦前539年10月5日の夜に殺された自分の息子より後まで生きました。(ダニエル 5:30,31)バビロンの陥落に関して顕著なまでに明確にその時期を示しているナボニドス年代記は,この出来事の起きた日付を確かめるための助けとなっています。以下にナボニドス年代記のごく一部を翻訳したものを掲げます。「タシュリツの月[ティシュリ(9月から10月にわたる期間)]に,キュロスはチグリス川のオピスにいたアッカドの軍隊を攻撃した……第14日にシッパルは戦闘をせずに奪い取られた。ナボニドスは逃げた。16日[ユリウス暦の西暦前539年10月11日,グレゴリオ暦の10月5日]に,グティウムの総督ゴブリアス(ウグバル)とキュロスの軍隊は戦闘をせずにバビロンに入城した。その後,ナボニドスは(バビロンに)帰って来た時に,バビロンで捕らえられた。……アラハシャムヌの月[マルヘシュワン(10月から11月にわたる期間)],第3日[ユリウス暦の10月28日]にキュロスはバビロンに入城した。彼の前に緑の小枝が敷かれた ―“平和”(スルム)令が都市に敷かれた。キュロスはバビロン全市にあいさつを送った。彼の総督ゴブリアスはバビロンに(下位の)総督を立てた」。g
13 この年代記にメディア人ダリウスの名が出ていないことに気づく方がおられるかもしれません。今日まで聖書以外の碑文で,このダリウスという名前に言及しているものは一つも見つかっていませんし,ヨセフス(西暦1世紀のユダヤ人の歴史家)の時代以前のどんな一般の歴史の資料にもダリウスのことは述べられていません。そのため,ダリウスは上に掲げた記述に出てくるゴブリアスではないかと考えた人もいます。ゴブリアスに関して入手できる情報はダリウスに関する情報に対応するように思えますが,だからと言って,この両者を同一視することができると断言できるわけではありません。h いずれにしても,キュロスがバビロンの征服に関して重要な役割を果たしたこと,そしてその後,彼が王として支配したことを一般の歴史ははっきりと確証しています。
14 キュロスの円筒印章には何が記録されていますか。
14 キュロスの円筒印章。キュロスがペルシャ世界強国の王として支配を始めて間もなく,西暦前539年に彼がバビロンを攻略したことが粘土の円筒印章に記録されました。この注目すべき文書も大英博物館に保存されています。翻訳された本文は一部次の通りです。「わたしはキュロス,世界の王,大いなる王,正統な王,バビロンの王,シュメールとアッカドの王,(地の)四つの縁の王……わたしはチグリスの他の河畔の[以前,名を付けられていた,ある]幾つかの都市,つまり久しく廃虚と化していたそれらの都市の聖所に,かつてそこにあった像を戻し,それらの像のために恒久的な聖所を設置した。わたしは(また),それらの都市の(以前の)住民すべてを集め,彼らの居住地を彼らに返した」。i
15 キュロスの円筒印章はキュロスについて何を明らかにしていますか。それは聖書とどのように調和していますか。
15 キュロスの円筒印章はこのように,捕らわれの状態に置かれた諸民族を元の場所に帰らせるという王の政策について明らかにしています。その政策と一致して,キュロスはユダヤ人に,エルサレムへ帰り,そこでエホバの家を再建せよとの布告を出しました。興味深いことに,エホバはそれよりも200年も前に,バビロンを攻め取ってエホバの民の回復をもたらす者として,このキュロスの名前を預言的に述べておられたのです。―イザヤ 44:28; 45:1。歴代第二 36:23。
考古学とクリスチャン・ギリシャ語聖書
16 考古学はギリシャ語聖書に関して何を明るみに出しましたか。
16 ヘブライ語聖書の場合と同様に,クリスチャン・ギリシャ語聖書の中の霊感を受けた記録の裏付けとなる多くの興味深い人工物が考古学によって明るみに出されました。
17 考古学は税の質問に対するイエスの論議をどのように裏付けていますか。
17 ティベリウスの銘の刻まれているデナリ硬貨。聖書は,イエスの宣教がティベリウス・カエサルの治世中に行なわれたことをはっきりと示しています。イエスに反対する者たちの幾人かが,カエサルに人頭税を払う問題に関して質問することにより,イエスをわなに掛けようとしました。その件に関して,記録は次のように述べています。「イエスはその偽善を見破って彼らに言われた,『なぜあなた方はわたしを試すのですか。デナリをわたしに持って来て見せなさい』。彼らはそれを持って来た。するとイエスは言われた,『これはだれの像と銘刻ですか』。彼らは,『カエサルのです』と言った。そこでイエスは言われた,『カエサルのものはカエサルに,しかし神のものは神に返しなさい』。それで彼らはイエスに驚嘆するようになった」。(マルコ 12:15-17)考古学者たちは,ティベリウス・カエサルの肖像を刻んだデナリ銀貨を発見しました。それは西暦15年ごろに流通するようになったものです。これは,西暦14年に始まったティベリウスの皇帝としての統治期間と一致しており,バプテスマを施す人ヨハネの宣教活動がティベリウスの第15年すなわち西暦29年の春に始まったと述べる聖書の記録をさらに裏付けるものとなっています。―ルカ 3:1,2。
18 ポンテオ・ピラトに関してどんな発見がなされましたか。
18 ポンテオ・ピラトの碑文。ポンテオ・ピラトに関して考古学上の最初の発見がなされたのは1961年のことでした。それはカエサレアにあった石碑であり,そこにはポンテオ・ピラトの名がラテン語で刻まれていました。
19 アテネには,使徒 17章16節から34節の背景を確証する,どんなものがいまだに残っていますか。
19 アレオパゴス。パウロは西暦50年,ギリシャのアテネで,聖書に記録されている彼の講話の中で最も有名な話をしました。(使徒 17:16-34)これは,アテネ人のある者たちがパウロをつかまえて,アレオパゴスに連れて来た時のことでした。アレオパゴス,またはアレスの丘(マルスの丘)は,アテネのアクロポリスのすぐ北西にある,高さ約113メートルの,むき出しの岩石の丘の名です。その岩には階段が刻まれていて丘の上に通じており,そこには荒く削られた原石のベンチが四角い広場の三辺を成しているのが今でも見られます。アレオパゴスは今も残っており,パウロの歴史的な話の背景となった場所に関する聖書の記録を確証するものとなっています。
20 ティツスの凱旋門は今なお何を証ししていますか。どのように証ししていますか。
20 ティツスの凱旋門。エルサレムとその神殿は西暦70年,ティツスの率いるローマ人によって滅ぼされました。翌年,ティツスはローマで,父ウェスパシアヌス帝と共にその勝利を祝いました。ユダヤ人の選ばれた700人の捕虜が凱旋行進に連れ出されました。神殿の財宝を含め,膨大な量の戦利品が衆目にさらされました。ティツス自らも皇帝となり,西暦79年から81年までその地位にありました。彼の死後,大きな記念碑,ティツスの凱旋門が完成し,「ディーウォーティート」(「神格化されたティツスへ」の意)として献じられました。彼の行なった凱旋行進は,凱旋門の通路の両側に彫刻された浅浮き彫りに描かれています。その片方の側には,身をはずした槍を携え,月桂樹の冠を着けたローマの兵隊たちが,エルサレムの神殿から奪った神聖な備品を運んで来るところが描かれています。これには,七枝の燭台と供えのパンの食卓が描かれてあり,その食卓の上には神聖なラッパの置かれているのが見られます。通路のもう一方の側の浮き彫りには勝利を収めたティツスが4頭の馬に引かれた兵車の中におり,ローマ市を表わす女性によって導かれているところが示されています。j 毎年幾千人もの観光客が,イエスの預言の成就と,反逆したエルサレムに対するエホバの恐ろしい裁きの執行とに対する物言わぬ証しとして,今なおローマに立っているこのティツスの凱旋門を見ます。―マタイ 23:37-24:2。ルカ 19:43,44; 21:20-24。
21 (イ)考古学は写本の発見と共に,どのような貢献をしましたか。(ロ)考古学に関してどんな態度を取るのは正しいことですか。
21 古代写本の発見が聖書の純正な原文の復元に役立ったのと同様,多くの人工物の発見もしばしば,聖書本文に記されていた事柄が歴史,年代,地理に関し,その最も詳細な点に至るまで信頼できるものであることを実証しました。しかし,どんな場合でも考古学が聖書と一致すると結論するのは間違いです。考古学は学問として全く誤りのない分野ではない,ということを忘れてはなりません。考古学上の発見は人間の解釈を必要とするもので,そうした解釈のあるものは時には変わることがあります。神のみ言葉はその真実性の裏付けを必要としているわけではありませんが,考古学は時としてそのような裏付けとなるものを提供してきました。さらに多年,大英博物館の館長と主任図書館司書を務めた故フレデリック・ケニヨン卿が述べたように,考古学により,聖書は,「その背景や場所に関するより十分な知識を通して,さらに分かりやすい」ものになりました。k しかし,信仰は考古学ではなく,聖書に基づいていなければなりません。―ローマ 10:9。ヘブライ 11:6。
22 次の研究ではどんな証拠を考慮しますか。
22 聖書はそれ自身のうちに,それがまさしく信ぴょう性のある,「生ける,いつまでも存在される神の言葉」であることを示す,議論の余地のない証拠を有しています。それは次の研究から明らかになります。―ペテロ第一 1:23。
[脚注]
a 「聖書と鋤」(英文),1938年,S・L・ケイガー,29ページ。
b 「古代近東テキスト」(英文),1974年,J・B・プリッチャード,321ページ。「聖書に対する洞察」(英文),第1巻,941,942,1104ページ。
c 「遠い過去からの光」(英文),1959年,J・フィネガン,91,126ページ。
d 「古代近東テキスト」(英文),320ページ。
e 「古代近東テキスト」(英文),288ページ。
f 「聖書に対する洞察」(英文),第1巻,151,152ページ。「遠い過去からの光」(英文),192-195ページ。
g 「古代近東テキスト」(英文),306ページ。
h 「聖書に対する洞察」(英文),第1巻,581-583ページ。
i 「古代近東テキスト」(英文),316ページ。
j 「遠い過去からの光」(英文),329ページ。
k 「聖書と考古学」(英文),1940年,279ページ。
[333ページの図版]
モアブ碑石
18行目の右側に古い字体で記されている四文字語<テトラグラマトン>を拡大したもの
[334ページの図版]
セナケリブ王のプリズム(角柱)
[335ページの図版]
ナボニドス年代記
[336ページの図版]
ティベリウスの銘の刻まれているデナリ硬貨
[337ページの図版]
ティツスの凱旋門
[337ページの図版のクレジット]
研究9における写真提供者をページ順に記します。
333ページ, Musée du Louvre, パリ。
334ページ, Oriental Institute, University of Chicagoの好意により転載。
335ページ, Trustees of The British Museumの好意により転載。
336ページ, Trustees of The British Museumの好意により転載。
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研究10 ― 聖書 ― 信ぴょう性のある,真実の書『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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霊感による聖書およびその背景に関する研究
研究10 ― 聖書 ― 信ぴょう性のある,真実の書
聖書が歴史,地理,人間の起源を扱っている範囲。科学,文化,および習慣に関する聖書の正確さ。聖書筆者たちの率直さ,調和,および忠誠。聖書の預言。
1 (イ)聖書は一般にどんなものとして受け入れられていますか。(ロ)聖書が傑出した書である根本的な理由は何ですか。
聖書は卓越した詩的美しさを持つ文学上の偉大な傑作,またその筆者たちの優れた力作として一般に受け入れられています。しかし,聖書はそのような評価をはるかに上回るものです。聖書の筆者たちは,その記述が全能の神エホバご自身から出たものであることを自ら証ししました。聖書が表現上の美しさを備えていること,そしてより重要な点として,命を与える知識と知恵の書として優れた価値を有していることも,根本的にはその事実に起因しています。神のみ子イエスは,自分の話した言葉が『霊であり,命である』ことを証しし,古代のヘブライ語聖書から多くの聖句を引用されました。使徒パウロは,「聖書全体は神の霊感を受けたもの」であると語り,ヘブライ語聖書のことを「神の神聖な宣言」と述べています。―ヨハネ 6:63。テモテ第二 3:16。ローマ 3:1,2。
2,3 聖書の筆者たちは聖書が霊感の書であることをどのように証ししましたか。
2 使徒ペテロは神の預言者たちが聖霊に動かされたことを証ししました。ダビデ王はこう書きました。「わたしによって語ったのはエホバの霊で,その言葉はわたしの舌の上にあった」。(サムエル第二 23:2)預言者たちは自分たちの述べたことがエホバから出たものであると語りました。モーセは,エホバにより自分に与えられた神聖な言葉に何かを付け加えたり,それから何かを取り去ったりしないよう警告しました。ペテロはパウロの書いた文書を霊感によるものとみなし,ユダはペテロの述べた事柄を霊感による典拠として引用したようです。最後に,啓示の筆者ヨハネは,神の霊の導きのもとにそれを記し,この預言的な啓示に何かを加えたり,それから何かを取ったりする者が,人間にではなく,神に対して直接言い開きをすることになると警告しました。―ペテロ第一 1:10-12。ペテロ第二 1:19-21。申命記 4:2。ペテロ第二 3:15,16。ユダ 17,18。啓示 1:1,10; 21:5; 22:18,19。
3 専心の念を抱くそれら神の奴隷たちは皆,聖書が霊感を受けた真実の書であることを証ししました。聖書の信ぴょう性を証拠づける事柄はほかにも沢山ありますが,次の12の副見出しのもとで,その幾つかを考慮することにしましょう。
4 ユダヤ人はヘブライ語聖書のそれぞれの書を常にどうみなしましたか。
4 (1)歴史的正確さ。ヘブライ語聖書の正典の書は,霊感を受けて記された,完全に信頼できる文書として,その最初期からユダヤ人に受け入れられてきました。したがって,ダビデの時代においても,創世記からサムエル記第一までに記録されている出来事は,その国民,またその国民に対して神が行なわれた事柄に関する真実の歴史として十分に受け入れられていました。これは,それらの詳細な点を35以上も扱っている詩編 78編にもはっきり示されています。
5 古代の著述家たちはモーセとユダヤ人の法典に関してどんな証言をしていますか。
5 聖書に反対を唱える人たちは,五書<ペンタチューク>を特にその信ぴょう性と筆者に関して激しく攻撃してきました。しかし,ユダヤ人がモーセを五書の筆者として受け入れていたこと以外に,古代の著述家たちの証言を加えることができるかもしれません。その中のある人々はユダヤ人の敵でした。アブデラのヘカタエウス,エジプトの歴史家マネト,アレクサンドリアのリシマコス,エウポレムス,タキツス,ユウェナリスは皆,ユダヤ人を他の国民から区別する法典を制定したのがモーセであるとしており,その大多数の人たちはモーセがその律法を書き記したとはっきり述べています。ピタゴラス学派の哲学者ヌメニウスは,ヤンネとヤンブレがモーセに抵抗したエジプトの祭司であるとさえ述べています。(テモテ第二 3:8)これらの著述家は,ギリシャ人がユダヤ人の歴史に初めて関心を示すようになった,アレクサンドロス(西暦前4世紀)の時代からアウレリウス帝(西暦3世紀)の時代に至るまでの期間を扱っています。他の多くの古代の著述家も,モーセを指導者,支配者,あるいは律法授与者として述べています。a 既に前課の研究で学んだ通り,考古学上の発見は多くの場合,神の民が周囲の諸国民とかかわりを持った多くの出来事に関する聖書の記録が歴史的に正確であることを裏付けています。
6 ギリシャ語聖書の歴史的正確さを支持するどんな証拠がありますか。
6 しかし,クリスチャン・ギリシャ語聖書についてはどうですか。それはヘブライ語聖書の記述を確証しているだけでなく,それ自体歴史的に正確であり,信ぴょう性に富むものであることが証明されています。そして,それはヘブライ語聖書と同じく霊感を受けたものです。その筆者たちは自分が聞いたり見たりした事柄をわたしたちに告げています。というのは,彼らは自分が記録した出来事の目撃証人であり,また度々,その直接の参与者でもあったからです。彼らと同時代の幾千人もの人々が彼らの述べることを信じました。聖書筆者の証言の正しさを確証する言葉は,ユウェナリス,タキツス,セネカ,スエトニウス,小プリニウス,ルキアノス,ケルスス,ユダヤ人の歴史家ヨセフスなどの古代の著述家が言及している箇所に豊富に見いだされます。
7 (イ)S・A・アリボンは聖書がその信ぴょう性に関して他の書よりも優れた主張をなし得ることをどのような論議で説明していますか。(ロ)彼はその証拠を否定する人たちのどこに問題があると述べていますか。
7 S・オースティン・アリボンは自著,「ユニオン聖書便覧」(英文)の中で次のように述べています。「アイザック・ニュートンは……古文書の優れた批評家でもあり,聖書を非常に綿密に調べた。この点に関する彼の結論はどうであったか。彼はこう述べている。『わたしは[一般]世俗のどんな歴史書よりも,新約聖書に信ぴょう性の確かな証拠を見いだす』。ジョンソン博士は,福音書の中に述べられている通りにイエス・キリストがカルバリで死んだという証拠のほうが,ユリウス・カエサルがカピトル神殿で死んだ証拠よりも多い,と述べている。福音書の歴史の真実さに対して疑問を表明する人に向かって,カエサルがカピトル神殿で死んだこと,あるいはシャルルマーニュ大帝が800年にローマ教皇レオ3世から西ローマ皇帝としての冠を授けられたことを信じるどんな理由があるか尋ねてみるがよい……チャールズ1世がかつて存在し,打ち首に処せられたとか,オリバー・クロムウェルが彼に代わって支配者になったなどということがどうして分かるのか。……アイザック・ニュートン卿は重力の法則を発見したとされている。……わたしたちはこれらの人々に関して上になされたすべての主張を信じている。それは,我々がその真実さに対する歴史上の証拠を持っているからである。……もしこのような証拠を提示されても,なおかつ信じることを拒む人がいるなら,我々はそのような人を愚かなほど片意地な者,または救いようのないほど無知な者としてさじを投げるであろう。それでは,聖書の信ぴょう性に関して今や十分の証拠が提出されているにもかかわらず,まだ確信が持てないと主張する人たちについてはどう言えばよいであろうか。……頭ではなく,心に問題があると結論を下しても決して不合理ではない。彼らは自分の誇りを失わせ,自分の生活を変えなければならないような事柄を信じたくないのである」。b
8 聖書のキリスト教は他のすべての宗教と比べて,どんな点で傑出していることが示されていますか。
8 真理をもって崇拝する追随者を持つ宗教としてのキリスト教の優越性を強調して,ジョージ・ローリンソンは次のように書きました。「キリスト教 ― その最初の段階としての旧約聖書の天啓法を含む ― が世界の他の宗教に比べて特に傑出しているのは,その客観性と史実性である。ギリシャやローマ,エジプト,インド,ペルシャそして東洋各地の宗教は,概してめい想的なものであり,歴史的な根拠を真剣に主張することさえ試みなかった。……しかし,聖書の宗教の場合はそうではない。旧約聖書と新約聖書,ユダヤ教天啓法,キリスト教天啓法のいずれを見ても,そこにある教理の組立ては事実と結びついている。それは事実に絶対的に依存しており,事実なくしては成り立たないし,意味をなさない。それで,受け入れる価値のあることが示されるならば,その教理は既に確立されたものと見てよいであろう」。c
9 地理に関する聖書の説明が正確であることを示す例を挙げなさい。
9 (2)地理学および地質学上の正確さ。多くの著述家は,約束の地とその近隣の地域に関する聖書の描写が非常に正確であると述べています。その一例として,オリエント地方の旅行者,A・P・スタンレー博士はイスラエル人の荒野の旅に関して次のように語っています。「彼らの通った正確な道筋が分からないとしても,その地方の特徴については今も昔も共通点が非常に多く見られるので,当時の歴史に述べられている事柄に対する際立った例証となるものがなおも数多く存在している。……時折見いだされる泉や井戸や川は,マラの『水』,エリム……の『泉』,ホレブの『川』,ミディアンのエテロの娘たちの『井戸』とそこの『水鉢』,すなわち水槽などについて記されていることと一致する。植物は,モーセの歴史から推論できるものと今も同じである」。d エジプトの記述に関し,その正確さはエジプトの地域の全般的な描写にも見られます。その肥沃な穀倉地,岸辺に葦の生えたナイル川(創世記 41:47-49。出エジプト記 2:3),『河川,運河,葦の茂る池,そして溜まり水』から得ていた水(出エジプト記 7:19),その『亜麻,大麦,小麦とスペルト小麦』(出エジプト記 9:31,32)など。そればかりでなく,町の名前や場所に関しても正確です。
10 現代の科学者たちは聖書の記録をたどることによってどのような報いを受けましたか。
10 現代の科学者の中には,聖書の地理学および地質学上の記録に大きな信頼を寄せ,それを道案内として豊かな報いを得た人たちもいます。何年か前,著名な地質学者ベン・トール博士は次の聖句にしたがってその地を踏査しました。『あなたの神エホバは,あなたを良い地に携え入れようとしておられるからである。……その石は鉄である地なのである』。(申命記 8:7,9)彼はベエル・シェバから数キロ離れた所に,赤黒い鉱石の詰まった巨大な断がいを発見しました。それには推定1,500万㌧の低品質の鉄鉱石が含まれていました。後日,技術者たちは,60ないし65%の純鉄から成り,約1.6㌔にわたって露出している鉱脈を発見しました。再植林に関するイスラエルの著名な権威者,ヨセフ・バイツ博士は次のように述べました。「アブラハムがベエル・シェバの地に最初に植えた木はぎょりゅうの木であった」。「わたしたちは4年前,彼の例に倣って,同じ地域にこの木を200万本植えた。アブラハムは正しかった。年間降雨量が約150㍉以下の南部地方で成長するわずかな樹木の中に,このぎょりゅうを数えられることが分かった」。e ノガ・ハレウベニの書いた,「我が聖書時代の遺産の地の樹木と灌木」という本は,さらにこう述べています。「ベエル・シェバに着いた族長アブラハムは,単に何らかの木を植えたのではない。……彼は他の木よりも木陰が涼しい樹木を選んだ。その上,[ぎょりゅう]は根を地下深く伸ばして,地下水を見つけることにより,暑さや長期間続く乾期にも耐えられるのである。[ぎょりゅう]が今日に至るまでベエル・シェバの付近に残存しているのも驚くには当たらない」。f ―創世記 21:33。
11 ウィルソン教授は聖書の正確さに関して何と証言していますか。
11 聖書の中の年代や地理に関して述べられている詳細な点に関して,R・D・ウィルソン教授は「旧約聖書の科学的研究」(英文)の213,214ページで次のように述べています。「年代や地理に関してそこに記されている事柄は,古代の他のどんな文書に述べられているものよりも正確で信頼に値する。また,伝記や他の歴史上の説明は,聖書以外の文書から得られる証拠とも驚くべき調和を保っている」。
12 人間の起源に関して,事実は聖書の記録とどのように符合しますか。
12 (3)人種と言語。バイロン・C・ネルソンは「それぞれの種類にしたがって」(英文)の中で次のように述べています。「造られたのは人間であって,黒人でも中国人でもヨーロッパ人でもない。聖書の中でアダムとエバとして知られている二人の人間が創造され,彼らから,自然の誕生と変化を通して,今日地上に見られるあらゆる種類の人間が生じたのである。あらゆる人種は,皮膚の色や体の大小にかかわりなく,一つの自然の種なのである。人間は皆同様に考え,同様に感じ,その身体の造りにおいても同じである。異人種間の結婚も可能であり,同じ特徴を備えた他の人間を生み出すことができる。すべての人種は,創造者の手によって完全に形造られた二人の共通の先祖から出ているのである」。g この言葉は次の聖句の正しさを証ししています。創世記 1:27,28; 2:7,20-23; 3:20。使徒 17:26。ローマ 5:12。
13 古代の諸言語はある中心地から広がりましたが,一考古学者はその中心地について何と述べましたか。
13 聖書は古代の諸言語がある中心地から広がり始めたことを述べていますが,その中心地に関する記述について,考古学者ヘンリー・ローリンソン卿は,「こうして,聖書の記録から全く離れ,言語地図,交差の跡だけを頼りにする場合でも,言語分散の中心点として,シナルの平野に到達するはずである」と述べています。h ―創世記 11:1-9。
14 (イ)聖書が神の霊感を受けた特別の書であることを単独で明らかにするものは何ですか。(ロ)道理にかなったどんな説明が聖書だけに述べられていますか。その実際性は日常生活のあらゆる分野にどのように及んでいますか。
14 (4)実際性。聖書の信ぴょう性に関して,ほかには証拠が得られないとしても,その義の原則と道徳規準により聖書は神の思いから生まれた,他とは異なった書物であることが明らかにされていると言えるでしょう。さらに,その実際性は日常生活のあらゆる分野に及んでいます。人類を含めたあらゆる事物の起源や,地と人間に対する神の目的に関して道理にかなった説明を加えているのは,聖書のほかにありません。(創世記 1章。イザヤ 45:18)聖書はなぜ人間が死ぬのか,またなぜ邪悪な事柄が存在するのかをわたしたちに告げています。(創世記 3章。ローマ 5:12。ヨブ 1,2章。出エジプト記 9:16)それは公正に関して最も高い規準を定めており(出エジプト記 23:1,2,6,7。申命記 19:15-21),聖書は商取り引き(レビ記 19:35,36。箴言 20:10; 22:22,23。マタイ 7:12),清い道徳行為(レビ記 20:10-16。ガラテア 5:19-23。ヘブライ 13:4),他の人たちとの関係(レビ記 19:18。箴言 12:15; 15:1; 27:1,2,5,6; 29:11。マタイ 7:12。テモテ第一 5:1,2),結婚(創世記 2:22-24。マタイ 19:4,5,9。コリント第一 7:2,9,10,39),家族関係,および夫,妻,子供たちの義務(申命記 6:4-9。箴言 13:24。エフェソス 5:21-33; 6:1-4。コロサイ 3:18-21。ペテロ第一 3:1-6),支配者たちに対するふさわしい態度(ローマ 13:1-10。テトス 3:1。テモテ第一 2:1,2。ペテロ第一 2:13,14),正直な働き,それに奴隷と主人,ならびに雇用者と従業員の関係(エフェソス 4:28。コロサイ 3:22-24; 4:1。ペテロ第一 2:18-21),ふさわしい交わり(箴言 1:10-16; 5:3-11。コリント第一 15:33。テモテ第二 2:22。ヘブライ 10:24,25),言い争いを解決する方法(マタイ 18:15-17。エフェソス 4:26),その他わたしたちの日常生活に重要な関係を持つ非常に多くの事柄に関し正しい助言を与えています。
15 精神および身体上の健康に関する聖書のどんな助言は,実際に即していることが示されてきましたか。
15 聖書はまた,身体や精神の健康に関しても貴重な助言を与えています。(箴言 15:17; 17:22)近年,医学研究は,人間の精神的態度が当人の身体上の健康に確かに影響を及ぼすことを実証してきました。例えば,怒りを表わしやすい人の血圧は,大変高い場合が少なくないことを種々の研究は示しています。中には,怒りのために心悸亢進,頭痛,鼻血,めまい,あるいは発声不能などが起きたという報告もあります。しかし,聖書はずっと昔に,『穏やかな心は身体の命である』と説明しました。―箴言 14:30。マタイ 5:9と比較してください。
16 科学により発見されるよりもはるか以前に聖書に述べられていた真理にはどんなものがありますか。
16 (5)科学的正確さ。聖書は科学の論文ではありませんが,科学的な事柄に触れている場合,その記述は正確で,真の科学上の発見や知識と調和しています。動物を含む創造の順序(創世記 1章),地が丸い,つまり球体であること(イザヤ 40:22),また地球が宇宙の「無」の上に掛けられているということは,これらの真理が科学により発見される前から聖書に記録されていました。(ヨブ 26:7)現代の生理学は,『すべての肉が同じ肉ではない』という聖書の説明が真実であることを明らかにしました。細胞の構造は肉の種類によって異なっており,人間は人間特有の「肉」を持っています。(コリント第一 15:39)i 動物学の分野では,レビ記 11章6節に野うさぎが反すうする動物として分類されています。かつてこの点を嘲笑する人たちがいましたが,今では,うさぎが食物を再摂取することが科学の発見によって分かっています。j
17 聖書は医学的に見ても健全な書物であることがどのように示されてきましたか。
17 「肉の魂は血にある」と聖書に記されている点は,現代になって医学上の基本的な真理として認められるようになりました。(レビ記 17:11-14)モーセの律法は,人間が食べるのにどの動物や鳥や魚が「清い」かを示しており,危険な食べ物を排除していました。(レビ記 11章)律法の要求によれば,軍隊の宿営では人間の排せつ物を覆わなければなりませんでした。こうして,人々は赤痢や腸チフスなど,ハエによって広められる伝染病から大いに守られました。(申命記 23:9-14)今日でも,人間の排出物の処置の仕方が不適当なために,重大な健康問題をかかえている土地があります。そのような土地の人々が,もし衛生に関する聖書の助言に従ったなら,もっと健康になれるでしょう。
18 聖書の科学的正確さを例証するものとして他のどんなことが挙げられていますか。
18 聖書は「胃のため」また「病気のため」に少しのぶどう酒を勧めています。(テモテ第一 5:23)カリフォルニア大学医学部の教授,サルバトル・P・ルシア博士は,こう述べています。「ぶどう酒は最も古い食餌療法の飲み物,また最も重要な薬剤であり,人類史を通していつも用いられてきた」。k
19 ルカの記述の正確さはどのように例証されますか。
19 (6)文化と慣習。A・レンドル・ショートは「現代の発見と聖書」(英文)の中で「使徒たちの活動」の書について次のように記しています。「広範囲にわたる帝国の属州を統治するのに,それが安全な限り,それぞれの地方の行政制度をそのまま存続させるのがローマの慣習であった。その結果,権力者はそれぞれの地域によって多くの異なった名称で呼ばれていた。注意深い旅行者か,記録に綿密に目を通す研究者でなければ,これらすべての階級の人々を正しい名称で呼ぶことは到底できなかった。ルカがこの点でほとんど完全な正確さを示していることは,彼の歴史的感覚が非常に鋭いものであったことを証明している。ルカの記述を確認するのに必要な情報として,一つの硬貨,または一つの碑文の証拠しか入手できない場合も何度かある。認められたローマの歴史家たちでもこれほど困難な要求を自分に課すことはしない。ルカはヘロデとルサニアを四分領太守[地域支配者]と呼んでいる。ヨセフスも同じ名称で呼んでいる。ヤコブを剣で打ち殺し,ペテロを投獄したヘロデ・アグリッパは王と呼ばれている。ヨセフスは,ヘロデ・アグリッパがローマにおいてガイウス・カエサル(カリギュラ)と親しくなり,カリギュラが皇帝となったとき王の称号をもって報われたことを告げている。キプロスの総督セルギオ・パウロは執政官代理と呼ばれている。……それより少し前,キプロスは帝国の属州となり,属州総督すなわちレガツスによって統治された。しかしパウロの時代には,ギリシャ語とラテン語の銘のあるキプロスの硬貨から明らかなように,正確な称号は執政官代理であった。キプロスの北方沿岸にあるソロイで発見されたギリシャ語の碑文は,『パウロが執政官代理の時代』となっており……テサロニケでは,その都市の権力者たちはポリタルカス[市の支配者たち,使徒 17:6,脚注]という非常に珍しい称号で呼ばれた。それは古典文学の世界では知られていない名称である。この称号は,もし幾つかの銘刻に現われていなかったなら,ルカがそれを用いたということ以外,わたしたちには全くなじみの薄いものであったであろう。……アカイアはアウグスツスのもとでは元老院の属州であったが,ティベリウスのもとでは直接皇帝の統治下に置かれた。しかしクラウディウスのもとでは,タキツスが我々に告げているように,元老院のもとに移された。したがって,ガリオの正確な称号は[使徒 18:12]執政官代理であった。……ルカは地理や旅の経験に関しても,同様に適切で正確な記述を残している」。l
20 パウロの書いたものは,彼が生き,また書き記した時代をどのように正確に反映していますか。
20 パウロの手紙はその時代の状況を正確に伝えており,彼が自分の記した事柄の目撃証人であったことを明らかにしています。例えば,フィリピは軍事植民地であり,そこの市民は自分たちの持つローマ市民権を特別に誇りに思っていました。パウロはそこにいたクリスチャンたちに,彼らの市民権が天にあることを教え諭しました。(使徒 16:12,21,37。フィリピ 3:20)エフェソスは魔術や心霊術の行ないで有名な都市となっていました。パウロはそこにいたクリスチャンたちに,悪霊たちのえじきにならないよう,どのように武具を身に着けるかに関して指示し,同時にローマ兵士の武具を正確に描写しました。(使徒 19:19。エフェソス 6:13-17)勝利を収めたローマの兵士たちが,捕虜を連れて凱旋行進を行なう時,捕虜のある者たちを裸にして引いて行く習慣のあったことが例えとして用いられています。(コリント第二 2:14。コロサイ 2:15)コリント第一 1章22節では,ユダヤ人とギリシャ人の物の見方の相違が指摘されています。こうした事柄に関して,クリスチャンの筆者は,モーセ五書を記したモーセと同じ正確さを示しています。その点について,ジョージ・ローリンソンはこう述べています。「民習研究の観点から,オリエント地方の生活様式や習慣一般に関するモーセ五書の正確さに疑いをはさむ余地は全くなかった」。a
21 (イ)聖書筆者たちの率直さを示す例を挙げなさい。(ロ)それは聖書が真実であることに対する確信をどのように深めさせますか。
21 (7)聖書筆者たちの率直さ。聖書全体を通して,その筆者たちの揺るぎない率直さは聖書が信頼できるものであることを強く確証しています。例えば,モーセは自分自身の罪,また自分と自分の兄弟アロンが約束の地に入ることを許さなかった神の裁きについてはっきり告げています。(民数記 20:7-13。申命記 3:23-27)2度にわたるダビデの罪,またその息子ソロモンの背教も公にされています。(サムエル第二 11,12,および24章。列王第一 11:1-13)ヨナは自分の不従順とその結果について記しています。イスラエルの全国民は神への不従順ゆえに,ヘブライ語聖書のほとんどすべての筆者から非難されています。その筆者たちはすべてユダヤ人であり,その非難は,ユダヤ人が神の宣言,また彼らの国民の真実の歴史として受け入れ,大切にしてきた記録の中に収められています。クリスチャンの筆者たちもそれに劣らず率直な態度を示しました。4人の福音書筆者たちは皆,ペテロがキリストを否んだことを明らかにしました。またパウロは,ペテロがアンティオキアのクリスチャン会衆で,信仰の問題に関してユダヤ人と異邦人とを区別するという重大な過ちを犯したことに読者の注意を喚起しました。聖書の筆者たちが忠実な記録を作り上げるためにだれの間違いも,自分自身の過ちさえも容認しなかったことは,真実の書としての聖書に対するわたしたちの確信を深めさせます。―マタイ 26:69-75。マルコ 14:66-72。ルカ 22:54-62。ヨハネ 18:15-27。ガラテア 2:11-14。ヨハネ 17:17。
22 聖書が真に神の言葉であることを,ほかのどんなことが証明していますか。
22 (8)筆者たちの間に見られる調和。聖書は1,600年以上の年月をかけて,約40人の筆者たちによって書き記されましたが,不調和なところはありません。聖書は最も激しい反対に遭い,聖書を消滅させようとする最も精力的な努力が払われてきたにもかかわらず,膨大な数の聖書が広く配布されてきました。これらの事実は,聖書がその主張どおり全能の神の言葉であり,確かに,「教え,戒め,物事を正し,義にそって訓育するのに有益」であることを証明するのに役立ちます。―テモテ第二 3:16。b
23 一貫したどんな主題も,聖書が霊感の書であることを証明していますか。例を挙げて説明しなさい。
23 聖書が霊感の書であることは,キリストのもとに置かれる王国によって神のみ名を神聖なものとするという主題を聖書が全き一貫性をもって強調していることから明らかです。この一貫性を示す際立った例を幾つか記してみましょう。
創世記 3:15 蛇を滅ぼす胤に関する約束
創世記 22:15-18 すべての国の民はアブラハムの胤によって自らを祝福する
出エジプト記 3:15; 6:3 神はご自分の記念の名エホバを強調する
出エジプト記 9:16。 神はみ名を宣明させるという目的を述べられる
出エジプト記 20:3-7 神はみ名を尊び,全き専心を要求される
イザヤ 9:7 神はご自分のみ子の永遠の王国を熱心に支持される
ダニエル 2:44; 4:17,34; 「人の子」による神の王国の重要性
マラキ 1:11 神のみ名は諸国民の中で大いなるものとなる
マタイ 6:9,10,33 神のみ名がその王国によって神聖なものとされることが
最も重要である
使徒 2:21。ローマ 10:13 救いを得るためにはエホバのみ名を呼び求めねばならない
ローマ 3:4 すべての人が偽り者であったとしても,神は真実である
コリント第一 15:24-28 王国が神に引き渡され,神はだれに対しても
すべてのものとなられる
ヘブライ 13:15 クリスチャンはエホバのみ名を公に
告げ知らせなければならない
啓示 15:4 エホバのみ名は諸国民すべてによって
栄光あるものとされる
啓示 19:6 大いなるバビロンが荒廃させられた後,エホバのみ名は
たたえられる
24 (イ)初期クリスチャンの忠誠は「クリスチャンの物語」の真実さをどのように確証しますか。(ロ)聖書の筆者たちが,神話ではなく,事実を記録したことをほかのどんな証拠が示していますか。
24 (9)証人たちの忠誠。初期クリスチャン ― クリスチャンの聖書の筆者たち,それに他の人々 ― の証言にどれほどの重きを置けばよいかに関し,ジョージ・ローリンソンは次のように述べています。「初期の改宗者たちは,自分の宗教ゆえにいつ死を経験することになるかもしれないということを知っていた。……キリスト教を唱道する初期の著述家たちはだれもが,それを唱道することによって,国家権力に勇敢に立ち向かい,自分たちを同じ運命にゆだねたのである。信仰が生死にかかわる問題である場合,人はたまたま自分の好みに合った最初の宗旨を軽々しく採用するようなことはしない。また,その宗教が公に主張する事柄を十分に考慮し,それが真実であることを自分で確信したのでない限り,人は迫害を受けている宗派に公然とくみするようなことはしない。初期の改宗者たちは明らかに,クリスチャンの説明が歴史的に正確かどうかを,わたしたちの場合よりはるかに確かな方法で調べることができた。彼らは証人たちに質問したり反対質問したり,彼らの幾つかの記述を比較したり,彼らの述べていることに対する反論を調べたり,当時の異教徒たちの文書を研究したりなどして,徹底的かつ十分に証拠をふるいにかけることができた。……これらすべては ― それが累積証拠であることを銘記すべきである ― 膨大な証拠を成しており,遠い昔に起きたどんな出来事といえども,これほどの証拠を提示することは到底できない。そしてそれは,『クリスチャンの物語』が真実であることをほとんど疑問の余地なく立証している。どの点に関しても……その物語に神話的要素はない。神話は内容が変化し,色々な形を取るが,それは何の食い違いもなく語られた一つの物語である。神話は国家の歴史を曲げたり変えたりするが,その物語は当時の国家の歴史と渾然一体となり,すべての箇所で驚くべき正確さを示している。それは,神話が故意に避ける日常生活に関する詳細に満ちている。神話が寓話によって教えるのに対し,それは最も平易,明解な実際的教えに満ちている。偽りのない誠実さ,忠誠,労を惜しまぬ正確さ,真理に対する純粋の愛は,新約聖書の筆者たちの最も明白な特徴である。彼らは明らかに,空想ではなく事実を扱っている。……彼らは,当時『全く信じられていた事柄の確かさをわたしたちが知るようになるために』聖書を書いたのである」。c ―ルカ 1:1,4と比較してください。
25 聖書の信ぴょう性を際立った仕方で示しているものは何ですか。
25 聖書の扱っている分野で人を魅了するのは,神の預言の分野です。聖書の信ぴょう性が最も際立った仕方で証明されるのは,数多くの預言の成就においてであり,それらの預言はすべて,将来を予告するエホバの際立った先見を示すものです。この預言の言葉はまさに,「暗い所に輝くともしび」です。義の宿る神の永遠の新秩序において王国のすべての預言が成就する時まで生き残ることを希望する人たちは,その預言に注意を払うことによって信仰を強められます。以下に示す三つの表は,それら預言の多くについて,その成就と,ヘブライ語およびギリシャ語聖書全体に見られる調和を明らかにしており,聖書の信ぴょう性に対する証拠を増し加えます。時の経過と共に,聖書は真実に『神の霊感を受けた有益なもの』として,ますます輝きを増し加えてゆくことでしょう。―ペテロ第二 1:19。テモテ第二 3:16。
[脚注]
a 「聖書の記録の真実さに関する歴史学上の証拠」(英文),1862年,ジョージ・ローリンソン,54,254-258ページ。
b 1871年,29-31ページ。
c 「聖書の記録の真実さに関する歴史学上の証拠」(英文),25,26ページ。
d 「シナイとパレスチナ」(英文),1885年,82,83ページ。
e 「リーダーズ・ダイジェスト」(英文),1954年3月号,27,30ページ。
f 1984年,24ページ。
g 1968年,4,5ページ。
h 「英国およびアイルランド王立アジア協会ジャーナル」誌,ロンドン,1855年,第15巻,232ページ。
i 「聖書に対する洞察」(英文),第2巻,246ページ。
j 「聖書に対する洞察」(英文),第1巻,555,556,1035ページ。
k 「食物および薬としてのぶどう酒」(英文),1954年,5ページ。
l 1955年,211-213ページ。
a 「聖書の記録の真実さに関する歴史学上の証拠」(英文),290ページ。
c 「聖書の記録の真実さに関する歴史学上の証拠」(英文),225,227,228ページ。
(10)イエスに関する重要な預言とその成就
預言 出来事 成就
イザヤ 7:14 処女から生まれる マタイ 1:18-23。
エレミヤ 31:15 その誕生後,みどりごたちが殺される マタイ 2:16-18
ホセア 11:1 エジプトから呼び出される マタイ 2:15
マラキ 3:1; 4:5。 その前に道が整えられる マタイ 3:1-3;
7:27。
イザヤ 61:1,2 任命される ルカ 4:18-21
イザヤ 9:1,2 その宣教によってナフタリとゼブルンの マタイ 4:13-16
人々は大いなる光を見た
詩編 78:2 例えをもって話した マタイ 13:11-13,
イザヤ 53:4 わたしたちの病を担った マタイ 8:16,17
イザヤ 42:1-4 エホバの僕として,街路で言い争うことを マタイ 12:14-21
しない
イザヤ 53:1 人々は信じない ヨハネ 12:37,38。
ゼカリヤ 9:9。 子ろばに乗ってエルサレムに勝利の マタイ 21:1-9。
詩編 118:26 入城をする。王として,またエホバのみ名 マルコ 11:7-11。
によって来る方として歓呼して迎えられる ルカ 19:28-38。
ゼカリヤ 13:7 弟子たちは散り散りになる マタイ 26:31,56。
詩編 27:12 偽りの証人が立てられる マタイ 26:59-61。
詩編 22:7,8 杭の上でののしられる マタイ 27:39-43。
詩編 69:21 酢と胆汁が与えられる マタイ 27:34,48。
詩編 34:20。 骨は一本も折られない ヨハネ 19:33,36
イザヤ 53:5,8, 罪を除き去るために犠牲の死を遂げ,人々 マタイ 20:28。
イザヤ 53:9 富んだ人と共に埋葬される マタイ 27:57-60。
ヨナ 1:17; 2:10 足かけ三日墓の中にいた後,復活を受ける マタイ 12:39,40;
詩編 16:8-11,脚注 腐れが生じる前によみがえらされる 使徒 2:25-31;
「イエスに関する重要な預言とその成就」の表に関する質問:
(イ)誕生に関するどんな預言はイエスがメシアとしての資格にかなっていたことを示していますか。
(ロ)イエスの宣教が開始されたとき,どんな預言が成就しましたか。
(ハ)イエスは宣教に携わっている際,どのように預言を成就しましたか。
(ニ)イエスが審理にかけられる前の最後の数日に,どんな預言が成就しましたか。
(ホ)イエスの審理の際,預言がどのように成就しましたか。
(ヘ)イエスが実際に杭につけられ,死に,そして復活させられることを,どんな預言が示していましたか。
[344-346ページの図表]
(11)成就した他の聖書預言の例
預言 出来事 成就
創世記 15:13,14。 イスラエルを奴隷にしていた 出エジプト記 12:35,36。
出エジプト記 3:21,22 国民を神は裁き,イスラエルは 詩編 105:37
多くの財産を携えてエジプト
から出る
創世記 17:20; 21:13,18 イシュマエルは12人の長を 創世記 25:13-16。
生み出し,大いなる国民になる 歴代第一 1:29-31
創世記 49:7 シメオンとレビはイスラエルの中 ヨシュア 19:1-9;
に散らされる 21:41,42
申命記 17:14 イスラエルは君主を求める サムエル第一 8:4,5,19,20
申命記 28:52,53, イスラエルは不忠実のゆえに 西暦前740年にサマリアに
64-66,68 処罰される。諸都市は攻囲され, (列王第二 17:5-23),
その民は奴隷として 西暦前607年に
連れて行かれる エルサレムに
(エレミヤ 52:1-27),
そして西暦70年に再び
エルサレムに成就
ヨシュア 6:26 エリコを再建する者に臨む処罰 列王第一 16:34
サムエル第一 2:31,34; エリの家系はのろいを受ける サムエル第一 4:11,17,18。
列王第一 13:1-3 ヤラベアムの祭壇は汚される 列王第二 23:16-18
列王第一 14:15 イスラエルの10部族王国は 列王第二 17:6-23;
覆される 18:11,12
イザヤ 13:17-22; バビロンの滅び。バビロンの門は ダニエル 5:22-31。
45:1,2。 開かれたままになる。キュロス 一般の歴史によって
エレミヤ 50:35-46; の率いるメディア人と 確証されている。門が
51:37-43 ペルシャ人が征服する 開かれたままになって
いる時に,キュロスは
バビロンを攻め取ったd
イザヤ 23:1,8,13,14。ティルス市はネブカドネザルの 一般の歴史の記録による
エゼキエル 26:4,7-12 率いるカルデア人により と,13年間の攻囲の後,
滅ぼされる ネブカドネザルにより
同市の本土の部分は
滅ぼされ,島の部分は
屈服させられたe
エレミヤ 49:17,18。 エドムは切り断たれて,存在 エドムは西暦70年の
エゼキエル 25:12-14; しなかったかのようになる エルサレム滅亡後,
ダニエル 2:31-40; バビロン,ペルシャ,ギリシャ, 一般の歴史は,これらの
7:2-7 ローマの四つの王国が 強国の興亡に関連して
描写される。数多くの詳細な預言 それが成就したことを
が語られる 確証しているi
ダニエル 8:1-8,20-22;ペルシャの王国の後,一人の アレクサンドロス大王は
11:1-19 力ある者,すなわちギリシャが ペルシャ帝国を征服
支配する。その王国は四つに した。その死後,4人の
分かたれ,そこから二つの強国, 将軍が跡を継いだ。
つまり北の王と南の王が興る やがてセレウコス朝と
プトレマイオス朝の
両強国が勢力を伸ばし,
両者の間にはいつも
戦争があった。j
ダニエル 11:20-24 登録を命ずる布告を出す支配者。 カエサル・アウグスツスの
その後継者の治世中に 治世中に登録を命ずる
「契約の指導者」は砕かれる 布告がパレスチナで
出された。その後継者
ティベリウス・カエサル
の治世中にイエスは
殺されたk
ゼパニヤ 2:13-15。 ニネベは荒廃した地となる くずの塚となったl
マタイ 24:2,16-18。 エルサレムは杭の城塞で囲まれ, 西暦70年にローマ人に
ルカ 19:41-44 滅ぼされる よって成就されたb
マタイ 24:7-14。 この事物の体制の完全な終わりに 1914年の第一次世界大戦
マルコ 13:8。 先立つ,大いなる苦難の時が 以来,地上は未曽有の
ルカ 21:10,11。予告される。その時の出来事には, 苦難の時を迎えた。
テモテ第二 3:1-5 戦争,食糧不足,地震,疫病,不法,王国を宣べ伝える業は
王国の良いたよりがあらゆる国民 現在,200以上の国や
に宣べ伝えられることが 地域で行なわれている
含まれる
[脚注]
d 「ヘロドトス」I,191,192ページ。「聖書に対する洞察」(英文),第1巻,567ページ。
e マクリントクとストロング共編,「百科事典」(英文),1981年復刻版,第5巻,617ページ。「聖書に対する洞察」(英文),第2巻,531,1136ページ。
f 「聖書に対する洞察」(英文),第2巻,421,422ページ。
g 「聖書に対する洞察」(英文),第1巻,95ページ。
h 「聖書に対する洞察」(英文),第1巻,681,682ページ。
i 「御心が地に成るように」,104-125,168-179,189-195,220-229ページ。
j 「御心が地に成るように」,120-122,174-176,194,195,220-263ページ。「聖書に対する洞察」(英文),第1巻,70,71ページ。
k 「御心が地に成るように」,248-253ページ。「聖書に対する洞察」(英文),第1巻,220ページ。
l 159ページ5,6節をご覧ください。
a マクリントクとストロング共編,「百科事典」(英文),1981年復刻版,第5巻,618,619ページ。
b 188ページ,9節をご覧ください。
(イ)イスラエル国民がカナンの地に入った後,予告されていたどんな出来事が生じましたか。
(ロ)イスラエルとユダに対するどんな裁きの預言が成就しましたか。それはいつでしたか。
(ハ)回復に関してどんなことが予告されましたか。それはどのように成就しましたか。
(ニ)どんな国民に対して明確な裁きの音信が語られましたか。それら預言された裁きはどのように成就しましたか。
(ホ)ダニエルおよびイエスによって予告された歴史上の顕著な出来事の例を挙げなさい。
(12)ギリシャ語聖書の筆者による,ヘブライ語聖書の引用および適用の例
(注意: この表には前掲の「イエスに関する重要な預言」に挙げられているものは含まれていません。)
引用箇所 述べられている事柄 適用
創世記 1:3 神は,光が輝くように コリント第二 4:6
お命じになる
創世記 1:26,27 人は神の様に,男性と女性に ヤコブ 3:9。
創造された マルコ 10:6
創世記 2:7 アダムは生きた魂とされた コリント第一 15:45
創世記 15:5 アブラハムの胤は多くなる ローマ 4:18
創世記 17:5 「多くの国の民」から来る, ローマ 4:16,17
信仰を持つ人々の父アブラハム
創世記 18:10,14 サラに男の子が約束される ローマ 9:9
創世記 18:12 サラはアブラハムを「主」と呼ぶ ペテロ第一 3:6
創世記 21:12 アブラハムの胤はイサクを通して ローマ 9:7。
もたらされる ヘブライ 11:18
創世記 22:16,17 神はアブラハムを祝福することを ヘブライ 6:13,14
ご自身にかけて誓われる
出エジプト記 9:16 神がファラオを長らえさせた理由 ローマ 9:17
出エジプト記 13:2,12 初子はエホバに献じられる ルカ 2:23
出エジプト記 16:18 マナを集めることに関して,神は コリント第二 8:15
均等化を図る
出エジプト記 19:5,6 イスラエルの前に祭司の王国に ペテロ第一 2:9
なる見込みが置かれる
出エジプト記 19:12,13 シナイ山で示されたエホバへの ヘブライ 12:18-20
畏敬の念
出エジプト記 20:12-17 第5,第6,第7,第8,第9, マタイ 5:21,27; 15:4;
第10のおきて 19:18,19。
出エジプト記 21:17 第5のおきてを破ることに対する マタイ 15:4。
処罰 マルコ 7:10
出エジプト記 21:24 目には目,歯には歯 マタイ 5:38
出エジプト記 22:28 「あなたは,あなたの民の支配者 使徒 23:5
を悪く言ってはならない」
出エジプト記 25:40 モーセに幕屋とその備品の型が ヘブライ 8:5
示される
出エジプト記 32:6 イスラエル人は立ち上がって コリント第一 10:7
反逆し,打ち興じる
出エジプト記 33:19 神はご自分が喜びとする者を ローマ 9:15
憐れむ
レビ記 26:12 エホバはイスラエルの神であった コリント第二 6:16
民数記 16:5 エホバはご自分に属する者たちを テモテ第二 2:19
知っておられる
申命記 18:15-19 神はモーセのような預言者を 使徒 3:22,23
起こされる
申命記 19:15 すべての事は二人か三人の証人に ヨハネ 8:17。
よって確証されなければならない コリント第二 13:1
申命記 24:1 離婚に関するモーセの律法の規定 マタイ 5:31
申命記 25:4 「脱穀している牛にくつこを コリント第一 9:9。
掛けてはならない」 テモテ第一 5:18
申命記 30:11-14 「信仰の『言葉』」を自分の心に ローマ 10:6-8
置き,それを宣べ伝えることが必要
申命記 32:35,36 エホバの復しゅう ヘブライ 10:30
申命記 32:43 「諸国民よ,神の民と共に喜べ」 ローマ 15:10
サムエル第一 13:14; 神ご自身の心にかなう人,ダビデ 使徒 13:22
列王第一 19:14,18 ユダヤ人の残りの者だけが神に ローマ 11:3,4
忠実を保つ
ヨブ 41:11 『だれがまず神に与えたのか』 ローマ 11:35
詩編 10:7 『その口はのろいで満ちている』 ローマ 3:14
詩編 14:1-3 「義人はいない」 ローマ 3:10-12
詩編 18:49 諸国民が神の栄光をたたえる ローマ 15:9
詩編 24:1 地はエホバのもの コリント第一 10:26
詩編 34:12-16 『エホバの目は義にかなった者 ペテロ第一 3:10-12
たちの上にある』
詩編 45:6,7 『神は永久に[キリスト]の王座』 ヘブライ 1:8,9
詩編 69:22,23 イスラエル人の平和の食卓は ローマ 11:9,10
わなとなる
詩編 78:24 天からのパン ヨハネ 6:31-33
詩編 94:11 「エホバは,賢い人たちの論議が コリント第一 3:20
無駄なことを知っておられる」
詩編 95:7-11 不従順なイスラエル人は ヘブライ 3:7-11;
詩編 102:25-27 「主よ,あなたは……地の基を ヘブライ 1:10-12
据えられました」
詩編 112:9 「彼は広く分配し……その義は コリント第二 9:9
永久に続く」
詩編 116:10 「わたしは信仰を働かせた。 コリント第二 4:13
ゆえに語った」
箴言 26:11 『犬は自分の吐いたものに戻る』 ペテロ第二 2:22
イザヤ 10:22,23 イスラエルの残りの者だけが ローマ 9:27,28
救われる
イザヤ 22:13 「ただ食べたり飲んだりしよう。 コリント第一 15:32
明日は死ぬのだから」
イザヤ 25:8 「死は永久に呑み込まれる」 コリント第一 15:54
イザヤ 28:11,12 たとえ「異国人の舌をもって」 コリント第一 14:21
話しても,民は信じなかった
イザヤ 29:13 書士やパリサイ人の偽善のことが マタイ 15:7-9。
語られる マルコ 7:6-8
イザヤ 29:14 神は賢人たちの知恵を滅ぼされる コリント第一 1:19
イザヤ 40:6-8 エホバの語った言葉は永久に ペテロ第一 1:24,25
存続する
イザヤ 49:8 「救いの日」の,受け入れられる コリント第二 6:2
時に聞き届けられる
イザヤ 52:11 「彼らの中から出て,離れよ」 コリント第二 6:17
イザヤ 59:7,8 人の邪悪さのことが語られる ローマ 3:15-17
イザヤ 65:1,2 エホバは異邦諸国民に ローマ 10:20,21
明らかになった
イザヤ 66:1,2 「天はわたしの王座, 使徒 7:49,50
地はわたしの足台である」
エレミヤ 9:24 「誇る者はエホバにあって誇れ」 コリント第一 1:31。
エレミヤ 31:31-34 神は新しい契約を結ばれる ヘブライ 8:8-12;
ダニエル 9:27; 11:31 「荒廃をもたらす マタイ 24:15
嫌悪すべきもの」
ホセア 1:10; 2:23 異邦人も神の民となる ローマ 9:24-26
ホセア 13:14 「死よ,お前のとげは コリント第一 15:54,55
どこにあるのか」
ヨエル 2:28-32 「エホバの名を呼び求める者は 使徒 2:17-21。
みな救われるであろう」 ローマ 10:13
アモス 9:11,12 神はダビデの仮小屋を 使徒 15:16-18
建て直される
ハバクク 1:5 「あざける者たちよ,それに 使徒 13:40,41
目を留めよ。驚き怪しめ」
ハバクク 2:4 「わたしの義人は信仰の ヘブライ 10:38。
ゆえに生きる」 ローマ 1:17
ハガイ 2:6 天と地は揺り動かされる ヘブライ 12:26,27
「ギリシャ語聖書の筆者による,ヘブライ語聖書の引用および適用の例」の表に関する質問:
(イ)創世記に対するギリシャ語聖書中の言及は,創世記の創造の記録をどのように支持していますか。
(ロ)創世記中のアブラハムやアブラハムの胤に関する記述に言及しつつどんな適用がなされていますか。
(ハ)十戒や律法の他の項に関して,出エジプト記からどのような引用がなされていますか。
(ニ)心をこめ,魂をこめてエホバを愛し,隣人を自分自身のように愛することを命じた,二つの大きなおきての元の宣言はどこに記されていますか。
(ホ)モーセ五書の中に述べられていて,ギリシャ語聖書中に引用されている基本的な原則を幾つか挙げなさい。
(ヘ)ギリシャ語聖書中に引用されている詩編のどの句は,次のそれぞれの点に関してエホバを大いなるものとしていますか。(1)地球の創造者また所有者。(2)義者に関心を示し,顧みてくださる方。
(ト)クリスチャン・ギリシャ語聖書はイザヤ書や他の預言書の聖句を次の各点にどのように当てはめていますか。(1)良いたよりの伝道。(2)良いたよりを退ける人もいること。(3)イスラエルの残りの者に加わって諸国の人々も信者になること。(4)良いたよりに信仰を働かせることから得られる益。
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霊感を受けた聖書はとこしえの益をもたらす『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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霊感による聖書およびその背景に関する研究
霊感を受けた聖書はとこしえの益をもたらす
1 「聖書全体」を調べることによって,栄光に輝くどんな未来像がわたしたちの目の前に開かれましたか。
『神の霊感を受けた聖書全体』を調べることにより,わたしたちの目は,栄光に輝くエホバの主権とその王国の目的に向かって開かれました。わたしたちは,聖書が1冊の本で,一つの力強い主題を持つ本であることに注目してきました。その主題とは,約束された胤であるキリストの治める,神の王国により,エホバの主権の正しさが立証され,地に対するその目的が最終的に成就することです。この一つの主題は聖書の最初の数ページから展開し始め,その後の記述を通して説明され,ついに聖書巻末の幾つかの章の中で,神の偉大な目的がその王国により,輝かしい仕方で実現される様子が明らかにされています。聖書は何と際立った本なのでしょう。それは,物質の天や生き物の存在する地の畏怖の念を抱かせる創造の記録をもって始まり,人類と神との交渉の歴史をわたしたちの時代までたどる,霊感を受けた,信ぴょう性に富む記述が収められています。また,エホバの輝かしい「新しい天と新しい地」の創造が完全に実現する過程をわたしたちに見せてくれます。(啓示 21:1)その偉大な目的が約束の胤の王国によって完全に成し遂げられるとき,エホバ神は一致結合した幸福な人間家族の親切な父親のようになられることが示されています。その人間家族は,天軍のすべてと共に,エホバを賛美して,その聖なるみ名を神聖なものとするのです。
2,3 胤の関係する主題は聖書全体を通してどのように展開されていますか。
2 胤の関係するこの主題は,聖書全体を通して何とすばらしい展開を見せているのでしょう。神は霊感を受けた最初の預言を述べて,「女の胤」が蛇の頭を砕くことを約束しておられます。(創世記 3:15)2,000年以上が経過した後,神は忠実なアブラハムに,「あなたの胤によって地のすべての国の民は必ず自らを祝福するであろう」とお告げになります。それから800年余り後,エホバは,アブラハムの子孫で忠節なダビデ王に同様の約束をし,その胤が王たる者となることを示されます。時がたつにつれ,エホバの預言者たちも加わって,神の王国の支配の栄光を感動的に予告します。(創世記 22:18。サムエル第二 7:12,16。イザヤ 9:6,7。ダニエル 2:44; 7:13,14)そして,ついに胤が現われます。エデンで最初の約束がなされてから4,000年以上も後のことです。『アブラハムの胤』でもあるこの方は,「至高者の子」なるイエス・キリストであり,エホバはこれに「その父ダビデの座」をお与えになります。―ガラテア 3:16。ルカ 1:31-33。
3 神の油そそがれた王であるこの胤は,蛇の地的な胤によって砕かれて死にますが,神はその胤を死人の中からよみがえらせ,ご自分の右に高めます。彼はそこで,『サタンの頭を砕く』神の定めの時まで待つのです。(創世記 3:15。ヘブライ 10:13。ローマ 16:20)次いで,この未来像全体は,啓示の書において輝かしい最高潮に達します。キリストは王国の権力を得,『初めからの蛇で,悪魔またサタンと呼ばれる者』を天から地へ投げ落とします。悪魔はしばらくの間,地に災いをもたらし,『神の女の胤のうちの残っている者たち』に戦いを挑みます。しかし,キリストは「王の王」として諸国民を討ちます。初めからの蛇であるサタンは底知れぬ深みに投げ込まれ,最後には永久に滅ぼされることになります。一方,キリストの犠牲の益は,子羊の花嫁である新しいエルサレムにより,地の全家族を祝福するため,人類に適用されます。こうして,霊感を受けた聖書の壮大な主題は,まさに感動的な壮観な仕方で,わたしたちの前にはっきり浮かび上がってきます。―啓示 11:15; 12:1-12,17; 19:11-16; 20:1-3,7-10; 21:1-5,9; 22:3-5。
霊感による記録から益を受ける
4 わたしたちは聖書からどのようにして最大の益を得ることができますか。それはなぜですか。
4 わたしたちは聖書からどのようにして最大の益を受けることができるでしょうか。聖書がわたしたちの生活に影響を及ぼすようになるなら,わたしたちは益を受けることができます。霊感による聖書を毎日研究し,それを適用することによって,わたしたちは神から導きを得ることができるのです。「神の言葉は生きていて,力を及ぼし」,わたしたちの生活の中で義のための驚くべき力となります。(ヘブライ 4:12)神の言葉を絶えず研究し,その導きに従うなら,わたしたちは「神のご意志にそいつつ真の義と忠節のうちに創造された新しい人格を着ける」ことになります。わたしたちは思いを活動させる力において新たにされ,思いを作り直すことによって自分を変革し,その結果,「神の善にして受け入れられる完全なご意志を」自らわきまえ知るようになるのです。―エフェソス 4:23,24。ローマ 12:2。
5 モーセの態度と模範から何を学ぶことができますか。
5 わたしたちは,神の他の忠実な僕たちが神のみ言葉を研究し,思い巡らすことによってどのように益を受けたかを調べ,それから多くを学ぶことができます。例えば,『すべての人の中で最も柔和な人物』であったモーセがいます。彼はいつでも教えを受け入れ,喜んで学びました。(民数記 12:3)わたしたちはモーセと同じように,エホバの主権に対しいつも祈りのこもった認識を抱くべきです。モーセは次のように述べました。「エホバよ,あなたは代々にわたってわたしたちのための真の住みかとなってくださいました。山々が生まれる前から,また,あなたが地と産出的な土地を産みの苦しみによるかのように生み出される前から,実に,定めのない時から定めのない時に至るまで,あなたは神です」。モーセは神の知恵を十分に学んでそれに通じていました。なぜなら,モーセは聖書の最初の幾つかの書を記すのにエホバによって用いられたからです。したがって,モーセはエホバからの知恵を日ごとに求めることの重要性を理解していました。それで,「自分の日を数えることをわたしたちに示してください。わたしたちが知恵の心をもたらすことができるために」と神に祈りました。「わたしたちの年の日数」がわずかなもの,70年にすぎなくても,あるいは,「特別の力強さ」ゆえに80年であったとしても,神のみ言葉で日ごとに自分を養うのは賢明なことです。なぜなら,そうすることによって,「わたしたちの神エホバの快さ」が,その忠実な僕モーセの上にあったように,「わたしたちの上」にもあるようになるからです。―詩編 90:1,2,10,12,17。
6 どうすればヨシュアのように自分の道を成功させることができますか。
6 神のみ言葉を日ごとに思い巡らすのは何と必要なことなのでしょう。エホバはモーセの後継者ヨシュアに次のように述べて,この点を明らかにされました。「ただ勇気を出し,大いに強くありなさい。注意して,わたしの僕モーセがあなたに命じたすべての律法のとおりに行なうためである。それから右にも左にもそれてはいけない。どこに行ってもあなたが賢く行動するためである。この律法の書があなたの口から離れてはいけない。あなたはそれを昼も夜も小声で読まなければならない。注意してそこに記されているすべてのことをそのとおりに行なうためである。そうすればあなたは自分の道を成功させ,賢く行動できるからである」。ヨシュアはエホバの律法を絶えず読むことにより,『自分の道を成功させた』でしょうか。カナンにおける彼の勇敢な軍事行動の上にエホバの祝福があったことはその答えとなっています。―ヨシュア 1:7,8; 12:7-24。
7 ダビデは神からの知恵に関する自分の認識をどのように言い表わしましたか。その同じ認識は詩編 119編にどのように表現されていますか。
7 エホバに愛されたダビデのことも考えてみてください。彼はエホバからの知恵を深く心に留めた人でした。ダビデはエホバの「律法」,「諭し」,「命令」,「おきて」,および「司法上の定め」に対して心からの認識を示しました。ダビデが言い表わしているように,「それらは金よりも,いや,精錬された多くの金よりもさらに願わしいものであり,蜜,それも蜜ばちの巣から流れる蜜よりもなお甘い」ものです。(詩編 19:7-10)この歓喜に満ちた主題は,魂を鼓舞する美しさを示しながら,詩編 119編全体を通し別の詩編作者により拡張され,繰り返されています。日ごとに神の言葉を研究し,その賢明な助言に従う時,わたしたちはエホバにいつも次のように言うことができますように。「あなたのみ言葉はわたしの足のともしび,わたしの通り道の光です。あなたの諭しはくすしいものです。それゆえに,わたしの魂はそれを守り行ないました」― 詩編 119:105,129。
8 わたしたちはソロモンのどんな言葉を自分のものとすべきですか。
8 ダビデの子ソロモンも,忠実を保っていた間は,神の言葉に従って生活しました。ソロモンの述べたことの中にも,認識を示す感動的な言葉を見いだすことができます。わたしたちがその認識を自分のものにするのは賢明なことです。日ごとに聖書を読み,それを適用することによって,わたしたちはソロモンの言葉の深い意味を十分に理解するようになります。「知恵を見いだした人,識別力を得る人は幸いだ。長い日々がその右の手にあり,その左の手には富と栄光がある。その道は快い道,その通り道はみな平安である。それはこれをとらえる者たちには命の木であり,これをしっかりととらえている者たちは幸いな者と呼ばれる」。(箴言 3:13,16-18)日ごとに神の言葉を研究し,み言葉に従順に従うなら,わたしたちは今,最大の幸福を得ると共に,「長い日々」,すなわちエホバの新しい世における永遠の命の保証を受けることができるのです。
9 エレミヤの模範からどんな励ましが得られますか。
9 霊感を受けた聖書を愛し,それに従った人々の中で見過ごしてならないのは,神の忠実な預言者たちです。例えば,エレミヤは非常に難しい割り当てを受けました。(エレミヤ 6:28)彼が,「エホバの言葉はわたしにとって一日じゅう,そしりとあざけりのもと」となった,と言っているとおりです。しかし,エレミヤは神の言葉を研究することによって大いに強められました。事実,彼は霊感を受けた聖書の四つの書,列王記第一と第二,エレミヤ書と哀歌を書くのに用いられました。エレミヤが失望に打ちのめされそうになり,「エホバの言葉」をもう宣べ伝えまいと考えた時,どんなことが起きたでしょうか。エレミヤ自らこう答えています。「それはわたしの心の中にあって,わたしの骨の中に閉じ込められた燃える火のようになりました。わたしは抑えるのに疲れ,それに耐えることができませんでした」。彼はエホバの言葉を語らざるを得なかったのです。そして,エホバの言葉を語る時,彼はエホバが自分と共にいてくださり,「力ある恐るべき者のように」なってくださることを知りました。わたしたちが神の言葉を絶えず研究し,それがエレミヤの場合と同様に,本当にわたしたちの一部となるなら,何ものにも征服されることのないエホバの力が同じようにわたしたちと共にあることでしょう。そしてわたしたちは,神の輝かしい王国の目的について語り続けることを阻もうとするどんな障害をも克服することができるのです。―エレミヤ 20:8,9,11。
10 聖書はイエスの生涯においてどんな役割を果たしましたか。イエスはご自分の弟子たちのためにどんなことを祈られましたか。
10 では,わたしたちの最大の模範,「わたしたちの信仰の主要な代理者また完成者であるイエス」についてはどうですか。イエスは自分より前の時代にいたすべての預言者や他の忠実な人たちのように,霊感を受けた聖書に通じておられましたか。その通りです。イエスが多くの聖句を引用されたこと,またその生涯の歩みが聖書と調和していたことは,その点を明確に示しています。この地上でみ父のご意志を行なうためにご自身を差し出した時,イエスは神の言葉を思いに留めておられました。「ここにわたしは参りました。書の巻き物にわたしについて書いてあります。わたしの神よ,あなたのご意志を行なうことをわたしは喜びとしました。あなたの律法はわたしの内なる所にあります」。(ヘブライ 12:2。詩編 40:7,8。ヘブライ 10:5-7)このように,エホバがイエスを神聖なものとするに際し,すなわちイエスをその奉仕のために別にするに際し,神の言葉は重要な役割を果たしました。イエスは自分の追随者たちが同様に神聖なものとされるよう祈られました。「真理によって彼らを神聖なものとしてください。あなたのみ言葉は真理です。あなたがわたしを世にお遣わしになったと同じように,わたしも彼らを世に遣わしました。そして,わたしは彼らのために自分を神聖なものとしています。彼らもまた真理によって神聖なものとされるためです」― ヨハネ 17:17-19。
11 (イ)神の言葉に関して,ペテロは油そそがれたクリスチャンに対して何を強調しましたか。(ロ)大群衆にとっても聖書の研究が重要であるのはなぜですか。
11 イエスの足跡に従う,霊によって生み出され,油そそがれた追随者たちは,「真理によって」神聖なものとされたのですから,本当にイエスの弟子であり続けるためには,『彼の言葉のうちにとどまら』なければなりません。(ヨハネ 8:31)したがって,ペテロは「信仰を得ている人々」に書き送った時,神の言葉を絶えず研究し,それに注意を払う必要性を強調しました。「このようなわけで,わたしはこれらのことをあなた方に思い出させたいという気持ちを常に抱くことでしょう。もっとも,あなた方はそれを知っており,またあなた方のうちにある真理にしっかり据えられてもいます」。(ペテロ第二 1:1,12)日ごとに神の言葉を読み,研究して,絶えず神の諭しに接することは,「大群衆」の一人になりたいと望むすべての人にとっても重要です。ヨハネは,イスラエルの子らのすべての部族の中から証印を押された14万4,000人について述べた後に,幻でこの「大群衆」を見ました。真理の命の水を取り入れつづけない限り,この大群衆はどうして理知的に,『「救いは,み座に座っておられるわたしたちの神と,子羊とによります」と,大声で叫びつづける』ことができるでしょうか。―啓示 7:9,10; 22:17。
12 なぜ神の言葉を絶えず思い巡らさなければなりませんか。
12 これよりほかに道はありません。霊感を受けた聖書から最大の益を受ける道,永遠の命に至る救いを見いだす道は,生涯,毎日この聖書を研究し,それに従って生活することです。わたしたちは,詩編作者が言い表わしているのと同じ,祈りのこもった認識を抱いて,神の言葉を絶えず思い巡らさなければなりません。「わたしはヤハの行なわれたことを思い出し,昔のあなたの驚嘆すべき行ないを思い出します。そして,あなたのすべての働きを確かに思い巡らし」ます。(詩編 77:11,12)エホバの『驚嘆すべき行ないや働き』を思い巡らすことによって,わたしたちはまた,永遠の命を目指して,立派な業に活発に携わるように鼓舞されます。『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』と題するこの本の目的は,神のみ言葉を絶えず研究し,適用することから得られる,満足のゆく,とこしえの益に,義を愛する人すべてがあずかるよう励ますことです。
「危機の時代」
13 わたしたちはどんな「危機の時代」に住んでいますか。
13 現代は人類史上最も危機的な時代です。この時代は恐ろしい危険をはらんでいます。事実,人類の生存そのものが危険にさらされている時代だと言わねばなりません。ですから,使徒パウロの次の言葉は極めて時宜にかなったものです。「しかし,このことを知っておきなさい。すなわち,終わりの日には,対処しにくい危機の時代が来ます。というのは,人々は自分を愛する者,金を愛する者,うぬぼれる者,ごう慢な者,冒とくする者,親に不従順な者,感謝しない者,忠節でない者,自然の情愛を持たない者,容易に合意しない者,中傷する者,自制心のない者,粗暴な者,善良さを愛さない者,裏切る者,片意地な者,誇りのために思い上がる者,神を愛するより快楽を愛する者,敬虔な専心という形を取りながらその力において実質のない者となるからです。こうした人々からは離れなさい」― テモテ第二 3:1-5。
14 現代の状況を考慮する時,わたしたちはパウロのどんな助言に注意を払うべきですか。
14 なぜこうした人々から離れなければならないのでしょうか。なぜなら,そのような人々の不敬虔な道は間もなく終わりを迎え,彼らは滅びるからです。しかしわたしたちは,心の正直な人たちすべてと共に,霊感を受けた聖書の健全な教えに頼り,聖書をわたしたちの日々の生活の基にしたいと思います。わたしたちは,若いテモテにあてたパウロの次の言葉に注意を払います。「しかしあなたは,自分が学びまた確信した事柄に引き続きとどまっていなさい」。(テモテ第二 3:14)そうです,パウロはそれらの事柄に「引き続きとどまっていなさい」と述べています。そうするには,謙遜な態度で聖書によって教えられ,戒められ,物事を正され,義にそって訓育されなければなりません。エホバはわたしたちが何を必要としているかをご存じです。エホバのお考えはわたしたちの考えよりもはるかに高いものです。エホバはご自分が霊感を与えて書き記させた聖書によって,わたしたちに益となる事柄を告げてくださるのです。それは,エホバのみ名と王国の証しをする良い業のために,わたしたちが十分な能力を備え,全く整えられた者となるためです。パウロは,「終わりの日に」来る危機の時代に関する説明の中で,次の際立った助言を与えています。「聖書全体は神の霊感を受けたもので,教え,戒め,物事を正し,義にそって訓育するのに有益です。それは,神の人が十分な能力を備え,あらゆる良い業に対して全く整えられた者となるためです」。わたしたちすべてが,この霊感を受けた助言に注意を払うことにより,この「危機の時代」を生き残れますように。―テモテ第二 3:16,17。イザヤ 55:8-11。
15 (イ)不従順はどんな結果をもたらしましたか。(ロ)キリストの従順によってどんな輝かしい機会が開かれましたか。
15 霊感を受けた聖書に対する従順,それがわたしたちの目標となるべきです。エホバの言葉と命令に対する不従順によって,最初の人間は罪と死に陥りました。『こうして死がすべての人に広がりました』。そのために,人はエデンの楽園<パラダイス>の中で自分のものとなっていたであろう特権を失ったのです。それは,「まさに命の木からも実を取って食べ,定めのない時まで生きる」という特権でした。(ローマ 5:12。創世記 2:17; 3:6,22-24)しかし,キリストの従順によって,またこの「神の子羊」の犠牲に基づいて,エホバは,人類の中から従順のうちにご自分に献身する者たちすべての益のために,「水晶のように澄みきった,命の水の川」が流れるようにしてくださいます。使徒ヨハネが幻で見たとおりです。「川のこちら側と向こう側には,月ごとに実を生じ,実を十二回生み出す,命の木があった。そして,その木の葉は諸国民をいやすためのものであった」。―ヨハネ 1:29。啓示 22:1,2。ローマ 5:18,19。
16 霊感を受けた聖書は永続するどんな益をもたらしますか。
16 永遠の命に至る道が人類の前に再び開かれています。それゆえ,霊感を受けた次の聖句に注意を払う人は幸いです。『あなたは命を選び,あなたもあなたの子孫も共に生きつづけるようにしなければならない。すなわち,あなたの神エホバを愛し,その声に聴き従い,これに堅く付くのである。神はあなたの命,あなたの長い日々なのである』。(申命記 30:19,20)わたしたちの主イエス・キリストの神また父なるエホバがほめたたえられますように。エホバはみ子の犠牲を通し,またご自分の永遠の王国によって,命のためのこのすばらしい備えをしておられます。わたしたちはこれらの貴重な真理を繰り返し読み,繰り返し研究し,そして思い巡らすことができるのですから,わたしたちの喜びと感謝の念は何と大きなものでしょう。本当に,『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益で』あり,天,あるいは楽園となる地上のどちらかで,とこしえの命を人々に得させるものなのです。(ヨハネ 17:3。エフェソス 1:9-11)次いで,すべてのものが『エホバにとって神聖なもの』となります。―ゼカリヤ 14:20。啓示 4:8。
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聖書の1番目の書 ― 創世記『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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聖書の1番目の書 ― 創世記
筆者: モーセ
書かれた場所: 荒野
書き終えられた年代: 西暦前1513年
扱われている期間: 「初めに」から西暦前1657年まで
1 創世記の中で扱われる肝要な論題の中にはどんなものがありますか。
わずか50章の小さな本を手に取り,初めの一,二ページの中に,人間の最古の歴史に関する唯一の正確な記述や,創造者である神,また無数の被造物を持つ地球に対する人間の関係を明らかにする記録を見いだすことについて考えてみてください。その数ページの中から,地上に人間を置いた神の目的に対する深い洞察を得ることもできるのです。さらに少し読み進むと,あなたは,人間がなぜ死ぬのかについて,また人間の現在の困惑した状態の理由について知り,啓発されて信仰と希望の真の基礎を見つけ,救いのための神の器は何か,すなわち,それが約束の胤であることをも明確に知ることになるでしょう。これらすべてのことを含む目ざましい書,それは,聖書の66冊の書の最初である創世記です。
2 創世記という名にはどういう意味がありますか。これはどんなものの最初の部分ですか。
2 「創世記<ジェネシス>」には「起源,誕生」という意味があり,この名は,その書のギリシャ語セプトゥアギンタ訳から取られています。ヘブライ語写本における題は,その書の冒頭の言葉と同じで,「ベレーシート」(「初めに」。ギリシャ語,エン アルケー)です。創世記は五書<ペンタチューク>(「五巻」もしくは「五重の巻き物」という意味の英語化したギリシャ語)のうちの最初の書です。これは明らかに当初「トーラー」(律法)もしくは「モーセの律法の書」と呼ばれる1冊の書でしたが,取り扱いの便のために,後に五つの巻き物に分けられたものです。―ヨシュア 23:6。エズラ 6:18。
3 (イ)創世記の著者はだれですか。しかし,だれがそれを記しましたか。(ロ)モーセは,どのようにして創世記の情報を手に入れることができたのでしょうか。
3 エホバ神は聖書の著者ですが,モーセに霊感を与えて創世記の執筆を行なわせました。モーセは,創世記に記録する情報をどこから入手したのでしょうか。神から直接に啓示されたものもあれば,聖霊の導きのもとに口頭で伝えられたものもあったことでしょう。また,人類の起源に関する価値ある貴重な記録として父祖たちの時代から保存されてきた記録文書をモーセが所有していた可能性もあります。a
4 (イ)モーセはいつ,どこでその筆記を終えましたか。(ロ)モーセは創世記の最後の部分に取り入れた資料をどこから得たと考えられますか。
4 モーセが霊感のもとにその筆記を終えたのは西暦前1513年,シナイの荒野でのことであったと思われます。(テモテ第二 3:16。ヨハネ 5:39,46,47)モーセは創世記の最後の部分のための情報をどこから手に入れたのでしょうか。モーセの曾祖父レビはヨセフの異母兄弟でしたから,その当時の詳細な事柄はその一族の間では正確に知り得たことでしょう。レビの生涯は時間的にモーセの父アムラムの生涯と一部重なっていたことも考えられます。さらに,エホバの霊はここでも,聖書のこの部分の記録が正確に行なわれるように見届けたことでしょう。―出エジプト記 6:16,18,20。民数記 26:59。
5 モーセがその筆者であることを聖書のどんな内面的証拠が示していますか。
5 だれが創世記を書いたかについて疑問の余地はありません。創世記をその一つとする聖書の最初の五つの書に関しては,「モーセの律法の書」,その他類似の呼び方が,モーセの後継者ヨシュアの時以後しばしば繰り返されています。事実,以後の聖書の各書のうちその27冊の中で,モーセに対する言及はおよそ200回もなされています。モーセがその筆者であることは,ユダヤ人の間で一度も疑われたことがありません。クリスチャン・ギリシャ語聖書は,モーセが「律法」の筆者であることを幾度も述べており,その冠たるものはイエス・キリストの証言です。モーセはエホバの直接の命令により,神の霊感のもとに書いたのです。―出エジプト記 17:14; 34:27。ヨシュア 8:31。ダニエル 9:13。ルカ 24:27,44。
6 文字を書くことが人類史の初期に始まったことを何が示していますか。
6 ある懐疑的な人々はこう尋ねました。だが,モーセやその先人たちはどうやって字を書くことができたのか。文字を書くということは後代の人間が発達させたことではないのか。文字を書くことは人類史の初期に始まったに違いありません。恐らくそれは,西暦前2370年のノアの日の大洪水よりも前のことでしょう。人間が早い時期から筆記の能力を有していたどんな証拠がありますか。考古学者たちが自分たちの発掘した幾つかの粘土板の年代を西暦前2370年より前と定めているのは事実ですが,そのような年代はただの推測にすぎません。一方,注目すべき点として,聖書は,都市の建設,楽器の発達,および金属製の道具の鍛造が大洪水のはるか昔に始まったことをはっきり示しています。(創世記 4:17,21,22)ですから,文字を書く方法を人間が難なく発達させていたであろうと考えるのは道理に合わないことではありません。
7 聖書に記述されている,世界的な大洪水と人類の三つの支族に関してどんな一般の証拠がありますか。
7 創世記は,他の多くの点でも,明らかにされた事実と驚くほど一致していることが実証されています。大洪水,そして(多くの場合,船で保護されることによって)人類がその洪水を生き延びた話は,人間家族の多くの支族の伝説の中に見いだされますが,洪水とその生存者たちに関して事実に基づく真の記述を保持しているのは創世記だけです。創世記の記述はまた,ノアの3人の息子,セム,ハム,ヤペテから派生した人類のそれぞれの支族の居住の始まりがどこであったかをも示しています。b アメリカ,ミズーリ州,クセニア神学校のメルビン・G・カイル博士はこう述べています。「メソポタミアのどこか中心の場所から,ハムの支族は南西へ,ヤペテの支族は北西へ,セムの支族は『東方へ』,『シナルの地に』向けて移住したことは議論の余地のないところである」。c
8 創世記の信ぴょう性を他のどんな種類の証拠が証ししていますか。
8 神による記録の一部としての創世記の信ぴょう性は,その内面的な調和,また霊感を受けた聖書の他の部分と完全に一致していることによっても示されています。そこに示される率直さは,その筆者がエホバを恐れ,真理を愛した人であったことを示しています。またその筆者は,イスラエル国民の罪についても,その中心的な人々の罪についてもためらわずに書いています。とりわけ,この章の終わりにも示した点ですが,その預言の成就に見られる不動の正確さは,創世記がエホバ神の霊感による書物の際立った例であることをはっきり示しています。―創世記 9:20-23; 37:18-35。ガラテア 3:8,16。
創世記の内容
9 (イ)創世記の冒頭の章の中では神による創造に関してどんなことが語られていますか。(ロ)第2章は人間に関してどんな詳細を加えていますか。
9 天と地の創造,および人間の居住のための地球の準備(1:1-2:25)。創世記の冒頭は,明らかに幾十億年もの過去にさかのぼり,「初めに神は天と地を創造された」という簡潔で印象的な言葉をもって始まっています。意義深くも,この冒頭の一文は,神が創造者であり,天と地が神の物質的創造物であることを明らかにしています。第1章は,よく選ばれた荘厳な言葉で,地球に関する創造のみ業について全体的な記述をその後に続けています。それは日と呼ばれる6区切りの期間をかけて行なわれます。各期間は夕方に始まっています。その際,その期間に行なわれる創造の業はまだはっきりしていないからです。そして各期間は,朝の明るさのうちに終わります。その時,創造のみ業の栄光ははっきり示されているからです。それらの「日」が相次いで進行し,光,大気の大空,乾いた陸地と草木,昼と夜とを分ける光体,魚と鳥類,陸上動物,そして最後に人間が出現してゆきます。ここで神は,生物の種類を支配するご自分の法則を明らかにされます。越えることのできない障壁が設けられ,一つの種類が別の種類へと進化することは不可能なのです。人間をご自身の像にかたどって造られた神は,人間と地球に対するご自分の三重の目的を発表されます。すなわちそれは,地を義にかなった子孫で満たすこと,地を従わせること,創造物としての動物を服従させることです。第七「日」はエホバによって祝福され,神聖なものと宣言されます。エホバは今,『ご自分の行なわれたすべての業を休まれ』ます。続く部分は,人間に関する神の創造のみ業を,さらに接近して,あるいは拡大して見たようなかたちで記述しています。それは,エデンの園がどのような所であったか,それがどこにあったかを描写し,禁じられた木に関する神の律法について,またアダムが動物に名を付けたことについて語り,アダム自身の体を元にしてひとりの妻を形造り,それをアダムのところに連れて来ることによって,エホバが最初の結婚を取り決められたことについて記述しています。
10 創世記は罪と死の起源をどのように説明していますか。また,ここでどんな重要な目的が知らされていますか。
10 罪と死が世に入る。救出者として「胤」の到来が予告される(3:1-5:5)。その女は禁じられた実を食べ,夫にも説きつけて自分の反逆に加わらせ,こうしてエデンは不従順によって汚されることになります。神は,ご自分の目的を果たすための手段についてすぐに指摘されます。「それからエホバ神は蛇[反逆の見えない扇動者サタン]に言われた,『……そしてわたしは,お前と女との間,またお前の胤と女の胤との間に敵意を置く。彼はお前の頭を砕き,お前は彼のかかとを砕くであろう』」。(3:14,15)人間はその園から放逐されて,いばらとあざみとの中で,汗を流しながらの労苦と苦痛のうちに生きることになります。そして最後に,人間は死に,自分が取られた元の地面に戻らなければなりません。その子孫だけが約束の胤に対する希望を抱くことができます。
11 罪による破壊はエデンの外でどのように続いてゆきますか。
11 罪による破壊はエデンの外で続きます。人間の子供として最初に生まれたカインは,自分の兄弟であり,エホバの忠実な僕であったアベルの殺害者となります。エホバはカインを「逃亡」の地に追放し,そこで彼は子孫をもうけますが,それは後に大洪水によってぬぐい去られます。またアダムは別の息子セツをもうけ,そのセツはエノシュの父となります。このとき人々はエホバの名を偽善的な態度で呼び求めるようになります。アダムは930歳で死にます。
12 ノアの日に地はどのように損なわれますか。
12 邪悪な人間とみ使いたちは地を損なう。神は大洪水をもたらされる(5:6-11:9)。ここでセツから出た人々の系図が示されます。それらセツの子孫の中で際立っているのはエノクです。エノクは『まことの神と共に歩む』ことによってエホバのみ名を神聖なものとします。(5:22)注目すべき信仰を示した次の人は,エノクのひ孫で,アダムの創造から1,056年後に生まれたノアです。このころ,ある事が起きて,地上の暴虐が増し加わります。神のみ使いたちが天の自分たちの住みかを捨てて,器量の良い人間の娘たちと結婚します。この正当に認められていない夫婦生活は,ネフィリム(「倒す者たち」の意)として知られる,合いの子の人種の巨人たちを生み出します。彼らは,神のためではなく,自らのために名を揚げようとします。そのためエホバは,人類の次第に増し加わる悪のゆえに人間と獣をやがてぬぐい去るということを,ノアに発表します。ただ一人ノアだけがエホバの恵みを得ます。
13 エホバは今,ご自分のみ名をどのように神聖なものとされますか。
13 ノアはセム,ハム,ヤペテの父となります。地上で暴虐と荒廃が続いた時,エホバは,大洪水をもたらすことによってご自分のみ名を神聖にしようとしておられることをノアに示し,生き長らえるための箱船を建造することをノアに命じて,建造のための細かな計画を授けます。ノアはすぐにそれに従い,自分の家族8人を獣や鳥たちと共に集め入れます。そして,ノアの生涯の第600年(西暦前2370年)に洪水が始まります。その豪雨は40日間続き,ついには高い山々までが15キュビト(約6.6㍍)も水に覆われます。1年後,ノアはついに自分の家族を箱船の外に導き出すことができます。彼の最初の行為は,エホバへの感謝のための大きな犠牲をささげることです。
14 エホバは今,何を命じ,どんな契約をされますか。ノアの生涯の終わりごろにどんなことがありますか。
14 エホバは今,ノアとその家族を祝福し,子孫たちで地を満たすようにと命じます。神の布告は肉を食べることを許可しますが,肉の魂すなわち命そのものである血を避けることを要求し,また殺人者の処刑を求めます。もはや地に大洪水をもたらすことはないという神の契約が,天に虹が現われたことによって確認されます。後に,ハムはエホバの預言者ノアに対して不敬な態度を示します。このことを知ったノアは,ハムの子カナンをのろいますが,同時にセムへの祝福を述べて,セムが特別に恵みを受けること,そしてヤペテも祝福を受けるということを示します。ノアは950歳で死にます。
15 人々はどのようにして自分たちの名を大いに揚げようとしますか。エホバはどのようにして彼らの意図をくじかれますか。
15 ノアの3人の息子は,殖え広がるようにという神の命令を遂行し,70の種族を生み出します。これが現在の人類の先祖です。ハムの孫ニムロデはこの中に数えられてはいません。それは明らかに彼が「エホバに敵対する力ある狩人」となったからです。(10:9)彼は一つの王国を建て,幾つもの都市を建設し始めます。この当時,全地には一つの言語しかありませんでした。全地に散って行ってそこに住み,そこを耕作する代わりに,人々は,一つの都市と,その頂が天に達するような塔とを建設し,こうして自分たちの名を大いに揚げられるようにしようと決めます。しかしエホバは,言語を混乱させて彼らを分散させ,こうして彼らの意図をくじかれます。その都市はバベル(「混乱」の意)と呼ばれています。
16 (イ)なぜセムの系図は重要ですか。(ロ)アブラムはどのようないきさつで「エホバの友」と呼ばれるようになりますか。彼はどんな祝福を受けますか。
16 神はアブラハムと交渉を持たれる(11:10-25:26)。セムからテラの息子アブラムに至る重要な系図がたどられ,また年代的な関係が示されています。アブラムは,自分の名を揚げることは求めず,神に信仰を働かせます。彼は神の命令に従ってカルデア人の都市ウルを離れ,75歳の時に,ユーフラテス川を渡ってカナンの地へ向かい,エホバのみ名を呼び求めます。その信仰と従順のゆえに,彼は「エホバの友[愛する者]」と呼ばれるようになり,神は彼との間に契約を立てます。(ヤコブ 2:23。歴代第二 20:7。イザヤ 41:8)アブラムがエジプトにしばらく滞在した時,神は彼とその妻に保護を与えます。再びカナンに戻ってから,アブラムは,自分のおいであり,共なる崇拝者であるロトにその地の最良の部分を選び取らせて,寛大さと平和な態度とを示します。後に彼は,ロトを,これを捕らえた4人の王たちの手から救い出します。次いで,その戦いから帰る際に,アブラムはサレムの王メルキゼデクに会います。メルキゼデクは神の祭司としてアブラムを祝福し,アブラムは彼に什一を払います。
17 神はご自分の契約をどのようにさらに詳しく述べられますか。アブラムの胤に関してどんなことが明らかにされますか。
17 神は後にアブラムに現われて,ご自分がアブラムの盾であることを知らせ,契約の約束をさらに詳しく述べて,アブラムの胤が数の面で天の星のようになることを明らかにされます。アブラムはまた,自分の胤が400年のあいだ苦悩を経験すること,しかし神によって救い出され,苦悩をもたらした国民には裁きが下されることを告げられます。アブラムが85歳になっても,その妻サライには依然として子供がなく,そのためサライは自分のエジプト人のはしためハガルを彼に与えて,アブラムがそれによって子供を持てるようにします。イシュマエルが生まれ,これが相続人ではないかとみなされます。しかし,エホバは別のことを意図しておられます。アブラムが99歳になった時,エホバは彼の名をアブラハムに変え,サライの名をサラと変えます。そして,サラが男の子を産むことを約束します。アブラハムに対して割礼の契約が与えられ,彼は直ちに自分の家の者たちに割礼を受けさせます。
18 ロトの生涯の結びにはどんな注目すべき出来事がありますか。
18 神は次に,その甚だしい罪のゆえにソドムとゴモラを滅ぼすというご自身の決意を,ご自分の友アブラハムに発表されます。エホバのみ使いたちはロトに警告を与えて,妻や二人の娘たちと共にソドムから逃げるのを助けます。しかし,彼の妻はぐずぐずして後ろのものを振り返り,塩の柱となります。子孫を得るために,ロトの娘たちは自分たちの父をぶどう酒で酔わせ,父との性交によって二人の男の子を産みます。それらがモアブとアンモンの国民の父祖となります。
19 アブラハムは胤に関するどんな試みに首尾よくこたえ応じましたか。エホバはご自分の約束を確認してさらにどんなことを明らかにされましたか。
19 神は,フィリスティア人のアビメレクによって汚されることのないようサラを保護します。アブラハムが100歳,サラが約90歳になった時に,約束されていた相続人イサクが生まれます。その約5年後,19歳になったイシュマエルが相続人であるイサクをからかい,そのことが元で,ハガルとイシュマエルは,神の承認のもとに追い出されます。その何年か後に神は,モリヤのある山の上で息子イサクを犠牲としてささげるようにと命じて,アブラハムを試みます。エホバに対するアブラハムの深い信仰は揺るぎません。彼は自分の息子また相続人をささげようとします。その時,エホバはそれをとどめ,代わりの犠牲として一頭の雄羊を備えます。エホバはアブラハムに対するご自分の約束を再度確認し,アブラハムの胤を,天の星のように,海辺の砂粒のように殖やすと言われます。また,その胤が敵の門を手に入れること,地のすべての国民がその胤によって必ず自らを祝福するであろう,ということを示されます。
20 アブラハムはイサクに妻をめとらせるためにどんな配慮を払いますか。イサクはどのようにして唯一の相続人とされますか。
20 サラは127歳で死に,アブラハムがヘトの子らから買い取った畑地に葬られます。次いでアブラハムは自分の家僕の長を遣わして,自分の親族の国にイサクの嫁を求めさせます。エホバはその僕を導いて,ナホルの息子ベトエルの家族のところへ行かせ,リベカが彼と一緒に戻って行く取り決めが設けられます。リベカは自分の家族からの祝福を受けつつ喜んで出かけて行き,イサクの花嫁となります。アブラハムのほうは別の妻ケトラをめとり,このケトラは彼に6人の息子を産みます。しかしアブラハムは,それらには贈り物を与えて去らせ,イサクを自分のただ一人の相続人とします。175歳になってアブラハムは死にます。
21 どのようにしてイサクとリベカは双子の息子を持つに至りますか。
21 エホバの予告どおり,イサクの腹違いの兄弟イシュマエルは,それぞれ長となった12人の息子を基とする強大な国民の頭となります。20年の間リベカはうまずめのままです。しかしイサクはエホバに懇願を続け,ついに彼女はエサウとヤコブの双子を産みます。その二人の子についてエホバは,年上の者が年下の者に仕えるであろうと,あらかじめ彼女に告げておられました。この時イサクは60歳です。
22 エサウとヤコブはアブラハムに対する契約をどのようにみなしますか。それはどんな結果になりましたか。
22 ヤコブと12人の息子(25:27-37:1)。エサウは狩猟を好む人となります。アブラハムに対する契約の価値を認識しなかったエサウは,ある日,猟から帰って来て,ただ一口の煮物と引き換えに自分の長子の権をヤコブに売ります。さらにエサウはヒッタイト人の二人の女と(そして後には一人のイシュマエル人の女と)結婚し,それらの女たちがその両親にとって嘆きの種となります。母の助けのもとに,ヤコブは自分がエサウであるように装って,長子としての祝福を得ようとします。自分が長子の権を売り渡したことをイサクに伝えていなかったエサウは,ヤコブのしたことを知ると,今やヤコブを殺そうと計画します。それでリベカは,自分の兄弟ラバンのいるハランに逃げるようにとヤコブに勧めます。出発の前にイサクはヤコブを再び祝福し,異教徒の中からではなく,自分の母の家の者の中から妻をめとるようにと諭します。ハランに向かう途中のベテルで,彼は夢の中でエホバを見ます。エホバは彼に新たな励みを与え,彼に対して契約した約束を再確認します。
23 (イ)どのようにしてヤコブは12人の息子を持つに至りますか。(ロ)ルベンはどのようにして長子の権を失いますか。
23 ヤコブはハランでラバンのために働き,その二人の娘,レア,そしてラケルと結婚します。この一夫多妻的な結婚はラバンの策略によってヤコブに課されたものでしたが,神はこれを祝福し,その妻たちと,その二人のはしため,ジルパとビルハを通して,ヤコブに12人の息子と一人の娘を与えます。神はヤコブの羊の群れが大いに増加するようにされ,次いで彼に,自分の父祖たちの土地に戻るようにと諭します。ラバンはその跡を追いますが,その二人は,ガルエドまた「物見の塔」(ヘブライ語,ハッミツパー)と呼ばれる場所で契約を結びます。旅を再開したヤコブはみ使いたちから新たな励みを与えられ,夜中に一人のみ使いと組み打ちをし,そのみ使いはついに彼を祝福して,その名をヤコブからイスラエルに変えさせます。ヤコブはエサウとの会見を平和裏に切り抜け,旅を続けてシェケムに向かいます。ここでその娘ディナはヒビ人の長の息子によって犯されます。ディナの兄弟であるシメオンとレビは,シェケムの男たちを殺して復しゅうします。これはヤコブにとって非常に不快なことでした。その地においてエホバの代表者として行動していた彼に悪い名を着せることになったからです。神は,ベテルに行って,そこに祭壇を作るようにと彼に告げます。ベテルからの旅の途中,ラケルはヤコブの12番目の息子ベニヤミンを産む際に死にます。ルベンは,ヤコブの二人の息子の母である,ラケルのはしためビルハを犯します。このために彼は長子の権を失います。そののち間もなくしてイサクは180歳で死に,エサウとヤコブはこれを葬ります。
24 エサウとその家の者たちがセイルの山地に移住するのはなぜですか。
24 エサウとその家の者たちはセイルの山地に移住します。エサウとヤコブの蓄積した富があまりに大きく,彼らが共に住むことはもはやできなかったからです。エサウの子孫と共に首長やエドムの王たちの名が挙げられています。ヤコブは引き続きカナンに住んでいます。
25 どのようないきさつでヨセフはエジプトにおいて奴隷となりますか。
25 命を長らえさせるためにエジプトへ(37:2-50:26)。エホバからの恵み,またエホバがヨセフに見させた幾つかの夢のゆえに,年上の兄弟たちはヨセフを憎むようになります。彼らはヨセフを殺そうと企てますが,そうする代わりに,通りかかったイシュマエル人の商人たちに売り渡します。ヨセフのしま柄の衣をやぎの血に浸した彼らは,それをヤコブに見せて,17歳のその若者は野獣に殺されたのだとします。ヨセフはエジプトに連れて行かれ,ファラオの護衛の長であるポテパルのもとに売られます。
26 ペレツの誕生に関する記述はなぜ大切ですか。
26 38章はしばらくわき道にそれて,タマルにペレツが生まれたいきさつを述べています。タマルは策略によって,自分のしゅうとユダに,その息子が彼女に対して当然持つべきであった結婚関係を持たせます。この記述もまた,約束の胤を生み出すまでの一つ一つの事態の進展を聖書がいかに注意深く記しているかを示しています。ユダの息子ペレツはイエスの先祖の一人となります。―ルカ 3:23,33。
27 ヨセフはどのようにしてエジプトの総理大臣となりますか。
27 一方エホバは,エジプトへ行ったヨセフを祝福し,ヨセフはポテパルの家にあって大いなる者となります。しかし,ポテパルの妻との淫行を拒み,神のみ名にそしりを招くようなことをしなかった時,困難な事態が彼の身に及び,彼は偽りの訴えを受けて獄に入れられます。その獄の中でヨセフはエホバに用いられ,仲間の囚人二人,すなわちファラオの献酌人とパン焼き人の夢を解き明かします。後に,ファラオが夢を見てひどく思い悩んだ時,ヨセフの能力のことがファラオに告げられ,こうしてヨセフは獄の穴の中からすぐにファラオのところに連れて来られます。ヨセフは神に誉れを帰しつつその夢の意味を解き明かして,7年間の豊作と,その後に続く7年の飢きんとについて予言します。ファラオはヨセフの上に「神の霊」の働きのあることを認め,彼を総理大臣に任命して,その事態に対処させます。(創世記 41:38)今や30歳となったヨセフは,賢明に行政を行なって,7年の豊作の間に食糧を蓄えます。次いで,その後に続いた世界的な飢きんの間に,彼はその穀物をエジプトの民に,また食物を求めてエジプトにやって来る他国の民に売ります。
28 どのような出来事のためにヤコブの家族はエジプトに移住しますか。
28 やがてヤコブは穀物を得るために年上の10人の息子をエジプトに送ります。ヨセフは彼らをそれと認めますが,彼らはヨセフに気づきません。ヨセフはシメオンを人質にした上で,穀物を求めて次に旅をして来る時に一番下の弟を連れて来るようにと彼らに要求します。この9人の息子たちがベニヤミンを連れてまたやって来た時,ヨセフは自分の身を明かし,その10人の罪を許していることを言い表わします。そして飢きんの間の安全のためにヤコブを連れてエジプトに移って来るようにと彼らに諭します。こうしてヤコブは自分の子孫66人と共にエジプトに下ります。ファラオはその地の最良の部分,ゴシェンの地を彼らに与えて住ませます。
29 ヤコブは臨終の床で一連のどんな重要な預言をしますか。
29 死が近づいた時,ヤコブはヨセフの息子,エフライムとマナセを祝福します。次いで自分自身の12人の息子たちを呼び寄せて,「末の日に」彼らに起きる事柄について告げます。(49:1)そうして彼は一連の詳細な預言を述べますが,そのすべては以来目ざましい成就を見ています。d その中で彼は,シロ(「それが自分のものである者; それが属する者」の意)すなわち約束された胤が到来する時まで支配の笏がユダの部族にとどまるであろうことを予告します。こうして12部族の頭たちを祝福して,自分を将来約束の地に葬ることに関して命令を与えた後,ヤコブは147歳で死にます。ヨセフは引き続き自分の兄弟たちおよびその家の者たちの世話をし,やがて110歳で自らも死にます。そのさい彼は,神が再びイスラエルを約束の土地に携え入れてくださるとの信仰を言い表わし,自分の骨も約束の地に運んでくれるようにと依頼します。
なぜ有益か
30 (イ)どのように創世記は聖書の他の書を理解するための基礎となりますか。(ロ)創世記はどんな正しい目標をはっきり示していますか。
30 霊感を受けた神の言葉の初めとして,創世記はエホバ神の栄光ある目的を明らかにする上で計り知れない益があります。創世記は聖書の残りの本を理解する上で何とすばらしい基礎となっているのでしょう。その広い視野の中で,創世記はエデンにおける義の世界の始まりと終わり,不敬虔な人々の最初の世界の発展とその災厄的な消滅,そして現在のよこしまな世の興隆について描写しています。創世記は,約束の「胤」の支配する王国によってエホバの正しさが立証されるという,聖書全体の主題を際立った形で提出しています。人がなぜ死ぬかをも示しています。創世記 3章15節以降 ― とりわけ,アブラハム,イサク,ヤコブに対する神のご処置に関する記録の中で ― 創世記は,約束の胤の王国のもとに到来する新しい世での命の希望を差し伸べています。創世記は,忠節を守り,エホバのみ名を神聖にする者となるようにという,人間すべての正しい目標を明らかにしている点で有益です。―ローマ 5:12,18。ヘブライ 11:3-22,39,40; 12:1。マタイ 22:31,32。
31 次のページに掲げた表を利用して,創世記に,(イ)意義ある預言,(ロ)価値ある原則が含まれていることを示しなさい。
31 クリスチャン・ギリシャ語聖書は,創世記に記されている主立った出来事と人物のすべてに言及しています。さらに,聖書全体にわたって示されている点ですが,創世記に記された預言はまがうことのない成就を見ました。その一つ,アブラハムの胤が「四百年」のあいだ苦しめられるということは,イシュマエルがイサクをあざ笑った西暦前1913年に始まり,西暦前1513年のエジプトからの救出によって終わりました。e (創世記 15:13)他の意義ある預言とその成就の例はここに掲げた表の中に示してあります。また,信仰と理解を深める上で計り知れない益となるのは,創世記の中で最初に述べられた神の数々の原則です。古代の預言者たちも,またイエスやその弟子たちも,繰り返し創世記の章句に言及し,それを適用しました。わたしたちもその手本に倣うのがよいでしょう。そして,ここにある表を調べてみることは,その点で助けとなるはずです。
32 創世記は,結婚,系図,時の計算に関してどんな重要な情報を含んでいますか。
32 創世記は,結婚に関する神のご意志と目的,夫と妻の正しい関係,頭の権や家族の訓練の原則などを非常にはっきりと示しています。イエスご自身そこに述べられている事柄をよりどころとし,次の一つの陳述の中に,創世記の1章と2章の両方から引用しています。「あなた方は読まなかったのですか。人を創造された方は,これを初めから男性と女性に造り,『このゆえに,人は父と母を離れて自分の妻に堅く付き,二人は一体となる』と言われたのです」。(マタイ 19:4,5。創世記 1:27; 2:24)創世記の記録は,人間家族の系図を示し,人間がこの地上に生存するようになって以来の時の長さを計算する上で欠くことのできない資料となっています。―創世記 5,7,10,11章。
33 族長社会の原則や習慣で,聖書を理解するために肝要なものを幾つか挙げなさい。
33 また,創世記が提供する,族長社会に関する細かな情報は,聖書の研究者にとって大きな益となります。族長社会では共同体形式の家族統治が行なわれ,それはノアの時代からシナイ山で律法が与えられた時まで,神の民の間で保たれました。律法契約の中に取り入れられた細かな事項の中には,族長社会で既に実践されていた事柄が多くありました。共同体の功績(18:32),共同体の責任(19:15),血と命の神聖さ(9:4-6),また人間に栄光を付すことに対する神の憎しみ(11:4-8)などの原則は,歴史全体を通じて人類に作用してきました。多くの法律上の習慣や用語は,イエスの時代に至るまで後の数々の出来事に光を投じます。人や資産の管理に対する族長社会の律法(創世記 31:38,39; 37:29-33。ヨハネ 10:11,15; 17:12; 18:9),資産の譲渡の方法(創世記 23:3-18),長子としての権利を受けた者の相続財産に関する律法(48:22)― 聖書をはっきり理解するために必要な背景に通じようとするなら,わたしたちは,これらの点を知らなければなりません。族長社会の他の習慣で,律法の中に取り入れられたものとしては,犠牲,割礼(アブラハムに最初に与えられた),契約の締結,義兄弟結婚(38:8,11,26),物事の確かさを示すために誓いを立てることなどがあります。―22:16; 24:3。f
34 創世記の研究から,クリスチャンにも価値のあるどんな教訓を学ぶことができますか。
34 聖書の巻頭の書である創世記は,忠誠,信仰,忠実さ,従順さ,敬意,礼儀,勇気などに関して多くの教訓を含んでいます。その例を幾つか挙げましょう。暴力的な敵に面しながらもエノクが神と歩みつつ示した信仰と勇気。ノアの義,とがのないこと,そして絶対的従順。アブラハムの信仰と決意と忍耐,家族の頭また子供たちに対する神の命令の教え手としてのその責任感,またその寛大さと愛。頭である夫に対するサラの柔順さ,またその勤勉さ。ヤコブの温和な気質,また神の約束に関する関心の深さ。父に対するヨセフの従順さ,またその道徳的廉直さと,その勇気,獄の中での善良な行動,上位の権威者に対する敬意,神に栄光を帰す点でのその謙遜さ,自分の兄弟たちを進んで許すその憐れみ。そして,これらすべての人々が抱いた,エホバのみ名を神聖なものとしようとする燃えるような願いなどです。創世記が扱う長い期間,すなわちアダムの創造からヨセフの死に至る2,369年の間に神と共に歩んだ人々の生き方の中で際立っているのは,これらの模範的な特質です。
35 創世記は信仰を築かせつつ,どんなものにわたしたちの目を向けさせますか。
35 確かに,創世記の記述は信仰を築き上げるのに有益です。信仰のこのような立派な実例を数多く示しているからです。それは,神が建設し,創造される都市,すなわちエホバの大いなるみ名を神聖なものとする点で主要な働きをする約束の胤を通してずっと以前から用意されてきた神の王国政府をとらえようとする,あの試みられた特質としての信仰です。―ヘブライ 11:8,10,16。
[脚注]
a 「聖書に対する洞察」(英文),第1巻,919,920ページ; 第2巻,1212ページ。
b 「聖書に対する洞察」(英文),第1巻,328,329ページ。
c 「考古学的発見に照らして見た聖書の歴史」(英文),1934年,D・E・ハートデイビーズ,5ページ。
d 「ものみの塔」,1962年,524-537,552-567,575ページ。
e 「聖書に対する洞察」(英文),第1巻,460,461,776ページ。
f 「ものみの塔」(英文),1952年,432-445ページ。
[18ページの図表]
創世記 ― 霊感を受けたもので,有益です
創世記の聖句 原則 他の筆者による言及
1:27; 2:24 結婚のきずなの神聖さ,永続性 マタイ 19:4,5
2:7 人間は魂である コリント第一 15:45
2:22,23 頭の権 テモテ第一 2:13。
20:3 姦淫は悪である コリント第一 6:9
24:3; 28:1-8 信者とだけ結婚する コリント第一 7:39
成就した預言と預言的な並行記述
12:1-3; 22:15-18 アブラハムの胤はキリスト ガラテア 3:16,29
14:18 メルキゼデクはキリストの予型 ヘブライ 7:13-15
予表的意味 ガラテア 4:21-31
49:1-28 12部族に対するヤコブの祝福 ヨシュア 14:1-21:45
預言者,イエス,弟子たちが例証や実例,また適用を示すのに用いた他の聖句で,
創世記の信ぴょう性をさらに裏付けているもの
1:26 人は神の像に造られた コリント第一 11:7
3:1-6 蛇はエバを欺いた コリント第二 11:3
5:29 ノア エゼキエル 14:14。
12:1-3,7 アブラハム契約 ガラテア 3:15-17
21:9 イシュマエルはイサクを嘲弄する ガラテア 4:29
22:10 アブラハムはイサクをささげようとする ヘブライ 11:17
25:23 ヤコブとエサウ ローマ 9:10-13。
25:32-34 エサウは長子の権を売る ヘブライ 12:16,17
41:40 ヨセフは総理大臣になる 詩編 105:20,21
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聖書の2番目の書 ― 出エジプト記『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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聖書の2番目の書 ― 出エジプト記
筆者: モーセ
書かれた場所: 荒野
書き終えられた年代: 西暦前1512年
扱われている期間: 西暦前1657年-1512年
1 (イ)出エジプト記にはどんな特筆すべき点がありますか。(ロ)出エジプト記にはどんな名称が与えられてきましたか。これは何の記述の続きですか。
ご自分のみ名の民をエジプトの苦悩から救い出すためにエホバが行なわれた重要なしるしと奇跡に関する,魂を奮い立たせるような記述,そして神がイスラエルをご自分の特別な所有物,「祭司の王国,聖なる国民」として組織されたこと,さらに,イスラエルの国家組織の歴史の始まり ― これらは聖書の出エジプト記の中の際立った点です。(出エジプト記 19:6)ヘブライ語でこの書は,その冒頭の言葉にしたがって「ウェエーッレ シェモート」,つまり『さてこれらは名である』,あるいは単に「シェモート」(名)と呼ばれています。今日の名称はギリシャ語セプトゥアギンタ訳から来ています。その訳の中ではエクソドスと呼ばれていますが,これがラテン語化されてエクソドゥス(Exodus; 英語,エクソダス)となりました。これは「出て行く」または「出発」という意味です。出エジプト記が創世記の記述の続きであることは,その冒頭にある「さて」(字義的には,「そして」)という言葉によって示されていますし,創世記 46章8節から27節にあるさらに詳しい記録から取った,ヤコブの息子たちの名前が再度挙げられている点にも示されています。
2 出エジプト記はエホバのみ名に関して何を明らかにしていますか。
2 出エジプト記は,神の堂々たるみ名エホバを明示し,その栄光と神聖さの輝きを余すところなく示しています。ご自身のみ名に含まれる意味の深さを示そうとされた際,神はモーセに,「わたしは自分がなるところのものとなる」と言われ,さらに,「わたしはなる[ヘブライ語: אהיה,エフエ,ヘブライ語動詞ハーヤーに由来]という方がわたしをあなた方のもとに遣わされた」とイスラエルに告げるようにと言われました。エホバ(יהוה,YHWH)という名は,「なる」という意味の類縁のヘブライ語動詞ハーワーに由来し,実際には「彼はならせる」という意味があります。確かに,エホバがその時ご自分の民イスラエルのために行ないはじめておられた強大な恐るべきみ業は,そのみ名を大いなるものとし,それに輝かしい栄光を付し,それを「代々にわたる」記念,とこしえにわたって尊崇されるべき名としました。このみ名をめぐるすばらしい歴史を知り,「わたしはエホバである」と宣言される唯一まことの神を崇拝できるということは,あらゆることの中で最も有益な事柄です。a ―出エジプト記 3:14,15; 6:6。
3 (イ)どうしてモーセが出エジプト記の筆者であると言えますか。(ロ)出エジプト記はいつ書かれましたか。それはどの期間のことを扱っていますか。
3 五書<ペンタチューク>の第2巻であることにも示されるとおり,出エジプト記の筆者はモーセです。このモーセがエホバの指示を受けて文書を記録したということを,この書そのものが3度明記しています。(17:14; 24:4; 34:27)聖書学者ウェストコットとホートによると,イエスやクリスチャン・ギリシャ語聖書の筆者たちは,100回以上も出エジプト記から引用したり,それに言及したりしています。例えばイエスは,「モーセがあなた方に律法を与えたのではありませんでしたか」と言われました。出エジプト記は,シナイの荒野で,西暦前1512年,イスラエルの子らがエジプトを出てから1年後に書かれました。それは,西暦前1657年のヨセフの死から,エホバの崇拝のための幕屋が設立された西暦前1512年に至る,145年間のことを扱っています。―ヨハネ 7:19。出エジプト記 1:6; 40:17。
4,5 どんな考古学的証拠が出エジプト記の記述を支持していますか。
4 出エジプト記の出来事がおよそ3,500年前に起きたという点を考えるとき,その記述の正確さを証しする考古学その他の外的証拠の多さにはむしろ驚かされます。出エジプト記の中でエジプト人の名前は正しく使用され,そこに出てくる称号はエジプトの色々な碑文と一致しています。考古学は,異国人をエジプトに住ませても接触を持たないことがエジプト人の習慣であったことを示しています。ナイルの水は水浴に用いられましたが,これはファラオの娘がそこで水浴したことを思い起こさせます。わらを入れたものや入れないものなど,れんがも発見されています。また,エジプトの全盛時代には魔術師たちが顕著な活動をしていました。―出エジプト記 8:22; 2:5; 5:6,7,18; 7:11。
5 色々な碑文は,ファラオが自ら自分の戦車隊を戦場に率いたことを示していますが,出エジプト記は,モーセ時代のファラオがこの習慣に従っていたことを示しています。彼の屈辱は何と大きかったことでしょう。しかし,イスラエル人がエジプトの土地に滞在したこと,またエジプトに災いが下ったことについて,古代エジプトの記録が少しも言及していないのはなぜでしょうか。考古学は,以前の記録のうち何でも不都合な部分を消し去ることがエジプトの新しい王朝の習慣であったことを示しています。彼らが自分たちの屈辱的な敗北について記録することは決してありませんでした。ナイルの神,かえるの神,太陽の神など,エジプトの神々に対する打撃,それはこれら偽りの神々の名誉を汚し,エホバの至上性を示すものでしたから,誇り高い国民の年代記に書き記すにはふさわしくなかったことでしょう。―14:7-10; 15:4。b
6 イスラエル人が早い時期に宿営を張った場所は一般にどんな場所と同定されていますか。
6 モーセはエテロのもとで羊飼いとして40年間仕えたことによって,その地域の生活条件や水と食糧の在りかによく通じ,こうして出エジプトの指導者としての資格を十分に身に着けました。今日,出エジプトの正確な道筋を確実にたどることはできません。その記述の中で言及されている様々な場所を,明確に突き止めることはできないからです。それでも,シナイ半島における旅程の早い時期に宿営が張られた場所の一つであるマラは,通常,今日のスエズの南南東約80㌔にあるアイン・ハワーラと同定されています。次に宿営が張られたエリムは,伝承では,スエズの南南東約88㌔のワディ・ガランデルを指すものとされています。興味深いことに,この場所は現在,草木,とりわけやしのある水場として知られていますが,これは聖書の述べるエリムに「十二の水の泉と七十本のやしの木」があったことを思い起こさせます。c しかし,モーセの記述の信ぴょう性は,道中の様々な場所が考古学者によって確証されることに依存しているわけではありません。―15:23,27。
7 幕屋の造営に関することを含め,他のどんな証拠は,出エジプト記が霊感を受けたものであることを確証していますか。
7 シナイの前に広がる平原での幕屋の造営に関する記述は,その地域の事情と合致しています。一人の学者はこう述べました。「形状の点でも構造や材料の点でも,その幕屋はまさしく荒野のものである。その骨組みに用いられた木材はその地域で豊富に見いだされる」。d 呼び名,習俗,宗教,場所,地理や素材など,いずれの分野でも,積み重なる外的証拠は,今や3,500年も昔の出エジプト記の霊感による記述の正しさを確証しています。
8 出エジプト記は霊感を受けた有益なものとして,聖書の他の部分とどのように関連し合っていますか。
8 後代の聖書筆者たちは終始出エジプト記を参照して,その預言的な意義と価値とを示しています。900年以上後のエレミヤは,「その名を万軍のエホバ」という「まことの神,大いなる方,力ある方」について書き,その方が「しるしと,奇跡と,強いみ手と,伸ばされた腕と,大いなる恐ろしさとをもって」ご自分の民イスラエルをエジプトから携え出された,と述べました。(エレミヤ 32:18-21)1,500年以上後,ステファノは,彼の殉教に導いたあの感動的な証言の多くを,出エジプト記からの情報に基づいて行ないました。(使徒 7:17-44)ヘブライ 11章23節から29節では,モーセの生涯がわたしたちに対する信仰の手本として取り上げられています。パウロはさらに,今日のわたしたちのために実例を挙げたり警告を述べたりする際に,しばしば出エジプト記を引照しています。(使徒 13:17。コリント第一 10:1-4,11,12。コリント第二 3:7-16)このすべては,聖書の各部分がいかに相互に関連し,それぞれの部分が有益な方法でエホバの目的の啓示に参与しているかを理解するのに役立ちます。
出エジプト記の内容
9 モーセはどのような状況下で生まれ,また育てられましたか。
9 エホバはモーセを任命し,ご自分の記念となる名について強調される(1:1-4:31)。エジプトに下って来たイスラエルの子らの名を挙げた後,出エジプト記は次いで,ヨセフの死について記録しています。やがて新しい王がエジプトの上に立ちます。イスラエル人が「殖えつづけ,普通をはるかに超えた勢いで強大になって」ゆくのを見た時,彼は強制労働を含む抑圧的な政策を取り,生まれてくる男の子すべての殺害を命じて,イスラエルの男子の人口を減少させようとします。(1:7)レビの家に属するあるイスラエル人に一人の男の子が生まれたのはこのような状況下でのことでした。その子はその家族で3番目の子供でした。生まれて三月たった時,その母親は彼をパピルスのひつに入れて,ナイル川の岸に近い葦の茂みの中に隠します。彼はファラオの娘に見つけられ,その娘はこの男の子が好きになり,これを自分の養子にします。ほかならぬ彼の母親がその乳母とされ,こうして彼はイスラエル人の家庭で育ちます。後に彼はファラオの宮廷に連れて来られます。彼はモーセと名づけられます。それは,「引き出された[つまり,水から救い出された]」という意味です。―出エジプト記 2:10。使徒 7:17-22。
10 どのような出来事を経てモーセは特別な務めのために任命されることになりましたか。
10 このモーセは自分の同胞であるイスラエル人の福祉に関心を持ちます。彼はイスラエル人を虐待していたあるエジプト人を殺します。そのために彼は逃げなければなりません。こうして彼はミディアンの地へ来ます。その地で彼は,ミディアンの祭司であるエテロの娘チッポラと結婚します。やがてモーセは二人の息子,ゲルショムとエリエゼルの父となります。次いで,80歳の時,それは荒野で40年を過ごした時のことですが,モーセは,エホバのみ名を神聖なものとする特別の奉仕のためにエホバの任命を受けます。ある日,「まことの神の山」ホレブの近くでエテロの羊の群れを牧していた時のことですが,モーセは,いばらの茂みが燃えているのに,それが燃え尽きてしまわないのを目にします。調べようとして近づいた時,エホバのみ使いが彼に語りかけ,ご自分の民である「イスラエルの子らをエジプトから導き出す」という神の目的について彼に知らせます。(出エジプト記 3:1,10)モーセは,イスラエルをエジプトの束縛から解放するエホバの器として用いられることになります。―使徒 7:23-35。
11 エホバは今やどんな特別な意味でご自身のみ名を知らせますか。
11 その時モーセは,その神とはだれかをイスラエルの子らにどのように示したらよいでしょうかと尋ねます。このとき初めて,エホバはご自身の名の真の意味を知らせ,それをご自分の特別の目的と結びつけ,一つの記念として確立されました。「あなたはイスラエルの子らにこう言うように。『わたしはなるという方がわたしをあなた方のもとに遣わされた。……あなた方の父祖の神,アブラハムの神,イサクの神,ヤコブの神エホバがわたしをあなた方のもとに遣わされた』」。そのみ名エホバは,み名の民に関連したご自身の目的をそのとおりに果たす方としてご自分を示すものとなります。アブラハムの子孫であるこの民に,神はその父祖たちに約束された土地,「乳と蜜の流れる地」を与えるのです。―出エジプト記 3:14,15,17。
12 イスラエル人を自由にすることに関してエホバはモーセにどんなことを説明されますか。民はどのようにしるしを受け入れますか。
12 エジプトの王はイスラエル人を自由にしないであろうと,エホバはモーセに説明されます。神はまずご自分のあらゆるくすしいみ業をもってエジプトを打たねばならないのです。モーセの兄弟アロンが代弁者としてモーセに与えられます。そしてこの二人は,三つのしるしを与えられます。それは,その二人がエホバの名において来たことを,イスラエル人に得心させるために行なうものです。エジプトに向かう途中,家族の中から死者が出ないようにするために,モーセの息子は割礼を受けなければなりません。こうしてモーセは神のご要求を銘記します。(創世記 17:14)モーセとアロンはイスラエルの子らの年長者たちを集めて,民をエジプトから携え出して約束の地に連れて行くという,エホバの目的について知らせます。二人はしるしを行ない,民は彼らを信じます。
13 モーセとファラオとの1回目の会見はどのような結果になりますか。
13 エジプトに加えられた打撃(5:1-10:29)。次いでモーセとアロンはファラオのもとに行き,イスラエルの神エホバが,『わたしの民を去らせるように』と言われたことを知らせます。高慢なファラオは嘲笑的な態度で答えます,「エホバが何者だというので,わたしはその声に従ってイスラエルを去らせなければいけないのか。わたしはエホバなど知らない。まして,イスラエルを去らせるようなことはしない」。(5:1,2)イスラエル人を解放するどころか,ファラオは彼らにいっそう厳しい仕事を課します。しかし,エホバは救出に関するご自分の約束を再度語られ,再びそれを,ご自分のみ名を神聖にすることと結びつけられます。「わたしはエホバである。……[わたしは]あなた方に対してまさしく神となる。……わたしはエホバである」― 6:6-8。
14 エジプト人はどのようにして「神の指」を認めさせられますか。
14 モーセがファラオの前で行なったしるし,それはアロンに杖を投げ出させてそれをへびにならせることでしたが,魔術を行なうエジプトの祭司たちもそれをまねして行ないます。彼らのへびはアロンの大へびに呑み込まれてしまいますが,それでもファラオの心はかたくなになります。次いでエホバは,十度にわたる厳しい打撃をエジプトの上に連続的に加えてゆかれます。初めに,彼らの川ナイルと,エジプトのすべての水は血に変わります。次いでかえるの災厄が彼らに臨みます。これら二つの打撃は魔術を行なう祭司たちもまねますが,三つ目の打撃である,人間や獣を襲うぶよに関しては,それができません。エジプトの祭司たちは,これこそ「神の指」であることを認めざるを得ません。しかしながら,ファラオはイスラエルを去らせようとはしません。―8:19。
15 エジプト人だけに苦しみを与えたのはどの打撃ですか。ただどんな理由のためにエホバはファラオを生き長らえさせておきますか。
15 初めの三つの打撃はエジプト人とイスラエル人の上に等しく加えられましたが,4番目以降は,エジプト人だけがそれによって苦しめられ,イスラエルはエホバの保護を受けて,はっきり区別されます。4番目の打撃はあぶの大群です。次いでエジプトのすべての畜類に疫病が臨み,その後に,人間と獣の,水ぶくれを伴うはれ物が続きます。そのため,魔術を行なう祭司たちさえモーセの前に立つことができません。エホバは再びファラオの心をかたくなにならせ,モーセを通して彼にこう宣言されます。「だが,実際には,この目的のためにあなたを存在させておいた。すなわち,あなたにわたしの力を見させるため,こうしてわたしの名を全地に宣明させるためである」。(9:16)それからモーセは次の打撃についてファラオに知らせます。それは「非常に激しい雹」です。ここで聖書は初めて,ファラオの僕のうちのある者たちがエホバの言葉を恐れて,それに従って行動したことを明記しています。8番目と9番目の打撃 ― いなごの侵入と,陰うつな暗闇 ― がすぐ続いてもたらされます。そのため,がんこなファラオは激怒して,再び自分の顔を見ようとしてやって来るなら殺すであろうとモーセを脅します。―9:18。
16 エホバは過ぎ越しと無酵母パンの祭りに関して何をお命じになりますか。
16 過ぎ越し,初子が打たれる(11:1-13:16)。エホバは今こう宣言されます。「あと一つの災厄をわたしはファラオとエジプトに下す」― それは初子の死です。(11:1)エホバは,アビブの月をイスラエルの暦の最初の月とするように命じます。その月の10日に,彼らは,羊かやぎ ― 1歳で,きずのない雄 ― を取り,その月の14日にそれを殺さなければなりません。その夕方に,彼らはその動物の血を取って,2本の戸柱と戸口の上部にそれを振り掛けるのです。そうして,家の中にとどまって,焼いた動物を食べなければなりません。その動物の骨は,その一本も折ってはなりません。家の中にいっさいパン種があってはなりません。そして,身仕度を整え,行進の準備をして急いで食べるのです。過ぎ越しは一つの記念,代々にわたるエホバへの祭りとなります。その後に,七日にわたる無酵母パンの祭りが続きますが,彼らはそれらすべてのことの意味を自分の息子たちに十分に教え諭さなければなりません。(後に,エホバはこれらの祭りに関してさらに指示を与え,イスラエルに属する男子の初子は,人も獣も皆エホバに対して神聖なものとされるべきことをお命じになります。)
17 どんな出来事のためにこれは記念すべき夜となりますか。
17 イスラエルはエホバから命じられたとおりに行ないます。その後に災いが臨みます! 夜中に,エホバはエジプトのすべての初子を殺し,イスラエルの初子については,これを過ぎ越して救います。「わたしの民の中から出て行け」と,ファラオは叫びます。そして,『エジプト人はこの民を急いで去らせようとしてせき立てるように』なります。(12:31,33)イスラエル人はむなし手で去るのではありません。エジプト人に金銀の品や衣服を請い求めて,それを受け取るのです。彼らは戦闘隊形を整えてエジプトから行進します。強健な男子60万人,それにその家族と非イスラエル人の入り混じった大集団,またおびただしい数の動物です。これが,アブラハムがユーフラテス川を渡ってカナンの地に入った後の430年間の終わりであり,それはまさに記念すべき夜となりました。―出エジプト記 12:40,最初の脚注。ガラテア 3:17。
18 紅海で,クライマックスとなるどんな出来事によってエホバのみ名は神聖なものとされますか。
18 エホバのみ名は紅海で神聖なものとされる(13:17-15:21)。昼は雲の柱により,夜は火の柱によって導きつつ,エホバはスコト経由でイスラエルを導き出されます。再びファラオはかたくなになり,自分のより抜きの戦車をもって跡を追って行き,彼らを紅海のところに押し込めたと考えます。モーセは民を力づけてこう言います。「恐れてはいけない。しっかり立って,エホバの救いを見なさい。それをあなた方のために今日成し遂げてくださるのです」。(14:13)その時,エホバは海を退かせて逃れるための通路を設け,モーセはそこを伝ってイスラエル人を無事に東岸に導きます。ファラオの強大な軍勢は彼らの跡を追って突き進みますが,戻って来た水に巻き込まれておぼれる結果となります。エホバのみ名を神聖なものとする点で何というクライマックスなのでしょう。エホバにあって歓ぶべき何とすばらしい理由なのでしょう。その時の歓びは,聖書に記された最初の勝利の歌の中に言い表わされています。「エホバに向かってわたしは歌う。神はまことに高められたから。馬とその乗り手とを海の中に投げ入れられた。わたしの力,わたしの偉力はヤハ。わたしの救いとなってくださるからだ。……エホバは定めなく,まさに永久に王として支配される」― 15:1,2,18。
19 シナイへの旅の途中でどんな出来事がありますか。
19 エホバはシナイで律法契約を立てられる(15:22-34:35)。イスラエルはエホバに導かれつつ,次々に旅程を進めて,まことの神の山シナイに向かって旅をします。マラの苦い水のことで民がつぶやいた時,エホバは彼らのためにそれを甘くされます。彼らが再び肉とパンの不足のためにつぶやくと,神は夕方にはうずらを,朝には地面に降りた露のような,甘味のあるマナを彼らに与えられます。その後40年の間,このマナがイスラエル人のためのパンとなります。また,歴史上初めてエホバは休みの日すなわち安息日を守るようイスラエル人に命じて,六日目にはいつもの倍の量のマナを拾わせ,七日目にはその供給をとどめられました。また神は,彼らのためにレフィディムで水を出されます。さらに彼らのためにアマレクに対して戦われて,アマレクが完全にぬぐい去られるというご自身の裁きをモーセに記録させます。
20 どのようにして組織の改善が行なわれましたか。
20 その時,モーセのしゅうとエテロは,モーセの妻と二人の息子を連れてやって来ます。イスラエル内の物事をさらによく組織するべき時が来ました。それでエテロは幾らかの実際的な助言を差し伸べます。モーセがすべての荷を自分一人で負うのではなく,有能で神を恐れる人々を任命して,千人,百人,五十人,十人の長として民を裁かせるように,と彼は忠告します。モーセはそのとおりに行なって,以後は難しい事例だけが彼のもとに提出されることになります。
21 エホバは次にどんな約束をされますか。それはどんな条件に基づいていますか。
21 エジプトを出てから三月以内にイスラエルはシナイの荒野に宿営します。ここでエホバはこう約束されます。「それで今,もしわたしの声に固く従い,わたしとの契約をほんとうに守るなら,あなた方はあらゆる民の中にあって必ずわたしの特別な所有物となる。全地はわたしのものだからである。そしてあなた方は,わたしに対して祭司の王国,聖なる国民となる」。民はこう誓約します。「エホバの話されたすべてのことをわたしたちは喜んで行ないます」。(19:5,6,8)イスラエルの聖化の期間の後,エホバは三日目に,山の上に下られ,その山を煙らせ,震動させます。
22 (イ)十の言葉にはどんなおきてが含まれていますか。(ロ)他のどんな司法上の定めがイスラエルの前に示されましたか。その国民はどのようにして律法契約に入りましたか。
22 それからエホバは十の言葉,すなわち十のおきてをお与えになります。それらは,エホバに対する全き専心を強調し,他の神々や像の崇拝を禁じ,エホバのみ名をいたずらに取り上げることを戒めています。イスラエル人は,六日のあいだ務めを行ない,次いでエホバに対して安息日を守ること,そして父と母を敬うことも命じられました。殺人,姦淫,盗み,偽りの証し,貪欲を禁じる律法が加わって,十の言葉となります。次いでエホバは彼らの前に司法上の定めを示してゆかれます。それは,その新しい国民のための指示であり,奴隷,暴行,傷害,補償,盗み,火事による損害,偽りの崇拝,婦女誘拐,やもめや孤児の虐待,貸借,その他多くの事柄にかかわるものです。安息に関する律法が与えられ,またエホバの崇拝のために年ごとの三つの祭りが取り決められます。次いでモーセはエホバの言葉を書き記し,犠牲がささげられ,その血の半分が祭壇の上に振り掛けられます。契約の書は民に対して読み上げられ,進んで従いますという彼らの再度の証言の後に,その血の残りがその書と民の全員の上に振り掛けられます。こうしてエホバは,モーセを仲介者としてイスラエルと律法契約を結ばれます。―ヘブライ 9:19,20。
23 エホバは山でモーセにどんな指示を与えられますか。
23 次いでモーセは山の中,エホバのもとへ上って行って律法を受け取ります。四十日四十夜の間に,モーセは,幕屋の素材,その備品の詳細,幕屋そのものの細かな仕様,祭司の衣のための意匠などに関する多くの指示を与えられました。「神聖さはエホバのもの」と書き込まれて,アロンのターバンに取り付けられる純金の板に関する指示もそこに含まれています。祭司たちの任職と務めも詳述され,モーセは安息日がエホバとイスラエルの子らとの間の「定めのない時に至る」しるしとなることを銘記します。次いでモーセは「神の指」によって書かれた証の書き板2枚を与えられます。―出エジプト記 28:36; 31:17,18。
24 (イ)民はどんな罪を犯しますか。それはどんな結果になりますか。(ロ)エホバは次にご自分の名と栄光をモーセにどのように示されますか。
24 その間に,民は待ちきれなくなって,自分たちの前を進む神を作ってくれるようにとアロンに求めます。アロンはそれに応じて黄金の子牛を形造り,民は彼の言う「エホバへの祭り」を行なってそれを崇拝します。(32:5)エホバはイスラエルを滅ぼし絶やすことについて語られますが,モーセは,燃えるような怒りのうちにその書き板をみじんに砕きつつも,民のために執り成しをします。この時,レビの子らは清い崇拝の側に立場を取って,飲み騒ぎをした者たち3,000人を殺します。加えてエホバは民に災厄を下されます。引き続きご自分の民を導いてくださるようにと神に嘆願した時,モーセは,神の栄光をかいま見ることを許され,エホバが再び十の言葉を書き記すための石の書き板二枚を改めて切り出すように指示されます。モーセが二度目に山の中に上って行くと,エホバは前を過ぎ行きつつエホバのみ名を彼に宣明してゆかれます。「エホバ,エホバ,憐れみと慈しみに富み,怒ることに遅く,愛ある親切と真実とに満ちる神,愛ある親切を幾千代までも保[つ者]」。(34:6,7)それからエホバはご自分の契約の条項を述べられ,モーセはそれを書き留めますが,それは今日わたしたちが出エジプト記の中に見るとおりです。シナイ山から戻って来た時,モーセの顔の皮膚は,表わされたエホバの栄光のために光を放っています。そのため彼は自分の顔にベールを掛けなければなりません。―コリント第二 3:7-11。
25 幕屋およびエホバの栄光のいっそうの顕現に関して記録は何を語っていますか。
25 幕屋の造営(35:1-40:38)。次いでモーセはイスラエルを呼び集めてエホバの言葉を伝え,心から望む者たちは,幕屋のために寄進を行なう特権があり,また心の賢い者たちは,その仕事をする特権があることを告げます。間もなくモーセにこう報告されます。「民は,エホバが行なうようにと命じた仕事のための奉仕に必要な分よりはるかに多く携えて来ています」。(36:5)モーセの指示のもとに,エホバの霊に満たされた働き人たちは,幕屋とその備品を建造し,祭司たちのすべての衣を作ってゆきます。出エジプトの1年後,幕屋は完成し,シナイ山の前の平原に立てられます。エホバは,会見の天幕をご自分の雲で覆い,その幕屋をご自分の栄光で満たして,ご自身の是認を表明されます。そのためにモーセは天幕の中に入ることができません。昼はその同じ雲が,そして夜には火がイスラエルに対するエホバの導きのしるしとなって,彼らの旅の間ずっと続きます。時は西暦前1512年となり,出エジプト記の記録はここで終わっています。イスラエルのためになされたその驚嘆すべきみ業によって,エホバのみ名は栄光をもって神聖なものとされました。
なぜ有益か
26 (イ)出エジプト記はエホバに対する信仰をどのように確立させますか。(ロ)クリスチャン・ギリシャ語聖書の中にある出エジプト記からの引照はわたしたちの信仰をどのように増し加わらせますか。
26 出エジプト記は,エホバが大いなる救出者,組織者であり,またご自身の壮大な目的を果たされる方であることを際立った形で明らかにして,エホバに対するわたしたちの信仰を確立させます。クリスチャン・ギリシャ語聖書は多くの箇所で出エジプト記を引照しており,それを研究すると,わたしたちのこの信仰はさらに増し加わります。それは,律法契約の多くの面の成就を示し,復活の保証を与え,ご自分の民を養うためのエホバの備えと,クリスチャンの行なう救済の業のひな型とを示し,親に配慮を払うべきことを諭し,命を得るための要求を述べ,公正に基づく応報をどのようにみなすべきかを示しているからです。律法は,神と仲間の人間に愛を示すことについての二つの命令に最終的に要約されました。―マタイ 22:32 ― 出エジプト記 4:5。ヨハネ 6:31-35とコリント第二 8:15 ― 出エジプト記 16:4,18。マタイ 15:4とエフェソス 6:2 ― 出エジプト記 20:12。マタイ 5:26,38,39 ― 出エジプト記 21:24。マタイ 22:37-40。
27 出エジプト記の中の歴史的な記録はクリスチャンにとってどんな益となりますか。
27 ヘブライ 11章23節から29節で,わたしたちはモーセとその親たちの信仰について読むことができます。信仰によって彼はエジプトを離れ,信仰によって過ぎ越しを執り行ない,信仰によってイスラエルを導いて紅海を渡りました。イスラエル人はモーセへのバプテスマを受け,霊的な食物を食べ,霊的な飲み物を飲みました。彼らは霊的な岩塊すなわちキリストに期待を置きましたが,それでも神の是認を得ませんでした。彼らは神を試みて偶像を礼拝する者,淫行を行なう者,つぶやく者となったからです。パウロはこれらの点が今日のクリスチャンにも当てはまり得ることを説明しています。「さて,これらの事は例として彼らに降り懸かったのであり,それが書かれたのは,事物の諸体制の終わりに臨んでいるわたしたちに対する警告のためです。それで,立っていると思う人は,倒れることがないように気をつけなさい」。―コリント第一 10:1-12。ヘブライ 3:7-13。
28 影としての律法と過ぎ越しの子羊はどのような成就を見ましたか。
28 出エジプト記に含まれる深い霊的な意義およびその預言的な適用の多くは,パウロが書き記したもの,とりわけヘブライ人への手紙の9章と10章の中で示されています。「律法は来たるべき良い事柄の影を備えてはいても,事の実質そのものを備えてはいないので,年ごとに絶えずささげる同じ犠牲をもって,神に近づく者たちを完全にすることは決してできないのです」。(ヘブライ 10:1)したがってわたしたちは,その影について知り,実体について理解を深めることに関心を持っています。キリストは「罪のために一つの犠牲を永久にささげ」ました。彼は「神の子羊」として描かれています。この「子羊」の骨はその一本も折られることはありませんでした。その予型の場合と同じです。使徒パウロはこう注解しています。「わたしたちの過ぎ越しであるキリストは犠牲にされたのです。ですから,古いパン種や悪と邪悪のパン種を用いず,誠実さと真実さの無酵母パンを用いて祭りを行なおうではありませんか」。―ヘブライ 10:12。ヨハネ 1:29と19:36 ― 出エジプト記 12:46。コリント第一 5:7,8 ― 出エジプト記 23:15。
29 (イ)律法契約と新しい契約の対照点を述べてください。(ロ)霊的なイスラエル人は今どんな犠牲を神にささげますか。
29 イエスは新しい契約の仲介者となりました。モーセが律法契約の仲介者であったのと同様です。これら二つの契約の対照的な点についても,使徒パウロが明確に説明しています。パウロは,『数々の定めから成る手書きの文書』が苦しみの杭の上でのイエスの死によって取りのけられたことについて述べています。大祭司として復活したイエスは,「聖なる場所,そして,人間ではなくエホバの立てた真の天幕の公僕」です。律法下の祭司たちは,モーセによって示されたひな型にしたがって,「天にあるものの模型的な表現また影として神聖な奉仕を」ささげました。「しかし今,イエスはさらに優れた公の奉仕の職務を得たゆえに,それだけ勝った契約の仲介者でもあられるのです。その契約は勝った約束に基づいて法的に確立されたものです」。古い契約はすたれたものとされ,死をもたらす法典として取り除かれました。この点を理解しないユダヤ人たちは,パウロが述べるとおり,その知覚力を鈍らされています。しかし,霊的なイスラエルが新しい契約のもとに来たことを認識する人々は,「ベールをしていない顔で,エホバの栄光を鏡のように反映」して,奉仕者として十分に資格を備えた者となることができます。これらの人々は良心を清められて,「賛美の犠牲……すなわち,そのみ名を公に宣明する唇の実」をささげることができます。―コロサイ 2:14。ヘブライ 8:1-6,13。コリント第二 3:6-18。ヘブライ 13:15。出エジプト記 34:27-35。
30 イスラエルの救出,そしてエジプトでエホバのみ名が大いなるものとされたことは何を予表していましたか。
30 出エジプト記はエホバのみ名と主権を大いなるものとし,クリスチャンで成る霊的イスラエル国民の栄光ある救出を予示しています。その国民に対してはこう述べられています。「あなた方は,『選ばれた種族,王なる祭司,聖なる国民,特別な所有物となる民』であり,それは,闇からご自分の驚くべき光の中に呼び入れてくださった方の『卓越性を広く宣明するため』なのです。というのは,あなた方はかつては民ではありませんでしたが,今は神の民であるからです」。霊的イスラエルをこの世から集め出してご自分のみ名をたたえるようにさせたことに示されるエホバの力は,古代のエジプトにいたご自分の民のために発揮された力に劣らず奇跡的なものであったと言うことができます。ファラオを生き長らえさせてご自分の力を見させ,こうしてご自身のみ名が宣明されるようにされたエホバは,それによって,ご自分のクリスチャン証人たちを通して成し遂げられるさらに大規模な証しの業を予表されました。―ペテロ第一 2:9,10。ローマ 9:17。啓示 12:17。
31 出エジプト記は王国とエホバの臨在に関して何を予表していますか。
31 こうしてわたしたちは,モーセのもとに組織された国民はキリストのもとに形成される新しい国民を予表し,また揺るがされることのない王国を予表していた,と聖書から言うことができます。この点を思うとき,わたしたちは「敬虔な恐れと畏敬とをもって……神に神聖な奉仕をささげる」よう励みを受けます。荒野に置かれた幕屋をエホバの臨在のしるしが覆いました。同じようにエホバは,ご自分を恐れる者たちととこしえに共におられることを約束しておられます。「見よ! 神の天幕が人と共にあり,神は彼らと共に住み,彼らはその民となるであろう。そして神みずから彼らと共におられるであろう。……書きなさい。これらの言葉は信頼できる真実なものだからである」。確かに出エジプト記は,聖書の記録として欠くことのできない有益な部分を成しています。―出エジプト記 19:16-19 ― ヘブライ 12:18-29。出エジプト記 40:34 ― 啓示 21:3,5。
[脚注]
a 出エジプト記 3章14節,脚注。「聖書に対する洞察」(英文),第2巻,12ページ。
b 「聖書に対する洞察」(英文),第1巻,532,535ページ。「考古学と聖書の歴史」(英文),1964年,J・P・フリー,98ページ。
c 「聖書に対する洞察」(英文),第1巻,540,541ページ。
d 「出エジプト記」(英文),1874年,F・C・クック,247ページ。
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聖書の3番目の書 ― レビ記『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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聖書の3番目の書 ― レビ記
筆者: モーセ
書かれた場所: 荒野
書き終えられた年代: 西暦前1512年
扱われている期間: 1か月(西暦前1512年)
1 (イ)レビ記という名称はなぜ適切ですか。(ロ)この書には他のどんな名称が与えられてきましたか。
聖書の3番目の書の最も一般的な名称は「レビ記」(英語,Leviticus)です。これは,ギリシャ語セプトゥアギンタ訳の「レウイティコン」から,ラテン語ウルガタ訳の「レーウィーティクス」を経てできた名称です。レビ人のことは(25章32,33節で)ほんのちょっと言及されているにすぎないとは言え,これは適切な名称です。この書はおもに,レビ族から選ばれたレビ人の祭司職に関する規定と,祭司たちが民に教えた律法で成り立っているからです。「祭司の唇は知識を保つべきものであり,律法は,民が彼の口に求めるべきものなのである」とあるとおりです。(マラキ 2:7)ヘブライ語本文の中で,この書は,その冒頭の表現にしたがって,「ワイイクラー」字義通りには『それから(彼は)呼んだ』と称されています。後代のユダヤ人の間で,この書は祭司たちの律法,また捧げ物の律法とも呼ばれました。―レビ記 1:1,脚注。
2 モーセが筆者であることをどんな証拠が裏付けていますか。
2 モーセがレビ記を書いたということには少しの疑問もありません。奥付けの結びの言葉はこうなっています。『これらは……エホバがモーセに与えたおきてである』。(27:34)レビ記 26章46節にも同様の陳述が見られます。モーセが創世記と出エジプト記を書いた証拠をさきに取り上げましたが,それはまた,彼がレビ記を書いたことをも示すものです。五書<ペンタチューク>は,初めは明らかに一つの巻き物であったからです。さらに,レビ記は『そして(それから)』という接続詞でそれ以前の書と結ばれています。最も強力な証言は,イエス・キリストおよび霊感を受けたエホバの他の僕たちが,レビ記の中の律法や原則を繰り返し引用したり参照したりして,それをモーセに帰していることです。―レビ記 23:34,40-43 ― ネヘミヤ 8:14,15。レビ記 14:1-32 ― マタイ 8:2-4。レビ記 12:2 ― ルカ 2:22。レビ記 12:3 ― ヨハネ 7:22。レビ記 18:5 ― ローマ 10:5。
3 レビ記にはどんな時期のことが扱われていますか。
3 レビ記はどんな時期のことを扱っているでしょうか。出エジプト記は,「第二年目の第一の月,その月の一日に」幕屋が立てられたことをもって結ばれています。民数記(レビ記の記述のすぐ後に続いている)は,「彼らがエジプトの地を出て二年目の第二の月,その一日に」エホバがモーセに語りかけられたということをもって始まっています。したがって,レビ記の中の幾つかの出来事の起きた期間としては,太陰暦の1か月ほどしかなかったことになります。この書の大部分は律法と規定から成り立っています。―出エジプト記 40:17。民数記 1:1。レビ記 8:1-10:7; 24:10-23。
4 レビ記はいつ書かれましたか。
4 モーセはレビ記をいつ書きましたか。モーセは出来事の起きる度にそれを記録し,神の指示を受けるごとにそれを記録していったと見るのが妥当です。このことは,イスラエルがアマレク人と戦って撃破した直後に,アマレク人の将来の滅亡に関して書き記すようにと神がモーセに命じたことにも暗示されています。この書の中の幾つかの事柄も,この書が早い時期に記されたことを示唆しています。例えば,イスラエル人は,食物として用いる動物を会見の天幕の入口に携えて来てほふるようにと命じられています。この命令は,祭司職の任職が行なわれて間もなく与えられ,また記録されたものでしょう。荒野を旅するイスラエル人を導くための指示が数多く与えられています。これらすべては,モーセが西暦前1512年にレビ記を書いたことを示しています。―出エジプト記 17:14。レビ記 17:3,4; 26:46。
5 犠牲や儀式上の汚れに関する律法はどんな目的を果たしましたか。
5 レビ記は何のために書かれましたか。エホバは,神聖な国民,ご自分の奉仕のために取り分けられ,神聖にされた民を持つことを意図しておられました。アベルの時以来,神に従う忠実な人々はエホバに犠牲をささげてきましたが,イスラエル国民に対して初めて,エホバは罪の捧げ物や他の犠牲に関する明確な指示をお与えになりました。それは,レビ記の中に詳細に説明されているとおり,罪の甚だしい罪深さをイスラエル人に気づかせ,それがいかにエホバの不興となるかをその思いに銘記させました。律法の一部であるそれらの規定は,ユダヤ人をキリストに導く養育係の役目を果たしました。彼らに救い主の必要を悟らせ,同時に彼らを世の他の部分からは分かたれた民とするものとなったからです。とりわけ,儀式上の清さに関する神の律法はこの第二の目的に役立ちました。―レビ記 11:44。ガラテア 3:19-25。
6 エホバからの詳細な導きが当時特に必要であったのはなぜですか。
6 新しい土地に旅をする新しい国民として,イスラエルは適切な導きを必要としていました。それはまだ出エジプト後1年もたっていないころのことであり,エジプトでの生活水準やそこでの宗教的習慣は記憶に鮮明に残っていました。肉親の兄弟姉妹どうしの結婚はエジプトでは慣例となっていました。動物の神を含む,多くの神々をたたえる偽りの崇拝も行なわれていました。そして今,この大きな会衆は,カナンへ向かうところです。そこでの生活と宗教上の習慣はさらに堕落したものです。しかし,イスラエルの宿営をもう一度見てください。会衆を膨張させているのは,大勢の生粋のまたは合の子のエジプト人です。それはイスラエル人のただ中に住んでいる入り混じった群衆で,その人々はエジプト人の子として生まれ,エジプト人の習慣や宗教や愛国心にそって養育されてきました。その中には,ほんのしばらく前まで自分の郷里の忌むべき習俗に浸っていた人々も少なからずいたに違いありません。彼らが今,エホバからの詳細な導きを受けるのはいかにも必要なことでした。
7 レビ記に記される数々の規定は神がその著者であることをどのように示していますか。
7 レビ記は,その全体にわたって神による霊感の証跡を帯びています。ただの人間がその賢明で義にかなった律法や規定を考案できたはずはありません。食品,疾病,隔離,死体の扱いなどに関するその法令は,幾千年も後に世の医療関係者がようやく認識するようになった事実に関する知識を明らかにしています。汚れていて食べることのできない動物に関する神の律法は,旅をしてゆくイスラエル人の保護となったことでしょう。それは彼らを,豚による旋毛虫症から,ある種の魚による腸チフスやパラチフスから,また死んで発見された動物による感染などから保護したはずです。これらの実際的な律法は,彼らの宗教と生活とを導き,彼らが聖なる国民として約束の地に到達し,そこに住めるようにするためのものでした。エホバによって与えられた数々の規定は,他の民に比べ,健康の面でユダヤ人に大きな利点となったことを歴史は示しています。
8 レビ記の預言的な内容はそれが霊感によるものであることをさらにどのように示していますか。
8 レビ記の中にある預言や予型が成就していることも,これが霊感によるものであることの証拠となっています。不従順の結果に関するレビ記の警告が真実であったことは,聖書の歴史にも一般の歴史にも記録されています。中でも,レビ記は,母親たちが飢きんのために自らの子供を食べるまでになることを予告していました。エレミヤは,西暦前607年のエルサレムの滅びの時にこれがそのとおりになったことを示しています。またヨセフスも,西暦70年における同市の再度の滅びの時にもそのような状況になったことを伝えています。悔い改めるならエホバが思い出してくださるという預言的な約束も,西暦前537年のバビロンからの帰還によって成就を見ました。(レビ記 26:29,41-45。哀歌 2:20; 4:10。エズラ 1:1-6)他の聖書筆者たちが,レビ記を霊感による聖書の一部としてそこから引用していることも,この書が霊感によるものであることの証となります。モーセがその筆者であることを確証するためにさきに述べた事柄に加わるものとして,どうぞマタイ 5章38節; 12章4節; コリント第二 6章16節; ペテロ第一 1章16節をご覧ください。
9 レビ記はエホバのみ名と神聖さをどのように大いなるものとしていますか。
9 レビ記は終始エホバのみ名と主権を大いなるものとしています。36回以上にわたって,そこに述べられる律法がエホバのものであることが示されています。エホバのみ名そのものも平均して各章に10回出ており,「わたしはエホバである」という諭しの言葉によって,神の律法に対する従順が繰り返し教えられています。神聖さという主題がレビ記全体を貫いており,レビ記は,この神聖さの要求に関して,聖書の他のどの書よりも多く述べています。エホバは聖なる方ですから,イスラエルは聖なる民とならなければなりませんでした。特定の人,場所,物,時期は,聖なるものとして取り分けられました。例えば,贖罪の日とヨベルの年はエホバの崇拝において特別に守るべき時節として区別されました。
10 犠牲に関して何が強調されていますか。罪に対するどんな刑罰が述べられていますか。
10 神聖さに重きを置く書にふさわしく,レビ記は,血を流すこと,つまり命の犠牲が罪の許しにおいて果たす役割を強調しています。動物の犠牲としては,家畜であり,しかも清い生き物が用いられることに限定されていました。ある種の罪の場合には,犠牲をささげることに加えて,告白と,原状の回復と,科料の支払いとが規定されていました。さらに別の罪に対しては,死刑が定められていました。
レビ記の内容
11 レビ記の概要について述べなさい。
11 レビ記はおもに,制定された法律に関する記述から成っていますが,その多くは預言的な面も含んでいます。この書は主として項目ごとの記述をしていて,八つの部分に分けることができますが,その各部分は相互に論理的な関連を保っています。
12 血を含むどんな犠牲がありますか。それはどのようにささげられますか。
12 種々の犠牲のための規定(1:1-7:38)。色々な犠牲は全体的に見て次の二つの種類に類別できます。すなわち,牛,羊,やぎ,鳥類などから成る,血を含むもの。そして,穀物から成る,血を含まないもの。血を含む犠牲は,(1)焼燔の捧げ物,(2)共与の捧げ物,(3)罪の捧げ物,(4)罪科の捧げ物のいずれかの形でささげられることになっていました。これら四つすべてには次の三つのことが共通しています。すなわち,それをささげる者が自分でそれを会見の天幕の入口に携えて来る,彼は自分の手をその上に置く,こうして後にその動物をほふる。血を振り掛けることを行なった後,その死がいはそれぞれの犠牲の種類にしたがって処理されます。ここで,血を含む犠牲について一つ一つ取り上げましょう。
13-16 (イ)(1)焼燔の捧げ物,(2)共与の犠牲,(3)罪の捧げ物,(4)罪科の捧げ物に関する要求について述べなさい。(ロ)血を含む犠牲に関連して繰り返し禁じられているのはどんなことですか。
13 (1)焼燔の捧げ物としては,ささげる人の資力に応じて,若い雄牛,雄羊,やぎ,もしくはいえばとかやまばとが用いられます。それは幾つかの部分に切り分けられますが,皮を除けば,その全体がそっくり祭壇上で焼かれます。やまばとやいえばとの場合,その頭はひねり取られますが,それを切り離してはなりません。そして,餌袋と羽は取り除かなければなりません。―1:1-17; 6:8-13; 5:8。
14 (2)共与の犠牲としては牛または小動物の雄ないしは雌が用いられます。その脂肪の部分だけが祭壇の上で焼き尽くされ,ある部分は祭司に与えられ,その残りを,ささげた人が食べます。これを共与の犠牲と呼ぶのは適切です。ささげる人はそれによって,いわばエホバやそれを扱う祭司と食事を共にし,共に与る関係を持つからです。―3:1-17; 7:11-36。
15 (3)罪の捧げ物は,故意でない罪もしくは過ちによる罪のために要求されています。ささげられる動物の種類は,祭司,民全体,長,普通の個人など,だれの罪を贖うかによって決まります。各人による自発的な焼燔の捧げ物や共与の捧げ物の場合とは異なって,罪の捧げ物は務めとして課されたものです。―4:1-35; 6:24-30。
16 (4)罪科の捧げ物は,不忠実,欺き,強奪などによる個人的な罪科を贖うために要求されています。ある罪科の場合には,告白と,当人の資力に応じた犠牲とが求められます。他の場合には,損失に見合う補償をし,それにさらに2割を加え,その上で雄羊の犠牲をささげることが求められています。捧げ物のことを述べる,レビ記のこの部分では,血を食べることが繰り返しきっぱりと禁じられています。―5:1-6:7; 7:1-7,26,27; 3:17。
17 血を含まない犠牲はどのようにしてささげられますか。
17 血を含まない犠牲としては穀類が用いられ,それは,そっくり炒るか,粗びきにするか,あるいは細かな粉にするかしてささげられます。それらは,焼き板の上で焼いたり,深なべで揚げたりして色々な方法で調理されます。塩や油,そしてときに乳香を添えてささげられますが,パン種やはち蜜をいっさい含んでいてはなりません。幾つかの犠牲の場合,その一部は祭司のものとなります。―2:1-16。
18 祭司の任職の最高潮として,信仰を強めるどんな光景が見られますか。
18 祭司の任職(8:1-10:20)。イスラエルにおける大きな式典の時が来ます。すなわち祭司の任職です。モーセは,エホバから命じられたとおりに,その細かな事柄をすべて執り行ないます。「その後アロンとその子らは,エホバがモーセを通して命じたすべての事柄を行なった」。(8:36)任職のために費やされたその七日の後,信仰を強める奇跡的な光景が生じます。全集会がその場にいます。祭司たちはまさに犠牲をささげたところです。アロンとモーセは民を祝福しました。すると,ご覧なさい,「エホバの栄光が民のすべてに現われ,エホバの前から火が出て,祭壇上の焼燔の捧げ物と脂肪部分とを焼き尽くして」いきました。「これを見て,民のすべてはどっと叫び声を上げ,またひれ伏す」のでした。(9:23,24)まさに,エホバは,彼らが従順をつくし,崇拝をささげるべき方なのです。
19 どんな違犯が犯されますか。その後にどんなことがありますか。
19 しかし律法に対する違犯が犯されます。その一例として,アロンの息子ナダブとアビフは,エホバの前に適法でない火をささげます。「すると,火がエホバの前から出て彼らを焼き尽くし,こうしてふたりはエホバの前で死んだ」。(10:2)受け入れられる犠牲をささげてエホバの是認を受けるために,民も祭司も等しくエホバの指示に従わなければなりません。この直後に,幕屋での奉仕をするさい祭司はアルコール飲料を飲んではならない,という命令が神から与えられます。これは,アロンのその二人の息子が酒に酔ったことが一因で悪行を犯した可能性を示唆しています。
20,21 清さと衛生に関してどんな規定がありますか。
20 清さに関する律法(11:1-15:33)。この部分は,儀式上の,また衛生上の清さについて述べています。飼育されるものと野生のものとを含め,ある種の動物は汚れているとされます。死体はすべて汚れたものであり,それに触れる人は汚れます。子供の出産も汚れの理由となり,しばらくの分離と特別の犠牲とが要求されます。
21 らい病など,ある種の皮膚病も儀式上の汚れを来たらせ,それを清めることは,人だけでなく,衣服や家屋にも適用されます。隔離が要求されています。月経や射精も汚れの理由となり,漏出のある場合も同様です。このような場合には他から離れていることが求められ,そのうえ,回復したときには,体を洗うこと,または犠牲をささげること,もしくはその両方が求められます。
22 (イ)第16章はなぜ際立っていますか。(ロ)贖罪の日の活動はどんな手順で進められますか。
22 贖罪の日(16:1-34)。これは際立った章です。イスラエルにとって最も大切な日である贖罪の日に関する指示を含んでいるからです。それは第七の月の10日です。それは魂を悩ます(恐らくは,断食によって)日であり,その日には世俗のどんな仕事をすることも許されません。その日は,アロンおよびその家の者たち,すなわちレビの部族の罪のために若い雄牛をささげることで始まり,その後に,残りの国民のためにやぎがささげられます。香をたいた後,それぞれの動物の血の幾らかが幕屋の至聖所の中に別々に携え入れられて,箱の覆いの前に振り掛けられます。後にその動物の死がいは宿営の外に運び出されて焼かれなければなりません。この日にはまた,1頭の生きたやぎもエホバの前に差し出されて,その上に民のすべての罪が言い表わされ,その後それは荒野に引いて行かれます。次いで2頭の雄羊が焼燔の捧げ物としてささげられねばなりません。1頭はアロンとその家の者たちのため,他の1頭は残りの国民のためです。
23 (イ)血に関する最も明確な陳述の一つは聖書のどこにありますか。(ロ)他のどんな規定がその後に述べられていますか。
23 血や他の事柄に関する法令(17:1-20:27)。この部分は民のための多くの法令について述べています。血に関しては聖書中に見られる最も明確な陳述の一つをもって再度血の使用が禁じられています。(17:10-14)血を祭壇上で使用することは許されますが,それを食べることは許されません。近親相姦,男色,獣姦などの忌むべき行為は禁じられています。苦悩している人々,立場の低い人や外国人などを保護するための規定も設けられ,「あなたの仲間を自分自身のように愛さねばならない。わたしはエホバである」という命令が与えられます。(19:18)国民の社会・経済的福祉は保護され,モレクの崇拝や心霊術など,霊的に危険な事柄は死刑をもって禁止されています。再度神はご自分の民が他から離れているべきことを強調されます。「こうしてあなた方はわたしに対して聖なる者とならねばならない。わたしエホバは聖なる者だからである。わたしはあなた方をもろもろの民から取り分けてわたしのものとならせているのである」― 20:26。
24 祭司の資格と季節ごとの祝祭に関してレビ記はどんなことを述べていますか。
24 祭司職と祭り(21:1-25:55)。続く三つの章は,主としてイスラエルの公式の崇拝について述べています。すなわち,祭司たちに関する法令,その身体上の資格,祭司の結婚の相手,聖なるものをだれが食べてよいか,また犠牲のためにきずのない動物を用いるようにという要求です。三つの,国民的な季節ごとの祭りが命じられています。それは,『あなた方の神エホバの前で歓び楽しむ』機会となります。(23:40)こうして国民は一人の人のようになってエホバに注意と賛美と崇拝を向け,エホバとの関係を強めるのです。これらはエホバに対する祭りであり,年ごとの聖なる大会となります。過ぎ越しとそれに伴う無酵母パンの祭りは春の初めに定められ,ペンテコステつまり七週の祭りは続いて春の終わりに行なわれ,贖罪の日と,八日にわたる仮小屋もしくは取り入れの祭りは秋に行なわれます。
25 (イ)「み名」に敬意を抱くべきことがどのように示されていますか。(ロ)「七」という数と関係のある規定にどんなものがありますか。
25 24章では,幕屋での奉仕に用いられるパンと油に関する指示が与えられています。その後に一つの出来事がありますが,それにちなんでエホバは,だれでも「み名」,そうです,エホバのみ名をののしる者は石打ちにされるべきことを定められます。次いでエホバは,「目には目,歯には歯」と述べて,同種の処罰に関する律法を示されます。(24:11-16,20)25章では,七年目ごとに守られる,1年におよぶ安息もしくは休みの年に関する規定と,50年目ごとのヨベルの年に関する規定が見られます。この50年目には,その全地にわたって自由がふれ告げられ,それまでの49年間に売られたり人手に渡ったりした相続財産は元の所有者に返されなければなりません。貧しい人や奴隷の権利を保護する律法も与えられています。この部分では,「七」という数が際立っています。つまり,七日目,七年目,七日間の祭り,七週の期間,そして,七年を七回数えた後に来るヨベルの年などです。
26 レビ記はどのようにしてそのクライマックスに達していますか。
26 従順と不従順の結果(26:1-46)。レビ記はこの章でそのクライマックスに達しています。エホバはここで,従順に対する報いと,不従順に対する処罰とを列挙しておられます。同時に神は,謙遜になる場合にイスラエル人に対して差し伸べられる希望についてもこう述べておられます。「わたしは彼らのためにその先祖たちとの契約を思い出す。わたしはその神となるため,諸国民の見るところで彼らをエジプトの地から携え出した。わたしはエホバである」― 26:45。
27 レビ記はどのように結ばれていますか。
27 その他の法令(27:1-34)。レビ記は,誓約の捧げ物の扱い,エホバのための初子,エホバに対して聖なるものとされる十分の一などに関する指示をもって結ばれています。次いで短いこの奥付けが加えられています。「これらは,イスラエルの子らに対する命令としてエホバがシナイ山でモーセに与えたおきてである」― 27:34。
なぜ有益か
28 レビ記は今日のクリスチャンにとってどんな益がありますか。
28 霊感を受けた聖書の一部として,レビ記は今日のクリスチャンにとって大いに益があります。それは,エホバと,その属性と,被造物に対するその行動の仕方とを理解するのにすばらしい助けとなります。神はそれを律法契約下のイスラエルに対して極めて明確に示されたのです。レビ記は,どんな場合にも当てはまる基本的な原則を数多く示しています。また,預言的な型や預言そのものを数多く含んでいて,それについて考えることは信仰を強くします。そこに含まれる原則の多くはクリスチャン・ギリシャ語聖書の中で再度触れられており,直接に引用されているものもあります。際立った七つの点を以下に論じます。
29-31 レビ記はエホバの(イ)主権,(ロ)み名,(ハ)神聖さに敬意を示すべきことをどのように強調していますか。
29 (1)エホバの主権。エホバは律法授与者であり,わたしたちは被造物としてエホバに言い開きをしなければなりません。エホバを恐れるようにと命じておられるのは当然のことです。宇宙の主権者として,エホバは,偶像礼拝や心霊術であれ,あるいは悪霊崇拝の他のどんな面であれ,ご自分に対抗する者をいっさい許されません。―レビ記 18:4; 25:17; 26:1。マタイ 10:28。使徒 4:24。
30 (2)エホバのみ名。エホバのみ名は聖なるものとされるべきであり,わたしたちは,言葉によってであれ行動によってであれ,それに非難をもたらすようなことをすべきではありません。―レビ記 22:32; 24:10-16。マタイ 6:9。
31 (3)エホバの神聖さ。エホバは聖なる方ですから,その民も聖なるものとなり,エホバの奉仕のために神聖にされたもの,もしくは取り分けられたものとならなければなりません。このことは,周囲の不敬虔な世界から離れていることをも意味しています。―レビ記 11:44; 20:26。ヤコブ 1:27。ペテロ第一 1:15,16。
32-34 (イ)罪,(ロ)血,(ハ)罪科の相対性に関してどんな原則が述べられていますか。
32 (4)罪の甚だしい罪深さ。何が罪であるかを決定するのは神です。わたしたちはそれを避けるように努力しなければなりません。罪は常に贖罪の犠牲を要求します。加えてそれは,わたしたちの告白と,悔い改めと,可能な限り償いをすることをも要求します。ある種の罪に対していっさい許しは与えられません。―レビ記 4:2; 5:5; 20:2,10。ヨハネ第一 1:9。ヘブライ 10:26-29。
33 (5)血の神聖さ。血は神聖なものですから,どのような形にせよ,血を体内に取り入れてはなりません。血の使用が許される唯一の場合は,罪のための贖罪を行なう時だけです。―レビ記 17:10-14。使徒 15:29。ヘブライ 9:22。
34 (6)罪科と処罰との相対性。すべての罪また罪人が同じようにみなされたわけではありません。職務の地位が高いほど,罪に対する責任と刑罰も大きくなります。故意の罪は無意識の罪よりも厳しく処罰されました。科料は当人の支払い能力に応じて色々に定められました。この相対性の原則は,儀式上の汚れなど,罪や処罰以外の事柄にも当てはめられました。―レビ記 4:3,22-28; 5:7-11; 6:2-7; 12:8; 21:1-15。ルカ 12:47,48。ヤコブ 3:1。ヨハネ第一 5:16。
35 レビ記は仲間の人間に対するわたしたちの務めをどのように要約していますか。
35 (7)公正と愛。仲間の人間に対するわたしたちの務めを要約して,レビ記 19章18節は,「あなたの仲間を自分自身のように愛さねばならない」と述べています。これはすべてのことを包含します。それは,不公正さ,盗み,うそをつくこと,中傷することなどを排除します。またそれは,不利な条件を負った人,貧しい人,盲目の人,耳の聞こえない人などに思いやりを示すことを要求します。―レビ記 19:9-18。マタイ 22:39。ローマ 13:8-13。
36 レビ記がクリスチャン会衆にとって有益であることをどんなことが示していますか。
36 レビ記がクリスチャン会衆内で「教え,戒め,物事を正し,義にそって訓育するのに」際立って有益であることを証明する別の点があります。すなわちそれは,イエスやその使徒たち,とりわけパウロやペテロが繰り返しレビ記を参照していることです。これらの人々は多くの預言的なひな型や,後に実現することの影となっていた事柄に注意を引いています。パウロが述べるとおり,「律法は来たるべき良い事柄の影を備えて」いました。それは「天にあるものの模型的な表現また影」を成していました。―テモテ第二 3:16。ヘブライ 10:1; 8:5。
37 ヘブライ人への手紙の中では予型のどんな成就について述べられていますか。
37 幕屋,祭司職,犠牲,とりわけ,年ごとの贖罪の日には模型的な意義がありました。パウロは,ヘブライ人への手紙の中で,エホバの崇拝の「真の天幕」に関連して,それらに対応する霊的なものが何かを識別するのを助けています。(ヘブライ 8:2)祭司長アロンは,「すでに実現した良い事柄の大祭司」としてのキリスト・イエスを予表しており,そのイエスは「より偉大で,より完全な天幕を」通られました。(ヘブライ 9:11。レビ記 21:10)動物の犠牲の血はイエスの血を予表しており,その血は「わたしたちのために永遠の救出を」成し遂げます。(ヘブライ 9:12)幕屋の一番奥の仕切り室である至聖所は,大祭司が年ごとの贖罪の日にのみ中に入って犠牲の血を差し出した所ですが,それは「実体の写し」であって,「天そのもの」を表わしており,イエスはその天に入って,「わたしたちのために神ご自身の前に出てくださる」のです。―ヘブライ 9:24。レビ記 16:14,15。
38 予型的な犠牲はイエスにあってどのように成就しましたか。
38 実際の犠牲のいけにえ ― 焼燔または罪の捧げ物としてささげられた健全できずのない動物 ― は,人間としてのイエス・キリストの体による完全できずのない犠牲を表わしています。(ヘブライ 9:13,14; 10:1-10。レビ記 1:3)興味深いことに,パウロはさらに贖罪の日の特色について論じています。その日に,罪の捧げ物となった動物の死がいは宿営の外に運び出されて焼かれました。(レビ記 16:27)パウロはこう書いています。「ゆえにイエスも……門の外で苦しみを受けました。ですから,わたしたちは宿営の外に出てイエスのもとに行き,この方が忍ばれた非難を忍ぼうではありませんか」。(ヘブライ 13:12,13)このような霊感による解釈によって,レビ記に略述される儀式上の手順は一層の意義を帯びるようになります。そしてわたしたちは,ただ聖霊によってのみ明らかにされ得る実体を予示する畏敬すべき影をエホバがいかに驚嘆すべき方法でそこに備えてくださったかを理解できるようになります。(ヘブライ 9:8)そのような正しい理解は,「神の家の上に立つ偉大な祭司」キリスト・イエスを通してエホバが設けられる命のための備えから益を受けようとする人々にとって極めて大切です。―ヘブライ 10:19-25。
39 王国に関するエホバの目的を知らせる点でレビ記はどのように「聖書全体」と調和していますか。
39 アロンの祭司の家の者たちの場合と同じように,イエス・キリストも大祭司として,ご自分と結びつく下位の祭司たちを持っておられます。これらの人々は「王なる祭司」と呼ばれています。(ペテロ第一 2:9)レビ記はエホバの大いなる大祭司また王の行なう贖罪の働きを指し示して,それを説明しており,また家の者たち,すなわち「幸いな者,聖なる者」とされ,「神およびキリストの祭司となり,千年のあいだ彼と共に王として支配する」人々に課された要求を明らかにしています。従順な人々を完全の域に向上させる点で,この祭司の働きは何という祝福をもたらすのでしょう。この天の王国は地上に平和と義を回復することによって何という幸福をもたらすのでしょう。確かにわたしたちすべては,大祭司なる王を立て,その卓越性を広く宣明してみ名を神聖なものとする王なる祭司たちを整えてくださったことに対して,聖なる神エホバに感謝しなければなりません。確かにレビ記は,エホバの王国の目的を知らせる点で「聖書全体」とすばらしい調和を保っています。―啓示 20:6。
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聖書の4番目の書 ― 民数記『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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聖書の4番目の書 ― 民数記
筆者: モーセ
書かれた場所: 荒野とモアブの平原
書き終えられた年代: 西暦前1473年
扱われている期間: 西暦前1512年-1473年
1 民数記の出来事はなぜ記録されましたか。それはわたしたちに何を銘記させますか。
イスラエル人の荒野での徒歩旅行中の出来事は,今日のわたしたちの益のために聖書の中に記録されました。a 使徒パウロはこう述べています。「さて,これらの事はわたしたちに対する例となりました。それは,わたしたちが,彼らが欲したように害になる事柄を欲する者とならないためです」。(コリント第一 10:6)民数記の中の生き生きした記録は,わたしたちの生存が,エホバのみ名を神聖なものとして,どのような状況のもとでもエホバに従い,エホバを代表する人々に敬意を示すかどうかにかかっていることを銘記させます。エホバの恵みは,その民の何らかの善良さや功績によって示されるのではなく,ただその大いなる憐れみと過分のご親切とによって注がれるのです。
2 民数記という名称は何に言及するものですか。しかし,ユダヤ人はこの書にさらに適切などんな表題を付けましたか。
2 民数記(英語,Numbers)という名称は,最初にシナイ山で,後にモアブの平原で行なわれた,民の数を数えることと関係があります。そのことは1章から4章と,26章とに記録されています。この名称は,ラテン語ウルガタ訳の「ヌメリー」(「数」,複数形)という表題から来ていますが,その由来はギリシャ語セプトゥアギンタ訳の「アリトモイ」(「数」,複数形)にあります。しかし,ユダヤ人たちはこの本を,「ベミドバル」という,もっと適切な名で呼んでいます。これは「荒野で」という意味です。ヘブライ語のミドバルという言葉は,都市や町などのない,開けた場所を指しています。民数記中の出来事が起きたのは,カナンの南と東に広がる荒野でのことでした。
3 モーセが民数記の筆者であることについてどんな証拠がありますか。
3 民数記が,創世記から申命記までの書を含む,5部から成る元の巻き物の一部であったことは明らかです。その第1節は,「それから」(字義的には「そして」)という接続詞で始まっており,それ以前の事柄との結びつきを示しています。ゆえにこれは,それに先立つ記録の筆者であるモーセによって書かれたに違いありません。そのことはまた,この書の中にある,「モーセは……記録していった」という陳述からも明らかであり,また「これらは……エホバがモーセを通してイスラエルの子らに命じたおきてと司法上の定めである」という奥付けによっても示されています。―民数記 33:2; 36:13。
4 民数記はどんな時期のことを扱っていますか。この書はいつ書き終えられましたか。
4 イスラエル人がエジプトを出発したのはそれよりも一年と少し前のことでした。民数記はその記述を,エジプトを出て2年目の第2の月のことから始めて,その後の38年9か月,つまり西暦前1512年から同1473年までのことを扱っています。(民数記 1:1。申命記 1:3)民数記 7章1節から88節と同9章1節から15節で述べられている出来事はこの期間に当てはまりませんが,背景的な情報として含められています。この書の始めのほうの部分はそれぞれの出来事が起きるごとに書かれたに違いありませんが,荒野での40年目の終わり,つまり西暦前1473年の初めごろにモーセが民数記を完成したことは明らかです。
5 民数記の信ぴょう性はどんな面に示されていますか。
5 その記述の信ぴょう性については何の疑問もあり得ません。一行が旅した概して乾燥しきった土地について,モーセは「あの広大で畏怖の念を抱かせる荒野」と述べましたが,まばらな住民が牧草と水を求めて終始移動している光景は,今日でもまさにそのとおりです。(申命記 1:19)さらに,その国民の宿営,行進の順序,宿営の活動を統率するラッパの合図などに関する詳細な指示も,この記述がまさしく『荒野で』書かれたことを証ししています。―民数記 1:1。
6 考古学上の発見は民数記をどのように裏付けていますか。
6 カナンへの遠征から戻った斥候たちの,「防備を施したその諸都市は非常に大きい」という,恐れに満ちた報告でさえ,考古学によって裏付けられています。(13:28)現代の様々な発見は,当時のカナンの住民が,北方のエズレルの低地平原から南方のゲラルに至るまで,その地方の全域数か所に点在する一連の要塞によって防御を固めていたことを明らかにしています。都市に防備が施してあっただけでなく,それらの都市は通常丘の頂に建てられており,幾つもの塔がその城壁の上に高くそびえ,幾世代にもわたってエジプトの平たん地に生活してきたイスラエルのような民にとっては,極めて印象的に感じられたことでしょう。
7 民数記は正直さのどんなしるしを備えていますか。
7 世界の諸国民は自分たちの失敗を塗り隠し,自分たちの征服についてはそれを誇大に表現しがちですが,民数記の記述は,歴史的真実さの裏書きとなるような正直さをもって,イスラエルがアマレク人やカナン人によって完全に敗走させられたことを記しています。(14:45)また,民が不信仰になり,神に敬意を欠いた行動をしたことも率直に告白しています。(14:11)神の預言者モーセは,驚くほどの正直さをもってその国民の罪,自分のおいたち,また自分の兄弟や姉妹の罪を明らかにしています。そして彼は自分自身をさえ容赦していません。メリバで水が供給された際,彼がエホバを神聖なものとすることを怠り,そのために約束の地に入る特権を失ったことをも自ら述べているからです。―3:4; 12:1-15; 20:7-13。
8 聖書の他の筆者は民数記が霊感によるものであることをどのように証言していますか。
8 この記述が,神の霊感を受けた有益な聖書の真正の構成部分であることは,そこに記される大きな出来事のほとんどすべて,及び他の詳細な事柄の多くが,他の聖書筆者たちによって直接に言及されていることによっても裏書きされています。例えば,ヨシュア(ヨシュア 4:12; 14:2),エレミヤ(列王第二 18:4),ネヘミヤ(ネヘミヤ 9:19-22),アサフ(詩編 78:14-41),ダビデ(詩編 95:7-11),イザヤ(イザヤ 48:21),エゼキエル(エゼキエル 20:13-24),ホセア(ホセア 9:10),アモス(アモス 5:25),ミカ(ミカ 6:5),ステファノの講話を記録したルカ(使徒 7:36),パウロ(コリント第一 10:1-11),ペテロ(ペテロ第二 2:15,16),ユダ(ユダ 11),ペルガモン会衆へのイエスの言葉を記録したヨハネ(啓示 2:14)などのすべてが,民数記の記録をよりどころとしており,イエス・キリストご自身もそうしておられます。―ヨハネ 3:14。
9 民数記はエホバに関して何を強調していますか。
9 では,民数記はどんな目的を果たしているでしょうか。確かにその記述には単なる歴史的価値以上のものがあります。民数記は,エホバが秩序の神であられて,ご自分の被造物からの全き専心を求めておられることを強調しています。イスラエルで行なわれた人口調査,試み,ふるい分けなどについてつぶさに見,その国民の不従順で反逆的な歩みはエホバに従順に従うことの大切さを強調するために用いられていることを知るとき,このことは読者の脳裏にはっきりと印象づけられることでしょう。
10 民数記はだれの益のために保存されましたか。そしてなぜ?
10 この記録は後の世代の人々の益のために保存されました。アサフはこう説明しています。「彼らが神ご自身に確信を置き,神の行なわれたことを忘れず,そのおきてを守り行なうためであった」。そして,さらにこう述べています。「彼らはその父祖たちのようになってはならない。それは強情で,反逆の世代,自分の心を定めなかった世代であり,その霊は神の信頼に値しなかった」。(詩編 78:7,8)民数記に記された出来事は,ユダヤ人の間で神聖な歌とされた詩編の中で幾たびも語られ,こうしてその国民に有益なものとしてしばしば復唱されました。―詩編 78,95,105,106,135,136編。
民数記の内容
11 民数記の内容はどんな三つの部分に分けることができますか。
11 論理的に言って,民数記は三つの部分に分けられます。その最初の部分は第10章10節で終わりますが,イスラエル人がまだシナイ山のふもとに宿営していた間に起きた出来事を扱っています。次の部分は第21章で終わり,その後の38年と一,二か月の間に起きた事柄を述べています。それは,彼らが荒野にいて,モアブの平原に到着するまでの間のことです。最後の部分は36章までで,モアブの平原での出来事,イスラエル人が約束の地に入る準備をしていた時のことを扱っています。
12 シナイにおけるイスラエル人の宿営はどれほどの大きさでしたか。その宿営はどのように組織されていますか。
12 シナイ山での出来事(1:1-10:10)。イスラエル人はシナイの山地に入って既に1年ほど経過していました。この地で彼らは緊密に結び合わされた組織となっていました。エホバの命令のもとに,20歳以上のすべての男子について人口調査が行なわれることになります。部族の大きさは,強健な男子の数でマナセの3万2,200人から,ユダの7万4,600人まで様々でしたが,イスラエルの軍隊に入って仕える資格のある男子の合計は60万3,550人となり,このほかにレビ人と女と子供たちがいました ― 恐らく300万人あるいはそれ以上の宿営であったことでしょう。会見の天幕はレビ人たちと共に宿営の中央に位置します。各々の側のそれぞれの割り当ての場所には,他のイスラエル人が3部族ごとの分隊となって宿営し,各部族は宿営が移動する際の行進の順序に関して指示を与えられています。エホバがその指示を出されましたが,記録はこう述べています。「イスラエルの子らはすべてエホバがモーセに命じたとおりに行なうようになった」。(2:34)彼らはエホバに従い,神の見える代表者であるモーセに敬意を示します。
13 レビ人はどんな取り決めのもとに奉仕を割り当てられましたか。
13 次いでレビ人が,イスラエルの初子の贖いとして,エホバへの奉仕のために取り分けられます。レビの3人の息子たち,ゲルション,コハト,メラリからの系統にしたがって,彼らは三つの分団に分けられます。宿営での位置や,どのような奉仕の責務に就くかは,この分け方にしたがって決定されます。30歳以上になると,彼らは幕屋の運搬という重い仕事に就きます。軽い仕事をするために他の人々が25歳で奉仕を始める取り決めも設けられます。(これはダビデの時代に20歳に引き下げられます。)― 歴代第一 23:24-32。エズラ 3:8。
14 宿営の浄さを保つためにどんな指示が与えられていますか。
14 宿営を浄い所として保つために,病気になる人を隔離すること,不忠実な行為に対する贖罪を行なうこと,人が自分の妻の行状について疑念を持つようになった場合にそれを解決すること,ナジル人として生きるという誓約によりエホバに対して取り分けられた人々の行動がふさわしいものとなるようにすることなどに関して指示が与えられます。自分たちの神のみ名を負う民となるのですから,彼らは神のおきてにしたがって行動しなければなりません。
15 (イ)祭壇の奉献の際にどんな寄進が行なわれましたか。(ロ)イスラエルはどんな関係を覚えていなければなりませんか。過ぎ越しは彼らに何を思い出させますか。
15 モーセは次に,前の月の出来事をあらためてやや詳しく記し(民数記 7:1,10。出エジプト記 40:17),祭壇の奉献の日以来12日間にわたり,民の12人の長によってなされた資材の寄進の模様について伝えています。競争や,自分の栄光を求めるような態度はそこにありません。各人は他の人々と全く同じものを寄進しました。これら長たちの上,そしてモーセ自身の上にも,エホバ神がおられて,そのエホバ神がモーセに種々の指示を与えておられることを,すべての者はいま銘記していなければなりません。彼らは自分とエホバとの関係を決して忘れてはなりません。過ぎ越しは,エホバが行なわれたエジプトからの驚くべき救出について彼らに思い出させるためのものであり,彼らはそれを,エジプトを離れてから1年後の定めの時に,この荒野で執り行ないます。
16 エホバはその国民をどのように導かれますか。ラッパのどんな合図が取り決められますか。
16 エホバはイスラエルのエジプトからの移動を導かれましたが,旅を続けるこの国民を,昼は証の幕屋を覆う雲によって,夜はそこに現われる火によって引き続き導いて行かれます。雲が移動する時には,この国民も移動します。雲が幕屋の上にとどまっている時には,それが数日でも1か月でも,あるいはそれより長くても,この国民もずっと宿営しています。記述はわたしたちにこう伝えています。「彼らはエホバの指示によって宿営し,エホバの指示によって旅立ったのである。彼らはモーセによるエホバの指示にしたがってエホバに対する務めを守った」。(民数記 9:23)シナイからの出発の時が近づいたとき,民を集めるためにも,宿営のそれぞれの分隊に荒野での徒歩旅行を指示するためにも,ラッパの合図が取り決められます。
17 行進の手順はどのようになっていましたか。
17 荒野での出来事(10:11-21:35)。ついに,第2の月の20日に,エホバは幕屋の上から雲を引き上げ,こうしてシナイ地域からイスラエルが出発するための合図を出されます。彼らは,エホバの契約の箱を真ん中にして,240㌔ほど北方のカデシュ・バルネアに向けて旅立ちます。彼らが昼間に行進する時,エホバの雲は彼らの上方にあります。箱が出かけて行く度に,モーセは,エホバが立ち上がってご自分の敵を散らされるように祈り,それがとどまる度に,彼は「イスラエルの千万のもとに」戻ってくださるようにとエホバに祈ります。―10:36。
18 カデシュ・バルネアへ行く途中でどんな不平が示されますか。エホバは宿営内における神権的な手順をどのように調整されますか。
18 しかし,宿営の中で問題が生じます。北方のカデシュ・バルネアに向かう旅の途中で不平を言った事例が少なくとも3回あります。最初の爆発を抑えるために,エホバは火を送って民のうちの幾人かを焼き尽くされます。次いで「入り混じった群衆」が,もはやエジプトにいた時のような魚,きゅうり,すいか,にら,玉ねぎ,にんにくなどの食物がなく,ただマナだけしかないことについてイスラエルの民に不満を抱かせます。(11:4)モーセは非常に思い悩み,この民すべての子守り男としてとどめておくよりは,むしろ自分を殺してくださるようにとエホバに求めます。エホバは思いやりによって霊の幾らかをモーセから取り去って,それを70人の年長者たちの上に置き,その人々が預言者として宿営の中でモーセを助けるようになります。次いで肉がふんだんに与えられます。以前にも起きたと同じように,エホバからの風が海からうずらを運び込み,民は貪欲にもそれを大量に捕らえ,利己的な態度でそれを抱え込みます。エホバの怒りが民に対して燃え,その利己的な渇望のゆえに多くの者を打ち倒します。―出エジプト記 16:2,3,13。
19 ミリアムとアロンの行なったモーセに対するとがめだてをエホバはどのように扱われますか。
19 問題はなお続きます。ミリアムとアロンは,エホバの代理者としての自分の弟モーセの立場を正しく認めることができず,宿営に入って来てまだ日の浅いモーセの妻に関して彼をとがめます。二人は,モーセに匹敵するような権威を求めます。しかし,「モーセは地の表にいるすべての人の中でとりわけ柔和な人物」でした。(民数記 12:3)エホバご自身が事態を正されて,モーセが特別の地位を占めていることを悟らせ,その不平の扇動者となっていたと思われるミリアムをらい病で打たれます。モーセの執り成しによって初めて彼女は後ほどいやされることになります。
20,21 どんな出来事のために,エホバは,イスラエルが40年のあいだ荒野をさまよわねばならないと布告されますか。
20 イスラエルはカデシュに着き,約束の地の門口に宿営します。エホバはここでモーセに指示を与え,その地を探らせるために斥候たちを送らせます。彼らは南から入り,北に向かって,「ハマトに入るところ」までも旅をし,40日間に何百キロも歩きます。(13:21)カナンの豊かな実りの幾らかを携えて帰って来ましたが,それら斥候のうちの10人は,不信仰にも,あれほど強い民やあれほど強固に防備を固めた都市に向かって攻め上るのは愚かであろうと論じます。カレブは良い報告をして集会を静めようとしますが,そのかいもありません。反逆的な斥候たちはイスラエル人の心の中に恐れの気持ちを植え込み,その土地は「そこに住む者を食い尽くす」土地だ,と唱え,さらに「わたしたちがその中で見た民は並外れて大きな者たちばかりだ」と言います。反逆のつぶやきが宿営全体に広がるのを見て,ヨシュアとカレブは,「エホバはわたしたちと共におられるのです。彼らを恐れてはなりません」と訴えます。(13:32; 14:9)しかし,集会の人々はその二人を石撃ちにすることについて話し始めます。
21 その時エホバが直接に介入され,モーセに,「いつまでこの民はわたしに対し敬意のない振る舞いをするのか。わたしが彼らの中で行なったすべてのしるしを見ながら,いつまでわたしに信仰を置かないのか」と言われます。(14:11)モーセは,エホバのみ名と名誉のかかわる事柄として,その国民を滅ぼさないようにとエホバに嘆願します。そのためエホバは民のうちの登録された人々,20歳以上のすべての人が死に絶えるまで,イスラエルが荒野をさまよい続けねばならないことを布告されます。登録された男子のうち,ただカレブとヨシュアだけが約束の地に入ることを許されます。民はいま自分たちで上って行こうとしますが,無駄であり,アマレク人とカナン人によって恐ろしい敗北を喫する結果となったにすぎません。エホバとその忠節な代表者たちに対する敬意の不足のために,民は何と高価な代償を払ったのでしょう。
22 従順さの大切さはどのように強調されていますか。
22 確かに,彼らは従順さの点で多くのことを学ばなければなりません。適切にもエホバは,この点の必要を明示する付加的な律法をお与えになります。彼らが約束の地に入った時,過ちに対しては贖罪がなされなければならないが,故意に不従順な道を取る者は必ず断たれるべきことを,神は彼らに悟らせます。それで,ある人が安息日の律法を破ってたきぎを集めているのが見いだされた時,エホバはこう命じます。「その者は必ず死に処せられるべきである」。(15:35)エホバのおきてと,それに従うことの大切さを思い出させるものとして,エホバは,民が自分の衣のすそに房べりを付けるようにと諭されます。
23 コラ,ダタン,アビラムの反逆はどのような結末になりますか。
23 しかしながら,再び反逆が起こります。コラ,ダタン,アビラム,および集会のうちの主立った人々250人が集まって,モーセとアロンの権威に逆らいます。モーセはその問題をエホバに提出し,反逆者たちに向かってこう言います。『それぞれ自分のために火取り皿を取り,それをエホバの前に差し出してエホバに選んでいただきましょう』。(16:6,7)今,エホバの栄光が集会の全員の上に現われます。神は速やかに裁きを執行され,地を二つに引き裂いて,コラ,ダタン,アビラムの家の者たちを呑み込ませ,火を送って,香をささげていたコラを含め,その250人の人々を焼き尽くさせます。そのすぐ次の日,民はエホバが行なわれたことに関してモーセとアロンをとがめはじめますが,神は再び彼らをむち打たれ,不平を述べた1万4,700人の人々をぬぐい去られます。
24 反逆を終わらせるためにエホバはどのようなしるしを行なわれますか。
24 こうした出来事のために,エホバは,レビの部族のためにアロンの名を記した杖を含め,各部族が1本の杖をエホバの前に差し出すように命じます。その次の日,アロンが祭司職のためにエホバによって選ばれていることが示されます。彼の杖だけが花をいっぱいに咲かせ,熟したアーモンドの実をならせていたからです。それは,「反逆の子らに対するしるしのために」契約の箱の中に保存されることになります。(民数記 17:10。ヘブライ 9:4)什一によって祭司職を支持すること,また赤い雌牛の灰による清めの水を用いることに関してさらに指示を述べた後,記述はわたしたちをカデシュに戻らせます。ここでミリアムは死んで葬られます。
25 モーセとアロンはエホバを神聖なものとする点でどんな失敗をしますか。それはどんな結果になりましたか。
25 再び,約束の地の門口で,民は水の不足に関してモーセと言い争いを始めます。エホバはそれをご自分に対する言い争いとみなされ,ご自身の栄光のうちに現われて,杖を取って大岩から水を出すようにとモーセに命じます。今モーセとアロンはエホバを神聖なものとするでしょうか。それとは逆に,モーセは怒りをもってその大岩を2度打ちます。民とその畜類は飲み水を得ますが,モーセとアロンはその誉れをエホバに帰することを怠りました。骨の折れる荒野での旅をほとんど終わろうとしていた時でしたが,二人は共にエホバの不興を被って,約束の地に入れないということを告げられます。アロンは後にホル山で死に,その息子エレアザルが大祭司の務めを引き継ぎます。
26 エドムをうかいする道の途中でどんな出来事がありましたか。
26 イスラエルは東に向きを変えて,エドムの土地を通ろうとしますが,その要請ははねつけられます。エドムをうかいする長い道のりの間に,民は神とモーセに向かって不平を言って再び問題に陥ります。彼らはマナに飽き,渇きを覚えたのです。彼らの反逆的な態度のゆえに,エホバは毒蛇を彼らの間に送り,それによって多くの人が死にます。ついにモーセが執り成しの祈りをすると,エホバは火のような銅の蛇を造って,それを旗ざおの上に取り付けるようにとモーセに指示されます。毒蛇にかまれても,その銅の蛇を見つめた者たちは命を救われました。イスラエル人は北に向かって進みますが,今度は,アモリ人のシホンやバシャンのオグなど好戦的な王たちからの妨害を受けます。イスラエルはこれらを二人とも戦いで撃ち破り,ヨルダン地溝の東側にあった彼らの領地を占領します。
27 エホバはバラムに関するバラクの計画をどのように覆されますか。
27 モアブの平原での出来事(22:1-36:13)。イスラエル人は今,カナンの地に入るという高まる期待を抱いて,モアブの砂漠平原に集結します。それは死海の北,ヨルダンの東,エリコの向かい側の所です。自分たちの前に広がったこの非常に大きな宿営を見て,モアブ人はむかつくような怖れを覚えます。その王バラクはミディアン人とも相談し,占いを使ってイスラエルにのろいをかけるためバラムを呼びにやります。「あなたはその者たちと共に行ってはならない」と神が直接に告げたにもかかわらず,バラムは行くことを希望します。(22:12)彼は報酬を望んでいるのです。ついに彼は出かけて行きますが,み使いに阻まれ,また奇跡的に物を言った自分の雌ろばによって叱責を受ける結果になります。ようやくバラムがイスラエルに関する宣告を告げる時になると,神の霊が彼を駆り立てて,彼の四つの格言的なことばは,神の国民のためにただ祝福だけを預言し,一つの星がヤコブから進み出,一つの笏がイスラエルから起こり立って,従えることと滅ぼすことを行なうであろう,と予告します。
28 バラムの提案によってどんな巧妙なわながイスラエルにもたらされますか。しかし,神罰はどのようにとどめられますか。
28 イスラエルをのろうことができないでバラクを憤怒させたバラムは次に,王の好意を得ようとして,モアブ人が自分たちの女性を用いてイスラエルの男たちを誘惑し,バアル崇拝にまつわるみだらな儀式に加わらせることを提案します。(31:15,16)今,約束の地のまさにその境界で,イスラエル人は甚だしい不道徳と偽りの神々の崇拝に陥ることになります。エホバの怒りが燃えて神罰が下された時,モーセは悪行者たちに対する厳しい処罰を求めます。大祭司の息子ピネハスは,ある長がミディアン人の女を宿営内の自分の天幕の中に連れ入れるのを見るや,その二人の後を追って行き,女の局部を突き通してその二人を殺します。これによって神罰はとどめられますが,それは2万4,000人が死んでからのことでした。
29 (イ)40年目の終わりに行なわれた人口調査によってどんなことが明らかにされますか。(ロ)約束の地に入るために今どんな準備がなされますか。
29 次いでエホバは,再び民の人口調査を行なうことをモーセとエレアザルに命じます。ほとんど39年前にシナイ山の近くで行なったのと同様の方法です。最終的な数字は,彼らの隊伍に少しも増加のなかったことを示します。むしろ,登録された男子の数は1,820人少なくなっていました。シナイで軍役のために登録された者は,ヨシュアとカレブを別にすれば,その一人も残ってはいません。エホバがあらかじめ示されたとおり,そのすべてが荒野で死に絶えました。エホバは次に,相続地となる土地の分割に関して指示を与えます。神はまた,メリバの水のところでエホバを神聖なものとすることを怠った理由でモーセが約束の地に入らないことを再び告げます。(20:13; 27:14,脚注)モーセの後継者としてヨシュアが任命されます。
30 ミディアン人に対してどのように返報がなされますか。領地に関してヨルダンの東でどのような割り当てがなされますか。
30 次いでエホバは,犠牲や祭りに関するエホバの律法の重要さと誓約の重大さを,モーセを通してイスラエルに銘記させます。神はまた,モーセにミディアン人に対する返報を加えさせます。彼らがペオルのバアルに関してイスラエルをたぶらかすことに加わったからです。バラムも含め,ミディアン人の男子はすべて戦いで討ち殺されます。処女の娘たちだけ3万2,000人が命を救われ,80万8,000頭の動物をはじめとする強奪物と共に捕虜にされます。戦闘で失われたイスラエル人は一人もいないことが報告されます。畜類を飼育するルベンとガドの子らは,ヨルダンの東の領地に定住することを求め,約束の地の征服に助力することに同意した後に,その願いは聞き入れられ,こうしてこれら二つの部族は,マナセの半部族と共に,この豊かな台地を自分たちの相続地として与えられます。
31 (イ)その地に入った際イスラエルはどのように従順さを示し続けなければなりませんか。(ロ)部族の相続地に関してどんな指示が与えられますか。
31 40年にわたる旅の停留地について振り返った後,記録は再びエホバに対する従順の必要に注意を向けています。神は彼らに土地を与えようとしておられますが,彼らは神のための刑執行者となり,悪霊崇拝に携わる堕落した住民を追い出して,その偶像礼拝的な宗教のあらゆるこん跡を一掃しなければなりません。神から与えられる土地の境界が詳しく述べられます。それは彼らの間でくじによって分割されることになります。部族としての相続地を持たないレビ人は,牧草地のある48の都市を与えられます。そのうちの六つは,意図せずに人を殺した者のための避難都市となります。領地はその部族内に保たれるべきであり,結婚によっても他の部族に渡されることはありません。男子の相続人がいない場合,相続地を受け継ぐ娘たちは ― ツェロフハドの娘たちはその例 ― 自分の部族内で結婚しなければなりません。(27:1-11; 36:1-11)民数記は,モーセを通して伝えられたエホバのこれらのおきてをもって結ばれており,今やついにイスラエルの子らは約束の地に入る態勢を整えています。
なぜ有益か
32 イエスとその犠牲は民数記の中でどのように予型的に示されていますか。
32 イエスは数回にわたって民数記を参照しており,その使徒や聖書の他の筆者たちも,その記録がいかに有意義かつ有益であるかをはっきりと論証しています。特に使徒パウロは,イエスの忠実な奉仕と,おおむね民数記に記録されるモーセの奉仕とを比較しました。(ヘブライ 3:1-6)動物の犠牲,そして民数記 19章2節から9節に記される赤色の若い雌牛の灰を振り掛けることの中にも,わたしたちは,キリストの犠牲によって清めを行なうためのはるかに壮大な備えが描かれているのを見ます。―ヘブライ 9:13,14。
33 荒野で水が与えられたことは今日のわたしたちにとってなぜ関心のある点ですか。
33 同様にパウロは,荒野で岩から水を出したことがわたしたちにも大いに意味があることを示して,こう述べました。「彼らはいつも,自分たちに付いて来た霊的な岩塊から飲んだのです。その岩塊はキリストを表わしていました」。(コリント第一 10:4。民数記 20:7-11)適切にも,次のように述べたのはキリストご自身でした。「だれでもわたしが与える水を飲む人は,決して渇くことがなく,わたしが与える水は,その人の中で,永遠の命を与えるためにわき上がる水の泉となるのです」― ヨハネ 4:14。
34 銅の蛇に預言的な意味のあったことをイエスはどのように示されましたか。
34 イエスはまた,民数記に記録されているある出来事に直接言及されました。それは,神がイエスを通して設けておられる驚嘆すべき備えを予表するものでした。「モーセが荒野で蛇を挙げたと同じように,人の子も挙げられねばなりません。それは,彼を信じる者がみな永遠の命を持つためです」とイエスは言われました。―ヨハネ 3:14,15。民数記 21:8,9。
35 (イ)荒野でのイスラエル人の場合に例示されるとおり,クリスチャンはどんなことに用心すべきですか。そしてなぜ?(ロ)ユダとペテロはそれぞれ自分の手紙の中で貪欲と反逆のどんな例に言及していますか。
35 イスラエル人が荒野で40年間さまようように宣告されたのはなぜでしたか。信仰の欠如のためです。使徒パウロはこの点に関連して強力な訓戒を与えています。「兄弟たち,あなた方のうちのだれも,生ける神から離れて,信仰の欠けた邪悪な心を育てることがないように気をつけなさい。むしろ……日ごとに勧め合い(なさい)」。その不従順のゆえ,また不信仰のゆえに,それらイスラエル人は荒野で死にました。「それゆえわたしたちは,[神の]休みに入るために力を尽くし,だれも同じような不従順に陥ることがないようにしましょう」。(ヘブライ 3:7-4:11。民数記 13:25-14:38)聖なる物事についてあしざまに語る不敬虔な人々に対して警告した際,ユダは,報いを求めたバラムの貪欲さと,エホバの僕モーセに対するコラの反逆の言葉を引き合いに出しました。(ユダ 11。民数記 22:7,8,22; 26:9,10)バラムについては,ペテロも,『悪行の報いを愛した』者として言及し,また栄光を受けた後のイエスも,ヨハネを通して与えた啓示の中で,『つまずきのもとである偶像礼拝と淫行をイスラエルの子らの前に置いた』者として言及しておられます。確かに今日のクリスチャン会衆はそのような不敬虔な人々に警戒していなければなりません。―ペテロ第二 2:12-16。啓示 2:14。
36 害となるどんな行ないについてパウロは警告しましたか。その助言から今日のわたしたちはどんな益を受けますか。
36 コリントの会衆で不道徳の問題が起きた時,パウロは「害になる事柄を欲する」ことに関して彼らに書き送って,特に民数記に言及しました。彼はこう訓戒しました。「また,彼らのうちのある者たちが淫行を犯したように,淫行を行なうことがないようにしましょう。彼らは一日に二万三千人が倒れる結果になりました」。(コリント第一 10:6,8。民数記 25:1-9; 31:16)b 神の命令に従う人には難儀があり,エホバが備えたマナには不満足であると,民が不平を唱えた時のことについてはどうでしょうか。その点に関してパウロはこう述べています。「またわたしたちは,彼らのうちのある者たちが試みたように,エホバを試みたりはしないようにしましょう。彼らは蛇によって滅びる結果になりました」。(コリント第一 10:9。民数記 21:5,6)次いでパウロはこう続けます。「また,彼らのうちのある者たちがつぶやいたように,つぶやく者となってはなりません。彼らは滅ぼす者によって滅びる結果になりました」。エホバとその代表者とエホバの備えに対してつぶやいた結果はイスラエルにとって何と苦い経験になったのでしょう。「例として彼らに降り懸かった」これらの事柄は今日のわたしたちすべてに対する明確な警告となるはずであり,わたしたちが全き信仰のうちにエホバに仕え続けてゆくべきことを促します。―コリント第一 10:10,11。民数記 14:2,36,37; 16:1-3,41; 17:5,10。
37 聖書の他の章句を理解する上で民数記がどのように助けになるかを例で説明しなさい。
37 民数記はまた,聖書の他の多くの章句をより深く理解するための背景を与えてもいます。―民数記 28:9,10 ― マタイ 12:5。民数記 15:38 ― マタイ 23:5。民数記 6:2-4 ― ルカ 1:15。民数記 4:3 ― ルカ 3:23。民数記 18:31 ― コリント第一 9:13,14。民数記 18:26 ― ヘブライ 7:5-9。民数記 17:8-10 ― ヘブライ 9:4。
38 特にどのような点で民数記は有益ですか。それはわたしたちの注意を何に向けさせますか。
38 民数記の記録はまさしく神の霊感を受けたものであり,エホバへの従順とエホバがご自分の民の中の監督者とした人々に対する敬意の大切さをわたしたちに教える点で有益です。それは実例を示して悪行を戒め,また預言的な意味を含む出来事によって,わたしたちの注意を,今日の神の民の救い主また指導者としてエホバが備えた方に向けさせます。民数記は,エホバが,仲介者また大祭司として任命したイエス・キリストの手にゆだねられる義の王国の設立にまで至る記録の中で,示唆に富む,欠くことのできない部分となっています。
[脚注]
a 「聖書に対する洞察」(英文),第1巻,540-542ページ。
b 「聖書に対する洞察」(英文),第1巻,233ページ。
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聖書の5番目の書 ― 申命記『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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聖書の5番目の書 ― 申命記
筆者: モーセ
書かれた場所: モアブの平原
書き終えられた年代: 西暦前1473年
扱われている期間: 2か月(西暦前1473年)
1 イスラエルが約束の地に入ることに関連してどんな質問がなされるかもしれませんか。
申命記はエホバの民にとって力強い音信を含んでいます。荒野を40年間さまよった後,イスラエルの子らは今,約束の地の門口に立っていました。彼らの前途には何が待ち構えているでしょうか。ヨルダンの向こう側で彼らはどんな特別の問題に直面するでしょうか。モーセはこの国民に対して最後にどんなことを告げるのでしょうか。そしてわたしたちは尋ねます。これらの問いの答えを知ることは,今日のわたしたちにとってなぜ有益でしょうか。
2 申命記はどんな際立った仕方で重要な役割を果たしていますか。
2 その答えは,モーセが語り,聖書の5番目の書である申命記の中に彼が記録した言葉の中に見いだされます。申命記はそれ以前の書の内容の多くを繰り返して述べているのですが,それでも際立った仕方で重要な役割を果たしています。なぜでしょうか。エホバの民の歴史の中で強力な指導と明確な指示とが特に必要とされた時に備えられたものとして,それは神からの音信の大切さをいっそう強調しているからです。彼らは新しい指導者のもとに約束の地にまさに入ろうとしていました。彼らには前進して行くための激励が必要であり,同時に,エホバからの祝福に通ずる正しい進路を彼らに取らせるための神からの警告も必要でした。
3 申命記全体を通してモーセはどんなことを強調していますか。それは今日のわたしたちになぜ大切ですか。
3 この必要に応じつつ,モーセはエホバの霊に力強く動かされて,イスラエルに対し,従順でありかつ忠実であるようにと率直に訴えました。この書全体を通して,モーセは,エホバが至高の神であられ,全き専心を要求され,『心をつくし,魂をつくし,活力をつくして神を愛する』ことをご自分の民に求めておられる,という点を強調しています。エホバは「神の神,主の主,偉大で力強く,畏怖の念を抱かせる神であり,だれに対しても不公平な扱いをせず,まいないを受け取ることもされ(ません)」。エホバはご自分に対抗する者をいっさい許容されません。エホバに従うことは命を意味し,逆らうことは死を意味します。申命記の中で与えられたエホバからの指示は,イスラエルが自分たちの前途に置かれた重大な仕事のためにまさに必要とした心の準備と助言となりました。それは今日のわたしたちにも必要な訓戒であり,それによってわたしたちは,腐敗した世にあって,神のみ名を神聖なものとしつつエホバへの恐れのうちに歩み続けてゆくことができます。―申命記 5:9,10; 6:4-6; 10:12-22。
4 申命記という名称にはどんな意味がありますか。この書にはどんな目的がありますか。
4 「申命記<デュウトロノミー>」という名称は,ギリシャ語セプトゥアギンタ訳での表題「デウテロノミオン」からきています。このギリシャ語は,「二番目」という意味の「デウテロス」と,「律法」という意味の「ノモス」が結合したものです。したがってこれは,「二番目の律法; 律法の反復」という意味です。これは,申命記 17章18節のヘブライ語の句,「ミシュネー ハットーラー」を訳したギリシャ語から来ており,正しく「律法の写し」と訳されています。しかしながら,申命記という名称の意味するところとは異なり,聖書のこの書は,二番目の律法でも律法の単なる反復でもありません。むしろ,それは律法の説明であり,イスラエル人が間もなく入ろうとしていた約束の地において,エホバを愛し,エホバに従うようにと彼らに説き勧めています。―1:5。
5 モーセが申命記の筆者であったことをどんなことが示していますか。
5 これは五書<ペンタチューク>の中の第5巻もしくは五つ目の書ですから,その筆者はこれに先立つ四つの書と同じ,すなわちモーセであるはずです。その巻頭の陳述が明らかにしているとおり,申命記は,「モーセが全イスラエルに話した言葉」です。『モーセはこの律法を書き記した』,『モーセはこの歌を書き記した』など,後に出て来る幾つかの表現も,モーセがその筆者であることをはっきり示しています。モーセの名はこの書の中に40回近くも出ており,大抵はそこでなされた陳述の権威として示されています。モーセを指す第一人称の表現が全体にわたっておもに使用されています。結びの数節だけは,モーセの死後に,恐らくはヨシュアか大祭司エレアザルによって付け加えられたものでしょう。―1:1; 31:9,22,24-26。
6 (イ)申命記の中にどんな時代のことが扱われていますか。(ロ)この書はいつごろまでに事実上書き終えられていましたか。
6 申命記の中に記されている出来事はいつ起きましたか。その初めのところで,この書そのものが,『第四十年,第十一月,その月の一日に,モーセはイスラエルの子らに話すことになった』と述べています。申命記の記録の完成後,ヨシュア記は,ヨルダンを渡る三日前のことからその記述を始めています。それを渡ったのは「第一の月の十日」でした。(申命記 1:3。ヨシュア 1:11; 4:19)上記のことから,申命記の中の出来事の期間としては2か月と1週間が残ります。しかしながら,この9週間の期間のうちの30日はモーセの死を悼むことに用いられました。(申命記 34:8)つまり,申命記の中のすべての出来事は事実上,第40年の第11月のうちに起きたに違いありません。その月の終わりまでに,この書を書き記すこともほとんど完了し,モーセの死は第40年の第12月の初め,すなわち西暦前1473年の初めごろのことであったに違いありません。
7 申命記が信ぴょう性のあるものであることを何が示していますか。
7 五書<ペンタチューク>の最初の四つの書の信ぴょう性を証明するために既に提出された証拠は,その5番目の書である申命記についても当てはまります。申命記はまた,クリスチャン・ギリシャ語聖書中に最も多く引照されているヘブライ語聖書の四つの書のうちの一つでもあります。残りの三つは,創世記と詩編とイザヤ書です。そのような引照は83か所に上り,クリスチャン・ギリシャ語聖書の17の書に申命記への言及が含まれています。a
8 イエスによるどんな決定的な証言が申命記の信ぴょう性を十分に示していますか。
8 申命記に関しては,イエスご自身がその記録を支持する最も強力な証言をしておられます。その宣教を開始した当初,イエスは悪魔から3度の誘惑を受けましたが,3回とも,「……と書いてあります」という形でお答えになりました。どこに書いてあるのですか。それはほかならぬ申命記(8:3; 6:16,13)であり,イエスは霊感による権威としてそこから引用されたのです。「人は,パンだけによらず,エホバの口から出るすべてのことばによって生きなければならない」。「あなたの神エホバを試みてはならない」。「あなたの神エホバをあなたは崇拝しなければならず,この方だけに神聖な奉仕をささげなければならない」。(マタイ 4:1-11)後に,パリサイ人が来て,神のおきてに関してイエスを試みた時,イエスはその答えとして,申命記 6章5節から「最大で第一のおきて」を引用されました。(マタイ 22:37,38。マルコ 12:30。ルカ 10:27)イエスの証言は,申命記の記述が信頼できるものであることを決定的に示しています。
9 どんな外面的な証拠が申命記の真正さを示していますか。
9 さらに,この書に記されている出来事や陳述は歴史的な状況や環境にぴったり適合しています。エジプト,カナン,アマレク,アンモン,モアブ,エドムなどに言及している部分はその時代の情況に忠実であり,場所の名前も正確に述べられています。b 考古学は,モーセが書き記した事柄の正確さに関する証拠を次々と明るみに出しています。ヘンリー・H・ハーレーはこう書いています。「近年,考古学は盛んな発言を行なっており,[モーセがペンタチュークを書いたという]保守的な見方を決定的に再生させている。モーセの時代に文字を書くことはまだ知られていなかったという理論は完全に論破されている。そして,[ヘブライ語聖書]の記述は真の歴史の記録であるという,碑文や地層の中からの証拠が,エジプト,パレスチナ,メソポタミアで年ごとに掘り起こされている。そして,『学識』は,モーセが著者であるという伝統的な見解に対して明らかにいっそうの敬意を抱くようになりつつある」。c こうして,外面的な証拠でさえ,申命記そして五書<ペンタチューク>の他の部分も神の預言者モーセによる信頼できる真実の記録であることを支持しています。
申命記の内容
10 申命記はどんな部分から成り立っていますか。
10 この書はおもに,エリコの向かいのモアブの平原でモーセがイスラエルの子らに行なった一連の講話から成り立っています。その最初のものは第4章で終わり,2番目のものは26章の終わりまで続き,3番目のものは28章まで続き,次いで別の講話が第30章の終わりにまで及んでいます。次いでモーセは,自分の死が近いことを見越して最終的な取り決めを設け,自分の後継者としてヨシュアの任命も行ない,その後エホバを賛美する極めて美しい歌を記録し,次いでイスラエルの各部族に対する祝福の言葉を述べています。
11 モーセは自分の第一の講話をどのように話し始めていますか。
11 モーセの第一の講話(1:1-4:49)。これは,その後に続く部分のための歴史的な導入となっています。モーセはまず,ご自分の民に対するエホバの忠実なご処置について回顧します。モーセは,アブラハム,イサク,ヤコブなど,父祖たちに約束された土地に入って,それを取得するようにと彼らに告げます。また,エホバが,荒野での徒歩旅行の初めに,賢明で思慮深く,経験のある人々をモーセに選ばせて,千人,百人,五十人,十人の長とならせ,この神権社会の活動が相互的な関係を保って行なわれるようにされたことについても話します。イスラエルが「あの広大で畏怖の念を抱かせる荒野をすべて進んで行った」時,エホバが見守る申し分のない組織ができ上がっていました。―1:19。
12 カナンの地の最初の偵察にまつわるどんな出来事をモーセは次に思い起こしていますか。
12 次いでモーセは,カナンから戻って来た斥候たちの報告を聞いて民が不平を言った際のその反逆の罪について思い返します。自分たちをエジプトから連れ出して,ただアモリ人の前に見捨てるのは,エホバが自分たちを憎んでいるためだと彼らは唱えたのです。エホバは,その信仰の欠如のゆえに,カレブとヨシュアを除けば,そのよこしまな世代のだれもその良い地を見ないであろう,と告げました。これを聞いて彼らはまたも反逆的な行動を取り,すっかり激こうして,勝手に敵への襲撃を仕かけますが,それはただ,蜜ばちの群れに追われるかのようにしてアモリ人に追い散らされる結果となったにすぎません。
13 どんなことに基づいてモーセはヨシュアに勝利の保証を与えましたか。
13 彼らは紅海に向かって荒野を旅行し,その後の38年の間に,その戦人の世代のすべての人々は死に絶えました。次いでエホバは,アルノンの北の土地へ渡って行ってそこを取得するようにと彼らに命じて,こう言われました。「この日から,わたしは,あなたに対する畏怖とあなたに対する恐れを,全天下のもろもろの民の前,あなたについての知らせを聞く者たちの前に置いてゆく。あなたのゆえに彼らはまさに動揺し,子を産む者のような苦痛を味わうであろう」。(2:25)シホンとその土地はイスラエル人の手に落ち,その後オグの王国も占領されました。エホバはそれと同じようにしてイスラエルのために戦われ,すべての王国に打ち勝たせてくださるであろうと,モーセはヨシュアに保証を与えました。その後モーセは,自分自身が何とかしてヨルダン川の向こうの良い土地に渡って行けないでしょうかと神に尋ねましたが,エホバはなおもこれを拒まれ,ヨシュアを任命して,これを励まし強めるようにとお告げになりました。
14 モーセは神の律法と全き専心の大切さをどのように強調しましたか。
14 次いでモーセは神の律法の大切さを大いに強調し,神のおきてに付け加えることも,それから取り去ることもしないようにと警告します。不従順は災いを招く結果になるでしょう。「ただ自分に気を付け,自分の魂によく注意して,あなたの目が見た事を忘れないようにしなさい。そして,命の日の限りそれがあなたの心を離れることのないようにしなさい。またあなたはそれを自分の息子と孫たちに知らせなければならない」。(4:9)エホバがホレブの恐るべき情景の中で十の言葉を述べられた時,彼らは何の形も見ませんでした。彼らが今,偶像礼拝や像の崇拝に傾くとすれば,それは彼ら自身にとって身の滅びとなるでしょう。モーセが述べるとおり,「あなたの神エホバは焼き尽くす火であり,全き専心を要求する神」であるからです。(4:24)彼らの父祖たちを愛して,これを選び取られたのはエホバ神でした。上の天にも下の地にもこれ以外に神はいません。この方に従いなさい,それは「あなたの神エホバの与えてくださる地にあってあなたが常に自分の命の日を長くするためである」,とモーセは説き勧めます。―4:40。
15 ヨルダン川の東側で避難都市のためのどんな取り決めが設けられましたか。
15 この強力な話を結んだ後,モーセは,ベツェル,ラモト,ゴランを取り分けて,ヨルダンの東側における避難都市とします。
16 モーセの第二の講話はどんなことを強調していますか。
16 モーセの第二の講話(5:1-26:19)。これは,シナイでイスラエルに対し顔と顔を合わせて話されたエホバに聞き従うように,という呼びかけです。モーセが,幾らかの必要な調整を加えて,ヨルダンを渡った後の新しい生活に適応させつつ再度律法を述べる様子に注目してください。それは規定や定式の単なる言い直しではありません。どの言葉も,モーセの心が自分の神に対する熱意と専心とに満たされていたことを示しています。彼は国民の福祉のために語ります。全体にわたって,律法に対する従順,そうです,強いられてではなく,愛の心による従順が強調されています。
17 イスラエルはエホバが示された愛にどのようにこたえなければなりませんか。
17 まずモーセは,十の言葉,すなわち十のおきてを復唱し,右にも左にもそれることなくそれに従いつづけるようにとイスラエルに告げます。それは,その地において彼らが自分の日を長くし,非常に多くなるためです。「イスラエルよ,聴きなさい。わたしたちの神エホバはただひとりのエホバである」。(6:4)イスラエルは神を愛することに心と魂と活力を尽くし,その子らに教えて,エホバがエジプトで行なわれた大いなるしるしと奇跡についてこれに語らねばなりません。偶像礼拝を行なうカナン人との間に姻戚関係を結んではなりません。エホバはイスラエルを選んでご自分の特別の所有物とされましたが,それは彼らの人口が多いからではなく,エホバが彼らを愛して,その父祖たちに対して立てた誓いのことばを守られるからなのです。イスラエルは悪霊宗教のわなを退け,その地から像を滅ぼし去り,真に「偉大で畏怖の念を抱かせる神」エホバに付き従わなければなりません。―7:21。
18 モーセは何に注意すべきことをイスラエル人に説き勧めますか。
18 エホバは荒野で40年のあいだ彼らを謙遜にならせ,人がマナやパンによって生きるのではなく,むしろエホバの口から出るすべての言葉によって生きるものであることを彼らに教えられました。矯正のためのこの全期間を通じて,彼らの衣服はすり切れず,その足がはれることもありませんでした。今彼らは豊かで産出的な地に入ろうとしています。しかし彼らは物質主義や独善主義のわなに警戒しなければならず,『力と富とを与え』,邪悪な諸国民を立ち退かせてくださるのはエホバであることを覚えていなければなりません。(8:18)次いでモーセは,イスラエルが神の怒りを引き起こした幾つかの場合について再度語ります。荒野においてエホバの怒りが彼らに対していかに激しく燃えたか,それによって災厄と火と殺りくがいかにもたらされたかを彼らは思い起こさなければなりません。破滅をもたらした彼らの黄金の子牛の崇拝についても思い出すべきです。それはエホバの激しい怒りを来たらせ,律法の書き板が書き直されなければなりませんでした。(出エジプト記 32:1-10,35; 17:2-7。民数記 11:1-3,31-35; 14:2-38)確かに,彼らは今エホバに仕えて,これに堅く付かなければなりません。エホバは彼らの父たちのゆえに彼らを愛し,彼らを「天の星のように数多くされた」のです。―申命記 10:22。
19 どんな選択の道がはっきり述べられますか。その国民のためにどんな律法が略述されますか。
19 イスラエルは「おきて全体」を守り,必ずエホバに従い,自分たちの神としてエホバを愛し,心と魂をつくしてこれに仕えなければなりません。(11:8,13)彼らが従うなら,エホバは彼らを支え,報いを与えます。しかし,彼らは身を入れて自分の子らを勤勉に教えなければなりません。イスラエルの前に置かれた選択の道については明確に述べられました。すなわち,従順であれば祝福にあずかり,不従順であれば呪いに至るのです。彼らは『他の神々に付いて行って』はなりません。(11:26-28)次いでモーセは,約束の地に進んで行ってそれを取得するイスラエルに影響する個々の律法を略述します。その中には,(1)宗教と崇拝にかかわる律法,(2)公正の実施や,統治や戦争に関する律法,(3)民の私的また社会的生活を規定する律法があります。
20 崇拝に関する律法にはどんな際立った点がありますか。
20 (1)宗教と崇拝(12:1-16:17)。イスラエルがその地に入るとき,偽りの宗教のあらゆるこん跡 ― その高き所,祭壇,柱,聖木,像 ― を根絶しなければなりません。イスラエルは,ただその神エホバが選んでご自身の名を置かれる場所においてのみ崇拝しなければなりません。その場所で彼らすべてはエホバにあって歓び楽しむのです。肉や犠牲のものを食べることに関する規定の中では,血を食べてはならないということが繰り返し諭されます。「ただ,血を食べることはしないように堅く思い定めていなさい。……それを食べてはならない。こうしてエホバの目に正しいことを行なうことによって,あなたにとってもあなたの後の子らにとっても物事が良く運ぶためである」。(12:16,23-25,27; 15:23)次いでモーセは偶像礼拝に対する率直な非難を開始します。イスラエルは偽りの宗教の種々のやり方を探ってみることさえしてはなりません。偽りの預言者であることが判明するなら,その預言者は死に処されなければなりません。また背教者は ― たとえそれが自分の愛する親族や友人であっても,そうです,たとえそれが一つの都市全体であっても ― 同じように滅びのためにささげられなければなりません。次に,清い食物と汚れた食物に関する規定,什一の支払いとレビ人に対する世話のことが述べられます。債務を負う人,貧しい人,奴隷などの利益は愛によって保護されるべきです。最後に,モーセは年ごとの祭りについて再び述べて,その祝福に対してエホバに感謝を表わす時とします。「年に三度,あなたに属するすべての男子は,あなたの神エホバの選ばれる場所でそのみ前に出るべきである。すなわち,無酵母パンの祭り,七週の祭り,そして仮小屋の祭りの時である。だれもむなし手でエホバの前に出てはいけない」― 16:16。
21 公正に関してどんな律法が与えられていますか。モーセはどんな重要な預言を語りますか。
21 (2)公正,統治,戦争(16:18-20:20)。まず初めに,モーセは裁き人やつかさたちに関係する律法を述べます。公正を守るのは重要なことであり,わいろやゆがんだ裁きはエホバの憎まれるところです。証拠の確立や法的な事件の処理のための手順が略述されます。「二人の証人または三人の証人の口によって,その死ぬべき者は死に処せられるべきである」。(17:6)王たちに関する律法も述べられます。祭司やレビ人たちのための取り決めも作られます。心霊術は「エホバにとって忌むべきもの」として禁じられます。(18:12)遠い将来を見通してモーセはこう宣言します。「あなた自身の中,あなたの兄弟たちの中から出るわたしのような預言者を,あなたの神エホバはあなたのために起こされる ― その者にあなた方は聴き従うべきである」。(18:15-19)しかし,偽りの預言者は死ななければなりません。この部分は,避難都市と血の復しゅうに関する律法,兵役を免除される資格と戦争の際の規則をもって結ばれています。
22 私的また社会的などんな事柄を規定する律法について述べられていますか。
22 (3)私生活と社会生活(21:1-26:19)。イスラエル人の日常生活にかかわる律法は次のような事柄に関連して述べられています。すなわち,殺害されて発見された人,捕虜の女との結婚,長子の権利,反抗的な息子,犯罪者を杭に掛けること,処女の証拠,性の犯罪,去勢,庶出の子,異国人の取り扱い,衛生,利息の支払いと誓約,離婚,誘拐,貸借,賃金,落ち穂や採り残しについてなどです。人をむち打つ際の限度は40回までです。脱穀している牛にくつこを掛けてはなりません。義兄弟結婚の手順についても略述されています。分銅は正確なものを用いなければなりません。不正はエホバの忌み嫌われる事柄だからです。
23 モーセは,神の民がそのおきてに従うときどんな結果になることを示していますか。
23 この熱烈な講話を結ぶ前に,モーセは,イスラエルがエジプトから逃れ出て来た際,アマレクがうみ疲れたイスラエル人に後方から打ちかかったことを思い起こさせて,「アマレクについて述べることを天の下からぬぐい去るように」とイスラエルに命じます。(25:19)その土地に入ったら,彼らはその地の初なりを歓びをもってささげ,また什一をエホバへの次の感謝の祈りをもってささげなければなりません。「どうか,あなたの聖なる住まいである天からご覧になり,あなたの民イスラエルとわたしたちにお与えくださった土地とを祝福してください。父祖たちにお誓いになったとおりに,この乳と蜜の流れる地を」。(26:15)彼らが心と魂をつくしてこれらのおきてを実行するなら,エホバとしても,『彼らが自分たちの神エホバに対して聖なる民となるかぎり,彼らをそのお造りになったあらゆる国民の上に高めて,賛美と名声と美とし,その約束のとおりに』されるのです。―26:19。
24 第三の講話はどんな祝福とのろいをイスラエルの前に置いていますか。
24 モーセの第三の講話(27:1-28:68)。この講話の中では,不従順に対するエホバののろいと忠実さに対する祝福とをモーセが細かに列挙し,イスラエルの年長者と祭司たちがそれに加わっています。不忠実のもたらす恐るべき結果に関して厳しい警告が与えられています。イスラエルが神の聖なる民としてその神エホバの声に聴き従い続けるなら,すばらしい祝福を享受することができ,地のすべての民は,エホバのみ名が彼らの上にとなえられていることを知るでしょう。しかしながら,もし彼らがこの点で失敗するなら,エホバは彼らの上に『のろいと混乱と叱責』をもたらされるでしょう。(28:20)彼らは忌まわしい疾病に見舞われ,日照りと飢きんにさいなまれることになるでしょう。彼らの敵は追いかけて来て彼らを奴隷にし,彼らは追い散らされ,地の上から滅ぼし尽くされるでしょう。彼らが「注意してこの書に記されるこの律法のすべての言葉を行なうようにせず,この栄光ある,畏怖の念を抱かせるみ名を,[彼ら]の神エホバを恐れない」のであれば,これらや他ののろいが彼らの上に臨むことになります。―28:58。
25 (イ)エホバは今どんな契約をイスラエルと結びますか。(ロ)モーセはどんな選択の道を民の前に置きますか。
25 モーセの第四の講話(29:1-30:20)。エホバは今,モアブでイスラエルと契約を結びます。これは,モーセが律法を繰り返し述べて説明したもので,律法に組み入れられており,それは約束の地に入るイスラエルを導くものとなります。その契約に伴う厳粛な誓いはその国民の責任を十分に銘記させます。最後にモーセは天と地に呼びかけてこれを証人とし,民の前に命と死,祝福と呪いとを置いて,こう説き勧めます。「あなたは命を選び,あなたもあなたの子孫も共に生きつづけるようにしなければならない。すなわち,あなたの神エホバを愛し,その声に聴き従い,これに堅く付くのである。神はあなたの命,あなたの長い日々なのであり,エホバがあなたの父祖アブラハム,イサク,ヤコブに与えることを誓われたその地にあなたが住むためである」― 30:19,20。
26 モーセは自分の死に先立ってどんな最終的な取り決めを設けますか。
26 ヨシュアの任命,およびモーセの歌(31:1-32:47)。第31章は,律法を書き記し,それを定期的に公の場で朗読することに関して指示を与え終えたモーセが,その後ヨシュアを任命して,勇気を持ち,強くあるようにと彼に告げたことを述べています。また,その後にモーセが記念の歌をまとめて,律法の言葉を書き記すことを完了し,それをエホバの契約の箱の傍らに置くように取り決めた様子を伝えています。その後モーセは,最後の説き勧めとして,その歌の言葉を全会衆に語ります。
27 モーセの歌にはどんな強力な音信が含まれていますか。
27 モーセの歌はその諭しのことばのさわやかな源について明らかにしつつ,いかにも認識にあふれたことばで始まっているではありませんか。「わたしの諭しは雨のように滴り,わたしのことばは露のように流れ落ちる。草に降る静かな雨,草木に降る豊潤な雨のように。それはわたしがエホバの名をふれ告げるからだ」。そうです,「わたしたちの神」,「岩なる方」に偉大さを帰すべきです。(32:2-4)その完全なみ業,その公正な道,その忠実さ,義と廉直さについて知らせなさい。広漠とした,遠ぼえのする砂漠の中でエホバが彼らを周りから囲み,自分の目のひとみのようにして彼らを保護し,巣立ちびなの上を舞い駆ける鷲のようになられたにもかかわらず,彼らが自ら滅びとなるようなことを行なったのは恥ずべきことでした。エホバはご自分の民を肥え太らせ,これをエシュルン,「廉直な者」と呼ばれたのに,彼らは見知らぬ神々をもってエホバのねたみを引き起こし,「忠実さのない子ら」となりました。(32:20)復しゅうと応報はエホバのものです。エホバは死に至らせることも生かすこともされます。エホバがそのきらめく剣を研ぎ,そのみ手が裁きを執るとき,神はまさに,ご自身に敵対する者たちに復しゅうを加えられるのです。このことは神の民に何という確信を抱かせるのでしょう。その歌が最高潮で述べるとおり,今は『諸国民が,神の民と共に喜ぶ』時です。(32:43)世のどんな詩人が,エホバに向かって歌われたこの歌の高められた美しさと,力と,意味の深さに近づき得たでしょうか。
28 モーセの最後の祝福のことばの中でエホバはどのように高められていますか。
28 モーセの最後の祝福の言葉(32:48-34:12)。モーセはここで,自分の死に関する最終的な指示を与えられますが,それでもまだ彼の神権的な奉仕は終わっていません。まず彼はイスラエルを祝福しなければなりません。そして,これを行なうにあたって,彼は再び,エシュルンの中で王であられるエホバをたたえ,エホバはその聖なる巨万の軍を率いて輝き出られたと歌います。それぞれの部族は,名を呼ばれて自分の祝福を受け,次いでモーセは,卓逸した方としてエホバを賛美します。「いにしえからの神は隠れ場であり,その下には定めなく保つみ腕がある」。(33:27)次いで彼は,感謝にあふれた心から,その国民に対する最後の言葉を述べます。「イスラエルよ,あなたは幸いな者! だれかあなたのような者がいるだろうか。エホバにあって救いを享受する民」― 33:29。
29 モーセはどんな点で際立っていますか。
29 ネボ山から約束の地を眺めた後にモーセは死に,エホバは彼をモアブに葬ります。彼の墓は今日に至るまでどこにあるか知られておらず,崇敬の対象とはされていません。彼は120歳まで生きましたが,「その目はかすまず,その生気は失われていなかった」のです。エホバは彼を用いて大いなるしるしと奇跡を行なわせました。最後の章が伝えるとおり,「エホバが顔と顔を合わせて知ったモーセのような預言者はいまだイスラエルに起きて」いません。―34:7,10。
なぜ有益か
30 どのような点で申命記は五書の適切な結びとなっていますか。
30 申命記は五書<ペンタチューク>の結びの書として,エホバ神の大いなるみ名を宣明し,また神聖なものとする点でそれ以前に起きたすべての事柄を結び合わせています。ただエホバだけが神であって,全き専心を要求され,悪霊の神々や偽りの宗教的崇拝による対抗をいっさい許容されません。今日クリスチャンすべては神の律法の基となる主要な原則に真剣な注意を払って神に従い,こうして神がご自分の敵対者に復しゅうを行なうためにそのきらめく剣を研がれる時に,神からののろいを受けることのないようにしなければなりません。神の最大で第一のおきてをその生活における指針としなければならないのです。「あなたは,心をつくし,魂をつくし,活力をつくしてあなたの神エホバを愛さねばならない」― 6:5。
31 霊感による聖書の他の部分はどのように申命記を引き合いにして神の目的に対する認識を豊かにさせていますか。
31 聖書の他の部分はしばしば申命記を引照して,神の目的に対する認識を豊かにさせています。イエスは,誘惑者に答える際に引用したことに加えて,ほかにも多くの事柄を申命記から引照しています。(申命記 5:16 ― マタイ 15:4。申命記 17:6 ― マタイ 18:16とヨハネ 8:17)このことは「啓示」の書にも続き,その中で,栄光を受けたイエスは,エホバの預言の巻き物に付け加えることも,それから取り去ることもしないようにと最後に警告しておられます。(申命記 4:2 ― 啓示 22:18)イエスがキリストであり,エホバがイスラエルに起こすことを約束されたモーセより偉大な預言者であるという強力な論議の決め手として,ペテロは申命記を引用しています。(申命記 18:15-19 ― 使徒 3:22,23)パウロは,働き人に対する報い,証人たちの口をもってなされる徹底的な調査,また子供を教え諭すことなどに関して申命記から引用しています。―申命記 25:4 ― コリント第一 9:8-10とテモテ第一 5:17,18。申命記 13:14と19:15 ― テモテ第一 5:19とコリント第二 13:1。申命記 5:16 ― エフェソス 6:2,3。
32 ヨシュア,ギデオン,預言者たちはどのような点でわたしたちに対する優れた手本ですか。
32 クリスチャン聖書の筆者たちだけでなく,クリスチャン時代以前の神の僕たちもまた,申命記から諭しと励ましを受けました。わたしたちも彼らの手本に倣うのがよいでしょう。モーセの後継者ヨシュアがカナンに攻め入った際に示したその絶対的な従順について考えてください。アカンのように分捕り物を自分のために取るようなことはせず,征服した諸都市を全く滅びのためにささげました。(申命記 20:15-18と21:23 ― ヨシュア 8:24-27,29)ギデオンが「恐れておののいている者」を自分の軍から除いたのは律法に従ってのことでした。(申命記 20:1-9 ― 裁き人 7:1-11)イスラエルとユダの預言者たちが,脱落してゆく国民をとがめて大胆また勇敢に語ったのも,エホバの律法に忠実に従ったためでした。アモスはこの点で優れた手本となっています。(申命記 24:12-15 ― アモス 2:6-8)実際,申命記と神の言葉の他の部分とを結び付ける例は文字通り幾百もあって,申命記が調和ある統一体のうちの欠くことのできない有益な部分であることを示しています。
33 (イ)申命記はエホバへの賛美をどのように表わしていますか。(ロ)このページの付表は世の諸国家が神の律法の原則を認めていることに関して何を示していますか。
33 申命記の核心は主権者なる神エホバに対する賛美です。『エホバを崇拝し,この方に全き専心をささげよ』ということが,全体にわたって強調されています。律法はもはやクリスチャンには課せられていませんが,その元となる諸原則は撤廃されてはいません。(ガラテア 3:19)物事を漸進的に教え,率直さと簡明さとをもって説明する,神の律法のこの力強い書から,真のクリスチャンは何と多くのことを学べるのでしょう。世の諸国家でさえ,エホバの至上の律法の卓越性を認めて,申命記の中の多くの規定を自らの法典の中に書き込んでいるのです。このページの付表は,諸国家が採用し,あるいは原則を適用した律法の興味深い実例を示しています。
34 この「律法の反復」と神の王国との間にはどんな関係がありますか。
34 さらに,この律法の説明は,神の王国を指し示して,それに対する認識を高めさせます。どのようにですか。地上におられた時,指名された王イエス・キリストはこの書の内容に十分に通じていて,それを適用しました。その巧みな引用の仕方に示されているとおりです。ご自分の王国の支配を全地に広げるにあたって,イエスはこの同じ「律法」の正しい原則に従って統治を行ない,王国の「胤」としてのイエスのもとに来て自らを祝福しようとする人々は皆,それらの原則に従わなければならないでしょう。(創世記 22:18。申命記 7:12-14)今それに従い始めることは有益であり,わたしたち自身のためになります。この3,500年昔の「律法」は,決して時代遅れなどではなく,むしろ今日のわたしたちに力強く語りかけ,神の王国のもとでの新しい世に至るまでそれは語り続けるのです。申命記は「聖書全体」の中でも,まさしく霊感を受け,かつまた人を奮い立たせる部分であり,五書<ペンタチューク>の栄光あるクライマックスとなっています。そのすべての有益な教えが適用されることによって,神の民の間でエホバのみ名が引き続き神聖なものとされてゆきますように。
[脚注]
a B・F・ウェストコットおよびF・J・A・ホートによる「ギリシャ語原語による新約聖書」(英文),1956年,601-618ページの「旧約聖書からの引用箇所」という表をご覧ください。
c 「ハーレーのバイブル・ハンドブック」(英文),1988年,ヘンリー・H・ハーレー,56ページ。
[41ページの図表]
申命記の中の幾つかの法的先例d
I. 個人および家族法 章と節
イ. 個人的関係
1. 親と子 5:16
ロ. 財産権 22:1-4
II. 憲法
イ. 王の資格と務め 17:14-20
ロ. 軍規
2. 下級士官 20:9
III. 司法制度
ロ. 最高上訴裁判所 17:8-11
IV. 刑法
イ. 国家に対する犯罪
1. 贈収賄。裁きを曲げること 16:19,20
2. 偽証罪 5:20
ロ. 反道徳的犯罪
ハ. 個人に対する犯罪
2. 強姦と婦女誘拐 22:25-29
V. 人道的法律
ハ. 建築安全規則 22:8
ホ. 貧しい人に対する博愛的な備え 14:28,29; 15:1-11; 16:11,12; 24:19-22
[脚注]
d 「イスラエルの律法と法的先例」(英文),1907年,C・F・ケント,vii-xviiiページ。「聖書に対する洞察」(英文),第2巻,214-220ページもご覧ください。
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聖書の6番目の書 ― ヨシュア記『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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聖書の6番目の書 ― ヨシュア記
筆者: ヨシュア
書かれた場所: カナン
書き終えられた年代: 西暦前1450年ごろ
扱われている期間: 西暦前1473年-1450年ごろ
1 西暦前1473年イスラエルはどんな状況に面していましたか。
時は西暦前1473年です。光景は最も劇的で,スリルに満ちています。モアブの平原に宿営を張ったイスラエル人たちは,約束の地カナンに入る態勢を整えています。ヨルダンの対岸のその地域には,無数の小王国があり,それぞれが自らの軍隊を擁しています。それらは相互に反目し,多年にわたるエジプトの腐敗した支配によって弱体化しています。それでも,イスラエルの国民にとって,彼らの抵抗には手ごわいものがあります。その地を従えるためには,エリコ,アイ,ハツォル,ラキシュなど,城壁で防備を固めた都市を取らねばなりません。前途には難しい時期が控えています。決定的な戦いを行ない,しかもそれに勝たねばなりません。エホバご自身がその民のために強力な奇跡をもって進んで行かれます。それは,彼らをその地に定住させるというご自分の約束を成し遂げるためです。疑いなく,ご自分の民に対するエホバの数々のご処置の中でも特に際立ったこれら興奮させる出来事はどうしても記録にとどめられなければなりません。しかもそれは目撃証人によってなされるべきです。そのために,モーセの後継者としてエホバから任命されたヨシュアその人以上に好適な人がいるでしょうか。―民数記 27:15-23。
2 ヨシュアが指導者として,また記録者として選ばれたのはなぜ適切でしたか。
2 ヨシュアが,指導者として,また起ころうとする出来事の記録者としても選ばれたのは極めて適切なことでした。それまで荒野で過ごした40年のあいだ彼は終始モーセと非常に緊密な関係にありました。彼は「若い時からモーセの奉仕者となってきた」のであり,霊的な面でも軍事的な面でも指導者となる資格のあることを示してきました。(民数記 11:28。出エジプト記 24:13; 33:11。ヨシュア 1:1)イスラエルがエジプトを出発した西暦前1513年,彼は,アマレク人を撃ち破ったイスラエルの軍勢の統率者でした。(出エジプト記 17:9-14)カナンの地を偵察するという危険な任務のために各部族から一人が選ばれたとき,モーセの忠節な友また恐れることのない軍の指揮官であった彼が,エフライムの部族の代表として選ばれたのは自然なことでした。その時に示した勇気と忠実さは彼が約束の地に入ることの保証となりました。(民数記 13:8; 14:6-9,30,38)そうです,この人,ヌンの子ヨシュアは,「内に霊を持つ者」であり,「エホバに従い通した」人,「知恵の霊に満ち」た人でした。『ヨシュアがいたすべての日の間,イスラエルがずっとエホバに仕え続けた』のも不思議ではありません。―民数記 27:18; 32:12。申命記 34:9。ヨシュア 24:31。
3 ヨシュアが実在したエホバの僕であり,またその名の付されている書の筆者であったことを何が証明していますか。
3 その得た経験と訓練,またエホバの真の崇拝者としての試みられた特質という点から考えるとき,ヨシュアは確かに,『神の霊感を受けた聖書』の筆者の一人として用いられるにふさわしい立場にありました。ヨシュアは決して単なる伝説上の人物ではなく,実際に生存したエホバの僕の一人です。彼のことはクリスチャン・ギリシャ語聖書の中で名を挙げて言及されています。(使徒 7:45。ヘブライ 4:8)モーセが自分の生涯中の出来事を記すために用いられたのと同じように,その後継者ヨシュアもまた自分が目撃した出来事について書き記すために用いられたのはもっともなことと言えるでしょう。この書が出来事を目撃した人物によって書かれたことは,ヨシュア 6章25節にも示されています。ユダヤ人の伝承は,ヨシュアがその筆者であることを伝え,またその書自体も,「次いでヨシュアはそれらの言葉を神の律法の書に記し(た)」と述べています。―ヨシュア 24:26。
4 ヨシュア記の信ぴょう性は預言の成就の面から,また後代の聖書筆者による証言の面からもどのように証明されていますか。
4 エリコの滅亡の時,ヨシュアはその都市の再建に対して預言的なのろいをかけ,それは,およそ500年後,イスラエルの王アハブの時代に目覚ましい成就を見ました。(ヨシュア 6:26。列王第一 16:33,34)さらに,ヨシュア記の信ぴょう性は,その書に記録されている出来事に後代の聖書筆者たちが何度も言及していることによっても確証されています。詩編作者たちは,繰り返しそれらの出来事に言及しています。(詩編 44:1-3; 78:54,55; 105:42-45; 135:10-12; 136:17-22)ネヘミヤ(ネヘミヤ 9:22-25),イザヤ(イザヤ 28:21),使徒パウロ(使徒 13:19。ヘブライ 11:30,31),弟子ヤコブ(ヤコブ 2:25)もそうしています。
5 (イ)ヨシュア記の中でどんな時期のことが扱われていますか。(ロ)ヨシュアという名はなぜ適切ですか。
5 ヨシュア記は,西暦前1473年のカナンへの進入から,ヨシュアが死んだ年と思われる西暦前1450年ごろまで,20年余りの期間のことを扱っています。「エホバは救い」という意味のヨシュア(ヘブライ語,エホーシュア)という名前は,その地の征服期におけるイスラエルの見える指導者としてのヨシュアの役割から見て極めて適切であったと言えます。彼は,救出者としての栄光をすべてエホバに帰しました。セプトゥアギンタ訳の中でこの書は「イエースース」(エホーシュアに相当するギリシャ語)と呼ばれており,イエスという名はこの語からきています。勇気,従順さ,忠誠など,その優れた特質からして,ヨシュアはまさに「わたしたちの主イエス・キリスト」の立派な預言的型となりました。―ローマ 5:1。
ヨシュア記の内容
6 ヨシュア記はどんな四つの自然な区分に分けられますか。
6 この書は,自然な区分として,次の四つの部分に分けられます。(1)約束の地に渡る,(2)カナンの征服,(3)土地の配分,(4)ヨシュアの別れの勧告。記述全体は生き生きと進められ,スリルに満ちたドラマが相次いでいます。
7 エホバはどんな激励と助言をヨシュアに与えられますか。
7 約束の地に渡る(1:1-5:12)。前途の数々の試練を見越して,エホバは最初に力づけと健全な助言とをヨシュアに与えます。「ただ勇気を出し,大いに強くありなさい。……この律法の書があなたの口から離れてはいけない。あなたはそれを昼も夜も小声で読まなければならない。注意してそこに記されているすべてのことをそのとおりに行なうためである。そうすればあなたは自分の道を成功させ,賢く行動できるからである。わたしはあなたに命じなかっただろうか。勇気を出し,強くありなさい。……あなたがどこに行こうとも,あなたの神エホバが共にいるからである」。(1:7-9)ヨシュアはエホバを真の指導者また司令官としてこれに誉れを帰し,直ちに,命じられたとおりヨルダンを渡る用意をします。イスラエル人は彼をモーセの後継者として受け入れ,忠節を誓います。こうして,カナンの征服を目指して進軍します。
8 (イ)ラハブはどのように信仰を実証しますか。(ロ)エホバはイスラエルの中にあって「生ける神」であることを自らどのように示されますか。
8 エリコの様子を探るために二人の者が派遣されます。娼婦ラハブはその機会をとらえてエホバに対する信仰を実証し,自らの命を危うくしながらもその斥候たちをかくまいます。その返礼として,斥候たちは,エリコが滅ぼされる時に彼女の命が救われることを誓います。斥候たちは,その地のすべての住民がイスラエル人のゆえにすっかり意気をくじかれている,という報告を持ち帰ります。その良い報告のゆえに,ヨシュアはすぐさまヨルダン川に進みます。ヨルダン川は洪水期を迎えています。この時エホバはご自分がヨシュアの後ろ盾となっておられること,そしてモーセの時と同じくイスラエルの中には「生ける神」がいるという具体的な証拠をお与えになります。(3:10)契約の箱を担う祭司たちがヨルダン川の中に踏み込むと,上流からの水は盛り上がって,イスラエル人は乾いた地面を通って渡って行けるようになります。ヨシュアは川の真ん中から12個の石を取って記念とし,川の中,祭司たちの立っている所に別の12個の石を置き,こうして後に祭司たちが渡りきると,水は戻って元の洪水のようになります。
9 次いでギルガルでどのような事が起きますか。
9 渡り終えた後,民は,ヨルダン川とエリコとの間のギルガルに宿営します。その所にヨシュアはさきの記念の石を据えて,後に来る世代のための証しとします。それはまた,「地のあらゆる民がエホバのみ手を,その強さを知るため,あなた方があなた方の神エホバをいつも真に恐れるため」です。(4:24)(ヨシュア 10章15節は,ギルガルがその後しばらくのあいだ前進基地として用いられたことを示しているようです。)イスラエルの子らが割礼を受けたのはこの場所です。荒野での旅のあいだ割礼を施すことは行なわれていませんでした。過ぎ越しが祝われ,マナは与えられなくなり,ついにイスラエル人はその地の産物を食べるようになります。
10 エホバはエリコの攻略に関してヨシュアにどのような指示を与えられますか。その後にどんな劇的な事が起きますか。
10 カナンの征服(5:13-12:24)。今,最初の目標は目前に迫っています。しかし,城壁に囲まれ,「固く門を閉ざし」たエリコの町をどのようにして取るのでしょうか。(6:1)エホバ自らその手順を詳細に定め,「エホバの軍の君」を遣わして,ヨシュアに指示を与えます。(5:14)六日の間,1日に1回ずつイスラエルの軍はその都市の周りを行進しなければなりません。戦人を先頭にし,その後を雄羊の角笛を吹き鳴らす祭司たちと契約の箱を担う他の者たちが行進します。七日目には7回まわらなければなりません。ヨシュアはこの命令を民に忠実に伝えます。軍は命じられたとおりにエリコの周りを回ります。一言も語りません。地を足で踏み鳴らす音と,祭司たちの吹く角笛の響き以外には聞こえません。そして,最後の日,7回目を回り終えた時に,ヨシュアは,『叫べ』という合図を送ります。彼らはそのとおり叫びます。「大きなときの声」です。すると,エリコの城壁は崩れ落ちたのです。(6:20)彼らは一人の人のようになって都市の中に突き進み,それを攻略して,それを火による滅びにささげます。信仰を持ったラハブとその家の者たちだけが救いを得ます。
11 アイにおける最初の失敗はどのように解決されますか。
11 次いですぐに西方のアイに進みます。再度容易な勝利を確信していた彼らは,たちまちろうばいさせられます。アイの人々が,その都市の攻略に派遣されたイスラエルの兵士3,000人を敗走させたからです。何が起きたのですか。エホバは彼らを見捨てられたのでしょうか。ヨシュアはせつにエホバに問い尋ねます。エホバはそれに答えて問題を明らかにされます。すなわち,エリコにあるすべてのものを滅びのためにささげるようにという神の命令に逆らって,不従順にも幾らかのものを盗み,それを隠した者が宿営の中にいるのです。イスラエルがエホバの祝福を得て繁栄を続けるためには,この汚れが宿営から取り除かれねばなりません。神の導きのもとに,悪行者アカンが見いだされ,彼とその家の者たちとは石打ちにされて死にます。再びエホバの恵みが示され,イスラエル人は今やアイに向かって進みます。この時にもエホバは自ら,取るべき戦術を示されます。アイの人々はその城壁のある都市の中からおびき出され,伏兵によるわなにはまります。その都市は攻略され,そこに住むすべての者と共に滅びのためにささげられます。(8:26-28)敵に対する妥協はありません。
12 どんな命令をヨシュアは次に実行しますか。
12 モーセによるエホバの命令に従って,ヨシュアは次に,エバル山に一つの祭壇を置き,その祭壇に『律法の写し』を書き記します。(8:32)次いで彼は律法の言葉を読み上げ,半分はゲリジム山の前に,半分はエバル山の前に立った全国民の集会に対して,その祝福と呪いについても聞かせます。―申命記 11:29; 27:1-13。
13 ギベオン人が『抜け目なく』行動したことはどんな結果になりますか。
13 侵入の迅速な進展に驚いて,カナンの多くの小王国はヨシュアの進軍を食い止めようとして結束します。しかし,『ギベオン人は,ヨシュアがエリコとアイに対して行なった事柄について聞くと,抜け目のない行動を取り』ます。(ヨシュア 9:3,4)カナンからは遠い土地から来たように見せかけて,「彼らを生き長らえさせる」という契約をヨシュアと結びます。その計略のことが明らかになった時にも,イスラエル人は契約を尊重しましたが,それらギベオン人を「まきを集める者,水をくむ者」とします。すなわち,「最も卑しい奴隷」のようにして,ハムの子カナンに対する,霊感によるノアののろいの言葉を部分的に果たします。―ヨシュア 9:15,27。創世記 9:25。
14 エホバはイスラエルのために戦っておられることをギベオンでどのように実証されますか。
14 このギベオン人の脱落は決して小さな事柄ではありません。「ギベオンは大きな都市で……アイよりも大きく,そこの男たちはみな力ある者たちであった」からです。(ヨシュア 10:2)エルサレムの王アドニ・ツェデクはこのことのうちに,自分自身とカナンの他の諸王国に対する脅威を感じます。敵側へのこれ以上の脱走を食い止めるための見せしめを作らなければなりません。それでアドニ・ツェデクと他の4人の王(ヘブロン,ヤルムト,ラキシュ,エグロンの都市王国の王たち)は軍を組織して,ギベオンに対して戦います。ギベオン人に対する自分の契約を尊重したヨシュアは,彼らを助けるために夜通し行進し,5人の王たちの軍を敗走させます。エホバは再度戦いに介入され,超人間的な力としるしを用いて壊滅的な結果がもたらされます。大きな雹が天から降って,この雹がイスラエル軍の剣よりも多くの敵を殺します。次いで,不思議の中の不思議が起こります。「太陽は天の中ほどにとどまり,まる一日ほどのあいだ急いで沈むことはなかった」のです。(10:13)これによって掃討作戦を完遂することができました。この世的に賢い人々はこの奇跡的な出来事の真実性を割り引こうとするかもしれませんが,信仰の人々は神によるこの記録を受け入れます。宇宙の諸勢力を制御し,ご自身の意志に従ってそれを導くエホバの力を知っているからです。事実,「エホバは自らイスラエルのために戦っておられた」のです。―10:14。
15 進攻はどのような足取りで進められ,ハツォルにおけるクライマックスに達しましたか。
15 5人の王を打ち殺した後,ヨシュアはマケダを滅びのためにささげます。すばやく南に移ったヨシュアは,リブナ,ラキシュ,エグロン,ヘブロン,デビル ― これらは死海と大海の間の丘陵地の都市 ― を完全に滅ぼします。このころまでにイスラエル進攻の知らせはカナンの全域に広まっています。北方では,ハツォルの王ヤビンが警鐘を鳴らします。彼は遠く広く,ヨルダン川の両側に使いを送って,イスラエル人に対する連帯行動を呼びかけます。彼らが集まって,メロムの水のそばに宿営を張った時,その敵の集合した軍勢は「海辺の砂粒のように数の多い民」でした。(11:4)エホバは再びヨシュアに勝利の保証を与え,戦術の概略を伝えます。そして,結果はどうでしたか。エホバの民の敵にとってまたも決定的な敗北となりました。ハツォルは火で焼かれ,それと同盟した都市やその王たちは滅びのためにささげられました。こうしてヨシュアはイスラエル人の支配地域をカナンの全域に広げます。31人の王が撃ち破られました。
16 土地のどんな割り当てが行なわれますか。
16 土地の配分(13:1-22:34)。これら多くの勝利によって,要所にあって防備を固めていた諸都市は滅ぼされ,当面のあいだ組織的な抵抗は一掃されましたが,それでも,「土地はなお取得すべき所が非常に多く残って」います。(13:1)しかし,ヨシュアは約90歳になっており,なすべき大きな仕事がまだもう一つあります。それは,9部族とマナセの半部族のための相続地となる土地を配分することです。ルベンとガドとマナセの半部族はヨルダンの東側で既に自分たちの相続地を受けています。また,レビ族は,「イスラエルの神エホバが彼らの受ける相続分」であるために相続地を受けません。(13:33)祭司エレアザルの助けのもとに,ヨシュアは今ヨルダンの西側に関して割り当てを行ないます。エホバの敵に対して最後まで戦う意欲を抱いた85歳のカレブは,アナキムの住みつくヘブロンの地域を得たいと願い出て,そこの割り当てを受けます。(14:12-15)各部族がそれぞれくじによって自分の相続地を受けた後,ヨシュアはエフライムの山地の都市ティムナト・セラハを求め,「エホバの指示にしたがって」これが彼に与えられます。(19:50)会見の天幕はシロに建てられます。これもエフライムの山地にあります。
17 避難都市とレビ人の居住の都市のためにどんな取り決めが設けられますか。
17 意図しないで人を殺した者のための避難都市六つが取り分けられます。ヨルダン川の両側に三つずつです。ヨルダンの西側では,ガリラヤのケデシュ,エフライムのシェケム,そしてユダの丘陵地方のヘブロンです。東側では,ルベンの領地のベツェル,ギレアデのラモト,バシャンのゴランです。これらには「神聖な地位」が与えられました。(20:7)各部族への配分地のうち,くじによって48の都市とそれに伴う牧草地がレビ人の居住のための都市として割り当てられます。避難都市六つもこの中に含まれています。こうしてイスラエルは「[その土地]を取得してそこに住むように」なりました。すべてエホバが約束された「そのとおりに」なりました。―21:43,45。
18 東方の部族と西方の部族との間でどんな危機が持ち上がりますか。しかしそれはどのように解決されますか。
18 ルベンとガドの部族またマナセの半部族から来ていた軍人たちはこれまでずっとヨシュアのもとにとどまってきましたが,今,ヨシュアの祝福と,忠実であるようにとの勧告の言葉とを携えてヨルダンの向こうの自分たちの相続地に戻って行きます。その途中,ヨルダン川の近くまで来た時,彼らは一つの大きな祭壇を建てます。これは危機をかもします。エホバの崇拝のために指定された場所はシロに置かれた会見の天幕ですから,西側の諸部族は,これは背信と不忠節ではないかと懸念し,自分たちが反逆者とみなした人々に対する戦闘の準備をします。しかし,その祭壇は犠牲をささげるためではなく,ただ「エホバがまことの神であることについてわたしたち[ヨルダンの東側のイスラエルと西側のイスラエル]の間の証し」とするためであると説明されることによって,流血の事態は回避されました。―22:34。
19,20 (イ)ヨシュアはどんな別れの勧告をしますか。(ロ)彼はイスラエルの前にどんな問題点を提出しますか。彼はイスラエルの取るべき正しい道をどのように強調しますか。
19 ヨシュアの別れの勧告(23:1-24:33)。「エホバがイスラエルに周囲のすべての敵からの休みを与えてから多くの日の後,ヨシュアが年老いて高齢に達した時」でしたが,ヨシュアは全イスラエルを呼び集めて,奮い立たせるような別れの勧告を述べます。(23:1)最後まで謙遜なヨシュアは,諸国民に対する大きな勝利の誉れをすべてエホバに帰します。すべての者は今後もずっと忠実を保つべきです。「あなた方は大いに勇気を持ち,モーセの律法の書に記されているすべての事柄を守り行なわなければなりません。それから右にも左にもそれては」なりません。(23:6)彼らは偽りの神々を退け,『その神エホバを愛して,自分の魂を絶えず見守っていなければ』なりません。(23:11)残っているカナン人といっさい妥協してはなりません。彼らと姻戚関係を結んだり信仰合同を行なったりしてはなりません。それはエホバの燃える怒りを来たらせることになります。
20 全部族をシェケムに集め,それぞれの代表のつかさたちをエホバの前に呼び出したヨシュアは,次いで,ご自分の民に対するエホバのご処置についてエホバご自身の言葉を伝えます。それは,アブラハムを召してカナンに携え入れた時から,約束の地の征服と占領の時までのことです。再びヨシュアは偽りの宗教に対する警告を述べ,「エホバを恐れ,とがなく,真実をもってこの方に仕えなさい」とイスラエルに呼びかけます。そうです,「エホバに仕えなさい」。次いで彼は問題点を極めて簡明にこう述べます。「あなた方の父祖たちが仕えた神々であれ,あなた方がいま住んでいる地のアモリ人の神々であれ,あなた方が仕える者を今日自分で選びなさい。しかし,わたしとわたしの家の者とはエホバに仕えます」。モーセをしのばせるような確信をもって,ヨシュアはエホバが「聖なる神,全き専心を要求される神」であることをイスラエルに銘記させます。ですから,異国の神々からは離れなさい! 民はこれによって奮い立たされ,一人の人のようになってこう宣言します。「わたしたちの神エホバに仕えて,その声にわたしたちは従います!」(24:14,15,19,24)彼らを去らせる前に,ヨシュアは彼らと契約を結び,これらの言葉を神の律法の書に書き記し,大きな石を立てて証しとします。その後ヨシュアは110歳という良い年齢に達して死に,ティムナト・セラハに葬られます。
なぜ有益か
21 ヨシュア記にあるどんな賢明な訓戒は今日特に有益ですか。
21 忠実な奉仕に関するヨシュアの別れの勧告を読む時,それはあなたの心を駆り立てないでしょうか。「わたしとわたしの家の者とはエホバに仕えます」という,3,400年以上前のヨシュアの言葉にあなたも共感を覚えないでしょうか。また,試練に面しながら,あるいは他の忠実な人々から独り離れてエホバに仕えている場合,あなたは,約束の地への行進を始めるにあたってエホバがヨシュアに語られた,「ただ勇気を出し,大いに強くありなさい」という言葉から励みを受けないでしょうか。さらに,『あなたは[聖書]を昼も夜も小声で読まなければならない。あなたの道を成功させるためである』というエホバの訓戒に従うことによって計り知れない益を見つけるのではないでしょうか。確かに,これら賢明な助言に従う人々すべては,それが極めて有益であることを知るでしょう。―24:15; 1:7-9。
22 真の崇拝のどんな肝要な特質が際立っていますか。
22 ヨシュア記の中に非常に生き生きと記録されている出来事は単なる古代の歴史ではありません。それらは神を敬うことに関する多くの原則を目立たせています。とりわけ,エホバの祝福を受けるには絶対の信仰とエホバへの従順とを欠かすことができないという原則です。使徒パウロは,信仰によって,「エリコの城壁は,七日のあいだ彼らが周囲を回った後に倒れ落ち(た)」と記し,また信仰のゆえに「娼婦ラハブは,不従順に行動した者たちと共に滅びな(かった)」と記録しています。(ヘブライ 11:30,31)ヤコブもまた,信仰の業を示す面でクリスチャンの有益な手本としてラハブを引き合いに出しています。―ヤコブ 2:24-26。
23 ヨシュア記の中には何を力強く思い起こさせるものが含まれていますか。
23 ヨシュア 10章10節から14節に記録される異常な超自然の出来事,すなわち太陽が静止し,月がとどまったこと,その他エホバがご自分の民のために行なわれた数多くの奇跡は,神に敵対する邪悪な者すべてを最終的に絶滅に至らせるエホバの能力と目的を力強く思い起こさせるものとなります。ヨシュアの時代にもダビデの時代にも戦いの場となったギベオンは,イザヤによって,エホバがこの絶滅のために激こうして立ち上がられることと結び付けられています。「それはご自分の行ない ― その行ないは不思議なもの ― をするため,ご自分の業 ― その業は異常なもの ― を行なうためである」― イザヤ 28:21,22。
24 ヨシュア記は王国の約束とどのように結び付いていますか。それが『そのとおりになる』というどんな保証を与えていますか。
24 ヨシュア記の中の出来事は神の王国を指し示していますか。確かにそうです! 約束の地の征服とそこへの定住がそれよりはるかに大きな事柄と結び付けられるべきことは,使徒パウロの次の言葉に示されています。「ヨシュアが彼らを休みの場所に導き入れていたのであれば,神は後にほかの日について言われるはずはなかったのです。それで,神の民のために安息の休みが残っています」。(ヘブライ 4:1,8,9)「わたしたちの主また救い主イエス・キリストの永遠の王国に入る機会」を確実にするために,彼らは力を尽くして励みます。(ペテロ第二 1:10,11)マタイ 1章5節に示されるとおり,ラハブはイエス・キリストの先祖の一人となりました。こうしてヨシュア記は,王国の胤を生み出すまでの記録の中の一つの重要なつなぎ目となっています。それは,王国に関するエホバの約束は必ず成就するという確かな保証を与えています。アブラハム,イサク,ヤコブに対してなされ,その子孫であるイスラエル人に対して繰り返し語られた神の約束に言及した際,その記録はヨシュアの時代に関してこう述べています。「エホバがイスラエルの家になさったすべての良い約束は,ひとつの約束といえども果たされないものはなかった。すべてそのとおりになった」。(ヨシュア 21:45。創世記 13:14-17)同様に天の義の王国に関するエホバの「良い約束」についても,それはすべてそのとおりになるのです。
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聖書の7番目の書 ― 裁き人の書『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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聖書の7番目の書 ― 裁き人の書
筆者: サムエル
書かれた場所: イスラエル
書き終えられた年代: 西暦前1100年ごろ
扱われている期間: 西暦前1450年ごろ-1120年ごろ
1 どのような意味で裁き人の時代は注目に値しますか。
ここに,イスラエルの歴史の活動に満ちた1ページがあります。それは,悪霊宗教にかかわったための災厄と,神の任命を受けた裁き人による,悔い改めた民のためのエホバの憐れみある救出とが交互に繰り返された時代です。オテニエル,エフド,シャムガル,またその後に続いた他の裁き人たちの力ある業はまさに信仰を鼓舞します。ヘブライ人への手紙の筆者はこう書いています。「さらにギデオン,バラク,サムソン,エフタ……について語ってゆくなら,時間が足りなくなるでしょう。彼らは信仰により,王国を闘いで撃ち破り,義を成し遂げ,……弱かったのに強力な者とされ,戦いにおいて勇敢な者となり,異国の軍勢を敗走させました」。(ヘブライ 11:32-34)この時期の12人の忠実な裁き人すべてを挙げれば,さらにトラ,ヤイル,イブツァン,エロン,アブドンがいます。(サムエルはふつう裁き人の中に数えられていません。)エホバは裁き人たちのために戦われ,彼らがその勲功を立てる時にはエホバの霊が彼らを包んでいました。彼らはすべての誉れと栄光を神に帰しました。
2 「裁き人の書」のヘブライ語の名はなぜ適切ですか。
2 セプトゥアギンタ訳の中で,この書は「クリタイ」と呼ばれ,ヘブライ語の聖書の中では,「ショーフェティーム」と呼ばれています。これは,訳せば,「裁き人たち」という意味です。「ショーフェティーム」という言葉は,「裁く,立証する,処罰する,治める」という意味の「シャーファト」という動詞から来ており,この語は,「すべてのものの裁き主なる神」から神権的な割り当てを受けたこれらの人々の職務をよく表現しています。(ヘブライ 12:23)これらは,神の民を異国の束縛から救出するため,それぞれ特別な場合にエホバによって起こされた人々でした。
3 「裁き人の書」はいつ書かれましたか。
3 「裁き人の書」はいつごろ書かれましたか。この書の中の二つの言葉がその答えを見いだす助けとなります。最初の言葉はこれです。「そのためエブス人は今日まで……エルサレムに住んでいる」。(裁き人 1:21)ダビデ王がエブス人から「シオンのとりで」を攻め取ったのは,その治世の第8年,つまり西暦前1070年のことでしたから,「裁き人の書」はその年よりも前に書かれたに違いありません。(サムエル第二 5:4-7)2番目は,「そのころイスラエルに王はいなかった」という,4回出て来る表現です。(裁き人 17:6; 18:1; 19:1; 21:25)その記録は『イスラエルに王が』いた時代に書かれたのですから,それはサウルが最初の王となった西暦前1117年より後のことです。したがってそれは,西暦前1117年から西暦前1070年の間に書かれたに違いありません。
4 「裁き人の書」の筆者はだれですか。
4 筆者はだれですか。明らかにそれはエホバに全く身をささげた僕です。裁き人たちの時代から列王の時代に至るこの移行期にエホバの崇拝の主要な擁護者としてひとり際立っているのはサムエルです。またこのサムエルは,一連の忠実な預言者たちの最初の人でもあります。このような人としてのサムエルを,裁き人たちの歴史の記録者とするのは筋の通った見方でしょう。
5 「裁き人の書」に含まれる期間はどのように計算できますか。
5 「裁き人の書」はどれほどの期間のことを扱っているでしょうか。これは列王第一 6章1節から計算できます。その節は,ソロモンはその治世の4年目にエホバの家を建てはじめたことを示しています。それは,「イスラエルの子らがエジプトの地を出てから四百八十年目」でもありました。(「四百八十年目」というのは序数ですから,それは満479年間を表わしています。)この479年間に含まれている期間で知られているものは,モーセのもとに荒野で過ごした40年間(申命記 8:2),サウルの治世の40年間(使徒 13:21),ダビデの治世の40年間(サムエル第二 5:4,5),そしてソロモンの治世の最初のまる3年間です。これらを合計した123年を,列王第一 6章1節の述べる479年から引くと,イスラエルがカナンに入ってからサウルの治世が始まるまでの期間として356年間が残ります。a 「裁き人の書」に記録される出来事は,おもにヨシュアの死からサムエルの時までで,ここに述べた356年の期間のうちのおよそ330年を扱っています。
6 「裁き人の書」の信ぴょう性は何によって証明されますか。
6 「裁き人の書」の信ぴょう性について議論の余地はありません。ユダヤ人は常にこれを聖書正典の一部とみなしてきました。ヘブライ語聖書の筆者もクリスチャン・ギリシャ語聖書の筆者も共にその記録を参照しています。詩編 83編9節から18節,イザヤ 9章4節,10章26節,ヘブライ 11章32節から34節はその例です。それは,イスラエルの過ちや後退を何ら包み隠さず率直に述べ,一方では,エホバの限りない愛ある親切をたたえています。イスラエルにおける救出者としての栄光を受けるべき方はエホバであって,単なる人間の裁き人ではありません。
7 (イ)考古学は「裁き人の書」の記録をどのように裏付けていますか。(ロ)エホバがバアル崇拝者たちの絶滅を命じたのはなぜ正当なことでしたか。
7 さらに,考古学上の発見も,「裁き人の書」の真正さを裏付けています。最もはっきりしているのは,カナン人のバアル宗教の性格に関する点です。古代都市ウガリット(キプロス島北東端に面したシリア沿岸,現代のラス・シャムラ)の発掘が1929年に始まるまで,バアル崇拝に関しては,聖書が述べている事柄以外にはほとんど知られていませんでした。その発掘を通して,バアルの宗教が,物質主義,極端な国家主義,性崇拝などを特色としていたことが明らかにされました。カナン人の都市はそれぞれ,高き所として知られる聖場と共にバアルの聖なる所を有していたようです。聖場の中には,バアルの像があったことでしょう。また,外に置かれた祭壇の近くには,恐らくバアルの男根の象徴と思われる石柱が見られました。それらの聖場は忌まわしい人間のいけにえの血によって汚されていました。バアル崇拝によって汚染された時には,イスラエル人も自分たちの息子や娘を同じようにしてささげました。(エレミヤ 32:35)バアルの母親アシェラを表わす聖木もありました。多産豊穣の女神アシュトレテはバアルの妻であり,「聖別された」神殿男娼や神殿娼婦として囲われた男や女たちにより,みだらな性儀式をもって崇拝されていました。バアル崇拝とその獣欲的な信奉者たちの根絶をエホバが命令されたのも不思議ではありません。「あなたの目は彼らを哀れんではならない。彼らの神々に仕えてはならない」― 申命記 7:16。b
裁き人の書の内容
8 「裁き人の書」は論理的に見てどのような部分に分けられますか。
8 この書は論理的に見て三つの区分に分けられます。初めの二つの章はその当時のイスラエルの状態を描写しています。3章から16章までは,12人の裁き人たちによる救出の模様を描写しています。次いで17章から21章までは,イスラエルの内部抗争に伴う幾つかの出来事を描写しています。
9 「裁き人の書」の初めの二つの章によってどのような背景が示されていますか。
9 裁き人の時代のイスラエルの状態(1:1-2:23)。イスラエルの各部族がそれぞれ割り当てられた領地に入植するために広がってゆく様子が描写されています。しかし,イスラエル人はカナン人を完全に追い出すことをせず,その多くを強制労働に就かせて,自分たちの間に住みつづけることを許します。そのためエホバのみ使いは,「彼らは必ずあなた方のわなとなり,彼らの神々はあなた方のおとりとなるであろう」と宣言します。(2:3)それで,エホバもそのみ業も知らない新しい世代が起きると,民はじきにエホバを捨てて,バアルやその他の神々に仕えはじめます。エホバの手が彼らに敵していて災いを臨ませたために,彼らは「非常な窮境」に陥ります。彼らの頑固さ,また裁き人たちにさえ聴き従おうとしない態度のゆえに,エホバは,イスラエルを試みるために残した諸国民を一つとして追い出しません。このような当時の背景は以下に続く出来事を理解する助けになります。―2:15。
10 オテニエルはどんな力によって裁きを行ないますか。どんな結果を得ましたか。
10 裁き人オテニエル(3:1-11)。カナン人に捕らわれの状態となって苦難のうちにあったイスラエルの子らは,エホバに助けを呼び求めるようになります。エホバは最初に,オテニエルを裁き人として起こされます。オテニエルは人間的な力や知恵によって裁きを行なうのでしょうか。そうではありません。こう記されています。『エホバの霊が今や彼に臨み』,こうしてイスラエルの敵を屈服させた,「その後,その地には四十年のあいだ何の騒乱もなかった」。―3:10,11。
11 エホバはイスラエルに救出をもたらすためにエフドをどのように用いますか。
11 裁き人エフド(3:12-30)。イスラエルの子らがモアブの王エグロンに18年間服させられていた時,エホバは再び,助けを求める彼らの叫びを聞かれ,裁き人エフドを起こされます。王とのひそかな接見の機会を得た左利きのエフドは,外とうの下から自分の手製の剣を取り,それを太ったエグロンの腹に深く突き刺して殺します。イスラエルはすぐにエフドの側に集合してモアブに対する戦いに加わり,こうしてその地は再び神から与えられた休みを80年のあいだ楽しみます。
12 シャムガルの勝利がエホバの力によることを何が示していますか。
12 裁き人シャムガル(3:31)。シャムガルが600人のフィリスティア人を打ち倒してイスラエルを救います。その勝利がエホバの力によることは,彼の用いた武器が単なる牛の突き棒であったことにも示されています。
13 どんな劇的な出来事のクライマックスとしてバラクとデボラの勝利の歌が歌われますか。
13 裁き人バラク(4:1-5:31)。次にイスラエルはカナン人の王ヤビンとその軍の長シセラに服させられます。シセラは鉄の大鎌の付いた兵車900両を持って,それを誇りとしていました。イスラエルがエホバに再び叫びはじめると,エホバは裁き人バラクを起こされます。バラクは女預言者デボラからの適切な支援を受けます。バラクとその軍隊が何ら誇ることがないようにするために,デボラはその戦闘がエホバの指揮によることを示し,このように預言します。『女の手にエホバはシセラを売られるでしょう』。(4:9)バラクはナフタリとゼブルンの人々をタボル山に呼び集めます。次いで彼の軍1万人は戦闘に下って行きます。強固な信仰が勝利を収めます。『エホバは,シセラとそのすべての戦車またその全陣営を混乱させてゆかれた』。キションの谷の突然の洪水をもって彼らを圧倒されたのです。「その一人も残らなかった」。(4:15,16)シセラはケニ人ヘベルの妻ヤエルの天幕に逃げ込みますが,このヤエルが,その殺りくの頂点として,シセラの頭に天幕の留め杭を地面まで打ち込みます。『こうして神はヤビンを屈服させた』。(4:23)デボラとバラクは歌をもって歓喜を言い表わし,エホバの無敵の力をたたえます。エホバは,星がその軌道からシセラに対して戦うようにさえされたのです。確かにそれは『エホバをほめたたえる』べき時でした。(5:2)その後に40年間の平和が続きます。
14,15 ギデオンはエホバの後ろだてに関してどんなしるしを与えられますか。ミディアン人の最終的な敗北によってこの後ろだてはさらにどのように強調されますか。
14 裁き人ギデオン(6:1-9:57)。イスラエルの子らは再び悪を行なうようになり,その地は襲撃して来るミディアン人によって荒らされます。エホバはご自分のみ使いによってギデオンを裁き人として任命されます。そしてエホバ自ら,「わたしがあなたと共にいる」という言葉をもって保証を加えられます。(6:16)ギデオンの最初の勇気ある行為は,自分の郷里の都市にあるバアルの祭壇を打ち壊すことです。敵の連合軍が今やエズレルに渡って来ます。『エホバの霊がギデオンを包み』,ギデオンはイスラエルを戦闘に召集します。(6:34)脱穀場で羊の毛を露にさらすという試みによって,ギデオンは神が自分と共におられるという二重のしるしを与えられます。
15 ギデオンの3万2,000人の軍は大きすぎて,その規模のゆえに,勝利に関して人間的な自慢をするようになるかもしれないと,エホバはギデオンにお告げになります。恐れおののいている者たちがまず家に帰され,ただ1万人だけが残されます。(裁き人 7:3。申命記 20:8)次いで,水を飲む際の試みによって,機敏で油断のない300人のほかはすべて除かれます。ギデオンは夜間にミディアン人の宿営を偵察します。そして,一人の男が夢の説き明かしをするのを聞いて励みを受けます。「それは……ギデオンの剣にほかならない。まことの神はミディアンとその全陣営を彼の手に与えたのだ」というのがその夢の意味でした。(裁き人 7:14)ギデオンは神を伏し拝み,次いで自分の手勢を三つの組に分けてミディアンの宿営の周りに配置します。夜の静けさは,角笛の響き,大きな水がめを砕く音,燃え上がるたいまつ,ギデオンの一隊300人の「エホバの剣,ギデオンのもの!」という叫びによって突如打ち破られます。(7:20)敵の宿営は大混乱に陥ります。人々は同士討ちを始め,また逃走しはじめます。イスラエルはこれを追跡し,殺りくを加え,その君たちを殺します。イスラエルの民は今,自分たちの支配者となることをギデオンに求めます。しかし彼はそれを断わってこう言います。「エホバがあなた方を治められるのです」。(8:23)しかし彼は戦利品を用いて一つのエフォドを作り,後にそれが過度に尊崇されて,ギデオンとその家の者たちにとってわなとなります。ギデオンが裁き人として仕えた40年の間,その地は休息を得ます。
16 強奪者アビメレクはどんな最期を遂げますか。
16 そばめによるギデオンの息子の一人アビメレクは,ギデオンの死後に権力を奪って,自分の腹違いの兄弟70人を殺害します。ギデオンの末の息子ヨタムだけが生き延びて,ゲリジム山の頂上から,やがて来るアビメレクの滅亡をふれ告げます。木々に関するこのたとえ話の中で,彼はアビメレクの「王位」を丈の低い野いばらになぞらえます。やがてアビメレクはシェケムの内部抗争に巻き込まれ,一人の女に殺されて死を遂げるという辱めを受けます。その女は,テベツの塔から臼石をじかに投げつけて,彼の頭蓋を打ち砕いたのです。―裁き人 9:53。サムエル第二 11:21。
17 裁き人トラとヤイルについて記録は何を示していますか。
17 裁き人トラとヤイル(10:1-5)。エホバの力によって次に救出をもたらしたのはこれらの人々です。一方は23年間,他方は22年間裁き人として仕えました。
18 (イ)エフタはどんな救出をもたらしますか。(ロ)エフタはエホバに対するどんな誓約を忠実に果たしますか。どのように?
18 裁き人エフタ(10:6-12:7)。イスラエルが執ように偶像礼拝に傾くため,エホバの怒りが再びその国民に対して燃えます。民は今アンモン人とフィリスティア人による圧迫のもとに苦しみます。エフタは戦闘においてイスラエルを指導するようその亡命地から呼び戻されます。しかし,その論争において真の裁き人となるのはだれでしょうか。エフタ自身の言葉がその答えを提出しています。「裁き主なるエホバが今日,イスラエルの子らとアンモンの子らとの間を裁かれますように」。(11:27)エホバの霊が今や彼に臨み,彼は一つの誓約を立てます。アンモンから平安に戻って来たら,自分の家から最初に迎えに出て来る者をエホバのためにささげる,という誓約です。エフタは大いなる殺りくをもってアンモンを屈服させます。ミツパの自分の家に戻って来た時,エホバの勝利を喜びつつ最初に走り出て来て彼を迎えたのは,ほかならぬ彼の娘でした。エフタは自分の誓約を果たします。―いいえ,バアルの儀式に倣って異教風に人間のいけにえをささげたのではなく,この一人娘を,エホバの賛美となるよう,エホバの家での全き奉仕のためにささげたのです。
19 どんな出来事があって「シボレト」という言葉の試みが行なわれますか。
19 この時エフライムの人々は,アンモンに対する戦いのために自分たちが呼ばれなかったことに抗議し,エフタに脅しをかけます。エフタはやむなく彼らを追い返します。全部で4万2,000人のエフライム人が殺されます。その多くは,ヨルダンの渡り場で,「シボレト」という合い言葉を正しく発音できないで見分けられたためでした。エフタは6年の間イスラエルの裁き人として仕えます。―12:6。
20 次にどんな3人の裁き人のことが述べられていますか。
20 裁き人イブツァン,エロン,アブドン(12:8-15)。これらの人々についてはごくわずかなことしか述べられていませんが,裁きを行なった期間はそれぞれ7年,10年,8年とされています。
21,22 (イ)サムソンはどんな力ある業を行ないますか。どんな力によって?(ロ)どのようにしてサムソンはフィリスティア人に打ち負かされますか。(ハ)一連のどんな出来事が頂点に達して,サムソンの最大の偉業が成し遂げられますか。その時だれがサムソンのことを思い出されますか。
21 裁き人サムソン(13:1-16:31)。再びイスラエルはフィリスティア人による捕らわれに陥ります。今度はサムソンがエホバにより裁き人として立てられます。サムソンの両親は,その誕生の時から彼をナジル人としてささげます。このため,彼の毛にかみそりを当ててはならないという要求が課されます。成長するにつれ,エホバは彼を祝福され,『やがてエホバの霊は彼を駆り立てるように』なります。(13:25)彼の強さの秘密は,人間的な筋力によるのではなく,エホバが供給される力にあります。『エホバの霊が彼に働きはじめる』時に,彼は力を与えられてライオンを素手で打ち殺し,後にはフィリスティア人30人を打ち倒してその背信に報います。(14:6,19)フィリスティア人の娘とサムソンとの婚約に関してフィリスティア人が不実な行為を続けた時,サムソンはきつね300匹を捕らえ,尾と尾を向き合わせて尾の間にたいまつをくくり付けてこれを送り出し,フィリスティア人の穀物畑とぶどう園とオリーブ畑を焼きます。次いで彼は,『股の上に脚を積み重ねる』までにフィリスティア人の大々的な殺りくを成し遂げます。(15:8)フィリスティア人はサムソンの仲間のイスラエル人である,ユダの人々に説きつけて,サムソンを縛って引き渡させますが,再び『エホバの霊が彼に働くようになり』,そのかせは,あたかも溶けたかのように彼の両手から落ちます。サムソンは1,000人のフィリスティア人を打ち倒します ―「一山,二山!」(15:14-16)彼の破壊の道具ですか? それはろばの水気のあるあご骨です。エホバはその戦闘の場で水の泉を奇跡的にわき出させて,力尽きたご自分の僕に生気を取り戻させます。
22 次にサムソンはガザの,ある遊女の家に一晩の宿を取ります。フィリスティア人はやって来て静かに彼を取り囲みます。しかし,エホバの霊が彼と共にあることが再び示されます。彼は夜中に起き上がり,その都市の城門の扉と側柱を引き抜いて,ヘブロンに面する山の頂にまで運んで行ったのです。このことの後,彼は不信実なデリラとの恋に陥ります。フィリスティア人のために働く手先となったデリラは,しきりに彼を悩まし,ついに彼は,長い髪の毛によって象徴された,エホバに対するナジル人としての自分の専心が大きな力の真の源であることを明かします。彼が眠っている間に,デリラは彼の髪の毛を切り落とさせます。今度は,彼が起き上がって戦おうとしても,それは無駄でした。『エホバが彼から離れた』からでした。(16:20)フィリスティア人は彼を捕らえ,その両目をくじり取り,奴隷にして獄屋の中で粉をひかせます。彼らの神ダゴンのための大きな祭りの時が来ると,フィリスティア人は自分たちのために何かの楽しみ事を行なわせようとしてサムソンを引き出します。彼の髪が再び豊かに伸びはじめている事実を見落とした彼らは,ダゴンを崇拝するために用いられる家の2本の大きな柱の間にサムソンが立つことを許します。サムソンはエホバに呼びかけます。「主権者なる主エホバ,どうかわたしを思い出してください。どうかこの一度だけわたしを強くしてください」。エホバは確かに彼を思い出されます。サムソンはその2本の柱をつかんで,「力を込めて身をかがめ」ます。―エホバの力です ―『その家は崩れ落ちた』のです。「そのため,彼が自分の死のさいに死に至らせた死者は,生きている間に死に至らせた者より多く」なりました。―16:28-30。
23 17章から21章までにどんな出来事のことが述べられていますか。それらはいつごろ起きましたか。
23 わたしたちは今,17章から21章にきます。この部分は,この時期に不幸にしてイスラエルに災いとなった内部抗争の幾つかを描写しています。それらの出来事は,モーセとアロンの孫たちであるヨナタンとピネハスがまだ生きていたと述べられていることにも示されるとおり,裁き人の時代のごく初期に起きたものです。
24 一部のダン人はどのようにして独立した宗教を作りましたか。
24 ミカとダン人(17:1-18:31)。エフライムの人ミカは独立した自分自身の宗教,彫刻像とレビ人の祭司が備わった「神々の家」を設立します。(17:5)北方に相続地を得ようとしてやって来たダンの部族の人々がそこに立ち寄ります。彼らはミカの宗教的所有物と祭司とを奪い取り,ずっと北方に住んでいて,何の懸念もなく過ごしていたライシュの都市を滅ぼします。その場所に彼らは自らの都市ダンを建設し,ミカの彫刻像をそこに立てます。こうして彼らは,エホバの真の崇拝の家がシロにとどまっていた日の間中,彼ら自身の独立した宗教を奉じます。
25 イスラエルの内部抗争はギベアでどのように頂点に達しますか。
25 ギベアにおけるベニヤミンの罪(19:1-21:25)。次に記録されている出来事は,後の時代のホセアの言葉の背景となっています。「イスラエルよ,ギベアの日以来あなたは罪をおかしてきた」。(ホセア 10:9)エフライムの一人のレビ人は,自分のそばめを連れて家に帰る途中,ベニヤミンの都市ギベアで,ある老人のもとに一晩泊まります。その都市の,どうしようもない男たちがその家を取り囲んで,そのレビ人と性的な交わりを持たせてくれるようにと要求します。しかし,彼らはその代わりに彼のそばめを受け入れ,夜通し彼女を辱めます。翌朝彼女は入口の敷居のところで死んでいるのが見いだされます。レビ人は彼女の遺体を家に運び,それを12の部分に切り分けて,全イスラエルに送ります。こうして12部族は試みられます。彼らはギベアを処罰して,イスラエルから不道徳を除き去るでしょうか。ベニヤミンはこの悪らつな犯罪を大目に見ます。他の部族はミツパでエホバのもとに集合します。その場所で彼らは,くじを引いてベニヤミンのギベアに攻め上ることを決定します。2度にわたる血生臭い敗北の後,他の部族は伏兵を用いることによって成功し,ベニヤミンの部族をほとんど滅ぼし尽くします。わずかに600人がリモンの大岩に逃れます。後にイスラエルは,一つの部族が切り断たれたことを悔やみます。生き残っているベニヤミン人のために,ヤベシュ・ギレアデとシロの娘たちの中から妻を得させる機会が作られます。イスラエルにおける抗争と陰謀の記録はここで終わっています。「裁き人の書」の結びの言葉が繰り返して述べているとおり,『そのころイスラエルに王はおらず,自分の目に正しく見えるところを各自が行なっていた』のです。―裁き人 21:25。
なぜ有益か
26 「裁き人の書」の中のどんな強力な警告は今日にも当てはまりますか。
26 「裁き人の書」は単なる抗争と流血の記録などではありません。それはエホバを,ご自分の民の大いなる救出者として高めているのです。それは,そのみ名の民が悔い改めた心を持って近づくときに,その無比の憐れみと辛抱強さとがいかに表明されるかを示しています。「裁き人の書」は,エホバの崇拝をはっきりと擁護し,悪霊宗教,信仰合同,不道徳な交わりなどの愚かさに関する強力な警告を行なっている点で極めて有益です。エホバがバアル崇拝を厳しくとがめておられることは,わたしたちが今日,それに相当する物質主義,国家主義,性の不道徳などからはっきり離れているべきことを銘記させます。―2:11-18。
27 今日のわたしたちは裁き人たちの良い手本からどのように益を受けることができますか。
27 裁き人たちの示した,恐れのない勇敢な信仰について調べるとき,わたしたちの心の中にも同様の信仰が鼓舞されるはずです。ヘブライ 11章32節から34節で,彼らのことが輝かしい是認をもって言及されているのも不思議ではありません。彼らはエホバのみ名を神聖なものとするための戦士であり,自らの力に頼っていたのではありません。彼らは自分たちの力の源がエホバの霊であることを知っており,そのことを自ら謙遜に認めていました。同様に今日のわたしたちも,バラク,ギデオン,エフタ,サムソン,その他の人々を神が強められたのと同じように,わたしたちをも強めてくださるとの確信を持って,「霊の剣」である神の言葉を取ることができます。そうです,もしわたしたちがただエホバに祈り,エホバに頼るならば,サムソンが身体的に強力にされたのと同じようにわたしたちも霊的に強くされ,エホバの霊の助けによって強大な障害を克服することができるのです。―エフェソス 6:17,18。裁き人 16:28。
28 王国の胤によってエホバのみ名が神聖なものとされることを「裁き人の書」はどのように予示していますか。
28 預言者イザヤは2か所で「裁き人の書」を引照し,エホバが,ミディアンの時代に行なわれたと同じように,敵がご自分の民の上に課したくびきを必ず打ち砕かれることを示しています。(イザヤ 9:4; 10:26)これはまた,わたしたちにデボラとバラクの歌を思い起こさせます。その歌は次の熱烈な言葉で結ばれています。「エホバよ,あなたの敵は皆こうして滅びるように。あなたを愛する者たちは,太陽が力強く進み出る時のようになるように」。(裁き人 5:31)そして,それら愛する者たちとはだれでしょうか。それが王国の相続者たちであることを示して,イエス・キリスト自らマタイ 13章43節で同様の表現を用いています。「その時,義人たちはその父の王国で太陽のように明るく輝くのです」。こうして「裁き人の書」は,義なる裁き人であり王国の胤であるイエスが権能を行使される時のことを指し示しています。このイエスによって,エホバはご自身のみ名に栄光と聖化とをもたらし,神の敵対者たちに関する詩編作者の祈りの言葉のとおりにされます。「ミディアンに対して,キションの奔流の谷でシセラやヤビンに対して行なったように,彼らに行なってください……それは,人々が,その名をエホバというあなたが,ただあなただけが全地を治める至高者であることを知るためです」― 詩編 83:9,18。裁き人 5:20,21。
[脚注]
a 現代の大抵の翻訳は,使徒 13章20節の「およそ四百五十年」という期間が,裁き人たちの期間とは対応せず,それ以前の期間を指すことを証言しています。すなわち,それは,西暦前1918年のイサクの誕生から,西暦前1467年の約束の地の分割までの期間を指しているようです。(「聖書に対する洞察」[英文],第1巻,462ページ)ヘブライ 11章32節に述べられている裁き人たちの順序は,裁き人の書に出て来る順序とは異なっていますが,これは必ずしも,裁き人の書の中の出来事が時代順に書かれていないという意味ではありません。サムエルがダビデより後でないことは確かだからです。
b 「聖書に対する洞察」(英文),第1巻,228,229,948ページ。
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聖書の8番目の書 ― ルツ記『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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聖書の8番目の書 ― ルツ記
筆者: サムエル
書かれた場所: イスラエル
書き終えられた年代: 西暦前1090年ごろ
扱われている期間: 裁き人の支配期間のうちの11年
1 (イ)なぜルツ記は単なる恋物語ではありませんか。(ロ)聖書の中でルツについて特にどんな言及がなされていますか。
ルツ記は,ボアズとルツの美しい愛の物語へと花咲いた,喜ばしいドラマです。しかし,それは単に田園詩的な恋物語ではありません。その目的は,読者をただ楽しませることではありません。この書は,王国の相続者を生み出すエホバの目的に光を当て,神の愛ある親切をたたえています。(ルツ 1:8; 2:20; 3:10)エホバの愛の包容力は,モアブ人の女を選び取られたことのうちに見られます。彼女はかつては異教の神ケモシュの崇拝者でしたが,真の宗教に改宗し,イエス・キリストの祖先の一人となりました。ルツは,アブラハムからイエスに至る系図の中で名を挙げられている4人の女性のうちの一人です。(マタイ 1:3,5,16)また,ルツはエステルと共に,その名が聖書の書名となった二人の女性のうちの一人です。
2 ルツ記の中の出来事はいつごろ起きましたか。この書はいつごろ書かれましたか。だれによって?
2 「さて,裁き人が裁きを行なっていたころのこと……」。このような書き出しで,ルツ記はその感動的な記述を始めています。この冒頭の言葉から,この書そのものは後の時代,すなわちイスラエルの王たちの時代に書かれたことが理解できます。しかし,その書で述べられている出来事は,裁き人たちの時代のおよそ11年間のことを扱っています。筆者の名は述べられていませんが,恐らくそれはサムエルであったのではないかと考えられます。サムエルは「裁き人の書」も書いたとみなされますし,王たちの時代が始まったころの忠実な人として傑出した人物です。結びの数節は,ダビデが既に目立った地位にあったことを示しています。これらのことから,それが書かれたのは西暦前1090年ごろであった,と言えるでしょう。サムエルは,ユダの部族から出る「ライオン」に関するエホバの約束をよく知っており,またその部族のダビデに油をそそいでイスラエルの王とならせるためにエホバによって用いられた人ですから,ダビデに至る系図の記録をまとめることに深い関心を抱いていたに違いありません。―創世記 49:9,10。サムエル第一 16:1,13。ルツ 1:1,4; 4:13,18-22。
3 ルツ記の正典性をどんな事実が確証していますか。
3 ルツ記の正典としての権威が疑われたことはありません。エホバがルツ記の挙げる一連の人名を霊感によってマタイ 1章5節のイエスの系図の中に含められたことのうちに,この事の十分な確証があります。ルツ記はユダヤ人により常にヘブライ語正典の一部として認められてきました。ですから,1947年以降発見された死海写本の中に,正典として認められている他の書に混じってこの書の断片が見いだされたのも不思議ではありません。さらに,ルツ記はエホバの王国の目的と完全に調和しており,またモーセの律法の要求とも完全な調和を見せています。偶像を崇拝するカナン人やモアブ人との結婚はイスラエル人に対して禁じられていましたが,そのことは,ルツのように,エホバの崇拝を奉じるようになった異国人をも排除するものではありませんでした。ルツ記の中では,買い戻しや義兄弟結婚に関する律法も詳細にいたるまで守られています。―申命記 7:1-4; 23:3,4; 25:5-10。
ルツ記の内容
4 ルツはどんな決定を迫られますか。彼女が選んだ道は彼女の崇拝の仕方に関して何を示していますか。
4 ナオミに堅く付くというルツの決定(1:1-22)。物語はイスラエルに飢きんがあったころのことから始まっています。ベツレヘムの人エリメレクは妻のナオミと,二人の息子マフロンとキルヨンを伴ってヨルダンを渡ります。しばらくの間モアブの地に住むためです。その地で息子たちはモアブ人の女,オルパおよびルツと結婚します。悲劇が家族の輪を断ちます。最初は父の死,後に二人の息子たちの死です。やもめとなった,子供のいない3人の女たちが残され,エリメレクの胤は一人もいません。エホバが再びイスラエルに注意を向け,ご自分の民にパンを与えておられることを聞き,ナオミは自分の故郷のユダに戻る決意をします。嫁たちも彼女と共に旅だちます。ナオミは,モアブに帰るようにと彼女たちに嘆願し,エホバの愛ある親切によって彼女たちに同じ民の中から夫が備えられるようにと請願します。ついにオルパは「自分の民と自分の神々のもとに」帰ります。しかしエホバの崇拝への改宗という点で誠実であり強固であったルツは,ナオミから離れようとしません。彼女の決意はその言葉の中に美しく表現されています。「あなたの行かれる所にわたしも行き,あなたが夜を過ごされる所でわたしも夜を過ごすのです。あなたの民はわたしの民,あなたの神はわたしの神となります。あなたが死なれる所でわたしも死に,そこにわたしも葬られるのです。もしも死以外のものがわたしとあなたとを隔てるとしたら,エホバがわたしに対してそのようにされ,それに付け加えもされますように」。(1:15-17)しかし,やもめとなり,子供もいないナオミは,「わたしの快さ」という意味の自分の名にかえて,「苦い」という意味のマラという名で呼んでくれるようにと言います。
5 ルツはどんな優れた資質を示しますか。ボアズはどのように彼女を励ましますか。
5 ルツはボアズの畑で落ち穂を拾う(2:1-23)。ベツレヘムに着いたルツは,大麦の収穫の際の落ち穂拾いに行く許可をナオミから得ます。畑の所有者で,初老のユダヤ人であるボアズ,それは彼女のしゅうとエリメレクの近親に当たる人ですが,その人が彼女に注目します。神の律法は落ち穂拾いをする者としての権利を彼女に与えていますが,それでもルツは,その畑の中で働く許可を求めて柔和さを示します。(レビ記 19:9,10)その願いはすぐに聞き入れられ,ボアズは,自分の畑で,そして自分のところの若い女たちのもとでのみ落ち穂拾いをするようにと彼女に告げます。ナオミに対する彼女の忠節な行ないについても聞いていると述べた後,ボアズはさらに彼女をこう励まします。「エホバがあなたの行ないに報いてくださって,あなたへの十分な報礼がイスラエルの神エホバからもたらされますように。その翼の下にあなたは避け所を求めてやって来たのです」。(ルツ 2:12)その晩ルツは自分の労働の実を寛大な態度でナオミと分け合い,自分の落ち穂拾いの仕事がうまく進んだのはボアズの善意によるものであることを説明します。ナオミはこのことの中にエホバのみ手の働きを認めてこう言います。「その人にエホバから祝福がありますように。神は生きている者にも死んだ者にもご自分の愛ある親切をお捨てにならなかったのです。……それはわたしたちと縁続きの人です。わたしたちを買い戻す人のひとりなのです」。(2:20)そうです,ボアズは近い親族の一人であり,死んだエリメレクの名においてナオミのために子孫を起こすことを法律的に行なえる人です。大麦の収穫と小麦の収穫が終わるまで,ルツは引き続きボアズの畑で落ち穂拾いをします。
6 ルツは買い戻しによる結婚をどのように願い出ますか。ボアズはそれにどのように応じますか。
6 ボアズは買い戻す者としてルツと結婚する(3:1-4:22)。子を産むには既に年を取りすぎているナオミは今,買い戻しによるその結婚において自分の代役になるようにとルツに諭します。その大切な季節には土地所有者が穀物をあおり分ける仕事を自ら監督するのが習慣でした。そして,その仕事は,暑い一日の後に吹く涼風を利用するために夕方に行なわれるのです。ボアズは脱穀場で眠っているはずです。そのとおりその場所でルツは彼を見つけます。ルツは静かにそのもとに寄り,その足もとをまくってそこに横になります。ボアズが夜中に目を覚ました時,彼女は自分がだれであるかを述べ,義兄弟結婚の権利を主張する女性の習慣的手順に従い,そのすそを広げて彼女を覆ってくれるようにと彼に頼みます。a ボアズは,「娘よ,あなたがエホバに祝福されるように」と述べ,また情欲や貪欲のままに若者たちの後を追わなかったことについて彼女をほめます。ルツは不純な関係を申し出るような女などではありませんでした。いいえ,「優れた婦人」として名を揚げたのです。(3:10,11)しかし,続いてボアズが告げたとおり,ボアズよりさらに近縁の買い戻し人がもう一人います。ボアズは朝になってからその人と相談することにします。ルツは明け方までそのままボアズの足もとに横たわります。その後ボアズは贈り物として穀物を彼女に与え,彼女はナオミのもとに戻ります。ナオミはどのような結果になったかを気遣わしそうに尋ねます。
7 ボアズはその結婚の件をどのように進めますか。結果としてどのような祝福が注がれますか。
7 ボアズは朝早くに市の門の所へ出て,その買い戻し人を探します。市の年長者10人を証人として,彼はその最近親者に,エリメレクに属したすべてのものを買い取る最初の機会を差し伸べます。彼はそれをするでしょうか。彼の即座の答えは“はい”でした。それによって自分の富を増し加えることができるように思えたからです。しかし,ルツとの義兄弟結婚の要求を果たすべきことを知った時,彼は自分自身の相続財産について心配になり,その後自分のサンダルを脱いで,自分はそれを断わるということを法的に示します。聖書の記録の中で彼は名をとどめられていません。「しかじかの方」という不名誉な記述がされているだけです。ボアズは次に,その同じ証人たちの前で,ルツを自分の妻として買い取ります。これは何か利己的な理由によりましたか。そうではありません。『死んだ人の名が断たれることのないようにする』ためであったのです。(4:1,10)見守るすべての人々はこの愛ある取り決めの上にエホバの祝福を呼び求めます。そして,その祝福はまさにすばらしいものとなります。ルツは老年のボアズに男の子を産み,ナオミはその子守りとなります。その子は『ナオミに生まれた男の子』と呼ばれ,オベデと名づけられます。―4:17。
8 約束の胤を生み出すことがエホバの取り決めによって行なわれたということをさらにどんなことが示していますか。
8 ルツ記の結びの数節は,ペレツから,ボアズを経てダビデに至る系図を示しています。ある批判者は,すべての世代が挙げられてはいない,そこに挙げられる数名の人だけでは時代の隔たりが長すぎる,と論じました。そのとおりでしょうか。あるいは,その一人一人が長寿を得,しかもその老年に子をもうけたのでしょうか。後の結論のほうが正しいものと思われます。これは,約束の胤を生み出すことはエホバの取り決めと過分のご親切によるのであり,普通の人間の力によるのではないということを銘記させます。イサク,サムエル,バプテスマを施す人ヨハネの誕生など,他の場合にも,エホバは同じような方法でご自分の力を行使されました。―創世記 21:1-5。サムエル第一 1:1-20。ルカ 1:5-24,57-66。
なぜ有益か
9 ルツ記のドラマの中の主要な人物はどのような点で今日のわたしたちの優れた手本ですか。
9 この喜ばしい記録は確かに有益であり,義を愛する人々が強い信仰を築くのを助けます。この,胸を躍らせるドラマの主要な登場人物すべては,エホバに対する傑出した信仰を示し,「その信仰によって証しされ」ました。(ヘブライ 11:39)彼らは今日のわたしたちのための優れた手本となっています。ナオミはエホバの愛ある親切に対する深い確信を表明しました。(ルツ 1:8; 2:20)ルツはエホバの崇拝を追い求めて,自分の郷里を進んで後にしました。彼女は,忠節と柔順を,そして意欲的な働き人であることを示したのです。エホバの律法に対するボアズの鋭い認識,エホバのご意志に服そうとするその謙遜な態度,また忠実なナオミと勤勉なルツに対するその愛,これらがボアズを導いて,買い戻しによる結婚の特権を果たさせました。
10 ルツ記の記録は王国の約束に対するわたしたちの確信をなぜ強めるはずですか。
10 エホバの備えられた結婚,この場合には買い戻しによる結婚でしたが,それはエホバの誉れのために用いられました。ボアズとルツの結婚を取り決められたのはエホバであり,エホバはご自分の愛ある親切にしたがってそれを祝福され,ダビデに至り,ついには大いなるダビデ,イエス・キリストに至るユダの王統をとぎれることなく保つための手段として,それを用いられました。エホバがご自身の法的な取り決めにしたがって王国の相続者を生み出すために注意深い配慮を払われたことは,わたしたちの確信を一層強くさせ,王国に関するすべての約束の成就を確信を持って待望させるはずです。またそれはわたしたちを鼓舞して現代の収穫の業に忙しく携わらせ,霊的イスラエルの神エホバからの完全な報いに対する確信を抱かせるはずです。わたしたちはその方の『翼の下に避け所を求めてやって来た』のであり,その方の持たれる王国の目的は完全な成就に向かって栄光ある進展を続けているのです。(2:12)ルツ記はその王国に導く記録の鎖環として欠くことのできない部分を占めているのです。
[脚注]
a 「聖書に対する洞察」(英文),第2巻,829ページ。
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聖書の9番目の書 ― サムエル記第一『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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聖書の9番目の書 ― サムエル記第一
筆者: サムエル,ガド,ナタン
書かれた場所: イスラエル
書き終えられた年代: 西暦前1078年ごろ
扱われている時期: 西暦前1180年ごろ-1078年
1 西暦前1117年に,イスラエル国民の組織にはどんな大きな変化が生じましたか。その後,どんな状態が続くことになりましたか。
西暦前1117年のこと,イスラエルの国家的組織には重大な変化が生じました。一人の人間の王が任命されたのです! このことはサムエルがイスラエルでエホバの預言者として仕えていた時に生じました。エホバはそれを予知し,予告しておられましたが,イスラエルの民の求めた君主政体への変化は,サムエルにとってはやはりがく然とさせるような一撃となりました。誕生以来,エホバへの奉仕にささげられ,またエホバの王権に対する敬虔な認識で満たされていたサムエルは,神の聖なる国民の仲間の成員に臨む悲惨な結果を予知していました。ただエホバの導きのもとに,サムエルは彼らの要求に従ったのです。こう記されています。「そこで,サムエルは王権に伴って当然受けるべきものについて民に話し,それを書に記して,エホバの前に納めた」。(サムエル第一 10:25)こうして,裁き人の時代は終わりを告げ,それからイスラエルが前例のない国力と威光を帯びた国へと興隆するのを見る,人間の王たちの時代が始まりましたが,結局最後には恥辱を被り,エホバの恵みから切り離されるに至りました。
2 サムエル記第一を書いたのはだれですか。その筆者たちはどんな資格を持っていましたか。
2 この重大な時期の神聖な記録を作る資格があったのはだれでしょうか。いみじくも,エホバは忠実なサムエルを選んで,その執筆を開始させられました。サムエルには,「神の名」という意味がありますが,彼は確かにその当時,エホバのみ名の擁護者として傑出した人でした。サムエルはその書の初めの24章を書いたと思われます。それから,その死後,ガドとナタンが執筆を続け,サウルの死に至るまでの最後の数年間の記録を完成しました。このことは歴代第一 29章29節に示唆されており,こう記されています。「王ダビデの事績は,最初のものも最後のものも,予見者サムエルの言葉,預言者ナタンの言葉,幻を見る者であるガドの言葉の中にまさしく記されている」。列王記や歴代誌とは異なって,サムエルの書にはそれ以前の記録に言及したところがほとんどないので,ダビデと同時代のサムエル,ガドおよびナタンが筆者であることが裏付けられています。これら3人の人々は皆,エホバの預言者として責任ある地位についており,その国家の威力を衰えさせた偶像崇拝に反対していました。
3 (イ)サムエル記第一はどのようにして聖書中の一つの書となりましたか。(ロ)それはいつ完成されましたか。それはどの期間のことを扱っていますか。
3 サムエル記の二つの書は元々一つの巻き物,つまり一巻でできていました。サムエル記が分けられたのは,ギリシャ語セプトゥアギンタ訳のこの部分が出された時のことでした。セプトゥアギンタ訳では,サムエル記第一は王国の書第一と呼ばれていました。この区分と列王記第一という名称はラテン語ウルガタ訳に採用され,カトリックの聖書では今日でもそうなっています。サムエル記第一および第二が元々一つの書であったことは,サムエル記第一 28章24節のマソラの注記によって示されていますが,それによると,この節はサムエルの書の真ん中にあると述べられています。この書は西暦前1078年ごろ書き終えられたようです。したがって,サムエル記第一は,西暦前1180年ごろから1078年までの100年と少しの期間のことを扱っていると思われます。
4 サムエル記第一の記述の正確さはどのように裏付けられてきましたか。
4 その記述の正確さを示す証拠はたくさんあります。地理的な位置は,描写されている出来事と合致しています。興味深いことに,ヨナタンはミクマシュでフィリスティア人の一守備隊を首尾よく攻撃し,その結果フィリスティア人を完全に敗走させましたが,第一次世界大戦中,英国の一将校によって同様の攻撃が繰り返され,同将校は霊感を受けたサムエルの記述に述べられている陸標に従って進み,トルコ人を敗走させたと言われています。―14:4-14。a
5 聖書の筆者たちはサムエル記第一の真正さについてどのように証言していますか。
5 しかし,この書が霊感の所産であることやその信ぴょう性を示す,それよりもさらに強力な証拠があります。その一つは,イスラエルが王を求めることを示したエホバの預言の著しい成就です。(申命記 17:14。サムエル第一 8:5)何年も後に,ホセアはエホバの言われたことを次のように引用して,その記述を確証しました。「わたしは怒りのうちに王を与えた。そして,憤怒のうちにこれを取り去るであろう」。(ホセア 13:11)ペテロもサムエルをイエスの『時代のことをはっきり告げ知らせた』預言者の一人とみなして,サムエル記が霊感を受けて記されたものであることを暗示しました。(使徒 3:24)パウロはサムエル第一 13章14節を引用して,イスラエルの歴史を簡潔に際立たせています。(使徒 13:20-22)イエスご自身も当時のパリサイ人に,「あなた方は,ダビデおよび共にいた人たちが飢えた時にダビデが何をしたかを読まなかったのですか」と尋ねることにより,その記述は信ぴょう性があることを明確に示されました。それからイエスはダビデが供え物のパンを求めたことに関する記述について話されました。(マタイ 12:1-4。サムエル第一 21:1-6)エズラもまた,すでに指摘したように,この記述を真正なものとして認めました。―歴代第一 29:29。
6 聖書のほかのどんな内面的証拠はサムエル記第一の信ぴょう性を示していますか。
6 これはダビデの活動についての最初の記述ですから,聖書の至る所にあるダビデに言及している箇所は皆,サムエル記が霊感を受けて記された神のみ言葉の一部であることを確証しています。その出来事の幾つかは,詩編 59編(サムエル第一 19:11),詩編 34編(サムエル第一 21:13,14),および詩編 142編(サムエル第一 22:1,もしくはサムエル第一 24:1,3)の場合のように,ダビデの詩編の表題の中でさえ言及されています。このように,神ご自身のみ言葉の内面的証拠はサムエル記第一の信ぴょう性を決定的に立証しています。
サムエル記第一の内容
7 この書に含まれている歴史は,イスラエルのどの指導者たちの生活に関するものですか。
7 この書はイスラエルの指導者のうちの次の4人の人物の生涯の一部あるいは全体を扱っています。それは大祭司エリ,預言者サムエル,最初の王サウルおよびその次の王となるよう油そそがれたダビデです。
8 サムエルはどんな境遇のもとで生まれ,「エホバの奉仕者」となりますか。
8 エリの裁き人としての職と若いころのサムエル(1:1-4:22)。この記述は,レビ人であるエルカナのお気に入りの妻ハンナの紹介で始まります。ハンナには子供がいなかったので,エルカナのもう一人の妻ペニンナから軽べつされます。この家族は毎年,エホバの契約の箱の置かれているシロを訪れますが,この度もそうしている時,ハンナは男の子を求めてエホバに熱烈に祈ります。そして,もしその祈りが聞かれたなら,その子をエホバへの奉仕にささげると約束します。神はその祈りを聞かれ,彼女は男の子サムエルを産みます。その子が乳離れするや,彼女はこれをエホバの家に連れて行き,その子を『エホバに貸された』者として大祭司エリに預けます。(1:28)それから,ハンナは感謝と幸せを歌った歓喜の歌を作って,その感慨を言い表わします。その少年は「祭司エリの前でエホバの奉仕者」となります。―2:11。
9 サムエルはどのようにしてイスラエルの預言者となりますか。
9 エリにとっては万事都合よくいっていたわけではありません。彼は年を取っており,それにその二人の息子は「エホバを認め」ようとしない,どうしようもないならず者となりました。(2:12)二人はその祭司の職を利用して,自分の貪欲と不倫な肉欲を満たそうとします。エリはその二人を矯正し損ないます。そこで,エホバはエリの家に対して神聖な音信を送り,「あなたの家には年老いた者がいなくなる」こと,そしてエリの息子たちは二人とも同じ日に死ぬであろうということを警告されます。(サムエル第一 2:30-34。列王第一 2:27)最後に,エホバは少年サムエルをエリのもとに遣わし,耳に鳴り響くような裁きの音信を伝えさせます。こうして,若いサムエルはイスラエルの預言者とされます。―サムエル第一 3:1,11。
10 エホバはどのようにエリの家に裁きを執行されますか。
10 やがてエホバはフィリスティア人を上って来させ,この裁きを執行されます。戦況がイスラエルにとって不利になると,イスラエル人は大声で叫びながら,契約の箱をシロから自分たちの陣営に運びます。その叫びを聞き,箱がイスラエル人の宿営に運び込まれたことを知ると,フィリスティア人は奮い立ち,驚くべき勝利を収め,イスラエル人を完全に敗走させます。その箱は奪い取られ,エリの二人の息子は死にます。エリは心をわななかせながら,その報告を聞きます。その箱のことが述べられると,エリは座席からあお向けに落ちて,首を折って死にます。こうして,裁き人を務めたその40年の期間が終わります。確かに,「栄光はイスラエルを……去りました」。というのは,その箱はエホバがその民と共におられることを表わしているからです。―4:22。
11 箱は魔術的なお守りではないことがどのようにして示されますか。
11 サムエルはイスラエルを裁く(5:1-7:17)。さて,フィリスティア人もまた,エホバの箱は魔術的なお守りのように用いてはならないことを大いに悲しい思いをして学ばなければなりません。彼らがその箱をアシュドドのダゴンの神殿に持ち込むと,彼らの神はばったりうつ伏せに倒れます。次の日,ダゴンは再び敷居のところにばったり倒れます。この度は,その頭と両手のたなごころは切り離されます。このことがあって,「ダゴンの敷居を踏まない」というフィリスティア人の迷信的な習慣が始まります。(5:5)フィリスティア人は急いで箱をガトへ,それからエクロンへ送りますが,その努力はすべて無に帰します。恐慌,痔,およびねずみの災いなどの形で,責め苦が臨みます。死者の数が増すにつれ,ついには自暴自棄に陥ったフィリスティア人の枢軸領主たちは,その箱を乳を与えていた2頭の雌牛の引く新しい車に載せてイスラエルに返します。ベト・シェメシュでは,イスラエル人のある人々に災難が臨みます。それらの人が箱を見たからです。(サムエル第一 6:19。民数記 4:6,20)最後に,箱はキルヤト・エアリムにあるアビナダブの家に来て落ち着きます。
12 サムエルが正しい崇拝を擁護したためにどんな祝福がもたらされますか。
12 その箱は20年の間,アビナダブの家にとどまります。大人になったサムエルは,バアルやアシュトレテの像を取り除き,心をつくしてエホバに仕えるようイスラエルに勧めます。彼らはそのようにします。彼らが崇拝のためにミツパに集まると,フィリスティア人の枢軸領主たちはその機会を捕らえて戦いを仕掛けます。不意を突かれたイスラエルは,サムエルを通してエホバを呼び求めます。エホバからもたらされた激しい雷鳴のために,フィリスティア人は混乱に陥り,犠牲と祈りをささげて強められたイスラエル人は,大勝利を収めます。そのとき以降,『エホバの手はサムエルの時代中ずっとフィリスティア人に向かいます』。(7:13)しかし,サムエルには引退はありません。彼はその生涯中ずっとイスラエルを裁き続け,エルサレムのすぐ北にあるラマからベテル,ギルガル,そしてミツパへと毎年巡回します。ラマではエホバへの祭壇を築きます。
13 イスラエルは王としてのエホバをどのように退けるようになりますか。サムエルはどんな結果について警告しますか。
13 イスラエルの最初の王サウル(8:1-12:25)。サムエルはエホバへの奉仕に携わって年老いますが,その息子たちは父の道を歩もうとはしません。というのは,その息子たちはわいろを受けたり,裁きを曲げたりしているからです。その時,イスラエルの年長者たちはサムエルに近づいて,次のように要求します。「どうか今,諸国民すべてのように,私たちを裁く王を私たちのために立ててください」。(8:5)大変ろうばいしたサムエルは,祈りのうちにエホバを求めます。エホバはこう答えられます。「彼らが退けたのはあなたではない。彼らは,わたしが彼らの王であることを退けた(の)である。……それで今,彼らの声に聴き従いなさい」。(8:7-9)しかし,まず,サムエルは彼らの反抗的な要求の悲惨な結果について,つまり軍隊の編制,課税,自由の喪失,そしてついには悲痛な悲しみを味わい,エホバに泣き叫ぶようになることについて彼らに警告しなければなりません。人々はその願いを思いとどまることもなく,王を要求します。
14 サウルの王権はどのようにして確立されますか。
14 さて,ベニヤミンの部族のキシュの子サウルが紹介されます。彼はイスラエルのうちで飛び抜けて麗しく,最も丈の高い人です。彼はサムエルのもとに導かれ,サムエルは宴の席で彼に敬意を表し,これに油をそそぎ,それからミツパに集まった全イスラエルに彼を紹介します。サウルは最初,荷物の間に隠れていますが,ついにエホバの選ばれた者として示されます。サムエルはもう一度王権に伴って当然受けるべきものについてイスラエルに思い起こさせ,それを書に記します。しかし,アンモン人に対して勝利を収め,民がギレアデのヤベシュで包囲攻撃から解放されて初めて,サウルの王としての地位は強化され,民はギルガルで彼の王権を承認するようになります。サムエルは再び,エホバを恐れ,これに仕え,これに従うよう彼らに勧告し,またエホバを呼び求めて,季節はずれの雷鳴と収穫の時の雨という形でしるしをもたらすよう願います。エホバは恐るべき仕方でそれを起こして見せ,王としてのご自分を彼らが退けたことに対する怒りを示されます。
15 どんなせん越な罪のためにサウルは失脚しますか。
15 サウルの不従順(13:1-15:35)。フィリスティア人が引き続きイスラエルを悩ましている時,サウルの勇敢な息子ヨナタンがフィリスティア人のある守備隊を討ち倒します。その仕返しとして,敵は数の点で『海辺の砂のような』大軍を送り,彼らはミクマシュに陣を敷きます。不安な気持ちがイスラエル人の隊伍を襲います。『サムエルがやって来て,エホバの指示を与えてくれさえしたらよいのに!』サムエルを待ち切れなくなったサウルは,せん越にも自ら焼燔の犠牲をささげることにより,罪をおかします。すると突然,サムエルが現われます。そして,サウルのつじつまの合わない弁解をはねつけ,次のようにエホバの裁きを申し渡します。「それで今や,あなたの王国は長続きしません。エホバは必ずご自分のためにその心にかなう人を見いだされます。エホバはその人をご自分の民の指導者として任命されます。あなたはエホバの命じられたことを守らなかったからです」― 13:14。
16 サウルの早まった行為は,どんな困難な事態を招きますか。
16 エホバのみ名のために熱心に事を運ぶヨナタンは,再びフィリスティア人の前哨部隊を襲いますが,この度はその武具持ちとたった二人で出かけて,たちまち20人ほどの者を討ち倒します。地震も敵の混乱をあおります。彼らは敗走させられ,イスラエルは徹底的に追跡します。ところが,サウルは早まって,戦いが終わるまでは何も食べてはならないと戦士たちに禁じる誓いを立てたため,勝利の全き効果は弱められます。部下はたちまち疲れてしまい,殺したばかりの動物の肉を時間をかけて血抜きをせずに食べて,エホバに対して罪をおかします。しかしヨナタンは,その誓いについて聴かないうちに,蜜ばちの巣から蜜を取って食べ,元気を回復しました。彼は大胆にも,その誓いを妨げになるものとして公然と非難します。彼はイスラエルで行なった偉大な救いのゆえに,民により死から請け戻されます。
17 サウルはその2度目の重大な罪をおかしてから,さらにどのように退けられますか。
17 さて,エホバの裁きを卑劣なアマレク人に執行する時が訪れます。(申命記 25:17-19)アマレク人は完全に一掃されることになっています。人も獣も,何ものも容赦してはなりません。分捕り物もいっさい取ってはなりません。何もかもみな滅びのためにささげなければなりません。ところが,サウルは不従順にも,アマレク人の王アガグと,羊や牛の最良のものを,表向きはエホバにささげるという名目で生かしておきます。このためにイスラエルの神はたいへん不快に思い,サムエルに霊感を与えて,サウルを再び退ける意向を表明させます。面子を立てようとするサウルの言い訳を退けたサムエルは,次のように言明します。「エホバは,エホバの声に従うことほどに焼燔の捧げ物や犠牲を喜ばれるでしょうか。ご覧なさい,従うことは犠牲に勝り(ます)……あなたはエホバの言葉を退けたので,神もあなたを王としての立場から退けられます」。(サムエル第一 15:22,23)そこでサウルはサムエルに嘆願しようとして,その上着のすそをつかみますが,裂けてしまいます。サムエルは,同様にエホバが必ずサウルから王国を裂き取って,それをもっと勝った人にお与えになることをサウルに向かって断言します。サムエルは自ら剣を取ってアガグを処刑し,サウルに背を向けて,二度と再びこれを見ようとしません。
18 エホバは何に基づいてダビデを選ばれますか。
18 ダビデは油そそがれる。その武勇(16:1-17:58)。エホバは次にサムエルをユダのベツレヘムのエッサイの家に導かれ,将来の王を選び,油そそがせます。エッサイの息子たちは一人ずつ審査を受けますが,退けられます。エホバはサムエルに次のように思い起こさせます。「神の見るところは人の見るところと異なる(の)だ。人は目に見えるものを見るが,エホバは心がどうかを見るからだ」。(16:7)最後にエホバは,「赤みがかっていて,美しい目をした,容姿の麗しい若者」と描写されている一番年下のダビデを承認したことを示され,サムエルはダビデに油を注ぎます。(16:12)エホバの霊は今や,ダビデに臨みますが,サウルは悪い霊を現わします。
19 ダビデは初めに,エホバの名によってどんな勝利を得ますか。
19 フィリスティア人は再びイスラエルに侵入し,丈が非常に高くて,6キュビトと一指当たり(約2㍍90㌢)ある巨人のゴリアテという代表闘士を前に進ませます。その巨人はとてつもなく大きくて,その小札かたびらは重さが56.5㌔ほどあり,その槍の刃は重さが6.8㌔ほどあります。(17:4,5,7)このゴリアテは来る日も来る日も,不敬にも,またごう慢にも,一人の男を選んで出て来て戦わせるよう,イスラエルに挑戦しますが,だれもこたえ応じません。サウルは天幕の中で震えています。ところが,ダビデがやって来て,このフィリスティア人の嘲弄の言葉を聞きます。義憤にかられ,勇気を奮い起こさせられたダビデは,次のように叫びます。「生ける神の戦列を嘲弄するとは,この割礼を受けていないフィリスティア人は何者なのですか」。(17:26)かつて一度も使ったことがないのでサウルの武具を断わったダビデは,羊飼いの杖と石投げと五つの滑らかな石だけを用意して,戦いをするために出て行きます。この年若い羊飼いの少年を相手にするのは自分の体面にかかわることとみなしたゴリアテは,ダビデに災いを呼び求めます。すると,確信に満ちた答えが次のように響き渡ります。「あなたは剣と槍と投げ槍とを持ってわたしに向かって来るが,わたしは……万軍のエホバのみ名をもってあなたに向かって行く」。(17:45)一つの石がダビデの石投げからねらいを定めて飛ばされ,フィリスティア人のその代表闘士は地にくずおれてしまいます! そのもとに走り寄ったダビデは,両軍からよく見える所で,その巨人の剣を引き抜き,これを使ってその持ち主の首を切り落とします。エホバからの何と偉大な救出なのでしょう。イスラエルの陣営には何と大きな喜びがあるのでしょう。その代表闘士が死んだため,フィリスティア人は逃げ去り,歓喜したイスラエル人は激しく追跡します。
20 ダビデに対するヨナタンの態度はサウルのそれとどのように対照をなしていますか。
20 ダビデに対するサウルの追跡(18:1-27:12)。エホバのみ名のためのダビデの恐れのない行動は,ダビデにとって一つのすばらしい友好関係を開くものとなります。それはサウルの息子で,当然王国を得るはずのヨナタンとの関係です。ヨナタンは「自分の魂のように彼を愛するように」なり,二人は友好関係の契約を結びます。(18:1-3)ダビデの名声がイスラエルでほめたたえられるようになると,サウルは,その間に娘ミカルをこれに嫁がせたにもかかわらず,怒りを抱いて彼を殺そうとします。サウルの敵意はいよいよ気違いじみたものとなって行くため,ついにダビデはヨナタンの愛ある援助を得て逃げなければならなくなります。二人は別れに際して泣き,ヨナタンはダビデに対するその忠節を保つことを再び断言して,こう言います。「エホバがわたしとあなたとの間,またわたしの子孫とあなたの子孫との間に定めのない時までもおられますように」― 20:42。
21 どんな出来事はサウルのもとからのダビデの逃走を特徴づけていますか。
21 苦々しさを募らせたサウルのもとから逃げたダビデと飢えたその少数の支持者たちの一隊は,ノブにやって来ます。そこで,祭司アヒメレクは,ダビデとその部下が女から離れていて清い状態であることを確信すると,一行に聖なる供えのパンを食べることを許します。さて,ゴリアテの剣で武装したダビデは,フィリスティア人の領土のガトに逃げて行き,そこで気違いの振りをします。それから,彼はアドラムの洞くつへ,次いでモアブへ,そしてその後,預言者ガドの忠告を受けて,ユダの地に戻ります。ダビデを支持する反乱を恐れた,狂気なまでにしっとに燃えたサウルは,エドム人ドエグにノブの祭司である人々を打ち殺させます。ただ一人アビヤタルだけが逃れて,ダビデに加わり,その一行のための祭司となります。
22 ダビデはエホバに対する忠節とその組織に対する敬意をどのように実証しますか。
22 ダビデはエホバの忠節な僕として,今やフィリスティア人に対して効果的なゲリラ戦を行ないます。ところが,サウルはダビデを捕らえようとして全面的な作戦を続け,戦人を集めて,「エン・ゲディの荒野」でダビデを探し回ります。(24:1)エホバに愛されたダビデは,いつもなんとか事を運んで追跡者よりも一歩先を進みます。ある時,彼はサウルを討ち倒す機会に恵まれますが,そうすることを差し控え,ただその命を容赦した証拠としてサウルの上着のすそだけを切り取ります。この無害な行為さえダビデの心を打ちます。というのは,エホバの油そそがれた者に逆らって行動したと感じているからです。エホバの組織に対して何と優れた敬意を抱いているのでしょう。
23 アビガイルはどのようにしてダビデと和解し,ついにその妻となりますか。
23 さて,サムエルの亡くなったことが記されますが(25:1),その後継者である書記はさらにその記述を続けます。ダビデはナバルの羊飼いたちを助けたことに対する報酬として,自分と自分の部下のために食物を提供するよう,ユダのマオンのナバルに頼みます。ところが,ナバルはダビデの部下に対してただ『どなりつける』だけだったので,ダビデはこれを罰するために出かけます。(25:14)危険を悟ったナバルの妻アビガイルは,ひそかにダビデの所に食糧を持って行き,彼をなだめます。ダビデはその思慮深い行為のゆえに彼女を祝福し,平安のうちにこれを送り返します。アビガイルが起きたことをナバルに知らせると,その心は打ちのめされ,十日たって彼は死にます。ダビデのほうは今や,慈しみ深い美しいアビガイルと結婚します。
24 ダビデはどのようにサウルの命を再び容赦しますか。
24 サウルは3度目にも狂ったようにダビデを追跡しはじめますが,またもやダビデの憐れみを経験します。「エホバからの深い眠り」がサウルとその部下を襲います。そのために,ダビデは陣営に入って,サウルの槍を取ることができるようになりますが,「エホバの油そそがれた者に向かって」その手を出すことを差し控えます。(26:11,12)ダビデは難を避けてフィリスティア人のもとに再び逃げざるを得なくなりますが,彼らはチクラグを住む場所としてダビデに与えます。そこから彼はイスラエルの敵の他の者に対して出撃し続けます。
25 サウルは3度目のどんな重大な罪を犯しますか。
25 自殺を遂げるサウルの最期(28:1-31:13)。フィリスティア人の枢軸領主たちは連合軍をシュネムに移します。サウルは対抗手段としてギルボア山に陣取ります。逆上した彼は導きを求めますが,エホバからは何の答えも得ることができません。サムエルと連絡が取れさえしたらよいのに! サウルは変装して,フィリスティア人の戦線の背後にあるエン・ドルで一人の霊媒術者を捜しに出て行き,もう一つの重大な罪を犯します。彼女を捜すと,サウルはサムエルと連絡を取ってもらいたいと頼みます。結論を急ぐ余り,サウルはその亡霊を死んだサムエルだと考えます。しかし,“サムエル”は王にとって慰めとなる音信を持ってはいません。サウルは翌日死ぬことになり,エホバの言葉にたがわず,その王国は彼から取り去られます。他方の陣営では,フィリスティア人の枢軸領主たちが戦いに上って行こうとしています。彼らは自分たちの中にダビデとその部下たちがいるのを見ると,疑惑を抱くようになり,ダビデとその部下を帰します。ダビデの部下たちは丁度よい時にチクラグに帰って来ます。アマレク人の侵略者の一隊がダビデの家族や所有物とその部下たちをさらって行きましたが,ダビデとその部下たちはこれを追跡し,危害を被ることなくすべてのものを取り返します。
26 イスラエルの最初の王の悲惨な治世はどのように終わりを迎えますか。
26 さて,戦いはギルボア山で開始され,イスラエルは悲惨な敗北を被り,フィリスティア人はその地の戦略的な地域を支配します。ヨナタンと,サウルのほかの息子たちは打ち殺され,致命傷を負ったサウルは自分の剣で自害,つまり自殺します。勝ち誇ったフィリスティア人はサウルとその3人の息子たちの遺体をベト・シャン市の城壁に掛けますが,遺体はヤベシュ・ギレアデの人々によりその不名誉な場所から移されます。こうして,イスラエルの初代の王の不幸な治世はその悲惨な終わりを迎えます。
なぜ有益か
27 (イ)エリやサウルはどの点で失敗しましたか。(ロ)サムエルやダビデはどんな点で監督たちや年若い奉仕者たちにとって立派な模範ですか。
27 サムエル記第一には何という歴史が収められているのでしょう。その記述はあらゆる詳細な点において正直そのもので,イスラエルの短所や長所を両方とも同時にあらわに述べています。そこにはイスラエルの4人の指導者が出て来ますが,そのうちの二人は神の律法に留意しましたが,二人はそうしませんでした。エリとサウルがどのように失敗者となったかに注目してください。つまり,前者は行動を起こすことを怠りましたが,後者はせん越な行動を取りました。一方,サムエルとダビデは若い時からエホバの道に対する愛を示し,そのために栄えました。ここにはすべての監督たちに対する何と貴重な教訓があるのでしょう。監督たちが確固とした態度を取り,エホバの組織の清さと秩序を見守り,エホバの取り決めに敬意を表わし,恐れを抱かず,穏やかな気性を保ち,勇気を示し,またほかの人たちに愛ある思いやりを示すのは何と必要なことでしょう。(2:23-25; 24:5,7; 18:5,14-16)また,成功を収めたその二人は,若い時から神権的な良い訓練を受ける有利な立場に恵まれていましたし,二人共エホバの音信を語るという点で年若いころから勇敢で,自分にゆだねられた事柄を守っていたことにも注目してください。(3:19; 17:33-37)今日のエホバの年若い崇拝者たちも皆,若い“サムエル”や“ダビデ”になりますように!
28 どのように従順が強調されていますか。サムエル記第一のどんな助言が聖書のほかのどんな筆者たちによって後に繰り返されていますか。
28 この書のすべての有益な言葉の中でもはっきりと覚えておくべきなのは,「アマレクについて述べることを天の下からぬぐい去る」ことに失敗したサウルに対する裁きをエホバがサムエルに霊感を与えて述べさせた時の言葉です。(申命記 25:19)『従順は犠牲に勝る』という教訓は,ホセア 6章6節,ミカ 6章6節から8節,およびマルコ 12章33節などの様々の箇所で繰り返されています。(サムエル第一 15:22)今日,わたしたちがわたしたちの神エホバの声に十分に,また全く従うことにより,霊感によるこの記録から益を得るのは実に肝要なことです。サムエル第一 14章32節と33節では,血の神聖さを認める点での従順さにも注意が向けられています。正しく血抜きをせずに肉を食べることは,『エホバに対して罪をおかす』こととみなされました。このことはまた,使徒 15章28節と29節で明らかにされているように,クリスチャン会衆にも当てはまります。
29 サムエル記第一の書はイスラエルのどんな国家的な誤りのもたらす結果を例証していますか。同時に,それは片意地な人々に対するどんな警告となりますか。
29 サムエル記第一の書は,天からなされる神の支配を非実際的なものとみなすようになった一国民の憐れむべき誤りを例証しています。(サムエル第一 8:5,19,20; 10:18,19)人間による支配の陥りやすい過ちやむなしさは,鮮やかに,また預言的に描写されています。(8:11-18; 12:1-17)サウルは最初,神の霊を持っていた慎み深い人であることが示されていますが(9:21; 11:6),義に対する愛と神への信仰が少なくなるにつれ,その判断はあいまいになり,その心は苦々しくなりました。(14:24,29,44)その初めの熱心さの記録は,その後のせん越さ,不従順,および神への不忠誠の行ないによって取り消されました。(サムエル第一 13:9; 15:9; 28:7。エゼキエル 18:24)その信仰の欠如は不安を生み,それが高じて,しっと,憎しみ,および殺人をもたらしました。(サムエル第一 18:9,11; 20:33; 22:18,19)サウルは生きていた時にもそうであったように,その神とその民にとって落伍者として,また彼のように「片意地」になる人に対する警告として死にました。―ペテロ第二 2:10-12。
30 サムエルのどんな特質を培うことは現代の奉仕者にとって益となりますか。
30 しかし,それとは対照的な良いこともあります。例えば,欺まんを行なったり,えこひいきや偏愛を示したりすることなく,一生涯イスラエルに仕えた忠実なサムエルの歩みに注目してください。(サムエル第一 12:3-5)彼は少年時代から熱心に従う人で(3:5),礼儀正しく,丁重で(3:6-8),務めを果たす点で信頼でき(3:15),その献身と専心の点でも不動で(7:3-6; 12:2),喜んで聴き従い(8:21),進んでエホバの決定を支持し(10:24),人物にかかわりなく裁きの点で確固としており(13:13),従順を大いに重んじ(15:22),また根気強く任務を果たしました。(16:6,11)彼はまた,ほかの人たちからも良い評判を得ていました。(2:26; 9:6)その若い時代の奉仕は,今日,奉仕の務めに従事するよう若い人たちを励ますものとなっているだけでなく(2:11,18),その生涯の終わりまで引退することなくその務めを継続したことは,老齢のために疲れを感じる人たちを鼓舞するものともなるでしょう。―7:15。
31 ヨナタンはどんな点で優れた模範ですか。
31 それから,ヨナタンの目覚ましい模範があります。彼は,もしかしたら自分が継承したかもしれない王の職務にダビデが任じられたことで,少しも悪感情を示しませんでした。むしろ,彼はダビデの優れた特質を認め,ダビデと友好関係の契約を結びました。同様の利他的な親密な交際は,今日,エホバに忠実に仕える人たちの中でたいへん人を築き上げ,励ますものとなります。―23:16-18。
32 ハンナやアビガイルのような女性には,どんな優れた特性が認められますか。
32 女性にとっては,夫に同伴して,定期的にエホバの崇拝の場所に通ったハンナの模範があります。彼女はよく祈りをささげる謙そんな女性で,約束を守って,エホバのご親切に対する感謝を示すため,その息子との交わりを断念しました。彼女はその子が生涯にわたってエホバに実りの多い奉仕をする人生のスタートを切るのを見ましたが,それは本当にすばらしい報いでした。(1:11,21-23,27,28)さらに,アビガイルの模範があります。彼女は女らしい服従と,ダビデの称賛を勝ち得た分別を示したので,後にその妻となりました。―25:32-35。
33 ダビデの恐れを知らない愛と忠誠は,どんな歩みをするよう,わたしたちを促すはずですか。
33 エホバに対するダビデの愛は,ダビデが「エホバの油そそがれた者」である堕落したサウルにより荒野で追い回されていた時に作った詩編の中で,感動的に表現されています。(サムエル第一 24:6。詩編 34:7,8; 52:8; 57:1,7,9)そして,ダビデは嘲弄者ゴリアテに挑戦した時,何という心からの認識を抱いてエホバのみ名を神聖なものとしたのでしょう。こう記されています。「わたしは……万軍のエホバのみ名をもってあなたに向かって行く。この日,エホバはあなたをわたしの手に引き渡され……全地の人々はイスラエルに神がおられることを知るであろう。そして,この全会衆は,エホバが剣や槍で救うのではないことを知るであろう。戦いはエホバのものであって,神は必ずあなた方をわたしたちの手に渡されるからである」。(サムエル第一 17:45-47)エホバの「油そそがれた者」である勇敢で忠節なダビデは,エホバを全地の神として,また救いの唯一の真の源である方として大いなるものとしました。(サムエル第二 22:51)わたしたちも恐れを知らないこの模範に,いつも従えますように!
34 エホバの王国の目的はダビデに関連してさらにどのように展開しますか。
34 サムエル記第一は神の王国という目的の進展については何を述べていますか。さあ,これで聖書のこの書の本当に重要な部分に触れることになります。というのは,ダビデが出て来るのは,この箇所だからです。その名には多分,「愛する者」という意味があります。ダビデはエホバに愛され,「その心にかなう人」,イスラエルの王となるにふさわしい人として選ばれました。(サムエル第一 13:14)こうして,その王国は創世記 49章9節と10節にあるヤコブの祝福の言葉と一致して,ユダの部族に移り,その王権はすべての民族の従順が帰属する支配者の来る時まで,ユダの部族のうちにとどまることになりました。
35 ダビデの名は王国の胤の名とどのように結び付けられるようになりましたか。その胤はダビデのどんな特質をこれから示しますか。
35 その上,ダビデの名は,やはりベツレヘムで生まれてダビデの家系から出た王国の胤の名と結び付けられています。(マタイ 1:1,6; 2:1; 21:9,15)その方は,「ユダ族の者であるライオン,ダビデの根」,また「ダビデの根また子孫であり,輝く明けの星」であられる,栄光を受けたイエス・キリストです。(啓示 5:5; 22:16)王国の支配権を執って統治しておられる,この「ダビデの子」は,神の敵との戦いに際して,その傑出した祖先の不動の態度と勇気をことごとく示して敵を滅びに至らせ,全地でエホバのみ名を神聖なものとするでしょう。この王国の胤に対するわたしたちの確信は何と強いものでしょう。
[脚注]
a 「最後の十字軍の物語」(英文),1923年,ビビアン・ギルバート少佐,183-186ページ。
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聖書の10番目の書 ― サムエル記第二『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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聖書の10番目の書 ― サムエル記第二
筆者: ガドとナタン
書かれた場所: イスラエル
書き終えられた年代: 西暦前1040年ごろ
扱われている期間: 西暦前1077年-1040年ごろ
1 サムエル記第二はどんな背景のもとに始まっていますか。その記述はどのように進展しますか。
イスラエル国民は,ギルボアでの惨事や,その結果生じた,勝ち誇るフィリスティア人による侵略のために絶望状態にありました。イスラエルの指導者たちやその若者たちの精鋭は死んでしまいました。このような背景のもとで,『エホバの油そそがれた者』であるエッサイの子の若いダビデは,国家的舞台いっぱいに登場しました。(サムエル第二 19:21)こうして,エホバとダビデの書とも呼べるサムエル記第二の書が始まります。その物語はあらゆる活動で満ちています。話の筋は敗北のどん底から勝利の絶頂へ,争いで分裂した国民の苦悩に満ちた時期から連合王国の繁栄の時期へ,活力のある青年期から知恵を備えた老年期へと進められて行きます。そこには,心をつくしてエホバに従うことに努めたダビデの一生が詳細に記されています。a その記述はすべての読者に心を探らせるものとなり,読者は創造者と自分自身との関係や自分の立場を強化することができます。
2 (イ)この書はどうしてサムエル記第二と呼ばれるようになりましたか。(ロ)その筆者たちはだれですか。どんな資格を持っていましたか。彼らはどんな記録だけを保存しようと努めましたか。
2 実際には,サムエルの名はサムエル記第二の記録の中では触れられてさえいません。ただ,この書は元来,サムエル記第一と共に一つの巻き物,つまり一巻の書だったので,その名がこの書に付されているようです。サムエル記第一を書き終えた預言者ナタンとガドは,サムエル記第二のすべてを書き続けました。(歴代第一 29:29)二人はこの仕事をする十分の資格を身につけていました。ガドはダビデがイスラエルで無法者として追われていた時にも彼と共にいましたし,ダビデの40年にわたる治世の終わりに際しても,なお活発にこの王と交わっていました。ガドは,愚かにもイスラエルの人数を数えたダビデに,エホバの不興の言葉を申し渡すのに用いられた人でした。(サムエル第一 22:5。サムエル第二 24:1-25)ダビデの親しい仲間である預言者ナタンの活動期間は,ガドの生涯の期間と一部重なり合っていますが,さらにそれより後にまで及びました。ダビデとのエホバの重要な契約,つまり永遠の王国のための契約を知らせるのは,ナタンの特権でした。バテ・シバにかかわるダビデの大きな罪とそれに対する罰を勇敢に,また霊感のもとに指摘したのも,ほかならぬナタンでした。(サムエル第二 7:1-17; 12:1-15)こうしてエホバは,その名が「[神が]お与えになった」という意味のナタンと,「幸運」という意味のガドを用いて,霊感を受けた有益な情報をサムエル記第二の中に記録させました。これらのつつましい歴史家たちは自分自身の記憶を保存しようとはしませんでした。ですから,自分たちの先祖のことや個人の生活については何の情報も述べられていません。この二人は後代のエホバの崇拝者たちの益のために,神の霊感による記録を保存することにのみ努めたのです。
3 サムエル記第二はどの期間を扱っていますか。その著述はいつ終えられましたか。
3 サムエル記第二は,イスラエルの初代の王サウルの死以後の正確な聖書歴史の物語で始まっており,話をダビデの40年にわたる治世の終わり近くにまで進めています。ですから,扱われている期間は西暦前1077年から1040年ごろにまで及びます。この書にダビデの死のことが記されていないという事実は,これが西暦前1040年ごろ,あるいはその死の少し前に書かれたことを示す強力な証拠です。
4 どんな理由で,サムエル記第二も聖書正典の一部として受け入れなければなりませんか。
4 サムエル記第一に関して述べられた同じ理由で,サムエル記第二の書も聖書の正典の一部として受け入れられなければなりません。その信ぴょう性には疑問の余地がありません。ダビデ王の罪や欠点をさえ言い繕おうとしない,その真の正直さは,それ自体強力な状況証拠です。
5 サムエル記第二を霊感を受けた聖書の一部として受け入れるべき最も強力な理由とは何ですか。
5 しかし,サムエル記第二の信ぴょう性を示す最も強力な証拠は,成就した預言,それも特にダビデとの王国契約に関して成就した預言のうちに見いだせます。神はダビデにこう約束されました。「あなたの家とあなたの王国は確かにあなたの前に定めのない時までも動くことがない。あなたの王座は,定めのない時までも堅く立てられたものとなる」。(7:16)ユダ王国の末期のころでさえ,エレミヤは次のような言葉を述べて,ダビデの家に対するこの約束が持続していることを指摘しました。「エホバはこのように言われた……『ダビデについては,イスラエルの家の王座に座す者が断たれることはない』」。(エレミヤ 33:17)この預言が成就を見ないままに終わることはありませんでした。というのは,エホバは後に,聖書が明白に証言している通り,「ダビデの子,イエス・キリスト」をユダから産み出されたからです。―マタイ 1:1。
サムエル記第二の内容
6 ダビデはサウルとヨナタンの死についての知らせを聞くと,どんな反応を示しますか。
6 ダビデの治世の初期の出来事(1:1-4:12)。ギルボア山でサウルが死んだ後に,戦場からの逃亡者である一人のアマレク人が,報告を携えてチクラグのダビデのもとに急いでやって来ます。彼はダビデの機嫌を取ろうと考えて,サウルの命を取ったのは自分であると言って話をでっち上げます。しかし,そのアマレク人は褒められるどころか,死の報いを受けたにすぎません。というのは,彼は「エホバの油そそがれた者」を討ったことを証言して,自らを罪ある者としたからです。(1:16)新しい王ダビデはそこで,「弓」と題する一つの哀歌を作り,その中でサウルとヨナタンの死を悼みます。この歌はヨナタンに対するダビデのあふれるばかりの愛を言い表わした感動的な表現をもって見事な最高潮へと盛り上がって行きます。「わたしの兄弟ヨナタン,わたしはあなたのために苦しんでいる。あなたはわたしにとって非常に快い人だった。あなたの愛はわたしにとって女の愛よりもすばらしかった。ああ,力のある者たちは倒れた。戦いの武器は滅びうせた!」―1:17,18,26,27。
7 ほかにダビデの治世の初めの時期を特色づけるどんな出来事がありますか。
7 エホバの導きのもとに,ダビデとその部下は自分たちの家の者たちをユダの領地のヘブロンへ移します。ここで,その部族の長老たちがやって来て,西暦前1077年にダビデを自分たちの王として,これに油をそそぎます。将軍ヨアブはダビデの支持者の中でも最も傑出した者となります。ところが,この国民に対する王権を主張する対抗者として,サウルの子イシ・ボセテが軍の長アブネルによって油そそがれます。対立するこの二つの勢力の間では断続的に衝突が繰り返され,アブネルはヨアブの兄弟を殺します。最後に,アブネルはダビデの陣営に走ります。そして,アブネルはサウルの娘ミカルをダビデのもとに連れて来ます。ダビデはこのミカルのためにずっと前に婚姻料を支払いました。ところで,ヨアブは殺害された自分の兄弟のために復しゅうしようとして,アブネルを殺す機会を見つけます。ダビデはこの事でたいへん苦しみ,その責任を一切拒否します。その後まもなく,イシ・ボセテ自身,「昼寝をしていた」時に殺害されます。―4:5。
8 エホバは全イスラエルを支配するダビデの治世をどのように繁栄させますか。
8 エルサレムの王ダビデ(5:1-6:23)。ダビデはすでにユダで王として7年6か月間支配しましたが,今や争う者のない支配者となり,諸部族の代表者たちは彼を全イスラエルの王として油そそぎます。油をそそがれるのはこれで3度目です(西暦前1070年)。王国全体の支配者としてのダビデの最初の行動の一つは,地下水道を通って,守りを固めているエブス人を急襲し,彼らからエルサレムのシオンのとりでを攻め取ることです。それから,ダビデはエルサレムを首都とします。万軍のエホバはダビデを祝福し,これをますます大いなる者とならせます。ティルスの金持ちの王ヒラムでさえ,王のための家を建造するため貴重な杉材や労働者たちをダビデのもとに送ります。ダビデの家族は増し加わり,エホバはその治世を繁栄させます。その後,好戦的なフィリスティア人とさらに2回戦いを交えます。そのうちの最初の戦いで,エホバはバアル・ペラツィムでダビデのために敵を討ち破り,彼に勝利を得させます。2番目の戦いで,エホバはもう一つの奇跡を行ない,「バカの茂みのてっぺんで行進の音」を聞こえさせます。それは,エホバがイスラエルの先頭に立って進み,フィリスティア人の軍勢を敗走させようとしておられることを示すものです。(5:24)エホバの軍勢にとって,もう一つの著しい勝利となります。
9 箱をエルサレムに運ぶことに関連して生じた出来事を述べなさい。
9 ダビデは3万人の部下を連れて,契約の箱をバアレ・ユダ(キルヤト・エアリム)からエルサレムへ運ぶことに着手します。その箱が盛大な音楽と歓声をもって運ばれて行くと,その箱を載せた車が不意に傾き,一緒に歩いているウザが聖なる箱を押さえようとして手を伸ばします。「すると,エホバの怒りがウザに対して燃え盛り,まことの神はその不敬な行為のためにそこで彼を打ち倒され」ました。(6:7)箱はオベデ・エドムの家にとどまるようになり,その後の3か月間,エホバはオベデ・エドムの家の者を豊かに祝福されます。3か月後,ダビデは箱を正しい仕方で運んで残りの道を進ませるためにやって来ます。喜びの叫びが上がり,音楽が奏でられ,踊りが行なわれる中で,その箱はダビデの首都に運び込まれます。ダビデはエホバの前で踊って,大いなる喜びを表わしますが,その妻ミカルはこのことで苦情を言います。ダビデは,「わたしはエホバの前で祝うのだ」と言い張ります。(6:21)このために,ミカルはその死ぬ時まで子供のないままでいます。b
10 次に,エホバのどんな契約と約束がわたしたちの注意を引きますか。
10 ダビデとの神の契約(7:1-29)。さて,ここで,ダビデの生涯の中で最も重要な出来事の一つ,聖書の中心主題,すなわち約束された胤の治める王国によってエホバのみ名が神聖なものとされることに直接関係のある出来事が生じます。この出来事は,神の箱のために家を建てたいというダビデの願いから生じます。ダビデは,自分自身は杉材でできた美しい家に住んでいたので,エホバの契約の箱のために一つの家を建てたいという願いをナタンにそれとなく知らせます。エホバはナタンを通して,イスラエルに対するご自分の愛ある親切をダビデに再び保証し,いつまでも持続する契約をダビデと堅く結ばれます。しかし,エホバのみ名のための家を建てるのは,ダビデではなく,その胤です。さらにエホバは次のような愛ある約束をなさいます。「そして,あなたの家とあなたの王国は確かにあなたの前に定めのない時までも動くことがない。あなたの王座は,定めのない時までも堅く立てられたものとなる」― 7:16。
11 ダビデはどんな祈りをささげて,感謝の念を表明しますか。
11 この王国契約を通して表明された,エホバの善良さに圧倒されたダビデは,神の愛ある親切のすべてに対する感謝の念を次のように吐露します。「地のどんな一国民があなたの民イスラエルのようでしょう。神は行って,彼らを一つの民としてご自身のために請け戻し,名声を博し,彼らのために大いなる,畏怖の念を起こさせること……をなさいました。……エホバよ,あなたが彼らの神となられました」。(7:23,24)彼はエホバのみ名が神聖にされることと,ダビデの家がみ前に堅く立てられることとを熱烈に祈ります。
12 ダビデはどんな戦いを行ないますか。彼はサウルの家にどんな親切を示しますか。
12 ダビデはイスラエルの領土を拡張する(8:1-10:19)。しかし,ダビデは平和裏に支配するままにされるのではありません。戦いはなおも行なわなければなりません。ダビデはフィリスティア人,モアブ人,ツォバ人,シリア人,およびエドム人を次々に打ち倒し,イスラエルの境界を神の定められた限界まで拡張します。(サムエル第二 8:1-5,13-15。申命記 11:24)それから彼はサウルの家に注意を向けます。それは,ヨナタンのために,生き残っている人に対して愛ある親切を表わすためです。サウルの僕ヂバは,ヨナタンの息子で足の不自由なメピボセテにダビデの注意を引きます。直ちにダビデは,サウルの財産がすべてメピボセテに引き渡され,メピボセテの家に食物を供給するよう,またその土地がヂバとその僕たちによって耕作されるよう求めます。しかし,メピボセテ自身はダビデの食卓で食べることになります。
13 エホバはご自分がダビデと共にいることを示す別のどんな勝利をもたらされますか。
13 アンモンの王が死ぬと,ダビデはその子ハヌンのもとに愛ある親切のしるしとなるものを持たせて,使節たちを派遣します。ところが,ハヌンの助言者たちは,それらの使節をよこしたのはその地を探らせるためであるとしてダビデを非難し,そのために彼らはその使節たちを辱めて,半ば裸にして帰してよこします。この無礼な処置のために怒ったダビデは,その悪行に報復するため,ヨアブとその軍隊を差し向けます。ヨアブはその軍勢を二手に分けて,アンモン人と彼らを助けに上って来たシリア人とを難なく敗走させます。シリア人はその軍勢を編制し直しますが,ダビデの指揮のもとでエホバの軍勢により,またもや敗北を喫することになり,兵車の御者700人と騎手4万人を失います。これはエホバの恵みと祝福がダビデの上にあることをさらに示す証拠となります。
14 ダビデはバテ・シバのことでどんな罪を犯しますか。
14 ダビデはエホバに対して罪をおかす(11:1-12:31)。翌年の春,ダビデは再びヨアブをアンモンに遣わし,ラバを包囲させますが,ダビデ自身はエルサレムにとどまっています。ある夕方,彼はたまたま屋上から,ヒッタイト人ウリヤの妻である美しいバテ・シバが水浴しているのを眺めます。彼は彼女を自分の家に連れて来させ,彼女と関係を持ち,彼女は身ごもります。ダビデはラバの戦場からウリヤを戻し,自分の家に行って休養を取るように仕向け,罪を押し隠そうとします。しかしウリヤは,箱と軍隊が「仮小屋にとどまって」いるので,自分だけ勝手に行動して妻と関係を持とうとはしません。やけになったダビデは次のように述べた1通の手紙を持たせて,ウリヤをヨアブのもとに送り返します。「ウリヤを戦いの最も激しい前線に置け。あなた方は彼の後ろから退却し,彼が討ち倒されて死ぬようにするのだ」。(11:11,15)こうしてウリヤは死にます。バテ・シバの喪の期間が過ぎた後,ダビデは直ちに彼女を自分の家に連れて来て,そこで彼女はその妻となり,両人の子,息子が生まれます。
15 ナタンはどのように預言的な裁きをダビデに宣告しますか。
15 これはエホバの目にとって悪いことです。神は裁きの音信を持たせて預言者ナタンをダビデのもとに遣わします。ナタンはある富んだ人と貧しい人についてダビデに話します。その富んだ人は多くの羊を持っていましたが,その貧しい人は1頭の雌の子羊しか持っていませんでした。子羊はその家族のペットで,「彼にとって娘のよう」でした。ところが,宴を用意するときが来ると,その富んだ人は自分の羊の群れの中の羊ではなく,この貧しい人の雌の子羊を取りました。これを聞いて憤ったダビデは,次のように叫びます。「エホバは生きておられる。そんなことをした男は死に値する!」すると,ナタンの言葉が返ってきます。「あなたがその人です!」(12:3,5,7)それから彼は,ダビデの妻たちがほかの人によって公然と犯され,その家は内戦のために悩まされ,またバテ・シバによるその子供は死ぬことになるという預言的な裁きを宣告します。
16 (イ)バテ・シバによるダビデの2番目の子の名にはどんな意味が付されていますか。(ロ)ラバに対する襲撃の最終結果はどうなりますか。
16 誠実な態度で悲しみ,悔い改めたダビデは,「わたしはエホバに対して罪をおかした」と公に認めます。(12:13)エホバの言葉通り,その姦淫の関係から生まれた子は,七日間病んだ後に死にます。(後に,ダビデはバテ・シバによってもう一人の子を得ます。二人はその子を「平和」という意味の語根に由来するソロモンという名で呼びます。しかし,エホバはナタンを通してその子を「ヤハの愛する者」という意味のエディデヤとも呼ぶように伝えます。)魂を震えさせるような経験をした後,ダビデはラバに来るようヨアブから呼ばれます。そのラバでは,最後の襲撃の用意が行なわれています。その都市の水の供給源を攻め取ったヨアブは,敬意を表して,その都市そのものを攻略する誉れを王のものとして残します。
17 どんな内紛がダビデの家を苦しめるようになりますか。
17 ダビデの家庭内の困難(13:1-18:33)。ダビデの息子の一人アムノンがその異母兄弟アブサロムの妹タマルに激しい恋をしてから,ダビデの家の悩みが始まります。アムノンは病気を装い,世話をしてもらうために美しいタマルを遣わして欲しいと頼みます。彼はタマルを犯し,そののち彼女を激しく憎むようになり,彼女を辱めたまま去らせます。アブサロムは復しゅうを計画し,時機を待ちます。約2年の後,彼は宴を用意し,アムノンをはじめ,王のほかの息子たちすべてが招かれます。アムノンの心がぶどう酒で楽しい気分になると,アブサロムの命令で,彼は油断しているところを討たれて殺されます。
18 アブサロムはどんな策略によって流刑の身から復帰することになりますか。
18 王の不興を恐れたアブサロムは,ゲシュルに逃げ,そこで3年間,流刑同然の生活をします。その間に,ダビデの軍の長ヨアブはダビデとアブサロムの和解を図ろうと企てます。彼はテコアの,ある賢い婦人を用いて,報復,追放,および処罰に関して王の前で架空の状況を述べさせるように取り計らいます。王が裁きを述べると,その婦人は自分がその場に居合わせている真の理由を明らかにし,王自身の子アブサロムがゲシュルに追放されていることを告げます。ダビデはヨアブがこれを計画したことに気づきますが,我が子がエルサレムに戻ることを許します。それからさらに2年たって,王は差し向かいでアブサロムと会うことを承諾します。
19 今や,どんな陰謀が明るみに出ますか。その結果,ダビデはどうなりますか。
19 ダビデの愛ある親切にもかかわらず,アブサロムはほどなくしてその父から王座を奪う陰謀をたくらみます。アブサロムはイスラエルのすべての勇敢な人々の中でも際立って麗しい人で,そのために彼は野心と誇りを募らせます。毎年,その豊かな髪の毛は刈り取られますが,その重さは,2.3㌔ほどあります。(サムエル第二 14:26,脚注)アブサロムは様々の巧妙な手を使って,イスラエルの人々の心をこっそりとつかむようになります。最後に,その陰謀は明るみに出ます。ヘブロンに行く許可をその父から得たアブサロムは,そこで謀反を表明し,ダビデに対するその反乱を支持するよう全イスラエルに呼びかけます。大勢の人々が謀反を起こしたその息子の側に群れをなして付くので,ダビデは少数の忠節な支持者たちと共にエルサレムから逃げて行きます。それらの支持者の典型的な人物はギト人イッタイで,彼はこう言明します。「エホバは生きておられ,王なる我が主も生きておられます。王なる我が主のおられる所に,生死いずれのためでも,この僕も必ずそこにおります!」―15:21。
20,21 (イ)ダビデの逃走中,どんな出来事が生じますか。ナタンの預言はどのように成就しますか。(ロ)裏切りを働いたアヒトフェルはどのようにその最期を迎えますか。
20 エルサレムから逃げる途中,ダビデはその最も信頼していた助言者の一人,アヒトフェルの背信行為について知り,こう祈ります。「エホバよ,どうか,アヒトフェルの助言を愚かなものにしてください!」(15:31)ダビデに忠節な祭司であるザドクとアビヤタル,およびアルキ人フシャイは,アブサロムの行動を見守り,それについて報告するようエルサレムに送り返されます。その間に,ダビデは荒野でメピボセテの従者ヂバに会います。このヂバは,今や王国がサウルの家に戻ることをその主人が望んでいると報告します。ダビデがさらに通って行くと,サウルの家の者であるシムイがダビデをのろい,これに石を投げ付けますが,ダビデは仕返しをしないよう,その部下を抑えます。
21 一方エルサレムでは,アヒトフェルの勧めで,王位さん奪者アブサロムがその父のそばめたちと「全イスラエルの目の前で」関係を持ちます。こうして,ナタンの預言的な言葉は成就します。(16:22; 12:11)また,アヒトフェルは1万2,000人の兵を取って,荒野でダビデを追跡するようアブサロムに助言します。しかし,うまく事を運んでアブサロムの信用を得たフシャイは,別の手段を勧めます。そして,ダビデが祈り求めた通り,アヒトフェルの助言は覆されます。失望したアヒトフェルはユダのように,家に帰って自ら首をくくります。フシャイはひそかにアブサロムの計画を祭司ザドクとアビヤタルに伝え,次いでこの二人はその知らせを代わりの者たちを通して荒野にいるダビデのもとに伝えさせます。
22 ダビデの勝利の喜びはどんな悲しみのために薄れますか。
22 こうして,ダビデはヨルダンを渡り,マハナイムの森で戦場を選べるようになります。その場所で彼は軍隊を展開し,彼らにアブサロムを優しく扱うよう命じます。反抗者たちは大敗北を被ります。アブサロムはらばに乗って,樹木のたくさん茂った森を通って逃げて行くと,その頭が大木の低い枝に引っ掛かり,そこで空中にぶら下がってしまいます。ヨアブは窮境に陥ったアブサロムを見つけると,王の命令を全く無視して,彼を殺します。その子の死について聞いた時のダビデの深い悲しみは,次のようなその哀悼の言葉の中に表わされています。「我が子アブサロム,我が子,我が子アブサロムよ! ああ,わたしが,このわたしが,お前の代わりに死ねばよかったのに。アブサロム,我が子よ,我が子よ!」―18:33。
23 ダビデの王としての帰還を特色づけるどんな取り決めがありますか。
23 ダビデの治世の末期の出来事(19:1-24:25)。王としての当然の立場に戻るようヨアブから勧められるまで,ダビデは引き続き激しく嘆き悲しみます。さて,彼はヨアブの代わりにアマサを軍隊の頭として任じます。ダビデは帰還すると,人々から歓迎されます。その中には,ダビデから命を容赦してもらうシムイもいます。メピボセテもまたやって来て,自分のことを弁護し,ダビデは彼にヂバと同等の相続物を与えます。イスラエルとユダ全体はもう一度,ダビデのもとで結び合わされます。
24 ベニヤミンの部族のかかわる,さらにどんな事態が生じますか。
24 しかし,さらに悩みが待ち受けています。ベニヤミン人シェバは自ら王だと宣言し,多くの者をダビデから離れさせます。人々を集めてその謀反を抑えるようダビデから命じられたアマサは,ヨアブに出会いますが,裏切られて殺害されます。それからヨアブは軍勢を率いて,シェバの後を追ってベト・マアカの都市アベルへ行き,そこを包囲します。その都市のある賢い女性の助言に留意した住民がシェバを処刑すると,ヨアブは退きます。サウルはかつてギベオン人を殺害しましたが,その流血の罪の恨みが晴らされていなかったため,イスラエルでは3年の飢きんが生じます。その流血の罪を除くため,サウルの家の七人の息子たちが処刑されます。後に,再び起きたフィリスティア人との戦いの際,ダビデはおいのアビシャイによって危うく命を救われます。部下たちは,ダビデに誓い,もはや自分たちと一緒に戦いに出ていただくわけにはゆかないと言って,「あなたがイスラエルのともしびを絶やさないためです!」と述べます。(21:17)それから,ダビデの力ある者たちのうちの3人がフィリスティア人の巨人たちを討ち倒して,著しい手柄を立てます。
25 次に記されているダビデの歌の中では,どんなことが言い表わされていますか。
25 この時点で,筆者はエホバへのダビデの歌を突然記述に加えます。これは詩編 18編と対応する歌で,「そのすべての敵のたなごころと,サウルのたなごころから」救い出されたことに対する感謝を表わしたものです。彼は喜びにあふれてこう述べます。「エホバはわたしの大岩,わたしのとりで,わたしを逃れさせてくださる方。ご自分の王のために救いの大いなる働きを行ない,愛ある親切をその油そそがれた者に,ダビデとその胤とに定めのない時までも表わす方よ」。(22:1,2,51)それから,ダビデの最後の歌が続きますが,その中で彼は,「わたしによって語ったのはエホバの霊で,その言葉はわたしの舌の上にあった」と認めます。―23:2。
26 ダビデの力ある者たちに関して,どんなことが述べられていますか。ダビデは彼らの命の血に対する敬意をどのように示しますか。
26 ここで話は歴史的な記録に戻り,ダビデに属する力ある者たちのことが挙げられていますが,そのうちの3人は傑出した人たちです。これらの人は,フィリスティア人の前哨基地がダビデの郷里ベツレヘムに設営されたときに起きた,ある出来事と関係しています。ダビデは自分の願いをこう言い表わします。「ああ,門の傍らにあるベツレヘムの水溜めの水を一杯飲めたらよいのだが」。(23:15)そこで,その3人の力ある者たちはフィリスティア人の陣営に無理に突入して,その水溜めから水を汲み,それをダビデのもとに持ち帰ります。しかしダビデはそれを飲むのを拒みます。そうする代わりに,彼はその水を地面に注ぎ出してこう言います。「エホバよ,このようなことをするなど,わたしには考えられないことです! 自分の魂をかけて行った人々の血をわたしは飲めるでしょうか」。(23:17)ダビデにとってその水は,彼らがそのためにかけた命の血も同然だったのです。次に,ダビデの軍隊の中の最も力のある者30人とその偉業が列挙されています。
27 最後にダビデはどんな罪を犯しますか。その結果生じた災いは,どのようにして止められますか。
27 最後に,ダビデは民の人数を数えて罪をおかします。ダビデは神に憐れみを請うと,次の三つの処罰,すなわち7年の飢きん,3か月の軍事的敗北,あるいは国内の三日間の疫病のうちの一つを選ぶようにと言われます。ダビデはこう答えます。「どうか,エホバのみ手に陥らせてください。その憐れみは多いからです。しかし,人の手にはわたしを陥らせないでください」。(24:14)その国家的な規模の疫病のために7万人が死に,ダビデがガドを通して与えられたエホバの指図に従って行動を起こし,アラウナの脱穀場を購入して,そこでエホバへの焼燔の犠牲および共与の犠牲をささげて初めて,その疫病はやみます。
なぜ有益か
28 サムエル記第二の中には,どんな際立った警告が収められていますか。
28 サムエル記第二の中には,現代の読者にとって有益な事柄が実に数多く見いだされます。ここでは,人間のほとんどあらゆる感情,つまり実生活における感情が,最高の強烈さをもって生き生きと描写されています。このようなわけで,野心や復しゅう心のもたらす悲惨な結果(3:27-30),ほかの人の配偶者に対する誤った欲望(11:2-4,15-17; 12:9,10),裏切り行為(15:12,31; 17:23),情欲だけに基づく愛(13:10-15,28,29),軽率な判断(16:3,4; 19:25-30),およびほかの人の専心の行為に対する無礼な態度などに関して注目すべき言葉で読者に警告が与えられています。―6:20-23。
29 正しい振る舞いや行動に関するどんな優れた模範がサムエル記第二に見いだせますか。
29 しかし,サムエル記第二から得られる最大の益は,正しい振る舞いや行動に関する多くの優れた模範に留意することによって得られる積極的な面に見いだせます。ダビデは,神への全き専心(7:22),神のみ前における謙虚さ(7:18),エホバのみ名を高めること(7:23,26),逆境における正しい見方(15:25),罪を誠実に悔い改めること(12:13),約束を忠実に守ること(9:1,7),試練のもとで平衡を保つこと(16:11,12),終始一貫エホバに頼ること(5:12,20),エホバの取り決めや任命に対する深い敬意(1:11,12)などの点で手本を示しています。ダビデが「[エホバの]心にかなう人」と呼ばれたのも不思議ではありません。―サムエル第一 13:14。
30 サムエル記第二ではどんな原則が適用され,例示されていますか。
30 サムエル記第二の中にはまた,聖書の数多くの原則の適用を示す例も見いだせます。その中には,連帯責任の原則(サムエル第二 3:29; 24:11-15),物事を善意からするにしても,神の要求は変わらないこと(6:6,7),エホバの神権的な取り決めにおける頭の権は尊ばれなければならないこと(12:28),血は神聖なものとみなさなければならないこと(23:17),流血の罪に対しては贖罪が要求されること(21:1-6,9,14),賢い人は多くの人のために災難を回避させることができること(サムエル第二 20:21,22。伝道の書 9:15),エホバの組織とその代表者たちに対する忠節は,「生死いずれのためでも」保たなければならないことなどの原則があります。―サムエル第二 15:18-22。
31 サムエル記第二は,クリスチャン・ギリシャ語聖書で確証されているように,神の王国を予想させる事柄をどのように示していますか。
31 中でも,最も重要なこととして,サムエル記第二は,神が「ダビデの子」イエス・キリストの手中にお立てになる神の王国を指し示し,その王国を予想させる輝かしい事柄を述べています。(マタイ 1:1)エホバがダビデに,その王国の永続性に関して行なわれた誓い(サムエル第二 7:16)は,イエスに関連して使徒 2章29節から36節で参照されています。「わたしは彼の父となり,彼はわたしの子となる」(サムエル第二 7:14)という預言は,実際にはイエスを指し示していたことが,ヘブライ 1章5節に示されています。このことはまた,「これはわたしの子,わたしの愛する者である。この者をわたしは是認した」と,天から語ったエホバの声によっても立証されています。(マタイ 3:17; 17:5)最後に,ダビデとの王国契約は,イエスに関して次のようにマリアに話された言葉の中で,ガブリエルによって言及されています。「これは偉大な者となり,至高者の子と呼ばれるでしょう。エホバ神はその父ダビデの座を彼に与え,彼は王としてヤコブの家を永久に支配するのです。そして,彼の王国に終わりはありません」。(ルカ 1:32,33)わたしたちの眼前で段階を追って一歩一歩進展してゆく王国の胤についての約束は,何と感動的なものなのでしょう。
[脚注]
a 「聖書に対する洞察」(英文),第1巻,745-747ページ。
b 「聖書に対する洞察」(英文),第2巻,373,374ページ。
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聖書の11番目の書 ― 列王記第一『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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聖書の11番目の書 ― 列王記第一
筆者: エレミヤ
書かれた場所: エルサレムとユダ
書き終えられた年代: 西暦前580年
扱われている期間: 西暦前1040年ごろ-911年
1 (イ)イスラエルの輝かしい繁栄はどのように衰退し,損なわれましたか。(ロ)それにもかかわらず,どうして列王記第一は『霊感を受けたもので,有益』であると言えますか。
ダビデは何度か征服を行なって,イスラエルの領土を天与の境界線まで,つまり北はユーフラテス川から南はエジプトの川まで拡張しました。(サムエル第二 8:3。列王第一 4:21)ダビデが死んで,その子ソロモンが彼に代わって支配するころまでには,「ユダとイスラエルは,おびただしさの点で海辺にある砂粒のように多くて,食べたり飲んだりして,歓んで」いました。(列王第一 4:20)ソロモンは大いなる知恵,すなわち古代ギリシャ人のそれをはるかにしのぐ知恵をもって支配しました。彼はエホバのために壮大な神殿を建てました。しかし,ソロモンでさえ堕落して,偽りの神々を崇拝するようになりました。その死に際して,王国は二つに分裂し,張り合うイスラエルとユダの両王国の歴代の邪悪な王たちは滅びをもたらすことを行ない,サムエルが予告した通り,民に苦難をもたらしました。(サムエル第一 8:10-18)ソロモンの死後,ユダとイスラエルで支配した14人の王たちのうち,列王記第一の書で回顧されている通り,エホバの目に正しいことを首尾よく行なえたのは,ただ二人の王だけでした。では,この記録は『霊感を受けたもので,有益』ですか。まさしくその通りです。というのは,その訓戒,その預言や型,および「聖書全体」の王国という主要な主題とのその関係からも,それが分かるからです。
2 列王記第一および第二の記録はどのようにして二つの巻き物の形を取るようになりましたか。それらはどのようにして編集されましたか。
2 列王記は元々一つの巻き物,つまり一巻でできており,ヘブライ語で「メラキーム」(「王たち」)と呼ばれていました。セプトゥアギンタ訳の翻訳者たちはそれをバシレイオーン,つまり「王国」と呼び,それを初めて便宜上二つの巻き物に分けました。これらの書は後に列王記第三および第四と呼ばれるようになり,この名称は今日でもカトリックの聖書で引き続き用いられています。しかし,これらの書は今では一般に列王記第一および第二として知られています。これらの書は,以前の記録を編集者のための資料として挙げている点で,サムエル記第一および第二とは異なっています。その一人の編集者は,この二つの書の中で,「ユダの王たちの時代の事績の書」に15回,そして「イスラエルの王たちの時代の事績の書」に18回言及し,また「ソロモンの事績の書」にも言及しています。(列王第一 15:7; 14:19; 11:41)これらほかの昔の記録は完全に失われてしまいましたが,霊感を受けて編集された書 ― 列王記第一および第二という有益な記述 ― は残っています。
3 (イ)列王記の書を書いたのは疑いもなくだれでしたか。どうしてそう答えますか。(ロ)それはいつ書き終えられましたか。列王記第一はどんな期間を扱っていますか。
3 列王記の書を書いたのはだれですか。これらの書の中で預言者たち,特にエリヤやエリシャの業が強調されていることは,筆者がエホバの預言者であることを示しています。言葉遣い,文章構成,および文体に見られる類似性は,エレミヤ書と同じ筆者であることを示唆しています。列王記やエレミヤ書にだけ出ていて,聖書のほかの書には出て来ないヘブライ語の言葉や表現は少なくありません。しかし,もしエレミヤが列王記を書いたのなら,どうしてエレミヤのことがその中で述べられていないのでしょうか。そうする必要はありませんでした。なぜなら,彼の業はその名の付されている書の中で扱われていたからです。その上,列王記はエレミヤの評判を高めるためではなく,エホバとその崇拝を大いなるものとするために書き著わされたのです。実際のところ,列王記とエレミヤ書は大半の部分で互いに補い合っており,一方が省いている点を他方が埋め合わせています。その上,例えば列王第二 24章18節から25章30節とエレミヤ 39章1節から10節; 40章7節から41章10節; 52章1節から34節の場合のように,並行記述もあります。ユダヤ人の伝承はエレミヤが列王記第一および第二の筆者であることを確証しています。確かに,筆者はこの両書の編集をエルサレムで開始し,第二の書は西暦前580年ごろにエジプトで書き終えられたようです。というのは,筆者はその記録の結論の箇所でその年の出来事に言及しているからです。(列王第二 25:27)列王記第一は,サムエル記第二の終わりから始めて,エホシャファトが死んだ西暦前911年に至るまでのイスラエルの歴史をたどったものです。―列王第一 22:50。
4 一般の歴史と考古学は,列王記第一をどのように確証していますか。
4 列王記第一はすべての権威者によって受け入れられているので,聖書の正典の中で正当な場所を占めています。その上,列王記第一の中の出来事はエジプトやアッシリアの一般の歴史によっても確証されています。考古学もまた,この書の中の陳述の多くを支持しています。例えば,列王第一 7章45節と46節には,ヒラムがソロモンの神殿のための銅の器具を鋳造したのは,「ヨルダンの地域,スコトとツァレタンの間で」あったと記されています。昔のスコトの遺跡を発掘した考古学者たちは,そこで製錬活動がなされていたことを示す証拠を発見しました。a その上,カルナク(古代テーベ)の神殿の壁の浮き彫りには,列王第一 14章25節と26節で言及されている,エジプト人の王シェションク(シシャク)によるユダ侵攻について誇らしげに述べた言葉が記されています。b
5 霊感を受けたどんな証言が列王記第一の信ぴょう性を証拠立てていますか。
5 聖書の他の筆者たちによる言及と預言の成就は,列王記第一の信ぴょう性を裏付けています。イエスはエリヤやザレパテのやもめにまつわる出来事を歴史的事実として述べられました。(ルカ 4:24-26)イエスはバプテスマを施す人ヨハネについて話し,「彼こそ,『来ることに定められているエリヤ』なのです」と言われました。(マタイ 11:13,14)ここでイエスは,これまた将来の時代について,「見よ,エホバの大いなる,畏怖の念を抱かせる日の来る前に,わたしはあなた方に預言者エリヤを遣わす」と語ったマラキの預言に言及しておられました。(マラキ 4:5)さらにイエスは,ソロモン,それに南の女王に関して列王記第一に記されている事柄に言及することにより,この書の正典性を保証されました。―マタイ 6:29; 12:42。列王第一 10:1-9と比較してください。
列王記第一の内容
6 ソロモンはどんな事情のもとで王位につきますか。彼はどのようにしてその王国で堅く立てられるようになりますか。
6 ソロモンが王となる(1:1-2:46)。列王記第一の記録は,40年にわたる治世の終わりに近づいて,死期の迫ったダビデのことで始まります。その子アドニヤは,軍の長ヨアブと祭司アビヤタルの助けを得て,王権を引き継ぐために陰謀を企てます。預言者ナタンはそのことをダビデに知らせ,その死に際してはソロモンを王とするよう既に指名していたことを遠回しに思い起こさせます。そこで,ダビデは,陰謀を企てる者たちがアドニヤの即位を祝っているにもかかわらず,祭司ザドクを用いてソロモンに油をそそがせてこれを王とします。さて,ダビデはソロモンに,強くあって,男らしくし,その神エホバの道に歩むよう命じます。その後,ダビデは死んで,「ダビデの都市」に葬られます。(2:10)やがて,ソロモンはアビヤタルを追放し,いざこざを起こす人物であるアドニヤとヨアブを処刑します。後に,シムイはその命を容赦するために設けられた憐れみ深い取り決めに対する不敬の態度を示したために処刑されます。今や,王国はソロモンの手に堅く立てられます。
7 エホバはソロモンのどんな祈りに答えられますか。その結果,イスラエルはどうなりますか。
7 ソロモンの賢明な支配(3:1-4:34)。ソロモンはファラオの娘と結婚して,エジプトと姻戚関係を結びます。彼は識別力をもってエホバの民を裁くために,従順な心をエホバに祈り求めます。彼は長寿や富を願い求めなかったので,エホバは彼に識別力のある賢い心と共に富や栄光をも与えることを約束されます。ソロモンはその治世の初めのころ,二人の女がその前に出て,同じ子供をそれぞれ我が子だと主張した時,その知恵を示します。ソロモンは,「生きている子供を二つに断ち切り」,各々の女に半分ずつ与えるよう部下に命じます。(3:25)ここで,本当の母親はその子のために助命を請い,その子を相手の女に与えて欲しいと言います。こうして,ソロモンはその正当な母親がだれかを見分け,母親はその子を取り戻します。神から与えられたソロモンの知恵のゆえに,全イスラエルは繁栄し,幸福で安全な生活を営みます。人々はソロモンの賢い言葉を聞こうとして多くの国々からやって来ます。
8 (イ)ソロモンはどのようにして神殿の建築を行ないますか。その特徴の幾つかを述べなさい。(ロ)さらにどんな建築計画を遂行しますか。
8 ソロモンの神殿(5:1-10:29)。ソロモンはその父ダビデに対するエホバの次のような言葉を思い起こします。「わたしがあなたの代わりにあなたの王座に就かせるあなたの子が,わたしの名のために家を建てるであろう」。(5:5)そこで,ソロモンはそのための準備をします。ティルスの王ヒラムは,レバノンから出る杉やねずの素材を送ったり,熟練した働き人を提供したりして援助します。それらの人たちと,ソロモンが徴用した働き人たちが一緒になって,イスラエル人がエジプトを去ってから480年目,ソロモンの治世の第4年にエホバの家の工事を始めます。(6:1)建築現場では,つちや斧,あるいは他のどんな鉄製の道具も使用されません。というのは,石はみな,組み立てるために神殿の敷地に運ばれる前に,石切り場で用意され,寸法に合わせて整えられたからです。神殿の内部全体は,まず壁は杉で,床はねず材で覆われ,それから金が美しくかぶせられます。ケルブの姿を刻んだ二つの像が油の木で造られます。それらは各々高さが10キュビト(4.5㍍),翼の端から翼の端までがやはり10キュビトあって,一番奥の部屋に置かれます。ほかにも,やしの木の模様や花と共にケルブが神殿の壁に刻まれます。ついに,7年余りにわたる工事の後,壮大な神殿が完成します。ソロモンはその建築計画を続行します。つまり,自分自身のための家,レバノンの森の家,柱の玄関,王座の玄関,およびファラオの娘のための家を建てます。彼はまた,エホバの家の玄関のための2本の大きな銅の柱,中庭のための鋳物の海と銅の運び台,それに銅の水盤と金の器具を造ります。c
9 エホバのどんな顕現やソロモンのささげたどんな祈りが,契約の箱を運び入れた日を特色づけていますか。
9 さて,祭司たちはエホバの契約の箱を運び上って,それを一番奥の部屋,つまり至聖所のケルブの翼の下に置く時が来ます。祭司たちが出て来ると,「エホバの栄光がエホバの家に満ち」て,祭司たちはもはや立って奉仕することができなくなります。(8:11)ソロモンはイスラエルの会衆を祝福し,エホバをほめたたえ,エホバを賛美します。彼はひざをかがめ,そのたなごころを天に伸べて,天の天もエホバを入れることはできないので,まして自分の建てた地上の家など,なおさらであると祈りの中で認めます。彼は,エホバを恐れる人たちがその家に向かって祈るとき,それらすべての人の祈りを聴いてくださるようエホバに祈ります。そうです,遠い国から来る異国の人の祈りをさえ聴いてくださるよう祈ります。「それは,地のすべての民があなたのみ名を知って,あなたの民イスラエルと同じようにあなたを恐れるようにな(る)ためです」― 8:43。
10 エホバはどんな約束と預言的な警告の言葉をもってソロモンの祈りに答えられますか。
10 それに続く14日間の宴の間,ソロモンは牛2万2,000頭と羊12万頭を犠牲としてささげます。エホバは,ソロモンの祈りを聞き届けられたことと,『定めのない時までもその名をそこに』置いて,神殿を神聖なものとされたこととをソロモンにお告げになります。さて,もしソロモンがエホバのみ前に廉直さをもって歩んで行くなら,その王国の王座は存続するでしょう。しかし,もしソロモンとその後の子らがエホバの崇拝を捨てて,ほかの神々に仕えるなら,その時にはエホバはこう言われます。「わたしもまた,彼らに与えた土地の表からイスラエルを断とう。わたしの名のために神聖なものとした家を,わたしはわたしの前から投げ捨てるであろう。イスラエルは確かにすべての民の中で語りぐさとなり,嘲弄されるものとなろう。それにこの家も,廃虚の山となろう」。―9:3,7,8。
11 ソロモンの富と知恵はどれほど大きなものとなりますか。
11 ソロモンは二つの家,つまりエホバの家と王の家を完成させるのに20年を要しました。今や,彼はその領地の至る所に多くの都市を建て,遠い国々と交易を行なうために使う船も建造しはじめます。こうして,シェバの女王はエホバがソロモンに与えられた大いなる知恵について聞き,難問で彼を試そうとしてやって来ます。彼女はソロモンが話すのを聞き,その民の繁栄と幸福な状態を見,「私はその半分も告げられていませんでした」と叫びます。(10:7)エホバは引き続きイスラエルに対して愛を示されるので,ソロモンは「富と知恵とにおいて,地のほかのどんな王よりも偉大」な者となります。―10:23。
12 (イ)ソロモンはどんな点で失敗しますか。どんな反逆の種が現われはじめますか。(ロ)アヒヤはどんなことを預言しますか。
12 ソロモンの不忠実な行ないと死(11:1-43)。ソロモンはエホバの命令に反して,ほかの国々から多くの妻 ― 700人の妻と300人のそばめたち ― をめとります。(申命記 17:17)彼の心は引き離され,ほかの神々に仕えるようになります。エホバは,王国がソロモンの時代ではなく,その息子の時代に彼から裂き取られることをソロモンにお告げになります。けれども,その王国の一部,つまりユダのほかにもう一つの部族がソロモンの子らによって支配されることになります。神は近隣の諸国民の中からソロモンに対する反抗者を起こしはじめられます。エフライムの部族のヤラベアムも王に逆らって身を起こします。預言者アヒヤはヤラベアムがイスラエルの10部族を治める王となることを彼に告げ,ヤラベアムは命を守るためにエジプトに逃げます。ソロモンは40年の治世の後に死に,その子レハベアムが西暦前997年に王となります。
13 レハベアムがその統治をはじめた時,その王国にはどのように分裂が生じますか。ヤラベアムはどのようにしてその王権を確保しようとしますか。
13 王国は分裂する(12:1-14:20)。ヤラベアムはエジプトから戻り,民と共に上って行き,ソロモンが彼らに課したすべての重荷を軽減するようレハベアムに頼みます。レハベアムはイスラエルの長老たちの賢明な助言の代わりに,若者たちの言うことに聞き従い,その苦難を増大させます。イスラエルは反乱を起こし,ヤラベアムを北の10部族の王とします。ただ,ユダとベニヤミンを残すのみとなったレハベアムは,軍勢を集めて反抗者たちと戦おうとしますが,エホバの命令に従って帰って行きます。ヤラベアムはシェケムを自分の首都として築きますが,それでもなお不安に感じます。彼は,民がエホバを崇拝するためにエルサレムに戻って,再びレハベアムのもとに行きはしまいかと恐れます。そうさせないようにするため,彼はダンとベテルにそれぞれ金の子牛を立て,レビ族からではなく,一般の民の間から祭司たちを選んで,崇拝を指導させます。d
14 ヤラベアムの家に対してどんな預言的な警告が知らされますか。どんな逆境が生じるようになりますか。
14 ヤラベアムがベテルに設けられた祭壇で犠牲をささげている時,エホバは一人の預言者を遣わして,偽りの崇拝のためのその祭壇に対して強硬な措置を取る,ヨシヤという名の王をダビデの家系から起こすことを警告されます。その一つの異兆として,祭壇はその時,その場で二つに裂けます。その預言者自身は,任務を帯びている間は食べたり飲んだりしてはならないというエホバの指図に従わなかったため,1頭のライオンによって殺されます。今や,逆境がヤラベアムの家に災いをもたらしはじめます。エホバからの裁きとしてその子供は死に,神の預言者アヒヤは,イスラエルで偽りの神々を立てたその大いなる罪のゆえにヤラベアムの家が完全に断たれることを予告します。ヤラベアムは22年間統治した後に死に,その子ナダブが彼に代わって王となります。
15 ユダでは次の3代の王の治世中,どんな出来事が生じますか。
15 ユダで: レハベアム,アビヤム,およびアサ(14:21-15:24)。一方,レハベアムのもとでユダもまた偶像崇拝を行なって,エホバの目に悪いことをします。そして,エジプトの王が侵入し,神殿の宝物の多くを運び去って行きます。レハベアムは17年間支配した後,その子アビヤムが王となります。彼もまたエホバに対して罪をおかし続け,3年間治めた後に死にます。今度は,その子アサが支配し,それまでとは対照的に,全き心をもってエホバに仕え,その国から糞像を除き去ります。イスラエルとユダの間には絶えず戦いが行なわれます。アサはシリアから助けを得,イスラエルは撤退を余儀なくされます。アサは41年間支配し,その子エホシャファトが跡を継ぎます。
16 今や,イスラエルではどんな不穏な出来事が生じますか。それはどうしてですか。
16 イスラエルで: ナダブ,バアシャ,エラ,ジムリ,ティブニ,オムリ,およびアハブ(15:25-16:34)。何という邪悪なやからなのでしょう。バアシャはわずか2年間治めたばかりのナダブを暗殺し,ヤラベアムの全家を完全に根絶やしにします。彼は偽りの崇拝を続け,ユダとの戦いを続けます。エホバはヤラベアムの家に対して行なった通りに,バアシャの家を完全に一掃することを予告されます。バアシャが24年間治めた後,その子エラが跡を継ぎますが,彼は2年後,その僕ジムリによって暗殺されます。ジムリは王座を奪うとすぐ,バアシャの家のすべての者を討ち倒します。人々はそれを聞くと,軍の長オムリを王として,ジムリの首都ティルツァに攻め上ります。ジムリは見込みがなくなったのを見ると,我が身の上に王の家を焼いて,自分も死にます。今度はティブニが対抗する王として治めようとしますが,しばらくして,オムリの追随者たちに圧倒され,殺されます。
17 (イ)オムリの治世はどんなことで知られていますか。(ロ)アハブの治世中に,真の崇拝はどうして衰微の極に達しますか。
17 オムリはサマリアの山を買い,そこにサマリア市を建てます。彼はすべてヤラベアムの道を歩み続け,偶像崇拝を行なってエホバを怒らせます。実際,オムリは彼より前のほかのすべての者に勝って悪い王です。12年治めた後にオムリは死に,その子アハブが王となります。アハブはシドンの王の娘イゼベルと結婚し,サマリアにバアルのための祭壇を立てます。アハブの邪悪さは彼より前のすべての王の邪悪さをしのいでいます。ベテル人ヒエルがその長子と末の子を失ってエリコの都市を再建したのはこのころのことです。真の崇拝は衰微の極に達します。
18 エリヤはイスラエルでどんな宣告を述べて,預言の業を始めますか。彼はイスラエルが問題に陥っている真の理由を,どのように正確に指摘しますか。
18 イスラエルにおけるエリヤの預言の業(17:1-22:40)。突然,エホバからの一人の使者が登場します。それはティシュベ人エリヤです。e アハブ王に対する次のようなエリヤの宣告の冒頭の言葉はまさに驚くべきものです。「わたしがまさしくその前に立っているイスラエルの神エホバは生きておられます。わたしの言葉の命令によらなければ,ここ何年間かは露も雨もないでしょう!」(17:1)同様に突如として,エリヤはエホバの命令に従ってヨルダンの東の渓谷に退きます。干ばつがイスラエルに生じますが,渡りがらすがエリヤのもとに食物を運びます。その渓谷の水流が干上がると,エホバはその預言者をシドンのザレパテへ派遣して,そこに住まわせます。あるやもめがエリヤに親切を示したので,エホバはそのやもめのわずかな麦粉と油の蓄えを奇跡的に保持させて,彼女とその息子は飢え死にを免れます。後日,その息子は病気になって死にますが,エリヤが嘆願すると,エホバはその子供の命を回復させます。次いで,干ばつの3年目に,エホバは再びエリヤをアハブのもとに派遣されます。アハブは,イスラエルをのけ者にならせているとしてエリヤを非難しますが,バアルに従っているがゆえに「あなたとあなたの父の家がそうしたのです」と,エリヤは大胆にアハブに告げます。―18:18。
19 神性に関する争点はどのように明示され,エホバの至上権はどのように立証されますか。
19 エリヤはバアルの預言者たちを皆カルメル山に集めるようアハブに求めます。もはや二つの意見の間でふらつくことはできなくなります。争点が明示されます。すなわち,エホバかバアルかという問題です! 民すべての前で,バアルの450人の祭司たちは1頭の雄牛を整え,それを祭壇の薪の上に置き,火を下らせてその供え物を焼き尽くすよう祈ります。彼らは朝から昼まで,エリヤの嘲弄の言葉を浴びながら,むなしくバアルを呼びます。彼らは絶叫したり,身を傷つけたりしますが,何の答えもありません! 次に,ただ一人の預言者エリヤがエホバの名によって一つの祭壇を築き,犠牲をささげるための薪と雄牛を整えます。それから,民にその供え物と薪に3度水を掛けてびしょぬれにさせます。それから,彼はエホバにこう祈ります。「私に答えてください。エホバよ。私に答えてください。この民が,エホバなるあなたこそまことの神であ(る)ことを知るようにしてください」。すると,天から火がきらめき,その供え物と薪と祭壇の石と塵と水とを焼き尽くします。民は皆それを見ると,直ちに顔を伏せてひれ伏し,「エホバこそまことの神です! エホバこそまことの神です!」と言います。(18:37,39)バアルの預言者たちは死刑に値します! エリヤは自らその殺害を引き受けるので,だれひとり逃れることはありません。それから,エホバは雨を与えて,イスラエルの干ばつを終わらせてくださいます。
20 (イ)エホバはホレブでどのようにしてエリヤに現われますか。どんな指図と慰めをお与えになりますか。(ロ)アハブはどんな罪をおかし,どんな犯罪を行ないますか。
20 バアルが辱められたという知らせがイゼベルのもとに届くと,彼女はエリヤを殺させようとします。恐れたエリヤは,従者と共に荒野に逃げ,エホバはこれをホレブに導かれます。エホバはそこで,風や震動や火の中で華々しい仕方ではなく,「穏やかな低い声」をもってエリヤに現われます。(19:11,12)エホバはハザエルをシリアの王,エヒウをイスラエルの王,またエリシャをエリヤの代わりの預言者として,それぞれ油そそぐよう彼に命じます。エホバはイスラエルの7,000人の者がバアルに身をかがめなかったという知らせをもってエリヤを慰めます。それから,エリヤは早速自分の職服をエリシャの上に投げかけて,彼に油をそそぎます。さて,アハブはシリア人に対して二つの勝利を得ますが,彼らの王を殺さずにこれと契約を結んだことでエホバから叱責されます。それから,ナボテの事件が起こります。アハブはナボテのぶどう園を自分のものにしたいと考えます。イゼベルは偽りの証人によってナボテを罪に陥れ,処刑させるので,アハブはそのぶどう園を奪うことができるようになります。何という許し難い犯罪なのでしょう。
21 (イ)エリヤはアハブとその家に,またイゼベルにどんな最期を宣告しますか。(ロ)アハブの死に際してどんな預言が成就しますか。
21 再びエリヤが現われます。彼はアハブに,ナボテが死んだ所で,犬がアハブの血をもなめ尽くすことになり,その家はヤラベアムやバアシャの家のように完全に滅ぼし絶やされることを告げます。犬はエズレルの小地所でイゼベルを食らい尽くすことになります。こう記されています。「例外なく,だれひとりとして,身を売ってエホバの目に悪いことを行なったアハブのような者はいなかった。その妻イゼベルが彼を唆したのである」。(21:25)しかし,アハブはエリヤの言葉を聞くと,へりくだったので,その災厄は彼の時代ではなく,その息子の時代に臨むことになるとエホバは言われます。さて,アハブはシリアに対する戦いでユダの王エホシャファトと協力し,エホバの預言者ミカヤの助言に反して戦いに出かけて行きます。アハブは戦いの際に受けた傷がもとで死にます。その戦車がサマリアの池の傍らで洗われるとき,エリヤが預言した通り,犬がその血をなめ尽くします。やがて,その子アハジヤが彼に代わってイスラエルの王となります。
22 ユダのエホシャファトとイスラエルのアハジヤの治世はそれぞれ何によって特色づけられていますか。
22 ユダではエホシャファトが治める(22:41-53)。アハブに同伴してシリアとの戦いに加わったエホシャファトは,その父アサのようにエホバに対して忠実な人ですが,偽りの崇拝の行なわれる高き所を完全に一掃するまでには至りません。彼は25年間支配した後に死に,その子エホラムが王となります。北のイスラエルでは,アハジヤがその父の歩みに従って,バアル崇拝を行ない,エホバを怒らせます。
なぜ有益か
23 列王記第一は祈りに関してどんな保証と励ましを与えるものとなりますか。
23 列王記第一に収められている神聖な教えからは,大きな益が得られるはずです。まず,この書の中で再三にわたり前面に出てくる祈りという事柄を考えてみてください。ソロモンは,イスラエルで王権を執るという途方もなく大きな特権に直面した時,子供のような仕方で謙遜にエホバに祈りました。彼はただ分別と従順な心だけを求めましたが,エホバはあふれるほどの知恵に加えて,富や栄光をもお与えになりました。(3:7-9,12-14)今日,わたしたちも,エホバへの奉仕において知恵と導きを求めるわたしたちの謙遜な祈りが聞き届けられずに終わることはないという確信を持てますように!(ヤコブ 1:5)ソロモンが神殿の献納式でしたように,わたしたちもエホバの善良さのすべてに対する深い感謝の念を抱いて,常に心から熱烈な祈りをささげる者でありますように!(列王第一 8:22-53)エリヤが試練の時や悪霊を崇拝する一国民と相対した時に行なった祈りのように,わたしたちの祈りも常に,エホバに対する絶対的な信頼と確信のしるしを帯びたものでありますように! エホバは祈りのうちにご自分を求める人たちのために,すばらしい仕方で必要なものを備えてくださいます。―列王第一 17:20-22; 18:36-40。ヨハネ第一 5:14。
24 列王記第一の中には警告となるどんな実例が載せられていますか。特に,監督たちはなぜ注意すべきでしょうか。
24 さらに,エホバの前にへりくだることをしなかった人たちの例はわたしたちにとって警告となるはずです。『神はそのようなごう慢な者に』,何と激しく『敵対なさる』のでしょう。(ペテロ第一 5:5)その中には,エホバの神権的な任命を無視することができると考えたアドニヤ(列王第一 1:5; 2:24,25),境界線を越えて出ても再び戻ることができると考えたシムイ(2:37,41-46),自分の不従順のために反抗する者たちをエホバから招くことになった晩年のソロモン(11:9-14,23-26),偽りの宗教を行なって悲惨な結果に陥ったイスラエルの王たち(13:33,34; 14:7-11; 16:1-4)などがいます。その上,アハブの王座の陰の権力者であった邪悪なまでに貪欲なイゼベルがいますが,その悪名高い実例は1,000年も後に,テアテラの会衆に対する警告の中で次のように用いられました。「とはいえ,わたしにはあなたを責めるべきことがある。あなたがかの女イゼベルを容認していることである。彼女は自ら女預言者と称し,わたしの奴隷たちを教えて惑わし,淫行を犯させ,偶像に犠牲としてささげられた物を食べさせる」。(啓示 2:20)監督たちは会衆を清い状態に保ち,イゼベルのような影響を一切受けないようにしなければなりません。―使徒 20:28-30と比較してください。
25 列王記第一のどんな預言は驚くべき成就を見てきましたか。今日,これらの預言を覚えておけば,わたしたちはどのように助けられますか。
25 エホバの預言の力は,列王記第一の中で述べられている数多くの預言の成就によって明らかに示されています。例えば,ヨシヤがベテルにあるヤラベアムの祭壇を引き裂く者になることを300年以上も前に予測した,驚くべき言葉があります。ヨシヤはその通りにしたのです。(列王第一 13:1-3。列王第二 23:15)しかし,大変際立っているのは,ソロモンによって建てられたエホバの家に関する預言です。堕落して,偽りの神々を支持するならば,エホバは土地の表からイスラエルを断ち,その名のために神聖なものとした家をご自分の前から投げ捨てる結果になることを,エホバはソロモンにお告げになりました。(列王第一 9:7,8)歴代第二 36章17節から21節には,この預言がどのようにして完全に的中したかが記されています。その上,イエスは,ヘロデ大王によってその同じ場所に建てられた後代の神殿が全く同じ理由で同様の非運に遭うことを示されました。(ルカ 21:6)これもまた何と正確に的中したのでしょう。わたしたちはこれらの大惨事とその理由を覚えて,常にまことの神の道を歩むことの大切さを思い起こすべきでしょう。
26 列王記第一は,エホバの神殿やその王国のことを前もって描いた,人を鼓舞するどんな光景を示していますか。
26 シェバの女王は遠い国からやって来て,エホバの壮大な家を含め,ソロモンの知恵やその民の繁栄やその王国の栄華に接して驚嘆しました。しかし,ソロモンでさえエホバに向かって,「天も,いや,天の天も,あなたをお入れすることはできません。まして,私の建てたこの家など,なおさらのことです!」と告白しました。(列王第一 8:27; 10:4-9)ところが,何世紀も後に,キリスト・イエスは特にエホバの偉大な霊的な神殿における真の崇拝の回復と関係のある,霊的な築く業を遂行するために来られました。(ヘブライ 8:1-5; 9:2-10,23)ソロモンよりも大いなるものであられるこの方にとって,「わたしもまた……あなたの王国の王座をイスラエルの上に定めのない時までも本当に確立するであろう」と言われたエホバの約束は引き続き当てはまります。(列王第一 9:5。マタイ 1:1,6,7,16; 12:42。ルカ 1:32)列王記第一は,エホバの霊的な神殿の栄光や,キリスト・イエスによるエホバの王国の賢明な支配のもとで生活するようになる人々すべての繁栄と歓喜と喜ばしい幸福を前もって描いた,人を鼓舞する光景を示してくれます。真の崇拝や,胤による王国に関するエホバのすばらしい備えの重要性に対するわたしたちの認識は,引き続き深められてゆくことでしょう。
[脚注]
a 「国際標準聖書百科事典」(英文),第4巻,1988年,G・W・ブロミリ編,648ページ。
b 「聖書に対する洞察」(英文),第1巻,149,952ページ。
c 「聖書に対する洞察」(英文),第1巻,750,751ページ。
d 「聖書に対する洞察」(英文),第1巻,947,948ページ。
e 「聖書に対する洞察」(英文),第1巻,949,950ページ。
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聖書の12番目の書 ― 列王記第二『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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聖書の12番目の書 ― 列王記第二
筆者: エレミヤ
書かれた場所: エルサレムおよびエジプト
書き終えられた年代: 西暦前580年
扱われている期間: 西暦前920年ごろ-580年
1 列王記第二では,どんな歴史が述べられていますか。それは何を立証するものですか。
列王記第二の書は,引き続きイスラエルとユダ王国の不穏な進路をたどって行きます。エリシャはエリヤのマントを取り上げ,エリヤの霊の二つの分に恵まれて,エリヤの八つの奇跡とは対照的に16の奇跡を行ないました。彼は背教したイスラエルの滅びを預言しつづけました。そのイスラエルでは,ただエヒウだけがエホバに対する熱心さを短いせん光のように示したにすぎません。イスラエルの歴代の王はますます邪悪の深みに沈んで行き,最後にはこの北の王国は西暦前740年にアッシリアの前に崩壊してしまいました。南のユダ王国では,少数の傑出した王たち,とりわけエホシャファト,エホアシュ,ヒゼキヤ,およびヨシヤが,しばらくの間,背教の風潮を押し戻しましたが,ついにネブカドネザルが西暦前607年にエルサレムとその神殿,およびユダの地を荒廃させることによってエホバの裁きを執行しました。こうして,エホバの預言は成就し,そのみ言葉の正しさはまさしく立証されました。
2 列王記第二の筆者や正典性については何と言えるでしょうか。どんな期間のことが扱われていますか。
2 列王記第二は元々,列王記第一と同一の巻き物の一部だったので,列王記第一の正典性や信ぴょう性を示す証拠の場合と同様,エレミヤが筆者であることに関してすでに述べられた事柄が,ここでも同じように当てはまります。この書は西暦前580年に書き終えられており,西暦前920年ごろにイスラエルのアハジヤの治世をもって始まり,西暦前580年におけるエホヤキンの流刑の37年目で終わる期間のことが取り扱われています。―1:1; 25:27。
3 どんな驚くべき考古学上の発見が列王記第二を支持していますか。
3 列王記第二の記録を裏付ける考古学上の諸発見はこの書の真正さをさらに裏付ける証拠を提供しています。例えば,有名なモアブ碑石がありますが,その碑文はモアブとイスラエルの間の戦争についてモアブ人の王メシャの見解を示しています。(3:4,5)また,今ではロンドンの大英博物館に展示されている,アッシリアのシャルマネセル3世の黒い石灰岩のオベリスクがありますが,それにはイスラエルの王エヒウのことが名を挙げて指摘されています。アッシリアの王ティグラト・ピレセル3世(プル)の碑文もあって,それには,メナヘム,アハズ,およびペカハを含め,イスラエルとユダの数人の王たちの名が挙げられています。―15:19,20; 16:5-8。a
4 列王記第二が霊感を受けた聖書の肝要な一部分であることを何が証明していますか。
4 この書の信ぴょう性を明らかに示す証拠は,エホバご自身の民に対するその裁きの執行をこの書が極めて正直に述べている点に見られます。まずイスラエル王国が,次いでユダ王国が崩壊し,廃虚と化してゆくにつれ,申命記 28章15節から29章28節にあるエホバの預言的な裁きの威力のほどを痛感させられます。それら両王国の滅亡に際し,「エホバの怒りがこの地に対して燃え,この書に記される呪いをそっくりそこに臨ませられた」のです。(申命記 29:27。列王第二 17:18; 25:1,9-11)列王記第二に記録されているほかの出来事は,聖書のほかの箇所でも説明されています。ルカ 4章24節から27節で,イエスはエリヤとザレパテのやもめに言及した後,エリシャとナアマンについて語って,ご自分がなぜ郷里で預言者として受け入れられないのかを示しておられます。このように,列王記第一および第二は共に聖書の肝要な一部であることが分かります。
列王記第二の内容
5 エリヤはアハジヤにどんな戒めと宣告を伝えますか。それはなぜですか。
5 イスラエルの王アハジヤ(1:1-18)。アハブのこの息子は自分の家で転落して,病気になります。そこで彼はエクロンの神バアル・ゼブブに人をやって,自分が回復するかどうかについて尋ねさせます。エリヤはその使者たちを途中で止めて,彼らを王のもとに送り返し,まことの神に伺おうとしなかったことで彼を責め,イスラエルの神に頼らなかったために,彼は必ず死ぬであろうと告げます。王は一人の長を50人の部下と共に遣わし,エリヤを捕らえて王のもとに連れて来させようとしますが,エリヤは天から火を降らせて,それらの人を食らい尽くさせます。2番目の長とその50人の者たちにも同様のことが生じます。3番目の長と50人の者たちが遣わされると,この度は,その長の敬意のこもった嘆願のゆえに,エリヤは彼らの命を容赦します。エリヤは彼らと共に王のもとに行き,再びアハジヤに死の宣告を下します。王はエリヤが述べた通り死にます。それから,アハジヤの兄弟エホラムがイスラエルの王となります。アハジヤには彼に代わる息子がいないからです。
6 エリヤはどんな状況のもとでエリシャから別れますか。「エリヤの霊」がエリシャの上にとどまっていることは,ほどなくしてどのように示されますか。
6 エリシャはエリヤの跡を継ぐ(2:1-25)。エリヤの取り去られる時がやって来ます。エリシャはギルガルからベテルへ,そしてエリコへ向かう旅でエリヤに付き従い,最後にヨルダンを渡りますが,エリヤはその職服でヨルダンの水を打ち,その水を二分します。エリシャは火の戦車と火の馬が自分とエリヤの間にやって来て,エリヤが風あらしに乗って上って行くのを見ると,エリヤの霊の約束の二つの分を受けます。エリシャはほどなくして,「エリヤの霊」が自分の上にとどまっていることを示します。(2:15)エリシャは落ちたエリヤの衣を拾い上げると,それを用いて再び水を分けます。それから,彼はエリコで悪い水をいやします。その後,ベテルに行く途中で,小さい少年たちがエリシャをやじりはじめ,「はげ頭,上って行け! はげ頭,上って行け!」と言います。(2:23)そこでエリシャがエホバを呼ぶと,森の中から2頭の雌熊が出て来て,それら非行少年たちのうち42人を殺します。
7 エホバはどうしてエホシャファトとエホラムを救出されますか。
7 イスラエルの王エホラム(3:1-27)。この王はヤラベアムの罪に付き従って,エホバの目に悪いことを行ない続けます。モアブの王はイスラエルに貢ぎを納めていましたが,今や反抗します。そこでエホラムはモアブを攻めるためにユダの王エホシャファトとエドムの王の助けを得ます。その攻撃に向かう途中で,彼らの軍隊は水のない地域に行き,今にも滅びうせそうになります。3人の王たちはエリシャのもとに下って行って,その神エホバに伺うことにします。エホバは忠実なエホシャファトのゆえに彼らを救出し,彼らにモアブに対する勝利を得させます。
8 エリシャはさらにどんな奇跡を行ないますか。
8 エリシャがさらに行なった奇跡(4:1-8:15)。預言者の子らのある人のやもめは,その債権者たちが彼女の二人の息子を捕らえて奴隷にしようとしているため,エリシャの助けを求めます。エリシャは彼女の家にあるわずかな油の蓄えを奇跡的に増やし,こうして彼女はそれを売って,その負債を支払うに足るお金を得られるようになります。あるシュネム人の婦人はエリシャがまことの神の預言者であることを認め,彼女とその夫は,エリシャがシュネムにいる時に使うための一つの部屋を用意します。エホバはこの婦人の親切さのゆえに彼女に一人の男の子を恵まれます。何年かたった後,その子は病気になって死にます。その婦人は直ちにエリシャを探します。エリシャは彼女に同伴してその家に行き,エホバの力によってその子供をよみがえらせます。エリシャはギルガルにいる預言者の子らのもとに戻ると,毒のあるうりを無害なものに変えることにより,『なべの中の死』を奇跡的に除去します。それからエリシャは,大麦のパン20個で100人の人々に食べさせますが,それでも『なお余ります』。―4:40,44。
9 ナアマンや斧の頭に関連してどんな奇跡が行なわれますか。
9 シリアの軍隊の長ナアマンはらい病人です。とりこになったイスラエル人のある少女が,サマリアにはナアマンをいやすことのできる一人の預言者がいることをその妻に告げます。ナアマンはエリシャのもとに旅をしますが,エリシャは彼を個人的に世話する代わりに,ヨルダン川へ行って七度身を洗うよう,ただ伝言しただけです。ナアマンは敬意に欠けているように見えるこの取り扱い方に憤慨します。ダマスカスの川のほうがイスラエルの水よりも勝っているのではありませんか。しかし彼はエリシャの言うことに従うよう説得され,そしていやされます。エリシャは報酬としての贈り物を受け取ることを拒みますが,後にその従者ゲハジがナアマンの後を追いかけて行き,エリシャの名で贈り物を求めます。ゲハジは戻って来て,エリシャを欺こうとしますが,逆にらい病に襲われます。さらに,エリシャは斧の頭を浮かばせて,もう一つの奇跡を行ないます。
10 エホバの優勢な軍勢のことがどのように示されますか。エリシャはどのようにシリア人を引き返させますか。
10 エリシャがイスラエルの王に,王を殺そうとするシリア人の陰謀のことを警告すると,シリアの王は軍勢をドタンに送り,エリシャを捕らえさせようとします。その都市がシリアの軍隊によって囲まれているのを見たエリシャの従者は,恐れを抱きます。エリシャは,「恐れてはならない。わたしたちと共にいる者は,彼らと共にいる者よりも多いからだ」と言って,彼を安心させます。それから,エリシャは,自分の周りにいる大いなる軍勢を従者に見させていただきたいとエホバに祈り求めます。すると,『見よ,山地はエリシャの周囲の火の馬と戦車で一杯です』。(6:16,17)シリア人が攻めて来ると,預言者は再びエホバに祈り,シリア人たちは精神的に盲目にされ,イスラエルの王のもとに導かれて行きます。ところが,彼らは殺されるどころか,エリシャは,彼らに食事を与えてから彼らを送り返すよう王に命じます。
11 シリア人とベン・ハダドに関するエリシャの預言はどのように成就しますか。
11 後に,シリアの王ベン・ハダドはサマリアを攻め囲み,大飢きんが生じます。イスラエルの王はそれをエリシャのせいにしますが,この預言者は,翌日,食物が豊かになることを予告します。その夜,エホバはシリア人に大軍勢の音を聞こえさせ,そのために彼らは逃げ去り,自分たちの食糧をすべてイスラエル人のために残して行きます。しばらく後に,ベン・ハダドは病気にかかります。彼はエリシャがダマスカスに来たという報告を聞くと,ハザエルを遣わして,病気が治るかどうかを伺わせます。エリシャの答えは,王が死んで,ハザエルがその代わりに王となることを示唆しています。ハザエルは自ら王を殺して王権を引き継ぎ,その言葉通りになるよう事を運びます。
12 エホシャファトの子エホラムはどのような王となりますか。
12 ユダの王エホラム(8:16-29)。一方,ユダでは,今やエホシャファトの子エホラムが王となっています。彼はイスラエルの王たち同様,エホバの目に悪いことを行ないます。彼の妻はアハブの娘アタリヤで,イスラエルでは,これまたエホラムという名の彼女の兄弟が治めています。ユダのエホラムの死に際して,その子アハジヤがエルサレムで王となります。
13 エヒウは油そそがれて後,どんな電撃的な作戦に従事しますか。
13 イスラエルの王エヒウ(9:1-10:36)。エリシャは預言者の子らの一人を送って,エヒウに油をそそいでイスラエルの王とし,アハブの全家を討ち倒すよう彼を任命します。エヒウは機を失することなく,戦いで受けた傷の回復をエズレルで図っていたイスラエルの王エホラムの跡を追って出かけて行きます。見張りの者は近づいて来る人々の波打つ大軍を見,ついに王にこう報告します。「あの車の駆り方は,ニムシの孫エヒウの車の駆り方のようです。気が狂ったように車を駆っているからです」。(9:20)イスラエルのエホラムとユダのアハジヤはエヒウの意図について尋ねます。エヒウは次のように質問をして答えます。「あなたの母イゼベルの淫行とその多くの呪術とがある限り,どんな平安があり得ようか」。(9:22)エホラムが向きを変えて逃げようとすると,エヒウは矢を射て彼の心臓を貫きます。その遺体は,アハブによって流された罪のない者たちの血のためにさらに支払うものとして,そこ,ナボテの野に投げ捨てられます。その後,エヒウとその部下たちはアハジヤを追跡し,これを討ち倒し,こうして彼はメギドで死にます。エヒウの最初の電撃的な作戦で,二人の王が死にます。
14 イゼベルに関するエリヤの預言はどのように成就しますか。
14 さて,今度はイゼベルの番です! エヒウが意気揚々とエズレルに乗り込むと,イゼベルは極めて魅力的な化粧を施して,窓に姿を現わします。エヒウは感銘を受けるどころか,従者たちに向かって,「その女を落とせ!」と呼びかけます。彼女は落ちて行き,その血は壁や馬にはね掛かり,馬はその女を踏みつけます。人々が彼女を葬ろうとして行ってみると,ただ頭蓋骨と両足とその両手のたなごころしか見つかりません。これはエリヤの預言の成就で,『犬がその女を食らい,彼女はエズレルの一続きの土地で肥やしのようになりました』。―列王第二 9:33,36,37。列王第一 21:23。
15 サマリアに行く途中で,エヒウはどんな異なった出会いを経験しますか。
15 次いで,エヒウはアハブの70人の息子たちの殺りくを命じ,彼らの首をエズレルの門の所に積み重ねます。エズレルにいたアハブの追従者たちは皆討ち倒されます。今度は,イスラエルの首都サマリアへ向かいます! その途中で彼は,何が起きているかも知らずにエズレルに向かって旅をしているアハジヤの42人の兄弟たちに出会います。彼らは捕らえられて討ち殺されます。しかし,今度は,それとは違った思いがけない出会いが起こります。レカブの子エホナダブが出て来てエヒウを迎えます。「わたしの心があなたの心と共にあるように,あなたの心は,わたしと共にあって廉直ですか」というエヒウの質問に対して,エホナダブは,「そうです」と答えます。するとエヒウは,「エホバと張り合う関係を一切認めていない」ことを直接見て,知ってもらうため,自分の兵車にエホナダブを同乗させます。―列王第二 10:15,16。
16 アハブの家とバアルとに対するエヒウの処置はどのように徹底したものですか。
16 サマリアに着いたエヒウは,エリヤに対するエホバの言葉に従って,アハブの者で残っている者を根絶やしにします。(列王第一 21:21,22)しかし,バアルの忌むべき宗教についてはどうですか。エヒウはこう宣言します。「アハブはバアルを少ししか崇拝しなかったが,エヒウはこれを大いに崇拝するであろう」。(列王第二 10:18)それら悪霊崇拝者すべてをバアルの家に呼んで,エヒウは彼らに身分を証明するものとなる服を着けさせ,彼らのうちにエホバの崇拝者がひとりもいないことを確かめます。それから,彼は部下を送り込んで,ただの一人も逃れさせることなく,彼らを討ち倒させます。バアルの家は破壊されて,その場所は屋外便所に変えられ,エレミヤの時代までそのまま残ります。『こうして,エヒウはイスラエルからバアルを滅ぼし尽くします』― 10:28。
17 エヒウはどんな点で失敗しますか。エホバはどのようにしてイスラエルに罰をもたらし始めますか。
17 しかし,熱心なエヒウでさえ失敗します。どんな点ででしょうか。それは,ヤラベアムがベテルとダンに立てた金の子牛になおも従っているという点においてです。彼は「心をつくしてイスラエルの神エホバの律法にしたがって歩むよう注意」するのを怠ります。(10:31)しかし,アハブの家に対して取ったその措置のゆえに,エホバはエヒウの子孫が4代にわたってイスラエルを治めることを約束されます。エヒウの時代に,エホバはその王国の東部を切り取り始め,シリアのハザエルにイスラエルを攻めさせます。エヒウは28年間治めた後に死に,その子エホアハズが彼の跡を継ぎます。
18 ユダにおけるアタリヤの陰謀はどのようにしてくじかれますか。エホアシュの治世についてはどんなことが注目に値しますか。
18 ユダの王エホアシュ(11:1-12:21)。皇太后アタリヤは,肉においても,霊においてもイゼベルの娘です。その子アハジヤの死について聞いた彼女は,王族の者を全部処刑するよう命じて,王座を引き継ぎます。ただアハジヤの子である赤子のエホアシュだけがかくまわれて,死を免れます。アタリヤの治世の第七年に,祭司エホヤダはエホアシュに油をそそいで王とさせ,アタリヤを殺させます。エホヤダはエホバの崇拝の点で民を導き,その年若い王に神の前におけるその務めを教え,エホバの家を修理するよう取り決めます。エホアシュはシリアの王ハザエルによる攻撃を贈り物によって阻止します。エホアシュはエルサレムで40年間支配した後,その僕たちによって暗殺され,その子アマジヤが彼に代わって王として支配しはじめます。
19 (イ)イスラエルのエホアハズおよびエホアシュの治世中,どんな偽りの崇拝が存続しますか。(ロ)エリシャはエホバの預言者としての歩みをどのように終えますか。
19 イスラエルの王,エホアハズとエホアシュ(13:1-25)。エヒウの子エホアハズは引き続き偶像崇拝を行ない,イスラエルはシリアの支配下に置かれますが,エホアハズは廃位させられません。エホバはやがてイスラエル人を解放されますが,彼らは引き続きヤラベアムの子牛崇拝を行ないます。エホアハズが死ぬと,その子エホアシュが彼に代わってイスラエルの王となりますが,その間,ユダではもうひとりのエホアシュが治めています。イスラエルのエホアシュはその父の偶像崇拝を続けます。彼が死ぬと,その子ヤラベアムが王となります。エホアシュの治世中のことですが,エリシャは,エホアシュがシリアを3回討ち倒すことを述べた最後の預言を語った後,病気になって死にます。そして,その預言はしかるべき時に成就します。エリシャの最後の奇跡とみなされる事柄がその死後に生じます。つまり,ひとりの死人がその同じ埋葬所に投げ込まれますが,その人はエリシャの骨に触れるや否や,生き返って立ち上がります。
20 ユダのアマジヤの治世について述べなさい。
20 ユダの王アマジヤ(14:1-22)。アマジヤはエホバの目に廉直なことをしますが,崇拝のために用いられた高き所を破壊しそこないます。彼はイスラエルのエホアシュに戦いで破れます。彼は29年間統治した後,陰謀に遭って殺されます。その子アザリヤが彼に代わって王とされます。
21 イスラエルではヤラベアム2世の治世中,どんなことが起きますか。
21 イスラエルの王ヤラベアム2世(14:23-29)。イスラエルの王となった2番目のヤラベアムはその父祖の行なった偽りの崇拝を続けます。彼はサマリアで41年間治め,イスラエルの失った領地を取り戻すことに成功します。その子ゼカリヤが後継者として王座に就きます。
22 ユダのアザリヤの治世に関してどんなことが述べられていますか。
22 ユダの王アザリヤ(ウジヤ)(15:1-7)。アザリヤは52年間支配します。彼はエホバの前に廉直な人ですが,高き所を破壊しそこないます。後に,エホバはらい病の災いを彼に臨ませ,その子ヨタムが王の務めを取り扱い,アザリヤの死に際して王となります。
23 アッシリアの脅威が高まる中で,イスラエルはどんな害悪で悩まされますか。
23 イスラエルの王,ゼカリヤ,シャルム,メナヘム,ペカフヤ,およびペカハ(15:8-31)。エホバの約束にしたがって,イスラエルの王座はエヒウの家に,第4代のゼカリヤの時までとどまります。(10:30)したがって,彼はサマリアで王となり,6か月後,一人の暗殺者により討ち倒されます。その王位さん奪者シャルムはわずか1か月しか持ちこたえません。偽りの崇拝,暗殺,および陰謀が引き続きイスラエルを悩まし,その間に,メナヘム,ペカフヤ,およびペカハが相次いで去ります。ペカハの治世中に,アッシリアが押し寄せて来て,これを討ち取ろうとします。次いでホシェアがペカハを暗殺し,イスラエルの最後の王となります。
24 ヨタムの後,ユダのアハズは崇拝に関してどのように罪をおかしますか。
24 ユダの王,ヨタムとアハズ(15:32-16:20)。ヨタムは清い崇拝を行ないますが,高き所はそのまま存続させます。その子アハズはエホバの目に悪いことを行なって,隣のイスラエルの王たちに見倣います。イスラエルとシリアの王たちによる攻撃を受けたアハズは,アッシリアの王に援助を要請します。そこでアッシリア人は彼を助けにやって来て,ダマスカスを攻略します。アハズはそこへ行ってアッシリアの王と会います。そこに礼拝のための祭壇があるのを見,アハズは同じ型にしたがってエルサレムに一つの祭壇を立てさせ,エホバの神殿の銅の祭壇の代わりに,その上で犠牲をささげはじめます。その子ヒゼキヤは彼の後継者としてユダの王となります。
25 イスラエルはどのようにして捕囚の身に陥りますか。それはなぜですか。
25 イスラエルの最後の王ホシェア(17:1-41)。今や,イスラエルはアッシリアの支配下に置かれます。ホシェアは反抗して,エジプトの助けを求めますが,その治世の第9年にイスラエルはアッシリアにより征服され,人々は捕らわれの身となって連れ去られます。こうして,10部族で成るイスラエル王国は終わりを告げます。それはどうしてですか。こう記されています。「イスラエルの子らが……彼らの神エホバに対して罪をおかし……たからである。こうして,彼らは糞像に仕え続けた。それについてエホバはかつて彼らに,『あなた方はこのような事をしてはならない』と言われたのである。それゆえ,エホバはイスラエルに対して大いにいきり立ち,彼らをみ前から除かれた」。(17:7,8,12,18)アッシリア人は東方から人々を連れて来て,この国に定住させます。それらの人々は依然として自分たちの神々を崇拝してはいますが,『エホバを恐れる者』となります。―17:33。
26,27 (イ)ユダのヒゼキヤはどのようにエホバの目に正しいことを行ないますか。(ロ)エホバはアッシリア人を引き返させることにより,どのようにヒゼキヤの祈りに答えられますか。(ハ)イザヤの預言はさらにどんな成就を見ますか。
26 ユダの王ヒゼキヤ(18:1-20:21)。ヒゼキヤはすべてその父祖ダビデがしたことにしたがって,エホバの目に正しいことを行ないます。彼は偽りの崇拝を根絶し,高き所を打ち壊し,モーセが造った銅の蛇をさえ壊します。なぜなら,人々がそれを崇拝するからです。アッシリアの王セナケリブは今やユダに侵入し,防備の施された都市を数多く攻略します。ヒゼキヤは巨額の貢ぎ物をもってセナケリブに手を引かせようとしますが,セナケリブは使者ラブシャケを送り,ラブシャケはエルサレムの城壁の所まで上って来て,降伏を要求し,民すべての聞こえる所でエホバを嘲笑します。預言者イザヤは,『エホバはこのように言われた。「恐れてはならない」』と語って,セナケリブに対する破滅の音信をもって忠実なヒゼキヤを元気づけさせます。(19:6)セナケリブがおびやかし続けると,ヒゼキヤは次のようにエホバに嘆願します。「それで今,私たちの神エホバよ,どうか,彼の手から私たちを救ってください。地のすべての王国が,エホバよ,あなただけが神であることを知るためです」― 19:19。
27 エホバは利己的なところのないこの祈りに答えられますか。エホバはまず,イザヤを通して,「万軍のエホバの熱心」が敵を追い返すことになるという音信を伝えます。(19:31)それから,その同じ夜,エホバはみ使いを遣わして,アッシリア人の陣営で18万5,000人を討ち倒させます。朝になってみると,『彼らはみな死がいとなっています』。(19:35)セナケリブは敗北を喫して戻り,ニネベに住むようになります。そこで,その神ニスロクはまたもや彼にとって何の役にも立たないことを示します。というのは,セナケリブが身をかがめて礼拝をしている時に,イザヤの預言が成就して,彼は自分の息子たちに殺されるからです。―19:7,37。
28 ヒゼキヤはどんなことで有名ですか。しかし,彼はどんなことで罪をおかしますか。
28 ヒゼキヤは病んで死にそうになりますが,エホバは再びその祈りに留意され,その寿命をさらに15年延ばされます。バビロンの王は贈り物を持たせて使者たちを遣わすと,ヒゼキヤは大胆にもその宝物庫をことごとく彼らに見せます。そこでイザヤは,ヒゼキヤの家の中にあるものはみな,いつかバビロンに運び去られることを預言します。その後,ヒゼキヤは死にますが,彼はその力強さと,エルサレム市内に水を補給できるようにするために造った地下水道で有名です。
29 マナセはまた,どんな偶像崇拝を始めますか。エホバはどんな災いを予告されますか。マナセはさらにどんな罪をおかしますか。
29 ユダの王,マナセ,アモン,およびヨシヤ(21:1-23:30)。マナセはその父ヒゼキヤの跡を継ぎ,55年間治めますが,エホバの目に悪いことを大規模な仕方で行ないます。彼は偽りの崇拝に用いる高き所を修復し,アハブがしたように,バアルのために祭壇を立て,聖木を造り,エホバの家を偶像崇拝の場所とします。エホバは,サマリアに対して,『それをすっかりぬぐって,ひっくり返して』行なったように,エルサレムに災厄をもたらすことを予告されます。マナセもまた罪のない者たちの血を「おびただしく」流します。(21:13,16)その子アモンが彼の跡を継ぎますが,アモンも2年間悪いことを行ない続け,ついに暗殺者たちにより討ち倒されます。
30 ヨシヤはなぜ,またどのように心をつくしてエホバに立ち返りますか。
30 人々は今やアモンの子ヨシヤを王とします。その31年間の治世中,ヨシヤは「その父祖ダビデのすべての道に歩んで」,短期間ですが,ユダが滅びに突入するのを食い止めます。(22:2)彼はエホバの家の修理を始め,そこで大祭司は律法の書を見つけます。その結果,エホバに対する不従順のゆえにその国民に滅びの臨むことが確証されますが,ヨシヤは忠実さのゆえにその滅びは彼の時代のうちには臨まないと告げられます。彼はエホバの家と全国から悪霊崇拝を一掃し,その偶像破壊活動をベテルにまで広げ,そこで列王第一 13章1節と2節の預言の成就として,ヤラベアムの立てた祭壇を破壊します。そして彼は再びエホバに対して過ぎ越しを祝うことを始めます。こう記されています。「彼のように,心をつくし,魂をつくし,活力をつくして,モーセのすべての律法にしたがって,エホバに立ち返った王は彼の先にはいなかった」。(23:25)それでも,エホバの怒りはマナセの違反のゆえになおも燃えます。ヨシヤはメギドにおけるエジプトの王との会戦の最中に死にます。
31 ヨシヤの死後,ユダはどのように後退しますか。
31 ユダの王,エホアハズ,エホヤキム,およびエホヤキン(23:31-24:17)。ヨシヤの子エホアハズは3か月間治めた後,エジプトの王によってとりことして連れて行かれ,その兄弟エリヤキムが,その名をエホヤキムと改められて,王座に就けられます。彼はその父祖たちの誤った道に従い,またバビロンの王ネブカドネザルの臣下となりますが,3年後にその王に反抗します。エホヤキムが死ぬと,その子エホヤキンが治めはじめます。ネブカドネザルはエルサレムを包囲し,これを攻略し,イザヤによって『エホバが話された通りに』,エホバの家の宝物をバビロンに運び去ります。(24:13; 20:17)エホヤキンとその臣下の幾千人もの人々は追放の身となってバビロンへ連れ去られます。
32 どんな劇的な出来事が重なって,エルサレムとその地は荒廃するようになりますか。
32 ユダの最後の王ゼデキヤ(24:18-25:30)。ネブカドネザルはエホヤキンのおじマタヌヤを王とし,その名をゼデキヤと改めます。彼はエルサレムで11年間治め,エホバの目に悪いことを行ない続けます。ゼデキヤはバビロンに反抗します。そこで,ゼデキヤの第9年にネブカドネザルとその全軍が上って来て,エルサレムの周囲に攻囲壁を築きます。18か月の後,都は飢きんのために荒廃します。それから,城壁は打ち破られ,ゼデキヤは逃げようとしましたが,捕らえられます。その息子たちは彼の前で打ち殺され,彼は盲目にされます。その翌月,エホバの家や王の家を含め,都の主な家々はすべて焼かれ,都の城壁は取り壊されます。生き残った者たちの大半はとりことしてバビロンに連れ去られます。ゲダリヤはユダの田舎の地方に残っている少数の身分の低い者たちの上に総督として任じられます。ところが,彼は暗殺され,人々はエジプトへ逃げ去って行きます。こうして,西暦前607年の第7の月以降,その地は完全に荒廃したまま横たわります。列王記第二の最後の言葉は,バビロンの王がエホヤキンに対してその捕囚の第37年に恵みを示したことを述べています。
なぜ有益か
33 列王記第二の中には,わたしたちの従うべきどんな優れた模範が収められていますか。
33 列王記第二はイスラエルとユダ両王国の致命的な衰微を扱ってはいますが,エホバとその正しい原則に対する愛を示した個々の人々をエホバが祝福されたことを示す,多数の実例で輝いています。あるシュネム人の女は,彼女よりも前のザレパテのやもめのように,神の預言者を親切にもてなしたことで豊かな祝福を受けました。(4:8-17,32-37)後にイエスが同様の奇跡を行なうことになっていた通り,エリシャが20個のパンで100人の人々を養った時,必要なものを常に備えるエホバの能力のほどが示されました。(列王第二 4:42-44。マタイ 14:16-21。マルコ 8:1-9)エホナダブが,バアル崇拝者たちを撲滅するところを見るために,エヒウの兵車に乗って一緒に行くよう招かれて,どのように祝福を受けたかに注目してください。それに,どうして祝福を受けたのでしょうか。なぜなら,彼は熱心なエヒウを迎えるために出て来るという点で,積極的な行動を取ったからです。(列王第二 10:15,16)最後に,謙遜さと,エホバのみ名や律法に対する正しい敬意を表わすという点で,ヒゼキヤやヨシヤの示した見事な模範があります。(19:14-19; 22:11-13)それらはわたしたちの従うべきりっぱな模範です。
34 列王記第二は公式の僕たちに対する敬意に関して,また流血の罪に関してどんなことをわたしたちに教えていますか。
34 エホバはご自分の公式の僕たちに対する無礼な態度を決して容認されません。例の非行者たちがエホバの預言者であるエリシャを嘲笑した時,エホバは速やかに報復されました。(2:23,24)その上,エホバは罪のない人たちの血を尊ばれます。エホバの裁きはアハブの家に重苦しくとどまりましたが,それは単にバアル崇拝のためだけでなく,その崇拝に伴った流血行為のためでもありました。こうして,エヒウは「すべてのエホバの僕たちの血のためにイゼベルの手に」復しゅうするよう,油そそがれました。裁きがエホラムに対して執行された時,エヒウはそれが「ナボテの血とその子らの血」のためであるというエホバの宣告を思い起こしました。(9:7,26)同様に,ユダの破滅を最終的に動かぬものとしたのは,マナセの血の罪でした。マナセは偽りの崇拝を行なって罪をおかしたことに加えて,『エルサレムを端から端まで血で満たしました』。マナセは後にその悪い歩みを悔い改めたとはいえ,血の罪は残りました。(歴代第二 33:12,13)偶像崇拝をことごとく除き去ったヨシヤの良い治世でさえ,マナセの治世以来持ち越されてきた共同の血の罪を除き去るものとはなりませんでした。何年も後に,エホバはご自分の刑執行者たちをエルサレムに攻め上らせ始めた時,それはマナセが「罪のない者の血でエルサレムを満たした。それでエホバは許しを与えようとはされなかった」ためであると言明されました。(列王第二 21:16; 24:4)同様に,イエスは西暦1世紀のエルサレムが滅びうせなければならないことを言明されましたが,それはその祭司たちが預言者たちの血を流した者たちの子らで,『地上で流された義の血すべてが彼らに臨む』ことになるからでした。(マタイ 23:29-36)神は罪のない人たちの流された血,とりわけ「神の言葉のために……ほふられた者たちの魂」の血のために復しゅうすることを世に対して警告しておられます。―啓示 6:9,10。
35 (イ)エリヤ,エリシャ,およびイザヤは真の預言者であることがどのように確証されていますか。(ロ)エリヤに関連して,ペテロは預言について何と述べていますか。
35 エホバは誤ることのない確かさをもって,ご自分の預言的な裁きを成就されますが,このことも列王記第二の中で示されています。3人の主要な預言者,すなわちエリヤ,エリシャ,およびイザヤのことが注目されています。それら各々の預言者の預言は著しい成就を見ていることが示されています。(列王第二 9:36,37; 10:10,17; 3:14,18,24; 13:18,19,25; 19:20,32-36; 20:16,17; 24:13)エリヤはまた,山上での変ぼうの際に預言者モーセと大いなる預言者イエス・キリストと共に現われて,真の預言者であることが確証されています。(マタイ 17:1-5)その出来事の壮大さに言及したペテロは,こう述べています。「したがって,わたしたちにとって預言の言葉はいっそう確かなものとなりました。そしてあなた方が,夜があけて明けの明星が上るまで,暗い所に輝くともしびのように,心の中でそれに注意を払っているのはよいことです」― ペテロ第二 1:19。
36 エホバはなぜご自分の民に憐れみを示されましたか。胤の治める王国に対するわたしたちの確信はどのように深められますか。
36 列王記第二に記されている出来事は,偽りの宗教を行なう者すべて,また罪のない人たちの血を故意に流す者すべてに対するエホバの裁きは絶滅であることをはっきりと示しています。それでも,エホバはご自分の民に対して,「アブラハム,イサク,ヤコブとの契約のために」恵みと憐れみを示されました。(列王第二 13:23)エホバはその民を「その僕ダビデのために」生き長らえさせたのです。(8:19)エホバは今日,ご自分に頼る人たちに同様の憐れみを示されます。聖書の記録とその数々の約束を振り返ってみるとき,「ダビデの子」,すなわち約束の胤であるイエス・キリストの王国を,何と深められた確信を抱いて待ち望めるのでしょう。その王国のもとでは流血や邪悪なことはもはやないのです。―マタイ 1:1。イザヤ 2:4。詩編 145:20。
[脚注]
a 「聖書に対する洞察」(英文),第1巻,152,325ページ; 第2巻,908,1101ページ。
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聖書の13番目の書 ― 歴代誌第一『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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聖書の13番目の書 ― 歴代誌第一
筆者: エズラ
書かれた場所: エルサレム(?)
書き終えられた年代: 西暦前460年ごろ
扱われている期間: 歴代第一 9章44節の後: 西暦前1077年-1037年
1 歴代誌第一はどんな点で神聖な記録の肝要で有益な書の一つと言えますか。
歴代誌第一は無味乾燥な単なる系図の一覧表ですか。それはサムエル記や列王記の書の単なる繰り返しにすぎませんか。決してそうではありません。ここには神聖な記録の啓発的で肝要な部分があるのです。つまり,これは書かれた当時,国民とその崇拝を再組織する上で肝要なものでしたし,また現代を含め,後の時代のための聖なる崇拝の型を示す上でも肝要で,有益なものです。歴代誌第一には聖書全巻の中に見られる,エホバに対する,最も美しい賛美の表現の幾つかが収められています。この書はエホバの義の王国を予想させるすばらしい事柄を述べているので,その王国に望みを置く人々すべてにとって,この書を研究することは有益です。ユダヤ人もクリスチャンも昔から,この歴代誌の二つの書をこの上なく大切にしてきました。聖書の翻訳者,ヒエロニムスは歴代誌第一および第二を大変高く評価していたので,これら二つの書を「旧約聖書の要約」とみなし,「これらの書は極めて重要なものであるゆえに,自分は聖書に通じていると考えていながら,これらの書について知らない人は,自分自身を欺いているにすぎない」と断言しました。a
2 歴代誌が書かれたのはなぜですか。
2 歴代誌の二つの書は元来一つの書,もしくは巻き物だったようですが,後に便宜上二つに分けられました。歴代誌はなぜ書かれたのでしょうか。その背景を考えてみてください。バビロンへの流刑は77年ほど前に終わりを告げました。ユダヤ人は自分たちの国に再び定住しました。しかし,エルサレムの再建された神殿では,エホバの崇拝から逸脱しそうな危険な傾向がありました。エズラは裁き人,ならびに神の律法や王の法律の教師を任じたり,エホバの家を美化したりする権限をペルシャの王から与えられていました。ただ正式に認可された人だけが祭司職に就いて奉仕できるようにしたり,部族の相続権を確認して,祭司職に対する支持が得られるようにしたりするには,正確な系図が必要でした。王国に関するエホバの預言から考えても,やはりユダおよびダビデの家系の明確で信頼できる記録を持つのは肝要なことでした。
3 (イ)エズラはユダヤ人の内に何を吹き込みたいと願っていましたか。(ロ)彼はなぜユダの歴史を際立たせましたか。また,清い崇拝の重要性をどのように強調しましたか。
3 エズラは復帰したユダヤ人をその無関心な状態から奮起させ,自分たちは確かにエホバの契約によって与えられた愛ある親切を受け継ぐ者であるという認識を彼らに吹き込みたいという熱烈な願いを抱いていました。ですから,歴代誌の中で,エズラは自国民の歴史,および最初の人アダムにまでさかのぼる人類の起源に関する完全な記述を彼らの前に提示したのです。ダビデの王国が焦点となっていたので,エズラはユダの歴史を際立たせ,10部族の王国の絶対に正当化し得ない記録をほとんど全部省略しました。そして,ユダの最も偉大な王たちを神殿の建造あるいは修復に携わり,神への崇拝の点で熱心に率先した人物として描きました。彼はその王国の倒壊をもたらした宗教上の罪を指摘する一方,回復に関する神の約束をも強調しました。エズラはまた,神殿やその祭司たち,レビ人たち,歌の教師たちその他に関する多くの詳細な点に注意を集中して,清い崇拝の重要性を力説しました。イスラエル人にとって,流刑から帰還した理由 ― エルサレムにおけるエホバの崇拝の回復 ― に焦点を合わせた歴史的な記録を持つのは,非常に励みになることだったに違いありません。
4 エズラが歴代誌の筆者であることをどんな証拠が裏付けていますか。
4 エズラが歴代誌を書いたことを示すどんな証拠がありますか。歴代誌第二の終わりの2節にはエズラ記の冒頭の2節と同じ表現が見られ,歴代誌第二はエズラ 1章3節で完結している一つの文の真ん中で終わっています。ですから,歴代誌の筆者はエズラ記の筆者でもあったに違いありません。このことはさらに,歴代誌とエズラ記の文体,言葉遣い,用語,およびつづり字が同じであるということによっても裏付けられています。これら二つの書に出てくる表現の幾つかは聖書のほかの書には見当たりません。エズラ記を書いたエズラはまた,歴代誌をも書いたに違いありません。ユダヤ人の伝承もこの結論を支持しています。
5 エズラにはどんな霊的および世俗の資格がありましたか。
5 この信頼の置ける正確な歴史を編さんするのに,エズラよりも勝った資格のある人はいませんでした。こう記されています。「エズラは,エホバの律法を調べ,これを行ない,イスラエルで規定と公義を教えるよう心を定めていたからである」。(エズラ 7:10)エホバは聖霊によってエズラを援助されました。ペルシャの世界支配者はエズラの内に神の知恵を認め,ユダの管轄地域における広範な民政権を彼に委任しました。(エズラ 7:12-26)こうして,神および皇帝からの権威を授けられたので,エズラは入手できる最善の文献を用いて,その記述を編さんすることができました。
6 わたしたちが歴代誌の正確さに対する確信を抱けるのはなぜですか。
6 エズラは非凡な研究者でした。彼はそれぞれの時代の信頼できる預言者たちや,公式の記録官や公の記録の保管者たちによって編さんされたユダヤ人の歴史に関する古い記録を徹底的に研究しました。彼の調べた文書のあるものはイスラエルおよびユダ双方の公文書,系図上の記録,預言者たちによって記された史的著作,および部族もしくは氏族の頭の所有していた文書類だったのかもしれません。エズラは少なくとも20のそのような情報源を挙げています。b それらの資料を率直に挙げることにより,エズラは同時代の人たちに,望むなら資料を確かめることのできる機会を誠実に与えましたが,これはエズラの言葉の真実性と信ぴょう性を支持する論拠に相当の重みを加えるものとなります。今日,わたしたちは,エズラの時代のユダヤ人が確信を抱いていたのと同じ理由で,歴代誌の書の正確さに対する確信を抱くことができます。
7 歴代誌はいつ書かれましたか。だれがこれを信頼の置ける書とみなしてきましたか。どんな時期のことを扱っていますか。
7 エズラはペルシャの王アルタクセルクセス・ロンギマヌスの第七年,すなわち西暦前468年に,「バビロンから上って来た」ので,彼は西暦前455年にネヘミヤが到着した重要な出来事について何も記していません。ですから,歴代誌はこれらの年代の間の時期に,恐らく西暦前460年ごろエルサレムで書き終えられたに違いありません。(エズラ 7:1-7。ネヘミヤ 2:1-18)エズラの時代のユダヤ人は,歴代誌を『神の霊感を受けたもので,有益な聖書全体』の紛れもない一部として受け入れていました。彼らはこれを「その時代の事績」,すなわちその時代の歴史という意味の「ディブレー ハイヤーミーム」と呼びました。およそ200年の後,ギリシャ語セプトゥアギンタ訳の翻訳者たちもまた,歴代誌を正典の書として含めました。それら翻訳者たちはこの書を二つの部分に分け,これをサムエル記および列王記,もしくは当時の聖書全体の補足となるものと考え,これを「見逃された(語られていない; 省かれた)もの」という意味のパラレイポメノンと呼びました。この名称は特に適切と言えるわけではありませんが,それでも彼らがそのように呼んだということは,歴代誌を信頼の置ける霊感を受けた聖書の一部とみなしていたことを示しています。ラテン語ウルガタ訳の準備に取りかかっていたとき,ヒエロニムスは,「我々は[これを]神聖な歴史全体のクロニコンと呼ぶほうが,一層よく意味を表わせるであろう」と勧めました。「歴代誌」(英語,クロニクルズ)という表題は,ここから来たと考えられています。歴代誌というのは,出来事を年代順に記した記録のことです。歴代誌第一は系図を列挙した後,主に西暦前1077年からダビデ王の亡くなる時までの同王の時代のことを取り扱っています。
歴代誌第一の内容
8 歴代誌第一はどんな二つの部分に分かれていますか。
8 歴代誌第一と呼ばれるこの書は,必然的に二つの部分に分かれます。最初の9章は主に系図を扱っており,後の20章はサウルの死からダビデの治世の終わりまでの40年間の出来事を取り扱っています。
9 歴代誌の書かれた時代をもっと後代とする見方を支持すべき理由がないのはなぜですか。
9 系図(1:1-9:44)。これらの章は,アダムからゼルバベルの家系に至るまでの系図を掲げています。(1:1; 3:19-24)多くの翻訳の訳し方によれば,ゼルバベルの家系が10代ほど後代まで記されています。彼が西暦前537年にエルサレムに戻ってから,エズラが書き終えたと考えられる西暦前460年までの期間は,それほど多くの世代の人々が生まれるには十分ではなかったでしょう。しかし,この箇所のヘブライ語本文は不完全ですから,記載されている人々の大半がゼルバベルとどのように親族関係にあったかを断定することはできません。したがって,一部の人々がしているように,歴代誌の書かれた時代をもっと後代とする見方を支持すべき理由はありません。
10 (イ)まず,どの世代のことが挙げられていますか。(ロ)2章の初めからどんな系図を筋道の通った仕方でたどれますか。(ハ)ほかにどんな一覧表が掲げられ,それはどんな事柄で終わっていますか。
10 まず,アダムからノアまでの10世代,次いでアブラハムに至るまでの10世代が挙げられています。アブラハムの子らと彼らの子孫,エサウおよびセイルの山地に住んだセイルの後裔,そしてエドムの初期の王たちが列挙されています。しかし,2章以降,記録はイスラエルつまりヤコブの子孫のことを扱っており,そのイスラエルの子孫のうち,まずユダから始まって,ダビデに至るまでの10世代の系図をたどれます。(2:1-14)また,ほかの部族に関しても一覧表が掲げられていますが,レビの部族と大祭司たちのことが特に言及されています。この一覧表はベニヤミン人の王サウルを紹介するものとして,最後にベニヤミンの部族の家系を記しています。それから,厳密な意味での歴史的物語がこのサウル王をもって始まります。時には,エズラの系図と聖書のほかの節との間に矛盾する箇所があるように思えるかもしれません。しかし,ある人々はほかの名前でも知られていることや言語は変化すること,また時間の経過と共に,ある名前はつづり方が変化する場合があるということも覚えておかなければなりません。注意深く研究すれば,問題点のほとんどは取り除かれます。
11 系図の記録の中に入れられているほかの有用な情報の例を挙げなさい。
11 エズラはその系図の中の随所に,問題点を解明したり,重要な示唆を与えたりするのに役立つ,歴史的・地理的情報を少しずつ含めています。例えば,ルベンの子孫を列挙する際,エズラは次のような一つの重要な情報を加えています。「そして,イスラエルの長子ルベンの子ら ― 彼は長子であったが,その父の長いすを汚したことにより,長子としての彼の権利はイスラエルの子ヨセフの子らに与えられたので,彼は長子の権利の点では系図に記録されてはならなかったのである。ユダは,その兄弟たちの中で勝った者となり,指導者となる者が彼から出るのであるが,長子としての権利はヨセフのものであったからである」。(5:1,2)このわずかな言葉で多くのことが説明されています。さらに,ヨアブ,アマサ,およびアビシャイが皆,ダビデのおいであるということは,ただ歴代誌だけが教えており,これは彼らを取り巻く様々の出来事を正しく評価するのに役立ちます。―2:16,17。
12 サウルはどのような状況のもとで死にますか。
12 サウルは不忠実な行ないのために死ぬことになる(10:1-14)。物語は,ギルボア山の戦場でフィリスティア人が攻撃を強行するところから始まります。ヨナタンを含め,サウルの3人の息子は討ち倒されます。それから,サウルは傷を負います。サウルは敵の手で命を奪われることを望まなかったので,その武具持ちに次のように促します。「お前の剣を抜き,それでわたしを刺し貫いてくれ。これら割礼を受けていない者どもがやって来て,わたしをむごく扱うようなことが決してないためだ」。その武具持ちがそうすることを拒むと,サウルは自害します。こうして,サウルは,「彼が守らなかったエホバの言葉に関し,エホバに対して不忠実な行ないをし……また伺いを立てるために霊媒に尋ねたことのゆえに死(にます)。しかも,彼はエホバに伺いはしなかった」のです。(10:4,13,14)エホバは王国をダビデにお与えになります。
13 ダビデは王国でどのように繁栄しますか。
13 ダビデの王国はますます固められる(11:1-12:40)。やがて,12部族はヘブロンでダビデのもとに集まり,彼を全イスラエルの王として,これに油をそそぎます。ダビデはシオンを攻略し,『ますます大いなる者となります。万軍のエホバが彼と共におられるからです』。(11:9)力ある者たちは軍をあずかる者として立てられ,エホバはそれらの者により,「大いなる救いをもって」救いを施されます。(11:14)戦人たちが一つの全き心を抱いて群がり集まり,ダビデを王とするに及んで,彼は人々の一致した支持を受けます。イスラエルでは人々は祝宴を設け,歓喜します。
14 ダビデはフィリスティア人との戦いをどのように行なってゆきますか。信仰を鼓舞するどんな出来事が元となって,歓びに満ちあふれた歌が生まれますか。
14 ダビデと,エホバの箱(13:1-16:36)。ダビデは国の指導者たちと相談し,彼らはその箱を約70年間とどまっていたキルヤト・エアリムからエルサレムへ移すことに同意します。その途中で,ウザは不敬にも神の指示を無視したために死にます。その箱はしばらくの間,オベデ・エドムの家に置いたままにされます。(民数記 4:15)フィリスティア人は侵入しはじめますが,ダビデは2度,つまりバアル・ペラツィムとギベオンで彼らに大敗北を被らせます。レビ人はダビデの指示を受けて,今度は神権的な手順に従って,その箱を無事にエルサレムに移します。エルサレムでは箱は,人々が踊ったり歓喜したりしている中で,ダビデがそのために張った天幕の中に安置されます。そこでは犠牲をささげたり歌を歌ったりすることが行なわれ,ダビデ自身もその時のためにエホバにささげる感謝の歌を献じます。その歌は次のような主題をもってそのすばらしい最高潮に達します。「天は歓び,地は喜びに満ちよ。諸国民の中で言え,『エホバが王となられた!』と」。(歴代第一 16:31)信仰を鼓舞する,なんと感動的な出来事なのでしょう。後に,ダビデのこの歌は幾つかの新しい歌のための基礎として改作されますが,その一つは詩編 96編です。もう一つは詩編 105編の最初の15節に記されています。
15 エホバは統一された崇拝のための家を建てたいというダビデの願いに,どんな驚くべき約束をもって答えられますか。
15 ダビデと,エホバの家(16:37-17:27)。今や,イスラエルでは異常な取り決めが行なわれています。契約の箱はアサフとその兄弟たちの仕えているエルサレムの天幕の中にとどまっている一方,エルサレムの北西数キロの所にあるギベオンでは,大祭司ザドクとその兄弟たちが規定された犠牲を幕屋でささげています。常にエホバの崇拝を高め,統一することを考えていたダビデは,エホバの契約の箱のための家を建てたいとの願いを表わします。しかしエホバは,ダビデではなく,その息子がご自分のための家を建てることになり,また父が息子に表わすような愛ある親切を示して,「必ず彼の王座を定めのない時までも堅く立てる」であろうと言明されます。(17:11-13)エホバのこの驚くべき約束 ― 永遠の王国のためのこの契約 ― はダビデの心を動かします。その感謝の念はあふれ,彼はエホバのみ名が「定めのない時までも信頼できるものであって,大いなるものとなり」,またその祝福がダビデの家の上にあるようにと祈願します。―17:24。
16 エホバはダビデを通してどんな約束を遂行されますか。しかし,ダビデはどのように罪を犯しますか。
16 ダビデの行なった征服(18:1-21:17)。エホバは今や,約束の地全体をアブラハムの胤に与えるというご自分の約束をダビデを通して遂行されます。(18:3)一連の迅速な軍事行動において,エホバは,ダビデがどこへ行っても,「彼に……救いを」施されます。(18:6)ダビデは軍事的な大勝利を博してフィリスティア人を屈服させ,モアブ人を討ち倒し,ツォバ人を打ち破り,シリア人には貢ぎを払うことを余儀なくさせ,アマレクはもとより,エドムやアンモンを征服します。しかし,サタンはダビデを唆して,イスラエルの数を数えさせて,罪を犯させます。エホバは罰として疫病を送りますが,その疫病によって7万人が処刑されたのち,オルナンの脱穀場で憐れみ深くもその災いを終わらせます。
17 ダビデはエホバの家を建てるためにどんな準備をしますか。彼はどのようにソロモンを励ましますか。
17 神殿のためのダビデの準備(21:18-22:19)。ダビデはガドを通して,「エブス人オルナンの脱穀場にエホバのために祭壇を立てるよう」にとのみ使いからの知らせを受けます。(21:18)ダビデはオルナンからその場所を購入した後,そこで従順に犠牲をささげ,エホバを呼びます。するとエホバは,「焼燔の捧げ物の祭壇の上に天から火を下して」彼にお答えになります。(21:26)ダビデは,エホバがその家をそこに建てるよう望んでおられると結論し,材料を整えたり集めたりする仕事に取りかかり,こう言います。「我が子ソロモンは若くて,か弱い。しかも,エホバのために建てられる家は全地に対し,麗しい栄誉の点で並外れて壮大なものとなるべきである。それで,わたしは彼のために用意をしておこう」。(22:5)彼は自分が戦人で,血を流してきたので,その家を建てるのをエホバから許されていないことを息子ソロモンに説明し,この事業に際して勇気を出し,強くあるようにと勧めて,こう述べます。「立ち上がって,行ないなさい。エホバがあなたと共におられるように」― 22:16。
18 どんな目的で人口調査が行なわれますか。
18 ダビデはエホバの崇拝のための組織化を図る(23:1-29:30)。この度は,神のご意志に従い,祭司およびレビ人の奉仕を再組織するために,人口調査が行なわれます。そのレビ人の奉仕はここでは,聖書の他のどこよりも非常に詳細に説明されています。それから,王の奉仕の組の大要が述べられています。
19 ダビデはどんな言葉を述べて,ソロモンを任命しますか。ダビデはどんな計画を知らせますか。彼はどんなすばらしい手本を示しますか。
19 ダビデはその波乱に富んだ治世の終わりに近づいたころ,全国民つまり「エホバの会衆」の代表者たちを召集します。(28:8)王は立ち上がり,「わたしの兄弟たち,わたしの民よ,わたしの言うことを聞きなさい」と語ります。それから,その心の願い,つまり「まことの神の家」のことについて彼らに話します。そして,彼らの前でソロモンを任命し,こう語ります。「それで,我が子ソロモンよ,あなたはあなたの父の神を知り,全き心と喜ばしい魂とをもって神に仕えるように。すべての心をエホバは探り,すべての考えの傾向をわきまえておられるからである。もしあなたが神を求めるなら,ご自分をあなたに見いだされるようにされるが,もしあなたが神を捨てるなら,あなたを永久に捨て去られるであろう。それで,気をつけなさい。エホバが聖なる所となる家を建てさせるため,あなたを選ばれたのだ。勇気を出して行ないなさい」。(28:2,9,10,12)ダビデはエホバからの霊感によって受けた詳しい建築計画を若いソロモンに授け,そのために蓄えてきた膨大な私財 ― 金3,000タラント,および銀7,000タラント ― をその建築事業のために寄進します。このようなすばらしい手本を前にして,君たちや民も5,000タラント1万ダリク相当の金と1万タラント相当の銀,それに大量の鉄や銅を寄贈してこたえ応じます。c (29:3-7)民はこの特権にあずかって大いに喜びます。
20 ダビデの最後の祈りはどんな崇高な頂点に達しますか。
20 それから,ダビデは祈りの中でエホバをたたえ,そのおびただしい捧げ物はみな実際にはエホバのみ手から出たものであることを認め,民とソロモンとの上に神の祝福が引き続きあるよう祈願します。ダビデのこの最後の祈りは,次のようにエホバの王国とその輝かしいみ名を高めることによって,崇高な頂点に達します。「私たちの父イスラエルの神エホバよ,あなたが定めのない時から定めのない時までほめたたえられますように。エホバよ,偉大さと力強さと麗しさと卓越性と尊厳とは,あなたのものです。天と地にあるものは皆あなたのものだからです。すべてのものの頭として自らを高めておられる方,エホバよ,王国も,あなたのものです。富と栄光はあなたによるものです。あなたはすべてのものを支配しておられます。あなたのみ手には力と力強さがあります。あなたのみ手にはすべてのものを大いなるものとし,強さを付与する能力があります。それで今,私たちの神よ,私たちはあなたに感謝し,あなたの麗しいみ名を賛美しております」― 29:10-13。
21 歴代誌第一はどんな高潔な調子を帯びて終わりますか。
21 ソロモンは2度目に油そそがれ,年老いたダビデに代わって「エホバの王座」に座るようになります。40年の治世の後,ダビデは「かなりの高齢で,よわいや富や栄誉にも満ち足りて」死にます。(29:23,28)それから,エズラは諸国民のすべての王国に勝ってダビデの王国が優れていることを強調しながら,高潔な調子で歴代誌第一を結びます。
なぜ有益か
22 エズラの仲間のイスラエル人は歴代誌第一の書によってどのように励まされましたか。
22 エズラの仲間のイスラエル人はこの書から多くの益を得ました。そのざん新で楽観的な見方をもって記された,この簡潔な歴史の記録を持った彼らは,エホバがダビデ王との王国契約に対するご自分の忠節さのゆえに,またご自分のみ名のために彼らに示された愛ある憐れみを正しく評価しました。励ましを受けた彼らは,新たな熱意を抱いてエホバの清い崇拝に携わることができました。記された系図は,再建された神殿で職務を行なう祭司団に対する彼らの確信を強めるものとなりました。
23 マタイ,ルカ,およびステファノは歴代誌第一をどのように利用しましたか。
23 歴代誌第一はまた,初期のクリスチャンの会衆にとっても大変有益でした。マタイやルカは,イエス・キリストが「ダビデの子」で,法的権利を持つメシアであることを明確に立証する際に,その系図を利用することができました。(マタイ 1:1-16。ルカ 3:23-38)ステファノは最後の証言を結ぶに際し,ダビデがエホバのために家を建てたいと願い出たことや,ソロモンがその建築を行なったことについて話しました。それからステファノは,「至高者は手で造られた家などに住まれるのではありません」と述べて,ソロモンの時代の神殿がそれよりもはるかに栄光のある天的な事物を表わしていたことを示しています。―使徒 7:45-50。
24 今日,わたしたちはダビデの輝かしい模範のうちに何を見倣えますか。
24 今日の真のクリスチャンについてはどうですか。歴代誌第一は,わたしたちの信仰を築き上げ,鼓舞するに違いありません。ダビデの輝かしい模範のうちには,わたしたちの見倣える多くのことがあります。常にエホバに物事を伺うという点で,ダビデは不忠実なサウルとは何と異なっていたのでしょう。(歴代第一 10:13,14; 14:13,14; 17:16; 22:17-19)ダビデはエホバの箱をエルサレムに運び上ったり,賛美の詩を作ったり,レビ人を奉仕のために組織したり,またエホバのために輝かしい家を建てたいと願い出たりして,エホバとその崇拝を第一に考えていたことを示しました。(16:23-29)彼は不平家ではありませんでした。彼は自分自身のための特権を求めることなく,ただエホバのご意志を行なうことを求めました。ですから,エホバがご自分の家の建築をダビデの息子に割り当てたとき,ダビデは心をこめてその息子を教え,自分の死後に始められる業の準備をするに際し,自分の時間と精力と富とを与えました。(29:3,9)確かに,専心の見事な模範です!―ヘブライ 11:32。
25 歴代誌第一はわたしたちを感動させて,エホバのみ名と王国に対するどんな感謝の念を抱かせるに違いありませんか。
25 それから,最高潮をなす結びの章があります。ダビデがエホバを賛美し,その「麗しいみ名」の栄光をたたえたときに用いた気高い言葉遣いは,エホバの栄光とキリストによるその王国とを知らせるわたしたちの現代の特権に対する喜びに満ちた感謝の念をわたしたちの内に起こさせるに違いありません。(歴代第一 29:10-13)エホバへの奉仕で自分自身を注ぎ出すことにより,エホバの永遠の王国に対する感謝の気持ちを言い表わすとき,わたしたちの信仰と喜びがいつまでもダビデのそれのようでありますように。(17:16-27)確かに,歴代誌第一は,胤によるエホバの王国という聖書の主題をかつてないほどに美しくきらめかせ,エホバの目的が感動的な仕方でさらに明らかにされることを,わたしたちに期待させるものです。
[脚注]
a クラーク著,「注解」(英文),第2巻,574ページ。
b 「聖書に対する洞察」(英文)第1巻,444,445ページ。
c 「聖書に対する洞察」(英文),第2巻,1076ページ。
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聖書の14番目の書 ― 歴代誌第二『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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聖書の14番目の書 ― 歴代誌第二
筆者: エズラ
書かれた場所: エルサレム(?)
書き終えられた年代: 西暦前460年ごろ
扱われている期間: 西暦前1037年-537年
1 エズラは歴代誌をいつ完成しましたか。どんな目的が考慮されていましたか。
歴代誌第一および第二は元々一巻の書とされていたので,背景,筆者,書かれた時期,正典性,および信ぴょう性に関して前の章で述べられた論議は,両書に当てはまります。提出された証拠によれば,エズラは歴代誌第二を西暦前460年ごろ,恐らくエルサレムで完成したものと思われます。エズラの目的は,失われる恐れのあった歴史的な資料を保存することでした。エズラには聖霊の助けはもとより,詳細な事柄を把握して選別する歴史家としての能力もあったので,恒久的で正確な記録を作ることができました。彼は歴史的な事実とみなせる資料を将来のために蓄えて置きました。エズラの仕事は極めて時宜を得たものでした。というのは,今や,何世紀にもわたって記録されてきた,ヘブライ語の神聖な書き物を集大成する必要もあったからです。
2 歴代誌の正確さを疑うべき理由がないのはなぜですか。
2 エズラの時代のユダヤ人は,エズラが霊感を受けて記した年代記から大いに益を受けました。それは彼らの教えのため,また忍耐するよう彼らを励ますために書かれました。彼らは聖書から得られる慰めによって希望を持つことができました。それらユダヤ人は歴代誌の書を聖書正典の一部として受け入れました。それが信頼できるものであることを知っていたのです。彼らはこれを霊感を受けて記されたほかの書き物や,エズラの参照した数多くの一般の歴史的な記述によって確認することができました。彼らは霊感を受けていない一般の歴史的な記述を滅びうせるにまかせましたが,歴代誌の書は注意深く保存しました。セプトゥアギンタ訳の翻訳者たちは歴代誌をヘブライ語聖書の一部として含めました。
3 他の聖句は歴代誌が信頼できるものであることをどのように示していますか。
3 イエス・キリストやクリスチャン・ギリシャ語聖書の筆者たちはこの書を信頼の置ける,霊感を受けたものとして受け入れました。イエスは,エルサレムのことをエホバの預言者や僕たちを殺す者,またこれを石打ちにする者として糾弾したとき,歴代第二 24章21節に記されているような出来事を考えておられたに違いありません。(マタイ 23:35; 5:12。歴代第二 36:16)ヤコブはアブラハムのことを「エホバの友」と呼んだとき,多分,歴代第二 20章7節のエズラの表現に言及していたと思われます。(ヤコブ 2:23)この書にはまた,まがうことなく成就した数々の預言も収められています。―歴代第二 20:17,24; 21:14-19; 34:23-28; 36:17-20。
4 考古学上のどんな発見が歴代誌第二の信ぴょう性を立証していますか。
4 考古学もまた,歴代誌第二の信ぴょう性を立証しています。古代バビロンの遺跡の発掘が行なわれた結果,ネブカドネザルの治世の時期と関係のある粘土板が出土し,その一つには「ヤフドの地の王ヤウキン」,すなわち「ユダの地の王エホヤキン」の名が記されています。a これはネブカドネザルの第7即位年にバビロンに捕囚として連れ去られたエホヤキンに関する聖書の記述とよく合致します。
5 歴代誌第二の中ではどの時代のことが扱われていますか。10部族の王国の歴史よりもむしろユダの歴史が特筆されているのはなぜですか。
5 歴代誌第二の記録は,西暦前1037年に始まるソロモンの治世から,エルサレムにエホバの家を再建するよう命じたキュロスの布告が西暦前537年に出される時に至るまで,ユダにおける出来事をたどります。500年に及ぶこの歴史の中で,10部族の王国のことは,それがユダの事柄に関係するときだけ言及されており,西暦前740年におけるその北の王国の滅亡は指摘されてさえいません。それはなぜですか。なぜなら,祭司エズラは主に,正当な場所である,エルサレムの神の家におけるエホバの崇拝とエホバが契約を結ばれたダビデの家系の者の治める王国のことを気遣っていたからです。こういうわけで,エズラは真の崇拝を支持し,ユダから出る支配者を期待して,南の王国に注意を集中します。―創世記 49:10。
6 歴代誌第二はどんな点で精神を高揚し,また人を鼓舞するものですか。
6 エズラは精神を高揚させる見方を取っています。歴代誌第二の36章のうち,最初の9章はソロモンの治世に当てられており,それらのうち6章はすべてエホバの家の準備と献納式に関する事柄に当てられています。その記録はソロモンの背信について述べるのを控えています。残りの27章のうち14章は,基本的にはエホバの崇拝に対するダビデの全き専心の模範に従った5人の王たち,すなわちアサ,エホシャファト,ヨタム,ヒゼキヤ,およびヨシヤのことを扱っています。ほかの13章の中でさえ,エズラは悪い王たちに見られる良い点を注意深く目立たせています。彼は常に真の崇拝の回復と保持に関連した出来事を強調しています。なんと人を鼓舞する記録なのでしょう。
歴代誌第二の内容
7 エホバはソロモンをどのように「並外れて大いなる者」とされますか。
7 ソロモンの治世の栄華(1:1-9:31)。歴代誌第二の冒頭では,ダビデの子ソロモンが王権の点で強さを増し加えてゆく様子が分かります。エホバは彼と共におられ,「彼を並外れて大いなる者としておられ」ます。ソロモンがギベオンで犠牲をささげると,エホバが夜,彼に現われて,「あなたに何を与えようか,願いなさい!」と言われます。ソロモンはエホバの民を正しく支配するための知識と知恵を願い求めます。このように利他的な態度で願い求めたため,神はソロモンに知恵や知識だけでなく,「あなたの前にいた王が持ったことのないほどの,そしてあなたの後の者が持つことのないほどの」富や財宝や誉れをも与えよう,と約束されます。その都に入って来る富は大変膨大なもので,やがてソロモンは「エルサレムで銀や金を石のように」するほどになります。―1:1,7,12,15。
8 神殿の工事はどのようにして始まりますか。その建造物の詳細について幾らか述べなさい。
8 ソロモンはエホバの家を建てる仕事のために労働者を徴用し,ティルスの王ヒラムは材木や,才能のある職人を派遣して協力します。その建設工事は「[ソロモンの]治世の第四年」に開始され,7年半後の西暦前1027年に完了します。(3:2)神殿そのものには,高さ120キュビト(53.4㍍)のそびえ立つ大きな玄関が前面に付けられています。その玄関の前には,二本の巨大な銅の柱が立っています。一方の柱は,「[エホバが]堅く立ててくださるように」という意味のヤキンと名付けられ,もう一方はボアズという名で呼ばれています。その名は「強さの点で」を意味するものと考えられています。(3:17)その家自体は比較的小さなもので,長さは60キュビト(26.7㍍),高さは30キュビト(13.4㍍),幅は20キュビト(8.9㍍)ですが,その壁と天井は金で覆われており,その一番奥の部屋,つまり至聖所それ自体は金で丹念に飾り付けられています。至聖所にはまた,二つの金のケルブが部屋の各々の側に一つずつ置かれており,その翼は向かい合って伸ばされ,中央部で触れ合っています。
9 中庭と神殿の備品や器具について述べなさい。
9 奥の中庭には,広さが20キュビト(9㍍)平方あり,高さが10キュビト(4.5㍍)ある巨大な銅の祭壇があります。中庭にあるもう一つの人目を引くものは鋳物の海,すなわち巨大な銅の鉢で,その鉢は,3頭ずつ別々の方向を向き,それぞれ外の方に向いている12頭の銅の雄牛の背中に載せられています。この海は「三千バト」(6万6,000㍑)の水を入れることができ,その水は祭司が身を洗うのに用いられます。(4:5)また,中庭には,銅の小さな鉢が10個,それぞれ装飾の施された銅の運び台の上に載せられており,焼燔の捧げ物に関係のあるものがその水ですすがれます。それらの鉢は鋳物の海からの水で満たされ,その水はどこでも必要とされるところに運ばれて行きます。加えて,黄金の燭台10基と,ほかに神殿で崇拝を行なうのに用いる,金や銅でできた数多くの器具もあります。b
10 箱が至聖所に運び入れられると,どんなことが起きますか。
10 7年半にわたる工事の後,ついにエホバの家は完成します。(列王第一 6:1,38)その奉献式の日は,エホバの臨在を象徴するものをその壮麗な建物の一番奥の部屋に運び入れる時でもあります。祭司たちは「エホバの契約の箱をその場所に,家の一番奥の部屋,すなわち至聖所に,ケルブの翼の下に」運びます。すると,どうなりますか。レビ人の歌うたいや楽士たちが合唱や合奏をしてエホバをたたえ,感謝すると,その家は雲で満たされ,祭司たちは立って奉仕することができなくなります。というのは,「エホバの栄光」がまことの神の家を満たすからです。(歴代第二 5:7,13,14)こうして,エホバはその神殿を承認したことを示し,そこにご自分が臨在しておられることを明らかにされます。
11 ソロモンはどんな祈りをささげますか。また,何を嘆願しますか。
11 この時のために高さ3キュビト(1.3㍍)の銅の演壇が築かれており,それは奥の中庭の巨大な銅の祭壇の近くに設けられています。神殿の献納式のために集まった大群衆は,この高められた場所に立つソロモンを見ることができます。栄光の雲によってエホバの臨在が奇跡的に明示されてから,ソロモンは群衆の前でひざまずき,感謝と賛美の感動的な祈りをささげます。その祈りには許しと祝福を求める一連の謙遜な願いの言葉が含まれています。そして,最後にこう嘆願します。「今,私の神よ,どうか,この場所に関する祈りにあなたの目が開かれ,あなたの耳が注意深くありますように。エホバ神よ,あなたの油そそがれた者の顔を退けないでください。どうか,あなたの僕ダビデに対する愛ある親切を思い起こしてください」― 6:40,42。
12 エホバはソロモンの祈りにどのように答えられますか。15日間のこの祝いはどんな喜ばしい雰囲気で終わりますか。
12 エホバはソロモンのこの祈りを聞き届けられますか。ソロモンが祈り終えるや,天から火が下って来て,焼燔の捧げ物や犠牲を焼き尽くし,「エホバの栄光が」家に満ちます。その結果,民は皆伏し拝み,エホバにこう感謝します。「神は善良な方で,その愛ある親切は定めのない時までも及ぶからで(す)」。(7:1,3)それから,ばく大な数の犠牲がエホバにささげられます。1週間にわたる献納式の宴の後に,1週間にわたる取り入れの宴が続き,仕事を休む安息日が訪れます。人を霊的に強める,この幸福な15日間の祝いの後に,ソロモンは民を自分たちの家に去らせ,人々は「喜びに満ち,心に快く感じながら」帰って行きます。(7:10)エホバもまた,喜ばれます。エホバはソロモンに対して王国契約を再確認し,同時に不従順のもたらす悲惨な結果をも警告されます。
13 (イ)神殿の工事の後に,どんな建設工事が続きますか。(ロ)ソロモンの王国を見たシェバの女王は何と語りますか。
13 ソロモンは今や,その領土の至る所で大規模な建設工事を行ない,自分自身のための宮殿だけでなく,防備の施された都市,倉庫の都市,兵車の都市,および騎手のための都市,それに建てたいと思うものをみな建設します。これは輝かしい繁栄と平和の時期です。なぜなら,王も民も共にエホバの崇拝を念頭に置いているからです。1,900㌔以上も離れた所にいるシェバの女王でさえ,ソロモンの繁栄と知恵について聞き,自ら実状を見るために,長い困難な旅行をします。彼女は落胆させられますか。決してそのようなことはありません。というのは,彼女はこう告白するからです。「私は来て,この目が見るまでは,彼らの言葉を信じませんでした。ご覧ください,私にはあなたの知恵の豊かさの半分も告げられていませんでした。あなたは私のお聞きしたうわさをしのいでおられます。何と幸いなのでしょう。あなたの部下たちは。何と幸いなのでしょう……あなたの僕たちは」。(9:6,7)地のほかの王たちで富や知恵の点でソロモンをしのぐ者は一人もいません。彼はエルサレムで40年間治めます。
14 イスラエルはどうしてそんなに早くその栄光を奪い去られるのですか。
14 レハベアムとアビヤの治世(10:1-13:22)。ヤラベアムのもとにあった北の10部族は,ソロモンの子レハベアムによる苛酷で圧制的な支配に憤慨して,西暦前997年に反乱を起こします。しかし,両王国の祭司たちやレビ人たちはレハベアムの側に立ち,国家主義よりも王国契約に対して忠節を示します。レハベアムは程なくしてエホバの律法を捨てたため,エジプトの王シシャクが攻め入り,エルサレムに侵入して,エホバの家からその財宝を奪い取ります。建設後30年そこそこしかたたないうちに,美しく飾られた壮麗なそれらの建物からその栄光が奪い去られるとは何と悲しいことでしょう。その理由は,この国が「エホバに対して不忠実に振る舞った」ことにあります。しかしレハベアムはすぐにへりくだるので,エホバはその国民を完全な滅びには陥れられません。―12:2。
15 レハベアムの死後,どんな戦いが起きますか。ユダはどうしてイスラエルに対して優勢になりますか。
15 レハベアムの死に際して,その28人の息子たちのうちの一人アビヤが王となります。アビヤの3年間の治世は,北のイスラエルとの血なまぐさい戦争で印づけられます。ヤラベアムの率いる軍勢80万に対してユダの軍勢は40万ですから,ユダは1対2の数で劣勢です。この後に起こるすさまじい戦いの際,イスラエルの戦士は半分以下に減少し,50万人にも上る子牛崇拝者たちが滅ぼされます。ユダの子らは「その父祖たちの神エホバに」頼るゆえに,優勢になります。―13:18。
16 エホバはアサの切実な祈りにどのようにお答えになりますか。
16 神を恐れるアサ王(14:1-16:14)。アビヤの後その子アサが跡を継ぎます。アサは真の崇拝の擁護者です。彼は偶像崇拝を除去して国を清める運動を起こします。しかし,ご覧なさい,ユダは100万人のエチオピア人で成る圧倒的な軍勢によって脅かされます。アサはこう祈ります。「私たちの神エホバよ,私たちを助けてください。確かに私たちはあなたに頼りますし,あなたのみ名によってこの群衆に向かって来たからです」。エホバは彼に大勝利を得させて,その祈りにお答えになります。―14:11。
17 アサはどのように励まされてユダで崇拝の仕方を改革しますか。しかし彼はどんなことで叱責されますか。
17 神の霊がアザリヤに臨んで,彼はアサにこう告げます。「あなた方がエホバと共にいる限り,神はあなた方と共におられます。もしあなた方が神を求めるなら,神はあなた方に見いだされるようにされます」。(15:2)大いに励まされたアサは,ユダで行なわれている崇拝を改革し,民は,だれでもエホバを求めようとしない者は殺されなければならないという契約を結びます。しかし,イスラエル人がユダに流入するのを食い止めるため,イスラエルの王バアシャが障壁となるものを築くと,アサはエホバに助けを求める代わりに,イスラエルと戦うためにシリアの王ベン・ハダドを雇うことによって重大な過ちを犯します。そのためにエホバは彼を叱責されます。それにもかかわらず,アサの心は「一生涯完全」でした。(15:17)彼はその治世の第41年に亡くなります。
18 (イ)エホシャファトは真の崇拝のためにどんな運動を行ないますか。どんな結果が得られますか。(ロ)その姻戚関係はどのように災いをもたらしそうになりますか。
18 エホシャファトの良い治世(17:1-20:37)。アサの子エホシャファトは偶像崇拝に対する戦いを続けると共に,教え諭す者たちをユダの諸都市の至る所へ旅行させ,エホバの律法の書から民に教えさせて,特別の教育運動を開始します。大いなる繁栄と平安の時代がこれに続き,「エホシャファトは発展し続け,並々ならぬほどに大いなる者となって」ゆきます。(17:12)しかし,それから彼はイスラエルの邪悪な王アハブと姻戚関係を結び,増大するシリア軍と戦うアハブを助けるために下って行き,エホバの預言者ミカヤの言葉を無視して行動し,アハブがラモト・ギレアデでの戦闘で殺される時,命からがら逃れます。エホバの預言者エヒウは,邪悪なアハブと提携したことでエホシャファトを叱責します。その後,エホシャファトは国の至る所に裁き人を任命し,神を恐れて自分たちの務めを果たすよう教え諭します。
19 エホシャファトの治世の最大の山場で,その戦いは神のものであることがどのように示されますか。
19 今や,エホシャファトの治世は最大の山場を迎えます。モアブ,アンモン,およびセイルの山地の連合軍が圧倒的な強さをもってユダに向かって来ます。彼らはエン・ゲディの荒野を通って大群となって上って来ます。恐怖が国民を襲います。エホシャファトとユダの人々は皆,「彼らの小さい者たち,妻たち,子らも」共にエホバの前に立ち,祈りのうちにエホバを求めます。すると,エホバの霊がレビ人ヤハジエルに臨み,彼は集合した群衆にこう呼びかけます。「ユダのすべての人々,エルサレムの住民およびエホシャファト王よ,注意を払いなさい。エホバはあなた方にこのように言われました。『あなた方はこの大群のゆえに恐れたり,おびえたりしてはならない。この戦いはあなた方のものではなく,神のものだからである。明日,彼らのところに攻め下れ。……エホバはあなた方と共にいるであろう』」。ユダの人々は朝早く起きて,レビ人の歌うたいを先頭にして進み出ます。エホシャファトは彼らを次のように励まします。「エホバを信じなさい。……その預言者を信じて,成功を収めなさい」。歌うたいたちは喜びにあふれてエホバをほめたたえ,「その愛ある親切は定めのない時までも及ぶからである」と言います。(20:13,15-17,20,21)エホバはその愛ある親切を驚嘆すべき仕方で表わし,侵入する軍隊に対して待ち伏せする者を設けられたため,彼らは同士討ちをして滅ぼし合います。歓喜したユダの人々は荒野にある物見の塔のところに行ってみると,ただしかばねしか見えません。本当にこの戦いは神のものです! エホシャファトは25年にわたるその治世の終わりまでエホバの前に忠実に歩み続けます。
20 どんな災いがエホラムの治世を特徴づけていますか。
20 エホラム,アハジヤ,およびアタリヤの悪い治世(21:1-23:21)。エホシャファトの子エホラムはその兄弟たちをみな殺して,悪い道を進み始めます。しかしエホバはダビデとのご自分の契約のゆえに彼を容赦されます。そのうちにエドムが反逆し始めます。エリヤはあるところから一通の手紙を書き送り,エホラムに対して,その家にエホバが大いなる一撃を加え,彼はひどい仕方で死ぬということを警告します。(21:12-15)預言にたがわず,フィリスティア人とアラブ人が侵入し,エルサレムで略奪を行ない,王は8年にわたる治世の後に忌まわしい腸の病気のために死にます。
21 ユダにおけるアタリヤの支配はどんなひどい事態をもたらしますか。しかし,エホヤダはどのようにしてダビデの王座を回復することに成功しますか。
21 エホラムのただ一人生き残った息子アハジヤ(エホアハズ)が彼の跡を継ぎますが,アハブとイゼベルの娘である,その母アタリヤの悪い影響を受けます。その治世は1年の後,エヒウの行なったアハブの家の粛正により急に終わります。ここにおいて,アタリヤはその孫たちを殺害し,王位を奪います。しかし,アハジヤの息子の一人が生き残ります。その一人とは,おばであるエホシャブアトによってエホバの家にひそかに連れ込まれた,1歳のエホアシュです。アタリヤは6年間治めますが,その後エホシャブアトの夫である大祭司エホヤダが勇敢にも年若いエホアシュを取り,これを「ダビデの子ら」の一人として王と宣します。アタリヤはエホバの家のところに来て,その衣服を引き裂き,「陰謀だ! 陰謀だ!」と叫びます。しかし,それは無駄です。エホヤダは彼女を神殿から追い出して,処刑させます。―23:3,13-15。
22 エホアシュの治世はどのように良い状態で始まりますか。しかし,どのように悪い状態で終わりますか。
22 エホアシュ,アマジヤ,およびウジヤの治世は各々良い状態で始まるが,悪い状態で終わる(24:1-26:23)。エホアシュは40年間治めます。エホヤダが生きていて,良い影響を及ぼしている間は,エホアシュは正しいことを行ないます。彼はエホバの家にも関心を払い,それを修復させます。しかしエホヤダが死ぬと,エホアシュはユダの君たちの影響を受けて,エホバの崇拝から離れ,聖木や偶像に仕えます。神の霊がエホヤダの子ゼカリヤを動かし,王を叱責させると,エホアシュはその預言者を石打ちにして殺させます。その後間もなく,少数のシリア人の軍勢が侵入しますが,はるかに大勢のユダの軍隊はその軍勢を追い返すことができません。なぜなら,彼らは「その父祖たちの神エホバを捨てた」からです。(24:24)今度はエホアシュ自身の僕たちが立ち上がり,彼を暗殺します。
23 アマジヤはどんな不忠実の型に従いますか。
23 アマジヤはその父エホアシュの跡を継ぎます。彼は29年間にわたる治世を良い状態で始めますが,後にエホバの恵みを失ってしまいます。なぜなら,彼はエドム人の偶像を立てて,これを崇拝するからです。エホバの預言者は,『神はあなたを滅びに陥れようと決意されました』と言って,彼に警告します。(25:16)しかし,アマジヤは高慢になり,北のイスラエルに挑戦します。神の言葉にたがわず,彼はイスラエル人の手にかかって屈辱的な敗北を喫します。その敗北後,陰謀を企てる者たちが立ち上がって彼を殺してしまいます。
24 ウジヤの強さはどのように彼の弱点となり,どんな結果をもたらしますか。
24 アマジヤの子ウジヤはその父の足跡に従います。彼は52年の大半の期間,良い仕方で治め,軍事上の天才,様々な塔の建築者,および「農耕を好む人」としての名声を得ます。(26:10)彼は軍隊の装備を整え,その機械化を図ります。ところが,彼の強さが彼の弱点となります。彼はごう慢になり,厚かましくもエホバの神殿で香をささげる祭司の務めを代行しようとします。そのために,エホバは彼を打ってらい病にならせます。その結果,彼はエホバの家からも,また王の家からも離れて,別個に生活しなければならなくなり,王の家ではその子ヨタムが彼に代わって民を裁きます。
25 ヨタムはなぜ成功しますか。
25 ヨタムはエホバに仕える(27:1-9)。ヨタムはその父とは違って,『エホバの神殿に侵入する』ようなことはしません。それどころか,「エホバの目に正しいことを行ない続け」ます。(27:2)その16年間の治世中,彼は多くの建設工事を行ない,またアンモン人の反乱を首尾よく鎮圧します。
26 アハズは前例のないどんな邪悪の深みに落ちますか。
26 邪悪な王アハズ(28:1-27)。ヨタムの子アハズはユダの21人の王たちのうち最も邪悪な者の一人となります。彼は自分の息子たちを異教の神々に焼燔の犠牲としてささげるという極端なことをします。そこで,エホバも彼をシリア,イスラエル,エドム,およびフィリスティアの軍隊に引き渡します。こうしてエホバは,アハズが『ユダで慎みのないことを起こるままにし,エホバに対して甚だ不忠実なことを行なっている』ゆえに,ユダを低くされます。(28:19)事態はますます悪化し,アハズはシリアの神々に犠牲をささげます。というのは,シリア人が戦いにおいて彼に勝っていたからです。彼はエホバの家の扉を閉ざし,エホバの崇拝をやめて,異教の神々の崇拝を行ないます。アハズの治世は短すぎるどころか16年もの後に終わります。
27 ヒゼキヤはエホバの崇拝に対する熱心さをどのように示しますか。
27 忠実なヒゼキヤ王(29:1-32:33)。アハズの子ヒゼキヤはエルサレムで29年間治めます。彼の最初の働きはエホバの家の扉を再び開き,それを修理することです。それから,祭司やレビ人たちを集め,神殿を清めてエホバへの奉仕のために神聖なものとするようにとの指図を彼らに与えます。彼はエホバの燃える怒りを元に戻らせるため,エホバと契約を結びたいと願っていることを言明します。こうして,エホバの崇拝はすばらしい仕方で再開されます。
28 ヒゼキヤはエルサレムで非常に大掛かりなどんな宴を執り行ないますか。民はどのように喜びを表明しますか。
28 大変大掛かりな過ぎ越しが計画されますが,第1の月にこれを準備する余裕がないため,律法の一つの規定を活用して,この過ぎ越しはヒゼキヤの治世の第1年の第2の月に祝われます。(歴代第二 30:2,3。民数記 9:10,11)王はユダのすべての人々だけでなく,イスラエルの人々をも出席するよう招きます。エフライム,マナセ,およびゼブルンのある人々はその招きをあざけりますが,ほかの人々はへりくだって,ユダのすべての人たちと共にエルサレムにやって来ます。過ぎ越しに続いて,無酵母パンの祭りが執り行なわれます。それは七日間にわたる何と喜ばしい宴なのでしょう。実際,それはたいへん人を築き上げるものだったので,全会衆はその宴をもう七日間延長させることにします。こう記されています。「エルサレムには大いなる歓びがあった。イスラエルの王ダビデの子ソロモンの時代からこのかた,このようなことはエルサレムにはなかったからである」。(歴代第二 30:26)霊的に回復した民は,続いてユダとイスラエルの両方から偶像崇拝を排除する大々的な運動を行ない,一方ヒゼキヤはレビ人や神殿の奉仕のための物質上の寄進が元通りに行なわれるよう取り計らいます。
29 エホバはご自分に対して絶対的信頼を示したヒゼキヤにどのように報われますか。
29 その後,アッシリアの王セナケリブがユダに侵入し,エルサレムを脅かします。ヒゼキヤは勇気を出して,都の防御施設を修理し,敵の嘲弄の言葉を無視します。彼はエホバに全き信頼を寄せ,助けを祈り求め続けます。エホバはこの信仰の祈りに劇的な仕方で答えられます。エホバは『ひとりのみ使いを遣わし,アッシリアの王の陣営にいたすべての勇敢で力のある者,指揮者,長たちをぬぐい去り』ます。(32:21)セナケリブは恥をかいて家に帰ります。その神々でさえ彼が面目を保つのを助けることはできません。というのは,彼は後に自分の息子たちによって,その祭壇の傍らで打ち殺されるからです。(列王第二 19:7)エホバは奇跡的な仕方でヒゼキヤの寿命を延ばします。そして,彼は大いなる富と栄光を持つようになり,その死に際してユダの人々はみな彼に敬意を表わします。
30 (イ)マナセはどんな邪悪な事柄に戻りますか。しかし彼が悔い改めた後,何が起きますか。(ロ)アモンの短い治世は何によって特徴づけられますか。
30 マナセとアモンは邪悪な仕方で治める(33:1-25)。ヒゼキヤの子マナセはその祖父アハズの邪悪な歩み方に戻り,ヒゼキヤの治世中に成し遂げられたすべての良いことを台なしにしてしまいます。彼は高き所を築き,聖柱を立て,その子らを偽りの神々に犠牲としてささげることさえします。ついにエホバはアッシリアの王をユダに攻めて来させ,マナセは捕囚の身となってバビロンへ連れ去られます。その地で彼は悪行を悔い改めます。エホバが憐れみを示して彼を王位に復帰させると,彼は悪霊崇拝を根絶することに努め,真の宗教を回復させます。しかし,マナセが55年にわたるその長い治世の後に死ぬと,その子アモンが王位に登り,よこしまにも偽りの崇拝を擁護します。2年の後,その僕たちが彼を殺してしまいます。
31 勇敢なヨシヤの治世中の目立った出来事を幾つか挙げなさい。
31 勇敢なヨシヤの治世(34:1-35:27)。アモンの子の一人である年若いヨシヤは,勇敢にも真の崇拝を回復させようと試みます。彼はバアルの祭壇や彫像を取り壊させ,エホバの家を修復します。そしてその家で,「モーセの手によるエホバの律法の書」,つまり恐らく原本と思えるものが見つかります。(34:14)それでも,すでに行なわれた不忠実な事柄のために,彼の時代にではないとはいえ,この国に災いの臨むことが義にかなったヨシヤに知らされます。その治世の第18年に,彼は際立った過ぎ越しの祝いを取り決めます。ヨシヤは31年にわたる治世の終わりに,エジプトの軍勢がユーフラテスに向かう途中,この国を通過するのを阻止しようとむなしく試みている最中に死にます。
32 最後の4人の王たちはどのようにユダをその悲惨な最期に遭わせることになりますか。
32 エホアハズ,エホヤキム,エホヤキン,ゼデキヤ,そしてエルサレムの荒廃(36:1-23)。ユダの最後の4人の王たちの邪悪さのゆえに,この国民はたちまち悲惨な終わりを迎えることになります。ヨシヤの子エホアハズはわずか3か月間支配しただけで,エジプトのファラオ・ネコによって退けられます。彼に代わってその兄弟エリヤキムが跡を継ぎ,その名をエホヤキムと改められます。そして,このエホヤキムの治世中にユダは新しい世界強国バビロンに服従させられます。(列王第二 24:1)エホヤキムが反逆すると,ネブカドネザルは西暦前618年に彼を罰するためエルサレムに向かって上って来ます。しかし,11年間治めたエホヤキムは,その同じ年に死にます。彼に代わってその18歳になる息子エホヤキンが後継者となりますが,このエホヤキンは3か月足らず治めた後,ネブカドネザルに降伏し,捕囚の身となってバビロンへ連れ去られて行きます。ネブカドネザルは今や,ヨシヤの3番目の息子である,エホヤキンのおじゼデキヤを王座に着かせます。ゼデキヤは11年間にわたって悪い仕方で治め,「エホバの命令による預言者エレミヤのゆえに」へりくだろうとはしません。(歴代第二 36:12)祭司たちや民も同様に不忠実なことを大規模に行なって,エホバの家を汚します。
33 (イ)70年間の荒廃は『エホバの言葉を成就するために』どのように始まりますか。(ロ)歴代誌第二の最後の2節にはどんな歴史的な布告が記録されていますか。
33 ついに,ゼデキヤはバビロンのくびきに対して反逆します。この度は,ネブカドネザルは少しも憐れみを示しません。エホバの憤りは満ち,いやされることはありません。エルサレムは崩壊し,その神殿は略奪され,焼き滅ぼされ,18か月に及ぶ攻囲に生き残った者たちは捕囚の身となってバビロンに連行されます。ユダは荒廃するままにされます。こうして,西暦前607年というこの年に,『エレミヤの口によるエホバの言葉を成就して……七十年を満了する』荒廃が始まります。(36:21)それから,この年代記作者はおよそ70年間のこの空白の期間を飛び越えて,最後の2節で西暦前537年に出されたキュロスの歴史的な布告を記録しています。ユダヤ人の捕らわれ人は解放されることになるのです! エルサレムは再起しなければなりません!
なぜ有益か
34 エズラの資料の選択の仕方は何を強調していますか。このことは,この国民にとってどのように有益でしたか。
34 歴代誌第二は西暦前1037年から537年までのこの多難な時期に関する,ほかの証人たちの証言に,強力な証言をさらに加えています。その上,この書は,例えば歴代第二 19章,20章,および29章から31章にあるような,他の正典の歴史的記録には見当たらない貴重な補足的情報を与えてくれます。エズラの資料の選択の仕方は,祭司職とその奉仕,神殿,および王国契約などの,この国民の歴史の中の基本的で恒久的な要素を強調するものでした。このことはユダヤ国民にメシアとその王国の希望を抱かせて,団結させるのに有益でした。
35 歴代誌第二の終わりの数節の中ではどんな重要な事柄が証明されていますか。
35 歴代誌第二の終わりの数節(36:17-23)は,エレミヤ 25章12節の成就を示す決定的な証拠を提供しており,加えて,満70年はこの国が完全に荒廃した時から西暦前537年にエホバの崇拝がエルサレムで回復した時までの年数を数えたものでなければならないことをも示しています。したがって,この荒廃は西暦前607年に始まります。c ―エレミヤ 29:10。列王第二 25:1-26。エズラ 3:1-6。
36 (イ)歴代誌第二にはどんな強力な訓戒の言葉が収められていますか。(ロ)この書は王国に関する期待をどのように強めますか。
36 歴代誌第二には,キリスト教の信仰を抱いて歩む人たちのための強力な訓戒の言葉が収められています。ユダの王たちの多くは最初は良かったものの,後に邪悪な道に陥りました。この歴史的な記録は,成功するかどうかが神に対する忠実さにかかっていることを何と強力に示す例なのでしょう。ですから,わたしたちは,「しりごみして滅びに至るような者ではなく,信仰を抱いて魂を生き長らえさせる者」であるようにという言葉を戒めとすべきです。(ヘブライ 10:39)忠実なヒゼキヤ王でさえ病気から回復すると,高慢になりました。彼がエホバの憤りを避けることができたのは,素早くへりくだったからにほかなりません。歴代誌第二はエホバの驚くべき特質を大いなるものとし,そのみ名と主権をほめたたえています。その歴史全体はエホバへの全き専心という観点に立って述べられています。その歴史はまた,ユダの王統を強調しており,忠節な「ダビデの子」イエス・キリストの永遠の王国のもとで清い崇拝が高められるのを見るという,わたしたちの期待を強めてくれます。―マタイ 1:1。使徒 15:16,17。
[脚注]
a 「聖書に対する洞察」(英文),第1巻,147ページ。
b 「聖書に対する洞察」(英文),第1巻,750,751ページ; 第2巻,1076-1078ページ。
c 「聖書に対する洞察」(英文),第1巻,463ページ; 第2巻,326ページ。
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聖書の15番目の書 ― エズラ記『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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聖書の15番目の書 ― エズラ記
筆者: エズラ
書かれた場所: エルサレム
書き終えられた年代: 西暦前460年ごろ
扱われている期間: 西暦前537年-467年ごろ
1 どんな預言はエルサレムの回復を保証していましたか。
バビロンの支配下に置かれたエルサレムに関して預言された70年間の荒廃は終わりに近づいていました。確かに,バビロンは捕らわれ人を決して解放しないということで評判でしたが,エホバの言葉はバビロンの力よりも強力であることが明らかにされようとしていました。エホバの民の解放は見えていました。倒されたエホバの神殿は再建され,エホバの祭壇は贖罪の犠牲を再び受けることになります。エルサレムは再びエホバの真の崇拝者たちの叫び声と賛美を知るようになります。エレミヤはその荒廃の期間の長さを預言していましたし,イザヤは捕らわれ人の解放がどのように生じるかを預言していました。イザヤは,高慢なバビロンを聖書歴史の第三世界強国の地位から引きずり降ろす『エホバの牧者』としてのペルシャのキュロスの名をさえ挙げていました。―イザヤ 44:28; 45:1,2。エレミヤ 25:12。
2 バビロンはいつ,またどんな状況のもとで倒壊しましたか。
2 この災いは,バビロンの王ベルシャザルとその大官たちが自分たちの悪霊の神々のために乾杯していた西暦前539年10月5日(グレゴリオ暦)の夜,バビロンに臨みました。その異教的な底抜け騒ぎに加えて,彼らはエホバの神殿から持ってきた聖なる器を泥酔のための杯として用いていました! キュロスがその夜,預言を成就するためにバビロンの城壁の外にいたのは,何とふさわしいことだったのでしょう。
3 キュロスのどんな宣言によって,エルサレムの荒廃が始まってから正確に70年後にエホバの崇拝を回復することが可能になりましたか。
3 この西暦前539年という年代は要となる年代,すなわち一般の歴史と聖書歴史双方と一致すると考えられる年代です。キュロスはバビロンの支配者としての第1年中に,「その全領域にあまねくお触れを出させ」,エルサレムに上って行ってエホバの家を再建することをユダヤ人に許可しました。この布告は西暦前538年の末か,西暦前537年の初めに出されたようです。a 忠実な残りの者はエルサレムに戻る旅をし,ユダとエルサレムがネブカドネザルによって荒廃させられてからちょうど70年になる,西暦前537年の「第七の月」(9月から10月に当たるティシュリ)に祭壇を立てて,最初の犠牲をささげるのに間に合いました。―エズラ 1:1-3; 3:1-6。
4 (イ)エズラ記にはどのような背景がありますか。だれが書きましたか。(ロ)エズラ記はいつ書かれましたか。それはどんな期間を扱っていますか。
4 回復! これこそエズラ記の背景を成している事柄です。7章27節から9章までの叙述には一人称の言葉が用いられていますが,これは筆者がエズラであることをはっきり示しています。エズラは「モーセの律法の熟練した写字生」であり,「エホバの律法を調べ,これを行ない……教えるよう心を定めていた」実行力の伴った信仰の人でしたので,歴代誌をも書き記したように,この歴史を記録する十分の資格を備えていました。(エズラ 7:6,10)エズラ記は歴代誌の続きなので,これは一般には同時に,つまり西暦前460年ごろ書き記されたと考えられています。この書は,ユダヤ人が「死の子ら」として示される,崩壊して散らされた国民だった時から,エズラのエルサレム帰還後,第二の神殿が完成し,祭司職が清められた時までの70年の期間の事を扱っています。―エズラ 1:1; 7:7; 10:17。詩編 102:20,脚注。
5 エズラ記とネヘミヤ記にはどんな関係がありますか。それはどんな言語で書かれましたか。
5 エズラというヘブライ語の名には「助け」という意味があります。エズラ記とネヘミヤ記は元来一つの巻き物を成していました。(ネヘミヤ 3:32,脚注)後に,ユダヤ人はこの巻き物を二つに分けて,それぞれ第一および第二エズラ記と呼びました。現代のヘブライ語の聖書はほかの現代の聖書がしているのと同じように,これら二つの書をそれぞれエズラ記およびネヘミヤ記と呼びます。エズラ記の一部(4:8から6:18および7:12-26)はアラム語で書かれ,残りはヘブライ語で書かれました。エズラはこれら両方の言語に熟達していたのです。
6 何がエズラ記の正確さを立証していますか。
6 今日,大多数の学者はエズラ記の正確さを認めています。エズラ記の正典性に関して,W・F・オルブライトは「考古学研究20年後の聖書」(英文)と題する論文の中で,こう書いています。「このように,考古学上の資料はエレミヤ書やエゼキエル書,エズラ記やネヘミヤ記が事実上本物であることを疑問の余地なく実証している。すなわち,それらの資料は種々の出来事に関して従来理解してきた事柄やその順序を確証している」。
7 エズラ記は確かに神聖な記録の一部であることがどのように示されていますか。
7 エズラ記はクリスチャン・ギリシャ語聖書の筆者によって直接に引用されたり,参照されたりしてはいないかもしれませんが,この書が聖書の正典のうちに位置を占めていることについては少しも疑問がありません。この書はユダヤ人に対するエホバの交渉の記録を,ヘブライ語聖書の目録がまとめられた時代に至るまで載せているのです。ユダヤ人の伝承によれば,その目録をまとめる仕事は主としてエズラによって完成されたと考えられています。さらに,エズラ記は回復に関するすべての預言の正しさを立証しており,それゆえにこの書は確かに神聖な記録の肝要な部分であると共に,この書はまた,その神聖な記録と完全に調和していることをも証明しています。その上この書は清い崇拝を尊重し,エホバ神の大いなるみ名を神聖なものとしています。
エズラ記の内容
8 70年間の荒廃の終わりに至るまでの一連の出来事を述べなさい。
8 残りの者が帰還する(1:1-3:6)。ペルシャの王キュロスはエホバによってその霊を奮い立たせられ,ユダヤ人は帰還して,エルサレムにエホバの家を建てるようにとの布告を出します。キュロスは,バビロンにとどまるユダヤ人たちを促して,この計画のために惜しみなく寄進を行なうよう勧め,帰還するユダヤ人が最初の神殿の器具を持ち帰るよう取り決めます。ユダの王族の出身の指導者で,ダビデ王の子孫であるゼルバベル(セシバザル)は,解放された人々を導く総督に任じられます。エシュア(ヨシュア)は大祭司です。(エズラ 1:8; 5:2。ゼカリヤ 3:1)男女子供を含め,4万2,360人を数えた,エホバの忠実な僕たちの残りの者は長途の旅を行ないます。彼らはユダヤ暦にしたがって第7の月までにそれぞれの都市に落ち着き,それから西暦前537年の秋にエルサレムに集まって,神殿の祭壇の場所で犠牲をささげ,仮小屋の祭りを執り行ないます。こうして,70年間の荒廃はまさしく時間通りに終わります!b
9 神殿の工事はどのように始まりますか。しかし,その後の何年かの間にどんなことが起きますか。
9 神殿を再建する(3:7-6:22)。資材は集められ,彼らの帰還後の第2年にエホバの神殿の土台は喜びの叫びと,以前の家を見たことのある年長者たちの泣き声との中で据えられます。敵対者である近隣の諸民族は,同じ神を求めていると言って,その建設を助けることを申し出ますが,ユダヤ人の残りの者は彼らとのいかなる協調関係をもきっぱり拒絶します。それら敵対者たちは,キュロスの治世からダリウスの治世に至るまで,引き続きユダヤ人の士気を弱め,意気阻喪させ,彼らの仕事を徒労に終わらせようとします。ついに,「アルタクセルクセス」(西暦前522年,バルディア,もしくは多分,ガウマタとして知られるマギ僧)の時代に,彼らは王の命令により,その工事を強制的に中止させました。この禁令は,土台が据えられてから15年余りもたつ,「ペルシャの王ダリウスの治世の第二年(西暦前520年)まで」続きます。―4:4-7,24。
10 (イ)神の預言者たちによる激励と王の命令とが相まって,工事はどのように完成を見ますか。(ロ)この第二の神殿の献納式はどんな喜びで特色づけられますか。
10 エホバは今や,ご自分の預言者ハガイとゼカリヤを遣わしてゼルバベルとエシュアを奮い立たせ,建設工事は新たな熱意をもって再開されます。敵対者たちはまたもや王に向かって苦情を申し立てますが,工事は勢いをそがれることなく続けられます。ダリウス1世(ヒスタスペス)はキュロスの出した最初の布告を参照した後,妨げられることなく工事を続けるように命じ,建設工事を促進するために資材を供給するよう反対者たちに命じることさえします。エホバの預言者たちから引き続き激励を受けた建築者たちは,5年足らずで神殿を完成します。これはダリウスの第6年のアダルの月,つまり西暦前515年の春近くのことで,建築全体を完了するのにおよそ20年を要しました。(6:14,15)今や,神の家は大いなる喜びのうちに,またふさわしい犠牲をもって奉献されます。それから,民は過ぎ越しを祝い,続いて「七日間,無酵母パンの祭りを歓んで」執り行ないます。(6:22)そうです,エホバに賛美となるこの第二の神殿の献納式は喜びと歓喜をもって特色づけられます。
11 王はエズラに対してどのように「その願いをみな」聞き入れますか。エズラはどんな反応を示しますか。
11 エズラはエルサレムに戻る(7:1-8:36)。それからほぼ50年が経過して,時は西暦前468年,すなわちペルシャの王アルタクセルクセス(その右手が左手よりも長かったために,ロンギマヌスとして知られる)の第7年となります。王は熟達した写字生であるエズラに,エルサレムで大いに必要とされている援助を差し伸べるため,その地まで旅行することに関して「その願いをみな」聞き入れます。(7:6)王はエズラに権限を与えるに当たり,彼と共に行くようユダヤ人を励まし,神殿で使うための銀や金の器,それに小麦,ぶどう酒,油,および塩などの生活物資を与えます。また,祭司や神殿で働く者たちには租税を免除します。王はまた,民を教える責任をエズラに負わせ,だれでもエホバの律法や王の律法を行なわない者は死罪に処されると言明します。エズラは王を通して愛ある親切がこのように表明されたことに対してエホバに深い感謝の念を抱きつつ,直ちに任命に従って行動を取ります。
12 エホバはその旅行の間,エズラの一行と共にいることをどのように示されますか。
12 この時点で,エズラはその記述を一人称を用いて,目撃証人による記録として書き始めます。彼は最後の指示を与えるために,帰還するユダヤ人をアハワ川のほとりに集め,すでに集まっていたおよそ1,500人の大人の男子の一団に何人かのレビ人を加えます。エズラは進もうとしている道筋に危険が伴うことを知ってはいますが,エホバに対する信仰の欠けた者と誤解されることがないよう,護衛隊を王に求めません。その代わりに断食をふれ告げ,宿営の者たちの先に立って神に懇願します。この祈りは聞き届けられ,エホバのみ手はその長い旅行中ずっと彼らの上にあります。こうして,彼らはその財宝(現代の価格にして4,300万㌦[約64億5,000万円]以上に相当する)をエルサレムのエホバの家に安全に運ぶことができます。―8:26,27,および脚注。
13 エズラはユダヤ人の中から汚れた状態を取り除く際,どのように行動しますか。
13 祭司職を清める(9:1-10:44)。しかし,回復された地に住んだ69年の間,万事がうまくいったわけではありません。エズラは,民や祭司やレビ人たちが,異教を奉ずるカナン人との雑婚を行なっているという憂慮すべき状態に気づきます。忠実なエズラはあ然とします。彼はその問題を祈りのうちにエホバのみ前に提出します。民は自分たちの悪行を告白し,エズラに「強くあって,行動してください」と願います。(10:4)彼はユダヤ人たちが神の律法に背いてめとった異国の妻たちを去らせ,3か月ほどの期間にその汚れた状態は清められます。―10:10-12,16,17。
なぜ有益か
14 エズラ記はエホバの預言について何を示していますか。
14 エズラ記はまず第一に,エホバの預言がたがうことなく成就する,その正確さを示している点で有益です。エルサレムの荒廃を非常に正確に予告していたエレミヤはまた,70年後のその回復をも予告していました。(エレミヤ 29:10)まさしく時をたがえずに,エホバは愛ある親切を示して,ご自分の民すなわち忠実な残りの者を,真の崇拝を行なわせるために約束の地に再び連れ戻されました。
15 (イ)回復された神殿はどのようにエホバの目的にかないましたか。(ロ)どんな点でそれには最初の神殿に見られた栄光はありませんでしたか。
15 回復された神殿は,エホバの崇拝をその民の中で再び高めるものとなり,真の崇拝を行ないたいとの願いを抱いてエホバに頼る人たちをエホバが驚くべき仕方で,また憐れみ深く祝福してくださることの証しとして立っていました。それにはソロモンの神殿の帯びていた栄光はありませんでしたが,神のご意志と調和してその目的にかないました。そこにはもはや有形の壮麗さは見られませんでした。その神殿はまた,とりわけ契約の箱がないので,霊的に貴重なものという点でも劣っていました。c また,ゼルバベルの神殿の奉献式は,ソロモンの時代の神殿の奉献式とは比べものになりませんでした。牛や羊の犠牲はソロモンの神殿でささげられた犠牲の数の1%にも達しませんでした。後代の家は以前の家の場合のように雲のような栄光で満たされたわけでもなく,エホバのもとから火が下って来て,焼燔の捧げ物を焼き尽くしたわけでもありません。しかし,これら両方の神殿はまことの神エホバの崇拝を高めるという重要な目的にかないました。
16 しかし,ほかのどんな神殿が栄光の点で地上の神殿に勝っていますか。
16 ゼルバベルの建てた神殿,モーセが造った幕屋,およびソロモンやヘロデの建てた神殿は,その特徴と共に,予型的なもの,つまり何かを絵画的に表わしたものです。これらの造営物は「人間ではなくエホバの立てた真の天幕」を表わしていました。(ヘブライ 8:2)この霊的な神殿は,キリストのなだめの犠牲に基づき,エホバに近づいて崇拝するための取り決めです。(ヘブライ 9:2-10,23)エホバの偉大な霊的な神殿は最高度の栄光を有しており,美しさや望ましさの点で比類のないものです。その光輝は色あせることがないばかりか,いかなる物質的な建造物のそれよりも勝っています。
17 エズラ記にはどんな貴重な教訓が収められていますか。
17 エズラ記には今日のクリスチャンにとって極めて貴重な価値のある教訓が収められています。その中には,エホバの業のために進んで捧げ物をするエホバの民のことが書かれています。(エズラ 2:68。コリント第二 9:7)わたしたちは,エホバをたたえる大会のためにエホバが必要なものを間違いなく備え,またそのような大会を祝福してくださることを学ぶことにより,励みが得られます。(エズラ 6:16,22)わたしたちは,エホバの崇拝を心から支持するために残りの者と共に上って行くネティニムや信仰のあるほかの外国人のうちにりっぱな模範を見いだします。(2:43,55)また,異教を奉ずる近隣の人々と雑婚するという誤った歩み方について忠告を受けた時,民が謙遜に悔い改めたことについても考えてください。(10:2-4)悪い交わりは神の不興を招く結果になりました。(9:14,15)神の業に対する喜びに満ちた熱心さは,神の是認と祝福をもたらしました。―6:14,21,22。
18 エホバの民の回復は,どうして王なるメシアの出現に通じる一つの重要な段階であったと言えますか。
18 エルサレムのエホバの王座にもはや王は座していませんでしたが,その回復はエホバがやがてダビデの家系から約束の王を生み出されるという期待を起こさせました。回復した国民は今や,神の神聖な宣言と崇拝をメシアの現われる時代まで守ることができるようになりました。もしも,この残りの者が信仰を抱いてこたえ応じ,自分たちの土地に戻らなかったなら,メシアはだれのもとに来たでしょうか。確かに,エズラ記に書かれている出来事は王なるメシアの出現の時にまで至る歴史の重要な部分です! それはすべて今日のわたしたちの研究にとって極めて有益です。
[脚注]
a 「聖書に対する洞察」(英文),第1巻,452-454,458ページ。
b 「聖書に対する洞察」(英文),第2巻,332ページ。
c 「聖書に対する洞察」(英文),第2巻,1079ページ。
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聖書の16番目の書 ― ネヘミヤ記『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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聖書の16番目の書 ― ネヘミヤ記
筆者: ネヘミヤ
書かれた場所: エルサレム
書き終えられた年代: 西暦前443年以後
扱われている期間: 西暦前456年-443年以後
1 ネヘミヤは信任を受けるどんな地位についていましたか。その思いの中で最も重要なものは何でしたか。
「ヤハは慰めてくださる」という意味の名を持つネヘミヤは,ペルシャの王アルタクセルクセス(ロンギマヌス)に仕えるユダヤ人の僕でした。彼は王の献酌官でした。これは大きな信任を受けた誉れある地位で,人々が望む地位でした。というのは,王が楽しい気分になって,喜んで恵みを与えるような時に王に近づくことのできる地位であったからです。しかしネヘミヤは,どんな個人的な『歓びの理由』にもまさってエルサレムを好んだ忠実な流刑囚の一人でした。(詩編 137:5,6)ネヘミヤの考えの中で最も重要であったのは,地位や物質上の富ではなく,エホバの崇拝の回復ということでした。
2 どんな惨めな状態がネヘミヤを悲しませましたか。しかし,定められたどんな時が近づいていましたか。
2 西暦前456年,「捕囚を免れて残った」人々,すなわちエルサレムに戻って来たユダヤ人の残りの者は繁栄してはいませんでした。彼らは嘆かわしい状態にありました。(ネヘミヤ 1:3)都の城壁はがれきと化しており,民は,いつも付きまとう敵対者たちの目に笑いものと映りました。ネヘミヤは悲しみました。しかし,それはエルサレムの城壁に関して何かがなされるべきエホバの定められた時でした。敵がいようといまいと,防御壁を備えたエルサレム市は,メシアの到来に関してエホバがダニエルにお与えになった預言に関連して時を明示するものとして建て直されなければなりませんでした。(ダニエル 9:24-27)そこで,エホバは物事を動かし,忠実で熱心なネヘミヤを用いて,ご自分の聖なる意志を遂行させました。
3 (イ)ネヘミヤが筆者であることを何が証明していますか。この書はどのようにしてネヘミヤ記と呼ばれるようになりましたか。(ロ)この書とエズラ記との間にはどれほどの時間的な隔たりがありますか。ネヘミヤ記はどれほどの期間を扱っていますか。
3 ネヘミヤは確かに,その名の付されているこの書の筆者です。「ハカルヤの子ネヘミヤの言葉」という冒頭の陳述や,一人称で書かれているということは,そのことをはっきり示しています。(ネヘミヤ 1:1)元々,エズラ記とネヘミヤ記の両書はエズラと呼ばれる一巻の書でした。後に,ユダヤ人はその書を第一および第二エズラ記と分け,さらに後になって第二エズラ記はネヘミヤ記として知られるようになりました。エズラ記の終わりの出来事とネヘミヤ記の冒頭の出来事との間には約12年の隔たりがあります。そして,このネヘミヤ記の歴史の記録はその後,西暦前456年の終わりから前443年より後にまで及ぶ期間を扱っています。―1:1; 5:14; 13:6。
4 ネヘミヤ記は聖書の他の部分とどのように調和しますか。
4 ネヘミヤ記は霊感を受けた聖書の他の部分と調和しており,聖書の中の正当な書の一つとなっています。この書には,異国の者との姻戚関係(申命記 7:3。ネヘミヤ 10:30),貸し付け(レビ記 25:35-38。申命記 15:7-11。ネヘミヤ 5:2-11),および仮小屋の祭り(申命記 31:10-13。ネヘミヤ 8:14-18)などの事柄に言及して,暗に律法を指している箇所が多数含まれています。さらにこの書は,エルサレムが反対を受けながら「苦境の時に」建て直されるというダニエルの預言の成就の始まりを示しています。―ダニエル 9:25。
5 (イ)アルタクセルクセスの即位年は,どんな資料から得られる証拠によって西暦前475年であることが正確に定められていますか。(ロ)同王の第20年となるのはどの年ですか。(ハ)ネヘミヤ記とルカによる書は,メシアに関する預言の驚くべき成就という点で,ダニエルの預言の成就とどのように関連していますか。
5 ネヘミヤが都の城壁を再建するためにエルサレムに旅をした,西暦前455年という年代についてはどうですか。ギリシャ,ペルシャ,およびバビロニアの資料から得られる信頼できる歴史的な証拠は,西暦前475年をアルタクセルクセスの即位年として,また西暦前474年をその在位第1年として指摘しています。a このことからアルタクセルクセスの第20年は,西暦前455年となります。ネヘミヤ 2章1節から8節の示すところによれば,王の献酌官であったネヘミヤがエルサレムとその城壁と門を再興し,再建するようにとの許可を王から受けたのは,同年の春,ユダヤ人のニサンの月でした。ダニエルの預言によれば,「エルサレムを修復して建て直せという言葉が発せられてから指導者であるメシアまで」の期間は69週年,つまり483年に及びます。この預言は,イエスが西暦29年に油そそがれた時に驚くべき成就を見ました。この年代は一般の歴史と聖書の歴史の双方と一致します。b (ダニエル 9:24-27。ルカ 3:1-3,23)確かに,ネヘミヤ記とルカによる書は,驚くべき仕方でダニエルの預言と一致しており,エホバ神が真の預言の創始者で,またその成就者であられることを示しています! ネヘミヤ記は確かに,霊感を受けた聖書の一部です。
ネヘミヤ記の内容
6 (イ)どんな報告に接したためにネヘミヤはエホバに祈るようになりますか。王はどんな願いを聞き届けますか。(ロ)ユダヤ人はネヘミヤの計画にどのようにこたえ応じますか。
6 ネヘミヤはエルサレムに派遣される(1:1-2:20)。エルサレムからシュシャンに戻って,エルサレムのユダヤ人の厳しい窮状や城壁や門の崩れ落ちた状態についての便りをもたらしたハナニからの報告に接して,ネヘミヤは大変悩みます。彼は断食をし,「天の神……ご自分を愛し,そのおきてを守る者たちに対しては契約と愛ある親切を守ってくださる,大いなる,畏怖の念を起こさせる神」エホバに祈ります。(1:5)彼はイスラエルの罪を告白し,エホバがモーセに約束された通り,そのみ名のゆえにご自分の民を思い起こしてくださるようエホバに嘆願します。(申命記 30:1-10)憂うつな表情をしている理由を王に尋ねられたネヘミヤは,エルサレムの状態について話し,都に戻って,その都と城壁を再建する許可を願い求めます。その願いは聞き届けられ,彼は直ちにエルサレムに向かって旅をします。ネヘミヤは前途の仕事をよく知るために,夜のうちに都の城壁を視察し,それに続いて,自分の計画をユダヤ人に知らせ,このことで神のみ手が働いていることを強調します。ここにおいて彼らは,「立ち上がって,ぜひ建てることにしましょう」と言います。(ネヘミヤ 2:18)近隣のサマリア人やそのほかの人々は,工事が始まったことを聞くと,あざ笑ったり,ばかにしたりするようになります。
7 業はどのようにして進められますか。どんな事情のために再組織が必要になりますか。
7 城壁は再建される(3:1-6:19)。城壁の工事は第5の月の三日に始まり,祭司,君たち,および民が一緒にその労働に加わります。そして都の種々の門とその間の城壁は急速に修復されてゆきます。ホロン人サンバラテはこう嘲弄します。「この弱々しいユダヤ人たちは何をしているのか。……一日でし終えようとするのか」。これに対して,アンモン人トビヤは次のようにその嘲笑の言葉を加えます。「彼らの建てているものなら,一匹のきつねが上って行ってこれを攻めても,必ずその石の城壁を打ち壊すだろう」。(4:2,3)城壁がその高さの半分ほどに達するころ,結束した敵対者たちは怒りをつのらせ,エルサレムに上って行って,これに対して戦いを仕掛けようと企てます。しかしネヘミヤは,「偉大で,畏怖の念を起こさせる方なるエホバ」を覚え,自分たちの家族や家のために戦うようユダヤ人に説き勧めます。(4:14)緊迫した事態に対処するため,業は再組織され,ある人々は小槍を持って見張りをする一方,他の人々は剣を腰に帯びたまま仕事をします。
8 ネヘミヤはユダヤ人自身の間の問題をどのように取り扱いますか。
8 しかし,ユダヤ人自身の間にも問題があります。一部の人々はエホバの律法に反して,仲間の崇拝者たちに金を貸しては高利を取り立てています。(出エジプト記 22:25)ネヘミヤは事態を正し,物質主義を戒める助言を与え,民は快くそれに応じます。ネヘミヤ自身,西暦前455年から同443年までの総督在任12年の全期間中,民に課せられていたつらい奉仕のゆえに,総督の受けるべきパンを決して要求しません。
9 (イ)ネヘミヤは建築を中止させようとするこうかつな策略にどのように対処しますか。(ロ)城壁はどれほどの時間がかかって完成しますか。
9 敵は今や,建築を中止させようとして,さらにこうかつな策略を試みます。彼らは話し合いのために下って来るようネヘミヤを誘いますが,彼は当面行なっている大きな仕事を休むわけにはいかないと返答します。サンバラテは今や,ネヘミヤが反逆を企て,ユダで自らを王とするようにたくらんでいるとして非難し,あるユダヤ人をひそかに雇い,ネヘミヤを恐れさせて,神殿に隠れるという不当なことをさせようとします。ネヘミヤはおじけづくようなことはなく,穏やかに,また従順に神から割り当てられた仕事に励みます。城壁は「五十二日かかって」完成します。―ネヘミヤ 6:15。
10 (イ)民はどこで生活していますか。どんな記録が行なわれますか。(ロ)今やどんな大会が召集されますか。最初の日のプログラムでは何が行なわれますか。
10 民を教え諭す(7:1-12:26)。都のうちにはわずかな民しかおらず,家もわずかしかありません。というのは,イスラエル人のほとんどは自分たちの部族の相続地にしたがって都の外で生活しているからです。神はネヘミヤを導いて,高貴な人々や民をすべて集めさせ,彼らを系図に記録させます。そうする際,彼はバビロンから戻って来た人々の記録を調べます。次いで,“水の門”の傍らの公共広場で,八日間にわたる大会が召集されます。エズラは木製の演壇に立ってプログラムを司会し始めます。彼はエホバをほめたたえ,次いで夜明けから真昼までモーセの律法の書を読みます。彼はほかのレビ人たちから有用な援助を受け,それらレビ人は民に律法を説明し,「書,すなわちまことの神の律法を朗読し続け,それは説き明かされ,それに意味を付すことがなされ,こうして彼らはその読むところの理解を得させ」てゆきます。(8:8)ネヘミヤは民に,祝宴にあずかり,喜び,『エホバの喜びはあなた方のとりでです』という言葉の真意を味わうように促します。―8:10。
11 二日目にはどんな特別の集会が執り行なわれますか。大会はどのように歓びのうちに進行しますか。
11 この大会の二日目に,民の頭たちは,律法に対する洞察を得るため,エズラと共に特別の集会を持ちます。彼らはほかならぬこの第7の月に執り行なわれるべき仮小屋の祭りについて学び,エホバに対するこの宴のために直ちに仮小屋を造るよう取り決めます。彼らは七日間仮小屋に住んで,律法が読まれるのを毎日聞くので,「非常に大きな歓び」があります。八日目に,彼らは「定めにしたがって」聖会を執り行ないます。―ネヘミヤ 8:17,18。レビ記 23:33-36。
12 (イ)同じ月の後の日に,どんな大会が執り行なわれますか。それはどんな主題で行なわれますか。(ロ)どんな決議が採択されますか。(ハ)エルサレムに住民を住まわせる,どんな取り決めが設けられますか。
12 同じ月の24日に,イスラエルの子らは再び集まり,次いですべての異国の者から離れます。彼らは律法の特別の朗読を聴き,その後,レビ人の一団がイスラエルとの神の交渉を,心を探るような仕方で回顧するのを聴きます。次の言葉はその主題となっています。「立ち上がって,定めのない時から定めのない時までもあなた方の神エホバをほめたたえなさい。そして彼らが,すべての祝福と賛美に勝って高められている,あなたの栄光あるみ名をほめたたえますように」。(ネヘミヤ 9:5)続いて彼らは自分たちの父祖たちの罪を告白し,謙遜にエホバの祝福を請い求めます。これは国民の代表者たちの印によって証明された決議文の形を取っています。その一群の人々は全員,その地の諸民族との雑婚を避け,安息日を守り,神殿での奉仕や働き人のために必要なものを備えることに同意します。また,くじによって10人に一人がエルサレムの城壁の内側に永住するよう選ばれます。
13 大会のどんなプログラムが城壁の献納式を特色づけていますか。その結果,どんな取り決めが設けられますか。
13 城壁は献納される(12:27-13:3)。新たに建てられた城壁の献納式は,歌と歓びの時となります。それはもう一つの大会を開く時です。ネヘミヤは二組の大きな感謝式の合唱隊と行列を取り決め,それぞれ反対方向に城壁の上を歩かせ,最後にエホバの家で犠牲をささげることに一緒に加わらせます。神殿で仕える祭司やレビ人たちを支えるための物質上の寄進を行なう取り決めも設けられます。さらに聖書の朗読が行なわれてゆくと,アンモン人やモアブ人は会衆に入らせるべきではないことが明らかになります。そこで,彼らは入り混じった集団の者をみなイスラエルから取り分けるようになります。
14 ネヘミヤの留守中に生じた悪習と,それを除去するために彼が講じた処置について述べなさい。
14 汚れを一掃する(13:4-31)。それからしばらくの間バビロンに行って留守をした後,ネヘミヤはエルサレムに戻り,新たな悪習がユダヤ人の中に忍び込んでいることに気づきます。物事は何と早く変わってしまったのでしょう。大祭司エルヤシブは神殿の中庭に大食堂まで造って,神の敵の一人であるアンモン人トビヤに使わせていました。ネヘミヤは少しも時を無駄にせず,トビヤの家具を投げ出し,大食堂をみな清めさせます。彼はまた,レビ人への物質上の寄進物が寄せられなくなったので,生計を立てるために彼らがエルサレムの外へ出かけて行くようになっていることに気づきます。都の中では商業主義がはびこっています。安息日は守られていません。ネヘミヤは彼らに,「あなた方は安息日を汚すことによって,イスラエルに対して燃える怒りを増し加えているのです」と語ります。(13:18)彼は安息日に都の門を閉ざして貿易商たちを締め出し,都の城壁のところから去るよう彼らに命じます。しかし,それよりもさらに悪いこと,つまり彼らが二度としないと厳粛に合意したことが行なわれているのです。彼らは異教を奉ずる異国の妻たちを都の中に連れて来ていました。その結婚で生まれた子供たちは,ユダヤ人の言葉をもうすでに話さなくなっています。ネヘミヤは,ソロモンが異国の妻たちのために罪を犯したことを彼らに思い起こさせます。この罪のゆえに,ネヘミヤは大祭司エルヤシブの孫を追い出します。c それから彼は,祭司職とレビ人の仕事を正常な状態に整えます。
15 ネヘミヤはどんな謙虚な願いを述べますか。
15 ネヘミヤはその書を,「私の神よ,どうか,益となりますように,私を覚えてください」という簡潔で謙虚な願いの言葉をもって書き終えます。―13:31。
なぜ有益か
16 ネヘミヤはどんな点で,正しい崇拝を愛する人々すべてにとってすばらしい模範ですか。
16 ネヘミヤの示した敬虔な専心は,正しい崇拝を愛するすべての人々に感化を与えるものとなるはずです。彼はエホバの民の中で謙遜な監督となるために恵まれた地位を捨てました。彼は自分の権利として要求できる物質上の寄進物をさえ拒み,わなとなる物質主義を徹底的に非難しました。エホバの崇拝を熱心に追い求め,またそれを保持することこそ,ネヘミヤが国民全体のために唱道した事柄でした。(5:14,15; 13:10-13)ネヘミヤは全く利他的で,思慮深くて,行動の人であり,危険に直面しても恐れることなく義を擁護するという点で,わたしたちにとってすばらしい模範となる人物でした。(4:14,19,20; 6:3,15)彼は神に対する正しい恐れを抱いており,信仰の点で仲間の僕たちを築き上げることに関心を抱いていました。(13:14; 8:9)そして,真の崇拝や,異教徒との結婚に関する事柄などの外国の影響を排除することなどが関係している場合は,特にエホバの律法を精力的に適用しました。―13:8,23-29。
17 ネヘミヤはまた,神の律法の知識とその適用という点でも,どのように模範となっていますか。
17 ネヘミヤがエホバの律法について十分の知識を持っており,またそれを十分に活用していたということは,この書全体を通して明らかです。彼は自分のためにエホバが忠節に行動してくださるという全き信仰を抱いて,申命記 30章1節から4節に記されているエホバの約束ゆえに,神の祝福を祈り求めました。(ネヘミヤ 1:8,9)彼は数多くの大会を取り決めましたがそれは主として,以前に書き記された事柄をユダヤ人に知らせるためでした。ネヘミヤとエズラは律法を読む際,神のみ言葉を民にはっきりと理解させ,また自らそれを適用して徹底的に実行する点で勤勉でした。―8:8,13-16; 13:1-3。
18 ネヘミヤの祈りのこもった指導は,すべての監督たちにどんな教訓を銘記させるでしょうか。
18 エホバに対するネヘミヤの全き信頼と彼の謙遜な請願は,祈りを込めて神に頼る同様の態度を培うよう,わたしたちを励ますものとなるはずです。彼の祈りがどのように神の栄光をたたえ,民の罪を認めていることを表わし,またエホバのみ名が神聖なものとされるよう請願するものであったかに注目してください。(1:4-11; 4:14; 6:14; 13:14,29,31)この熱心な監督が神の民の中にあって勇気を持たせる力ある存在であったことは,彼らがその賢明な指導に進んで従ったことや,彼と共に神のご意志を行なって喜びを見いだしたことからも分かります。それは確かに人を奮い立たせる模範です! しかし,賢い監督が留守の間に,物質主義,腐敗,およびあからさまな背教が何と早く忍び込んだのでしょう。確かにこれは,今日の神の民の中のすべての監督たちに,クリスチャンの兄弟たちの益のために生気にあふれ,目ざとくあり,熱心に行動し,また真の崇拝の道に兄弟たちを導く点で理解と確固とした態度を示す必要のあることを銘記させるものと言えるでしょう。
19 (イ)ネヘミヤは王国の約束に対する確信を強めるために神のみ言葉をどのように用いましたか。(ロ)王国の希望は今日の神の僕たちをどのように鼓舞しますか。
19 ネヘミヤは神のみ言葉にしっかり頼っていることを示しました。彼は聖書の熱心な教え手であったばかりではありません。回復した神の民の中で系図に基づく相続地や祭司やレビ人たちの奉仕を確立するのにも聖書を用いました。(ネヘミヤ 1:8; 11:1-12:26。ヨシュア 14:1-21:45)これはユダヤ人の残りの者にとって大きな励みとなったに違いありません。それは胤に関して以前に与えられた壮大な約束や,神の王国のもとで生ずるより大いなる回復に対する彼らの確信を強めるものとなりました。神の僕たちが王国の関心事のために勇敢に戦い,全地にわたって真の崇拝を確立するために忙しく働くよう鼓舞するのは,その王国の回復に対する希望なのです。
[脚注]
a 「聖書に対する洞察」(英文),第2巻,613-616ページ。
b 「聖書に対する洞察」(英文),第2巻,899-901ページ。
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聖書の17番目の書 ― エステル記『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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聖書の17番目の書 ― エステル記
筆者: モルデカイ
書かれた場所: エラムのシュシャン
書き終えられた年代: 西暦前475年ごろ
扱われている期間: 西暦前493年-475年ごろ
1 エステル記ではどんな物語が展開しますか。
一部の人々からはクセルクセス1世ではないかと考えられている,ペルシャの王アハシュエロスの物語がここに簡潔に述べられています。彼の不従順な妻ワシテは,モルデカイのいとこであるユダヤ婦人エステルに取って代わられます。アガグ人ハマンはモルデカイとユダヤ人の皆殺しをたくらみますが,自分で用意した杭に掛けられ,一方モルデカイは首相に昇進し,ユダヤ人は救出されます。
2 (イ)ある人はエステル記が霊感を受けて記されたことをなぜ疑っていますか。(ロ)神のみ名はエステル記の中でどんな形で用いられていると考えられますか。
2 エステル記は霊感を受けて記されたのでもなければ,有益でもなく,単なる美しい伝説にすぎないと言いたい人ももちろんいます。それらの人は,神のみ名が出ていないことを理由にして,そのように主張します。確かに神のことは直接述べられてはいませんが,ヘブライ語本文には,四文字語<テトラグラマトン>の折り句,つまり,一連の四つの語の頭文字がYHWH(ヘブライ語,יהוה),すなわちエホバとつづられる箇所が四つあるようです。これらの頭文字は少なくとも三つの古代ヘブライ語写本の中で特に目立つようにされており,またマソラの中では赤い文字で印づけられています。また,エステル 7章5節には,「わたしは……となる」という神の宣言の折り句があるようです。―エステル 1:20; 5:4,13; 7:7,それに7:5の脚注もご覧ください。
3 神に対する信仰が保たれており,神に対する祈りがささげられていたことをどんな出来事が示していますか。また,神が物事を動かしておられたことをどんな出来事が示唆していますか。
3 モルデカイがエホバの律法を受け入れるとともに,それに従っていたことは,この書の記録を通じて極めて明らかです。彼はアマレク人だったと思われる人物に敬意を表すために身をかがめるようなことはしませんでした。神はアマレク人の絶滅を定めておられたのです。(エステル 3:1,5。申命記 25:19。サムエル第一 15:3)エステル 4章14節にあるモルデカイの言葉は,彼がエホバからの救出を期待していたこと,また事の成り行き全体は神が導いてくださるという信仰を持っていたことを示しています。エステルが王のもとに入る前に三日間,断食をしたこと,それと共に,ほかのユダヤ人も同様にしたことは,神に信頼していたことを示しています。(エステル 4:16)エステルが女たちの守護者ヘガイの目に恵みを得たこと,また王がある夜,眠れなくなり,公式の記録を持って来させ,モルデカイが以前の善行に対して名誉を与えられていないのを知ったことも,神が物事を動かしておられたことを示唆しています。(エステル 2:8,9; 6:1-3。箴言 21:1と比較してください。)また,「断食と援助を求める叫びに関する事柄」という言葉は,確かに祈りのことをほのめかしています。―エステル 9:31。
4 エステル記の記録が信頼の置ける,事実に基づいたものであることは,どのように確証されていますか。
4 多くの事実はこの書の記録が信頼の置ける,事実に基づいたものであることを確証しています。この記録はユダヤ人によって受け入れられており,彼らはこの書を簡単に,「巻いたもの,または巻き物」という意味の「メギッラー」と呼びました。この書はエズラによってヘブライ語正典の中に含められたものと思われます。作り話なら,確かにエズラはそれを退けたに違いありません。ユダヤ人は今日に至るまで,エステルの時代における大いなる救出を祝って,プリム,すなわちくじの祝日を祝っています。この書はペルシャ人の生活様式や習慣を真に迫った筆致で,また歴史や考古学上の発見にかかわる周知の事実と一致した仕方で述べています。例えば,エステル記には,ペルシャ人が人に敬意を表する仕方が正確に描かれています。(6:8)考古学上の発掘調査により,エステル記に見られる王宮の描写はごく詳細な点に至るまで正確であることが明らかにされてきました。a ―5:1,2。
5 どんな正確さがエステル記の記述に真実性という特徴を付与していますか。その言語はどの時代と合致しますか。
5 こうした正確さはまた,廷臣や従者たちの名をさえ注意深く挙げ,ハマンの10人の息子の名まで述べているその記述そのものからも分かります。モルデカイとエステルの血筋はベニヤミンの部族のキシュまでたどられています。(2:5-7)ペルシャ政府の公式の記録のことも言及されています。(2:23; 6:1; 10:2)この書の言語は後代のヘブライ語で,ペルシャ語やアラム語の言葉や表現が数多く加えられており,その文体は歴代誌,エズラ記,およびネヘミヤ記の文体と一致しているので,この書が書き記された時代と完全に合致します。
6 (イ)エステル記はどれほどの期間を扱っていることが示されていますか。(ロ)証拠は筆者ならびに書かれた場所や時期に関してどんなことを示唆していますか。
6 エステル記の出来事の背景は強力なペルシャ帝国がその最盛期にあった時代に置かれており,その記録はアハシュエロス(クセルクセス1世)の治世の約18年間のことを扱っていると考えられています。その時代が西暦前475年ごろにまで及んでいることは,ギリシャ,ペルシャ,およびバビロニアの資料から得られる証言によって示されています。b 目撃証人で,この記述の主要な人物でもあるモルデカイが恐らくこの書の筆者であることは,まず間違いないでしょう。個人的な体験に基づくその詳細な記述は,筆者がシュシャンの王宮でそれらの出来事を実際に経験したに違いないことを示しています。c モルデカイのことは聖書中のほかのどの書にも指摘されてはいませんが,彼が歴史上実在した人物であったことは疑問の余地がありません。興味深いことに,年代の分からないある楔形文書が発見され,ドイツのA・ウングナドの説明によれば,その文書はクセルクセス1世の治世中のスサ(シュシャン)の宮廷の一高官であるマルドゥカ(モルデカイ?)のことに言及しています。d 恐らくモルデカイはそのシュシャンで,エステル記の出来事の記録をそれが起きた直後に,すなわち西暦前475年ごろに書き終えたに違いありません。
エステル記の内容
7 アハシュエロスの宴会でどんな重大な事態が生じますか。その結果,王はどんな処置を取りますか。
7 王妃ワシテは退位させられる(1:1-22)。それはアハシュエロスの治世の第3年のことです。彼は自分の帝国の役人たちのために盛大な宴会を催し,180日間,自分の王国の富と栄光を彼らに示します。次に,シュシャンの人々すべてのための七日間の豪華な宴が設けられます。同時に,王妃ワシテも婦人たちのための宴会を催します。王は自分の富や栄華を誇り,ぶどう酒を飲んで上機嫌になり,ワシテを連れて来させ,その麗しさを民や君たちに見せるよう彼女に求めます。王妃ワシテはそうしようとはしません。この悪い手本は帝国中で王の面目を失わせる恐れがあることを指摘する廷臣たちの助言を受けたアハシュエロスは,ワシテを王妃の地位から退かせ,妻たちすべてには「その所有者に敬意を表する」ことを,夫たちにはみな,『自分の家で引き続き君として行動する』ことを求めた文書を出します。―1:20,22。
8 (イ)どんな出来事があって,エステルが王妃となりますか。(ロ)モルデカイはどんなたくらみを暴露しますか。それについてどんな記録が作られますか。
8 エステルは王妃となる(2:1-23)。その後,王は事務官たちを任じ,帝国内の127州全部から最も美しい処女たちを探し出して,シュシャンに連れて来させ,王に正式に紹介する準備としてそこで美容処置を施させることにします。選ばれた若い女性たちの中にエステルがいます。エステルはユダヤ人の孤児ですが,『姿もきれいで,容ぼうも美しい』女性で,シュシャンの役人の一人である,いとこのモルデカイによって育てられてきました。(2:7)エステルのユダヤ名であるハダサには「ぎんばいか」という意味があります。女たちの守護者ヘガイはエステルが気に入って,彼女に特別の処置を施します。彼女がユダヤ婦人であることはだれも知りません。というのは,モルデカイが彼女にこのことを秘密にしておくよう命じていたからです。若い女性たちは順番に王の所に連れて行かれます。王はエステルを新しい王妃として選び,その戴冠式を祝うための宴会が執り行なわれます。その後間もなく,モルデカイは王を暗殺しようとする陰謀について聞き,エステルを通してそのことを「モルデカイの名で」王に知らせます。(2:22)そのたくらみは暴露され,共謀者たちは木に掛けられて処刑され,このことは王室の年代記に記録されます。
9 モルデカイはどのようにハマンを怒らせますか。ハマンはユダヤ人に対する王のどんな布告を取り付けますか。
9 ハマンの陰謀(3:1-5:14)。約4年の歳月が過ぎ去ります。サムエルが打ち殺したアマレク人の王アガグの子孫と思われるハマンは,首相になります。(サムエル第一 15:33)王は彼を高め,王の門の内にいるすべての僕たちにハマンの前で身をかがめるよう命じます。それらの僕たちの中にはモルデカイも含まれています。しかし,モルデカイはそうしようとはしないため,彼はユダヤ人であることが王の僕たちに知られるようになります。(出エジプト記 17:14,16と比較してください。)ハマンは激しい怒りに満たされ,モルデカイがユダヤ人であることを探り出すと,この事のうちに,モルデカイとユダヤ人すべてを除き去るまたとない機会を見て取ります。ユダヤ人を根絶やしにする良い日を定めるために,くじ(プル)が投げられます。ハマンは王の愛顧を受けている立場を利用して,不法行為のかどでユダヤ人を訴え,彼らを滅ぼすことを書面で命じるよう願い求めます。ハマンはこの大量殺人を行なう資金の調達のために銀1万タラント(約6,606万㌦[約99億900万円]相当)の寄付を申し出ます。王はこのことに同意し,王の指輪で印を押された命令書が帝国内の至る所に送られ,アダルの13日がユダヤ人の集団虐殺の日として定められます。
10 モルデカイとエステルはエホバの力に対する信仰を抱いて,どのように物事を運びますか。
10 その法律について聞くや,モルデカイやユダヤ人はみな粗布をまとい,灰をかぶって嘆き悲しみます。「断食と泣き声と泣き悲しむ声」が起こります。(エステル 4:3)ユダヤ人の陥っている苦境についてモルデカイから知らされた時,エステルは最初,執り成しをすることをちゅうちょします。招かれないのに王の前に出る者は死刑の処罰を受けます。しかしモルデカイは,たとえエステルが期待に背いたとしても,彼女はいずれ死ぬことになり,救出は「別の所からユダヤ人のために起こる」ことになると言明して,エホバの力に対する信仰を示します。その上,エステルは「このような時のため」に王妃になったのではないのでしょうか。(4:14)エステルは問題を悟り,命をかけることに同意し,シュシャンのユダヤ人はみな三日間彼女と共に断食をします。
11 エステルは王の恵みを得た立場をどのように用いますか。しかしハマンはモルデカイに対して何をたくらみますか。
11 それから,エステルは王妃としての最上の衣装を着けて,王の前に出ます。すると,彼女は王の目に恵みを得,王は金の笏を彼女に差し出し,その命を取ることを容赦します。そこで彼女は王とハマンを宴会に招きます。宴の際に,王は彼女に請願を知らせるよう促し,「王権の半分でも」かなえられることを保証すると,彼女は翌日さらに設けられる宴会に二人を招きます。(5:6)ハマンは喜びながら出て行きます。しかし,見なさい,王の門にはモルデカイがいます! 彼はまたもや,ハマンに敬意を表わそうとも,その前で身震いをしようともしません。ハマンの喜びは怒りに変わります。その妻や友人たちは高さ50キュビト(22.3㍍)の杭を立て,モルデカイをそれに掛けて処刑する命令を王から得るよう勧めます。ハマンは直ちにその杭を立てさせます。
12 事態はどのように逆転して,アハシュエロスはモルデカイに栄誉を施し,ハマンは屈辱を被るようになりますか。
12 形勢は逆転する(6:1-7:10)。その夜,王は眠ることができません。王は記録の書を持って来させ,それを読ませて,自分の命を救ってくれたモルデカイに報いを与えていなかったことを知ります。その後,王は中庭にいる者がだれかを尋ねます。それはモルデカイの処刑を認める王の令状を求めてやって来たハマンです。王はハマンに,王を喜ばせる者にはどのように栄誉を与えるべきかを尋ねます。ハマンは王が自分のことを考えてくれているのだと思って,気前よく栄誉を施すための手順の概要を述べます。ところが,王は彼に,「ユダヤ人モルデカイにそのようにしなさい」と命じます!(6:10)ハマンは帝王のような豪華な衣装をモルデカイに着せ,彼を王の馬に乗せ,その前で呼ばわりながらこれを導いて,都の公共の広場を回るほかに道がありません。屈辱を被ったハマンは嘆きながら急いで家に帰ります。その妻や友人には慰める言葉もありません。ハマンは破滅に定められます!
13 エステルは宴会の席で何を明らかにし,その結果,ハマンはどんな身の滅びを招きますか。
13 今や,ハマンが王やエステルと共に宴会に出席する時となります。王妃は,彼女とその民が売り渡され,滅ぼされようとしていることを明らかにします。一体だれがそんな悪らつなことをあえて演じたのでしょう。エステルはこう言います。「敵対者で,敵であるその男は,この悪いハマンです」。(7:6)王は激怒して立ち上がり,歩いて庭に出て行きます。王妃と二人だけになったハマンは命ごいをしますが,戻って来た王は,王妃の寝いすの上にいるハマンを見ると,なお一層激高します。王は直ちに,ハマンがモルデカイのために用意した杭に彼を掛けるよう命じます。―詩編 7:16。
14 王はエステルとモルデカイにどのように報いを与えますか。また,書面にしたどんな布告をもってユダヤ人に恵みを与えますか。
14 モルデカイは昇進し,ユダヤ人は救出される(8:1-10:3)。王はエステルにハマンの所有物をすべて与えます。エステルはモルデカイとの間柄をアハシュエロスに知らせ,王はこのモルデカイをハマンの以前の地位に昇進させ,王の認印つきの指輪を彼に与えます。エステルは再び,命の危険を冒して王の前に行き,ユダヤ人を滅ぼすことを書面にした布告を無効にしていただきたいと願い出ます。しかし,「ペルシャとメディアの法令」は廃止できません。(1:19)そこで王はエステルとモルデカイに,新しい法令を書き記し,王の指輪でそれに印を押す権威を与えます。書面にしたこの命令は,以前の命令と同じような仕方で帝国の至る所に送られ,ハマンの法令が効力を発するその当日,ユダヤ人に,彼らが「集合して自分たちの魂のために立ち上がり,彼らに敵意を示そうとする民族や管轄地域の軍勢を皆,小さい者も女たちも滅ぼし尽くし,殺し,滅ぼし,またその分捕り物を強奪する」権利を与えます。―8:11。
15 (イ)戦いの結果はどうなりますか。モルデカイはどんな祝いを制定しますか。(ロ)モルデカイはどんな地位に高められますか。彼はその権威を何のために用いますか。
15 その定められた日,つまりアダルの13日が訪れますが,だれ一人としてユダヤ人の前に立つことはできません。エステルが王に請願した結果,その戦いはシュシャンでは14日にも続けられます。ユダヤ人の敵は帝国の至る所で合計7万5,000人殺され,ほかに810人がシュシャン城の中で殺されます。その中には,最初の日に殺されて,二日目に杭に掛けられたハマンの10人の息子たちもいます。強奪は行なわれません。アダルの15日は休みで,ユダヤ人は宴会を催し,歓びに浸ります。そこでモルデカイは,毎年,アダルの14日と15日にこの「プル,すなわちくじ」の祝いを守り行なうようにという,書面にした指示をユダヤ人に与えます。そして,彼らはそれを今日に至るまで守っています。(9:24)モルデカイはその王国において大いなるものとされ,アハシュエロス王に次ぐその地位を用いて,『自分の民の幸せのために働き,彼らのすべての子孫に平和を語ります』。―10:3。
なぜ有益か
16 クリスチャンはエステル記のうちに,どんな聖なる原則や価値ある手本を見いだしますか。
16 聖書のほかの筆者で,エステル記から直接引用している人は一人もいませんが,この書は霊感を受けて記された聖書のほかの部分と完全に調和しています。実際,この書は,後にクリスチャン・ギリシャ語聖書の中で述べられ,あらゆる時代のエホバの崇拝者に当てはまる聖書の原則の価値を示す幾つかの優れた実例を提供しています。次に挙げる幾つかの箇所を調べれば,このことが分かるだけでなく,それはキリスト教の信仰を築き上げるものともなります。エステル 4章5節 ― フィリピ 2章4節; エステル 9章22節 ― ガラテア 2章10節。王の律法に従わないとしてユダヤ人は非難されましたが,これは初期のクリスチャンに対して行なわれた非難と似ています。(エステル 3:8,9。使徒 16:21; 25:7)エホバの真の僕たちはモルデカイ,エステル,およびその仲間のユダヤ人の優れた手本に従って,恐れることなく,また救いを施す神の力に対する祈りのこもった信頼の念を抱いて,そのような非難に対処します。―エステル 4:16; 5:1,2; 7:3-6; 8:3-6; 9:1,2。
17 モルデカイとエステルは神や「上位の権威」に服する点で,どのように正しい行動を示しましたか。
17 わたしたちクリスチャンは,自分たちの状況がモルデカイやエステルの場合とは異なっていると考えるべきではありません。わたしたちもまた,異質の世界にあって「上位の権威」のもとで生活しています。わたしたちはどこの国に住んでいようと,その国で法律をよく守る市民でありたいと願っていますが,同時に,『カエサルのものはカエサルに,神のものは神に返す』という二つの事柄の間に正確に一線を画したいとも考えています。(ローマ 13:1。ルカ 20:25)首相モルデカイと王妃エステルはその世俗の務めの点で専心と従順の良い模範を残しました。(エステル 2:21-23; 6:2,3,10; 8:1,2; 10:2)しかし,モルデカイは卑しむべきアガグ人ハマンの前で身をかがめるようにとの王の命令に従う点では,恐れることなく一線を画しました。その上,モルデカイはハマンがユダヤ人を滅ぼす陰謀を企てた時,法的な救済を求める訴えが行なわれるよう取り計らいました。―3:1-4; 5:9; 4:6-8。
18 (イ)エステル記が『神の霊感を受けた,有益な』ものであることを何が証明していますか。(ロ)それは神の王国の権益を擁護することをどのように励ますものとなっていますか。
18 すべての証拠はエステル記が『神の霊感を受けた,有益な』聖書の一部であることを示しています。たとえ神,あるいはそのみ名に直接言及してはいなくても,この書は非常に優れた信仰の模範をわたしたちに提供しています。モルデカイやエステルは,ある物語作家の単なる想像の産物ではなく,エホバ神の真の僕たち,つまり救いをもたらすエホバの力に絶対的な確信を抱いていた人たちでした。ふたりは異国の地の「上位の権威」のもとで生活していましたが,神の民とその崇拝の権益を擁護するためにあらゆる法的な手段を行使しました。わたしたちも今日,救出をもたらす神の王国の「良いたよりを擁護して法的に確立すること」において,彼らの模範に従うことができます。―フィリピ 1:7。
[脚注]
a 「聖書に対する洞察」(英文),第1巻,764ページ; 第2巻,327-331ページ。
b 「聖書に対する洞察」(英文),第2巻,613-616ページ。
c マクリントクおよびストロング共編,「百科事典」(英文),1981年復刻版,第3巻,310ページ。
d 「旧約聖書学誌」(ドイツ語),第58巻(1940-1941年),240-244ページ,A・ウングナド,「エズラ記およびエステル記に対する楔形文字の貢献」。
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聖書の18番目の書 ― ヨブ記『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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聖書の18番目の書 ― ヨブ記
筆者: モーセ
書かれた場所: 荒野
書き終えられた年代: 西暦前1473年ごろ
扱われている期間: 西暦前1657年-1473年の間の140年余り
1 ヨブという名にはどんな意味がありますか。ヨブ記はどんな疑問に答えていますか。
霊感を受けた聖書の中の最古の書の一つ! この上なく尊重され,しばしば引用されていながら,人々からほとんど理解されていない書。この書はなぜ書かれましたか。それは現代のわたしたちにとってどれほど価値がありますか。その答えはヨブという名が持つ,「敵意の的」という意味のうちに示唆されています。そうです,この書は,なぜ罪のない人が苦しむのか,神はなぜ地上の悪を許しておられるのかという二つの重要な問題を取り上げています。これらの問いに答えるにあたってわたしたちが考察できるように,ヨブの苦しみと大いなる忍耐の記録が残されているのです。それはすべて,ヨブが願い求めた通りに書き記されました。―ヨブ 19:23,24。
2 ヨブが実在の人物であったことを何が証明していますか。
2 ヨブという名は辛抱強さや忍耐の同義語となっています。しかし,ヨブという人物がいたのでしょうか。忠誠のこの非常に立派な模範を歴史の記録から消し去ろうとする悪魔のあらゆる努力にもかかわらず,答えは明白です。確かにヨブは実在の人物でした。エホバは,ご自分の証人であるノアやダニエルと共にヨブの名を挙げておられます。ノアやダニエルが存在したことは,イエス・キリストも認めておられました。(エゼキエル 14:14,20。マタイ 24:15,37と比較してください。)古代のヘブライ民族もヨブを実在の人物とみなしました。クリスチャンの筆者ヤコブはヨブの忍耐の模範を指摘しています。(ヤコブ 5:11)架空の模範ではなく,現実の模範だけが重みを持ち,どんな境遇のもとでも忠誠を保てることを神の崇拝者たちに確信させるものとなります。その上,ヨブ記に記録されている各人の発言に込められている強烈さや感情は,その場面が現実のものであったことを証ししています。
3 ヨブ記が霊感を受けたものであることを証明するどんな証拠がありますか。
3 ヨブ記が霊感を受けて記された,信頼の置ける書であるということはまた,昔のヘブライ人がこの書を常に聖書の正典に含めていたことによっても証明されています。これは,ヨブ自身がイスラエル人ではなかったので驚くべき事柄です。エゼキエルやヤコブがヨブについて言及している上に,使徒パウロもこの書から引用しています。(ヨブ 5:13。コリント第一 3:19)この書が霊感を受けて記されたことを示す強力な証拠は,科学上の証明された諸事実と驚くほど調和している点にも見られます。地球がどのように支えられているかに関し,古代人が大変奇妙な考え方をしていた時代に,エホバが「地を無の上に掛けておられる」ということを,一体どうして知り得たのでしょうか。(ヨブ 26:7)地球は一匹の大きな海がめの上に立つ何頭かの象に支えられていたというのが古代の一つの考え方でした。ヨブ記はどうしてこのような無意味な考え方を反映させていないのでしょうか。それは明らかに,創造者エホバが霊感によって真理を提供されたからです。地球とその驚異について,また自然の生息環境の中の野生動物や鳥に関する他の多くの描写も大変正確なので,ただエホバ神だけがその著者であって,霊感を与えてヨブ記を書き記させた方であるとしか考えられません。a
4 このドラマはどこで,またいつ演じられましたか。ヨブ記はいつごろまでに書き終えられましたか。
4 ヨブはウツに住んでいました。このウツは,ある地理学者たちによれば,エドム人の居留していた土地の近くで,アブラハムの子孫に約束された地の東に当たる北アラビアに位置していました。その南にはシバ人,東にはカルデア人がいました。(1:1,3,15,17)ヨブが試練を受けた時期は,アブラハムの時代よりもずっと後でした。それは,『地上には[ヨブ]のような人,とがめがなく,廉直な人がひとりもいない』ころのことでした。(1:8)それは,際立った信仰の人ヨセフの死んだ時(西暦前1657年)から,モーセが忠誠の歩みを開始した時までの期間であったと考えられます。イスラエルがエジプトの悪霊崇拝の悪影響に染まっていたこの時期に,ヨブは清い崇拝の点で抜きんでていました。その上,ヨブ 1章で指摘されている慣行や,神がヨブを真の崇拝者として受け入れておられたことは,神が専ら律法下のイスラエルとだけ交渉された,西暦前1513年以降の後代の時期よりもむしろ,族長時代を指し示しています。(アモス 3:2。エフェソス 2:12)したがって,ヨブの長寿を考慮に入れると,この書は西暦前1657年からモーセの死んだ年である西暦前1473年までのある期間を扱っており,ヨブが死んでしばらくして,イスラエル人が荒野にいた時分に,モーセによって完成されたものと考えられます。 ― ヨブ 1:8; 42:16,17。
5 モーセがヨブ記の筆者であることを何が示していますか。
5 どうしてモーセが筆者であると言えますか。ユダヤ人と初期クリスチャン双方の学者たちの最も古い伝承によれば,モーセが筆者とされています。ヨブ記で用いられているヘブライ語の詩の力強い確かな文体は,それがモーセの用いた言語であるヘブライ語による原作であることを明らかにしています。それはアラビア語などのほかの言語から翻訳されたものではあり得ません。また,散文の部分は聖書中の他の著作のどれよりもモーセ五書に大変よく似ています。その筆者は,モーセがそうであったように,イスラエル人であったに違いありません。なぜなら,ユダヤ人は「神の神聖な宣言を託され」ていたからです。(ローマ 3:1,2)モーセは円熟期に達した後,ウツからあまり遠くないミディアンで40年間過ごしたので,その地でヨブ記に記されている詳細な情報を入手できたことでしょう。後に,モーセはイスラエルが40年間荒野を旅していた間に,ヨブの故郷の近くを通った時,この書の結びの部分の詳細について知り,それを記録することができたのでしょう。
6 ヨブ記はどんな点で文学的傑作以上のものですか。
6 「新ブリタニカ百科事典」によれば,ヨブ記はしばしば,「世界文学の傑作の一つに数えられ」ているとされています。b しかし,この書は文学的傑作以上のものです。ヨブ記はエホバの力や公正さ,知恵や愛を高める点で,聖書の各々の書の中でも傑出しています。この書は主要な論争点を宇宙の前で極めて明確にしています。この書は聖書のほかの書,特に創世記,出エジプト記,伝道の書,ルカによる書,ローマ人への手紙,および啓示の書の中で述べられている多くの事柄を解明しています。(ヨブ 1:6-12; 2:1-7と創世記 3:15; 出エジプト記 9:16; ルカ 22:31,32; ローマ 9:16-19; 啓示 12:9とを比較してください。また,ヨブ 1:21; 24:15; 21:23-26; 28:28と伝道の書 5:15; 8:11; 9:2,3; 12:13とをそれぞれ比較してください。)この書は人生の様々な問題の多くに対する答えを提供してくれます。確かにこの書は,霊感を受けて記された神の言葉の肝要な部分であって,有益な理解を与えるという点で,神のみ言葉に大いに寄与しています。
ヨブ記の内容
7 この書の冒頭では,ヨブはどんな境遇にありますか。
7 ヨブ記の序文(1:1-5)。ここで,「とがめがなく,廉直で,神を恐れ,悪から離れていた」人,ヨブが紹介されています。ヨブは7人の息子と3人の娘に恵まれ,幸福に暮らしています。彼はおびただしい羊や牛を所有する,物質的にも富んだ土地所有者です。また,多数の僕たちを所有しており,「すべての東洋人のうちで最も大いなる者」です。(1:1,3)それでも,ヨブは物質主義の人ではありません。というのは,物質上の所有物を信頼してはいないからです。彼はまた,霊的にも良い業にも富んでおり,だれか苦しんでいたり,苦難に遭っていたりする人がいれば,いつでもその人を喜んで助けますし,だれでも必要としている人には衣服を与えます。(29:12-16; 31:19,20)すべての人が彼を尊敬しています。ヨブはまことの神エホバを崇拝しています。彼は異教を奉ずる諸国民がするように,太陽や月や星に身をかがめようとはせず,かえってエホバに対して忠実で,神への忠誠を守り,神との親密な関係を享受しています。(29:7,21-25; 31:26,27; 29:4)ヨブは家族のための祭司を務め,家族の者が罪をおかしている場合のために,焼燔の犠牲を定期的にささげます。
8 (イ)サタンはどのようにヨブの忠誠を疑って挑戦するようになりますか。(ロ)エホバはこの挑戦にどのように応じられますか。
8 サタンは神に挑戦する(1:6-2:13)。驚くべきことですが,目に見えない幕が開けられて,わたしたちは天の物事を見ることができるようになります。エホバが神の子たちの集まりを主宰しておられるのが見えます。サタンも彼らの中に現われます。エホバはご自分の忠実な僕ヨブに注意を向けさせますが,サタンは,ヨブが神に仕えるのは受けている物質的な益のためであると非難して,ヨブの忠誠に挑戦します。もし,神がそれらのものを奪い去ることをサタンに許すなら,ヨブはその忠誠の道から離れるであろうと言うのです。エホバは,サタンがヨブの身に触れてはならないという制限を付けてこの挑戦を受け入れます。
9 (イ)どんな厳しい試練がヨブに降り懸かりますか。(ロ)ヨブが忠誠を保っていることを何が証明していますか。
9 疑うことをしないヨブに様々の災いが降り懸かるようになります。シバ人やカルデア人が襲って来て,ヨブの大いなる富を奪い去ります。その息子や娘たちはあらしによって殺されます。この厳しい試練もヨブに神をのろわせたり,神から顔を背けさせたりするものとはなりません。かえって彼は,「エホバのみ名が引き続きほめたたえられるように」と語ります。(1:21)この問題点で敗北を喫し,うそつきであることが示されたサタンは,再びエホバの前に現われて,「皮のためには皮をもってしますので,人は自分の魂のためなら,持っているすべてのものを与えます」と言って非難します。(2:4)サタンは,ヨブの体に触れることを許されるなら,ヨブに神をあからさまにのろわせることができると主張します。ヨブの命を取る以外何をしてもよいという許可を得たサタンは,ヨブを打って恐ろしい病気にかからせます。その肉は『うじと土くれをまとう』ようになり,その体と息は妻や親族にとっても鼻持ちならないものとなります。(7:5; 19:13-20)ヨブが忠誠を破ってはいないことを示唆するものとして彼の妻は,「あなたはなおも自分の忠誠を堅く保っているのですか。神をのろって死になさい!」と,しきりに促します。ヨブは彼女を叱り,『その唇をもって罪をおかす』ようなことをしません。―2:9,10。
10 サタンはどんな沈黙の「慰め」を与えますか。
10 そこでサタンは,ヨブを「慰め」にやって来る3人の友を起こします。その友とはエリパズ,ビルダド,およびツォファルです。彼らはかなり離れた所ではヨブだということが分かりませんが,そののち声を上げて泣き,塵を自分たちの頭の上にほうり上げます。次いで彼らは彼の前で地に座って一言も語りません。七日七夜にわたるこの沈黙の「慰め」の後,ヨブはついに沈黙を破り,それら自称同情者たちとの大変長い討論を開始します。―2:11。
11-13 ヨブはどのように討論を開始しますか。エリパズはどのように非難しますか。ヨブは気概のある態度でどのように返答しますか。
11 討論: 第1回(3:1-14:22)。ここから,このドラマはヘブライ語の気品のある詩の形で展開します。ヨブは自分の生まれた日に対して災いを呼び求め,自分が生き続けるのをなぜ神は許されたのだろうかといぶかります。
12 これに答えてエリパズは,ヨブには忠誠が欠けていると非難します。廉直な者で滅びうせた者は決していないと,彼は言明します。エリパズはある夜の幻を思い起こします。その幻の中で,一つの声が彼に語り,神はご自分の僕たちを,とりわけ単なる粘土,すなわち地の塵でできている者たちを信じてはいないと告げました。彼はヨブが苦しんでいるのは全能の神からもたらされる一種の懲らしめであることをほのめかします。
13 ヨブは気概のある態度でエリパズに返答します。ヨブは迫害や悩みに遭っている人ならどんな人でもそうするように叫びます。死は解放をもたらすものとなるでしょう。彼はその友を自分に対して悪いことをたくらんでいるとしてとがめ,次のように抗議します。「わたしを教え諭せ。そうすれば,わたしも黙るであろう。わたしがどんな間違いを犯したか,わたしに理解させよ」。(6:24)ヨブは「人間を見守る方」である神の前で,自分の義のために闘います。―7:20。
14,15 ビルダドはどのような論議をしますか。ヨブはなぜ神との訴訟で敗れるのではないかと恐れますか。
14 そこでビルダドは自分の論議を述べ,ヨブの息子たちは罪をおかしており,ヨブ自身も廉直ではないことをほのめかし,さもなければ,ヨブの言うことは神に聞き入れられるだろうと語ります。彼はヨブに以前の代の人々に頼り,父祖たちの探究した事柄を指針とするよう諭します。
15 ヨブは返答し,神は不公正な方ではないと主張します。神は人間に弁明する必要もありません。というのは,神は「探りようのない大いなることを行ない,くすしいことを数知れず行なっておられる」からです。(9:10)ヨブはその訴訟の相手方であるエホバと争って勝つことはできません。神の恵みを懇願することしかできないのです。それにしても,正しいことを行なおうとすることには何らかの益がありますか。「とがめのない者も,邪悪な者も,神は終わらせる」のです。(9:22)地上では正しい裁きは行なわれていません。ヨブは神との訴訟においてさえ敗れるのではないかと恐れます。彼には仲介者が必要です。ヨブは自分がなぜ試練に遭わされているのかを尋ね,自分が「粘土で」できていることを思い出していただきたいと神に嘆願します。(10:9)ヨブは神が過去において示してくださった親切を正しく評価しますが,たとえ自分の考えが正しくても,もし議論をするなら,神はなお一層立腹されるようになるだけだと語ります。本当に,息絶えることさえできればよいものを。
16,17 (イ)ツォファルはどんなひとりよがりの助言を与えますか。(ロ)ヨブは「慰め手」たちをどのように評価しますか。彼はどんな強固な確信を表明しますか。
16 ここでツォファルが討論に加わります。彼は事実上こう言います。わたしたちはむなしい話を聴く子供だろうか。あなたは自分は本当に清いと言っているが,神が話してくださりさえしたら,あなたの罪科を明らかになさるだろう。彼はヨブにこう尋ねます。「あなたは神の深い事柄を見いだすことができようか」。(11:7)彼はヨブに有害な行ないを捨て去るよう忠告します。というのは,祝福はそのような人に臨みますが,『邪悪な者たちの目は衰える』からです。―11:20。
17 ヨブは強烈な皮肉を込めてこう叫びます。「まことにあなた方は人である。知恵は,あなた方と共に死に絶えるであろう!」(12:2)彼は笑いぐさとされているかもしれませんが,劣った人間ではありません。もしも彼の友たちが神の創造されたものに注意するなら,そのようなものさえ彼らに何かを教えるでしょう。強さと実際的な知恵は神のもので,神は万物を支配し,『諸国民を大きくならせ,彼らを滅ぼす』ことさえなさいます。(12:23)ヨブは自分の訴えについて神と論じ合うことを喜びとしますが,自分の三人の「慰め手」については,「あなた方は偽りで上塗りをしている者,あなた方はみな無価値な医者だ」と語ります。(13:4)沈黙していたなら,それが彼らの知恵だったでしょう! ヨブは自分の訴えが正当なものであるとの確信を表明し,自分の述べることを聞いてくださるよう神に求めます。彼は次に,『女から生まれた人は,短命で,動揺で飽き飽きさせられる』という考えを取り上げます。(14:1)人は花のように,あるいは影のようにたちまち過ぎ去ってゆきます。だれも汚れた者から清い者を出すことはできません。神の怒りが元に戻るまでシェオルに秘めておいていただきたいと祈りつつ,ヨブはこう尋ねます。「もし,強健な人が死ねば,また生きられるでしょうか」。それに答えて,彼は次のように確固とした望みを表明します。「私は待ちましょう。私の解放が来るまで」。―14:13,14。
18,19 (イ)エリパズは第2回の討論をどんな嘲笑の言葉で始めますか。(ロ)ヨブはその友たちの「慰め」をどのようにみなしますか。彼は何のためにエホバに頼りますか。
18 討論: 第2回(15:1-21:34)。2度目の討論を開始するに際して,エリパズはヨブの知識を嘲笑し,ヨブは『その腹を東風で満たして』いる,と述べます。(15:2)エリパズは再び忠誠に関するヨブの主張を見くびって,死すべき人間も天の聖なる者たちも,エホバの目からすれば信仰を抱くことができないと考えます。彼はヨブが自分自身を神より勝った者として示そうとし,背教し,わいろを取り,欺まんを行なっているとして,間接的に非難します。
19 ヨブは,その友たちが『風のような言葉をもてあそぶ厄介な慰め手』であると言って,応酬します。(16:2,3)もし彼らがヨブの立場にあったら,ヨブは彼らをあしざまには言わないでしょう。ヨブは自分が正しいとされることを大いに願っており,彼の記録を持ち,その訴えに決着をつけてくださるエホバに頼ります。ヨブはその友たちのうちに少しも知恵を見いだしません。彼らは望みをことごとく奪い去ります。彼らの「慰め」は,夜を昼と言うようなものです。唯一の望みは,『シェオルに下って行く』ことです。―17:15,16。
20,21 ビルダドはどんな苦々しい気持ちを言い表わしますか。ヨブは何に関して抗議しますか。ヨブはどこに信頼を置いていることを示しますか。
20 議論は白熱化してゆきます。ビルダドは今や苦々しく思います。というのは,彼はヨブがその友人たちを理解力のない獣に例えたように感じるからです。彼はヨブに,『地はあなたのために見捨てられるだろうか』と尋ねます。(18:4)ビルダドはヨブがほかの人に対する見せしめとして,恐るべき輪わなに落ちるであろうと警告します。ヨブには,彼の後に生きる子孫もなくなるでしょう。
21 ヨブはこう答えます。「いつまで,あなた方はわたしの魂をいら立たせ,しきりに言葉でわたしを打ち砕くのか」。(19:2)彼は家族や友人を失いました。妻や家の者たちも彼から離れ去って行き,彼自身は『その歯の皮で』辛うじて逃れました。(19:20)ヨブは請け戻す方が現われて自分のために論争を解決してくださり,ついには『神を見る』ようになることを信じています。―19:25,26。
22,23 (イ)ツォファルはなぜ気を悪くしますか。彼はヨブにあるとされている罪について何と述べますか。(ロ)ヨブは相手をひるませるどんな論議をもって返答しますか。
22 ツォファルもビルダドのように,ヨブの述べる「辱める勧告」を聞かざるを得ないため,気を悪くします。(20:3)彼はヨブの罪がヨブに追いついたということを繰り返し述べます。邪悪な者は必ず神からの処罰を受け,繁栄を享受している時でさえ休みは得られない,とツォファルは語ります。
23 ヨブは相手をひるませる次のような論議をもって返答します。もし神が邪悪な者を必ずそのように処罰されるのなら,邪悪な者たちが生き続け,高齢に達し,富の点で他に勝るようになるのはなぜか。そのような人々は楽しく日を過ごしている。災いはどれほど頻繁にそのような者たちに臨むだろうか。ヨブは,富んだ人も貧しい人も同じように死ぬことを示します。実際,邪悪な人がしばしば「安らいで,安らかな」時に死ぬ一方で,義人が「苦しい魂と共に」死ぬこともあります。―21:23,25。
24,25 (イ)エリパズは独善的にもヨブのことをどのように偽って中傷しますか。(ロ)ヨブはそれに対してどのように論ばくし,またどのように挑戦しますか。
24 討論: 第3回(22:1-25:6)。エリパズはその攻撃に対して猛烈に言い返し,全能者の前でとがめがないというヨブの主張をあざけります。彼はヨブのことを偽って中傷し,ヨブは悪人で,貧しい人々を食い物にし,飢えた者にパンを差し控え,やもめや父なし子を虐待してきたと主張します。ヨブの私生活はその主張ほど清くはなく,ヨブがひどい状態にあるのはそのためである,とエリパズは語ります。それでも,「もし,あなたが全能者に立ち返るなら……神はあなたの言うことを聞いてくださる」とエリパズは唱えます。―22:23,27。
25 ヨブはこれに答えて,エリパズの無礼な非難を論ばくし,自分の義にかなった行動について知っておられる神の前で審理を行なってもらいたいと語ります。父親のいない者や,やもめや貧しい人々を虐げたり,殺人や盗みや姦淫を犯したりする者たちがいます。そのような者たちはしばらくは繁栄するように見えるかもしれませんが,やがて報いを受けることになります。彼らは無に帰せしめられるでしょう。『それで本当に今,だれがわたしをうそつきとするだろうか』と語って,ヨブは挑戦します。―24:25。
26 ビルダドとツォファルはさらに何と言いますか。
26 ビルダドはこれに対して手短に応酬し,人間はだれも神の前で清い者ではあり得ないという自分の論議を力説します。ツォファルはこの第3回の討論には加わろうとしません。彼には何も言うべきことがありません。
27 ヨブは今や,全能者の偉大さをどのようにほめたたえますか。
27 ヨブの最後の論議(26:1-31:40)。ヨブは最後の論述の中で,その友たちを完全に沈黙させます。(32:12,15,16)彼は強烈な皮肉を込めてこう語ります。『あなたは無力な者にとって何とまあ助けになったのだろう。あなたは知恵のない者に何とまあ助言したのだろう』。(26:2,3)しかし,何ものも,シェオルでさえ,神の前からは何一つ覆い隠すことができません。ヨブは,すべて人間が観察してきた宇宙空間や地球や雲や海や風に見られる,神の知恵を描写します。それらのものは全能者の道の外縁にすぎません。それらは全能者の偉大さについてのささやきほどのものでもありません。
28 ヨブは忠誠についてどんな率直な言葉を述べますか。
28 自分が潔白であることを確信したヨブは,こう宣言します。「わたしは息絶えるまで,自分の忠誠を自分から奪い去らない!」(27:5)そうです,ヨブは我が身に降り懸かってきた事柄を受けるに値するようなことは何もしていません。彼らの非難に反して,神は,邪悪な者が繁栄している時に蓄えたものを義人が受け継げるように取り計らって,忠誠に対して報いてくださいます。
29 ヨブは知恵をどのように描写しますか。
29 人は地の宝物(銀,金,銅)がどこから出るかを知っていますが,『知恵 ― それはどこから来るのでしょうか』。(28:20)人はそれを生ける者の中に探しました。海も調査しました。それは金や銀で買えるものではありません。神こそ知恵を理解しておられる方です。神は地や天の果てまでもご覧になり,風や水を配分し,雨やあらしの雲を制御しておられます。ヨブはこう結論します。「見よ,エホバへの恐れ ― これこそ知恵であり,悪から離れることが悟りである」― 28:28。
30 ヨブはどんな回復を望みますか。しかし,彼は今どんな状態にありますか。
30 苦悩するヨブは,次に自分の経歴を述べます。彼は,町の指導者たちからさえ尊敬されて神と親しい関係にあった以前の状態に回復されることを願います。ヨブは苦しむ者を救出する人であって,盲人のための目となっていました。その助言は信頼でき,人々は彼の言葉を期待しました。ところが,今では誉れある立場を保つどころか,彼よりも日の若い者たちからさえあざけられています。それら若い人々の父たちは,彼の群れの犬と一緒にいることさえふさわしいことではありませんでした。彼らはヨブにつばを吐きかけ,彼に反対します。今や,最悪の苦悩のうちにあるのに,人々はヨブを少しも休ませません。
31 ヨブはだれによる裁きに対する確信を言い表わしますか。彼は自分の生活の真実の記録に関して何と述べますか。
31 ヨブは自分自身のことをひたむきな人間として描写し,エホバによって裁かれることを願い求め,こう語ります。「神は正確なはかりでわたしを量り,神はわたしの忠誠を知ってくださるであろう」。(31:6)ヨブは自分の過去の行動を弁護します。彼は姦淫を犯す者ではありませんでしたし,陰謀をたくらむ者でもありませんでした。困っている人を助けずにほうっておいたこともありません。彼は富んでいましたが,物質上の富を頼りにしてはいませんでした。彼は太陽や月や星も崇拝しませんでした。というのは,「これもまた,裁判人による注意を要するとがである。わたしは上なるまことの神を否んだことになるからだ」と述べているからです。(31:28)ヨブは訴訟の相手に自分の生活の真実の記録に対する非難を提出するように勧めます。
32 (イ)今やだれが話しますか。(ロ)エリフの怒りはなぜヨブやその友たちに対して燃え盛りますか。彼は何に動かされてやむにやまれず語りますか。
32 エリフが語る(32:1-37:24)。一方,ナホルの子ブズの子孫で,したがってアブラハムの遠縁に当たるエリフは,この討論を聴いていました。彼は高齢の人ほどより多くの知識を持っているはずであると感じていたために,待機していました。しかし,理解を与えるのは年齢ではなく,神の霊なのです。エリフの怒りは,ヨブが「神よりもむしろ自分の魂を義と宣した」ことで燃え盛りますが,その怒りは,神を邪悪な者として嘆かわしいほど知恵の欠如を示した,ヨブの3人の友たちに対して一層激しく燃え盛ります。エリフは「言葉で満ち」,神の霊に動かされてやむにやまれずそれらの言葉を発しますが,えこひいきをすることなく,また『地の人に称号を贈ること』をせずにそうします。―ヨブ 32:2,3,18-22。創世記 22:20,21。
33 ヨブはどんな点で間違っていましたか。それでも,神はどんな恵みをヨブに示されますか。
33 エリフは神が自分の創造者であることを認めて,誠実に語ります。彼は,ヨブが神の正しさを立証することよりも自分の正しさを立証することを気にかけていたと語ります。神は,あたかもご自分の行動を正当化しなければならなかったかのように,ヨブの言葉すべてに答える必要はありませんでしたが,それでもヨブは神と争いました。しかし,ヨブの魂が死に近づくにつれて,神は一人の使者を伴って彼を恵み,こう言われます。「坑に下るのを彼に免れさせよ! わたしは贖いを見いだした! 彼の肉は若いころよりもみずみずしくなり,その若い時の精力の日に返るように」。(ヨブ 33:24,25)義人は回復させられることになるのです!
34 (イ)エリフはさらにどんな戒めを与えますか。(ロ)ヨブは自分の義をあがめるよりもむしろ,何をすべきですか。
34 エリフは話を聴くよう知者たちに求めます。彼は,忠誠を保つ者となっても何の益もないと述べたことでヨブを戒め,こう語ります。『まことの神が邪悪なことを行なったり,全能者が不正を行なったりすることなど決してない! 地の人の行なう仕方にしたがって神は人に報われるからである』。(34:10,11)神は命の息を取り除くことができ,そのようにされるとすべての肉なるものは息絶えることになります。神はえこひいきすることなく裁かれます。ヨブは自分の義をあまりにも前面に出し過ぎていました。故意にそうしたのではありませんが,「知識がないのに」早まっていました。そして神はヨブのことを辛抱してこられました。(34:35)神の正しさを立証するためにもっと多くのことが語られる必要があります。神は義人から目をそらすことをなさらず,かえって義人を戒められます。こう記されています。「神は邪悪な者を生かしておくことをされず,苦しむ者たちの裁きを与えられる」。(36:6)神は最高の教訓者ですから,ヨブは神の働きをあがめるべきでしょう。
35 (イ)ヨブは何に注意を払うべきですか。(ロ)エホバはだれに恵みを示されますか。
35 次第にあらしが募ってゆく,畏怖の念を起こさせるような状況の中で,エリフは神の行なわれた大いなる事や,神が自然界の諸勢力を制御しておられることについて語ります。彼はヨブに向かって,「立ち止まって,神のくすしいみ業にあなたが注意深いことを示せ」と述べます。(37:14)人間が見いだし得る限界をはるかに超えた神の黄金の輝きや,畏怖の念を起こさせる尊厳について考えてみてください。また,「神は力において高められている。そして,公正と義の豊かさとを軽視なさることはない」と記されています。そうです,エホバは,「自分自身の心に賢い」者たちではなく,ご自分を恐れる人々を気に留めてくださるのです。―37:23,24。
36 そこで,エホバご自身は物事を具体的に教えるどんなものによって,また一連のどんな質問を用いて,ヨブに教えることをなさいますか。
36 エホバはヨブに答えられる(38:1-42:6)。ヨブは神に話していただきたいと願っていました。そこで,エホバは風あらしの中から堂々とお答えになります。エホバはヨブの前に一連の質問を出されますが,その質問自体,人間の弱小さと神の偉大さを具体的に教えるものとなります。「わたしが地の基を置いたとき,あなたはどこにいたのか。……だれがその隅石を据えたのか。明けの星が共々に喜びにあふれて叫び,神の子たちがみな称賛の叫びを上げはじめたときに」。(38:4,6,7)それはヨブの時代よりもずっと昔のことでした! エホバは地球の海,その雲の衣,夜明け,死の門および光と闇を指摘なさり,ヨブの答えることのできない質問が次から次に提起されます。「そのとき,あなたは生まれていたので,知っているのか。また,数においてあなたの日が多いからか」。(38:21)また,雪や雹の倉,あらしや雨や露のしずく,氷や白霜,偉大な天の星座,稲妻や雲の層,そして獣や鳥についてはどうですか。
37 さらにどんな質問を受けて,ヨブはへりくだりますか。彼は何を認め,何を行なわざるを得なくされますか。
37 ヨブは謙虚にこう認めます。「ご覧ください,私は取るに足りない者となりました。あなたに何と返答致しましょう。私の手を私は口に当てました」。(40:4)エホバは,問題に敢然と立ち向かうようヨブに命じられます。そしてさらに,自然界の被造物のうちに表わされているご自分の威厳や卓越性,および力を高める一連の挑戦的な質問を持ち出されます。ベヘモトやレビヤタンでさえヨブよりもはるかに強力です! 完全にへりくだったヨブは,自分の間違った見解を認め,また知識がないのに話していたことを認めます。ヨブは今や,うわさによってではなく,理解力をもって神を見るようになったので,前言を撤回し,「塵と灰の中で」悔い改めます。―42:6。
38 (イ)エホバはエリパズやその友とのことをどのように処置されますか。(ロ)ヨブにはどんな恵みと祝福をお与えになりますか。
38 エホバの裁きと祝福(42:7-17)。エホバは次に,エリパズとその二人の友をご自分について真実な事柄を語らなかったとして告発されます。彼らは犠牲を供えなければならず,自分たちのためにヨブに祈ってもらわなければなりません。その後,エホバはヨブの捕らわれた状態を元通りにし,2倍のものをもって彼を祝福されます。その兄弟や姉妹や以前の友人たちは贈り物を持って彼のもとに戻り,彼は以前の2倍の数の羊やらくだ,牛や雌ろばを得て祝福されます。彼は再び10人の子供をもうけ,そのうちの娘たち3人は全土で最も美しい女性となります。ヨブの寿命は奇跡的に140年延ばされ,その結果,4代にわたってその子孫を見,「年老い,よわいに満ち足りて」死にます。―42:17。
なぜ有益か
39 ヨブ記はどんな様々な仕方でエホバを高め,またほめたたえていますか。
39 ヨブ記はエホバを高め,その計り難い知恵と力を証ししています。(12:12,13; 37:23)この一つの書の中で神は31回全能者として言及されていますが,これは聖書のほかの全部の書の中でそう呼ばれる回数よりも多いのです。この記述はエホバの永遠性とその高い地位(10:5; 36:4,22,26; 40:2; 42:2),それに神の公正,愛ある親切,および憐れみ(36:5-7; 10:12; 42:12)をほめたたえています。この書は人間の救い以上にエホバの正しさの立証を強調しています。(33:12; 34:10,12; 35:2; 36:24; 40:8)イスラエルの神エホバは,ヨブの神としても示されています。
40 (イ)ヨブ記は神の創造の業をどのように大いなるものとし,またそれについて説明していますか。(ロ)この書はクリスチャン・ギリシャ語聖書の教えをどのように予示し,またそれとどのように調和していますか。
40 ヨブ記の記録は神の創造の業を大いなるものとし,またそれについて説明しています。(38:4-39:30; 40:15,19; 41:1; 35:10)それは,人間が塵から造られており,塵に戻るという創世記の陳述と調和しています。(ヨブ 10:8,9。創世記 2:7; 3:19)この書は「請け戻す方」,「贖い」,『また生きる』などの用語を用いており,このようにしてクリスチャン・ギリシャ語聖書の中で際立っている幾つかの教えを予示しています。(ヨブ 19:25; 33:24; 14:13,14)この書の表現の多くは預言者やクリスチャンの筆者たちによって用いられたり,対比されたりしています。例えば,以下の句を比べてください。ヨブ 7:17 ― 詩編 8:4。ヨブ 9:24 ― ヨハネ第一 5:19。ヨブ 10:8 ― 詩編 119:73。ヨブ 12:25 ― 申命記 28:29。ヨブ 24:23 ― 箴言 15:3。ヨブ 26:8 ― 箴言 30:4。ヨブ 28:12,13,15-19 ― 箴言 3:13-15。ヨブ 39:30 ― マタイ 24:28。c
41 (イ)ヨブ記の中ではどんな神権的規準が力説されていますか。(ロ)神の僕ヨブはどんな点で今日のわたしたちに対する優れた模範として抜きんでていますか。
41 生活の仕方のためのエホバの義にかなった規準も多くの箇所で述べられています。この書は物質主義(ヨブ 31:24,25),偶像礼拝(31:26-28),姦淫(31:9-12),ほくそ笑むこと(31:29),不公正やえこひいき(31:13; 32:21),利己主義(31:16-21),および不正やうそをつくこと(31:5)を強烈に責めており,このようなことを行なう人は神の恵みもとこしえの命も得られないことを示しています。エリフは深い敬意や慎み深さと共に大胆さ,勇気,および神を高めることなどの点で優れた模範となっています。(32:2,6,7,9,10,18-20; 33:6,33)ヨブ自身もまた,頭の権の行使の仕方,家族を思いやること,人を手厚くもてなすことなどの点で,やはり優れた教訓を残しています。(1:5; 2:9,10; 31:32)しかし,ヨブは忠誠を保つことと辛抱強い忍耐という点で最もよく覚えられており,彼が残した模範はあらゆる時代を通じて,とりわけ信仰が試みられている現代において神の僕たちにとって信仰を強める堡塁となってきました。「あなた方はヨブの忍耐について聞き,エホバがお与えになった結末を見ました。エホバは優しい愛情に富まれ,憐れみ深い方なのです」― ヤコブ 5:11。
42 王国のどんな基本的な論争がヨブ記の中で明らかにされていますか。この論争の種々のどんな興味深い面が説明されていますか。
42 ヨブは王国の約束が与えられたアブラハムの胤の一人ではありませんでしたが,それでもその忠誠に関する記録はエホバの王国の目的を解明するのに大いに役立っています。この書は神による記録の肝要な部分となっています。なぜなら,それは,神とサタンとの間の基本的な論争を明らかにしており,そこには主権者としてのエホバに対する人間の忠誠がかかわっているからです。地球や人間が造られる前に創造されたみ使いたちも観察者であって,この地球と論争の結末に非常な関心を抱いていることを,この書は示しています。(ヨブ 1:6-12; 2:1-5; 38:6,7)それはまた,この論争がヨブの時代以前から存在していたことや,サタンが実在の霊者であることを示しています。モーセがヨブ記を書いたのであれば,「ハッサーターン」という表現は,ここで初めて聖書のヘブライ語本文に現われて,「初めからの蛇」の実体をさらに示していることになります。(ヨブ 1:6,脚注。啓示 12:9)この書はまた,神が人間の苦しみや病気や死の原因ではないことを証明すると共に,邪悪な者たちや悪が存続するのを許されている一方,義人が迫害される理由を説明しています。また,論争を推し進めてその最終的な解決を図ることにエホバが関心を抱いておられることをも示しています。
43 ヨブ記に収められている神による啓示と調和して,神の王国の祝福を求める人々は今,どんな行動を取らなければなりませんか。
43 今こそ,神の王国の支配下で生きることを願う人々が皆,忠誠の歩みによって,「訴える者」であるサタンに答えなければならない時です。(啓示 12:10,11)『人を当惑させるような試練』のただ中にあってさえ,忠誠を保つ人々は,神のみ名が神聖なものとされ,その王国が到来してサタンとその取るに足りない胤すべてを踏みつぶすよう祈り続けなければなりません。それは神の「戦と戦いの日」となり,それに続いて,ヨブがあずかることを待ち望んだ解放と祝福がもたらされるでしょう。―ペテロ第一 4:12。マタイ 6:9,10。ヨブ 38:23; 14:13-15。
[脚注]
a 「聖書に対する洞察」(英文),第1巻,280,281,663,668,1166ページ; 第2巻,562,563ページ。
b 1987年(英文),第6巻,562ページ。
c 「聖書に対する洞察」(英文),第2巻,83ページ。
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聖書の19番目の書 ― 詩編『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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聖書の19番目の書 ― 詩編
筆者: ダビデおよび他の人たち
書き終えられた年代: 西暦前460年ごろ
1 詩編はどんな書ですか。どんな事柄が含まれていますか。
詩編の書は古代におけるエホバの真の崇拝者たちのための霊感を受けた歌の本です。それはエルサレムの神殿におけるエホバ神への公の崇拝のために曲をつけられ,また編曲された150の聖歌集,つまり詩編です。それはエホバへの賛美の歌です。しかしそれだけではなく,憐れみや助けを求める祈願,信頼や確信の表現をも含んでいます。そして,随所で感謝や歓喜,大いなる喜び,そうです,最高の喜びを言い表わしています。また,歴史の要約の形を取りながら,エホバの愛ある親切やその大いなるみ業に思いをはせるものもあります。預言が至る所に織り込まれており,その中には既に驚くべき成就を見たものも少なくありません。さらに,有益で人を築き上げる教訓が多く盛り込まれており,そのすべてに読者の心を深く動かす格調高い言葉と比ゆ的描写が用いられています。詩編は,美しく調理され,食欲をそそる仕方でわたしたちの前に並べられた霊的なごちそうと言えます。
2 (イ)詩編にはどんな題名が付されてきましたか。それらの題名にはどんな意味がありますか。(ロ)詩編の各編は何ですか。
2 この書の題名にはどんな意味がありますか。詩編はだれが書いたものですか。ヘブライ語の聖書でこの書は「賛美の書」という意味の「セーフェル テヒッリーム」,あるいは単に「賛美」を意味する「テヒッリーム」と呼ばれます。これは詩編 145編の表題にある,「賛美」または「賛美の歌」を意味する「テヒッラー」の複数形です。「賛美」という名称は極めて適切なものと言えます。エホバへの賛美が詩編の重要な特徴をなしているからです。英語の書名「Psalms」はギリシャ語セプトゥアギンタ訳から来ていますが,そのギリシャ語訳は,音楽の伴奏に合わせて歌われる歌を意味する「プサルモイ」という語を用いています。同じ言葉はクリスチャン・ギリシャ語聖書中にもルカ 20章42節や使徒 1章20節など数箇所に出てきます。詩編の各編は神への賛美と崇拝に用いられる聖なる歌また詩です。
3 表題は筆者に関して何を明らかにしていますか。
3 詩編の多くの詩には見出し,すなわち表題が付されており,それはしばしば筆者の名を記しています。73の見出しは,「イスラエルの調べの快いもの」であるダビデの名を挙げています。(サムエル第二 23:1)詩編 2編,72編,および95編もおそらくダビデによって書かれたものでしょう。(使徒 4:25; 詩編 72:20; ヘブライ 4:7をご覧ください。)加えて,詩編 10編と71編もそれぞれ詩編 9編と70編の続きと考えられるので,これもダビデの作とみなすことができるかもしれません。12の詩はアサフの作となっています。しかしその中にはアサフの時代より後の出来事に触れているものもあるので,明らかにアサフの家のことを指していると考えられます。(詩編 79編と80編。歴代第一 16:4,5,7。エズラ 2:41)11の詩は,コラの子たちの作であることがはっきり示されています。(歴代第一 6:31-38)詩編 43編は42編の続きのようですから,これもコラの子たちの作と考えてよいのかもしれません。詩編 88編の表題は「コラの子たち」について述べていますが,それがヘマンの作であるともしています。詩編 89編はエタンの名をその作者として記しています。詩編 90編はモーセの作とされており,91編も同じくモーセのものであろうと考えられています。詩編 127編はソロモンの作です。このように,詩編の3分の2以上は幾人かの筆者によるものとされています。
4 どれほどの期間が扱われていますか。
4 詩編の書は1冊の書としては聖書の中で最も大きな部分を占めています。詩編 90編,126編,および137編から明らかなように,詩編は長い期間をかけて書き記されました。少なくともモーセが書き記した時(西暦前1513年-1473年)を始めとして,バビロンからの復帰,そして恐らくエズラの時代(西暦前537年-460年ごろ)にまで及ぶものと思われます。したがって,詩編を書くのに約1,000年の月日がかかったことが分かります。しかしその内容は,それよりもはるかに長い期間を取り扱っています。創造の時から始まり,最後の詩が書き記されるまでの,エホバがご自分の僕たちと持たれた交渉の歴史を要約しているからです。
5 (イ)詩編の書はどのように組織を示していると言えますか。(ロ)表題はさらにどんな情報を提供してくれますか。(ハ)詩編を読む際にセラという語を発音する必要がないのはなぜですか。
5 詩編の書は組織を示しています。ダビデ自ら,『聖なる場所に入って行く,わたしの神,わたしの王の行列』に触れ,「歌うたいたちは前を行き,弦楽器を弾く者たちはその後に従い,その間にあって乙女らはタンバリンを打ち鳴らしていました。……群集の中で神を,エホバをほめたたえよ」と述べています。(詩編 68:24-26)このことから,表題に「指揮者へ」という表現が何度も使われている理由,また詩や音楽に関係ある用語が多く出てくる理由が分かります。表題の中には,個々の詩編の用途や目的を説明したり,音楽に関する指示を与えたりするものもあります。(詩編 6,30,38,60,88,102,および120編の表題をご覧ください。)ダビデの詩のうち少なくとも13の編は,作詩の契機となった出来事を簡単に述べています。詩編 18編や51編などはその例です。詩編の中の34の詩には全く表題が付いていません。「セラ」という小語が本文中に71回出てきますが,それは一般に音楽または吟唱に関する術語と考えられています。しかし,その正確な意味は分かっていません。歌,あるいは歌と器楽の演奏の双方が行なわれる際に黙想をするための小休止を指すのではないかと考える人もいます。したがって,朗読の際にこの語を発音する必要はありません。
6 (イ)詩編の書はどのような別々の巻に分けられてきましたか。(ロ)だれが詩編を最終的な形にまとめたと考えられますか。
6 昔から詩編の書は,(1)1-41編; (2)42-72編; (3)73-89編; (4)90-106編; (5)107-150編と五つの別々の書または巻に分けられてきました。これらの歌の最初の歌集はダビデによって作られたようです。詩編を最終的な形にまとめるようエホバに用いられたのは,祭司で,「モーセの律法の熟練した写字生」エズラであったと思われます。―エズラ 7:6。
7 詩編には他のどんな特徴が見られますか。
7 詩編が段階的に集められたことは,同じ詩が他の箇所にも繰り返し出てくる場合があることの説明になるのかもしれません。その例として,詩編 14編と53編,40編13節から17節と70編,57編7節から11節と108編1節から5節などが挙げられます。詩編の五つの各部分はエホバをほめたたえる言葉,すなわち「頌栄」をもって閉じられています。最初の四つは民による答唱を含んでおり,最後の部分は詩編 150編全体が頌栄を成しています。―詩編 41:13,脚注。
8 アクロスティックという作詩の形式を例をあげて説明してください。
8 九つの詩には特別な作詩の形式が用いられています。それは,アルファベット順の配列になっていることから,「アクロスティック」(折り句形式の詩)と呼ばれています。(詩編 9,10,25,34,37,111,112,119,145編)これは最初の行あるいは最初の節数行がヘブライ語のアルファベットの最初の文字アーレフ(א)で始まり,次の(数)行が二番目の文字ベート(ב)で始まるという構成になっており,このようにしてヘブライ語のアルファベットすべて,あるいはそのほとんどの文字が配列されるのです。これは記憶を助ける役をしたのかもしれません。神殿の歌うたいたちが詩編 119編などの長い歌を暗記しなければならなかったことを考えてください。興味深いことに,エホバのみ名の折り句が詩編 96編11節に見いだされます。ヘブライ語におけるこの節の前半は四つの単語から成っており,それらの語の頭文字を右から左に読むと,ヘブライ語の四文字語<テトラグラマトン>YHWH(יהוה)の四つの子音字になります。
9 (イ)詩編の中の多くの詩が思いと心に直接訴えかけてくるのはどんな背景によりますか。(ロ)ほかに何が詩編の力と美しさを引き立たせていますか。
9 これら聖なる叙情詩は,ヘブライ語の無韻詩の形式で書かれ,傑出した文体の美しさと思想の律動的な流れを誇っています。詩編は思いと心に直接語りかけ,生き生きとした情景を描き出します。主題と強い感情表現の両面に見られる驚くべき幅と深さは,一つには詩編の多くの背景をなすダビデの特別な生活体験に負っています。彼ほど波乱に富んだ人生を送った人は多くありません。彼は羊飼いの少年,ゴリアテにたった一人で立ち向かった戦士,宮廷音楽士であり,忠節な友また裏切り者の間でのけ者にされ,王また征服者となり,愛ある父でありながら自分の家の者たちの間の分裂につきまとわれました。そして2度も重大な罪の苦しみを味わったにもかかわらず,常にエホバの熱心な崇拝者であり,神の律法を愛する人であったのです。このような背景に照らしてみると,詩編の書に人間のあらゆる感情が表現されているのも不思議ではありません。ヘブライ詩の際立った特徴である並行法と対照法も,詩編の力強さと美しさを引き立たせています。―詩編 1:6; 22:20; 42:1; 121:3,4。
10 詩編の信ぴょう性は何によって証明されていますか。
10 エホバの賛美のためのこれら非常に古い歌は,聖書の他の部分と完全な調和を保っており,それゆえにその信ぴょう性は十分証明されています。クリスチャン・ギリシャ語聖書の筆者たちは幾度となく詩編の書から引用しています。(詩編 5:9 [ローマ 3:13]; 詩編 10:7 [ローマ 3:14]; 詩編 24:1 [コリント第一 10:26]; 詩編 50:14 [マタイ 5:33]; 詩編 78:24 [ヨハネ 6:31]; 詩編 102:25-27 [ヘブライ 1:10-12]; 詩編 112:9 [コリント第二 9:9])ダビデ自らその最後の歌の中でこう言っています。「わたしによって語ったのはエホバの霊で,その言葉はわたしの舌の上にあった」。サムエルによって油そそがれた日以来彼の上に働いていたのはこの霊だったのです。(サムエル第二 23:2。サムエル第一 16:13)加えて,使徒たちは詩編から引用しています。ペテロは,「聖句……聖霊がダビデの口により……あらかじめ語ったもの」に言及しています。ヘブライ人への手紙の筆者も詩編から引用した箇所で,それが神によって語られたものであると述べたり,『聖霊が述べたとおり』という表現をもってその引用句を紹介したりしています。―使徒 1:16; 4:25。ヘブライ 1:5-14; 3:7; 5:5,6。
11 それを支持する決定的な証言として,イエスご自身は何と言われましたか。
11 信ぴょう性に関する最も強力な証拠として,わたしたちは復活した主イエスが弟子たちに話された言葉を次に引用します。「わたしが話した言葉はこうでした。つまり,モーセの律法の中,そして預言者たちと詩編の中にわたしについて書いてあることはみな必ず成就するということです」。この時,イエスはヘブライ語聖書全体をユダヤ人に採用され,また彼らによく知られた仕方で区分しておられたのです。イエスの使われた詩編という表現は,ハギオグラファ(または,聖なる文書)と呼ばれる,聖書の3番目の部分全体を指しており,詩編はその部分の最初の書でした。これは,その時より二,三時間前,エマオへ向かっていた二人の弟子たちにイエスが語られた次の言葉からも確認されます。「聖書全巻にある,ご自分に関連した事柄を彼らに解き明かされた」。―ルカ 24:27,44。
詩編の内容
12 詩編は幸福に関する主題,および王国の主題をどのように直ちに打ち出しますか。
12 第一巻(1-41編)。詩編 1編,2編,10編そして33編を除いて,この部分の詩はみなはっきりダビデの作とされています。1編は冒頭から詩編の基調に触れています。それは,エホバの律法を喜び,それを昼も夜も熟考し,それに従おうとする人が幸いな者であり,不敬虔な罪人とは対照的であることを述べています。これは詩編に出てくる幸福の最初の宣言です。詩編 2編は挑戦的な質問で始まっており,地のすべての王と高官たちが連合して,「エホバとその油そそがれた者に敵対」する立場を取っていることを告げています。エホバは彼らをあざ笑い,激しい怒りを抱いて彼らに語られます。「わたしは,まさしくわたしは,わたしの聖なる山シオンにわたしの王を立てた」。反対する者すべてを砕き,粉々にする方はエホバなのです。他の王や支配者たちよ,「恐れを抱いてエホバに仕え」,神のみ子を認めなさい。さもなければ,あなた方は滅びてしまうのです。(2,6,11節)こうして,詩編は直ちに聖書の王国の主題を打ち出します。
13 ほかにどんなことが詩編の最初の詩集を際立たせていますか。
13 この最初の詩集では,請願と感謝の両方の祈りが顕著な位置を占めています。詩編 8編はエホバの偉大さを人間の微小さと対照させ,14編は神の権威に服そうとしない人々の愚かさを暴露しています。詩編 19編はエホバ神のくすしい創造物がその栄光を告げ知らせる様子を描き,その7節から14節は,後ほど詩編 119編で大規模に取り上げられる,神の完全な律法を守ることによってもたらされる有益な報いを称賛するものとなっています。詩編 23編はあらゆる文学作品の中の傑作の一つとして世界的に認められています。しかし,エホバに対する忠節な信頼を美しい簡潔さをもって表現している点で,それは一層崇高な詩と言えます。わたしたちが皆,『大いなる牧者エホバの家に長い日々にわたって住む』ことができますように!(23:1,6)詩編 37編は悪行者の中に住む,神を恐れる人々に良い助言を与えており,40編は神のご意志を行なう喜びを言い表わしています。それはまさにダビデ自身の経験でもあったのです。
14 詩編の第二巻には請け戻しについてどんなことが述べられていますか。ダビデのどんな祈りが特色となっていますか。
14 第二巻(42-72編)。この部分はコラ人の八つの詩をもって始まっており,詩編 42編と43編はともにコラの子たちの作とされています。この二つの詩は実際には繰り返し出て来る詩句によって結び合わされた3連からなる一つの詩だからです。(42:5,11; 43:5)詩編 49編は贖い主を備えることが人間にとって不可能であることを強調し,人を「シェオルの手から」請け戻してくださる力のある方として神を指し示しています。(15節)詩編 51編は,ダビデがヒッタイト人ウリヤの妻バテ・シバとの重大な罪を犯した後にささげた祈りで,彼の真の悔い改めを表現しています。(サムエル第二 11:1-12:24)この部分は,「ソロモンに関して」という題の詩で閉じられており,それは,彼の平和な統治を,また彼と共にエホバの祝福があることを願う祈りとなっています。―詩編 72編。
15 第三巻はイスラエルの歴史,エホバの裁き,エホバの王国契約に関してどんなことを述べていますか。
15 第三巻(73-89編)。この部分の少なくとも二つの詩,すなわち74編と79編は西暦前607年のエルサレムの滅亡後に作られました。それらはこの大変災を嘆き悲しみ,『そのみ名の栄光のために』ご自分の民を助けてくださるようエホバに嘆願しています。(79:9)詩編 78編は,モーセの時から,ダビデが『その心の忠誠にしたがって彼らを牧しはじめた』時までのイスラエルの歴史を説明しています。(72節)詩編 80編は,真の「イスラエルの牧者」がエホバであることを示しています。(1節)詩編 82編と83編は,エホバがご自分の敵とご自分の民の敵とに裁きを執行してくださるよう強く訴えかけています。それは決して復しゅう心に根ざした訴えではなく,次の願いに基づく訴えなのです。「エホバよ……人々があなたのみ名を尋ね求めるため……人々が,その名をエホバというあなたが,ただあなただけが全地を治める至高者であることを知るためです」。(83:16,18)この部分の最後の詩は89編で,「エホバの愛ある親切の表現」を強調しています。それはダビデと結ばれた契約において顕著に示されました。それはダビデの王座に着く永遠の相続人のためのものであり,その方はエホバの前で定めのない時に至るまで支配するのです。―1,34-37節。
16 第四巻はどのようにエホバの王権と,エホバが契約を守ってくださることとをたたえていますか。
16 第四巻(90-106編)。第三巻と同じく,この部分には17の詩が収められています。それはモーセの祈りで始まり,神のとこしえの存在と死すべき人間の短い一生とをはっきり浮き彫りにしています。詩編 92編はエホバの卓越した特質をほめたたえています。次に,詩編 93編から100編までの荘重な詩の一群が続きます。そして,それらの詩は心を鼓舞する次の叫びで始まっています。「エホバ自ら王となられた!」それゆえ,「地のすべての者」は「エホバに向かって歌い,そのみ名をほめたたえ(る)」よう呼びかけられています。「エホバは大いなる方,大いに賛美されるべき方だから」です。「エホバはシオンにおいて大いなる方」なのです。(93:1; 96:1,2,4; 99:2)詩編 105編と106編は,エホバがご自分の民のためにしてくださった驚嘆すべき業に対し,また,民が幾度となくつぶやき,悪に逆もどりしたにもかかわらず,アブラハムとの契約を忠実に守ってその胤に地を与えてくださったことに対し,感謝を言い表わしています。
17 詩編 104編はどんな特別な関心を呼び起こさせますか。これ以後どんな主題が繰り返し出てきますか。
17 詩編 104編はわたしたちに特別な関心を呼び起こさせます。この詩はエホバが身に帯びておられる尊厳と光輝をほめたたえ,その多くのみ業と地の産物とに見られる神の知恵について説明しています。次いで,詩編全巻の主題が力強く鳴り響きます。「あなた方はヤハを賛美せよ」との叫びが初めて出てくるからです。(35節)そのみ名が当然受けるべき賛美をエホバに帰すよう真の崇拝者たちを促すこの呼びかけは,ヘブライ語では「ハレルー・ヤーハ」,すなわち「ハレルーヤー」というわずか一語です。この語句は世界じゅうの人々に知られています。この節を最初として,この表現は24回出てきており,幾つかの詩は初めと終わりの両方にこの表現を用いています。
18 (イ)詩編 107編はどんな繰り返し句が特色となっていますか。(ロ)いわゆるハレル詩編と呼ばれているものは何ですか。
18 第五巻(107-150編)。詩編 107編にはエホバの救出の業が描かれており,「ああ,その愛ある親切に対して,人の子らへのそのくすしいみ業に対して,人々がエホバに感謝するように」という旋律的な繰り返し句が出てきます。(8,15,21,31節)詩編 113編から118編はいわゆるハレル詩編と呼ばれるものです。ミシュナによると,ユダヤ人は過ぎ越しの時,またペンテコステ,仮小屋,および献納の祭りの時にこれらの詩を歌いました。
19 詩編 117編と119編はどのように対照をなしていますか。119編にはどんな特徴が見られますか。
19 詩編 117編は簡潔さのうちにも力に満ちており,詩編の中で,また聖書の章としても最も短いものとなっています。詩編 119編は詩編の中で,また聖書の章としても最も長く,一つの連が八つの節からなり,各々の連が22文字のアルファベット順に配列されており,節の合計は176となっています。それらの中の二つの節(90節と122節)を除いてすべての節が,何らかの形でエホバ神のみ言葉あるいは律法について触れており,詩編 19編7節から14節に出てくる表現(律法,諭し,命令,おきて,司法上の定め)の全部または幾つかが各々の連の中で繰り返されています。神の言葉が次の八つの表現,すなわち,おきて,司法上の定め,律法,命令,規定,諭し,みことば,およびみ言葉のいずれかによって170回以上述べられています。
20,21 (イ)登って行くときの歌とは何ですか。(ロ)それらは一致した崇拝の必要性に対するダビデの認識をどのように言い表わしていますか。
20 次に,詩編 120編から134編までの15編からなる別の一群の詩,登って行くときの歌があります。その意味が十分に理解されていないために,翻訳者はこの表現を色々な仕方で訳しています。この表現がこの一群の詩の高遠な内容を指すという人もいますが,これらの詩が霊感を受けて記された詩編の他のものより高遠だと考える明白な理由はないように思えます。多くの注解者は,これらの歌が年ごとの祝祭のためにエルサレムに旅行する,あるいは「登って」行く崇拝者たちによって歌われたことがこの表題の由来ではないかと考えています。その旅は,首都がユダの山々の高い所にあったために,登って行く旅と考えられていたからです。(エズラ 7:9と比較してください。)ダビデは神の民が崇拝の面で一致することの必要性を特に深く認識していました。彼は「エホバの家に行こう」という招待の言葉を聞くとき歓びました。そして,各部族は「エホバのみ名に感謝をささげるために」実際に上って行きました。それゆえ,彼はエルサレムの平和,安全,そして繁栄を真に願って,こう祈りました。「わたしたちの神エホバの家のゆえに,わたしはあなたのために善を求めつづけよう」。―詩編 122:1,4,9。
21 詩編 132編は,契約の箱によって象徴されているエホバにふさわしい休み場を見いだすまで自分に休みを与えない,というダビデの誓いについて語っています。契約の箱がシオンに据えられた後,シオンを選んだエホバの言葉が美しい詩的な表現で述べられています。「これは永久にわたしの休み場である。ここにわたしは住むであろう。わたしはそれを慕ったからである」。エホバはこの崇拝の中心地を承認されました。『エホバはそこに祝福をお命じになったから』です。「エホバがシオンからあなたを祝福してくださいますように」。―132:1-6,13,14; 133:3; 134:3。詩編 48編もご覧ください。
22 (イ)エホバはどのように賛美にふさわしい方としてほめたたえられていますか。(ロ)詩編の輝かしい主題は最後の詩でどのように最高潮に達しますか。
22 詩編 135編は,むなしく無意味な偶像とは対照的に,ご自分の喜びとすることをすべて行なわれる,賛美にふさわしい神としてエホバをほめたたえています。偶像を作る者たちは偶像と全く同じになります。詩編 136編は応答歌で,各節の結びは,「その愛ある親切は定めのない時にまで及ぶからである」という表現になっています。このような応答文は色々な場合に用いられたことが分かります。(歴代第一 16:41。歴代第二 5:13; 7:6; 20:21。エズラ 3:11)詩編 137編は,バビロンへ流刑となったユダヤ人の心に宿るシオンへの思いを詠んでおり,故国から遠く離れていても,彼らがシオンの歌また詩を忘れなかったことを証ししています。詩編 145編はエホバの善良さと王権をあがめ,エホバが『ご自分を愛する者すべてを守っておられ,邪悪な者については,彼らをみな滅ぼし尽くされる』ことを示しています。(20節)次いで,感動的な結論として,詩編 146編から150編は再び詩編の書の輝かしい主題を取り上げています。その各編は,「あなた方はヤハを賛美せよ!」という表現で始まり,同じ表現で終わっています。この賛美の旋律は段々と強さを増し,詩編 150編に至って壮大な最高潮に達します。そのわずか6節の中で,すべての創造物に対し,エホバを賛美するようにとの呼びかけが13回もなされています。
なぜ有益か
23 (イ)詩編にはどんな生きた音信が含まれていますか。(ロ)エホバのみ名と主権はどのように高められていますか。
23 聖書の詩編は,その美しさと文体の完全さゆえに,あらゆる言語における最高の文学作品の中に数えられるべきものです。しかし,それは単なる文学以上のものです。詩編は全宇宙の至上の主権者,エホバ神ご自身からの生きた音信なのです。それは聖書の基本的な教えに対して深い洞察力を与えます。そして何よりも,その著者エホバについて語っています。エホバが宇宙とその中にあるすべてのものの創造者であることを明確に示しています。(8:3-9; 90:1,2; 100:3; 104:1-5,24; 139:14)エホバというみ名は詩編の書の中で確かに大いなるものとされており,約700回出てきます。さらに,その短縮形である「ヤハ」という表現は43回使われていますから,平均すると,神の名は詩編の各編に約5回述べられていることになります。その上,エホバはエローヒームすなわち神として約350回述べられています。詩編の幾つかの詩の中で,エホバは「主権者なる主」と語られており,それはエホバの至上の支配権を明らかにしています。―68:20; 69:6; 71:5; 73:28; 140:7; 141:8。
24 詩編の中では死すべき人間に関して何と述べられていますか。どんな健全な助言が与えられていますか。
24 とこしえの神とは対照的に,死すべき人間は罪のうちに生まれ,それゆえに請け戻してくださる方を必要としている者,また,死んで,「打ち砕かれた物」に帰る者,すなわち人類共通の墓であるシェオルに下って行く者として示されています。(6:4,5; 49:7-20; 51:5,7; 89:48; 90:1-5; 115:17; 146:4)詩編の書は,神の律法に注意を払ってエホバに依り頼むことの必要性を強調しています。(1:1,2; 62:8; 65:5; 77:12; 115:11; 118:8; 119:97,105,165)それは,せん越さと「覆い隠されている罪」について警告し(19:12-14; 131:1),正直さと健全な交わりを勧めています。(15:1-5; 26:5; 101:5)また,正しい行ないがエホバの是認を受けることを示しています。(34:13-15; 97:10)さらに,「救いはエホバのもの」,エホバはご自分を恐れる者たちに関しては『彼らの魂を死から救い出す』と述べて,明るい希望を差し伸べています。(3:8; 33:19)この希望はわたしたちの注意を詩編の預言的な面に向けさせます。
25 (イ)詩編の書には何が文字通りぎっしり詰まっていますか。(ロ)ペテロは大いなるダビデがだれかを明らかにするため,どのように詩編を用いましたか。
25 詩編の書には預言が文字通りぎっしり詰まっており,「ダビデの子」であるイエス・キリスト,およびキリストがエホバの油そそがれた者また王として果たす役割を予示しています。a (マタイ 1:1)クリスチャン会衆が西暦33年のペンテコステの日に誕生した時,聖霊がこれらの預言に関して使徒たちに啓発を与えはじめました。その日,ペテロは詩編から度々引用し,彼の有名な話の主題を展開させました。それは「ナザレ人イエス」という人物に関するものでした。彼の論議の後半の部分はほとんどが詩編からの引用に基づいており,キリスト・イエスが大いなるダビデであること,エホバはイエスの魂をハデスに捨て置かず,彼を死人の中からよみがえらされることを証明しています。そうです,「ダビデは天に上りませんでした」が,彼が詩編 110編1節で予告したように,彼の主は天に上ったのです。ダビデの主とはだれですか。ペテロの話は最高潮に達し,その質問に力強く答えます。「あなた方が杭につけたこのイエス」です。―使徒 2:14-36。詩編 16:8-11; 132:11。
26 ペテロの話が有益であったことはどのように明らかになりましたか。
26 詩編に基づくペテロの話は有益なものだったでしょうか。それは,その同じ日に,バプテスマを受けた約3,000人の人たちがクリスチャン会衆に加えられたという事実から明白です。―使徒 2:41。
27 「聖霊」は詩編 2編をどのように解釈しましたか。
27 それからしばらく後の特別の集まりにおいて,弟子たちはエホバに懇願し,詩編 2編1節と2節を引用しました。彼らはこの聖句が,神の「聖なる僕イエス,[神の]油そそいだ方」に支配者たちが団結して反対したことにおいて成就したと述べました。記録は続けて,彼らが『ひとり残らず聖霊に満たされた』と述べています。―使徒 4:23-31。
28 (イ)パウロはヘブライ 1章から3章で,詩編を用いてどんな議論を展開していますか。(ロ)メルキゼデクの祭司職についてのパウロの論議に関し,詩編 110編4節はどのようにその根拠を提出していますか。
28 次にヘブライ人への手紙と照らし合わせてみましょう。最初の2章には,神によって天の王座に就けられたみ子イエスがみ使いたちに勝っていることに関し,詩編から幾度も聖句が引用されています。パウロは詩編 22編22節や他の聖句から,イエスが「兄弟たち」,すなわちアブラハムの胤の成員で,「天の召しにあずかる人たち」からなる会衆を持っていることを示しています。(ヘブライ 2:10-13,16; 3:1)次いで,ヘブライ 6章20節から7章全体を通じて,同使徒はイエスが『メルキゼデクのさまにしたがう永久の大祭司』として就く,付け加えられた任務について詳しく述べています。これは詩編 110編4節に記されている,誓いのもとになされた神の約束に言及したものです。パウロは何度もこの約束に触れながら,イエスの祭司職がアロンの祭司職に勝っていることを証明しています。彼は,イエス・キリストがエホバの誓いによる祭司であり,地上の祭司ではなく,天の祭司であることを説明し,イエス・キリストは「永久に祭司のままです」と述べています。イエス・キリストの祭司としての奉仕は,とこしえの益をもたらします。―ヘブライ 7:3,15-17,23-28。
29 詩編に述べられていて,ヘブライ 10章5節から10節に説明されているどんな際立った専心の模範にわたしたちは注意を払うべきですか。
29 さらに,ヘブライ 10章5節から10節は,自分に対する神のご意志であった犠牲の道に対するイエスの立派な認識と,神のご意志を成し遂げようとするその決意をわたしたちに告げています。これは詩編 40編6節から8節のダビデの言葉に基づいています。この模範的な専心の霊はわたしたちすべてに最大の益をもたらします。わたしたちはそれを熟考し,それに倣うことによって,神の是認を受けることができるからです。―詩編 116:14-19もご覧ください。
30 詩編はどのようにイエスの歩みを詳細に予告していましたか。イエスはそれらからどのように慰めを得られたに違いありませんか。
30 詩編は,苦しみの杭の上でのあの厳しい試みを最高潮とするイエスの歩みを驚くほど詳細に予告していました。それには,人がイエスに酢を与えて飲ませようとすること,その外衣に関してくじが引かれること,手と足がひどく痛めつけられること,愚ろうされること,また,「わたしの神,わたしの神,なぜわたしをお見捨てになりましたか」というあの苦しみの叫びに表われる悲痛な精神的苦もんが取り上げられています。(マタイ 27:34,35,43,46。詩編 22:1,7,8,14-18; 69:20,21)ヨハネ 19章23節から30節に示されているように,イエスはそのような時でさえ詩編から多くの慰めと導きを得られたに違いありません。それらの聖句がすべて詳細に至るまでことごとく成就されなければならないことを知っておられたのです。イエスは,詩編に自分が復活し,高く上げられると記されていることを知っておられました。ご自分の死の前夜に使徒たちと「賛美」すなわち詩編を歌うことに率先された時,そのような事柄を思いに留めておられたに違いありません。―マタイ 26:30。
31 王国の胤とイエスの会衆に関連して詩編の書は何を予告していますか。
31 このようにして詩編は,「ダビデの子」そして王国の胤が,今や天のシオンにおいて王また祭司として高められているキリスト・イエスであることを明確にしています。エホバのこの油そそがれた者に関する成就として,クリスチャン・ギリシャ語聖書に引用されている詩編の聖句すべてを詳細に説明することは紙面の都合でできませんが,幾つかの例をほかにも記してみましょう。詩編 78:2 ― マタイ 13:31-35。詩編 69:4 ― ヨハネ 15:25。詩編 118:22,23 ― マルコ 12:10,11と使徒 4:11。詩編 34:20 ― ヨハネ 19:33,36。詩編 45:6,7 ― ヘブライ 1:8,9。また,真の追随者からなるイエスの会衆のことも詩編の中で予告されています。しかし,それは個人としてではなく,エホバのみ名を賛美する業にあずかるためにあらゆる国民の中から神の恵みの中に入れられた群れとしてです。―詩編 117:1 ― ローマ 15:11。詩編 68:18 ― エフェソス 4:8-11。詩編 95:7-11 ― ヘブライ 3:7,8; 4:7。
32 (イ)詩編を研究することにより,エホバがご自分の正しさを立証されることと王国の目的についてどんなことが理解できますか。(ロ)その王権に対する認識を示すために,わたしたちはどのように忠節と感謝を表わすべきですか。
32 エホバ神がご自分の栄光とご自分の正しさの立証のために約束の胤また王国の相続者を通して行使される王権に関するわたしたちの認識は,詩編を研究することにより大いに深められます。わたしたちが,『エホバの尊厳の栄光に満ちた光輝』に歓喜する忠節な者たちの中に,また,「賛美。ダビデによる」と述べられている詩編 145編が言及する者たちの中に常に見いだされますように。「彼らはあなたの王権の栄光について語り,あなたの力強さについて話します。それは,その力強い行ないと,その王権の光輝に満ちた栄光とを人の子に知らせるためです。あなたの王権は定めのないすべての時にわたる王権,あなたの統治権は代々限りなく続きます」。(詩編 145:5,11-13)この預言的な詩が述べているように,キリストによる神の設立された王国の光輝は今すでにあらゆる国の人の子らに知らされているのです。その王国とその王にわたしたちは深く感謝すべきではないでしょうか。詩編の結びの言葉は確かに適切なものと言えます。「すべて息あるもの ― それはヤハを賛美せよ。あなた方はヤハを賛美せよ!」―150:6。
[脚注]
a 「聖書に対する洞察」(英文),第2巻,710,711ページ。
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聖書の20番目の書 ― 箴言『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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聖書の20番目の書 ― 箴言
語り手: ソロモン,アグル,レムエル
書かれた場所: エルサレム
書き終えられた年代: 西暦前717年ごろ
1 箴言の書にはどんな知恵が見いだされますか。
ダビデの子ソロモンは,西暦前1037年にイスラエルの王となった時,『この大いなる民を裁く』ための「知恵と知識」をエホバに祈り求めました。その祈りにこたえて,エホバは『知識と知恵と理解のある心』を彼にお与えになりました。(歴代第二 1:10-12。列王第一 3:12; 4:30,31)その結果,ソロモンは『三千の格言を語り』ました。(列王第一 4:32)このようにして語られた知恵の言葉のあるものが,聖書の箴言の書に記録されたのです。彼の知恵は,実際には「神が彼の心に授けられた」ものですから,わたしたちは箴言を研究することにより,実際にはエホバ神の知恵を研究していることになります。(列王第一 10:23,24)これらの箴言はとこしえの真理を要約したものであり,今日においても,最初に述べられた時と同じく時代に即したものと言えます。
2 ソロモンの時代が箴言の中の神の導きを与えられるのにふさわしい時期であったと言えるのはなぜですか。
2 ソロモンの統治の期間は,そうした神の導きが与えられるのにふさわしい時期でした。ソロモンは『エホバの王座に座した』と述べられています。イスラエルの神権王国は当時その最盛期にあり,ソロモンは他に例を見ないほどの「王威」を付与されていました。(歴代第一 29:23,25)それは平安と豊じょうの時代であり,安らかな時代でした。(列王第一 4:20-25)しかしそのような神権支配のもとにあっても,民は人間の不完全さゆえに,依然として個人的な問題や困難を抱えていました。民が問題解決のための援助を賢い王ソロモンに求めたのは容易に理解できることです。(列王第一 3:16-28)そうした多くの訴えに関して裁きを下す際,彼は日々の生活の場で生じる多くの状況に当てはまる格言的なことばを述べました。それら簡潔で,しかも感銘を与えることわざは,自分の生活を神のご意志にそった仕方で送ろうとする人々の深く愛重するものとなりました。
3 箴言はどのように編さんされましたか。
3 記録によると,ソロモンは箴言を書いたのではありません。彼は箴言を『語った』,そしてさらに,「徹底的に調べたのである。それは多くの箴言をまとめるためであった」と記されています。これから明らかなように,ソロモンは箴言を後世に伝えてそれを役立たせることに関心があったようです。(列王第一 4:32。伝道の書 12:9)ダビデとソロモンの時代には,廷臣の名簿に公式の書記官の名が記載されていました。(サムエル第二 20:25。列王第二 12:10)ソロモンの宮廷に仕えたそれらの書記が彼の箴言を記録し,収集したかどうかは分かりませんが,ソロモンのような能力を備えた支配者の言葉であれば当然重視されたでしょうし,それを記録することも自然なことだったと考えられます。この書は,集録された他の書から編さんされたものであるという点で一般に意見が一致しています。
4 (イ)箴言の書は一般的にどのように分けられていますか。(ロ)箴言の大部分はだれから出たものですか。
4 箴言の書は次の五つの部分に分けることができるかもしれません。(1)「ダビデの子,ソロモンの箴言」という表現で始まる1-9章。(2)「ソロモンの箴言」として示されている10-24章。(3)「これらもまた,ユダの王ヒゼキヤの者たちが書き写したソロモンの箴言である」という説明で始まる25-29章。(4)「ヤケの子アグルの言葉」として紹介される30章。(5)「王レムエルの言葉。その母が矯正のため彼に与えた重みのある音信」からなる31章。このように,箴言の大部分はソロモンによるものです。アグルとレムエルがだれかについて,はっきりしたことは何も分かっていません。レムエルはソロモンの別名であったのではないかと考える注釈者もいます。
5 箴言はいつ書かれ,いつ編さんされましたか。
5 箴言はいつ書かれ,編さんされたのでしょうか。その大部分は疑いなくソロモンの治世中(西暦前1037-998年),それも彼が道を踏みはずさないうちに書き記されたものと思われます。アグルとレムエルがだれであるかがはっきりしていないので,それらの部分に関する時を確定することは不可能です。箴言の一部はヒゼキヤの治世中(西暦前745-717年)に集録されましたから,最後の部分の集録が彼の治世以前になされたと考えるのは無理でしょう。最後の二つの部分もヒゼキヤ王の権限によって集録されたのでしょうか。その答えとして,「新世界訳聖書 参照資料付き」の中に箴言 31章31節に関する次のような大変参考になる脚注があります。「ヘブライ語本文の印刷版の中には,三文字語<トリグラマトン>,すなわちヘート,ザイン,コーフの三つの文字(הזק)の記載されたものがある。それはヒゼキヤ王の書記たちの書写したものに付された王の署名で,その仕事が完了したことを意味している」。
6 箴言とは何ですか。この書のヘブライ語の題名はなぜ適切ですか。
6 この書はヘブライ語聖書の中ではもともと,その冒頭に出て来る,「箴言」を意味する「ミシュレー」という言葉で呼ばれました。しかし,「ミシュレー」はヘブライ語の名詞「マーシャール」の複数形,合成形であり,この名詞は,「のようである」または「と比較できる」を意味する語根から派生した語であると一般に考えられています。これらの語はこの書の内容を的確に表現しています。箴言とは,しばしば類似や比較を用い,聴く人に考えさせるよう意図された簡潔な名言のことだからです。その簡潔な表現形式は箴言を分かりやすく,興味深いものにし,また教えやすく,学びやすく,覚えやすいものにしています。考えが銘記されるのです。
7 箴言の文体にはどんな特徴が見られますか。
7 箴言の表現様式も大変興味深いものです。それはヘブライ詩の様式を取っており,大部分は並行詩で構成されています。その場合,各行や各節の終わりは韻を踏みません。すなわち,同じような音になりません。むしろ,並行した考えや思想が律動的な各行に盛り込まれるのです。その美しさと教訓の力強さは,こうした考えのリズムにあります。その考えは同義的であったり,対照的であったりしますが,そこには並行による力が生じ,考えを敷延したり,概念を押し広めたり,その考えの中の意味を確実に伝えたりします。同義的並行の例は箴言 11章25節,16章18節および18章15節に見られます。対照的並行の例はそれよりもはるかに多く,箴言 10章7節と30節,12章25節,13章25節および15章8節などが挙げられます。もう一つの形式は箴言の最後(箴言 31:10-31)に見いだされるもので,22の節が,ヘブライ語ではヘブライ語のアルファベットの配列になっており,各節がアルファベットの文字の順番に始まります。これは詩編の中の幾つかの詩に用いられているものと同じ折り句<アクロスティック>の形式で,その美しさは古代の文学作品に類例のないものです。
8 初期クリスチャンが箴言を用いたことはどのようにその信ぴょう性を証明していますか。
8 箴言の信ぴょう性については,初期クリスチャンが行動の基準を述べる際に箴言の書を広く用いたことからも証明されます。ヤコブは箴言に精通していたらしく,クリスチャンの行状に関して与えた優れた助言の中で,その基本的な原則を用いました。(箴言 14:29; 17:27とヤコブ 1:19,20; 箴言 3:34とヤコブ 4:6; 箴言 27:1とヤコブ 4:13,14とを比較してください。)箴言からの直接の引用も次の箇所に見られます。ローマ 12:20 ― 箴言 25:21,22。ヘブライ 12:5,6 ― 箴言 3:11,12。ペテロ第二 2:22 ― 箴言 26:11。
9 箴言は聖書の他の部分とどのように調和していますか。
9 それに加えて,箴言はそれ自体が聖書の他の部分と調和しており,そのことは,箴言が「聖書全体」の一部である証明となっています。モーセの律法,イエスの教え,イエスの弟子や使徒たちの書いたものと照らし合わせると,箴言は考えの面でそれらと著しい一致を保っています。(箴言 10:16 ― コリント第一 15:58とガラテア 6:8,9; 箴言 12:25 ― マタイ 6:25; 箴言 20:20 ― 出エジプト記 20:12とマタイ 15:4をご覧ください。)地球を人間の住みかとするための準備段階などに関する点においても,聖書の他の筆者と考えの一致を示しています。―箴言 3:19,20。創世記 1:6,7。ヨブ 38:4-11。詩編 104:5-9。
10,11 箴言が神の霊感を受けた書であることは他のどんなことから証明されますか。
10 箴言が神の霊感を受けたものであることを示すもう一つの証拠は,それが化学,医学,保健に関するどんな原則を扱っている場合でも,科学的に正確であるという点です。箴言 25章20節は酸-アルカリの反応について述べているものと思われます。箴言 31章4節と5節は,アルコールが思考の過程を鈍くするという現代科学の研究結果と一致しています。多くの医師や栄養学者は,はち蜜が健康によい食品であることについて意見の一致を見ており,これは次の箴言を思い起こさせます。「我が子よ,はち蜜を食べよ。それは良いからである」。(箴言 24:13)現代の心身医学に関する知識は,箴言にとって新しいものではありません。『喜びに満ちた心は治療薬として良く効く』― 17:22; 15:17。
11 実際,箴言の書は人間の必要とする事柄や直面する状況を完全に網羅しているため,ある権威者は次のように述べました。「生活のあらゆる関係に適切な教訓が与えられており,善い性向にも悪い性向にもその各々にふさわしい動機や矯正が与えられている。人間の認識はすべての場で神と直接のかかわりを持っており,……人は自分の創造主であり裁き主である方のみ前に歩むのである。この古代の書の中にはあらゆる種類の人間が見いだされる。そしてそれが3,000年前に描かれたとはいえ,生きた代表例からたった今写し出されたかのように,なおも真に迫っている」― スミスの「聖書辞典」(英文),1890年版,第3巻,2616ページ。
箴言の内容
12 (イ)箴言の最初の部分はどんな詩が結び合わされたものですか。(ロ)それは知恵と人の行状について何を教えていますか。(ハ)箴言 1章7節はどのようにこの書全体の方向を定めていますか。
12 第一部(1:1-9:18)。この部分は,父親が息子に語りかけるかのような短い講話をなす詩を結び合わせたもので,心すなわち内なる人全体を導き,欲望を正しい方向に向かわせるために知恵が必要であることを論じています。それは知恵の価値とその祝福,すなわち幸福,快さ,平安,命について教えています。(1:33; 3:13-18; 8:32-35)また,この点を知恵の欠如とその結果,すなわち苦しみや最終的な死と対照させています。(1:28-32; 7:24-27; 8:36)人生の種々様々な状況や起こり得る事態を考慮して,箴言の書は人の行状とその行状の現在および将来の結果について基本的な検討を加えています。箴言 1章7節の言葉はこの書全体の方向を定めています。「エホバへの恐れは知識の初めである」。すべての行動は,エホバを考慮に入れていることを示すものでなければなりません。神の律法を忘れてはならないこと,そのおきてをしっかり守り,それを捨ててはならないことが繰り返し述べられています。
13 箴言の最初の部分を通して流れている主要な考えは何ですか。
13 この最初の部分の論議を構成している主要な要素は,実際的な知恵,知識,エホバへの恐れ,懲らしめ,そして識別力です。悪い仲間,エホバの懲らしめを退けること,よその女と不道徳な関係を持つことに対して警告が与えられています。(1:10-19; 3:11,12; 5:3-14; 7:1-27)二度,知恵は公共広場にいると描かれています。したがってそれは入手すること,得ることが可能なものなのです。(1:20,21; 8:1-11)知恵は擬人化され,経験のない者たちに向かって訴えかけ,地球の創造の解明に光を投げかけることさえします。(1:22-33; 8:4-36)これは何と驚くべき書なのでしょう。この部分は,『エホバへの恐れは知恵の始めである』という最初の主題をもって終わります。(9:10)全体を通じて,エホバをわたしたちすべての道において認め,それと同時にその義に付き従うことが命の道であり,それは非常に多くの望ましくない事柄からわたしたちを守るものとなることが論じられています。
14 対照をなすどんな並行法が箴言の実際的な教えを際立たせていますか。
14 第二部(10:1-24:34)。この部分には,知恵を人生の複雑な状況に当てはめた,互いに無関係な多くの優れた金言が収められています。それは適切な適用をわたしたちに教えることにより,幸福を増し加え,生活をより楽しいものにさせることを目的としています。並行法における対照によって,それらの教えはわたしたちの思いに深く刻まれます。10章,11章,12章で考慮されている主題を部分的に書き出すだけでも,次のような一覧表が出来上がります。
愛と憎しみ
知恵と愚かさ
正直と詐欺
忠実さと中傷
真実と偽り
寛大さと物惜しみすること
勤勉と緩慢
忠節な歩みと曲がった道
良い計り事と,巧みな指導の欠如
有能な妻と恥をもたらす妻
義と邪悪
慎みとせん越
日常生活と関連してこの表を考慮するなら,箴言がいかに実際的な書であるかを確信させられるに違いありません。
15 箴言は人間のどんな様々な状況を取り上げているか,その幾つかの例を挙げてください。
15 この部分の残り(13:1-24:34)は引き続きエホバの物事の基準を銘記させるものであり,わたしたちに洞察力と識別力を得させることをその目的としています。取り上げられている人間の様々な状況を一覧すると,この書がいかに広い範囲の事柄を扱っているかが分かります。見せかけ,せん越さ,約束を守ること,明敏さ,交わり,子供の矯正と訓練,何が正しいかに対する人の見方,怒ることに遅くあるべきこと,苦しんでいる人に対する恵み,詐欺,祈り,あざけり,生活必需品があればそれで満足すること,誇り,不当な利得,わいろ,口論,自制,孤立すること,沈黙,えこひいき,言い争い,謙遜さ,ぜいたく,父と母を世話すること,酔わせる飲み物,欺くこと,妻の特質,贈り物,借りること,貸すこと,親切,確信,所有地の境界線,家を築き上げること,そねみ,仕返し,むなしさ,温和な答え,黙想と真の交友 ― こうした事柄に関して聖書の助言を得られるのは非常に有益です。日常生活に対する健全な導きのために,何と多くの助言が集録されているのでしょう。ある人にとって,これらの項目の中には重要でないと思えるものも幾つかあるかもしれません。しかしそれによってわたしたちは,聖書が小さな事柄と見える問題に関してもわたしたちの必要を軽視していないことに気づかされます。この点,箴言には計り知れない価値があります。
16 箴言の第三部にはどんな建設的な助言が収められていますか。
16 第三部(25:1-29:27)。誉れ,辛抱,敵,愚鈍な者に対処する仕方,面白がること,へつらい,ねたみ,友によって傷つけられること,飢え,中傷,責任を果たすこと,利息,告白,邪悪な者が支配する時の結果,尊大さ,義なる者が支配する時の祝福,子供の非行,僕の扱い方,洞察力,および幻に関する建設的な助言が収められています。
17 (イ)アグルはどんな「重みのある音信」を述べていますか。(ロ)四つのものからなるどんな組み合わせが描写されていますか。
17 第四部(30:1-33)。この部分は,アグルのものとされている「重みのある音信」です。自分が重要な者でないことを謙遜に認めた後,筆者は人間が地もその中にあるものをも創造しえないことを述べています。彼は神の言葉を精錬されたものと呼び,また神を盾と表現しています。そして,虚言を自分から遠ざけてくださるよう,自分に富も貧しさも与えないでくださるよう願っています。また,自分の両親の上に災いを呼び求める,不浄で高慢かつ貪欲な世代について説明しています。「十分だ!」と言ったことのない四つのもの,さらに,理解することが甚だ難しい四つのものが取り上げられています。(30:15,16)姦淫を行なう女が自分には罪はないと決め込む厚かましさが述べられています。次いで,地がその下で耐えることのできない四つのもの,本能的に賢い四つのもの,足取りの速い四つのものが描かれています。さらに,適切な比較を用いて,「怒りを押し出すと言い争いが生じる」ことを筆者は警告しています。―30:33。
18 レムエル王は(イ)悪い女について,(ロ)有能な妻について何と述べていますか。
18 第五部(31:1-31)。この部分はもう一つの「重みのある音信」で,王レムエルによるものです。二種類の文体で書かれており,最初の部分は悪い女のもたらす滅びについて述べ,酔わせる酒が裁きを曲げさせるおそれのあることを警告し,義にかなった裁きを求めています。後半の折り句<アクロスティック>は有能な妻に関する優れた描写となっています。それは妻の価値をかなり詳細に取り上げており,妻が信頼されており,その所有者に報いをもたらす者であることを指摘しています。その特質としては,勤勉さ,早起き,注意深い買い手であること,貧しい人に対する親切心,さらに,先見の明があること,知恵をもって語ることなどが挙げられています。有能な妻はまた,機敏で,自分の子供に尊敬され,夫に称賛されます。何よりも,彼女はエホバを恐れる者です。
なぜ有益か
19 箴言はその有益な目的をどのように明らかにしていますか。
19 箴言の有益な目的は冒頭の数節にこう述べられています。「これは,人が知恵と懲らしめを知り,理解のことばをわきまえ,洞察力,義と裁きと廉直さを与える懲らしめを受け入れ,経験のない者たちに明敏さを,若者に知識と思考力を与えるためのものである」。(1:2-4)この明言された目的と調和して,箴言の書は知識,知恵そして理解を強調しており,その各々にはそれ独自の益があります。
20 箴言は知識について何と述べていますか。
20 (1)知識は人間にとって大いに必要なものです。人間が無知に陥るのは良いことではありません。正確な知識はエホバへの恐れなくしては決して得られるものではありません。知識はエホバへの恐れを出発点としているからです。知識は最良の金よりも望ましいものです。なぜそう言えますか。義なる者は知識によって救助され,知識は人が速やかに罪に陥るのをとどめるのです。わたしたちは是非とも知識を探し求め,それを取り入れなければなりません。知識は貴重なものです。「耳を傾けて賢い者たちの言葉を聞け。それは,あなたが自分の心をわたしの知識に用いるためである」― 22:17; 1:7; 8:10; 11:9; 18:15; 19:2; 20:15。
21 知恵に関する神の教えは何ですか。
21 (2)知識をエホバへの賛美のために正しく用いる能力である知恵は,「主要なもの」です。それを得てください。その源はエホバにあります。命を与える知恵は,エホバ神を知り,エホバ神を恐れることから出発します。それが知恵の最も大事な点です。それで,人を恐れるのではなく,神を恐れなければなりません。擬人化された知恵は布告を出し,すべての人にその道を改めるよう促します。知恵はちまたでさえ大声を上げます。エホバは,経験のない者や心の欠けている者たちに,立ち寄って知恵のパンで自分を養うようにと大声で叫ばれます。そうすれば,彼らはエホバへの恐れを抱くことになり,たとえわずかなものしかなくても幸福を味わうことでしょう。知恵の祝福は数多くあり,それは大いなる益をもたらします。知恵と知識 ― それらはわたしたちの守りとなるような思考力に先立つ基本的なものです。はち蜜と同じく,知恵も有益で快いものです。それは金よりも価値が高く,命の木です。知恵がなければ,人は滅びます。知恵は命を長らえさせるからです。それは命を意味します。―4:7; 1:7,20-23; 2:6,7,10,11; 3:13-18,21-26; 8:1-36; 9:1-6,10; 10:8; 13:14; 15:16,24; 16:16,20-24; 24:13,14。
22 理解には人をどんなものから守る力がありますか。
22 (3)知識と知恵に加えて,理解も肝要なものです。それゆえに,「あなたの得るすべてのものをもって理解を得よ」と書かれています。理解は物事を他の部分との関連において見る能力です。それは識別力,それも,神を常に考慮に入れた上での識別力を意味しています。人は自分自身の理解に頼ることはできないからです。エホバに逆らう立場を取りながら理解または識別力を得ることは全く不可能です。それを自分のものにするためには,わたしたちは隠された宝のように理解を熱心に探し求めなければなりません。物事を理解するためには,知識を持っていなければなりません。理解を持つ人が知識を探し求める努力は報われ,知恵はその人の前にあります。その人は,闇の道を共に歩むようにいざなう無数の悪人の仕掛けるわななど,この世の数えきれないほどの落とし穴から守られます。命を与える知識と知恵と理解の源であられるエホバ神に感謝がささげられますように。―4:7; 2:3,4; 3:5; 15:14; 17:24; 19:8; 21:30。
23 次にどんな賢明な助言が取り上げられていますか。
23 箴言はその有益な目的と調和して,わたしたちが理解を得,心を守るのを助けるために,霊感を受けた非常に多くの賢明な助言を与えています。「命はそこ[心]に源を発しているから」です。(4:23)以下に箴言の書を通して強調されている賢明な助言を選び出してみます。
24 邪悪な者と義なる者とに関してどんなことが述べられていますか。
24 邪悪な者と義なる者との対比。邪悪な者は自分の曲がった道によって捕らえられます。その宝が憤怒の日に彼を救うことはありません。義なる者は命を得,エホバから報いを受けます。―2:21,22; 10:6,7,9,24,25,27-32; 11:3-7,18-21,23,30,31; 12:2,3,7,28; 13:6,9; 14:2,11; 15:3,8,29; 29:16。
25 箴言は不道徳に対してどのような警告を与えていますか。
25 清い道徳を守ることの必要性。ソロモンは不道徳に対して繰り返し警告を与えています。姦淫を行なう者は不名誉だけでなく,災厄を身に受け,その恥辱はぬぐい去られることがありません。「盗んだ水」は若者に甘く思えるかもしれませんが,売春婦は死へ下って行き,自分がえじきにした経験のない者たちを共に連れて行くのです。不道徳の深い穴に落ち込む者はエホバから糾弾されます。―2:16-19; 5:1-23; 6:20-35; 7:4-27; 9:13-18; 22:14; 23:27,28。
26 自制に関してどんなことが述べられていますか。
26 自制の必要性。酔酒と貪欲は非とされています。神の是認を得ようとする人は皆,飲食に関して節度を保たなければなりません。(20:1; 21:17; 23:21,29-35; 25:16; 31:4,5)怒ることに遅い人は識別力に富んでおり,都市を攻め取る人よりも大いなる者です。(14:17,29; 15:1,18; 16:32; 19:11; 25:15,28; 29:11,22)自制はまた,骨の腐れとなるそねみやねたみを避けるためにも必要です。―14:30; 24:1; 27:4; 28:22。
27 (イ)賢明でない話し方とはどのようなものですか。(ロ)わたしたちが唇と舌を賢明に用いることはなぜそれほど肝要ですか。
27 言葉の賢明な用い方と賢明でない用い方。曲がった話し方,中傷する者,偽りの証人,虚言を吐く者は暴露されます。それらはエホバにとって忌むべきものだからです。(4:24; 6:16-19; 11:13; 12:17,22; 14:5,25; 17:4; 19:5,9; 20:17; 24:28; 25:18)人の口が良い事柄を話すなら,それは命の源となります。しかし愚かな者の口は自らの滅びを早めます。「死も命も舌の力のうちにある。それを愛している者はその実を食べる」。(18:21)中傷,欺きの言葉,へつらい,性急な言葉は非とされています。真実を語り,神に誉れを帰すのは知恵の道です。―10:11,13,14; 12:13,14,18,19; 13:3; 14:3; 16:27-30; 17:27,28; 18:6-8,20; 26:28; 29:20; 31:26。
28 誇りはどんな害をもたらしますか。しかし謙遜さからはどんな益が得られますか。
28 誇りの愚かさと,謙遜さの必要性。高慢な人は不相応な地位に自分を高めるので,崩壊を経験します。高慢な心はエホバにとって忌むべきものです。しかし謙遜な者には,エホバは知恵,栄光,富そして命を与えてくださいます。―3:7; 11:2; 12:9; 13:10; 15:33; 16:5,18,19; 18:12; 21:4; 22:4; 26:12; 28:25,26; 29:23。
29 怠惰をどうみなすべきですか。勤勉さにはどんな価値がありますか。
29 勤勉さ。怠け者への戒め。箴言には怠惰な者に関する描写が多く見いだされます。その人はありのところに行って教訓を得,賢くなるべきです。しかし,勤勉な人はというと,その人は必ず栄えます。―1:32; 6:6-11; 10:4,5,26; 12:24; 13:4; 15:19; 18:9; 19:15,24; 20:4,13; 21:25,26; 22:13; 24:30-34; 26:13-16; 31:24,25。
30 箴言は正しい交わりの大切さをどのように強調していますか。
30 正しい交わり。エホバを恐れない者,邪悪な者,愚鈍な者,怒りっぽい者,うわさを言い触らす者,また貪欲な者たちと交わるのは愚かなことです。むしろ,賢い者と交わりなさい。そうすればさらに賢い者となるでしょう。―1:10-19; 4:14-19; 13:20; 14:7; 20:19; 22:24,25; 28:7。
31 戒めに関してどんな賢明な助言が与えられていますか。
31 戒めと矯正の必要性。「エホバは……ご自分の愛する者を戒められ」ます。そして,この懲らしめに注意を払う人は栄光と命を得ます。戒めを憎む者は不名誉を被ります。―3:11,12; 10:17; 12:1; 13:18; 15:5,31-33; 17:10; 19:25; 29:1。
32 良い妻であるためのどんな立派な訓戒が記されていますか。
32 良い妻であるための助言。箴言は妻に対して,争い好きであってはならない,恥ずべき行ないをしてはならないと繰り返し警告を与えています。神を恐れる思慮深い有能な妻には,その舌に愛ある親切の律法があります。だれであれ,そのような妻を見いだす人は,エホバから善意を得ます。―12:4; 18:22; 19:13,14; 21:9,19; 27:15,16; 31:10-31。
33 子供の訓練についてどんな有益な忠告が与えられていますか。
33 子供の養育。子供たちに神のおきてを定期的に教えなさい。彼らがそれを『忘れることのない』ためです。幼い時からエホバの教えにそって育て上げなさい。必要な時にはむち棒を控えてはなりません。愛の表現としてのむち棒と戒めは少年に知恵を与えます。子供を神の方法で育てる人は,父と母に歓びと多くの楽しみをもたらす賢い子供を持つことになります。―4:1-9; 13:24; 17:21; 22:6,15; 23:13,14,22,24,25; 29:15,17。
34 他の人々を助ける責任を果たすことにはどんな益がありますか。
34 他の人々を助ける責任。この責任は箴言の中で度々強調されています。賢い人は他の人の益のために知識を広めなければなりません。また,人は資力の乏しい人たちに恵みを示すことにおいて寛大でなければなりません。そうすることにより,その人は,実際には,報いを保証しておられるエホバに貸していることになるのです。―11:24-26; 15:7; 19:17; 24:11,12; 28:27。
35 箴言はわたしたちの問題の核心に触れることにより,どんな助言を与えていますか。
35 エホバに頼る。箴言はわたしたちの様々な問題の核心に触れ,神に全幅の信頼を置くよう助言しています。わたしたちはすべての道においてエホバを認めなければなりません。人は自分の行路を計画するかもしれませんが,エホバに歩みを導いていただかなければなりません。エホバのみ名は強固な塔であり,義なる人はその中に走り込んで保護を受けます。エホバに望みを置き,そのみ言葉から導きを得てください。―3:1,5,6; 16:1-9; 18:10; 20:22; 28:25,26; 30:5,6。
36 どんな観点から,箴言は時代に即しており,実際的で,有益であると言えますか。
36 自分自身や他の人たちを教えたり,懲らしめたりする面で,箴言は何と有益な書なのでしょう。人間関係のどんな面も見過ごされてはいないようです。神を崇拝する仲間の者から自分を孤立させる人がいますか。(18:1)高い地位にいる人が事件に関係する両者の言い分を聞かないうちに結論を出しますか。(18:17)危険な悪ふざけをする人がいますか。(26:18,19)えこひいきをする傾向がありますか。(28:21)店にいる商人,畑にいる農夫,夫と妻と子供 ― すべての人が健全な助言を得られます。両親は若者たちの道に隠されている多くのわなを暴露することができるよう助けられます。賢い人は経験のない人を教えることができます。箴言はわたしたちがどこに住んでいても実際に役立つものであり,その教えや助言が時代遅れになることは決してありません。アメリカの教育学者であったウィリアム・ライアン・フェルプスはかつて,「箴言の書は今朝の新聞よりも時代に即したものである」と言いました。a 箴言の書は時代に即しており,実際的で,教えるのに有益です。それは神の霊感を受けているからです。
37 箴言は大いなるソロモンの教えとどのように調和しますか。
37 箴言の書は物事を正すのに有益であり,人々を全能の神に向かわせます。箴言はおもにソロモンによって語られましたが,マタイ 12章42節で「ソロモン以上のもの」として言及されているイエス・キリストも人々を神に向かわせました。
38 箴言は神の王国とその義の原則に対するわたしたちの認識をどのように増し加えますか。
38 エホバがこの際立って賢い方を王国の胤として選ばれたことをわたしたちは何と感謝できるのでしょう。その王座は,ソロモン王の統治よりもさらに栄光に満ちた平和な統治のために,「義そのものによって堅く立てられる」のです。その王国の支配に関して,こう述べられています。「愛ある親切と真実 ― これが王を安全に守る。愛ある親切によって王は自分の王座を支えた」。それは人類のためにとこしえに存続する義なる政府をもたらします。その政府に関して,箴言は次のようにも述べています。「王が立場の低い者たちを真実をもって裁いているところでは,その王座はいつまでも堅く立てられる」。このように,箴言がわたしたちの歩む道を明るく照らして,知識,知恵,理解,そして永遠の命へと導くだけでなく,さらに重要なこととして,エホバを真の知恵の源として大いに賛美していることに,わたしたちは喜びと共に感謝を覚えます。エホバはその真の知恵を王国の相続者であるキリスト・イエスを通して分け与えてくださるのです。箴言は,神の王国と義の原則に対するわたしたちの認識を大いに増し加えてくれます。その王国は今,義の原則によって支配を行なっているのです。―箴言 25:5; 16:12; 20:28; 29:14。
[脚注]
a 「キリスト教信仰の宝典」(英文),1949年,ステューバー,クラーク共編,48ページ。
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聖書の21番目の書 ― 伝道の書『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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聖書の21番目の書 ― 伝道の書
筆者: ソロモン
書かれた場所: エルサレム
書き終えられた年代: 西暦前1000年以前
1 伝道の書はどんな壮大な目的のために書かれましたか。
伝道の書は壮大な目的のために記されました。エホバに献身した一国民の指導者として,ソロモンには献身に対する忠実さの面でその国民を一致させる責任がありました。彼はこの責任を伝道の書の賢明な助言によって果たそうとしたのです。
2 その目的は伝道の書のヘブライ語の書名にどのように表現されていますか。したがって,なぜその書名はギリシャ語や英語の書名より適切と言えますか。
2 伝道の書 1章1節で,彼は自分のことを「召集者」と呼んでいます。その言葉はヘブライ語では「コーヘレト」といい,ヘブライ語聖書においてはそれが書名となっています。ギリシャ語セプトゥアギンタ訳の表題は「エックレーシアステース」となっており,それは「エクレシア(会衆; 集会)の会員」を意味します。英語の書名“Ecclesiastes”はこのギリシャ語から来たものです。しかし「コーヘレト」の訳語としては,「召集者」のほうがより的確であり,またソロモンの呼び名としても,そのほうがより適切であると言えます。その語はこの書を記したソロモンの目的を伝えています。
3 ソロモンはどんな意味において召集者でしたか。
3 ソロモン王はどんな意味において召集者だったのでしょうか。何のために召集を行なったのでしょうか。彼は自分の民であるイスラエル人およびその仲間である一時的居留者たちの召集者でした。それらの人々すべてを自分の神エホバへの崇拝に召集したのです。彼はそれ以前にエルサレムにエホバの神殿を建てましたが,その献堂のさい彼らすべてを神の崇拝のために呼び集めました。すなわち,彼らを召集しました。(列王第一 8:1)今度は,伝道の書によって,自分の民を有意義な業に召集し,この世のむなしい,無益な業から離れさせようとしました。―伝道の書 12:8-10。
4 ソロモンが筆者であることはどのように確証できますか。
4 この書にはソロモンの名が明記されているわけではありませんが,幾つかの節から,彼が筆者であると結論する十分の確証を得ることができます。召集者は自分のことを,「ダビデの子」であり,「エルサレムでイスラエルを治める王であった」と紹介しています。このことはソロモン王にのみ当てはまります。なぜなら,彼の後継者はただユダを治める王であったからです。その上,召集者はこう記しています。「わたしは,わたしより先にエルサレムにいただれよりも大いに知恵を増し加え,わたしの心は非常に多くの知恵と知識を見た」。(1:1,12,16)この描写はソロモンに適合するものです。伝道の書 12章9節は,「[彼は]熟考し,徹底的に調べたのである。それは,多くの箴言をまとめるためであった」と告げています。ソロモン王は3,000の格言を語りました。(列王第一 4:32)伝道の書 2章4節から9節はその筆者の建築計画,ぶどう園や園や庭園,かんがい施設,下男やはしための取り決め,金や銀を蓄えること,その他の業績について述べています。これらはすべてソロモンに当てはまる事柄です。シェバの女王はソロモンの知恵と繁栄を見て,「私はその半分も告げられていませんでした」と語りました。―列王第一 10:7。
5 伝道の書はどこで,またいつ書かれたに違いありませんか。
5 伝道の書は,召集者が「エルサレムで」王であったと述べることにより,その書かれた場所がエルサレムであることを明らかにしています。それが書かれた時は,ソロモンの40年にわたる統治がかなり進んだ,西暦前1000年以前であったに違いありません。すなわち,ソロモンがこの書の中に言及されている数多くの事業に携わった後のこと,そして偶像礼拝に陥る以前のことと思われます。彼はその時までには,この世の営みと物質の利得を追い求めることに関して広範な知識を得ていたことでしょう。当時,ソロモンはなお神の恵みを受けており,神の霊感のもとにあったと考えられます。
6 伝道の書が霊感を受けたものであるかどうかについてどんな反論が提出されましたか。その反論にどのように答えることができますか。
6 伝道の書が『神の霊感を受けた』ものであることをどのように確信できますか。ある人は神の名エホバが一度も出て来ないことを理由にこの点に疑問を表明するかもしれません。しかし,伝道の書は神の真の崇拝を確かに唱道しており,「ハー・エローヒーム」すなわち「まことの神」という表現を繰り返し用いています。また,聖書の他の書に伝道の書からの直接の引用がないとして,別の反論が提出されるかもしれません。しかし,伝道の書の中で取り上げられている教えや述べられている原則は,聖書の残りの部分と完全に調和しています。クラークの「注解」(英文),第3巻,799ページにはこう記されています。「コーヘレトまたはエクリジアステーズという表題の付されたこの書は,ユダヤ教団とキリスト教会の両方により,全能者の霊感のもとに記された書として常に受け入れられてきた。そして当然のこととして,聖なる正典の一部とみなされた」。
7 ソロモンはどんな経歴があったので伝道の書を記す十分の資格を持っていましたか。
7 この世の賢い「高等批評家」たちは,伝道の書はソロモンが記したものでも,「聖書全体」の真正な部分でもないと主張し,その言葉遣いとそこに示されている哲学はもっと後代のものであると言います。彼らは,ソロモンが国際貿易と産業を拡大することにより,また旅行する高官たちを通して,さらに,外部の世界との他の接触によって得た膨大な情報を無視しています。(列王第一 4:30,34; 9:26-28; 10:1,23,24)F・C・クックが自著「聖書注解」(英文),第4巻,622ページで述べている通りです。「この偉大なヘブライ人の王が日々携わった営みやその好んで行なった事柄は,普通のヘブライ人の生活,思考,言語の範囲をはるかに越えた経験を彼に得させたに違いない」。
8 伝道の書の正典性に対する最も強力な論証は何ですか。
8 しかし,伝道の書の正典性を論証するのに外部の資料が実際に必要でしょうか。伝道の書それ自体を調べるなら,その内面的調和が明らかになるだけでなく,聖書の他の部分との調和も明らかになります。そして,伝道の書は確かに聖書の一部なのです。
伝道の書の内容
9 人の子らの営みに関して召集者は何を見いだしますか。
9 人の生き方のむなしさ(1:1-3:22)。冒頭の言葉はこの書全体の主題を打ち出しています。「『何とむなしいことか!』と召集者は言った,『何とむなしいことか! すべてはむなしい』」。人間の労苦と労働にはどんな益があるのでしょうか。代は来て,また去って行きます。地上では自然の循環が繰り返されます。「日の下には新しいものは何もない」のです。(1:2,3,9)召集者は人の子らの災いの多い営みに関して知恵を求め,知恵を探究しようと心に定めました。しかし,知恵も愚行も,偉業も骨折りも,食べることも飲むことも,すべてが「むなしく,風を追うようなもの」であることを見いだします。彼は『命を憎む』ようになります。それは災いと物質の追求とに取り巻かれた命です。―1:14; 2:11,17。
10 神の賜物は何ですか。しかしどんな終局が罪ある人間に臨みますか。
10 何事にも定められた時があります。そうです,神は「すべてのものをその時にかなって美しく造られ」ました。神はご自分の創造物が命を享受することを望んでおられます。「わたしは,人の生きている間に歓び,良いことをする以上に彼らにとって良いものは何もないことを,また,人はみな,食べ,まさしく飲み,そのすべての骨折りによって良いことを見るべきであるのを知るようになった。それは神の賜物なのである」。しかし悲しいことに,罪ある人間には獣に臨む終局と同じ終局が臨みます。「一方が死ぬように,他方も死ぬ。皆ただ一つの霊を持っており,したがって人が獣に勝るところは何もない。すべてはむなしいからである」。―3:1,11-13,19。
11 召集者は神を恐れる人にどんな賢明な助言を与えていますか。
11 神を恐れる者たちのための賢明な助言(4:1-7:29)。ソロモンは死者に祝いを述べます。彼らは「日の下で行なわれているすべての虐げの行為」から自由にされているからです。彼はさらに,災いの多いむなしい業について描写します。また,「二人は一人に勝る」,「三つよりの綱は素早く断ち切ることはできない」との賢明な助言を与えます。(4:1,2,9,12)彼は神の民が集まり合うことについて立派な助言を与えています。「まことの神の家に行くときにはいつでもあなたの足を守れ。……聞くために近寄れ」。神の前で話すさい性急であってはなりません。『あなたの言葉を少なくすべき』です。そして,神に誓約したことは果たすべきです。「まことの神を恐れ」なさい。貧しい者が虐げられているときには,「その高い者よりもさらに高い者が見張っており,また彼らよりも高い者たちがいる」ことを思い起こしなさい。彼は,ただの僕が安らかに眠り,富んだ人が心配の余り眠れないのを見ます。それでも,その人は裸でこの世に来たのであり,そのすべての骨折りにもかかわらず,この世から何一つ持ち出すことはできません。―5:1,2,4,7,8,12,15。
12 命に関する厳粛な問題について,また知恵が金銭に勝っていることについてどんな助言が与えられていますか。
12 人は富と栄光を得るかもしれませんが,良いことを見なかったのであれば,「千年の倍」生きたとしても何の益があるでしょうか。「歓びの家」で愚鈍な者と交わるよりは,生と死に関する厳粛な問題を心に留めるほうが賢明です。そうです,賢い者から叱責を受けるほうが勝っています。「愚鈍な者の笑いは,なべの下のいばら」のたてるパチパチという音のようだからです。知恵には利点があります。「金が身の守りであるように,知恵も身の守りだからである。しかし知識の利点は,知恵がそれを所有する者たちを生きつづけさせることにある」。それではなぜ人間の道に災いがつきまとうようになったのですか。「まことの神は人間を廉直な者として造られたが,彼ら自身が多くの計画を探り出した」のです。―6:6; 7:4,6,12,29。
13 召集者はどんな助言を与え,何をほめていますか。また,人の行く場所に関して何と述べていますか。
13 すべてのものに臨む一つの終局(8:1-9:12)。「王の命令を守れ」と召集者は助言しています。しかし,悪い業に対する刑が速やかに執行されなかったために,「人の子らの心はその中で悪を行なうよう凝り固まってしまった」ことを彼は認めています。(8:2,11)彼は歓ぶことを自らほめています。しかし,災いとなるもう一つのことがあります。どんな人といえども同じ道をたどり,死に行き着くのです。みな死者のところへ行きます。生きている人は自分が死ぬことを知っていますが,「死んだ者には何の意識も」ありません。「あなたの手のなし得るすべてのことを力の限りを尽くして行なえ。シェオル,すなわちあなたの行こうとしている場所には,業も企ても知識も知恵もないからである」。―9:5,10。
14 (イ)召集者はどんな実際的な知恵を強調していますか。(ロ)事の結論は何ですか。
14 実際的な知恵と人の務め(9:13-12:14)。召集者は『多くの高い地位における愚かさ』といった他の災いについても語っています。また,実際的な知恵について多くの格言を述べています。そして,真の知恵に注意を払わないなら,「若さも人生の盛りもむなしい」と語っています。また,「あなたの若い成年の日にあなたの偉大な創造者を覚えよ」と述べています。さもなければ,人は老いて,召集者の次の言葉と共に,ただ地の塵に帰ることになります。「何とむなしいことか!……すべてのものはむなしい」。彼は自ら民に知識を教えつづけました。「賢い者たちの言葉は牛追い棒のよう」であり,人を正しい業に駆り立てるからです。しかしこの世の知恵に関して,彼はこう警告しています。「多くの書物を作ることには終わりがなく,それに余りに専念すると体が疲れる」。次いで,召集者は伝道の書を最高潮に盛り上げ,むなしさと知恵に関して自分の論議したことを次のようにまとめます。「すべてのことが聞かれたいま,事の結論はこうである。まことの神を恐れ,そのおきてを守れ。それが人の務めのすべてだからである。まことの神はあらゆる業をすべての隠された事柄に関連して,それが善いか悪いかを裁かれるからである」。―10:6; 11:1,10; 12:1,8-14。
なぜ有益か
15 災いの多い営みと有意義な業とをソロモンはどのように区別していますか。
15 伝道の書は決して厭世主義の書ではありません。この書には神の知恵がちりばめられています。ソロモンはむなしいものとして自分が列挙した多くの事柄の中に,エルサレムのモリヤ山におけるエホバの神殿の建造やエホバの清い崇拝は含めていません。彼は命という神の賜物をむなしいものとは述べておらず,それは人が歓び,善を行なうためのものであることを明らかにしています。(3:12,13; 5:18-20; 8:15)災いの多い営みとは,神を無視した営みのことです。父は子のために富を蓄えるかもしれません。しかし災難がすべてのものを滅ぼし,彼のためには何も残りません。永続する霊的な富を相続財産として残すほうがはるかに良いのではありませんか。多くのものを所有していても,それを楽しむことができなければ災いです。災いはこの世的な富んだ人たちすべてを襲います。彼らが手に何も持たずに,死んで「去って行く」時にです。―5:13-15; 6:1,2。
16 「コーヘレト」,すなわち伝道の書はどのようにイエスの教えと調和していますか。
16 キリスト・イエスはマタイ 12章42節で,自分のことを「ソロモン以上のもの」と言っておられます。ソロモンがイエスを予表していたのであれば,この書「コーヘレト」の中のソロモンの言葉はイエスの教えと調和しているでしょうか。両者に多くの並行関係を見いだすことができます。例えば,イエスは,「わたしの父はずっと今まで働いてこられました。ですからわたしも働きつづけるのです」と述べ,神の業がどんなに広範に及ぶかを強調されました。(ヨハネ 5:17)ソロモンも神の業に触れています。「また,わたしはまことの神のすべての業を見た。人間が日の下で行なわれた業を見いだすことができないのを。人間が求めようとしてどれだけ骨折って働きつづけても,なお見いだせない。また,自分は賢いから知ることができると言ったとしても,彼らは見いだすことができないのである」― 伝道の書 8:17。
17 イエスの言葉とソロモンの言葉にはほかにどんな並行関係が見いだされますか。
17 イエスもソロモンも,真の崇拝者が集まり合うことを励ましています。(マタイ 18:20。伝道の書 4:9-12; 5:1)イエスは「事物の体制の終結」と「諸国民の定められた時」について述べていますが,それはソロモンの次の言葉と調和します。「何事にも定められた時がある。天の下のすべての事には時がある」。―マタイ 24:3。ルカ 21:24。伝道の書 3:1。
18 どんな警告を与える点でイエスと弟子たちはソロモンと考えを共にしていますか。
18 イエスとその弟子たちは,特に物質主義のわなに陥ることがないようにと警告する点で,ソロモンと考えを共にしています。知恵は真の保護となります。知恵は「それを所有する者たちを生きつづけさせる」からである,とソロモンは述べています。「ですから,王国と神の義をいつも第一に求めなさい。そうすれば,これらほかのものはみなあなた方に加えられるのです」とイエスは言われました。(伝道の書 7:12。マタイ 6:33)伝道の書 5章10節にはこう記されています。「ただ銀を愛する者は銀に満ち足りることなく,富を愛する者は収入に満ち足りることがない。これもまたむなしい」。これと非常によく似ているのは,パウロがテモテ第一 6章6節から19節で述べている「金銭に対する愛はあらゆる有害な事柄の根である」という助言です。聖書の他の教えに関しても同様の並行記述が見られます。―伝道の書 3:17 ― 使徒 17:31。伝道の書 4:1 ― ヤコブ 5:4。伝道の書 5:1,2 ― ヤコブ 1:19。伝道の書 6:12 ― ヤコブ 4:14。伝道の書 7:20 ― ローマ 3:23。伝道の書 8:17 ― ローマ 11:33。
19 今日,わたしたちはどんな幸福な前途の希望を抱いてエホバの崇拝のために集まり合いますか。
19 神の最愛のみ子,イエス・キリストは,肉によれば賢王ソロモンの末孫にあたりますが,その王国支配は新しい地の社会を確立するものとなります。(啓示 21:1-5)今日,キリスト・イエスのもとにある神の王国に希望を置くすべての人は,ソロモンがその予型的な王国の臣民の導きのために書き記した事柄に重大な関心を持っています。その支配のもとで,人類は召集者が述べたその同じ賢明な原則によって生活し,神の賜物である幸福な命をとこしえに歓ぶのです。今こそエホバの崇拝のために集まり合う時です。それは神の王国のもとで命の喜びを十分に享受するためです。―伝道の書 3:12,13; 12:13,14。
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聖書の22番目の書 ― ソロモンの歌『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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聖書の22番目の書 ― ソロモンの歌
筆者: ソロモン
書かれた場所: エルサレム
書き終えられた年代: 西暦前1020年ごろ
1 この書はどういう意味で「歌の中の歌」ですか。
「全世界もイスラエルにこの崇高な歌が与えられた日の価値に及ばなかった」。西暦第1世紀に生きていたユダヤ人のラビであるアキバは,ソロモンの歌に関してこのような賛辞を呈しました。a この書の表題は,「ソロモンのものである最も優れた歌」という冒頭の言葉を短縮したものです。ヘブライ語本文の文字通りの読みは,「歌の中の歌」となっており,それは最高位の天を表わす「天の天」と同様な表現で,最高度の卓越を意味しています。(申命記 10:14)それは幾つかの歌を集めたものではなく,一つの歌であり,「全き完全さを備えた歌,当時存在した,またそれまでに書き記された歌の中の最高のもの」です。b
2 (イ)ソロモンの歌の筆者はだれですか。彼はどんな資格を備えていましたか。この書が失恋の歌とも言えるのはなぜですか。(ロ)この書はどこで,また,いつ書かれましたか。
2 歌の紹介部分から明らかなように,エルサレムのソロモン王がこの歌の筆者です。彼はヘブライ語の詩の非常に美しい模範ともいうべきこの歌を書く十分の資格を備えていました。(列王第一 4:32)それは含蓄のある牧歌的な詩で,美しさを描写するその手法は絵を見る感があります。オリエント地方の背景を脳裏に描くことのできる読者であれば,この点をさらに深く認識できることでしょう。(ソロモンの歌 4:11,13; 5:11; 7:4)この詩は特異なことがきっかけとなって書かれることになりました。輝かしい知恵と強大な権力,またシェバの女王をも感嘆させた,目を奪うばかりの富を有していた偉大な王ソロモンは,自分の恋した一人の素朴な田舎娘の心を動かすことができませんでした。ある羊飼いに寄せる彼女の変わらぬ愛ゆえに,王は思いを遂げることができませんでした。したがって,この書はソロモンの失恋の歌とも言うことができます。エホバ神はソロモンに霊感を与えて,彼の後の時代に聖書を読む人たちの益のためにこの歌を作らせました。ソロモンはそれをエルサレムで書きました。それは多分,神殿の建てられた数年後の西暦前1020年ごろのことでしょう。ソロモンがこの歌を書いた時に,彼は既に「六十人の王妃,八十人のそばめ」を持っていましたが,その統治の終わりには,「七百人の妻,すなわち王妃たちと,三百人のそばめ」を持っていました。―ソロモンの歌 6:8。列王第一 11:3。
3 ソロモンの歌の正典性に関してどんな証拠がありますか。
3 ソロモンの歌の正典性が初期において疑問視されたことは全くありません。西暦紀元のずっと以前から,それはヘブライ語正典の一部を成す霊感を受けた書とみなされ,ギリシャ語セプトゥアギンタ訳の中に取り入れられました。ヨセフスは神聖な書物の目録の中にそれを加えています。したがってその正典性に関しては,ヘブライ語聖書の他の書に関して一般に挙げられている証拠と同じ証拠があります。
4 (イ)ソロモンの歌に「神」という語が出てこないことは,それが正典の書でない理由になりますか。(ロ)それはどんな点で聖書の正典の中で特異な位置を占めていますか。
4 とはいえ,この書の中に神に触れた箇所がないという理由で,その正典性に疑問を表明した人もいます。しかし,ただ「神」という表現があれば,それで書物が正典になるわけではないのと同じく,神という表現がないために,その正典性が否定されるわけでもありません。神の名は短縮形で8章6節に出てきており,その箇所では,愛が「ヤハの炎」であると言われています。この書は疑いなく,イエス・キリストが次のように述べて是認した文書の一部をなしています。「あなた方は聖書によって永遠の命を持てるようになると考えて,それを調べています」。(ヨハネ 5:39)さらに,キリストと「花嫁」の間に存在するような,霊的な意味での,互いに対する愛の非常に優れた特質が力強く描かれており,ソロモンの歌はその点でも聖書の正典の中で特異な位置を占めています。―啓示 19:7,8; 21:9。
ソロモンの歌の内容
5 (イ)登場人物がだれかはどのように明らかになりますか。(ロ)どんな感動的な主題が表現されていますか。
5 この書の内容は一連の会話形式を取っています。話す人は絶えず変わります。会話を受け持つ人は,エルサレムの王ソロモン,羊飼い,彼が深く愛するシュラムの娘,彼女の兄たち,宮廷の貴女たち(「エルサレムの娘たち」)とエルサレムの女たち(「シオンの娘たち」)です。(ソロモンの歌 1:5-7; 3:5,11)これらの人物は,それぞれの人が自分について話す事柄,またその人に向かって話される事柄から,それがだれであるかが分かります。劇的事件はソロモンが側近の者たちと一緒に宿営しているシュネムまたはシュレムの近くで展開します。この書は感動的な主題を表現しています。それは,シュネムの村の田舎娘が羊飼いである友に抱いた愛に関するものです。
6 ソロモンの宿営にいる宮廷の貴女たちと乙女との間にどんな会話が交わされますか。
6 ソロモンの宿営の中にいるシュラムの乙女(1:1-14)。乙女が王の宿営の中に現われます。王が彼女をそこに連れて来たのですが,彼女は自分の愛する羊飼いに会いたいという思いを募らせます。彼女は自分の愛する人への切なる思いを抱いて,あたかも彼がそこに一緒にいるかのように語りはじめます。王に仕える宮廷の貴女たち,すなわち「エルサレムの娘たち」はシュラムの娘に好奇の目を向けます。彼女の顔の色が黒いからです。自分の兄たちのぶどう園の番をしていて日焼けしたのだと彼女は説明します。次いで,彼女は愛する人に向かって自分が自由の身であるかのように語りかけ,どこに彼を見いだすことができるかを尋ねます。宮廷の貴女たちは彼女に,出て行って,羊飼いたちの天幕のそばで彼女の羊の群れに草を食べさせるよう命じます。
7 ソロモンはどのように言い寄りますか。それはどんな結果になりますか。
7 ソロモンが現われます。ソロモンは彼女を行かせたいとは思いません。彼女の美しさを賛美し,彼女を「金の飾り輪」と「銀の飾りびょう」で飾ろうと約束します。シュラムの娘はソロモンが言い寄るのを退け,自分の抱く愛は自分の愛する人だけのためのものであると彼に知らせます。―1:11。
8 乙女の愛する人はどのように彼女を励ましますか。彼女は何を切望しますか。
8 乙女の愛する羊飼いの登場(1:15-2:2)。シュラムの娘の愛する人がソロモンの宿営に入って来て彼女を励まします。彼は彼女に自分の愛について確信させます。シュラムの娘は,自分の愛する人が近くにいてくれること,そして野や森の中で彼と一緒に簡素な生活を送る楽しみを味わうことを切望します。
9 乙女は自分の美しさをどのように評価しますか。彼女の愛する人は彼女の美しさをどのように評価しますか。
9 シュラムの娘は慎み深い女です。「わたしは沿岸の平原のただのサフラン」ですと言います。彼女の愛する羊飼いは,彼女が何ものも比較にならないほど美しいと考えており,「娘たちの中にあって,わたしの友は,とげ草の中のゆりのようだ」と言います。―2:1,2。
10 乙女は自分の愛について何を思い起こしますか。
10 乙女は自分の羊飼いに焦がれる(2:3-3:5)。自分の愛する者から再び引き離されたシュラムの娘は,他のだれにも勝って彼を尊敬していることを明らかにし,エルサレムの娘たちに彼女たちが誓いのもとにあることを告げます。それは,その気がないのに他の人に対する愛を彼女のうちに呼び起こさせてはならないという誓いです。シュラムの娘は自分の羊飼いが自分の呼びかけに応じて,春の季節に丘に連れて行ってくれた時のことを思い出します。彼女は,彼が山を登り,喜んで跳びはねる様子を思い浮かべます。彼が自分に向かって叫んでいるのが聞こえます。「わたしの友よ,わたしの美しい人よ,立って一緒においで」。しかし,彼女をまだ信頼していない兄たちは,怒って,彼女にぶどう園の番をする仕事を与えます。彼女は,「わたしの愛する方はわたしのもの,わたしはあの方のもの」と言い,彼が急いで自分のもとに来てくれるように願います。―2:13,16。
11 シュラムの娘はエルサレムの娘たちにどんな誓いを再び思い起こさせますか。
11 シュラムの娘は,自分がソロモンの宿営になおも引き留められていることを説明します。夜,寝床に就いて,彼女は自分の羊飼いを恋しく思います。エルサレムの娘たちに,その気がないのに彼女のうちに愛を目覚めさせてはならないという誓いのもとに彼女たちがあることを彼女は再び思い起こさせます。
12 乙女がソロモンによってエルサレムに連れて行かれたとき,彼女の愛する人はさらにどんな励ましを与えますか。
12 エルサレムにおけるシュラムの娘(3:6-5:1)。ソロモンは王にふさわしい壮麗さをもってエルサレムに帰って来ます。人々はその行列に感嘆します。シュラムの娘の愛する羊飼いは,この重大な時に彼女を見捨てません。彼は,ベールをかぶっているシュラムの娘のあとについて行き,彼女と連絡を取ります。彼は温かい愛情の表現をもって自分の愛する者を力づけます。彼女は自分が自由の身になって,この都市から離れたいと彼に言います。すると,彼は愛の歓喜に浸って叫びます。「わたしの友よ,あなたは全く美しい」。(4:7)彼女を一目見るだけで,彼の胸は高鳴ります。彼女の愛情の表現はぶどう酒にも勝ります。その香りはレバノンの香りのようです。その肌はざくろの庭園のようです。乙女は愛する人が『彼の園』に入って来るように招き,彼はそれに応じます。友好的なエルサレムの女たちはふたりを励まします。「友らよ,食べなさい! 飲んで,愛情の表現に酔いなさい!」―4:16; 5:1。
13 乙女はどんな夢を見ますか。自分の愛する人を宮廷の貴女たちにどのように描写しますか。
13 乙女の夢(5:2-6:3)。シュラムの娘は宮廷の貴女たちにひとつの夢について話します。その夢の中で彼女はだれかが戸をたたく音を聞きます。彼女の愛する人が外にいて,中に入れてくれるようにと頼んでいます。しかし彼女はもう寝床に入っています。彼女がやっと起き上がって戸を開けた時には,彼は夜の闇の中に消えてしまった後でした。彼の跡を追って外に出ますが,彼は見つかりません。見張りの者たちが彼女にむごい仕打ちを加えます。彼女は宮廷の貴女たちに言います。彼に会ったら自分が愛に病んでいることを告げる義務が彼女たちにある,と。女たちはどうして彼がそれほど際立っているのかを彼女に尋ねます。彼女は彼のことを非常に美しく描写してゆき,こう言います。その方は「まぶしいばかり,赤みがかっていて,万人のうちの最も際立った方」。(5:10)宮廷の貴女たちは彼がどこにいるのか尋ねます。園の中で羊の群れを飼っていると彼女は答えます。
14 ソロモンは色々な仕方で言い寄りましたが,なぜ彼女の愛を得ることができませんでしたか。
14 ソロモンの最後の求愛(6:4-8:4)。ソロモン王がシュラムの娘に近づきます。そして,彼女がどんなに美しいかを再び彼女に告げます。「六十人の王妃,八十人のそばめ」よりも愛らしい,と彼は言います。(6:8)しかし娘はソロモンを退けます。彼女はただ奉仕の用のためにソロモンの宿営の近くに来たのです。それでここにいるにすぎません。『わたしに何を見るというのですか』と彼女は尋ねます。ソロモンは彼女の純真な質問をとらえて,彼女の美しさを足の裏から頭のてっぺんに至るまで描写します。しかし彼女はその巧みな言葉すべてにも影響されることはありません。彼女は勇気を奮って自分の羊飼いに対する専心の思いを宣言し,羊飼いに向かって叫びます。彼女は三度エルサレムの娘たちに彼女たちが誓いのもとにあることを思い起こさせます。それは,彼女の意志に反して彼女のうちに愛を目覚めさせてはならないという誓いです。ソロモンは彼女を行かせます。彼は彼女の愛を得ることができませんでした。
15 (イ)乙女はどんな要求をもって自分の兄たちのもとに帰りますか。(ロ)全き専心はどのように勝利を収めましたか。
15 シュラムの娘は帰る(8:5-14)。彼女の兄たちは妹が近づいて来るのを見ます。しかし彼女は一人ではありません。「自分の愛する者に寄りかかって」います。彼女は自分の愛する人にりんごの木の下で会ったことを思い出し,彼に対する自分の愛は決して破れることがないと告げます。彼女が「小さな妹」だった時に兄たちがその妹について心配した昔の事柄が少し述べられます。しかし,彼女は自分が円熟した,しっかりした女であることを証明したと言います。(8:8)兄たちは今度は彼女の結婚に同意すべきです。ソロモン王がどんなに富を有していようと,彼女は自分の一つのぶどう園で満足しています。自分だけの大切な人を愛しているからです。彼女にとって,この愛は死のように強く,その燃え盛る勢いは「ヤハの炎」のようです。『シェオルと同じく屈することのない』全き専心に対する要求が勝利を収め,それは彼女を,愛する羊飼いとの輝かしい,高い次元の結合へと導いたのです。―8:5,6。
なぜ有益か
16 この歌にはどんな貴重な教訓が含まれていますか。
16 この愛の歌には,神に仕える人に今日益となるどんな教訓が含まれているでしょうか。忠実であること,忠節であること,および敬虔な原則に忠誠を示すことの重要性がはっきり示されています。この歌は,真の愛を抱く人の徳と純潔の美しさを教えています。また,真の愛は征服することも,消すことも,買うこともできないものであると教えています。若いクリスチャンの男女,それに夫と妻は,誘惑や魅惑的な事態が生じたとき,忠誠に関するこの適切な模範から益を受けることができます。
17 (イ)パウロはこの歌がクリスチャン会衆に対する教えのために書かれたことをどのように示していますか。(ロ)コリント人やエフェソス人に手紙を書き送ったときに,パウロがこの歌のことを思いに留めていたと考えられるのはなぜですか。(ハ)霊感を受けたヨハネの書との間にどんな興味深い比較ができますか。
17 しかし,霊感を受けたこの歌はクリスチャン会衆全体にとっても非常に有益です。1世紀のクリスチャンたちはこの歌を霊感を受けた聖書の一部とみなしていました。彼らの一人は次のように書いています。「以前に書かれた事柄は皆わたしたちの教えのために書かれたのであり,それは,わたしたちが忍耐と聖書からの慰めとによって希望を持つためです」。(ローマ 15:4)霊感を受けたこの筆者パウロは,クリスチャン会衆に次のように書き送ったとき,シュラムの娘が自分の愛する羊飼いに抱いたその全き愛を思いに留めていたことでしょう。「わたしは敬虔なしっとをもってあなた方をしっとしているのです。あなた方を貞潔な処女としてキリストに差し出すため,わたし自身があなた方をただ一人の夫に婚約させたからです」。パウロはまた,会衆に対するキリストの愛が妻に対する夫の愛のようであると記しています。(コリント第二 11:2。エフェソス 5:23-27)イエス・キリストは彼らのためのりっぱな羊飼いであるだけでなく,天におけるご自分との「結婚」という言い尽くせぬ喜びを油そそがれた追随者に与える彼らの王でもあるのです。―啓示 19:9。ヨハネ 10:11。
18 キリスト・イエスの油そそがれた追随者たちはシュラムの娘の模範からどのように益を受けられますか。
18 これらキリスト・イエスの油そそがれた追随者たちは,シュラムの娘の模範から確かに益を受けることができます。彼らもまた自分たちの愛に忠節でなければならず,世の物質主義の華麗さにいざなわれることなく,報いを得るまで忠誠に関して平衡を保ちつづけなければならないからです。彼らは上なる物事に心を留め,『王国を第一に求めます』。彼らは自分たちの羊飼いであるイエス・キリストの愛のこもった呼びかけに喜んで答え応じます。彼らはこの愛する方が,見えないとはいえ,自分たちのすぐそばにいてくださり,勇気を出して世を征服するよう呼びかけておられることを知って歓喜します。自分たちの羊飼いである王に対して,「ヤハの炎」のように強い,消すことのできない愛を抱いて,彼らは本当に征服を遂げ,栄光に満ちた天の王国においてその仲間の相続者としてこの王と結ばれます。このようにして,ヤハの名は神聖なものとされるのです。―マタイ 6:33。ヨハネ 16:33。
[脚注]
a ユダヤ教ミシュナ,(「ヤダイム」3:5)。
b クラークの「注解」(英文),第3巻,841ページ。
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聖書の23番目の書 ― イザヤ書『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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聖書の23番目の書 ― イザヤ書
筆者: イザヤ
書かれた場所: エルサレム
書き終えられた年代: 西暦前732年以後
扱われている期間: 西暦前778年ごろ-732年以後
1 西暦前8世紀の中東,特にイスラエルとユダはどんな状況にありましたか。
残酷なアッシリア帝王の脅威が,中東の他の帝国や小王国に濃い影を落としていました。その地の至る所で策謀や同盟のうわさが聞かれました。(イザヤ 8:9-13)北の背教したイスラエルは間もなくこの国際的な陰謀の犠牲になろうとしており,南のユダの王たちの支配も非常に不安定な状態を呈していました。(列王第二 15-21章)新しい武器が開発され,実戦に用いられるようになっており,時代の危機感は一段と深刻さを増していました。(歴代第二 26:14,15)人はどこに保護と救いを求めたらよいのでしょうか。エホバの名が小王国ユダの民や祭司の口に上るとはいえ,彼らの心は遠く離れた方向を向いていました。初めはアッシリアに,次には南のエジプトに傾いてゆきました。(列王第二 16:7; 18:21)エホバの力に対する信仰は衰えていました。公然たる偶像礼拝は行なわれていなかったとはいえ,神への真の恐れではなく,形式主義に基づく偽善的な崇拝の様式が盛んに行なわれていました。
2 (イ)エホバのために語る者はだれかという呼びかけにだれが,また,いつ答え応じましたか。(ロ)この預言者の名にはどんな意味がありますか。
2 では,だれがエホバのために語るでしょうか。だれがエホバの救いの力を告げ知らせるでしょうか。「ここにわたしがおります! わたしを遣わしてください」と,即座に答えが返って来ます。そう答えたのは,それ以前から預言をしていたイザヤです。それは,らい病にかかったウジヤ王の死んだ年,西暦前778年ごろのことです。(イザヤ 6:1,8)イザヤという名前は「エホバの救い」を意味し,イエスという名(「エホバは救い」)とヘブライ語の書き順は反対ですが,意味は同じです。イザヤの預言は最初から最後までこの事実を,すなわちエホバが救いであることを強調しています。
3 (イ)イザヤについてどんなことが知られていますか。(ロ)彼はどんな期間中に預言しましたか。同時代の預言者にはほかにだれがいましたか。
3 イザヤはアモツの子です(アモツを,ユダ出身の別の預言者アモスと混同しないように)。(1:1)聖書は彼の出生や死に関して何も述べていませんが,ユダヤ人の伝承によると,邪悪な王マナセによってのこぎりで切り裂かれたことになっています。(ヘブライ 11:37と比較してください。)イザヤの書から,彼は女預言者である自分の妻,そして預言的な名を持つ少なくとも二人の息子と共にエルサレムにいたことが分かります。(イザヤ 7:3; 8:1,3)彼はユダの少なくとも四人の王,すなわちウジヤ,ヨタム,アハズ,ヒゼキヤの時代に仕えました。その活動の開始は西暦前778年ごろ(ウジヤ王が死んだ時,あるいは恐らくそれ以前)であるに違いありません。そして少なくとも西暦前732年(ヒゼキヤの第14年)以後まで仕え続けたものと思われます。それは46年もの期間に及びます。彼はまた,西暦前732までには疑いなく自分の預言を書き留めていたことでしょう。(1:1; 6:1; 36:1)同時代の他の預言者としては,ユダにはミカ,そして北にはホセアとオデドがいました。―ミカ 1:1。ホセア 1:1。歴代第二 28:6-9。
4 イザヤがこの書の筆者であることは何から明らかですか。
4 エホバがイザヤに預言的な裁きを書き記すように命じたことは,イザヤ 30章8節から確証されます。「さあ,来て,彼らと共にそれを書き板の上に書き,それを書物に書き込め。それが将来の日のためのものとなり,定めのない時に至るまでの証しとなるためである」。古代ユダヤ人のラビたちはこの書の筆者がイザヤであることを認めており,大預言者(イザヤ書,エレミヤ書,エゼキエル書)の中の最初の書としてこの書を扱っていました。
5 何がイザヤ書の統一性を証ししていますか。
5 40章以降の文体が異なるという理由で,その部分を別の筆者,すなわち「第二イザヤ」の作であると主張する人がいます。しかし,内容の変化に注目すれば,文体の相違は十分に説明がつきます。イザヤが自分の名の付された書全巻を記したことを示す証拠は多くあります。例えば,この書の統一性は「イスラエルの聖なる方」という表現からも明らかです。この表現は1章から39章までに12回,40章から66章にかけて13回,合計25回出て来ます。しかもヘブライ語聖書の他の部分には,全体を通して6回しか出て来ていません。また使徒パウロは,この預言の書の色々な箇所から引用し,この書全巻が一人の筆者,イザヤのものであるとすることにより,この書の統一性を証ししています。―ローマ 10:16,20; 15:12とイザヤ 53:1; 65:1; 11:1とを比較してください。
6 イザヤ書の死海文書は,(イ)今日わたしたちが使っている聖書が霊感を受けて書かれた原文と同じであること,(ロ)イザヤ書全巻は一人のイザヤによって書かれたことをどのように確証していますか。
6 興味深いことに,死海北西岸に近いキルバット・クムランからそれほど遠くない洞くつの闇の中から,1947年以来幾つかの古文書が見つけ出されました。それはイザヤの預言を含む死海写本で,はっきり判読できるマソラ前のヘブライ語で美しく書き記されており,約2,000年の古さを持っています。それは西暦前2世紀の終わりごろから書かれたものです。したがってその本文は,ヘブライ語聖書の現代の翻訳の基礎となっているマソラ本文の現存する最古の写本より約1,000年も古いものです。その写本には語のつづりにおけるそれほど重要でないわずかな相違や文法上の構文における少しの違いはありますが,教理の面でマソラ本文と異なる点はありません。これは,今日のわたしたちの聖書が,霊感を受けたイザヤの音信を元のまま伝えていることを確証するものです。さらに,これらの古代の巻き物は,批評家たちのいわゆる二人の「イザヤ」に関する主張を退けるものともなっています。なぜなら,40章は39章を含む欄の最後の行から始まっており,その最初の文章は次の欄で終わっているからです。したがって,その写字生は明らかに,ここで筆者が変わるとか,ここで書が分けられているというようなことを全く意識していなかったことが分かります。a
7 イザヤ書の信ぴょう性について多くのどんな証拠がありますか。
7 イザヤ書の信ぴょう性に関しては十分の証拠があります。モーセを別にしては,イザヤほどクリスチャン聖書の筆者によって度々引用された預言者はいません。同様に,この書が真実のものであることを証明する歴史上また考古学上の証拠は沢山あります。エルサレムの攻囲に関するセナケリブ自らの記録をとどめた六角プリズムを含むアッシリアの君主たちの歴史上の記録などはその一例です。b (イザヤ 36,37章)かつてのバビロンは今では廃虚の山となっており,イザヤ 13章17節から22節の成就を証ししています。c バビロンから歩いて帰って来た数千人のユダヤ人は,その一人一人が生きた証しでした。彼らは王キュロスによって解放されましたが,イザヤはその名をその時よりほとんど200年前に記していたのです。多分,キュロスは後にこの預言の書を見せてもらったことでしょう。というのは,彼はユダヤ人の残りの者たちを釈放するに際して,その任務をエホバから受けたと語っているからです。―イザヤ 44:28; 45:1。エズラ 1:1-3。
8 この書が霊感を受けていることはメシアに関する預言の成就からどのように証明されますか。
8 イザヤ書の中で際立っているのは,メシアに関する預言です。イザヤは「福音預言者」と呼ばれています。彼の予告したことで,イエスの生涯の出来事において成就を見たものは非常に多くあります。使徒 8章に記録されているエチオピア人の宦官のみならず,ユダヤの民全体にとっても長い間「不可解な章」とされていた53章は,イエスの受ける仕打ちをありありと予告しており,目撃証人の記録でもあるかのようです。クリスチャン・ギリシャ語聖書にはイザヤ書のこの注目すべき章の預言の成就が記録されています。それは下記の比較が示しているとおりです。1節 ― ヨハネ 12:37,38; 2節 ― ヨハネ 19:5-7; 3節 ― マルコ 9:12; 4節 ― マタイ 8:16,17; 5節 ― ペテロ第一 2:24; 6節 ― ペテロ第一 2:25; 7節 ― 使徒 8:32,35; 8節 ― 使徒 8:33; 9節 ― マタイ 27:57-60; 10節 ― ヘブライ 7:27; 11節 ― ローマ 5:18; 12節 ― ルカ 22:37。神でなければ一体だれがこのような正確な予告の源となりえたでしょうか。
イザヤ書の内容
9 イザヤ書の内容はどのように区分されますか。
9 最初の6章はユダとエルサレムが場面となっており,エホバの前におけるユダの罪科とイザヤの任命について述べています。7章から12章は敵の侵略の脅威と,エホバから任命を受けた平和の君による救済の約束を扱っています。13章から35章は,多くの国に対する一連の宣告と,エホバによって備えられる救いの予告とを記しています。ヒゼキヤの統治期間の歴史的な出来事が36章から39章に記録されています。残りの40章から66章では,バビロンからの釈放,ユダヤ人の残りの者たちの帰還,そしてシオンの回復が主題となっています。
10 (イ)イザヤはなぜ事を正すよう国民に呼びかけますか。(ロ)末の日に関して彼は何を預言しますか。
10 『ユダとエルサレムに関する』イザヤの音信(1:1-6:13)。粗布をまとい,サンダルをはいたイザヤがそこにいます。彼はエルサレムに立って,叫んでいます。命令する者たちよ! 民よ! 聴け! あなた方の国民は頭からつま先まで病んでいる。あなた方は血に汚れた手を上げて祈り,エホバをうみ疲れさせた。来なさい。エホバとの間で事を正しなさい。そうすれば,緋のような罪でも雪のように白くされるであろう。末の日にエホバの家の山は高められる。そしてすべての国民は,教えを受けるために流れのようにそこに向かう。彼らはもう戦いを学ばない。エホバは高く上げられ,神聖な者とされる。しかし,イスラエルとユダは,えり抜きのぶどうの木として植えられたにもかかわらず,今では不法のぶどうを産出する。彼らは善を悪とし,悪を善とする。彼らは自分の目から見て賢いからである。
11 イザヤはどんな幻と共に自分の任命を受けましたか。
11 『しかしながら,わたしはエホバを見た。高大で,高く上げられた王座に座しておられる』のを,とイザヤは言います。その幻と共に,エホバからの任命が来ます。「行け。あなたはこの民に言わなければならない,『……何度も何度も聞け』」。いつまでですか。『都市が実際に崩壊して廃虚となる』までです。―6:1,9,11。
12 (イ)イザヤと彼の息子たちはどのように預言的なしるしとして用いられましたか。(ロ)イザヤ 9章にはどんな際立った約束が与えられていますか。
12 敵の侵略の脅威と救済の約束(7:1-12:6)。エホバはイザヤと彼の息子たちを預言的な『しるし,また奇跡』として用い,まずユダに敵対するシリアとイスラエルの連合が失敗すること,しかしやがてユダが捕らわれの身となって行き,残りの者しか帰って来ないことを示されます。乙女が妊娠して子を産みます。彼の名は何ですか。インマヌエル(「わたしたちと共に神がおられる」という意味)です。ユダを攻める敵の連合軍は注意すべきです。「帯を締め,みじんに砕かれよ!」困難な時期が来ます。しかし,続いて,大いなる光が神の民の上に輝きます。一人の子供がわたしたちのために生まれたからです。「そして彼の名は,“くすしい助言者”,“力ある神”,“とこしえの父”,“平和の君”と呼ばれ」ます。―7:14; 8:9,18; 9:6。
13 (イ)不遜なアッシリアは最後にはどんな目に遭いますか。(ロ)エッサイから出る「小枝」による支配はどんな結果をもたらしますか。
13 『ははあ,アッシリア人,わたしの怒りのためのむち棒よ』とエホバは叫ばれます。神は「背教の国民」に対してそのむち棒を用いた後,今度は不遜なアッシリア自身を切り倒されます。その後,『ほんの残りの者が帰る』のです。(10:5,6,21)さあ,新芽を,エッサイ(ダビデの父)の切り株から出る小枝を見てください! この「小枝」は義によって支配し,彼によって全創造物に楽しみがあるのです。害することも損なうこともありません。「水が海を覆っているように,地は必ずエホバについての知識で満ちるからである」。(11:1,9)この方が諸国民のための旗じるしとなって,アッシリアから帰って来る残りの者たちのために街道が敷かれます。人々は救いの泉から水をくんで,エホバに調べを奏でることに歓喜するでしょう。
14 バビロンに関してどんな零落が予告されますか。
14 バビロンの滅亡に関する宣言(13:1-14:27)。イザヤはアッシリアの時代から今度はバビロンの全盛時代へと目を移します。聴きなさい! 数多い民の音,集合した王国や諸国民のどよめきを! エホバが戦いの軍勢を召集しておられるのです! それはバビロンにとって暗黒の日です。驚がくした顔は燃え,心臓は溶けます。無情なメディア人は,「もろもろの王国の飾り」であるバビロンを倒壊させます。それは「代々にわたって」人の住まない荒廃の地,また野獣の生息地となります。(13:19,20)シェオルの死人たちはバビロンの王を迎えて動揺します。うじがその寝いすとなり,虫がその覆いとなります。「輝く者,夜明けの子」にとって,これは何という零落でしょう。(14:12)彼は自分の王座を高めようとしますが,エホバが絶滅のほうきでバビロンを掃くとき,投げ捨てられた死がいとなってしまいます。名も,残りの者も,子孫も,後裔も残りません。
15 イザヤはどんな世界的な荒廃に関して預言しますか。
15 世界的な荒廃(14:28-23:18)。イザヤは次に地中海沿岸のフィリスティア,そして死海の東南に位置するモアブに注意を向けます。彼は自分の預言をイスラエルの北の境界のさらに北にあるシリアのダマスカスに,そして南に一気に下ってエチオピアに,さらにナイル川を上ってエジプトに向け,荒廃をもたらす神の裁きを終始告げ知らせます。彼はまた,セナケリブの前任者であったアッシリアのサルゴン王が,エルサレムの西にあるフィリスティアの都市アシュドドに司令官のタルタンを遣わしたことを告げています。この時,イザヤは3年間,衣服を脱ぎ,裸になり,はだしでいるようにと言われます。彼はこのようにして,エジプトやエチオピアに頼ることが無益であることを身をもって描写します。どちらの国も「尻をむきだしにし」,捕らわれ人としてアッシリア人に連れて行かれるのです。―20:4。
16 バビロン,エドム,エルサレムの騒ぎ立つ者たち,それにシドンやティルスに関してどんな災いが見えますか。
16 物見の塔の上にいる見張り番は,バビロンとその神々の転落,またエドムに関する逆境を見ます。「食べたり飲んだりせよ。わたしたちは明日は死ぬのだから」と言っているエルサレムの騒ぎ立っている民に,エホバご自身が語りかけます。エホバは,『あなた方は確かに死ぬ』と言われます。(22:13,14)タルシシュの船も泣きわめき,シドンは恥じることになります。エホバがティルスに敵する計り事をお与えになったからです。それは,「地の誉れあるすべての者たちを侮べつをもって扱う」ためです。―23:9。
17 ユダに関してどんな裁き,また,どんな回復が予告されますか。
17 エホバの裁きと救い(24:1-27:13)。しかし今度はユダを見てください。エホバはその地を空にされます。民も祭司も,僕も主人も,買い手も売り手も,皆出て行かなければなりません。彼らは神の律法をくぐり,定めなく存続する契約を破ったからです。しかし,やがて神は捕らわれ人たちに注意を向け,彼らを集めてくださいます。神はとりで,また避難所です。神はご自分の山で宴を催し,死を永久に呑み込み,すべての顔から涙をぬぐい去ってくださいます。「これがわたしたちの神である」と言われるようになります。「これがエホバである」と。(25:9)ユダには,城壁のために救いを持つ一つの都市があります。エホバに依り頼む者たちには永続する平和があります。「ヤハ,エホバに,定めのない時に至る岩があるから」です。しかし,邪悪な者は「全く義を学びません」。(26:4,10)エホバはご自分の敵対者たちを打ち殺し,ヤコブを回復されます。
18,19 (イ)エフライムとシオンに対してどんな対照的な災いと喜びが布告されますか。(ロ)エホバはどんな資格でご自分の民を救い,また治めますか。
18 神の憤りと祝福(28:1-35:10)。エフライムの酔いどれたちは災いです。彼らの「美しい飾り」は必ずしぼんでゆきます。しかし,エホバはご自分の民の残りの者たちにとっての「飾りの冠,また美の花輪となり」ます。(28:1,5)それにもかかわらず,エルサレムの自慢する者たちは,試みを経た,シオンの貴重な土台石に頼るのではなく,うそを避難所として頼ります。鉄砲水が彼らすべてを流し去ります。エルサレムの預言者たちは眠っており,神の書は彼らに対しては封じられています。唇では近づくものの,心では遠く離れています。とはいえ,耳の聞こえない人がその書の言葉を聞く時が来ます。目の見えない人が見,柔和な者が歓喜するのです。
19 避難所を求めてエジプトに下って行く者たちは災いです。この強情な民は,滑らかな欺きの幻を欲しています。彼らは断ち滅ぼされますが,エホバは残りの者たちを戻されます。彼らは偉大な教訓者を見ます。そして自分たちの像を散らし,それらを「ただの汚物!」と呼びます。(30:22)エホバはエルサレムの真の防御者です。王がその君たちと共に義によって支配します。彼は平和と平穏と安全を定めのない時に至るまでもたらします。不実な行ないのために平和の使節は激しく泣くことでしょう。しかし,威光ある方エホバは,その民にとって,裁き主,法令授与者,そして王であり,エホバ自ら彼らを救ってくださいます。その時,そこに住んでいる者で,「わたしは病気だ」と言う人はだれもいません。―33:24。
20 諸国民にどんな憤りが臨みますか。しかし,回復を経験する残りの者たちにはどんな祝福が待っていますか。
20 エホバの憤りは必ず諸国民の上に注がれます。死がいは悪臭を放ち,山々は血によって溶けます。エドムは必ず荒廃させられます。しかし,エホバの買い戻された者たちのために砂漠平原は花を咲かせ,「エホバの栄光,わたしたちの神の光輝」が現われ出ます。(35:2)目の見えない人,耳の聞こえない人,口のきけない人もいやされ,エホバの請け戻された者たちのために“神聖の道”が開かれ,彼らは歓喜しつつシオンに帰ります。
21 アッシリア人はエルサレムにどんな嘲弄を浴びせますか。
21 ヒゼキヤの時代にエホバはアッシリアを退却させる(36:1-39:8)。エホバに頼るようにとのイザヤの勧めは実際的でしょうか。それは本当に役に立つものでしょうか。ヒゼキヤの統治の第14年にアッシリアのセナケリブは猛烈な勢いでパレスチナ全土に侵入し,自軍の一部を方向転換させてエルサレムに脅しを加えようとします。彼の代弁者でヘブライ語を話すラブシャケは,都市の城壁に沿って並んでいる民に向かって挑発的な質問を浴びせます。『お前の確信は何か。エジプトか。それは砕かれた葦ではないか。エホバか。アッシリアの王から救い出すことのできる神はいないのだ!』(36:4,6,18,20)民は王に従順を示して,彼に何も答えません。
22 エホバはどのようにヒゼキヤの祈りに答え,どのようにイザヤの預言を成就させられますか。
22 ヒゼキヤはエホバに,そのみ名のゆえに救いを施してくださるよう祈ります。エホバはイザヤを通して,ご自分がアッシリア人の鼻に鉤を付け,彼が来た道を通って連れ戻すであろうと答えられます。一人のみ使いが18万5,000人のアッシリア人を撃って殺し,セナケリブは急いで逃げ帰ります。彼は後に自国の異教の神殿にいたとき,自分の息子たちによって殺されます。
23 (イ)ヒゼキヤはどんな時にエホバに詩を作りましたか。(ロ)彼はどんな分別の欠けた行為をしましたか。その結果,イザヤはどんな預言を与えましたか。
23 ヒゼキヤは病気にかかって死にそうになります。しかし,エホバはヒゼキヤがいやされるしるしとして,太陽によってできる影を奇跡的に後退させ,彼の命に15年を加えます。ヒゼキヤは感謝に満ちてエホバに美しい賛美の詩を作ります。バビロンの王が使者を遣わし,彼の病気の回復を偽善的に祝ったとき,ヒゼキヤは王宮の財宝を見せるという分別を欠いた行為をします。その結果として,イザヤはヒゼキヤの家のすべてのものがいつかバビロンに持ち去られるであろうと預言します。
24 (イ)エホバは慰めとなるどんなたよりを布告されますか。(ロ)諸国民の神々は偉大さに関してエホバと比べることができますか。エホバはどんな証人を呼び出されますか。
24 エホバはご自分の証人たちを慰めてくださる(40:1-44:28)。「慰めよ」という40章の冒頭の言葉は,イザヤ書の残りの部分を適切に描写するものとなっています。荒野で呼ばわる声がします。「あなた方はエホバの道を開け!」(40:1,3)シオンのために良いたよりがあります。エホバはご自分の群れを牧し,若い子羊たちをその懐に抱いて携えて行かれます。エホバは高大な天から地の円を見下ろされます。その偉大さに関して,神は何と比べられるでしょうか。神はご自分に希望を置く,疲れ果てて,うみ疲れている者に十分の力と活動力を与えてくださいます。諸国民の鋳像は風であり,実在しないものである,と神は宣言されます。神が選ばれた者は,もろもろの民のための契約,盲人の目を開く諸国民の光となるのです。エホバはヤコブに向かって,「わたし自らあなたを愛した」と言い,日の昇る方,日の沈む方,北,および南に向かって,『引き渡せ。わたしの息子と娘たちを連れて来るように』と呼びかけます。(43:4,6)法廷が開かれ,エホバは諸国民の神々に彼らの神性を証明する証人を出すよう挑戦します。イスラエルの民はエホバの証人たちであり,その方の僕です。彼らは,エホバが神であり,救出者であることを証しする者たちです。エホバはエシュルン(「廉直な者」,すなわちイスラエル)にご自分の霊を約束し,次いで,何も見ない,何も知らない像を造る者たちに恥を被らせます。エホバはご自分の民を買い戻す方です。エルサレムは再び人の住む所となり,その神殿は再建されます。
25 エホバがバビロンとその偽りの神々に裁きを執行することにより,人々は何を知るようになりますか。
25 バビロンに対する復しゅう(45:1-48:22)。イスラエルのために,エホバはバビロンを打ち破る者としてキュロスを指名します。人々は,ただエホバだけが神であり,天と地および地上の人間を創造された方であることを知らざるを得なくなります。エホバは,バビロンの神であるベルとネボをあざけります。エホバだけが終わりのことを初めから告げることができるからです。バビロンの処女なる娘は塵の中に座り,王座から引きずり降ろされ,裸にされます。そして,彼女の大勢の助言者は刈り株のように焼き尽くされます。エホバは,『鉄の首,銅の頭』を持つイスラエルの偶像崇拝者たちに向かって,ご自分に聴き従うなら平安と義と繁栄が得られることをお告げになります。しかし,「邪悪な者たちに平安はない」のです。―48:4,22。
26 シオンはどのように慰められますか。
26 シオンは慰められる(49:1-59:21)。エホバはご自分の僕を諸国民の光として与え,闇にいる者たちに向かって,「出よ!」と叫ばれます。(49:9)シオンは慰められ,その荒野はエデンのように,エホバの園のようになり,歓喜,歓び,感謝の表明,そして調べの声で満ちあふれます。エホバは天を煙のように上らせます。地は衣のように古び,その住民はただのぶよのように死にます。そうであれば,死すべき人間のそしりをどうして恐れる必要があるでしょうか。エルサレムが飲んだ苦い酒杯は,今度は彼女を踏みつけた諸国民に渡されなければなりません。
27 どんな良いたよりがシオンのためにふれ告げられますか。『エホバの僕』に関して何が預言されますか。
27 『シオンよ,覚めよ,塵から立ち上がれ!』良いたよりを携え,跳びはねるようにして山々を越え,「あなたの神は王となった!」とシオンに向かって叫んでいる使者を見よ。(52:1,2,7)エホバの奉仕に携わっている者たちよ,汚れた場所から出て,自分を清く保て。預言者は次に,『エホバの僕』について説明します。(53:11)彼はさげすまれ,人々に避けられ,わたしたちの痛みを負います。しかしそれにもかかわらず,神に撃たれた者とみなされます。彼はわたしたちの違犯のために刺し通されましたが,その傷によってわたしたちをいやしました。ほふり場に連れて行かれる羊のように,彼は暴力を振るうことも欺きを語ることもしませんでした。彼は多くの人々のとがを負うために自分の魂を罪科の捧げ物として与えたのです。
28 来たらんとするシオンの祝福はどのように描写されていますか。それはどんな契約と関連を持っていますか。
28 夫たる所有者エホバは,シオンに喜び叫ぶようにと告げます。彼女が産出的になるからです。苦しみに遭い,大あらしに翻弄されてはいても,彼女はサファイアの基,ルビーの胸壁,火のように輝く石の門を持つ都市となります。彼女の子らはエホバに教えられ,豊かな平和を楽しみます。そして,彼らを攻めるために形造られるどんな武器も功を奏することはありません。「おーい,渇いているすべての者よ!」とエホバは叫ばれます。もし彼らが来るなら,エホバは『ダビデに対する忠実な愛ある親切に関する契約』を彼らと結ばれます。エホバは国たみに対する証人として一人の指導者また司令官をお与えになります。(55:1-4)神のお考えは人間の考えよりはるかに高く,神の言葉は必ず成功を収めます。神の律法を守る宦官は,その国籍がどこであれ,息子や娘に勝った名を得ます。エホバの家はすべての民のための祈りの家と呼ばれることでしょう。
29 エホバは偶像礼拝者たちに何とお告げになりますか。しかしご自分の民にはどんな保証をお与えになりますか。
29 清いみ名を持たれる高く高大な方エホバは,ご自分が定めのない時に至るまでイスラエルと争うのではないと,性に狂った偶像礼拝者たちに告げます。信心深そうな断食は邪悪さを覆い隠すものにすぎません。エホバの手は救いを施すことができないほど短いのではありません。エホバの耳は聞くことができないほど重いのでもありません。『あなた方とあなた方の神との間に分裂を生じさせるものとなったのはあなた方のとがである』とイザヤは言います。(59:2)それゆえ,彼らは光を待ち望んでいるのに闇の中で手探りをするのです。他方,忠実な契約の民の上にあるエホバの霊は,神の言葉が後のすべての世代にわたって彼らの口にとどまり,取り除かれることはないと保証します。
30 エホバはどのようにシオンを美しくされますか。それはどんな新しい名から明らかですか。
30 エホバはシオンを美しくされる(60:1-64:12)。「女よ,起きよ,光を放て。……エホバの栄光が輝き出たからである」。それとは対照的に,濃い暗闇が地を覆います。(60:1,2)その時,シオンは目を上げ,光り輝きます。そして,諸国民の資産が波打つらくだの大群に載って自分のもとに来るとき,彼女の心臓はわななきます。彼らは飛ぶはとの雲のように彼女のもとに群がります。異国の者たちは彼女の城壁を築き,王たちは彼女に仕え,彼女の門は決して閉じられません。彼女の神は必ず彼女の美となり,神は速やかに一を千に,小なる者を強大な国民にされます。神の僕は,エホバの霊が自分の上にあって,この良いたよりを告げ知らせるよう自分に油をそそぐと言います。シオンは新しい名を得ます。それは“わたしの喜びは彼女にある”(ヘフジバ)といい,彼女の土地は“妻として所有される”(ベウラ)と呼ばれます。(62:4,脚注)バビロンから帰るための街道の土を盛り上げ,シオンに旗じるしを掲げるようにという命令が出ます。
31 だれがエドムから来ますか。神の民はどんな祈りの言葉を述べますか。
31 エドムのボツラから血のように赤い衣を着た者がやって来ます。彼は怒りをもって酒ぶねの中で民を踏みつけ,血をほとばしらせます。エホバの民は自分たちの汚れた状態を痛感し,切なる祈りをささげて,このように言います。『エホバよ,あなたはわたしたちの父です。わたしたちは粘土で,あなたはわたしたちの陶器師です。エホバよ,甚だしく憤らないでください。わたしたちは皆あなたの民なのです』― 64:8,9。
32 エホバを捨てる者たちとは対照的に,エホバご自身の民は何に歓喜しますか。
32 「新しい天と新しい地」!(65:1-66:24)。エホバを捨てて「幸運の神」や「運命の神」に頼る人々は飢え,恥をかきます。(65:11)神ご自身の僕たちは豊かな状態を歓びます。ご覧なさい,エホバは新しい天と新しい地を創造しておられます。エルサレムとその民のために何という喜びと歓喜が見いだされることでしょう。家々が建てられ,ぶどう園が設けられ,おおかみと子羊が一つになってものを食べます。害することも損なうこともありません。
33 エホバを愛する者たちに対してどんな喜びと栄光,および永続するどんなことが予告されますか。
33 天は神の王座,地はその足台です。そうであれば,人間はエホバのためにどんな家を建てることができるというのでしょう。国民が一日のうちに生まれようとしています。そして,エホバがエルサレムに平和を川のように差し伸べるとき,その都市を愛する者はすべて喜ぶよう促されます。エホバはまさに火となってその敵に向かわれます。暴風の兵車が憤激と火の炎をもってすべての不従順な肉なる者にエホバの怒りを報います。使者たちが諸国民の中に,また遠い島々にエホバの栄光を告げるために出て行きます。エホバの新しい天と新しい地は永遠に存在します。エホバに仕える者たちも彼らの子孫も同じく永遠に存在します。永遠の存在か永遠の死か,二つに一つの道しかありません。
なぜ有益か
34 イザヤの音信に力強さを添える生き生きした例えにはどんなものがありますか。
34 どの観点から見ても,イザヤの預言の書はエホバ神からの非常に有益な贈り物と言えます。それは神の高大なお考えを照らし出しています。(イザヤ 55:8-11)聖書の真理について公開の席で話をする人は,イエスのたとえ話にも似た力強さをもって人々の心を打つ,生き生きした例えの宝庫とも言うべきイザヤ書を参考にすることができます。イザヤは,同じ一本の木を燃料のためにも崇拝の像を造るためにも用いる愚かさをわたしたちに強力に銘記させます。また,狭すぎる敷布を敷いた,短すぎる寝いすに横たわる人の寝心地の悪さをわたしたちに味わわせ,ほえることさえしない怠惰な,口のきけない犬のような預言者たちの深い眠りの寝息を聞かせてくれます。イザヤが勧めているように,わたしたち自ら「エホバの書の中を尋ね求め,朗読」するなら,わたしたちも現代にかかわるイザヤの強力な音信を正しく認識できるのです。―44:14-20; 28:20; 56:10-12; 34:16。
35 イザヤ書はどのようにメシアによる王国と,メシアの前駆者であるバプテスマを施す人ヨハネに焦点を当てていますか。
35 預言は特に,メシアによる神の王国に焦点を当てています。エホバご自身が至上の王であり,わたしたちを救ってくださる方なのです。(33:22)しかしメシア自身についてはどうですか。生まれてくる子供に関してみ使いがマリアに述べた布告によると,イザヤ 9章6節と7節はその子供がダビデの王座を受けることにおいて成就しなければなりませんでした。「彼は王としてヤコブの家を永久に支配するのです。そして,彼の王国に終わりはありません」。(ルカ 1:32,33)マタイ 1章22節と23節は,処女によるイエスの誕生がイザヤ 7章14節の成就であることを示しており,その者がインマヌエルであることを明らかにしています。それから約30年たって,バプテスマを施す人ヨハネが,「天の王国は近づいた」と伝道するために出て来ました。福音書の筆者は4人ともイザヤ 40章3節を引用し,このヨハネが「荒野で呼ばわっている」者であることを示しています。(マタイ 3:1-3。マルコ 1:2-4。ルカ 3:3-6。ヨハネ 1:23)バプテスマを受けた時,イエスは諸国民を支配するメシア,すなわち,エホバの油そそがれた者,エッサイの小枝または根となりました。諸国民は彼に望みを置かなければなりません。そのことがイザヤ 11章1節と10節の成就となるのです。―ローマ 15:8,12。
36 どんな数多くの預言の成就が王なるメシアの実体を明白にしていますか。
36 イザヤがどのように引き続き王なるメシアの実体を明らかにしてゆくかに注目してください。イエスは,イザヤの巻き物から自分の使命について読んで,自分がエホバの油そそがれた者であることを明らかにし,次いで,「神の王国の良いたよりを宣明」し始められました。イエスは,「わたしはそのために遣わされたからです」と言われました。(ルカ 4:17-19,43。イザヤ 61:1,2)四福音書には,イエスの地上における宣教とイザヤ 53章に予告されていたその死の様子とに関する詳細が数多く記されています。ユダヤ人は王国の良いたよりを聞き,イエスの驚くべき業を見たにもかかわらず,不信仰な心ゆえにその意味を悟りませんでした。これはイザヤ 6章9節と10節,29章13節そして53章1節を成就するものとなりました。(マタイ 13:14,15。ヨハネ 12:38-40。使徒 28:24-27。ローマ 10:16。マタイ 15:7-9。マルコ 7:6,7)イエスはユダヤ人にとってはつまずきの石でしたが,エホバがシオンに据えた土台の隅石となり,イザヤ 8章14節また28章16節の成就として,エホバはその上にご自分の霊的な家を建てられるのです。―ルカ 20:17。ローマ 9:32,33; 10:11。ペテロ第一 2:4-10。
37 イエスの使徒たちはどのようにイザヤ書から引用し,それを適用しましたか。
37 さらにイエス・キリストの使徒たちもイザヤの預言を引き合いに出して,それを宣教に適用しました。例えば,信仰を築くために宣べ伝える者が必要であることを示して,パウロはイザヤ書から引用してこう述べています。「良い事柄についての良いたよりを宣明する者の足は何と麗しいのだろう」。(ローマ 10:15。イザヤ 52:7。ローマ 10:11,16,20,21もご覧ください。)ペテロもイザヤ書から引用して,良いたよりの永続性を次のように示しています。「『肉なる者はみな草のごとく,その栄光はみな草の花のようである。草は枯れ,花は落ちる。しかしエホバのことばは永久に存続する』とあるからです。そして,これが,すなわち,あなた方に良いたよりとして宣明されたことが,その『ことば』なのです」― ペテロ第一 1:24,25。イザヤ 40:6-8。
38 どんな輝かしい王国の主題がイザヤ書の中に描かれていますか。聖書の他の筆者たちは後に,どのようにその主題を取り上げていますか。
38 イザヤは将来に関する王国の希望を栄光ある仕方で描いています。ご覧なさい!「新しい天と新しい地です」。そこでは『王は義のために治め』,君たちは公正のために支配します。それは何という喜び,何という歓喜のいわれでしょう。(65:17,18; 32:1,2)ペテロは再びイザヤの喜ばしい音信を取り上げています。「しかし,神の約束によってわたしたちの待ち望んでいる新しい天と新しい地があります。そこには義が宿ります」。(ペテロ第二 3:13)この素晴らしい王国の主題は,啓示の書の終わりの数章において栄光の頂点に達します。―イザヤ 66:22,23; 25:8。啓示 21:1-5。
39 イザヤはどんな壮大な希望を指し示していますか。
39 このように,イザヤ書は,エホバの敵と,エホバの僕であると偽善的に主張する者たちとに対する痛烈な糾弾を含んでいるとはいえ,格調高い言葉遣いでメシアの王国の壮大な希望を指し示しています。エホバの偉大なみ名はその王国によって神聖なものとされるのです。イザヤ書はエホバの王国の素晴らしい真理を説明し,「その救い」を歓んで待ち望むようわたしたちの心を燃え立たせる面で大いに貢献する書です。―イザヤ 25:9; 40:28-31。
[脚注]
a 「聖書に対する洞察」(英文),第1巻,1221-1223ページ。
b 「聖書に対する洞察」(英文),第1巻,957ページ; 第2巻,894,895ページ。
c 「聖書に対する洞察」(英文),第2巻,324ページ。
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聖書の24番目の書 ― エレミヤ書『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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聖書の24番目の書 ― エレミヤ書
筆者: エレミヤ
書かれた場所: ユダとエジプト
書き終えられた年代: 西暦前580年
扱われている期間: 西暦前647年-580年
1 エレミヤはいつ,また,だれによって任命されましたか。
預言者エレミヤは危機と激動の時代を生きた人でした。彼は,神を恐れたユダのヨシヤ王の治世の第13年,西暦前647年にエホバによって任命されました。エホバの家の修復作業が行なわれている間に,エホバの律法の書が発見され,それはヨシヤ王のために読まれました。彼はその律法を実施しようと懸命に努力しましたが,偶像礼拝への堕落の過程を精々一時的に阻止し得たにすぎません。55年間統治を行なった彼の祖父マナセも,また,わずか2年間治めた後に暗殺された彼の父アモンも邪悪な行動を取りました。これらの王はみだらな饗宴や身の毛もよだつような儀式を民に奨励しました。そのため,民は「天の女王」に香をたいたり,悪霊の神々に人間をいけにえとして供えたりすることに慣れてしまっていました。マナセはエルサレムを罪のない者の血で満たしました。―エレミヤ 1:2; 44:19。列王第二 21:6,16,19-23; 23:26,27。
2 エレミヤの任務はどのようなものでしたか。彼の預言は色々な出来事に富んだどんな期間を取り扱っていましたか。
2 エレミヤの任務は決して容易なものではありませんでした。彼はエホバの預言者として仕え,ユダとエルサレムの荒廃,エホバの壮大な神殿の焼失,自分の民の捕囚など,信じ難いような大変災を予告しなければなりませんでした。彼は,悪い王エホアハズ,エホヤキム,エホヤキン(コニヤ),そしてゼデキヤの統治に至る40年間,エルサレムで預言活動を続けなければならず(エレミヤ 1:2,3),後にはエジプトで,その地のユダヤ人の逃亡者たちの偶像礼拝に関して預言しなければなりませんでした。彼の書は西暦前580年に書き終えられました。このようにエレミヤ書では,色々な出来事に富んだ67年の期間のことが取り扱われています。―52:31。
3 (イ)エレミヤ書の正典性と信ぴょう性はヘブライ語聖書時代にどのように証明されましたか。(ロ)この点に関してクリスチャン・ギリシャ語聖書の中にはさらにどんな証拠が見られますか。
3 この預言者と預言書のヘブライ語の名前は,「イルメヤー」または「イルメヤーフー」で,「エホバは高めてくださる; または,エホバは[恐らく,胎から]ゆるめてくださる」という意味であろうと思われます。この書はヘブライ語聖書のすべての目録に載せられており,その正典性は一般に受け入れられています。その幾つもの預言が彼の生涯の間に劇的な成就を見たことは,その信ぴょう性を十分に確証しています。さらに,エレミヤの名はクリスチャン・ギリシャ語聖書の中に何度か出て来ます。(マタイ 2:17,18; 16:14; 27:9)イエスがエレミヤの書を研究しておられたことは,神殿を清めた時にエレミヤ 7章11節の表現とイザヤ 56章7節の表現を一緒に用いられたことから明らかです。(マルコ 11:17。ルカ 19:46)イエスの大胆さと勇気ゆえに,ある人々はイエスをエレミヤだと考えたほどです。(マタイ 16:13,14)新しい契約に関するエレミヤの預言(エレミヤ 31:31-34)は,ヘブライ 8章8節から12節および10章16節と17節でパウロが取り上げています。パウロはエレミヤ 9章24節を引用して,「誇る者はエホバにあって誇れ」と述べています。(コリント第一 1:31)啓示 18章21節には,バビロンの倒壊に関するエレミヤの描写(エレミヤ 51:63,64)のさらに強力な適用が見られます。
4 考古学はどのようにエレミヤの記録を支持していますか。
4 考古学上の発見もエレミヤの記録を支持しています。例えば,バビロニアのある年代記は西暦前617年のネブカドネザル(ネブカドレザル)によるエルサレムの攻略について伝えています。その時,彼は王(エホヤキン)を捕らえ,自分の選んだ者(ゼデキヤ)を任命しました。―24:1; 29:1,2; 37:1。a
5 (イ)エレミヤ自身に関して何が知られていますか。(ロ)彼の文体に関してどんなことが言えますか。
5 モーセを別にすれば,エレミヤの経歴は古代の預言者の他のだれの経歴よりもよく知られています。エレミヤは自分自身について,自分の気持ち,また感情について多くのことを明らかにしています。彼は恐れを知らぬ大胆さと勇気を示し,謙遜さと心の優しさを合わせ持っていました。彼は預言者であるばかりでなく,祭司であり,聖書の編さん者であり,正確な歴史家でもありました。彼はエルサレムの北の地方,「ベニヤミンの地」にある祭司の都市アナトテのヒルキヤという祭司の子として生まれました。(1:1)エレミヤの文体は明せき,直截で,容易に理解できます。例えや,絵を思わせるような描写の豊富なこの書は散文と詩の両方からなっています。
エレミヤ書の内容
6 預言の主題はどのように配列されていますか。
6 内容は年代順ではなく,主題別に配列されています。したがって,記されている事柄の時間的背景,それを取り巻く状況は何度も変わります。最後に,エルサレムとユダの荒廃の様子が52章で極めて精細に描かれています。それは預言の多くの成就を示すだけでなく,この書の次に来る哀歌の背景をなしてもいます。
7 エレミヤはどのようにして預言者となりましたか。エホバはどのように彼を元気づけますか。
7 エホバはエレミヤを任命する(1:1-19)。エレミヤは自分が預言者になりたかったから,あるいは祭司の家族の出であったから任命を受けたのでしょうか。その点はエホバご自身がこう説明しておられます。「わたしは,あなたを腹のうちで形造っている前からあなたを知っており,あなたが胎を出る前からあなたを神聖なものとした。わたしはあなたを諸国民への預言者とした」。それはエホバからの任命だったのです。エレミヤは自ら進んで行くでしょうか。彼は,『わたしは少年にすぎません』,と謙遜に言い訳をします。しかし,エホバは彼を元気づけます。「さあ,わたしはわたしの言葉をあなたの口に入れた。見よ,わたしは今日,あなたを諸国の民と王国の上に任命した。それは根こぎにし,引き倒し,滅ぼし,打ち壊すため,建てて,植えるためである」。エレミヤは恐れてはなりません。「彼らは必ずあなたと戦うことになるが,あなたに打ち勝つことはない。『わたしがあなたと共にいて,あなたを救い出すからである』と,エホバはお告げになる」。―1:5,6,9,10,19。
8 (イ)エルサレムはどんな点で不忠実でしたか。(ロ)エホバはどのように災いをもたらされますか。
8 エルサレム,不忠実な妻(2:1-6:30)。エホバの言葉はどんな音信をエレミヤに伝えますか。エルサレムは自分の最初の愛を忘れました。生ける水の源であるエホバを捨てて,よそからの神々と売春を行ないました。彼女はえり抜きの赤ぶどうの木から,「異質のぶどうの木の堕落した若枝」に変わってしまいました。(2:21)そのすそは罪のない貧しい者たちの魂の血に染まっています。売春婦のイスラエルでさえ,ユダと比べると義にかなっていると言えました。神はこれら背信の子らに,帰って来るようにと呼びかけます。神は彼らの夫たる所有者だからです。しかし,彼らは不実な妻のようになってしまいました。彼らは,自分たちの嫌悪すべきものを取り去り,自分たちの心に割礼を施すなら,帰って来ることができます。「シオンに向かって旗じるしを掲げよ」。なぜなら,エホバは北から災いをもたらされるからです。(4:6)崩壊に続いてまた崩壊が起こります。エホバの刑執行者は,やぶから出て来るライオンのように,荒野を吹き抜ける熱風のように,そして暴風のような兵車を伴って到来します。
9 (イ)強情なエルサレムに関してエホバはどんな言葉を述べますか。(ロ)彼らの平和の叫びは何かの役に立ちますか。
9 エルサレムを行き巡りなさい。どんなことが見られますか。違犯と不忠実な行為だけです。民はエホバを否みました。それで,エレミヤの口にある神の言葉は必ず,民を木切れのようにむさぼり食う火となります。民がエホバを去って異国の神に仕えたように,エホバも彼らを異国の地でよそ人に仕えさせます。強情な者たちよ! 彼らは目があるのに見ることができず,耳があるのに聞くことができません。何とひどい有り様でしょう。預言者や祭司たちは実際に偽りのうちに預言します。「そしてわたしの民はその状態を愛したのだ」とエホバは言われます。(5:31)災いが北から近づいて来ます。しかし,「彼らのうちの最も小なる者から彼らのうちの最も大なる者に至るまで,すべての者が自分のために不当な利得を得ている」のです。彼らは,「平和がないのに,『平和だ! 平和だ!』」と言っています。(6:13,14)しかし,奪略を行なう者が突然やって来ます。エホバはエレミヤを彼らの中で金属を試す者としましたが,出て来るものは浮きかすと退けられた銀だけです。彼らは徹頭徹尾悪くなっています。
10 エルサレムがシロやエフライムと同じ目に遭わなければならないのはなぜですか。
10 神殿は何の保護にもならないという警告(7:1-10:25)。エホバの言葉がエレミヤに臨み,彼は神殿の門でそれをふれ告げることになります。入って来る人たちに向かって彼が叫んでいるのを聞いてください。『あなた方はエホバの神殿について自慢しているが,実際にしていることは何か。父なし子や,やもめを虐げ,罪のない血を流し,ほかの神々に従って歩み,盗みを働き,殺人を犯し,姦淫を行ない,偽って誓い,バアルに犠牲をささげているではないか。偽善者たちよ! あなた方はエホバの家を「ただの強盗の洞くつ」としてしまった。エホバがシロに対して行なわれたことを思い出せ。ユダよ,エホバはあなたの家に対しても同じように行なわれる。そして,北のエフライム(イスラエル)を投げ出したように,あなたを投げ出すであろう』。―エレミヤ 7:4-11。サムエル第一 2:12-14; 3:11-14; 4:12-22。
11 なぜユダのために祈ってももう無駄ですか。
11 ユダのために祈ってももう無駄です。その民は「天の女王」に犠牲として菓子をささげることさえしているではありませんか。実際,「これは,民がその神エホバの声に従わず,懲らしめを受け入れなかった国民である。忠実さは滅びうせ(た)」のです。(エレミヤ 7:18,28)ユダはエホバの家に嫌悪すべきものを置き,ヒンノムの谷にあるトフェトの高き所で息子や娘を焼きました。見よ! それは「殺しの谷」と呼ばれ,彼らの死体は鳥や獣の食物となることでしょう。(7:32)歓びと歓喜はユダとエルサレムから絶たれることになります。
12 平安の代わりに,何がユダとユダの取り入れた神々に臨みますか。
12 彼らは平安と癒しを待ち望んでいましたが,見よ,恐怖が来ました。彼らが強情であるために,離散と絶滅と悲嘆が生じます。『エホバは生ける神,定めのない時に至るまで王です』。天も地も造らなかった神々のうちに霊はありません。それらはむなしいもの,愚弄の業であり,滅びうせます。(10:10-15)エホバは地の住民を投げ出されます。聴きなさい! 北の地から,激しく踏み鳴らす音がします。それはユダの諸都市を荒廃させるためのものです。預言者は,『自分の歩みを導くことが地の人に属していない』ことを認め,自分を正してくださるよう祈り求めます。自分が無に帰せられることのないためです。―10:23。
13 エレミヤがユダのために祈ってはならないと言われたのはなぜですか。エホバは危険な時にどのようにエレミヤを強めますか。
13 契約を破る者たちはのろわれる(11:1-12:17)。ユダはエホバとの契約の言葉に聴き従いませんでした。彼らが援助を呼び求めても無駄です。エレミヤはユダのために祈ってはなりません。かつては生い茂っていたこのオリーブの木を,エホバは「火を放って燃え上がらせ」たからです。(11:16)エレミヤの郷里のアナトテの市民が共謀して彼を亡き者にしようとしたので,預言者エレミヤは力と助けをエホバに求めます。エホバはアナトテに対する復しゅうを約束します。エレミヤは尋ねます。「邪悪な者たちの道が成功を収めたのはどうしてですか」と。エホバは,『わたしは不従順な国民を根こぎにして滅ぼす』と言って彼を元気づけます。―12:1,17。
14 (イ)エルサレムが矯正不可能なこと,そしてエルサレムに対する裁きが撤回不能であることをエホバはどんな例えによって明らかにされましたか。(ロ)エホバの言葉を食べることによってエレミヤは何を味わいましたか。
14 エルサレムは矯正不可能で,滅びに定められている(13:1-15:21)。エレミヤは自分が受けたエホバからの命令について話します。それは,亜麻布の帯を腰に着け,次いでユーフラテス川のそばの大岩の中にその帯を隠せという命令です。エレミヤがそれを掘りに来てみると,それは既に損なわれていました。「何の役にも立たなかった」のです。このようにしてエホバは,「ユダの誇りとエルサレムのおびただしい誇りを滅びに陥れる」決意を例えで示されました。(13:7,9)エホバは,彼らが酔っているうちに,ぶどう酒で満たされた大きなかめを砕くように彼らをもろともに砕きます。「クシュ人はその皮膚を,ひょうはその斑点を変えることができるだろうか」。(13:23)それと同じく,エルサレムを矯正することは不可能です。エレミヤはこの民のために祈ってはなりません。たとえモーセとサムエルが民の執り成しのためにみ前に立とうとも,エホバは聞き入れません。エホバはエルサレムを滅びのためにささげる決意をされたからです。エホバはエレミヤを,彼をそしる者たちに対して強くされます。エレミヤはエホバの言葉を見いだし,それを食べます。その結果,『心の歓喜と喜び』を味わいます。(15:16)今は無意味な冗談を言っている時ではありません。エホバに依り頼むべき時です。エホバはエレミヤを民に対して防備の施された銅の城壁とすることを約束されました。
15 (イ)当時はどれほど重大な時期でしたか。エホバのどんな命令はこの点を強調していますか。(ロ)民はどのようにエホバの名を知ることになりますか。彼らの罪がエホバを欺くことがないのはなぜですか。
15 エホバはすなどる者と狩人を遣わす(16:1-17:27)。荒廃が切迫していることを考慮に入れて,エホバはエレミヤにこう命令します。「あなたは自分のために妻をめとってはならない。この所で息子や娘を持ってはならない」。(16:2)今は嘆き悲しむ時でも,民と共に宴会に連なる時でもありません。エホバは彼らをこの地から投げ出そうとしておられるからです。次いでエホバは,『人々をすなどるためにすなどる者を,人々を狩り出すために狩人を』遣わすとも約束されます。そして,エホバがそれをことごとく成し遂げることにより,「彼らは[その方の]名がエホバであることを知らなければならなくなる」のです。(16:16,21)ユダの罪は鉄の尖筆で,そうです,金剛石のとがりで民の心に刻み込まれています。「心はほかの何物にも勝って不実であり,必死に」なります。しかし,エホバは心を探ることができます。だれもエホバを欺くことはできません。背教する者は,「生ける水の源,エホバを捨てた」のです。(17:9,13)ユダが安息日を神聖なものとしないなら,エホバはその門と塔を火によってむさぼり食います。
16 エホバは陶器師と粘土の器によって何を例示されましたか。
16 陶器師と粘土(18:1-19:15)。エホバはエレミヤに陶器師の家に行くよう命令します。エレミヤはそこで,損なわれた粘土の器を陶器師が自分の思い通りに別の器に作り直してゆくのを見ます。エホバは,ご自分がイスラエルの家に対して,引き倒す力も築き上げる力をも持つ陶器師であると宣言されます。次いでエレミヤに,陶器師の瓶をヒンノムの谷に持って行き,そこでエホバからの災いを宣告するようにと告げます。民はその場所を罪のない血で満たし,自分たちの子らをバアルへの全焼燔の捧げ物として火で焼いたからです。その後エレミヤは,エホバがエルサレムとユダの民とを砕く象徴として,その瓶を砕かねばなりません。
17 エレミヤはどんな難しい経験をしますか。そのために彼は沈黙しますか。
17 迫害に遭ってもあきらめない(20:1-18)。エレミヤが大胆に宣べ伝えることにいら立ちを覚えた神殿の事務官パシュフルは,彼を一晩足かせ台につなぎます。エレミヤはそこから解かれると,パシュフルが捕らわれの身となること,またバビロンで死ぬことを予告します。自分に浴びせられる嘲笑と非難を嘆き悲しんで,エレミヤはもう語るまいと考えます。しかし,彼は沈黙していることができません。エホバの言葉は,『彼の心の中にあって,骨の中に閉じ込められた燃える火』のようになり,彼は話さずにはいられなくなります。自分の生まれた日をのろいながらも,彼はこう叫びます。「あなた方はエホバに向かって歌え! エホバを賛美せよ! 神は貧しい者の魂を悪を行なう者たちの手から救い出してくださったからである」。―20:9,13。
18 エレミヤはゼデキヤにどんなことを告げますか。
18 支配者たちに対するエホバの憤り(21:1-22:30)。ゼデキヤの質問に答えて,エレミヤはエルサレムに対するエホバの激しい怒りを彼にこう告げます。バビロンの王がその都市を攻囲し,それは疫病,剣,飢きん,そして火によって滅ぼされるであろう。シャルム(エホアハズ)は流刑の地で死に,エホヤキムは雄のろばが埋められるように埋められます。その子コニヤ(エホヤキン)はユダから投げ出されて,バビロンで死ぬことになります。
19 エレミヤは「義なる新芽」に関して何を預言しますか。二つのかごのいちじくによって何が示されますか。
19 「義なる新芽」に対する希望(23:1-24:10)。エホバは真実の牧者が偽りの牧者に代わること,そしてダビデの株から出た「義なる新芽」,すなわち「必ず治め,思慮深く行動し,この地に公正と義を行なう」王を約束します。その王の名は何と言いますか。『彼は,“エホバはわたしたちの義”と呼ばれます』。彼は追い散らされた残りの者たちを集めます。(23:5,6)預言者たちがエホバの親密な集いの中に立っていたなら,彼らは民に聞かせて,民をその悪の道から立ち返らせていたはずです。彼らはそうする代わりに,『その偽りのゆえにわたしの民をさまよわせる』と,エホバは言われます。(23:22,32)『見よ,二つのかごのいちじくがある』。エレミヤは良いいちじくと悪いいちじくを例えに用いて,忠実な残りの者たちが神の恵みのうちに自分たちの地に帰って来ること,そして別の級の者たちが悲惨な終わりを遂げることを示します。―24:1,5,8-10。
20 エホバはバビロンをどのようにご自分の僕として用いられますか。しかし,バビロンは最後にはどうなりますか。
20 諸国民に対するエホバの論争(25:1-38)。この章は,45章から49章でさらに詳しく取り扱われる裁きについての要約となっています。エホバは三つの並行預言によって,今度は地の諸国民すべてに災いを宣言されます。最初に,ユダとその周辺の諸国民を荒廃させるエホバの僕としてのネブカドレザルの名が明らかにされます。「これらの諸国の民は七十年の間バビロンの王に仕えなければ」なりません。それからバビロンの番が来ます。それは「定めのない時に至るまで荒れ果てた所」となります。―25:1-14。
21 だれがエホバの激しい怒りの杯から飲まなければなりませんか。どんな結果になりますか。
21 2番目の預言は,エホバの激しい怒りのぶどう酒を満たした杯に関する幻です。エレミヤはこの杯を諸国民のもとに携えて行かなければなりません。「彼らは必ず飲んで,揺れ動き,狂人のように行動」します。エホバからの滅びが彼らに臨もうとしているからです。最初にエルサレムとユダに臨みます。次にエジプト,戻って来てフィリスティア,向こう側にあるエドム,ずっと上にあるティルス,近くの国々,遠くの国々,「そして地の表にある,地の他のすべての王国に。またシェシャクの王も彼らの後に飲む」のです。彼らは『飲んで,吐いて,倒れます』。だれも逃れられません。―25:15-29。
22 エホバの燃える怒りはどんな大いなる災いによって表明されますか。
22 3番目の預言に入ると,エレミヤは壮大な詩的高揚に達します。『エホバは地に住むすべての者に向かって高い所から自ら大声を上げられます』。ざわめき,災い,激しいあらしが到来します。「そして,エホバに打ち殺される者は,その日,地の一方の果てから地の他方の果てにまで及ぶであろう」。彼らは嘆き悲しまれることも葬られることもありません。彼らは地面の肥やしのようになります。偽りの牧者たちは群れの威光ある者たちと共にほふられます。彼らに逃れる道はありません。彼らが泣き叫んでいるのを聴きなさい。エホバご自身が『燃えるみ怒りのために彼らの放牧地を奪略しておられ』ます。―25:30-38。
23 (イ)エレミヤに対して人々はどのように共謀しますか。エレミヤはどのように自分を弁護しますか。どんな先例が引き合いに出されて彼は無罪になりますか。(ロ)やがて人々がバビロンに捕らわれの身となることを,エレミヤはどのように示しますか。ハナニヤに関するどんな預言が真実となりますか。
23 エレミヤの正しさが立証される(26:1-28:17)。支配者たちと民は共謀してエレミヤを殺そうとします。エレミヤは自分を弁護します。自分が語ったのはエホバの言葉であり,自分を殺すなら,彼らは罪のない者を殺すことになる,と。結局,無罪の判決が下ります。年長者たちは預言者ミカとウリヤの先例を引き合いに出して,エレミヤの件について論じます。エホバは次にエレミヤに,縛り縄とくびき棒を作ってそれを首にかけるよう,さらにそれらを周囲の諸国民に送るよう命令します。それは,彼らがバビロンに3代の支配者の期間にわたって仕えなければならないことを象徴するものです。偽りの預言者の一人であるハナニヤはエレミヤに反対します。彼はバビロンのくびきが2年の内に砕かれると宣言し,そのことを木のくびきを砕くことによって示します。エホバはエレミヤに鉄のくびきを作らせ,ハナニヤがその年の内に死ぬと告げさせることにより,ご自分の預言の確かさを強調されます。ハナニヤは死にます。
24 (イ)エレミヤはバビロンにいる流刑の民にどんな音信を伝えましたか。(ロ)エホバはだれと新しい契約を結びますか。それはどんな点で以前の契約よりも壮大なものとなりますか。
24 バビロンの流刑の民に対する慰め(29:1-31:40)。エレミヤは,エコニヤ(エホヤキン)と共にバビロンに捕らえ移された流刑の民に対し,そこにとどまるように,エホバがあなた方を連れ戻す前に70年の流刑の期間があるからである,と書き送ります。エホバはエレミヤに彼らの帰還についてこう書に記すよう命じます。エホバは彼らのくびきを砕き,「彼らはその神エホバと,わたし[エホバ]が彼らのために起こす王ダビデとに必ず仕えるであろう」。(30:9)ラケルは泣く声をとどめるべきです。彼女の子らが「必ず敵の地から帰って来る」からです。(31:16)そして今度は,安心感を与えるエホバの宣言が続きます。エホバはユダとイスラエルの家に対して新しい契約を結ばれます。それは彼らが破った契約よりもはるかに壮大なものです。エホバはご自分の律法を内なる深い所,すなわち彼らの心に書き記されます。「そして,わたしは彼らの神となり,彼らはわたしの民となるであろう」。最も小なる者から最も大なる者に至るまで,すべての者がエホバを知り,エホバは彼らのとがを許してくださいます。(31:31-34)彼らの都市はエホバのための神聖なものとして再建されます。
25 イスラエルの回復が確かであることはどのように強調されますか。エホバの言葉はどんな知らせをもたらしますか。
25 ダビデとのエホバの契約は信頼できる(32:1-34:22)。エルサレムに対するネブカドレザルの最終的な攻囲の間,エレミヤはずっと拘束下に置かれます。しかし,エホバが必ずイスラエルを回復させるしるしとして,エレミヤはアナトテに畑を買い,その証書を土器に入れます。エホバの言葉は次に,ユダとエルサレムが再び歓ぶようになり,エホバがダビデとの契約を履行される,という良い知らせをもたらします。しかし,ゼデキヤよ,あなたは警告を受けよ。バビロンの王はこの都市を火で焼き,あなた自身は捕らわれの身となってバビロンに行くことになる。自分の奴隷たちを自由にすることに同意しながら,その契約を破った奴隷所有者たちは災いだ。
26 エホバはレカブ人にどんな約束をしますか。なぜですか。
26 レカブに対するエホバの約束(35:1-19)。エホヤキム王の時代に,エホバはエレミヤをレカブ人のもとに遣わします。彼らはバビロニア人が最初に接近してきたとき,エルサレムに避難しました。エレミヤは彼らにぶどう酒を差し出して,飲むように勧めます。彼らは父祖ヨナダブが250年も昔に与えた命令に従って,それを飲もうとしません。その態度はユダの不忠実な歩みとは極めて対照的です。エホバは彼らにこう約束されます。「わたしの前に常に立つ人が,レカブの子ヨナダブから断たれることはない」― 35:19。
27 エレミヤの預言をもう一度書く必要が生じたのはなぜですか。
27 エレミヤは再び書を記す(36:1-32)。エホバはエレミヤにその時までの預言の言葉すべてを書き記すよう命じます。エレミヤはそれを口述してバルクに書かせます。そして,バルクはその言葉を断食の日にエホバの家で朗読します。エホヤキム王はその巻き物を持って来させますが,その一部を聞くと,怒ってそれを引き裂き,火の中に投げ込みます。彼はエレミヤとバルクを捕らえるように命じますが,エホバは二人を隠し,エレミヤに全く同じ内容の巻き物を記すよう告げます。
28 (イ)エレミヤはどんな預言を繰り返し述べますか。(ロ)エベド・メレクの取った行動は君たちの行動とどのように対照されますか。
28 エルサレムの最期の日々(37:1-39:18)。記録はゼデキヤの治世に戻ります。王は,ユダのためにエホバに祈るようエレミヤに頼みます。預言者はそれを拒み,エルサレムの滅びが避けられないことを告げます。エレミヤはアナトテに行こうとしますが,脱走者として捕らえられ,むち打たれ,幾日も投獄されます。ゼデキヤは彼を呼んで来させます。エホバからの言葉があるか。ありますとも!「バビロンの王の手にあなたは渡されます!」(37:17)エレミヤが繰り返し述べる滅びの預言に怒った君たちは,彼を泥の水溜めにほうり込みます。王の家の宦官,エチオピア人エベド・メレクの親切な執り成しにより,エレミヤはじわじわと迫って来る死から救助されます。しかし依然,監視の中庭に留置されます。ゼデキヤは再びエレミヤを自分の前に呼びますが,『バビロンの王に降伏するように,さもなければ捕らわれの身となってエルサレムの崩壊を見ることになる』と告げられます。―38:17,18。
29 次にエルサレムにどんな災いが降り懸かりますか。しかしエレミヤとエベド・メレクはどうなりますか。
29 エルサレムの攻囲は18か月間続き,そののち都市はゼデキヤの第11年に破られます。ゼデキヤ王は自分の軍隊と共に逃げますが,追いつかれます。王の子らと高貴な者たちは,王の目の前で打ち殺されます。そして王は盲目にされ,足かせを掛けられてバビロンに連れて行かれます。都市は焼かれて荒廃に帰し,少数の貧しい者たちを除いて,すべての者は流刑に処せられます。ネブカドレザルの命令によってエレミヤは中庭から釈放されます。自分が釈放される前に,エレミヤはエベド・メレクが救出されるというエホバの約束を当人に告げます。『彼がエホバに依り頼んだからです』― 39:18。
30 残された民はどのようにエレミヤの忠告に聞き従いませんか。エジプトでエレミヤはどんな滅びの裁きを知らせますか。
30 ミツパとエジプトにおける最後の出来事(40:1-44:30)。エレミヤは,残された民の上にバビロニア人が総督として任命したゲダリヤと共にミツパに残ります。2か月後,ゲダリヤは暗殺されます。民はエレミヤの忠告を求め,彼は神の言葉を彼らに伝えます。『エホバがこの地からあなた方を根こぎにすることはありません。バビロンの王のことで恐れてはなりません。しかし,あなた方がエジプトに下って行くなら,あなた方は死ぬでしょう』。それにもかかわらず,彼らはエレミヤとバルクを連れてエジプトに下って行きます。エジプトのタフパヌヘスで,エレミヤは滅びに関するエホバの裁きを次のように知らせます。バビロンの王がエジプトに自分の王座を据える。イスラエルがエジプトの神々を崇拝しても,「天の女王」に犠牲をささげることを再開しても無駄である。エホバが偶像礼拝のゆえにエルサレムを荒廃させたことを忘れたのか。エホバはエジプトの地にいる彼らに災いをもたらされる。彼らがユダに帰ることはない。しるしとして,エホバはファラオ・ホフラ自身をその敵たちの手に渡そうとしておられる。
31 バルクにどんな保証が与えられますか。
31 バルクの分(45:1-5)。バルクはエレミヤが繰り返し滅びの預言を述べるのを聞いて苦悩します。彼は自分自身のために『大いなることを求める』代わりに,築き上げ,打ち壊すエホバの業についてまず考えるよう告げられます。(45:5)彼はすべての災いから救い出されることでしょう。
32 「エホバの剣」はだれを攻めますか。
32 諸国民を攻めるエホバの剣(46:1-49:39)。エレミヤはカルケミシュや他の場所でバビロンがエジプトに勝利を収めることを告げます。諸国民が滅ぼし絶やされることがあっても,ヤコブは存続します。とはいえ,処罰を免れることはありません。「エホバの剣」がフィリスティア人,誇り高いモアブと自慢するアンモン,エドムとダマスカス,ケダルとハツォルを攻めます。(47:6)エラムの弓は折られます。
33 (イ)黄金の杯であるバビロンに何が生じますか。(ロ)それゆえ,神の民はどのように行動しなければなりませんか。
33 バビロンを攻めるエホバの剣(50:1-51:64)。エホバはバビロンに関して次のように語られます。それを諸国民の中で告げよ。何も隠すな。バビロンは攻め取られ,その神々は恥をかいた。彼女の中から逃げよ。全地の諸国民を粉砕した,このかじ場のハンマーである彼女自身が砕かれたのだ。捕らわれているイスラエルとユダを虐げる者,「せん越さよ」,万軍のエホバが彼らを買い戻す方であることを知れ。バビロンは,泣きわめく動物たちの生息する所となる。『神がソドムとゴモラを覆されたときのように,人はだれもそこに住まないであろう』。(50:31,40)バビロンは諸国民を酔わせるためにエホバのみ手にある黄金の杯であった。しかし,彼女は突然倒れ,砕かれる。あなた方は彼女のために泣きわめけ。エホバは彼女を滅びに陥れるためメディア人の王たちの霊を奮い起こされた。バビロンの力ある者たちは戦うことをやめた。彼らは女のようになった。バビロンの娘は脱穀場のように踏み固められる。「彼らは必ず定めなく続く眠りに入り,それから覚めることはない」。海が上って来て,おびただしい波でバビロンを覆った。「わたしの民よ,彼女の中から出て,各々その魂をエホバの燃える怒りから逃れさせよ」。(51:39,45)聴け,叫びを,バビロンからの大いなる崩壊の音を。バビロンの戦いの武器は必ず打ち砕かれる。エホバは返報する神だからである。神は必ず報復するであろう。
34 バビロンが倒れることをどんなしるしが示していますか。
34 エレミヤはセラヤに命令します。『バビロンへ行って,バビロンに対するこれらの預言の言葉を読み上げなさい。それから,その書に石を結びつけて,ユーフラテス川の中に投げ入れなさい。「そして言わなければなりません,『このようにバビロンは沈んで行き,わたしがこれにもたらす災いのために,それは決して起き上がることはない』」』― 51:61-64。
35 次にどんな記録が続きますか。
35 エルサレムの崩壊についての記録(52:1-34)。この記述は前に列王第二 24章18節から20節,25章1節から21節,27節から30節で取り上げられた内容とほとんど同じです。
なぜ有益か
36 (イ)エレミヤは勇気あるどんな熱心さの模範ですか。(ロ)また,バルク,レカブ人,エベド・メレクはどんな点でわたしたちに対する立派な模範ですか。
36 霊感を受けたこの預言は,本当にわたしたちを築き上げるものであり,有益です。預言者エレミヤの勇敢な模範は注目に値します。彼は,人々に歓迎されない音信を不敬虔な人々に恐れなくふれ告げました。彼は邪悪な者たちとの交友をいっさい避けました。彼はエホバの音信の緊急性を認識し,エホバの業に心をこめて携わり,決してそれを放棄しませんでした。彼は神の言葉が自分の骨の中の火であるかのように感じました。それは彼の心の歓喜であり,歓びだったのです。(エレミヤ 15:16-20; 20:8-13)わたしたちもエホバの言葉に対して同様に熱心でありたいものです。また,バルクがエレミヤにしたように,神の僕たちを忠節に支持したいと思います。レカブ人の真実の従順も,そして迫害を受けていた預言者にエベド・メレクが示した親切な思いやりも,わたしたちに対する立派な模範です。―36:8-19,32; 35:1-19; 38:7-13; 39:15-18。
37 エレミヤ書を考慮することにより,預言をするエホバの力に対する信仰はどのように強められますか。
37 エレミヤに臨んだエホバの言葉は驚くべき正確さをもって成就しました。このことはエホバの預言の力に対する信仰を強めるはずです。例えば,エレミヤが生き残って自ら目撃することとなった預言の成就には次のようなものがあります。ゼデキヤが捕らわれの身となることとエルサレムの滅び(21:3-10; 39:6-9)。シャルム(エホアハズ)王の退位と捕らわれの地での死(エレミヤ 22:11,12。列王第二 23:30-34。歴代第二 36:1-4)。コニヤ(エホヤキン)王が捕らえられ,バビロンに移される(エレミヤ 22:24-27。列王第二 24:15,16)。偽りの預言者ハナニヤが1年の内に死ぬ(エレミヤ 28:16,17)。これらの預言すべて,そしてさらに多くの預言がエホバの予告された通りに成就しました。エホバの後代の預言者や僕たちもエレミヤの預言が信頼でき,有益なものであることを知りました。例えば,ダニエルはエレミヤの書き記した文書から,エルサレムの荒廃の期間が70年であるはずだということを悟りました。そしてエズラは,その70年の終わりに,エレミヤの言葉が成就したことに注意を促しました。―ダニエル 9:2。歴代第二 36:20,21。エズラ 1:1。エレミヤ 25:11,12; 29:10。
38 (イ)イエスによっても言及されたどんな契約がエレミヤの預言の中で重要なものとして取り上げられていますか。(ロ)どんな王国の希望がふれ告げられていますか。
38 イエスは,ご自分の弟子たちとの主の晩さんの祝いを制定された際,新しい契約に関するエレミヤの預言の成就を指摘されました。こうしてイエスは,「わたしの血による新しい契約」に言及されましたが,その契約によって彼らは罪を許され,エホバの霊的な国民として集められたのです。(ルカ 22:20。エレミヤ 31:31-34)キリストは,この新しい契約に入れられる,霊によって生み出された者たちを王国のための契約に導き入れられます。それは,彼らがキリストと共に天で支配するためです。(ルカ 22:29。啓示 5:9,10; 20:6)エレミヤの預言は何度かこの王国に言及しています。エレミヤは不忠実なエルサレムを幾度となく糾弾しながらも,希望の光を指し示してこう告げました。「『見よ,日がやって来る』と,エホバはお告げになる,『わたしはダビデにひとつの義なる新芽を起こす。そして,ひとりの王が必ず治め,思慮深く行動し,この地に公正と義を行なうであろう』」。そうです,“エホバはわたしたちの義”と呼ばれる王がそうするのです。―エレミヤ 23:5,6。
39 エレミヤが予告した通りバビロンから残りの者が帰って来ましたが,それは何の保証となりますか。
39 エレミヤはまた回復について語ります。「そして,彼らはその神エホバと,わたしが彼らのために起こす王ダビデとに必ず仕えるであろう」。(30:9)最後に,彼はエホバがイスラエルとユダに関して語られた良い言葉について告げます。その趣旨は,『その日,その時,[エホバ]はダビデのためにひとつの義なる新芽を芽生えさせる』というものです。それは彼の胤を増し加えるためであり,その結果,「その王座について王として支配する子」がいることになります。(33:15,21)バビロンから残りの者が帰って来たことが確かであるように,この義なる「新芽」の王国は全地に必ず公正と義を行なうことでしょう。―ルカ 1:32。
[脚注]
a 「聖書に対する洞察」(英文),第2巻,326,480ページ。
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聖書の25番目の書 ― 哀歌『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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聖書の25番目の書 ― 哀歌
筆者: エレミヤ
書かれた場所: エルサレムの近く
書き終えられた年代: 西暦前607年
1 哀歌の書名はなぜ適切ですか。
霊感を受けた聖書のこの書の書名は極めて適切です。この書は,神の選ばれた民の歴史における悲惨な出来事,すなわちバビロンの王ネブカドネザルによる西暦前607年のエルサレムの滅びに対する深い悲しみを言い表わした歌です。ヘブライ語でこの書は,その最初の言葉「ああ!」(字義的には「なんと!」)に相当する「エーカー」という名で呼ばれています。ギリシャ語セプトゥアギンタ訳の翻訳者たちはこの書を,「哀歌,悲嘆」を意味する「スレーノイ」と呼びました。バビロニア・タルムードは,「哀歌,悲歌」を意味する「キーノート」という語を用いています。この書を「ラーメンターチオーネス」と呼んだのは,ラテン語で文章を書いたヒエロニムスです。英語の表題Lamentationsはその語から来ています。
2 哀歌はどの書と一緒にされ,聖書のどこに位置を占めてきましたか。
2 英訳聖書の中で哀歌はエレミヤ書の後に置かれていますが,ヘブライ語正典の中では普通,ソロモンの歌,ルツ記,伝道の書,エステル記と共に聖文書<ハギオグラファ>すなわち「諸書」の中に収められています。これらの書の小さな集合は五つの「メギッロート」(巻き物)として知られています。現代のヘブライ語の聖書の中では,哀歌がルツ記またはエステル記と伝道の書との間に来るものもありますが,古代の聖書においては,今日のわたしたちの聖書と同じく,エレミヤ書の後に哀歌が置かれていたと言われています。
3,4 エレミヤが哀歌を書いたことを何が証明していますか。
3 この書は筆者の名を記してはいませんが,それがエレミヤであることにはほとんど疑問の余地がありません。哀歌のギリシャ語セプトゥアギンタ訳には次のような前書きがあります。「イスラエルがとりこにされ,エルサレムが荒廃した後,エレミヤは座って泣き,エルサレムに対してこの哀歌をもって嘆き悲しみ,こう言った」。ヒエロニムスはこの言葉の真実性に疑問を抱き,自分の翻訳からはそれを削除しました。しかし,哀歌をエレミヤの作とすることは,ユダヤ人の間では受け入れられた伝承となっており,シリア語訳,ラテン語ウルガタ訳,ヨナタンのタルグム,バビロニア・タルムードなどもエレミヤが筆者であることを確認しています。
4 哀歌はエレミヤが書いたものではないとする考えを証明しようとした批評家たちもいます。しかし,「聖書注解」(英文)はエレミヤが筆者であることの証拠として,「明らかに目撃証人の筆になる2章と4章のエルサレムの真に迫った描写。同様に,すべてエレミヤの特徴と言える,詩全体を流れている強い同情心に満ちた気質と預言的精神,文体,表現法および思想」a を挙げています。哀歌とエレミヤ書には多くの並行記述が見られます。例えば,「目から水(涙)が流れて下る」というような極度の悲しみの表現(哀歌 1:16; 2:11; 3:48,49。エレミヤ 9:1; 13:17; 14:17),預言者や祭司たちの堕落に対する嫌悪の表現(哀歌 2:14; 4:13,14。エレミヤ 2:34; 5:30,31; 14:13,14)などがあります。エレミヤ 8章18節から22節および14章17節と18節の文章は,エレミヤが悲哀に満ちた哀歌の文体を十分に駆使し得ることを明らかにしています。
5 この書が書かれた時をどのように推論できますか。
5 哀歌の書かれた時に関しては,西暦前607年のエルサレムの崩壊後程なくしてからであるという点で一般に意見の一致を見ています。都市が攻囲され,また焼かれたときの恐怖は,エレミヤの記憶にまだ鮮明に残っており,彼の苦悩が生々しく表現されています。ある注釈者は,悲しみのどんな側面もそれぞれの箇所で言い尽くされてはおらず,幾つもの詩の中で繰り返し取り上げられていると述べています。さらにこの注釈者は,「この激情は……この書がその内容の伝えようとしている出来事と感情とに対して時間的に近い関係にあることを示す非常に強力な証拠の一つである」b と述べています。
6 哀歌の文体と構成に関してどんな興味深い特徴がありますか。
6 哀歌の構成は聖書学者にとって大変興味深い点となっています。それは五つの章,すなわち五つの叙情詩から成っています。最初の四つはアクロスティック(折り句)形式で,各節は順次ヘブライ語アルファベットの22文字で始まっています。しかし第3章は66節あり,3節から成る一連の詩句が同じ文字で始まり,次いで次の文字に移るという形式になっています。5番目の詩は22節から成ってはいますが,アクロスティックではありません。
7 エレミヤはどんな悲しみを言い表わしますか。しかしどんな希望がなおも存続しますか。
7 哀歌はネブカドネザルによるエルサレムの攻囲,攻略そして破壊に関し,切々と胸に迫る悲しみを表現しており,その真に迫った描写と哀感の点でこれに勝る文学作品はありません。筆者は自分の目にした荒廃,惨状,そして混乱に対し深い悲しみを表現しています。飢え,剣,そして他の戦りつすべき出来事は,その都市に恐ろしい苦難をもたらしました。それはすべて,民,預言者,そして祭司たちの罪ゆえの,神からの直接の処罰だったのです。しかし,エホバに対する希望と信仰はなおも存続し,回復を願う祈りがエホバにささげられます。
哀歌の内容
8 最初の詩にはどんな荒廃が描かれていますか。しかし擬人化されたエルサレムはどのように自分を表現しますか。
8 「ああ,民であふれていたこの都市が,ただ独りで座することになろうとは!」 最初の詩はこの嘆きの言葉をもって始まります。シオンの娘は王妃でしたが,愛人たちは彼女を見捨て,彼女の民は流刑に処せられました。彼女の門は荒廃にさらされています。エホバは彼女をそのおびただしい違犯のゆえに処罰されたのです。彼女はその光輝を失いました。敵対者たちは彼女の倒壊を笑いました。彼女は驚嘆すべき仕方で下って行き,慰めてくれる者はいません。そして,彼女の残りの民は飢えに苦しんでいます。彼女(擬人化されたエルサレム)は尋ねます,『わたしの痛みに比べられる痛みがあるだろうか』と。彼女は手を伸べて言います,「エホバは義にかなっておられる。そのみ口に向かってわたしは反逆したからである」。(1:1,12,18)彼女はエホバにこう呼びかけます。あなたがわたしに災いをもたらしたように,わたしに勝ち誇る敵たちにも災いをもたらしてください。
9 (イ)この災いはだれからエルサレムにもたらされましたか。(ロ)エレミヤはエルサレムに浴びせられる侮べつについて何と述べていますか。また都市の悲惨な状況についてはどうですか。
9 「ああ,エホバが怒りによってシオンの娘を曇らせるとは!」(2:1)2番目の詩は,イスラエルの美しさを地に投げ落とした方がエホバご自身であることを明らかにしています。エホバは祭りと安息日を忘れさせ,ご自分の祭壇と聖なる所を捨て去られました。エルサレムは何と痛ましい光景を呈しているのでしょう。エレミヤは叫びます。「わたしの目は全き涙のうちにその終わりに至った。わたしのはらわたは沸き返る。わたしの肝は地に注ぎ出された。わたしの民の娘の崩壊ゆえに」。(2:11)エルサレムの娘を何に例えたらよいでしょう。シオンの娘をどのように慰めたらよいでしょう。その預言者たちは何の価値もない不満足な者であることが明らかになりました。そばを通り過ぎて行く者たちは今や彼女のことをあざ笑います。「これが,『美しさの極み,全地の歓喜』と人々の言っていた都市なのか」と。(2:15)彼女の敵たちは口を開け,口笛を吹き,歯がみしてこう言います,『これこそ我々が彼女を呑み込もうと待ち望んでいた日だ』。子供たちは飢きんのために気を失い,女たちは自分の産んだ子を食べます。しかばねが街路に散乱しています。「エホバの憤りの日には,逃げ延びる者も,生き残る者もいませんでした」。―2:16,22。
10 希望の根拠として,エレミヤは神のどんな特質について述べますか。
10 3番目の詩は66節から成っており,神の憐れみに対するシオンの望みを強調しています。預言者は多くの隠喩を用いて,捕囚と荒廃をもたらしたのがエホバであることを明らかにしています。悲痛な状況に置かれた筆者は,わたしの苦悩を思い起こしてください,と神に願い,エホバの愛ある親切と憐れみに対する信仰を表明しています。ヘブライ語の『良い』という言葉で始まる句が三つ続いている箇所があり,そこでは,エホバからもたらされる救いを待つことの正しさが示されています。(3:25-27)エホバは悲嘆を生じさせましたが,憐れみをも示してくださいます。しかし今,民が反逆を認める告白をしたにもかかわらず,エホバは許しを与えず,彼らの祈りを阻み,彼らを「ただのかす,また残りくず」とされました。(3:45)預言者は悲痛な涙と共に,敵たちが鳥を探し求めるかのように自分を狩り立てたことを思い起こします。しかし,エホバは坑の中にいる彼に近づき,「恐れてはならない」と言われました。彼は,敵のそしりに対して答えてくださいとエホバに呼びかけます。「あなたは怒りをもって追い,エホバの天の下から彼らを滅ぼし尽くされます」。―3:57,66。
11 エホバの燃える怒りはどんな仕方でシオンに注ぎ出されましたか。なぜですか。
11 「ああ,輝く金が,純良の金がくすむとは!」(4:1)4番目の詩はエホバの神殿の消え去った栄光を嘆いています。その神殿の石は街路に注ぎ出されました。シオンの貴重な子らは,土のかめのように,ほとんど価値のないものとなりました。水もなくパンもありません。ぜいたくに育った者たちが『灰の山を抱かなければならなくなりました』。(4:5)その処罰はソドムの罪に対するものよりさらに厳しいものです。かつては「雪よりも浄く,乳よりも白かった」ナジル人も,「黒さそのものよりも暗く」なり,皆しなびてしまいました。(4:7,8)飢きんで死ぬより,剣で打ち殺されるほうがましでした。その時には,女たちは自分の子を煮たからです。エホバはその燃える怒りを注ぎ出されました。信じられないことが起こりました。敵対者たちがエルサレムの門の中に入って来たのです。なぜですか。「その預言者たちの罪,その祭司たちのとがゆえ」です。彼らは義なる者の血を注ぎ出しました。(4:13)エホバはご自分の顔を彼らに向けません。しかし,シオンの娘のとがは終わりに至りました。彼女が再び流刑に処せられることはありません。エドムの娘よ,今度はあなたがエホバの苦い杯を飲む番だ!
12 5番目の詩ではどんな謙遜な訴えがなされていますか。
12 5番目の詩は,孤児となったご自分の民を思い出してくださいとのエホバへの訴えをもって始まります。エルサレムの住民が話している者として描写されています。罪をおかしたのは彼らの父祖たちです。それなのに今,民はそのとがを負わなければなりません。単なる僕たちが彼らを支配しており,彼らは飢えの苦しみにさいなまれています。彼らの心の歓喜は絶え,彼らの踊りは嘆きに変えられました。彼らの心は病んでいます。彼らはへりくだってエホバに次の事実を認めます。「エホバよ,あなたは定めのない時に至るまで座しておられます。あなたのみ座は代々に至ります」。彼らはこう叫びます。「エホバよ,わたしたちをご自身のもとに連れ戻してください。そうすれば,わたしたちは進んで帰ります。昔のように,わたしたちのために新しい日をもたらしてください。しかし,あなたは断固としてわたしたちを退けられました。あなたはわたしたちに対して大いに憤られました」。―5:19-22。
なぜ有益か
13 哀歌にはどんな確信が表明されていますか。しかし,神の厳しさを示すことにはどうして益がありますか。
13 哀歌の書には神に対するエレミヤの全幅の信頼が示されています。悲しみのふちに沈み,決定的な敗北を味わいながら,しかも慰めの希望を差し伸べてくれる人がだれもいない状況にあってこの預言者は宇宙の偉大な神エホバのみ手によってもたらされる救いを待ち望みます。哀歌は真の崇拝者すべてに従順と忠誠心を鼓舞するはずです。同時にそれは,最も偉大な名とそれが意味する事柄を無視する者たちに関し,恐ろしい警告を与えます。荒廃に帰した都市が,これほど感動的な,悲哀の情をそそる言葉遣いをもって嘆き悲しまれたことは,歴史に例がありません。反逆をやめず,うなじのこわい態度を変えず,悔い改めを示さない者たちに対する神の厳しさを描写することには,確かに益があります。
14 哀歌は神のどんな警告や預言が成就したことを示していますか。この書は霊感を受けた聖書の他の部分とどんな関連がありますか。
14 哀歌はまた,神の数々の警告や預言の成就を示している点でも有益です。(哀歌 1:2 ― エレミヤ 30:14。哀歌 2:15 ― エレミヤ 18:16。哀歌 2:17 ― レビ記 26:17。哀歌 2:20 ― 申命記 28:53)さらに,哀歌が申命記 28章63節から65節の成就に関して強烈な証言を与えている点も注目に値します。哀歌はほかにも聖書の他の箇所に何度か言及しています。(哀歌 2:15 ― 詩編 48:2。哀歌 3:24 ― 詩編 119:57)ダニエル書 9章5節から14節は民自身の違犯によって災いがもたらされたことを明らかにしており,こうして哀歌 1章5節と3章42節を裏付けています。
15 哀歌はどんな「新しい日」を指し示していますか。
15 エルサレムの置かれた悲惨な状況を思い浮かべると,わたしたちは胸の引き裂かれる思いがします。哀歌はそうした状況の中にあっても,エホバが愛ある親切と憐れみを示してくださり,シオンを思い出し,連れ戻してくださるという確信を言い表わしています。(哀歌 3:31,32; 4:22)それは,ダビデ王やソロモン王がエルサレムで治めていた昔の日々のような「新しい日」に対する希望を表明しています。エホバが永遠の王国に関してダビデと結ばれた契約は今なお効力を有しているのです。『その憐れみは決して終わりに至りません。それは朝ごとに新しくなります』。それはエホバを愛する者たちにとって絶えることがありません。そうです,その義なる王国の支配のもとで,生けるすべての創造物が感謝の念を持って,「エホバはわたしの受け分です」と叫ぶまで決して絶えることはありません。―5:21; 3:22-24。
[脚注]
a 1952年,J・R・ダムロー編,483ページ。
b 「哀歌の書の研究」(英文),1954年,ノーマン・K・ゴットワルド,31ページ。
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聖書の26番目の書 ― エゼキエル書『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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聖書の26番目の書 ― エゼキエル書
筆者: エゼキエル
書かれた場所: バビロン
書き終えられた年代: 西暦前591年ごろ
扱われている期間: 西暦前613年-591年ごろ
1 バビロンにいた流刑の民はどんな状況にありましたか。彼らはどんな新しい試練に直面しましたか。
西暦前617年,ユダの王エホヤキンはエルサレムをネブカドネザルに明け渡しました。ネブカドネザルはその地の主立った人々を,エホバの家や王の家の財宝と共にバビロンへ連れ去りました。その捕らわれ人たちの中には,王の家族や君たち,勇敢で力のある者たち,職人や建築者たち,そして祭司ブジの子エゼキエルがいました。(列王第二 24:11-17。エゼキエル 1:1-3)それら流刑に処せられたイスラエル人は,沈んだ心を抱いて,丘や泉や谷のある地から,広大でたんたんとした平原の地への難儀な旅を終えたところでした。今や彼らは強大な帝国の中のケバル川のほとりで,見知らぬ習慣を持つ,異教の崇拝を行なう民に取り囲まれて生活することになりました。ネブカドネザルはイスラエル人が自分の家を持つこと,僕を使うこと,そして仕事に携わることを許しました。(エゼキエル 8:1。エレミヤ 29:5-7。エズラ 2:65)彼らは勤勉に働くなら,繁栄を楽しむこともできました。彼らはバビロンの宗教と物質主義のわなに陥るでしょうか。エホバに反逆し続けるでしょうか。流刑をエホバからの懲らしめとみなすでしょうか。彼らはこの流刑の地で新しい試練を受けようとしていたのです。
2 (イ)エルサレムが滅ぼされる前の危機的な時代に際立った存在となった3人の預言者はだれですか。(ロ)意義深いことに,エゼキエルは何と呼ばれていますか。エゼキエルの名前にはどんな意味がありますか。(ハ)エゼキエルはどんな期間に預言しましたか。彼の生涯と死に関してどんなことが知られていますか。
2 エルサレムの滅びに至るこの危機的な年月の間,エホバはご自分に対してもイスラエル人に対しても,預言者による奉仕の業がなされないままにはされませんでした。エレミヤはエルサレムに,ダニエルはバビロンの宮廷の中にいました。そして,エゼキエルはバビロニアにいるユダヤ人の流刑者たちに対する預言者だったのです。エゼキエルは祭司であり,同時に預言者でもありましたが,同様にこのような栄誉を受けた人としては,エレミヤと,後代のゼカリヤがいます。(エゼキエル 1:3)エゼキエルはその書の中で90回以上,「人の子」と呼ばれており,これは彼の預言の研究において注目すべき点となっています。なぜなら,クリスチャン・ギリシャ語聖書の中で,イエスも同様に「人の子」として80回近く言及されているからです。(エゼキエル 2:1。マタイ 8:20)彼の名前エゼキエル(ヘブライ語,エヘズケール)には,「神は強めてくださる」という意味があります。エゼキエルがエホバによって預言者として任命されたのは,エホヤキンの流刑の第5年,すなわち西暦前613年のことでした。その22年後の流刑の第27年にも,彼は依然としてその務めに携わっていたことが記されています。(エゼキエル 1:1,2; 29:17)彼は結婚していましたが,彼の妻はネブカドネザルがエルサレムに対する最後の攻囲を始めた日に死にました。(24:2,18)エゼキエル自身が死んだ日,また彼がどのように死んだかは記されていません。
3 エゼキエルが筆者であること,それにエゼキエル書の正典性と信ぴょう性に関して何と言えますか。
3 エゼキエルが自分の名の付されているこの書を実際に書いたこと,またこの書が聖書の正典の中で正当な位置を占めていることに疑問の余地はありません。それはエズラの時代に正典に入っていましたし,初期クリスチャン時代の目録,特にオリゲネスの正典にも載っています。その信ぴょう性は,この書とエレミヤ書や啓示の書の象徴表現に見られる著しい類似点からも証明されます。―エゼキエル 24:2-12 ― エレミヤ 1:13-15。エゼキエル 23:1-49 ― エレミヤ 3:6-11。エゼキエル 18:2-4 ― エレミヤ 31:29,30。エゼキエル 1:5,10 ― 啓示 4:6,7。エゼキエル 5:17 ― 啓示 6:8。エゼキエル 9:4 ― 啓示 7:3。エゼキエル 2:9; 3:1 ― 啓示 10:2,8-10。エゼキエル 23:22,25,26 ― 啓示 17:16; 18:8。エゼキエル 27:30,36 ― 啓示 18:9,17-19。エゼキエル 37:27 ― 啓示 21:3。エゼキエル 48:30-34 ― 啓示 21:12,13。エゼキエル 47:1,7,12 ― 啓示 22:1,2。
4 エゼキエルの預言はどんな劇的な成就を見ましたか。
4 この書の信ぴょう性をさらに証拠づけるものとして,近隣諸国,例えばティルス,エジプト,エドムなどに関するエゼキエルの預言の劇的な成就を挙げることができます。一例として,エゼキエルはティルスの荒廃を預言しましたが,これはネブカドネザルが13年におよぶ攻囲の後その都市を攻め取った時に部分的な成就を見ました。(エゼキエル 26:2-21)この戦闘はティルスの全面的な終わりを意味するものではありませんでした。しかし,エホバの裁きによると,ティルスは完全に滅ぼされなければなりませんでした。エホバはエゼキエルを通してこのように予告しておられたからです。「わたしは彼女からその塵をこそげて,これを大岩の輝く,むき出しの表面とする。……あなたの石や,木工物や,塵を水の中に置くであろう」。(26:4,12)これは250年以上も後,アレクサンドロス大王がティルスの島の都市に侵攻した時にすべて成就しました。アレクサンドロスの兵士たちは本土の荒廃した都市の残がいをことごとくこそげて海中に投げ入れ,島に建てられた都市に向かって800㍍の突堤を築きました。それから,手の込んだ攻囲柵を用いて高さ約46㍍の城壁をよじ登り,西暦前332年にその都市を攻め取りました。幾千人もの人たちが殺され,さらに多くの人たちが奴隷として売られました。エゼキエルがさらに予告していたように,ティルスは『大岩のむき出しの表面,引き網の干し場』となりました。(26:14)a 約束の地の反対側では,不実なエドム人も滅ぼし尽くされ,エゼキエルの預言の成就となりました。(25:12,13; 35:2-9)b そして言うまでもなく,エルサレムの滅びとイスラエルの回復に関するエゼキエルの預言も正確であることが実証されました。―17:12-21; 36:7-14。
5 ユダヤ人はエゼキエルの初期の預言にどのように応じましたか。
5 エゼキエルは預言者としての活動を始めた初期のころ,神の裁きが不忠実なエルサレムに必ず臨むことをふれ告げ,流刑の民が偶像礼拝に陥ることがないようにと警告を与えました。(14:1-8; 17:12-21)捕らわれの身となっていたユダヤ人は,悔い改めの真実のしるしを少しも示しませんでした。責任のある立場の人たちは,度々エゼキエルに相談はしたものの,彼が伝えるエホバの音信に全く注意を払いませんでした。彼らはそれを意に介せず,偶像礼拝と物質主義的な行ないをやめようとはしませんでした。彼らは自分たちの神殿,聖なる都市,そして王朝を失って大きな衝撃を受けてはいましたが,目ざめて謙遜さと悔い改めを示したのはごくわずかな人たちにすぎませんでした。―詩編 137:1-9。
6 エゼキエルの後期の預言は何を強調していますか。エホバのみ名を神聖なものとすることはどんな重要な位置を占めていますか。
6 エゼキエルの後期の預言は回復の希望を強調しました。その預言はまた,ユダの崩壊を歓喜した近隣の諸国を非難するものでした。彼らが辱めを受け,イスラエルが回復することは,彼らの目の前でエホバを神聖なものとすることになります。捕囚と回復の目的は,『ユダヤ人であれ,諸国民であれ,あなた方はわたしがエホバであることを知らなければならなくなる』ということに要約されます。(エゼキエル 39:7,22)エホバのみ名がこうして神聖なものとされることが,この書全体を通して強調されており,「あなた方[あるいは,彼ら]はわたしがエホバであることを知らなければならなくなる」という表現が60回以上出てきます。―6:7,脚注。
エゼキエル書の内容
7 エゼキエル書はどのように自然に三つの部分に区分されますか。
7 エゼキエル書は三つの自然な区分に分けられます。最初の部分は1章から24章までで,エルサレムが必ず滅びるという警告を含んでいます。第2部は25章から32章までで,幾つかの異教諸国民の滅びに関する預言を含んでいます。最後の部分は33章から48章までで,回復の預言から成っており,新しい神殿と聖なる都市の幻をもって最高潮に達しています。預言は大部分,年代順に,また題目別に書き記されています。
8 エゼキエルは最初の幻で何を見ますか。
8 エホバはエゼキエルを見張りの者として任命する(1:1-3:27)。西暦前613年の最初の幻で,エゼキエルは,雲塊と震え動く火を伴った激しい風が北から起こるのを見ます。その中から,翼を持ち,人とライオンと雄牛と鷲の顔をした四つの生き物が現われます。その外見は燃える炭火のようです。その各々には,恐ろしいほど丈の高い輪の中にはまった輪のようなものが伴っており,その輪の外縁には目がいっぱいについていました。それらは常に一致を保ちつつ,どんな方向にも進みます。それらの生き物の頭上には大空のようなものがあり,その大空の上には王座があって,『エホバの栄光のようなもの』が座しています。―1:28。
9 エゼキエルの任務には何が関係していますか。
9 エホバは,ひれ伏しているエゼキエルに,「人の子よ,あなたの足で立ち上がれ」と呼びかけます。次いで,イスラエルと周囲の反逆の国々に対する預言者として彼を任命されます。彼らが聴き従うかどうかは問題ではありません。少なくとも,彼らは自分たちの中に主エホバの預言者がいたことを知るでしょう。エホバはエゼキエルに巻き物の書を食べさせます。それは彼の口の中で蜜のように甘く感じられます。エホバは彼にこう告げます。「人の子よ,わたしはあなたをイスラエルの家に対する見張りの者とした」。(2:1; 3:17)エゼキエルは忠実に警告を与えなければなりません。さもなければ,彼は死ぬことになります。
10 イスラエルに対するどんなしるしをエゼキエルは演じますか。
10 エルサレムの攻囲を演じる(4:1-7:27)。エホバは一つのれんがにエルサレムの略図を刻み込むようエゼキエルに告げます。彼はイスラエルに対するしるしとして模擬攻囲を演じなければなりません。要点を印象づけるために,彼はそのれんがの前で左側を下にして390日間,右側を下にして40日間,しかもごく少量の食事を取りながら横たわらなければなりません。エゼキエルがこの場面を実際に演じたことは,彼が料理のための燃料を変えてくださいと訴えていることからも明らかです。―4:9-15。
11 (イ)エゼキエルは攻囲の悲惨な最後をどのように描き出しますか。(ロ)救済の道がないのはなぜですか。
11 エホバはエゼキエルに髪の毛とあごひげをそり落とさせることにより,攻囲の悲惨な最後を描き出させます。彼はその三分の一を焼き,三分の一を剣でたたき切り,残りの三分の一を風に散らさなければなりません。このように,攻囲の終わりにエルサレムの住民のある者たちは飢きんと疫病,また剣によって死に,残りの者たちは諸国民の間に散らされることになるのです。エホバはエルサレムを荒廃させます。なぜですか。その堕落した忌むべき偶像礼拝が甚だしい不快感を催させるからです。富で救済を買うことはできません。エホバの憤怒の日にエルサレムの民は自分たちの銀をちまたに捨てることでしょう。そして「彼らはわたしがエホバであることを知らなければならなく」なります。―7:27。
12 エゼキエルは背教したエルサレムに関する幻の中でどんな忌むべきものを見ますか。
12 背教のエルサレムに関するエゼキエルの幻(8:1-11:25)。時は西暦前612年です。エゼキエルは幻によって,遠く離れたエルサレムに移されます。そして,エホバの神殿で行なわれている忌むべきことを見ます。中庭にはエホバのねたみを引き起こす忌むべき象徴があります。壁に穴を掘り抜いたエゼキエルは,壁に刻まれた忌み嫌うべき獣の彫り物や糞像の前で年長の者70人が崇拝をささげているところを見ます。彼らは,「エホバはわたしたちを見ていない。エホバはこの地を捨てたのだ」と言い訳をします。(8:12)北の門では女たちが異教の神タンムズのために泣いています。それだけではありません。事もあろうに,神殿の入口の所で25人の人たちが神殿に背を向けて,太陽を崇拝しているではありませんか。彼らは面と向かってエホバを冒とくしているのです。エホバは当然,激しい怒りを抱いて行動されるでしょう。
13 亜麻布をまとった人と武器を携えた6人の人はどんな命令を遂行しますか。
13 今度は,打ち砕く武器を手にした6人の者が現われます。彼らと共にいる7番目の人は,亜麻布をまとい,書記官のインク入れを携えています。エホバは亜麻布をまとったその人に都の中を通って行くように,そして,その中で行なわれている忌むべきことのために嘆息し,うめいている者たちの額に印を付けるように告げます。次に,エホバはその6人の者に,都に入って行って,印のない者すべてを,「老人も,若者も,処女も,小さな子供も,女たちも」殺すように命じます。彼らは命令を実行して,家の前にいる老人たちから始めます。亜麻布をまとった人はこう報告します。「わたしはあなたがわたしに命じられた通りに行ないました」。―9:6,11。
14 その幻はエホバの栄光とその裁きに関して最後に何を明らかにしますか。
14 エゼキエルはエホバの栄光がケルブたちの上に上って行くのを再び見ます。ひとりのケルブが車輪の間から炭火を突き出します。そして,亜麻布をまとった人がそれを取り,都の上にまき散らします。イスラエルの散らされた者たちに関して,エホバは彼らを再び集め,彼らに新しい霊を授けると約束されます。しかし,エルサレムにいるこれら邪悪な,偽りの崇拝者たちはどうなりますか。「わたしは彼らの道を彼らの頭に必ずもたらすであろう」とエホバは言われます。(11:21)エホバの栄光が都の上から上って行くのが見えます。その後エゼキエルは,流刑の民にその幻を告げます。
15 エゼキエルはさらにどんな行動によって,エルサレムの住民が必ず捕らわれの身となることを示しますか。
15 エルサレムに関する預言がバビロンでさらに語られる(12:1-19:14)。エゼキエルは別の象徴的な場面で役を演じます。彼は昼間,自分の家から流刑のための荷物を持ち出します。そして夜になって,彼は顔を覆い,壁の穴(多分,自分の住まいの壁)から出て行きます。彼はこれが異兆であることを説明し,「彼らは流刑の身,捕らわれの身となって行く」と言います。(12:11)自分の霊にしたがって歩む愚鈍な預言者たち! 彼らは,平安がないのに,「平安だ!」と叫んでいます。(13:10)たとえノア,ダニエル,ヨブがエルサレムにいたとしても,彼らは自分たち以外のどんな魂をも救い出すことはできないでしょう。
16 エルサレムが全く無価値なものであることはどのように描写されていますか。それなのになぜ回復がありますか。
16 都市エルサレムは無価値なぶどうの木のようです。その木はさおを作るにも,いえ,掛けくぎを作るにも用をなしません。その両端は焼けており,中間も焦げています。全く何の役にも立ちません。エルサレムは何と不忠実な,無価値なものとなってしまったのでしょう。彼女はカナン人の地で生まれましたが,捨て子としてエホバに拾われました。エホバは彼女を養育し,彼女と結婚の契約を結び,彼女を美しくし,「王位にふさわしい者」とされました。(16:13)ところが,彼女は売春婦となり,通りかかる諸国民を頼みとするようになりました。彼女は彼らの像を崇拝し,自分の子らを火の中で焼きました。彼女はそれらの諸国民,すなわち自分の愛人たちの手に掛かって滅ぼされ,最期を迎えます。彼女は自分の姉妹ソドムやサマリアよりも悪い者となりました。それにもかかわらず,憐れみに富む神エホバは,彼女のために贖罪を行ない,ご自分の契約にしたがって彼女を回復させてくださるのです。
17 鷲とぶどうの木のなぞによってエホバは何を示そうとされましたか。
17 エホバは預言者エゼキエルになぞを与え,その解き明かしをされます。それはエルサレムがエジプトに助けを求めて頼ることの無益さを例証するものです。大鷲(ネブカドネザル)が来て,高大な杉の頂(エホヤキン)を摘み取り,これをバビロンに連れて行き,彼の替わりに一つのぶどうの木(ゼデキヤ)を植えます。そのぶどうの木は別の鷲(エジプト)に向かってその枝を伸ばしますが,それは成功するでしょうか。それは根元から引き抜かれます。エホバご自身も高大な杉のこずえから柔らかい小枝を取り,これを高くて高大な山の上に植え替えられます。それはそこで壮大な杉の木となり,「あらゆる翼のすべての鳥」のための休み場となります。すべてのものはエホバがこれを行なわれたことを知らなければならなくなります。―17:23,24。
18 (イ)ユダヤ人の流刑の民を戒める際,エホバはどんな原則を述べられますか。(ロ)どんな裁きがユダの王たちを待ち受けていますか。
18 エホバは,「父たちが熟していないぶどうを食べるのに,子らの歯が浮く」とユダヤの流刑の民が述べる格言的なことばに関して,彼らに戒めを与えます。そうではなく,「罪を犯している魂 ― それが死ぬ」のです。(18:2,4)義なる者は生きつづけます。エホバは邪悪な者の死を喜ばれません。エホバは,邪悪な者がその悪い道を離れて生きること,それを見ることを喜びとされます。ユダの王たちは,若いライオンのようにエジプトとバビロンによってわなで捕らえられます。彼らの声が「イスラエルの山々の上でもはや聞かれること」はありません。―19:9。
19 (イ)滅びが迫っているにもかかわらず,エゼキエルはどんな希望を明らかにしますか。(ロ)彼はイスラエルとユダの不忠実さとその結果をどのような例えを用いて説明しますか。
19 エルサレムに対する糾弾(20:1-23:49)。時は西暦前611年に移ります。流刑の民の中にいる長老たちがエホバに伺うために再びエゼキエルのもとに来ます。しかし彼らが聞かされることは,イスラエルの反逆と堕落した偶像礼拝の長い歴史に関する詳しい説明,そして,イスラエルに対して裁きを執行するためにエホバが剣を呼び出されたという警告でしかありません。エホバはエルサレムを「破滅,破滅,破滅」とされます。しかし,輝かしい希望もあります。エホバは王権(「冠」)を,「法的権利」を持って到来する者のために保有し,これをその者にお与えになります。(21:26,27)エゼキエルは,「血の罪を負った都市」エルサレムで行なわれた忌むべき事柄をもう一度述べます。イスラエルの家は「浮きかす」のようになりました。彼らはエルサレムに集め入れられ,そこで炉に入れられたかのように溶解させられます。(22:2,18)サマリア(イスラエル)とユダの不忠実さが二人の姉妹の例えによって示されています。オホラという名のサマリアはアッシリア人に対して売春を行ない,自分の愛人たちによって滅ぼされます。オホリバという名のユダは教訓を学ばず,それよりもさらに悪いことを行ない,最初にアッシリアに,次いでバビロンに対して売春を行ないます。彼女は完全に滅ぼされることでしょう。「そしてあなた方はわたしが主権者なる主エホバであることを知らなければならなく」なります。―23:49。
20 攻囲されたエルサレムは何になぞらえられますか。エホバはエルサレムに対するご自分の裁きに関してどんな強力なしるしをお与えになりますか。
20 エルサレムに対する最終的な攻囲が始まる(24:1-27)。時は西暦前609年に移ります。エホバはバビロンの王が第10の月の十日にエルサレムを攻囲したことをエゼキエルに告げます。エホバは城壁に囲まれたこの都市を広口の料理なべになぞらえます。その中に肉として,えり抜きの住民が入っています。それを熱くせよ! 沸騰させ,エルサレムの忌まわしい偶像礼拝の汚れをことごとく除き去れ! その同じ日にエゼキエルの妻は死にます。しかし,エホバに従順を示し,預言者は喪に服するのを控えます。これは,民がエルサレムの滅びの時に喪に服してはならないことのしるしとなります。それはエホバからの裁きであり,エホバがだれであるかを人々が知るためのものだからです。エホバは,「美しいその歓喜の的」の滅びを伝えるために,逃れた一人の人を遣わされます。その人が到着するまで,エゼキエルは流刑の民にもう何も話してはなりません。―24:25。
21 諸国民はエホバとその復しゅうをどのように知らなければならなくなりますか。
21 諸国民に対する預言(25:1-32:32)。エホバは周囲の諸国民がエルサレムの崩壊を見て歓び,それをユダの神をそしる良い機会とすることを予見されます。彼らは処罰を免れられません。アンモンは東洋人に渡されます。同じくモアブもです。エドムは荒れ廃れた場所となり,フィリスティア人に対しては大いなる復しゅうの行為が行なわれます。彼らは皆,「わたしが彼らにわたしの復しゅうをもたらすとき……わたしがエホバであることを知らなければならなくなる」と,エホバは言われます。―25:17。
22 ティルスはどのように特に取り上げられていますか。シドンに関してエホバはどのように神聖なものとされますか。
22 エゼキエル書にはティルスのことが特に取り上げられています。富み栄える交易を誇るティルスは,海洋の中に浮かぶ麗しい船のようです。しかし,それも水の深みの中で打ち砕かれて横たわることになります。「わたしは神である」と,ティルスの指導者は豪語します。(28:9)エホバはご自分の預言者に,ティルスの王に関する次のような哀歌を述べさせます。彼は油そそがれたケルブとして神の園エデンにいた。しかし,エホバは彼を汚れた者としてご自分の山から追い出し,彼は自分の内から出る火によってむさぼり食われる。エホバは,侮べつの態度を取るシドンに滅びをもたらすことによっても,ご自分が人々から神聖なものとされるであろう,と言われます。
23 エジプトは何を知らなければならなくなりますか。それはどのようにして起こりますか。
23 エホバはエゼキエルに,今度は顔をエジプトとそのファラオに向け,彼らに対して預言するようにと告げます。「わたしのナイル川はわたしのもの。わたしが ― わたしが自分のためにこれを作ったのだ」とファラオは自慢します。(29:3)ファラオも,彼を信じているエジプト人も,エホバが神であることを知らなければならなくなります。そしてその教訓は,40年に及ぶ荒廃という形で彼らに与えられます。ここでエゼキエルは,実際にはその時より後の西暦前591年に自分に啓示された情報を挿入しています。エホバはネブカドネザルに,苦労してティルスを破ったその報酬としてエジプトをお与えになります。(ティルス人が自分たちの富のほとんどを携えて島の都市に逃げたため,ネブカドネザルはティルスではほとんど分捕り物を得なかった。)エゼキエルは哀歌の中で,ネブカドネザルがエジプトの誇りを奪略することを知らせています。そして,「彼らもわたしがエホバであることを知らなければならなく」なります。―32:15。
24 (イ)見張りの者としてのエゼキエルの責任は何ですか。(ロ)エルサレムの崩壊の知らせを聞いて,エゼキエルは流刑の民にどんな音信をふれ告げますか。(ハ)34章ではどんな祝福の約束が強調されていますか。
24 流刑の民に対する見張りの者。回復が予告される(33:1-37:28)。エホバはエゼキエルと共に彼の見張りの者としての責任を再確認されます。民は,「エホバの道は正しく調整されていない」と言っています。それゆえ,エゼキエルは彼らがどんなに間違っているかを明らかにしなければなりません。(33:17)しかし,やがて西暦前607年,第10の月の五日となります。c エルサレムから逃げ延びて来た人が到着して,「都は打ち倒されました!」と預言者に告げます。(33:21)再び流刑の民に話すことができるようになったエゼキエルは,彼らがユダを救い出そうとどんな考えを抱いても無駄であることを彼らに告げます。彼らはエホバの言葉を聞くためにエゼキエルのもとにやって来ますが,エゼキエルは彼らにとって,愛の歌を歌う者,上手に弦楽器を奏でる美しい声の持ち主のような者にすぎません。彼らは注意を払いません。しかし,エホバの言葉が真実のものとなる時,彼らは自分たちの中に預言者がいたことを知るでしょう。自らを養うために群れの羊を捨ててしまった偽りの牧者たちをエゼキエルは叱責します。完全な牧者であるエホバは,散らされた羊を集め,彼らをイスラエルの山にある肥えた牧草地に導きます。エホバはそこで彼らの上に一人の牧者を,『すなわち,ご自分の僕ダビデ』を起こされます。(34:23)エホバご自身が彼らの神となられるのです。エホバは平和の契約を結び,彼らの上に祝福の雨を注がれます。
25 (イ)なぜ,またどのようにエホバはイスラエルの地をエデンのようにされますか。(ロ)乾いた骨の幻と二つの棒の幻はそれぞれ何を示していますか。
25 エゼキエルは再びセイル山(エドム)に関して荒廃を預言します。しかし,イスラエルの荒れ廃れた場所は再建されます。エホバがご自分の聖なる名に同情を抱き,諸国民の前でそれを神聖なものとされるからです。エホバはご自分の民に新しい心と新しい霊をお与えになり,彼らの地は再び「エデンの園のように」なります。(36:35)エゼキエルは今度は,乾いた骨に満ちた谷として表わされているイスラエルの幻を見ます。エゼキエルはそれらの骨に対して預言します。それらは奇跡的に再び肉を付け,息をし,命を得るようになります。それと同じく,エホバはバビロンにおける捕囚の埋葬所を開き,イスラエルを自分の地に再び戻されるのです。エゼキエルはイスラエルの二つの家,すなわちユダとエフライムを表わす2本の棒を取ります。それらは彼の手の中で1本の棒になります。このように,エホバがイスラエルを回復される時,彼らはエホバの僕「ダビデ」のもとで平和の契約のうちに結合させられます。―37:24。
26 マゴグのゴグはなぜ攻撃しますか。どんな結果になりますか。
26 マゴグのゴグは回復したイスラエルを攻撃する(38:1-39:29)。次に,別の方面から侵入して来る者がいます。回復したエホバの民の平安と繁栄を見せつけられ,攻撃心に駆られたマゴグのゴグは,狂気のように攻めかかります。彼はエホバの民を呑み込もうとして攻め入ります。これに対して,エホバはご自分の憤怒の火のうちに立ち上がられます。エホバは各人の剣をその兄弟の剣に向かわせ,疫病,血,みなぎりあふれる雹の雨,火と硫黄を彼らの上に降らせます。彼らはエホバが「イスラエルの聖なる者」であることを知って下って行きます。(39:7)そして,エホバの民は敵たちの打ち砕かれた戦いの武器で火をたき,“ゴグの群衆の谷”に骨を埋めます。(39:11)腐肉をついばむ鳥や獣が打ち殺された者たちの肉を食べ,彼らの血を飲みます。それから後は,イスラエルはだれにもおののかされることなく安らかに住み,エホバは彼らの上にご自分の霊を注ぎ出されます。
27 幻によってイスラエルの地に来たエゼキエルは何を見ますか。神の栄光はどのように現われますか。
27 神殿に関するエゼキエルの幻(40:1-48:35)。時は西暦前593年に移ります。それはソロモンの神殿が破壊されてから14年目であり,流刑の民の中の悔い改めた者たちは励ましと希望を必要としていました。エホバはエゼキエルを幻の中でイスラエルの地に移し,非常に高い山の上に彼を下ろされます。そこで,すなわち幻の中で,彼は神殿を,そして「南の方に都市の建造物」を見ます。ひとりのみ使いは,「あなたの見ていることをことごとくイスラエルの家に告げよ」と指示します。(40:2,4)次いで,彼はエゼキエルに神殿とその中庭のすべての詳細を見させ,城壁,門,監視の間,食堂を測り,聖所と至聖所を持つ神殿そのものをも測ります。彼はエゼキエルを東の門に連れて行きます。「すると,見よ,イスラエルの神の栄光が東の方向から来るところであった。その声は広大な水の音のようであった。地はその栄光のゆえに輝いた」。(43:2)み使いはエゼキエルに家(すなわち神殿),祭壇とその犠牲,祭司,レビ人,長たちの権利と義務,および土地の分配に関して詳しい指示を与えます。
28 家から出る水の流れに関してエゼキエルの幻は何を示していますか。都市とその名について何が明らかにされますか。
28 み使いはエゼキエルを家の入口に連れ戻します。預言者はそこで,家の敷居から水が出て東に向かい,祭壇の南側のそばを流れて行くのを見ます。初めは細流ですが,段々と水かさを増し,ついには奔流となります。次いで,それは死海に注ぎ込み,そこで魚が生きたものとなり,漁業が興ります。奔流のどちらの側にも木々があって,民のために食物といやしを与えます。幻は次に,12部族の相続地を示します。外人居留者や長たちも無視されてはいません。そして幻は,各部族の名の付けられた12の門を持つ,南に面した聖なる都市を描写します。その都市は,“エホバ自らそこにおられる”という極めて輝かしい名で呼ばれることになります。―48:35。
なぜ有益か
29 ユダヤ人の流刑の民はエゼキエルの預言からどんな益を受けましたか。
29 エホバがエゼキエルにお与えになった宣告,幻,そして約束は,流刑の地にいたユダヤ人にすべて忠実に伝えられました。多くの人は預言者エゼキエルを嘲笑し,あざけりましたが,彼の話すことを信じる人も少しはいました。それら信じた人たちは大きな益を受けました。彼らは回復の約束によって力づけられました。捕らわれの身となった他の諸国民とは異なり,彼らは国民としての存在を保ち,エホバはご自分の予告どおり,西暦前537年に残りの者たちを帰還させました。(エゼキエル 28:25,26; 39:21-28。エズラ 2:1; 3:1)彼らはエホバの家を再建し,そこで真の崇拝を再開しました。
30 エゼキエル書に述べられているどんな原則は今日のわたしたちにとっても重要ですか。
30 エゼキエル書に述べられている原則もまた,今日のわたしたちにとって非常に重要です。反逆と結び付いた背教と偶像礼拝は,必ずエホバの不興を被ります。(エゼキエル 6:1-7; 12:2-4,11-16)人は各々自分の罪に対して責めを負いますが,自分の悪い道から立ち返る者をエホバは許してくださいます。その者は憐れみを受け,生き続けます。(18:20-22)神の僕たちは,たとえ困難な仕事を割り当てられても,あるいは嘲笑やそしりを受けても,エゼキエルのような忠実な見張りの者でなければなりません。邪悪な者がわたしたちの警告を受けずに死ぬようなことがあってはなりません。そうなれば,彼らの血はわたしたちの頭に帰することになります。(3:17; 33:1-9)神の民の牧者たちは群れを世話する重い責任を負っています。―34:2-10。
31 エゼキエルのどんな預言がメシアの到来を予告していますか。
31 エゼキエル書の中で顕著な点はメシアに関する預言です。メシアはダビデの王座に対する「法的権利を持つ者」として述べられており,それはこの方に与えられなければなりません。彼は2箇所で「わたしの僕ダビデ」として,また「牧者」,「王」,「長」として述べられています。(21:27; 34:23,24; 37:24,25)ダビデはずっと前に死んでいたのですから,ダビデの子,また主である方についてエゼキエルは話していたのです。(詩編 110:1。マタイ 22:42-45)イザヤと同じくエゼキエルも,エホバによって高められる柔らかい小枝の植えられることについて述べています。―エゼキエル 17:22-24。イザヤ 11:1-3。
32 エゼキエルの神殿の幻は「聖なる都市」についての啓示の書の幻とどのように比較されますか。
32 エゼキエルの神殿の幻を「聖なる都市エルサレム」に関する啓示の書の幻と比較するのは興味深いことです。(啓示 21:10)両者には相違が見られます。例えば,エゼキエルの神殿は都市とは別個になっていて,都市の北に位置しています。他方,啓示の書では,エホバご自身が都市の神殿となっています。しかしいずれの場合にも,命の川の流れと,月ごとに実を結び,いやしのための葉をつける木と,エホバの栄光の臨在があります。いずれの幻も,エホバの王権に対する認識と,エホバに神聖な奉仕をささげる者たちのための救いの備えに対する認識を深めるのに役立ちます。―エゼキエル 43:4,5 ― 啓示 21:11。エゼキエル 47:1,8,9,12 ― 啓示 22:1-3。
33 エゼキエルは何を強調していますか。自分の生活の中で今エホバを神聖なものとする人たちはどうなりますか。
33 エゼキエル書はエホバが聖なる方であることを強調しています。その書はエホバのみ名の聖化が何にも増して重要であることを知らせています。「『わたしは……わたしの大いなる名を必ず神聖なものとするであろう。そして諸国民はわたしがエホバであることを知らなければならなくなる』と,主権者なる主エホバはお告げになる」。預言が明らかにしているように,エホバはマゴグのゴグをも含めて,ご自分のみ名を汚すすべての者を滅ぼすことによってそのみ名を神聖なものとされます。受け入れられる崇拝に関する神のご要求を満たし,自分の生活の中で今,エホバを神聖なものとすることこそ,すべての人にとって賢明な道です。そうする人たちは,エホバの神殿から流れ出る川によって,いやしと永遠の命を見いだすことでしょう。“エホバ自らそこにおられる”と呼ばれるこの都市は,何ものにも勝る栄光と,たぐいのない美しさに包まれた都市なのです。―エゼキエル 36:23; 38:16; 48:35。
[脚注]
a 「聖書に対する洞察」(英文),第2巻,531,1136ページ。
b 「聖書に対する洞察」(英文),第1巻,681,682ページ。
c マソラ本文によると,エルサレムから逃げ延びて来た人が到着したのは12年目となっています。しかし,「11年目」となっている写本もあり,ラムサ訳,モファット訳,またアメリカ訳ではそのように訳されています。
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聖書の27番目の書 ― ダニエル書『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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聖書の27番目の書 ― ダニエル書
筆者: ダニエル
書かれた場所: バビロン
書き終えられた年代: 西暦前536年ごろ
扱われている期間: 西暦前618年-536年ごろ
1 ダニエル書の中にはどんな歴史が含まれていますか。それは特に何に光を当てていますか。
地上のすべての国民が大きな災いの危機にひんしているこの時代に,ダニエル書は,極めて重要な意味を持つ預言的音信にわたしたちの注意を引いています。聖書のサムエル記,列王記,および歴代誌は,神の模型的な王国(ダビデ王朝)の歴史に関してその目撃証人たちの記録をもととしているのに対し,ダニエル書は世の諸国民に注目し,ダニエルの時代から「終わりの時」に至るまでの主要な王朝間の権力闘争の模様を事前に描写しています。これはいわば,あらかじめ書かれた世界の歴史です。それは,「末の日」に起きる事柄を示して,息をのむようなクライマックスに達しています。ネブカドネザルと同じように諸国民も,「至高者が人間の王国の支配者」であり,最後にはそれを「人の子のような者」,すなわちメシアであり指導者であるキリスト・イエスにお与えになるということを,苦い方法で学ばされることになるでしょう。(ダニエル 12:4; 10:14; 4:25; 7:13,14; 9:25。ヨハネ 3:13-16)霊感によるダニエル書の預言の成就をつぶさに調べることによって,わたしたちは,エホバの預言の力と,ご自分の民に保護や祝福をお与えになるという保証について一層の認識を抱けるでしょう。―ペテロ第二 1:19。
2 ダニエルが実在の人物であったことを何が裏付けていますか。波乱に満ちたどんな時期に彼は預言を行ないましたか。
2 この書にはその筆者の名が付けられています。「ダニエル」(ヘブライ語,ダーニーエール)という名には,「わたしの裁き主は神」もしくは「神の裁き主」という意味があります。同じ時代に生きたエゼキエルは,彼の名をノアやヨブの名と共に挙げて,ダニエルが実在の人物であったことを裏付けています。(エゼキエル 14:14,20; 28:3)ダニエルは,この書の始まりを,「ユダの王エホヤキムの王政の第三年」としています。それは,西暦前618年,エホヤキムがネブカドネザルの属王となって3年目のことでした。a ダニエルが預言的な幻を見ることはキュロスの第3年,つまり西暦前536年ごろまで続きました。(ダニエル 1:1; 2:1; 10:1,4)ダニエルの生涯は何と波乱に満ちていたのでしょう。彼はその幼い時代をユダの神の王国のもとで過ごしました。次いで,十代には,君たちの一人として,ユダの高貴な人々と共にバビロンに連れて来られ,聖書の歴史上,第三世界強国であるバビロンの興隆と衰亡の時期を切り抜けてきました。ダニエルは生き残って,第四世界強国メディア・ペルシャで政府の官吏として仕えました。ダニエルは100歳近くまで生きたに違いありません。
3 ダニエル書の正典性と信ぴょう性を何が証明していますか。
3 ダニエル書は常にユダヤ人の間で霊感による聖書の目録の中に含められてきました。死海写本の中でダニエル書の断片も他の正典の断片と共に発見されており,それら断片のあるものの年代は西暦前1世紀の前半とされています。しかし,この書の信ぴょう性に関するさらに重要な証拠は,この書がクリスチャン・ギリシャ語聖書中に度々引照されているという点に見いだされます。イエスは「事物の体制の終結」に関するご自身の預言の中で特にダニエルの名を挙げ,その中でダニエル書から幾つかの引用を行なっています。―マタイ 24:3。また,ダニエル 9:27; 11:31および12:11 ― マタイ 24:15およびマルコ 13:14; ダニエル 12:1 ― マタイ 24:21; ダニエル 7:13,14 ― マタイ 24:30もご覧ください。
4,5 考古学はダニエル書に関する高等批評に基づく主張をどのように敗退させましたか。
4 聖書の高等批評を行なう人々はダニエル書の史実性を疑問視してきましたが,多年にわたる考古学上の発見はそれらの人々の主張を完全に打ち崩しました。例えば,これら批評者たちは,ナボニドスが支配者であったとみなされる時期に,ベルシャザルがバビロンの王であった,というダニエルの陳述に嘲笑を浴びせました。(ダニエル 5:1)考古学は今では,ベルシャザルが実在の人物であり,また彼がバビロニア帝国の終わりの何年かの間,ナボニドスの共同統治者であったことを疑問の余地なく証明しています。例えば,「ナボニドスの歌物語」と言われている,古代のある楔形文字碑文は,ベルシャザルがバビロンで王権を行使していたことを明らかに確証しており,またベルシャザルがナボニドスと共同支配者になった様子も説明しています。b 他の楔形文字碑文の証拠も,ベルシャザルが帝王としての職責を執行したという見方を裏付けています。ナボニドスの第12年という年代の記された1枚の書き板は,王ナボニドスと王の子ベルシャザルの名においてなされた誓いを記しており,ベルシャザルがその父に並ぶ位にあったことを示しています。c これはまた,壁に現われた手書きの文字の意味を解き明かすなら,ダニエルを「この王国の第三の者」とすることをベルシャザルが申し出た理由の説明としても興味ある点です。ナボニドスが第1,ベルシャザルが第2の支配者とみなされていて,ダニエルは第3の支配者として告知されたのでしょう。(5:16,29)一研究者はこう述べています。「楔形文書におけるベルシャザルへの言及は,彼の果たしていた役割について非常に多くのことを解明した。そのため,歴史における彼の位置は明らかなものとなっている。地位と威信においてベルシャザルがナボニドスとほとんど同等であったことを示す文書は沢山ある。新バビロニアによる統治の最後の時期に多年にわたって二重支配が行なわれたことは確証された事実である。ナボニドスはアラビアのテマにあった自分の宮廷から至上の権威を行使し,一方ベルシャザルは共同統治者として行動し,本国にいて,バビロンをその影響力の中心としていた。ベルシャザルが弱々しい副王でなかったことは明らかである。彼には『王権』がゆだねられていた」。d
5 火の炉について,これを伝説的な作り事であるとしてダニエル書の記述(3章)の真実性を疑おうとした人々もいます。古代バビロニアのある手紙には,一部こう書いてあります。「あなたの主リム・シンはこのように言われる。彼が奴隷の少年をかまどに投げ込んだゆえに,あなたはその奴隷を炉に投げ込むのか」。興味深いことに,G・R・ドライバーはこのことに言及して,この処罰は「三人の聖なる人たちに関する物語(ダニエル III 6,15,19-27)の中に出て来る」と述べました。e
6 ダニエル書はどんな二つの部分から成っていますか。
6 ユダヤ人はダニエル書を,「預言者たち(または,預言書)」の中にではなく,「諸書」の中に入れてきました。一方,英訳聖書は,ギリシャ語セプトゥアギンタ訳とラテン語ウルガタ訳の目録順にしたがって,ダニエル書を大預言者と小預言者の間に置いています。実際のところ,この書は二つの部分から成っています。最初の部分は1章から6章までで,西暦前617年から538年まで,政府の職務に就いたダニエルとその友たちの数々の経験を時代順に述べています。(ダニエル 1:1,21)第2の部分は7章から12章までですが,記録者としてのダニエル自身が一人称で記しており,西暦前553年ごろf から536年ごろにかけてダニエル自身が見た幻や,み使いたちと会った時の模様を描写しています。(7:2,28; 8:2; 9:2; 12:5,7,8)この二つの部分が合わさって,調和の取れた1冊の書としてのダニエル書ができ上がっています。
ダニエル書の内容
7 どのような出来事のためにダニエルとその友たちはバビロニアの政府の職務に就くことになりますか。
7 国務のための準備(1:1-21)。西暦前617年,ダニエルは捕らわれとなったユダヤ人の一人としてバビロンに行きます。エルサレムの神殿の神聖な器具も共に運ばれて来て,異教の神殿の宝物庫の中に入れられます。王宮での3年間の訓練のために選ばれたユダの王族の若者たちの中に,ダニエルとその3人のヘブライ人の友たちがいます。異教の王のごちそうやぶどう酒によって自分の身を汚すまいと心の中で決意したダニエルは,野菜食によって十日のあいだ試してくれるように願い出ます。その試みはダニエルとその友たちにとって好ましい結果となり,神は彼らに知識と知恵とを得させます。ネブカドネザルはその4人を任命し,助言者として自分の前に立たせます。1章の最後の節は,それ以前の部分が書かれた時よりもずっと後に書き添えられたものと思われますが,ダニエルが流刑となってからおよそ80年後の恐らく西暦前538年ごろにも宮廷での職務に就いていたことを示しています。
8 どんな夢,またそのどんな解き明かしを神はダニエルに啓示されますか。ネブカドネザルは自分の認識をどのように示しますか。
8 怖ろしい像の夢(2:1-49)。ネブカドネザルは王位に就いた後,(多分,エルサレムが滅亡した西暦前607年から年代を算定して)その第2年に一つの夢のために動揺させられます。魔術を行なう配下の祭司たちは,その夢の内容と解き明かしとを示すことができません。ネブカドネザルは彼らに大きな贈り物を差し出しますが,彼らは,神々でもなければ,王の求めているようなことは示せないと抗議します。王は憤怒して,それら賢人たちを死に処するようにと命じます。4人のヘブライ人たちもその布告に含まれていたので,ダニエルはその夢を説き示すためにしばらくの猶予を請い求めます。ダニエルとその友たちはエホバに導きを祈り求めます。エホバはその夢とその意味についてダニエルに啓示を与え,次いでダニエルは王の前に行ってこう述べます。「天に神が,秘密を明らかにされる方がおられます。その方が,末の日に起きるはずの事柄をネブカドネザル王にお知らせになったのです」。(2:28)ダニエルはその夢を描写します。それは,途方もなく大きな像に関する夢です。その像の頭は金,その胸と腕は銀,その腹と股は銅,その脚部は鉄,足の一部は鉄で,一部は粘土です。一つの石がその像を打って砕き,一つの大きな山となって全地に満ちます。これは何を意味しているのでしょうか。ダニエルは,バビロンの王がその金の頭であることを知らせます。彼の王国の後に,第2,第3,および第4の王国が続きます。最後に,「天の神は決して滅びることのないひとつの王国を立てられます。……それはこれらのすべての王国を打ち砕いて終わらせ,それ自体は定めのない時に至るまで続きます」。(2:44)感謝し,認識を抱いた王は,ダニエルの神を「神々の神」としてたたえ,ダニエルを「バビロンの全管轄地域の支配者,またバビロンのすべての賢人たちの大長官」にします。ダニエルの3人の友たちはその王国の管理者とされます。―2:47,48。
9 像の崇拝に対する3人のヘブライ人の大胆な態度はどのような結果をもたらしますか。
9 3人のヘブライ人は火の炉の試練に生き残る(3:1-30)。ネブカドネザルは,高さ60キュビト(約27㍍)の巨大な金の像を立てます。そして,その像の献納式のために集まるよう帝国内の支配者たちに命じます。特別の音楽が奏でられる時,すべての者はひれ伏してその像を崇拝しなければなりません。それを行なわない者がいれば,火の燃える炉の中に投げ込まれます。ダニエルの3人の友,シャデラク,メシャク,およびアベデネゴがこれに応じなかったということが報告されます。彼らは,激怒した王の前に連れて来られます。その場所で彼らは大胆にこう証言します。「わたしたちの仕えているわたしたちの神は,わたしたちを救い出すことがおできになります。……あなたが立てた金の像をわたしたちは崇拝いたしません」。(3:17,18)憤怒に満たされた王は,その炉をいつもより7倍も熱くして,それら3人のヘブライ人を縛って投げ込むようにと命じます。刑執行者と思える者たちがそうしようとすると,燃える火の炎によって殺されます。ネブカドネザルはおびえます。その炉の中に見えるものは何でしょうか。その火の中を4人の者が何の害も受けずに歩いており,しかも「四人目の者の姿は神々の子のよう」です。(3:25)王は,それら3人のヘブライ人に火の中から出て来るようにと呼びかけます。彼らは出て来ますが,その身には何と火のにおいさえ付いていません。真の崇拝に対するその3人の勇気ある態度の結果として,ネブカドネザルは,ユダヤ人のために帝国全土にわたって崇拝の自由をふれ告げます。
10 ネブカドネザルは「七つの時」に関するどんな恐るべき夢を見ますか。それは彼の身に成就しましたか。
10 「七つの時」に関する夢(4:1-37)。この夢は,バビロンの国家文書からの転写としてダニエルの記録の中に出ています。それは謙遜にさせられたネブカドネザルによって書かれたものでした。ネブカドネザルはまず,至高の神の力と王国とについて認めます。次いで彼は,恐ろしい夢について,そしてそれがいかに自分自身に成就したかについて語ります。彼は,頂が天に達し,すべての肉なるものに避け所と食物とを与えた一本の木を見ました。一人の見張りの者がこう呼ばわりました。『この木を切り倒せ。その根株に鉄と銅のたがを掛けよ。七つの時をその上に過ぎさせよ。至高者が人間の王国の支配者であり,人のうち最も立場の低い者をその上に立てるということが知られるであろう』。(4:14-17)ダニエルはその夢を解き明かして,その木がネブカドネザル王を表わしていることを知らせます。そのすぐ後に,預言的な夢が成就します。非常な誇りの気持ちを言い表わしたその時に,王は狂気に襲われ,獣のようになって7年のあいだ野で過ごします。その後,彼は正気に返り,エホバの至上性を認めました。
11 どんな浮かれ騒ぎの最中にベルシャザルは不吉な手書きの文字を見ますか。ダニエルはそれをどのように解き明かしますか。それはどのように成就しましたか。
11 ベルシャザルの宴会; 手書きの文字が解き明かされる(5:1-31)。それは西暦前539年10月5日の運命の夜です。バビロンの共同統治者で,ナボニドスの子であったベルシャザル王は,配下の大官一千人のために大宴会を催します。ぶどう酒の勢いに乗った王は,エホバの神殿から運んで来た金銀の神聖な器を持って来させ,ベルシャザルとその客人たちは浮かれ騒ぎをして,それらの器を用いて飲み,自分たちの異教の神々をたたえます。その時,一つの手が現われて,壁の上になぞの言葉を書きます。王は恐れおののきます。その賢人たちは,書かれたことの意味を解釈できません。ついにダニエルが連れて来られます。王は,書かれたその文字を読んで,意味を解き明かすことができるなら,王国の第三の者にしよう,とダニエルに申し出ます。しかしダニエルは,その贈り物を王のもとにとどめておくようにと告げます。次いで彼は,書かれた文字とその意味についてこう知らせます。「メネ,メネ,テケル,そしてパルシン。……神はあなたの王国の日数を数えて,それを終わらせた。……あなたは天びんで量られて,不足のあることが知られた。……あなたの王国は分けられて,メディア人とペルシャ人に与えられた」。(5:25-28)まさにその夜,ベルシャザルは殺され,メディア人ダリウスがその王国を受け継ぎました。
12 ダニエルに対する陰謀はどのようにくじかれますか。その後,ダリウスはどんな布告を発しますか。
12 ライオンの坑に入れられたダニエル(6:1-28)。ダリウスの政府の高官たちは,王以外の神や人間に誓願することを30日間禁じる法律を王に作らせて,ダニエルに危害を加えることをたくらみます。だれでもそれに従わない者がいれば,ライオンの坑に投げ込まれるのです。ダニエルは自分の崇拝に影響するこの法律に従うことを拒み,祈りによってエホバに依り頼みます。彼はライオンの坑の中に投げ込まれます。奇跡的にエホバのみ使いはライオンの口をふさぎ,翌朝ダリウス王はダニエルが何ら害を受けていないのを見て喜びます。今度はそれら敵たちがライオンのえじきにされ,王は,ダニエルの神を「生ける神」として恐れるようにとの布告を出します。(6:26)ダニエルはキュロスの治世に至るまで政府内の職務に就いて栄えます。
13 ダニエルは自分の個人的な夢の中で,四つの獣と王国の支配権に関してどんな幻を見ますか。
13 獣の幻(7:1-8:27)。わたしたちは「ベルシャザルの第一年」に戻りますが,その治世は西暦前553年に始まったようです。ダニエルは個人的に夢を与えられ,それをアラム語で記録します。g 彼は四つの巨大な恐ろしい獣が一つずつ登場して来るのを見ます。4番目のものは殊のほか強く,その角の間に1本の小さな角が出て来て,『大仰な事柄を語り』ます。(7:8)日を経た方が現われて,その座に着かれます。「千の数千」倍の者たちがその方に仕えています。「人の子のような者」がその方の前に来て,「支配権と尊厳と王国とが与えられ」ます。それは「もろもろの民,国たみ,もろもろの言語の者が皆これに仕えるため」です。(7:10,13,14)次いでダニエルは,四つの獣に関するその幻の解き明かしを与えられます。それらは4人の王もしくは四つの王国を表わしています。4番目の獣にある10本の角の間から,1本の小さな角が生じます。それは強大になって,聖なる者たちに戦いをしかけます。天の法廷がそこに介入して,「王国と,支配権と,全天下のもろもろの王国の偉観とは,至上者の聖なる者たちである民に」与えられます。―7:27。
14 ダニエルは雄やぎや2本の角を持つ雄羊の登場するどんな幻を見ますか。ガブリエルはそれをどのように説明しますか。
14 その2年後,バビロンの倒壊よりもずっと前に,ダニエルは別の幻を見ます。それを彼はヘブライ語で記録しています。目の間に1本の際立った角を持つ雄やぎが,2本の角を持つ誇り高い雄羊と闘って,これを打ち負かします。ところが,その雄やぎの大きな角は折れて,それより小さな4本の角が出て来ます。そして,それらの一つから一つの小さな角が出て来ますが,それが大きくなり,天軍に挑むまでになります。聖なる場所がその「正しい状態」にされるまでに2,300日の期間のあることが予告されます。(8:14)ガブリエルはその幻についてダニエルに説明します。雄羊はメディアとペルシャの王たちを表わしています。雄やぎはギリシャの王であり,その王国は四つに分裂します。後に,顔つきの猛悪な王が立って,「君の君たる者」に敵します。その幻は「なお多くの日にわたるもの」ですから,ダニエルは当面はそれを秘しておかなければなりません。―8:25,26。
15 どんな事のために,ダニエルはエホバに祈りをささげますか。その時ガブリエルは「七十週」に関してどんなことを知らせますか。
15 指導者なるメシアに関する予告(9:1-27)。『メディア人ダリウスの第一年』にダニエルはエレミヤの預言を調べます。予告されたエルサレムの70年にわたる荒廃が終わりに近づいたことを知ったダニエルは,エホバに祈りをささげて,自分の罪とイスラエルの罪について告白します。(ダニエル 9:1-4。エレミヤ 29:10)ガブリエルが現われて,「違犯を終結させ,罪を終わらせ,とがの贖いを」行なうために「七十週」のあることを知らせます。指導者なるメシアはその69週の終わりに到来し,その後に彼は断たれます。70週目の終わりに至るまで契約の効力は保たれます。しかしついに荒廃と絶滅とがもたらされるでしょう。―ダニエル 9:24-27。
16 どのような状況の時にみ使いは再びダニエルに現われますか。
16 北対南,ミカエルが立ち上がる(10:1-12:13)。「キュロスの第三年」,すなわち西暦前536年ごろで,ユダヤ人がエルサレムに戻ってまだ間もないころです。3週間にわたる断食の後,ダニエルはヒデケル川の岸辺にいます。(ダニエル 10:1,4。創世記 2:14)一人のみ使いが彼に現われて,ダニエルのもとに来るのを『ペルシャの君』によって妨げられたこと,しかし「主立った君のひとりミカエル」によって助けられたことを説明します。そして彼は「末の日」のための幻をダニエルに伝えます。―ダニエル 10:13,14。
17 次いでダニエルは,北の王と南の王のどんな預言的な歴史を記録しますか。
17 この興味あふれる幻は,その初めの部分で,ペルシャ王朝について述べ,やがて来るギリシャとの抗争について告げます。一人の強大な王が立ち,広範な統治権をもって支配しますが,その王国は四つの部分に分割されるでしょう。やがて,王たちの二つの長い系列ができます。南の王と,それに対抗する北の王です。両者の間の権力闘争は進展と後退とを重ねるでしょう。これらよこしまで頑迷な王たちは一つのテーブルに就いて偽りを語りつづけます。「定めの時に」戦闘は再び燃え盛ります。神の聖なる所が汚されることになり,「荒廃をもたらす嫌悪すべきもの」が据えられます。(11:29-31)北の王は神々の神たる方に敵して驚くべきことを語り,要害の神に栄光を帰します。「終わりの時」に南の王が北の王と押し合う時,北の王は多くの土地にみなぎりあふれ,「飾りの地」にも入ります。彼は東と北からの知らせにかき乱されて,激怒を抱き,「自分の宮殿のような天幕を,壮大な海と聖なる飾りの山との間に」設けます。それでも,『彼は必ず自分の終わりに至り,これを助ける者はいない』のです。―11:40,41,45。
18 ミカエルが『神の民の子らのために』立っている時,どんな事が起きますか。
18 壮大な幻はさらに続きます。ミカエルが『神の民の子らのために』立っているのが見えます。人類史上かつてなかった「苦難の時」が来ますが,書の中に記されている者は逃れ出ることができます。多くの者が塵の中から目覚めて永遠の命に至り,「洞察力のある者は大空の輝きのように照り輝(き)」ます。彼らは多くの者を義に導きます。ダニエルは「終わりの時まで」その書を封じておかなければなりません。『これら驚くべき事柄の終わりに至るまでにどれほどの時があるでしょうか』。み使いは三時半と1,290日と1,335日の期間に言及し,「洞察力のある者」だけがこれらのことを「理解する」と言います。そのような人は確かに幸いです。最後に,み使いは,ダニエルが休んだ後に,「日々の終わりに」自分の分のために立ち上がるという励みとなる約束を彼に与えます。―12:1,3,4,6,10,13。
なぜ有益か
19 忠誠や,祈りを込めてエホバに依り頼むという点で,どんなりっぱな手本をダニエル書の中に見ることができますか。
19 異質の世界にあって忠誠を守ろうと決意している人は皆,ダニエルとその3人の友のりっぱな手本を思い見るのがよいでしょう。脅しがどれほど悪らつなものであっても,これらの人々は神の定めた原則に従って生き続けました。その命が危険にさらされた時にも,ダニエルは「深慮と分別とをもって」振る舞い,また王の持つ上位の権威に対して敬意をもって行動しました。(2:14-16)問題に直面した時,3人のヘブライ人は偶像に対する礼拝行為をするよりは火の燃える炉に入れられることを望みましたし,ダニエルはエホバへの祈りの特権を放棄するよりはライオンの穴に入れられることを望みました。いずれの場合にも,エホバは保護の手を差し伸べられました。(3:4-6,16-18,27; 6:10,11,23)ダニエル自身,祈りを込めてエホバ神に依り頼むという優れた手本を示しています。―2:19-23; 9:3-23; 10:12。
20 世界強国に関連してどんな四つの幻が記録されていますか。今日それらについて考えると信仰が強められるのはなぜですか。
20 ダニエルの幻には胸を躍らせるものがあり,それについて考察すると,信仰が強められます。まず初めに,世界強国に関する四つの幻について考えてください。(1)怖ろしい像の幻があります。その金の頭はネブカドネザルをもって始まったバビロニア王朝を表わしており,像の他の部分によって描かれているように,その王朝の後に他の三つの王国が興ります。これらは「石」によって打ち砕かれる王国であり,次いでその石は「決して滅びることのない」王国,神の王国となります。(2:31-45)(2)その後にダニエルの個人的な幻が続いています。初めは,四つの獣の幻で,それらは「四人の王」を表わしています。それは,ライオン,熊,四つの頭のあるひょう,および大きな鉄の歯と10本の角と後に1本の小さな角を持つ獣です。(7:1-8,17-28)(3)次いで,雄羊(メディア-ペルシャ),雄やぎ(ギリシャ),そして小さな角の幻です。(8:1-27)(4)最後に,南の王と北の王の幻があります。ダニエル 11章5節から19節には,西暦前323年にアレクサンドロスが死んだ後,アレクサンドロスのギリシャ帝国から派生したエジプト王朝とセレウコス朝との間で生じた抗争が正確に描写されています。20節以降,その預言は,南北それぞれの後継国家の足取りを引き続きたどっています。イエスがご自分の臨在のしるしに関するその預言の中で,「荒廃をもたらす嫌悪すべきもの」(11:31)に言及されたことは,これら二人の王のその権力闘争が「事物の体制の終結」の時に至るまで存続することを示しています。(マタイ 24:3)「国民が生じて以来その時まで臨んだことのない苦難の時」に,不敬虔な諸国家を除き去って,従順な人類に平和をもたらすために,ミカエル自身が立ち上がるというその預言の保証の言葉は,何と大きな慰めになるのでしょう。―ダニエル 11:20-12:1。
21 「七十週」に関するダニエルの預言はどのように目ざましい成就を遂げましたか。
21 次いで,「七十週」に関するダニエルの預言があります。69週の後に,「指導者であるメシア」が現われることになっていました。注目すべきことに,アルタクセルクセスによりその第20年に認可され,エルサレムでネヘミヤにより実施されたように,エルサレムを建て直せという「言葉が発せられて」から483年(7年の69倍)後に,ナザレのイエスはヨルダン川でバプテスマを受けて,聖霊をもって油そそがれ,こうしてキリスト,もしくはメシア(つまり,油そそがれた者)となられました。h それは西暦29年のことでした。その後,さらにダニエルが予告したとおり,エルサレムが西暦70年に荒廃させられた時,「絶滅」が生じました。―ダニエル 9:24-27。ルカ 3:21-23; 21:20。
22 ネブカドネザルが謙遜にさせられたことからどんな教訓を学べますか。
22 切り倒された木に関するネブカドネザルの夢の部分では,ダニエル 4章に記録されているとおり,自分の業績を誇りとし,自らの力に頼った王がエホバ神によって謙遜にさせられたことが述べられています。彼は,「至高者が人間の王国の支配者であり,ご自分の望む者にそれを与える」ということを認めるまで,野の獣のようにして生きることを余儀なくされました。(ダニエル 4:32)今日のわたしたちも,ネブカドネザルのようになって自らの業績を誇ったり,人間の力に頼ったりして,神からの処罰を受けなければならないでしょうか。それとも,神が人類の王国における支配者であることを賢明に認めて,神の王国に信頼を寄せるでしょうか。
23 (イ)ダニエル書全体を通して王国の希望がどのように強調されていますか。(ロ)この預言の書はわたしたちを鼓舞して何を行なわせるはずですか。
23 ダニエル書全体にわたり,信仰を鼓舞するような仕方で王国の希望が強調されています。エホバ神は,他のすべての王国を打ち砕き,それ自体は決して滅ぼされることのない王国を立てる至上の主権者として描かれています。(2:19-23,44; 4:25)異教の王であったネブカドネザルやダリウスでさえ,エホバの至上性を認めざるを得ませんでした。(3:28,29; 4:2,3,37; 6:25-27)エホバは,神の王国をめぐる論争に関して裁きを行ない,「人の子のような者」に永遠の「支配権と尊厳と王国」とを与えて,「もろもろの民,国たみ,もろもろの言語の者が皆これに仕える」ようにする,日を経た方として高められ,栄光を付されています。「人の子」キリスト・イエスと共になってその王国に加わるのは,「至上者に属する聖なる者たち」です。(ダニエル 7:13,14,18,22。マタイ 24:30。啓示 14:14)このキリスト・イエスは大いなる君ミカエルで,その王国の権能を行使して,この古い世のすべての王国を打ち砕き,それを終わらせます。(ダニエル 12:1; 2:44。マタイ 24:3,21。啓示 12:7-10)義を愛する人々は,これらの預言や幻を理解することによって鼓舞され,霊感を受けた有益な書であるダニエル書を通してわたしたちに啓示された,神の王国の目的にかかわる,真に「驚くべき事柄」を見いだすために,神のみ言葉をさらにひもとくことでしょう。―ダニエル 12:2,3,6。
[脚注]
a 「聖書に対する洞察」(英文),第1巻,1269ページ。
b 「聖書に対する洞察」(英文),第1巻,283ページ。
c 「考古学と聖書」(英文),1949年,ジョージ・A・バートン,483ページ。
d 「エール・オリエント・シリーズ ― 研究調査」(英文),第15巻,1929年。
e 「オリエント研究所古文書館」(ドイツ語),第18巻,1957-1958年,129ページ。
f ベルシャザルはナボニドスの第3年以降,共同統治者として治め始めたようです。ナボニドスは西暦前556年に支配し始めたと考えられていますから,その治世の第3年と「ベルシャザルの第一年」は西暦前553年だったようです。―ダニエル 7:1。「聖書に対する洞察」(英文),第1巻,283ページ; 第2巻,457ページをご覧ください。
g ダニエル 2章4節後半から7章28節まではアラム語で記されましたが,この書の残りの部分はヘブライ語で記されました。
h ネヘミヤ 2章1-8節。「聖書に対する洞察」(英文),第2巻,899-901ページもご覧ください。
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聖書の28番目の書 ― ホセア書『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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聖書の28番目の書 ― ホセア書
筆者: ホセア
書かれた場所: サマリア(地方)
書き終えられた年代: 西暦前745年以後
扱われている期間: 西暦前804年以前-745年以後
1,2 (イ)ヘブライ語聖書の最後の12の書は時にどんな名で呼ばれていますか。(ロ)ホセアについてどんなことが知られていますか。その預言は特にだれに関心を向けていますか。
ヘブライ語聖書の最後の12の書は,英語を話す国では一般に「小(minor,さほど重要でない)預言者(または,預言書)」と呼ばれています。しかし,ドイツで普通に使われている「小さな預言書」という表現のほうが,さらに適切であるように思われます。これらの書は,全部合わせてもイザヤ書やエレミヤ書より短いとはいえ,決して重要さの点でさほど重要でない書などとは言えないからです。ヘブライ語聖書の中で,これらは1巻の書とみなされ,「十二」と呼ばれていました。それらの書がこうして一つにまとめられたのは,恐らく保存のためであったのでしょう。一つ一つの小さな巻き物であったなら,容易に失われてしまったからです。これら12の書は各々そうであるように,その最初の書も,筆者にちなんでホセア書と名づけられています。その名は,「ヤハにより救われた; ヤハは救ってくださった」という意味のホシャアの短縮形です。
2 ホセアの名を持つこの書の中で,ホセア自身については,彼がベエリの子であったということ以外にはほとんど何も示されていません。彼の預言は専らイスラエルに関心を向けており,ユダのことは付随的に言及されているにすぎません。ホセアはエルサレムのことを一度も述べていないのに対し,イスラエルの支配的な部族であったエフライムについては,その名を37回も挙げており,またイスラエルの首都サマリアについては6回言及しています。
3 ホセアはどれほどの期間にわたって預言しましたか。その時期にはほかにどんな預言者がいましたか。
3 この書の最初の節は,ホセアがエホバの預言者として殊のほか長く奉仕したことを示しています。それは,イスラエルの王ヤラベアム2世の治世の終わりごろから,ユダのヒゼキヤの治世に至るまでです。すなわち,遅くとも西暦前804年から西暦前745年以後までの59年間ほどです。彼が預言者として奉仕した期間は,ヤラベアム2世やヒゼキヤの治世にそれぞれ幾年かかかっていたに違いありません。この時代には,アモス,イザヤ,ミカ,オデドなど,エホバの他の忠実な預言者たちもいました。―アモス 1:1。イザヤ 1:1。ミカ 1:1。歴代第二 28:9。
4 どんな引用と預言の成就とによってホセア書の信ぴょう性は確証されていますか。
4 その預言の信ぴょう性は,それがクリスチャン・ギリシャ語聖書の中に何度も引用されていることによって確証されています。イエスご自身もエルサレムに対する裁きを宣告した際,ホセア 10章8節を引用してこう言われました。「そのとき彼らは,山に向かって,『我々の上に倒れかかれ!』と言い,丘に向かって,『我々を覆ってくれ!』と言い始めるでしょう」。(ルカ 23:30)この同じ節は,啓示 6章16節にも部分的に引用されています。マタイはホセア 11章1節の,「エジプトからわたしは自分の子を呼び出した」ということばを引用して,その預言の成就を示しています。(マタイ 2:15)全イスラエルの復興に関するホセアの預言は,10部族王国の多くの人々が捕囚となる前のユダと共になり,また流刑後に帰還した人々の中にその子孫も加わっていたことによって成就しました。(ホセア 1:11。歴代第二 11:13-17; 30:6-12,18,25。エズラ 2:70)エズラの時以後,この書は,「ホセアによるエホバの言葉」として,ヘブライ語聖書正典の中にその正当な位置を占めてきました。―ホセア 1:2。
5 どんな不忠実さのゆえにエホバはイスラエルを処罰されましたか。
5 エホバはなぜホセアを預言者としてイスラエルに遣わされたのでしょうか。それは,イスラエルがエホバとの契約を破って不忠実になり,バアル崇拝によって汚されていたためです。約束の地に入ったイスラエルは農耕民となっていましたが,そのような変化の際,イスラエルの民はカナン人の生活の仕方だけでなく,自然の生殖力を象徴した神であるバアルの崇拝を伴うその宗教をも採用しました。ホセアの時代にイスラエルは完全にエホバの崇拝から離れて,神殿娼婦たちとの不道徳な関係をも含む放らつな飲酒の儀式にふけっていました。イスラエルは繁栄をバアルに帰していました。イスラエルはエホバに不忠節であり,エホバの民となるに値せず,それゆえに懲らしめを受けなければなりませんでした。エホバは,イスラエルの物質的所有物がバアルによるものではないことを示そうとされ,そのためにホセアを遣わして,悔い改めなければどのような結果になるかをイスラエルに警告させたのです。ヤラベアム2世の死後,イスラエルはその最も恐るべき時期を迎えました。幾人もの支配者が暗殺された恐怖の統治が,西暦前740年のアッシリアによる捕囚の時までずっと続きました。その期間には,エジプトとの同盟を望む者たちと,アッシリアとの同盟を望む者たちの二つの勢力が闘い合ったのです。どちらのグループもエホバに信頼を置いてはいませんでした。
6 ホセアの文体の中にどんなことが示されていますか。
6 ホセアの文体は多くのことを示しています。彼はその言葉遣いにおいて時にこまやかで,繊細であり,エホバの愛ある親切と憐れみを繰り返し強調しています。彼は,自分が目にする悔い改めの小さなしるし一つ一つに細かな注意を払っています。彼の語法はある場合は唐突であり,衝動的です。リズム感の欠けたところがあるとしても,彼はそれを勢いと力で補っています。彼は非常に強い感情を表現し,また考えを速やかに変えます。
7 ゴメルの不忠実さ,そして彼女が後に立ち直ったことによって何が例示されていますか。
7 その預言者としての生涯の初めに,ホセアは「淫行の妻」をめとるように命じられました。(1:2)明らかにエホバは,この点で目的を持っておられたはずです。イスラエルはエホバに対して,不忠実になって淫行を犯した妻のようになっていました。それでもエホバは彼女に愛を示して,彼女を立ち直らせようとされました。ホセアの妻ゴメルはこの点を的確に示す例となり得ました。最初の子供の誕生の後に彼女は不忠実になり,姦淫によって他の子供たちを産んだものと理解されています。(2:5-7)このことは,彼女が「彼[ホセア]に[一人の]男の子を産んだ」と記録されているのに対し,他の二人の子供の誕生に関しては,預言者ホセアに対する特別の言及がなされていない,という点に示されています。(1:3,6,8)3章1節から3節は,ホセアが奴隷を買い取るかのようにしてゴメルを取り戻したことについて述べているものと思われます。このことは,姦淫の歩みを悔い改めたその民をエホバが取り戻されたことと関連しています。
8 この書の中でどんな名が交互に用いられていますか。
8 ホセアの預言の言葉の主な対象となった北の十部族のイスラエル王国は,その王国内の支配的部族の名にしたがってエフライムとも呼ばれていました。これら,イスラエルとエフライムの名がこの書の中で交互に用いられています。
ホセア書の内容
9 ゴメルの子供たちの名前は,イスラエルに対するエホバのご処置について何を示していますか。
9 イスラエルの姦淫の歩みを例示する(1:1-3:5)。ホセアの「淫行の妻」はこの預言者に一人の息子エズレルを産みます。後に彼女は他の二人の子供を産みます。一人は娘で,その名に「[彼女は]憐れみを示されなかった」という意味のあるロ・ルハマです。もう一人は息子で,「わたしの民ではない」という意味のロ・アミです。これら二つの名は,エホバが「イスラエルの家にもはや二度と憐れみを示さない」ことを示唆し,またご自分の民としての彼らを全体としては退けたことを強調するためにお与えになったものでした。(1:2,6,9)しかしそれでも,ユダとイスラエルの子らは,「生ける神の子ら」として,一人の頭のもとに一致した群れのように集められることになるのです。「エズレルの日は大いなる日となるから」です。(1:10,11)姦淫を容認するバアル崇拝から清められた後,神の民はエホバのもとに帰り,エホバを自分たちの夫として受け入れるでしょう。(2:16)エホバはイスラエルに安全を与え,義と公正と愛ある親切と憐れみと忠実のうちに,定めのない時にわたる契りを彼女と結ばれるでしょう。エズレル(「神は種をまくであろう」という意味)の名と調和して,エホバはこう約束されます。「わたしは必ず,自分のために彼女を種のように地にまく。……わたしの民ではなかった者たちに,『あなたはわたしの民である』と言う。そして彼らも,『あなたはわたしの神です』と言うであろう」。(2:23)姦淫の歩みを悔い改めた妻のように,『イスラエルは戻って来て,自分たちの神エホバを,また自分たちの王ダビデを必ず求める』でしょう。―3:5。
10 その国民が知識を退けたことはどんな結果になりますか。
10 エフライム(とユダ)に対する預言的な裁き(4:1-14:9)。4章の初めの節は,その後に続く預言的な警告の背景を示しています。「エホバはこの地に住む民に対して法的な言い分を持たれるからである。この地には,真実も,愛ある親切も,神についての知識もないからである」。この状態はどのような結果になるでしょうか。「知識をあなたが退けたゆえに,わたしもあなたを退けて,祭司としてわたしに仕えることをやめさせる。あなたが自分の神の律法をいつも忘れているゆえに,このわたしもあなたの子らを忘れるであろう」とエホバは言われます。(4:1,6)淫行の霊がイスラエルをさまよわせました。娼婦のようなイスラエルとユダには言い開きが求められます。しかし彼らは,「窮境に立つとき」にエホバを求めることになるでしょう。―5:15。
11 ホセアは民にどのような訴えをしますか。しかしなぜ彼らは災いに面しますか。
11 ホセアは民に訴えます。『さあ,わたしたちはエホバのもとに帰ろう。エホバはいやしてくださるからだ』。エホバは犠牲や焼燔の捧げ物よりも,愛ある親切と神に関する知識とを喜びとされますが,エフライムとユダの愛ある親切は「早く消えてゆく露のよう」になっています。(6:1,4)エフライムは「心を持たない単純なはと」のようです。その民は助けを求めてエジプトやアッシリアに行き,エホバのもとに行こうとはしません。(7:11)これは彼らにとっては災いとなります。なぜでしょうか。彼らはぶらつき回り,悪事をたくらみ,エホバの契約を踏み越え,その律法に違反したからです。『彼らは風をまきつづけて,暴風を刈り取るのです』。(8:7)エホバは彼らのとがを思い出し,彼らの罪に注意を向けられます。「彼らは諸国民の中の逃亡者となる」のです。(9:17)イスラエルは衰退してゆくぶどうの木のようで,その心は偽善的になりました。義のうちに種をまいて,愛ある親切にそって刈り取りを行なう代わりに,イスラエルは悪をすき返して,不義を刈り取りました。「エジプトからわたしは自分の子を呼び出した」と,エホバは回想されます。(11:1)そうです,エホバはイスラエルを,その少年時代から愛してこられたのです。それなのにイスラエルは,偽りと欺きをもってエホバを囲みました。エホバはこう諭されます。「あなたは,自分の神のもとに帰り,愛ある親切と公正とを守るべきである。あなたの神を常に待ち望むように」― 12:6。
12 (イ)ホセアは13章でどんなことを要約していますか。(ロ)どんな回復が約束されていますか。
12 13章で,ホセアは,イスラエルの初期の約束とエホバの優しい世話,それにイスラエルが神を忘れて,その国民がついにエホバに逆らったことなど,前に起きた事柄のすべてを要約します。エホバはこう宣言されます。「わたしは怒りのうちに王を与えた。そして,憤怒のうちにこれを取り去るであろう」。(13:11)しかし,その後に,回復が訪れるのです。「シェオルの手からわたしは彼らを請け戻す。死から彼らを取り戻す。死よ,お前のとげはどこにあるのか。シェオルよ,お前の破壊力はどこにあるのか」。(13:14)しかし,反逆したサマリアの運命はまさに恐ろしいものとなるでしょう。
13 ホセア書はどんな訴えの言葉で終わっていますか。エホバの道を歩むのはどんな人ですか。
13 この書は胸を打つ訴えの言葉で結ばれています。『イスラエルよ,さあ,あなたの神エホバに帰れ。あなたは自分のとがのためにつまずいたからである。赦しを請い求めよ。代わりに自分の唇の若い雄牛をささげよ。エホバはあなたに憐れみと愛を示してくださるであろう。エホバはあなたに対してさわやかな露のようになってくださる。あなたはゆりのように,オリーブのように咲き輝くであろう』。賢くて思慮のある人々は,これらのことを理解するでしょう。「エホバの道は廉直であり,そこを歩む者は義にかなう。しかし,違犯をおかす者はその道でつまずく者となる」― 14:1-6,9。
なぜ有益か
14 ホセアの預言の正確な成就としてどんな例に注目すべきですか。
14 ホセア書は,エホバの霊感による預言に対する信仰を強めさせます。イスラエルとユダに関してホセアが預言したことはすべてそのとおりになりました。イスラエルは偶像礼拝に携わる近隣諸国の愛人たちから捨てられて,西暦前740年,アッシリアによる滅亡というつむじ風を刈り取りました。(ホセア 8:7-10。列王第二 15:20; 17:3-6,18)しかし,ホセアは,エホバがユダに憐れみを示して,これを救われることを予告していました。しかしそれは軍事力によるのではありません。これは,エホバのみ使いが,エルサレムを脅かしていた18万5,000人のアッシリア人を打ち殺した時に成就しました。(ホセア 1:7。列王第二 19:34,35)しかしそれにもかかわらず,ユダはホセア 8章14節の裁きの言葉の中に含められていました。「それでわたしは彼の諸都市に必ず火を送り込み,それがそれぞれの住まいの塔をむさぼり食うことになる」。この予言は,西暦前609年から607年にかけてネブカドネザルがユダとエルサレムを荒廃させた時に恐るべき成就を見ました。(エレミヤ 34:6,7。歴代第二 36:19)回復に関するホセアの数多くの預言は,エホバがユダとイスラエルを集め,西暦前537年,彼らがその流刑の『地から上って行った』時に成就しました。―ホセア 1:10,11; 2:14-23; 3:5; 11:8-11; 13:14; 14:1-9。エズラ 2:1; 3:1-3。
15 クリスチャン・ギリシャ語聖書の筆者たちはホセア書から引用しつつ,それをどのように適用していますか。
15 クリスチャン・ギリシャ語聖書の筆者たちがホセアの預言を参照していることも,今日のわたしたちが考慮すべき極めて有益な点です。例えば,パウロは復活に関する論議の際,ホセア 13章14節を力強く適用しています。「死よ,お前の勝利はどこにあるのか。死よ,お前のとげはどこにあるのか」。(コリント第一 15:55)憐れみの器に対して表明されたエホバの過分のご親切を強調しつつ,パウロはホセア 1章10節と2章23節を次のように引用しています。「ホセアの書の中でも言っておられるとおりです。『わたしの民ではなかった者を「わたしの民」と呼び,愛していなかった女を「わたしの愛する者」と呼ぶであろう。そして彼らは,「あなた方はわたしの民ではない」と言われたその場所で,「生ける神の子ら」と呼ばれるであろう』」。(ローマ 9:25,26)ペテロはホセア書のこの同じ章句を言い換えてこう述べています。「というのは,あなた方はかつては民ではありませんでしたが,今は神の民であるからです。あなた方は憐れみを示されない者でしたが,今では憐れみを示された者となっているからです」― ペテロ第一 2:10。
16 崇拝のためのエホバのご要求を示すためにイエスはホセアのどんな言葉を繰り返していますか。
16 こうして,ホセアの預言は,残りの者がゼルバベルの時代に帰還したことだけでなく,『生ける神の愛された子ら』となる霊的な残りの者をエホバがその憐れみによって集められたことのうちにも成就を見ているのです。ホセアは霊感によって,それら残りの者に対する要求を知りました。それは,形式的な儀式による崇拝の外面ではありません。ホセア 6章6節(イエスはそれをマタイ 9章13節と12章7節で繰り返し述べられた)には,「わたしが喜びとしたのは愛ある親切であって,犠牲ではなかった……また,全焼燔の捧げ物より,むしろ神を知ることであった」と記されています。
17 (イ)つまずいて霊的な姦淫に陥る者にはどんなことが必要ですか。(ロ)ホセア書には王国に関するどんな喜ばしい約束が含まれていますか。
17 ホセア自身の生活の中で実に生き生きと描き出された,姦淫を行なう妻の例えは,エホバから離れて偶像礼拝や偽りの崇拝の道に進み,こうして霊的な姦淫を犯す人々をエホバが憎悪されることを示しています。だれでもとがのためにつまずいた人は,真の悔い改めをもってエホバに帰り,『代わりにその唇の若い雄牛を』ささげなければなりません。(ホセア 14:2。ヘブライ 13:15)そのようにする人々は,霊的イスラエルの子らの残りの者たちと共に,ホセア 3章5節の王国に関する約束の成就にあずかるでしょう。「後にイスラエルの子らは戻って来て,自分たちの神エホバを,また自分たちの王ダビデを必ず求めるであろう。末の日に,彼らはエホバのもとに,その善良さのもとにわななきながらやって来るのである」。
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聖書の29番目の書 ― ヨエル書『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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聖書の29番目の書 ― ヨエル書
筆者: ヨエル
書かれた場所: ユダ
書き終えられた年代: 西暦前820年ごろ(?)
1 どんな劇的な出来事がヨエルの預言を際立たせていますか。
こん虫の大群が波のように押し寄せてその地を荒廃させてゆきます。前方を行く火と,後方から来る火の炎とがその荒廃を完遂します。至る所に飢きんが見られます。太陽は闇に,月は血に変わります。畏怖の念を抱かせる,エホバの大いなる日が近いからです。エホバは,鎌を突き入れて諸国民を滅びのために集合させるように,と命じます。しかし,ある人々は「安全に逃れる」ことになるでしょう。(ヨエル 2:32)これら劇的な出来事について考えるとき,ヨエルの預言は極めて興味深く,またわたしたちにとって大いに有益なものとなります。
2 ヨエルとその預言の背景についてどんなことが知られていますか。
2 この書は,「ペトエルの子ヨエルに臨んだエホバの言葉」として紹介されています。聖書はヨエル自身に関してこれ以上のことを何も告げていません。強調されているのは,そこに含まれている預言的音信であって,その筆者ではありません。「ヨエル」という名(ヘブライ語,ヨーエール)には,「エホバは神」という意味があると理解されています。筆者は,エルサレムと,その神殿と,神殿での奉仕の詳細な事柄によく通じています。このことは,ヨエルがこの書をエルサレムもしくはユダで書いたことを示していると言えるでしょう。―ヨエル 1:1,9,13,14; 2:1,15,16,32。
3 どんな理由に基づき,ヨエルの預言の年代として西暦前820年ごろが挙げられますか。
3 ヨエル書はいつごろ書かれたのでしょうか。その点を明確に述べることはできません。学者たちは西暦前800年以前から西暦前400年ごろまでの範囲の様々な年代を挙げています。エホシャファトの平原での,諸国民に対するエホバの裁きに関する描写は,エホバがユダのエホシャファト王のために大勝利をもたらされた時より後,したがってエホシャファトが王になった西暦前936年より後にヨエルがその預言を記したことを暗示しています。(ヨエル 3:2,12。歴代第二 20:22-26)預言者アモスはヨエル書の本文から引用していたようです。であれば,これはヨエルの預言が,西暦前829年から804年までの間のある時に預言し始めたアモスの預言よりも前に書かれていたことを意味しているようです。(ヨエル 3:16。アモス 1:2)また,この書が早くに書かれたことは,ヘブライ語正典の中のホセア書とアモス書の間に位置していることによっても示されています。したがって,西暦前820年ごろがヨエルの預言に想定される年代です。
4 ヨエル書の信ぴょう性を示すどんな証拠がありますか。
4 この預言の信ぴょう性は,それがクリスチャン・ギリシャ語聖書の中に引用され,また参照されていることによって証明されています。ペンテコステの日に,ペテロは「預言者ヨエル」について語り,その預言の一部を適用しました。パウロも同じ預言を引用して,ユダヤ人と非ユダヤ人の双方にそれが成就したことを示しました。(ヨエル 2:28-32。使徒 2:16-21。ローマ 10:13)近隣の諸国民に向けて述べられたヨエルの預言はすべて成就しました。大都市ティルスはネブカドネザルによって攻囲され,後にはその都市の島に築かれた部分がアレクサンドロス大王によって破壊されました。フィリスティアも同様に滅びました。エドムは荒野となりました。(ヨエル 3:4,19)ユダヤ人はヨエル書の正典性を疑問視したことはなく,この書をいわゆる小預言者の2番目に置いてきました。
5 ヨエル書の預言はどんな点で極めて表現力に富んでいますか。
5 ヨエル書の文体は生気にあふれていると共に,表現力に富んでいます。ヨエルは強調のための反復と印象的な直喩とを用いています。いなごの群れは一つの国民,民,および軍隊と呼ばれています。その歯はライオンの歯,その外見は馬のようです。その響きは戦闘に出て行く軍隊の兵車の音のようです。「注釈者の聖書」(英文)はいなごの害の防止に当たる権威者の言葉を次のように引用しています。「いなごの侵入に関するヨエルの描写は,その詳細にわたる劇的なまでの正確さという点で,これに勝るものはいまだ存在しない」。a では,ヨエルが畏怖の念を抱かせるエホバの日について預言するのを聴いてください。
ヨエル書の内容
6 ヨエルはまずどんな恐ろしい幻を見ますか。
6 いなごの侵入がその地を裸にする。エホバの日は近い(1:1-2:11)。何と恐ろしい災いの幻をヨエルは見たのでしょう。毛虫と,いなごと,はい回る翼のないいなごと,ごきぶりの群れの破壊的な襲来です。ぶどうの木といちじくの木はまる裸にされ,餓死がその地に忍び寄ります。エホバの家のための穀物の捧げ物や飲み物の捧げ物もありません。ヨエルは祭司や神の奉仕者たちに悔い改めを勧める警告をします。彼はこう叫びます。「ああ,その日よ! エホバの日は近く,全能者による奪略のようにしてそれは来る」。(1:15)動物たちは混乱してさまよい歩きます。炎が牧草地と樹木を焼き,荒野は火によって焼かれました。
7 エホバの侵入する軍勢はどのように描写されていますか。
7 警報を鳴り響かせなさい!「シオンで角笛を吹き鳴らせ。わたしの聖なる山で戦いの叫びを上げよ」。(2:1)エホバの日,闇と陰うつの日は近いのです。ご覧なさい,数が多くて強大な民がいます。彼らはエデンのような地を,荒れ果てた荒野に変えてゆきます。それから逃れ得るものはありません。馬のように,そして山の上を行く兵車のような響きを立てながら,彼らは走ります。戦闘隊形を整えた民のように彼らは都市に突き進み,城壁や家々によじ登り,窓から中へ入り込みます。その地は動揺し,天は激動します。エホバがこの無数の軍勢の指揮をとっておられるのです。「エホバの日は大いなる日であり,大いに畏怖の念を抱かせるものなのである。だれかその下でこらえ得ようか」― 2:11。
8 (イ)どのようにしてのみ,その昆虫の侵入は食い止められますか。(ロ)エホバはどんな補償を約束しておられますか。
8 エホバに帰れ。霊が注ぎ出される(2:12-32)。しかし,その侵入を食い止めるために行なえることがあります。エホバはこう助言されます。『あなた方は心をつくしてわたしに帰れ。あなた方の衣ではなく,心を裂け。あなた方の神エホバに帰れ』。(2:12,13)角笛が吹き鳴らされて,民が聖会に召集されます。彼らがエホバのもとに帰るなら,「エホバは自らの土地のために熱心になり,自分の民に同情を」示されるでしょう。(2:18)祝福と許しが与えられ,侵入者は退かされるでしょう。それは恐れの時ではなく,喜びの時,歓び楽しむ時となります。果実と穀物と新しいぶどう酒と油とがあるからです。エホバはご自分のいなごの大軍勢が食い荒らした年月に対する補償をしてくださるでしょう。エホバはこう約束しておられます。「あなた方はまさしく食べ,食べて満ち足り,あなた方にこれほどすばらしい事を行なったあなた方の神エホバの名を賛美することになる」。(2:26)イスラエルにあってただエホバだけが神であることを,彼らは学び知るでしょう。
9 心を奮い立たせるどんな預言がその後に続いていますか。
9 エホバはこう言われます。「またその後,わたしは自分の霊をあらゆる肉なる者の上に注ぐことになる。あなた方の息子や娘たちは必ず預言する。あなた方の老人たちは夢を見る。あなた方の若者たちは幻を見る。そして,その日には下男やはしためたちの上にもわたしの霊を注ぎ出す」。エホバの日の来る前に,太陽や月には恐ろしい異兆があるでしょう。「エホバの名を呼び求める者はみな安全に逃れることになる」のです。―2:28-32。
10 エホシャファトの低地平原でどんな事が起きますか。
10 諸国民は『エホシャファトの平原』で裁かれる(3:1-21)。エホバはユダとエルサレムからの捕らわれ人を連れ戻されます。諸国民は集められます。ティルス,シドン,およびフィリスティアは,エホバの民を非難して,これを奴隷にしたことに対して代償を払わされるでしょう。エホバが諸国民に挑戦されるのを聴いてください。「戦いを神聖なものとせよ! 強力な者たちを奮い立たせよ! これを近くに来させよ! すべての戦人を上って来させよ!」(3:9)彼らはすきの刃を剣に打ち変えて,エホシャファト(「エホバは裁き主」の意)の低地平原に来るように! エホバの命令の言葉が響き渡ります。「鎌を突き入れよ。収穫物は熟したからである。……搾りおけはまさにあふれる。彼らの悪がみなぎったからである。群がる民,群がる民が決定の低地平原にいる。エホバの日が近(い)からである」。(3:13,14)太陽と月は暗くなります。エホバはシオンからとどろいて,天と地を激動させますが,ご自身の民に対しては避け所また要害となられます。彼らは,それが自分たちの神エホバであることを知るでしょう。
11 次いでヨエルはその後に続くエホバからの祝福をどのように描写していますか。
11 「その日」にはパラダイスにふさわしい,いかにも豊かな情景が見られるではありませんか。(3:18)山々にはぶどう酒が滴り,丘には乳が流れ,川床には豊富な水が流れます。さわやかな泉がエホバの家からわき出ます。ユダで罪のない血を流したエジプトとエドムは荒れ果てた所となるでしょう。しかしユダとエルサレムには,定めのない時に至るまで人が住み,『エホバはシオンに住まわれる』のです。―3:21。
なぜ有益か
12 ヨエル書のどんな預言的重要さをペテロはペンテコステの際に強調しましたか。
12 一部の注解者はヨエルのことを陰うつな預言者と評しています。しかし,神の民の観点からすれば,ヨエルは栄光ある救出のおとずれをふれ告げる者として登場しているのです。使徒パウロはローマ 10章13節でこの考えを強調して,こう述べています。「『エホバの名を呼び求める者はみな救われる』のです」。(ヨエル 2:32)ヨエルの預言は西暦33年のペンテコステの日に目ざましい成就を見ました。その時ペテロは,神の霊がキリストの弟子たちの上に注ぎ出されたのはヨエルの預言の成就であることを霊感を受けて説明しました。(使徒 2:1-21。ヨエル 2:28,29,32)ペテロはヨエルの言葉の預言的重要さを大いに強調しました。「そして,エホバの名を呼び求める者はみな救われるであろう」。―使徒 2:21,39,40。
13 (イ)ヨエル書と啓示の書との間にはどんな著しい類似性が見られますか。(ロ)ヨエル書と並行関係にあるどんな事柄が他の預言にも見られますか。
13 ヨエルの描写するいなごの災厄と啓示 9章で預言されている災厄との間には著しい類似性が見られます。再び太陽は暗くなります。いなごは戦闘の備えをした馬に似ており,兵車のような音を立て,ライオンのような歯を備えています。(ヨエル 2:4,5,10; 1:6。啓示 9:2,7-9)太陽が闇に変わるというヨエル 2章31節のヨエルの預言は,イザヤ 13章9節と10節や啓示 6章12節から17節,さらにマタイ 24章29節と30節の言葉で描写されている一つの出来事と並行関係にあります。マタイの中でイエスは,その預言が,イエスが人の子として力と大いなる栄光とをもって到来する時に当てはまることを示しています。「エホバの日は大いなる日であり,大いに畏怖の念を抱かせる」というヨエル 2章11節の言葉は,明らかにマラキ 4章5節に引照されています。この『闇と濃い暗闇の日』に関する類似の描写は,ヨエル 2章2節とゼパニヤ 1章14節と15節にも見いだされます。
14 ヨエル書のどんなことばはエホバの主権とその愛ある親切をたたえていますか。
14 啓示の書の預言は,神の憤りの「大いなる日」を待ち望むものです。(啓示 6:17)ヨエルもまたその時について預言して,『エホバの大いなる日』が諸国民に臨む時,保護と救出を求めてエホバを呼び求める者が「安全に逃れる」ことを示しています。「エホバはその民のための避け所」となられます。エデンにあったような繁栄が回復されるでしょう。こう記されています。「またその日,山々には甘いぶどう酒が滴り,丘には乳が流れ,ユダの川床にはどこも水が流れる。そして,エホバの家からひとつの泉がわき出(る)」。回復に関するこの明るい約束を提出しつつ,ヨエルはさらにエホバ神の主権をたたえ,エホバの大いなる憐れみに基づいて心の誠実な人々にこう訴えています。「あなた方の神エホバに帰れ。神は慈しみと憐れみを持ち,怒ることに遅く,愛ある親切に富んでいるからである」。霊感によるこの訴えの言葉に注意を払う人は皆,とこしえの益を刈り取ることになるでしょう。―ヨエル 2:1,32; 3:16,18; 2:13。
[脚注]
a 1956年,第6巻,733ページ。
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聖書の30番目の書 ― アモス書『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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聖書の30番目の書 ― アモス書
筆者: アモス
書かれた場所: ユダ
書き終えられた年代: 西暦前804年ごろ
1 アモスとはどんな人でしたか。
預言者ではなく,預言者の子でもなく,羊を飼う者であり,エジプトいちじくの実をはさむ者 ― エホバが召して,ご自分の国民であるユダだけでなく,特に北のイスラエル王国に対して預言を行なわせるために派遣した時,アモスはこのような人でした。彼は列王第二 17章13節,22節,および23節で言及されている預言者たちの一人です。彼はユダのテコアの出身です。テコアはエルサレムの南16㌔ほどで,イスラエルの10部族王国の南の境界からはほぼ1日の道のりのところにあります。―アモス 1:1; 7:14,15。
2 アモスの預言が行なわれた時期をどのように決定できますか。
2 その預言の初めの節は,アモスが預言者としての生涯を歩み始めたのがユダの王ウジヤ,そしてヨアシュの子である,イスラエルの王ヤラベアム2世の時代で,特別に注目された地震の2年前であったことを述べています。これは,その預言が西暦前829年から804年ごろまでの26年の期間内に行なわれたことを示しています。これら二人の王の治世が重なっているのはその期間であるからです。預言者ゼカリヤは,ウジヤの時代に破壊的な地震があって,その際に人々が恐れて逃げたことを述べています。(ゼカリヤ 14:5)ユダヤ人の歴史家ヨセフスは,ウジヤがせん越にも神殿の中で香をささげようとした時に地震が起きたと述べています。しかし,アモスの言及した地震が起きたのはウジヤの治世の初めごろだったようです。
3 (イ)災いの到来に関するアモスの音信はなぜ時にかなったものでしたか。(ロ)アモスはエホバの主権をどのように大いなるものとしましたか。
3 アモスという名には,「荷である」もしくは「荷を運んでいる」という意味があります。彼は災いの重荷を伴う音信をイスラエルとユダに(また,数多くの異教の国々にも)伝えましたが,同時に,エホバの民の回復に関する慰めの音信をも伝えました。イスラエルで災いの重荷をふれ告げるべき理由はことごとくそろっていました。繁栄,そしてぜいたくな生活と放縦は日常の事柄となっていました。民はエホバの律法を忘れていました。その表向きの繁栄が,彼らを盲目にならせて,彼らが熟しすぎた果物のようにすでに滅びに至る腐敗の過程にあるという事実を見落とさせていました。アモスは,わずか数年のうちにその10部族王国がダマスカスのかなたに流刑にされるであろう,ということを預言しました。そのさい彼は,エホバの義と主権を大いなるものとし,この方のことを,「主権者なる主」と呼んで21回も言及しています。―アモス 1:8。
4 どんな預言の成就はアモス書の信ぴょう性を証ししていますか。
4 この預言や他の預言の成就はアモス書の信ぴょう性を証明しています。預言者アモスはまた,シリア人,フィリスティア人,ティルス人,エドム人,アンモン人,モアブ人など,イスラエル周辺の敵対する諸国民がすべて滅びの火によってむさぼり食われることをも予告しました。これら敵のとりでがやがてことごとく打ち砕かれたことは歴史の事実です。ユダとイスラエルの歩み方はそれ以上にとがめられるべきものでした。なぜなら,彼らは偽りの崇拝を行なおうとしてエホバから離れたからです。防備の施された都市としてイスラエルの最後のとりでとなったサマリアは,シャルマネセル5世の率いるアッシリア軍による攻囲を受けて西暦前740年に陥落しました。(列王第二 17:1-6)ユダは自分と姉妹関係にあったその国民に起きた事柄から学ばなかったので,西暦前607年に滅ぼされました。
5 考古学はアモス書の記録をどのように確証していますか。
5 アモスは,そのぜいたくな生活のゆえにイスラエルを非としました。富裕な人々は貧しい人々からだまし取って,自分たちの「象牙の家」を建て,その中で豪勢な酒食にふけっていたからです。(アモス 3:15; 5:11,12; 6:4-7)考古学者はこのような繁栄の証拠となるものを掘り出しました。発掘されたサマリアの遺跡で,数多くの象牙の品が見つかりました。「聖地の考古学的発掘調査百科事典」はこう述べています。「次のような二つの主要なグループを見分けることができる。1. 高浮き彫りの飾り板…… 2. 宝石,色ガラス,金ぱくその他の挿入物で装飾を施された浅浮き彫りの飾り板。……象牙のものはフェニキア人の工芸品と考えられており,多分,イスラエル人の王たちの宮殿の家具の象眼細工として使われたと思われる。聖書はアハブの建てた『象牙の家』(列王第一 22:39)やアモスの戒めの言葉の中に出てくる,サマリアにおけるぜいたくな生活を象徴する『象牙の寝床』に言及している(6:4)」。a
6 アモス書の信ぴょう性をさらに決定的に示すものは何ですか。
6 アモス書が聖書正典の一部であることに疑問はありません。その信ぴょう性をさらに決定的に示すのは,ステファノがその三つの節を使徒 7章42節と43節で言い換えていること,またヤコブが使徒 15章15節から18節でアモス書を引用していることです。―アモス 5:25-27; 9:11,12。
アモス書の内容
7 アモスはどんな国々に対するエホバの裁きについて警告しますか。
7 諸国民に対する裁き(1:1-2:3)。『エホバはシオンからとどろかれる』。(1:2)次いでアモスはエホバの火のような裁きに関して諸国民に警告します。ダマスカス(シリア)は鉄の脱穀機でギレアデを踏み砕きました。ガザ(フィリスティア)とティルスはイスラエルの捕らわれ人たちをエドムに引き渡しました。エドムも憐れみと兄弟愛とが欠けていました。アンモンはギレアデを侵しました。モアブは石灰を取るためにエドムの王の骨を焼きました。エホバのみ手はこれらすべての国民に敵しており,「わたしはそれを翻さない」と言われます。―1:3,6,8,9,11,13; 2:1。
8 エホバからの裁きはなぜユダとイスラエルに対しても警告としてふれ告げられますか。
8 ユダとイスラエルに対する裁き(2:4-16)。エホバはユダに対するご自分の怒りを翻されることもありません。彼らは「エホバの律法を退け」て違犯をおかしたからです。(2:4)そしてイスラエルはどうでしょうか。エホバはイスラエルのために強敵のアモリ人を滅ぼし尽くして,イスラエルに良い土地を与えました。そして,ナジル人や預言者たちを彼らの中に起こされましたが,彼らはナジル人には誓約を破らせ,預言者たちには,「あなた方は預言してはならない」と命じました。(2:12)それゆえエホバは,彼らの土台を,刈り取った穀物をいっぱいに積んだ荷車のように揺るがすのです。彼らの力ある者たちも裸で逃げることになるでしょう。
9 エホバが語られたことを何が証明していますか。アモスは特にだれに対して預言しますか。
9 イスラエルは言い開きを求められる(3:1-6:14)。アモスは印象的な例えを使うことによって,自分が預言しているという事実はそれ自体エホバが話された証拠であるということを強調します。「主権者なる主エホバは,内密の事柄を自分の僕である預言者たちに啓示してからでなければ何一つ事を行なわないのである。……主権者なる主エホバが語った! だれが預言しないであろうか」。(3:7,8)アモスは特にサマリアに住んで,ぜいたくを愛していた奪略者たちに対してまさしく預言します。エホバは彼らをその華やかな寝いすから引き離し,彼らの象牙の家は滅びうせます。
10 エホバはイスラエルに何について思い起こさせますか。どんな災いの日がやがて到来しますか。
10 エホバはイスラエルに加えた懲らしめと矯正とを列挙されます。エホバは5度にわたって彼らにこう思い起こさせます。「あなた方はわたしのもとに戻らなかった」。そのために,イスラエルよ,「あなたは,自分の神に会う用意をせよ」。(4:6-12)アモスは預言的な意味を持つ哀歌を口にします。「処女のイスラエルは倒れた。再び立ち上がることはできない。彼女は自らの地に打ち捨てられた。これを起き上がらせる者はいない」。(5:2)しかし,天と地のすばらしい事物の造り手であられるエホバは,エホバを捜し求めて生きつづけるようにと,イスラエルに呼びかけを続けます。そうです,「悪ではなく,善を捜し求めよ。あなた方が生きつづけるためである」。(5:4,6,14)しかし,エホバの日は彼らにとって何を意味するでしょうか。それは災いの日となるでしょう。それはさながら奔流のように彼らをダマスカスのかなたに運び去って流刑にし,彼らのだらしのない宴会のための象牙で飾られた家々はがれきの山と化するでしょう。
11 どんな権威に基づいてアモスはイスラエルに対する預言をなおも続けますか。
11 アモスは反対に面しながらも預言する(7:1-17)。エホバはご自分の預言者に,イスラエルのただ中に置かれた下げ振りを見させます。もはや容赦されません。エホバはイスラエルの聖なる所を荒れ廃れさせ,剣を持ってヤラベアム2世の家に立ち向かわれます。ベテルの祭司アマジヤはヤラベアムに使いを送って,『アモスはあなたに対する陰謀をたくらみました』と言わせます。(7:10)アマジヤは,ユダに行ってその預言の業を行なうようにとアモスに命じます。アモスは自分にゆだねられた権威について明らかにして,こう述べます。「エホバは羊の群れを追うことから離れさせてわたしを連れて来られた。そしてエホバは,『行って,わたしの民イスラエルに預言せよ』と言われた」。(7:15)次いでアモスはアマジヤとその家の者たちに臨む災いについて予告します。
12 イスラエルに対してどんな飢きんが予告されますか。しかし,どんな栄光ある約束をもってその預言は終わっていますか。
12 虐げ,処罰,および回復(8:1-9:15)。エホバは夏の果実を入れたかごをアモスに見させます。エホバは,貧しい者たちに対する圧迫のゆえにイスラエルをとがめ,彼らがそのよこしまな業のゆえに嘆かねばならなくなることを,「ヤコブの優越性にかけて」誓われます。「『見よ,その日が来る』と,主権者なる主エホバはお告げになる。『そしてわたしはその地に飢きんを送り込む。パンの飢きんではない。水の渇きでもない。エホバの言葉を聞くことの飢きんである』」。(8:7,11)彼らは倒れて,もはや起き上がらないでしょう。シェオルに掘り下り,あるいは天によじ登ろうとも,エホバご自身の手が彼らを捕らえます。その民の罪人たちは剣によって死ぬことになるでしょう。次いで,栄光ある約束が与えられます!「その日,わたしは倒れているダビデの仮小屋を起こし,その破れを必ず修復する。……必ずそれを築き上げて昔の日のようにする」。(9:11)再び集められた捕らわれ人たちは非常に栄えるようになって,収穫する者がその豊かな作物の取り入れを終わらないうちに,すき返す者がこれに追いつくまでになるのです。エホバからのこうした祝福は永久に続きます!
なぜ有益か
13 今日のわたしたちはアモスの警告からどのように益を受けることができますか。
13 今日,聖書を読む人々は,アモスがその預言の中でイスラエル,ユダ,および近隣の諸国民に警告をふれ告げた理由に注目することによって益を得られます。エホバの律法を退ける者,貧しい人々からだまし取ったり,そのような人々を虐げたりする者,また貪欲で,不道徳で,偶像礼拝を行なう者はエホバの是認を得ることがありません。しかし,エホバはそのような事柄から離れて悔い改める人々を許し,憐れみを示されます。このよこしまな世の腐敗的な交わりから離れて,「わたしを捜し求めて生きつづけよ」というエホバの訓戒に注意を向けるのは賢明なことです。―5:4,6,14。
14 ステファノの時代のユダヤ人はアモスの諭しから益を受けましたか。
14 ステファノは殉教の死を遂げる際,アモス書を引き合いに出しました。モロクやレファンなど異国の神々のかかわる偶像礼拝のためにイスラエルが捕囚の身となったことを,彼はユダヤ人たちに思い起こさせました。それらのユダヤ人はアモスの言葉が繰り返されるのを聞いて益を受けましたか。そうではありませんでした。彼らは激怒して,ステファノを石打ちにして殺し,こうして自らを,西暦70年のエルサレムの滅びの際に一層の災いを受けるべき者としました。―アモス 5:25-27。使徒 7:42,43。
15 回復に関するどんな預言について考えるのは有益ですか。
15 アモス書の多くの預言の成就について考えるのは有益です。その預言の中にはイスラエルとユダ,および他の諸国民に対する処罰という形で成就した預言だけでなく,回復に関する預言もあります。アモスを通して語られたエホバの言葉のとおり,捕囚となっていたイスラエル人は西暦前537年に帰還し,荒廃していた自分たちの都市を再建してそこに住み,自分たちのぶどう園や園を設けました。―アモス 9:14。エズラ 3:1。
16 ヤコブはアモス 9章11,12節がクリスチャン会衆に関連して成就したことをどのように示しましたか。
16 とはいえ,使徒たちの時代にも,アモスの預言の励みに満ちる,栄光ある成就がありました。非イスラエル人をクリスチャン会衆に集め入れることに関し,ヤコブは,それがアモス 9章11節と12節の預言の中に記されていたことを霊感のもとに明らかにしました。「倒れたダビデの仮小屋を建て直す」ことがクリスチャン会衆に関連して成就した,ということを彼は示しました。『それは,残っている人たちが,すべての国の民,わたしの名によって呼ばれる民と共に,切にエホバを求めるためであるとエホバは言われます』。シモン・ペテロの語った新しい時代,すなわち神が今や「ご自分のみ名のための民」を諸国民の中からも集めておられることの聖書的な裏付けが,まさしくそこにあったのです。―使徒 15:13-19。
17 アモスは神の王国の繁栄と永続性に関してどのように予告していますか。
17 このクリスチャン会衆の頭であるイエス・キリストは,他の箇所で,「その父ダビデの座」を受け継いで永遠に支配する,「ダビデの子」であられることが明らかにされています。(ルカ 1:32,33; 3:31)こうしてアモスの預言は,ダビデに対する王国のための契約の成就を指し示しています。アモス書の結びの言葉は,「ダビデの仮小屋」を起こす時のあふれるばかりの繁栄に関する驚くべき幻を述べているだけでなく,神の王国の永続性をも強調しています。「『そしてわたしは彼らを必ずその土地に植え,彼らはわたしが与えたその土地からもはや抜き取られることはない』と,あなたの神エホバは言われた」。エホバが「ダビデの仮小屋」を余すところなく回復される時,地には永遠の祝福がみなぎりあふれるでしょう。―アモス 9:13-15。
[脚注]
a 1978年,エルサレム,1046ページ。
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聖書の31番目の書 ― オバデヤ書『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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聖書の31番目の書 ― オバデヤ書
筆者: オバデヤ
書き終えられた年代: 西暦前607年ごろ
1 音信を伝えた使者より,音信そのもののほうが大切であることを何が示していますか。
ヘブライ語聖書の中で一番短い書であるオバデヤ書は,そのわずか21節の中で,一国民の終えんをもたらした,神からの裁きについてふれ告げると共に,神の王国の最終的な勝利を予告しています。その導入の言葉は単に「オバデヤの幻」となっています。オバデヤがいつごろ,どこで生まれたか,どの部族の人か,どんな生涯を送った人かなどについては少しも語られていません。明らかに,その預言をしたのがどういう人であるかということは重要な点ではありません。大切なのはその音信であり,それは当然のことです。なぜなら,オバデヤ自身が言明したとおり,それは『エホバからの知らせ』であるからです。
2 オバデヤの預言はどこの国に焦点を当てていますか。その地の住民はどんなことのために安心しきっていましたか。
2 その知らせはエドムに主な注意を向けています。アラバに沿って死海から南に伸びるエドムの地はセイル山としても知られていて,高大な山々と深く切れ込んだ峡谷のある,起伏の多い地域です。アラバの東の連山は,所によっては標高1,700㍍に達します。テマン地方はそこに住む人々の知恵と勇気のゆえに広く知られていました。エドムの地は天然の要害に恵まれており,地理的条件そのものがそこの住民に安心感と誇りとを与えていました。a
3 エドム人はイスラエルの兄弟として行動しましたか。
3 エドム人はヤコブの兄弟エサウの子孫でした。ヤコブは名をイスラエルと改められたので,エドム人はイスラエル人と非常に近い関係にありました。そのような近い関係のために,彼らは「兄弟」とみなされていました。(申命記 23:7)それでもエドムの行動はおよそ兄弟らしいものではありませんでした。イスラエル人が約束の地に入る少し前,モーセはエドムの王に使いを送って,その地を平和裏に通過する許しを願い求めましたが,エドム人は敵意を示してその願いを冷たく退け,武力を誇示して拒否の姿勢をさらに表明しました。(民数記 20:14-21)彼らはダビデによって従えられましたが,その後エホシャファトの時代にアンモンやモアブと組んでユダに逆らい,エホシャファトの子であったエホラム王に反抗しました。ガザやティルスからはイスラエル人の捕らわれ人たちを引き取り,アハズ王の時代にもユダを攻めてさらに多くの人々をとりこにしました。―歴代第二 20:1,2,22,23。列王第二 8:20-22。アモス 1:6,9。歴代第二 28:17。
4 (イ)どんな卑劣な行動がエドムに対するオバデヤの糾弾の根拠になっていると思われますか。(ロ)どんな証拠から,この書の書かれた最も妥当な年代として西暦前607年が挙げられますか。
4 この敵意は,エルサレムがバビロニアの大軍によって荒廃させられた西暦前607年にその頂点に達しました。エドム人はそれをよしとして見守っていただけでなく,その荒廃を徹底させるようにと征服者たちを促しました。「それをさらけ出せ。その中の基までもさらけ出せ」と彼らは叫びました。(詩編 137:7)戦利品に関してくじが投げられた時にも,彼らはその分捕り物を分け合う者たちの中に入っていました。そして,逃れて来たユダヤ人がその地から出ようとした時,彼らはその道をふさいで,それらの人々を敵の手に引き渡しました。エルサレムの滅亡の時のこうした暴虐が,オバデヤの記録した糾弾の根拠となっているに違いありません。そして,エドムの卑劣な行為がまだ記憶に生々しかった時代にそれは書かれたものと思われます。(オバデヤ 11,14)エルサレムの滅亡後5年以内にエドムそのものもネブカドネザルによって攻略され,略奪に遭ったと考えられますから,この書はその時よりも前に書かれたに違いありません。最も妥当な年代として挙げられるのは,西暦前607年です。
5 (イ)オバデヤの記録は信ぴょう性があり,真実なものであることを何が証明していますか。(ロ)オバデヤは真の預言者としての要求をどのように満たしていましたか。彼の名前はなぜ適切なものと言えますか。
5 エドムに対するオバデヤの預言は,そのすべてが成就しました。その預言は最高潮の部分で,こう述べています。「エサウは刈り株となるのである。それを燃え立たせ,むさぼり食うのである。こうしてエサウの家には生き残る者がいなくなる。エホバ自らこれを語った」。(18節)エドムは剣によって生き,剣によって死にました。その後の子孫をたどる手がかりは何も残っていません。こうして,その記録は信ぴょう性が高く真実なものであることが証明されています。オバデヤは真の預言者としての資格証明をことごとく備えていました。彼はエホバの名において語り,その預言はエホバに誉れを帰し,その後の歴史に実証されるとおり,それは真実となったからです。彼の名には,適切にも,「エホバの僕」という意味があります。
オバデヤ書の内容
6 エホバはエドムについてどのように語られますか。エホバはエドムをどこから引き下ろされますか。
6 エドムに対する裁き(1-16節)。オバデヤはエホバの命令にしたがって,自分の見た幻について知らせます。諸国民はエドムに対する戦いに加わるようにと招かれます。「あなた方は立ち上がれ。彼女に対する戦闘に立ち上がろう」と,神はお命じになります。次いで,エドムそのものに言葉を向けて,エドムの地位を評価されます。エドムは諸国民の中にあってごく小さな存在であり,さげすまれているにもかかわらず,せん越な態度を取っています。エドムはそびえ立つ大岩の間に宿り場を設けて安心し,何者も自分を引き下ろすことはできないと確信しています。それでもエホバは宣言されます。たとえその住まいが鷲の巣のように高く,星の間にその巣を設けようとも,エホバはそこからエドムを引き下ろすであろう,と。エドムは当然の処罰を受けなければなりません。―1節。
7 エドムはどの程度まで奪略に遭いますか。
7 エドムにはどんなことが生じるのでしょうか。盗人がエドムに奪略を働くとすれば,盗人たちは自分の望むものだけを持ち去ることでしょう。ぶどうの取り入れをする者たちでさえ,多少の採り残しを残すはずです。ところが,エサウの子らの前途にあるのは,それよりひどい事なのです。彼らの宝は洗いざらい取り去られるでしょう。同盟者であった者たちさえエドムに立ち向かうでしょう。その近しい友であった者たちも,識別力を持たない者のようにしてエドムを網で捕らえるでしょう。知恵をもって知られたエドムの人々,また勇猛をもって知られた戦士たちも,その災いの時には何の助けにもなりません。
8 なぜエドムの処罰はそれほど厳しいものとなるのですか。
8 しかし,なぜこのように厳しい処罰が下されるのでしょうか。それは,エドムの子らがヤコブの子ら,すなわちその兄弟たちに加えた暴虐のゆえです。彼らはエルサレムの陥落を歓び,侵入者たちと共になってその分捕り物を分かつことにさえ加わりました。オバデヤは,さながらその下劣な行為を目撃しているかのように強力な糾弾のことばを浴びせ,エドムにこう告げます。あなたは自分の兄弟の苦難を見て歓ぶべきではない。逃れて来る者たちの道を妨げたり,これを敵の手に引き渡したりすべきではない。エホバが清算をされる日は近く,あなたは言い開きを求められるであろう。あなたがしたとおりにあなたに対してなされるであろう。
9 どんな回復が予告されていますか。
9 ヤコブの家の回復(17-21節)。それと対照的に,ヤコブの家のためには必ず回復の時があります。人々はシオンの山に戻って来るでしょう。火が刈り株をむさぼり食うかのように,彼らはエサウの家をむさぼり食うでしょう。彼らは南方の地ネゲブ,それにエサウの山地やシェフェラを取得するでしょう。北は,エフライムとサマリアの地,そしてザレパテまでの地域を所有することになるでしょう。東は,ギレアデの領地を得るでしょう。誇り高いエドムはいなくなり,ヤコブは必ず回復します。そして,「王権はエホバのものとされなければならない」のです。―21節。
なぜ有益か
10 他のどんな預言もエドムの滅びについて予告していましたか。オバデヤ書と共にそれらについても考えるのはなぜ有益ですか。
10 エドムに対するこの裁きの音信が確かに成就することの証しとして,エホバはご自分の他の預言者たちを通して類似の宣告をされました。中でも顕著なものは,ヨエル 3章19節,アモス 1章11節と12節,イザヤ 34章5節から7節,エレミヤ 49章7節から22節,エゼキエル 25章12節から14節,35章2節から15節などに記録されていることばです。早い時期の宣告は明らかに,過去になされた敵対行為に言及していますが,後代に語られたものは明らかに,オバデヤの言及した,バビロニア人がエルサレムを攻略した際の,エドムの許し難い行為に対する告発となっています。予告された災いがいかにエドムにそのとおり臨んだかを調べるなら,エホバの預言の力に対する信仰が強められるでしょう。さらにそれは,エホバがご自分の明示した目的を常に果たされる神である,という確信を抱かせるものとなるでしょう。―イザヤ 46:9-11。
11,12 (イ)エドムと「平和に過ごしていた」者たちがどのようにこれを打ち負かしましたか。(ロ)どのような段階を経てエドムは「定めのない時に至るまで切り断たれ」ましたか。
11 エドムと「契約を結んでいた者たち」,エドムと「平和に過ごしていた」者たちがこれを打ち負かすことを,オバデヤは予告していました。(オバデヤ 7)エドムとバビロンとの平和な関係は長くは続きませんでした。西暦前6世紀中,ナボニドス王の率いるバビロニアの軍隊がエドムを征服しました。b しかし,ナボニドスがその地を侵略してから1世紀後,自信にあふれたエドムはなおも勢力の回復を希望していました。その点に関してマラキ 1章4節はこのように伝えています。「『我々は打ち砕かれたが,それでも立ち直って,荒れ廃れた場所を建て直す』とエドムが言いつづけているゆえに,万軍のエホバはこのように言われた。『彼らは建てるであろう。しかしわたしはそれを打ち崩す』」。復興を目指すエドムの努力にもかかわらず,西暦前4世紀までにナバテア人がその地にすっかり定着していました。その地から押し出されたエドム人はユダヤの南部に住みつきました。そこはイドマヤと呼ばれるようになりました。彼らはセイルの地を再度征服することはできませんでした。
12 ヨセフスによれば,西暦前2世紀に,その地に残っていたエドム人はユダヤ人の王ヨハネ・ヒルカノス1世に征圧され,割礼を強制され,やがてユダヤ人の統治者が治めるユダヤの領域下に吸収されました。エルサレムがローマ人により西暦70年に滅ぼされた後,彼らの名前は歴史から消えました。c オバデヤが予告していたとおりになりました。「あなたは定めのない時に至るまで切り断たれることになる。……こうしてエサウの家には生き残る者がいなくなる」― オバデヤ 10,18。
13 エドム人とは対照的にユダヤ人はどうなりましたか。
13 エドムの荒廃とは対照的に,ユダヤ人は西暦前537年,総督ゼルバベルのもとに自分たちの郷土に復帰し,エルサレムに神殿を再建し,その地にしっかりと定着しました。
14 (イ)エドムの末路にどんな警告を見いだすことができますか。(ロ)すべての人は,オバデヤと同じようにどんなことを認めるべきですか。それはなぜですか。
14 誇りとせん越さは災いに至るということが,何と明らかに示されているではありませんか。高慢な態度で自分を高め,神の僕たちに臨む苦難に残酷な目でほくそえむ者は皆,エドムの末路から警告を受けるべきです。その者たちは,オバデヤと同じように,「王権はエホバのものとされなければならない」ことを認めるべきです。エホバとその民に対して戦う者は定めのない時に至るまで完全に切り断たれるでしょう。しかし,エホバの壮大な王国と,とこしえの王権とは,その正当性を立証されて永久に続くのです。―21節。
[脚注]
a 「聖書に対する洞察」(英文),第1巻,679ページ。
b 「聖書に対する洞察」(英文),第1巻,682ページ。
c 「ユダヤ古代誌」(英文),XIII,257,258(ix,1); XV,253,254(vii,9)。
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聖書の32番目の書 ― ヨナ書『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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聖書の32番目の書 ― ヨナ書
筆者: ヨナ
書き終えられた年代: 西暦前844年ごろ
1 ヨナ書の中にどんな問いの答えがありますか。それはエホバの憐れみに関して何を示していますか。
ヨナ ― それは西暦前9世紀に外国への宣教者となった人です。ヨナはエホバから受けた自分の割り当てをどのようにみなしたでしょうか。それは彼にとってどんな新しい経験となったでしょうか。彼が割り当てを受けた土地の人々は良い反応を示しましたか。彼の伝道はどれほど成功しましたか。ヨナ書の極めて劇的な記録は,これらの問いに答えています。エホバの選ばれた国民がエホバとの契約を破り,異教の偶像礼拝に陥っていた時代に書かれたこの預言的記録は,神の憐れみが,イスラエルをも含め,決して一つの国民に限定されてはいないことを示しています。さらにその記録は,不完全な人間にしばしば見られる憐れみや辛抱や信仰の欠如とは対照的な,エホバの大いなる憐れみと愛ある親切とをたたえています。
2 ヨナに関して,またいつごろ彼が預言したかに関してどんなことが知られていますか。
2 ヨナ(ヘブライ語,ヨーナー)という名には,「はと」という意味があります。ヨナは,ゼブルンの領地のガリラヤのガト・ヘフェルの預言者アミタイの子でした。列王第二 14章23節から25節には,イスラエルの王ヤラベアムがヨナを通してエホバの語られた言葉のとおりその国の境界を拡張したことが記されています。これは,ヨナの預言の業が西暦前844年ごろに行なわれたことを示しています。それはイスラエルのヤラベアム2世が王位についた年であり,ニネベを都とするアッシリアがイスラエルを支配するようになるよりもずっと前のことです。
3 ヨナ書の記述が信ぴょう性の高いものであることを何が証明していますか。
3 ヨナ書の記述全体は信ぴょう性の高いものであることに疑問の余地はありません。『わたしたちの信仰の完成者であるイエス』はヨナを実在の人物として述べ,ヨナ書に記録される預言的な出来事二つについて霊感による解釈を加え,こうしてその書に真の預言が収められていることを示されました。(ヘブライ 12:2。マタイ 12:39-41; 16:4。ルカ 11:29-32)ヨナ書は常にユダヤ人によってその正典の中に数えられてきましたし,また史実に基づくものともみなされています。ヨナが自分の過ちや弱さを少しも隠そうとすることなく,それを率直に描写していることも,その記録が真正なものであるしるしとなっています。
4 ヨナを呑み込んだ魚としてどんなものが考えられますか。しかし,わたしたちのための情報としてはどのようなことだけで十分ですか。
4 ヨナを呑み込んだ「大魚」についてはどうでしょうか。それがどのような魚であったかについてはかなりの憶測がなされてきました。一人の人間をまるごと呑み込むことは,マッコウクジラなら十分行なえます。ホオジロザメもそうすることができます。もっとも,聖書はただ,「エホバは大魚に任じてヨナを呑み込ませた」とだけ述べています。(ヨナ 1:17)その魚の種類は明示されていません。それがマッコウクジラかホオジロザメか,それとも未確認のほかの何らかの海洋生物かどうかは確定できません。a それが「大魚」であったという聖書の記録は,わたしたちのための情報として十分です。
ヨナ書の内容
5 ヨナは自分の受けた割り当てに対してどのように反応しますか。それはどんな結果になりますか。
5 ヨナはニネベへの割り当てを受けるが,逃げて行く(1:1-16)。「そして,エホバの言葉がアミタイの子ヨナに臨むようになって,こう言った。『立って,大いなる都市ニネベに行き,彼らの悪がわたしの前に達したことをふれ告げよ』」。(1:1,2)ヨナはこの割り当てに喜びを感じますか。少しも感じません。彼は反対の方向へ逃げて行き,多分,スペインと同一視されるタルシシュへ行く船に乗ります。ヨナの船は大あらしに巻き込まれます。船員たちは恐れて,「各々自分の神に」助けを呼び求めますが,ヨナのほうは船倉の中で眠ってしまいます。(1:5)ヨナを起こした後,船員たちはだれがその窮状に責任があるのかを知ろうとしてくじを引きます。そのくじはヨナに当たります。この時になってヨナは,自分がヘブライ人で,エホバの崇拝者であり,自分の神から与えられた仕事を避けて逃げて行くところである,ということを彼らに知らせます。ヨナは,自分を海の中へ投げ込むようにと彼らに勧めます。何とか船を救おうとさらに努力を重ねた後,彼らはついにヨナを甲板から投げ落とします。すると荒れ狂っていた海が静まります。
6 「大魚」に関してヨナはどんな経験をしますか。
6 「大魚」に呑み込まれる(1:17-2:10)。「一方エホバは大魚に任じてヨナを呑み込ませた。そのためヨナはその魚の内部に三日三晩いることになった」。(1:17)ヨナは魚の体内からエホバに熱烈な祈りをささげます。彼は「シェオルの腹の中から」助けを叫び求め,自分が誓約した事柄は果たす,と言明します。「救いはエホバのもの」だからです。(2:2,9)エホバの命令によって,その大魚はヨナを陸地に吐き出します。
7 ニネベでのヨナの伝道はどれほど効果を上げますか。
7 ニネベで伝道する(3:1-4:11)。エホバはヨナに対する命令を再度語られます。もはやヨナは自分の割り当てを避けようとはせず,ニネベに向かいます。そこにおいて彼は市街を進んで,こう叫びます。「あとわずか四十日でニネベは覆される」。(3:4)彼の伝道は効果的です。悔い改めの波がニネベ全体に及び,その民は神に信仰を置くようになります。王は,人も獣も断食をし,粗布を身にまとうように,と告げます。エホバは憐れみによってその都市の滅びを免れさせます。
8 エホバがその都市に憐れみを表明されたことに対してヨナはどんな反応を示しますか。エホバはこの預言者の考え方の矛盾をどのように示されますか。
8 ヨナはこのことに我慢できません。彼は,エホバが憐れみを示されることをずっと知っていた,だから自分はタルシシュに逃げたのです,とエホバに言います。彼は,むしろ死んだほうがましだと考えます。すっかりふさぎ込んだヨナはその市の東側に宿営を張り,何が起きるかを見ようとします。エホバは1本のひょうたんに任じて,この不きげんな預言者のための日よけとして生えさせます。ヨナはそれを見て歓びますが,その歓びは長く続きません。翌朝,エホバは1匹の虫に任じて,その植物を打たせ,そのため慰めとなっていたその日よけはなくなって,ヨナは焼けつくような東風と照りつける太陽とにさらされます。再びヨナは,できるものなら死んでしまいたいと考えます。彼は独善的な態度で自分の怒りを正当化します。エホバは彼の考えの矛盾を指摘されます。ヨナは1本のひょうたんを惜しんでいる一方で,エホバが今,大いなる都市ニネベを惜しまれたことについて怒りを抱いているからです。
なぜ有益か
9 ヨナのどんな態度と歩みはわたしたちに対する警告となりますか。
9 ヨナの行動とその結末はわたしたちに対する警告となるはずです。彼は神から与えられた仕事から逃げました。彼はその仕事を手がけ,神が支えてくださることを信頼するべきでした。(ヨナ 1:3。ルカ 9:62。箴言 14:26。イザヤ 6:8)彼は間違った方向に出かけた時,消極的な態度を示して,自分が「天の神エホバ」の崇拝者であることを船乗りたちにはっきり告げませんでした。彼は大胆さを失っていました。(ヨナ 1:7-9。エフェソス 6:19,20)ヨナは自己中心的な見方をするあまり,ニネベに対するエホバの憐れみを自分に対する侮辱と考えるようになりました。彼は,このような結末になることを初めから知っていました,それなのになぜ自分を預言者として遣わされたのですか,とエホバに述べて,自分の体面を保とうとしました。彼はこの敬意の欠けた,不平がましい態度を戒められました。わたしたちは彼の経験から教訓を得,エホバが示される憐れみやエホバの物事の進め方についてとがめ立てすることのないようにすべきです。―ヨナ 4:1-4,7-9。フィリピ 2:13,14。コリント第一 10:10。
10 エホバの愛ある親切と憐れみはヨナ書の中でどのように例証されていますか。
10 ヨナ書の中でとりわけ際立っているのは,エホバの愛ある親切と憐れみという崇高な特質です。エホバはご自分の預言者を遣わして差し迫った滅びについて警告させ,こうしてニネベに愛ある親切を示されました。そして,その都市が悔い改めた時には進んで憐れみを示されました ― その憐れみによって,ニネベは西暦前632年ごろメディア人とバビロニア人によって滅ぼされるまで200年以上も存在しつづけることができたのです。エホバはあらしに荒れる海から救い出すことによって,また1本のひょうたんを備えて「そのつらい状態から救(われた)」ことによって,ヨナに対しても憐れみを示されました。エホバは覆いとなるそのひょうたんを備え,次いでそれを取り去ることによって,ご自分の望みのままに憐れみと愛ある親切を示されることをヨナに悟らせました。―ヨナ 1:2; 3:2-4,10; 2:10; 4:6,10,11。
11 「ヨナのしるし」とは何ですか。
11 マタイ 12章38節から41節で,イエスは宗教指導者たちに対して,彼らに与えられる唯一のしるしは「ヨナのしるし」であるとお告げになりました。ヨナは三日三晩,「シェオルの腹」の中にいた後,行って,ニネベの人々に宣べ伝え,そうすることによって,ニネベの人々に対する「しるし」となりました。(ヨナ 1:17; 2:2; 3:1-4)同様に,イエスはあしかけ三日,墓の中で過ごし,復活させられました。弟子たちがその出来事に関する証拠を明らかにしたとき,イエスは当時の世代の人々に対するしるしとなられました。ユダヤ人の計時方法とイエスの事例で成就した諸事実によれば,この「三日三晩」という期間は,まる三日以下の期間とみなせます。b
12 (イ)イエスはニネベ人と当時の世代のユダヤ人に関してさらに何と言われましたか。(ロ)「ヨナ以上のもの」はどのように登場しましたか。それはエホバの王国や救いとどんな関係がありますか。
12 マタイのこの同じ箇所でイエスはご自分の埋葬と復活を「預言者ヨナのしるし」と呼び,それが「邪悪な姦淫の世代」に与えられる唯一のしるしであると言われました。イエスはニネベの人々の悔い改めと,ご自分の宣教に際してユダヤ人が示した心のかたくなさや真っ向からの反発とを比較して,こう言われました。「ニネベの人々は裁きの際にこの世代と共に立ち上がり,この世代を罪に定めるでしょう。彼らはヨナの宣べ伝えることを聞いて悔い改めたからですが,見よ,ヨナ以上のものがここにいるのです」。(マタイ 16:4およびルカ 11:30,32もご覧ください。)「ヨナ以上のもの」― イエスはこの言葉で何を意味されたのでしょうか。イエスはご自分が最大の預言者,「あなた方は悔い改めなさい。天の王国は近づいたからです」と宣べ伝えるためにエホバによって遣わされた者であることを示しておられたのです。(マタイ 4:17)とはいえ,その世代のユダヤ人の大半は「ヨナのしるし」を退けました。今日の場合はどうですか。大半の人々はエホバの警告の音信に留意していませんが,世界中で何十万もの人々が,「人の子」イエスによって最初に宣べ伝えられた神の王国の良いたよりを聞く輝かしい機会を与えられています。これらの人々もまた,ヨナの宣べ伝える業によって祝福された,悔い改めたニネベ人のように,長く続く命のためのエホバの豊かな憐れみある備えにあずかることができます。確かに「救いはエホバのもの」だからです。―ヨナ 2:9。
[脚注]
a 「聖書に対する洞察」(英文),第2巻,99,100ページ。
b 「聖書に対する洞察」(英文),第1巻,593ページ。
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聖書の33番目の書 ― ミカ書『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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聖書の33番目の書 ― ミカ書
筆者: ミカ
書かれた場所: ユダ
書き終えられた年代: 西暦前717年以前
扱われている期間: 西暦前777年ごろ-717年
1 ミカはどのような人でしたか。
エホバへの忠実な奉仕に多年を費やしてきた円熟した人について考えてください。自分の国の支配者たちに,『善いことを憎んで悪を愛し,わたしの民の生肉を食らい,その皮をはいだ者たちよ』と告げることのできた,大胆な人について考えてください。同時にまた,自分の強力な言葉をすべてエホバの力によるものとし,エホバの霊によって語った謙遜な人について考えてください。そのような人と親しく接することができるなら,それはあなたにとって喜びではないでしょうか。そのような人であれば,豊かな情報や健全な助言を差し伸べることができるに違いありません。預言者ミカはそのような人でした。わたしたちは,彼の名の付された書を通して,その優れた助言に今でも接することができます。―ミカ 3:2,3,8。
2 ミカとその預言の時期に関してどんなことが知られていますか。
2 他の多くの預言者たちの場合と同様,ミカ書の中でも,その筆者についてはほとんど何も述べられていません。大切なのはその音信でした。ミカ(ヘブライ語,ミーカー)という名前は,ミカエル(「だれか神のようであろうか」の意),もしくはミカヤ(「だれかエホバのようであろうか」の意)の短縮形です。彼はヨタム,アハズ,およびヒゼキヤの治世中(西暦前777年-717年)に預言者として仕えました。つまり彼は,預言者イザヤやホセアと同時代の人であったことになります。(イザヤ 1:1。ホセア 1:1)彼が預言を行なった正確な期間ははっきりしませんが,それは多く見ても60年間です。サマリアの滅亡に関する彼の預言は,同市が西暦前740年に滅びるよりも前に語られたはずであり,全体を書き終えることは,ヒゼキヤの治世が終わった西暦前717年までになされていたはずです。(ミカ 1:1)ミカは,エルサレム南西の肥よくなシェフェラに位置するモレシェト村から来た田園出身の預言者でした。彼が田園の生活に通じていたということは,その述べる事柄の要点を明示するのにどんな例えを用いているかによく表われています。―2:12; 4:12,13; 6:15; 7:1,4,14。
3 どんな重要な時代にミカは奉仕しましたか。なぜエホバはミカを預言者として任命されましたか。
3 ミカは,危険であり,また重大な意味を持つ時代に生きていました。急速に展開してゆく出来事は,イスラエルとユダ両王国にとって滅びの予兆となっていました。道徳上の腐敗と偶像礼拝はイスラエルにおいてすでにその実を結び,その国民はアッシリアの手による滅亡を被りました。これは明らかにミカの生涯中の出来事であったと思われます。ユダは,ヨタムの治世には良いことを行なっていたものの,反逆的なアハズの治世には,イスラエルの悪をそのとおりまねて行なうようになり,次いでヒゼキヤの治世に再度の立ち直りを見せました。エホバはミカを起こして,ご自分がその民にもたらそうとしておられる事柄について強力な警告を行なわせたのです。ミカの預言はイザヤやホセアの預言を確証するものともなりました。―列王第二 15:32-20:21。歴代第二 27-32章。イザヤ 7:17。ホセア 8:8。コリント第二 13:1。
4 ミカ書の信ぴょう性を何が証明していますか。
4 ミカ書の信ぴょう性を示す証拠は豊富にあります。この書はユダヤ人により常にヘブライ語正典の一部として受け入れられてきました。エレミヤ 26章18節と19節は,「シオンはただの畑としてすき返され,エルサレムは全く廃虚の山とな(る)」というミカの言葉に直接言及しています。(ミカ 3:12)この預言は,バビロンの王がエルサレムを覆して「壊滅させ」た西暦前607年に正確に成就しました。(歴代第二 36:19)サマリアが「野の廃虚の山」となるという同様の預言もまた成就しました。(ミカ 1:6,7)サマリアは西暦前740年にアッシリア人によって破壊され,北のイスラエル王国の民は捕囚とされました。(列王第二 17:5,6)後に,サマリアは西暦前4世紀にアレクサンドロス大王によって征服され,西暦前2世紀にはヨハネ・ヒルカノス1世の率いるユダヤ人によって荒廃させられました。サマリアのこの最後の滅びについて,1970年版,「新ウェストミンスター聖書辞典」(英文)は822ページでこう述べています。「勝利者はそれを破壊しつくし,その丘の上に防備の施された都市がかつて存在していたことを示す形跡をことごとくぬぐい去ろうとした」。
5 考古学はミカの預言が成就したことをどのように証言していますか。
5 考古学上の証拠も,ミカの預言の成就を裏付ける発言を付け加えています。アッシリア人によりサマリアが滅ぼされたことは,アッシリアの年代記の中で言及されています。例えば,アッシリアの王サルゴンは,「わたしはサマリア(サメリナ)を攻囲して征服した」a と言って誇りました。しかし,実際にその征服を完了したのはサルゴンの後継者,シャルマネセル5世だったようです。あるバビロニア年代記はシャルマネセルに関して,「彼はサマリアを荒廃させた」b と述べています。ヒゼキヤの治世中にユダが受けた侵略についてもミカは予告していましたが,そのこともセナケリブの年代記の中によくとどめられています。(ミカ 1:6,9。列王第二 18:13)彼はニネベの自分の王宮の壁に大きな四面の浮き彫りを設けて,ラキシュ攻略の模様を描いています。また,自分のプリズム碑文の中でこう述べています。『わたしは彼の強固な都市46を攻囲した。……(その)中から20万150人を追い出した。……彼をわたしはその王都エルサレムに閉じ込めて,かごの中の鳥のようにした』。彼はまた,ヒゼキヤが納めた貢ぎ物を列挙しています。とはいえ,その量を誇張して述べており,自分の部隊が遭遇した災いについては一言も触れていません。c ―列王第二 18:14-16; 19:35。
6 ミカ書が霊感によるものであることを疑問の余地なく証明するものは何ですか。
6 この書が霊感を受けたものであることを疑問の余地なく証明する点として,メシアの誕生地を予告したミカ 5章2節の際立った預言があります。(マタイ 2:4-6)クリスチャン・ギリシャ語聖書中の陳述と並行関係にある章句もほかに幾つかあります。―ミカ 7:6,20。マタイ 10:35,36。ルカ 1:72,73。
7 ミカの表現力についてどんなことが言えますか。
7 ミカはユダの田園地方の出身であるとは言え,決して自分の考えを表現する能力の欠けた人ではありませんでした。神の言葉の中でも最も優れた表現の幾つかは,彼の書の中に見いだされるのです。第6章は印象的な対話形式で書かれています。ミカが一つの点から他の点へ,のろいから祝福へ,そしてまた再びのろいのことばへと速やかに移ってゆくにつれ,その素早い移行が読者の注意をとらえます。(ミカ 2:10,12; 3:1,12; 4:1)そこには生き生きした比喩が満ちあふれています。エホバが進み出られる時,「山々はその下で溶け,低地平原も引き裂かれることになる。ろうが火によるように,水が険しい所に注がれるときのように」と表現されています。―1:4。7:17もご覧ください。
8 ミカ書の三つの区分のそれぞれにどんなことが含まれていますか。
8 この書は三つの区分に分けることができ,各部分は,『聞け』という言葉で始まっていて,叱責と,処罰の警告と,祝福の約束とを含んでいます。
ミカ書の内容
9 サマリアとユダに対してどんな処罰が宣告されていますか。
9 第1区分(1:1-2:13)。エホバはサマリアをその偶像礼拝のゆえに処罰するため,ご自分の神殿から出て来られます。エホバはサマリアを「廃虚の山」とし,「その石を谷に注ぎ落とし」,その彫像を打ち砕かれます。サマリアはいやされることがありません。ユダもまた罪科を負っており,「エルサレムの門」に至るまで侵略を被るでしょう。有害な事柄をたくらむ者たちは非とされており,「わたしたちはまさしく奪い取られた!」と嘆くことでしょう。―1:6,12; 2:4。
10 エホバの憐れみにどのように焦点が合わせられていますか。
10 話題は急に変わって,エホバの憐れみに焦点が合わせられます。預言者はエホバのみ名においてこう宣言しています。『わたしは必ずヤコブを集める。わたしは彼らを,囲いの中の羊の群れのように,牧場の中央の畜群のように一つにならせる。そこは人でにぎわう』― 2:12。
11 (イ)次いでヤコブとイスラエルの支配者たちに対してどんな糾弾のことばが浴びせられていますか。(ロ)ミカは自分の勇気の源について何を認めていますか。
11 第2区分(3:1-5:15)。それから,ミカはこう続けます。「さあ,聞くように。ヤコブの頭たち,イスラエルの家の司令者たちよ」。かしゃくない糾弾のことばが,「善いことを憎んで悪を愛し」,民を抑圧する人々に浴びせられます。彼らは「その[民の]骨を打ち砕き」ました。(3:1-3)その中に含まれているのは,何ら真の導きを与えることなく,神の民をさまよわせている偽預言者たちです。この音信をふれ告げるためには,単なる人間的勇気以上のものが必要です。しかしミカは確信を抱いてこう述べます。「このわたしのほうは,エホバの霊のもとに力に満たされ,また公正と力強さとに満たされた。それは,ヤコブに対しその反抗について,イスラエルに対しその罪について告げるためであった」。(3:8)血の罪を負う支配者たちにあてられたミカの糾弾のことばはかしゃくなくその頂点に達します。「その頭たちはただわいろのために裁き,その祭司たちはただ代価のために教え,その預言者たちはただ金のために占いをする」。(3:11)したがって,シオンは畑のようにすき返され,エルサレムはただの廃虚の山となります。
12 「末の日」のためにどんなすばらしい預言が与えられていますか。
12 再度にわかな対照をなすものとして,預言は「末の日」のことに言及し,エホバの山におけるその崇拝の回復について壮大で感動的な描写をしています。(4:1)多くの国民が上って行ってエホバの道を学びます。エホバの律法と言葉はシオンから,またエルサレムから出るからです。彼らはもはや戦いを学ばず,各々自分のぶどうの木やいちじくの木の下に座ります。彼らは恐れを抱くことがありません。もろもろの民はそれぞれ自分たちの神に従うがよいでしょう。しかし,真の崇拝者たちはその神エホバの名によって歩み,エホバは王として彼らを永久に治めます。しかし,シオンはまずバビロンに流刑にされねばなりません。シオンが回復されてはじめて,エホバはその敵をみじんに砕かれるのです。
13 ベツレヘムからどんな支配者が出ますか。「ヤコブの残っている者たち」はどのようになりますか。
13 次いでミカは,「その者の起こりは遠い昔から」とされるイスラエルの支配者がベツレヘム・エフラタから出ることを予告します。彼は『エホバの力による牧者』として支配を行ない,ただイスラエルにおいてだけでなく,「地の果てに至るまで」大いなる者となります。(5:2,4)侵入して来るアッシリア人もつかの間の成功を得るにすぎません。やがて退けられ,自らの地は荒廃させられるからです。「ヤコブの残っている者たち」はもろもろの民の中にあって「エホバからの露」のように,諸国民の中にあって勇気あるライオンのようになります。(5:7)エホバは偽りの崇拝を根こぎにし,不従順な諸国民に復しゅうされます。
14 (イ)ミカ書の第3区分はどんな例えで始まっていますか。(ロ)イスラエルの民はエホバのどんな要求にかないませんでしたか。
14 第3区分(6:1-7:20)。次いで,印象的な法廷の場面が対話の形で示されています。エホバはイスラエルに対して「法的な言い分」を持たれます。そして,丘や山々を呼んで証人とされます。(6:1)エホバはご自分に向かって証言するようイスラエルに挑戦されます。そして,彼らに対して行なった数々の義の業について語られます。エホバは地の人に何を要求なさるでしょうか。数多くの動物の犠牲ではありません。むしろ,『公正を行ない,親切を愛し,慎みをもって神と共に歩むこと』です。(6:8)これこそイスラエルに欠けているものです。公正や親切ではなく,「邪悪な天びん」と暴虐と偽りとこうかつさとが見られます。(6:11)慎みをもって神と共に歩む代わりに,彼らはサマリアで統治したオムリやアハブの邪悪な計り事や偶像崇拝にしたがって歩んでいます。
15 (イ)預言者はどんなことを嘆きますか。(ロ)ミカ書はどんな適切な言葉で結ばれていますか。
15 預言者は自分の民の道徳的腐敗について嘆きます。彼らの「最も廉直な者もいばらの垣根に勝らない」のです。(7:4)親密な友や家族の間にも不信の行為が見られます。ミカは落胆しません。「わたしは,終始エホバに目を向ける。わたしの救いの神を待ち望もう。わたしの神は聞いてくださる」。(7:7)ミカは,エホバがご自分の民に下す処罰のゆえに歓ぶことのないようにと他の者たちに警告します。救出もまたもたらされるからです。エホバはご自分の民を牧して,これを養い,「驚嘆すべき事柄」を彼らに見させ,諸国民に恐れを抱かせるのです。(7:15)ミカはその書の結びで,人に喜びを抱かせるその愛ある親切のゆえにエホバを賛美することにより,自分の名前の意味を繰り返し述べています。そうです,『だれかエホバのような神がいるでしょうか』。―7:18。
なぜ有益か
16 (イ)ミカ書の預言が有益であったことはヒゼキヤの時代にどのように示されましたか。(ロ)それは現代に対するどんな強力な訓戒を含んでいますか。
16 ほとんど2,700年昔,ミカの預言の業は戒めを与えるのに極めて「有益」なものでした。ユダのヒゼキヤ王は彼の音信に答え応じ,国民を悔い改めと宗教上の改革に導いたからです。(ミカ 3:9-12。エレミヤ 26:18,19。列王第二 18:1-4と比較してください。)霊感によるこの預言は今日いっそう有益です。神を崇拝すると唱える人は皆,偽りの宗教,偶像崇拝,虚偽,暴虐などに対するミカの率直な警告を聞きなさい!(ミカ 1:2; 3:1; 6:1)パウロはコリント第一 6章9節から11節でこれらの警告の言葉が真実であることを確証し,真のクリスチャンは洗われて清くなっているゆえにそのような慣行にふける者はだれひとり神の王国を受け継げないと述べています。同様に,ミカ 6章8節は,エホバの要求は人が公正と親切と慎みとをもって神と共に歩むことである,と明確に述べています。
17 ミカは迫害や困難のもとで神に仕える人々のためにどんな励ましを与えていますか。
17 ミカは,人々が非常に分裂していて,「人の敵はその家の者たち」となっていた民の間で,その音信を伝えました。真のクリスチャンも時に同様の状況下で伝道し,自分自身の家族や親族から裏切りやつらい迫害に遭う場合もあります。彼らは常に「救いの神」エホバを辛抱強く待ち望むことが必要です。(ミカ 7:6,7。マタイ 10:21,35-39)迫害の際,あるいは難しい割り当てに直面した時,勇気を持ってエホバに依り頼む人々は,エホバの音信を広める点で,ミカのように『エホバの霊のもとに力に満たされる』でしょう。ミカは,そのような勇気が「ヤコブの残っている者たち」の間でとりわけ明らかになるであろうと預言しました。それらの人々は『諸国民の中,多くの民の中にあってライオンのように』なり,同時にまた,エホバからのさわやかな露や雨のようになります。『イスラエル(ヤコブ)の残りの者たち』,1世紀のクリスチャン会衆の成員となった人々の間で,これらの特質は確かにはっきりと示されていました。―ミカ 3:8; 5:7,8。ローマ 9:27; 11:5,26。
18 ミカのどんな預言はキリスト・イエスによる神の王国の支配と結びつけられていますか。
18 ミカの預言の成就としてイエスがベツレヘムで誕生したことは,この書が神の霊感によるものであることを確証するだけでなく,その節を含む文脈がキリスト・イエスのもとに置かれる王国の到来を預言するものであることを明らかにしています。イエスはベツレヘム(パンの家)から現われて,その犠牲に信仰を働かせるすべての者に命を得させます。『エホバの力によって牧羊の業を行なう』のはこの方です。またこの方は大いなる者となり,回復して一つになった神の羊の群れの間で地の果てにまで平和をもたらします。―ミカ 5:2,4; 2:12。ヨハネ 6:33-40。
19 (イ)「末の日」に生きる人々のために信仰を鼓舞するどんな励ましが与えられていますか。(ロ)ミカはエホバの主権をどのように高めていますか。
19 「多くの国の民」がエホバからの教えを求める「末の日」に関するミカの預言は,わたしたちに大きな励みを得させます。「それで彼らはその剣をすきの刃に,その槍を刈り込みばさみに打ち変えなければならなくなる。国民は国民に向かって剣を上げず,彼らはもはや戦いを学ばない。そして彼らはまさに,各々自分のぶどうの木の下,自分のいちじくの木の下に座り,これをおののかせる者はだれもいない。万軍のエホバの口がこれを語ったのである」。彼らは偽りの崇拝をいっさい捨て,ミカに加わってこう断言します。「わたしたちは,定めのない時に至るまで,まさに永久に,わたしたちの神エホバの名によって歩む」。確かにミカの預言は,これら大切な事柄を予見させてわたしたちの信仰を鼓舞します。それは,エホバをとこしえの主権者また王として高める点でも際立っています。この言葉は何と胸を躍らせるのでしょう。「エホバはシオンの山においてまさに王として彼らを治める。今から定めのない時に至るまで」。―ミカ 4:1-7。テモテ第一 1:17。
[脚注]
a 「古代近東テキスト」(英文),ジェームズ・B・プリッチャード編,1974年,284ページ。
b 「アッシリアおよびバビロニア年代記」(英文),A・K・グレーソン,1975年,73ページ。
c 「古代近東テキスト」(英文),1974年,288ページ。「聖書に対する洞察」(英文),第2巻,894,895ページ。
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聖書の34番目の書 ― ナホム書『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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聖書の34番目の書 ― ナホム書
筆者: ナホム
書かれた場所: ユダ
書き終えられた年代: 西暦前632年以前
1 古代のニネベについてどんなことが知られていますか。
「ニネベに対する宣告」。(ナホム 1:1)ナホムの預言はこのような険悪な言葉で始まります。しかし,なぜ彼はこのような滅びの宣明を行なったのでしょうか。古代ニネベについてはどんなことが知られていますか。ニネベの歴史は,ナホムの述べた,「流血の都市」という短い言葉の中に要約されています。(3:1)イラク北部の現代の都市モスルの対岸,つまりチグリス川東岸に位置する二つの塚は,古代ニネベの遺跡のしるしとなっています。この都市は城壁と堀によって厳重な防備を施され,アッシリア史後期の同帝国の首都となっていました。しかし,この都市の起源は「エホバに敵対する力ある狩人」ニムロデの時代にさかのぼります。「彼はアッシリアに出て行って,ニネベ……の建設に取りかかった」と記されています。(創世記 10:9-12)こうして,ニネベの始まりは好ましいものではありませんでした。ニネベは,サルゴン,セナケリブ,エサル・ハドン,アシュルバニパルなど,アッシリア帝国末期の王たちの治世中に特に有名になりました。戦争と征服とを通じてニネベは自らを分捕り物によって肥やし,その支配者たちが多数の捕虜たちに加えた,残酷で,非人間的な仕打ちのゆえに広く知られるようになりました。a C・W・セラムは自著,「神々と墓と学者たち」(英文,1954年)の266ページでこう述べています。「ニネベといえば,ただ殺害と略奪,抑圧と弱者への暴虐だけが人々の意識に印象づけられた。また,その戦争と,あらゆる形の身体的暴力,その王朝の支配者たちの数々の血生臭い行為で知られるようになった。彼らは恐怖によって民を抑えつけ,また自分たちよりさらに凶暴なライバルたちによって粛正される場合も多かった」。
2 ニネベの宗教にはどんな特色がありましたか。
2 ニネベの宗教についてはどうでしょうか。ニネベは非常に多くの神々を集めて崇拝していました。それら神々の多くはバビロンから持ち込まれたものです。支配者たちは破壊と皆殺しのために出かけるに当たってこれらの神々に祈願をし,貪欲な祭司たちは征服の活動を唆しては,戦利品からの豊かな分け前を待望しました。W・B・ライトは自著,「古代都市」(英文,1886年,25ページ)の中で,こう述べています。「彼らは力を崇拝し,終始石の巨像に向かって祈りをささげたが,それはライオンや雄牛の像で,それに付されたどっしりした足,また鷲の翼や人間の頭は,力と勇気と勝利の象徴であった。戦闘は国家の事業であり,祭司たちは終始戦争の誘発者であった。彼らはおおむね征服による分捕り物によって支えられ,分捕り物は一定の割合でまず彼らに配分されるのが常であった。この略奪者の民族は極めて宗教的だったのである」。
3 (イ)ナホムの名前の意味はなぜ適切ですか。(ロ)ナホムの預言はどんな時期に行なわれたものですか。
3 ナホムの預言は短いとはいえ,尽きない興味を秘めています。この預言者自身について知り得ることは,その冒頭の節に,「エルコシュ人ナホムの幻の書」と記されていることだけです。彼の名前(ヘブライ語,ナフーム)には,「慰める者」という意味があります。彼の音信はニネベにとっては決して慰めとはなりませんでしたが,神の真の民にとっては,執念深い強大な敵からの確実で永続的な救いを意味するものでした。ナホムが自分の民の罪を取り上げていないことも,慰めをもたらすものとなります。エルコシュの場所ははっきり分かっているわけではありませんが,その預言はユダで書かれたものと見ることができるようです。(ナホム 1:15)ニネベの倒壊は西暦前632年に起きましたが,ナホムが自分の預言を記録した時,その倒壊はまだ将来のことでした。そしてナホムは,そのことを,それより少し前に起きたノ・アモン(エジプトのテーベ)の倒壊と比較しています。(ナホム 3:8)したがってナホムは,その期間中のいつかの時期に自分の預言を書き記したに違いありません。
4 ナホムの書の文章にはどんな特徴がはっきり見られますか。
4 この書の文体には特色があります。この書は余分の言葉を用いていません。その迫力と写実性は霊感による書物の一部としての調和を保持しています。ナホムは描写的,感情的,ならびに劇的な言葉遣いに秀でており,それに気品のある表現や,明りょうな比喩的描写や,絵を見るように印象的な言い回しに秀でています。(1:2-8,12-14; 2:4,12; 3:1-5,13-15,18,19)第1章はおおむねアクロスティック(折り句)形式の詩となっているようです。(1:8,脚注)ナホムの文体は単一の主題を追うことによって引き締まっています。彼はイスラエルの不信実な敵に対して徹底した憎悪感を抱いています。彼はニネベの前途の滅びにのみ目を留めています。
5 ナホムの預言の信ぴょう性を何が証明していますか。
5 ナホムの預言の信ぴょう性はその成就の正確さによって証明されます。ナホムの時代に,誇り高いアッシリア世界強国の首都がその「河川の水門」の所で突き破られ,その宮殿が崩れ落ちて,その都が「空虚とうつろ,荒廃させられた都市」となることを,エホバの預言者以外のだれがあえて予告したでしょうか。(2:6-10)その後に起きた出来事は,その預言が確かに神の霊感によるものであることを示しました。バビロニアの王ナボポラッサルの年代記は,メディア人とバビロニア人によるニネベの攻略の模様をこう描写しています。「[彼らは]その都市を廃丘や[……(がれきの)]山に[変えた]」。b ニネベの破壊はあまりにも徹底的であったため,幾世紀もの間その場所さえ忘れ去られていました。批評家の中には,この点で聖書を嘲笑し,ニネベは存在したことなどないと唱えた人もいたのです。
6 ナホム書の正確さを立証するどんなものが古代ニネベの遺跡から発見されましたか。
6 しかし,ナホム書の信ぴょう性を示す証拠をさらに増し加えるものとして,ニネベの遺跡が発見され,その発掘が19世紀に始まりました。その遺跡を完全に発掘するためには何百万トンもの土砂を取り除かねばならないと考えられました。ニネベから何が発掘されましたか。ナホムの預言の正確さを裏付ける数多くのものが発掘されました! 例えば,記念碑や碑文はその残虐ぶりを証言しており,翼のある雄牛やライオンの巨大な像の遺物もあります。ナホムがニネベのことを「ライオンのねぐら」と呼んだのも少しも不思議ではありません!―2:11。c
7 何がナホム書の正典性を裏付けていますか。
7 ナホム書の正典性は,この書がユダヤ人により,霊感による聖書の一部として受け入れられていることにも示されています。この書は聖書の他の部分と完全な調和を保っています。預言はエホバのみ名において語られ,エホバの属性と至上性に関する雄弁な証言となっています。
ナホム書の内容
8 ニネベに対してはどんな滅びの宣告がなされていますか。ユダに対してはどんな良いたよりが告げられていますか。
8 ニネベに対するエホバの宣告(1:1-15)。「エホバは,全き専心を要求し,復しゅうをされる神である」。預言者は「ニネベに対する宣告」の場面をこのような言葉で設定しています。(1:1,2)エホバは怒ることに遅いとはいえ,今,風とあらしとをもって義の復しゅうを行なわれるのを見てください。山々は激動し,もろもろの丘は溶け,地は持ち上がります。激しいみ怒りの前にだれが立つことができるでしょうか。それでもエホバは,ご自分に避け所を求めて来る人々のためにとりでとなられます。しかし,ニネベの前途には滅亡が定められています。それは洪水によって滅ぼし絶やされ,「苦難は二度と生じ」なくなります。(1:9)エホバはニネベの名とその神々をぬぐい去られます。彼女を葬り去られます。それとはさわやかな対照をなすものとして,ユダには良いたよりがあります。それは何でしょうか。平和をふれ告げる者が,祭りを祝い,自分たちの誓約を果たすようにと民に呼びかけます。敵対者である「どうしようもない者」には滅びが定められているからです。「その者はそっくり断たれることになる」のです。―1:15。
9 ニネベの敗北についてどんな預言的光景が示されていますか。
9 ニネベの滅亡の予見(2:1-3:19)。ナホムはニネベに対し,これを散らそうとして迫って来る者たちに備えて自らを強めるようにと,あざけりの挑戦をします。エホバは,ご自身に属する者たち,『ヤコブとイスラエルの誇り』を再び集められます。その活力ある者たちの盾と深紅の装い,また「神が備えをする日」におけるその戦車の,火のような鉄の装備を見てください。戦車は街路を『狂ったように駆け巡り』,稲妻のように疾駆します。(2:2-4)次いでわたしたちは戦闘の預言的光景を見ます。ニネベ人はつまずき,城壁を守ろうとして急ぎますが,そのかいもありません。川の水門は開き,宮殿は崩れ落ち,奴隷女たちはうめいて自分の心臓を打ちたたきます。逃げる者たちは立ち止まるようにと命令されますが,振り向く者は一人もいません。その都市は略奪され,荒らされます。心は溶け去ります。ライオンのねぐらは今やどこにあるのでしょうか。ライオンは自分の子らのために洞くつを獲物で満たしてきました。しかしエホバはこう言明されます。「見よ,わたしはあなたを攻める」。(2:13)そうです,エホバはニネベの戦闘機械を焼き尽くし,剣を送ってその若ライオンたちをむさぼり食わせ,その獲物を地から断たれるのです。
10 ニネベはどのようなものであることが明らかにされますか。その終わりはさらにどのように描写されていますか。
10 「この流血の都市は災いだ。……ただ欺きと強奪とに満ちている」。むち打つ音と,車輪のごうごうたる響きを聞いてください。突進する馬,躍り上がる兵車,馬上の騎手,剣の炎,槍の稲妻を見てください ― そして,大量の死がいです。「死体は果てしなく続く」。(3:1,3)しかし,なぜでしょうか。それは,彼女がその売春によって諸国民を,またその呪術によってもろもろの家族をわなに陥れたからです。再度エホバは言明されます。「見よ,わたしはあなたを攻める」。(3:5)ニネベは姦婦であることが明らかにされて,奪略にさらされます。その運命は,アッシリアが捕囚にしたノ・アモン(テーベ)の場合と異なりません。ニネベの要塞はうれたいちじくのようです。「揺すられると,それは食らう者の口の中に落ちる」のです。(3:12)その戦士たちは女のようです。ニネベを火と剣から救い得るものは何もありません。その番兵たちは,太陽が照る日のいなごの群れのように逃げて行きます。その民は散らされます。アッシリアの王は,安らぎがなく,この大変災からのいやしもないことを知るでしょう。その知らせを聞く者は皆,手をたたくでしょう。すべての者がアッシリアの悪のために苦しめられてきたからです。
なぜ有益か
11 ナホム書の中で聖書のどんな基本的原則が例示されていますか。
11 ナホムの預言は聖書の基本的原則の幾つかを例示しています。その幻の冒頭の言葉は,十戒の2番目のものを神が与えた理由を再度こう述べています。「エホバは,全き専心を要求……される神である」。そのすぐ後に,エホバは,「ご自分の敵対者たちに」必ず「復しゅう」することを明らかにしておられます。アッシリアの残酷な誇りも異教の神々も,この国をエホバの裁きの執行から救うことはできませんでした。エホバはやがてすべての邪悪な者たちに同じように公正な裁きを下されるということを,わたしたちは確信できます。「エホバは怒ることに遅く,力の大いなる方である。だが,処罰を控えることをエホバは決してされない」。こうして,強大なアッシリアが滅ぼし絶やされるという背景の中で,エホバの公正さと至上性とが高められています。ニネベは確かに「空虚とうつろ,荒廃させられた都市」となりました。―1:2,3; 2:10。
12 ナホムはどんな回復について発表していますか。彼の預言は王国の希望とどのように結びついていますか。
12 こうしてニネベが「そっくり断たれる」のとは対照的に,ナホムは『ヤコブとイスラエルの誇り』が回復することについて発表しています。エホバもまた,ご自分の民に喜ばしいおとずれを送っておられます。「見よ,山々の上に,良いたよりを携えて来る者,平和を言い広める者の足がある」。この平和のおとずれは神の王国と関係があります。どうしてそれが分かるでしょうか。イザヤが同じ表現を用い,さらに,「より良いことについての良いたよりを携えて来る者,救いを言い広める者,『あなたの神は王となった!』とシオンに言う者」という言葉を付け加えていることから明らかです。(ナホム 1:15; 2:2。イザヤ 52:7)一方,使徒パウロは,ローマ 10章15節で,この表現をエホバがお遣わしになる,良いたよりを宣べ伝えるクリスチャンに当てはめています。それらの人々は『王国の良いたより』をふれ告げます。(マタイ 24:14)ナホムは自分の名前の意味にたがわず,神の王国と共にもたらされる平和と救いを求める人々すべてに,多くの慰めを与えます。そうした人々すべては,『エホバは善良であられ,ご自分のもとに避け所を求めて来る者たちのために苦難の日のとりでとなられる』ことを確かに悟るでしょう。―ナホム 1:7。
[脚注]
a 「聖書に対する洞察」(英文),第1巻,201ページ。
b 「古代近東テキスト」(英文),J・B・プリッチャード編,1974年,305ページ。角括弧や丸括弧は編者。「聖書に対する洞察」(英文),第1巻,958ページ。
c 「聖書に対する洞察」(英文),第1巻,955ページ。
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聖書の35番目の書 ― ハバクク書『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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聖書の35番目の書 ― ハバクク書
筆者: ハバクク
書かれた場所: ユダ
書き終えられた年代: 西暦前628年ごろ(?)
1 ハバククの預言の中で,どんな崇高な真理が明示されていますか。
ハバクク書はヘブライ語聖書の中のいわゆる小預言者のもう一つの書です。しかし,神の霊感によるその幻と宣告は神の民に対する重要性において決して小なるものではありません。ハバククの預言は激励と力づけとを与えて,危急の時に神の僕たちを支えます。この書は二つの崇高な真理を明示しています。すなわち,エホバ神は宇宙の主権者であり,義人は信仰によって生きる,という真理です。この書物はまた,神の僕に敵対する者たちと,神の民であると偽善的に唱える人々に対する警告ともなっています。それはまた,あらゆる賛美の歌をささげるに値するエホバに対する強力な信仰の型を示しています。
2 筆者ハバククに関してどんな情報が与えられていますか。
2 ハバクク書は,「預言者ハバククが幻で示された宣告」という言葉で始まっています。(ハバクク 1:1)この預言者ハバクク(ヘブライ語,ハバックーク)とはどんな人でしたか。その名前には,「熱烈な抱擁」という意味があります。ハバククの生まれ,部族,生活環境,あるいは死に関する情報は何もありません。彼がレビ人の神殿楽士であったかどうかは明確には言えません。もっとも,この書の終わりにある,「わたしの弦楽器の指揮者へ」という添え書きから,そのように推測されてきました。
3 ユダに関係したどんな状況がハバクク書の書かれた時期を定める助けとなりますか。
3 ハバククはいつこの預言的な宣告を書いたのでしょうか。前述の添え書き,および「エホバはその聖なる神殿におられる」という言葉は,エルサレムの神殿がまだ立っていたことを示しています。(2:20)このこと,およびその預言に含まれる音信は,それが西暦前607年のエルサレムの滅亡が近いころに語られたことを暗示しています。しかし,何年ぐらい前でしょうか。それは,神を恐れた王ヨシヤの治世,つまり西暦前659年から629年よりも後であったに違いありません。たとえ細かに話されたとしてもユダの人々が信じない一つの業があると予告して,その預言そのものが手がかりを与えています。その業とは何でしょうか。それは,不信仰なユダヤ人を罰するために神によってカルデア人(バビロニア人)が起こされることです。(1:5,6)このことは,偶像礼拝に陥ったエホヤキム王の治世の初めごろに適合するように思われます。それはユダにおいて不信と不正がはびこった時代でした。エホヤキムはファラオ・ネコによって王座につけられた王であり,その国民はエジプトの勢力下にありました。そのような状況下にあったため,民はバビロンによる侵入の可能性について聞かされても,それを全く否定する気持ちになったことでしょう。しかしネブカドネザルは,西暦前625年,カルケミシュの戦闘でファラオ・ネコを撃ち破り,エジプトの力を打ち砕きました。したがって,この預言はその出来事より前になされたものと思われます。こうして,種々の事情は,それがエホヤキムの治世(西暦前628年に始まった)の初めごろであったことを示唆しており,ハバクク自身はエレミヤと同時代の人であったことになります。
4 ハバクク書が神の霊感によるものであることを何が証明していますか。
4 この書が神の霊感によるものであることをどのように知ることができますか。ヘブライ語聖書の古代の目録はハバクク書の正典性を確証しています。この書は古代の目録の中で書名を挙げて言及されてはいませんが,『十二小預言者』として言及されているものの中に含まれていたようです。というのは,ハバクク書がなかったなら,12の書とはならなかったはずだからです。使徒パウロはこの預言を霊感による聖書の一部と認め,ハバクク 1章5節を直接に引用して,それを「預言者たちの中で言われている」事柄の中に含めています。(使徒 13:40,41)パウロはまた自分の手紙の中でこの書に数回言及しています。ユダとバビロンに対して語られたそのことばが成就したことはまさに,ハバククがエホバの真の預言者であったことの証しです。ハバククはエホバの名において,またエホバの栄光のために語ったのです。
5 ハバクク書の内容を簡単に要約してください。
5 ハバクク書は三つの章から成り立っています。初めの二つの章には筆者とエホバとの対話が記されています。それらの章はカルデア人の強さと共に,自分のものではない物を増し加え,その家のためによこしまな利得を得,流血によって都市を建て,彫刻像を崇拝するバビロニアの国民を待ち受けている悲嘆について述べています。3章は戦闘の日におけるエホバの荘厳さについて述べており,その劇的な筆致の力と躍動において他に例を見ません。この章は哀歌の形の祈りの言葉で,「ヘブライ詩の全領域の中で最も壮麗かつ荘厳なものの一つ」と評されています。a
ハバクク書の内容
6 ユダはどのような状態になっていますか。それでエホバはどんな驚くべきみ業を行なわれますか。
6 預言者はエホバに向かって叫び求める(1:1-2:1)。ユダの不信仰ぶりはハバククの思いに疑問を抱かせました。「エホバよ,いつまでわたしは助けを叫び求めなければならないのですか。そしてあなたは聞いてくださらないのですか」と彼は尋ねます。「なぜ奪い取ることや暴虐がわたしの前に(あるのですか)」。(1:2,3)律法は鈍くなり,邪悪な者が義なる者を取り囲み,公正は曲げて施行されています。そのために,エホバは人を驚き惑わせるような業を行なわれます。それは「細かに話されたとしても[人が]信じない」ようなみ業です。エホバは実際に『カルデア人を起こされる』のです! このどう猛な国民が迅速に進んで来る様についてエホバの示された幻はまさに恐るべきものです。彼らは暴虐にふけり,捕らわれ人を「砂のように」寄せ集めます。(1:5,6,9)何ものも,王や高官たちさえその進路を阻むことはできません。その国民はそれらの者たちすべてをあざ笑うのです。彼らは防備の施された場所をことごとく攻め取ります。このすべては「聖なる方」エホバからの裁きと戒めのためなのです。(1:12)ハバククは神が話されるのをじっと注意して待ちます。
7 エホバはどのようにハバククを慰めますか。
7 五つの災いに関する幻(2:2-20)。エホバはこう答えられます。「この幻を書き記し,それを書き板の上にはっきりしたため(よ)」。遅れているように思えても,それは必ずそのとおりになります。エホバは次の言葉をもってハバククを慰めます。「義なる者は自分の忠実さによって生きつづける」。(2:2,4)うぬぼれを抱いている敵は,もろもろの国民や民を自分のもとに集めてゆくとしても,決して自分の目標を遂げることはありません。ところが,それら集められた民が次の五つの災いに関する格言的な言い回しを彼に向かって述べるのです。
8,9 幻の中の五つの災いはどんな人々に向けられていますか。
8 『自分のものではない物を増し加えている者は災いだ』。彼自身が略奪を受けることになります。『人の血を流したゆえ,また地に対する暴虐のゆえに』その者は奪い取られることになります。(2:6,8)「自分の家のためによこしまな利得を得ている者は災いだ」。彼が多くの民を断ち滅ぼしたために,彼の家の石や木組みまで叫び声を上げることになります。(2:9)『流血によって都市を建てている者は災いだ』。彼の民はただ火やむなしい事柄のために労することになる,とエホバは言明されます。「水が海を覆うように,地はエホバの栄光を知ることで満ちるのである」― 2:12,14。
9 『怒りを抱いて自分の友に飲ませ,彼らを酔わせてその恥じ所を見ようとする者は災いだ』。エホバはその者にご自分の右手の杯から飲ませ,栄光に代えて恥辱をもたらされます。それは,『人の血を流したゆえ,また地に対する暴虐のゆえ』です。彫刻像はこれを作った者にとって何の役に立つのでしょうか。それら無価値な神々は口がきけないのではありませんか。(2:15,17)「木切れに向かって,『さあ,目覚めよ』と言い,ものを言わない石に向かって,『目を覚ませ。これが諭しを与える』と言う者は災いだ!」 これら命を持たない神々とは対照的に,「エホバはその聖なる神殿に」おられます。「全地よ,そのみ前に沈黙せよ!」―2:19,20。
10 エホバが戦闘の日に出現される際,どんな恐るべきみ業が伴っていますか。
10 戦闘の日におけるエホバ(3:1-19)。ハバククは厳粛な祈りの中で,恐れを抱かせるエホバのみ業を写実的に思い起こします。エホバが出現された時,「その尊厳は天を覆い,その賛美で地は満たされ」ました。(3:3)その輝きは光のようであり,疫病がその前を進んで行きました。エホバは立ち止まられ,地を揺るがし,諸国民を躍り上がらせ,とこしえの山々を打ち砕かれました。エホバは覆いを外した弓を携え,救いの兵車と共に,力ある戦士のように進まれました。山々と水の深みは動揺しました。太陽と月は静止しました。エホバが怒りを抱いて諸国民をからざおで打ちつつ行進された時には,神の矢の光と神の槍の稲妻がありました。エホバはご自分の民とご自分の油そそがれた者の救いのため,また邪悪な者の土台を「その首のところまで」むき出しにするために出て行かれました。―3:13。
11 その幻はハバククにどんな影響を与えますか。しかし彼はどんな決意を抱いていますか。
11 預言者は,エホバのかつての強大なみ業とやがて来る世界を揺るがすような活動に関するこの幻に圧倒されました。「わたしは聞き,わたしの腹は動揺しはじめました。その音のゆえにわたしの唇は震えました。腐れがわたしの骨の中に入りはじめました。自分のこうした状況の中でわたしは動揺しました。それは,苦難の日を,民を攻め打とうとして彼が上って来る時を静かに待つためでした」。(3:16)それでも,ハバククは決意しています。すなわち,いちじくの木が花をつけず,ぶどうの木に実がならず,羊の群れがおりから絶えて,苦難の時に直面しなければならないとしても,それでもエホバにあって歓喜し,自分の救いの神にあって喜びにあふれよう,という決意です。彼は自分の歓喜の歌を次の言葉で結びます。「主権者なる主,エホバはわたしの活力です。わたしの足を雌鹿の足のようにしてくださり,わたしの高い所を踏み進ませてくださるのです」― 3:19。
なぜ有益か
12 パウロはハバクク 2章4節をどのように有益な仕方で適用していますか。
12 ハバククの預言が教えのために有益であることを認めた使徒パウロは,その2章4節を3回別々の箇所で引用しました。良いたよりが信仰を持つ人すべてにとって救いのための神の力であることを強調しつつ,パウロはローマのクリスチャンにあててこう書きました。「信仰のゆえに,また信仰のために,神の義がその中に啓示されているのです。『しかし義なる者 ― その者は信仰によって生きる』と書かれているとおりです」。ガラテア人に手紙を書き送った際,パウロは,祝福は信仰を通してもたらされるという点を強調しました。「律法によってはだれひとり神にあって義と宣せられないことは明白です。『義人は信仰のゆえに生きる』とあるからです」。パウロはさらにヘブライ人にあてた手紙の中で,クリスチャンが魂を生き長らえさせる生きた信仰を示さねばならないことを記し,再度ハバククに対するエホバの言葉に言及しています。しかしパウロは,「わたしの義人は信仰のゆえに生きる」というハバククの言葉を引用しただけでなく,ギリシャ語セプトゥアギンタ訳にしたがって,さらに,「もししりごみするなら,わたしの魂はその者を喜ばない」という言葉をも引用しています。次いでパウロは,わたしたちは「信仰を抱いて魂を生き長らえさせる者です」と述べて,要約しています。―ローマ 1:17。ガラテア 3:11。ヘブライ 10:38,39。
13 ユダとバビロンに対するハバククの預言が正確に成就したことは神の裁きに関して何を強調していますか。
13 活力を必要とする今日のクリスチャンにとって,ハバククの預言は極めて有益です。それは神に依り頼むことを教えています。それはまた,他の人々に神の裁きについて警告するためにも有益です。警告となるその教訓は強力です。すなわち,神の裁きの行なわれるのが余りに遅いなどと考えてはなりません。それは「必ず起きる」のです。(ハバクク 2:3)バビロンによるユダの滅亡に関する預言は間違いなく実現し,バビロンそのものも確かに攻略されました。西暦前539年,メディア人とペルシャ人がその都市を攻め落としたのです。神の言葉は信ずべきものであることを示す強力な警告ではありませんか。ですから,使徒パウロは,当時のユダヤ人に不信仰にならないよう警告した際,ハバクク書から引用するのを有益なこととみなしました。「預言者たちの中で言われている次のことがあなた方に臨まないようにしてください。『あざける者たちよ,それに目を留めよ。驚き怪しめ。そして消え去れ。わたしはあなた方の日に一つの業をするからである。それは,だれかが詳しく話したとしても,あなた方が決して信じることのない業である』」。(使徒 13:40,41。ハバクク 1:5,七十人訳)不信仰なユダヤ人はパウロの言葉に注意を払おうとしませんでした。彼らがエルサレムの滅亡に関するイエスの警告を信じなかったのと同じです。西暦70年にローマの軍隊がエルサレムをじゅうりんした時,彼らは自分たちの不信仰の結末を忍ばねばなりませんでした。―ルカ 19:41-44。
14 (イ)今日のクリスチャンが強い信仰を保持すべきことをハバククの預言はどのように示していますか。(ロ)預言の中でも述べられているとおり,義を愛する人々は今どんな喜びある確信を抱くことができますか。
14 同様に今日も,ハバククの預言は,クリスチャンが暴力に満ちた世界に住んではいても強い信仰を保持すべきことを促しています。それは他の人々に教える際の助けとなり,神は邪悪な者に対して報復をされるだろうかという,世界中の人々が尋ねてきた問いに答えるための助けとなります。その預言の言葉に再び注目してください。「それを待ちつづけよ。それは必ず起きるからである。遅くなることはない」。(ハバクク 2:3)地にどのような変動が起きようとも,王国相続者の油そそがれた残りの者は,エホバが過去に行なわれた報復に関するハバククの次の言葉を思い起こします。「あなたは,ご自分の民の救いのため,あなたの油そそがれた者を救うために出て行かれました」。(3:13)エホバはまさに,遠い昔から彼らの「聖なる方」であり,不義なる者を戒め,愛をもってご自分が抱擁する者たちに命を与える「岩なる方」であられます。義を愛するすべての人はエホバの王国とその主権に関して歓びます。そしてこう言うでしょう。「わたしは,ただエホバにあって歓喜し,わたしの救いの神にあって喜びにあふれます。主権者なる主,エホバはわたしの活力です」。―1:12; 3:18,19。
[脚注]
a 「十二小預言者の書」(英文),1868年,E・ヘンダーソン,285ページ。
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聖書の36番目の書 ― ゼパニヤ書『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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聖書の36番目の書 ― ゼパニヤ書
筆者: ゼパニヤ
書かれた場所: ユダ
書き終えられた年代: 西暦前648年以前
1 (イ)ゼパニヤの音信はなぜその時代に適切でしたか。(ロ)彼の名前の意味はどのように当時の状況に適合していましたか。
ユダのヨシヤ王の治世(西暦前659-629年)の初めごろ,バアル崇拝がはびこり,「異国の神の祭司たち」がこの汚れた崇拝の面で率先していた時代にあって,エルサレムの民は預言者ゼパニヤのふれ告げた音信に驚かされたに違いありません。ゼパニヤはユダの王家のヒゼキヤ王の子孫の一人だったと思われますが,当時の国の状態について非常に批判的でした。(ゼパニヤ 1:1,4)彼の音信は滅亡を告げる音信でした。神の民は不従順になっていて,ただエホバだけがこれを清い崇拝に立ち返らせて祝福し,彼らを「地のすべての民の中で名とし,賛美とする」ことがおできになりました。(3:20)ゼパニヤは,ただ神の介入によってのみ人が「エホバの怒りの日に隠される」ことを指摘したのです。(2:3)「エホバは隠して(蓄えて)くださった」という意味の「ツェファンヤー」(ヘブライ語)という彼の名はいかにも適切でした。
2 ゼパニヤの努力はどのように実を結びましたか。しかしなぜそれは一時的な結果に終わりましたか。
2 ゼパニヤの努力は実を結びました。ヨシヤは8歳の時に位についた王ですが,その治世の第12年に『ユダとエルサレムを清める』ことを始めました。彼は偽りの崇拝を根絶し,「エホバの家」を修復し,過ぎ越しの祝いを再開しました。(歴代第二 34,35章)しかし,ヨシヤ王の改革は一時的な結果に終わりました。彼の後にその3人の息子と一人の孫が位につきましたが,そのすべては「エホバの目に悪いこと」を行なったからです。(歴代第二 36:1-12)これはすべて次のゼパニヤの言葉の成就となるものでした。「わたしは,君たち,王の子たち……自分の主人の家を暴虐と欺きで満たす者たちに注意を向ける」― ゼパニヤ 1:8,9。
3 ゼパニヤはいつ,またどこで預言しましたか。この書はどんな二重の音信を含んでいますか。
3 上述のことから,『エホバの言葉がゼパニヤに臨んだ』のは,ヨシヤの第12年に当たる西暦前648年より少し前のことであったと思われます。第1節はゼパニヤがユダで語っていることを明らかにしていますが,それだけでなく,エルサレムの地理や習慣に関して詳細な知識が示されていることは,彼がユダに住んでいたという見方の論拠となります。その書に含まれる音信には,危険を予告し,慰めを与えるという二つの面があります。大体のところ,その音信は,エホバの日,すなわち差し迫った恐怖の日のことを中心にしていますが,同時にそれは,「エホバの名に避け所を得る」謙遜な民のためにエホバがその回復を図ってくださることを予告しています。―1:1,7-18; 3:12。
4 ゼパニヤ書の預言は信ぴょう性があり,神の霊感を受けたものであることを何が証明していますか。
4 この預言の書の信ぴょう性は首尾よく論ばくできるものではありません。エルサレムは西暦前607年に滅ぼされました。それはゼパニヤがその滅びを予告してから40年以上後のことでした。わたしたちにはこの点を裏付ける一般の歴史に基づく発言があるだけでなく,聖書そのものにもその滅亡がまさにゼパニヤの預言のとおりに起きたことを示す内面的証拠があります。エルサレムの滅亡のすぐ後,エレミヤは「哀歌」を書き,自分が目撃して,なお鮮明に記憶していた恐ろしい状態を描写しました。幾つかの章句を比較してみると,ゼパニヤの音信はまさしく「神の霊感を受けた」ものであったことが裏書きされます。ゼパニヤは,「エホバの燃える怒りがあなた方に臨まないうち」に悔い改めるべきことを警告しているのに対し,エレミヤは,「エホバは……その燃える怒りを注ぎ出された」と述べて,既に起きた事柄に言及しています。(ゼパニヤ 2:2。哀歌 4:11)ゼパニヤは,エホバが「人々に苦難を臨ませる。彼らは必ず盲人のように歩き回るであろう。……彼らの血はまさに塵のように……注ぎ出される」と予告しています。(ゼパニヤ 1:17)エレミヤはそのことについてそれを既成事実としてこう述べています。「彼らは盲人のようにちまたをさまよった。彼らは血に汚れた」。―哀歌 4:14。ゼパニヤ 1:13 ― 哀歌 5:2; ゼパニヤ 2:8,10 ― 哀歌 1:9,16と3:61も比較してください。
5 ゼパニヤの預言が正確に成就したことを歴史はどのように示していますか。
5 同様に歴史はモアブ,アンモン,それにアッシリアとその首都ニネベなど,異教諸国民の滅亡についても伝えています。それもゼパニヤが神の指示にしたがって予告したとおりでした。預言者ナホムはニネベの滅亡について予告しましたが(ナホム 1:1; 2:10),同じようにゼパニヤも,エホバが「ニネベを荒れ果てた所,荒野のように水のない地域とする」ことを言明しました。(ゼパニヤ 2:13)この滅亡は余りにも徹底的であったため,そのわずか200年後にさえ,歴史家ヘロドトスはチグリス川について,「ニネベの町がかつてそのほとりにあった川」と書いています。a 西暦150年ごろ,ギリシャ人の著述家ルキアノスは,「そのこん跡すら残っていない」と書きました。b 「新ウェストミンスター聖書辞典」(英文,1970年)は,その669ページで次のように述べています。侵入して来た軍隊は「チグリス川の突然の増水によって大いに助けられた。それによって市の城壁のかなりの部分が流し去られ,その場所は無防備の状態になった。……その荒廃は余りにも徹底的であったため,ギリシャやローマの時代にはニネベのことはほとんど神話のようになっていた。だが,その間ずっと,その都市の一部は一見がれきの山のような塚の下にうずもれていたのである」。同辞典は627ページで,モアブもまた預言されたとおりに滅びたことを示して,「ネブカドネザルはモアブ人を支配下に置いた」と述べています。ヨセフスはまた,アンモンが征服されたことをも伝えています。c モアブ人とアンモン人は両方とも民族としてはやがて存在しなくなりました。
6 では,なぜゼパニヤ書は聖書正典の中に正当な地位を占めていますか。
6 ユダヤ人は常に,ゼパニヤ書に,霊感を受けた聖書の正典の一部としての正当な地位を与えてきました。エホバの名において発せられたその数々の宣言は注目すべき成就を見,エホバのみ名の正しさを立証するものとなっています。
ゼパニヤ書の内容
7 エホバの大いなる日はその敵対者たちに何を意味するものとなりますか。
7 エホバの日は近い(1:1-18)。この書は滅亡を予告する口調で始まっています。「『わたしは必ずいっさいのものを地の表から絶やす』と,エホバはお告げになる」。(1:2)人も獣も,いっさい逃れられません。バアル崇拝者たち,異国の神の祭司たち,屋上で天を崇拝する者たち,エホバの崇拝とマルカムの崇拝とを習合する者たち,エホバに仕えることをやめてゆく者たち,エホバを求めることに関心を抱かない者たち ― そのような者たちはすべて滅びることになります。預言者はこう命じます。『主権者なる主エホバのみ前で沈黙せよ。エホバの日は近いからである』。(1:7)エホバは自ら犠牲を調えられました。君たち,暴力を振るう者たち,欺く者たち,および心の冷淡な者たち ― そのすべてが捜し出されるでしょう。彼らの富も所有物も全く無に帰します。エホバの大いなる日は近いのです。それは「憤怒の日,苦難と苦もんの日,あらしと荒廃の日,闇と陰うつの日,雲と濃い暗闇の日」です。エホバに罪をおかしている者たちの血は塵のように注ぎ出されます。「その銀も金もエホバの憤怒の日には彼らを救い出すことができない」。エホバの熱心の火が全地をむさぼり食うのです。―1:15,18。
8 (イ)どうすれば保護を受けられますか。(ロ)諸国民に対してどんな災いがふれ告げられていますか。
8 エホバを求めよ。諸国民は滅ぼされる(2:1-15)。その日がもみがらのように過ぎ去らないうちに,柔和な者たちは「エホバを求め……義を求め,柔和を求め」なさい。そうすれば,「エホバの怒りの日に隠される」ことになるかもしれません。(2:3)エホバのお告げは続き,フィリスティア人の地に災いを告げます。その地は後に「ユダの家の残っている者たちのための地域」となるのです。高慢なモアブやアンモンも,ソドムやゴモラと同じように荒廃させられます。「彼らが万軍のエホバの民をそしり,これに対して大いに高ぶったから」です。彼らの神々もまた彼らと共に滅びます。(2:7,10)エホバの「剣」はまた,エチオピア人をも討ち殺します。ニネベを都とする北方のアッシリアについてはどうでしょうか。そこは不毛の荒野,野生動物のすみかとなります。そうです,「驚きの的」となり,「そこを通る者はみな」驚き惑って『口笛を吹く』でしょう。―2:12,15。
9 (イ)なぜエルサレムは災いですか。諸国民に対するエホバの司法上の決定は何ですか。(ロ)どんな喜びに満ちた調子でこの預言は結ばれていますか。
9 反逆のエルサレムは言い開きを求められる。謙遜な残りの者は祝福される(3:1-20)。反逆と圧制の都市であるエルサレムも災いです!「ほえたけるライオン」のようなその君たちと,「不実の人々」であるその預言者たちは,エルサレムの神エホバに依り頼みませんでした。エホバは徹底的な言い開きを求めます。その住民はエホバを恐れて,懲らしめを受け入れるでしょうか。そうではありません。彼らは「そのすべての行ないにおいて滅びをもたらすことに速やか」だからです。(3:3,4,7)エホバの司法上の決定は諸国民を集めて,ご自分の燃える怒りをその上にことごとく注ぐことです。全地はエホバの熱心の火によってむさぼり食われることになります。しかし,すばらしい約束があります。エホバは「もろもろの民に清い言語への変化を与える」のです。それは「すべての者がエホバの名を呼び求め,肩を並べて神に仕えるため」です。(3:9)ごう慢に勝ち誇る者たちは除き去られ,義を行なう謙遜な残りの者たちはエホバのみ名に避け所を見いだすでしょう。喜びの叫びと歓呼,歓びの声と歓喜とがシオンにわき起こります。イスラエルの王エホバがその中におられるのです。今は,恐れたり,手を垂れ下がらせたりしている時ではありません。エホバはご自身の愛と喜びとをもって彼らを救い,彼らについて歓喜されるからです。「『あなた方の目の前に捕らわれ人たちを連れ戻す時,わたしはあなた方を,地のすべての民の中で名とし,賛美とするのである』と,エホバは言われた」― 3:20。
なぜ有益か
10 ゼパニヤ書の預言はヨシヤ王の時代にどんな益をもたらしましたか。
10 ヨシヤ王としてはゼパニヤの警告の音信に注意を払い,それによって大きな益を受けました。彼は宗教改革の大々的な運動に乗り出したのです。これによって,エホバの家が荒れるままになって以来紛失していた,律法の書が明るみに出ました。ヨシヤは,不従順の結果がどうなるかについてこの書から読み上げられるのを聞いて悲しみに打たれました。それは,ゼパニヤがずっと預言してきた事柄の真実さを,別の証人であるモーセの口によって確証するものでした。ヨシヤは今,神のみ前に謙遜になります。その結果,エホバは,予告された滅びは彼の時代には起きないであろうと約束されました。(申命記 28-30章。列王第二 22:8-20)その土地は災いを免れたのです。しかし,それも長くは続きませんでした。ヨシヤの息子たちはその良い手本に倣わなかったからです。それでも,ヨシヤとその民にとって,「ゼパニヤに臨んだエホバの言葉」に注意を払ったことは大いに有益な結果になりました。―ゼパニヤ 1:1。
11 (イ)ゼパニヤ書は,健全な訓戒を与えるという点で,山上の垂訓やヘブライ人にあてたパウロの手紙とどのように一致していますか。(ロ)ゼパニヤ書が,「恐らくあなた方は……隠されるであろう」と述べているのはなぜですか。
11 有名な山上の垂訓の中で,神の最大の預言者キリスト・イエスは,ゼパニヤ 2章3節の勧めと驚くほどよく似た言葉を語って,ゼパニヤが神の真の預言者であることを確証されました。ゼパニヤはこう述べました。『地の柔和な者たちすべてよ,エホバを求めよ。義を求め,柔和を求めよ』。イエスの訓戒はこうでした。「王国と神の義をいつも第一に求めなさい」。(マタイ 6:33)神の王国を第一に求める人々は,ゼパニヤが警告した無関心さに警戒しなければなりません。ゼパニヤは,「エホバに従うことをやめてエホバを求めず,これに問い尋ねることをしなかった者たち」,また「その心のうちで,『エホバは善いことをしてくれないが,悪いことをもたらすわけでもない』と言っている者たち」について語っています。(ゼパニヤ 1:6,12)同様に,パウロもヘブライ人への手紙の中で,来たるべき裁きの日について述べ,しりごみすることについて警告し,さらにこう語っています。「しかしわたしたちは,しりごみして滅びに至るような者ではなく,信仰を抱いて魂を生き長らえさせる者です」。(ヘブライ 10:30,37-39)預言者は,「恐らくあなた方はエホバの怒りの日に隠されるであろう」と述べていますが,これは,途中でやめる人や,感謝しない人々に対してではなく,柔和と真剣さとをもって信仰のうちにエホバを求める人々に対して述べられているのです。「恐らく」と言われているのはなぜですか。なぜなら,最終的な救いは個人の歩みにかかっているからです。(マタイ 24:13)それはまた,神の憐れみにつけ込むことはできないということを思い出させる諭しともなります。ゼパニヤの預言は,不注意にしている者たちにその日が突如臨むことを疑問の余地なく示しています。―ゼパニヤ 2:3; 1:14,15; 3:8。
12 ゼパニヤは『エホバを求める』人々が勇気を持つためのどんな根拠を与えていますか。
12 それで,エホバに対して罪をおかす者たちに滅びを予告し,悔い改めて『エホバを求める』人々には輝かしい祝福を予示する音信がここにあります。それら悔い改めた人々は勇気を持つことができます。ゼパニヤは,「イスラエルの王エホバがあなたの中におられる」と述べているからです。今は,シオンが恐れたり,何もしないで手を垂れ下がらせたりしている時ではありません。今はエホバに依り頼むべき時です。エホバは「強大な方であり,救いを施してくださる。歓びを抱いてあなたのことを歓喜される。その愛のうちに沈黙される。幸福な叫びを上げてあなたのことを喜ばれる」。エホバの愛ある保護と,とこしえの祝福とを望みつつ,『神の王国を第一に求める』人々も幸福です。―3:15-17。
[脚注]
a マクリントクおよびストロング共編,「百科事典」(英文),1981年,復刻版,第7巻,112ページ。
b 「ルキアノス」,A・M・ハーモン訳(英文),1968年,第2巻,443ページ。
c 「ユダヤ古代誌」(英文),X,181,182(ix,7)。
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聖書の37番目の書 ― ハガイ書『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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聖書の37番目の書 ― ハガイ書
筆者: ハガイ
書かれた場所: エルサレム
書き終えられた年代: 西暦前520年
扱われている期間: 112日間(西暦前520年)
1,2 預言者ハガイに関してどんな情報が与えられていますか。彼はどんな二重の音信を伝えましたか。
その名はハガイであり,預言者また「エホバの使者」というのが彼の立場でした。しかし,彼はどのような生まれの人でしたか。(ハガイ 1:13)ハガイはどんな人物でしたか。ハガイ書はいわゆる小預言者の10番目の書ですが,ハガイはユダヤ人が西暦前537年に故国に戻った後に奉仕した3人の預言者のうちの最初の人です。ほかの二人はゼカリヤとマラキです。ハガイの名(ヘブライ語,ハッガイ)には,「祭り[の時に生まれた]」という意味があります。これは,彼が祝いの日に生まれたことを示しているのかもしれません。
2 ユダヤ人の伝承によって伝えられてきたとおり,ハガイはバビロンで生まれて,ゼルバベルや大祭司ヨシュアと共にエルサレムに戻って来たと考えるのが妥当なようです。ハガイは預言者ゼカリヤと相並んで奉仕し,エズラ 5章1節と6章14節では,この二人が,神殿建設の仕事を再開するように流刑の子らを励ましている様子が示されています。ハガイは二つの意味でエホバの預言者でした。神に対する務めを果たすようにユダヤ人に説き勧めると同時に,数々の事柄,とりわけあらゆる国民が揺り動かされるということについて予告したからです。―ハガイ 2:6,7。
3 ユダヤ人は自分たちが流刑地から帰還した目的に関して,何を見失っていましたか。
3 なぜエホバはハガイを任命されたのですか。それはこのような理由によりました。すなわち,西暦前537年に,キュロスは,ユダヤ人がその故国に戻って,エホバの家を再建することを許可する布告を発していました。しかし,既に西暦前520年になっても,その神殿は完成からほど遠い状態にありました。この間ずっと,ユダヤ人たちは,敵の反対や物質主義に加えて,自らの無関心さに妨げられて,自分たちが帰還した本来の目的を果たせないでいたのです。―エズラ 1:1-4; 3:10-13; 4:1-24。ハガイ 1:4。
4 何が神殿の建築を妨げていましたか。ハガイが預言を始めた時,事態はどのようになりましたか。
4 記録が示すように,神殿の土台が据えられるとすぐ(西暦前536年に),「その地の民は絶えずユダの民の手を弱め,建てさせまいとして彼らの意気をくじき,彼らの計り事を覆そうとして顧問官を雇って彼らに反対させ」ました。(エズラ 4:4,5)ついに,西暦前522年に非ユダヤ人のそれら反対者たちはその業に対する正式の禁令処置を出させることに成功しました。ハガイが預言を開始し,その結果,ユダヤ人が神殿建築の仕事を再開するよう励まされたのは,ペルシャの王ダリウス・ヒスタスペスの治世の第2年,つまり西暦前520年のことでした。時に,この件で裁定を求める手紙が近隣の総督たちからダリウスのもとに送られました。ダリウスはキュロスの布告の効力を復活させ,敵対者たちを退けてユダヤ人を支持しました。
5 ハガイ書が聖書の正典の一部であることを何が証明していますか。
5 ハガイの預言がヘブライ語聖書の正典の一部であることについてはユダヤ人の間でかつて一度も疑問視されたことがありません。そのことはまた,エズラ 5章1節および6章14節が「イスラエルの神の名によって」預言した人としてハガイに言及していることからも裏付けられています。彼の預言が『神の霊感を受けた聖書全体』の一部であることは,パウロがヘブライ 12章26節でハガイの言葉を次のように引用していることによっても証明されます。「今や[その方は],『わたしは,さらにもう一度,地だけでなく天をも振るい動かす』と約束しておられます」。―ハガイ 2:6。
6 ハガイの預言はどのような成り立ちになっていますか。どのようにエホバのみ名が強調されていますか。
6 ハガイの預言は,112日間に与えられた四つの音信で成り立っています。ハガイの文体は簡明直截で,エホバのみ名が強調されている点は特に注目に値します。全部で38節しかない中で,彼はエホバの名を35回も述べ,そのうち14回は「万軍のエホバ」という表現を用いています。彼は自分の音信がエホバからのものであることをはっきり示しています。こう記されています。「エホバの使者ハガイは,エホバからの使者としての務めにしたがい,さらに民に話してこう言った。『「わたしはあなた方と共にいる」と,エホバはお告げになる』」― 1:13。
7 ハガイは何を行なうようユダヤ人を励ましましたか。彼の音信の主旨は何でしたか。
7 それは神の民の歴史の中で非常に重要な時代であり,ハガイの活動は極めて有益なものとなりました。彼は預言者としての職務を果たす点でいささかもためらうことなく,またユダヤ人に対して言葉を加減することもありませんでした。彼は,その時が,ぐずぐずと引き延ばすべき時ではなく,仕事にしっかり取りかかるべき時である,ということを率直に告げました。エホバのみ手による繁栄を享受したいと思うのであれば,それはエホバの家を建て直して,清い崇拝を回復すべき時でした。ハガイの音信の主旨は,エホバの祝福を享受するためには,まことの神に仕えて,エホバがお命じになる業を行なわねばならないということです。
ハガイ書の内容
8 ユダヤ人が物質面でエホバの祝福を受けていないのはなぜですか。
8 第1の音信(1:1-15)。これは総督ゼルバベルと大祭司ヨシュアに向けられたものですが,民の聞くところで語られました。民は,「時は来ていない。エホバの家,それが建てられる時は来ていない」と言っていました。エホバはハガイを通して鋭い質問をされます。「この家が荒れているのに,あなた方のほうは鏡板を張った家に住んでいる時だろうか」。(1:2,4)彼らは物質的な面で多くをまいていましたが,食物や飲み物や衣服の面でほとんど益を得ていませんでした。「あなた方は自分の道に心を留めよ」と,エホバは訓戒されます。(1:7)今は木材を運び入れてその家を建て,エホバが栄光を受けるようにするべき時です。ユダヤ人たちは自分たちの家に十分気を配っていましたが,エホバの家は荒れたままになっています。それゆえ,エホバは,天からの露と野の産物とご自身の祝福とを差し控え,その労苦に報いることをされなかったのです。
9 エホバは仕事に取りかかるよう,ユダヤ人をどのように奮い立たせることをなさいますか。
9 今,彼らは要点をつかみます。ハガイの預言は無駄になりませんでした。支配者たちも民も『その神エホバの声に聴き従うように』なります。エホバへの恐れが人への恐れに取って代わります。エホバがその使者ハガイを通して与えた保証の言葉はこうです。「わたしはあなた方と共にいる」。(1:12,13)エホバご自身が総督の霊と大祭司の霊とご自分の民の残りの者の霊を奮い立たせておられます。彼らはハガイが預言を始めてわずか23日後,ペルシャ政府の公式の禁令が出されていたにもかかわらず,仕事に取りかかります。
10 ユダヤ人の中には自分たちの建てている神殿についてどのように感じる人がいましたか。しかしエホバはどんなことを約束されますか。
10 第2の音信(2:1-9)。建築活動が再開されてからまだ1か月もたっていませんが,ハガイは霊感による第2の音信を伝えます。これは,ゼルバベル,ヨシュア,そして民の残っている者たちに向けて語られます。捕囚から帰ったユダヤ人で,以前のソロモンの神殿を見たことのある人々の中には,それと比べてこの神殿がほとんど無に等しいもののように感じた人もいたようです。しかし,万軍のエホバはどのような言葉を述べられるでしょうか。『強くあれ,そして働け。わたしはあなた方と共にいるからである』。(2:4)エホバは彼らに対するご自分の契約を思い出させ,恐れることのないようにと彼らに告げます。エホバはあらゆる国民を激動させ,そのうちの望ましいものを入って来させ,ご自身の家を栄光で満たすという約束をもって彼らを強めてくださいます。この後代の家の栄光は以前の家の栄光よりさらに大いなるものとなり,この場所にエホバは平和をお与えになります。
11 (イ)ハガイはどんな比喩を用いて祭司たちの怠慢を指摘しますか。(ロ)その怠慢はどのような結果をもたらしていましたか。
11 第3の音信(2:10-19)。2か月と三日の後,ハガイは祭司たちに語りかけます。彼は自分の論点を銘記させるために一つの比喩を用います。祭司が聖なる肉を運んでいる場合,その祭司が触れる他の食物はすべて聖なるものとなるでしょうか。その答えは,否です。例えば死体など,何か汚れた物に触れる場合,それに触れた人は汚れるでしょうか。その答えは,然りです。次いでハガイはその比喩の意味をあてはめます。その地の民は清い崇拝をなおざりにしたために汚れています。彼らがささげるものは何でもエホバ神にとって汚れたものに見えます。それゆえに,エホバは彼らの労働を祝福されませんでした。その上,彼らに立ち枯れと白渋病と雹とを送られたのです。彼らは自分たちのやり方を改めるべきです。そうすれば,エホバは彼らを祝福されるでしょう。
12 ハガイは最後のどんな音信をゼルバベルに向けて語りますか。
12 第4の音信(2:20-23)。ハガイはこの音信を第3の音信と同じ日に伝えますが,それはゼルバベルに向けられています。エホバは再び,『天と地を激動させる』ことについて語られますが,今度はこの主題を拡張し,諸国民のもろもろの王国を完全に滅ぼし絶やすことについて語られます。多くの者が,「各々その兄弟の剣によって」倒れることになります。(2:21,22)ハガイは自分の預言を,ゼルバベルに対するエホバの恵みを保証することばで結んでいます。
なぜ有益か
13 ハガイの預言の活動にはすぐにどんな益がありましたか。
13 ハガイを通して伝達されたエホバからの四つの音信は当時のユダヤ人にとって有益なものでした。彼らはすぐに仕事に就くよう励まされ,4年半のうちにその神殿は完成されて,イスラエルにおける真の崇拝を推進するものとなりました。(エズラ 6:14,15)エホバは彼らの熱心な活動を祝福されました。ペルシャ王ダリウスが国家の記録類を調べて,キュロスの布告を再確認したのは,この神殿建築期間中のことでした。こうして神殿の工事はペルシャ王の公式の支援のもとに完成されました。―エズラ 6:1-13。
14 ハガイ書は今日のためのどんな賢明な助言を差し伸べていますか。
14 この預言にはまた,今日のための賢明な助言も含まれています。どうしてそう言えますか。一つの点として,それは被造物である人間が自分の個人的な関心事より神の崇拝に関する事柄を優先させるべきことを強調しています。(ハガイ 1:2-8。マタイ 6:33)それはまた,利己心が自滅的な結果を生み,物質主義を追い求めることがむなしい結果に終わることをわたしたちに銘記させます。人を富ませるものはエホバからの平安と祝福なのです。(ハガイ 1:9-11; 2:9。箴言 10:22)それはまた,神への奉仕は純粋で,魂のこもったものでない限り人を清くするわけではないこと,また神への奉仕を不潔な行ないによって汚してはならないことを強調しています。(ハガイ 2:10-14。コロサイ 3:23。ローマ 6:19)それはまた,神の僕たちが「昔の良い時代」ばかり振り返って悲観的な見方をしてはならず,むしろ『自分の道に心を留めて』前途を見つめ,エホバの栄光を求めなければならないことを示しています。そうすれば,エホバは彼らと共におられるのです。―ハガイ 2:3,4; 1:7,8,13。フィリピ 3:13,14。ローマ 8:31。
15 熱心な態度で従順を示すことの結果について,ハガイ書は何を示していますか。
15 ひとたび神殿の工事に忙しく携わるようになった時,ユダヤ人はエホバからの恵みを得て繁栄しました。障害となっていたものは消え去ったのです。その工事はやがて成し遂げられました。エホバに対する熱心で恐れのない活動は必ず報いをもたらします。現実の困難にせよ,想像上のものにせよ,それは勇気ある信仰を働かせることによって克服されるのです。「エホバの言葉」に対する従順にはそれだけの結果があります。―ハガイ 1:1。
16 ハガイ書の預言は王国の希望とどんな関係を持っていますか。それは今日,どのような奉仕を行なうようわたしたちを動かすはずですか。
16 エホバが『天と地を激動させる』という預言についてはどうでしょうか。使徒パウロはハガイ 2章6節を次のような言葉で適用しています。「今や[神は],『わたしは,さらにもう一度,地だけでなく天をも振るい動かす』と約束しておられます。さて,『さらにもう一度』という表現は,揺り動かされるものが造られたものとして取り除かれ,こうして,揺り動かされないものが残ることを表わしています。それゆえ,わたしたちは,揺り動かされることのない王国を受けることになっているのですから,過分のご親切のうちにとどまろうではありませんか。それによってわたしたちは,敬虔な恐れと畏敬とをもって,受け入れられる仕方で神に神聖な奉仕をささげることができます。わたしたちの神は焼き尽くす火でもあるのです」。(ヘブライ 12:26-29)ハガイは,その激動が「もろもろの王国の王座を覆し,諸国民の王国の力を滅ぼし尽くす」ために生じることを示しています。(ハガイ 2:21,22)パウロはこの預言を引用しつつ,それと対照させて,「揺り動かされることのない」神の王国について述べました。この王国の希望を思い巡らしつつ,わたしたちも『心を強くして働き』,神に神聖な奉仕をささげましょう。また,エホバが地の諸国民を覆される前に,ある貴重なものが振るい動かされて,生き残るために諸国民の中から出て来るということをも心に留めておきましょう。こう記されています。「『わたしはあらゆる国民を激動させる。あらゆる国民のうちの望ましいものが必ず入って来る。わたしはこの家を栄光で満たす』と,万軍のエホバは言われた」― 2:4,7。
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聖書の38番目の書 ― ゼカリヤ書『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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聖書の38番目の書 ― ゼカリヤ書
筆者: ゼカリヤ
書かれた場所: エルサレム
書き終えられた年代: 西暦前518年
扱われている期間: 西暦前520年-518年
1 ゼカリヤが預言を始めた時,エルサレムの神殿はどんな状態でしたか。
全くの行き詰まり! これが,ゼカリヤが預言を始めた時の,エルサレムにおけるエホバの神殿の建設作業の状態でした。ソロモンは7年半をかけて初めの神殿を建設しましたが(列王第一 6:37,38),帰還したユダヤ人がエルサレムに戻って17年になるのに,建築工事は完成からほど遠い状態にありました。アルタクセルクセス(バルディア,もしくはゴーマータ)による禁令の後,工事はついに完全な停止状態に陥っていました。しかし今や,この公式の禁令にもかかわらず,工事は再び進行していました。エホバはハガイとゼカリヤを用いて,その工事を再開し,完成までその仕事にとどまるよう,民を奮い立たせておられました。―エズラ 4:23,24; 5:1,2。
2 なぜその仕事は山のように見えましたか。しかしゼカリヤはどんなことに民の注意を向けさせましたか。
2 彼らの前に置かれた仕事は山のように見えました。(ゼカリヤ 4:6,7)彼らは数が少なく,敵対者たちは多くいました。ダビデの家系の君ゼルバベルがいるとはいえ,王はおらず,民は異国の支配下に置かれていました。時の面から見れば,強い信仰と精力的な行動が本当に求められていましたが,軟弱で自己中心的な態度に陥ってしまうのは何と容易なことだったのでしょう。ゼカリヤは,民の注意を神のその時代の目的に,そして将来のさらに壮大な目的に向けさせ,こうして,なすべき仕事に備えて彼らを強めるために用いられました。(8:9,13)それは,認識の欠けた父祖たちのようになるべき時ではありませんでした。―1:5,6。
3 (イ)ゼカリヤはどのような人として明示されていますか。なぜ彼の名前は適切ですか。(ロ)ゼカリヤの預言はいつ語られ,また記録されましたか。
3 ゼカリヤはどんな人でしたか。聖書の中にはゼカリヤという名を持つ人が30人ほど出てきます。しかし,この名を付された書の筆者は,「預言者イドの子であるベレクヤの子ゼカリヤ」であると明示されています。(ゼカリヤ 1:1。エズラ 5:1。ネヘミヤ 12:12,16)その名前(ヘブライ語,ゼカルヤー)には,「エホバは覚えてくださった」という意味があります。ゼカリヤ書は,「万軍のエホバ」がご自分の民をよく覚えておられて,ご自身のみ名のために彼らに良い扱いをされることを非常にはっきりと示しています。(ゼカリヤ 1:3)この書の中で述べられている年代からすると,そこで扱われているのは少なくとも2年ほどの期間です。神殿の建設作業が再開され,ゼカリヤが預言を開始したのは,「ダリウスの第二年,第八の月」(西暦前520年10月から11月にわたる時期)のことでした。(1:1)この書はまた,「ダリウスの第四年,第九の月つまりキスレウの四日」(西暦前518年12月1日ごろ)に言及しています。(7:1)したがって,ゼカリヤの預言は西暦前520年から518年の間に語られ,また記録されたに違いありません。―エズラ 4:24。
4,5 (イ)なぜゼカリヤはティルス市がネブカドネザルによって攻囲されてからずっと後に同市の倒壊について予言しましたか。(ロ)特にどんな預言の成就は,この書が霊感によるものであることを示す説得力のある証拠となっていますか。
4 ゼカリヤ書を研究する人々は,この書の信ぴょう性に関する豊富な証拠を見いだすでしょう。ティルスに関する例を取り上げましょう。バビロニアの王ネブカドネザルがティルスを破壊したのは13年にわたる長い攻囲の後のことでした。しかし,これはティルスが完全に終わりを迎えたことを意味するものではありませんでした。ゼカリヤは,それより幾年も後に,ティルスの完全な滅亡を予告しました。アレクサンドロス大王が,突堤を築くという有名な偉業をやってのけた時に覆したのは,ティルスの島の都市でした。アレクサンドロスはティルスを無残に焼き落とし,こうして2世紀ほど前に語られたゼカリヤの預言を成就しました。a ―ゼカリヤ 9:2-4。
5 しかし,この書が神の霊感によるものであることを示す最も説得力のある証拠は,メシアすなわちキリスト・イエスに関するその預言の成就に見られます。それは,ゼカリヤ 9章9節とマタイ 21章4,5節およびヨハネ 12章14節から16節; ゼカリヤ 12章10節とヨハネ 19章34節から37節; そしてゼカリヤ 13章7節とマタイ 26章31節およびマルコ 14章27節を比較すれば分かります。また,ゼカリヤ 8章16節とエフェソス 4章25節; ゼカリヤ 3章2節とユダ 9節; およびゼカリヤ 14章5節とユダ 14節の間にも注目すべき類似点が見られます。神の言葉に見られる調和には本当に驚嘆すべきものがあります。
6 (イ)ゼカリヤ 9章以降,文体が変化しているのはどうしてでしょうか。(ロ)マタイがゼカリヤ書のことを「エレミヤ書」と呼んでいる理由としてどんなことが考えられますか。
6 聖書を批判する人の中には,9章以降に見られる文体上の変化は,その部分がゼカリヤによって書かれたとは考えられないことを示していると唱える人々がいます。しかし,その文体の変化は,主題の変化に伴って当然考えられる変化ほど大きくはありません。初めの八つの章は,ゼカリヤの時代の民にとって当面重要であった事柄を扱っているのに対し,9章から14章の中で,預言者はずっと将来の事柄を展望しています。マタイがゼカリヤ書から引用しながら,その言葉をエレミヤ書のものとしている理由を疑問に思ってきた人もいます。(マタイ 27:9。ゼカリヤ 11:12)エレミヤ書は時として,「後期預言者」と呼ばれる部分の最初の書(現在の聖書のようにイザヤ書ではなく)とみなされたようです。それで,マタイがゼカリヤ書を指して「エレミヤ」と呼んだのは,聖書のある部分全体を,その部分の最初の書の名称で表わしたユダヤ人の習慣に従っていたためと考えられます。イエスご自身も「詩編」という名称を用いて,「諸書」として知られるすべての書をそこに含めておられます。―ルカ 24:44。b
7 ゼカリヤ書の内容はどのような配列になっていますか。
7 この書の6章8節までは,形式の点でダニエル書やエゼキエル書の幻と似た一連の八つの幻で成り立っています。それらはおおむね神殿の再建に関連した幻です。その後に,誠実な崇拝,回復,およびエホバの戦いの日などに関する宣言や預言が続いています。
ゼカリヤ書の内容
8 四人の騎手に関する幻はエルサレムと諸国民に関して何を示していますか。
8 第1の幻: 四人の騎手(1:1-17)。「わたしのもとに帰れ……そうすればわたしもあなた方のもとに帰ろう」とエホバは言われ,次いで,「わたしの僕である預言者たちに命じたわたしの言葉と規定,それらはあなた方の父たちに追いついたのではなかったか」と問われます。(1:3,6)民は,自分たちが当然の分を受けたことを認めます。この時ゼカリヤの最初の幻が生じます。夜に四人の騎手がエルサレムの近くの木々の間に立っています。彼らは全地を検分して戻って来たところです。彼らは全地に何の騒乱もなく,そこが平穏であるのを見て来ました。しかし,それら四人に問い尋ねたエホバのみ使いは,エルサレムの状態については憂慮しています。シオンに臨む災いを助長した諸国民に対してエホバご自身が大いなる憤りを表明し,「わたしは必ず憐れみを抱いてエルサレムに帰る」と言われます。エホバご自身の家がそこに建てられ,エホバのもろもろの都市は「やがて良いものであふれるようになる」のです。―1:16,17。
9 角と職人の幻についてエホバはどのように説明されますか。
9 第2の幻: 角と職人(1:18-21)。ゼカリヤは,ユダ,イスラエル,およびエルサレムを追い散らした四本の角を見ます。次いでエホバは彼に四人の職人を見させ,ユダに敵対する諸国民の角を投げうつためにそれらの者がやって来ると説明されます。
10 エホバはエルサレムの繁栄とどのように関係しておられますか。
10 第3の幻: エルサレムの繁栄(2:1-13)。ひとりの人がエルサレムを測っているのが見えます。この都市は拡大をもって祝福され,エホバはその周囲を巡る火の城壁となり,またその中にあって栄光となられるでしょう。エホバは,『ほーい,シオンよ,逃げて来い』と呼びかけ,「あなた方に触れる者はわたしの目の玉に触れているのである」という警告を付け加えられます。(2:7,8)エホバがシオンの中に住まれる時,シオンは歓び,多くの国の民は自らエホバのもとに加わるでしょう。肉なるものはすべてエホバの前で沈黙するように命じられます。「神はその聖なる住まいから身を起こされたから」です。―2:13。
11 大祭司ヨシュアはどのように正しさを立証されますか。彼はどんな道を取るように促されますか。
11 第4の幻: ヨシュアの救出(3:1-10)。大祭司ヨシュアが審理を受けている様子が示されます。サタンが彼に敵対しており,エホバのみ使いはサタンを叱責しています。ヨシュアは「火の中からつかみ出された丸太」ではないのですか。(3:2)ヨシュアは清められた者と宣言され,その汚れた衣は清い「礼服」と替えられます。ヨシュアはエホバの道を歩むように促されます。エホバは「自分の僕である新芽を携え入れ」ておられ,ヨシュアの前に七つの目のある石を置かれます。―3:4,8。
12 神殿の建築に関してどんな励ましと保証が与えられていますか。
12 第5の幻: 燭台とオリーブの木(4:1-14)。み使いはゼカリヤを目ざめさせて,七つのともしび皿のある金の燭台を見させます。その傍らには二本のオリーブの木があります。彼はゼルバベルに対するエホバのこの言葉を聞きます。「軍勢によらず,力にもよらず,ただわたしの霊による」。「大いなる山」もゼルバベルの前では平らにされ,神殿の頭石は「麗しいかな,麗しいかな」という叫び声の上がる中で携えられて来るでしょう。ゼルバベルは神殿の土台を据えました。ですからゼルバベルがその業を仕上げるのです。七つのともしび皿は「全地を行き巡っている」エホバの目です。(4:6,7,10)二本のオリーブの木はエホバの油そそがれた者たち二人です。
13-15 飛んで行く巻き物,エファ升,および四台の兵車の幻の中でどんなことが示されますか。
13 第6の幻: 飛んで行く巻き物(5:1-4)。ゼカリヤは飛んで行く巻き物を見ます。それは長さ約9㍍,幅約4.5㍍の巻き物です。これは,盗みをしたり,エホバの名において偽りの誓いをしたりする者たちすべてのゆえに進んで行くのろいである,とみ使いは説明します。
14 第7の幻: エファ升(5:5-11)。エファ升(約22㍑)のふたが持ち上げられ,「邪悪」と名づけられた一人の女が姿を現わします。彼女はそのエファ升の中に押し戻され,次いでそのエファ升は翼を持つ二人の女によって天の方向に持ち上げられ,シナル(バビロン)に運ばれ,「自分のいるべき所に置かれる」ことになります。―5:8,11。
15 第8の幻: 四台の兵車(6:1-8)。ご覧なさい! 二つの銅の山の間から,四台の兵車が現われます。それには様々な色の馬が伴っています。これらは天の四つの霊です。み使いの命令のもとに,それらは地を行き巡ります。
16 「新芽」に関してどんなことが預言されていますか。
16 新芽; 不誠実な断食(6:9-7:14)。エホバは今,壮麗な冠を大祭司ヨシュアの頭に載せるようにとゼカリヤに指示します。そして,エホバの神殿を建て,王座に着いて祭司として支配する「新芽」について預言的に語られます。―6:12。
17 崇拝に関してエホバは何を望んでおられますか。エホバの言葉に抵抗した者たちにどんな結果が臨みましたか。
17 ゼカリヤが預言を始めてから2年後に,使節団がベテルからやって来て,泣き悲しみや断食のための種々の期間を引き続き守るべきかどうかについて神殿の祭司たちに尋ねます。エホバはゼカリヤを通して,断食をする際に民や祭司たちは真に誠実であるかどうかと彼らに尋ねます。エホバが望んでおられるのは,『従順と真の公正と愛ある親切と憐れみ』です。(7:7,9)ユダヤ人は強情な肩と金剛石のような心をもってエホバの預言の言葉に抵抗したゆえに,エホバは彼らをあらゆる国民の中に激しく投げ込まれました。
18 エホバは回復に関するどんな栄光ある約束をされますか。
18 回復; 「十人の者」(8:1-23)。エホバは,ご自分がシオンに帰ってエルサレムに住むということを宣言されます。そこは「真実の都市」と呼ばれることになるでしょう。老人たちは公共広場で座り,子供たちはそこで遊ぶでしょう。真実の義なる神であられるエホバにとって,これは決して難しすぎることではありません。エホバはご自分の民の残りの者に対して平和の種を約束し,「恐れてはいけない。あなた方の手は強くなるように」と言われます。(8:3,13)彼らは次のことを行なうべきです。すなわち,互いに対して真実を語り,真実をもって裁きを行ない,災いのたくらみや偽りの誓いを心に抱かないようにすべきです。多くの都市の民が互いに誘い合い,熱意を抱いて上って行ってエホバを求め,あらゆる言語から来た「十人の者」が「ユダヤ人である一人の者のすそをとらえ」て神の民と共に行くようになる時が来ます。―8:23。
19 どんな厳しい宣告がその後に続いていますか。しかしエルサレムの王に関してどんなことが述べられていますか。
19 諸国民に対する宣告,偽りの牧者たち(9:1-11:17)。この書の第2部分である9章から14章までの中で,ゼカリヤは比喩的な幻から転じて,より普通の預言の形に移ります。彼はまず様々な都市に対する厳しい宣告のことばを述べます。岩ばかりの島に築かれた都市ティルスもその中に含まれています。エルサレムは勝利の叫びを上げるように命じられます。「見よ,あなたの王があなたのもとに来る」からです。「(彼は)義にかなった者,救われた者である。謙遜であり,ろばに……乗っている」。(9:9)この方は戦車と弓とを断ち,諸国民に平和を語り,地の果てまで治めます。エホバはご自分の民のためにギリシャと戦って,ご自分の民を救われます。「神の善良さは何と大きく,その麗しさは何と壮大なのであろう」。(9:17)雨をお与えになるエホバは占いをする者たちや偽りの牧者たちを罪に定めます。エホバはユダの家を勝ったものとし,エフライムの者たちを力ある者のようにされます。請け戻された者たちについて言えば,「その心はエホバにあって喜びに満たされ……彼らはその名によって歩き回る」ことでしょう。―10:7,12。
20 「楽しみ」,「結合」と名づけられた杖に関連してどんな象徴的行為が行なわれますか。
20 次いでゼカリヤは羊の群れを牧するように割り当てられます。それは,「わたしが富を得る間,エホバがほめたたえられるように」と語る同情心のない牧者たちによって売り渡されてほふられる羊の群れです。(11:5)預言者は二本の杖を手に取り,それを「楽しみ」,および「結合」と呼びます。(11:7)彼は「楽しみ」のほうを折って,破られた契約の象徴とします。次いで彼は自分の賃金を求め,彼らは銀30枚を量って渡します。エホバはそれを宝物庫の中に投げ入れるようにとゼカリヤに命じ,最高度の皮肉をこめて,「わたしが値積もりされたその立派な価」と言われます。(11:13)次いで「結合」の杖が断ち切られ,ユダとイスラエルの兄弟関係が断たれます。エホバの羊をなおざりにした偽りの牧者たちの上に剣が臨みます。
21 (イ)エルサレムに向かって戦う者たちに対してエホバはどんな裁きを下されますか。(ロ)散らすこと,また精錬することに関して何が予告されていますか。
21 エホバは戦われ,王となられる(12:1-14:21)。別の宣告が始まります。エホバはエルサレムを,もろもろの民をふらつかせる鉢,それを持ち上げようとする者にかき傷を生じさせる重荷の石とならせます。エホバは,エルサレムに攻めかかるあらゆる国民を滅ぼし尽くされるのです。ダビデの家の上に,エホバは恵みと懇願の霊を注ぎ出されます。そして民は自分たちが刺し通した者を見つめ,「一人子について泣き叫ぶかのように」彼について泣き叫びます。(12:10)万軍のエホバは偶像と偽預言者たちすべてを断つことを言明されます。そのような者の親自身がこれを傷つけ,その者が恥じて預言者の衣を脱ぐようにしなければなりません。エホバの仲間の牧者が打たれると,群れは散らされます。それでもエホバは「三分の一」を精錬して,ご自分の名を呼び求めるようにさせます。エホバは「これはわたしの民である」と言われ,それは,「エホバはわたしの神です」と答えます。―13:9。
22 「エホバの日」に諸国民とエルサレムはどうなりますか。
22 「見よ,エホバの日が来る」。すべての国の民がエルサレムを攻撃し,その都市の半ばは流刑にされ,残りの者たちだけを後に残すでしょう。その時エホバは進み出て,「ご自分の戦いの日,戦闘の日のように」それら諸国民と戦われます。(14:1,3)エルサレムの東にあるオリーブの山は東から西に向かって裂け,逃げ込むための谷ができます。その日,生きた水がエルサレムから東と西に向かって流れます。夏も冬もそのようになります。そして,「エホバは全地の王となる」のです。(14:9)エルサレムが安全をおう歌している間,エホバはエルサレムに対して戦う者たちをむち打たれます。彼らがまだ立っている間にその肉と目と舌とが朽ち果ててゆきます。彼らは混乱に見舞われます。各人の手がそれぞれその隣人に向かって上げられます。あらゆる国民のうち生きて残っている者たちは,「年ごとに上って行って王なる万軍のエホバに身をかがめ」なければならないでしょう。―14:16。
なぜ有益か
23 ゼカリヤの記録はどのように信仰を強めますか。
23 ゼカリヤの預言を研究して深く思い巡らす人は皆,信仰を強める知識を得て益を受けられます。ゼカリヤは,ご自分の民のために戦ってこれを保護し,必要に応じて彼らに力を満たされる方である「万軍のエホバ」に50回以上注意を向けています。山のような反対が神殿建築の業の完成を脅かした時,ゼカリヤはこう言明しました。「これはゼルバベルに対するエホバの言葉である。こう言われた。『「軍勢によらず,力にもよらず,ただわたしの霊による」と,万軍のエホバは言った。大いなる山よ,あなたは何者か。ゼルバベルの前にあっては,あなたも平たんな土地となるであろう』」。その神殿はエホバの霊の助けを得て完成しました。同様に今日でも,エホバに対する信仰を持って取り組むなら,障害は消え去るでしょう。イエスがその弟子たちに話されたとおりです。「[あなた方に]からしの種粒ほどの信仰があるなら,この山に,『ここからあそこに移れ』と言うとしても,それは移るのであり,何事もあなた方にとって不可能ではないのです」。―ゼカリヤ 4:6,7。マタイ 17:20。
24 ゼカリヤ 13章の中では忠節に関するどんな例が示されていますか。
24 13章2節から6節で,ゼカリヤは,エホバの組織を今日まで特徴づけている忠節さを例証しています。これは身近な血肉の関係を含め,あらゆる人間関係を超えるものでなければなりません。もし親しい親族がエホバの名において偽りの預言をするとすれば,つまり,王国の音信に逆らう事柄を語って神の民の会衆内の他の人々に悪い影響を与えようとするなら,その人の家族の成員は,会衆が講ずるどんな審理上の処理でも忠節をつくして支持しなければなりません。親しい仲間でも偽りの預言をする者に対しては同じ態度を取らなければなりません。当人が恥じて,自分の誤った行動のゆえにその心が傷つけられるようになるためです。
25 「新芽」であるメシアとはだれかを明らかにし,エホバのもとに置かれる大祭司また王としてのその職務を示す点で,ゼカリヤ書の預言は聖書の他の部分とどのように関連し合っていますか。
25 この課の序言の部分の節で示されたとおり,イエスが『謙遜で,ろばに乗った』王としてエルサレムに入城すること,裏切られて「銀三十枚」で売り渡されること,その時に弟子たちが散らされること,また杭の上で兵士の槍によって突き刺されることなどのすべては,ゼカリヤ書によって細かな点に至るまで正確に予告されていました。(ゼカリヤ 9:9; 11:12; 13:7; 12:10)この預言はまた,「新芽」がエホバの神殿の建築者となることを示しています。イザヤ 11章1節から10節とエレミヤ 23章5節,およびルカ 1章32,33節を比較してみると,これは「王としてヤコブの家を永久に支配する」イエス・キリストであることが分かります。ゼカリヤはその「新芽」が「その王座にあって祭司となる」と描写していますが,これは,「イエス(は)メルキゼデクのさまにしたがい永久に大祭司となられた方」,また「その方は天におられる威光のみ座の右に座(された)」という,使徒パウロの言葉とも適合します。(ゼカリヤ 6:12,13。ヘブライ 6:20; 8:1)こうして預言は,その「新芽」が大祭司であり,また天の神の右にあって王となる方であることを指摘していますが,同時にまた,エホバがすべての者の上に主権を持たれる支配者であられることをもふれ告げています。「そして,エホバは全地の王となるのである。その日,エホバはひとり,そのみ名も一つであることが明らかになるであろう」― ゼカリヤ 14:9。
26 ゼカリヤ書はどんな栄光ある「日」に繰り返し言及していますか。
26 その時のことを指して,預言者は「その日」という表現を20回も繰り返し,その同じ表現が彼の預言の結びともなっています。何度も出ているこの表現を調べてみると,それは,エホバが偶像の名を断ち,偽預言者たちを除き去る日であることが分かります。(13:2,4)それは,侵略して来る諸国民に対してエホバが戦われ,その隊伍のうちに混乱を押し広げつつ彼らを滅ぼし尽くされる日,そして『ご自分の山あいの谷』をご自身の民の逃れ場として備える時です。(14:1-5,13; 12:8,9)そうです,「彼らの神エホバはその日に必ず彼らを救う。ご自分の民を,羊の群れのようにして」とあるとおりにされます。そして彼らはぶどうの木やいちじくの木の下で互いに呼び合うのです。(ゼカリヤ 9:16; 3:10。ミカ 4:4)それは,万軍のエホバがご自分の民の『うちに住まれ』,「生きた水がエルサレムから」出る栄光の日です。ゼカリヤのこれらの言葉は,王国の約束に基づく「新しい天と新しい地」の先ぶれとなる「その日」の出来事を明示しています。―ゼカリヤ 2:11; 14:8。啓示 21:1-3; 22:1。
27 この預言はエホバを神聖なものとすることにどのように注意を集中していますか。
27 「小さな事の日を侮ったのはだれであろうか」とエホバは尋ねておられます。ご覧なさい,この繁栄が全地を包むことになるのです。『多くの民また強大な国民がまさにやって来て,エルサレムで万軍のエホバを求め,諸国のあらゆる言語から来た十人の者が,ユダヤ人である一人の者のすそをとらえてこう言う。「わたしたちはあなた方と共に行きます。神があなた方と共におられることを聞いたからです」』。「その日」には馬の鈴の上にさえ「神聖さはエホバのもの!」という言葉が記されるでしょう。これら心温まる預言の言葉について考えるのは極めて有益です。それは,エホバの王国の胤を通してエホバのみ名が本当に神聖なものとされることを示しているからです。―ゼカリヤ 4:10; 8:22,23; 14:20。
[脚注]
a 「聖書に対する洞察」(英文),第2巻,531,1136ページ。
b 「ユダヤ百科事典」(英文),1973年,第4巻,828欄。「聖書に対する洞察」(英文),第1巻,1080,1081ページ。
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聖書の39番目の書 ― マラキ書『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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聖書の39番目の書 ― マラキ書
筆者: マラキ
書かれた場所: エルサレム
書き終えられた年代: 西暦前443年以後
1 何がエホバに対するマラキの熱心さを示していますか。
マラキとはどんな人でしたか。彼の祖先や経歴に関しては一言も記録されていません。しかし,その預言の主旨からはっきり言える点として,彼は,エホバ神に対する専心の念を抱き,そのみ名と清い崇拝を擁護する面で極めて熱心な人でした。また,神に仕えると唱えながらただ自分のために働く人々に対して強い憤りを抱いた人でした。全部で4章にわたる彼の預言の中でエホバのみ名は48回も述べられています。
2 マラキの名にはどのような意味があるようですか。彼はどの時代に生きていたものと思われますか。
2 彼の名はヘブライ語では「マルアーキー」といい,この名には「わたしの使者」という意味があるようです。ヘブライ語聖書とセプトゥアギンタ訳,およびそれぞれの書を年代順に配列したものなどのすべては,マラキ書をいわゆる12小預言者の最後に置いています。「大会堂」の伝承によると,彼は預言者であったハガイやゼカリヤより後の時代に生き,ネヘミヤと同時代の人でした。
3 マラキの預言が西暦前443年以後に書かれたことを何が示唆していますか。
3 この預言はいつ書かれましたか。それは総督による支配が行なわれていた時代でした。すなわち,70年にわたるユダの荒廃の後にエルサレムが回復を見たその時代であったことが分かります。(マラキ 1:8)しかし,どの総督の時代でしょうか。神殿での奉仕のことは述べられていますが,神殿の建築については言及されていませんから,それは総督ゼルバベルの時代よりも後であったに違いありません。神殿はゼルバベルの任期中に完成されたのです。この時期の総督として聖書の中に名を挙げられているのはほかには一人だけで,それはネヘミヤです。マラキの預言はネヘミヤの時代と合致しますか。エルサレムとその城壁の再建に関することはマラキ書の中で何も述べられていません。それによって,ネヘミヤの総督としての任期の初めの部分は除外されます。しかし,祭司たちの悪習に関しては多くのことが述べられており,このことは,ネヘミヤが2度目にエルサレムに来た時に存在していた状況とマラキ書とを結びつけるものとなります。それはネヘミヤがアルタクセルクセスによってバビロンに呼び戻された西暦前443年,その王の治世の第32年より後のことでした。(マラキ 2:1。ネヘミヤ 13:6)マラキ書とネヘミヤ記の中に見られる類似の章句は,マラキの預言がその特別の時期に当てはまるものであることを示しています。―マラキ 2:4-8,11,12 ― ネヘミヤ 13:11,15,23-26。マラキ 3:8-10 ― ネヘミヤ 13:10-12。
4 マラキ書が霊感を受けた,信ぴょう性のあるものであることを何が証明していますか。
4 マラキ書は信ぴょう性のあるものとしてユダヤ人の間で常に受け入れられてきました。マラキ書からクリスチャン・ギリシャ語聖書への引用の多くはその預言の成就を示しており,マラキ書が霊感を受けたものであり,クリスチャン会衆によって認められたヘブライ語聖書の正典の一部であったことを証明しています。―マラキ 1:2,3 ― ローマ 9:13。マラキ 3:1 ― マタイ 11:10,ルカ 1:76; 7:27。マラキ 4:5,6 ― マタイ 11:14; 17:10-13,マルコ 9:11-13,ルカ 1:17。
5 霊的に低いどんな状態のためにマラキの預言が必要とされましたか。
5 マラキの預言は,神殿再建の時にハガイやゼカリヤなどの預言者たちによって奮い起こされた宗教的熱意や熱心さが既に失われていたことを示しています。祭司たちはむとんちゃくで,高慢で,独善的になっていました。神殿での奉仕はただのまねごととなっていました。神はイスラエルに関心を抱いてはおられないといった感じ方のために,什一や捧げ物はささげられなくなっていました。ゼルバベルに集中していた種々の希望は実現せず,ある人々の期待に反してメシアはまだ来ていませんでした。ユダヤ人の霊的な状態は非常に衰退していました。励みと希望を抱かせるどんな根拠があるでしょうか。どうしたら民は自分たちの真の状態に気づき,目ざめて義にかなった状態に戻れるでしょうか。マラキの預言はその答えとなりました。
6 マラキの文体はどのような性格のものですか。
6 マラキの文体は直截であり,迫力があります。彼はまず主張を述べ,次いで自分が話しかけている人々からの反論に答えています。最後に彼は自分の初めの主張を再び確言しています。これはその論議に強さと生気を添えるものとなっています。彼は雄弁の限りを尽くすというより,むしろ急調子の,大いに論証的なスタイルを用いています。
マラキ書の内容
7 エホバは何に対する愛と憎しみを表明しておられますか。
7 祭司たちに対するエホバのおきて(1:1-2:17)。エホバはまずご自分の民に対する愛を言い表わされます。エホバはヤコブを愛し,エサウを憎まれました。エドムはできるものなら,自分の荒れ廃れた場所を建て直してみるがよいでしょう。エホバはそれを打ち崩し,彼らは「邪悪の領地」,エホバによって糾弾された民と呼ばれることになるでしょう。エホバは『イスラエルの領地に関して大いなるものとされる』からです。―1:4,5。
8 祭司たちはエホバの食卓をどのように汚していましたか。なぜ彼らにのろいが臨みますか。
8 次いでエホバは,『エホバの名を軽んじている祭司たち』に直接話しかけます。彼らは自分たちを正当化しようとしていますが,エホバは彼らがささげるめくらや足なえや病気の動物について指摘し,総督でさえそのような捧げ物を是認するだろうか,と問われます。エホバは彼らに何の喜びも抱いておられません。エホバのみ名は諸国民の間で高められなければならないのに,これらの人々は,「エホバの食卓は汚れたもの」と唱えて,エホバを汚しています。彼らが無価値な犠牲をささげて,こうかつにも自分たちの誓約を回避しようとしているために,彼らにはのろいが臨むことになるでしょう。「『わたしは大いなる王なのである』と,万軍のエホバは言われた。『わたしの名は諸国民の中で畏怖の念を抱かせるものとなるであろう』」。―1:6,12,14。
9 祭司たちはどんな点で失敗していましたか。彼らはどのようにエホバの神聖さを汚していましたか。
9 次いでエホバは祭司たちにおきてを与え,もし彼らがこの助言に心を留めないなら,エホバは彼らと彼らに対する祝福の上にのろいを送るであろうと言われます。エホバは彼らの祭りの糞を彼らの顔に振りまくでしょう。彼らがレビの契約を守らなかったからです。「祭司の唇は知識を保つべきものであり,律法は,民が彼の口に求めるべきものなのである。彼は万軍のエホバの使者だからである」。(2:7)マラキはイスラエルとユダの大きな罪について告白します。彼らは互いに対して不実な振る舞いをし,異国の神の娘を花嫁に迎えて,自分たちの父また創造者なるエホバの神聖さを汚しました。彼らは甚だしいまでにエホバをうみ疲れさせました。彼らは,「公正の神はどこにいるのか」とまで言いました。―2:17。
10 どんな裁きの業のために主はご自分の神殿に来られますか。
10 まことの主と使者(3:1-18)。次いで預言は「万軍のエホバ」の次の言葉をもってクライマックスに達します。「見よ,わたしは自分の使者を遣わす。彼はわたしの前に道を整えなければならない。また,あなた方の求める,まことの主がその神殿に突然に来る。そして,あなた方の喜ぶ契約の使者が。見よ,その者は必ず来る」。(3:1)その方は精錬する者としてレビの子らを清め,神に恐れを持たない邪悪な者たちに対して速やかな証人となられます。エホバは変わることがありません。彼らはヤコブの子らですから,もし彼らがエホバのもとに帰るなら,エホバも憐れみをもって彼らのもとに帰られます。
11 彼らは今どのように神を試みるべきですか。それにはどんな祝福が伴いますか。
11 彼らは神から奪い取ってきましたが,今は,エホバの家に食物があるようにするため,自分たちの什一を倉に携えて来てエホバを試み,エホバが天の水門から満ちあふれる祝福を注ぎ出してくださるとの確信を示すべきです。彼らは喜びの地となり,あらゆる国民から幸福な民と呼ばれます。エホバを恐れる者たちは互いに語り合い,エホバは注意して,聴いておられました。「そして,エホバを恐れる者のため,またそのみ名を思う者たちのために,覚えの書がそのみ前で記されるように」なりました。(3:16)エホバがご自分の特別な所有物を生み出される日に,彼らはまさしくエホバのものとなるでしょう。
12 エホバの畏怖の念を抱かせる日に関して何が約束されていますか。
12 エホバの大いなる,畏怖の念を抱かせる日(4:1-6)。これは,邪悪な者をむさぼり食って根も大枝も残さないまでにする来たるべき日です。しかし,エホバのみ名を恐れる者たちには義の太陽が照り輝き,彼らはいやされます。エホバは,モーセの律法を覚えているようにと彼らに訓戒されます。エホバの大いなる,畏怖の念を抱かせる日の前に預言者エリヤを遣わすことをエホバは約束されます。「そして彼は,父の心を子に,子の心を父に立ち返らせるのである。それは,わたしが来てまさに地を打ち,それを滅びのためにささげることのないためである」― 4:6。
なぜ有益か
13 (イ)エホバの憐れみと愛,(ロ)神の言葉を教える者たちの責任,(ハ)神の律法と原則を犯す者たちに関して,マラキはどんなことを述べますか。
13 マラキ書は,エホバ神の不変の原則と憐れみある愛とを理解するための助けとなります。この書は最初に,ご自分の民「ヤコブ」に対するエホバの大いなる愛を強調しています。エホバはヤコブの子らにこう言明されました。「わたしはエホバであり,わたしは変わっていない」。彼らの大いなる悪にもかかわらず,エホバは,彼らが帰って来るなら,ご自身も民のもとに帰る用意をしておられました。真に憐れみのある神ではありませんか。(マラキ 1:2; 3:6,7。ローマ 11:28。出エジプト記 34:6,7)エホバはマラキを通して,祭司の唇が「知識を保つべき」ことを強調されました。神の言葉の教えを託された者は皆この点に注意を払って,自分の分かち与えているものが確かに正確な知識であるようにするべきです。(マラキ 2:7。フィリピ 1:9-11。ヤコブ 3:1と比較してください。)エホバは,偽善者たちを,すなわち,『悪を行なってもエホバの目には善しとされる』かのように言おうとする者たちを容認されません。だれも,この大いなる王に捧げ物をしているかのような上辺によってエホバを欺くことができる,などと考えてはなりません。(マラキ 2:17; 1:14。コロサイ 3:23,24)エホバはご自分の義の律法と原則を犯す者たちすべてに対して速やかな証人となられます。だれも邪悪な行動をして,うまく逃れられるなどと考えるべきではありません。エホバは彼らを裁かれます。(マラキ 3:5。ヘブライ 10:30,31)義にかなった人々は,エホバがその行ないを覚えて報いを与えてくださるとの全き確信を持つことができます。そのような人々は,イエスがなさったと同じように,モーセの律法に注意を払うべきです。その律法の中には,イエスのうちに成就した多くの事柄が含まれているからです。―マラキ 3:16; 4:4。ルカ 24:44,45。
14 (イ)マラキは将来のどんなことを特に指し示しますか。(ロ)マラキ 3章1節は西暦1世紀にどのように成就しましたか。
14 霊感を受けて記されたヘブライ語聖書の最後の書として,マラキ書はメシアの到来をめぐる出来事を指し示しています。4世紀以上後に起きたそのメシアの出現は,クリスチャン・ギリシャ語聖書を書くべき理由となりました。マラキ 3章1節に記録されているとおり,万軍のエホバはこう言われました。「見よ,わたしは自分の使者を遣わす。彼はわたしの前に道を整えなければならない」。老齢のゼカリヤは霊感のもとに語りつつ,このことが自分の息子である,バプテスマを施す人ヨハネに成就したことを示しました。(ルカ 1:76)イエス・キリストもこの点を確認しましたが,同時に次のように述べました。「バプテストのヨハネより偉大な者は起こされていません。しかし,天の王国において小さいほうの者も彼よりは偉大です」。マラキが予告したとおり,ヨハネは『道を整える』ために遣わされたので,イエスが後に王国のための契約を結んだ人たちの一人ではありませんでした。―マタイ 11:7-12。ルカ 7:27,28; 22:28-30。
15 マラキの預言が述べる「エリヤ」とはだれのことですか。
15 次いで,マラキ 4章5節と6節でエホバはこう約束されました。「見よ……わたしはあなた方に預言者エリヤを遣わす」。この「エリヤ」とはだれでしょうか。イエスもゼカリヤに現われたみ使いも共に,この言葉をバプテスマを施す人ヨハネに適用し,彼が「すべてのものを回復」して,メシアを迎える「準備のできた民をエホバのみまえに整える」者であったことを示しています。しかし,マラキは,「エリヤ」が「エホバの大いなる,畏怖の念を抱かせる日」の前駆者であることも示して,将来の裁きの日における成就がさらにあることを示唆しています。―マタイ 17:11。ルカ 1:17。マタイ 11:14。マルコ 9:12。
16 マラキは将来のどんな祝福された日のことを指し示していますか。どんな温かい励ましを与えていますか。
16 その日を待望して万軍のエホバはこう言われます。「日の昇る所から日の沈む所に至るまで,わたしの名は諸国民の間で大いなるものとな(る)……わたしは大いなる王なのである……わたしの名は諸国民の中で畏怖の念を抱かせるものとなるであろう」。それはまさしく畏怖の念を抱かせます。『その日は炉のように燃え上がり,すべてのせん越な者,また悪を行なうすべての者はまさに刈り株のようになる』からです。それでも,エホバのみ名を恐れる人たちは幸いです。その人々には「義の太陽が必ず照り輝き,その翼にはいやしが伴う」からです。この言葉は,人類の中の従順な人たちが霊的,感情的,精神的,ならびに身体的に完全にいやされる幸福な時代に焦点を合わせています。(啓示 21:3,4)マラキは,その栄光ある祝福された日を指し示して,捧げ物を心をこめてエホバの家に携えて来るようわたしたちを励ましています。「『この点で,どうかわたしを試みるように』と,万軍のエホバは言われた。『わたしがあなた方に向かって天の水門を開き,もはや何の不足もないまでにあなた方の上に祝福を注ぎ出すかどうかを見よ』」。―マラキ 1:11,14; 4:1,2; 3:10。
17 マラキの警告は楽観的な見方を促すどんな言葉で和らげられていますか。
17 「預言者たち」のこの最後の書は,『地を滅びのためにささげる』ことについて警告しつづけると共に,ご自分の民に対するエホバの次のような言葉にしたがって,楽観的な見方を持ち,歓びを抱くよう勧めています。「すべての国の民は,必ずあなた方を幸福な者と呼ぶであろう。あなた方自身が,喜びの地となるからである」。―4:6; 3:12。
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聖書の40番目の書 ― マタイによる書『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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聖書の40番目の書 ― マタイによる書
筆者: マタイ
書かれた場所: パレスチナ
書き終えられた年代: 西暦41年ごろ
扱われている期間: 西暦前2年-西暦33年
1 (イ)エデンの時以来エホバは人類の前にどんな約束を差し伸べてこられましたか。(ロ)メシアに関する希望はユダヤ人の間でどのように強固なものとなりましたか。
エデンにおける反逆の時以来,エホバは,ご自分の「女」の胤によって義を愛するすべての者のための救出の道を備えるという慰めの約束を全人類の前で保持してこられました。エホバはこの胤,すなわちメシアをイスラエル国民からもたらすことを意図されました。年月の経過とともに,エホバは霊感を受けたヘブライ人の筆者たちを用いて幾十もの預言を記録させ,その胤が神の王国の支配者となり,エホバのみ名を神聖なものとするために行動して,そのみ名に浴びせられた非難を永久に除き去ることを示されました。エホバのみ名の正しさを立証する者となり,恐怖・圧迫・罪・死などからの救出をもたらす方に関しては,それら預言者たちによって多くの詳細な点が語られました。ヘブライ語聖書が完成すると共に,ユダヤ人の間では,メシアに対する希望が強固なものとなりました。
2 メシアが出現した時,状況はその良いたよりを広めるのに,どのように理想的なものとなっていましたか。
2 その間に,世界の情勢は変化を遂げていました。神はメシアの出現に備えて諸国民を動かしておられたので,当時の状況はその出来事に関する知らせを遠く広く伝えるのに理想的なものでした。第五世界強国ギリシャは共通の言語を普及させ,それは諸国民が相互に意思を通わせるための普遍的な手段となりました。第六世界強国ローマはそのもとに服した諸国民を結合して一つの世界帝国とし,帝国のあらゆるところに達する道路を整えました。また,多くのユダヤ人が帝国全土に分散していたので,他の人々も来たるべきメシアに関するユダヤ人の期待について知るようになりました。そして,エデンにおいて約束がなされてから4,000年以上たった今,ついにそのメシアが出現したのです。待望久しい約束の胤が到来しました! そのメシアが天の父のご意志をこの地上で忠実に遂行なさるにつれ,それまでの人類史上最も重大な出来事が展開してゆきました。
3 (イ)エホバはイエスの生涯の詳細を記録するためにどんな備えを設けられましたか。(ロ)それら福音書のそれぞれについて明確な点は何ですか。これら四つの書すべてが必要なのはなぜですか。
3 それら重大な出来事を記録するために,再び霊感を受けて著作を行なうべき時が来ました。エホバの霊は四人の忠実な人に霊感を与えて四つの独立した記録を書かせ,こうして,イエスがメシア,約束の胤,および王であられることに関する四重の証しを提出し,またイエスの生活と宣教,その死と復活に関する詳細を記録にとどめさせました。これらの記録は福音書と呼ばれています。「福音」とは「良いたより」という意味です。それら四つの書は並行関係にあり,同じ出来事を扱っている部分も多くありますが,決して単に他を模倣したものではありません。最初の三つの書はしばしば,共観福音書と呼ばれます。「共観」とは「同様な見方」という意味です。それら三つの書はイエスの地上における生涯を物語るにあたって同様の手法を取っています。しかし,4人の筆者,つまりマタイ,マルコ,ルカ,およびヨハネはそれぞれ,キリストに関する独自の話を述べています。おのおの独自の主題と目的を持ち,各自の個性を反映させ,また,自分の当面の読者を念頭に置いて記述を進めているのです。これら4人の著作を調べれば調べるほど,それぞれの明確な特色を認識することができ,これら霊感を受けた聖書の四つの書が,イエス・キリストの生涯に関する,それぞれに独立した,しかし相互に補い合う,調和の取れた記述であることを認識できます。
4 最初の福音書の筆者についてどんなことが知られていますか。
4 キリストに関する良いたよりを最初に書き記したのはマタイです。彼の名は多分,「エホバの賜物」という意味のヘブライ語の名「マッティトヤー」の短縮形でしょう。彼はイエスによって選ばれた12使徒の一人でした。当時,その主人はパレスチナの至る所を旅して,神の王国について宣べ伝えたり,教えたりなさいました。マタイはその主人と密接で親密な関係を持ちました。マタイはイエスの弟子となる以前,収税人でした。これはユダヤ人が徹底的に忌み嫌う職業でした。それは,彼らがもはや自由な国民ではなく,ローマ帝国の支配下にあることを絶えず思い出させるものとなったからです。マタイはほかにはレビとして知られており,アルパヨの子でした。彼は,自分に従って来るようにとのイエスの招きに喜んで応じました。―マタイ 9:9。マルコ 2:14。ルカ 5:27-32。
5 マタイが最初の福音書の筆者であることはどのように確証されていますか。
5 マタイに帰せられているこの福音書そのものは筆者としてマタイの名を挙げてはいませんが,初期教会史家たちの圧倒的な証言は,彼がその筆者であることを明示しています。恐らく,古代の書物で,「マタイによる書」ほど筆者が明確に,また異口同音に確証されているものはないでしょう。古くはヒエラポリスのパピアス(西暦2世紀の初期)以降,マタイがこの福音書を書いたこと,またこの書が神のみ言葉の信ぴょう性のある一部であることを示す初期の一連の証人たちがいます。マクリントクおよびストロング編,「百科事典」(英文)はこう述べています。「マタイ伝のいろいろな部分が殉教者ユスティヌス,ディオグネトスへの手紙の著者(オットー編,「殉教者ユスティヌス」(英文),第2巻をご覧ください),ヘゲシップス,イレナエウス,タティアノス,アテナゴラス,テオフィルス,クレメンス,テルトゥリアヌス,オリゲネスなどによって引用されている。単に引用の事実だけでなく,その引用の仕方によって,つまり確立された権威に訴えるかのようなその冷静で何ら疑念のない態度のゆえに,我々は,自分たちが手にするこの書が何ら急激な変化を経てこなかったということを証明ずみの事柄とみなす」。a マタイが使徒の一人であり,使徒として神の霊を受けていたという事実は,彼の書き記したものが確かな記録であることを保証しています。
6,7 (イ)マタイの福音書はいつ,そして初めどんな言語で書かれましたか。(ロ)それがおもにユダヤ人を対象として書かれたことを何が示していますか。(ハ)「新世界訳」のこの福音書にはエホバという名が何回出てきますか。それはなぜですか。
6 マタイはその記録をパレスチナで書きました。正確な年代は知られていませんが,幾つかの写本(すべては西暦10世紀より後のもの)の終わりにある奥付けは,それが西暦41年であると述べています。マタイはその福音書を初めは当時普通に使われていたヘブライ語で書き,後にそれをギリシャ語に翻訳したということを示唆する証拠があります。ヒエロニムスは自著,「著名人について」の第3章でこう述べています。「レビとも呼ばれるマタイは取税人から使徒となった人であるが,まず最初に,キリストに関する福音書をユダヤにおいて,ヘブライ人の言語と文字で書きつづった。それは,信者となった,割礼を受けた人々の益を図るものであった」。b ヒエロニムスは,この福音書のヘブライ語本文が当時(西暦四,五世紀)まで,パンフィロスがカエサレアで収集した蔵書の中に保存されていることをも付け加えています。
7 エウセビオスが引用しているところによれば,3世紀の初めに福音書について論じたオリゲネスは,「最初のものは……マタイによれば……書かれて……彼はそれをユダヤ教の者で,信ずるようになった人々のために出しており,実のところヘブライ語で書き表わされていた」と述べたとされています。c それがおもにユダヤ人を念頭において書かれたということは,イエスがアブラハムから始まる家系の法的な子孫であることを示す,この福音書の系図,ならびにヘブライ語聖書は来たるべきメシアを指し示していることを示して,ヘブライ語聖書に何度も言及しているという事実により示唆されています。マタイが神の名の含まれている,ヘブライ語聖書の一部を引用した時,そのエホバという名を四文字語<テトラグラマトン>の形で使ったと考えるのは妥当なことです。F・デリッチが最初19世紀に出版した「マタイによる書」のヘブライ語訳と同様,「新世界訳」の「マタイによる書」の中にエホバの名が18回含まれているのはそのためです。マタイは神の名に対してイエスと同じ態度を抱いていたはずであり,その名を使わないようにする,当時のユダヤ人の間に広く行き渡っていた迷信に拘束されてはいなかったはずです。―マタイ 6:9。ヨハネ 17:6,26。
8 マタイがかつて収税人であったことはその福音書の内容にどのように反映されていますか。
8 マタイは以前収税人でしたから,貨幣や数や価値などを明確に指摘しているのは自然なことでした。(マタイ 17:27; 26:15; 27:3)彼は,さげすまれた収税人であった自分が良いたよりの奉仕者となり,イエスと親密な関係を持つ者となることを許してくださった神の憐れみに対して非常に深い感謝を抱きました。福音書筆者たちのうち,マタイだけが,犠牲と共に憐れみの必要なことをイエスが繰り返し強調された点を伝えているのはそうした理由によります。(9:9-13; 12:7; 18:21-35)エホバの過分のご親切によって大いに励まされたマタイは,適切にも,イエスの語られた特に慰めに満ちる言葉のあるものを記録しています。「すべて,労苦し,荷を負っている人よ,わたしのところに来なさい。そうすれば,わたしがあなた方をさわやかにしてあげましょう。わたしのくびきを負って,わたしから学びなさい。わたしは気質が温和で,心のへりくだった者だからです。あなた方は自分の魂にとってさわやかなものを見いだすでしょう。わたしのくびきは心地よく,わたしの荷は軽いのです」。(11:28-30)こうした優しい言葉は,この,以前の収税人の心をどんなにかさわやかにしたことでしょう。それまで,同国人たちは,彼に対して侮辱以外の何をも浴びせなかったに違いないのです。
9 どんな主題および記述の進め方が「マタイによる書」の特色となっていますか。
9 マタイは特に,「天の王国」がイエスの教えの主題であることを強調しました。(4:17)マタイにとって,イエスは王なる伝道者でした。マタイは「王国」という語を大変頻繁に(50回以上)使ったので,その福音書は王国福音書と呼ぶこともできます。マタイは,イエスの公の講話や話を厳密に時間的な順序で配列することよりも,それを論理的な手順で提出することに関心を払っていました。王国という主題に重点を置いたマタイは,初めの18章では年代的な配列から離れています。しかし,最後の10章(19から28)では,概して年代的な順序に従うと共に,引き続き王国の主題を強調しています。
10 その内容のうち「マタイによる書」にのみ見いだされる部分がどれほどありますか。この福音書はどれだけの期間を扱っていますか。
10 マタイの福音書に記述されている事柄のうち,その42%は,他の三つの福音書のどれにも記されていません。d その中には次に挙げる少なくとも十のたとえ話,もしくは例えが含まれています。畑の雑草(13:24-30),隠された宝(13:44),価の高い真珠(13:45,46),引き網(13:47-50),憐れみのない奴隷(18:23-35),働き人とデナリ(20:1-16),父親と二人の子供(21:28-32),王の息子の結婚(22:1-14),十人の処女(25:1-13),タラント(25:14-30)。「マタイによる書」は,西暦前2年のイエスの誕生から,西暦33年,昇天の直前にイエスが弟子たちと会われた時までのことを記述しています。
マタイによる書の内容
11 (イ)論理的な手順として,この福音書はどんな記述で始まっていますか。初期のどんな出来事が語られていますか。(ロ)マタイがわたしたちの注意を引いている預言の成就としてどんな例がありますか。
11 イエスと「天の王国」のたよりの紹介(1:1-4:25)。論理的な手順として,マタイはまずイエスの系図から始めて,イエスがアブラハムとダビデの相続者として法的な権利を持つ者であることを証明しています。こうして,ユダヤ人の読者の注意を引きます。次いで,イエスが奇跡的に宿されたこと,ベツレヘムにおけるその誕生,占星術者たちの訪問,怒りたったヘロデがベツレヘムの2歳以下の男児すべてを殺害したこと,ヨセフとマリアが幼子を連れてエジプトに逃げたこと,そののち戻って来てナザレに住んだことなどに関する記述が続きます。マタイは,イエスが予告されたメシアであることを立証するため,読者の注意を預言の成就に向けることに気を配ります。―マタイ 1:23 ― イザヤ 7:14。マタイ 2:1-6 ― ミカ 5:2。マタイ 2:13-18 ― ホセア 11:1およびエレミヤ 31:15。マタイ 2:23 ― イザヤ 11:1,脚注。
12 イエスのバプテスマの時,またその直後にどんなことが起きますか。
12 マタイの記述は今や30年近く時代を飛び越えます。バプテスマを施す人であるヨハネがユダヤの荒野で,「悔い改めなさい。天の王国は近づいたからです」と言って宣べ伝えています。(マタイ 3:2)そして,悔い改めたユダヤ人にヨルダン川でバプテスマを施し,パリサイ人とサドカイ人に対しては,来たるべき憤りについて警告しています。そこへイエスがガリラヤから来てバプテスマを受けます。直ちに神の霊が彼の上に下り,天からの声がこう言います。「これはわたしの子,わたしの愛する者である。この者をわたしは是認した」。(3:17)次いでイエスは荒野に導かれ,そこで40日のあいだ断食をした後,悪魔サタンの誘惑を受けます。イエスは神のみ言葉から引用して3度サタンを退け,最後にこう言います。「サタンよ,離れ去れ!『あなたの神エホバをあなたは崇拝しなければならず,この方だけに神聖な奉仕をささげなければならない』と書いてあるのです」― 4:10。
13 ガリラヤにおいて,人をはっとさせるどんな運動が今や始まりますか。
13 「あなた方は悔い改めなさい。天の王国は近づいたからです」。こうした,はっとさせるような言葉が,油そそがれたイエスにより,ガリラヤ地方でふれ告げられるようになります。イエスはご自分に従って「人をすなどる者」となるよう,4人の漁師を召し,彼らを連れて「ガリラヤの全土をあまねく巡り,諸会堂で教え,王国の良いたよりを宣べ伝え,民の中のあらゆる疾患とあらゆる病を治され」ます。―4:17,19,23。
14 山上の垂訓の中で,イエスはどんな幸いについて話されますか。また,義については何と言われますか。
14 山上の垂訓(5:1-7:29)。群衆があとに従いはじめた時,イエスは山に上って行き,腰を下ろして弟子たちを教えはじめます。イエスはこの感動的な話を九つの「幸い」から始めます。つまり,自分の霊的な必要を自覚している人たち,嘆き悲しむ人たち,温和な気質の人たち,義に飢え渇いている人たち,憐れみ深い人たち,心の純粋な人たち,平和を求める人たち,義のために迫害される人たち,そして,非難され偽りの言葉で悪く言われる人たちは幸いです。「歓び,かつ喜び躍りなさい。天においてあなた方の報いは大きいからです」。イエスは弟子たちを「地の塩」また「世の光」と呼び,天の王国に入るために求められる義が書士やパリサイ人の形式主義とはかけ離れたものであるべきことを説明されます。「あなた方は,あなた方の天の父が完全であられるように完全でなければなりません」。―5:12-14,48。
15 イエスは祈りと王国についてはどんなことを言われますか。
15 イエスは偽善的な施しと祈りを戒めます。また,父のみ名が神聖なものとされること,神の王国が来ること,そして自分たちの日ごとの食物を祈り求めるようにと弟子たちに教えます。山上の垂訓全体を通して,イエスは神の王国を前面に掲げます。そして,ご自分に従う者たちが物質上の富に関して思い煩ったり,ただそのために働いたりすることのないよう警告します。天の父は彼らがほんとうに何を必要としているかを知っておられるからです。それでイエスは言います,「王国と神の義をいつも第一に求めなさい。そうすれば,これらほかのものはみなあなた方に加えられるのです」。―6:33。
16 (イ)イエスは他の人との関係についてどんな助言を与えておられますか。神のご意志に従う人と従わない人に関しては何と言われますか。(ロ)イエスの教えは人々にどんな影響を与えますか。
16 主は他の人との関係についてこう助言します。「それゆえ,自分にして欲しいと思うことはみな,同じように人にもしなければなりません」。命に至る道を見いだす少数の者とは,天の父のご意志を行なっている人々です。不法を働く者はその結ぶ実によって知られ,また退けられます。イエスは,ご自分のことばに従う者を,「思慮深い人」に例えます。それは,「岩塊の上に家を建てた人」です。この話は,耳を傾けて聴く群衆にどんな影響を与えますか。彼らは「その教え方に驚き入(り)」ました。イエスが「権威のある人のように教えておられ,彼らの書士たちのようではなかったから」です。―7:12,24-29。
17 イエスはメシアとしての権威をどのように示されますか。愛のこもったどんな関心を表わされますか。
17 王国を宣べ伝える業の拡大(8:1-11:30)。イエスはらい病人・まひした人・悪霊に取りつかれた人などをいやす,多くの奇跡を行ないます。また,あらしを静めることによって,風や波を制する権威のあることさえ示し,死んだ少女をよみがえらせることも行ないます。イエスは群衆が「羊飼いのいない羊のように」痛めつけられ,ほうり出されているのを見て深い同情を感じます。イエスは弟子たちに言われます,「収穫は大きいですが,働き人は少ないのです。それゆえ,収穫に働き人を遣わしてくださるよう,収穫の主人にお願いしなさい」。―9:36-38。
18 (イ)イエスはどんな指示と訓戒を使徒たちに与えますか。(ロ)「この世代」はなぜ災いですか。
18 イエスは12使徒を選び出して任務を与えます。そして,その業をどのように行なうべきかについて明確な指示を与え,「行って,『天の王国は近づいた』と宣べ伝えなさい」と述べて,彼らの教えの中心教義を強調します。また,賢明で愛のこもった訓戒のことばを語ります。「あなた方はただで受けたのです,ただで与えなさい」。「蛇のように用心深く,しかもはとのように純真なことを示しなさい」。彼らは憎まれ,また迫害されることでしょう。しかも,親密な関係にある親族からそれが及ぶかもしれません。しかしイエスは彼らに銘記させます。「自分の魂を見いだす者はそれを失い,わたしのために自分の魂を失う者はそれを見いだすのです」。(10:7,8,16,39)彼らは出かけて行きます。自分の割り当てられた都市で教えまた宣べ伝えるためです。イエスは,バプテスマを施す人であるヨハネがご自分に先だって遣わされた使者,約束された「エリヤ」であることを述べます。しかし,「この世代」はヨハネをも人の子イエスをも受け入れません。(11:14,16)したがって,この世代,およびイエスの強力な業を見ても悔い改めなかった諸都市は災いです! しかし,イエスの弟子となる者たちは自分の魂にとってさわやかなものを見いだすでしょう。
19 パリサイ人が安息日のイエスの行動について質問した時,イエスは彼らをどのように公然と非難しますか。
19 パリサイ人は論破され,糾弾される(12:1-50)。パリサイ人は安息日に関してとがめだてをしようとしますが,イエスは彼らの言いがかりを論破し,彼らの偽善に対して仮借ない有罪宣告を始めます。イエスは彼らに告げます,「まむしらの子孫よ,あなた方は邪悪な者であるのに,どうして良い事柄を語れるでしょうか。心に満ちあふれているものの中から口は語るからです」。(12:34)預言者ヨナのしるし,つまり人の子が三日三晩地の心にいること以外には,彼らに対して何のしるしも与えられません。
20 (イ)イエスが例えで話すのはなぜですか。(ロ)次いでイエスは王国に関するどんな例えを話されますか。
20 王国に関する七つの例え(13:1-58)。なぜイエスは例えで話されるのですか。弟子たちに対してイエスはこう説明されます。「あなた方は,天の王国の神聖な奥義を理解することを聞き入れられていますが,あの人々は聞き入れられていません」。イエスは,ご自分の弟子たちが見るゆえに,また聞くゆえに幸いであると断言されます。ここでイエスは弟子たちのために,何と人をさわやかにする教えを与えておられるのでしょう。イエスは種まき人の例えを説明した後,畑の雑草,からしの種粒,パン種,隠された宝,価の高い真珠,引き網など,いずれも「天の王国」に関係のある事柄を描き出した例えをお話しになります。しかしながら,人々は彼につまずき,イエスは彼らにこう告げます。「預言者は自分の郷里や自分の家以外なら敬われないことはありません」。―13:11,57。
21 (イ)イエスはどんな奇跡を行なわれますか。それはイエスが何であることを示しますか。(ロ)人の子が自分の王国をもって到来することに関するどんな幻が与えられますか。
21 「キリスト」によるなおいっそうの宣教と奇跡(14:1-17:27)。イエスは,柔弱なヘロデ・アンテパスの命令で,バプテスマを施す人であるヨハネが首を切られたとの知らせに深い憂いを覚えます。その後,奇跡によって5,000人以上の群衆に食物を与え,海の上を歩き,パリサイ人たちのその後の批判を退けて,彼らを『自分たちの伝統のゆえに神のおきてを踏み越える』者とし,悪霊につかれた者や「足のなえた人,不具の人,盲人,口のきけない人,その他多くの人」をいやし,再び七つのパンと数匹の小さな魚で4,000人以上の人に食物を与えます。(15:3,30)イエスの質問に答えてペテロはイエスがどのような者であるかを明らかに述べ,「あなたはキリスト,生ける神の子です」と語ります。イエスはペテロをほめた後,『この岩塊の上にわたしは自分の会衆を建てる』と言明されます。(16:16,18)その後イエスは,近づいている自分の死について,また三日目に復活することについて語りはじめます。しかし,弟子たちの中に「人の子が自分の王国をもって到来するのをまず見るまでは決して死を味わわない者たち」のいることをも約束されます。(16:28)その六日後,イエスはペテロとヤコブとヨハネを連れて高大な山に上り,彼らはイエスが栄光のうちに変ぼうするのを見ます。幻の中で,彼らはモーセとエリヤがイエスと語り合うのを見,また天からの声が,「これはわたしの子,わたしの愛する者である。わたしはこの者を是認した。この者に聴き従いなさい」と言うのを聞きます。山を下りて来てから,イエスは,約束の「エリヤ」が既に来たことを彼らにお告げになります。彼らは,イエスがバプテスマを施す人であるヨハネについて述べておられることに気づきます。―17:5,12。
22 イエスは人を許すことに関してどんな助言をされますか。
22 イエスは弟子たちに助言を与える(18:1-35)。カペルナウムにいる間に,イエスは,謙遜さについて,また迷った羊を取り戻すことの大きな喜びや兄弟間の罪を解決することについて弟子たちに話します。ペテロは,『兄弟を何回許すべきでしょうか』と尋ね,イエスはこう答えます。「あなたに言いますが,七回までではなく,七十七回までです」。要点をさらにはっきりさせるため,イエスは,主人から6,000万デナリの負債を許された奴隷の例えを話します。この奴隷は後に,わずか100デナリの負債を返さなかったことで仲間の奴隷を獄に入れました。結果として,この憐れみのない奴隷は,自らも牢番たちに引き渡されてしまいました。e イエスはその要点をこう語ります。「もしあなた方各自が,自分の兄弟を心から許さないなら,わたしの天の父もあなた方をこれと同じように扱われるでしょう」。―18:21,22,35。
23 イエスは離婚について,また命を得る道についてどんなことを説明しますか。
23 イエスの宣教活動の最後の日々(19:1-22:46)。書士やパリサイ人がイエスの宣教活動に対して怒りをつのらせるにつれ,出来事のテンポは速まり,緊張は高まります。彼らは,離婚に関する問題でイエスを誤らせようとしてやって来ますが,失敗します。イエスは,淫行だけが離婚を許す聖書的な根拠となることを示します。富んだ若者がイエスのもとに来て,永遠の命を得る道について尋ねますが,自分の持つ物をすべて売ってイエスの追随者とならねばならないことを知ると,悲嘆して去って行きます。働き人と一デナリに関する例えを述べた後,イエスは再びご自分の死と復活について語り,『人の子は,仕えてもらうためではなく,むしろ仕え,自分の魂を,多くの人と引き換える贖いとして与えるために来た』と述べます。―20:28。
24 人間としての生涯の最後の1週間に,イエスは宗教上の敵対者たちからのどんな問題に遭遇しますか。イエスは彼らの問いをどのように扱いますか。
24 今や,イエスは人間としての生涯の最後の1週間を迎えられます。そして,『ろばの子に乗った王』としてエルサレムに勝利の入城をします。(21:4,5)次いでイエスは,神殿から両替屋その他の不当利得者を排除して神殿を清めますが,彼に敵する者たちは,「収税人や娼婦たちがあなた方より先に神の王国に入りつつある」とのことばを聞いて,憎しみをつのらせます。(21:31)ぶどう園や婚宴に関するイエスの適切な例えは問題の核心を突きます。またイエスは,税金に関するパリサイ人の問いに巧みに答え,「カエサルのものはカエサルに,しかし神のものは神に返しなさい」と語ります。(22:21)同様に,サドカイ人たちの落し穴のある質問のほこ先を逆転させて,復活の希望を擁護します。パリサイ人が再びやって来て律法に関して尋ねますが,イエスは,エホバを全き仕方で愛することが最大のおきてであり,第二は隣人を自分自身のように愛することであると語ります。その後イエスが彼らに尋ねます,『なぜキリストはダビデの子であり,しかもダビデの主でありえるでしょうか』。だれもこれに答えることができず,それ以後だれもあえて彼に質問しようとはしません。―22:45,46。
25 イエスは書士やパリサイ人に対する強力な非難のことばをどのように語りますか。
25 『偽善者たち,あなた方は災いです』(23:1-24:2)。神殿で群衆に話したイエスは,書士やパリサイ人に対する仮借ない非難のことばをもう一度語ります。彼らは王国に入る資格を自ら持たないだけでなく,他の人々が入ることをも阻もうとして策略を弄します。彼らは白く塗り上げた墓のようであり,外側は美しく見えますが,内側は腐敗と腐れでいっぱいです。イエスは,「あなた方の家はあなた方のもとに見捨てられています」というエルサレムに対する裁きの言葉をもって話を結ばれます。(23:38)そして,神殿を離れるさい,その滅びについて預言されます。
26 イエスは王としての栄光を伴う,ご自分の臨在に関して,どんな預言的なしるしをお与えになりますか。
26 イエスは『ご自分の臨在のしるし』について述べる(24:3-25:46)。オリーブ山の上で,弟子たちは,『イエスの臨在と事物の体制の終結のしるし』について尋ねます。それに答えたイエスは,『国民が国民に,王国が王国に敵対して立ち上がる』戦争,および食糧不足や地震や増大する不法の時代を指し示し,また,「王国のこの良いたより」が全地球的な規模で宣べ伝えられること,「忠実で思慮深い奴隷」が任命されることなど,『人の子が栄光のうちに到来してその栄光の座に座った』ことを示す,多くの要素から成るしるしのいろいろな面について語ります。(24:3,7,14,45-47)イエスはこの重要な預言を十人の処女やタラントに関する例えで結びますが,それらの例えは,目ざめている忠実な者たちに対する喜びある報いを差し伸べ,また,羊とやぎに関する例えは,やぎのような人々が「永遠の切断に入り,義なる者たちは永遠の命に入(る)」ことを示します。―25:46。
27 どんな出来事が地上におけるイエスの最後の日をしるし付けるものとなりますか。
27 イエスの最後の日の出来事(26:1-27:66)。過ぎ越しを祝った後,イエスは忠実な使徒たちに対して新しいものを制定し,イエスの体と血の象徴である無酵母パンとぶどう酒にあずかるよう彼らに勧めます。それから一同はゲッセマネに行き,そこでイエスは祈ります。そこへユダが武装した群衆と共にやって来て,偽善的な口づけをもってイエスを裏切ります。イエスは大祭司のもとへ連れて行かれ,祭司長たちやサンヘドリン全体はイエスに対する偽りの証人を探し求めます。イエスの預言どおり,ペテロは,試みのもとに置かれた時,イエスのことを否認します。ユダは悔恨の情を感じ,裏切った報酬の金を神殿に投げ込み,去って行って首をつります。翌朝,イエスはローマの総督ピラトの前に引き立てられ,ピラトは,祭司に扇動されて「彼の血はわたしたちとわたしたちの子供とに臨んでもよい」と叫ぶ群衆に押され,杭につけさせるためにイエスを引き渡します。総督の兵士たちは,王の地位に関してイエスを嘲弄し,その後ゴルゴタに引いて行きます。そこでイエスは二人の強盗の間に置かれて杭につけられます。彼の頭上には,「これはユダヤ人の王イエス」と記したものが掲げられます。(27:25,37)幾時間かの苦しみの後,イエスはついに,午後3時ごろに息を引き取り,次いで,アリマタヤのヨセフの所有する新しい記念の墓の中に横たえられます。その日はまさしく全歴史を通じて最も重大な日でした。
28 マタイは自分の記述の最高潮としてどんな最善のたよりを伝えていますか。結びとしてどんな任務について述べていますか。
28 イエスの復活と最後の指示(28:1-20)。マタイは今,まさに最良のたよりをもって自分の記述の最高潮とします。死んだイエスは復活し,彼は今や再び生きているのです! 週の最初の日の朝早く,マリア・マグダレネと「もう一方のマリア」が墓に来て,この喜ばしい事実に関するみ使いの発表を聞きます。(28:1)その事実の確証として,イエスご自身が彼女たちに現われます。敵対者たちは彼の復活の事実に対してまでも戦いを挑み,墓で警備にあたっていた兵士たちを買収して,「夜中にその弟子たちが来て,自分たちが眠っている間に彼を盗んでいった」と言わせます。後にガリラヤにおいて,イエスはもう一度弟子たちと会合します。弟子たちに対する別れぎわの指示は何でしょうか。こうです。「行って,すべての国の人々を弟子とし,父と子と聖霊との名において彼らにバプテスマを施し(なさい)」。この伝道の業において弟子たちは導きを受けられるでしょうか。マタイの記録するイエスの最後のことばはその点で保証を与えます。「見よ,わたしは事物の体制の終結の時までいつの日もあなた方と共にいるのです」。―28:13,19,20。
なぜ有益か
29 (イ)マタイの書はヘブライ語聖書からギリシャ語聖書へのかけ橋の役をどのように果たしていますか。(ロ)イエスにあったどんな特権が今日のクリスチャンにも開かれていますか。
29 マタイの書は,四つの福音書のうちの最初のものとして,ヘブライ語聖書からクリスチャン・ギリシャ語聖書への優れたかけ橋となっています。それは,メシアおよび約束された神の王国の王がだれであるかを明確に見極め,その追随者となるための要求を知らせ,それら地上の追随者たちの前に置かれた仕事を明らかにしています。最初に,バプテスマを施す人であるヨハネ,次いでイエス,そして最後にイエスの弟子たちが,「天の王国は近づいた」と宣べ伝えました。さらに,「王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう。それから終わりが来るのです」というイエスの命令は,事物の体制の終結の時にまでも及ぶものです。主の模範に倣いつつ,「すべての国の人々を弟子と」することを含め,この王国の業に加わることは,確かに壮大な,すばらしい特権でしたし,また今もなおそのとおりです。―3:2; 4:17; 10:7; 24:14; 28:19。
30 その実際的な価値を認められているのは「マタイによる書」の特にどの部分ですか。
30 マタイの記した福音はまさに「良いたより」です。そこにまとめられた霊感の音信は,西暦1世紀にそれに注意を払った人々にとって「良いたより」でした。そしてエホバ神は,今日に至るまでそれが「良いたより」として保たれるように見届けられました。クリスチャンでない人々でさえ,この福音書の持つ力を認めざるをえませんでした。例えば,ヒンズー教の指導者モハンダス(マハトマ)・ガンジーは,こう言いました。「山上の垂訓の中であなたに与えられている泉から,ぜひ十分飲んでください。……この垂訓の教えはわたしたち各々の,またすべてのためのものだからです」。f
31 マタイの書にある助言に対して真の認識を示してきたのはだれですか。この福音書の内容を幾度も繰り返し研究することはなぜ有益ですか。
31 しかしながら,キリスト教を奉ずると唱える国々を含め,全世界は依然として多くの問題を抱えています。そして,山上の垂訓,およびマタイによる良いたよりに含まれる他のすべての健全な助言を貴重なものとみなし,研究し,それを適用し,またそのようにして,計り知れない益を得ることは,ごく少数の真のクリスチャンに限られてきました。真の幸福を見いだすことをはじめ,道徳律や結婚,愛の力,受け入れられる祈り,物質上の物事の価値と比較した霊的な物事の価値,王国を第一に求めること,神聖な物事に対して敬意を抱くこと,また用心深くあることと従順さなどに関するイエスの優れた訓戒のことばを幾度も繰り返し研究するのは有益なことです。マタイ 10章は,「天の王国」の良いたよりの伝道に携わる人々を対象とした,奉仕に関するイエスの指示を載せています。イエスの数多くのたとえ話は『聞く耳のある』人すべてに肝要な教訓を含んでいます。さらに,『イエスの臨在のしるし』を詳細に予告したものなど,イエスの数々の預言は,前途に対する強い希望と確信を抱かせます。―5:1-7:29; 10:5-42; 13:1-58; 18:1-20:16; 21:28-22:40; 24:3-25:46。
32 (イ)イエスがメシアであることを示す預言の成就の例を挙げなさい。(ロ)そうした成就は今日のわたしたちにどんな強力な保証を与えますか。
32 マタイの福音書は成就した預言を豊富に記しています。霊感を受けたヘブライ語聖書からのマタイの引用の多くは,そうした成就を示すことを目的としています。そうした預言の成就は,イエスがメシアであることに関する明確な証拠となっています。例えば,マタイ 13章14,15節とイザヤ 6章9,10節; マタイ 21章42節と詩編 118編22,23節; およびマタイ 26章31,56節とゼカリヤ 13章7節を比較してください。こうした成就はまた,「天の王国」に関するエホバの輝かしい目的が実現するにつれて,マタイの記録したイエスご自身の預言的な予測のことばがやがてことごとく実現することをわたしたちに強力に保証するものとなります。
33 義を愛する人々はどんな知識と希望のゆえに歓喜を抱くことができますか。
33 神は王国の王の生涯を,その極めて細かな点にいたるまで,全く正確に予告されたではありませんか。また,霊感を受けたマタイはそれらの預言の成就を極めて正確また忠実に記録したではありませんか。マタイの書に記録された数々の約束や預言の成就すべてを思い見るにつけ,義を愛する人々は,エホバのみ名を神聖なものとする神の器としての「天の王国」に関する知識と希望のゆえに,深い歓喜を抱くことができます。「再創造のさい,人の子が自分の栄光の座に座るとき」,気質が温和で霊的に飢え渇いた人々に,命と幸福という言いつくせぬ祝福をもたらすのは,イエス・キリストによるこの王国です。(マタイ 19:28)このすべてが,人を鼓舞せずにはおかない,「マタイによる」良いたよりに含まれているのです。
[脚注]
a 1981年,復刻版,第5巻,895ページ。
b E・C・リチャードソンの校訂により,「本文,ならびに初期キリスト教文献史に関する研究論文」(ドイツ語)と題する双書として出版されたラテン語本文からの英訳,ライプチヒ,1896年,第14巻,8,9ページ。
c 「教会史」(英文),VI,xxv,3-6。
d 「福音書研究入門」(英文),1896年,B・F・ウェストコット,201ページ。
e イエスの時代には,1デナリは1日の賃金に相当しました。それで,100デナリは1年分の賃金の約3分の1に相当しました。6,000万デナリは,人の一生涯を何千回も繰り返して蓄えなければ得られないほどの額の賃金に相当したでしょう。―「聖書に対する洞察」(英文),第1巻,614ページ。
f 「マハトマ・ガンジーの見解」(英文),1930年,C・F・アンドルーズ,96ページ。
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聖書の41番目の書 ― マルコによる書『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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聖書の41番目の書 ― マルコによる書
筆者: マルコ
書かれた場所: ローマ
書き終えられた年代: 西暦60-65年ごろ
扱われている期間: 西暦29年-33年
1 マルコとその家族に関してどんなことが知られていますか。
イエスがゲッセマネで捕縛され,使徒たちが逃げて行った時,「裸の体にりっぱな亜麻布の衣を着けたある若者」がイエスのあとに付いて行きました。群衆がその若者をも捕らえようとした時,「彼は亜麻布の衣をあとに残して,裸のまま逃げて」行きました。この若者とはマルコのことであると一般に信じられています。彼は,「使徒たちの活動」の中では,「またの名をマルコというヨハネ」として描かれており,エルサレム内の恵まれた家庭の人であったと考えられます。その家族は自分の家と僕たちとを有していたからです。彼の母マリアもクリスチャンであり,初期の会衆は彼女の家を集会場所として用いました。み使いによって獄から救い出された時,ペテロはこの家に行き,そこに集まっていた兄弟たちに会いました。―マルコ 14:51,52。使徒 12:12,13。
2,3 (イ)マルコが宣教者の奉仕に入るうえでどんなことが彼を鼓舞したに違いありませんか。(ロ)彼は他の宣教者,特にペテロやパウロとどのような交わりを持ちましたか。
2 キプロス出身のレビ人であり,宣教者であったバルナバはマルコのいとこでした。(使徒 4:36。コロサイ 4:10)飢きんの救援のためにバルナバがパウロと共にエルサレムに来たおり,マルコもパウロと知り合うようになりました。こうした会衆での交わりや,そこを訪ねた熱心な奉仕者たちとの交わりが,マルコの心に,宣教者の奉仕に入りたいとの願いを吹き込んだに違いありません。こうしてわたしたちは,パウロとバルナバの1回目の宣教旅行の際にマルコが彼らの仲間また付き添いとなっているのを見ます。しかし,何らかの理由で,マルコはパンフリアのペルガで彼らから離れてエルサレムに帰りました。(使徒 11:29,30; 12:25; 13:5,13)この事のために,パウロは2回目の宣教旅行の際にマルコを連れて行くことを拒み,それがパウロとバルナバの離別の理由となりました。パウロはシラスを伴い,一方バルナバは自分のいとこマルコを連れ,マルコと共に船でキプロスに向かいました。―使徒 15:36-41。
3 マルコは宣教活動において自分の働きを示し,バルナバだけでなく,後にはペテロやパウロに対しても有用な助け手となりました。マルコは,ローマでの最初の投獄に服していたパウロ(西暦60-61年ごろ)と共にいました。(フィレモン 1,24)その後,西暦62年から64年に,マルコはバビロンでペテロと共にいます。(ペテロ第一 5:13)パウロは,おそらく西暦65年に再びローマにおいて囚人となり,テモテにあてた手紙の中で,マルコを連れて来るようにと頼み,「彼は奉仕のためにわたしの助けになるから」と述べています。(テモテ第二 1:8; 4:11)聖書の記録の中で,マルコに対する言及はこれが最後です。
4-6 (イ)マルコは自分の福音書に記述した詳細な事柄をどこから得ましたか。(ロ)彼がペテロと親密な交わりを有していたことを何が示していますか。(ハ)この福音書にはペテロの性格が反映されていますが,その例を幾つか挙げなさい。
4 福音書の中で一番短いこの書を著わしたのはこのマルコであると考えられています。彼はイエスの使徒たちの同労者であり,良いたよりに関する奉仕のために自分の命をささげた人でした。マルコは12使徒の一人ではなく,また,イエスの直接の仲間でもありませんでした。イエスの宣教に関する彼の記述は終始生彩に富んでいますが,彼は詳細な事柄をどこから得たのでしょうか。パピアス,オリゲネス,テルツリアヌスなど,ごく初期の人々からの伝承によると,マルコの資料の源は,彼が親密な交わりを持ったペテロでした。a ペテロは彼のことを「わたしの子」と呼んでいないでしょうか。(ペテロ第一 5:13)ペテロは,マルコが記録したほとんどすべての事柄の目撃証人であり,そのゆえにマルコは,他の福音書にはない,多くの描写的な点をペテロから学び得たことでしょう。例えば,マルコは,ゼベダイのもとで働いていた「雇い人たち」のこと,らい病人が「ひざまでついて」イエスに懇願したこと,悪霊に取りつかれた男が「石で自分の身を切りつけた」こと,またイエスがオリーブ山の上で「神殿の見える所」に座って,『人の子が大いなる栄光を伴って来る』ことに関する預言を語っておられることなどを述べています。―マルコ 1:20,40; 5:5; 13:3,26。
5 ペテロ自身は強力な感情の持ち主であり,それゆえに,イエスの気持ちや感情を深く理解し,それをマルコに対して描写することができました。イエスがどのように感じ,どのように反応されたかを,マルコが繰り返し記録しているのはそのためです。例えば,イエスが「憤りを抱いて彼らを見回し……深く憂え」たこと,『深く息をついた』こと,「ご自分の霊をこめて深くうめかれ」たことなどです。(3:5; 7:34; 8:12)富んだ若い支配者に関し,イエスがその者に「愛を感じ」られたと述べて,イエスの情感を記しているのはマルコです。(10:21)そして,イエスが一人の幼子を弟子たちの真ん中に立たせただけでなく,「両腕をその子にかけ」,さらに別の時には,「子供たちを自分の両腕に抱き寄せ」られたという記述の中に,わたしたちは極めて温かなものを感じないでしょうか。―9:36; 10:13-16。
6 ペテロの性格のある面が,マルコの文体,つまり,その直情的で生気に富み,精力的で活気にあふれ,しかも描写的なところに表われています。マルコは,どれだけ速いテンポで物語ってもまだ足りないと感じていたようです。その点を示すものとして,「すぐ」もしくは「すぐに」という語が繰り返し表われており,物語に劇的な動きを添えています。
7 マルコの福音書がマタイのものと異なるのはどんな点ですか。
7 マルコはマタイの福音書を手に入れることのできる立場にあり,また,マルコの記述のうち他の福音書に含まれていない部分はわずかに7%であるとはいえ,マルコがマタイの福音書を簡略にまとめて幾らかの詳細な点を加えたにすぎない,と考えるのは誤りでしょう。マタイがイエスを約束のメシアおよび王として描いたのに対し,マルコはイエスの生涯とその活動を別の角度からとらえています。彼はイエスを,奇跡を行なう神の子,征服する救い主として描いているのです。マルコは,キリストの話や教えよりも,彼の活動に重点を置いています。イエスのたとえ話については,その小部分だけ,長い話についてはその一つだけが記録されており,山上の垂訓は省略されています。マルコの福音書が他のものに比べて短いのはそのためですが,イエスの行動という点では,他と同量の記述を含んでいます。明確に言及されている奇跡が少なくとも19はあります。
8 どんな特色のゆえに,マルコの福音書はローマ人のために書かれたようであると言えますか。
8 マタイはその福音書をユダヤ人のために書きましたが,マルコは主としてローマ人のために書いたようです。なぜそう言えるでしょうか。モーセの律法に対する言及は,それに触れた会話を伝える場合だけであり,イエスの系図は省かれています。キリストに関する福音はどんな人にも肝要なものとして提出されています。非ユダヤ人の読者には不慣れと思えるユダヤ人の習慣や教えには,説明的な注釈が加えられています。(2:18; 7:3,4; 14:12; 15:42)アラム語の表現は翻訳されています。(3:17; 5:41; 7:11,34; 14:36; 15:22,34)パレスチナの地理的な名称や植物にはそれを説明する語が添えられています。(1:5,13; 11:13; 13:3)ユダヤ人の硬貨の価値はローマ人の硬貨で示されています。(12:42,脚注)マルコは他の福音書の筆者以上にラテン語の言葉を用いています。スペクラートル(護衛兵),プラエトーリウム(総督の官邸),ケントゥリオー(士官)などはその例です。―6:27; 15:16,39。
9 マルコの書はいつ,どこで書かれましたか。その信ぴょう性を何が確証していますか。
9 主としてローマ人のために書いたようですから,マルコはローマで書いたと考えられます。ごく初期からの伝承とこの書の内容からすると,この書は使徒パウロの1回目か2回目の投獄中,つまり西暦60年から65年の時期にローマでまとめられたと結論できるようです。そのころ,マルコはローマに少なくとも1度,また多分2度ほどいました。西暦二,三世紀の指導的な権威者はみな,マルコが筆者であることを確証しています。この福音書は,2世紀の半ばまでにはすでにクリスチャンの間で流布していました。そして,クリスチャン・ギリシャ語聖書の初期のすべての目録の中にこの書が含まれていることは,マルコの福音書の信ぴょう性を確証しています。
10 マルコの書にある長い結びと短い結びはどのようにみなすべきですか。なぜですか。
10 しかしながら,16章8節の後にしばしば付け加えられる長い結びや短い結びは,信ぴょう性のあるものとはみなされていません。シナイ写本,バチカン写本1209号など,たいていの古代写本の中にこれらは含まれていません。4世紀の学者であるエウセビオスとヒエロニムスは,信ぴょう性のある記録が,「恐れに満たされていたのである」という言葉で終わっているという点で一致しています。これ以外の結びは,この福音書の唐突な終わり方を和らげるために付け加えられたものでしょう。
11 (イ)マルコの福音書の記述が正確なものであることを何が確証していますか。どんな権威のことが強調されていますか。(ロ)なぜこれは「良いたより」ですか。マルコの福音書はどれほどの期間を扱っていますか。
11 マルコの記述が正確なものであることは,この福音書が,他の福音書だけでなく,創世記から啓示の書に至る聖書全巻と全面的に調和している点に見られます。さらに,イエスが,その語る言葉の点で権威を持っておられただけでなく,自然力,サタンや悪霊たち,病気や疾患,そして死をさえ制する権威を有する者として繰り返し示されています。それで,マルコは,自分の記述を,「イエス・キリストについての良いたよりの始まり」という,印象的なことばで始めています。イエスの到来と宣教はまさに良いたよりでした。そのゆえに,マルコの福音書を研究することは,どんな人にとっても有益であるに違いありません。マルコが書き記しているのは,西暦29年の春から33年の春までの出来事です。
マルコによる書の内容
12 マルコによる書の最初の13の節にどんなことがまとめられていますか。
12 イエスのバプテスマと誘惑(1:1-13)。マルコは,バプテスマを施す人ヨハネがどのような人であるかを明らかにすることによってその良いたよりを始めます。ヨハネは到来を予告された使者であり,「あなた方はエホバの道を備えよ。その道路をまっすぐにせよ」とふれ告げるために遣わされた人です。その後まもなく到来する方について,そのバプテスマを施す人は,『それはわたしより強い方です』と言います。そうです,その方は,水ではなく,聖霊でバプテスマを施すのです。やがてイエスがガリラヤのナザレから来られます。ヨハネは彼にバプテスマを施します。霊がはとのようになってイエスの上に下り,天からの声が聞こえます。「あなたはわたしの子,わたしの愛する者である。わたしはあなたを是認した」。(1:3,7,11)イエスは荒野でサタンの誘惑を受けます。また,み使いたちが彼に仕えます。これら劇的な出来事のすべてがマルコによる書の最初の13の節の中にまとめられています。
13 イエスは早くもどんな方法で「神の聖なる者」としての権威を明瞭に示されますか。
13 イエスはガリラヤで宣教を始める(1:14-6:6)。ヨハネが捕縛された後,イエスはガリラヤで神の良いたよりを宣べ伝えはじめられます。イエスは,人をはっとさせるような音信を携えておられるではありませんか。「神の王国は近づきました。あなた方は悔い改めて,良いたよりに信仰を持ちなさい」。(1:15)彼はシモンとアンデレ,ヤコブとヨハネを,その漁師の職から召して自分の弟子とします。安息日に,イエスはカペルナウムの会堂に入って教えはじめられます。人々はすっかり驚きます。彼が「権威を持つ者のように教えておられ,書士たちのようではなかった」からです。イエスは,汚れた霊に取りつかれている人からそれを追い出し,また,熱を出して寝ていたシモンのしゅうとめをいやして,「神の聖なる者」としての権威を明瞭に示します。その知らせは野火のように広まり,夜には,「全市」がシモンの家の外に集まります。イエスは大勢の人の病気を治し,多くの悪霊を追い出します。―1:22,24,33。
14 イエスは,自分が罪を許す権威を持っていることをどのように証明されますか。
14 イエスは,『わたしは宣べ伝えるために来た』と語って,自分の使命をはっきりと述べられます。(1:38)そして,ガリラヤの全土を回って宣べ伝えます。どこへ行っても彼は悪霊を追い出し,病気の人たちをいやします。その中にはらい病の人もいますが,あるまひした人に対して,イエスは,「あなたの罪は許されてい(る)」と言われます。『これは冒とくだ。神以外のだれが罪を許せるのか』と,書士のある者たちが心の中で論じます。彼らの考えを見定めたイエスは,そのまひした人に,起き上がって家に帰りなさいと命じて,『人の子が罪を許す権威を持っていること』を証明されます。人々は神の栄光をたたえます。収税人レビ(マタイ)が追随者となった時,イエスは,「わたしは,義人たちではなく,罪人たちを招くために来たのです」と書士たちに語ります。イエスはまた,自分が「安息日の主でもある」ことを示されます。―2:5,7,10,17,28。
15 イエスの奇跡を否定する者についてイエスはどんなことをはっきり語りますか。そして,家族のきずなについては何と語られますか。
15 次いでイエスは12使徒から成る群れを組織されます。イエスの親族が多少の反対を示し,また,エルサレムから来た幾人かの書士たちが,悪霊たちの支配者によって悪霊を追い出していると言って彼をとがめます。イエスは,「どうしてサタンがサタンを追い出せるでしょうか」と彼らに尋ね,「だれでも聖霊を冒とくする者には永久に許しがなく,その者は永遠の罪を負うのです」と述べて警告を与えます。こうして話しているところへ,イエスの母と兄弟たちが彼を捜してやって来ますが,その時イエスは,「神のご意志を行なう人,その人がわたしの兄弟,また姉妹,また母なのです」と言明されます。―3:23,29,35。
16 イエスは「神の王国」について,例えで何を教えられますか。
16 イエスは,「神の王国の神聖な奥義」を例えによって教え始めます。種まき人のまく種がいろいろな種類の土壌(み言葉を聞くいろいろな種類の人たちのことを例えている)に落ちること,また,燭台の上から輝くともしびについて語ります。イエスはほかの例えの中で,神の王国は人が地面に種をまく場合のようであるとして,こう言われます。「地面はおのずから,最初には葉,次いで穂,最後に穂の中に満ちた穀粒といったぐあいに,しだいに実を結んでゆきます」。(4:11,28)彼はまた,からしの種粒の例えを話します。それはあらゆる種の中で一番小さなものなのに,隠れ場となる大きな枝のある大きな木となります。
17 イエスの奇跡は,彼が持つ権威のほどをどのように示しますか。
17 一行がガリラヤの海を渡るさい,イエスは奇跡によって暴風を和らげ,「静まれ! 静かになれ!」というイエスの命令のもとに,荒れた海はなぎになります。(4:39)向こう側のゲラサ人の地方で,イエスはひとりの男から一「軍団」の悪霊を追い出し,彼らが約2,000頭の豚の群れに入ることを許します。すると,その豚の群れは突進して断がいから落ち,海の中でおぼれ死にます。(5:8-13)この後,イエスは再び対岸に戻ります。12年ものあいだ治らなかったある女の血の流出が,ただイエスの外衣に触れるだけでいやされます。それは,ヤイロの12歳になる娘をよみがえらせに行く途中のことです。確かに,人の子は命と死の両方に対する権威を有しているのです! しかしながら,イエスの郷里の人々は彼の権威に関して疑問をはさみます。イエスは彼らの信仰のなさを不思議に思いつつ,さらに「村々を巡回して教えてゆかれ」ます。―6:6。
18 (イ)イエスの宣教はどのように拡大されますか。(ロ)イエスはどんなことに動かされて人々を教え,また奇跡を行なわれますか。
18 ガリラヤでの宣教の拡大(6:7-9:50)。12使徒は指示を与えられ,また,宣べ伝えて教え,さらには病気を治したり悪霊を追い出したりする権威を授けられて,二人ずつ遣わされます。イエスの名はしだいに知れ渡ってゆきます。バプテスマを施す人ヨハネが死人の中からよみがえらされたのだと考える人もいます。ヘロデも,そうではないかと考えて悩みます。ヘロデは自分の誕生日の祝宴のさいにヨハネの首を切らせたのです。使徒たちは伝道から戻って来て,自分たちの活動についてイエスに報告します。大群衆がガリラヤのいたるところから来てイエスのあとに従い,『彼らが羊飼いのいない羊のようであったので,彼らを哀れに思われ』ます。それでイエスは彼らに多くのことを教え始められます。(6:34)イエスはまた,その愛のゆえに物質の食物をも備え,五つのパンと2匹の魚で5,000人の人に食事をさせます。その後まもなく,船でベツサイダに向かった弟子たちが風あらしのために難儀していると,イエスが海の上を歩いて彼らのもとに来て,風を静まらせます。弟子たちでさえ「非常な驚きを感じ」るのも不思議ではありません。―6:51。
19,20 (イ)イエスは書士やパリサイ人をどのように戒められますか。(ロ)どんなことのためにペテロも戒められますか。
19 ゲネサレ地方で,イエスは,洗ってない手で食事をすることに関してエルサレムから来た書士やパリサイ人と討論し,「神のおきてを捨て置いて,人間の伝統を堅く守っている」として彼らを叱責されます。そして,人を汚すのは,外から人の中に入って来るものではなく,内側から,心の中から出て来るもの,すなわち「害になる推論」であると語ります。(7:8,21)北に向かってティルスやシドンの地域に入ったイエスは,異邦人のために奇跡を行ない,スロフェニキア人のある女の娘から悪霊を追い出します。
20 ガリラヤに戻ったイエスは,自分のあとに従う群衆に対して再び哀れみを感じられ,七つのパンと数匹の小さな魚で4,000人の人に食事をさせます。彼はパリサイ人のパン種とヘロデのパン種について弟子たちに警告しますが,そのとき彼らはその要点をつかみません。次いで別の奇跡がなされます。ベツサイダでひとりの盲人がいやされるのです。カエサレア・フィリピの村々に向かう途中での話し合いのさい,ペテロはイエスが「キリスト」であることを確信をこめて語りますが,その後,イエスが人の子の苦難と死の近づいていることについて述べると,それに対して強力に異議を唱えます。これに対して,イエスは彼を戒め,「わたしの後ろに下がれ,サタンよ。あなたは,神の考えではなく,人間の考えを抱いているからです」と語られます。(8:29,33)イエスは,良いたよりのため自分のあとに終始従って来るようにと弟子たちに説き勧めます。もし彼らがイエスのことを恥じるのであれば,イエスも,父の栄光のうちに到来する時,彼らのことを恥じるでしょう。
21 (イ)「神の王国が力をもってすでに来ている」のをだれが見ますか。どのようにして?(ロ)イエスは王国を第一にすべきことをどのように強調されますか。
21 六日後,高大な山の中にいた時,ペテロとヤコブとヨハネは,イエスが栄光のうちに変ぼうするのを見,「神の王国が力をもってすでに来ている」のを見る特権にあずかります。(9:1)イエスは,ひとりの少年から口のきけない霊を追い出すことによって自分の持つ権威を再び明瞭に示し,やがて来る自分の苦難と死についてもう一度語られます。そして,命に入ることをいかなるものによっても妨げられることのないように,と弟子たちに助言します。手があなたをつまずかせますか。それを切り捨てなさい! 足がですか。それを切り捨てなさい! 目がですか。それを投げ捨てなさい! 全身をゲヘナに投げ込まれるよりは,不具の身で神の王国に入るほうがはるかに良いのです。
22 ペレアにおけるイエスの宣教において際立っているのはどんな助言ですか。
22 ペレアにおける宣教(10:1-52)。イエスはユダヤの国境地方に来て,『ヨルダンを渡り』ます(つまり,ペレアに入ります)。そこでパリサイ人が離婚について彼に質問し,イエスはその機会に,結婚に関する神の原則について述べます。富んだ若者が,永遠の命を受け継ぐことについて彼に尋ねますが,天に宝を持つためには自分の持ち物を売ってイエスの追随者にならなければならないと聞いて,その若者は悲嘆します。イエスは弟子たちにこう語ります。「富んだ人が神の王国に入るよりは,らくだが針の穴を通るほうが易しいのです」。そして,良いたよりのためにすべてのものを捨てた人々を励まし,「今この時期に百倍を……迫害と共に得,来たらんとする事物の体制で永遠の命を得(る)」ことを彼らに約束します。―10:1,25,30。
23 その後,エルサレムへの道の途中でどんな会話と奇跡がなされますか。
23 イエスと12使徒は今やエルサレムに向かいます。イエスはご自分を待ち受けている苦難について彼らにもう一度語ります。これで3度目であり,またご自分の復活についても語られます。そして,ご自分が飲んでいる杯を彼らが同じように飲めるかどうかを尋ね,また,『だれでもあなた方の間で第一でありたいと思う者はみんなの奴隷でなければならない』と語ります。一行がエリコを出る途中で,盲目のこじきが,「ダビデの子イエスよ,わたしに憐れみをおかけください!」と路傍から叫びます。イエスはその盲人に視力を与えます。これは,マルコの記録する,イエスによる最後の奇跡的ないやしです。―10:44,47,48。
24,25 (イ)どんな行動によってイエスはご自分の持つ権威を立証しますか。(ロ)敵対する人々に対して,イエスはどのような論議で答えられますか。(ハ)イエスは群衆に対してどんな警告を与えますか。どんなことをほめることばを弟子たちに語られますか。
24 エルサレム市内およびその周辺におけるイエス(11:1-15:47)。記述は足速に進みます。イエスは子ろばに乗って市内に入り,人々は歓呼して彼を王として迎えます。次の日,イエスは神殿を清めます。祭司長や書士たちは彼に対して恐れを持つようになり,彼の死を探り求めます。「どんな権威でこうしたことをするのか」と彼らは尋ねます。(11:28)イエスは巧みにその質問のほこ先を彼らのほうに向けさせ,ぶどう園の相続人を殺した耕作人たちの例えを話されます。彼らはその要点を知り,イエスから去って行きます。
25 次いで彼らは,税金に関する質問でイエスをわなにかけようとして幾人かのパリサイ人を遣わします。デナリ硬貨一つを求めてイエスは尋ねます,「これはだれの像と銘刻ですか」。彼らは,「カエサルのです」と答えます。そこでイエスは言われます,「カエサルのものはカエサルに,しかし神のものは神に返しなさい」。彼らがイエスに驚嘆したのも不思議ではありません。(12:16,17)次いで,復活を信じないサドカイ人が彼をわなにかけようとして質問します。『次々に七人の夫を持った女がいる場合,復活のさい彼女はだれの妻となるのですか』。イエスは即座に彼らに答えます。死人の中からよみがえる者たちは「天にいるみ使いたちのように」なり,結婚しないのです。(12:19-23,25)「すべてのうちどのおきてが第一ですか」と書士のひとりが尋ねます。それに対してイエスは答えられます,「第一は,『聞け,イスラエルよ,わたしたちの神エホバはただひとりのエホバであり,あなたは,心をこめ,魂をこめ,思いをこめ,力をこめてあなたの神エホバを愛さねばならない』。第二はこうです。『あなたは隣人を自分自身のように愛さねばならない』」。(12:28-31)この後,だれもあえて彼に質問しようとはしません。完全な教師としてのイエスの権威は多くの者に認められます。大群衆は喜びながら彼の教えを聴き,イエスは尊大な書士たちについて人々に警告します。その後イエスは,神殿の宝物庫の箱に他のすべての人より多く入れたとして,貧しいやもめをほめることばを弟子たちに語られます。彼女の入れた二つの小さな硬貨は「自分の持つもの全部」であり,彼女は「その暮らしのもとをそっくり入れた」からです。―12:44。
26 長い話としてマルコが記録している唯一のものはどれですか。それはどのような勧めのことばで終わっていますか。
26 神殿を眺めながらオリーブ山の上に座したイエスは,弟子のうちの四人の者だけに,これらのものの終結の「しるし」について話されます。(これは,マルコの記録した長い話としては唯一のものであり,その記述はマタイ 24章および25章と並行しています。)それはイエスの次の勧めのことばで結ばれています。「その日または時刻についてはだれも知りません。天にいるみ使いたちも子も知らず,父だけが知っておられます。しかし,わたしがあなた方に言うことは,すべての者に言うのです。ずっと見張っていなさい」。―13:4,32,37。
27 ゲッセマネでイエスが裏切られるまでの出来事を述べなさい。
27 近くのベタニヤで,ひとりの女が高価な香油をイエスに注ぎます。ある者たちは,無駄づかいであるとして抗議しますが,イエスは,これはご自分の埋葬に対する準備であり,りっぱな行ないであると語られます。定めの時に,イエスと12弟子は過ぎ越しのために市内に集まります。イエスはご自分を裏切る者がだれであるかを明らかにし,忠実な弟子たちに対して記念の夕食を制定されます。そののち,一同はオリーブ山に出て行きます。その途中,イエスは,弟子たちが皆つまずくであろうと語ります。「わたしはつまずきません」とペテロが叫びます。しかしイエスは彼に語ります,「今夜,おんどりが二度鳴く前に,あなたでさえ三度わたしのことを否認するでしょう」。ゲッセマネと名づけられた所に着くと,イエスは祈りをするために引き下がり,ずっと見張っているようにと弟子たちに言います。イエスはその祈りの最高潮としてこう述べられます。「アバ,父よ,あなたにはすべてのことが可能です。この杯をわたしから取り除いてください。それでも,わたしの望むことではなく,あなたの望まれることを」。イエスは3度弟子たちのところに戻り,3度とも,「このような時」にさえ,彼らが眠っているのをご覧になります。(14:29,30,36,41)しかし,時が来ました! ご覧なさい! 裏切る者が来ました!
28 イエスが捕縛され,大祭司の前に出頭した時の状況について述べなさい。
28 ユダは近づいてイエスに口づけをします。これは,祭司長たちのもとから来た武装した人々が彼を捕縛するための合図です。彼らはイエスを大祭司の家の中庭に連れて来ます。そこで多くの者が彼に敵する偽証をします。しかし,彼らの証言は一致しません。イエスご自身は沈黙を守っておられます。最後に大祭司が彼に質問します,「あなたはほめたたえるべき方の子キリストか」。イエスは,「わたしはその者です」と答えられます。大祭司は,『冒とくのことばだ』と叫び,すべての者は,彼を死に服すべき者と断罪します。(14:61-64)下の中庭では,ペテロがイエスを3度否んでいました。おんどりが2度目に鳴きます。そしてペテロは,イエスの言葉を思い出し,くずおれて泣きます。
29 マルコはイエスに対する最終的な裁きと刑の執行についてどのような記録を残していますか。王国が論争点であったことがどのように示されていますか。
29 明け方になるとすぐ,サンヘドリンは協議し,イエスを縛ったままピラトのもとに送ります。ピラトはイエスが犯罪者ではないことにすぐに気づき,彼を釈放しようとします。しかし,祭司長たちに扇動された暴徒の執ような要求に屈し,ついに彼は,杭につけさせるためにイエスを引き渡します。イエスはゴルゴタ(「どくろの場所」の意)という所に連れて来られて杭につけられ,「ユダヤ人の王」と記した罪状書がその頭上に掲げられます。そばを通る者たちは彼を非難し,「ほかの者は救ったが,自分は救えないのだ!」と言います。正午(第六時)に闇が全土に垂れこめ,午後3時にまで及びます。そしてイエスは,「わたしの神,わたしの神,なぜわたしをお見捨てになりましたか」と大声で叫び,そののち息を引き取られます。これらのことを見ていたひとりの士官は,「確かにこの人は神の子であった」と言います。サンヘドリンの一員ながら神の王国を信ずる者となっていた,アリマタヤのヨセフがピラトにイエスの体を請い求め,岩塊をくりぬいた墓の中にそれを横たえます。―15:22,26,31,34,39。
30 週の最初の日,墓ではどんなことが起きますか。
30 イエスの死後の出来事(16:1-8)。週の最初の日の朝,非常に早く,3人の女が墓のところに行きます。彼女たちが驚いたことに,入口の大きな石が転がしのけてあります。墓の中に座っていた「ひとりの若者」が,イエスはよみがえらされたと告げます。(16:5)イエスはもはやそこにはおらず,彼らに先立ってガリラヤに行くところです。恐れとおののきに満たされた彼女たちは,逃げるようにして墓を去ります。
なぜ有益か
31 (イ)マルコはイエスがメシアであることをどのように立証していますか。(ロ)イエスが神の子としての権威を持つ者であったことを何が証明していますか。イエスは何に重点を置きましたか。
31 初期キリスト教時代から今日に至るまで,「マルコによる書」を読む人は皆,イエス・キリストに関するこの生き生きした簡潔な記述を通して,メシアに関するヘブライ語聖書の多くの預言の成就を見分けることができました。「見よ,わたしはあなたの顔の前にわたしの使者を遣わす」という冒頭の引用から,「わたしの神,わたしの神,なぜわたしをお見捨てになりましたか」という,杭の上でのイエスのもだえの言葉にいたるまで,マルコの記した,イエスの熱心な宣教に関する記述全体は,ヘブライ語聖書の予告した事柄と一致しています。(マルコ 1:2; 15:34。マラキ 3:1。詩編 22:1)さらに,イエスの奇跡とその驚嘆すべき業,その健全な教えと非の打ちどころのない反論,エホバのみ言葉と霊に全く依存する態度,羊を優しく牧する仕方などはすべて,イエスが神の子としての権威を携えて到来した方であることを示す特色となっています。彼は「権威を持つ者のように」して教えましたが,その権威はエホバ神から受けたものです。そして彼は,地上における自分の主要な仕事として,「神の良いたより」,すなわち,『神の王国は近づいた』というたよりを宣べ伝えることに重点を置きました。イエスの教えは,それに注意を払う人すべてに計り知れない益を与えてきました。―マルコ 1:22,14,15。
32 マルコは「神の王国」という表現を何回使っていますか。その王国を通して命を得るために導きとなる原則としてどんなことを記していますか。
32 イエスは,「あなた方には神の王国の神聖な奥義が与えられています」と弟子たちに語りました。マルコはこの「神の王国」という表現を全部で14回使い,その王国を通して命を得ようとする人々の導きとなる原則を数多く述べています。イエスは言われました,「だれでもわたしと良いたよりのために自分の魂を失う者はそれを救うのです」。命を得るために妨げとなるものはすべて除かれねばなりません。「あなたにとっては,片目で神の王国に入るほうが,二つの目をつけてゲヘナに投げ込まれるよりは良いのです」。イエスはさらに言明されました,「だれでも,幼子のように神の王国を受け入れる者でなければ,決してそれに入れないのです」,そして「お金を持つ人々が神の王国に入るのは何と難しいことなのでしょう」。またイエスは,二つの大きなおきてを守ることが全焼燔の捧げ物と犠牲全部よりもはるかに大切であることを悟る者は『神の王国から遠くない』と言われました。これら,マルコの福音書にある,王国に関する教えは,わたしたちが自分の日常生活に当てはめることのできる多くの健全な助言を含んでいます。―4:11; 8:35; 9:43-48; 10:13-15,23-25; 12:28-34。
33 (イ)わたしたちはマルコの福音書からどのような益を受けられますか。(ロ)マルコによる書はわたしたちにどんなことを励ますはずですか。なぜですか。
33 「マルコによる」良いたより全体は多分,一,二時間で読み通すことができ,読者はイエスの宣教について,その概要を手早くつかむことができます。しかもそれは興味と躍動に満ちているのです。この霊感の記述をこうして一気に読み通すこと,また,さらに精細に研究し,その内容について熟思することは,いつの時でも極めて有益です。マルコの福音書は,1世紀の場合と同じように迫害されている今日のクリスチャンにとって有益です。真のクリスチャンは今,「対処しにくい危機の時代」に直面しており,わたしたちの模範者イエス・キリストに関するこの記録に見いだされるような霊感による導きを必要としているからです。それを読み,そこにある劇的な動きを感じ,わたしたちの信仰の主要な代理者また完成者であるイエスの足跡に,彼が示したと同じ不動の喜びを抱いて従うための励みをくみ取ってください。(テモテ第二 3:1。ヘブライ 12:2)そうです,行動の人としてのイエスを見,彼の熱心さを吸収し,試練と反対の中で示されたイエスの不屈の忠誠と勇気を見倣ってください。霊感による聖書の,内容豊かなこの部分から,慰めを得てください。この書に,永遠の命を追い求めるあなたに対する益を与えさせてください。
[脚注]
a 「聖書に対する洞察」(英文),第2巻,337ページ。
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聖書の42番目の書 ― ルカによる書『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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聖書の42番目の書 ― ルカによる書
筆者: ルカ
書かれた場所: カエサレア
書き終えられた年代: 西暦56-58年ごろ
扱われている期間: 西暦前3年-西暦33年
1 ルカはどのような福音書を書きましたか。
ルカの福音書は,鋭い知力と優しい心とを持つ人によって書かれました。こうした優れた資質の配合と,そこに加えられた神の霊の導きの結果として,正確で,しかも温かさと情感のあふれる記述がまとめられました。冒頭の句の中で,筆者はこう述べます。「私も,すべてのことについて始めから正確にそのあとをたどりましたので,それを……あなたに,論理的な順序で書いてお伝えすることを思い定めました」。彼の詳細かつ細心な記述法は,こうした主張の正しさを十分に裏付けています。―ルカ 1:3。
2,3 どんな外的また内面的な証拠は,医者ルカがこの福音書の筆者であることを示していますか。
2 その記述のどこにもルカの名は出て来ませんが,古代の権威者たちは,ルカがその筆者であるという点で一致しています。この福音書はムラトーリ断片(西暦170年ごろ)の中でルカの著作とされており,イレナエウスやアレクサンドリアのクレメンスなどの2世紀の著述家によって受け入れられていました。内面的な証拠もその点を強力に裏付けています。パウロは,コロサイ 4章14節で,彼のことを「愛する医者ルカ」と呼んでおり,ルカのこの書は,医師のような教養のある人に期待されるような学者的な作風を備えています。ルカは用語を巧みに選択しており,その語彙は他の3人の福音書筆者のそれを合わせたよりも広範なものなので,重要な主題を極めて慎重に,また包括的な仕方で扱うことができます。放とう息子に関するルカの記述は,短い物語としては最高の傑作であると評する人もいます。
3 ルカは医学用語,もしくは医学的な意味を付した言葉を合計300以上も用いています。それらの用語は,クリスチャン・ギリシャ語聖書の他の筆者によって(たとえ少しは用いられているにしても)同じ仕方で用いられているわけではありません。a 例えば,らい病について述べるとき,ルカは他の人々と必ずしも同じ用語を用いていません。それら他の筆者にとって,らい病はらい病でしたが,医者ルカにとっては,例えば「体じゅうらい病の人」について述べている場合のように,同じらい病でもいろいろな段階があります。ラザロについて,ルカは,「かいようだらけの身」であった,と述べています。福音書筆者たちの中で,ペテロのしゅうとめが「高い熱」を出していた,と記している人はほかにいません。(5:12; 16:20; 4:38)他の3人も,大祭司の奴隷の耳をペテロが切り落としたことを述べていますが,イエスがその奴隷をいやしたことにも言及しているのはルカひとりです。(22:51)ある婦人について,「十八年のあいだ虚弱の霊につかれた女がいた。彼女は体が折れ曲がり,身を起こすことが全くできなかった」と記すのは,いかにも医師らしい描写です。そして,あるサマリア人が行なった救急処置についてあれほど詳細に記録したのは,『愛される医者ルカ』以外のいったいだれでしょうか。そのサマリア人は,「その傷に油とぶどう酒を注いで包帯をし(た)」のです。―13:11; 10:34。
4 ルカによる書が書かれたのはいつごろと考えられますか。その時のどのような状況がその見方を支持していますか。
4 ルカがこの福音書を書いたのはいつでしょうか。「使徒たちの活動」の1章1節は,その書の筆者(それもルカであった)がもっと前に「最初の記述」,つまりルカの福音書を書いていたことを示しています。「使徒たちの活動」は,西暦61年ごろ,ルカが,カエサルへの上訴の時を待っていたパウロと共にローマにいた間に書き終えられたと考えて,まず間違いはないでしょう。したがって,この福音書の記述は,西暦56年から58年ごろ,カエサレアで書かれたと考えられます。それは,パウロの3回目の宣教旅行が終わってルカが彼と共にフィリピから帰ってからのことであり,パウロが上訴のためローマに連れて行かれる前,カエサレアの獄で2年間待っていた間のことです。その期間,ルカはそこ,パレスチナにいましたから,イエスの生涯と宣教に関し,『すべてのことについて始めから正確にそのあとをたどる』のに好都合な場所にいました。こうして,ルカの記述はマルコの福音書よりも先にできたと考えられます。
5 ルカはイエスの生涯の出来事について『正確にそのあとをたどる』ための資料をどこから得たと考えられますか。
5 ルカは12使徒の一人ではなく,イエスの死後にはじめて信者になったとさえ考えられますから,彼自身は,自分の福音書に記録したすべての事柄の目撃証人ではありませんでした。しかし,宣教者としての活動の分野でパウロと極めて密接に交わっていました。(テモテ第二 4:11。フィレモン 24)したがって,当然予想されることですが,ルカの書いたものにはパウロの影響が表われています。その点は,ルカ 22章19,20節とコリント第一 11章23節から25節にある主の晩さんに関する二人の記述を比べると,分かります。それ以外の資料として,ルカはマタイの福音書を参照することもできたでしょう。そして,『すべてのことについて正確にそのあとをたどる』ために,イエスの生涯の出来事に関する多くの目撃証人,つまり当時まだ生き残っていた弟子たち,そして恐らくはイエスの母マリアにも親しく会見することができたでしょう。わたしたちは,信頼できる細目事項を集めるために彼があらゆる手段を尽くしたことを確信できます。
6 ルカの福音書に記録されている事柄のうち彼独自の部分はどれほどありますか。彼はだれを対象として書きましたか。なぜそのように答えますか。
6 四福音書の記述を調べると明らかになる点ですが,その筆者たちは単に他の話を繰り返し述べているのではなく,また,極めて重要なこの聖書の記録についてただ幾通りかの証言を提供することを目的としているのでもありません。ルカの記述はその資料の取り上げ方の点で極めて個性的です。その福音書に記述されている事柄のうち59%までは彼独自のものです。彼は,他の福音書に述べられていない,少なくとも六つの特定の奇跡とその2倍以上の数のたとえ話を記録しており,自分の福音書の3分の1を説明に,3分の2を話された言葉にあてています。四つの福音書の中で一番長いのはルカの福音書です。マタイは主にユダヤ人を対象として書き,マルコはユダヤ人ではない読者,特にローマ人を対象として書きました。ルカの福音書は「きわめて優れたテオフィロ」にあてられており,彼を通してほかの人たち,つまりユダヤ人とユダヤ人でない人たちの双方にあてられています。(ルカ 1:3,4)自分の記述に全人類的な訴えを添えようとしたルカは,イエスの系図を『神の子アダム』にまでさかのぼっています。これは,特にユダヤ人のために書いたマタイがその系図をアブラハムで止めているのと異なっています。ルカは,イエスが「諸国民からベールを取り除く」ための手段となるというシメオンの預言的な言葉に特に注目し,「肉なる者はみな神の救いの手だてを見るであろう」と記しています。―3:38; 2:29-32; 3:6。
7 ルカの福音書が信頼の置けるものであることをどんな事実が強力に証言していますか。
7 その記述全体を通じて,ルカは,自分が傑出した語り手であることを示しています。彼の記述はよく整えられており,かつ正確です。ルカの記述にあるこうした正確さと忠実性こそ,その信ぴょう性の強力な証拠となっています。法律関係の一著述家はかつてこのように述べました。「伝奇物語,伝説,虚偽の証言などは,それが取り上げる出来事の起きた場所をどこか遠い所にし,起きた時間をあいまいにするものである。こうしてそれらは,われわれ法律を扱う者が優れた弁論に見る第一の法則,つまり,『供述は時間と場所を明示せよ』という点に反するのである。他方,聖書は,そこに記述する事柄の時間と場所を最高度の正確さで示している」。b その証拠として,彼はルカ 3章1節と2節を挙げています。「ティベリウス・カエサルの治世の第十五年,ポンテオ・ピラトがユダヤの総督,ヘロデがガリラヤの地域支配者,一方その兄弟フィリポがイツリアおよびテラコニテ地方の地域支配者,そしてルサニアがアビレネの地域支配者であった時,祭司長アンナス,およびカヤファの時代に,神の宣言が荒野においてゼカリヤの子ヨハネに臨んだ」。ここに時間や場所に関してあいまいさは全くありません。ルカは高官の名を7人も挙げており,それによってわたしたちは,ヨハネ,ならびにイエスの宣教開始の時期を確証することができるのです。
8 ルカはイエスの誕生の時期をどのように「正確に」示していますか。
8 ルカはルカ 2章1節と2節で次のように述べて,イエスの誕生した時期を確定するための手掛かりとなるものをも二つ与えています。「さてそのころ,人の住む全地に登録を命ずる布告がカエサル・アウグスツスから出た。(この最初の登録はクレニオがシリアの総督であった時に行なわれたものである)」。ヨセフとマリアが登録のためにベツレヘムに行ったのはこの時であり,ふたりがそこにいる間にイエスが生まれました。c わたしたちは一注釈者の次のことばに同意せざるをえません。「ルカが常に何とかして完ぺきなまでの正確さをもって記述しようとする姿勢は,その史的感覚をこの上なく徹底的に試す試金石の一つである」。d わたしたちは,「すべてのことについて始めから正確にそのあとをたど(った)」というルカの主張が正当なものであることを認めなければなりません。
9 ルカの記録したイエスのどんな預言は西暦70年に著しい成就を見ましたか。
9 ルカは,ヘブライ語聖書の預言がイエス・キリストにいかに正確に成就したかについてもはっきり示しています。彼は,その点に関し,霊感のもとになされたイエス自身の証言を引用しています。(24:27,44)さらに彼は,将来に起きる事柄に関するイエスの預言をも正確に記録しています。その中には,その詳細な予告どおり,驚くほどの成就をすでに見たものも多くあります。例えば,まさにイエスの予告どおり,エルサレムは先のとがった杭の攻囲柵で囲まれ,西暦70年に恐怖の大虐殺に遭って滅びました。(ルカ 19:43,44; 21:20-24。マタイ 24:2)ローマ軍に同行して目撃証人となった一般の歴史家フラビウス・ヨセフスは,杭を用意するため,周辺のいなかは16㌔ほど遠くまで樹木をすべて伐採され,攻囲柵は長さ7.2㌔ほどに達し,多数の女子供が飢きんのために死に,そして100万人以上のユダヤ人が命を失い,9万7,000人が捕虜となったことを証言しています。今日に至るまで,ローマにあるティツスの凱旋門は,エルサレムの神殿からの戦利品を携えたローマ軍の凱旋行列の模様を描き出しています。e わたしたちは,ルカの記録した霊感による他の預言も同じように正確に成就することを確信できるのです。
ルカによる書の内容
10 ルカは何を手がけますか。
10 ルカの導入のことば(1:1-4)。ルカは,すべての事について始めから正確にそのあとをたどったこと,そしてそれを論理的な順序で書き記そうと思い定めたこと,それは,「きわめて優れたテオフィロ」がそれらの事の「確かさを十分に知(る)」ためであったことを記しています。―1:3,4。
11 ルカによる書の初めの章にはどんな喜ばしい出来事が語られていますか。
11 イエスの幼いころの生活(1:5-2:52)。ひとりのみ使いが老齢の祭司ゼカリヤに現われ,彼に息子が生まれること,そして彼はその子をヨハネと名づける,という喜びのたよりを伝えます。しかし,その男の子が生まれるまで,ゼカリヤはものを言うことができないでしょう。彼の妻エリサベツもまた,「ずっと年を取っていた」にもかかわらず,約束どおり妊娠します。その約6か月後,み使いガブリエルはマリアに現われ,彼女が「至高者の力」によって身ごもり,イエスと名づけるべき男子を産むことを告げます。マリアはエリサベツを訪ね,喜びのあいさつをした後,歓喜してこう語ります。「わたしの魂はエホバを大いなるものとし,わたしの霊は自分の救い主なる神のゆえに喜びにあふれます」。マリアは,エホバの聖なるみ名と,神を恐れる者たちに対するエホバの大いなる憐れみとについて語ります。ヨハネが誕生すると,ゼカリヤの舌は解け,ゼカリヤも神の憐れみについて語り,ヨハネがエホバの道を備える預言者となることについてはっきり語ります。―1:7,35,46,47。
12 イエスの誕生と子供時代についてどんなことが述べられていますか。
12 やがてイエスがベツレヘムで生まれ,ひとりのみ使いが,この「大きな喜びとなる良いたよりを」,夜間に自分の群れの番をしていた羊飼いたちに発表します。律法にしたがって割礼が施されます。次いで両親が神殿でイエスを『エホバに差し出し』た時,老齢のシメオンと女預言者アンナがその子供について語ります。その後,ナザレに戻ったイエスは,「成長して強くなってゆき,知恵に満たされ,神の恵みが引き続きその上に」あります。(2:10,22,40)12歳の時,ナザレからエルサレムを訪ねたイエスは,その理解力と答えとによって教師たちを驚かせます。
13 ヨハネは何を宣べ伝えますか。イエスのバプテスマの時,またそのすぐ後にどんな事が起きますか。
13 宣教のための準備(3:1-4:13)。ティベリウス・カエサルの治世の第15年,神の宣言がゼカリヤの子ヨハネに臨み,ヨハネは「罪の許しのための悔い改めの象徴としてのバプテスマを宣べ伝え」てゆきます。それは,すべての肉なる者が「神の救いの手だてを見る」ためです。(3:3,6)民が皆ヨルダン川でバプテスマを受けていた時,イエスもやはりバプテスマを受けます。そして彼が祈っていると,聖霊が彼の上に下り,彼の父は天からご自分の是認を表明されます。イエス・キリストは今や約30歳になられます。(ルカはここでイエスの系図を掲げています。)そのバプテスマの後,40日のあいだ霊が荒野においてイエスをあちらこちらと導き,その場所で悪魔は彼を誘惑しますが,成功しません。そのため,悪魔は「別の都合の良い時まで」身を引きます。―4:13。
14 イエスは自分の使命をどこで明らかにされますか。その使命とは何ですか。それを聞いていた人々はどのように応じますか。
14 おもにガリラヤで行なわれたイエスの初期の宣教(4:14-9:62)。イエスはご自分の育った町ナザレの会堂でイザヤ 61章1節と2節の預言を読み,それを次のようにご自身に当てはめて,ご自分の使命を明らかにされます。「エホバの霊がわたしの上にある。貧しい者に良いたよりを宣明させるためわたしに油をそそぎ,捕らわれ人に釈放を,盲人に視力の回復を宣べ伝え,打ちひしがれた者を解き放して去らせ,エホバの受け入れられる年を宣べ伝えさせるために,わたしを遣わしてくださったからである」。(4:18,19)人々は,初めはイエスの言葉を喜んでいますが,彼が話を続けてゆくにつれ,やがて怒り立つようになり,彼を除き去ろうとします。イエスはカペルナウムに下り,そこで多くの人をいやされます。群衆が彼のあとに従って来て,彼を自分たちのところに引き留めておこうとします。しかしイエスは彼らに,「わたしはほかの都市にも神の王国の良いたよりを宣明しなければなりません。わたしはそのために遣わされたからです」とお告げになります。(4:43)彼はユダヤの諸会堂で宣べ伝えます。
15 ペテロ,ヤコブ,ヨハネ,それにマタイが召された次第を述べなさい。
15 ガリラヤにおいて,イエスは,(ペテロとも呼ばれた)シモンとヤコブとヨハネに奇跡的な仕方で魚を取れるようにさせます。そして,シモンに,「今から後,あなたは人を生きながら捕るのです」と告げます。それで彼らはすべてのものを捨ててイエスのあとに従います。イエスは祈りと教える業とを続けます。そして,「彼がいやしを行なうようにエホバの力がそこに」あります。(5:10,17)彼はさげすまれた収税人レビ(マタイ)を召し,マタイは盛大な宴席を設けてイエスに敬意を表します。そこには「非常に大勢の収税人」も共に出席します。(5:29)これをきっかけとしてイエスはパリサイ人たちとたびたび相対するようになり,怒りに燃えた彼らは共謀してイエスに危害を加えようとします。
16 (イ)イエスは何をした後に12使徒をお選びになりますか。(ロ)山上の垂訓に関する並行記述の中でルカはどんな点を特に目立たせていますか。
16 神に夜通し祈った後,イエスは弟子たちの中から12使徒を選びます。さらにいやしの業がなされます。次いでイエスは,ルカ 6章20節から49節に記録される話をなさいます。それは短くまとめられてはいますが,マタイ 5章から7章にある山上の垂訓と並行する記述です。イエスは二つのことを対照的に述べます。「あなた方,貧しい人たちは幸いです。神の王国はあなた方のものだからです。しかし,あなた方,富んだ人たちは災いです! あなた方は自分の慰めをすべて得ているからです」。(6:20,24)そして,自分の敵を愛し,憐れみ深くし,与えることを習慣にし,また心の良い宝の倉から良いものを取り出すよう,聞く人々に諭されます。
17 (イ)その後イエスはどんな奇跡を行なわれますか。(ロ)イエスはご自分がメシアであるかどうかに関して,バプテスマを施す人ヨハネの使者にどのようにお答えになりますか。
17 カペルナウムに戻ったイエスは,ひとりの士官から,病気の奴隷をいやしてくださるようにとの依頼を受けます。その士官は,自分の屋根の下にイエスに入っていただくには自分は値しないと感じ,そのおられるところからただ『そのお言葉を下さい』とイエスに頼みます。それによって奴隷はいやされます。イエスは感嘆してこう述べます。「あなた方に言いますが,イスラエルにおいてさえ,わたしはこれほどの信仰を見たことがありません」。(7:7,9)その後,イエスは初めて死人をよみがえらせます。ナインのやもめの一人息子であり,イエスはそのやもめを『哀れに思われた』のです。(7:13)イエスに関するたよりがユダヤじゅうに広まると,バプテスマを施す人ヨハネは彼のもとに獄から使いを送り,「あなたが来たるべき方なのですか」と尋ねさせます。それに答えてイエスは使者に言われます,「行って,あなた方が見聞きしたことをヨハネに報告しなさい。盲人は見えるようになり,足なえの人は歩き,らい病の人は清められ,耳の聞こえなかった人は聞き,死人はよみがえらされ,貧しい人々には良いたよりが告げられています。それで,わたしにつまずかなかった人は幸いです」。―7:19,22,23。
18 王国を宣べ伝える活動が続けられると共に,どんな例えが話され,どんな業が行なわれ,どんな助言の言葉が与えられますか。
18 イエスは12使徒を伴いつつ,「都市から都市,村から村へと旅をされ,神の王国の良いたよりを宣べ伝えまた宣明」されます。彼は種まき人の例えを話し,その話のしめくくりとしてこう語ります。「ですからあなた方は,どのように聴くかに注意を払いなさい。だれでも持っている者,その者にはさらに与えられますが,持っていない者,その者からは,持っていると思うものまで取り去られるのです」。(8:1,18)イエスは驚嘆すべき業と奇跡とを行ないつづけます。また,12使徒に,悪霊を制する権威や病気を治す力を与え,「神の王国を宣べ伝え,また病気をいやさせるために」彼らを遣わします。5,000人の人が奇跡によって食物を与えられます。イエスは山の上で変ぼうし,その翌日には,弟子たちが治すことのできなかった,悪霊につかれた少年をいやします。そして,イエスに従おうとする人々に訓戒のことばをお与えになります。「きつねには穴があり,天の鳥にはねぐらがあります。しかし人の子には頭を横たえる所がありません」。神の王国にふさわしい者となるには,人は手をすきにかけて後ろを振り向いてはなりません。―9:2,58。
19 イエスは隣人に対する真の愛についてどのような例えを話されますか。
19 イエスのユダヤにおける後期の宣教(10:1-13:21)。イエスは「収穫」のためにさらに70人を遣わし,遣わされた人々はその宣教の成功を見て喜びに満たされます。イエスが伝道していると,ひとりの人が自分の義を示そうとして,「わたしの隣人とはいったいだれでしょうか」とイエスに尋ねます。それに答えて,イエスは親切なサマリア人の例えを話されます。ある人が強盗たちに襲われ,半殺しの状態で道の傍らに横たわっていますが,そこを通る祭司とレビ人はそれを無視します。ところが,立ち止まって優しく彼の傷の手当てをし,彼を自分の畜獣に乗せて宿屋に連れて行き,その看病の費用を払うのはさげすまれたサマリア人です。そうです,隣人となったのは,「その人に対して憐れみ深く行動した者」です。―10:2,29,37。
20 (イ)イエスはマルタとマリアに対してどんな点を明らかにされますか。(ロ)祈りについてはどんなことを強調しますか。
20 マルタの家で,イエスは,家事のことで過度に思い煩っていたマルタを穏やかに叱責し,座ってイエスの言葉を聴き,良いほうを選んだマリアをほめます。イエスは弟子たちに模範的な祈りを教え,また,たゆまず祈りつづけることの必要性を強調して,「求めつづけなさい。そうすれば与えられます。探しつづけなさい。そうすれば見いだせます」と教えます。後にイエスは悪霊たちを追い出し,「神の言葉を聞いてそれを守っている人たちこそ幸い」であると言明されます。また,食事をしているさいに,律法をめぐってパリサイ人と意見の衝突が生じ,「知識のかぎ」を取り去ったことのゆえに彼らに災いを宣告します。―11:9,28,52。
21 イエスは貪欲を戒める,どんな警告を与えますか。また,何をするよう弟子たちを促されますか。
21 イエスが再び群衆と共にいた時,ある人が,「わたしの兄弟に,相続財産をわたしと分けるように言ってください」とイエスに言います。イエスは次のように答えて問題の核心を突かれます。「じっと見張っていて,あらゆる強欲に警戒しなさい。満ちあふれるほどに豊かであっても,人の命はその所有している物からは生じないからです」。それからイエスは,より大きな倉を建てるために自分の倉を壊したのに,結局その夜のうちに死んで,自分の富を他の人に残したある富裕な人の例えを話されます。イエスはその要点を簡潔に述べます,「自分のために宝をためても,神に対して富んでいない者はこうなるのです」。そして,神の王国を第一に求めるよう弟子たちを促した後,イエスは,「恐れることはありません,小さな群れよ。あなた方の父は,あなた方に王国を与えることをよしとされたからです」と語られます。イエスは18年間病んでいたひとりの女を安息日にいやしたために,敵対者たちとさらに衝突する結果になりますが,結局彼らは恥を被ります。―12:13,15,21,32。
22 イエスはどんな適切な例えで王国について教え諭されますか。
22 おもにペレアで行なわれた,イエスの後期の宣教(13:22-19:27)。イエスは,聞き手に神の王国をはっきり指摘するため生き生きとした多彩な例えを用います。目立った地位や誉れを求める者は辱めを受けます。宴会を設ける人は,お返しのできないような貧しい人たちを招きなさい。その人は幸いを受け,「義人の復活の際に報いを受け」ます。次に,盛大な晩さんを設ける人の例えが話されます。招かれていた人たちは次々に言い訳をして断わります。ある人は畑を買いました。別の人は何頭かの牛を購入しました。さらに別の人は妻を迎えたばかりです。怒った家の主人は使いをやって,「貧しい人,体の不自由な人,盲人,足なえの人など」を連れて来させ,最初に招いておいた者たちはだれもその晩さんを『味わう』ことさえないであろう,と言明します。(14:14,21,24)さらにイエスは,失われた羊を見いだすことに関する例えを話してこう語ります。「あなた方に言いますが,このように,悔い改める一人の罪人については,悔い改めの必要のない九十九人の義人について以上の喜びが天にあるのです」。(15:7)自分の家の中を掃いて,失ったドラクマ硬貨一つを取り戻す女に関する例えも同様の点を示します。f
23 放とう息子に関する例えの中でどんなことが示されていますか。
23 次いでイエスは放とう息子に関する例えを話されます。彼は財産のうちの自分の分を父に請い,「放とうの生活をして」それを使い果たしました。全くの困窮状態に陥ったその息子は本心に立ち返り,家に帰って父親の憐れみにすがりました。父親は哀れに思い,「走って行ってその首を抱き,優しく口づけ」しました。上等の着物が与えられ,大きな宴会が設けられ,人々は「興じ始め」ました。しかし,兄はそれに異議を唱えました。父は優しい態度で彼の考えを正します。「子よ,あなたはいつもわたしと一緒にいたし,わたしの物はみなあなたのものだ。だが,わたしたちはとにかく楽しんで歓ばないわけにはいかなかったのだ。このあなたの兄弟は,死んでいたのに生き返り,失われていたのに見つかったからだ」。―15:13,20,24,31,32。
24 富んだ人とラザロ,それにパリサイ人と収税人に関する例えの中で,イエスはどんな真理を強調しておられますか。
24 不義の家令に関する例えを聞いた時,金を愛するパリサイ人たちはイエスの教えを冷笑します。しかしイエスは彼らに告げます,「あなた方は人の前で自分を義とする者たちですが,神はあなた方の心を知っておられます。人の間で高大なものは,神から見て嫌悪すべきものだからです」。(16:15)さらにイエスは,富んだ人とラザロに関する例えによって,神の是認を受けている者と受けていない者との間に定め置かれた裂け目がいかに大きなものであるかを示されます。イエスは,つまずきの原因となるものがあることを弟子たちに警告しますが,「それが来るその経路となる人は災いです!」 またイエスは,「人の子が表わし示されようとしている」時に到来する苦難について語ります。そして,「ロトの妻のことを思い出しなさい」と弟子たちに告げます。(17:1,30,32)さらにイエスは,「日夜ご自分に向かって叫ぶ」者たちのために神が必ず行動してくださることを例えによって保証されます。(18:7)次いでイエスは,別の例えを用いて,自ら義にかなっているとする人々を戒めます。つまり,ひとりのパリサイ人は神殿で祈りをし,自分が他の人々のようではないと言って神に感謝します。一方,ひとりの収税人は,遠く離れた所に立ち,目を天の方に上げようともしないで,「神よ,罪人のわたしに慈悲をお示しください」と祈ります。イエスはこのことをどのように評価されますか。イエスは,その収税人のほうがパリサイ人よりずっと義にかなっていると言明します。「自分を高める者はみな辱められますが,自分を低くする者は高められる」からです。(18:13,14)イエスはエリコにおいて収税人ザアカイのもてなしを受け,そこで十ミナに関するたとえ話をされます。それは,ゆだねられたものを忠実に活用することの結果と,それを隠して使わないでいることの結果を対照させたものでした。
25 イエスはどのようにして自分の宣教の最終段階に入りますか。そして,どんな預言的な警告をお与えになりますか。
25 エルサレム内およびその周辺での最後の公の宣教(19:28-23:25)。イエスが子ろばに乗ってエルサレムに入城し,大勢の弟子たちが『エホバのみ名によって王として来る者』と呼んで彼を迎えると,パリサイ人たちは弟子たちを叱るようイエスに求めます。それに対してイエスは答えます,「もしこれらの者が黙っているなら,石が叫ぶでしょう」。(19:38,40)イエスはエルサレムの滅びに関する注目すべき預言を述べ,エルサレムが先のとがった杭で囲まれて,攻めたてられ,その子らと共に地面にたたきつけられて,一つの石も他の石の上に残したままにはされなくなるであろう,と語ります。イエスは神殿で民を教え,良いたよりを宣明するとともに,巧みな例えと論証によって,祭司長・書士・サドカイ人などのこうかつな質問に答えます。また,終わりの大いなるしるしについて力強く描写し,エルサレムが野営を張った軍隊に囲まれることについて再び語られます。人々は起きようとする事柄への恐れのために気を失いますが,そうした事が起きる時,イエスに従う人々は「身をまっすぐに起こし,頭を上げ」るべきです。その「救出が近づいているから」です。そして,起きることが定まっている事柄から首尾よく逃れられるようずっと目ざめていなければなりません。―21:28。
26 (イ)イエスはどんな契約を紹介しますか。そして,それと何とを結びつけますか。(ロ)試みのもとでイエスはどのように強められますか。そして,自分が捕縛される際どんなことを叱責しますか。
26 さて,西暦33年ニサン14日になりました。イエスは過ぎ越しを執り行ない,次いで,忠実な使徒たちに対して「新しい契約」を紹介し,その契約と象徴的な食事とを結びつけ,イエスの記念としてそれを守り行なうように命じます。さらに,使徒たちに対してこう告げます。「わたしは,ちょうどわたしの父がわたしと契約を結ばれたように,あなた方と王国のための契約を結び(ます)」。(22:20,29)その同じ夜,イエスがオリーブ山で祈りをしていると,「ひとりのみ使いが天から現われて彼を強め」ますが,『彼はもだえはじめ,いよいよ切に祈り,汗が血の滴りのようになって地面に落ち』ます。裏切り者ユダがイエスを捕縛しようとする暴徒の先導となって現われ,その場の雰囲気は緊張します。弟子たちは,「主よ,剣で撃ちましょうか」と叫びます。そのひとりは大祭司の奴隷の耳を実際に切り落としますが,イエスは彼らを叱責し,傷ついた男をいやします。―22:43,44,49。
27 (イ)ペテロはどの点で失敗しますか。(ロ)イエスはどんな罪で告発されますか。どのような状況のもとでイエスは裁かれ,刑の宣告を受けますか。
27 イエスは審問のために大祭司の家に引き立てられます。ペテロのほうは,夜の寒さのために,群衆にまじって火にあたっています。ペテロは3度,イエスの追随者だったとして告発されますが,3度ともこれを否定します。その時おんどりが鳴きます。主は振り返ってペテロを見,ペテロはイエスがまさにそのことを予告していたのを思い出し,外に出て激しく泣きます。サンヘドリンの広間に引き出された後,イエスは次にピラトの前に導かれ,国民をかく乱し,税を払うことを禁じ,「自分は王キリストだと言っている」として訴えられます。イエスがガリラヤ人であることを知ったピラトは,その時たまたまエルサレムに来ていたヘロデのもとに彼を送ります。ヘロデとその衛兵たちはイエスを嘲弄してから,狂乱した暴徒の前で行なわれる裁判のためにイエスを送り返します。ピラトは『イエスを彼らの意向にゆだね』ます。―23:2,25。
28 (イ)イエスはご自分に対する信仰を示す盗人にどんな約束をなさいますか。(ロ)イエスの死,埋葬,および復活について,ルカはどんなことを記録していますか。
28 イエスの死,復活,ならびに昇天(23:26-24:53)。イエスはふたりの悪行者にはさまれて杭につけられます。そのひとりはイエスをなじりますが,他方の者は信仰を示し,イエスの王国において自分を思い出してくださるようにと請います。それに対してイエスは約束します,「今日あなたに真実に言いますが,あなたはわたしと共にパラダイスにいるでしょう」。(23:43)その後,異常な闇が垂れこめ,聖所の幕が真ん中で上から下に引き裂け,イエスは,「父よ,わたしの霊をみ手に託します」と叫びます。こうしてイエスは息を引き取ります。その体は下ろされ,岩に掘り込んだ墓の中に横たえられます。週の最初の日,イエスに伴ってガリラヤから来ていた女たちは墓に行きますが,イエスの体を見いだせません。イエスは自ら予告していたとおり,三日目にまさしくよみがえらされたのです!―23:46。
29 ルカの福音書はどんな喜ばしい記述で結ばれていますか。
29 エマオに向かう道で,それと知られぬままふたりの弟子に現われたイエスは,ご自分の受けた苦難について語り,聖書の意味を説き明かされます。にわかに彼らはそれがだれであるかを知り,イエスのほうはそこから姿を消します。今ふたりはこう語ります。「あの方が道でわたしたちに話してくださった時,わたしたちのために聖書をすっかり解いてくださった時,わたしたちの心は燃えていなかっただろうか」。ふたりは急いでエルサレムに帰り,他の弟子たちにそのことを伝えます。彼らがまさにこうした事について話していた時に,イエスが彼らのただ中に現われます。全くの喜びと驚きとのために彼らはそれを信じることができません。そこでイエスは「彼らの思いを十分に開いて」,起きたすべての事柄の意味を聖書から理解させます。ルカは自分の福音書をイエスの昇天に関する記述で結んでいます。―24:32,45。
なぜ有益か
30,31 (イ)ルカの書はヘブライ語聖書が神の霊感を受けて記されたものであるという確信をどのように人に抱かせますか。(ロ)その点を裏付けるために,ルカはイエスのどんな言葉を引用していますか。
30 「ルカによる」良いたよりは,神の言葉に対する確信を人に抱かせ,信仰を強めるので,人は異質の世界からの攻撃に立ち向かうことができます。ルカはヘブライ語聖書の正確な成就の例を数多く挙げています。イエスはご自分の使命をイザヤ書の明確なことばから引き出したことが示されており,ルカはそれをその書の一つのテーマとしているように思われます。(ルカ 4:17-19。イザヤ 61:1,2)これはイエスが「預言者たち」から引用された一例です。イエスはまた,悪魔の三つの誘惑を退けた時のように,律法からも引用されました。また,敵対者たちに,「人々が,キリストはダビデの子だというのはどうしてですか」と尋ねた場合のように,詩編からも引用しました。ルカの記述はヘブライ語聖書からの引用をほかにも数多く含んでいます。―ルカ 4:4,8,12; 20:41-44。申命記 8:3; 6:13,16。詩編 110:1。
31 イエスがゼカリヤ 9章9節の予告どおり子ろばに乗ってエルサレムに入城した時,大勢の人々は歓呼して彼を迎え,詩編 118編26節の聖句を彼に適用しました。(ルカ 19:35-38)あるところでは,ルカによる書のわずか二つの節が,イエスの辱めのもとでの死と復活に関するヘブライ語聖書の預言の六つの点を含んでいます。(ルカ 18:32,33。詩編 22:7。イザヤ 50:6; 53:5-7。ヨナ 1:17)最後に,その復活後,イエスはヘブライ語聖書全体の重要さを弟子たちに深く悟らせました。「それから彼らにこう言われた。『まだあなた方と共にいた時に,わたしが話した言葉はこうでした。つまり,モーセの律法の中,そして預言者たちと詩編の中にわたしについて書いてあることはみな必ず成就するということです』。そして,聖書の意味をつかむよう彼らの思いを十分に開(かれた)」。(ルカ 24:44,45)これらイエス・キリストの最初の弟子たちと同じように,わたしたちも,ルカおよびクリスチャン・ギリシャ語聖書の他の筆者たちが極めて正確に説明する,ヘブライ語聖書の預言の成就に注意を払うことによって,啓発と強固な信仰とを得ることができます。
32 ルカの記述は神の王国をどのように強力に打ち出していますか。その王国に対するわたしたちの態度はどんなものであるべきですか。
32 ルカはその記述全体を通して,読者の注意を終始神の王国に向けています。み使いがマリアに対して,その産む子供は『王としてヤコブの家を永久に支配する。彼の王国に終わりはない』と約束したその書の始めの部分から,イエスが使徒たちを王国のための契約に入れることについて語った終わりのほうの章にいたるまで,ルカは王国の希望を目立たせています。(1:33; 22:28,29)ルカは,イエスが王国を宣べ伝える業において率先し,またその同じ業を行なわせるために12使徒を遣わし,後に70人を派遣されたことを示しています。(4:43; 9:1,2; 10:1,8,9)「死人に自分たちの死人を葬らせ,あなたは行って神の王国を広く宣明しなさい」,また,「手をすきにかけてから後ろのものを見る人は神の王国に十分ふさわしい者ではありません」というイエスの鋭い言葉によって,王国に入るためには思いを一つに集中した専心の必要なことが強調されました。―9:60,62。
33 ルカが祈りを強調していることについてその例を挙げなさい。そのことからどんな教訓を学び取ることができますか。
33 ルカは祈りに関することを強調しています。彼の福音書はこの点で際立っています。それは,ゼカリヤが神殿の中にいたあいだ大勢の人々が祈りをしていたこと,子供を求める祈りに対する答えとして,バプテスマを施す人ヨハネが生まれたこと,そして女預言者アンナが夜昼祈りをささげていたことについて述べています。また,イエスがバプテスマのさいに祈っておられたこと,12使徒を選ぶに先立って夜通し祈りをささげたこと,そして変ぼうの時にも祈っておられたことについて述べています。イエスは弟子たちに「常に祈り,かつあきらめてはならない」ことを諭し,公正な裁きが受けられるまで裁き人のもとにしきりに願い出た辛抱強いやもめの例えでそのことを示されました。祈りの仕方を教えてくださいという,イエスに対する弟子たちの願い,またオリーブ山で祈っていたイエスをみ使いが強めたことについて記しているのはルカだけであり,またルカだけが,「父よ,わたしの霊をみ手に託します」というイエスの最後の祈りの言葉を記録しています。(1:10,13; 2:37; 3:21; 6:12; 9:28,29; 18:1-8; 11:1; 22:39-46; 23:46)ルカがその福音書を記録した時代と同じく,今日でも,祈りは,神のご意志を行なうすべての人々を強める重要な備えです。
34 ルカはイエスのどんな特質をクリスチャンに対する優れた先例として特に強調していますか。
34 ルカは鋭い観察力と叙述的で流麗な文体で,イエスの教えを温かさと活力のあるものにしています。虐げられ,踏みつけられた弱い人々に対するイエスの愛と親切さと憐れみと同情心が,書士やパリサイ人の形式的で冷ややかで,狭量で偽善的な宗教と著しい対照をなすものとしてはっきり示されています。(4:18; 18:9)イエスは,貧しい人,捕らわれの身にある人,盲目の人,打ちひしがれた人などに対して不断の励みと助けを差し伸べており,こうして,「その歩みにしっかり」従おうとする人々に優れた手本を残しておられます。―ペテロ第一 2:21。
35 ルカの福音書を備えてくださったことに対してエホバに深く感謝できるのはなぜですか。
35 完全な人であり,奇跡を行なう神の子であったイエスが,ご自分の弟子や正直な心を抱く人すべてに愛ある配慮を示されたように,わたしたちもまた,愛をもって,そうです,「わたしたちの神の優しい同情」のゆえに,わたしたちの宣教を遂行するよう努力すべきです。(ルカ 1:78)「ルカによる」良いたよりはそのために極めて有益であり,ほんとうに助けになります。『愛される医者』ルカに霊感を与えて,この正確で,人を築き上げ,また励みを与える記述を書かせ,「神の救いの手だて」であられるイエス・キリストの王国による救いを指し示してくださったことに対して,わたしたちはエホバ神に本当に感謝できます。―コロサイ 4:14。ルカ 3:6。
[脚注]
a 「ルカの医学用語」(英文),1954年,W・K・ホバート,11-28ページ。
b 「法律家の見た聖書」(英文),1943年,I・H・リントン,38ページ。
c 「聖書に対する洞察」(英文),第2巻,766,767ページ。
d 「現代の発見と聖書」(英文),1955年,A・レンドル・ショート,211ページ。
e 「ユダヤ戦記」,V,491-515,523(xii,1-4); VI,420(ix,3)。「聖書に対する洞察」(英文),第2巻,751,752ページもご覧ください。
f ドラクマは重さ3.4㌘ほどのギリシャの銀貨でした。
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聖書の43番目の書 ― ヨハネによる書『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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聖書の43番目の書 ― ヨハネによる書
筆者: 使徒ヨハネ
書かれた場所: エフェソス,またはその付近
書き終えられた年代: 西暦98年ごろ
扱われている期間: 序文の後,西暦29年-33年
1 聖書は,ヨハネがイエスと親密な交わりを持っていたことをどのように示していますか。
マタイ,マルコ,およびルカによる福音書が流布されるようになってから既に30年以上が経過し,それらは,聖霊による霊感を受けた人々の書き記したものとして1世紀のクリスチャンたちの間で大切にされていました。今や,1世紀の終わりが近づき,イエスと共にいた人々の数が減ってゆくにつれ,ほかにも語られるべきことがまだあるのではなかろうか,という疑問が生じたことでしょう。自分の記憶からイエスの宣教に関する貴重な詳細事項をさらに告げることのできる人がほかにもいませんでしたか。確かにいました。老齢のヨハネはイエスとの交わりという点でとりわけ恵まれていました。明らかに彼は,バプテスマを施す人ヨハネの弟子のうち神の子羊に最初に紹介された人々の中に入っており,全時間の宣教に加わるよう主の招きを受けた最初の4人のうちの一人でした。(ヨハネ 1:35-39。マルコ 1:16-20)彼はイエスの宣教の期間中その後もずっとイエスとの親密な交わりを保っていましたし,最後の過ぎ越しのさいイエスの胸もとに横になっていた,『イエスの愛しておられた』弟子とは彼のことでした。(ヨハネ 13:23。マタイ 17:1。マルコ 5:37; 14:33)彼はイエスの処刑という悲痛な場面にも居合わせました。そのさい,イエスはご自分の肉の母親の世話を彼に託したのであり,また,イエスがよみがえったという報告について調べるためペテロと共に墓へ急いだとき,ペテロを追い越したのも彼でした。―ヨハネ 19:26,27; 20:2-4。
2 ヨハネはその福音書を書く備えと力をどのように得ましたか。彼はそれをどんな目的で書きましたか。
2 ほとんど70年に及ぶ活動的な宣教奉仕を通して熟成し,少し前のパトモス島における孤独な監禁中に得た数々の幻と黙想の結果とを身に満たしたヨハネは,自分の心の中に長年蓄えてきた事柄について書き記す備えを十分身に着けていました。今,聖霊が彼の思いを活気づけ,人に命を得させる数多くの貴重なことばを思い出させて書き記させました。それは,それを読む個々の人が,『イエスが神の子キリストであることを信じ,また,信じるゆえにイエスの名によって命を持つため』でした。―20:31。
3,4 (イ)この福音書の正典性,および,(ロ)ヨハネがそれを記したことについて,どのような外的また内面的な証拠がありますか。
3 2世紀初めのクリスチャンたちはヨハネをこの記述の筆者として受け入れ,またこの書を,霊感による聖書の,異論の余地のない正典の一つとして扱っていました。アレクサンドリアのクレメンス,イレナエウス,テルトゥリアヌス,オリゲネスなど,2世紀末と3世紀初めの人々も皆,ヨハネがその筆者であることを証言しています。さらに,この書そのものの中にも,ヨハネがその筆者であることを示す内面的証拠が多く見いだされます。その筆者がユダヤ人で,ユダヤ人の習慣やその土地のことによく通じていたことは明らかです。(2:6; 4:5; 5:2; 10:22,23)記述に見られるイエスとの親密さは,筆者が使徒の一人であるだけでなく,特別な場合にもイエスに同行した内輪の3人,つまりペテロ,ヤコブ,およびヨハネのいずれかであったことを示しています。(マタイ 17:1。マルコ 5:37; 14:33)このうち,ヤコブ(ゼベダイの子)は除かれます。この書が記されるずっと前の西暦44年ごろ,ヘロデ・アグリッパ1世のゆえに殉教の死を遂げているからです。(使徒 12:2)またペテロも除かれます。ペテロは,ヨハネ 21章20節から24節でこの書の筆者と並べて言及されているからです。
4 ここに挙げたこの書の結びの数節の中で,筆者は自らを,「イエスが愛しておられた」弟子として述べています。使徒ヨハネの名は一度も言及されてはいませんが,これと同じあるいは類似の表現はこの記録の中に数回用いられています。上記の部分にはその弟子に関するイエスの次のことばが引用されています。「わたしが来るまで彼のとどまることがわたしの意志であるとしても,それがあなたにどんな関係があるでしょうか」。(ヨハネ 21:20,22)これは,ここで言及された弟子がペテロや他の使徒よりずっと長く生き残ることを暗示しています。こうした点のすべては使徒ヨハネと合致します。ヨハネが,イエスの到来に関する啓示の書の幻を与えられた後に,その注目すべき預言の書を,「アーメン! 主イエスよ,来てください」という言葉で結んでいるのは興味深い点です。―啓示 22:20。
5 ヨハネはその福音書をいつごろ書いたと信じられていますか。
5 ヨハネの書き記したものそれ自体は明確な情報を与えてはいませんが,ヨハネがその福音書を書いたのはパトモス島での流刑から帰った後であると一般に信じられています。(啓示 1:9)西暦96年から98年のローマ皇帝ネルウァは,自分の前任者ドミティアヌスの治世の終わった時に流刑になっていた多くの者を呼び戻しました。ヨハネは,その福音書を西暦98年ごろに書き終えた後に,トラヤヌス帝の治世の第3年に当たる西暦100年ごろ,エフェソスにおいて平安のうちに死んだものと信じられています。
6 ヨハネの福音書がパレスチナの外,エフェソスかその付近で書かれたことを示唆するどんな証拠がありますか。
6 エフェソス,もしくはその付近がこの書の記された場所であることに関しては,歴史家エウセビオス(西暦260年ごろ-340年ごろ)がイレナエウスの次のことばを引用しています。「主の弟子であり,主の胸もとにもたれたこともあるヨハネはまた,アジアのエフェソスに住んでいた間に福音書を記した」。a この書がパレスチナの外で書かれたことは,イエスに敵対した人々が,「パリサイ人」や「祭司長」などの用語ではなく,「ユダヤ人」という一般的な用語で数多く言及されていることにより裏付けられています。(ヨハネ 1:19; 12:9)また,ガリラヤの海は,そのローマ名であるティベリアの海という名称で説明されています。(6:1; 21:1)ユダヤ人以外の人々のために,ヨハネはユダヤ人の祝祭について役に立つ説明をしています。(6:4; 7:2; 11:55)彼の流刑地パトモスはエフェソスの近くで,彼がエフェソス,それに小アジアの他の会衆について知っていたことは,啓示の2章と3章に示されています。
7 ライランズ・パピルス457にはどんな意義がありますか。
7 ヨハネの福音書の信ぴょう性と関連があるのは,20世紀になされた写本上の重要な発見です。その一つは,エジプトで発見されたヨハネ福音書の断片であり,現在ライランズ・パピルス457(P52)として知られているものです。それはヨハネ 18章31から33,37,38節を含んでおり,英国,マンチェスターのジョン・ライランズ図書館に保存されています。b その断片と,ヨハネが1世紀の終わりにその福音書を記したという伝承との関係について,故フレデリック・ケニヨン卿は自著,「聖書と現代の知識」(英文),1949年版,21ページでこう述べました。「それは小さなものであるとはいえ,紀元130年から150年ごろに,写本の発見されたエジプトのその地方にまで,この福音書の写本が流布されていたことを証明するに十分である。この書がその初めに書かれた場所からこうして流布されるまでの時間を最小に見積もっても,この書のまとめられた時期は,1世紀の最後の10年間という伝承上の年代に非常に近づき,その伝承の妥当性を疑う理由はもはやない」。
8 (イ)ヨハネの福音書の導入部について注目すべき点は何ですか。(ロ)イエスの宣教期間が3年半であったことについてどんな証拠が与えられていますか。
8 ヨハネの福音書はその導入部のゆえに際立っています。その部分は,「初めに神と共にいた」「言葉」が,この方を通してすべてのものが存在するようになったその当事者であることを啓示しています。(1:2)ヨハネはみ父とみ子との間の貴重な関係について知らせた後,イエスの業や講話について極めて優れた描写を始めています。それは特に,いっさいのものを神の偉大な取り決めのうちに結合させる緊密な愛という観点でなされています。イエスの地上での生涯に関するこの記述は西暦29年から33年の期間を扱っており,その宣教期間中にイエスが出席した四度の過ぎ越しについて注意深く言及しています。これは,イエスの宣教が3年半に及んだことを示す一連の証拠の一つとなっています。それらの過ぎ越しのうちの三つについてははっきり過ぎ越しとして言及されています。(2:13; 6:4; 12:1; 13:1)残りの一つについては,ただ「ユダヤ人の祭り」と言及されているだけですが,それは,文脈から言うと,「収穫が来るまでにはまだ四か月ある」とイエスが語った少し後のことです。こうして,その祭りが,収穫の始まるころになされた過ぎ越しであったことが示されています。―4:35; 5:1。c
9 ヨハネの福音書が補足的な役割を果たしていることを何が示していますか。しかし,それによってイエスの宣教に関するすべての詳細事項が満たされていますか。
9 「ヨハネによる」良いたよりはおおむね補足的な役割を果たしており,内容の92%は他の三つの福音書に述べられていない新しい資料です。しかしそれでも,ヨハネは次の言葉で結んでいます。「実に,イエスの行なわれた事はほかにも多くあるが,仮にそれが事細かに記されるとすれば,世界そのものといえども,その書かれた巻き物を収めることはできないであろうと思う」― 21:25。
ヨハネによる書の内容
10 ヨハネは「言葉」について何を述べていますか。
10 序文: 「言葉」を紹介する(1:1-18)。ヨハネは,初めに「言葉は神と共に」いたこと,また命が彼を通して存在するようになり,彼が「人の光」となったこと,さらにヨハネ(バプテスマを施す人)が彼に関する証しをしたことを見事なまでに簡潔に述べています。(1:1,4)光は世にいましたが,世は彼を知りませんでした。しかし,彼を受け入れた者たちは神の子供となり,神から生まれた者となりました。律法はモーセを通して与えられましたが,「過分の親切と真理とはイエス・キリストを通して存するように」なりました。―1:17。
11 バプテスマを施す人ヨハネはイエスがどのような方であることを明らかにしますか。ヨハネの弟子たちはイエスをどのような方として受け入れますか。
11 「神の子羊」を人々に紹介する(1:19-51)。バプテスマを施す人ヨハネは,自分はキリストではないことを告白し,自分の後に,自分がそのサンダルの締めひもをほどくにも値しない方が来られると語ります。次の日,イエスが自分のほうに近づいて来た時,ヨハネは,イエスが「世の罪を取り去る,神の子羊」であることを明らかにします。(1:27,29)次いで,彼は自分の弟子ふたりをイエスに紹介します。そのひとりアンデレは自分の兄弟ペテロをイエスのところに連れて行きます。フィリポとナタナエルも,イエスを,『神の子,イスラエルの王』として受け入れます。―1:49。
12 (イ)イエスの最初の奇跡は何ですか。(ロ)宣教期間中の最初の過ぎ越しのためにエルサレムに上ったさいイエスは何を行ないますか。
12 イエスの奇跡はご自分が『神の聖なる者』であることを証明する(2:1-6:71)。イエスはガリラヤのカナで最初の奇跡を行ない,ある婚宴の席で水を最良のぶどう酒に変えます。これはイエスの「しるしの始め」であり,「弟子たちは彼に信仰を持」ちます。(2:11)イエスは過ぎ越しのためにエルサレムに上ります。神殿の中に行商人や両替屋を見つけたイエスは,むちを手にし,非常に力強い態度でそれらの者を追い出します。そのため,弟子たちは,「あなたの家に対する熱心がわたしを食い尽くすであろう」という預言が成就したことを認めます。(ヨハネ 2:17。詩編 69:9)イエスは,神殿としてのご自分の体が崩され,三日のうちに再び建て起こされることを予言します。
13 (イ)イエスは命を得るために何が必要なことを示されますか。(ロ)バプテスマを施す人ヨハネはイエスに関連して自分のことをどのように述べますか。
13 恐れの気持ちを持つニコデモは夜にイエスを訪ね,イエスが神から遣わされた方であると告白します。イエスは,神の王国に入るために人は水と霊から生まれなければならないことを彼に告げます。天から遣わされた人の子を信じることは命のために必要です。「というのは,神は世を深く愛してご自分の独り子を与え,だれでも彼に信仰を働かせる者が滅ぼされないで,永遠の命を持てるようにされたからです」。(ヨハネ 3:16)世に到来した光は闇と対立しますが,「真実なことを行なう者は光に来(る)」とイエスは結論します。その時,バプテスマを施す人ヨハネはユダヤにおけるイエスの活動について知り,自分はキリストではないが,「花婿の友人は……花婿の声に一方ならぬ喜びを抱(く)」と言明します。(3:21,29)今やイエスは増し加わってゆき,ヨハネは減ってゆかねばなりません。
14 イエスはスカルにいたサマリア人の女にどんなことを説明しますか。そこでのイエスの伝道はどのような結果になりますか。
14 イエスは再びガリラヤに向けて旅立ちます。その途中,ほこりにまみれ,「旅のためにすっかり疲れ」たイエスは,スカルのヤコブの泉のところに座って休みます。弟子たちは食物を買うために市内に出かけています。(4:6)それは真昼であり,第6時です。ひとりのサマリア人の女が水をくむために近づいて来ます。イエスは自分に飲ませてほしいと頼みます。そのおり,疲れていたにもかかわらず,イエスは,人を真実にさわやかにし,「霊と真理をもって」神を崇拝する人々に永遠の命を得させる真の「水」について彼女に話しはじめます。弟子たちは戻って来て食事をするように促しますが,イエスは,「わたしの食物とは,わたしを遣わした方のご意志を行ない,そのみ業をなし終えることです」と言明します。イエスはその地域でさらに二日間過ごされたので,大勢のサマリア人が,「この人こそ確かに世の救い主(である)」と信じるようになります。(4:24,34,42)ガリラヤのカナに着くと,イエスはある貴人の息子を,その病床の近くに行かずにいやします。
15 イエスがエルサレムにいたさい,彼に対してどんな非難がなされますか。イエスは批判者たちにどのように答えますか。
15 イエスはユダヤ人の祭りのために再びエルサレムに上ります。そして,安息日に,ある病気の人をいやしますが,これが非常な批判のあらしを呼びます。イエスはそれに答えて言います,「わたしの父はずっと今まで働いてこられました。ですからわたしも働きつづけるのです」。(5:17)ユダヤ人の指導者たちは今や,イエスが,安息日を破ったことに加えて,自分を神と同等にするという冒とくをも犯したと唱えます。イエスは,子は自分からはただ一つの事も行なえず,全く父に依存している,と答えます。そして,「記念の墓の中にいる者がみな,彼の声を聞いて[復活のために]出て来る」という驚嘆すべき発言をします。しかし,信仰のない聴衆に対してイエスはこう語ります。「あなた方は互いどうしからの栄光を受け入れて,唯一の神からの栄光を求めていないのですから,どうして信じることができるでしょうか」。―5:28,29,44。
16 (イ)イエスは食物と命についてどんなことを教えますか。(ロ)ペテロは使徒たちの確信のほどをどのように表明しますか。
16 イエスが五つのパンと2匹の魚で5,000人の人々を養うという奇跡を行なうと,群衆は彼をとらえて王とすることを考えますが,イエスは山の中に退きます。後にイエスは,「滅びる食物」を追い求めたことで群衆を戒めます。むしろ彼らは,「永遠の命へとながく保つ食物のために」働くべきです。またイエスは,彼を神の子と認めて信仰を働かせることが命のパンにあずかることであると指摘し,さらにこう付け加えます。「人の子の肉を食べず,その血を飲まないかぎり,あなた方は自分のうちに命を持てません」。これを聞いて,イエスの弟子のうち多くの者が感情を害してイエスのもとを離れます。イエスは12使徒に,「あなた方も去って行きたいと思っているわけではないでしょう」と尋ねます。それに対してペテロは答えます,「主よ,わたしたちはだれのところに行けばよいというのでしょう。あなたこそ永遠の命のことばを持っておられます。そしてわたしたちは,あなたが神の聖なる方であることを信じ,また知るようになったのです」。(6:27,53,67-69)しかしイエスは,ユダがイエスを裏切ることを知っておられ,彼らのうちの一人は中傷する者である,と語ります。
17 幕屋の祭りの際,イエスは神殿で教えましたが,その教え方はどんな影響を及ぼしますか。
17 「光」は闇と対立する(7:1-12:50)。イエスはひそかにエルサレムに上り,幕屋の祭りが半ば終わったところで姿を現わし,神殿において公然と民を教えます。民は,彼がほんとうにキリストだろうかと論じ合います。イエスは彼らに告げます,「わたしは自分の考えで来たのではありません。わたしを遣わした方が実在しておられ……その方がわたしを遣わされたからです」。別の時,イエスは群衆に向かってこう叫びます。「だれでも渇いている人がいるなら,わたしのところに来て飲みなさい」。イエスを捕縛するために遣わされた下役たちはむなし手で帰り,「あのように話した人はいまだかつてありません」と祭司たちに報告します。激怒したパリサイ人たちは,支配者たちの中で彼を信じた者はなく,ガリラヤから預言者が起こされることなどない,と答えます。―7:28,29,37,46。
18 ユダヤ人はイエスに対してどんな異論を唱えますか。イエスはそれにどのように答えますか。
18 その後の話の中で,イエスは,「わたしは世の光です」と語ります。イエスは偽りの証人であり,庶出の子であり,サマリア人で,悪霊に取りつかれている,という悪意の非難に対して,イエスは次のような力強い答えを述べます。「わたしが自分に栄光を付すのであれば,わたしの栄光はむなしいものです。わたしに栄光を与えてくださるのはわたしの父(です)」。「アブラハムが存在する前からわたしはいるのです」とイエスが言明した時,ユダヤ人たちは再度イエスの命を狙おうとしますが,成功しません。(8:12,54,58)意図をくじかれた彼らは,後に,イエスが奇跡的に視力を回復させた男を尋問し,その男を追い出します。
19 (イ)イエスは自分と父との関係,および羊に対する自分の配慮についてどのように述べますか。(ロ)ユダヤ人が脅しをもって臨んだ時イエスはそれにどのように答えますか。
19 イエスは再びユダヤ人たちに話します。この度は,羊を名指しで呼んで,『彼らが命を満ちあふれるほど豊かに得るため』,羊のために自分の魂をなげうつ,りっぱな羊飼いに関して話します。そして,「わたしにはほかの羊がいますが,それらはこの囲いのものではありません。それらもわたしは連れて来なければならず,彼らはわたしの声を聴き,一つの群れ,一人の羊飼いとな(る)」と語ります。(10:10,16)またイエスは,だれも羊をみ父の手から奪い取れないこと,そして,イエスと父とは一つであることについてユダヤ人たちに話します。再び彼らはイエスを石打ちにして殺そうとします。冒とくしたという非難に対して,イエスは,詩編の中で地上のある力ある者たちが「神」と呼ばれていることについて彼らに思い出させます。イエスはただご自分のことを神の子と呼んでいるのです。(詩編 82:6)イエスは少なくともご自分の業を信じるよう,彼らを促します。―ヨハネ 10:34。
20 (イ)イエスは次にどんな際立った奇跡を行ないますか。(ロ)その結果として何がなされますか。
20 エルサレムに近いベタニヤから,マリアとマルタの兄弟ラザロが病気であるとの知らせが伝わります。イエスがそこに着くまでに,ラザロは死に,墓に葬られて既に四日たっています。イエスはそのラザロを生き返らせるという驚嘆すべき奇跡を行ない,これによって多くの者がイエスに信仰を持ちます。これはサンヘドリンの特別の会合を促すことになり,そこにおいて大祭司カヤファは,イエスが国民のために死ぬべく定められていることについて預言するように動かされます。祭司長とパリサイ人たちがイエスを殺そうとして相談している時,イエスは一時公の場から身を隠します。
21 (イ)イエスがエルサレムに入城すると,民とパリサイ人はこれにどう応じますか。(ロ)イエスはご自分の死とその目的に関してどんな例えを話されますか。そして,自分のことばを聞く人々に何を促しますか。
21 過ぎ越しの六日前,イエスはエルサレムに上る途中再びベタニヤを訪れ,ラザロの家の者たちのもてなしを受けます。次いで,安息日の翌日にあたるニサン九日,若いろばに乗ったイエスは,大群衆の歓呼の中でエルサレムに入城します。すると,パリサイ人たちは,「何一つうまくいっていない。見なさい,世は彼に付いて行ってしまった」と語り合います。イエスは,小麦の種粒の例えを話し,永遠の命のための実を生み出すために自分が死によって地に植えられなければならないことを示唆します。またイエスは,父に,そのみ名の栄光を示すことを求めます。すると,「わたしはすでにその栄光を示し,さらにまたその栄光を示す」という声が天から聞こえます。イエスは,自分のことばを聞く人々に,闇を避けて光の中を歩むこと,つまり「光の子」となることを促します。闇の勢力が迫って来た時,イエスは,『世に来た光』としてイエスに信仰を置くよう公衆に強く呼びかけます。―12:19,28,36,46。
22 イエスは過ぎ越しの食事のさいにどんな手本を示し,またどんな新しいおきてをお与えになりますか。
22 忠実な使徒たちに対するイエスの別れの助言(13:1-16:33)。12使徒と一緒に過ぎ越しの晩さんをしていたさい,イエスは立ち上がり,自分の外衣を脱ぎ,ふき布と,足を洗うたらいとを取って,弟子たちの足を洗いはじめます。ペテロはそれに反対しますが,イエスはペテロも足を洗ってもらわなければならないことを告げ,ご自分の謙遜の手本に弟子たちが従うように訓戒します。「奴隷はその主人より偉くはな(い)」からです。イエスは裏切る者について語り,その後ユダを去らせます。ユダが出て行った後,イエスは他の使徒たちに対して親密な話を始めます。「わたしはあなた方に新しいおきてを与えます。それは,あなた方が互いに愛し合うことです。つまり,わたしがあなた方を愛したとおりに,あなた方も互いを愛することです。あなた方の間に愛があれば,それによってすべての人は,あなた方がわたしの弟子であることを知るのです」。―13:16,34,35。
23 慰めのために,イエスはどんな希望および約束された助け手について話しますか。
23 イエスはこの重大な時刻を迎えた追随者たちのためにすばらしい慰めの言葉を語ります。弟子たちは神に対して,またイエスに対しても信仰を働かせなければなりません。イエスの父の家には住むところが多くあり,イエスは再び来て弟子たちを自分のところに迎えます。「わたしは道であり,真理であり,命です。わたしを通してでなければ,だれひとり父のもとに来ることはありません」とイエスは語ります。イエスはご自分の追随者たちを慰め,信仰を働かせるなら彼らがイエスより大きな業を行なうこと,また,父に栄光が帰せられるため,彼らがイエスの名において求めるものはすべて与えられることについて話します。イエスは別の助け手である「真理の霊」について彼らに約束します。それは彼らにすべてのことを教え,イエスが話したすべての事柄を思い出させます。イエスが去って父のもとに行くことを彼らは喜びとすべきです。「父はわたしより偉大な方だからです」とイエスは語ります。―14:6,17,28。
24 使徒たちとイエスおよび天の父との関係についてイエスはどのように話しますか。彼らに対してどんな祝福が差し伸べられますか。
24 イエスは,自分は真のぶどうの木であり,父はその耕作者であると語ります。そして,弟子たちがイエスと結びついていることを強く勧め,さらにこう語ります。「あなた方が多くの実を結びつづけてわたしの弟子であることを示すこと,これによってわたしの父は栄光をお受けになるのです」。(15:8)そして,どうしたら彼らの喜びは満たされるでしょうか。イエスが彼らを愛したとおりに互いを愛することによってです。イエスは彼らを友と呼びます。それは何と貴重な関係ではありませんか。世はイエスを憎んだと同じように彼らをも憎み,彼らに迫害を加えます。しかしイエスは助け手を送ってイエスについて証しをさせ,弟子たちを真理の全体へと案内させます。弟子たちには当座の憂いがあっても,イエスが再び弟子たちに会う時,それは喜びに変わり,その喜びをだれも奪えません。イエスの言葉は弟子たちを慰めます。「父ご自身があなた方に愛情を持っておられるからです。それは,あなた方がわたしに愛情を持ち,わたしが父の代理者として来たことを信じているからです」。そうです,弟子たちは散らされることになるでしょう。しかし,イエスはこう語ります。「あなた方がわたしによって平安を得るために,わたしはこれらのことを言いました。世にあってあなた方には患難がありますが,勇気を出しなさい! わたしは世を征服したのです」。―16:27,33。
25 (イ)イエスは父への祈りの中で何を認めますか。(ロ)イエスはご自身とご自分の弟子たち,および彼らの言葉によって信仰を働かせる人々に関してどんなことを請い求めますか。
25 弟子たちのためのイエスの祈り(17:1-26)。イエスは祈りの中で父に対して次のことを認めます。「彼らが,唯一まことの神であるあなたと,あなたがお遣わしになったイエス・キリストについての知識を取り入れること,これが永遠の命を意味しています」。自分にゆだねられた業を地上で成し終えたイエスは,世が存在する以前に自分が持っていた栄光でいま父の傍らにおいて自分を栄光ある者としてくださるようにと祈り求めます。イエスは父のみ名を弟子たちに明らかに示しました。それで,「ご自身のみ名のために」彼らを見守ってくださるよう,み父に願い求めます。そして,彼らが世から取り去られることではなく,邪悪な者から守られること,そして真理のみ言葉によって彼らが神聖な者とされることを父に請い求めます。イエスは自分の祈りをさらに広げ,それら弟子たちの言葉を聞いてこれから信仰を働かせる人々すべてをもその中に含めます。「それは,彼らがみな一つになり,父よ,あなたがわたしと結びついておられ,わたしがあなたと結びついているように,彼らもまたわたしたちと結びついていて,あなたがわたしをお遣わしになったことを世が信じるためです」。またイエスは,そうした者たちもまた自分と共に天の栄光にあずかるようにと祈ります。イエスは彼らに父のみ名を知らせ,父の愛が彼らのうちに宿るようにしたからです。―17:3,11,21。
26 イエスの捕縛と裁判について記述は何と述べていますか。
26 キリストは裁判を受け,杭につけられる(18:1-19:42)。次いでイエスと弟子たちはキデロンの谷の向かい側にある庭園に行きます。ここにおいてユダが一隊の兵士を連れて現われ,イエスに対する裏切りの行為をします。イエスは穏やかな態度であえてそれに抵抗しません。それに対し,ペテロは剣を抜いてイエスを守ろうとしますが,次のような戒めのことばを与えられます。「父がわたしにお与えになった杯,わたしはそれをぜひとも飲むべきではありませんか」。(18:11)次いでイエスは,縛られたまま,大祭司カヤファのしゅうとであるアンナスのもとに引いて行かれます。ヨハネとペテロはそのすぐあとを付いて行き,ヨハネは自分とペテロが大祭司の家の中庭に近づけるようにします。その場所でペテロは,自分はキリストを知らないと3度語ります。イエスは最初,アンナスの尋問を受け,次いでカヤファの前に出されます。その後,イエスはローマ総督ピラトの前に出されます。ユダヤ人は彼の死刑を叫び求めます。
27 (イ)王としての地位,また権威に関してピラトはどんな質問をしますか。イエスはどのように注解しますか。(ロ)ユダヤ人は支配権に関してどんな態度を取りますか。
27 『あなたは王なのか』というピラトの問いに対してイエスはこう答えます。「あなた自身が,わたしが王であると言っています。真理について証しすること,このためにわたしは生まれ,このためにわたしは世に来ました」。(18:37)ピラトはイエスを有罪とする現実の証拠が何ら存在しないことを知り,彼を釈放することを提案します。過ぎ越しのさい囚人をだれか解放することが習慣であったからです。しかし,ユダヤ人たちはイエスの代わりに強盗バラバを求めます。ピラトはイエスをむち打たせた後,再度彼を釈放しようとしますが,ユダヤ人たちは,『杭につけろ! 杭につけろ!……彼は自分を神の子としたからだ』と叫びます。ピラトが,イエスを杭につける権威が自分にあることを告げると,イエスはこう答えます。「上から与えられたのでない限り,あなたはわたしに対して何の権限もないでしょう」。ユダヤ人たちは再び叫びます,『取り除け! 取り除け! 杭につけろ!……わたしたちにはカエサルのほかに王はいない』。これを聞いて,ピラトは,杭につけるために彼を引き渡します。―19:6,7,11,15。
28 ゴルゴタでどんな事が起きますか。そこでどのような預言が成就しますか。
28 イエスは「いわゆる“どくろの場所”」へ連れて来られます。そこは「ヘブライ語でゴルゴタと呼ばれる所」です。ここで,イエスは他の二人の者の間で杭につけられます。ピラトは,彼の頭上に,「ユダヤ人の王ナザレ人イエス」という称号を取り付けます。それはすべての人が見て理解できるように,ヘブライ語,ラテン語,およびギリシャ語で記されています。(19:17,19)イエスはご自分の母親の世話をヨハネに託し,酸いぶどう酒を多少受けた後,「成し遂げられた!」と叫びます。その後,頭を垂れて息を引き取ります。(19:30)幾つかの預言の成就として,処刑隊はイエスの衣に関してくじを引き,その脚を折るのを差し控え,脇腹を槍で突き刺します。(ヨハネ 19:24,32-37。詩編 22:18; 34:20; 22:17。ゼカリヤ 12:10)その後,アリマタヤのヨセフとニコデモがその遺体の埋葬の準備をし,近くにあった新しい記念の墓の中にそれを置きます。
29 (イ)復活したイエスは弟子たちにどのように現われますか。(ロ)ペテロに対する最後のことばの中でイエスはどんなことをはっきり述べますか。
29 復活したキリストの出現(20:1-21:25)。キリストに関する一連の証拠を提出したヨハネは,復活に関する喜ばしい注解でその記述を締めくくっています。マリア・マグダレネは墓がからになっているのを見ます。ペテロともうひとりの弟子(ヨハネ)はそこに走って行って見ると,巻き布と,頭に載せてあった布しか残っていません。墓の近くにとどまっていたマリアは二人のみ使いと話をし,最後に,園丁であると思い込んで,そこにいた別の人と話します。その人が,「マリア!」と答えた時,彼女は直ちにそれがイエスであることに気づきます。次いでイエスは,戸に錠をかけて中にいた弟子たちにご自分を明らかに示し,彼らが聖霊を通して受ける力について語ります。その後,その場に居合わせなかったトマスは信じようとしません。しかしその八日後,イエスは再び現われて彼に証拠を示し,それを見たトマスは,「わたしの主,そしてわたしの神!」と叫びます。(20:16,28)その幾日か後,イエスはティベリアの海で再度弟子たちと会い,奇跡的な仕方で彼らに魚を得させ,そののち朝食を共にします。そして,イエスを愛するかどうかを3度ペテロに尋ねます。ペテロがそのとおりであることを力説すると,イエスははっきりこう語ります。「わたしの子羊たちを養いなさい」,「わたしの小さな羊たちを牧しなさい」,「わたしの小さな羊たちを養いなさい」。次いでイエスは,ペテロがどのような死を遂げて神の栄光を表わすかを予告します。ペテロがヨハネについて尋ねると,イエスは答えます,「わたしが来るまで彼のとどまることがわたしの意志であるとしても,それがあなたにどんな関係があるでしょうか」。―21:15-17,22。
なぜ有益か
30 ヨハネが愛の特質を特に強調していることを述べなさい。
30 「ヨハネによる」良いたよりは,その直截さにおいて強力なものを持ち,キリストとなった「言葉」に関する親密で心温まる描写の中に,人を得心させずにはおかないものを秘めています。こうしてそれは,この油そそがれた神のみ子を,その言葉と行動の両面から詳細に描き出しています。ヨハネの文体と語彙は単純であり,これは彼が「無学な普通の人」であることを示してはいますが,その表現には非常な力強さがこめられています。(使徒 4:13)彼の福音書は,父とみ子との間の親密な愛,それにこのお二方と結びつくことによって得られる,愛に満ちる祝福された関係を知らせる面でその極致に達しています。ヨハネは「愛」とか「愛する」という語を,他の3人の福音書筆者を合わせたよりも多く使っています。
31 ヨハネの福音書全体を通じてどんな関係が強調されていますか。その表現はどのようなかたちでその頂点に達していますか。
31 初め,言葉と父なる神との間にはほんとうに栄光ある関係が存在していたではありませんか。神の摂理のもとに,「言葉は肉体となってわたしたちの間に宿り,わたしたちはその栄光,父の独り子が持つような栄光を目にしたのである。彼は過分の親切と真理とに満ちていた」のです。(ヨハネ 1:14)次いで,ヨハネの記述全体に示されるとおり,イエスはご自分の立場が従属的なものであり,ご自分が父の意志に無条件の従順を尽くしていることを強調しています。(4:34; 5:19,30; 7:16; 10:29,30; 11:41,42; 12:27,49,50; 14:10)この親密な関係を言い表わすイエスのことばは,ヨハネ 17章に記録される感動的な祈りの中でその輝かしい頂点に達しています。その中でイエスは,地上でなすべく与えられた業を成し終えたことを父に報告し,さらにこうことばを加えます。「それで,父よ,世がある前にわたしがみそばで持っていた栄光で,わたしを今ご自身の傍らにあって栄光ある者としてください」― 17:5。
32 イエスはご自身と弟子たちとの関係,また,ご自分が,命の祝福が人類に及ぶための唯一の経路であることをどのようなことばで示していますか。
32 イエスと弟子たちとの関係についてはどうですか。絶えず前面に出されているのは,神の祝福がそれら弟子たちおよび全人類に及ぶために,イエスがその唯一の経路となっている,という点です。(14:13,14; 15:16; 16:23,24)イエスは,「神の子羊」,「命のパン」,「世の光」,「りっぱな羊飼い」と呼ばれています。また,「復活であり,命」である,また「道であり,真理であり,命」である,そして,「真のぶどうの木」である,と記されています。(1:29; 6:35; 8:12; 10:11; 11:25; 14:6; 15:1)イエスは,この「真のぶどうの木」に関する例えの中で,真の追随者とご自分との間だけでなく,その人々とみ父との間にも存在する驚嘆すべき一致について知らせています。彼らが多くの実を結ぶなら,それによって父の栄光を表わすことになります。「父がわたしを愛され,わたしがあなた方を愛したとおり,わたしの愛のうちにとどまっていなさい」とイエスは諭します。―15:9。
33 イエスは自分の宣教の目的を祈りの中でどのように言い表わしていますか。
33 またイエスは,これら愛する者たち,および『彼らの言葉によってイエスに信仰を持つ者たち』が,み父ならびにご自分とも一つになり,真理のみ言葉によって神聖なものとされることを,エホバに熱烈に祈っておられるではありませんか。実に,イエスの宣教全体の目的は,み父に対するその祈りの結びの言葉の中にすばらしい仕方で言い表わされています。「わたしはみ名を彼らに知らせました。またこれからも知らせます。それは,わたしを愛してくださった愛が彼らのうちにあり,わたしが彼らと結びついているためです」― 17:20,26。
34 どのようにして世に打ち勝つかについてイエスはどんな有益な助言を与えましたか。
34 イエスは弟子たちを世に残してゆくにしても,助け手である「真理の霊」のないままにして行かれるのではありませんでした。さらにイエスは,彼らと世との関係について時にかなった助言を与え,「光の子ら」としてこれにどのように打ち勝つべきかを示されました。(14:16,17; 3:19-21; 12:36)「わたしの言葉のうちにとどまっているなら,あなた方はほんとうにわたしの弟子であり,また,真理を知り,真理はあなた方を自由にするでしょう」とイエスは言われました。一方,闇の子らに対してはこう語られました。「あなた方は,あなた方の父,悪魔からの者であって,自分たちの父の欲望を遂げようと願っているのです。その者は……真理の内に堅く立ちませんでした。真実さが彼の内にないからです」。では,わたしたちは,真理のうちに常にしっかりと立ち,そうです,「霊と真理をもって父を崇拝する」ことを決意しましょう。そして,「勇気を出しなさい! わたしは世を征服したのです」というイエスの言葉から常に力を得ましょう。―8:31,32,44; 4:23; 16:33。
35 (イ)イエスは神の王国に関してどんな証言をなさいますか。(ロ)ヨハネの福音書が幸福と感謝の理由を与えていることを述べなさい。
35 このすべては神の王国とも関係があります。イエスは裁判を受けた時,次のように証言されました。「わたしの王国はこの世のものではありません。わたしの王国がこの世のものであったなら,わたしに付き添う者たちは,わたしをユダヤ人たちに渡さないようにと戦ったことでしょう。しかし実際のところ,わたしの王国はそのようなところからのものではありません」。次いで,ピラトの質問に対してイエスはこう答えました。「あなた自身が,わたしが王であると言っています。真理について証しすること,このためにわたしは生まれ,このためにわたしは世に来ました。真理の側にいる者はみなわたしの声を聴きます」。(18:36,37)その声を聴く人々,そして,「再び生まれ」,王と結びついて「神の王国に入る」人々はほんとうに幸福です。また,この牧者なる王の声を聴いて命を得る「ほかの羊」も幸福です。ヨハネの福音書が備えられたことに対してわたしたちはほんとうに感謝すべきです。それは,「イエスが神の子キリストであることをあなた方が信じるため,そして,信じるゆえにその名によって命を持つために」書き記されたからです。―3:3,5; 10:16; 20:31。
[脚注]
a 「教会史」(英文),エウセビオス,V,VIII,4。
b 「聖書に対する洞察」(英文),第1巻,323ページ。
c 「聖書に対する洞察」(英文),第2巻,57,58ページ。
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聖書の44番目の書 ― 使徒たちの活動『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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聖書の44番目の書 ― 使徒たちの活動
筆者: ルカ
書かれた場所: ローマ
書き終えられた年代: 西暦61年ごろ
扱われている期間: 西暦33年-61年ごろ
1,2 (イ)「使徒たちの活動」の中ではどんな歴史的出来事および活動が描写されていますか。(ロ)この書はどんな時期の事柄を扱っていますか。
霊感を受けた聖書の42番目の書の中で,ルカは,イエスとその追随者たちの生活,活動,および宣教を扱い,イエスの昇天の時までの記述をまとめました。歴史的な記録である,聖書の44番目の書,「使徒たちの活動」には,聖霊の働きの結果として会衆が設立されたいきさつが記されて,初期キリスト教の歴史が引き続き述べられています。この書にはまた,証しの業の拡大の模様も描写されています。その証しは初めはユダヤ人の間で,次いであらゆる国の人々に対して行なわれるようになりました。初めの12章の内容の大半はペテロの活動を扱ったものであり,残りの16章ではパウロの活動が扱われています。ルカはパウロの旅行の多くに同行し,パウロとの親密な交わりを持っていました。
2 この書はテオフィロにあてて記されています。その人物は「きわめて優れたテオフィロ様」として言及されていますから,何らかの公職に就いていたものと思われます。あるいは,この表現は単に深い敬意を表わすものかもしれません。(ルカ 1:3)この記述は,クリスチャン会衆の確立およびその成長に関する正確な歴史の記録となっています。それは,イエスが復活後に弟子たちに現われたことから始め,その後,西暦33年から61年ごろまで,およそ28年間にわたる重要な出来事を記録しています。
3 「使徒たちの活動」の書を書いたのはだれですか。それはいつ書き上げられましたか。
3 昔から,「ルカの福音書」の筆者が「使徒たちの活動」をも記したとみなされてきました。どちらの書もテオフィロにあてて書かれています。ルカは自分の福音書の結びの出来事を「使徒たちの活動」の冒頭の部分で再度取り上げ,同一の著者の作として,それら二つの記述を結びつけています。ルカは,西暦61年ごろ,使徒パウロと共にローマに滞在した2年間の終わり近くに,この書を書き終えたものと思われます。その年までの出来事を記録していますから,それ以前に書き終えられたとは考えられません。また,カエサルに対するパウロの上訴が未決のままで終わっていることは,その書がその年までに書き終えられたことを示しています。
4 「使徒たちの活動」の書が聖書の正典であり,信ぴょう性のあるものであることを何が証明していますか。
4 ごく初期の時代から,「使徒たちの活動」は正典として聖書学者たちに受け入れられてきました。この書の一部は,現存する最古のギリシャ語聖書パピルス写本のあるもの,とりわけ西暦3,ないし4世紀のミシガン写本1571(P38)や3世紀のチェスター・ビーティー写本1(P45)の中に見いだされます。これらの写本はいずれも,「使徒たちの活動」が霊感による聖書の他の書と共に流布していたこと,したがって早い時代から聖書の目録の中に入れられていたことを示しています。「使徒たちの活動」に見られるルカの記述法には,彼の福音書について既に述べたと同じ,驚くほどの正確さが反映されています。ウィリアム・M・ラムジ卿は,「使徒たちの活動」の筆者を「第一級の歴史家」と評価し,その意味を次のように説明しています。「偉大な歴史家としての第一の,そして基本的な資格は,真実さである。その述べる事柄は信頼できるものでなければならない」。a
5 ルカの記述が正確なものであることを例を挙げて説明しなさい。
5 ルカの記述の大きな特色をなしている正確さを例示するものとして,第一次世界大戦当時,地中海域の英国艦隊司令官であったエドウィン・スミスのことばをここに引用します。彼はザ・ラダー誌(英文),1947年3月号の中でこう書いています。「古代の船舶は,現代の船舶のように船尾材に取り付けられた,ただ1本の舵によって操縦されたのではなく,船尾の両側に1本ずつ取り付けられた2本の大きな櫓,もしくはかいによって操縦された。聖ルカがそれを複数で言及しているのはそのためである。[使徒 27:40]……我々の調査の結果として知った点であるが,“良い港”を出てからマルタの浜辺に着くまでのこの船の動きに関するルカの陳述は,極めて正確で納得のゆく独立した外面的証拠によってその真実さがことごとく確証された。船が海上にあった時間に関するルカの記述は進んだ距離と合致している。そして,到着した場所に関するルカの描写は実際の場所と一致している。このすべては,ルカが描写されている通りの航海を実際に行なったこと,その上,ルカが,自分のことを観察や陳述の点で最高度の信頼や信用にこたえうる者として示していることを物語っている」。b
6 考古学上の発見物が「使徒たちの活動」の書の正確さを確証していることを示すどんな例がありますか。
6 考古学上の発見物もルカの記述の正確さを裏付けています。例えば,エフェソスで発掘調査が行なわれ,アルテミスの神殿をはじめ,エフェソス人が使徒パウロに対して暴徒行為を起こした古代の劇場が発掘されました。(使徒 19:27-41)ルカが「市の支配者」という名称をテサロニケの役人に当てはめて使ったことの正しさを確証する碑文も発見されました。(17:6,8)マルタ語の二つの碑文は,ポプリオをマルタ島の「主立った人」と呼んでいる点でルカが正しかったことを示しています。―28:7。c
7 記録されている数々の談話は「使徒たちの活動」の書の記録が事実に基づいていることをどのように示していますか。
7 さらに,ペテロ,ステファノ,コルネリオ,テルトロ,パウロ,その他の人々のさまざまな談話がルカによって記録されており,そのすべては話のスタイルや構成においてそれぞれ異なっています。同じパウロの談話でさえそれぞれ異なった聴き手を対象としたものであり,その場に応じて話のスタイルも変わっています。このことは,ルカが,自分の耳で聞いた事柄,あるいは他の目撃証人の報告した事柄にのみ基づいてその記録を進めたことを示しています。ルカは想像によって書いたのではありません。
8 聖書はルカ自身,およびパウロとルカとの交際について何を示していますか。
8 ルカ自身の生涯についてはごくわずかのことしか知られていません。ルカ自身は使徒ではありませんでしたが,使徒であった人々と交際がありました。(ルカ 1:1-4)使徒パウロは3箇所で名指しでルカに言及しています。(コロサイ 4:10,14。テモテ第二 4:11。フィレモン 24)幾年かの間,ルカは終始パウロの友となり,パウロは彼のことを「愛する医者」と呼びました。記述中には,『彼ら』から『わたしたち』へ,またその逆の転換が幾度かありますが,これはルカがパウロの2回目の宣教旅行のさいにトロアスでパウロと一緒にいたこと,また何年か後にパウロが戻って来るまでフィリピにとどまっていたのかもしれないこと,そしてその後再びパウロと共になり,裁判を受けるためにローマへ向かって旅をするパウロに同伴したことを示唆しています。―使徒 16:8,10; 17:1; 20:4-6; 28:16。
「使徒たちの活動」の内容
9 イエスの昇天のさい弟子たちはどんなことを告げられますか。
9 ペンテコステまでの出来事(1:1-26)。ルカがこの2番目の記述を始めるのは,復活したイエスが,熱心な弟子たちに対し,その弟子たちが聖霊をもってバプテスマを受けることについて述べるところからです。王国はこの時に回復されるのですか。そうではありません。むしろ,弟子たちは,力を受け,「地の最も遠い所にまで」証人となるのです。イエスが挙げられて彼らの目から見えなくなった時,白い衣を着た二人の人が彼らに語ります,「あなた方のもとから空へ迎え上げられたこのイエスは,こうして……同じ様で来られるでしょう」。―1:8,11。
10 (イ)ペンテコステの日にどんな忘れ難い事が起きますか。(ロ)ペテロはそれについてどのように説明しますか。その結果,どうなりましたか。
10 忘れ難いペンテコステの日(2:1-42)。弟子たちは皆エルサレムに集まっています。突然,突風のような物音がその家を満たします。火でできたような舌がそこにいた者たちの上にとどまります。彼らは聖霊に満たされ,「神の壮大な事柄」についてさまざまな言語で話しはじめます。(2:11)それを見守る人々はとまどいます。その時ペテロが立ち上がって話します。こうして霊が注ぎ出されたのはヨエルの預言(2:28-32)の成就であり,今や復活して神の右に高められたイエス・キリストが『彼らの見聞きするものを注ぎ出された』のであると説明します。心を刺された約3,000人の人々がみ言葉を受け入れてバプテスマを受けます。―2:33。
11 エホバは伝道の業をどのように栄えさせますか。
11 証しの業の拡大(2:43-5:42)。エホバは救われてゆく者たちを日ごとに彼らに加えてゆかれます。神殿の外でペテロとヨハネは,生まれてこのかた一度も自分の足で歩いたことのないひとりの不具の人に会います。「ナザレ人イエス・キリストの名において,歩きなさい!」とペテロは命じます。たちどころにその人は『歩き』はじめ,「躍ったり,神を賛美したり」しはじめます。その後ペテロは,悔い改めて身を転じるよう人々に,訴えます。それは,「さわやかにする時期がエホバのみもとから到来」するようにするためです。ペテロとヨハネがイエスの復活について教えていることでいらだった宗教指導者たちは二人を捕縛しますが,信じる人々の隊伍はふくれ,男の数が5,000人にも達します。―3:6,8,19。
12 (イ)伝道をやめるように命令された時,弟子たちはどう答えますか。(ロ)どんなことのためにアナニアとサッピラは処罰されますか。
12 次の日,ペテロとヨハネは尋問を受けるためにユダヤ人の支配者たちの前に連れて行かれます。そして,ペテロは救いがただイエス・キリストを通してのみ得られることをおくせずに証言します。そして,宣べ伝える業をやめるようにと命令された時ペテロとヨハネの二人はこう答えます。「神よりもあなた方に聴き従うほうが,神から見て義にかなったことなのかどうか,あなた方自身で判断してください。しかし,わたしたちとしては,自分の見聞きした事柄について話すのをやめるわけにはいきません」。(4:19,20)彼らは釈放され,弟子たちはみな神の言葉を大胆に語りつづけます。当時の事情のために,彼らは自分たちの物質上の所有物を出し合い,必要に応じてそれを分配します。しかしながら,アナニアという人とその妻サッピラは多少の資産を売り,その代価を全部出したようなふりをして,その一部をそっと隠しておきます。ペテロはこれをあばき,ふたりはその場で倒れて死にます。神と聖霊を欺いたためです。
13 使徒たちはどんなことをとがめられますか。それに対して彼らはどのように答えますか。彼らは何を行ない続けますか。
13 いきり立った宗教指導者たちは使徒たちを再び牢獄に入れますが,今度はエホバのみ使いが彼らを解き放します。次の日,彼らは再度サンヘドリンの前に引き出され,『エルサレムを彼らの教えで満たした』としてとがめられます。これに対して彼らは答えます,「わたしたちは,自分たちの支配者として人間より神に従わねばなりません」。むち打たれ,脅しを受けても,彼らはやめません。そして,「毎日神殿で,また家から家へとたゆみなく教え,キリスト,イエスについての良いたよりを宣明し続け」ます。―5:28,29,42。
14 ステファノの殉教の次第を述べなさい。
14 ステファノの殉教(6:1-8:1前)。ステファノは,聖霊によって食卓への食物分配の仕事を任ぜられた七人のうちの一人です。彼はまた真理について強力な証しをし,その熱心な信仰弁護の結果,怒り立った反対者たちは冒とくのかどで彼をサンヘドリンに引き出します。自分の弁明をしたステファノは,イスラエルに対するエホバの辛抱強さについてまず述べます。次いで,恐れを知らない雄弁なことばで要点を突きます。『かたくなな人たち,あなた方はいつも聖霊に抵抗しています。み使いたちによって伝えられたものである律法を受けながら,それを守らなかったあなた方』。(7:51-53)これは彼らにとってもはや耐え難いことでした。彼らはステファノに向かって突進し,彼を市の外に追い出し,石打ちにして殺します。サウロはこれをよしとします。
15 迫害の結果はどのようになりますか。フィリポはどんな伝道の経験をしますか。
15 迫害とサウロの転向(8:1後-9:30)。エルサレムにあった会衆に対してその日に始まった迫害のため,使徒たちのほかは皆,国じゅうに散らされます。フィリポはサマリアに行き,そこで大勢の者が神の言葉を受け入れます。ペテロとヨハネがエルサレムからそこに遣わされます。「使徒たちが手を置くことによって」,それら新しい信者が聖霊を受けるためです。(8:18)その後,み使いはフィリポを南の方に導いて,エルサレムからガザに通ずる道に行かせます。そこで彼は,エチオピアの王宮に仕えるひとりの宦官が自分の兵車に乗り,イザヤの書を読んでいるのを見ます。フィリポは預言の意味について彼に啓発を与え,バプテスマを施します。
16 サウロの転向はどのようにして起きますか。
16 一方,サウロは「主の弟子たちに対する脅しと殺害の息をなおもはずませながら」,ダマスカスにおいて「この道に属する」者たちを捕縛するために出かけます。突然に天からの光が彼の周りにぱっと光り,彼は盲目になって地に倒れます。天からの声が彼に語ります,「わたしはイエス,あなたが迫害している者です」。ダマスカスで三日過ごした後,アナニアという弟子が彼に奉仕します。サウロは視力を取り戻し,バプテスマを受けて聖霊に満たされ,こうして良いたよりの熱心で有能な伝道者となります。(9:1,2,5)この驚くべき事態の転換によって,かつての迫害者は,自ら迫害を受ける者となり,初めにダマスカスから,次いでエルサレムからさえ身の安全のために逃げなければなりません。
17 良いたよりは無割礼の異邦人にどのように伝えられますか。
17 良いたよりは無割礼の異邦人に伝えられる(9:31-12:25)。会衆は今や『平和な時期に入り,しだいに築き上げられ,エホバへの恐れと聖霊の慰めのうちに歩みつつ,人数を増して』ゆきます。(9:31)ヨッパでペテロは多くの人から愛されるタビタ(ドルカス)を死からよみがえらせますが,そこにいる時に,カエサレアへ行くようにとの召しを受けます。そこでは,コルネリオという士官が彼を待っています。ペテロはコルネリオとその家の者たちに伝道し,彼らはそれを信じます。すると,聖霊が彼らの上に注ぎ出されます。「神が不公平な方ではなく,どの国民でも,神を恐れ,義を行なう人は神に受け入れられる」ことを悟ったペテロは彼らにバプテスマを施し,彼らは無割礼の異邦人からの最初の転向者となります。後にペテロはこの新しい事態についてエルサレムの兄弟たちに説明し,兄弟たちはそれを聞いて神に栄光を帰します。―10:34,35。
18 (イ)アンティオキアで次に何が起きますか。(ロ)どんな迫害が巻き起こりますか。それは目的を遂げますか。
18 良いたよりが急速に広まってゆくにつれ,バルナバとサウロはアンティオキアでかなりの数の群衆に教えます。そして,「弟子たちが神慮によってクリスチャンと呼ばれたのは,アンティオキアが最初」です。(11:26)再び迫害が巻き起こります。ヘロデ・アグリッパ1世はヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺させました。そして,ペテロをも獄に入れます。しかし,再びエホバのみ使いがペテロを解放します。邪悪なヘロデにとっては悔しいことでしょう。神に栄光をささげないために,彼は虫に食われて死にます。一方,「エホバの言葉は盛んになり,広まって」ゆきます。―12:24。
19 パウロの第1回目の宣教旅行はどれほどの範囲に及びますか。それによって何が成し遂げられますか。
19 バルナバを伴ったパウロの最初の宣教旅行(13:1-14:28)。d バルナバと,「サウロ,つまりパウロ」は,取り分けられ,聖霊によってアンティオキアから遣わされます。(13:9)キプロス島で大勢の人が信者となり,その中には執政官代理セルギオ・パウロもいます。小アジア本土では六つないしそれ以上の都市を回りますが,どこにおいても同様のことが起こります。すなわち,良いたよりを喜んで受け入れる人々と,群衆をあおってエホバの使者に石を投げつけさせるかたくなな敵対者たちとの間の明確な相違が生じます。新たに形成された会衆で年長者たちの任命を行なった後,パウロとバルナバはシリアのアンティオキアに帰ります。
20 割礼の問題はどのような決定によって解決されますか。
20 割礼の問題を解決する(15:1-35)。非ユダヤ人が非常に多く入って来るに及んで,それらの人々が割礼を受けるべきかどうかという疑問が起こります。パウロとバルナバはこの問題を携えてエルサレムにいる使徒や年長者たちのところに行きます。エルサレムでは弟子ヤコブが会合を主宰し,全会一致の決定を公式の手紙で伝えることを取り決めます。「聖霊とわたしたちとは,次の必要な事柄のほかは,あなた方にそのうえ何の重荷も加えないことがよいと考えたからです。すなわち,偶像に犠牲としてささげられた物と血と絞め殺されたものと淫行を避けていることです」。(15:28,29)この手紙による励ましは,アンティオキアの兄弟たちを喜ばせます。
21 (イ)2回目の宣教旅行のさいにはだれがパウロに同行しますか。(ロ)マケドニアでは特にどのような出来事がありますか。
21 パウロの2回目の旅行による宣教の拡大(15:36-18:22)。e 「何日かの後」,バルナバとマルコは船でキプロスに向かい,一方パウロとシラスはシリアと小アジアを通って行きます。(15:36)若者テモテがルステラでパウロに加わり,一行はエーゲ海沿いのトロアスまで旅行します。ここでパウロは幻を見,ひとりの人が「マケドニアへ渡って来て,わたしたちを助けてください」と懇願しているのを見ます。(16:9)ルカがパウロに加わり,一行は船で,マケドニアの主要都市フィリピに渡ります。そこでパウロとシラスは獄に入れられます。しかしこれは,牢番が信者となってバプテスマを受けるという結果になります。釈放された後,彼らはテサロニケに進みますが,ねたみを抱いたユダヤ人たちが彼らに敵して暴徒をあおります。それで,兄弟たちは夜の間にパウロとシラスをベレアに送り出します。ここのユダヤ人たちは「きわめて意欲的な態度で」み言葉を受け入れ,学んだ事柄を確認しようとして,「聖書を注意深く調べ」ることにより,気持ちがおおらかな人々であることを示します。(17:11)ルカをフィリピに残したパウロは,ここの新しい会衆にもシラスとテモテを残し,自分はさらに南へ,アテネへと進みます。
22 アレオパゴスでのパウロの巧みな話の結果どのような事が起きますか。
22 偶像の満ちたこの都市で,高慢なエピクロス派やストア派の哲学者たちは,パウロを,「おしゃべり」とか「異国の神々を広める者」と呼んであざけり,アレオパゴスつまりマルスの丘に連れて行きます。巧みな弁論によってパウロは,「天地の主」なるまことの神を尋ね求めることを支持する論議を行ないます。その神は,死人の中から復活させたひとりの人による義の裁きを保証しておられます。復活のことを聞いて聴衆は分裂しますが,ある人々は信者となります。―17:18,24。
23 コリントではどんなことが成し遂げられますか。
23 次いでコリントでは,パウロはアクラとプリスキラのもとにとどまって,共に天幕作りの職に携わります。伝道の業に対する反対のためパウロはやむなく会堂を出,その隣にあったテテオ・ユストの家で集会を開きます。会堂の主宰役員クリスポが信者となります。コリントに18か月滞在した後,パウロはアクラおよびプリスキラと共にエフェソスに旅立ち,エフェソスに二人を残してから,パウロ自身はシリアのアンティオキアまで旅を続け,こうして2度目の宣教旅行を終えます。
24,25 (イ)パウロが3度目の旅に出たころ,エフェソスではどのような事が起きますか。(ロ)パウロの3年にわたるエフェソス滞在の終わりにどのような騒動が起きますか。
24 パウロは諸会衆をもう一度訪問,3度目の旅(18:23-21:26)。f アポロというユダヤ人がエジプトのアレクサンドリアからエフェソスを訪れ,会堂でイエスに関して大胆に話しますが,アクラとプリスキラは,彼がコリントに進んで行く前にその教えに関して正すべき点があることを認めます。パウロのほうは今や3度目の旅に立ち,やがてエフェソスに到着します。その土地の信者がヨハネのバプテスマを受けていることを知ったパウロは,イエスの名によるバプテスマについて説明します。そののち12人ほどの人にバプテスマを施し,それらの人々の上に手を置くと,その人々は聖霊を受けます。
25 パウロがエフェソスに3年滞在している間に,『エホバの言葉は力強く伸張し,また行き渡ってゆき』,多くの人が市の守護神である女神アルテミスの崇拝を捨てます。(19:20)銀の宮の製造人たちは商売上の損失になると見て怒り,市を非常な騒乱状態に陥らせたため,その暴徒を散らすのに幾時間もかかります。そのしばらく後,パウロはマケドニアとギリシャに向けてそこをたち,途中,信者たちを訪問してゆきます。
26 (イ)パウロはトロアスでどんな奇跡を行ないますか。(ロ)パウロはエフェソスの監督たちにどんな助言を与えますか。
26 パウロはギリシャに3か月滞在した後,マケドニア経由で帰途に就きます。マケドニアではルカが再びパウロに加わります。一行はトロアスに渡ります。そこでパウロが講話をして夜中にまで及ぶと,ひとりの若者が眠りこけて3階の窓から転げ落ちます。抱き起こしてみると死んでいましたが,パウロはこれを生き返らせます。次の日,パウロとその一行はミレトスに向かい,パウロはエルサレムへの途上そこに立ち寄って,エフェソスからの年長者たちと会合を開きます。彼は,自分の顔をもう見ないであろうとそれらの人々に告げます。したがって,それら年長者たちが率先して物事を行ない神の羊の群れを牧するのは何と急を要することなのでしょう。『聖霊が彼らをその群れの中に監督として任命した』のです。パウロは自分が彼らの中に残した手本を思い出させ,兄弟たちのために惜しまず身を費やし,終始目ざめているよう訓戒します。(20:28)パウロはエルサレムに足を踏み入れないようにと警告されますが,しりごみしません。彼の仲間たちは,「エホバのご意志がなされるように」と言って黙諾します。(21:14)諸国民の中での宣教に対するエホバの祝福についてパウロがヤコブや他の年長者たちに報告すると,大きな喜びがわき起こります。
27 パウロは神殿でどのように迎えられますか。
27 パウロは捕縛されて裁判を受ける(21:27-26:32)。パウロがエルサレムの神殿に現われると,敵意をもって迎えられます。アジアから来たユダヤ人が全市をかき立てて彼に敵対させ,きわどいところでローマ兵が彼を救出します。
28 (イ)パウロはサンヘドリンでどんな問題を提出しますか。それはどのような結果になりますか。(ロ)次いで彼はどこに送られますか。
28 その騒乱は一体何事ですか。このパウロとはどういう人物ですか。どんな犯罪を行なったのですか。疑問に思った軍司令官はこうした点を知ろうとします。パウロはローマ市民権を得ていたので,むち打ちの拷問を免れ,サンヘドリンの前に連れ出されます。そこは,パリサイ人とサドカイ人の両派に分裂しているではありませんか。そこでパウロは復活の問題を提出し,両者を対立させます。その争いが激しくなったため,ローマ兵たちは,パウロが引き裂かれてしまわないうちに彼をサンヘドリンの中から救い出さねばなりません。パウロは厳重な護衛兵を付けられ,夜の間にカエサレアにいる総督フェリクスのもとにひそかに送られます。
29 扇動の罪を着せられたパウロは一連のどんな裁判や聴問を受けますか。彼はだれに上訴しますか。
29 告訴者たちによって扇動の罪を着せられたパウロは,フェリクスの前でりっぱな弁明をします。しかし,パウロの釈放と引き換えにわいろを得る望みを抱いたフェリクスは,彼をそのままにしておきます。2年が経過します。ポルキオ・フェストがフェリクスに継いで総督となり,新たな裁判を命じます。再び重い罪が着せられますが,パウロは再度自分の潔白を明確に述べます。しかし,ユダヤ人の歓心を買おうとしたフェストは,エルサレムに行って自分の前でさらに裁判を受けることはどうかと提案します。そこでパウロは,「わたしはカエサルに上訴します!」と宣言します。(25:11)さらに時が経過します。やがて,王ヘロデ・アグリッパ2世がフェストに儀礼訪問をし,パウロは再び裁きの広間に引き出されます。彼の証言があまりに強力で説得力があったため,それに動かされたアグリッパは,「あなたはわずかの間に,わたしを説得してクリスチャンにならせようとしている」と言います。(26:28)アグリッパもパウロの潔白を認め,カエサルに上訴していなかったら釈放されたであろう,と言います。
30 マルタまでのパウロの航海にはどんな経験が伴いますか。
30 パウロはローマへ行く(27:1-28:31)。g 囚人となったパウロと他の人々は,ローマへの旅路の最初の行程として船に乗せられます。風が逆向きであるため,船の進行ははかどりません。ミラの港で一行は船を換えます。クレタの“良い港”に着いた時,パウロはそこで冬を過ごすことを勧めますが,大多数の者は出帆を促します。船がやっと海に乗り出したと思うころ,大暴風が一行をとらえ,容赦なく船を押し流します。2週間後,一行の船はついにマルタ沖の浅瀬に乗り上げて壊れます。パウロがあらかじめ保証したとおり,276人の乗船者はひとりも命を失いません。マルタの住民は人間味のある親切を一方ならず示し,パウロのほうは,その冬の間に,神の霊の奇跡の力によって住民の多くの者をいやします。
31 ローマに着いたパウロはどのように迎えられますか。彼はそこでどんな活動に忙しく携わりますか。
31 翌春,パウロはローマに着き,兄弟たちは道の途中まで彼を出迎えます。パウロは彼らを見て「神に感謝し,また勇気づけられ」ます。依然囚人の身ですが,パウロは,一人の衛兵のもとに,自分の借りた家に住むことを許されます。ルカは,パウロが自分のところに来た人をみな親切に迎え,「妨げられることなく,全くはばかりのないことばで人々に神の王国を宣べ伝え,また主イエス・キリストに関することを教え(た)」ことを述べて,その記述を終えます。―28:15,31。
なぜ有益か
32 ペンテコステの前およびその祭りのさいペテロはヘブライ語聖書の信ぴょう性についてどのように証言しましたか。
32 「使徒たちの活動」は,福音書の証言にさらに付け加え,ヘブライ語聖書の信ぴょう性,およびそれが霊感の働きによるものであることを確証しています。ペンテコステが近づいた時,ペテロは,「聖霊がダビデの口によりユダについてあらかじめ語った」二つの預言の成就を引き合いに出しました。(使徒 1:16,20。詩編 69:25; 109:8)ペテロはまた,驚き入るペンテコステのさいの群衆に対して,彼らが目撃しているものは預言の成就であることを語りました。「これは預言者ヨエルを通して言われた事柄です」― 使徒 2:16-21。ヨエル 2:28-32。また使徒 2:25-28,34,35を詩編 16:8-11および110:1と比較してください。
33 ペテロ,フィリポ,ヤコブ,およびパウロはいずれも,ヘブライ語聖書が霊感によるものであることをどのように示しましたか。
33 神殿の外にいた別の群衆を納得させるために,ペテロは再びヘブライ語聖書に頼り,まずモーセのことばを引用し,次いでこう語りました。「実際,サムエル以来のすべての預言者,およびそれに続いた人々,およそ語った者は皆,やはりこの時代のことをはっきり告げ知らせました」。後に,サンヘドリンの前で,ペテロは詩編 118編22節を引用し,彼らの退けた石であるキリストが「隅の頭」となったことを示しました。(使徒 3:22-24; 4:11)フィリポはイザヤ 53章7節と8節の預言がどのように成就したかをエチオピアの宦官に説明しました。それによって啓発されたこの人は,謙遜な態度でバプテスマを求めました。(使徒 8:28-35)同様に,コルネリオに対しイエスについて話したペテロは,『この方についてはすべての預言者が証しをしている』と証言しました。(10:43)割礼の問題が討議された時,ヤコブは,「預言者たちの言葉はこのことと一致しています。こう書いてあります」と述べて,自分の判断を裏付けました。(15:15-18)使徒パウロも物事の権威を同じところに求めています。(26:22; 28:23,25-27)弟子たちやその話を聞く人々が明らかにヘブライ語聖書を神の言葉の一部として心から受け入れていたことは,それらの書が神の霊感による是認を受けたものであることを示す証印となっています。
34 クリスチャン会衆に関して「使徒たちの活動」は何を明らかにしていますか。今日この点で異なるところがありますか。
34 「使徒たちの活動」は,クリスチャン会衆がどのように設立され,それが聖霊の力によってどのように成長したかを示している点で極めて有益です。この劇的な記述全体を通して,わたしたちは,神の祝福による拡大,初期クリスチャンたちの喜びと大胆さ,迫害に遭っても妥協しないその確固たる態度,外国での奉仕に入ってマケドニアへ行くようにとの召しに答え応じたパウロに示されるような,進んで仕える態度を見ることができます。(4:13,31; 15:3; 5:28,29; 8:4; 13:2-4; 16:9,10)今日のクリスチャン会衆もこれと異なりません。それは,聖霊の導きのもとに「神の壮大な事柄」について語りつつ,愛と一致と共通の関心とによって結び合わされているからです。―2:11,17,45; 4:34,35; 11:27-30; 12:25。
35 証しの業がどのようになされるべきかを「使徒たちの活動」はどのように示していますか。宣教におけるどんな資質が強調されていますか。
35 「使徒たちの活動」は,神の王国をふれ告げるクリスチャンの活動がどのように遂行されるべきかを示しています。パウロ自身はその手本でした。彼はこう述べています。「わたしは,何でも益になることをあなた方に話し,また公にも家から家にもあなた方を教えることを差し控えたりはしませんでした」。そして彼はさらに,「(わたしは)徹底的に証しをした」と述べます。『徹底的に証しをする』ということは,この書全体のテーマとしてわたしたちの注意を引きますが,特に結びの数節で,それが印象的なかたちで前面に出されています。そこでは,パウロが,獄に捕らわれた身にありながら,宣べ伝えて教える業に全く専念していた様が次のように証しされています。「彼は,神の王国について徹底的な証しをしたり,モーセの律法と預言者たちの両面からイエスについて彼らを説得したりして,朝から晩まで事実を説明した」。私たちも,王国の活動において同じようにひたむきな心を常に抱けますように。―20:20,21; 28:23; 2:40; 5:42; 26:22。
36 パウロの述べたどんな実際的な助言が今日の監督たちにも強力に当てはまりますか。
36 エフェソスの監督たちに対するパウロの講話は,今日の監督たちに対する実際的な助言を多く含んでいます。監督たちは聖霊によって任命されているのですから,彼らが『自分自身と群れのすべてに注意を払い』,群れを優しく牧し,群れの破壊を狙う圧制的なおおかみからそれを保護することは非常に大切です。これは決して軽い責任ではありません。監督たちは終始目ざめ,神の過分のご親切を示すみ言葉に基づいて自らを築き上げてゆくことが必要です。弱い人たちを助けるために労しつつ,彼らは,「主イエスご自身の言われた,『受けるより与えるほうが幸福である』との言葉を覚えておかなければ」なりません。―20:17-35。
37 アレオパゴスに立ったパウロは,どのような巧みな弁論によって論点を明瞭にしましたか。
37 パウロの他の講話も,聖書の原則を明解に説明するものとして輝いています。一例として,アレオパゴスでストア派とエピクロス派の人々に対して行なったあの優れた弁論があります。彼はまず,ある祭壇に書き込まれていた,「知られていない神に」という銘文を引用し,それを自分の推論に利用して,一人の人からあらゆる国民を造った,天地の主である唯一まことの神が『わたしたちひとりひとりから遠く離れておられるわけではない』ことを説明します。次いで彼は,「そはわれらはまたその子孫なり」というギリシャの詩人の言葉を引用し,自分たちが金・銀・石などでできた無生の偶像から生まれ出たかのように考えることの愚かさを示します。こうしてパウロは,生ける神が主権を持たれることを巧みに論証します。その結びの言葉において初めて復活の問題を提出しますが,その場合でもキリストの名には触れません。パウロは唯一まことの神の持たれる主権の至上性を明瞭にし,結果としてある人々は信者となります。―17:22-34。
38 「使徒たちの活動」の中で鼓舞されているような勤勉な研究をする人にはどんな祝福がもたらされますか。
38 「使徒たちの活動」は,「聖書全体」を絶えず勤勉に研究することを励ましています。パウロが初めてベレアで伝道した時,そこのユダヤ人たちは,「きわめて意欲的な態度でみ言葉を受け入れ,それがそのとおりかどうかと日ごとに聖書を注意深く調べた」ゆえに,「気持ちがおおらかであった」としてほめられています。(使徒 17:11)当時と同じく今日でも,エホバの霊の満ちた会衆に連なって聖書を同じように意欲的に調べる人は,確信と強固な信仰という祝福を刈り取ります。そうした研究を通して,人は神の原則の意味を明確に理解できるようになります。そうした原則の幾つかをはっきり述べたものとして,使徒 15章29節の記録があります。その中で,使徒やエルサレムの年長の兄弟たちから成る統治体は,割礼は霊的なイスラエルに対する要求ではないが,偶像・血・淫行は明確に禁ずべきものであることを明らかにしました。
39 (イ)弟子たちはどのように強められて迫害に立ち向かうことができましたか。(ロ)彼らはどのように大胆な証言をしましたか。それは効果的でしたか。
39 それら初期の弟子たちは霊感による聖書を深く研究し,その聖書のことばを必要に応じて引用したり当てはめたりすることができました。彼らは正確な知識と神の霊とによって強められ,激しい迫害に立ち向かうことができました。反対する支配者に対して,「神よりもあなた方に聴き従うほうが,神から見て義にかなったことなのかどうか,あなた方自身で判断してください。しかし,わたしたちとしては,自分の見聞きした事柄について話すのをやめるわけにはいきません」と大胆に語ったペテロとヨハネは,忠実なクリスチャンすべての従うべき模範を示しました。そして,イエスの名によってもう教えてはならないと『きっぱり命じた』サンヘドリンの前に再び引き出された時,彼らは,「自分たちの支配者として人間より神に従わねばなりません」とはっきり答えました。こうした恐れるところのない証言の結果,支配者たちに対するりっぱな証しがなされ,著名な律法教師ガマリエルが,崇拝の自由を擁護する,あの広く知られた発言をするに至りました。その結果として使徒たちは釈放されたのです。―4:19,20; 5:28,29,34,35,38,39。
40 王国に対する徹底的な証しをする点で「使徒たちの活動」はわたしたちにどのような励みを与えますか。
40 王国に関するエホバの栄光ある目的は,一本の金糸のように聖書全巻を貫いていますが,それは,「使徒たちの活動」の中で特に際立っています。その冒頭では,昇天に先立つ40日の間イエスが「神の王国に関する事柄を話され」たことが示されています。また,イエスは弟子たちに,地の最も遠い所にまで彼らがまずイエスの証人となるべきことを話されましたが,それは,王国の回復に関する弟子たちの質問に対する答えとして語られたものでした。(1:3,6,8)弟子たちはエルサレムから始め,ひるむことのない大胆さをもって王国を宣べ伝えました。迫害のためにステファノの石打ちが起きましたが,そのために弟子たちの多くは新しい区域に散らされました。(7:59,60)フィリポが『神の王国の良いたより』をサマリアで宣明して大きな成果を見たこと,また,パウロとその仲間たちがアジア,コリント,エフェソス,およびローマで「王国」をふれ告げたことが記録されています。これら初期のクリスチャンは皆,エホバと,ご自分の僕を支えるエホバの霊とに常に依り頼み,この点で優れた手本を残しました。(8:5,12; 14:5-7,21,22; 18:1,4; 19:1,8; 20:25; 28:30,31)彼らの不屈の熱意と勇気を見,その努力をエホバがいかに豊かに祝福されたかを見るわたしたちは,「神の王国について徹底的な証し」をする点で自分も同じように忠実でありたいというすばらしい励みを得ます。―28:23。
[脚注]
a 「旅行者としての聖パウロ」(英文),1895年,4ページ。
b 「目ざめよ!」(英文),1947年7月22日号,22,23ページに引用されたもの。「目ざめよ!」,1971年7月8日号,28,29ページもご覧ください。
c 「聖書に対する洞察」(英文),第1巻,153,154,734,735ページ; 第2巻,748ページ。
d 「聖書に対する洞察」(英文),第2巻,747ページ。
e 「聖書に対する洞察」(英文),第2巻,747ページ。
f 「聖書に対する洞察」(英文),第2巻,747ページ。
g 「聖書に対する洞察」(英文),第2巻,750ページ。
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聖書の45番目の書 ― ローマ人への手紙『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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聖書の45番目の書 ― ローマ人への手紙
筆者: パウロ
書かれた場所: コリント
書き終えられた年代: 西暦56年ごろ
1 パウロはローマ人への手紙の中で何を論じていますか。
「使徒たちの活動」の中で,わたしたちは,ユダヤ人のクリスチャンを激しく迫害したサウロがキリストの熱心な使徒となり,非ユダヤ人の諸国民に遣わされるのを見ました。そして,「ローマ人への手紙」を最初として,かつてはパリサイ人で今や神の忠実な僕となったこの人に聖霊が霊感によって書き記させた,聖書の14冊の書が始まります。「ローマ人への手紙」を書くまでに,パウロは既に2度の長い伝道旅行を終え,3度目の旅行も相当進んでいました。霊感の手紙も既に五つを書き終えていました。それは,テサロニケ第一と第二,ガラテア,およびコリント第一と第二です。しかし,わたしたちの現代の聖書の中で,「ローマ人への手紙」は他のものより前に置かれているのは適切なことと思われます。この書は,パウロが伝道した二つのグループの人々,つまりユダヤ人と非ユダヤ人が新たに平等な立場に立ったことを詳しく論じているからです。この書はご自分の民に対する神の取り計らいの転換について説明し,また,良いたよりが非ユダヤ人にも宣明されることを,霊感を受けたヘブライ語聖書がずっと以前に予告していたことを示しています。
2 (イ)パウロは「ローマ人への手紙」の中でどんな問題を論じていますか。(ロ)この手紙によってどんなことが確立されていますか。
2 パウロはテルテオを秘書として用い,ヘブライ語聖書から驚くほど多くの聖句を引用しつつ,急速な議論展開によって,クリスチャン・ギリシャ語聖書の中でも特に力強い書物をまとめ上げています。1世紀のクリスチャン諸会衆はユダヤ人とギリシャ人の双方から成っており,パウロはそうした時代に起きた種々の問題を極めて美しいことばで論じています。ユダヤ人はアブラハムの子孫であるゆえに何らかの優先権があるのですか。クリスチャンはモーセの律法からは解放されていますが,円熟したクリスチャンは,その自由によって,旧来の習慣をまだ固守している弱いユダヤ人の兄弟をつまずかせてもよいでしょうか。この手紙の中で,パウロは,ユダヤ人と非ユダヤ人が神の前で平等であること,また人はモーセの律法によってではなく,イエス・キリストに対する信仰により,また神の過分のご親切によって,義と宣せられることを確証しています。同時に神は,さまざまな権威のもとに置かれているクリスチャンに対して,そのような権威にふさわしく服従することを要求しておられます。
3 ローマ会衆はどのようにして始まりましたか。パウロがその地の非常に多くの人を知っていることにはどんな理由が考えられますか。
3 ローマ会衆はどのようにして始まったのですか。特にポンペイウスが西暦前63年にエルサレムを攻略してからというもの,ローマにはかなりの規模のユダヤ人社会が形成されていました。使徒 2章10節では,そうしたユダヤ人のある人々が西暦33年のペンテコステのさいにエルサレムに来ていたことを明確に述べています。彼らはそこで良いたよりが伝道されるのを聞きました。とう留していて転向した人たちは,使徒たちから学ぶためにその後もエルサレムに滞在しましたが,それらの人々は後にローマに戻ったに違いありません。その中にはエルサレムで迫害が始まった時に戻った人たちもいたことでしょう。(使徒 2:41-47; 8:1,4)さらに,当時の人々は非常に遠くまで旅行しました。パウロがローマ会衆の多くの人を親しく知っていたのはそれが理由であるかもしれません。そして,その人々の中には,パウロの伝道の結果としてギリシャやアジアで良いたよりを聞いた人たちもいたかもしれません。
4 (イ)「ローマ人への手紙」は同市の会衆についてどんな情報を与えていますか。(ロ)アクラとプリスキラがローマにいたという事実は何を示唆していますか。
4 この会衆に関する最初の信頼できる情報はパウロの手紙の中に見いだされます。その情報から明らかなのは,この会衆がユダヤ人および非ユダヤ人のクリスチャンの双方から成っており,その人々の熱心さが称賛に値するものであった,という点です。パウロは彼らに,「あなた方の信仰のことが世界じゅうで語られている」,また,「あなた方の従順がすべての人の注目するところとなった」と述べています。(ローマ 1:8; 16:19)2世紀に著作活動をしたスエトニウスは,クラウディウス帝の治世(西暦41-54年)にユダヤ人がローマから追放されたことを伝えています。しかし,アクラとプリスキラがローマにいたという事実が示すように,それらのユダヤ人は後に戻りました。パウロがコリントで会ったのはこれら二人のユダヤ人で,この二人はクラウディウスの勅令が出された当時,ローマを去っていましたが,パウロがその地の会衆に手紙を書いた時には,すでにローマに戻っていたのです。―使徒 18:2。ローマ 16:3。
5 どんな事実が「ローマ人への手紙」の信ぴょう性を確証していますか。
5 この手紙の信ぴょう性はりっぱに確証されています。その導入のことばが述べるとおり,それは,『イエス・キリストの奴隷であり,使徒となるために召されたパウロから……聖なる者となるために召され,神に愛される者としてローマにいるすべての人たちへ』あてられたものです。(ローマ 1:1,7)この書に関する外的な文書証拠があり,それは,クリスチャン・ギリシャ語聖書に関するものとしては最古の例に属します。ペテロは,恐らく6年から8年後に記されたと思われるその第一の手紙の中で同様の表現を非常に多く使用しており,多くの学者は,彼が「ローマ人への手紙」の写しを既に見ていたものと考えています。この書は,ローマのクレメンス,スミルナのポリュカルポス,アンティオキアのイグナティウスなどにより,パウロが書き記したものの一部として明確に認められ,かつ引用されています。これらの人々はいずれも,西暦1世紀の終わりから2世紀初めの人です。
6 古代のパピルス写本は「ローマ人への手紙」の正典性をどのように証言していますか。
6 「ローマ人への手紙」は,パウロの他の八つの手紙と共に,チェスター・ビーティー・パピルス2(P46)と呼ばれる冊子本の中に含まれています。この初期の冊子本に関して,フレデリック・ケニヨン卿はこう書いています。「したがって,我々はここに,3世紀初頭のころに書かれたと思われる,パウロの書簡のほぼ完全な写本を持っているのである」。a チェスター・ビーティーギリシャ語聖書パピルスは,著名なシナイ写本やバチカン写本1209よりももっと古い写本です。後者はいずれも4世紀ごろのもので,これらの写本にも,「ローマ人への手紙」が含まれています。
7 「ローマ人への手紙」が書かれた時と場所についてどんな証拠がありますか。
7 「ローマ人への手紙」はいつごろ,どこで書かれたのでしょうか。この手紙がギリシャにおいて,そして恐らくはコリントにおいて書かれたという点で,聖書注釈者の間に見解の相違はありません。それは,パウロが3回目の宣教旅行の終わり近くに数か月その地を回った時のこととみなされています。内的な証拠はコリントを指し示しています。パウロは,その地の会衆の成員であったガイオの家でこの手紙を書き,コリントの海港である近くのケンクレアの会衆にいたフォイベという婦人を推薦しています。この手紙をローマに運んだのはフォイベだったようです。(ローマ 16:1,23。コリント第一 1:14)ローマ 15章23節でパウロは,「今はもう,この地方に手のつけられていない区域はありません」と書き,その次の節で,宣教者としての自分の仕事をさらに西方,スペインにまで広げる意図のあることを示しています。彼は,3回目の宣教旅行の終わりごろ,西暦56年の初めにはこのように書くことができたでしょう。
「ローマ人への手紙」の内容
8 (イ)パウロは自分の使命について何と述べますか。(ロ)彼は,ユダヤ人もギリシャ人も共に神の憤りを受けるに価することをどのように示しますか。
8 ユダヤ人と異邦人に対する神の公平さ(1:1-2:29)。霊感を受けたパウロはローマ人に何を告げますか。その冒頭の言葉の中で,パウロは,自分が,諸国民の間で『信仰による従順』を教えるため,キリストによって選ばれた使徒であることを明らかにします。そして,ローマにいる聖なる者たちを訪ね,「相互に励まし合(い)」,『信仰を持つすべての人にとって,救いのための神の力である』良いたよりを彼らの間で宣明したいとの熱烈な願いを言い表わします。ずっと以前に書かれていたとおり,義なる者は「信仰によって生き」ます。(1:5,12,16,17)パウロは,ユダヤ人もギリシャ人も共に神の憤りを受けるに価することを示します。神の『見えない特質は世界の創造以来明らかに見える』ゆえに,人間の側の不敬虔さは言い訳ができません。(1:20)それなのに,諸国民は愚かにも,創造されたものを神としています。しかし,ユダヤ人は諸国民を厳しく裁いてはなりません。ユダヤ人もまた罪があるからです。どちらのグループもその行ないによって裁かれることになります。神は不公平な方ではないからです。肉の割礼の有無は決定の要素ではありません。「内面のユダヤ人がユダヤ人なのであって,その人の割礼は……心の割礼」だからです。―2:29。
9 (イ)どのような点でユダヤ人は勝っていますか。しかし,すべての者が罪のもとにあることを示すためにパウロはどんな聖句を引用しますか。(ロ)では,人はどのようにして義と宣せられますか。どんな例がこの論議を支持していますか。
9 すべての者は信仰によって義と宣せられる(3:1-4:25)。「では,ユダヤ人の勝ったところは何ですか」。大いにあります。ユダヤ人は神の神聖な宣言を託されたからです。しかし,「ユダヤ人もギリシャ人もみな罪のもとにあ(り)」,神の目から見て「義」人はひとりもいません。この点を証明するため,ヘブライ語聖書から合計七つの引用がなされます。(ローマ 3:1,9-18。詩編 14:1-3; 5:9; 140:3; 10:7。箴言 1:16。イザヤ 59:7,8。詩編 36:1)律法は,人間が罪を持つ者であることをはっきり示します。したがって,『律法の業によって肉なる者が義と宣せられることはありません』。しかし,神の過分のご親切と贖いによる釈放により,ユダヤ人もギリシャ人も,「律法の業とは別に,信仰によって」義と宣せられているのです。(ローマ 3:20,28)パウロはこの論議の裏付けとしてアブラハムの場合を例に引きます。彼は,業や割礼のゆえではなく,その模範的な信仰のゆえに義とみなされました。こうしてアブラハムは,ユダヤ人ばかりでなく,「信仰を持つ人すべて」の父となりました。―4:11。
10 (イ)死が王として支配するに至ったしだいを述べなさい。(ロ)キリストの従順の結果として何がもたらされましたか。しかし,罪に関してどんなことが警告されていますか。
10 もはや罪の奴隷ではなく,キリストを通して義の奴隷である(5:1-6:23)。一人の人アダムを通して罪が世に入り,罪が死をもたらし,「こうして死が,すべての人が罪をおかしたがゆえにすべての人に広が」りました。(5:12)死がアダム以来モーセに至るまで王として支配しました。モーセを通して律法が与えられた時,罪は満ちあふれ,死が引き続き君臨しました。しかし,神の過分のご親切は今やさらに満ちあふれ,キリストの従順を通して多くの者が永遠の命のために義と宣せられています。しかしこれは罪のうちに生活してよいという意味ではありません。キリストへのバプテスマを受けた人は罪に対して死んだ者とならなければなりません。その古い人格は杭につけられ,彼らは神に関連して生きています。罪はもはや彼らを支配せず,彼らは神聖さの見込みを持つ義の奴隷となります。「罪の報いは死ですが,神の賜物は,わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命」です。―6:23。
11 (イ)クリスチャンとなったユダヤ人が律法から釈放されることをパウロは例えを使ってどのように説明しますか。(ロ)律法はどんなことを明瞭にしましたか。それで,クリスチャンの中でどんなものが戦い合っていますか。
11 律法に対して死に,キリストと結ばれて霊によって生きる(7:1-8:39)。パウロは,夫が生きているかぎり夫につながれ,夫が死ねば再婚の自由を持つ妻の立場を例にして説明します。クリスチャンとなったユダヤ人はキリストの犠牲を通し律法に対して死んだ者とされ,キリストのものとなって神に対する実を結ぶ自由を得ました。聖なる律法は罪をいよいよ明らかにし,罪は死をもたらしました。わたしたちの肉の体に宿る罪は,わたしたちが抱く善良な意向に対して戦いを挑みます。パウロはこう述べます。「自分の願う良い事柄は行なわず,自分の願わない悪い事柄,それが自分の常に行なうところとなっている」。したがって,「それを生み出しているのはもはやわたしではなく,わたしのうちに宿っている罪です」― 7:19,20。
12 どのようにしてある人々はキリストと共同の相続人となりますか。そのような人はどんな点で全く勝利を収めていますか。
12 人間をこの惨めな状態から救いうるものは何でしょうか。神が,キリストに属する人々をご自分の霊によって生きさせることができます! 彼らは養子として迎えられ,義と宣せられ,神の相続人,またキリストと共同の相続人となり,栄光を受けます。彼らに対してパウロはこう語ります。「もし神がわたしたちの味方であるなら,だれがわたしたちに敵するでしょうか。……だれがキリストの愛からわたしたちを引き離すでしょうか」。だれもそのようなことはできません! パウロは揚々と宣言します,「わたしたちは,わたしたちを愛してくださった方によって……全く勝利を収めているのです。死も,生も,み使いも,政府も,今あるものも,来たるべきものも,力も,高さも,深さも,またほかのどんな創造物も,わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛からわたしたちを引き離しえないことを,わたしは確信しているからです」。―8:31,35,37-39。
13 (イ)預言によると,神の真のイスラエルの中にだれが含まれますか。これは神のどんな原則によりますか。(ロ)肉のイスラエル人が目ざしていたものに達しえなかったのはなぜですか。しかし,救いのためには何が必要ですか。
13 「イスラエル」は信仰と神の憐れみとによって救われる(9:1-10:21)。パウロは同胞であるイスラエル人に対して「大きな悲嘆」を言い表わしますが,肉のイスラエルがみな真の「イスラエル」ではないことを認めます。神はだれでもご自分の望む時に子たちを選ぶ権威を有しておられるからです。ファラオに対する神のご処置と,陶器師の例えとに示されるとおり,「願う者にでも走る者にでもなく,ただ憐れみを持たれる神にかかっているのです」。(9:2,6,16)ホセアが遠い昔に予告したとおり,神は「ユダヤ人だけでなく,諸国民の中からも」子となる人々を召しておられます。(ホセア 2:23)イスラエルは,『信仰によらず,業によるかのようにして』神の恵みを得ようとしたため,また「とがのもととなる岩塊」であるキリストにつまずいたために,失敗しました。(ローマ 9:24,32,33)彼らは「神に対する熱心さ」を抱いていましたが,「それは正確な知識によるものではありません」でした。義のために信仰を働かせる人々にとってキリストは律法の終わりであり,救いを得るために,人は「イエスは主である」と公に宣言し,「神(が)彼を死人の中からよみがえらせた」という信仰を働かせなければなりません。(10:2,9)あらゆる国の人が聞き,信仰を持ち,エホバの名を呼び求め,こうして救いを得るために,宣べ伝える者たちが遣わされます。
14 パウロはオリーブの木の例えによってどんなことを説明しますか。
14 オリーブの木の例え(11:1-36)。過分のご親切のゆえに生来のイスラエルの残りの者が選ばれていますが,大多数の者がつまずいたために,「諸国の人たちに救いがある」ようになりました。(11:11)パウロはオリーブの木の例えを使い,肉のイスラエルの信仰の欠如のゆえに,非ユダヤ人が接ぎ木されたいきさつを示します。とは言え,非ユダヤ人は,イスラエルが退けられたことを歓ぶべきではありません。神が不忠実であった生来の枝を惜しまれなかったのであれば,諸国民の中から接がれた野生のオリーブの枝を惜しまれることもないからです。
15 生きた犠牲を神にささげることには何が含まれていますか。
15 思いを作り直すこと。上位の権威(12:1-13:14)。自分の体を生きた犠牲として神にささげなさい,とパウロは勧めます。もはや『自分をこの事物の体制に合わせる』のではなく,「思いを作り直すことによって自分を変革し」なければなりません。高慢になってはなりません。キリストの体は,人体と同じように多くの肢体を有しています。その肢体はそれぞれに異なった機能を有していますが,それでも一致して共に働きます。だれに対しても悪に悪を返してはなりません。復しゅうはエホバにゆだねなさい。「善をもって悪を」征服しなさい。―12:2,21。
16 クリスチャンは権威者や他の人々の前でどのように行動すべきですか。
16 上位の権威に服さなければなりません。それは神の取り決めです。善を行ないつづけ,互いに愛することを別にすれば,だれに対しても何一つ負ってはなりません。救いが近づいています。それゆえ,「闇に属する業を捨て去り,光の武器を身に着け」なければなりません。(13:12)良い振る舞いのうちに歩み,肉の欲望のままに歩んではなりません。
17 人を裁いたり,弱い人たちを築き上げたりすることに関して,どんな助言が与えられていますか。
17 裁くことをせずにすべての人を公平に迎え入れなさい(14:1-15:33)。信仰の弱さのためにある種の食物を断ったり,祝祭の日を守ったりする人のことを我慢しなさい。自分の兄弟を裁いてはならず,また自分の飲食によって兄弟をつまずかせてもなりません。神がすべての者を裁かれるからです。平和と,人を築き上げる事柄とを追い求め,他の人の弱いところを担いなさい。
18 (イ)神が非ユダヤ人を受け入れられたことを示すためにパウロはさらにどんなことばを引用しますか。(ロ)パウロ自身は神の過分のご親切をどのように活用しますか。
18 使徒パウロは,「以前に書かれた事柄は皆わたしたちの教えのために書かれた」と記し,神の約束の適用範囲が非ユダヤ人の諸国民に対しても広げられることを,霊感を受けた預言者たちがずっと以前に予告していたことを示す決定的な証拠として,ヘブライ語聖書のことばをさらに四つ引用します。(ローマ 15:4,9-12。詩編 18:49。申命記 32:43。詩編 117:1。イザヤ 11:1,10)そしてパウロはこう訓戒します。「それゆえ,神の栄光となることを目ざしつつ,キリストがわたしたちを迎え入れてくださったように,あなた方も互いを迎え入れなさい」。(ローマ 15:7)パウロは,神の過分のご親切を受けて諸国民に対する公僕とされ,「神の良いたよりの聖なる業」に携わっていることに対する感謝を言い表わします。また彼は,「ほかの人の土台の上に建てる」代わりに,新しい区域を開くことを常に求めています。そして,彼の務めはまだ終了したのではありません。彼は,寄付をエルサレムに届けたのち,遠いスペインに至るまでのさらに大規模な伝道旅行を計画しているからです。そして,その地に向かう途中で,ローマにいる自分の霊的な兄弟たちに,「キリストからの祝福を十分に」携えて行くことが彼の願いです。―15:16,20,29。
19 どんなあいさつと勧めのことばが手紙の結びとなっていますか。
19 結びのあいさつ(16:1-27)。パウロはローマ会衆の26人,および他の人々に,名指しで個人的なあいさつを送り,また,分裂を生じさせる人々を避け,「良いことについては賢く,よこしまなことについては純真であるように」と説き勧めます。すべての点で,「神に,栄光が,イエス・キリストを通して永久にありますように。アーメン」― 16:19,27。
なぜ有益か
20 (イ)ローマ人への書は,神の存在を信ずるどんな論理的理由を提出していますか。(ロ)神の義と憐れみはどのような例えで説明されていますか。それに基づいてパウロは何と叫びますか。
20 ローマ人への書は,「神の見えない特質,すなわち,そのとこしえの力と神性とは,造られた物を通して認められるので,世界の創造以来明らかに見える」と述べて,神の存在を信ずる論理的な根拠を提出しています。しかし,それだけではありません。この書はさらに神の義を高め,神の深い憐れみと過分のご親切とを知らせています。その点は,生来の枝が切り落とされた後に野生の枝が接がれたという,オリーブの木の例えで美しく描かれています。こうした神の厳しさとそのご親切とを思い見て,パウロはこう叫びます。「ああ,神の富と知恵と知識の深さよ。その裁きは何と探りがたく,その道は何とたどりがたいものなのでしょう」。―1:20; 11:33。
21 ローマ人への書は神の神聖な奥義のいっそうの発展をどのように示していますか。
21 また,この点に関連して,ローマ人への書は,神の神聖な奥義のいっそうの発展についても説明しています。クリスチャン会衆内において,ユダヤ人と異邦人の区別はもはやなく,あらゆる国の人が,イエス・キリストを通してエホバの過分のご親切にあずかることができます。「神に不公平はない」のです。「内面のユダヤ人がユダヤ人なのであって,その人の割礼は霊による心の割礼で,書かれた法典によるものではありません」。「ユダヤ人とギリシャ人の間に差別はないからです。すべての者の上に同じ主がおられ,この方はご自分を呼び求めるすべての者に対して豊かなのです」。これらのすべての者が義とみなされるのは,信仰によるのであり,業によるのではありません。―2:11,29; 10:12; 3:28。
22 ローマ人への書は会衆外の人々との関係についてどんな実際的助言を与えていますか。
22 ローマのクリスチャンにあてられたこの手紙に含まれる実際的な助言は,異質の世界で同様の問題に直面する今日のクリスチャンにとっても等しく有益です。クリスチャンは,会衆外の人々を含め,『すべての人に対して平和を求める』ように諭されています。すべての魂は「上位の権威に服」さなければなりません。それは神の取り決めであり,法に従う者ではなく,悪い行ないをする者が恐れるべきものだからです。クリスチャンは法に従ってそれに服すべき立場にあります。それは処罰に対する恐れのためだけではなく,クリスチャンとしての良心のためでもあり,そのゆえにクリスチャンは,税を納め,当然払うべきものを払い,自分の務めを果たし,「互いに愛し合うことのほかは」だれにも何も負わないようにします。愛は律法を全うするものです。―12:17-21; 13:1-10。
23 パウロは公に宣言することの大切さをどのように強調していますか。宣教奉仕のための備えという点で彼はどのような手本を示していますか。
23 パウロは公の証言を強調しています。人が義のために信仰を働かせるのは心においてですが,救いのために公の宣言をするのは口によります。「エホバの名を呼び求める者はみな救われ」ます。しかし,そうなるためには,宣べ伝える者が出かけて行って,「良い事柄についての良いたよりを宣明する」ことが必要です。その宣べ伝える者の音は「人の住む地の果てにまで」達しています。その仲間に加わっているなら,その人は幸福です。(10:13,15,18)そしてわたしたちは,この宣べ伝える業に備えるため,パウロと同じように霊感の聖書に精通する努力を行なえますように。パウロは,この1か所(10:11-21)だけで,ヘブライ語聖書のことばを次から次へと数多く引用しています。(イザヤ 28:16。ヨエル 2:32。イザヤ 52:7; 53:1。詩編 19:4。申命記 32:21。イザヤ 65:1,2)パウロが次のように言えたのももっともです。「以前に書かれた事柄は皆わたしたちの教えのために書かれたのであり,それは,わたしたちが忍耐と聖書からの慰めとによって希望を持つためです」― ローマ 15:4。
24 熱意や,会衆内の人たちとの幸福な関係を育て上げるために,パウロはどんな忠告を与えていますか。
24 クリスチャン会衆内での人と人との関係について実際的な忠告がすばらしい形で与えられています。以前の国家的,人種的,または社会的背景がどのようなものであるにせよ,すべての人は,「善にして受け入れられる完全なご意志」にしたがって神聖な奉仕を神にささげるため,自分の思いを作り直さなければなりません。(11:17-22; 12:1,2)ローマ 12章3節から16節のパウロの助言全体には,何と実際的な道理にかなった考え方が息づいているのでしょう。そこには確かに,クリスチャン会衆内のすべての人の間に熱意や謙遜さや優しい愛情をはぐくむための優れた訓戒のことばがあります。結びの幾つかの章の中で,パウロは,分裂を引き起こす人々に警戒し,そうした人々を避けるようにと強く訓戒していますが,また,会衆内での清い交わりを通して互いに得る喜びとさわやかさについても述べています。―16:17-19; 15:7,32。
25 (イ)ローマ人への書は,神の王国に関してどんな正しい見方,またいっそうの理解を与えていますか。(ロ)ローマ人への書を研究することはどのような点でわたしたちの益になるはずですか。
25 クリスチャンとして,わたしたちは互いどうしの関係を終始見守らなければなりません。「神の王国は,食べることや飲むことではなく,義と平和と聖霊による喜びとを意味しているからです」。(14:17)この義と平和と喜びは,「キリストと共同の相続人」となり,天の王国でキリストと「共に栄光を受ける」人々が特に受ける分です。また,ローマ人への書が,「平和を与えてくださる神は,まもなくサタンをあなた方の足の下に砕かれるでしょう」と述べて,エデンで与えられた王国に関する約束がどのように実現するかについてさらに詳細な点を指摘していることにも注意してください。(ローマ 8:17; 16:20。創世記 3:15)こうした偉大な真理を信じつつ,わたしたちは引き続きあらゆる喜びと平和で満たされ,希望に満ちあふれますように。そして,わたしたちの決意は,王国の胤と共に最終的に勝利を得ることでありますように。わたしたちは,上の天にあるものも,下の地にあるものも,「またほかのどんな創造物も,わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛からわたしたちを引き離しえないことを」確信しているからです。―ローマ 8:39; 15:13。
[脚注]
a 「我々の聖書と古代の写本」(英文),1958年,188ページ。
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聖書の46番目の書 ― コリント人への第一の手紙『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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聖書の46番目の書 ― コリント人への第一の手紙
筆者: パウロ
書かれた場所: エフェソス
書き終えられた年代: 西暦55年ごろ
1 パウロの時代のコリントはどんな都市でしたか。
コリントは,「東西の悪徳が相会する,世に聞こえた肉欲の都市」でした。a ペロポネソス半島と大陸部ギリシャとを結ぶ細長い地狭に位置したコリントは,ギリシャ本土への陸上路を制していました。使徒パウロの時代には,人口約40万のこの都市よりも人口の多い都市はローマ,アレクサンドリア,およびシリアのアンティオキアだけでした。コリントの東方にはエーゲ海があり,西方にはコリント湾とイオニア海がありました。こうして,アカイア州の首都であり,ケンクレアとレカイオンの二つの港を擁するコリントは,商業的な意味で戦略上の要地を占めていました。それはまた,ギリシャの学問の中心地の一つでもありました。「その富財は広く知られてまさに格言的な存在であり,その住民の悪徳と放とうぶりも広く知られていた」と言われています。b この市の異教的な宗教習慣の一つはアフロディテ(ローマ人のビーナスに相当する女神)の崇拝でした。肉欲にふけることは,コリント人の崇拝のもたらした一つの結果でした。
2 コリント会衆はどのようにして設立されましたか。したがって,その会衆とパウロとの間にはどんなきずながありましたか。
2 経済的には繁栄し,道徳的には退廃した,ローマ世界のこの主要都市に使徒パウロが旅をしたのは西暦50年ごろのことです。彼が18か月滞在している間に,そこにクリスチャン会衆が設立されました。(使徒 18:1-11)キリストについての良いたよりを自分が最初に伝えたこの地の信者たちに対して,パウロは非常に深い愛を感じていました。彼は手紙の中で次のように述べて,互いの間に存在する霊的なきずなについて思い出させています。「あなた方にはキリストにあって一万人の養育係がいるとしても,決して多くの父親はいないのです。キリスト・イエスにあって,わたしが,良いたよりを通してあなた方の父親となったからです」― コリント第一 4:15。
3 パウロは何に動かされて,「コリント人への第一の手紙」を書きましたか。
3 パウロがコリントのクリスチャンにあてて最初の手紙を書いたのは彼らの霊的な福祉に対する深い関心のためです。それは彼の3度目の宣教旅行中のことでした。彼がコリントに在住していた時以来幾年かたっており,西暦55年ごろになっていました。パウロはエフェソスにいました。明らかにパウロはこの比較的に新しいコリント会衆からの手紙を受け取り,その手紙が返事を求めていたものと思われます。加えて,穏やかならぬ知らせがパウロのもとに達していました。(7:1; 1:11; 5:1; 11:18)その知らせが余りに悲しいものであったため,パウロは自分の手紙の第7章の初めに至るまで,彼らからの問い合わせの手紙については一言もふれていません。自分の受け取ったそうした知らせのゆえにこそ,パウロはコリントにいる仲間のクリスチャンにあてて手紙を書く必要を痛切に感じたのです。
4 パウロがコリント第一の書をエフェソスから書き送ったことを何が証明していますか。
4 しかし,パウロがコリント第一の書をエフェソスから書き送ったということがどうして分かるでしょうか。一つの点として,あいさつのことばでその手紙を結ぶにあたり,パウロはアクラとプリスカ(プリスキラ)からのあいさつを含めています。(16:19)使徒 18章18節と19節は,この二人がコリントからエフェソスに移ったことを示しています。アクラとプリスキラがエフェソスに在住していたこと,そして,コリント第一の書の結びのあいさつを送った人々の中にこの二人が含まれていることから見て,パウロはこの手紙を記した時エフェソスにいたものと考えられます。そしてさらに,不確かさを全く残さない点として,コリント第一 16章8節のパウロの次のことばがあります。「しかし,ペンテコステの祭りまでは,エフェソスにとどまるつもりです」。したがって,コリント第一の書は,パウロによりエフェソスで,明らかにそのエフェソス滞在の終わり近くに書かれました。
5 コリント人への第一および第二の手紙の信ぴょう性を何が立証していますか。
5 コリント第一,ならびに第二の書の信ぴょう性は疑問の余地がありません。これらの手紙は,初期のクリスチャンにより,パウロの記したもの,また聖書正典の一部として受け入れられ,初期クリスチャンたちの収集物の中に入れられていました。事実,コリント第一の書は,西暦95年ごろにローマからコリントに送られ,クレメンスの第一の書と呼ばれる手紙の中で少なくとも6回にわたって言及もしくは引用されていると言われます。その手紙の筆者は,明らかにコリント第一の書を指して,「祝福された使徒パウロの書簡を手に取る」ようにと,その手紙の受取人に勧めています。c また,コリント第一の書は,殉教者ユスティヌス,アテナゴラス,イレナエウス,テルトゥリアヌスなどによっても直接引用されています。コリント第一および第二の書を含むパウロの手紙の集成,もしくは収集されたものが「第1世紀の最後の10年間にまとめられ,公刊された」という強力な証拠があります。d
6 コリント会衆にはどんな問題がありましたか。パウロは特にどんなことに関心を持っていましたか。
6 コリント人にあてたパウロの最初の手紙は,コリント会衆そのものの内部の様子を見る機会をわたしたちに与えています。この地のクリスチャンは種々の問題に直面し,解決すべき疑問を抱えていました。性の不道徳のひどい事件が起きていました。会衆内には党派がありました。人間に従う人々がいたからです。宗教面で分裂した家族の中で生活する人もいました。そうした人は信者でない配偶者のもとにとどまるべきですか,それとも別居すべきですか。偶像に犠牲としてささげられた肉を食べることについてはどうですか。それにあずかってもよいですか。コリントの人たちは,主の晩さんを含め,集会をどのように開くかについても忠告を必要としていました。会衆内における婦人の立場はどのようなものであるべきですか。また,彼らの中には,復活を否定する者もいました。問題は多くありました。しかし,パウロは特に,コリントの人たちを霊的に立ち直らせることに関心を払いました。
7 わたしたちはどんな態度でコリント第一の書の内容を検討すべきですか。なぜですか。
7 その会衆の内部の状態や古代コリントの繁栄と放縦を伴う外部の環境には現代のその類似点があるので,神の霊感のもとに記されたパウロの堅実な助言は注意を払うに値します。パウロの述べた事柄はわたしたちの時代に対する深い意味を含んでいますから,愛するコリントの兄弟姉妹にあてた彼の最初の手紙の内容を思慮深く考察することは確かに有益です。その時代と場所の精神を想起してください。昔のコリントにいた仲間の信者に対するパウロの霊感の言葉,その心を刺し通し,奮い立たせるようなことばを読み返しつつ,コリントのクリスチャンたちが恐らくは行なったと同じように,自らを細かに吟味してください。
「コリント人への第一の手紙」の内容
8 (イ)会衆内における分派的傾向の愚かさを,パウロはどのように指摘していますか。(ロ)パウロは神の事柄を理解するために何が必要であることを示していますか。
8 パウロは分派的な傾向を指摘して,一致を説く(1:1-4:21)。パウロはコリントの人たちに対して好意を抱いています。しかし,彼らの間の党派や争論についてはどうでしょうか。「キリストが分裂してしまっています」。(1:13)パウロは彼らのうちのごくわずかの人にしかバプテスマを施さなかったことをむしろ感謝しています。彼らはパウロの名においてバプテスマを受けたとは言えません。パウロが宣べ伝えているのは杭につけられたキリストです。これがユダヤ人にはつまずきとなり,諸国民には愚かとみなされています。しかし神は,賢くて強い者を恥じさせるために,世の愚かで弱い者を選ばれました。それゆえパウロはもったいぶった話し方をせず,むしろ,自分の言葉を通して働く神の霊と力を兄弟たちに見させます。それは,彼らの信仰が,人間の知恵によらず,神の力によるものとなるためです。わたしたちは神の霊によって啓示された事柄を話します。それは,「霊がすべての事,神の奥深い事柄までも究める」からである,とパウロは述べます。そうした事柄は,物質的な人は理解できず,ただ霊的な人だけが理解できます。―2:10。
9 だれも人間を誇りとすべきでないことをパウロはどのような論議で示しますか。
9 コリントの人たちは,ある者はアポロに,またある者はパウロにと言って,人間に従っています。しかし,これらはいったい何者でしょうか。コリントの人たちが信者となるための経路となった奉仕者にすぎません。植えたり水を注いだりする者は数えるに足りません。「神がそれをずっと成長させてくださった」のであり,それらの人々は「神と共に働く者」にすぎないからです。だれの業が耐久性のあるものであるかを,火の試練が試します。パウロは彼らに,『あなた方は神の神殿であり』,神の霊がそのうちに宿っている,と告げます。「この世の知恵は神にとっては愚かなもの」です。したがって,だれも人間を誇ってはなりません。すべては神に属しているからです。―3:6,9,16,19。
10 コリントの人々の誇りはなぜ見当違いのものですか。そうした事態を正すためにパウロはどんな処置を取ろうとしますか。
10 パウロとアポロは神の神聖な奥義の謙遜な家令です。家令は忠実でなければなりません。誇ったりするとは,コリントの兄弟たちはいったい何者なのですか。彼らが持つもので他から受けなかったものがあるのですか。彼らは富み,王として支配を始めたのですか。み使いに対しても人々に対しても劇場の見せ物のようになっている使徒たちはいまだ愚かであり,弱く,すべてのもののかすのようになっているのに,彼らはそれほど思慮深い者,強い者となったのですか。パウロはテモテを遣わします。彼らを助けてキリストに関連した彼のやり方を彼らに思い出させ,キリストを見倣う者とならせるためです。エホバのご意志であれば,パウロ自身もまもなく彼らのところに行き,思い上がっている人たちのことばだけでなく,その力をも知ることになるでしょう。
11 彼らの間にはどんな不道徳行為が起きていますか。それについて何を行なわなければなりませんか。なぜですか。
11 会衆を清く保つことについて(5:1-6:20)。コリントの人たちの間では,驚くほどの不道徳の事例が伝えられています。父の妻を自分の妻としている人がいるのです! その人はサタンに渡されねばなりません。少しのパン種が固まり全体を発酵させるからです。兄弟と呼ばれる邪悪な者との交わりは断たなければなりません。
12 (イ)互いに法廷で訴え合うことについてパウロは何と論じますか。(ロ)パウロはなぜ,「淫行から逃げ去りなさい」と述べていますか。
12 コリントの人たちは互いに法廷で訴え合うことさえしているのです。むしろ,だまし取られるままにするほうが勝っているのではないでしょうか。彼らは世をもみ使いをも裁くことになっているのです。それなのに,兄弟の間を裁く者を彼らの中に見いだせないのですか。その上,彼らは清くなければなりません。淫行の者,偶像を礼拝する者などは神の王国を受け継がないからです。彼らの中にはかつてそのような者もいました。しかし,彼らは洗われて清い者,神聖なものとされたのです。「淫行から逃げ去りなさい」とパウロは述べます。「あなた方は代価をもって買われた(の)です。どうあっても,あなた方の体によって神の栄光を表わしなさい」― 6:18,20。
13 (イ)パウロがある人々に結婚を勧めているのはなぜですか。ひとたび結婚したなら何を行なうべきですか。(ロ)どういう意味で独身の人は「さらにりっぱに行動して」いますか。
13 独身と結婚に関する助言(7:1-40)。パウロは結婚に関する質問に答えます。淫行がはびこっているために,男も女もそれぞれ結婚することが勧められるかもしれません。そして,結婚している人々は,夫婦間の当然の分を互いから奪い取ってはなりません。結婚していない人ややもめは,パウロと同じように独身のままでいるのはよいことです。しかし,自制することができないなら,その人は結婚しなさい。ひとたび結婚したなら,結び合ったままでいなければなりません。配偶者が信者ではなくても,信者である者はそのもとを去るべきではありません。それによって,信者は信者でない配偶者を救えるかもしれないからです。割礼と奴隷の身分については,おのおの自分の召された時の状態に甘んじていなさい。結婚している人は自分の配偶者の是認を得ようとして心が分かれ,一方,独身の人はただ主のことにのみ気を遣います。結婚する人はそれによって罪を犯すのではありませんが,結婚しない人は「さらにりっぱに行動して」います。―7:38。
14 「神」,ならびに「主」と唱えられるものについてパウロは何と述べていますか。しかし,どんな場合には,偶像にささげられた食物を避けるほうが賢明ですか。
14 良いたよりのためにすべての事を行なう(8:1-9:27)。偶像にささげられた食物についてはどうでしょうか。偶像は無きに等しいものです。世界には「神」,ならびに「主」と唱えられるものが多くありますが,クリスチャンにとっては,「父なるただひとりの神」,と「ひとりの主,イエス・キリスト」がおられるだけです。(8:5,6)しかし,偶像に犠牲としてささげられた肉をあなたが食べるのを見て感情を害する人がいるかもしれません。そうした状況のもとではそれを避け,兄弟をつまずかせることをしないように,とパウロは忠告します。
15 パウロは自分の奉仕の務めに関してどのように行動していますか。
15 パウロは奉仕の務めのために自分について多くのものを否定します。使徒として,彼には「良いたよりによって生活する」権利がありますが,そうすることを控えてきました。とは言え,彼には宣べ伝える必要が課せられています。事実,「もし良いたよりを宣明しなかったとすれば,わたしにとっては災いとなる」と彼は語ります。こうして彼は自らすべての人の奴隷となり,「あらゆる人に対してあらゆるものと」なりました。「良いたよりのためにすべての事を」行なって,「何とかして幾人かでも救うため」です。競走に勝ち,朽ちない冠を得るために,パウロは自分の体を打ちたたきます。他の人に宣べ伝えても,自分自身が「何かのことで非とされるようなことにならないため」です。―9:14,16,19,22,23,27。
16 (イ)クリスチャンは『父祖たち』からどんな警告を受けるべきですか。(ロ)偶像礼拝に関連してクリスチャンはどのようにすべての事を神の栄光のために行なえますか。
16 害になる事柄に対して戦う(10:1-33)。『父祖たち』についてはどうですか。彼らは雲の下にあり,モーセへのバプテスマを受けました。彼らの多くは神の是認を受けず,荒野で倒されました。なぜでしたか。害になる事柄を欲したためです。クリスチャンはこのことから警告を受け,偶像礼拝や淫行,またエホバを試したりつぶやいたりすることを慎まなければなりません。立っていると思う人は倒れることのないように気をつけなければなりません。誘惑は来ます。しかし,神は,ご自分の僕が耐えられる以上の誘惑を受けることを許されません。忍耐できるように逃れ道を備えてくださるのです。「ですから,偶像礼拝から逃げ去りなさい」とパウロは書きます。(10:1,14)わたしたちはエホバの食卓と悪霊の食卓に共にあずかることはできません。しかし,ある家で食事をしているような場合,肉がどこから来たものかについて尋ねてはなりません。しかし,それが偶像に犠牲としてささげられたものであることをだれかが知らせるなら,その人の良心のためにそれを食べるのを差し控えなさい。パウロは,「すべての事を神の栄光のためにしなさい」と書いています。―10:31。
17 (イ)頭の地位に関してパウロはどんな原則を明らかにしますか。(ロ)パウロは会衆内における分裂の問題と,主の晩さんに関する論議とをどのように結びつけていますか。
17 頭の地位; 主の晩さん(11:1-34)。パウロは,「わたしがキリストに見倣う者であるように,わたしに見倣う者となりなさい」と言明し,そしてさらに頭の地位に関する神の原則を明らかにします。女の頭は男,男の頭はキリスト,キリストの頭は神です。それゆえ,会衆内で祈ったり預言をしたりする時,女は自分の頭に「権威のしるし」を着けるべきです。パウロはコリントの人たちをほめることができません。共に集まる時,彼らの間には分裂が存在するからです。そうした状態では,どうして主の晩さんを正しく行なえるでしょうか。パウロは,イエスがご自分の死の記念の式を創始された時に何が起きたかを振り返ります。各人はそれにあずかる前に自分を吟味しなければなりません。「その体」をわきまえないで自分の身に裁きを招くことのないためです。―11:1,10,29。
18 (イ)賜物や奉仕の務めにはさまざまなものがありますが,体の中に分裂があるべきでないのはなぜですか。(ロ)愛が特に秀でているのはなぜですか。
18 霊の賜物; 愛およびそれを追い求めること(12:1-14:40)。霊の賜物はいろいろありますが,霊は同じです。奉仕の務めや働きはさまざまですが,主は同じ,また神は同じです。同様に,一つの結合体としてのキリストの体には多くの成員がいますが,各成員は互いに他を必要としており,その点で人間の体と同様です。神はその望むままに体にすべての肢体を置かれました。各人にはその行なうべき業があります。こうして「体に分裂がないように」されました。(12:25)霊の賜物を用いる者も愛がないなら全く無に等しいのです。愛は辛抱強く,親切で,ねたまず,思い上がりません。愛はただ真理にのみ喜びを持ちます。「愛は決して絶えません」。(13:8)預言や異言などの霊の賜物は廃されますが,信仰と希望と愛は残ります。このうち最大のものは愛です。
19 会衆を築き上げるため,また物事を秩序正しく取り決めるためにパウロはどんな助言を与えていますか。
19 「愛を追い求めなさい」と,パウロは訓戒します。霊の賜物は会衆を築き上げることのため愛のうちに用いられるべきです。このゆえに,異言を語ることより預言をすることのほうが好まれます。パウロ自身としては,知られていない言語で1万の言葉を語るより,理解できる五つの言葉を語って他の人を教えることのほうを願います。異言は信者でない人に対するしるしのためですが,預言は信者に対するしるしです。人はこうした点の理解において「幼子」となってはなりません。女は,会衆内にあっては服しているべきです。「すべての事を適正に,また取り決めのもとに行ないなさい」。―14:1,20,40。
20 (イ)キリストの復活についてパウロはどんな証拠を提出していますか。(ロ)復活はどんな順序で起きますか。どんな敵は征服されますか。
20 復活の希望の確かさ(15:1-16:24)。復活したキリストはケファに,12人に,ある時には500人以上の兄弟に,ヤコブに,すべての使徒に,そして最後にパウロに現われました。『もしキリストがよみがえらされなかったとすれば,わたしたちの宣べ伝える業と信仰は無駄である』とパウロは書きます。(15:14)各々その順序にしたがってよみがえらされます。キリストが初穂,その後,その臨在の間に,彼に属する者たちです。最後にキリストは,すべての敵が彼の足の下に置かれてから,王国を父に渡します。最後の敵である死でさえ無に帰せしめられます。復活がないとすれば,パウロが終始死の危険に直面していることに何の価値があるでしょうか。
21 (イ)神の王国を受け継ぐ人々はどんなよみがえりを受けますか。(ロ)どんな神聖な奥義をパウロは明らかにしますか。死に対する勝利について彼は何と述べますか。
21 しかし,死者はどのようによみがえらされるのでしょうか。植物の体が生長するためには,まかれた種粒が死ななければなりませんが,死者の復活もそれと同様です。「物質の体でまかれ,霊的な体でよみがえらされます。……肉と血は神の王国を受け継ぐことができ(ない)」のです。(15:44,50)パウロは神聖な奥義を告げます。つまり,すべての者が死の眠りに就くのではありませんが,最後のラッパの間に,人々はまたたくまに変えられます。死すべき者が不滅性を着ける時,死は永久に呑み込まれることになります。「死よ,お前の勝利はどこにあるのか。死よ,お前のとげはどこにあるのか」。パウロは心から叫びます,「しかし,神に感謝すべきです。わたしたちの主イエス・キリストを通して勝利を与えてくださるからです!」―15:55,57。
22 結びの部分でパウロはどんな助言と勧めのことばを述べますか。
22 結びの部分で,パウロは,困窮した兄弟たちを援助するためエルサレムに送る寄付を集めるさいにそれを秩序正しく行なうことを勧めます。また,マケドニア経由でまもなくコリントを訪ねることを告げ,テモテやアポロもその地を訪ねることを示唆します。パウロは説き勧めます,「目ざめていなさい。信仰のうちにしっかりと立ちなさい。雄々しくあり,力強い者となりなさい。すべての事を愛をもって行ないなさい」。(16:13,14)パウロはアジアの諸会衆からのあいさつを送り,次いで最後のあいさつを手ずから記して愛を伝えます。
なぜ有益か
23 (イ)悪い欲望と自分に頼りすぎることの悲惨な結果をパウロはどんな例で示しますか。(ロ)主の晩さんや正当な食物に関して助言するさいに,パウロはどんな根拠に言及しますか。
23 使徒パウロのこの手紙はヘブライ語聖書から沢山の引用をしており,ヘブライ語聖書に対するわたしたちの理解を広げる上で極めて有益です。その第10章で,パウロは,モーセのもとにあったイスラエル人が霊的な岩塊から飲んだこと,その岩塊がキリストを表わしていたことを指摘しています。(コリント第一 10:4。民数記 20:11)次いで彼は,モーセのもとにあったイスラエル人の場合を例として害になる事柄を願い求めることの悲惨な結果にふれ,さらにこう付け加えます。「さて,これらの事は例として彼らに降り懸かったのであり,それが書かれたのは,事物の諸体制の終わりに臨んでいるわたしたちに対する警告のためです」。わたしたちは決して自分に頼りすぎ,自分は倒れるはずはないなどと考えたりしないようにしましょう。(コリント第一 10:11,12。民数記 14:2; 21:5; 25:9)パウロは再び,律法から一つの例を引き合いに出し,主の晩さんにあずかる人たちはどのようにしてエホバの食卓にふさわしい仕方であずかるべきかを示すため,イスラエルの共与の犠牲に言及します。次いでパウロは,何でも肉市場で売られている物を食べるのは正当なことであるという論議を裏付けるため,「地とそれに満ちるものとはエホバのもの」という詩編 24編1節のことばを引用します。―コリント第一 10:18,21,26。出エジプト記 32:6。レビ記 7:11-15。
24 パウロは自分の論議の裏付けとしてヘブライ語聖書のどんなことばにさらに言及しますか。
24 「神がご自分を愛する者たちのために備えられた事柄」がいかに優れたものであるか,またこの世の「賢い人たちの論議」がいかにむなしいものであるかを示すにあたり,パウロは再びヘブライ語聖書をそのよりどころとします。(コリント第一 2:9; 3:20。イザヤ 64:4。詩編 94:11)彼は,悪行者を排斥することに関する第5章の指示の根拠として,「あなたの中から悪を除き去らなければならない」というエホバの律法を引用します。(申命記 17:7)また,宣教奉仕によって生活する権利について論ずるさいにもモーセの律法に言及しています。それは,仕事をしている動物にくつこを掛けて物を食べることを阻んではならず,神殿で仕えるレビ人は祭壇から自分の分を受けるという定めです。―コリント第一 9:8-14。申命記 25:4; 18:1。
25 コリント第一の書に含まれる有益な教えのうち主立った点を幾つか挙げなさい。
25 霊感による教えという点で,わたしたちは,コリント人に対するパウロの第一の手紙から実に多くの益を得ているではありませんか。分裂や,人間に従うことを戒めたパウロの助言を熟考してください。(1-4章)取り上げられた不道徳の例,また会衆内における徳と清さの必要をパウロがいかに強調したかを思い起こしてください。(5,6章)独身や結婚や別居に関する,霊感を受けたパウロの忠告について考慮してください。(7章)偶像にささげられた食物に関する同使徒の論議をはじめ,他の人をつまずかせたり,偶像礼拝に陥ったりしないよう用心する必要のあることが大変際立った仕方で,いかに強力に示されているかについて考えてください。(8-10章)服すべきものに正しく服することに関する訓戒,霊の賜物に対する考慮,永続し,絶えることのない特質である愛の卓越性に関するあの極めて実際的な論議 ― こうしたことのすべてが次々に想起されます。そして,パウロはクリスチャンの集会における秩序を大いに強調しているではありませんか。(11-14章)また,霊感のもとに,復活に関する驚嘆すべき弁明の言葉を記しているではありませんか。(15章)このすべて,また他の多くのことがわたしたちの思いに浮かびます。そのすべては現代のクリスチャンにとっても極めて貴重な事柄なのです。
26 (イ)復活したキリストは,王として支配する時,遠い昔に予告されたどんな業を成し遂げますか。(ロ)復活の希望に基づいて,パウロはどんな力強い励ましのことばを語りますか。
26 この手紙は,神の王国という聖書の輝かしい主題に対するわたしたちの理解を著しく増し加えるものです。それは,不義の人は神の王国に入れないという厳しい警告を与え,人を失格させる悪徳の多くを列挙しています。(コリント第一 6:9,10)しかし,極めて大切な点として,この手紙は,復活と神の王国との関係を説明しています。つまり,復活の「初穂」であるキリストは『神がすべての敵を彼の足の下に置くまで,王として支配しなければならない』という点を示しています。次いでキリストは,死を含むすべての敵を制する時「王国を自分の神また父に渡します。……神がだれに対してもすべてのものとなる」ためです。最後に,エデンで行なわれた王国の約束の成就として,キリストと共に,復活させられたその霊的な兄弟たちにより,サタンの頭を完全に砕くことが成し遂げられます。天の王国においてキリスト・イエスと共に不朽性にあずかる人々の復活の見込みには実に壮大なものがあります。パウロの次の訓戒のことばは復活の希望に基づいているのです。「こうして,わたしの愛する兄弟たち,あなた方の労苦が主にあって無駄でないことを知っているのですから,堅く立って,動かされることなく,主の業においてなすべき事を常にいっぱいに持ちなさい」。―コリント第一 15:20-28,58。創世記 3:15。ローマ 16:20。
[脚注]
a 「ハーレイズ・バイブル・ハンドブック」(英文),1988年,H・H・ハーレイ,593ページ。
b スミス編,「聖書辞典」(英文),1863年版,第1巻,353ページ。
c 「注釈者の聖書」(英文),1953年,第10巻,13ページ。
d 「注釈者の聖書」(英文),1954年,第9巻,356ページ。
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聖書の47番目の書 ― コリント人への第二の手紙『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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聖書の47番目の書 ― コリント人への第二の手紙
筆者: パウロ
書かれた場所: マケドニア
書き終えられた年代: 西暦55年ごろ
1,2 (イ)パウロがコリントの人々にあてて第二の手紙を書いたことにはどんないきさつがありますか。(ロ)パウロはそれをどこで書きましたか。彼はどんなことを気にかけていましたか。
すでに西暦55年の夏の終わり,あるいは秋の初めとなっていたことでしょう。コリントのクリスチャン会衆には,使徒パウロにとってまだ気がかりなことがありました。コリントの人たちにあてて最初の手紙を書いてからまだ幾か月もたっていませんでした。それ以来テトスがコリントに派遣されていました。それは,ユダヤの聖なる者たちのためにそこでなされていた募金の業を助けるためであり,また,最初の手紙に対するコリントの人々の反応を見るためでもあったことでしょう。(コリント第二 8:1-6; 2:13)彼らはその手紙をどのように受け入れていましたか。それが彼らを悲しみに,そして悔い改めにまで至らせたということはパウロにとって大きな慰めではありませんか。テトスはこの良い報告を携えてマケドニアのパウロのもとに戻ってきました。今パウロの心は,コリントにいる愛する仲間の信者たちに対する愛に満たされてあふれるほどになっていました。―7:5-7; 6:11。
2 こうしてパウロはコリントの人々にあてて2度目の手紙を書きました。この心温まる,そして力強い第二の手紙はマケドニアで書かれました。そしてテトスによって届けられたものと思われます。(9:2,4; 8:16-18,22-24)パウロにとって気がかりであり,彼にこの手紙を書かせたものの一つは,コリントの人たちの間のいわゆる「優秀な使徒たち」のことでした。彼はこの人々を「偽使徒,欺まんに満ちた働き人」とも呼びました。(11:5,13,14)この比較的に幼い会衆の霊的福祉が危くされ,パウロの使徒としての権威が攻撃されていました。コリントに送られた彼の第二の手紙はそうした点で大きな必要を満たしたのです。
3,4 (イ)パウロ自身はコリントを何度訪ねましたか。(ロ)コリント第二の書はどのような点で今のわたしたちの益になりますか。
3 「わたしがあなた方のところに行く用意をしたのはこれで三度目です」とパウロが述べている点は注目できます。(コリント第二 12:14; 13:1)最初の手紙を書いた時,パウロはコリントへの2度目の訪問を計画していました。しかし,その用意はしたものの,この2度目の「喜びの機会」は実現しませんでした。(コリント第一 16:5。コリント第二 1:15)したがって,実際には,パウロはそこにまだ一度しか行っていませんでした。それは西暦50年から52年にかけて18か月滞在した時であり,その際にクリスチャン会衆がコリントに設立されたのです。(使徒 18:1-18)しかし,パウロは後に,もう一度コリントを訪ねたいとの願いを果たしました。ギリシャに3か月滞在した際,それは恐らく西暦56年と考えられますが,パウロは少なくともその一部をコリントで過ごしました。彼のローマ人への手紙はそこから書き送られました。―ローマ 16:1,23。コリント第一 1:14。
4 コリント第二の書は,コリント第一の書およびパウロの他の書簡と共に,常に,信ぴょう性のある聖書正典の一部とみなされてきました。わたしたちは再度,コリント会衆の内部の様子を見,コリントの人たち,それにわたしたちの訓戒のために与えられたパウロの霊感の言葉から益を受けることができます。
「コリント人への第二の手紙」の内容
5 (イ)パウロは慰めについて何と書きますか。(ロ)いっそうの保証となるどんなことがキリストを通してもたらされましたか。
5 「すべての慰めの神」からの助け(1:1-2:11)。パウロは冒頭のあいさつの中にテモテを含めます。「優しい憐れみの父またすべての慰めの神がほめたたえられますように」とパウロは述べます。「神はすべての患難においてわたしたちを慰めてくださ(る)」のであり,それは,わたしたちがさらに他の人を慰めることができるようになるためです。パウロとその仲間たちは極度の圧迫のもとに置かれ,命の危険を経験してきましたが,神は彼らを救い出してくださいました。コリントの人たちも,彼らのために祈りをささげて彼らを助けることができます。パウロが彼らに手紙を書いているのは,自らの誠実さと神の過分のご親切を確信しているためです。神の数々の約束はイエスによって「はい」となりました。そして神はキリストに属する人たちに油をそそぎ,「来たるべきものの印,つまり霊」をその心にお与えになりました。―1:3,4,20,22。
6 排斥された悪行者で今は悔い改めている人に対してどんな処置を取ることをパウロは助言しますか。
6 最初の手紙の第5章でパウロの注解の対象となった人は明らかに会衆から放逐されました。彼は今は悔い改め,悲しみの情を示しています。それでパウロは,心からの許しを差し伸べてこの悔悛者に対する愛を確証するようにとコリントの人たちに告げます。
7 パウロは自分自身とコリントのクリスチャンのことをどのように述べ,また何を確証していますか。
7 新しい契約の奉仕者としての資格(2:12-6:10)。パウロは自分自身とコリントのクリスチャンのことをキリストと共に凱旋行列に加わっている者として述べています。(コリントの人々は当時,勝利を得た軍隊の行列が進む道に沿ってたかれた芳しい香の香りを知っていました。)命を得る人々に対するクリスチャンの「香り」と滅びゆく人々に対する「香り」には著しい対照があります。『わたしたちは神の言葉を売り歩く者ではない』とパウロは確言します。―2:16,17。
8 (イ)パウロとその同労者たちは奉仕者としてのどんな信任状を携えていましたか。(ロ)新しい契約に伴う奉仕の務めはどのような点で勝っていますか。
8 パウロとその同労者は,コリントの人たちへの,あるいはコリントの人たちからの推薦の手紙など,書類は必要でありません。コリントの信者たち自身が推薦の手紙であり,それは石の書き板にではなく,「肉の書き板に,すなわち心に」書き込まれたものである,とパウロは言明します。神は新しい契約の奉仕者たちに,その奉仕者としての資格を十分に得させてくださいました。書かれた法典は死をもたらすものであり,やがて消え去る栄光しか持たない一時的なものでした。一方,霊をもたらすことは命に至らせ,永続的であり,満ちあふれる栄光が伴っています。「モーセが読まれる」ときイスラエルの子らの心にはベールが掛かっていますが,転じてエホバに向かうときそのベールは取り除かれ,人は「栄光から栄光へと,同じ像に造り変えられて」ゆきます。―3:3,15,18。
9 パウロは宣教奉仕の宝をどのように描写しますか。
9 パウロはさらに続けます。『わたしたちはこの奉仕の務めを自分たちに示された憐れみによって持っています。わたしたちは隠れた事柄を捨て去りました。神の言葉を不純にしてもいません。むしろ,真理を明らかにすることによって自らを推薦してきました。良いたよりの音信にベールが掛けられているとすれば,それは,この事物の体制の神が不信者の思いをくらましているためです。しかし,わたしたちの心は,キリストの顔により,神についての栄光ある知識をもって明るくされています。わたしたちの持つこの宝は何と偉大ではありませんか。それは土の器に入れられていますが,それは普通を超えた力が神のものとなるためです。迫害と苦境のもとで,そうです,死に直面してさえ,わたしたちは信仰を働かせ,あきらめたりはしません。つかの間の患難がわたしたちのために栄光を生み出し,その栄光はいよいよ重みを増す永遠の栄光であるからです。それでわたしたちは見えないものに目を留めてゆきます』― 4:1-18。
10 (イ)パウロはキリストと結ばれた人々について何と述べますか。(ロ)パウロは自分を神の奉仕者としてどのように推薦しますか。
10 パウロはまたこう書きます。『わたしたちは,自分の地的な家が天にある永遠の家に取って代わられることを知っています。それまでの間は,信仰により,また勇気を抱いて進みます。キリストから離れてはいても,わたしたちはキリストに受け入れられることを求めます』。(5:1,7-9)キリストと結ばれている人たちは「新しい創造物」であり,和解の務めをゆだねられています。彼らは「キリストの代理をする大使」です。(5:17,20)パウロはあらゆる点で自分を神の奉仕者として推薦します。どのようにそうしますか。『患難や殴打や労苦や眠らぬ夜などにおける多大の忍耐によって,また,純粋さと,知識と,辛抱強さと,親切さと,聖霊と,偽善のない愛と,真実のことばと,神の力とによってです。そして,貧しいようでありながら多くの人を富ませ,何も持っていないようですべての物を所有しています』― 6:4-10。
11 パウロはどんな助言と警告を与えますか。
11 「神への恐れのうちに神聖さを完成」する(6:11-7:16)。『あなた方を迎えるためわたしたちの心は広げられています』とパウロはコリントの人々に語ります。彼らもまた,その優しい愛情を広くすべきです。しかし一つの警告があります。「不釣り合いにも不信者とくびきを共にしてはなりません」。(6:11,14)光と闇に,またキリストとベリアルにどんな交友があるでしょうか。生ける神の神殿として,彼らは汚れたものから離れ,それに触れることをやめなければなりません。パウロはこう語ります。「肉と霊のあらゆる汚れから自分を清め,神への恐れのうちに神聖さを完成しようではありませんか」― 7:1。
12 パウロはコリントからの知らせを聞いてなぜ喜びましたか。
12 パウロはさらに述べます,「わたしは慰めに満たされており,わたしたちのすべての苦悩のうちにあって喜びにあふれてい(ます)」。(7:4)なぜですか。それはテトスがいてくれたことだけでなく,コリントからの良い知らせ,つまり,彼らの切望,嘆き,パウロに対する彼らの熱心さについての良い知らせのためでもあります。彼は自分の最初の手紙が一時的な悲しみを生じさせたことを認めますが,コリントの人々が悲しんだ結果,救いに至る悔い改めへと進んだことを喜びます。パウロは,テトスと協力したことでコリントの人々をほめます。
13 (イ)パウロは寛大さの手本としてどんな例を挙げますか。(ロ)与えることに関してパウロはどんな原則を論じますか。
13 寛大さは報われる(8:1-9:15)。窮乏した「聖なる者たち」のための寄付に関して,パウロはマケドニアの人々の例を挙げます。非常に貧しかったにもかかわらず示されたその寛大さは,実際には彼らの能力を超えたものでした。パウロは今,主イエス・キリストに対する純粋な愛の証明として,コリントの人々が,与える精神を同じように示すことを望みます。キリストは,彼らが豊かになるようにと,自らは貧しくなったのです。こうして自分の持つところに応じて人に与えることによって均等が図られ,多く持つ者も多すぎることなく,少ししかない者も少なすぎることはなくなります。この親切な贈り物に関連してテトスと他の幾人かの人が彼らのもとに遣わされます。パウロはコリントの人々の寛大さと用意の良さを誇りとしてきました。そして,何かのことでこの惜しみない贈り物を最後まで果たさず,彼らが恥を被るようなことを望みません。そうです,「惜しみなくまく者は豊かに刈り取る」のです。それは心からのものであるべきです。「神は快く与える人を愛される」からです。神は彼らに対する過分のご親切を満ちあふれさせ,あらゆる寛大さのために彼らを富ませることもおできになるのです。「その言いつくしえぬ無償の賜物のゆえに,神に感謝がささげられますように」。―9:1,6,7,15。
14 パウロは自分の使徒職の裏付けとしてどんな点を挙げますか。
14 パウロは自分の使徒職を論証する(10:1-13:14)。パウロは自分が見かけは腰の低い者であることを認めます。しかし,クリスチャンは肉にしたがって戦いをするのではありません。その武器は霊的なものであり,神の知識に逆らう論議を覆すために「神によって強力に」されています。(10:4)ただうわべの価値だけを見て,パウロの手紙は重々しいがその話し方は取るに足りないと言う人たちがいます。そうした人たちは,パウロの行動が手紙による言葉と同じであることを知るべきです。パウロがだれか他の人の区域における業績を誇っているのでないことを,コリントの人々は知るべきです。彼らに対してはパウロが自ら良いたよりを伝えたのです。さらに,もし何かを誇るなら,人はエホバにあって誇るべきです。
15 (イ)パウロは偽使徒に対する非難としてどんな例を挙げますか。(ロ)パウロ自身にはどんな経歴がありますか。
15 パウロは,コリント会衆を,貞潔な処女としてキリストに差し出す責任を感じます。エバが蛇のこうかつさによってたぶらかされたのと同じように,彼らの思いが腐敗させられてしまう危険が存在します。それでパウロはコリント会衆の「優秀な使徒たち」に対することばを強めます。(11:5)彼らは偽使徒です。サタン自身も自分を常に光の使いに変様させていますから,その奉仕者たちが同じことをしても不思議ではありません。しかし,キリストの奉仕者という点で見ると,彼らの経歴はパウロの場合とどのように比較できるでしょうか。パウロは多くのことを忍耐してきました。投獄と殴打と3度に及ぶ難船とさまざまな危険に遭い,眠らなかったことも食物を取らなかったことも幾度もあります。しかし,そうした苦難を経ながらも諸会衆の必要を見失ったことはなく,だれかがつまずいた時にはいつもいきり立ったのです。
16 (イ)パウロは何を誇ることもできますか。しかしなぜ彼はむしろ自分の弱いところについて述べますか。(ロ)パウロは自分が使徒である証拠をどのように示してきましたか。
16 それゆえ,もしだれかが誇るべき理由を持っているとしたら,それはパウロです。コリントにいる他のいわゆる使徒たちは,パラダイスに取り去られて口に出すことのできないことばを聞くというような経験について語れるでしょうか。それでもパウロは自分の弱いところについて語ります。高められたと感じすぎることのないために,彼は「肉体に一つのとげ」を与えられました。パウロはそれを取り除いていただきたいと幾度か懇願しましたが,「わたしの過分の親切はあなたに対してすでに十分である」と言われました。パウロはむしろ自分の弱いところを誇ります。「キリストの力」が天幕のように彼の上にとどまるようにするためです。(12:7,9)そうです,パウロはかの「優秀な使徒たち」に劣ってはいません。コリントの人々は,「あらゆる忍耐により,また,しるしと異兆と強力な業とによって」パウロが彼らの間で示した使徒としての証拠を見ているはずです。パウロは彼らの持ち物を求めているのではありません。テトス,およびパウロの遣わした他の同労者たちが彼らを利用しなかったことにもそれは示されています。―12:11,12。
17 パウロはコリントの人々に対し,結びにどんな訓戒のことばを述べますか。
17 すべての事は彼らを築き上げるためです。しかし,パウロは,自分がコリントに着く時まだ肉の業を悔い改めていない者がいるのではないかという懸念を言い表わします。そして,罪人たちに対し,自分が適切な処置を取り,だれをも惜しみ見たりはしないという点を前もって警告します。また,会衆内のすべての人に対し,自分がイエス・キリストと結びついて信仰のうちにあるかどうかを絶えず吟味するようにと忠告します。パウロとテモテは彼らのために神に祈ります。そしてパウロは,彼らが歓び,一致を回復し,こうして愛と平和の神が共にいてくださることになるように命じます。そして,聖なる者たちからのあいさつと,コリントの人々の霊的な祝福を求める自らの願いを述べて,手紙を結びます。
なぜ有益か
18 クリスチャンは宣教奉仕に対してどんな見方をすべきですか。
18 コリント第二の書の中に言い表わされた,クリスチャンの宣教奉仕に対するパウロの認識は,わたしたちを鼓舞し,大きな励みを与えるではありませんか。わたしたちも彼と同じような見方をしましょう。神によって十分に資格のある者とされたクリスチャンの奉仕者はみ言葉を売り歩く者ではありません。誠実な気持ちから奉仕に携わるのです。そのような奉仕者を推薦するのは,書き記された文書ではなく,その奉仕の務めにおいて結ぶ実です。この奉仕の務めは確かに栄光あるものですが,それゆえに思い上がるべきではありません。不完全な人間である神の僕は,この奉仕の宝を,もろい土の器に入れて持っています。これは,その力が神からのものであることがだれの目にも明らかになるためです。したがって,神の奉仕者であるという栄光ある特権を受け入れるためには謙遜さが求められます。「キリストの代理をする大使」として仕えられるということは,ほんとうに神からの過分のご親切ではありませんか。したがって,「神の過分のご親切を受けながらその目的を逸することがないように」というパウロの勧めのことばはいかにも適切です。―2:14-17; 3:1-5; 4:7; 5:18-20; 6:1。
19 パウロはどんなさまざまな点で今日のクリスチャン奉仕者,特に監督たちに対する優れた模範を残していますか。
19 パウロはクリスチャン奉仕者たちの見倣うべきりっぱな手本を残しました。一つの点として,彼は霊感によるヘブライ語聖書の価値を正しく認めてそれを研究し,繰り返しそれから引用し,それに言及し,またそれを適用しました。(コリント第二 6:2,16-18; 7:1; 8:15; 9:9; 13:1。イザヤ 49:8。レビ記 26:12。イザヤ 52:11。エゼキエル 20:41。サムエル第二 7:14。ホセア 1:10)また,監督の一人として,彼は羊の群れに対する深い配慮を示しました。こう述べています。「わたしとしては,あなた方の魂のために大いに喜んで自分を費やし,また費やし尽くされるつもりです」。記録にはっきり示されるとおり,彼は兄弟たちのために自分を与え尽くしました。(コリント第二 12:15; 6:3-10)コリント会衆のために教え,説き勧め,物事を正したパウロの,そのうむところのない働きを見てください。彼は闇との交友を明確に戒めて,コリント人に,『不釣り合いにも不信者とくびきを共にしてはならない』と語りました。『へびはそのこうかつさによってエバをたぶらかし』ましたが,コリントの人々に対して愛ある関心を抱いたパウロは,彼らの思いが同じようにして腐敗させられてしまうことを望みませんでした。それで,次の,心からの訓戒のことばを述べました。「自分が信仰にあるかどうかを絶えず試しなさい。自分自身がどんなものであるかを絶えず吟味しなさい」。彼はまたクリスチャンとしての寛大さを勧め,「神は快く与える人を愛される」という点を示しました。そして,言いつくしえぬ神の無償の賜物に対して深い認識のこもった感謝を自ら言い表わしました。確かに,コリントの兄弟たちのことは,パウロの心の中の肉の書き板に,愛によって書き記されていたのです。そして,兄弟たちのためのその惜しみない奉仕こそ,彼が熱心で十分に目ざめた監督であることを示すものでした。今日のわたしたちに対するほんとうに優れた模範ではありませんか。―6:14; 11:3; 13:5; 9:7,15; 3:2。
20 (イ)パウロはどのようにしてわたしたちの思いを正しい方向に向けさせますか。(ロ)コリント第二の書はどんな栄光ある希望を指摘していますか。
20 使徒パウロは,「優しい憐れみの父またすべての慰めの神」が試練のさいの真の力の源であることを指摘してわたしたちの思いを正しい方向に向けさせます。「すべての患難においてわたしたちを慰めてくださり」,新秩序への救いのために忍耐できるようにしてくださるのは神です。パウロはまた,「神からの建物,手で作ったものではなく,天にあって永遠に続く家」という栄光ある希望をも指摘して,こう語ります。「キリストと結ばれている人がいれば,その人は新しい創造物です。古い事物は過ぎ去りました。見よ,新しい事物が存在しているのです」。パウロと同じように天の王国を受け継ぐ人々にとって,コリント第二の書は確かにすばらしい保証の言葉を含んでいます。―1:3,4; 5:1,17。
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聖書の48番目の書 ― ガラテア人への手紙『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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聖書の48番目の書 ― ガラテア人への手紙
筆者: パウロ
書かれた場所: コリント,またはシリアのアンティオキア
書き終えられた年代: 西暦50-52年ごろ
1 ガラテア人への書はどの会衆にあてられたものですか。それらの会衆はいつまたどのようにして組織されましたか。
パウロがガラテア 1章2節で言及しているガラテアの諸会衆の中には,ピシデアのアンティオキア,イコニオム,ルステラ,デルベなどの会衆が含まれていたものと思われます。これらは異なった地域にある場所ですが,すべてはローマのガラテア州に属していました。使徒 13章と14章は,この地域におけるパウロとバルナバの最初の宣教旅行の模様を伝えています。その宣教旅行の結果として,ガラテアの諸会衆が組織されました。それらの会衆はユダヤ人や,恐らくケルト人,もしくはゴール人を含め,非ユダヤ人が混じり合って構成されていました。これは,西暦46年ごろの,パウロのエルサレム訪問の少し後のことでした。―使徒 12:25。
2 (イ)パウロの2回目のガラテア旅行にはどんな結果がありましたか。しかしその後にどんな事が起きましたか。(ロ)その間にパウロは旅行をどこまで進めていましたか。
2 西暦49年,パウロとシラスは,ガラテア地方へのパウロの2度目の宣教旅行にたちました。これは,『諸会衆が信仰を堅くされ,日ごとに人数を増す』という結果になりました。(使徒 16:5; 15:40,41; 16:1,2)しかしながら,そのすぐ後を追うようにしてやって来たのは,ユダヤ教化を図る偽教師たちでした。彼らは割礼,およびモーセの律法を守ることが真のキリスト教の基本的な事柄であることをガラテアの諸会衆の一部の人々に信じ込ませようとしました。その間に,パウロは旅行を続けてミシアを通り,マケドニアからギリシャに入っていました。やがてコリントに着き,そこで兄弟たちと共に18か月以上過ごしました。次いで西暦52年,彼はエフェソス経由でシリアのアンティオキアに向かいました。そこは彼の本拠地であり,同じ年の内にそこに着きました。―使徒 16:8,11,12; 17:15; 18:1,11,18-22。
3 ガラテア人への書はいつ,またどこで書かれたと考えられますか。
3 パウロはガラテア人への手紙をいつまたどこで記したのでしょうか。それを書いたのは,ユダヤ教化を図る人々の活動に関する知らせが届いてすぐ後のことであるに違いありません。それは,コリントか,エフェソスか,シリアのアンティオキアであったであろうと考えられます。特にそれは,西暦50年から52年にわたる18か月間のコリント滞在中のことではないかと思われます。ガラテアからの情報が彼のいる所にまで達するには時間がかかったからです。そして,恐らくエフェソスではなかったであろうと考えられます。そこへは,旅の帰途ほんのわずかのあいだ滞在しただけだからです。しかし,その後に彼は,自分の本拠地であるシリアのアンティオキアで「しばらく過ごして」います。それは明らかに西暦52年の夏であり,この都市と小アジアとの間の交信は容易でしたから,パウロがユダヤ教化を図る人々に関する報告をここで受け,そこにいる間に,つまりシリアのアンティオキアからガラテア人への手紙を書いた,というのもありうることです。―使徒 18:23。
4 ガラテア人への書はパウロの使徒職についてどんなことを明らかにしていますか。
4 この手紙は,使徒パウロについて,「人々からではなく,人を通してでもなく,ただイエス・キリストと……父なる神とによって使徒とされたパウロ」と述べています。この手紙はまた,パウロの生涯とその使徒としての立場について多くの点を明らかにし,使徒の一人として彼がエルサレムにいる使徒たちと一致して働いたこと,また使徒の一人であるペテロを正す権威をさえ行使したことを示しています。―ガラテア 1:1,13-24; 2:1-14。
5 ガラテア人への書の信ぴょう性と正典性を論証するものとしてどんな事実がありますか。
5 「ガラテア人への手紙」の信ぴょう性や正典性を支持する論拠となるどんな事実がありますか。この手紙はイレナエウス,アレクサンドリアのクレメンス,テルトゥリアヌス,およびオリゲネスの著作の中で,その名称により言及されています。その上,この手紙は,次に挙げる,重要度の高い聖書写本の中に含まれています。それはシナイ写本,アレクサンドリア写本,バチカン写本1209,エフラエム・シリア重記写本,クレルモン写本,チェスター・ビーティー・パピルス2(P46)です。さらに,この手紙は,ギリシャ語聖書中の他の書,それにこの手紙が繰り返し言及している,ヘブライ語聖書とも完全に調和しています。
6 (イ)ガラテア人への手紙はどんな二つの点を確証していますか。(ロ)この手紙の書き方はどんな点で他と異なっていますか。この手紙は何を強調していますか。
6 「ガラテアの諸会衆」にあてた,力強くて積極的なこの手紙の中で,パウロは次の2点を論証しています。(1)彼は真実の使徒であること(ユダヤ教化を図る人々はこの点を疑おうとしていた),(2)義とされるのは,キリスト・イエスに対する信仰によるのであり,律法の業によるのではないこと,それゆえに,クリスチャンにとって割礼は必要でないこと。パウロは自分の書簡を秘書に書かせるのが習慣でしたが,ガラテア人への書は,自ら『自分の手をもって大きな文字で』書き記しました。(6:11)この書の内容は,パウロにとっても,ガラテアの人々にとっても極めて重要なものでした。この書は真のクリスチャンがイエス・キリストを通して得られる自由を正しく評価すべきことを強調しています。
「ガラテア人への手紙」の内容
7,8 (イ)パウロは良いたよりについてどんなことを論じますか。(ロ)無割礼の人々への使徒としてのパウロの立場はどのように確認されましたか。彼はケファに関連して自分の権威をどのように実際に示しましたか。
7 パウロは自分の使徒職を擁護する(1:1-2:14)。ガラテアの諸会衆へのあいさつを送った後,パウロは,ガラテアの人々が別の種類の良いたよりへと余りにも早く移されてゆくことに対する驚きを言い表わし,確固たる態度で次のように言明します。「たとえわたしたちや天からのみ使いであろうと,わたしたちが良いたよりとして宣明した以上のことを良いたよりとしてあなた方に宣明するとすれば,その者はのろわれるべきです」。彼が宣明した良いたよりは人間的なものではなく,また,「イエス・キリストの啓示による以外には」他から教えられたものでもありません。以前,ユダヤ教の熱心な唱導者であった当時のパウロは神の会衆を迫害していました。しかしその時,神はその過分のご親切によって彼を召し,み子についての良いたよりを諸国民に宣明する者とされました。彼がエルサレムに上ったのは転向3年後のことであり,その時には,使徒の中ではただペテロに会い,ほかに主の兄弟ヤコブに会いました。ユダヤの諸会衆はパウロについて聞き,彼のことで「神の栄光をたたえるように」なってはいましたが,彼にじかに会ったことはありませんでした。―1:8,12,24。
8 その14年後,パウロは再びエルサレムに上り,自分の宣べ伝えていた良いたよりを個人的に説明しました。パウロの仲間であるテトスはギリシャ人でしたが,割礼を受けるよう要求されませんでした。ヤコブとケファとヨハネは,ちょうどペテロが割礼のある人々に対する良いたよりを託されたのと同じように,パウロが無割礼の人々に対する良いたよりを託されているのを知った時,共に分かち合うしるしとしてパウロとバルナバに右手を差し伸べ,パウロとバルナバは諸国民のもとへ,彼らのほうは割礼のある人々のもとへ行くことになりました。ケファがアンティオキアに来て,割礼組への恐れのために「良いたよりの真理にしたがって」まっすぐ歩まなかった時,パウロはすべての人の前で彼を叱責しました。―2:14。
9 クリスチャンは何に基づいて義と宣せられますか。
9 律法ではなく,信仰によって義と宣せられる(2:15-3:29)。わたしたちユダヤ人は,「人が義と宣せられるのは律法の業によるのではなく,ただキリスト・イエスに対する信仰を通してである」ことを知っている,とパウロは論じます。今パウロはキリストと結びついた者として生きており,神のご意志を行なうため信仰によって生きています。「義が律法を通してであるなら,キリストは実際にはいたずらに死んだことになってしまうのです」。―2:16,21。
10 神の祝福を受けるために大切なものは何ですか。それで,律法の目的は何でしたか。
10 ガラテアの人々は,信仰のゆえに霊を受けることで始めながら,律法の業によって神への奉仕を終えることができると信じるほど無分別なのですか。重要なのはアブラハムの場合のように,信仰によって聞くことです。彼は「エホバに信仰を置き,彼に対してそれは義とみなされ」ました。今や,神の目的によると,「信仰を堅く守る者は,忠実なアブラハムと共に祝福されて」います。そうした人々は,杭の上でのキリストの死によって律法ののろいからは解放されています。キリストがアブラハムの胤であり,430年後に立てられた律法はその胤に関する約束を廃するものではありません。では,律法にはどんな目的がありましたか。それは「わたしたちをキリストに導く養育係となったのであり,それは,わたしたちが信仰によって義と宣せられるため」でした。今わたしたちはもはや養育係のもとにはおらず,またユダヤ人とギリシャ人の間の区別もありません。すべての者はキリスト・イエスと結ばれて一人となっており,また「まさにアブラハムの胤であ(って),約束に関連した相続人」です。―3:6,9,24,29。
11 (イ)ガラテア人はどんなものから解き放されたことを見落としていますか。(ロ)パウロはクリスチャンの自由をどのように例証していますか。
11 キリスト教の自由のうちに堅く立ちなさい(4:1-6:18)神は律法のもとにある人々を釈放するためにみ子を遣わされました。それは,それらの人々が「養子とされる」ためでした。(4:5)それゆえ,なぜ弱くて貧弱な基礎の事柄への奴隷状態に逆戻りするのですか。今や,ガラテアの人々が日と月と季節と年を守っているので,パウロは彼らのための自分の働きが無駄になったのではないかと懸念します。パウロが初めて訪ねた時,彼らはパウロを神のみ使いのように迎えました。今やパウロは真理を告げるがゆえに彼らの敵となったのですか。律法のもとにいることを願う人々は,律法が次のように述べることを聞きなさい。アブラハムは二人の女によって二人の息子を得ました。一方の女,下女のハガルは,モーセの律法契約によりエホバと結ばれた肉のイスラエル国民に相当し,その契約は奴隷となる子供たちを生み出します。しかし,自由の女サラは上なるエルサレムに相当し,その女は「自由であって,それがわたしたちの母です」と,パウロは述べます。「聖書は何と言っていますか」とパウロは尋ねます。それは,『下女の子が自由の女の子と一緒に相続人となることは決してありません』と言っています。それでわたしたちは,下女の子供ではなく,「自由の女の」子供なのです。―4:30,31。
12 (イ)ガラテア人は今何によって歩まねばなりませんか。(ロ)パウロは重要な点としてどんな二つのものを対照的に述べますか。
12 割礼を受けているか,無割礼であるかは問題ではなく,大切なのは愛を通して働く信仰であるとパウロは説明します。律法全体は,「隣人を自分自身のように愛さねばならない」ということばのうちに全うされます。霊によって歩んでゆきなさい。「霊に導かれているのであれば,あなた方は律法のもとにはいない」のです。肉の業について,パウロはあらかじめ警告します。つまり,「そのような事柄を習わしにする者が神の王国を受け継ぐことはありません」。それとは鮮やかな対照をなすものとして,パウロは霊の実について描写します。霊の実を非とする律法はありません。そして,「霊によって生きているのであれば,また霊によって整然と歩んでゆきましょう」とパウロは付け加えます。自己本位の態度とそねみを捨て去りなさい。―5:14,18,21,25。
13 キリストの律法はどのように全うされますか。関心を持つべき重要な点は何ですか。
13 人が知らないで何か誤った歩みをする場合,霊的な資格のある人々は「温和な霊」をもってその人を立ち直らせることに努めなければなりません。クリスチャンは互いの重荷を負い合うことによってキリストの律法を全うしますが,各々自分の業がどんなものかを吟味して各自の荷を負わなければなりません。人は自分のまくものにしたがって刈り取ります。肉から腐敗を刈り取るか,霊から永遠の命を刈り取るかのいずれかです。ガラテアの人々に割礼を受けさせようとしている人々は,ただ人を喜ばせて迫害を避けようとしているのです。関心を持つべき重要な点は,割礼の有無ではなく,新たに創造されることです。平和と憐れみは,この行動の規準に従って整然と歩む人々,すなわち,「神のイスラエル」の上にあります。―6:1,16。
なぜ有益か
14 パウロは監督たちのためにどんな手本を示していますか。
14 ガラテア人への手紙は,以前は荒らしまわる迫害者でありながら,諸国民への機敏な使徒となり,兄弟たちの益のために常に闘う備えのできた者となったパウロについて明らかにしています。(1:13-16,23; 5:7-12)パウロは,監督が問題を扱うために速やかに行動し,論理と聖書とによって虚偽の論議を抑えるべきことを手本で示しました。―1:6-9; 3:1-6。
15 この手紙はガラテアの諸会衆にとってどのように有益でしたか。今日のクリスチャンに対してどんな指針を与えていますか。
15 この手紙は,キリストにおける自由をはっきりと確立し,良いたよりをねじ曲げる人々を信用しないようにする点で,ガラテアの諸会衆にとって有益なものでした。この手紙はまた,人は信仰によって義と宣せられるのであって,救いを得るのに割礼はもはや必要ではないことを明らかにしました。(2:16; 3:8; 5:6)そうした肉的な区別を取りのけることによって,この手紙はユダヤ人と異邦人を一つの会衆の中に一致させる働きをしました。律法からの自由は肉の欲望のための誘いとすべきものではありませんでした。「隣人を自分自身のように愛さねばならない」という原則は依然有効だったからです。それは今日のクリスチャンにとっても指針として依然有効です。―5:14。
16 ヘブライ語聖書について,信仰を築くどんな説明がガラテア人への書の中に見いだせますか。
16 パウロのこの手紙は教理に関連した多くの点でガラテア人を助けるものであり,強力な例証としてヘブライ語聖書を引用しています。この手紙は,イザヤ 54章1節から6節に霊感による注釈を加え,エホバの女とは「上なるエルサレム」であることを明らかにしています。また,ハガルとサラに関する「象徴的な劇」について説明し,律法の束縛のもとに残っている人々ではなく,キリストによって自由にされた人々が神の約束の相続者であることを示します。(ガラテア 4:21-26。創世記 16:1-4,15; 21:1-3,8-13)この手紙は,律法契約がアブラハム契約を無効にしたのではなく,その契約に付け加えられたものであることをはっきり説明しています。また,それら二つの契約の成立には430年間の隔たりがあることも指摘しています。これは聖書の年代計算の上で重要です。(ガラテア 3:17,18,23,24)こうした記録は,今日のクリスチャンたちの信仰を築き上げるために保存されました。
17 (イ)ガラテア人への書はどんな重要な点を明らかにしていますか。(ロ)王国の相続者とその同労者に対してどんな優れた訓戒が与えられていますか。
17 最も大切な点として,ガラテア人への書は,すべての預言者が指摘した王国の胤がだれであるかを明確に示しています。「その約束はアブラハムとその胤に語られました。……それはキリストのことなのです」。キリスト・イエスに対する信仰によって神の子となる人々は,この胤の中に加えられることが示されています。「キリストに属しているのであれば,あなた方はまさにアブラハムの胤であり,約束に関連した相続人です」。(3:16,29)ガラテア人への書に含まれる数々の優れた訓戒のことばは,それら王国の相続者ならびに共に労する人々も注意を払うべきものです。『キリストが得させてくださった自由のうちに堅く立ちなさい』。『りっぱなことを行なう点であきらめないようにしなさい。うみ疲れてしまわないなら,しかるべき時節に刈り取ることになるからです』。「すべての人,ことに信仰において結ばれている人たちに対して,良いことを行なおうではありませんか」。―5:1; 6:9,10。
18 ガラテア人への書の終わりにどんな強力な警告と訓戒が与えられていますか。
18 最後に,肉の業を習わしにする者は『神の王国を受け継がない』という強力な警告があります。したがって,すべての人は世の汚れや闘争から完全に離れ,「愛,喜び,平和,辛抱強さ,親切,善良,信仰,温和,自制」などの霊の実を生み出すことにひたすら心を留めましょう。―5:19-23。
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聖書の49番目の書 ― エフェソス人への手紙『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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聖書の49番目の書 ― エフェソス人への手紙
筆者: パウロ
書かれた場所: ローマ
書き終えられた年代: 西暦60-61年ごろ
1 パウロはエフェソス人への手紙をいつ,どんな状況下で書きましたか。
自分が獄の中にいると想像してください。クリスチャン宣教者としての熱心な活動のために迫害を受け,そのためにそこにいるのです。もはや旅行して諸会衆を訪ね,それを強めるために働くことはできません。あなたはどうしますか。あなたの伝道活動を通してクリスチャンとなった人々に手紙を書くことはできないでしょうか。それらの人々は,あなたがどうしているだろうかと案じているのではないでしょうか。あるいは,励ましを必要としているようなことはないでしょうか。もちろんそうしたことも考えられます。こうしてあなたは手紙を書きはじめます。あなたは今,西暦59年から61年ごろ,ローマで最初の投獄を経験していた時の使徒パウロとまさに同じことをしているのです。パウロはその時カエサルに上訴していました。審理を待つ身であり,警護のもとに置かれていましたが,ある程度の活動の自由はありました。パウロは「エフェソス人への手紙」をローマから書き送りました。それは西暦60年もしくは61年であったでしょう。それをテキコに持たせ,そのテキコにはオネシモが同行しました。―エフェソス 6:21。コロサイ 4:7-9。
2,3 パウロがその筆者であること,またエフェソス人への書の正典性を何がはっきり証明していますか。
2 パウロは初めの言葉の中で自分がその筆者であることを明らかにし,自分が「主にあって囚人となっている」ことを4度言及もしくは暗示しています。(エフェソス 1:1; 3:1,13; 4:1; 6:20)パウロが筆者であることを否定する論議は無に帰しています。大体西暦200年以降の作と考えられている,チェスター・ビーティー・パピルス2(P46)には,パウロの書簡を含む冊子本のうちの86葉が入っています。その中にはエフェソス人への書簡も含まれているので,それはこの書が当時パウロの手紙の一つとして分類されていたことを示しています。
3 初期の教会著述家たちも,パウロがこの手紙を書いたこと,またそれが「エフェソス人へ」あてられたものであったことを確証しています。例えば,西暦2世紀の人イレナエウスはエフェソス 5章30節を引用して次のように述べています。「祝福されたパウロがエフェソス人への書簡の中で述べているとおり,わたしたちは彼の体の肢体である」。アレクサンドリアのクレメンスも同時代の人ですが,エフェソス 5章21節を引用してこう伝えています。「また,そのような理由で,彼はエフェソス人への書簡の中で,神への恐れのうちに互いに服し合いなさい,と書いている」。オリゲネスは,西暦3世紀前半の著作の中で,エフェソス 1章4節を引用してこう述べています。「しかしまた,使徒は,エフェソス人への書簡の中で,同じ語法を使い,世の基が置かれる以前からわたしたちを選んだ方について述べている」。a 初期キリスト教史の別の権威者であるエウセビオス(西暦260年ごろ-340年ごろ)も,エフェソス人への書を聖書の正典の中に含めており,他のたいていの初期の教会著述家たちも,エフェソス人への書を,霊感による聖書の一部として,この書に言及しています。b
4 ある人々はどんな理由で,エフェソス人への手紙がどこかほかの所にあてられたものではないかと考えていますか。エフェソスがそのあて先であることをどんな証拠が裏付けていますか。
4 チェスター・ビーティー・パピルス,バチカン写本1209,およびシナイ写本は,1章1節の「エフェソスに」という言葉を省いており,この手紙のあて先を示していません。このことと,エフェソスのいろいろな人へのあいさつのことばがない(パウロがエフェソスで3年間労した後なのに)ということから,ある人々は,この手紙はどこかほかの所にあてられたのではないか,あるいはせいぜいエフェソスを含む小アジア諸会衆あての回覧用の手紙ではないかと考えています。しかし,他のたいていの写本は「エフェソスに」という言葉を含んでおり,また,既に注目したとおり,初期の教会著述家は,これをエフェソス人への手紙として受け入れていました。
5 パウロ時代のエフェソスにはどんな特筆すべき点がありましたか。
5 多少の背景的な知識を得ると,この手紙の目的を理解するのに役立ちます。西暦1世紀当時のエフェソスは,呪術,魔術,占星術,豊穣の女神アルテミスの崇拝などで知られていました。c その女神の彫像の周りには,古代世界の七不思議の一つとされた壮麗な神殿が建てられていました。19世紀に行なわれたその遺跡の発掘調査によれば,その神殿は幅約73㍍,長さ約127㍍の基壇の上に建てられていました。神殿そのものは幅約50㍍,長さ約105㍍あり,その内部には各々高さ約17㍍の大理石の円柱が100本立っていました。その屋根は大きな白色大理石のかわらでふかれていました。積み重ねた大理石の継ぎ目にはしっくいの代わりに金が使われていたと言われます。この神殿は世界じゅうから旅行者を集め,祭りの時には何十万人にも上る訪問者が市にあふれました。エフェソスの銀細工人は,巡礼者のみやげ用にアルテミスの銀製の小さな宮を売って大きな利益を上げていました。
6 パウロはエフェソスでどの程度の活動をしましたか。
6 パウロは2度目の宣教旅行のさい,伝道の目的で短期間エフェソスを訪ねたことがありました。その時に,アクラとプリスキラをそこに残して業を続けさせました。(使徒 18:18-21)パウロは3回目の宣教旅行の途上再びこの地を訪ねて,今度は約3年滞在し,多くの人に「この道」について教え,また宣べ伝えました。(使徒 19:8-10; 20:31)パウロはエフェソスで刻苦して働きました。A・E・ベイリーは自著,「聖書時代の日常生活」(英文)の中で,こう書いています。「パウロは日の出から午前11時までその手職に携わるのが常であった。(使徒 20:34,35)その時刻までに,ツラノは自分の講義を終えていた。それで,午前11時から午後4時までは,その講堂で伝道し,また他の援助者たちと協議をした。……そして最後に戸別訪問による福音宣明活動をし,それが午後4時から夜遅くまで続いた。(使徒 20:20,21,31)寝食の時間をいつ見いだしたのだろうと思えるほどであった」― 1943年,308ページ。
7 パウロの熱心な伝道の結果としてどんな事が起きましたか。
7 この熱心な伝道活動を通して,パウロは,崇拝に像を使用することのむなしさを暴露しました。これは,銀細工人デメテリオをはじめ,そうした物を製造,販売している人々の憤りをあおり,ついにその騒動の中でパウロはその市を去らねばなりませんでした。―使徒 19:23-20:1。
8 エフェソス人へのパウロの手紙はどんな点でたいへん時宜を得たものでしたか。
8 さて,パウロは,獄にいる間に,威容を誇るアルテミスの神殿のすぐ近くにあって,異教の崇拝者たちに囲まれていた,エフェソス会衆の直面する問題について考えます。パウロはここで,それらの油そそがれたクリスチャンに適切な例えを述べて,彼らはエホバがご自分の霊によって住まれる「聖なる神殿」となっていることを示していますが,確かに彼らはこの例えを必要としていました。(エフェソス 2:21)エフェソス人に明らかにされている,神の管理(神がご自分の家の事柄を処理する方法)に関する「神聖な奥義」は,彼らに大きな感動と慰めを与えるものだったに違いありません。神はその管理を実施し,イエス・キリストを通して一致と平和を回復させようとしておられたのです。(1:9,10)パウロは,キリストにおけるユダヤ人と異邦人の結合を強調します。彼は一致,一つになることを説き勧めます。こうしてわたしたちは今や,この書の目的,価値,またこの書が明らかに霊感を受けて記されたものであることを認識できます。
「エフェソス人への手紙」の内容
9 神はご自分の愛をどのように満ちあふれさせておられますか。パウロは何を祈りますか。
9 キリストによって一致をもたらす神の目的(1:1-2:22)。使徒であるパウロはあいさつを送ります。神はその栄光ある過分のご親切のゆえにほめたたえられるべきです。そのご親切は,神が彼らを選んで,イエス・キリストと結びつくようにさせてくださったことと関係があります。彼らはこのイエス・キリストにより,その血を通して,贖いによる釈放を得ているのです。さらに,神はご自分の意志に関する神聖な奥義を知らせることによって,彼らに対してご自分の愛をあふれさせてくださいました。神は管理,つまり『すべてのものをキリストにおいて再び集めること』を意図しておられるからです。このキリストと結ばれた彼らは相続人にも指定されました。(1:10)そのことの事前のしるしとして,彼らは聖霊によって証印を押されています。彼らが自分たちの召された希望をしっかり確信するようになり,また神がキリストを復活させて,あらゆる政府と権威のはるか上に置き,彼を会衆に対してすべてのものの頭とした時に用いたのと同じ力を彼らに対しても用いてくださることを彼らが悟るようになることをパウロは祈ります。
10 どのようにしてエフェソスの人々は「聖なる者たちと同じ市民」になりましたか。
10 彼らはその罪過と罪のうちに死んでいましたが,神はその豊かな憐れみと大いなる愛とのゆえに彼らを生かし,「キリスト・イエスとの結びつきにおいて」彼らを「天の場所に共に座らせて」くださいました。(2:6)これはすべて過分のご親切と信仰とによるのであり,彼ら自身の何らかの業の結果ではありません。キリストは彼らの平和であり,異邦人とユダヤ人を隔てていた壁,つまりおきての律法を打ち壊しました。今や,双方の民はキリストを通して父に近づくことができます。したがって,エフェソスの人々はもはや外国人ではなく,「聖なる者たちと同じ市民」であり,成長して,エホバが霊によって住まれる聖なる神殿に成長してゆきます。―2:19。
11 「神聖な奥義」とは何ですか。パウロはエフェソスの人々のために何を祈りますか。
11 「キリストの神聖な奥義」(3:1-21)。神は今や,ご自分の聖なる使徒と預言者たちに,「キリストの神聖な奥義」を啓示されました。「すなわちそれは,諸国の人々が良いたよりを通してキリスト・イエスと結ばれて,共同の相続人,同じ体の成員,わたしたちと共に約束にあずかる者となる,ということです」。(3:4,6)神の過分のご親切によってパウロはそのことの奉仕者となり,キリストの測りがたい富について宣明し,神聖な奥義がどのように管理されるかを人々に見させる者となりました。そして,きわめて多様な神の知恵は会衆を通して知らされます。このゆえに,パウロは,彼らが神の霊による力によって強力な者となり,こうして彼らが,知識を超越したキリストの愛を十分に知り,神は「わたしたちが求めまた思うところのすべてをはるかに超えてなしうる」方であることを悟るようにと祈ります。―3:20。
12 (イ)クリスチャンはどのように歩むべきですか。なぜですか。(ロ)キリストはどんな賜物を与えておられますか。その目的は何ですか。(ハ)「新しい人格」を着けることには何が関係していますか。
12 「新しい人格」を着ける(4:1-5:20)。クリスチャンは,へりくだった思い,辛抱強さと愛,そして結合のきずなである平和のうちに,自分の受けた召しにふさわしく歩むべきです。霊は一つ,希望は一つ,信仰は一つであり,また,「すべての者の神また父は一つであり,すべての上に,すべてを通し,すべての中におられる」からです。(4:6)それで,ただひとりの「主」キリストは,「奉仕の業のため,またキリストの体を築き上げるために聖なる者たちをさらに調整することを目的として」,預言者,福音宣明者,牧者,教える者たちをお与えになりました。それでパウロは,体が調和よく組み合わされ,すべての部分が協力しているように,「わたしたちは真理を語りつつ,愛により,すべての事において,頭であるキリストを目ざして成長してゆきましょう」と書きます。(4:5,12,15)古い人格に伴う,不道徳で,無益で,無知なやり方は捨て去るべきです。人は各々思いを活動させる力において新たにされ,「神のご意志にそいつつ真の義と忠節のうちに創造された新しい人格を着けるべき」です。すべての人は互いのものですから,それぞれ真実を語り,憤り,盗み,腐ったことば,悪意のある苦々しさなどを捨て去り,神の聖霊を憂えさせることのないようにしなければなりません。むしろ,『互いに親切にし,優しい同情心を示し,神がキリストによって惜しみなく許してくださったように,互いに惜しみなく許し合う』べきです。―4:24,32。
13 神を見倣う者となるために,人は何を行なわねばなりませんか。
13 すべての人は神を見倣う者となるべきです。淫行,汚れ,貪欲などは,自分たちの間では口に出すことさえ避けるべきです。そうしたことを行なう者は王国に何の相続財産もありません。パウロはエフェソスの人々にこう訓戒します。「光の子供として歩んでゆきなさい」。自分の歩き方を「しっかり見守(り)」,よい時を買い取りなさい。「今は邪悪な時代だからです」。そうです,「何がエホバのご意志であるかを見分けてゆき」,感謝のこもった態度で神への賛美を語らなければなりません。―5:8,15-17。
14 夫と妻にはそれぞれどんな責任がありますか。
14 ふさわしい服従; クリスチャンの闘い(5:21-6:24)。会衆がキリストに服しているように,妻は夫に服しているべきです。また,「キリストが会衆を愛(された)のと同じように」,夫は妻を愛し続けるべきです。同様に,「妻は夫に対して深い敬意を持つべきです」。―5:25,33。
15 子供と親,奴隷と主人,またクリスチャンの武具についてパウロはどんなことを助言しますか。
15 子供は親に従い,親と一致して生活し,神からの懲らしめにこたえ応じるべきです。奴隷やその主人も,神を喜ばせるように行動すべきです。すべての者の主人である方が「天におられ……その方に不公平はない」からです。終わりに,すべての者は,「主にあって,またその力の強大さによって強くなってゆきなさい」。完全にそろった,神からの武具を身に着け,悪魔にしっかり立ち向かえるようにすべきです。「何よりも,信仰の大盾を取りなさい」。また,「霊の剣,すなわち神の言葉を受け取りなさい」。祈りつづけ,目ざめていなさい。パウロは自分のためにも祈ってもらいたいと彼らに求めます。それは,少しもはばかりのないことばで「良いたよりの神聖な奥義を知らせることができるように」するためです。―6:9,10,16,17,19。
なぜ有益か
16 エフェソス人への手紙の中ではどんな問いに対する実際的な答えが与えられていますか。神に喜ばれる人格に関してどんなことが述べられていますか。
16 エフェソス人への書簡は,クリスチャンの生活のほとんどすべての面に触れています。今日の世界の苦悩に満ちる問題や非行の増大を見ると,パウロの健全で実際的な忠告は,敬虔な生活を送ろうとする人にとってほんとうに有益なものです。子供は親に対し,また親は子供に対してどのように振る舞うべきですか。夫は妻に対し,妻は夫に対してそれぞれどんな責任を持っていますか。会衆内の個々の人は,愛のうちに一致を守り,邪悪な世界の中にあってクリスチャンとしての清さを保つために何をしなければなりませんか。パウロの助言はこれらのすべてに答え,さらにパウロは,クリスチャンとしての新しい人格を着けることに何が関係しているかを示します。エフェソス人への書の研究を通して,すべての人は,神に喜ばれ,「神のご意志にそいつつ真の義と忠節のうちに創造され(る)」新しい人格がどのようなものであるかを本当に認識できるでしょう。―4:24-32; 6:1-4; 5:3-5,15-20,22-33。
17 エフェソス人への手紙は会衆内の取り決めと協力することに関してどんなことを示していますか。
17 この手紙はまた,会衆内でいろいろな任命がなされることの目的をも示しています。それは,「奉仕の業のため,またキリストの体を築き上げるために聖なる者たちをさらに調整することを目的として」います。それは円熟性を目ざしています。こうした会衆内の取り決めに十分に協力することによって,クリスチャンは「愛により,すべての事において,頭であるキリストを目ざして成長して」ゆくことができます。―4:12,15。
18 「神聖な奥義」と霊的な神殿に関してどんなことが明らかにされていますか。
18 エフェソス人への手紙は,「キリストの神聖な奥義」に対する理解を深める上で初期の会衆に大きな益を与えました。信仰を抱いたユダヤ人と共に,「諸国の人々が良いたよりを通してキリスト・イエスと結ばれて,共同の相続人,同じ体の成員……共に約束にあずかる者」となっていることがこの手紙の中で明らかにされています。仕切りの壁,つまり異邦人とユダヤ人を隔てていた「おきての律法」が廃棄され,今やキリストの血によって,すべての者が聖なる者たちと同じ市民,ならびに神の家族の成員となりました。異教のアルテミスの神殿とは明確な対照をなすものとして,それらの人はキリスト・イエスと結びあって共に築き上げられ,神が霊によって住まれる場所,「エホバのための聖なる神殿」となりました。―3:4,6; 2:15,21。
19 エフェソス人への書は今日に至るまでどんな希望と励ましを与え続けていますか。
19 パウロはまた,「神聖な奥義」に関して,「管理……すべてのもの,天にあるもの[天の王国に入るよう選ばれた人たち]と地にあるもの[王国の領域の地上で生きる人たち]を,キリストにおいて再び集めること」についても語りました。こうして,平和と一致を回復する神の偉大な目的が再び前面に出されています。このことに関連してパウロはエフェソスの人々のために祈りました。それは,心の目を啓発されていた彼らが,神に召されて受けた自分たちの希望を十分把握し,「聖なる者たちのための相続財産として神が擁しておられる栄光ある富は何か」を知るようになるためです。これらの言葉は希望を抱く彼らを大いに強めたはずです。そして,エフェソスの人々にあてて記された霊感の手紙は,今日の会衆にとっても引き続き築き上げるものとなっています。それは,『わたしたちが神の与えてくださる満ち満ちたさまに余すところなく満たされる』ためです。―1:9-11,18; 3:19。
[脚注]
a 「聖書各書の起源と歴史」(英文),1868年,C・E・ストー,357ページ。
b 「新聖書辞典」(英文),1986年,第2版,J・D・ダグラス編,175ページ。
c 「聖書に対する洞察」(英文),第1巻,182ページ。
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聖書の50番目の書 ― フィリピ人への手紙『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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聖書の50番目の書 ― フィリピ人への手紙
筆者: パウロ
書かれた場所: ローマ
書き終えられた年代: 西暦60-61年ごろ
1 (イ)どのようないきさつでフィリピの人々は良いたよりに接しましたか。(ロ)フィリピ市に関しては,どんな興味深い歴史的な背景がありますか。
使徒パウロは幻の中で,マケドニアに行って良いたよりを伝えるようにとの召しを受けた時,その仲間の者たち,つまりルカ,シラス,および年若いテモテと共に,すぐその召しに従いました。一行は小アジアのトロアスから船でネアポリスに渡り,そこから直ちに,峠を一つ越えて15㌔ほど内陸にあるフィリピに向かいました。ルカはこの都市を,「マケドニア地区の主要都市」と描写しています。(使徒 16:12)この都市はマケドニア王フィリップ2世(アレクサンドロス大王の父)の名にちなんでフィリピと名づけられました。フィリップ2世は西暦前356年にこの都市を攻略しました。後にローマ人がここを占領しました。ここは西暦前42年に決定的な戦いが行なわれた場所であり,その戦いによって地位を堅めたオクタウィウスは,後にカエサル・アウグスツスとなりました。この勝利の記念として,彼はフィリピをローマの植民市としました。
2 フィリピにおける使徒パウロの伝道はどのような進展を見ましたか。その地の会衆の誕生に伴ってどんな出来事がありましたか。
2 新しい都市に着くと,まず最初にユダヤ人に音信を宣べ伝えるのがパウロの習慣でした。しかし,彼が西暦50年ごろにこの都市に初めて着いた時,そこにユダヤ人はあまりおらず,会堂もなかったものと思われます。小数のユダヤ人が町外れの川の土手に集まって祈りをしていたからです。パウロの宣べ伝える業は速やかに実りました。最初の転向者の一人はルデアで,彼女は職業婦人で,ユダヤ教への改宗者でしたが,キリストに関する真理をすぐに受け入れ,旅行中の一行にぜひ自分の家に泊まっていただきたいと申し出ました。「彼女はわたしたちを強いて連れて行った」とルカは書いています。しかし,すぐに反対に遭い,パウロとシラスはむち棒で打ちたたかれて獄に入れられました。二人が獄にいる間に地震が起き,牢番とその家族はパウロとシラスのことばを聴いて信者になりました。翌日,パウロとシラスは獄から釈放されましたが,この都市を去る前に,ルデアの家に集まっていた兄弟たちを訪ねて励ましました。パウロは,フィリピにおける新しい会衆の誕生に伴って生じた患難を印象深く記憶しました。―使徒 16:9-40。
3 パウロとフィリピ会衆との接触はその後どのように保たれましたか。
3 数年後,3度目の宣教旅行の途中,パウロはフィリピ会衆を再び訪ねることができました。次いで,最初に会衆を設立してから約10年後,フィリピの兄弟たちの感動的な愛の表現に動かされたパウロは,彼らにあてて霊感による手紙を書きました。それが,この愛された会衆の名で知られる書として聖書の中に保存されたのです。
4 「フィリピ人への手紙」の筆者がだれであるかを何が明らかにしていますか。この手紙の信ぴょう性を何が証明していますか。
4 その第1節に述べられているとおりパウロがこの手紙の筆者であることは,聖書注釈者の間で広く認められてきましたが,それには十分な理由があります。ポリュカルポス(西暦69年?-155年?)はフィリピ人にあてた自分の手紙の中で,パウロが彼らに手紙を書き送ったことについて述べています。また,この手紙は,パウロが書いたものとして,イグナティウス,イレナエウス,テルトゥリアヌス,アレクサンドリアのクレメンスなど,初期の聖書注釈者によっても引用されています。またそれは,西暦2世紀のムラトーリ断片や他のすべての初期正典の中に挙げられており,西暦200年ごろのものと考えられているチェスター・ビーティー・パピルス2(P46)の中にも,パウロの他の八つの手紙と一緒に出て来ます。
5 どんな事から,これはローマで書かれたと言えますか。
5 書かれた場所と年代はほぼ確実に決定することができます。この手紙を書いた時,パウロはローマ皇帝護衛隊のもとに拘禁された囚人でしたが,彼の周囲ではかなり大々的なクリスチャン活動がなされていました。彼は,カエサルの家の信徒たちからのあいさつのことばでこの手紙を結んでいます。こうした点を総合して,この手紙はローマで書かれたと判断できます。―フィリピ 1:7,13,14; 4:22。使徒 28:30,31。
6 「フィリピ人への手紙」が書かれた時期を示すどんな証拠がありますか。
6 しかし,この手紙が書かれたのはいつごろでしょうか。パウロがクリスチャンとして投獄されていることとその理由とが皇帝の親衛隊全体と他の多くの人々に知れ渡っている点から見て,パウロは既に相当の期間ローマにいたものと思われます。また,エパフロデトが贈り物を携えてフィリピ(970㌔ほど離れていた)からパウロを訪ね,その後エパフロデトがローマで病気になったという知らせがフィリピに伝わり,さらに,その事に対する同情のことばがフィリピからローマに達するまでの時間がありました。(フィリピ 2:25-30; 4:18)パウロがローマで最初に投獄されたのは西暦59年から61年ごろですから,彼は恐らく,最初にローマに着いてから1年もしくはそれ以上後の,西暦60年か61年ごろにこの手紙を書いたのでしょう。
7 (イ)パウロとフィリピ会衆との間にはどんなきずながありましたか。彼を鼓舞してこの手紙を書かせたものは何ですか。(ロ)フィリピ人への手紙はどのような性質の手紙ですか。
7 真理の言葉によってこれらフィリピの子供たちの親となる際に経験した産みの苦しみ,パウロが多くの旅行をし,苦難に遭っていた間,フィリピの人々が必要な物を贈って示した愛情と寛大さ,およびマケドニアにおける宣教者としての最初の労苦をエホバが目ざましい仕方で祝福されたことすべてがあいまって,パウロとフィリピの兄弟たちの間の互いの強い愛のきずなが築かれました。今,彼らからの親切な贈り物,またエパフロデトに関する彼らからの問い合わせ,そして,ローマにおける良いたよりの業の進展などは,パウロを鼓舞して,温かさと愛情に満ちる手紙,読む者を励まし,築き上げるこの手紙を書かせました。
「フィリピ人への手紙」の内容
8 (イ)パウロはフィリピの兄弟たちに対する確信と愛情をどのように言い表わしていますか。(ロ)パウロは自分が獄につながれていることについて何と述べていますか。どんな助言を与えていますか。
8 良いたよりの擁護と進展(1:1-30)。パウロとテモテはあいさつを送り,またパウロは,フィリピの人々が「最初の日から今に至るまで」良いたよりのために寄与してきたことについて神に感謝します。パウロは彼らがその良い業を完成させることを確信しています。彼らは,「良いたよりを擁護して法的に確立すること」も含め,パウロと共に過分のご親切を分け合う者となっているからです。パウロは優しい愛情をもって彼らすべてを慕い,さらにこう語ります。「わたしはこう祈り続けています。あなた方の愛が……いよいよ満ちあふれるようにと。それは,あなた方がより重要な事柄を見きわめるように」なるためです。(1:5,7,9,10)パウロは,自分「に関することがかえって良いたよりの前進に役立つ結果」となったことを彼らが知るようにと願います。彼が獄につながれていることが公に知られるようになり,兄弟たちは励まされて神の言葉を恐れずに語るようになったのです。パウロが今死ぬことには益がありますが,彼らの進歩と喜びのためにはなおとどまっていることのほうが必要です。パウロは,良いたよりにふさわしく振る舞うよう彼らに助言します。それは,パウロが彼らのもとに行っても行かなくても,彼らが一致のうちに戦いつづけ,『いかなる点でも,敵対者たちのゆえに恐れ驚いたりしていない』ということを聞きたいと願っているからです。―1:12,28。
9 フィリピの人たちはキリストと同じ精神態度をどのように保つことができますか。
9 キリストと同じ精神態度を保つ(2:1-30)。パウロはフィリピの人々に,へりくだった思いを持つように勧め,「自分の益を図って自分の事だけに目を留めず,人の益を図って他の人の事にも目を留めなさい」と語ります。彼らはキリスト・イエスと同じ精神態度を持つべきです。キリストは,神の形で存在していたにもかかわらず,自分を無にして人間となり,謙遜になって死に至るまで従順を尽くしました。そのゆえに神は,彼を高めて,他のあらゆる名に勝る名を彼に与えました。パウロは彼らにこう説き勧めます。「恐れとおののきをもって自分の救いを達成してゆきなさい」。「すべての事を,つぶやかずに,また議論することなく行なってゆきなさい」。そして,「命の言葉をしっかりつか(み)」なさい。(2:4,12,14,16)パウロはテモテを彼らのもとに遣わすことを希望しており,自分もまもなく行けることを確信しています。しかし今のところは,彼らが再び歓べるようにするために,病気から回復したエパフロデトを遣わします。
10 パウロは目標に向かってどのように走ってきましたか。他の人々にどのように訓戒しますか。
10 『目標に向かってひたすら走る』(3:1-4:23)。『真の割礼のあるわたしたちは,犬に,つまり,肉体を切り取る者たちに気をつけなければならない』とパウロは語ります。だれか肉に頼れる者がいるというなら,パウロのほうがその点で勝っており,割礼のあるユダヤ人またパリサイ人としての彼の経歴がそれを証明しています。しかし,「主キリスト・イエスに関する知識の優れた価値のゆえに」,パウロはそのすべてをむしろ損と考えています。信仰による義を通して「死人の中からの早い復活に達(する)」ことを彼は希望しています。(3:2,3,8,11)それゆえこう語ります。「後ろのものを忘れ,前のものに向かって身を伸ばし,キリスト・イエスによる神からの賞である上への召しのため,目標に向かってひたすら走っているのです」。円熟している人は皆同じ精神態度を抱きましょう。自分の腹を神としている人たちがいます。そうした人々は地上の事柄に思いを寄せていますが,その終わりは滅びです。しかし,「わたしたちについて言えば,わたしたちの市民権は天にあ(る)」,とパウロは確言します。―3:13,14,20。
11 (イ)考えまた実行すべき事は何ですか。(ロ)フィリピの人々の寛大さについてパウロはどのように言い表わしていますか。
11 パウロは説き勧めます,『主にあって歓びなさい。あなた方が道理をわきまえていることをすべての人に知らせなさい。真実なこと,まじめなこと,義にかなったこと,貞潔なこと,愛すべきこと,よく言われること,徳とされることや称賛されることを考え続けなさい。わたしとの関係で学び,また受けたり聞いたり見たりした事柄は,これを実行しなさい。そうすれば,平和の神が共にいてくださるでしょう』。(4:4-9)パウロは「力を与えてくださる方のおかげで」いっさいの事に対して強くなっていますが,それでも,自分に対するフィリピの人たちの寛大な思いやりを大いに喜びます。パウロは彼らからの贈り物に対して心から感謝します。パウロがマケドニアで良いたよりを宣明し始めたその最初から,彼らは与える点で優れた特質を示してきました。代わって神が,「キリスト・イエスにより」,彼らの「必要すべてを,その栄光の富に応じて十分に満たしてくださるでしょう」。(4:13,19)彼は,カエサルの家の者たちを含め,すべての聖なる者たちからのあいさつを送ります。
なぜ有益か
12 今日のわたしたちは,どうすれば,フィリピの兄弟たちと同じように神の是認を得,他の兄弟たちの喜びとなれますか。
12 フィリピ人への書はわたしたちにとって本当に有益ではありませんか。わたしたちは皆,エホバの是認を求め,また,フィリピの会衆がパウロから受けたと同じような称賛のことばを,自分たちのクリスチャン監督たちから受けたいと願っています。フィリピの人々の示したりっぱな手本に倣い,パウロの述べる愛のこもった助言に従うなら,わたしたちもそれを自分のものにすることができます。フィリピの人々と同じように,わたしたちは寛大さを表わし,苦境にある兄弟たちを助けることに関心を持ち,また,良いたよりを擁護して法的に確立する業に加わるべきです。(1:3-7)わたしたちは引き続き,「一つの霊のうちにしっかりと立ち,一つの魂をもって良いたよりの信仰のために相並んで奮闘し」,曲がってねじけた世代の中にあって「世を照らす者」として輝くべきです。こうした事を続け,まじめな事柄を考え続けることによって,ちょうどフィリピの人々が使徒パウロの冠たる喜びとなったと同じように,わたしたちも他の兄弟たちの喜びとなることができます。―1:27; 2:15; 4:1,8。
13 どのような点でわたしたちは共にパウロに見倣えますか。
13 「皆ともにわたしに見倣う者となってください」とパウロは述べます。どのように見倣うことができますか。そのための一つの方法は,どんな状況のもとでも自足することです。満ちあふれるほどに持っていても,あるいは欠乏していても,彼は不満を抱かずその状況に合わせて自分を調整することを学びました。熱心さを失わず,また歓びを保って,神から受けた奉仕の務めを果たし続けるためです。また,忠実な兄弟たちに優しい愛情を示す点でも,すべての者がパウロのようになるべきです。彼は,テモテとエパフロデトの奉仕について深い愛情と喜びとをこめて語っているではありませんか。そして,フィリピの兄弟たちに対して,彼は本当に親密なものを感じていたではありませんか。「わたしの愛し,慕う兄弟たち,わたしの喜びまた冠である人たちよ」と呼びかけているのです。―3:17; 4:1,11,12; 2:19-30。
14 命と王国という目標に関して,フィリピ人への手紙はどんな優れた助言を与えていますか。この手紙は特にどのような人々にあてられたものですか。
14 ほかのどのような点でもパウロに見倣うことができますか。「目標に向かってひたすら走(る)」ことです。「まじめなこと」に思いを留めた人は皆,天と地におけるエホバの驚嘆すべき取り決めに強い関心を抱いています。その取り決めの中では,「すべての舌が,イエス・キリストは主であると公に認めて,父なる神に栄光を帰する」のです。フィリピ人への書にある優れた助言は,神の王国に関連して与えられる,とこしえの命を望むすべての人に,その目標を追い求めるよう励まします。しかし,フィリピ人への手紙は,主として,「市民権」を天に持ち,「[キリスト]の栄光ある体にかなう」者となることをせつに待ち望む人々にあてられています。そうした人々は皆,「後ろのものを忘れ,前のものに向かって身を伸ばし」,天の王国における栄光ある相続財産,つまり,「上への召しのため,目標に向かってひたすら走(る)」点で使徒パウロに見倣うべきです。―4:8; 2:10,11; 3:13,14,20,21。
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聖書の51番目の書 ― コロサイ人への手紙『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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聖書の51番目の書 ― コロサイ人への手紙
筆者: パウロ
書かれた場所: ローマ
書き終えられた年代: 西暦60-61年ごろ
1 コロサイの町はどこにありましたか。
二人の人がエフェソスを離れ,メアンデル川(メンデレス川)沿いに小アジアを東に向かって旅行していました。フリギア地方で,支流のリュコス川が注ぐ所まで来ると,二人は南東に向きを変え,山あいの渓谷に沿ってさらに進みます。やがて眼前に美しい光景が開けます。肥沃な緑の牧草地が広がり,羊の大きな群れが点在しているのです。(羊毛製品はこの地方の主な収入源でした。a)さらに谷すじを上った二人は,右手にラオデキアを見てそれを通り越します。ラオデキアは富裕な都市であり,その地域におけるローマ行政府の所在地です。左手,川の向こうには,神殿や温泉で有名なヒエラポリスが見えます。これら両方の都市にはそれぞれクリスチャン会衆があり,また渓谷をさらに16㌔ほど上った所の小さな町コロサイにもクリスチャン会衆がありました。
2 (イ)パウロがコロサイに送った二人の使いはだれですか。(ロ)コロサイ会衆についてどんなことが知られていますか。
2 これら旅行者が行こうとしていたのはこのコロサイです。二人は共にクリスチャンでした。少なくともその一人はその地域の事情に通じていました。もともとコロサイの人であったからです。その名はオネシモです。彼は自分の主人のもとに戻ろうとしている奴隷であり,その主人はその地の会衆の成員でした。オネシモの同行者は自由人のテキコです。二人は使徒パウロからの使いであり,「コロサイにいる,キリストと結ばれた……忠実な兄弟たち」にあてたパウロの手紙を携えていました。わたしたちの知るかぎりでは,パウロはコロサイを訪ねたことがありません。主として非ユダヤ人から成るその地の会衆は,恐らくエパフラスによって設立されたものでしょう。エパフラスはその会衆で労した人であり,この時にはローマのパウロのもとに来ていました。―コロサイ 1:2,7; 4:12。
3 「コロサイ人への手紙」そのものは筆者,それにこの書の書かれた時や場所について何を明らかにしていますか。
3 始めと結びのことばの中で述べられているとおり,この手紙の筆者は使徒パウロです。(1:1; 4:18)また,その結びのことばは,パウロがこれを獄の中で書いたことを示しています。これは,ローマにおけるパウロの最初の投獄,つまり西暦59年から61年だったと思われます。パウロはその時期に,励みを与える多くの手紙を書きました。「コロサイ人への手紙」は「フィレモンへの手紙」と一緒に発信されたのです。(コロサイ 4:7-9。フィレモン 10,23)また,この手紙は「エフェソス人への手紙」とほぼ同じ時に書かれたものと思われます。考えや言いまわしに共通するものが多いからです。
4 何が「コロサイ人への手紙」の真正さについて証言していますか。
4 「コロサイ人への手紙」の信ぴょう性を疑う正当な根拠はありません。この書は,西暦200年ごろのものであるチェスター・ビーティー・パピルス2(P46)の中にパウロの他の書簡と共に入れられており,このことは,この書がパウロの手紙の一つとして初期のクリスチャンたちに受け入れられていたことを示しています。この書の真正さについては,パウロの他の手紙の信ぴょう性について証言しているのと同じ初期の権威者たちによる証言があります。
5 (イ)パウロがコロサイの人々に手紙を送ったことにはどんな理由がありますか。(ロ)この手紙は何を強調していますか。
5 どんな理由でパウロは「コロサイ人への手紙」を書いたのでしょうか。一つには,オネシモがコロサイに戻ろうとしていたからです。また,しばらく前にパウロのもとに来たエパフラスからコロサイ会衆の状態について聞いたことも,彼がこの手紙を書く理由となったに違いありません。(コロサイ 1:7,8; 4:12)その地のクリスチャン会衆にはある種の危険が臨んでいました。当時のさまざまな宗教は崩壊の過程にあり,古いものをいろいろと融合しつつ絶えず新たな宗教が形成されていました。禁欲主義,心霊術,偶像崇拝の関係する迷信などとかかわりのある異教哲学が,食物を断ったり特定の日を守ったりするユダヤ人の習慣と結びついて,会衆内のある人々に影響を与えていたのかもしれません。どのような問題があったにせよ,エパフラスがパウロに会うため,はるばるローマに旅するだけの理由があったものと思われます。しかし,会衆全体が危険に直面していたわけでないことは,会衆の人々の愛やゆるぎない態度に関する,エパフラスの励みに満ちる報告に示されています。そうした報告を聞いたパウロは,コロサイ会衆にこの手紙を書くことによって,正確な知識と清い崇拝を強力に擁護しました。この手紙は,異教哲学,み使いたちの崇拝,ユダヤ人の伝統などと対比させつつ,神に由来するキリストの優越性を強力に示しています。
「コロサイ人への手紙」の内容
6 (イ)パウロはコロサイの人々のためにどんな祈りをささげますか。(ロ)会衆に関連したイエスの地位と奉仕の務めについてパウロはどのように論じますか。
6 会衆の頭なるキリストに信仰を抱きなさい(1:1-2:12)。テモテと自らの初めのあいさつの後,パウロは,キリストに対するコロサイの人々の信仰と,彼らの愛に対して感謝します。コロサイの人々は,エパフラスがその中で良いたよりを宣べ伝えた結果として神の過分のご親切について知りました。彼らに関する知らせを聞いてからというもの,パウロは,彼らが「あらゆる知恵と霊的な把握力とにより,神のご意志に関する正確な知識」に満たされるようにと祈り求めてやみません。それは,彼らが「エホバにふさわしい仕方で歩むため」,そして,「十分に耐え忍ぶ者,また喜んで辛抱する者」となるためです。(1:9-11)父は彼らを「ご自分の愛するみ子の王国」へと移してくださいました。そのみ子は見えない神の像であり,すべての物は,このみ子を通し,またみ子のために創造されました。み子は会衆の頭であり,死人の中からの初子です。神はイエスの血を通して再びすべてのものをご自分と和解させることをよしとされました。そうです,その中には,かつては疎外されていたコロサイの人々も含まれているのです。『もとよりそれは,彼らが引き続き信仰にとどまっている』ことを前提としています。―1:13,23。
7 パウロは何を宣べ伝えていますか。それにはどんな目的がありますか。
7 パウロは,会衆のために自分がキリストの苦しみを補い満たすことを歓びとします。彼はそれら会衆の人々の奉仕者となったのです。それは,「神聖な奥義」に関する神の言葉を彼らのために十分宣べ伝えるためであり,神は今や,『この神聖な奥義の栄光ある富をご自分の聖なる者たちに知らせることを喜びとされた』のです。『それはキリスト,わたしたちが言い広め,すべての人に訓戒し,知恵をつくしてすべての人に教えている方であり』,こうして教えているのは,『すべての人をキリストと結ばれた全き者として差し出すため』です,とパウロは述べます。―1:26-28。
8 パウロが兄弟たちのために苦闘しているのはなぜですか。
8 コロサイ,ラオデキア,その他の土地の人々のためのパウロの苦闘は,それらの人々が慰めを受け,愛のうちに調和よく組み合わされるためであり,それは,彼らが「神の神聖な奥義であるキリストに関する正確な知識」を得ることを目的としています。そのキリストのうちには,「知恵と知識とのすべての宝が注意深く秘められている」のです。パウロは,彼らがことば巧みな論議で惑わされることを望みません。むしろ,彼らはキリストと結ばれて歩みつづけ,「彼のうちに根ざし,かつ築き上げられ,信仰において安定した者」となるべきです。次いでパウロは警告のことばを述べます。「気をつけなさい。もしかすると,人間の伝統にしたが(う)哲学やむなしい欺きにより,あなた方をえじきとして連れ去る者がいるかもしれません」。―2:2,3,7,8。
9 パウロはどんな崇拝について警告しますか。コロサイの人々が律法に服すべきでないのはなぜですか。
9 肉の業に対して死んだ者となり,キリストに対して生きなさい(2:13-3:17)。彼らはその罪過と無割礼とのゆえに死んでいましたが,神はその彼らをキリストと共に生かし,手書きの文書である律法を塗り消してくださいました。その律法はユダヤ人を責めるものでした。したがって,律法やその習わしに関しては「だれからも裁かれるべきではありません」。それは,実体であるキリストの影にすぎないのです。また,世の基礎的な事柄に対してキリストと共に死んだのであれば,人間の命令と教えにしたがって,「手にするな,味わうな,触れるな」といった定めになぜなおも服するのですか。自ら課した見せびらかしの崇拝方式,見せかけの謙遜,体を厳しく扱うことなどは,肉の欲と闘う点では何の価値もないのです。―2:16,21。
10 人はどのようにして上にある事柄を求めつづけ,新しい人格を身に着けることができますか。
10 パウロはむしろこう助言します。「上にあるものを求めてゆきなさい。そこにおいてキリストは,神の右に座しておられるのです。地上にある事柄ではなく,上にある事柄に自分の思いを留めなさい」。これは,古い人格を脱ぎ捨て,新しい人格を身に着けることによってなされます。それは,正確な知識を通してなされるものであり,ギリシャ人とユダヤ人との肉的な区別を設けません。「キリストがすべてであり,すべてのうちにおられる」からです。新しい人格を着けるとは,「神の選ばれた者」として,優しい同情心,親切,へりくだった思い,温和,辛抱強さなどを身に着けることです。使徒パウロはこう述べます。「エホバが惜しみなく許してくださったように,あなた方もそのようにしなさい。しかし,これらすべてに加えて,愛を身に着けなさい。それは結合の完全なきずななのです」。言葉にせよ業にせよ,すべての事を「主イエスの名によって行ない,彼を通して父なる神に感謝しなさい」。―3:1,2,11-14,17。
11 (イ)家族および他の人間関係についてどんな助言が与えられていますか。(ロ)結びにどんなあいさつが伝えられていますか。
11 他の人たちとの関係(3:18-4:18)家族内の関係について言えば,妻は夫に服し,夫は妻を愛すべきです。また,子供は親に従い,父親は子供をいらいらさせないようにすべきです。奴隷である人はエホバを恐れつつ自分の主人に従い,主人である人は自分の奴隷を義に即して扱うべきです。すべての人はたゆまず祈り,外部の人々に対して常に知恵をもって歩むべきです。パウロ,および神の王国のためのその同労者たちのことについては,テキコとオネシモがじかに話すでしょう。それら同労者たちはコロサイの人々にあいさつを送っています。パウロはラオデキアの兄弟たちにもあいさつを送り,自分が送る手紙を相互に交換することを求めます。そしてパウロは,結びのあいさつを自らの手でこう記します。「わたしが獄につながれていることを引き続き覚えていてください。過分のご親切があなた方と共にありますように」― 4:18。
なぜ有益か
12 コロサイ人へのパウロの手紙には人をさわやかにするどんな真理が含まれていましたか。それは会衆にどんな益を与えましたか。
12 ローマから二人の兄弟が到着したというニュースがコロサイの兄弟たちの間にまたたくまに伝わる様子を,わたしたちは想像することができます。パウロの手紙の内容を聞くために,彼らは強い期待を抱いて集まって来ます。それは恐らくフィレモンの家でしょう。(フィレモン 2)その手紙は,キリストの厳密な立場,また正確な知識の必要性について,人をさわやかにする真理を含んでいるではありませんか。人間の哲学やユダヤ教の伝統は全く明瞭にそのあるべき位置に置かれ,キリストの言葉とキリストによる平和がくっきりと高められているではありませんか。監督,夫,妻,父親,子供,主人,奴隷など,会衆内のすべての人の心と思いを養うものがここにあります。再び奴隷と主人の関係に戻ったオネシモとフィレモンに対する良い忠告の含まれていることも確かです。また,群れを回復させて正しい教理を悟らせる上で,何と優れた指導が監督たちに与えられたのでしょう。それに,パウロの言葉は,エホバに対するように魂をこめて働く特権に対するコロサイの人たちの認識を何と強めるものだったのでしょう。そして,人をとりこにするこの世の考えや習慣から自由になることに関してコロサイの人々に与えられた建設的な助言は,今日の会衆に対しても依然生きた音信となっています。―コロサイ 1:9-11,17,18; 2:8; 3:15,16,18-25; 4:1。
13 慈しみのあることば,祈り,クリスチャンの交わりに関してパウロはどんな訓戒を述べますか。
13 コロサイ 4章6節には,クリスチャン奉仕者に対する優れた忠告が述べられています。「あなた方の発することばを常に慈しみのあるもの,塩で味つけされたものとし,一人一人にどのように答えるべきかが分かるようになりなさい」。慈しみ深い真理の言葉は心の正直な人々の食欲をそそり,その人々の永続的な益に資するものとなります。また,十分に目ざめたクリスチャンの,感謝にあふれた心から出る祈りは,エホバからの豊かな祝福をもたらします。「たゆまず祈り,感謝をささげつつ祈りのうちに目ざめていなさい」。そして,クリスチャンの交わりには,深い喜びと,人の心を築き上げ,さわやかにするものが見いだされるではありませんか。「互いに教え,また訓戒し,心のうちでエホバに向かって歌いなさい」とパウロは諭します。(4:2; 3:16)コロサイの人々にあてられた手紙を読むにつれ,あなたは,健全で実際的な,珠玉のような教えのことばを,ほかにも多く見いだすでしょう。
14 (イ)コロサイ人への書の中では実体として何が強調されていますか。(ロ)また,王国の希望がどのように強調されていますか。
14 律法の習わしに関してこの手紙は,「それらの事は来たるべきものの影であって,その実体はキリストに属しているのです」と述べます。(2:17)コロサイ人への手紙の中で強調されているのはこの実体としてのキリストです。この手紙は,キリストと結ばれた人々のため天に定め置かれている栄光ある希望について繰り返し述べています。(1:5,27; 3:4)そうした人々は,父が彼らをすでに闇の権威から救い出し,「ご自分の愛するみ子の王国へと」移してくださったことに対してこの上ない感謝を抱きます。こうして彼らは,「見えない神の像」である方に服する者となりました。その方は,「全創造物の初子です。なぜなら,他のすべてのものは,天においても地においても,見えるものも見えないものも,王座であれ主権であれ政府であれ権威であれ,彼によって創造されたからです」。この方こそ,神の王国にあって義のうちに支配する傑出した資格を備えています。ですから,パウロは油そそがれたクリスチャンたちに次のように諭しています。「あなた方は,もしキリストと共によみがえらされたのであれば,上にあるものを求めてゆきなさい。そこにおいてキリストは,神の右に座しておられるのです」。―1:12-16; 3:1。
[脚注]
a 「新ウェストミンスター聖書辞典」(英文),1970年,181ページ。
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聖書の52番目の書 ― テサロニケ人への第一の手紙『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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聖書の52番目の書 ― テサロニケ人への第一の手紙
筆者: パウロ
書かれた場所: コリント
書き終えられた年代: 西暦50年ごろ
1 (イ)テサロニケ第一の書が書かれたいきさつを述べなさい。(ロ)それはいつ書かれましたか。この手紙はどんな位置を占めていますか。
使徒パウロが2度目の伝道旅行の際,マケドニアの都市テサロニケを訪ね,その地にクリスチャン会衆を設立したのは,西暦50年ごろのことでした。その後1年もたたないころ,シルワノ(「使徒たちの活動」の中ではシラス)やテモテと共にコリントにいたパウロは,その地でテサロニケの人々への最初の手紙を書きました。それは彼らを慰め,彼らの信仰を築き上げるためでした。それは西暦50年の終わりごろだったようです。この手紙は,パウロの書いたもののうち最初に聖書の正典になったものであると思われます。そして,恐らくマタイの福音書を別にすれば,クリスチャン・ギリシャ語聖書の中で最初に書かれたものであると考えられます。
2 テサロニケ第一の書の筆者と信ぴょう性を示すどんな証拠がありますか。
2 この手紙の信ぴょう性と完全性は,圧倒的な証拠によって裏付けられています。パウロは自分がその筆者であることをはっきりと述べており,またこの書は,霊感によるみ言葉の他の部分と内面的な調和を保っています。(テサロニケ第一 1:1; 2:18)この書簡は,ムラトーリ断片をはじめ,霊感による聖書の最初期の目録の多くの中で書名を挙げて指摘されています。a また,初期教会の著述家の多くもこの書から引用したり,この書に言及したりしています。その中にはイレナエウス(西暦2世紀)もおり,書名を挙げてこの書について述べています。西暦200年ごろのチェスター・ビーティー・パピルス2(P46)はテサロニケ第一の書を含んでおり,また,現在ベルギーのヘントにある,3世紀の別のパピルス写本(P30)は,テサロニケ第一,第二双方の書の断片を含んでいます。b
3,4 テサロニケにおけるパウロの宣教は早く成功を見ましたが,結果としてどのような事が起きましたか。
3 この手紙が書かれる以前の,テサロニケ会衆の短い歴史をひとわたり見ると,この都市の兄弟たちに対するパウロの深い配慮の理由をはっきり理解できます。その発足当初から,この地の会衆は激しい迫害と反対を経験しました。使徒 17章で,ルカは,パウロとシラスがテサロニケに着いた時のことを述べ,「そこにはユダヤ人の会堂があった」としています。三つの安息日にわたってパウロはユダヤ人に伝道し,聖書に基づいて彼らと論じました。パウロはそこにさらに長く滞在したものと思われます。そこで自分の職業を営むだけの時間があり,さらに,会衆を確立し,組織するだけの時間があったからです。―使徒 17:1。テサロニケ第一 2:9; 1:6,7。
4 使徒 17章4節から7節の記録は,テサロニケにおける使徒パウロの伝道の影響を生き生きと伝えています。パウロのクリスチャン宣教の成功をねたんだユダヤ人たちは,暴徒を組織して市に騒動を起こしました。彼らはヤソンの家を襲撃し,ヤソンや他の兄弟たちを市の支配者たちのところに引き立てて行って,こう叫びました。「人の住む地を覆したこれらの者たちがここにまで来ていますが,ヤソンはこれを手厚く迎え入れました。しかも,これらの者たちはみんなカエサルの布告に逆らって行動し,イエスという別の王がいると言っています」。ヤソンと他の人々は保証金を払った後にようやく釈放されました。会衆内の兄弟たちのため,またパウロとシラスの身の安全のために,この二人は夜の間にベレアに送り出されました。しかし,テサロニケの会衆は今や確立されていたのです。
5 パウロはテサロニケ会衆に対する気遣いと愛の関心をどのように示しましたか。
5 ユダヤ人たちによる火のような反対はパウロのあとをベレアまでも追い,彼らはパウロを脅かしてそこでの伝道をやめさせようとしました。そこで彼はギリシャのアテネに移りました。それでも彼は,テサロニケの兄弟たちが患難のもとでどのように過ごしているかを知りたいとせつに思いました。彼らのもとに帰ろうと2度試みましたが,2度とも『サタンがその進路をさえぎり』ました。(テサロニケ第一 2:17,18)発足してまだ日の浅い会衆のことを深く気遣い,彼らの遭遇している患難について知って悲痛な思いを抱いていたパウロは,兄弟たちを慰め,彼らの信仰をいっそう強固なものとするために,テモテをテサロニケに遣わしました。テモテが心温まる報告を携えて戻って来た時,パウロは,激しい迫害の中での彼らの不動の忠誠について知って大いに喜びました。彼らの記録は,マケドニアとアカイア全土の信者たちの手本とさえなっていました。(1:6-8; 3:1-7)パウロは,彼らの忠実な忍耐についてエホバ神に感謝しましたが,彼らが円熟に向かって成長を続けてゆくにつれ,いっそうの助言と導きの必要なことも悟っていました。それゆえパウロは,コリントでテモテやシルワノと共にいた間に,テサロニケ人への最初の手紙を書きました。
「テサロニケ人への第一の手紙」の内容
6 パウロはどんなことについてテサロニケの人たちをほめていますか。
6 テサロニケの人たちは他の信者の手本となっている(1:1-10)。パウロは,テサロニケ人への手紙の中で,彼らの忠実な働き,愛の労苦,希望を抱いて示した忍耐をまずほめます。彼らの間で良いたよりが宣べ伝えられましたが,それはただことばだけでなく,『力と強い確信をも』伴っていました。示された手本に倣ったテサロニケの人々は,「聖霊の喜びを抱きながら」,み言葉を受け入れ,そしてマケドニア,アカイア,さらにその他の所に至るまで,すべての信者の手本となっていました。彼らは自分たちの偶像から全く離れて神に転じ,「生けるまことの神に奴隷として仕え,またそのみ子の天からの現われを待つ」ようになっていました。―1:5,6,9,10。
7 テサロニケの人々と共にいた時,パウロとその仲間はどんな態度を示しましたか。何を行なうよう彼らに説き勧めましたか。
7 テサロニケの人々に対するパウロの愛の気遣い(2:1-3:13)。パウロとその一行はフィリピで無礼な仕打ちを受けた後,大胆さを奮い起こしてテサロニケの人々に伝道しました。彼らは人を喜ばせる者,人にへつらう者,また,人からの栄光を求める者としてそうしたのではありません。それどころか,パウロはこう語ります。「乳をふくませる母親が自分の子供を慈しむときのように,あなた方の中にあって物柔らかな者となりました。こうして,あなた方に優しい愛情を抱いたわたしたちは,神の良いたよりだけでなく,自分の魂をさえ分け与えることを大いに喜びとしたのです。あなた方が,わたしたちの愛する者となったからです」。(2:7,8)パウロとその仲間は,父親が自分の子供にするように,ご自分の王国と栄光とに召しておられる神にふさわしく歩んでゆくようテサロニケの人たちに引き続き説き勧めました。
8 テサロニケの人々はどのようにしてパウロの歓喜となりましたか。パウロは彼らのために何を祈りますか。
8 パウロは,テサロニケの人々が良いたよりを事実どおり「神の言葉」として進んで受け入れたことをほめます。同国人から迫害を受けているのは彼らだけではありません。ユダヤ地方の最初の信者たちもユダヤ人の手で同様の迫害を受けたのです。彼らの福祉を気遣ったパウロは,彼らを親しく訪ねようと2度も試みましたが,サタンに道を阻まれました。パウロとその同労者たちにとって,テサロニケの兄弟たちは歓喜の冠,彼らの「栄光また喜び」でした。(2:13,20)テサロニケの人々に関するたよりのないことにもはや耐えられなくなった時,パウロは,彼らを慰め,またその信仰を強めるために,テモテをテサロニケに遣わしました。しかし今,テモテは,彼らの霊的な繁栄と愛に関する良い知らせを携えて戻って来たのです。これは使徒パウロにとって慰めと喜びでした。パウロは神に感謝をささげ,主が彼らを成長させてくださるようにと祈ります。彼らが互いに対する愛において満ちあふれ,主イエスの臨在のさい,彼らの心が神また父のみ前で「神聖さの点で責められるところのないもの」となるためです。―3:13。
9 聖化また互いへの愛という面でパウロは何を諭しますか。
9 聖化と誉れのうちに奉仕する(4:1-12)。パウロは,テサロニケの人々が神を喜ばすような仕方で歩んでいることをほめ,そのことをなおいっそう続けてゆくよう説き勧めます。各人は「自分の器をいかに聖化と誉れのうちに所有すべきかを知り……貪欲な性欲のままに歩」むべきではありません。この点でだれも自分の兄弟の権利を害してはなりません。神は彼らを「汚れを容認してではなく,聖化に関連して召してくださったのです。それゆえ,無視する者は,人間ではなく……神を無視している」のです。(4:4,5,7,8)パウロはテサロニケの人たちが互いに愛を示し合っているゆえに彼らをほめ,そのことをなおいっそう行ない,静かに生活して自分の務めに専心し,手ずから働くことを目標にするようにと勧めます。「外部の人々との関係」で適正に歩まねばならないからです。―4:12。
10 死んで眠りに就いている人々について兄弟たちはどんな態度を持つべきですか。
10 復活の希望(4:13-18)。死んで眠りに就いている人たちについて,兄弟たちは,希望を持たない他の人たちと同じように悲しむべきではありません。イエスは死んでよみがえったというのが彼らの信仰であれば,神はまた,死んで眠っている他の人々をも,イエスによってよみがえらせてくださるのです。その臨在の時,主は号令の声と共に天から下り,『キリストと結ばれて死んでいる者たちが最初によみがえり』ます。その後,生き残っている人々が「雲のうちに取り去られて空中で主に会い」,こうして常に主と共にいることになります。―4:16,17。
11 テサロニケの人々はなぜ目ざめているべきですか。彼らは何を行ないつづけるべきですか。
11 エホバの日が近づくのを見て目ざめていなさい(5:1-28)。『エホバの日はまさに夜の盗人のように』来ます。人々が「平和だ,安全だ」と言っているその時に,突然の滅びが彼らに突如として臨みます。それゆえ,テサロニケの人々も目ざめた者となり,『光の子,また昼の子』として冷静さを保ち,「信仰と愛の胸当てを,また,かぶととして救いの希望を身に着けて」いなさい。(5:2,3,5,8)今は互いを慰め,互いを築き上げることを続けるべき時です。骨折って働き,主宰の任に当たっている人々に対して,すべての人は,「その働きのゆえに,ひときわ深い考慮を愛のうちに払」うべきです。一方,無秩序な者には訓戒し,弱い者は築き上げ,すべての人に対して辛抱強さを示さなければなりません。そうです,「互いに対し,また他のすべての人に対して,常に良いことを追い求めなさい」とパウロは書きます。―5:13,15。
12 結びに,パウロはどんな重要な事柄について助言しますか。また,テサロニケ人への手紙をどのように結んでいますか。
12 結びに,パウロは多くの大切な事柄について助言します。『常に喜びなさい。絶えず祈りなさい。すべての事に感謝しなさい。霊の火を消してはなりません。預言を軽く扱ってはなりません。すべてのことを確かめなさい。りっぱな事柄をしっかり守りなさい。あらゆる形の悪を避けなさい』。(5:16-22)次いでパウロは,平和の神ご自身が彼らを全く神聖な者としてくださるように,また,彼らが主イエス・キリストの臨在の時まで霊と魂と体の面で責められるところのない者であるようにと祈ります。そして,温かい励ましの言葉と,この手紙をすべての兄弟たちに対して読むようにという厳粛な指示のことばとをもって手紙を結びます。
なぜ有益か
13 パウロとその仲間はどのような面で優れた手本ですか。進んで愛を表現することは会衆内にどんな影響を与えますか。
13 この手紙の中で,パウロは,兄弟たちに愛のこもった配慮を示すという精神をよく表わしています。パウロとその仲間の奉仕者たちは,優しい愛情という面で本当に優れた手本を示しました。彼らは,愛するテサロニケの兄弟たちのために,神の良いたよりばかりか,自らの魂までも分け与えようとしたのです。監督たちは皆,自分の会衆とのそのような愛のきずなを作り上げることに努めるべきです。そうした愛の表現はすべての人を鼓舞して互いに対する愛に富ませます。パウロはこう述べました。『さらに,主があなた方を,互いへの,そしてすべての人への愛において成長させ,そうです,満ちあふれさせてくださいますように。ちょうどわたしたちがあなた方を愛しているのと同じように』。神の民すべての中で進んで表わされるこの愛こそ,人を大いに築き上げます。それは,『その聖なる者たちすべてを伴ったわたしたちの主イエスの臨在の際に,わたしたちの神また父のみ前にあって,わたしたちの心を確固たるもの,神聖さにおいて責められるところのないもの』とします。それによってクリスチャンは不道徳で腐敗したこの世から離れた者となり,神聖さまた聖化のうちに歩んで神を喜ばせる者となることができます。―3:12,13; 2:8; 4:1-8。
14 どのような点で,テサロニケ第一の書は愛のある巧みな助言の優れた手本となっていますか。
14 この手紙は,クリスチャン会衆内で愛のある巧みな助言をするための優れた模範を示しています。テサロニケの兄弟たちは熱心で忠実でしたが,正すべき点も幾つかありました。しかし,どの場合にも,パウロは兄弟たちの良い特質をほめています。例えば,道徳上の汚れについて警告するにあたり,彼はまず,兄弟たちが神を喜ばせるような仕方で歩んできたことをほめ,その後,そのことを「なおいっそう」行なって,おのおの自分の器を聖化と誉れのうちに保つようにと述べています。また,彼らの間の兄弟愛についてほめた後,そのことを「なおいっそう」行ないつつ,自分の務めに専心し,外部の人々の前で適正な生活をするようにと説き勧めています。そしてパウロは,「互いに対し,また他のすべての人に対して,常に良いことを追い求め」るべきことを,兄弟たちに巧みに諭しています。―4:1-7,9-12; 5:15。
15 パウロがテサロニケで王国の希望を熱心に宣べ伝えたことはどんな証拠に示されていますか。これに関連してパウロはどんな優れた助言を与えていますか。
15 パウロは,4回にわたってイエス・キリストの「臨在」について述べています。改宗してまもないテサロニケのクリスチャンたちがこの教えに非常な興味を抱いていたことは明らかです。パウロは彼らの都市にいた間,キリストの手中にある神の王国について大胆に宣べ伝えたに違いありません。そのことは,彼とその仲間に向けられた次の告発のことばにも示されています。「これらの者たちはみんなカエサルの布告に逆らって行動し,イエスという別の王がいると言っています」。(使徒 17:7。テサロニケ第一 2:19; 3:13; 4:15; 5:23)テサロニケの兄弟たちは王国に希望を置き,神に信仰を持ち,『神が死人の中からよみがえらせた方,すなわちみ子イエス』が天から現われて,来たらんとする憤りから自分たちを救い出してくださるのを待ちました。同様に,今日神の王国に希望を置くすべての人も,テサロニケ第一の書の優れた助言に従って愛に満ち,責められるところのない確固とした心を持ち,こうして,「ご自分の王国と栄光とに召しておられる神にふさわしく歩んでゆく」ことが必要です。―テサロニケ第一 1:8,10; 3:12,13; 2:12。
[脚注]
a 303ページの「クリスチャン・ギリシャ語聖書の初期の重要な目録」をご覧ください。
b 「新約聖書の本文」(英文),クルトおよびバルバラ・アーラント著,E・F・ロード訳,1987年,97,99ページ。
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聖書の53番目の書 ― テサロニケ人への第二の手紙『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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聖書の53番目の書 ― テサロニケ人への第二の手紙
筆者: パウロ
書かれた場所: コリント
書き終えられた年代: 西暦51年ごろ
1 書かれた時と場所を示しているものは何ですか。テサロニケの人々にあてて第二の手紙を書くように促したものは何ですか。
テサロニケの人々に対する使徒パウロの2番目の手紙は最初の手紙のすぐ後に書かれました。わたしたちは,これが最初の手紙のすぐ後に書かれ,しかも同じ都市コリントから書き送られたということを知っています。というのは,同じ兄弟たち,つまりシルワノとテモテが再度パウロに加わってテサロニケの会衆にあいさつを送っているからです。これら3人はいずれも,初期クリスチャン会衆の旅行する僕たちであり,コリントで共になった後再び3人が一緒になったという記録はありません。(テサロニケ第二 1:1。使徒 18:5,18)おもに取り上げられている事柄と論議の性質から見ると,パウロはこの会衆が陥っている誤りに関連してこの会衆を直ちに正す緊急な必要を感じていたと思われます。
2 何がテサロニケ第二の書の信ぴょう性を証明していますか。
2 この手紙の信ぴょう性はテサロニケ第一の書の場合と同じように証明されています。この手紙もまた,イレナエウス(西暦2世紀)その他の初期著述家たちによって引用されています。その一人に殉教者ユスティヌス(やはり2世紀)がいますが,「不法[罪]の人」ということばを使っている彼は明らかにテサロニケ第二 2章3節に言及しているものと思われます。この手紙は,テサロニケ第一の書が出ているのと同じ初期の目録の中に出ています。チェスター・ビーティー・パピルス2(P46)の中には現在含まれていませんが,テサロニケ第一の書のあと欠落している七葉のうちの最初の二葉の中にはほとんど確実に含まれていたものと思われます。
3,4 (イ)テサロニケ会衆にはどんな問題が起きていましたか。(ロ)この手紙はいつ,どこで書かれましたか。この手紙によってパウロは何を成し遂げようとしていましたか。
3 この手紙にはどのような目的がありましたか。パウロがテサロニケの人々に与えた助言から判断して,テサロニケ会衆の中には,主の臨在が目前であると主張する人々がおり,それら憶測者たちが自分の説を盛んに宣べ伝え,会衆内に少なからぬ動揺を生み出していたことが分かります。そして,そのことを理由にして,手ずから働いて自分の必要な物を備えることさえ怠っていた人たちがいたようです。(テサロニケ第二 3:11)パウロはその最初の手紙の中で主の臨在について幾度か述べましたが,それら憶測をめぐらす人々は,その手紙が朗読されるのを聞いた時,多分,性急にもパウロの言葉をゆがめて,決して意図されていない意味にこじつけたのでしょう。また,誤ってパウロの手紙とされたものが,「エホバの日が来ている」ことを示唆していると解釈されたとも考えられます。―2:1,2。
4 パウロはこうした状態に関する報告を受けていたものと思われます。それは恐らく,この会衆への最初の手紙を運んだ人を通してであったでしょう。そのため彼は,自分が深い愛情を抱いていた兄弟たちの考えを正すことを切望したようです。こうして,西暦51年,パウロは,自分の二人の仲間と共に,テサロニケ会衆あての手紙をコリントから送りました。キリストの臨在に関する誤った見解を正すことに加えて,パウロは,真理のうちにしっかりと立つことを勧める温かい励ましを与えています。
「テサロニケ人への第二の手紙」の内容
5 パウロとその仲間はどんなことについて神に感謝しますか。どんな保証のことばを述べていますか。そして何を祈りますか。
5 主イエス・キリストの表わし示されること(1:1-12)。パウロとその仲間は,信仰と互いに対する愛という面での,テサロニケの人々の優れた成長について神に感謝をささげます。迫害のもとでの彼らの忍耐と信仰は,彼らを王国にふさわしい者とする神の義なる裁きの証拠です。神は,会衆に患難をもたらす者たちに患難をもって報い,苦しみに遭っている人々に安らぎを与えます。これは「主イエスがその強力なみ使いたちを伴(って)天から表わし示される時」であり,また,「彼が来て,その聖なる者たちとの関係で栄光を受ける時」のことです。(1:7,10)パウロとその仲間は,神がテサロニケの人々をご自分の召しにふさわしい者とみなしてくださるように,また,主イエスの名が彼らの中で栄光を受け,彼らがイエスとの結びつきのもとに栄光を受けるようにと常に祈っています。
6 エホバの日の前に何が来ますか。それはどのように来ますか。
6 イエスの臨在に先立って背教がある(2:1-12)。エホバの日が来ているという音信を聞いても兄弟たちは興奮してはなりません。「まず背教が来て,不法の人つまり滅びの子が表わし示されてからでなければ,それは来ない」からです。兄弟たちは,今「抑制力となっているもの」について知っています。しかし,この不法の秘事はすでに作用してもいます。この抑制力が取り除かれる時,「その時になると,不法の者が表わし示されますが,主イエスはその者を,ご自分の口の霊によって除き去り,その臨在の顕現によってこれを無に至らせ」ます。不法の者が存在するのは,強力な業と欺きとを弄するサタンの働きによります。そして神は,誤りの働きが真理への愛を受け入れなかった者たちに至るのを許し,彼らが偽りを信じるようにさせておられます。―2:3,6,8。
7 兄弟たちはどのようにしてしっかりと立ち,邪悪な者に対する保護を得ることができますか。
7 信仰のうちにしっかりと立ちなさい(2:13-3:18)。パウロはこう続けます。「エホバに愛される兄弟たち,わたしたちは,あなた方について常に神に感謝しなければなりません。神は,霊をもって神聖なものとすることにより,また真理に対するあなた方の信仰によって,あなた方を救いのために初めから選び出してくださったからです」。この目的のために良いたよりが彼らに宣明されました。それゆえ,兄弟たちはしっかりと立って,自分たちの教えられた伝統を堅く守るべきです。それは,愛のうちに永遠の慰めと希望を与えてくださったイエス・キリストのみ父によって,『あらゆる良い行ないと言葉の点で確固たる者として』いただくためです。(2:13,17)パウロは彼らの祈りを求めます。「エホバの言葉が……速やかに進展し,栄光を受けてゆくように」と。(3:1)主は忠実な方であり,彼らを確固たる者とし,邪悪な者から守ってくださるのです。そして,主が彼らの心を,神の愛へ,そしてキリストのための忍耐へと,引き続き順調に導き入れてくださること,これがパウロの祈りです。
8 どんな力強い訓戒が与えられていますか。パウロとそのグループはどのような点で手本を示しましたか。
8 力強い訓戒のことばがこれに続きます。「兄弟たち,わたしたちは,主イエス・キリストの名においてあなた方に命じます。あなた方がわたしたちから受けた伝統にしたがわないで無秩序な歩み方をするすべての兄弟から離れなさい」。(3:6)使徒パウロは,自分たち宣教者グループが示した手本を彼らに思い出させます。兄弟たちに費用の負担をかけないようにするため,日夜労苦して働いたのです。こうして彼らは,「働こうとしない者は食べてはならない」と命じることができました。しかし今,自分では働かないで関係のないことに手出ししている無秩序な者たちがいるとのことです。そうした人々は自分で働いて食物を得るようにすべきです。―テサロニケ第二 3:10。テサロニケ第一 4:11。
9 正しい事を行なうこと,また不従順な人を恥じ入らせることについてパウロは何と述べていますか。どのようなことばでこの手紙を結んでいますか。
9 兄弟たちは,正しいことをする点であきらめてはなりません。しかし,兄弟たちのだれかがパウロの手紙に従わないなら,会衆はその人に特に注意し,もはやその人と交わらないようにして,その人を恥じるようにさせるべきです。しかし同時に,兄弟としてその人に訓戒を続けます。パウロは,平和の主が『あらゆる方法で彼らに絶えず平和を与えて』くださるように,との祈りを言い表わします。そして,手ずから記したあいさつのことばで手紙を結びます。―テサロニケ第二 3:16。
なぜ有益か
10 テサロニケ第二の書に含まれる基本的な教えや原則を幾つか挙げなさい。
10 テサロニケの人々にあてられたこの短い霊感の手紙は,クリスチャンの真理の多くの点に触れています。そのすべては考察に値する有益な点です。取り扱われている次のような基本的な教えや原則について考えてください。エホバは救いの神であり,霊,および真理に対する信仰によって人を神聖なものとされます。(2:13)クリスチャンは神の王国にふさわしい者としていただくために,苦しみを忍ばねばなりません。(1:4,5)クリスチャンは,主イエス・キリストの臨在の際にそのもとに集められます。(2:1)エホバは良いたよりに従わない者に義の裁きを下します。(1:5-8)召された人々はキリスト・イエスとの結びつきのもとに,神の過分のご親切にしたがって栄光を受けます。(1:12)彼らは良いたよりを宣べ伝える業を通して召されました。(2:14)信仰こそ肝要な要求です。(1:3,4,10,11; 2:13; 3:2)宣教に携わる人が自分に必要なものを備えるために働くのは正しいことです。人は働かないと,怠惰になり,自分に関係のない事柄に手出しするようになるかもしれません。(3:8-12)神の愛は忍耐と結びついています。(3:5)一つの短い霊感の手紙の中に,人を築き上げる情報の宝が見いだされるではありませんか。
11 王国に関してどんな重要な情報と保証が与えられていますか。
11 この手紙の中で,パウロは,テサロニケの兄弟たちの霊的な福祉,およびその会衆の一致と繁栄に対して深い配慮を払っています。また,「不法の人」がまず現われ,「神の神殿に座し,自分を神として公に示」すという点を述べて,エホバの日の訪れる時に関してテサロニケの人々の考えを正します。しかし,「神の王国にふさわしい者とされる」人々は,主イエスがやがて天から表わし示され,燃える火のうちに報復をもたらすことに絶対の確信を持つことができます。それは,「彼が来て,その聖なる者たちとの関係で栄光を受ける時,またその日,信仰を働かせたすべての者との関係で……彼が驚異の目で見られる時のこと」です。―2:3,4; 1:5,10。
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聖書の54番目の書 ― テモテへの第一の手紙『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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聖書の54番目の書 ― テモテへの第一の手紙
筆者: パウロ
書かれた場所: マケドニア
書き終えられた年代: 西暦61-64年ごろ
1,2 (イ)パウロの投獄の状態について,「使徒たちの活動」とテモテ第二の書にある描写にはどんな対照が見られますか。(ロ)テモテ第一の書はいつ書かれたと考えられますか。それはなぜですか。
ルカは「使徒たちの活動」の中でパウロの生涯について書きましたが,その記述は,パウロがローマでカエサルへの上訴の結果を待っているところで終わっています。パウロは自分の借り受けた家に住み,自分のもとに訪ねて来るすべての人に神の王国を宣べ伝え,しかも「妨げられることなく,全くはばかりのないことばで」そうしていたことが示されています。(使徒 28:30,31)しかし,テモテへの第二の手紙の中で,パウロは,自分が「悪行者として獄につながれるまでの苦しみに遭っている」と書き,また自分の死が目前に迫っていることを述べています。(テモテ第二 2:9; 4:6-8)大きな変化ではありませんか。最初の時には誉れある囚人として扱われていましたが,2回目の時には重罪人として扱われています。ルカがパウロの状況について述べたのは西暦61年,パウロの2年間のローマ滞在の終わりごろで,パウロ自身が自分の状態についてテモテに書き送ったのは,死の少し前と思われます。この間にどんなことが起きたのですか。
2 テモテやテトスにあてたパウロの手紙が書かれた時を「使徒たちの活動」の書で扱われている期間内に位置づけることには無理があるため,一部の聖書注釈者たちは,パウロはカエサルへの上訴に成功し,西暦61年ごろに釈放されたものと判断しています。「新ウェストミンスター聖書辞典」はこう述べています。「使徒行伝の終わりの節は,それまでに描写されている投獄状態が同使徒の有罪宣告と死をもって終わりを告げたという推測よりも,このような[つまり,パウロは2年間拘禁された後に釈放されたという]見方ともっとよく合致する。ルカはパウロの活動がだれにも妨げられなかったことを強調しているので,その活動の終わりが近いという印象は確かに与えていない」。a それで,テモテ第一の書が書かれたのは,ローマで最初に投獄された後に釈放された時から,その地で最後に投獄された時までの期間,つまり西暦61年から64年ごろと見られます。
3,4 (イ)獄から釈放されたパウロは何を行なったようですか。(ロ)彼はどこでテモテ第一の書を記しましたか。
3 獄から釈放されたパウロは,テモテやテトスと一緒になって宣教者としての活動を再開したようです。一部の人々は,パウロがスペインに着いたと考えていますが,果たしてそうかどうかは確かではありません。ローマのクレメンスは,パウロが「西方世界の最果てにまで」来たと書いています。(西暦95年ごろ)この「西方世界の最果て」ということばには,スペインを含めることもできるでしょう。b
4 パウロはテモテへの第一の手紙をどこで書いたのでしょうか。テモテ第一 1章3節は,エフェソスの会衆に関係した問題をテモテが処理するようにパウロが取り決めたことを示しています。それはパウロ自身がマケドニアに向かう時でした。それで,パウロはこのマケドニアから,エフェソスに残るテモテのもとへ手紙を書いたものと思われます。
5 テモテへの二つの手紙の信ぴょう性に関してどんな証言がありますか。
5 テモテへの2通の手紙は,パウロの手になるもの,また,霊感による聖書の一部として,ごく早い時代から受け入れられてきました。ポリュカルポス,イグナティウス,ローマのクレメンスなど,初期のクリスチャン著述家は皆この点で一致しており,また,これらの手紙は,パウロが書き記したものとして初期数世紀間の目録の中に入れられています。一権威者はこう書いています。「新約[聖書]中の書でこれ以上に強力な証言を得ているものは少ない……したがって,その信ぴょう性に対する反論は,初期教会の提出する強力な証拠に逆らおうとする現代の新奇な考えとみなさねばならない」。c
6 (イ)パウロがテモテ第一の書を記したことにはどんな理由がありますか。(ロ)テモテの背景について述べなさい。彼が円熟した働き人であったことを何が示していますか。
6 パウロがテモテへのこの最初の手紙を書いたのは,会衆内における組織的な手続きについてはっきり述べるためでした。また,偽りの教えに注意しているようテモテに警告し,兄弟たちを強めてそうした『偽りの知識』に抵抗させる必要もありました。(テモテ第一 6:20)商業都市エフェソスは物質主義的な誘惑や「金銭に対する愛」をももたらしたことでしょう。それゆえ,この点について何らかの忠告を与えることも適切であったと思われます。(6:10)テモテはこうした仕事のための経験や訓練という面で優れた背景をそなえていたに違いありません。彼はギリシャ人を父に,また神を恐れるユダヤ婦人を母に持っていました。そして,テモテが初めてキリスト教に接したのがいつかは正確には分かりません。多分,西暦49年の終わりか,あるいは西暦50年の初めごろ,パウロが2回目の宣教旅行の際,ルステラを訪ねた時,テモテは(恐らく十代の終わりか,20代の初めごろと思われますが),すでに「ルステラとイコニオムの兄弟たちから良い評判を得て」いました。それでパウロは,テモテが自分およびシラスに加わって旅に同行するように取り決めました。(使徒 16:1-3)テモテは,パウロの14通の手紙のうちの11通,それに「使徒たちの活動」の書の中で名を挙げて言及されています。パウロは彼に対して常に父親のような関心を示し,異なった会衆を訪ねて奉仕するよう彼に割り当てたことも幾度かあります。これは,宣教者としての活動分野で彼が良い働きをし,重い責任を果たす資格を身に着けていたことを示す証拠です。―テモテ第一 1:2; 5:23。テサロニケ第一 3:2。フィリピ 2:19。
「テモテへの第一の手紙」の内容
7 エフェソスに滞在しているようパウロがテモテに勧めたのはなぜですか。
7 正しい良心による信仰の勧め(1:1-20)。「信仰における真実の子」と呼びかけてテモテにあいさつした後,パウロは,エフェソスにとどまっているようにと彼に勧めます。テモテは,「異なった教理」を教える人々を正さねばなりません。そうした教えは,信仰を分かち与えるのではなく,無用な質問を招くにすぎません。パウロは,こうした指示の目ざすところが「清い心と正しい良心と偽善のない信仰とから出る愛」であると述べ,さらにこう付け加えます。「こうしたものからそれることによって,ある人々はむだ話に転じ」てゆきました。―1:2,3,5,6。
8 パウロが憐れみを示されたことはどんなことのよい例証でしたか。パウロは,どんなりっぱな戦いをするようテモテに勧めていますか。
8 パウロはさきには冒とく者であり,迫害者でした。しかし,主の過分のご親切が,「信仰と共に,またキリスト・イエスに関連した愛と共に,大いに満ちあふれ」,こうして彼は憐れみを示されました。彼は罪人の最たる者でした。ですから,彼はキリスト・イエスの辛抱強さを示す実例となりました。イエスは『罪人を救うために世に来た』のです。とこしえの王は誉れと栄光を受けるのにほんとうにふさわしい方ではありませんか。パウロは,りっぱに戦い,「信仰と正しい良心を保(つ)」ようにとテモテに命じます。ヒメナオとアレクサンデルなど,『信仰に関して破船を経験した』人々のようになってはなりません。パウロはそれらの人々を,その冒とくのゆえに懲らしめました。―1:14,15,19。
9 (イ)どんな祈りをすべきですか。なぜですか。(ロ)会衆内の婦人についてどんなことが述べられていますか。
9 会衆における崇拝と組織に関する指示(2:1-6:2)。高い地位にある人々を含めあらゆる人に関して祈りをささげるべきです。それは,クリスチャンが敬虔な専心のうちに平和に生活するためです。「あらゆる人が救われて,真理の正確な知識に至ること」,これが救い主なる神のご意志です。「神はただひとりであり,また神と人間との間の仲介者もただひとり,人間キリスト・イエスであって,この方は,すべての人のための対応する贖いとしてご自身を与えてくださったのです」。(2:4-6)パウロはこれらの事の使徒また教える者として任命されました。それゆえ彼は,男子が忠節をもって祈りをささげ,婦人が分別と慎みのある装いをすることを求めます。それは,神をあがめる人々にふさわしいことです。婦人は静かに学ぶべきであり,男子の上に権威を振るってはなりません。「アダムが最初に形造られ,その後にエバが形造られたからです」― 2:13。
10 監督と奉仕の僕の資格について述べなさい。パウロがこうしたことを書くのはなぜですか。
10 監督になろうと努めている人は,りっぱな仕事を願い求めているのです。次いでパウロは監督および奉仕の僕となる人々の資格を挙げます。監督は「とがめられるところのない人で,一人の妻の夫であり,習慣に節度を守り,健全な思いを持ち,秩序正しく,人をよくもてなし,教える資格があり,酔って騒いだり人を殴ったりせず,道理をわきまえ,争いを好まず,金を愛する人でなく,自分の家の者をりっぱに治め,まじめさを尽くして子供を従わせている人であるべきです。……また,新しく転向した人であってはなりません。……その人は外部の人々からもりっぱな証言を得ているべきです」。(3:2-7)奉仕の僕たちについても同様の要求があり,ふさわしいかどうかを試してから仕えさせるべきです。パウロがこれらのことを書くのは,神の会衆の中でどのように行動すべきかをテモテに知らせるためです。会衆は「真理の柱また支え」なのです。―3:15。
11 (イ)後にどんな問題が生じますか。(ロ)テモテは何に注意を払うべきですか。なぜですか。
11 後の時代に信仰から離れ去る者がいます。それは悪霊の教えによるのです。偽りを語る偽善的な人々が,結婚を禁じ,感謝を抱いてあずかるよう神が創造された食物を断つように命令します。りっぱな奉仕者としてテモテは作り話や『老いた女たちの話』を退けなければなりません。一方では,敬虔な専心を目ざして自分を訓練すべきです。「わたしたちはそのために骨折って働き,また努力しているのです。わたしたちは生ける神に希望を託しているからです。神はあらゆる人,特に,忠実な者の救い主です」とパウロは語ります。テモテはこうした命令を与え,人々を教え続けなければなりません。その若さのゆえにだれにも見下げられてはなりません。それどころか,行状においても敬虔な奉仕においても他の人の手本となるべきです。テモテはこれらのことに打ち込み,自分と自分の教えとに絶えず注意を払うべきです。それを続けることによって,「自分と自分のことばを聴く人たちとを救うことになる」のです。―4:7,10,16。
12 会衆内のやもめや他の人を扱うことに関してどんな助言が与えられていますか。
12 パウロは,個々の人をどのように扱うべきかについてテモテに助言します。つまり,年長の男子には自分の父親のように,若い男子には兄弟のように,年長の婦人には母親のように,若い婦人には姉妹のように当たるべきです。真にやもめである人々のために適当な備えをすべきです。しかし,できることなら,やもめの家族がその世話をすべきです。この点を怠るのは信仰を否認するのと同じです。やもめは,少なくとも60歳に達していて,「りっぱな業に対する証し」があるなら,名簿に載せて差し支えありません。(5:10)他方,若いやもめは,その性的な衝動に支配されるゆえ,断わるべきです。そうした婦人は,ぶらつき回ってうわさ話をするよりは,結婚して子供を産み,反対する者に誘いを与えないようにすべきです。
13 年長者に対してどんな配慮を払うべきですか。罪を習わしにする人をどのように扱うべきですか。奴隷である人にはどんな責任がありますか。
13 りっぱな仕方で主宰の任に当たる年長者,「とりわけ,話すことや教えることに骨折っている人たち」は二倍の誉れに値するものとみなしなさい。(5:17)二人か三人の証人による証拠に基づくのでない限り,年長者に対する訴えを認めてはなりません。罪を習わしにする人たちを,見守るすべての人の前で戒めなさい。しかし,この点で予断を下したり偏った見方をしたりしてはなりません。奴隷は自分の所有者を敬って,良い奉仕を行なうべきであり,「信者であり,自分の愛する者である」兄弟に対しては特にそうすべきです。―6:2。
14 「自ら足りて敬虔な専心を守ること」に関連し,パウロは誇りや金銭に対する愛について何と述べますか。
14 「自ら足りて敬虔な専心を守ること」に関する助言(6:3-21)。健全な言葉に同意しない人は誇りのために思い上がっており,また疑問をはさむことで精神的に病んでおり,ささいな事をめぐって激しい言い争いをするようになります。他方,「自ら足りて敬虔な専心を守る」のは大きな利得の手段です。人は,命を支える物と身を覆う物とがあれば,それで満足すべきです。富もうと思い定めることは滅びにつながるわなとなります。金銭を愛することは「あらゆる有害な事柄の根」です。パウロはテモテに対し,神の人として,こうした事から逃げ去り,クリスチャンの徳を追い求め,信仰の戦いをりっぱに戦い,「永遠の命をしっかりとらえ」るように促します。(6:6,10,12)主イエス・キリストの顕現の時まで,「汚点のない,またとがめられるところのない仕方で」おきてを守るべきです。富んでいる人々は,「不確かな富にではなく……神に希望を託(し)」,こうして真の命をしっかりとらえるべきです。パウロは,結びのところで,託された教理を守り,聖なる事柄を汚すむだ話から遠ざかり,また,「誤って『知識』ととなえられているものによる反対論」から離れているようにとテモテに諭します。―6:14,17,20。
なぜ有益か
15 憶測や論争についてどんな警告が与えられていますか。
15 この手紙は,むなしい憶測や哲学的な論議に手を出す人々に対する厳しい警告を備えています。「言葉をめぐる論争」は誇りと結びついており,避けるべきものです。パウロの告げるとおり,それはクリスチャンの成長を阻み,「調べるための問題を出すだけで,信仰に関連して神からのものを分かち与えることにはなりません」。(6:3-6; 1:4)肉の業と並んで,これらの論争も「幸福な神の栄光ある良いたよりに基づく健全な教えに反する事柄」です。―1:10,11。
16 パウロは物質主義についてどんな助言を与えましたか。
16 金銭に対して貪欲なエフェソスの町にいたクリスチャンたちは,物質主義およびそれに伴う種々の妨げと戦うための助言が必要であったでしょう。パウロはそうした助言を与えました。この世は,『金銭を愛することはもろもろの悪しき事の根なり』というパウロの言葉をよく引用してきましたが,この言葉にほんとうに注意を払っている人は何と少ないのでしょう。それとは逆に,真のクリスチャンはこの忠告に常に注意を払わなければなりません。それは命を左右する問題です。クリスチャンは物質主義の有害なわなから逃れ,「不確かな富にではなく,わたしたちの楽しみのためにすべてのものを豊かに与えてくださる神に」希望を置くべきです。―6:6-12,17-19。
17 テモテに対するどんな忠告は,今日の若い熱心な奉仕者すべてにとっても適切なものですか。
17 パウロのこの手紙は,テモテが若いクリスチャンのあるべき姿の手本であったことを示しています。年齢の面では比較的若かったとはいえ,テモテは霊的な面では円熟していました。彼は監督としての資格をとらえようと努めたので,享受した種々の特権の点で豊かに祝福されました。しかし,今日の若い熱心な奉仕者すべてと同様,彼もこうしたことをよく考え,それに打ち込んで進歩を続けてゆくことが必要でした。クリスチャンとしての進歩という面で喜びを保とうとするすべての人にとって,パウロの次の忠告はほんとうに適切です。「自分自身と自分の教えとに絶えず注意を払いなさい。これらのことをずっと続けなさい。そうすることによって,あなたは,自分と自分のことばを聴く人たちとを救うことになるのです」― 4:15,16。
18 会衆内のどんな整然とした取り決めがはっきり述べられていますか。パウロはヘブライ語聖書をどのように典拠として用いていますか。
18 この霊感の手紙は,神の整然たる取り決めに対する認識を人に持たせます。男女双方が会衆内の神権的調和を保つためにどのようにそれぞれの役割を果たせるかを示しているからです。(2:8-15)次いで,この手紙は,監督や奉仕の僕の資格についても述べています。こうして,特別の立場で奉仕する人々の満たすべき要求が聖霊によって示されています。この手紙はまた,献身したすべての奉仕者に対してもそうした規準に達するように促してこう述べます。「監督の職をとらえようと努めている人がいるなら,その人はりっぱな仕事を望んでいるのです」。(3:1-13)会衆内の種々の年齢層や男女それぞれに対して監督の取るべき態度も,証人たちの前でなされる訴えを扱う仕方と同様,適切な仕方で論じられています。話すことや教えることに骨折って働く年長者たちが二倍の誉れに値することを強調するにあたり,パウロはその典拠としてヘブライ語聖書を2度引用しています。「『脱穀している牛にくつこを掛けてはならない』,また,『働き人はその報酬を受けるに値する』と聖句は述べている」― テモテ第一 5:1-3,9,10,19-21,17,18。申命記 25:4。レビ記 19:13。
19 王国の希望がどのように提出されていますか。それに基づいてどんな勧めのことばが述べられていますか。
19 これら優れた助言すべてを与えた後,パウロは,「主イエス・キリストの顕現の時まで」,汚点のない,またとがめられるところのない仕方でおきてを守りつづけるように,と付け加えています。「その方は王として支配する者たちの王,主として支配する者たちの主」です。こうした王国の希望に基づいて,この手紙は,クリスチャンに対する次の力強い勧めのことばをもって結びとしています。「善を行ない,りっぱな業に富み,惜しみなく施し,進んで分け合い,自分のため,将来に対するりっぱな土台を安全に蓄え,こうして真の命をしっかりとらえるように」。(テモテ第一 6:14,15,18,19)そうです,テモテ第一の書にあるすべての優れた教訓はほんとうに有益です。
[脚注]
a 1970年,H・S・ゲーマン編,721ページ。
b 「ニケア会議以前の教父」(英文),第1巻,6ページ,「コリント人へのクレメンスの第1の書簡」,5章。
c 「新聖書辞典」(英文),第2版,1986年,J・D・ダグラス編,1203ページ。
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聖書の55番目の書 ― テモテへの第二の手紙『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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聖書の55番目の書 ― テモテへの第二の手紙
筆者: パウロ
書かれた場所: ローマ
書き終えられた年代: 西暦65年ごろ
1 西暦64年ごろローマではどんな迫害の火の手が上がりましたか。どんな事がその表向きの理由でしたか。
パウロは再びローマで囚人となっていました。しかし,この2度目の投獄の状況は,最初の時よりずっと厳しいものでした。それはおおよそ西暦65年ごろのことです。西暦64年7月,ローマ全市に及ぶ大火があり,同市の14の区域のうち10の区域で大規模な被害が出ました。ローマの歴史家タキツスは,皇帝ネロについてこう記しています。「その大火は命令によるものであるという不気味な説を,彼は払い去ることができなかった。それで,そうしたうわさを一掃しようとしたネロは,種々の嫌悪される事柄のゆえに憎まれ,一般民衆からクリスチャンと呼ばれる人々にその罪を負わせ,言いようのない責め苦を彼らに負わせた。……無数の人々が有罪とされた。ローマ市を焼いた罪のある者とされたが,それ以上に,人類に対する憎しみを抱く者として断罪された。彼らの死に対してはあらゆる嘲笑のことばが浴びせられた。彼らは獣の皮をかぶせられ,犬にかみ裂かれて殺され,十字架にくぎ付けにされ,また火あぶりにされて焼かれ,日の光がなくなった後の夜間の照明に供されるものとされた。ネロはこうした見せ物のために自分の庭園を提供した。……そこには同情感が起こった。彼らが殺されたのは,公衆の益のためというよりは,一人の男の残虐心を満たすためと思えたからである」。a
2 パウロはテモテ第二の書をどんな状況のもとで書きましたか。彼がオネシフォロについて感謝のことばを述べているのはなぜですか。
2 パウロがローマで再び囚人となったのは,こうした激しい迫害の波が起きた時期のことだったと思われます。このたび彼は鎖につながれていました。彼は釈放されるという期待を抱いていたのではなく,ただ最終的な裁きと処刑を待っていたのです。訪ねて来る人はごくわずかでした。だれでも,クリスチャンとしての身分を明らかにするなら,捕縛と拷問死の危険を冒すことになりました。それゆえパウロはエフェソスから訪ねて来てくれた人について感謝をこめてこう書くことができました。「主がオネシフォロの家の者たちに憐れみをお与えになりますように。彼は幾度もわたしの気持ちをさわやかにしてくれ,わたしの鎖を恥とするようなことはなかったからです。それどころか,ちょうどローマにいた時には,わたしを念入りに捜して会いに来てくれました」。(テモテ第二 1:16,17)死の影のもとにあったパウロは,自分のことを,「神のご意志により,またキリスト・イエスに伴う命の約束にしたがって,キリスト・イエスの使徒となったパウロ」と呼んでいます。(1:1)彼は,キリストと結びついた命が自分を待っていることを知っていました。彼はエルサレムからローマまで,そして恐らくスペインに至るまで,既知の世界の多くの主要都市で伝道していました。(ローマ 15:24,28)彼はその道程を最後まで忠実に走ってきたのです。―テモテ第二 4:6-8。
3 テモテ第二の書はいつ書かれましたか。各時代のクリスチャンにどんな益を与えてきましたか。
3 この手紙は西暦65年ごろ,パウロが殉教の死を遂げる直前に書かれたものと思われます。テモテはまだエフェソスにいたことでしょう。そこに滞在しているようにとパウロに勧められていたからです。(テモテ第一 1:3)パウロは,早く自分の所に来るようテモテを今や2回促し,マルコを連れて来るように,また,パウロがトロアスに残してきた外とうと巻き物を持って来てもらいたいと頼んでいます。(テモテ第二 4:9,11,13,21)この手紙はたいへん危機的な時期に書かれたため,テモテに対する強力な励ましが含まれていました。それ以来,この手紙はどの時代でも,真のクリスチャンに有益な励ましを与えてきました。
4 テモテ第二の書が信ぴょう性があり,正典の一部であることは何によって証明されていますか。
4 テモテ第二の書は,テモテ第一の書の項ですでに論じた理由のゆえに信ぴょう性のある書で,正典の一部であることが分かります。この書は,西暦2世紀のポリュカルポスをはじめ,初期の著述家や注釈者たちによって認められ,また引用されています。
「テモテへの第二の手紙」の内容
5 テモテのうちにはどんな信仰が宿っていますか。それでもどんなことを行ないつづけるべきですか。
5 『健全な言葉の型を常に保つ』(1:1-3:17)。パウロは自分の祈りの中でテモテについて決して忘れてはおらず,テモテに会いたいと切望していることをテモテに告げます。パウロは,テモテのうちにある「偽善のない信仰」を思い起こします。それは最初,テモテの祖母ロイスと母ユニケに宿ったものでした。テモテは自分のうちにある賜物を火のように燃え立たせるべきです。『神は,憶病の霊ではなく,力と愛と健全な思いとの霊を与えてくださったからです』。それゆえテモテは,良いたよりのために証しをし,またそのために苦しみを忍ぶことを恥じてはなりません。神の過分のご親切は,救い主キリスト・イエスの顕現によって明りょうにされたからです。テモテはパウロから聞いた「健全な言葉の型を常に保ち」,それを優れた信託物として守るべきです。―1:5,7,13。
6 教えることに関してパウロはどんな助言を与えていますか。どうすればテモテは是認された働き人,誉れある器となれますか。
6 テモテは,自分がパウロから学んだ事柄を「忠実な人々」にゆだねるべきです。「次いでそうした人々は,じゅうぶんに資格を得て他の人々を教えることができるようになる」でしょう。テモテは,自分がキリスト・イエスのりっぱな兵士であることを示さなければなりません。兵士はもうけ仕事などにはかかわりません。さらに,競技で冠を与えられるのは規則にしたがって闘った人です。識別力を得るためには,テモテはパウロの言葉に絶えず考慮を払うべきです。自分も覚えて,他の人々にも思い出させるべき大切な事柄は,「イエス・キリストが死人の中からよみがえらされたこと,またダビデの胤に属する方であること」です。また,キリストと結ばれた救いと永遠の栄光,およびキリストと共に王として統治すること,これが,選ばれた者そして耐え忍ぶ者の受ける報いです。テモテは,自分自身を是認された働き人として神にささげるために力を尽くして励み,聖なる事柄を汚すむだ話から遠ざかるべきです。それは脱疽のように広がるのです。大きな家の誉れある器は誉れのない器から別にされるように,パウロは「若さに伴いがちな欲望から逃れ,清い心で主を呼び求める人々と共に,義と信仰と愛と平和を追い求めなさい」とテモテに訓戒します。主の奴隷はすべての人に対して穏やかで,教える資格を備え,温和な態度で諭すべきです。―2:2,8,22。
7 霊感による聖書は「終わりの日」になぜ特に有益ですか。
7 「終わりの日」には,対処しにくい危機の時代が来ます。敬虔な専心を表わしながら,それが見せかけであることを示す人たちは,「常に学びながら,決して真理の正確な知識に達すること」ができません。しかし,テモテはパウロの教えに,またその生き方にも迫害にも堅く従ってきました。主はそうした迫害からパウロを救い出されたのです。「キリスト・イエスにあって敬虔な専心のうちに生活しようと願う人はみな同じように迫害を受けます」。しかし,テモテは幼い時以来学んできた事柄に引き続きとどまっているべきです。それは彼を賢くして救いに至らせることができます。『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益なのです』― 3:1,7,12,16。
8 パウロは何を行なうようテモテを促しますか。この点に関してパウロはどのように大いに喜びますか。
8 奉仕の務めを十分に果たしなさい(4:1-22)。パウロは,緊急感を抱いて『み言葉を宣べ伝える』ようテモテに言い渡します。(4:2)人々が健全な教えに堪えられなくなって偽教師にそれてゆく時が来ますが,それでもテモテは平静を保ち,『福音宣明者の業をなし,自分の奉仕の務めを十分に果たす』べきです。パウロは自分の死が目前に迫っていることを悟っていたので,自分が戦いをりっぱに戦い,走路を最後まで走り通し,そして信仰を守り抜いたことを大いに喜びます。今彼は,前に置かれた報い,「義の冠」に確信を抱いて目を留めます。―4:5,8。
9 パウロは主の力に対するどんな確信を言い表わしますか。
9 パウロは,早く自分のところに来るようにとテモテに求め,その旅に関して指示を与えます。パウロが最初の弁明をした時,だれもが彼を見捨てました。しかし主は彼に力を注ぎ込み,宣べ伝える業が諸国民の間で十分に遂行されるようにしてくださいました。そうです,主があらゆる邪悪な業から彼を救い出し,天の王国のために救ってくださることをパウロは確信しています。
なぜ有益か
10 (イ)テモテ第二の書の中では「聖書全体」のどんな益が特に強調されていますか。また,クリスチャンはどのような人となるよう励むべきですか。(ロ)どんな影響を避けるべきですか。そのことはどのようになされますか。(ハ)どんなことが引き続き緊急に求められていますか。
10 『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』。どんな面で有益なのですか。パウロはテモテへの第二の手紙の中でその点を述べています。「教え,戒め,物事を正し,義にそって訓育するのに有益です。それは,神の人が十分な能力を備え,あらゆる良い業に対して全く整えられた者となるためです」。(3:16,17)こうして,この手紙の中では,『教える』面での益が強調されています。義を愛する今日の人は皆,この手紙にある賢明な助言に従い,み言葉を教える者,「真理の言葉を正しく扱う」,神の是認された働き人となるために力を尽くして励むことを願うでしょう。テモテの時代のエフェソスと同じように,今の時代においても,「愚かで無知な質問」をこねまわす人,「常に学びながら,決して真理の正確な知識に達することができない」人,自分の利己的な願いどおりに耳をくすぐってくれるような教え手を好んで「健全な教え」を退ける人々がいます。(2:15,23; 3:7; 4:3,4)世からのこの不純な影響を避けるために,信仰と愛のうちに「健全な言葉の型を常に保(つ)」ことが必要です。さらに,より多くの人々が「神の人」テモテのように,会衆の内外において,「じゅうぶんに資格を得て他の人々を教える」ようになることが緊急に必要とされています。こうした責任を担い,『温和な態度で諭し』,「辛抱強さと教えの術とを尽くして」み言葉を宣べ伝える者となる人はみな幸福です。―1:13; 2:2,24,25; 4:2。
11 年若い人々についてどんな忠告が与えられていますか。
11 パウロが述べるとおり,テモテはロイスとユニケの愛のこもった教えのゆえに,「幼い時から」聖なる書物に親しんできました。「幼い時から」ということばは,今日の子供たちにいつから聖書の教育を始めるべきかをも示しています。しかし,後になって,初めのころの火のような熱心さの消えかかるようなことがあるとすればどうでしょうか。「力と愛と健全な思い」の霊をもってその火を再び燃えたたせ,偽善のない信仰を保つことがパウロの勧めです。「終わりの日」には危機の時代が訪れ,種々の非行や偽りの教えの問題が生じます。特に若い人々,そして他のすべての人が『すべての事に冷静さを保ち,自分の奉仕の務めを十分に果たす』ことが強く求められるのはそのためです。―3:15; 1:5-7; 3:1-5; 4:5。
12 (イ)パウロは王国の胤にどのように注目していますか。彼はどんな希望を言い表わしましたか。(ロ)今日の神の僕はどうしたらパウロと同じ精神態度を抱けますか。
12 差し伸べられている賞は闘い取る価値のあるものです。(2:3-7)この点に関連してパウロは王国の胤に注意を引いて,こう述べています。「わたしが良いたよりとして宣べ伝えたとおり,イエス・キリストが死人の中からよみがえらされたこと,またダビデの胤に属する方であることを覚えていなさい」。その胤と結びついていることがパウロの希望でした。さらにパウロは,自分の処刑の時が近づいていることに関し,それをむしろ勝利の言葉でこう語っています。「今から後,義の冠がわたしのために定め置かれています。それは,義なる審判者である主が,かの日に報いとしてわたしに与えてくださるものです。しかし,わたしだけにではなく,その顕現を愛してきたすべての人に与えてくださるのです」。(2:8; 4:8)自分の長年の忠実な奉仕を振り返って同じように言える人はほんとうに幸福ではありませんか。しかし,そのためには今忠誠を保ち,イエス・キリストの顕現に対する愛を抱いて奉仕し,次のように書いたパウロと同じ確信を実証することが必要です。「主はわたしをあらゆる邪悪な業から救い出し,ご自分の天の王国のために救ってくださるでしょう。この方に栄光が限りなく永久にありますように。アーメン」― 4:18。
[脚注]
a 「タキツス全集」(英文),1942年,モーゼス・ハダス編,380,381ページ。
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聖書の56番目の書 ― テトスへの手紙『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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聖書の56番目の書 ― テトスへの手紙
筆者: パウロ
書かれた場所: マケドニア(?)
書き終えられた年代: 西暦61-64年ごろ
1 (イ)テトスにはどんな任務がゆだねられていましたか。(ロ)クレタの諸会衆はどんな環境の中で誕生しましたか。クレタのクリスチャンたちは何を行なうことが必要でしたか。
「神の奴隷またイエス・キリストの使徒であるパウロから……共にあずかる信仰によって真実の子であるテトスへ」。(テトス 1:1,4)同労者であり,長年の仲間であるテトスにあてたパウロの手紙はこのような形で始まっています。テトスは,会衆をもっとよく組織するため,パウロがクレタ島に残した人でした。テトスは大きな任務をゆだねられていました。この島は,「神々と人々の父」の古代の住まいと言われていた所であり,また,『クレタ人をクレタする』,つまり,「ならず者の裏をかく」という言い習わしの発祥の地でした。a この地の人々の不正直さはことわざともなっていたため,パウロは,「クレタ人は常に偽り者,害をもたらす野獣,無為に過ごす大食家」という,彼らの預言者のことばをさえ引用しています。(1:12)パウロの時代のクレタ人は次のようにも評されています。「不安定で,不誠実で,けんか好きなのがこの民の性格であった。彼らは並外れの貪欲,放縦,偽り,酔酒にふけった。しかし,彼らの間に移住していたユダヤ人は不道徳の点で原住民をしのいでいたようである」。b クレタの諸会衆はそうした環境の中で誕生しました。そのため,信者となっていた人々は,パウロが説き勧めたとおり,「不敬虔と世の欲望とを振り捨て……健全な思いと義と敬虔な専心とをもって生活」することが特に必要でした。―2:12。
2,3 (イ)テトスとパウロとの間にはどんな交渉がありましたか。(ロ)パウロはテトスにあてた手紙をどこから書き送ったと思われますか。それにはどんな目的がありましたか。
2 テトスへの書そのものは,パウロとテトスとの交わりについてほとんど情報を与えていません。しかし,パウロの他の手紙の中でテトスに言及している箇所から,多くの情報を集めることができます。テトスはギリシャ人でしたが,しばしばパウロに伴い,少なくとも1度彼と共にエルサレムに行きました。(ガラテア 2:1-5)パウロはテトスのことを,「わたしと分け合う者」,また「同労者」と呼んでいます。コリントの人々にあててエフェソスから最初の手紙を書いた後にパウロがコリントに派遣したのはテトスでした。コリントにいる間に,テトスは,エルサレムの兄弟たちのために行なわれていた募金と関係するようになり,その結果として,パウロの指示のもとに,その募金の業を完遂するためその地に戻りました。コリントの人々へのパウロの第二の手紙を運ぶためにテトスが用いられたのは,マケドニアでパウロに会った後,こうしてコリントに再び赴くさいのことでした。―コリント第二 8:16-24; 2:13; 7:5-7。
3 ローマで最初に投獄されてから釈放された後,パウロは宣教活動の最後の幾年かのあいだ再びテモテやテトスと交わりました。クレタ,ギリシャ,およびマケドニアでの奉仕はこの期間に,含まれているようです。パウロは最後にギリシャ北西部のニコポリスに向かうと述べています。明らかにそこで捕縛され,最後の投獄と処刑のためローマに連れて行かれたのでしょう。パウロがテトスをクレタに残したのは共にクレタを訪ねた時のことでした。それは,「不備な点を正し」,パウロがテトスに与えた指示に従って「都市ごとに年長者たちを任命するため」でした。パウロの手紙は,彼がテトスをクレタに残して少し後に書かれたものと思われます。それは恐らくマケドニアにおいてであったでしょう。(テトス 1:5; 3:12。テモテ第一 1:3。テモテ第二 4:13,20)この手紙はテモテ第一の書と同様の目的を持っていたものと思われます。すなわち,パウロの同労者を励まし,その務めを果たすための権威ある後ろだてを与えるためでした。
4 テトスへのこの手紙はいつ書かれたに違いありませんか。その信ぴょう性を裏付けるどんな証拠がありますか。
4 パウロは最初の投獄から2度目の投獄までの期間のある時期,つまり西暦61年から64年ごろまでの間のある時にこの手紙を書いたに違いありません。テトスへの手紙の信ぴょう性は,同じ時期に書かれたテモテへの二つの手紙と同様の証拠によって裏付けられています。これら聖書の三つの書は,パウロの「牧会書簡」とも呼ばれます。これら三つの書の文体は似ています。イレナエウスとオリゲネスは共にこのテトスへの手紙から引用しており,また古代の他の多くの権威者たちもこの書の正典性について証言しています。この書はシナイ写本およびアレクサンドリア写本の中に含まれています。ジョン・ライランズ図書館にはパピルス断片P32があります。それは西暦3世紀ごろの冊子本の一葉であり,テトス 1章11節から15節と2章3節から8節を含んでいます。c この書が霊感を受けて記された聖書の一部で,信ぴょう性のある書であることは疑いありません。
「テトスへの手紙」の内容
5 (イ)パウロは監督となる人々のどんな資格を強調していますか。なぜこれは必要ですか。(ロ)どんな場合にテトスは厳しい戒めを与えることが必要ですか。汚れた人々についてはどんなことが語られていますか。
5 監督たちは健全な教えによって説き勧めるべき(1:1-16)。愛情のこもったあいさつのことばの後,パウロは監督となる人々の資格をはっきり述べます。次の点が強調されています。つまり,監督は,「とがめのない人」で,善良さを愛し,義にかない,忠節であり,「自分の教えの術に関して信ずべき言葉を堅く守る人」でなければなりません。それは,「健全な教えによって説き勧めることも,また,言い逆らう者を戒めることもできるため」です。「人の思いを欺く者」,つまり,不正な利得のために家族全体を覆してゆく者たちのゆえにこのことは必要です。それゆえテトスは「絶えず彼らを厳しく戒め」なければなりません。「彼らが信仰の点で健全になり,ユダヤ人の説話……に気を奪われることのないためです」。汚れた人々は,神を知っていると公言するかもしれませんが,その不従順な業によって神を否認しています。―1:6-10,13,14。
6 クリスチャンの行状についてどんな忠告が与えられていますか。
6 健全な思いと義と敬虔な専心とをもって生活する(2:1-3:15)。年取った男子や年取った婦人はまじめであって,恭しく振る舞うべきです。若い婦人たちは夫と子供を愛し,夫に服し,「こうして神の言葉があしざまに言われることのないように」すべきです。若い男子たちもりっぱな業と健全な言葉の面で手本となるべきです。服すべき立場にある奴隷は「忠信な態度を十分に示(す)」べきです。人を救いに至らせる神の過分のご親切がはっきり示され,神がキリスト・イエスによって清め,「ご自分が特別に所有する民,りっぱな業に熱心な民」とされた人々のうちに,健全な思いと義と敬虔な専心とを鼓舞しています。―2:5,10,14。
7 服すること,救い,りっぱな業についてパウロはどんなことを強調しますか。
7 パウロは,政府に服しかつ従うことの必要,また「すべての人に対して温和を尽くすべきこと」を強調します。パウロとその仲間のクリスチャンたちもかつては他の人々と同じく不健全な状態にありました。何ら自らの業によらず,神の親切と愛と憐れみゆえに,彼らは聖霊によって救われ,永遠の命の希望を受け継ぐ者となりました。それゆえ,神を信ずる人々は「りっぱな業を続けるべきことを思いに留める」べきです。愚かな質問や律法をめぐる争いからは遠ざかっているべきです。分派を助長する者については,一度,またもう一度訓戒した後,これを退けなさい。パウロは,ニコポリスにいる自分のところに来るようテトスに求め,宣教上の他の指示を与えた後,りっぱな業を保つ必要をもう一度強調します。実を結ばない者とならないためです。―3:2,7,8。
なぜ有益か
8 「テトスへの手紙」にあるパウロの助言のどんな点は今日のわたしたちにとっても「りっぱなことであり,人の益に」なりますか。なぜですか。
8 クレタのクリスチャンたちは,虚偽,腐敗,貪欲などに囲まれて生活していました。クリスチャンはそうした普通の人々の歩みにそのまま付いて行ってよいですか。あるいは,エホバ神のために神聖にされた民として神に仕えるため,きっぱりした処置を取って,そうした事から完全に離れるべきですか。「りっぱな業を続けるべきことを思いに留める」ようテトスを通してクレタの人々に知らせつつ,パウロは,『それはりっぱなことであり,人の益になる』と述べました。真のクリスチャンが『りっぱな業を続けることを学び』,神の奉仕において実を結ぶとは,不正と不真実の泥沼に沈んだ今日の世界においても「りっぱなことであって,人の益に」なります。(3:8,14)クレタの諸会衆を脅かした悪と不道徳をパウロははっきり非としており,そのすべては今日のわたしたちに対する警告となります。「神の過分のご親切」は,今も,「不敬虔と世の欲望とを振り捨てるべきこと,また現存する事物の体制にあって健全な思いと義と敬虔な専心とをもって生活すべきことを」わたしたちに諭しているのです。クリスチャンは,政府に従順を示し,正しい良心を保って,「あらゆる良い業に備えをし」てもいるべきです。―2:11,12; 3:1。
9 特に監督の責任としての正しく教えることの大切さはどのように強調されていますか。
9 テトス 1章5節から9節はテモテ第一 3章2節から7節を補って,監督に対する聖霊の要求を示しています。それは特に,監督が『信ずべき言葉を堅く守り』,会衆内にあって教える者となるべきことを強調しています。すべての人を円熟に向かわせるのにそれはほんとうに必要なことではありませんか。事実,正しく教えるということは,テトスへの手紙の中で幾度も強調されています。パウロは,「健全な教えにかなう事柄をいつも語りなさい」とテトスに訓戒しています。年取った婦人は「良いことを教える者」となるべきであり,また奴隷たちは「すべての事においてわたしたちの救い主なる神の教えを飾る」べきです。(テトス 1:9; 2:1,3,10)パウロは,テトスが監督として教える業の面で恐れのない確固たる者となるべきことを強調してこう述べます。「命令する権威を十分に行使しつつ絶えずこれらのことを話し,説き勧め,また戒めなさい」。また,不従順な態度を取る人々のことについてパウロはこう述べます。「絶えず彼らを厳しく戒めなさい。彼らが信仰の点で健全にな(るためです)」。ですから,テトスにあてられたパウロの手紙は,「教え,戒め,物事を正し,義にそって訓育するのに」特に「有益です」。―テトス 2:15; 1:13; テモテ第二 3:16。
10 「テトスへの手紙」はわたしたちにどんなことを励ましますか。どんな希望についてわたしたちに励みを与えますか。
10 「テトスへの手紙」は,神の過分のご親切に対するわたしたちの認識を高めさせ,「幸福な希望と,偉大な神およびわたしたちの救い主キリスト・イエスの栄光ある顕現とを待(つ)」わたしたちに,世の不敬虔から離れるようにとの励みを与えます。そうすることにより,キリスト・イエスを通して義と宣せられた者たちは,神の王国における「永遠の命の希望にしたがって相続人」となることができます。―テトス 2:13; 3:7。
[脚注]
a マクリントクおよびストロング共編,「百科事典」(英文),1981年復刻版,第2巻,564ページ。「新シャフ-ヘルツォーク宗教知識百科事典」(英文),1958年版,第3巻,306ページ。
b マクリントクおよびストロング共編,「百科事典」(英文),1981年復刻版,第10巻,442ページ。
c 「新約聖書の本文」(英文),クルトおよびバルバラ・アーラント著,E・F・ロード訳,1987年,98ページ。
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聖書の57番目の書 ― フィレモンへの手紙『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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聖書の57番目の書 ― フィレモンへの手紙
筆者: パウロ
書かれた場所: ローマ
書き終えられた年代: 西暦60-61年ごろ
1 フィレモンへの手紙にはどんな特色がありますか。
極めて巧みで愛にあふれた,パウロのこの手紙は,今日のクリスチャンにとってたいへん興味深いものがあります。この手紙は「諸国民への使徒」であったパウロの手になる書簡として保存されているものの中で一番短いだけでなく,聖書全体の中でこの手紙よりも内容が少ないのは,ヨハネ第二および第三の手紙だけです。これはまた,パウロの記した唯一の“私的な”手紙です。つまりこれは,会衆あるいは責任のある監督に公式にあてられた手紙ではなく,一人の私人にあてられたものであり,パウロがクリスチャンであるその兄弟と話し合いたいと願っていた特別の問題だけが扱われています。その兄弟は,フィレモンといって,明らかに裕福な生活をしていた人であり,小アジアの真ん中のフリギアの都市コロサイに住んでいました。―ローマ 11:13。
2 どんな背景,またどんな目的でこの手紙は書かれましたか。
2 手紙の目的は明瞭に示されています。パウロはローマでの最初に投獄されていた間(西暦59-61年),かなり自由に神の王国を宣べ伝えることができました。彼の宣べ伝えることばを聴いた人々の中にオネシモがいました。オネシモは,パウロの友人であったフィレモンの家からの逃亡奴隷でした。結果としてオネシモはクリスチャンとなり,パウロは,オネシモの同意のもとに,彼をフィレモンのもとに送り返すことに決めました。パウロはちょうどこの時,エフェソスとコロサイの会衆にも手紙を書き,その両方の手紙の中で,クリスチャンである奴隷と奴隷の所有者に対し,そのような関係の中でどのように振る舞うべきかについて良い助言を与えました。(エフェソス 6:5-9。コロサイ 3:22-4:1)しかし,それに加えて,パウロはフィレモンあての手紙をしたため,その中でオネシモのために自ら懇願したのです。これはパウロが手ずから書いた手紙でした。それはパウロにとって異例のことでした。(フィレモン 19)この本人直筆ということが,彼の懇願に大いに重みを添えるものとなりました。
3 「フィレモンへの手紙」はいつ書かれたと考えられますか。それはどのようにして送り届けられましたか。
3 この手紙は恐らく西暦60年から61年ごろに書かれたものと思われます。その時パウロはすでにローマでかなりのあいだ伝道し,幾人かの改宗者を得ていたようです。また,22節では,釈放の希望を言い表わしていますから,この手紙は,彼の投獄後ある程度たってから書かれたものと結論できます。これら三つの手紙,つまり,フィレモンあてのものと,エフェソスおよびコロサイの会衆にそれぞれあてられた手紙は,テキコとオネシモに託して発送されました。―エフェソス 6:21,22。コロサイ 4:7-9。
4 フィレモンへの書の筆者はだれかということと信ぴょう性は何によって証明されていますか。
4 パウロがフィレモンへの書の筆者であることは,その最初の節から明瞭です。その節には彼の名が書かれています。オリゲネスやテルトゥリアヌスも,パウロが筆者であることを認めています。a この書の信ぴょう性もまた,西暦2世紀のムラトーリ断片の中にパウロの他の書簡と共に列挙されていることによって裏付けられています。
「フィレモンへの手紙」の内容
5 (イ)この手紙はどんなあいさつまた称賛のことばで始まっていますか。(ロ)パウロはフィレモンの奴隷オネシモについて彼に何と述べますか。
5 オネシモは「奴隷以上のもの」として主人のもとに送り返される(1-25節)。パウロは,フィレモン,「わたしたちの姉妹」アフィア,「わたしたちの共なる兵士」アルキポ,およびフィレモンの家に集まる会衆にあてて温かいあいさつを送ります。そして,主イエスと聖なる者たちに抱いている愛と信仰のゆえにフィレモン(この名には「愛ある」という意味がある)をほめます。フィレモンの愛に関する報告はパウロに喜びと慰めをもたらしました。年寄りで,囚人であるパウロは今や,自分の「子」オネシモに関して,大いにはばかりのないことばで自分の気持ちを言い表わします。パウロは,このオネシモに対し,獄につながれている間にその「父」となったのです。オネシモ(この名には「有益な」という意味がある)は,フィレモンにとってかつては無用な者でしたが,今はフィレモンにもパウロにも有用な者となりました。―2,10節。
6 パウロはオネシモに対するどんな扱いを勧めますか。どんな巧みな論議でそれを行なっていますか。
6 使徒パウロとしては,オネシモを自分のところに置いて,自分が獄にいるあいだ仕えてもらいたいと思いましたが,フィレモンの同意なしにそうしたいとは思いませんでした。それで,彼を「もはや奴隷としてではなく,奴隷以上のもの,愛する兄弟として」送り返すことにします。そしてパウロは,パウロ自身を迎えるように,オネシモを親切に迎えてもらいたいと頼みます。オネシモがフィレモンに対して悪いことをしたのでしたら,それをパウロの勘定としてください。というのは,パウロは,「あなたもまた自分自身をさえわたしに負っている」とフィレモンに述べているからです。(16,19節)パウロは,まもなく釈放され,フィレモンを訪ねることができるかもしれないという希望を述べ,あいさつのことばで手紙を結びます。
なぜ有益か
7 オネシモに関して,パウロは使徒として自分が受けた高い召しをどのように堅く守りましたか。
7 この手紙に示されているとおり,パウロは,その時存在していた事物の体制,およびそれに伴う奴隷制など種々の制度を除き去ろうと試みて,「社会改革的な福音」を宣べ伝えていたのではありません。彼は,クリスチャンとなった奴隷を勝手に解放することさえしませんでした。むしろ彼は,逃亡して来た奴隷オネシモに,ローマからコロサイまで1,400㌔もの旅をさせ,まっすぐその主人フィレモンのもとに帰らせたのです。こうしてパウロは,自分が受けた使徒としての高い召しを堅く守り,「神の王国を宣べ伝え……主イエス・キリストに関することを教える」という,神からの使命に堅く従いました。―使徒 28:31。フィレモン 8,9。
8 フィレモンへの書はキリスト教の原則のどんな実際的な適用の仕方を示す例となっていますか。
8 フィレモンへの手紙は1世紀のクリスチャンの愛と一致を示しているので,意味深いものがあります。その手紙から,初期のクリスチャンが互いに「兄弟」,ならびに「姉妹」と呼び合っていたことが分かります。(フィレモン 2,20)さらに,その手紙は今日のクリスチャンに対して,キリスト教の原則をクリスチャンの兄弟たちの間で実際に適用する仕方を明らかに示しています。パウロについては,兄弟愛の表わし方,市民としての関係や他の人の所有権に対する敬意,効果的な巧みさ,称賛すべき謙遜さなどを見ることができます。パウロは,クリスチャン会衆内の指導的な監督として持っている権威の影響力により,オネシモを許すことをフィレモンに強いる代わりに,クリスチャン愛と個人的な友情に基づいて謙遜な態度でフィレモンに訴えたのです。今日の監督たちも,パウロがフィレモンとの問題を取り上げた巧みな仕方から益を受けられます。
9 フィレモンはパウロの求めに従うことにより,今日のクリスチャンにも関心のある,どんなりっぱな前例を示すことになりましたか。
9 パウロは明らかに,フィレモンが自分の求めに応じてくれることを期待していました。フィレモンがそのようにすることは,マタイ 6章14節のイエスのことば,またエフェソス 4章32節のパウロのことばを実践することになりました。今日のクリスチャンも,罪を犯した兄弟に親切な態度を取り,同じように許すことが期待されます。フィレモンは,自分が所有し,法律的には思いのままに虐待することも許された奴隷に対して寛大な態度を取ることになりました。そうであれば,今日のクリスチャンも,これよりずっと容易なこととして,自分に罪を犯す兄弟を許すことができなければなりません。
10 フィレモンへの手紙の中にエホバの霊の働きはどのように明瞭に見られますか。
10 このフィレモンへの手紙の中に,エホバの霊の働きを明瞭に見ることができます。それは,非常に扱いにくい問題に対するパウロの極めて巧みな接し方の中によく表われています。またそれは,パウロの発揮した,仲間どうしとしての情感,優しい愛情,仲間のクリスチャンに対する信頼などの中に示されています。また,フィレモンへの手紙が,聖書の他の部分と同じように,クリスチャンの原則を教え,クリスチャンの一致を鼓舞し,「聖なる者たち」の間に満ちる愛と信仰を強調している点にもそれは見られます。それら聖なる者たちは神の王国に希望を置き,その人々の行状の中にエホバの愛ある親切が反映されているのです。―5節。
[脚注]
a 「国際標準聖書辞典」(英文),G・W・ブロミリ編,第3巻,1986年,831ページ。
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聖書の58番目の書 ― ヘブライ人への手紙『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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聖書の58番目の書 ― ヘブライ人への手紙
筆者: パウロ
書かれた場所: ローマ
書き終えられた年代: 西暦61年ごろ
1 パウロが「ヘブライ人への手紙」を書いたことは彼が受けたどんな使命にふさわしいことでしたか。
パウロは,「諸国民への」使徒として最もよく知られています。しかし,その奉仕の務めは非ユダヤ人だけに限られていましたか。決してそうではありません。パウロがバプテスマを受け,その業に携わるよう任命される直前に,主イエスはアナニアにこう語られました。「この者[パウロ]は,わたしの名を諸国民に,また王たちやイスラエルの子らに携えて行くための選びの器(です)」。(使徒 9:15。ガラテア 2:8,9)ヘブライ人への書を記したことは,イスラエルの子らにイエスの名を携えて行くというパウロの使命に全くかなうものでした。
2 パウロはヘブライ人への書の筆者ではないとする論議にはどのように反ばくできますか。
2 しかし,パウロがヘブライ人への書を書いたことを疑問視する批評家たちもいます。パウロの名がこの手紙の中に出ていない,という点が反論の一つとなっています。しかし,それは決して真の問題ではありません。正典となっている他の多くの書も筆者の名を記していませんが,それでも内面的な証拠から筆者を確認できる場合が多いのです。さらに,パウロの名はユダヤ人の間で憎しみの的となっていたので,ユダヤ地方のヘブライ人のクリスチャンにあてたこの手紙の中でパウロはあえて自分の名を伏せたのではないかとも考えられています。(使徒 21:28)他の書簡との文体上の相違も,パウロが筆者であることに対する真の反論とはなりません。対象が異教徒でもユダヤ人でもクリスチャンでも,パウロは常に,「あらゆる人に対してあらゆるものとな(る)」能力を発揮しました。ここでの彼の論じ方は,一ユダヤ人が他のユダヤ人たちに対して述べるものとして提出されており,ユダヤ人たちが十分に理解し,認識できる形で展開されているのです。―コリント第一 9:22。
3 パウロがヘブライ人への書の筆者であり,また主にユダヤ人のために書いたことをどんな内面的証拠が,裏付けていますか。
3 この書の内面的な証拠はすべて,パウロがその筆者であることを裏付けています。筆者はイタリアにおり,テモテと交わっていました。これらの点はパウロと適合します。(ヘブライ 13:23,24)さらに,論議はユダヤ人の観点に立って提出され,この手紙の対象となった,厳密な意味でのヘブライ人の会衆に訴えることを意図したものですが,その教理はパウロ特有のものです。この点につき,クラークの「注解」(英文),第6巻,681ページは,ヘブライ人への書に関してこう述べています。「生来のユダヤ人を対象として書かれたということは,この書簡の全体的構成により証明されている。仮に異邦人を対象としていたとすれば,その1万人に一人も,その論議を理解しえないであろう。ユダヤ人社会の体制に通じていないからである。この書簡の筆者はいたるところでそうした知識を想定しているのである」。この点が,パウロの他の手紙と比べた場合の文体上の相違を説明する助けとなるでしょう。
4 パウロがヘブライ人への書の筆者であることを示す,さらにどんな証拠がありますか。
4 1930年ごろチェスター・ビーティー・パピルス2(P46)が発見された結果,パウロが筆者であることを示す証拠がさらに提供されました。パウロの死後わずか1世紀半後に書かれたこのパピルス冊子本について,英国の著名な本文批評家フレデリック・ケニヨン卿はこう述べています。「ヘブライ書がローマ書の直後(他にまず例のない位置)に置かれていることは注目に価する。これは,この写本が作られたごく初期の時代には,パウロがその著者であるという点では少しも疑問がなかったことを示している」。a この同じ問題に関して,マクリントクおよびストロング共編,「百科事典」(英文)ははっきりこう述べています。「この書簡の著者をパウロ以外の者とする主張を支持する実質的証拠は外面的なものであれ,内面的なものであれ,一つもない」。b
5 ヘブライ人への書の内容はこの書が霊感によるものであることをどのように証明していますか。
5 初期クリスチャンがこの書を受け入れていたということに加えて,ヘブライ人への書の内容はこの書が「神の霊感を受けたもの」であることを証明しています。この書は読者の注意を終始ヘブライ語聖書の預言に向け,それら早い時代に書かれたものに幾度も言及して,それらすべてがいかにキリスト・イエスに成就したかを示しています。その最初の章の中だけでも,ヘブライ語聖書から少なくとも七つの引用がなされ,み子が今やみ使いたちより勝った立場にあるという点を論ずるために用いられています。この書は終始,エホバのみ言葉とみ名を大いなるものとし,イエスが命のための主要な代理者であり,キリストによる神の王国が人類の唯一の希望であることを指摘しています。
6 ヘブライ人への書が記された時と場所について,証拠は何を示していますか。
6 書かれた時について言うと,既に述べたとおり,それはパウロがイタリアにいた時でした。手紙の結びで筆者はこう述べています。「わたしたちの兄弟テモテが釈放されたことを知ってください。彼がすぐにでも来れば,わたしは彼と一緒にあなた方に会えることでしょう」。(13:23)これは,パウロが自分の釈放のまもないことを予期し,テモテに同行する希望を持っていたことを示唆しているようです。テモテも投獄されていましたが,すでに釈放になっていたのです。それゆえ,ローマにおけるパウロの初めの投獄の最後の年,すなわち西暦61年が,その書かれた年とみなされます。
7 エルサレムのユダヤ人のクリスチャンたちはどんな反対に直面していましたか。彼らには何が必要でしたか。
7 ユダヤ人の事物の体制の終わりの時であったその当時,ユダヤ,それも特にエルサレムにいたヘブライ人のクリスチャンは重大な試練の時期に遭遇していました。良いたよりが進展し,広まるにつれ,ユダヤ人は苦々しい気持ちを募らせ,極端なまでに狂信的な態度でクリスチャンに反対しました。ほんの数年前,パウロがエルサレムに姿を見せただけで一騒動が起こり,信心深いユダヤ人たちは,「こんな男は地上から除いてしまえ。生きている値うちなどなかったのだ!」と声をかぎりに叫んだのです。40人以上のユダヤ人が,パウロを除き去ってしまうまでは食べたり飲んだりしないと言って,自らにのろいをかけて誓い合ったため,彼を夜中にカエサレアまで連れて来るのに重装備を整えた護衛隊が必要になりました。(使徒 22:22; 23:12-15,23,24)こうした宗教的な狂信とクリスチャンに対する憎しみのあふれる雰囲気の中で,会衆は生き抜き,宣べ伝える業を行ない,信仰をしっかり守ってゆかねばなりませんでした。彼らには,キリストがどのように律法を成就したかについて,しっかりした知識と理解を持っていなければなりませんでした。それは,ユダヤ教や,動物の犠牲の供え物を伴うモーセの律法に逆戻りしないようにするためでした。そのすべては今や,むなしい儀式にほかならなかったのです。
8 パウロにはこの手紙をヘブライ人に書くための立派な備えがあったのはなぜですか。パウロはどんな一連の論議を提出しましたか。
8 ユダヤ人のクリスチャンが受けていた圧迫や迫害について理解する上で,使徒パウロに勝る人はいませんでした。ユダヤ教の伝統に対する反論や強力な論議をユダヤ人のクリスチャンたちに示す面で,かつてパリサイ人であったパウロ以上に資格のある人はいませんでした。モーセの律法に関し,ガマリエルの足下で学び取ったぼう大な知識に基づいて,パウロは,キリストが律法とその典礼や犠牲を成就した方であることを示す,争う余地のない証拠を提出しました。そしてパウロは,それらのものが今や,はるかに栄光ある実体によって置き換えられ,新たな,より勝った契約のもとで,計り知れないほどの一層大きな益がもたらされていることを示しました。パウロは鋭い知力を働かせて,人を納得させる明確な仕方で証拠を次々に列挙しました。律法契約の終わりと新しい契約の到来,アロンの祭司職に対するキリストの祭司職の優越性,雄牛ややぎの供え物と比べて示されたキリストの犠牲の真価,キリストが単なる地上の天幕ではなく,天のエホバご自身のみ前に入られたことなど,― 不信仰なユダヤ人にとっては極めて憎むべき事柄である,目ざましいまでに新しいこれらの教えすべてが,道理をわきまえたユダヤ人ならだれでも納得せざるを得ないほどの,ヘブライ語聖書からの豊富な証拠と共に,ここでヘブライ人のクリスチャンのために提出されました。
9 「ヘブライ人への手紙」はどんな強力な武器となりましたか。また,それはどのような点でパウロの愛の表明となっていましたか。
9 この手紙で武装したユダヤのクリスチャンたちは,迫害するユダヤ人の口をふさぐ新しい強力な武器を得ると共に,神の真理を探求する正直なユダヤ人を納得させ,改宗させるための,説得力のある論議を使えることになりました。この手紙は,ヘブライ人のクリスチャンに対するパウロの深い愛と非常な危急の時にそれらのクリスチャンを実際的な方法で助けようとする燃えるような願いを表わしています。
「ヘブライ人への手紙」の内容
10 ヘブライ人への書は冒頭の言葉の中でキリストの地位について何と述べていますか。
10 キリストの高められた地位(1:1-3:6)。冒頭の部分はキリストに注意を引いています。「神は,昔には,多くの場合に,また多くの方法で,預言者たちによってわたしたちの父祖に語られましたが,これらの日の終わりには,み子によってわたしたちに語られました」。このみ子はすべてのものの相続者として定められた方であり,その父の栄光の反映です。そして,この方はわたしたちの罪のための浄めを行なわれたので今や,「高大な所におられる威光の右に座られました」。(1:1-3)パウロは次から次へと聖句を引用して,イエスがみ使いたちより高い地位にあることを証明します。
11 (イ)聞いた事柄に普通以上の注意を払うようにとパウロが助言しているのはなぜですか。(ロ)その経験と高められた地位とのゆえにイエスはどんな事を成し遂げることができますか。
11 パウロは,『普通以上の注意を払うことが必要である』と書きます。なぜですか。なぜなら,「み使いたちを通して語られた言葉」に従わない人々が厳しい応報を受けたのであれば,『わたしたちの主を通して語られたという点で,これほど偉大な救いをおろそかにした場合,わたしたちはどうして逃れられるでしょうか』とパウロは論じます。神は「人の子」をみ使いたちより少し低くされましたが,今わたしたちは,このイエスが「死の苦しみを忍んだゆえに栄光と誉れの冠を与えられた」のを見ています。「これは,神の過分のご親切のもとに,彼がすべての人のために死を味わうため」であった,とパウロは書きます。(2:1-3,6,9)多くの子らを栄光に導くにあたり,神はまず,彼らの救いのための主要な代理者であるこの方を「苦しみを通して完全に」されました。悪魔を無に帰せしめ,「死に対する恐れのために生涯奴隷の状態に服していた者すべて」を解放するのはこのイエスです。こうしてイエスは,「憐れみ深い忠実な大祭司」となります。そして,すばらしいことに,自分自身試練のもとで苦しみを経験したイエスは,「試練に遭っている者たちを助けに来る」ことができます。(2:10,15,17,18)したがって,イエスはモーセ以上の栄光に値するとみなされます。
12 神の休みに入るためにクリスチャンはどんな歩みを避けなければなりませんか。
12 信仰と従順によって神の休みに入る(3:7-4:13)。あらゆる民族の人々で成るクリスチャンは,イスラエル人の不信仰の例から警告を得,「生ける神から離れて,信仰の欠けた邪悪な心」を育てることのないようにすべきです。(ヘブライ 3:12。詩編 95:7-11)エジプトを去ったイスラエル人は不従順と信仰の欠如のゆえに,神の休み,つまり安息に入れませんでした。その安息の期間中,神は地に関する創造の業をやめておられるのです。しかし,パウロはこう説明しています。「神の民のために安息の休みが残っています。神の休みに入った人は,神がご自分の業を休まれたと同じように,その人も自分の業を休んでいるからです」。イスラエルが示した不従順の型は避けるべきです。「神の言葉は生きていて,力を及ぼし,どんなもろ刃の剣よりも鋭く……心の考えと意向とを見分けることができるのです」。―ヘブライ 4:9,10,12。
13 (イ)キリストはどのようにして『永久の祭司』,永遠の救いに責任を持つ者となりましたか。(ロ)なぜパウロは,円熟を目ざして進んでゆくことをヘブライ人に促しますか。
13 キリストの祭司職の優越性に対する円熟した見方(4:14-7:28)。パウロはヘブライ人に,もろもろの天を通られた偉大な大祭司イエスについての告白を堅く守るように促します。そうすることによって憐れみを得るためです。キリストはご自分に栄光を付したのではありません。「あなたはメルキゼデクのさまにしたがって永久に祭司である」と言われたのは父ご自身でした。(ヘブライ 5:6。詩編 110:4)まず,キリストは苦しみを通して従順を学ぶことによって大祭司の地位につくために完全にされました。それは,彼に従う人たちすべてに対して永遠の救いに責任を持つ者となるためでした。パウロは,「言うべきことはたくさんありますが,説明しにくく思えます」と語ります。実際には教える者となっているべきなのに,ヘブライ人は依然乳を必要とする赤子なのです。「固い食物は,円熟した人々,すなわち,使うことによって自分の知覚力を訓練し,正しいことも悪いことも見分けられるようになった人々のものです」。使徒パウロは,「円熟に向かって進んで」ゆくようにと促します。―ヘブライ 5:11,14; 6:2。
14 信者はどうしたら約束を受け継ぐことができますか。希望はどのように確立されていますか。
14 神の言葉を知った後に離れ落ちた者が再び悔い改めた状態に戻ることは不可能です。「なぜなら,彼らは神の子を自分であらためて杭につけ,公の恥にさらしているからです」。信者はただ信仰と辛抱によってのみ,アブラハムに対してなされた約束を受け継ぐことができます。それは二つの不変のもの,つまり神の言葉と誓いによって,確かなもの,また揺るがぬものとされた約束です。「魂の錨,確かで,揺るがぬもの」である,彼らの希望は,イエスが前駆者またメルキゼデクのさまにしたがう大祭司として「垂れ幕の内側に」入ることによって確立されました。―6:6,19。
15 メルキゼデクのさまにしたがうイエスの祭司職がレビの祭司職に勝ることを何が示していますか。
15 このメルキゼデクは「サレムの王」であり,かつ「至高の神の祭司」でした。家長アブラハムさえも彼に什一をささげ,またこのアブラハムを通して,まだその腰にあったレビも同じことをしたのです。こうして,アブラハムに対するメルキゼデクの祝福は,当時生まれていなかったレビにも及びました。これは,レビ系の祭司職がメルキゼデクの祭司職より劣るものであることを示しています。さらに,完全にすることが,アロンを基とするレビ系の祭司職を通してもたらされていたのであれば,「メルキゼデクのさまにしたが(う)」別の祭司が必要だったでしょうか。さらに,祭司職が変わるからこそ,「当然律法の変更も生じる」のです。―7:1,11,12。
16 イエスの祭司職は律法下の祭司職になぜ勝っていますか。
16 事実,律法は何をも完全にせず,むしろ弱くて効果のないものであることを示しました。その祭司たちは死んでゆく者であったため,数多くいましたが,イエスは「永久に生き続けるので,後継者を持たずに自分の祭司職を保ちます。それゆえ,彼は自分を通して神に近づく者たちを完全に救うこともできます。常に生きておられて彼らのために願い出てくださるからです」。この大祭司イエスは「忠節で,偽りも汚れもなく,罪人から分けられ」ていますが,律法によって任命を受ける大祭司たちは弱く,他の人のための執り成しに先立って自らの罪のための犠牲をささげなければなりません。こうして,明言された神の誓いのことばは,「永久に完全にされたみ子を任命する」のです。―7:24-26,28。
17 どんな点で新しい契約は勝っていますか。
17 新しい契約の優越性(8:1-10:31)。イエスは,『勝った契約の仲介者であられ,その契約は勝った約束に基づいて法的に確立されたもの』であることが示されています。(8:6)パウロはエレミヤ 31章31節から34節全体を引用して,新しい契約に入る人々はその思いと心の中に神の律法が記されるので,すべての人がエホバを知るようになり,また,エホバは「彼らの罪をもはや決して思い出さない」ということを示します。この「新しい契約」が以前のものを廃れたものとしており,それは「近く消えてゆく」のです。―ヘブライ 8:12,13。
18 二つの契約下の犠牲の問題をパウロはどのように比較していますか。
18 パウロは以前の契約下の天幕で年ごとにささげられた犠牲について述べます。それは「法的な要求であって,物事を正すための定められた時まで課せられ」たものです。しかし,キリストが大祭司として到来した時に携えていたのは,自らの貴い血であり,やぎや若い雄牛の血ではありませんでした。モーセが動物の血を振り掛けたことによって以前の契約は有効になり,模型的な天幕は清められました。しかし,新しい契約に関連した天的な実体のためには勝った犠牲が必要でした。「キリストは,実体の写しである,手で造った聖なる場所にではなく,天そのものに入られたのであり,今やわたしたちのために神ご自身の前に出てくださるのです」。キリストはイスラエルの大祭司がしたように,年ごとに犠牲をささげる必要がありません。「今,ご自分の犠牲によって罪を取りのけるため,事物の諸体制の終結のときに,ただ一度かぎりご自身を現わされた」のです。―9:10,24,26。
19 (イ)律法は何を成し遂げることができませんでしたか。なぜですか。(ロ)神聖なものとすることに関する神のご意志は何ですか。
19 要約としてパウロはこう述べます。「律法は来たるべき良い事柄の影」ですから,それに基づく犠牲を繰り返しささげても,「罪の自覚」を除き去ることはできませんでした。しかし,イエスは神のご意志を行なうために世に来られました。「ここに述べた『ご意志』のもとに,わたしたちは,イエス・キリストの体がただ一度かぎりささげられたことによって,神聖なものとされている」とパウロは述べます。それゆえ,ヘブライ人は,自分の信仰を公に言い表わすことを,たじろぐことなくしっかり保ち,「互いのことをよく考えて愛とりっぱな業とを鼓舞し合い」,集まり合うことをやめてはなりません。真理の正確な知識を受けた後に故意に罪をおかしつづけるなら,「罪のための犠牲はもはや何も残されて」いません。―10:1,2,10,24,26。
20 (イ)信仰とは何ですか。(ロ)パウロは信仰の在り方をどのように熱烈なまでに生き生きと描き出していますか。
20 信仰について説明され,例証される(10:32-12:3)。パウロは今やヘブライ人に告げます。「あなた方は,啓発を受けた後数々の苦しみのもとで大きな闘いに耐えた先の日々をいつも思い出しなさい」。はばかりのないことばで語る態度を捨ててはなりません。それには大きな報いが伴うのです。約束の成就にあずかるために忍耐し,「信仰を抱いて魂を生き長らえさせる者」となるべきです。信仰! そうです,それが必要なのです。パウロはまず信仰を定義します。「信仰とは,望んでいる事柄に対する保証された期待であり,見えない実体についての明白な論証です」。次いでパウロは,人を奮い立たせる一つの章の中で,かつて生きて,働き,戦い,忍耐し,そして信仰によって義を受け継ぐ者となった昔の人々のことを次々に矢継ぎ早に,そして簡潔に生き生きと描き出します。「信仰によって」アブラハムはイサクやヤコブと共に天幕に住み,「真の土台を持つ都市」を待ち望みました。その建築者は神です。「信仰によって」,モーセは,「見えない方を見ているように」終始確固としていました。パウロは続けます,「このうえ何を言いましょうか。さらにギデオン,バラク,サムソン,エフタ,ダビデ,またサムエルやほかの預言者たちについて語ってゆくなら,時間が足りなくなるでしょう。彼らは信仰により,王国を闘いで撃ち破り,義を成し遂げ,約束を得(ました)」。他の人々も,あざけり,むち打ち,なわめ,拷問などの試練を受けましたが,釈放を受け入れようとはしませんでした。「さらに勝った復活を得ようと」していたからです。確かに,「世は彼らに値しなかった」のです。これらすべてはその信仰のゆえに証しされましたが,約束の成就にはこれからあずかるのです。パウロはさらに続けます,「こうして,これほど大勢の,雲のような証人たちに囲まれているのですから,わたしたちも,あらゆる重荷と容易に絡みつく罪とを捨て,自分たちの前に置かれた競走を忍耐して走ろうではありませんか。わたしたちの信仰の主要な代理者また完成者であるイエスを一心に見つめながら」。―10:32,39; 11:1,8,10,27,32,33,35,38; 12:1,2。
21 (イ)クリスチャンは信仰の闘いにおいてどのように忍耐することができますか。(ロ)神の警告を聴くべきより強力な理由をパウロはどのように示しますか。
21 信仰の闘いにおける忍耐(12:4-29)。パウロは,信仰の闘いにおいて忍耐するようヘブライ人のクリスチャンに説き勧めます。エホバは彼らを子として鍛練しておられるからです。今は,弱った手とひざを強くし,自分の足のためにまっすぐな道を作ってゆくべき時です。有毒な根や汚れが入って来ないよう厳重に警戒しなければなりません。エサウの場合のように,それが元となって神から退けられるようになることがあるのです。エサウは神聖な物事の価値を認識しませんでした。文字どおりの山で,モーセは,「わたしは恐ろしさに震える」と語りました。それは,炎の燃え立つ火と雲と声の恐るべき光景のためでした。しかし,彼らはそれよりもはるかに大きな畏怖の念を感じさせるもの,つまりシオンの山と天のエルサレム,幾万ものみ使い,初子たちの会衆,すべてのものの裁き主なる神,より勝った新しい契約の仲介者なるイエスに近づいたのです。今や,なおさら神からの警告に聞き従うべき理由があります。モーセの時代に,神の声は地を震わせました。しかし今,神は,天と地を共に激動させることを約束しておられます。パウロは論点を明示してこう述べます。「それゆえ,わたしたちは,揺り動かされることのない王国を受けることになっているのですから……敬虔な恐れと畏敬とをもって,受け入れられる仕方で神に神聖な奉仕をささげ(ましょう)。わたしたちの神は焼き尽くす火でもあるのです」― 12:21,28,29。
22 パウロは人を築き上げるどんな助言を述べて,「ヘブライ人への手紙」を結んでいますか。
22 崇拝の問題に関するさまざまな勧め(13:1-25)。パウロは,人を築き上げる次のような助言の形で手紙を結びます。兄弟の愛を保ちなさい。人を親切にもてなすことを忘れてはなりません。結婚はすべての人の間で誉れあるものとされるべきです。金銭に対する愛を避けなさい。あなた方の間で指導の任に当たっている人々に従順でありなさい。奇妙な教えによって運び去られてはなりません。最後に,「この方[イエス]を通して常に賛美の犠牲を神にささげましょう。すなわち,そのみ名を公に宣明する唇の実です」。―13:15。
なぜ有益か
23 パウロは律法について何を論じますか。彼は自分の論議をどのように裏付けていますか。
23 「ヘブライ人への手紙」は,キリストに関する法的な論証として他からの挑戦を許さぬ傑作であり,その完全な構成とヘブライ語聖書からの豊富な文書証拠とは異論の余地を与えません。この書は,契約,血,仲介者,崇拝の天幕,祭司職,捧げ物など,モーセの律法のさまざまな特色を取り上げ,それらが,来たるべき,はるかに偉大な事柄をあらかじめ指し示す,神により備えられたひな型にすぎなかったことを示しています。そのすべては,律法の成就であるイエス・キリストと,そのささげた犠牲とのうちに完結を見たのです。「廃れたものとされて古くなってゆく」律法は「近く消えてゆく」とパウロは語りました。一方,「イエス・キリストは,昨日も,今日も,そして永久に同じ」なのです。(8:13; 13:8; 10:1)こうした手紙を読んで,ヘブライ人のクリスチャンたちはどんなにか喜んだことでしょう。
24 ヘブライ人への書の中では,今日のわたしたちにも計り知れない益となるどんな取り決めについて説明されていますか。
24 しかし,このことは,異なった環境に住む今日のわたしたちにどんな価値があるのでしょうか。わたしたちは律法のもとにはいませんが,パウロの論議の中に何か有益なものを見いだすことができますか。もちろんできます。この手紙の中に,偉大な新しい契約のもとでの取り決めが略述されているのです。それは,アブラハムの胤を通して地のすべての家族が祝福を得るという約束に基づくものです。これこそ命のためのわたしたちの希望,わたしたちの唯一の希望であり,アブラハムの胤イエス・キリストによって祝福を与えることに関するエホバの昔からの約束の実現です。わたしたちは律法のもとにはいませんが,アダムの子孫として罪のうちに生まれており,憐れみ深い大祭司を必要としています。それは,法的に有効な罪の捧げ物を携え,天のエホバのおられる所に入り,そこでわたしたちのために執り成しをすることのできる方です。ここにこそ,わたしたちは,わたしたちをエホバの新しい世で命を得られるよう導くことのできる大祭司,わたしたちの弱いところを思いやることのできる方を見いだします。それは,「すべての点でわたしたちと同じように試され(た)」方,また「時にかなった助けとして憐れみを得,また過分のご親切を見いだすために,はばかりのないことばで過分のご親切のみ座に近づ」くよう,わたしたちを招いておられる方です。―4:15,16。
25 パウロはヘブライ語聖書のことばをどのように当てはめて啓発を与えていますか。
25 さらに,ヘブライ人にあてたパウロの手紙の中には,遠い昔ヘブライ語聖書の中に記録された数々の預言が後に驚嘆すべき仕方で成就したことを示す,心を奮い立たせるような証拠が見いだされます。そのすべては,今日のわたしたちの教えのため,また慰めのためです。例えば,パウロはヘブライ人への書の中で,詩編 110編1節にある王国に関する預言を5度イエス・キリストに当てはめ,イエスが王国の胤であることを示しています。そのイエスは「神のみ座の右に座(り)」,「自分の敵たちが自分の足の台として置かれるまで待」つことになったのです。(ヘブライ 12:2; 10:12,13; 1:3,13; 8:1)さらに,パウロは詩編 110編4節を引用し,『メルキゼデクのさまにしたがう永久の祭司』として,神の子イエスが果たす重要な職務について説明します。聖書の記録の中では「父もなく,母もなく,系図もなく,生涯の初めもなければ命の終わりもな(い)」昔のメルキゼデクと同じように,イエスは王であり,また,贖いのための自分の犠牲の永遠の益を,従順な態度で自らその支配に服するすべての者に施す『永久の祭司』でもあります。(ヘブライ 5:6,10; 6:20; 7:1-21)この同じ王なる祭司に関して,パウロは詩編 45編6節と7節を引用しつつさらに次のようにも語りました。「神は限りなく永久にあなたの王座,あなたの王国の笏は廉直の笏である。あなたは義を愛し,不法を憎んだ。それゆえに,神,あなたの神は,歓喜の油をあなたの仲間に勝ってあなたにそそがれた」。(ヘブライ 1:8,9)パウロがヘブライ語聖書から引用し,それがキリスト・イエスにいかに成就したかを示すにつれ,わたしたちは,神の備えたひな型の一つ一つがそれぞれの場所に収まり,自分たちが啓発されるのを見ます。
26 信仰と忍耐とをもって競走を走りつづける点でヘブライ人への書はどんな励みを与えますか。
26 「ヘブライ人への手紙」がはっきり示すとおり,アブラハムは王国を待ち望みました。それは「真の土台を持つ都市」であり,「その都市の建設者また造り主は神」です。それは,「天に属する」都市でもあります。「信仰によって」彼はその王国をとらえようとし,「さらに勝った復活」によってその祝福に到達するために多くの犠牲をいといませんでした。アブラハムおよび他のすべての信仰の男女,すなわちパウロがヘブライ 11章の中に描き出す「大勢の,雲のような証人たち」の中に,わたしたちは本当に目ざましい手本を見るではありませんか。その記録を読むにつれ,それら忠誠な信仰保持者たちと同じ特権と希望にあずかるわたしたちの心は喜びに躍ります。こうしてわたしたちは,「自分たちの前に置かれた競走を忍耐して走ろう」という励みを得ます。―11:8,10,16,35; 12:1。
27 ヘブライ人への書の中では,王国に関するどんな栄光ある見込みが明瞭に示されていますか。
27 パウロはハガイの預言を引用して,神の約束のことばに注意を引きます。「わたしは,さらにもう一度,地だけでなく天をも振るい動かす」。(ヘブライ 12:26。ハガイ 2:6)しかし,約束の胤であるキリスト・イエスによる神の王国は永久に存続するのです。「それゆえ,わたしたちは,揺り動かされることのない王国を受けることになっているのですから,過分のご親切のうちにとどまろうではありませんか。それによってわたしたちは,敬虔な恐れと畏敬とをもって,受け入れられる仕方で神に神聖な奉仕をささげることができます」。この奮い立たせるような記録は,キリストが2度目に現われること,それが「罪のことを離れ」,「自分の救いを求めて切に彼を待ち望む者たちに対して」であることを,わたしたちに保証しています。ですから,わたしたちは彼を通して「常に賛美の犠牲を神にささげましょう。すなわち,そのみ名を公に宣明する唇の実です」。エホバ神の大いなるみ名が,その王なる祭司イエス・キリストを通して,永久に神聖なものとされますように。―ヘブライ 12:28; 9:28; 13:15。
[脚注]
a 「聖書の話」(英文),1964年,91ページ。
b 1981年,復刻版,第4巻,147ページ。
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聖書の59番目の書 ― ヤコブの手紙『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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聖書の59番目の書 ― ヤコブの手紙
筆者: ヤコブ
書かれた場所: エルサレム
書き終えられた年代: 西暦62年以前
1 ヤコブがヤコブという名の付された書の筆者であることに関して,どんな事情のために疑問が生じますか。
「彼は気が変になってしまった」。イエスの親族はイエスについてこのように考えました。イエスの地上での宣教期間中,実際,「その兄弟たちは彼に信仰を働かせて」いませんでしたし,ヤコブと共にヨセフ,シモン,およびユダはイエスの初期の弟子たちの中に入っていませんでした。(マルコ 3:21。ヨハネ 7:5。マタイ 13:55)では,どんな根拠で,イエスの異父兄弟ヤコブがヤコブという名の付された,聖書の一書を書いたと言えるでしょうか。
2 イエスの異父兄弟がヤコブの書の筆者であったという見方の論拠となるのはどんな事ですか。
2 復活したイエスはヤコブに現われたことが記録されています。これは,イエスがメシアであることを彼に疑問の余地なく納得させたに違いありません。(コリント第一 15:7)使徒 1章12節から14節は,既にペンテコステの前に,マリアおよびイエスの兄弟たちが,祈りのため,エルサレムのとある階上の間に使徒たちと共に集まっていたことを述べています。しかし,使徒の一人でヤコブと呼ばれる人がこの手紙を書いたのではありませんか。そうではありません。手紙の出だしのところで,筆者は,自分のことを,使徒の一人としてではなく,「主イエス・キリストの奴隷」として述べているからです。さらに,ユダの手紙の導入のことばはヤコブの手紙の導入部と似ており,ユダのことを同じように「イエス・キリストの奴隷,しかしヤコブの兄弟」と呼んでいます。(ヤコブ 1:1。ユダ 1)以上のことから,イエスの異父兄弟であるヤコブとユダがそれぞれ自分の名の付された,聖書の書を書いたと結論できます。
3 ヤコブにはこのような手紙を書く資格のあったことを述べなさい。
3 ヤコブはクリスチャン会衆に対する助言の手紙を書く点で際立った資格を備えていました。彼はエルサレム会衆内の一監督として大いに尊敬されていました。パウロは,「主の兄弟ヤコブ」がケファやヨハネと共に会衆の「柱」となっていたことを述べています。(ガラテア 1:19; 2:9)ヤコブが目立った立場を占めていたことは,獄から解放されたペテロが直ちに「ヤコブと兄弟たちに」知らせを送ったことにも示されています。そして,パウロとバルナバがエルサレムまで旅行して割礼に関する決定を求めた時,「使徒や年長者たち」の代弁者を務めたのはヤコブではありませんでしたか。ついでながら,この時の決定と「ヤコブの手紙」とは共に,「あいさつを送ります」という同じことばで始まっています。これも,これら二つの書の筆者が同じであることを示す別の手掛かりです。―使徒 12:17; 15:13,22,23。ヤコブ 1:1。
4 「ヤコブの手紙」が西暦62年の少し前に書かれたことを何が示していますか。
4 歴史家ヨセフスによると,石打ちによってヤコブを殺した責任があったのは,サドカイ人の祭司長アンナス(アナヌス)でした。このことが起きたのはローマ総督フェストの死後西暦62年ごろで,その後任者アルビヌスが職務に就く前のことでした。a しかし,ヤコブはいつこの手紙を書いたのでしょうか。ヤコブはその手紙を「各地に散っている十二部族」,字義的には「離散の(者たち)」にあててエルサレムから書き送りました。(ヤコブ 1:1,脚注)西暦33年に聖霊が注がれた後,キリスト教が広まるまでには時間がかかったでしょうし,またこの手紙の中で述べられている急を要する事態が展開するまでにも時間がかかったことでしょう。さらに,この手紙は,クリスチャンがもはや小さな集団ではなく,弱い人々のために祈ったり,それらの人々を支えたりすることのできる円熟した「年長者たち」のいる会衆に組織されていたことを示しています。その上,ある程度の自己満足の気持ちや形式主義が忍び込むほど十分の時間がたっていました。(2:1-4; 4:1-3; 5:14; 1:26,27)したがって,もし,フェストの死の前後の出来事に関するヨセフスの記述や,フェストの死を西暦62年ごろとする典拠が正確であれば,ヤコブはその手紙をかなり遅い時期,恐らく西暦62年よりも少し前ごろに書いたと考えて,まず間違いないでしょう。
5 ヤコブの書の信ぴょう性は何によって証明されていますか。
5 ヤコブの手紙の信ぴょう性について言えば,この手紙はバチカン写本1209,シナイ写本,およびアレクサンドリア写本の中に含まれています。また,西暦397年のカルタゴ会議以前の,少なくとも10の古代目録の中に含まれています。b また,この手紙は初期の教会著述家たちによって広く引用されています。ヤコブの記した事柄の中には,霊感による聖書の他の部分との内面的な調和が明瞭に見られます。
6 (イ)どんな状況のためにヤコブはこの手紙を書きましたか。(ロ)ヤコブのことばは信仰に関するパウロの論議と矛盾しているのではなく,むしろそれをどのように補っていますか。
6 ヤコブはどんな理由でこの手紙を書きましたか。手紙の内容を細かに調べてみると,内部的な状態が兄弟たちの間に問題を生み出していたことが分かります。キリスト教の規準が引き下げられ,そうです,無視されるようにさえなり,ある人々は世との交友という点で霊的な姦婦になっていました。ある人々は矛盾していると思える点をでっち上げようとするあまり,業による信仰を勧める「ヤコブの手紙」が,業ではなく,信仰による救いについて記したパウロのことばを無にするものであると唱えてきました。しかし,文脈を考慮すると,ヤコブは単なる言葉ではなく,業によって裏付けられた信仰について述べているのに対し,パウロは律法の業についてはっきり述べていることが分かります。実際には,ヤコブはパウロの論議を補い,信仰がどのように表明されるかを明示して論議を一歩進めているのです。クリスチャンの日々の問題を扱っているという点で,ヤコブの助言は極めて実際的です。
7 ヤコブはイエスの教え方をどのように見倣っていますか。それにはどんな効果がありますか。
7 動物,船,農夫,草木など日常生活から得た数々の例えは,信仰,忍耐,辛抱などに関するヤコブの論議を多彩な仕方で支えています。こうしてイエスの好結果を収めた教え方に倣ったので,ヤコブの助言は極めて力強いものです。この手紙を読む人は,各人の行動を促す動機に対するヤコブの鋭い識別力に感心させられます。
「ヤコブの手紙」の内容
8 辛抱強い忍耐は何をもたらしますか。しかし誤った欲望は何を生み出しますか。
8 「み言葉を行なう者」として辛抱強く忍耐する(1:1-27)。ヤコブは次の励ましのことばで手紙を始めます。「わたしの兄弟たち,さまざまな試練に遭うとき,それをすべて喜びとしなさい」。辛抱強い忍耐によって人は完全な者となるのです。知恵の欠けた人がいるなら,その人は神に知恵を求め続けるべきです。しかし,風に吹かれて揺れ動く海の波のような疑う者とならず,信仰のうちに求めるべきです。低い立場にある人は高くされますが,富んだ人々は滅び去る草花のようにうせ果てます。試練に耐えてゆく人は幸いです。その人は「エホバがご自分を愛し続ける者たちに約束されたもの,すなわち命の冠を受ける」からです。悪い事柄をもって神が人を誘惑して人に没落を被らせることはありません。その人自身の誤った欲望がはらんで罪を産み,その罪が死を生み出すのです。―1:2,12,22。
9 「み言葉を行なう者」となることには何が含まれていますか。どんな崇拝の方式は神の是認を受けますか。
9 すべての良い賜物はどこから来るのでしょうか。決して変わることのない「天の光の父」からです。「父は自らそう意図されたので,わたしたちを真理の言葉によって生み出し,わたしたちがある意味で被造物の初穂となるようにされました」と,ヤコブは語ります。ですから,クリスチャンは,聞くことに速く,語ることに遅く,憤ることに遅くあるべきで,あらゆる汚れと道徳上の悪とを捨て去り,救いの言葉が植え付けられるのを受け入れるべきです。『み言葉を行なう者となり,ただ聞くだけの者となってはなりません』。鏡のような自由の律法の中を熟視して,それを守り通す人は,「それを行なうことによって幸福になります」。自分の舌にくつわをかけない人の形式的な崇拝は無益です。しかし,「わたしたちの神また父から見て清く,汚れのない崇拝の方式はこうです。すなわち,孤児ややもめをその患難のときに世話すること,また自分を世から汚点のない状態に保つことです」。―1:17,18,22,25,27。
10 (イ)どんな区別は退けるべきですか。(ロ)業と信仰にはどんな関係がありますか。
10 信仰は正しい業によって全うされる(2:1-26)。兄弟たちは区別を設け,富んだ人々に対して貧しい人々に対する以上の好意を示しています。しかし,「神は,世に関しては貧しい者を選んで信仰に富ませ」,「王国の相続者」とされたのではありませんか。富んだ者たちは圧迫者となっているのではありませんか。兄弟たちは,「あなたは隣人を自分自身のように愛さねばならない」という王たる律法を実践し,人を偏り見る態度を退けるべきです。また,憐れみをも実践すべきです。律法に関して言えば,だれでもその一点を犯す人は,全体を犯すことになるからです。困っている兄弟や姉妹に実際の援助を与えないで,「暖かくして,じゅうぶん食べなさい」と言う場合のように,業のない信仰は無意味です。業を別にした信仰を示せるでしょうか。アブラハムの信仰は,イサクを祭壇の上にささげたその業によって完全にされたのではありませんか。同様に,娼婦ラハブも「業によって義と宣せられた」のです。それで,業のない信仰は死んだものなのです。―2:5,8,16,19,25。
11 (イ)ヤコブはどんな例えで舌の使い方について警告を述べますか。(ロ)知恵と理解力とはどのように示されますか。
11 舌を制御して,人に知恵を教える(3:1-18)。兄弟たちは,教える者となる点で注意深くあるべきです。より重い裁きを受けないようにするためです。だれでも幾度もつまずきます。くつわが馬の体を御し,小さな舵が大きな船を操るように,小さな肢体である舌も大きな力を有しています。それは大きな森林をも燃やすことのできる火のようです。舌よりは,野生の動物のほうがならして従わせやすいほどです。それをもって人はエホバをたたえ,同時に仲間の人間をのろいます。これは正しくありません。泉は苦い水と甘い水の両方を生じさせるでしょうか。いちじくの木がオリーブの実を生じさせるでしょうか。ぶどうがいちじくを,塩水が甘い水を生じさせるでしょうか。「あなた方の中で知恵と理解力のある人はだれですか」と,ヤコブは問いかけます。その人は自分の業を温和さをもって示し,闘争的な心や,真理に逆らって動物的な態度で自慢したりすることを避けるべきです。「上からの知恵はまず第一に貞潔であり,次いで,平和を求め,道理にかない,進んで従い,憐れみと良い実とに満ち,不公平な差別をせず,偽善的で(はない)」からです。―3:13,17。
12 (イ)会衆内にどんなよくない状態が存在していますか。それはどこから来ていますか。(ロ)エホバの是認を受けるためにどんな態度を避け,どんな資質を培うべきですか。
12 肉欲の快楽や世との交友を避けなさい(4:1-17)。『あなた方の間の争いはどこから起こるのですか』。ヤコブは自分自身の問いに,「肉欲の快楽に対するあなた方の渇望」からですと答えます。ある人々の動機は間違っています。世の友になろうとする人たちは「姦婦」であり,神の敵になります。ですから,「悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば,彼はあなたから逃げ去ります。神に近づきなさい。そうすれば,神はあなた方に近づいてくださいます」と,ヤコブは説き勧めます。エホバは謙遜な人々を高めてくださいます。それゆえ,兄弟たちは互いに裁き合うのをやめるべきです。また,だれも自分の命が明日どうなるか分からないのですから,「もしエホバのご意志であれば,わたしたちは生きていて,これを,あるいは,あれをすることでしょう」と言うべきです。誇りはよこしまなもので,正しいことを知っていながら,それを行なわないのは罪です。―4:1,4,7,8,15。
13 (イ)富んだ人々はなぜ災いですか。(ロ)ヤコブは,辛抱と忍耐の必要をどのように例えで示しますか。結果はどうなりますか。
13 義のうちに忍耐する人は幸いです(5:1-20)。ヤコブは言明します,『富んだ人たちよ,泣きなさい。泣きわめきなさい。あなた方の富のさびはあなた方に不利な証人となります。万軍のエホバは,あなた方が強奪を働いた刈り入れ人たちの助けを求める声を聞きました。あなた方はぜいたくと肉欲の快楽にふけってきました。それでいて義人を罪に定め,また殺害してきました』。しかし,主の臨在が近いのを見て,兄弟たちは収穫を待つ農夫のように辛抱し,「エホバの名によって語った」預言者たちの模範を思い見るべきです。忍耐した人は幸いです。兄弟たちは,ヨブの忍耐とエホバが与えた結末を,そして『エホバが優しい愛情に富まれ,憐れみ深い方』であることを思い起こすべきです。―5:1-6,10,11。
14 罪を告白することまた祈りに関して結びにどんな助言が与えられていますか。
14 誓うことをやめなさい。むしろ,「はいは,はいを,いいえは,いいえを意味する」ようにしなさい。互いに自分の罪をあらわに告白し,互いのために祈りなさい。エリヤの祈りに示されるとおり,「義にかなった人の祈願は……大きな力があります」。惑わされて真理からそれる人がいる場合,その人を立ち返らせる人は,「その人の魂を死から救い,多くの罪を覆う」ことになります。―5:12,16,20。
なぜ有益か
15 ヤコブはヘブライ語聖書のことばをどのように当てはめていますか。その例を挙げなさい。
15 ヤコブはイエスの名を2度しか挙げていませんが(1:1; 2:1),主の教えを多くの点で実際に当てはめています。そのことは,「ヤコブの手紙」と山上の垂訓とを注意深く比べてみれば分かります。それと共に,エホバの名は13回現われており(「新世界訳」),信仰を守るクリスチャンに対する報いとしてエホバの約束が強調されています。(4:10; 5:11)ヤコブは例証のために繰り返しヘブライ語聖書を引き合いに出し,自分の実際的な助言を発展させるために適切な引用をしています。ヤコブは,「……という聖句による」,「……と述べる聖句が成就され」,「……と聖句が述べている」などの表現によって,出所を明らかにし,そうした聖句をクリスチャンの生活に当てはめています。(2:8,23; 4:5)助言の要点を明瞭にし,調和の取れた神のみ言葉全体に対する信仰を築き上げるために,ヤコブは,アブラハムの信仰の業,ラハブが業によって信仰を実証したこと,ヨブの忠実な忍耐,エリヤが祈りに頼ったことなどにふさわしい仕方で言及しています。―ヤコブ 2:21-25; 5:11,17,18。創世記 22:9-12。ヨシュア 2:1-21。ヨブ 1:20-22; 42:10。列王第一 17:1; 18:41-45。
16 ヤコブはどんな助言と警告を与えていますか。そうした実際的な知恵はどこから来ていますか。
16 み言葉をただ聞く者ではなく行なう者となり,義の業によって信仰を実証しつづけ,試練を耐え忍ぶことに喜びを見いだし,神に知恵を求めつづけ,祈りによって常に神に近づき,また「隣人を自分自身のように愛さねばならない」という王たる律法を実践しなさい,というヤコブの助言は極めて貴重なものです。(ヤコブ 1:22; 2:24; 1:2,5; 4:8; 5:13-18; 2:8)誤りを教え,有害な仕方で舌を用い,会衆内に階級差別を設け,肉欲の快楽を渇望し,朽ちる富に依り頼むことを非とするヤコブの警告のことばは強力です。(3:1,8; 2:4; 4:3; 5:1,5)ヤコブは,世との交友が霊的な姦淫となり,神との敵対になることをはっきり示し,また,神の目から見て清い崇拝の実践がどういうものであるかを定義します。すなわち,「孤児ややもめをその患難のときに世話すること,また自分を世から汚点のない状態に保つこと」です。(4:4; 1:27)極めて実際的で理解しやすいこうしたすべての助言こそ,初期クリスチャン会衆の「柱」とされたこの人に当然期待されるものです。(ガラテア 2:9)その思いやりのある音信は,不穏な現代のクリスチャンにとっても依然として確かな指針です。それは,「義の実」を生み出す「上からの知恵」であるからです。―3:17,18。
17 信仰の業を忍耐して続けるためのどんな強力な理由が示されていますか。
17 ヤコブは,自分の兄弟たちが神の王国における命という目標に到達するのを助けようと熱心な気持ちを抱いていました。そのため彼らにこう促しました。「あなた方も辛抱し,心を強固にしなさい。主の臨在が近づいたからです」。試練を忍耐しつづけるなら幸いです。神の是認を受けるなら,「エホバがご自分を愛し続ける者たちに約束されたもの,すなわち命の冠を受ける」ことになるからです。(5:8; 1:12)こうして,天での不滅の命,あるいは地上でのとこしえの命のいずれにせよ,命の冠に関する神の約束が,忠実な業を忍耐強く続けるための強力な理由として強調されています。確かにこのすばらしい手紙は,天で受けるにせよ,あるいは王国の胤である,わたしたちの主イエス・キリストの治める,エホバの新しい世で受けるにせよ,永遠の命という目標をとらえるよう,すべての人に励みを与えるものです。―2:5。
[脚注]
a 「ユダヤ古代誌」(英文),XX,197-200(ix,1)。「ウェブスター新伝記事典」(英文),1983年,350ページ。
b 303ページの表をご覧ください。
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聖書の60番目の書 ― ペテロの第一の手紙『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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聖書の60番目の書 ― ペテロの第一の手紙
筆者: ペテロ
書かれた場所: バビロン
書き終えられた年代: 西暦62-64年ごろ
1 なぜクリスチャンは試練を忍ばねばなりませんでしたか。「ペテロの第一の手紙」はなぜ適切な時に書かれたと言えますか。
初期クリスチャンたちが神の卓越性を広く宣明してゆくにつれて王国の業は栄え,ローマ帝国の全域に拡大してゆきました。しかしながら,この熱心な人々についてある程度の誤解も生じていました。一つの点として,彼らの宗教はエルサレムまたユダヤ人にその起源を置いていましたから,ある人々は彼らを政治的な野心を持つユダヤ教の熱狂者と混同し,ローマのくびきに反抗して絶えず地方の総督たちの手を焼かせていた者たちと同様にみなしました。さらに,クリスチャンは皇帝に犠牲をささげることを拒み,当時の異教の儀式に携わろうとしませんでしたから,その点で他の人々と異なっていました。彼らはあしざまに言われ,その信仰のゆえに数々の試練に耐えなければなりませんでした。まさに適切な時に,また神の霊感の証拠とも言うべき先見をもって,ペテロは自分の最初の手紙を書き,確固とした立場を守るようクリスチャンを励まし,時のカエサルであったネロのもとでいかに身を処すべきかを諭しました。そのすぐ後に始まったあらしのような迫害について思う時,この手紙は極めて適切な時期に書かれたと言えます。
2 ペテロがその名の付されている手紙の筆者であったことは何によって証明されていますか。この手紙はだれにあてられたものですか。
2 ペテロがその筆者であることは冒頭の言葉から立証されます。さらに,イレナエウス,アレクサンドリアのクレメンス,オリゲネス,テルトゥリアヌスなども皆この手紙から引用し,その筆者としてペテロの名を挙げています。a ペテロ第一の書の信ぴょう性は,他の霊感の手紙の場合と同じく証明されています。エウセビオスは,教会の長老たちがこの手紙を自由に引用したことを述べています。つまり,エウセビオスの時代(西暦260年ごろ-340年ごろ)に,この手紙の信ぴょう性に関する疑いはなかったのです。イグナティウス,ヘルマス,バルナバスなど2世紀初めの人々も皆この手紙に言及しています。b ペテロ第一の書は霊感による聖書の他の部分と完全に調和しており,小アジアの地区である「ポントス,ガラテア,カパドキア,アジア,ビチニアの各地に散っている一時的居留者たち」,ユダヤ人と非ユダヤ人のクリスチャンに対する強力な音信を提出しています。―ペテロ第一 1:1。
3 ペテロ第一の書が書かれた時期に関してどんな証拠がありますか。
3 この手紙はいつ書かれましたか。手紙全体の調子から見て,当時のクリスチャンは異教徒か,まだ転向していないユダヤ人のいずれかのために試練に遭遇してはいましたが,西暦64年に開始された,ネロによる組織的な迫害はまだ始まっていなかったと考えられます。ペテロはそのすぐ前,恐らく西暦62年から64年までの間にこの手紙を書いたものと思われます。マルコがまだペテロと共にいたということも,この結論を強化するものとなります。パウロがローマで最初に投獄されていた時(西暦59-61年ごろ),マルコはパウロと一緒にいましたが,まもなく小アジアに向けて旅立つことになっていました。また,パウロが2度目に投獄された時(西暦65年ごろ),マルコは再びローマでパウロと共になることになっていました。(ペテロ第一 5:13。コロサイ 4:10。テモテ第二 4:11)この中間の期間に,マルコはバビロンでペテロと一緒にいる機会があったと考えられます。
4,5 (イ)ペテロがこの手紙をローマで書いたという主張の誤りはどのように証明されますか。(ロ)ペテロがこの手紙を文字どおりのバビロンから書き送ったことを何が示唆していますか。
4 ペテロ第一の書はどこで書かれましたか。聖書の注釈者たちは,この書の信ぴょう性,正典性,筆者,書かれた時期に関しては一致を見ていますが,どこで書かれたかという点になると意見が分かれています。ペテロ自身の証言によれば,彼はバビロンにいた時分に第一の手紙を書きました。(ペテロ第一 5:13)しかし,中には,「バビロン」とはローマを意味する,なぞのような名称であるとして,ペテロはローマから手紙を書き送ったのだと主張する人もいます。しかし,証拠はそのような見方を支持していません。バビロンが特にローマを指すことを示唆する箇所は聖書のどこにもありません。ペテロはこの手紙を文字通りのポントス,ガラテア,カパドキア,アジア,およびビチニアの人たちにあてて書いたので,当然のこととして,バビロンに言及したペテロはその名称を持つ文字通りの場所を指していたと考えられます。(1:1)ペテロがバビロンにいたと考えるべき十分の理由がありました。彼は『割礼を受けた人たちのための良いたより』を託されており,また古代都市バビロンとその周辺にはかなりの数のユダヤ人が住んでいました。(ガラテア 2:7-9)「ユダヤ百科事典」はバビロニア・タルムードが編さんされたことについて論じた箇所で,西暦紀元の始まった時期のユダヤ人の「バビロンの大学」に言及しています。c
5 ペテロの二つの手紙を含め,霊感による聖書は,ペテロがローマに行ったとは述べていません。パウロは自分がローマに来ていることについて述べていますが,ペテロがそこにいたことについては一度も述べていません。パウロは「ローマ人への手紙」の中で35人の人の名を挙げ,26人の人に名ざしであいさつを送っています。しかし,どうしてペテロの名を挙げていないのでしょうか。ペテロがその時そこにいなかったからにほかなりません!(ローマ 16:3-15)ペテロは第一の手紙を「バビロン」から書き送りましたが,この「バビロン」は明らかにメソポタミアのユーフラテス河畔にあった文字どおりのバビロン市でした。
「ペテロの第一の手紙」の内容
6 ペテロはどんな希望について書いていますか。この希望への「新たな誕生」は何に基づいて可能になりましたか。
6 キリストによる生ける希望への新たな誕生(1:1-25)。始めのところで,ペテロはその手紙を読む人々の注意を,「生ける希望への新たな誕生」,および,その人々のため天に取って置かれているあせることのない相続財産に向けさせています。これは神の憐れみによるものであり,イエス・キリストの復活を通して備えられたものです。そのために,「選ばれた者たち」は,さまざまな試練によって憂え悲しんでいるとはいえ,大いに歓んでいます。これは,彼らの信仰の試された質が「イエス・キリストの表わし示される時に,賛美と栄光と誉れのいわれ」となるためです。昔の預言者たち,それに,み使いたちさえ,この救いについて知ろうとしました。それゆえ,選ばれた者たちは活動のために自分の思いを引き締め,この過分のご親切に希望を置き,すべての行状において聖なる者となるべきです。朽ちるものではなく,「きずも汚点もない子羊の血のような貴重な血,すなわちキリストの血」によって救い出されたことを考えるなら,これは当然ではありませんか。「新たな誕生」は,生ける,いつまでも存在される神エホバの言葉によってなされました。その言葉は永久に保つものであり,良いたよりとして彼らに宣明されたものです。―1:1,3,7,19,23。
7 (イ)クリスチャンたちはどんなものとして築き上げられていますか。それにはどんな目的がありますか。(ロ)一時的居留者であるクリスチャンはどのような行状を保つべきですか。
7 諸国民の間でりっぱな行状を保つ(2:1-3:22)。クリスチャンたちは,生ける石として霊的な家に築き上げられつつあります。それは,神に受け入れられる霊的な犠牲をイエス・キリストを通してささげるためのものであり,キリストは不従順な者にとってはつまずきの石となった土台の隅石です。信仰を働かせている人々は「王なる祭司,聖なる国民」となりました。それは,『闇からご自分の驚くべき光の中に呼び入れてくださった方の卓越性を広く宣明するため』です。諸国民の間に宿る一時的居留者として,肉の欲望を避け,りっぱな行状を保つべきです。また,王であれ,王から遣わされた総督であれ,「人間の創造したものすべて」に服すべきです。そうです,「あらゆる人を敬い,仲間の兄弟全体を愛し,神を恐れ,王を敬いなさい」。同様に,僕は自分の所有者に服し,正しい良心を抱いて,不当な苦しみを受けても耐え忍ぶべきです。キリストでさえ,罪のない方であったにもかかわらず,ののしりや苦しみを甘んじて受け,ご自分の歩みにしっかり付いて行けるよう,「手本」を残されました。―2:9,13,17,21。
8 (イ)妻と夫のそれぞれにどんな健全な訓戒が与えられていますか。(ロ)神のみ前で正しい良心を持てるようになるためには,何が必要ですか。
8 服従の原則は妻たちにも当てはまります。妻は言葉によらず,貞潔な行状と深い敬意によって,信者でない夫を引き寄せることができます。妻たちの関心は外面の飾りであってはなりません。従順なサラのように,「もの静かで温和な霊という朽ちない装いをした,心の中の秘められた人」を飾りとすべきです。それは,「神の目に大いに価値のあるもの」なのです。夫たちは,「弱い器」,また『過分の恵みとしての命を共に受け継ぐ者』として妻を敬うべきです。クリスチャンはみな兄弟愛を示すべきです。『命を愛する者は悪いことから離れて善いことを行ない,平和を求めてこれを追い求めよ。エホバの目は義にかなった者たちの上にあるからである』。人を恐れるのではなく,むしろ自分の希望について常に弁明する備えをしているべきです。悪を行なって苦しみに遭うよりは,神のご意志のもとに善を行なって苦しみに遭うほうが勝っています。「キリストでさえ罪に関して一度かぎり死なれました。義なる方が不義の者たちのためにです。それはあなた方を神に導くためでした。彼は肉において死に渡され,霊において生かされたのです」。箱船を建造することによって表明されたノアの信仰は,ノア自身とその家族を生き長らえさせるものとなりました。それに対応する仕方として,復活させられたキリストに対する信仰に基づいて自ら神に献身し,その信仰の象徴としてバプテスマを受け,神のご意志を行ない続ける人たちは救われて,神により正しい良心を授けられます。―3:4,7,10-12,18。
9 クリスチャンはどんな精神の意向を持つべきですか。どんなことに直面してもそうすべきですか。
9 苦しみに遭っても,クリスチャンとして神のご意志を行なうことを歓びとする(4:1-5:14)。クリスチャンはキリストと同じ精神の意向を持つべきです。そして,「放とうの同じ下劣なよどみにまで」共に走り続けないため,あしざまに言われるとしても,もはや諸国民の欲するところではなく,ただ神のご意志を行なうためにのみ生きるべきです。すべてのものの終わりが近づきましたから,健全な思いをもち,よく祈り,互いに対して熱烈な愛を抱き,神に栄光が帰せられるために,すべてのことを行ないなさい。自分たちの間で試練の火が燃えさかっても当惑してはならず,むしろキリストの苦しみにあずかる者として歓びなさい。しかし,だれも悪行者となって苦しみに遭ってはなりません。裁きは神の家から始まるのですから,「神のご意志にしたがって苦しみに遭っている者たちは,善を行ないつつ,自分の魂を忠実な創造者にゆだねてゆきなさい」。―4:4,19。
10 年長者や若い人々にはどんな助言が与えられていますか。ペテロ第一の書はどんな力強い保証の言葉で結ばれていますか。
10 年長者は神の羊の群れを,自ら進んで,そうです,熱心な態度で牧すべきです。群れの模範となるなら,主要な牧者の現わされた時に,あせることのない栄光の冠を受けることになります。若い人たちは年長者に服し,すべての人はへりくだった思いを身に着けるべきです。「神はごう慢な者に敵対し,謙遜な者に過分のご親切を施されるからです」。また,堅い信仰を持ち,「ほえるライオン」である悪魔に警戒しなさい。ペテロの結びの訓戒の中でも,再び力強い保証の言葉が響きます。「しかし,あなた方がしばらくのあいだ苦しみに遭った後,キリストとの結びつきにおいてあなた方をご自分の永遠の栄光に召された,あらゆる過分のご親切の神は,自らあなた方の訓練を終え,あなた方を確固とした者,強い者としてくださるでしょう。その神に偉力が永久にありますように。アーメン」。―5:5,8,10,11。
なぜ有益か
11 監督たちに対する忠告という点で,ペテロはイエスやパウロの助言をどのように受け継いでいますか。
11 「ペテロの第一の手紙」は監督たちに対する健全な忠告を含んでいます。ヨハネ 21章15節から17節にあるイエスご自身の助言,および使徒 20章25節から35節のパウロの助言のあとを受けて,ペテロは,監督の仕事が牧羊の仕事であり,私心なく,自ら進んで,熱心になすべきものであることを再び示します。監督は「主要な牧者」,イエス・キリストに服して仕える従属の牧者であり,神の羊の群れに関し主要な牧者に対して言い開きをしなければなりません。監督は他の人の模範となり,また謙遜さを尽くして神の関心事を顧みなければなりません。―5:2-4。
12 (イ)支配者や所有者に対して相対的服従をどのように示さねばなりませんか。(ロ)妻の服従および夫が持つ頭の権威に関してペテロはどんなことを訓戒しますか。(ハ)この手紙全体を通してクリスチャンのどんな特質が強調されていますか。
12 ペテロの手紙の中では,クリスチャンとしての服従に関する他の多くの面が取り上げられ,かつ優れた忠告が与えられています。ペテロ第一 2章13節から17節で,王や総督など支配者たちに対する服従に関して適正な助言が与えられています。しかし,これは相対的な服従です。それは主のためになされるものであり,『神に対する恐れ』が伴っていなければなりません。クリスチャンは神の奴隷なのです。家僕は自分の所有者に服し,「神に対する良心のゆえに」苦しみに遭わねばならないとしても,耐え忍ぶよう説き勧められています。また,妻たちにも,夫に対する服従に関して貴重な訓戒が与えられています。それは,信者でない夫を持つ場合にも当てはまるものです。妻たちの敬意のこもった貞潔な行状が「神の目に大いに価値のあるもの」であり,夫を真理の側に引き寄せる力ともなることが示されています。ここでペテロは,要点を強調するための例として,アブラハムに対するサラの忠実な服従について語ります。(ペテロ第一 2:17-20; 3:1-6。創世記 18:12)一方,夫たちは,自分が持つ頭の権威を,「弱い器」に対する当然の配慮を働かせつつ行使すべきです。この同じ点について,ペテロはさらにこう説き勧めます。「同じように,若い人たちよ,年長者たちに服しなさい」。次いでペテロは,へりくだった思い,つまり謙遜さの必要を強調します。これは,彼の手紙全体を通じて強調されているクリスチャンの特質です。―ペテロ第一 3:7-9; 5:5-7; 2:21-25。
13 (イ)神がクリスチャン会衆を召し出された目的を,ペテロはその手紙の中でどのように明らかにしていますか。(ロ)ペテロはどんな喜ばしい相続財産を指し示していますか。それに達するのはだれですか。
13 火のような試練と迫害が再び燃え上がろうとしていた時に,ペテロは読む者の力づけとなる励ましのことばをここに備えました。そして,彼の手紙は,今日同様の試練に直面するすべての人にとって実に貴重なものです。彼がいかにヘブライ語聖書に頼ってエホバの言葉を引用しているかに注意してください。「あなた方は聖なる者でなければならない。わたしは聖なる者だからである」。(ペテロ第一 1:16。レビ記 11:44)また,霊感による聖書の他のところから豊富な引用をしている部分で,ペテロは,クリスチャン会衆が生ける石から成る霊の家としてキリストという土台の上に築き上げられるさまを示しています。それにはどんな目的があるのでしょうか。ペテロはこう答えます。「あなた方は,『選ばれた種族,王なる祭司,聖なる国民,特別な所有物となる民』であり,それは,闇からご自分の驚くべき光の中に呼び入れてくださった方の『卓越性を広く宣明するため』なのです」。(ペテロ第一 2:4-10。イザヤ 28:16。詩編 118:22。イザヤ 8:14。出エジプト記 19:5,6。イザヤ 43:21。ホセア 1:10; 2:23)この「王なる祭司」たち,全員が祭司から成る神の聖なる国民に対して,ペテロは,「朽ちず,汚れなく,あせることのない相続財産」,「あせることのない栄光の冠」,キリストとの結びつきにおいて与えられる「永遠の栄光」の伴う王国の約束を差し伸べています。こうして,これらの人々は大きな励みを得て喜びのうちに進んで行くことができます。それは,キリストの「栄光の表わし示される時にも……歓び,また喜びにあふれる」ためです。―ペテロ第一 1:4; 5:4,10; 4:13。
[脚注]
a マクリントクおよびストロング共編,「百科事典」(英文),1981年復刻版,第8巻,15ページ。
b 「新聖書辞典」(英文),第2版,1986年,J・D・ダグラス編,918ページ。
c 「エルサレム」(英文),1971年,第15巻,755欄。
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聖書の61番目の書 ― ペテロの第二の手紙『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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聖書の61番目の書 ― ペテロの第二の手紙
筆者: ペテロ
書かれた場所: バビロン(?)
書き終えられた年代: 西暦64年ごろ
1 ペテロがペテロ第二の書の筆者であることをどんな事実が証明していますか。
二番目の手紙を書いた時,ペテロは自分の死の近いことを悟っていました。彼は,仲間のクリスチャンたちに,正確な知識の大切さを銘記させることを強く願っていました。それは,奉仕の務めにおいて確固とした態度を保つように彼らを助けるためでした。ペテロの名の付された第二の手紙の筆者が使徒ペテロであることを疑う理由が存在するでしょうか。この手紙そのものが,筆者がだれであるかに関する疑いをすべて取り除いています。筆者は,自分が「イエス・キリストの奴隷また使徒であるシモン・ペテロ」であることを述べています。(ペテロ第二 1:1)筆者はまた,これで「二度目の手紙をあなた方に書いてい(る)」とも述べています。(3:1)また,自分がイエス・キリストの変ぼうの目撃証人であることを述べ,目撃証人らしい感情を込めて,変ぼうについて記しています。ペテロはヤコブやヨハネと共にその変ぼうを目撃する特権に恵まれた人でした。(1:16-21)また筆者は,イエスが自分の死について予告したことを述べています。―ペテロ第二 1:14。ヨハネ 21:18,19。
2 ペテロ第二の書の正典性を示すどんな事実がありますか。
2 しかし,二つの手紙の文体の相違を指摘して,第二の手紙はペテロによるものではないとする人々がいます。しかし,それは真の問題とはならないはずです。それぞれの手紙の主題と目的は異なっているからです。さらに,ペテロは第一の手紙を「忠実な兄弟であるシルワノを通し(て)」書きましたが,シルワノが文章の構成という点である程度の自由を与えられていたとすれば,それは二つの手紙の文体の相違を説明するものとなるでしょう。シルワノは第二の手紙の記述には参与しなかったとみなされるからです。(ペテロ第一 5:12)「教父たちによる証言が乏しい」という理由でこの書の正典性を疑問視する人々もいます。しかし,『クリスチャン・ギリシャ語聖書の初期の重要な目録』の表にも見られるとおり,ペテロ第二の書は,カルタゴ第三会議以前の多くの権威者たちによって,聖書目録の一部とみなされていました。a
3 ペテロ第二の書はいつ,またどこで書かれたと思われますか。それはだれにあてられましたか。
3 「ペテロの第二の手紙」が書かれたのはいつですか。それは西暦64年ごろ,最初の手紙のすぐ後に,バビロンかその近くで書かれたと考えられます。しかし,特に書かれた場所については直接的な証拠がありません。この手紙が書かれた時,パウロの手紙の大部分は諸会衆で回覧されており,ペテロにも知られていました。ペテロはそれらの手紙を神の霊感によるものとみなし,それを「聖書の残りの部分」の部類に入れました。「ペテロの第二の手紙」は,「わたしたちと同じ特権としての信仰を得ている人々」にあてられており,その中には,最初の手紙をあてられた人々や,ペテロがそれまでに伝道した人々が含まれていました。最初の手紙は多くの地域で回覧されていたように,この二番目の手紙も一般的な性格の手紙でした。―ペテロ第二 3:15,16; 1:1; 3:1。ペテロ第一 1:1。
「ペテロの第二の手紙」の内容
4 (イ)兄弟たちは正確な知識の点で実を結ぶ者となるためにどのように努力すべきですか。彼らには何が約束されていますか。(ロ)預言の言葉はどのようにしていっそう確かなものになりましたか。なぜこれに注意を向けるべきですか。
4 天の王国への召しを確実にする(1:1-21)。ペテロは「信仰を得ている人々」に対する愛の関心をすぐに示します。彼は,「神およびわたしたちの主イエスについての正確な知識によって」その人々に対する過分のご親切と平和が増し加えられることを願います。神は,「貴く,しかも極めて壮大な約束」を彼らに惜しみなく与えてくださいました。それによって彼らは神の性質にあずかる者となれます。それゆえ,真剣な努力によって,信仰に,徳,知識,自制,忍耐,敬虔な専心,兄弟の愛情,そして愛を加えるべきです。もしこうした特質が満ちあふれるなら,正確な知識に関して無活動になったり,実を結ばなくなったりすることはありません。兄弟たちは,自分の召しと選び,それに彼らの主の永遠の王国に入る見込みを確実にするために,力を尽くして励むべきです。ペテロがこうしたことを彼らに思い出させるのは,『自分の幕屋を脱ぎ捨てることがまもない』のを知るからです。また,これは,ペテロが去った後,彼らがこれらのことを話し合えるようにするためでもあります。ペテロは聖なる山におけるキリストの荘厳な姿の目撃者でした。その時,「『これはわたしの子,わたしの愛する者である。わたし自らこの者を是認した』という言葉が荘厳な栄光によってもたらされた」のです。こうして,預言の言葉はいっそう確かなもの,いよいよ注意を向けるべきものとなりました。それは人間の意志によってもたらされたものではなく,「人が聖霊に導かれつつ,神によって語ったものだから」です。―1:1,2,4,14,17,21。
5 ペテロは偽教師についてどんな警告を与えていますか。そうした人々に対する神の裁きの確かさについてどんな強力な例を用いていますか。
5 偽教師に関する強い警告(2:1-22)。偽預言者や偽教師が破壊的な分派を持ち込み,みだらな行ないを助長し,真理にそしりをもたらすでしょう。しかし,彼らの滅びはまどろんでいるのではありません。神は罪を犯したみ使いたちを処罰することを差し控えませんでした。また,ノアの日に大洪水をもたらし,ソドムとゴモラを灰に帰させることをも差し控えませんでした。しかしエホバは伝道者ノアと義人ロトを救い出されました。それで,「エホバは,敬虔な専心を保つ人々をどのように試練から救い出すか,一方,不義の人々……を,切り断つ目的で裁きの日のためにどのように留め置くかを知っておられる」のです。そのような人たちは向こう見ずで,片意地で,理性のない動物のようであり,無知で,あしざまな言い方を好み,欺きの教えを喜びとし,姦淫にふけり,貪欲で,バラムのように悪行の報いを愛する人々だからです。彼らは自由を約束しながら自らは腐敗の奴隷です。そうした人々は,義の道を知らなかったほうがよかったでしょう。「犬は自分の吐いたものに戻り,豚は洗われてもまた泥の中で転げ回る」ということば通りのことが彼らに生じたからです。―2:9,10,22。
6 (イ)ペテロがこの手紙を書くのはなぜですか。神の約束についてペテロは何と述べていますか。(ロ)あざける者たちとは対照的に,クリスチャンは目ざめた者であることをどのように示すべきですか。
6 エホバの日をしっかりと思いに留める(3:1-18)。ペテロはクリスチャンの明せきな思考力を呼び起こして,以前に語られた事柄を思い出させるためにこの手紙を書いています。終わりの時代にはあざける者たちがやって来て,「この約束された[キリスト]の臨在はどうなっているのか」と言うでしょう。そうした人々は次のことを見過ごしています。つまり,神は古代の世を水によって滅ぼされましたが,「その同じみ言葉によって,今ある天と地は火のために蓄え置かれており,不敬虔な人々の滅びの日まで留め置かれているのです」。エホバにとって千年は一日のようです。ですから,「エホバはご自分の約束に関し(て)遅いのでは(なく)」,だれの滅びをも望まないゆえに辛抱しておられるのです。したがって,クリスチャンは自分の行状に注意し,エホバの日の臨在を待ち,それをしっかり思いに留めつつ,敬虔な専心を実践してゆくべきです。その日,天は火で溶解し,諸要素は極度の熱で溶けるのです。しかし,神の約束によって,「新しい天と新しい地」が到来します。―3:4,7,9,13。
7 こうした点をあらかじめ知るクリスチャンはどのように励み努めるべきですか。
7 したがって,「最終的に汚点もきずもない,安らかな者として見いだされるよう」力を尽くして励むべきです。主の辛抱を救いとみなすべきです。愛するパウロもそう書き送っているはずです。こうしたことをあらかじめ知った今,自分自身の確固たる態度から離れ落ちることのないよう警戒していなければなりません。ペテロは結びにこう述べます。「そうです,むしろ,わたしたちの主また救い主なるイエス・キリストの過分のご親切と知識において成長しなさい。この方に,今も,またとこしえの日に至るまでも栄光がありますように」。―3:14,18。
なぜ有益か
8 (イ)ペテロはヘブライ語聖書とギリシャ語聖書が共に霊感によるものであることをどのように証言していますか。(ロ)正確な知識をしっかり守ることによってわたしたちもどのように益を受けられますか。
8 正確な知識は何と肝要なのでしょう。ペテロ自身,ヘブライ語聖書から得た正確な知識を自分の論議の中に織り込んでいます。そして,ヘブライ語聖書が聖霊の霊感によるものであることをこう証言しています。「預言はどんな時にも人間の意志によってもたらされたものではなく,人が聖霊に導かれつつ,神によって語ったものだからです」。また彼は,パウロの知恵が「与えられた」ものであることを指摘しています。(1:21; 3:15)霊感による聖書のそれらすべての言葉を考慮し,正確な知識をしっかり守るなら,わたしたちも大いに益を受けられます。それによって,ペテロの述べた人々,つまり,「すべてのものは創造の初め以来と全く同じ状態を保っているではないか」と言う人々のように,自己満足に陥ることは決してありません。(3:4)また,ペテロがその手紙の2章で述べている人々のような偽教師のわなに陥ることもありません。むしろ,わたしたちはペテロや他の聖書筆者たちの与える諭しを常に考えるべきです。そのような諭しは,「真理にしっかり据えられ」,辛抱強く,また確固とした態度で,「わたしたちの主また救い主なるイエス・キリストの過分のご親切と知識において成長し」てゆく助けとなります。―1:12; 3:18。
9 どんな点で真剣な努力をすることが励まされていますか。なぜですか。
9 「神およびわたしたちの主イエスについての正確な知識」の点で成長するための助けとして,ペテロは,1章5節から7節に挙げられているようなクリスチャンの特質を培うための真剣な努力を勧め,次いで8節でこう付け加えています。「これらのものがあなた方のうちに在ってあふれるなら,それはあなた方が,わたしたちの主イエス・キリストについての正確な知識に関して無活動になったり,実を結ばなくなったりするのを阻んでくれるのです」。確かにこれは,この危機の時代に住む神の奉仕者たちを活動に鼓舞するすばらしい励ましです。―1:2。
10 (イ)ペテロはどんな約束を強調していますか。その約束に関連して,どんなことを勧めていますか。(ロ)王国の預言に関して,ペテロはどんな保証を与えていますか。
10 エホバ神の「貴く,しかも極めて壮大な約束」に確実にあずかる者となるため力を尽くして励むことは何と大切なのでしょう。それゆえペテロは,油そそがれたクリスチャンが王国の目標にしっかり目を留めることを勧めてこう述べます。「兄弟たち,自分の召しと選びを自ら確実にするため,いよいよ力を尽くして励みなさい。これらのことを行なってゆくなら,あなた方は決して失敗することはないからです。事実,そうすることによって,わたしたちの主また救い主イエス・キリストの永遠の王国に入る機会が,あなた方に豊かに与えられるのです」。次いでペテロはイエスの王国の栄光の荘厳さに注意を促しています。変ぼうの幻によってペテロはその目撃証人となったのであり,彼はこう付け加えます。「したがって,わたしたちにとって預言の言葉はいっそう確かなものとなりました」。確かに,エホバの荘厳な王国に関するすべての預言は必ず成就します。それゆえ,わたしたちは,ペテロがイザヤの預言から引用した次の言葉を自分も確信をもって語ることができます。「神の約束によってわたしたちの待ち望んでいる新しい天と新しい地があります。そこには義が宿ります」。―ペテロ第二 1:4,10,11,19; 3:13。イザヤ 65:17,18。
[脚注]
a 303ページの表をご覧ください。
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聖書の62番目の書 ― ヨハネの第一の手紙『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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聖書の62番目の書 ― ヨハネの第一の手紙
筆者: 使徒ヨハネ
書かれた場所: エフェソスまたはその近く
書き終えられた年代: 西暦98年ごろ
1 (イ)ヨハネの記したものにはどんな特質があふれていますか。しかし,彼が感傷的な人ではなかったことを何が示していますか。(ロ)なぜヨハネの3通の手紙は適切な時に書かれたと言えますか。
イエス・キリストの愛する使徒であったヨハネは義に対する強い愛を抱いていました。これは,彼がイエスの思いを鋭く洞察する助けになりました。ですから,ヨハネの記した書の中で愛という主題が際立っていても驚くには当たりません。しかし,ヨハネは感傷的な人ではありませんでした。イエスは彼のことを,「雷の子ら」(ボアネルゲス)の一人と呼んでいるからです。(マルコ 3:17)事実,彼が三つの手紙を書いたのも,真理と義を擁護するためでした。当時,使徒パウロの予告した背教が既に明瞭になっていたのです。ヨハネの3通の手紙はまさに適切な時に書かれました。それらは,「邪悪な者」の侵入と戦う初期クリスチャンたちを助けるものとなったからです。―テサロニケ第二 2:3,4。ヨハネ第一 2:13,14; 5:18,19。
2 (イ)ヨハネの手紙が,マタイやマルコによる書およびパウロやペテロが宣教者として記した手紙よりずっと後の時代に書かれたことを何が示していますか。(ロ)ヨハネの手紙はいつごろ,どこで書かれたと思われますか。
2 内容から判断できる点ですが,これらの手紙はマタイやマルコなどの福音書よりずっと後の時代のもので,ペテロやパウロが宣教者として記した手紙よりもさらに後の時代のものです。時代は変わっていました。揺らん期の諸会衆にとって大きな脅威となったユダヤ教のことは何も述べられていません。ヘブライ語聖書からの直接の引用は一度もなされていないようです。また,ヨハネは,「終わりの時」,および「多くの反キリスト」の出現について述べています。(ヨハネ第一 2:18)ヨハネは自分の手紙を読む人々のことを「わたしの子供ら」というような表現で呼び,自分自身のことは「年長者」と呼んでいます。(ヨハネ第一 2:1,12,13,18,28; 3:7,18; 4:4; 5:21。ヨハネ第二 1。ヨハネ第三 1)これらすべては,ヨハネの3通の手紙が遅い時代に書かれたことを暗示しています。また,ヨハネ第一 1章3節と4節は,ヨハネの福音書がこれとほぼ同じころに書かれたことを示しているように思われます。ヨハネの3通の手紙は,使徒ヨハネの死ぬ少し前,西暦98年ごろまでに,エフェソスの近くで書き終えられたものと一般に信じられています。
3 (イ)ヨハネ第一の書の筆者および信ぴょう性についてどんな証言がありますか。(ロ)どんな資料が後に加えられましたか。それが偽作であることを何が証明していますか。
3 ヨハネ第一の書が実際に使徒ヨハネによって書かれたということは,それが4番目の福音書と非常によく似ている点にも示されています。4番目の福音書が使徒ヨハネによって記されたことは明白な事実です。両者がよく似ている点の例を挙げれば,筆者は,その手紙の初めのところで,「命の言葉……父のもとにあって,わたしたちに明らかにされた永遠の命」の目撃者として自分を紹介しています。これらはヨハネの福音書の冒頭部分と非常によく似た表現です。この書の信ぴょう性はムラトーリ断片やイレナエウス,ポリュカルポス,およびパピアスなどの初期の著述家によって証明されています。a エウセビオス(西暦260年ごろ-340年ごろ)によれば,ヨハネ第一の書の信ぴょう性が疑われたことは決してありませんでした。b しかし,5章7節の終わりと8節の始めに次のような言葉を加えた古い翻訳のあることに注意しなければなりません。「天において……御父と御言葉と御霊なればなり。この三つは一つなり。また,地において証するものは三つ」。(ジェームズ王欽定訳)この句は初期のどのギリシャ語写本にもないので,明らかに三位一体の教理を支持するために付け加えられたものです。現代のカトリックとプロテスタント双方のたいていの翻訳の主要な本文には,これらの言葉は含まれていません。―ヨハネ第一 1:1,2。c
4 ヨハネは仲間のクリスチャンをだれから守ろうとしていますか。そしてどんな偽りの教えを論ばくしていますか。
4 ヨハネは,自分の「愛する者たち」,自分の「幼子たち」を,「多くの反キリスト」の誤った教えから守るためにこの手紙を書いています。それら反キリストは彼らの中から出て,彼らを真理から迷い出させようとしている人々です。(2:7,18)それら背教した反キリストは,初期のグノーシス主義を含め,ギリシャ哲学の影響を受けていたのかもしれません。このグノーシス主義の信奉者たちは神からの神秘的な特別の知識を持っていると主張しました。d 背教に対して確固とした態度を取ったヨハネは,罪,愛,および反キリストという三つの論題を広範な角度から取り上げました。罪に関する,また,罪のためのイエスの犠牲を支持するヨハネの言葉は,これらの反キリストが独善的な態度で,自分には罪がなく,イエスによる贖いの犠牲は必要でないと唱えていたことを示しています。彼らはその自己中心的な“知識”のゆえに,愛のない,利己的な状態になっていました。ヨハネは真のクリスチャン愛を終始強調しつつ,そうした状態を暴き出しています。さらに,イエスがキリストであること,イエスには人間となる以前の存在があったこと,そして,信ずる人々に救いを備えるため神の子として肉のさまで来られたことを説いたヨハネは,彼らの偽りの教理に対して闘っていたものと思われます。(1:7-10; 2:1,2; 4:16-21; 2:22; 1:1,2; 4:2,3,14,15)ヨハネはこれら偽教師をはっきり「反キリスト」であるとし,神の子供と悪魔の子供を見分ける多くの方法を示しています。―2:18,22; 4:3。
5 ヨハネ第一の書がクリスチャン会衆全体を対象としたものであることを何が示していますか。
5 特定の会衆にあてられてはいませんから,この手紙は明らかにクリスチャンの仲間全体を対象にしています。始めと終わりの部分にあいさつのことばがないこともこの点を示唆しているようです。この書は手紙ではなく,論文であると評する人さえいます。全体にわたって「あなた方」という複数形が使われていることは,筆者が,個人ではなく,一群の人々を対象として書いたことを示しています。
「ヨハネの第一の手紙」の内容
6 光の中を歩む人々と闇の中にいる人々とをヨハネはどのように対照させていますか。
6 闇ではなく,光の中を歩む(1:1-2:29)。「わたしたちの喜びが満ちたものとなるようこれらのことを書いている」とヨハネは述べます。「神は光」ですから,「光の中を歩んでいる」者だけが,神および互いと「分け合う」関係にあります。そうした人々は「み子イエスの血」によって罪から清められています。一方,「闇の中を歩きつづけ」て,「自分には罪がない」と唱える人たちは,自分を惑わしているのであり,真理はそのような人たちのうちにありません。もし罪を告白するなら,神は忠実な方ですから,その罪を許してくださいます。―1:4-8。
7 (イ)人は自分が神を知り,そして神を愛していることをどのように示しますか。(ロ)反キリストはどのように識別できますか。
7 イエス・キリストは「罪のためのなだめの犠牲」,また『父のもとにある助け手』です。神を知っていると唱えながら神のおきてを守らない者は偽り者です。自分の兄弟を愛する者は光の中にとどまっています。しかし,自分の兄弟を憎む者は闇の中を歩いています。世も世にあるものをも愛してはならない,とヨハネはきっぱり語ります。『世を愛する者がいれば,父の愛はその人のうちにない』からです。多くの反キリストが来ました。「彼らはわたしたちから出て行きました……彼らはわたしたちの仲間ではありませんでした」とヨハネは説明します。反キリストとは,イエスがキリストであることを否定する人々です。その人々はみ父もみ子も共に否定します。「幼子たち」は,自分が初めから学んだ事柄にとどまり,こうして「み子と結ばれ,また父と結ばれて」いなさい。彼から受けたそそぎの油にしたがって進んで行きなさい。それは真実です。―2:1,2,15,18,19,24。
8 (イ)神の子供と悪魔の子供はどのように見分けられますか。(ロ)神の子供はどのようにして愛を知るようになりましたか。自分の心について常にどのような点を調べるべきですか。
8 神の子供は罪を習わしにしない(3:1-24)。父の愛のゆえに,彼らは「神の子供」と呼ばれており,神が現わされる時,彼らは彼のようになり,「彼のあるがままを見」ます。罪は不法です。そして,キリストと結ばれたままでいる者は罪を習わしにしません。確かに罪を行ないつづける者は悪魔から出ています。神のみ子は悪魔の業を打ち壊します。神の子供と悪魔の子供の違いは次の点で明らかです。神から出ている者は互いに対して愛を抱いていますが,邪悪な者から出ている者は,自分の兄弟を憎んで殺したカインのようです。「かの方が自分の魂をわたしたちのためになげうってくださった」ので,それによって自分たちは愛を知るようになったと,ヨハネは「幼子たち」に語り,兄弟に向かって『優しい同情の扉を閉じない』ようにと訓戒します。「言葉や舌によらず,行ないと真実とをもって愛(す)」べきです。自分が「真理から出ている」かどうかを知るために自分の心の中にあるものを調べ,自分が「神の目に喜ばれることを行なっている」かどうかを確かめるべきです。「み子イエス・キリストの名に信仰を持ち……互いに愛し合う」ために神のおきてを守らなければなりません。こうして,自分が彼と結ばれており,彼が霊によって自分たちと結びついていてくださることを知るようになります。―3:1,2,16-19,22,23。
9 (イ)霊感の表現についてどんなことを試すべきですか。(ロ)互いに愛し合う務めを何が強調していますか。
9 神と結ばれて互いに愛し合う(4:1-5:21)。霊感の表現は試してみなければなりません。キリストが肉体で来たことを否定する表現は,「神から出たもの」ではなく,反キリストのものです。それらは世から出て世と結びついています。一方,真理の霊感の表現は神から出ています。「神は愛」ですと,ヨハネは語ります。「愛はこの点,わたしたちが神を愛してきたというよりは,神がわたしたちを愛し,ご自分のみ子をわたしたちの罪のためのなだめの犠牲として遣わしてくださった,ということです」。では,互いに愛し合うのは何と大きな務めでしょう。他の人を愛する人々には神がずっと結びついておられ,こうして愛が全うされて恐れを外に追いやり,「はばかりのない言い方ができる」ようになります。「わたしたちは,彼がまずわたしたちを愛してくださったので愛するのです」と,ヨハネは語ります。「神を愛する者は自分の兄弟をも愛しているべき(です)」― 4:3,8,10,17,19,21。
10 (イ)神の子供はどのようにして世を征服しますか。彼らにはどんな確信がありますか。(ロ)罪と偶像礼拝に対してどんな態度を持たなければなりませんか。
10 神の子供として愛を示すことは,神のおきてを守ることを意味しており,そうする結果,信仰によって世を征服することになります。神はみ子に信仰を置く者たちに関し,神はそのような人たちに「永遠の命」を与えてくださり,「この命がそのみ子のうちにあるということ」を証ししてくださいます。こうして彼らは,ご意志にしたがって求めれば,何であれ聞き入れていただけるという確信を抱けます。不義はすべて罪ですが,死を来たさない罪もあります。すべて神から生まれた者は罪を習わしにすることはありません。『全世界は邪悪な者の配下にあります』が,「神のみ子が来て」,まことの神について知るために,「知的な能力」を与えてくださいました。彼らは今や,「み子イエス・キリストによって」,その方と結ばれています。彼らはまた,自分を偶像から守らなければなりません。―5:11,19,20。
なぜ有益か
11 今日のクリスチャンは反キリストや世の欲に対してどのように闘いますか。
11 西暦1世紀の末と同様,今日でも「多くの反キリスト」がおり,真のクリスチャンはそれらの反キリストに対して警戒しなければなりません。真のクリスチャンは「初めから聞いている音信」を堅く守って,『互いに愛し合い』,神および真の教えと結ばれたままでいて,はばかりのない言い方をして義を実践すべきです。(2:18; 3:11; 2:27-29)もう一つ極めて大切なのは,「肉の欲望と目の欲望,そして自分の資力を見せびらかすこと」に対する警告です。これらは物質主義的な世の悪であり,クリスチャンと唱える人の多くがこれに呑み込まれました。真のクリスチャンは,「神のご意志を行なう者は永久にとどま(る)」ことを知っているゆえに世とその欲とを避けます。世の欲望や分派主義や敵意のはびこるこの時代にあって,霊感による聖書を通して神のご意志を学び,そのご意志を行なうのは何と有益なことでしょう。―2:15-17。
12 ヨハネ第一の書はわたしたちの益のためにどんなものをはっきり対照させていますか。どのようにすればわたしたちは世を征服できますか。
12 ヨハネ第一の書は,み父から出る光とよこしまな者から出て真理を破壊する闇,命を得させる神の教えと反キリストの欺まん的な偽り,み父やみ子と結ばれた人々の会衆全体に浸透する愛と,「すべての者がわたしたちの仲間なのではないことが明らかになるため」に「わたしたちから出て行(った)」人々のうちにある,カインが抱いたような殺人を引き起こす憎しみとの対照を示しているのは,わたしたちの益のためです。(2:19; 1:5-7; 2:8-11,22-25; 3:23,24,11,12)こうした点を認識するとき,わたしたちは,「世を征服」したいという熱烈な願いを持つようになるはずです。そして,どうしたら,そうすることができるでしょうか。強固な信仰と,神のおきてを守り行なうことを意味する,「神への愛」とを抱くことにより,そうすることができます。―5:3,4。
13 (イ)神の愛が実際的な力としてどのように強調されていますか。(ロ)クリスチャンの愛はどのようなものであるべきですか。それはどんな結合をもたらしますか。
13 「神の愛」― この動機づけの力が手紙全体を通してみごとに強調されているではありませんか。2章の中では,世の愛とみ父の愛とが明確に対照されています。後の章では,「神は愛」であるという点にわたしたちの注意を促しています。(4:8,16)そして,その愛はほんとうに実際的なものではありませんか。それは,父が「み子を世の救い主として遣わされた」ことの中に崇高な形で表明されました。(4:14)これは,わたしたちの心の中に,感謝にあふれた恐れのない愛を奮い起こすはずです。使徒ヨハネが次に述べるとおりです。「わたしたちは,彼がまずわたしたちを愛してくださったので愛するのです」。(4:19)わたしたちの愛は,み父やみ子と同様の実際的な自己犠牲の愛であるべきです。イエスはわたしたちのために自分の魂をなげうたれましたが,同じようにわたしたちも,「兄弟たちのために自分の魂をなげうつ務めがあります」。そうです,優しい同情の扉を開け,単に言葉によらず,「行ないと真実とをもって」兄弟たちを愛する務めがあるのです。(3:16-18)ヨハネの手紙がはっきり示すとおり,神についての真の知識と結びついたこの愛こそ,父やみ子と堅く結ばれて神と共に歩みつづける人々を結び合わせるものなのです。(2:5,6)そして,この祝福された愛のきずなで結ばれた王国の相続者たちに対して,ヨハネは次のことばを語ります。「わたしたちは,み子イエス・キリストによって,真実な方と結ばれています。この方こそまことの神であり,永遠の命です」― 5:20。
[脚注]
a 「国際標準聖書事典」(英文),第2巻,1982年,G・W・ブロミリ編,1095,1096ページ。
b 「教会史」(英文),III,XXIV,17。
c 「聖書に対する洞察」(英文),第2巻,1019ページ。
d 「新聖書辞典」(英文),1986年,第2版,J・D・ダグラス編,426,604ページ。
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聖書の63番目の書 ― ヨハネの第二の手紙『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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聖書の63番目の書 ― ヨハネの第二の手紙
筆者: 使徒ヨハネ
書かれた場所: エフェソスまたはその近く
書き終えられた年代: 西暦98年ごろ
1 「ヨハネの第二の手紙」は,だれにあてて書き記されたと考えられますか。
ヨハネの第二の手紙は短いので,ただ一枚のパピルス紙に書き記すことができたのではないかとも思われますが,それでも多くの意味を含んでいます。この手紙は「選ばれた婦人とその子供たち」にあてられています。「キュリア」(「婦人」という意味のギリシャ語)という語は確かに当時,個有名詞として存在していたので,中には,この手紙はその名によって,ある個人にあてられたと考える聖書学者もいます。一方,ヨハネは「選ばれた婦人」という呼び方をして,あるクリスチャン会衆に書き送ったのだと考える学者もいます。そのような呼び方をしたのは,迫害者たちを混乱させるためだったのかもしれません。そうであれば,最後の節で言及されている「あなたの姉妹の子供たち」のあいさつは,他の会衆の成員からのあいさつであるとも考えられます。それで,この第二の手紙は第一の手紙のように全般的な範囲の事柄を扱うことを意図したものではありませんでした。それは,ある個人か,あるいはある特定の会衆か,そのどちらかにあてて書かれたものと考えられるからです。―1節。
2 (イ)使徒ヨハネがヨハネ第二の書の筆者であることをどんな証拠が示していますか。(ロ)この手紙が,西暦98年ごろ,エフェソスあるいはその近くで書かれたことを何が示していますか。何がこの書の信ぴょう性を裏付けていますか。
2 ヨハネがこの手紙の筆者であることを疑うべき理由はありません。筆者は自分のことを「年長者」と呼んでいます。これは確かにヨハネに合致します。これは彼が高齢であったからだけではなく,「柱」のひとり(ガラテア 2:9),また使徒のうち最後まで生き残っていた者として,真にクリスチャン会衆の「年長者」であったからです。彼は広く知られていたために,筆者がだれであるかについて読む人にそれ以上示す必要はなかったのでしょう。ヨハネが筆者であることは,第一の手紙やヨハネの福音書との文体の類似性にも示されています。第二の手紙は第一の手紙と同様,西暦98年ごろ,エフェソスかその近辺で書かれたものと思われます。ヨハネの第二および第三の手紙について,マクリントクおよびストロング共編,「百科事典」はこう注解しています。「その全般的な類似性から,これら二つの書簡は,第一の書簡がエフェソスで書かれたすぐ後に記されたものと推測できよう。これらの書簡は共に,第一の書簡の中で十分に論じた原則を個々の行為に当てはめたものである」。a この手紙が2世紀のイレナエウスによって引用され,また同じ時期の人であるアレクサンドリアのクレメンスによって受け入れられていることは,その信ぴょう性を裏付けるものとなっています。b また,ヨハネのこれらの手紙はムラトーリ断片の中にも列挙されています。
3 ヨハネはどんな目的でこの手紙を書きましたか。
3 ヨハネの第一の書の場合と同様,偽教師たちがキリスト教に対して猛攻撃を行なっていたことが,この手紙の記された理由となっています。ヨハネはそのような者たちについて読者に警告したいと考えています。それは,読者がそれらの者を見分け,それらの者から離れて,互いに愛し合いながら,真理のうちを歩み続けることができるようにするためです。
「ヨハネの第二の手紙」の内容
4 なぜヨハネは互いに愛し合うことを特に勧めていますか。先走ってキリストの教えから離れてゆく人々に対してどのような態度を取らなければなりませんか。
4 互いに愛し合い,背教者を退けなさい(1-13節)。「選ばれた婦人とその子供たち」に対する,真理における愛を言い表わした後,ヨハネは,それらのある者たちが,み父から命じられたとおりに真理のうちを歩んでいるのを見た喜びを語ります。そして,神のおきてに従って歩き続けて互いに対する愛を示すことを求めます。欺く者や反キリストが世に出たからです。それらはイエス・キリストが肉体で来たことを告白しない人々です。先走ってキリストの教えの域を越えてゆく者は神を持っていません。一方,この教えにとどまっている者は「父も子も持って」います。この教えを携えないで来る人がいれば,その人を家に迎え入れるべきではなく,あいさつもすべきでもありません。ヨハネには書き送るべきことがたくさんありますが,むしろ彼らのところに行って,向かい合って話すことを望んでいます。それは,彼らの喜びが「満ちたもの」となるためです。―9,12節。
なぜ有益か
5 (イ)ヨハネの時代には,現代でも生じている,どんな状況が生じていましたか。(ロ)今日のわたしたちは,ヨハネと同じように,会衆の一致に対する認識をどのように示すことができますか。
5 ヨハネの時代には,今日と同様,キリストの簡明な教えにとどまることに満足しなかった人々がいたようです。それらの人々は,それ以上のもの,自分たちの自尊心を満足させるもの,つまり自分たちを高めて世の哲学者たちと同列に置いてくれるものを求めていました。そして彼らは,自分たちの利己的な目的を遂げるためにクリスチャン会衆を不純にし,分裂させることもためらいませんでした。ヨハネは会衆の調和を重んじました。それはみ父やみ子と結びついた愛および正しい教えにかかっています。今日のわたしたちも会衆の一致を重視し,霊感の聖書を通して伝えられた教えの域を越えて別の教えを受け入れる背教者たちとの交友やあいさつをさえ拒むべきです。神のおきてに従って歩みつづけることにより,また,真のクリスチャンの交わりの中に見いだされる喜びを十分に知ることによって,わたしたちは,「父なる神および父のみ子イエス・キリストからの過分のご親切,憐れみ,そして平和も,真理と愛を伴ってわたしたちと共にある」ことを確信できます。(3節)確かに,「ヨハネの第二の手紙」は,そうしたクリスチャンの一致がいかに祝福されたものであるかを強調しています。
[脚注]
a 1981年,復刻版(英文),第4巻,955ページ。
b 「新聖書辞典」(英文),1986年,第2版,J・D・ダグラス編,605ページ。
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聖書の64番目の書 ― ヨハネの第三の手紙『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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聖書の64番目の書 ― ヨハネの第三の手紙
筆者: 使徒ヨハネ
書かれた場所: エフェソスまたはその近く
書き終えられた年代: 西暦98年ごろ
1 ヨハネの第三の手紙はだれにあてられたものですか。その人についてはどんなことが知られていますか。
この手紙は,ヨハネの真実に愛する,忠実なクリスチャン,ガイオにあてて書かれています。ガイオというのは,初期会衆の時代によく見られた人名でした。クリスチャン・ギリシャ語聖書の中ではほかに4箇所に出ており,少なくとも3人,恐らくは4人の異なった人を指しています。(使徒 19:29; 20:4。ローマ 16:23。コリント第一 1:14)ヨハネが手紙をあてたガイオが,上記のいずれかの人と同一人であるかどうかをはっきり確認させる情報はありません。このガイオについて知りうる点は,彼があるクリスチャン会衆の成員で,ヨハネの特別の友人であり,この手紙が彼個人にあてられたという点です。「あなた」という単数の形が常に用いられています。
2 どんな事柄がヨハネ第三の書の筆者,および書かれた時と場所を明らかにしていますか。
2 始めと結びのあいさつの形がヨハネの第二の手紙と同じであり,筆者はここでも自分のことを「年長者」と呼んでいますから,この手紙も使徒ヨハネの手になるものであることは疑いありません。(ヨハネ第二 1)内容および語法の類似性は,これが,他の二つの手紙と同じように,西暦98年ごろ,エフェソスかその近辺で書かれたものであることを示しています。短い手紙であるために,初期の著述家によって引用されることはほとんどありませんでしたが,それでも,ヨハネの第二の手紙と並んで,霊感による聖書の初期目録の中に含められています。a
3 ヨハネはヨハネ第三の書によって何を表明していますか。初期クリスチャンの兄弟関係のどんな興味深い面をかいま見ることができますか。
3 この手紙の中で,ヨハネは,旅行する兄弟たちにガイオが示した,もてなしに対する感謝を表明し,野心的なデオトレフェスという人物に伴う問題について述べています。名を挙げられているデメテリオという人は,この手紙をガイオに届けた人であると思われます。それで,デメテリオはヨハネから遣わされ,その旅の途中でガイオのもてなしが必要であったのかもしれません。この手紙はそれを確かめる目的があったのでしょう。ガイオの場合と同じように,デオトレフェスとデメテリオについても,ここで読む以上のことは分かりません。しかし,興味深いことに,この手紙から,初期クリスチャンの国際的で親密な兄弟関係をかいま見ることができます。とりわけ,その関係には,「み名のために」旅行する人たちを,主人役を勤める人にとって個人的に面識がなくても,暖かく迎える習慣が含まれています。―7節。
ヨハネの第三の手紙の内容
4 どんなことについてヨハネはガイオをほめていますか。どんな無規律な行動を彼は非としていますか。そして,どんな健全な忠告を与えていますか。
4 使徒は人を暖かく迎えてもてなす精神と良い業を勧める(1-14節)。ヨハネは,ガイオが依然「真理のうちを歩みつづけている」ことを聞いて歓びます。また,訪問する兄弟たちに愛ある配慮を示して忠実な業を行なっていることをほめます。「わたしたちにはこのような人々を暖かく迎える務めがあります。それは,わたしたちが真理における同労者となるためです」と,ヨハネは語ります。ヨハネは以前,この会衆に手紙を書き送りましたが,自分を高めようとするデオトレフェスはヨハネや責任のある他の兄弟たちの述べるどんなことも敬意をもって受け入れようとしません。ヨハネが赴けば,「よこしまな言葉でしゃべっている」ことについて言い開きを求めるでしょう。愛するガイオは,「悪いことではなく,良いことを見倣う者とな(る)」よう忠告されます。称賛に値する手本としてデメテリオのことが述べられます。ヨハネは多くのことを書かずに,近いうちに向かい合って話したいという希望を表明します。―4,8,10,11節。
なぜ有益か
5 (イ)ヨハネは監督としての手本をどのように示していますか。どんな精神を保つことが大切でしたか。(ロ)ヨハネがデオトレフェスに対してきっぱりしたことばで語っているのはなぜですか。(ハ)今日のわたしたちはどんなことに熱心であるべきですか。ヨハネの述べたどんな原則に従ってそうすべきですか。
5 使徒ヨハネは,腐敗的な影響から会衆を守る熱心さという面で模範的な監督であることを示しています。会衆に行き渡っていた,愛と人を暖かく迎えてもてなす精神はほめるべきものでした。そして,その幸福な状態を保ってゆくことはその人々の務めでした。それは,その土地の兄弟たちも,また兄弟たちに加わる「見知らぬ人たち」(主人役を勤めるクリスチャンにとって以前知られていなかった個々の人々)も,「真理における同労者」として共に仕えるためです。(5,8節)しかし,デオトレフェスは高ぶる目を持っていました。それはエホバに憎まれるものでした。また,彼は神権的な権威に敬意を示さず,使徒ヨハネについてよこしまなことばでしゃべることさえしていました。(箴言 6:16,17)彼は,会衆によって示されるクリスチャンとしてのもてなしの道に障害物を置いていました。ヨハネがこの悪に対してきっぱりとしたことばで語り,その会衆における純粋なクリスチャンの愛をしっかり擁護しているのも不思議ではありません。ヨハネの述べた次の原則に従いつつ,今日のわたしたちも,謙遜さを保ち,真理のうちを歩み,寛大さと敬虔な愛とを実践する面で同じように熱心であるべきです。「善を行なう者は神から出るのです。悪を行なう者は神を見たことがありません」― ヨハネ第三 11。
[脚注]
a 303ページの表,「クリスチャン・ギリシャ語聖書の初期の重要な目録」をご覧ください。
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聖書の65番目の書 ― ユダの手紙『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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聖書の65番目の書 ― ユダの手紙
筆者: ユダ
書かれた場所: パレスチナ(?)
書き終えられた年代: 西暦65年ごろ
1 ユダが兄弟たちのために力強い手紙を書く必要を認めたのは会衆内にどんな状態が存在していたためですか。
ユダのクリスチャンである兄弟たちは危険に直面していました。キリスト・イエスの死と復活以後の期間に,種々の異質的な要素がクリスチャン会衆内に次第に入り込んでいました。敵対者は信仰を徐々に衰えさせる目的で忍び込んで来たのです。それは使徒パウロが14年ほど前に警告したとおりでした。(テサロニケ第二 2:3)兄弟たちにこの点をどのように気づかせ,危険をどのように警告したらよいでしょうか。ユダの手紙は,力強くて,しっかりした,しかも率直な文章の中でその答えを提出しています。ユダ自身,自分の見解を3節と4節の中で次のようにはっきり述べています。『あなた方に書き送る必要のあることを知りました。ある人々が忍び込み,その不敬虔な者たちが,わたしたちの神の過分のご親切をみだらな行ないの口実に変えているからです』。健全な教理と道徳律の土台そのものが脅威にさらされていました。ユダは兄弟たちのために戦う必要を感じました。そのようにして,今度はその兄弟たちが信仰のために厳しい戦いをするためです。
2 (イ)ユダとはどんな人でしたか。(ロ)ユダはイエスとのどんな関係を最も重んじていましたか。
2 しかし,このユダとはだれのことでしょうか。冒頭の言葉は,この手紙が,「イエス・キリストの奴隷,しかしヤコブの兄弟であるユダ」により,「召された者たち」にあてて書かれたものであることを告げています。ユダは使徒でしたか。イエスの初めの12使徒の中には,ユダという名の人が二人いました。(ルカ 6:16)ユダは自分のことを使徒とは述べていません。むしろ,使徒たちのことを,「彼ら」という三人称で語り,明らかに自分をその中に含めていません。(ユダ 17,18)さらに,自分のことを「ヤコブの兄弟」と呼んでいます。これは明らかに「ヤコブの手紙」の筆者と同じヤコブです。このヤコブはイエスの異父兄弟でした。(1節)エルサレムにあった会衆の「柱」の一人として,このヤコブは広く知られており,そのゆえにユダは自分をこのヤコブと結びつけて述べています。つまり,このユダもイエスの異父兄弟であったという意味です。ユダはそのような人として列挙されています。(ガラテア 1:19; 2:9。マタイ 13:55。マルコ 6:3)しかし,ユダは,イエスとの肉的な関係を利用しようとはしませんでした。むしろ,謙遜な態度で自分を「イエス・キリストの奴隷」と述べて,イエスとの霊的な関係に重点を置きました。―コリント第一 7:22。コリント第二 5:16。マタイ 20:27。
3 何が「ユダの手紙」の信ぴょう性を証明していますか。
3 聖書のこの書の信ぴょう性は,この書が西暦2世紀のムラトーリ断片の中で言及されていることにより裏付けられています。その上,アレクサンドリアのクレメンス(西暦2世紀)もこの書を正典として受け入れました。オリゲネスはこの書を『ごくわずかの行数の書であるが,天の恩ちょうを示す健全な言葉に満ちた』著作と呼んでいます。a テルトゥリアヌスもこれを信ぴょう性のある書とみなしました。この書は確かに,霊感による聖書の他の部分と同類の書です。
4 ユダの書はどんな種類の手紙ですか。それは恐らくどこで書かれましたか。それが書かれた時についてどんなことが考えられますか。
4 ユダは「召された者たち」にあてて書いていますが,特定の会衆や個人のことは述べていません。したがって,彼の書簡は一般的な手紙であり,すべてのクリスチャンの間に広く回覧される性質のものでした。述べられてはいませんが,これが書かれた場所は恐らくパレスチナであったと思われます。また,書かれた年代をはっきり定めることも簡単ではありません。しかし,それはクリスチャン会衆が既にかなり発展していた時代であるに違いありません。ユダは「わたしたちの主イエス・キリストの使徒たちが以前に語ったことば」に注意を促し,明らかにペテロ第二 3章3節を引用しているからです。(ユダ 17,18)さらに,ユダの手紙と,ペテロ第二の手紙 第2章との間にははっきりした類似点があります。これは,ユダがペテロと同じ時期に書いたこと,これら両人が当時会衆に臨んでいた危険に深い配慮を払っていたことを示しています。したがって,だいたいの年代として西暦65年ごろが挙げられます。ユダはケスチウス・ガルスが西暦66年のユダヤ人反乱鎮圧のために進んで来ているとは述べていません。また,西暦70年のエルサレム陥落についても触れていません。こうした点も上記の年代を支持しています。ユダはその書簡の中で,罪人に対して執行される神からの明確な裁きについて述べています。その時すでにエルサレムが陥落していたなら,そうした形での裁きの執行に当然言及して自分の論議を強化していたはずです。特に,その出来事はイエスによって予告されていたからです。―ユダ 5-7。ルカ 19:41-44。
ユダの書の内容
5 (イ)ユダが,召された者たちに,「信仰のために厳しい戦いをする」よう書き送る必要を感じたのはなぜですか。(ロ)ユダは警告のためにどんな例を挙げていますか。
5 淫行,および主たる者の地位を無視することに対する警告(1-16節)。「召された者たち」に愛のこもったあいさつを伝えた後,ユダは,「わたしたちが共にあずかる救いについて」書こうとしていたこと,しかし,「信仰のために厳しい戦いをする」ことについて書き送る必要に気づいたことを述べます。これはなぜでしたか。不敬虔な人々が忍び込んで,神の過分のご親切をみだらな行ないの口実に変えているからです。これらの者たちは「わたしたちの唯一の所有者また主であるイエス・キリストに不実な者となっている」とユダは述べます。(1,3,4節)そして,エホバがエジプトから民を救い出した後,「信仰を示さない者たちを滅ぼされた」ことを思い出させます。その上,自分たちのあるべき居所を捨てたみ使いたちを,エホバは「大いなる日の裁きのために」留め置いておられるのです。同様に,ソドムとゴモラおよびその近隣の諸都市に下された永遠の処罰は,『甚だしい淫行を犯し,不自然な用のために飽くことなく肉を追い求める』人々の定めに関する警告の例となっています。―5-7節。
6 不敬虔な人々はどんなことにふけっていますか。ユダはそうした人々の行為の誤りと結末をどのような例で説明していますか。
6 同様に,不敬虔な者たちは「肉を汚し,主たる者の地位を無視し,栄光ある者たちをあしざまに」言います。み使いの頭ミカエルでさえ,モーセの体について論じ合った時,悪魔に対してあしざまな言い方をしませんでした。彼はただ,「エホバがあなたを叱責されるように」と言いました。それなのに,これらの者たちはあしざまな言い方をし,理性のない動物のように自らを堕落させてゆきます。彼らはカインやバラムの道に,また反逆のコラの道に入りました。彼らは,水の下の隠れた岩,水のない雲,二度死んで根こぎにされる実のない木,自らの恥を泡だてる荒波,進路の定まらない星などに似ています。こうした者たちのためには「闇の暗黒が永久に留め置かれて」います。(8,9,13節)エノクは,エホバがこれら不敬虔な者たちに裁きを執行されることを預言しました。これらはつぶやく者,不平を言う者であり,利己的な態度で人物を称賛する人々です。
7 (イ)使徒たちはあざける者たちについてどのように警告していましたか。(ロ)「愛する者たち」と語りかけられている人々は,永遠の命の希望を考慮して,自分自身と他の人々のために何を行なうべきですか。
7 神の愛のうちにとどまることに関する助言(17-25節)。ユダは,主イエス・キリストの使徒たちが,「終わりの時期には,あざける者たちが現われ,不敬虔な事柄に対する自分の欲望のままに進むであろう」と常々警告していたことを兄弟たちに思い起こさせます。これら問題を引き起こす人々は「動物的な人間であり,霊性を備えていません」。それゆえ,「愛する者たち」と語りかけられている人々は,信仰の点で自らを築き上げ,自分を神の愛のうちに保ち,同時に,「永遠の命を目ざしつつ」キリストの憐れみを待つべきです。そして,今度は,動揺している人たちに憐れみと助けを施しなさい。ユダは,つまずかないように守ってくださる方,『救い主なる神』に,主イエス・キリストを通して栄光を帰して,この手紙を結びます。―18-21,25節。
なぜ有益か
8 ユダは,兄弟たちを訓戒するにあたり,霊感による聖書と「自然の本」をどのように用いましたか。
8 霊感による聖書が「愛する者たち」を説き勧め,励まし,教え,訓戒し,また必要な警告を与えるのに有益なものであることを,ユダ自身が見いだしました。不敬虔な侵入者たちの甚だしい罪を暴き出すにあたり,ユダはヘブライ語聖書からの数々の意味深い例えを用いています。誤った道に逆戻りしたイスラエル人,罪を犯したみ使いたち,ソドムとゴモラの住民に関することなどがその例であり,これと同様の悪徳を習わしにする者がみな同様の処罰を受けることを示しています。彼は堕落した人間を理性のない動物になぞらえ,そうした人々がカインの道を進み,バラムの誤りに陥り,その反逆的な言動のゆえにコラのように滅んでゆく,と述べました。ユダは,いわゆる「自然の本」からも生き生きした描写の題材を得ています。率直なことばで書かれたユダの手紙も,「終わりの時期」における正しい行動を勧める聖書の残りの部分と共に研究すべき「聖書全体」の一部となっています。―ユダ 17,18,5-7,11-13。民数記 14:35-37。創世記 6:4; 18:20,21; 19:4,5,24,25; 4:4,5,8。民数記 22:2-7,21; 31:8; 16:1-7,31-35。
9 ユダの警告はなぜ今日でも依然として必要ですか。クリスチャンはどんな分野で引き続き自らを築き上げなければなりませんか。
9 外部から臨んだ反対や試練もキリスト教の成長と拡大を食い止めることはできませんでしたが,今や兄弟たちは内部からの腐敗のために危険にさらされていました。水面下の隠れた岩が会衆全体を破船させかねない形勢でした。この危険がさらに拡大しうることを悟ったユダは,「信仰のために厳しい戦い」をすべきことを強調しました。ユダの手紙は当時と同様,今日でも時宜を得ています。同様の警告は今日でも必要です。今日でも信仰をしっかりと守り,そのために戦わねばなりません。不道徳な行ないは根絶し,疑う者たちは憐れみをもって助け,可能なら,「火の中からつかみ出(さ)」なければなりません。道徳的忠誠,霊的な効果性,および真の崇拝のために,クリスチャンは今日でも,極めて聖なる信仰のうちに自らを築き上げなければなりません。また,正しい原則を固守し,祈りによって神に近づかなければなりません。また,クリスチャン会衆内での神から与えられた権威を敬って,「主たる者の地位」を正しく重んずることも必要です。―ユダ 3,23,8。
10 (イ)会衆は動物的な人々をどのように扱わなければなりませんか。それはどのような結果になりますか。(ロ)王国の相続者にはどんな祝福が待ち受けていますか。その人々はユダに加わって何を行ないますか。
10 『動物的で,霊性を備えていない』人々は決して神の王国に入れません。そうした人々は,永遠の命の道を行く他の人々の妨げとなるにすぎません。(ユダ 19。ガラテア 5:19-21)会衆はこうした人々に対して警戒し,それを除き去らなければなりません。それによって,「憐れみと平和と愛」が愛される者たちに対して増し加えられ,その者たちは,『永遠の命を目ざし,わたしたちの主イエス・キリストの憐れみを待ちつつ』,自らを神の愛のうちに保つことになるでしょう。救い主なる神は王国の相続者たちを「きずのない者としてその栄光のみ前に大いなる喜びをもって立たせ(て)」くださるのです。確かにそのような人たちはユダに加わり,「栄光,威光,偉力,そして権威」をイエス・キリストを通してこの方に帰するでしょう。―ユダ 2,21,24,25。
[脚注]
a 「新約聖書の正典」(英文),1987年,B・M・メツガー,138ページ。
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聖書の66番目の書 ― ヨハネへの啓示『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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聖書の66番目の書 ― ヨハネへの啓示
筆者: 使徒ヨハネ
書かれた場所: パトモス
書き終えられた年代: 西暦96年ごろ
1 (イ)「啓示」の書にある象徴的な表現について,神の僕たちはどんな点に同意しますか。(ロ)この書が聖書の最後に置かれているのはなぜふさわしいことですか。
「啓示」の書の象徴的な表現は人を恐れさせるためのものですか。決してそうではありません! 預言の成就は邪悪な者には恐怖をもたらすかもしれませんが,神の忠実な僕たちは,霊感によるその書の紹介のことばと,終わりの箇所にあるみ使いの注解に同意するでしょう。こう記されています。「この預言の言葉を朗読する者,またそれを聞き,その中に書かれている事柄を守り行なう者たちは幸いである」。「この巻き物の預言の言葉を守り行なう者は幸いである」。(啓示 1:3; 22:7)「啓示」の書はヨハネの手になる他の四つの霊感の書よりも前に書かれましたが,聖書を構成する66冊の霊感の書を収集したものの最後に置かれているのはいかにも適切なことです。というのは,神が人類に対して意図しておられる事柄に関する包括的な幻を与えて,読者を遠い将来の時代に連れてゆき,また約束の胤であるキリストの治める王国によってエホバのみ名を神聖なものにし,その主権の正しさを立証するという聖書の壮大な主題を展開して,輝かしい最高潮にもってゆくのは「啓示」の書だからです。
2 この啓示はどのような経路でヨハネに与えられましたか。なぜこの書の表題は極めて適切ですか。
2 表題となっている冒頭の節によると,これは「イエス・キリストによる啓示」であり,それは「神が彼にお与えになったもの」です。そして「イエスは自分のみ使いを送り,そのみ使いを通して,しるしによりそれを自分の奴隷ヨハネに示し」ました。したがって,ヨハネはその資料の単なる筆者にすぎず,その創作者ではありません。それゆえ,ヨハネはその啓示者ではなく,またその書もヨハネの啓示を記したものではありません。(1:1)これは,将来に対する神の驚嘆すべき目的を神の奴隷に明らかにしたものであり,この書に与えられた表題は極めて適切です。この書のギリシャ語名「アポカリュプシス」(英語,アポカリプス; 「黙示録」の意)には「覆いを外す」,もしくは「ベールを外す」という意味があります。
3 「啓示」の書そのものはこの書の筆者であるヨハネという人がだれであることを示していますか。古代の歴史家たちはこの点をどのように支持していますか。
3 第1章でこの「啓示」の書の筆者とされているヨハネとはだれのことですか。このヨハネはイエス・キリストの奴隷,それに患難に共にあずかる兄弟で,パトモス島に流刑になっていた者であることが述べられています。明らかにこのヨハネは,その書の最初の読者たちによく知られた人でした。その人々にとって,このヨハネがだれであるか,それ以上の説明は必要でなかったのです。これは使徒ヨハネであったに違いありません。この結論は古代の大方の歴史家たちによって支持されています。西暦2世紀の初めに著作活動をしたパピアスは,この書を使徒の作とみなしていたと言われています。2世紀の殉教者ユスティヌスは自著,「ユダヤ人トリュフォンとの対話」(LXXXI)の中で次のように述べています。「キリストの使徒の一人で,名をヨハネという,ある人がわたしたちと共にいた。彼は自分の受けた啓示によって預言をした」。a イレナエウスは,2世紀末および3世紀初頭のアレクサンドリアのクレメンスやテルトゥリアヌスと同様,使徒ヨハネがその筆者であることをはっきり述べています。3世紀の著名な聖書学者であるオリゲネスはこう語りました。「わたしはイエスの胸に寄り掛かったヨハネについて語っているが……彼は一つの福音書を残した……彼はまた,黙示録をも記した」。b
4 (イ)ヨハネの記した他の書物に比べて,啓示の書の文体がやや異なっている理由をどのように説明できますか。(ロ)「ヨハネへの啓示」が霊感による聖書の一部として信頼の置けるものであることをどんな事実が証明していますか。
4 ヨハネの記した他の書物の中では愛に大きな重点が置かれていますが,これは,極めて力強く,躍動に富む啓示の書を彼が記したことを否定するものではありません。ヨハネおよびその兄弟ヤコブは,ある都市のサマリア人に対して非常な憤りに満たされ,その人々の上に天からの火を呼び求めようとしたほどでした。この二人が「ボアネルゲス」つまり「雷の子ら」という異名を与えられたのはそのためでした。(マルコ 3:17。ルカ 9:54)「啓示」の中では扱う主題が異なっているのであり,この点を銘記すれば,文体の違いは問題にならないはずです。ヨハネがこの幻の中で見たものは,彼がそれまでに見たいかなるものとも異なっていました。この書が預言を記した聖書の他の部分と際立った仕方で調和していることは,この書が霊感による神のみ言葉の信ぴょう性のある一部であることを疑問の余地なく証明しています。
5 ヨハネが「啓示」を記したのはいつですか。どのような状況のもとでそれを記しましたか。
5 最初期の証言によると,ヨハネは,エルサレムの滅亡の約26年後,西暦96年ごろに「啓示」の書を記しました。それはドミティアヌス帝の治世の終わりごろのことです。この点を確証するものとして,イレナエウスは自著,「異端を排す」(V,xxx)の中で黙示録についてこう述べています。「というのは,それが登場したのはあまり前のことではなく,ほとんど我々の時代,ドミティアヌスの治世の終わりごろのことである」。c エウセビオスとヒエロニムスは共にこの証言に同意しています。ドミティアヌスは,ローマ軍を率いてエルサレムを滅ぼしたティツスの弟でした。彼はティツスの死に続いて帝位につきましたが,それは「啓示」の書が書かれる15年前でした。ドミティアヌスは,自分を神として崇拝することを要求し,ドミヌス・エト・デウス・ノステル(「我が主なる神」の意)の称号を採用しました。d 皇帝崇拝は偽りの神々を崇拝する人々を当惑させるものではありませんでしたが,初期クリスチャンはそのような崇拝には加われませんでした。この点で彼らは自分たちの信仰を妥協させることを拒みました。そのため,ドミティアヌスの治世(西暦81-96年)の終わりごろ,クリスチャンは激しい迫害を受けました。ヨハネはドミティアヌスによってパトモス島に流されたと考えられています。西暦96年,ドミティアヌスは暗殺され,より寛容なネルウァが帝位を継ぎ,同皇帝がヨハネを釈放したようです。ヨハネが幻を与えられて,それを書き記したのは,こうしてパトモス島に幽閉されていた時のことでした。
6 わたしたちは啓示の書をどのようにみなすべきですか。この書はどのように分けることができますか。
6 ヨハネが見,諸会衆に書き送るようにと告げられた事柄は,無関係な幾つかの幻をとりとめもなく書き記したものではありません。わたしたちはこの点を認識すべきです。「啓示」の書の始めから終わりまで,その全体は,来たるべき事柄に関する一貫した描写であり,一つの幻から他の幻へ移行しつつ,やがてそれらの幻が終わるまでに,神の王国に関する目的の全容が明らかにされているのです。それゆえわたしたちは啓示の書の全体を見,その各部が相互に関連と調和を保ちながら,読者をヨハネの時代からずっと遠い将来に移すものであることを知らなければなりません。この書は序文(啓示 1:1-9)の後,内容を次のように16の幻に分けて考慮することができます。(1)1:10-3:22; (2)4:1-5:14; (3)6:1-17; (4)7:1-17; (5)8:1-9:21; (6)10:1-11:19; (7)12:1-17; (8)13:1-18; (9)14:1-20; (10)15:1-16:21; (11)17:1-18; (12)18:1-19:10; (13)19:11-21; (14)20:1-10; (15)20:11-21:8; (16)21:9-22:5。これらの幻の後には,動機づけを与える結びの言葉が記されており,その中でエホバ,イエス,み使い,およびヨハネすべてが語り,伝達の経路の役目をする当事者として最終的に貢献しています。―22:6-21。
「啓示」の書の内容
7 ヨハネはこの「啓示」の書の由来について何と述べますか。彼は七つの会衆の人たちとどんなものを共にしていると述べていますか。
7 序文(1:1-9)。ヨハネは情報の神聖な源であられる方と啓示を伝える経路となっているみ使いについて説明し,次いで,アジア地区の七つの会衆の人たちに語りかけます。イエス・キリストは彼らを「ご自分の神また父」,すなわち全能者なるエホバ神に対して「王国とし,祭司とし(た)」のです。ヨハネは,自分が「イエスと共になって患難と王国と忍耐を」彼らと「分け合う者であ(り)」,パトモスに流刑にされていることを銘記させます。―1:6,9。
8 (イ)ヨハネは何を行なうようにとの指示を受けますか。(ロ)彼は燭台の中央にだれを見ますか。その方は何について説明しますか。
8 七つの会衆に対する音信(1:10-3:22)。最初の幻が見えだすと,ヨハネは霊感によって,自分が主の日にいることに気づきます。ラッパの音のような強い声が,自分の見る事柄を巻き物に書き,エフェソス,スミルナ,ペルガモン,テアテラ,サルデス,フィラデルフィア,ラオデキアの七つの会衆に送るようにと告げます。その声のほうを向くと,七つの燭台の中央に「人の子のような者」が見えます。その右手には七つの星があります。その方は,自分が「最初であり最後であ(る者)」,一たび死んだが今や限りなく永久に生きる者,また死とハデスのかぎを持つ者であることを述べます。それゆえ,これは復活したイエス・キリストです。イエスはこう説明します。「七つの星は七つの会衆の使いたちを表わし,七つの燭台は七つの会衆を表わしている」。―1:13,17,20。
9 エフェソス,スミルナ,ペルガモン,テアテラの会衆に,それぞれどんな称賛のことば,また助言が与えられますか。
9 ヨハネはエフェソスの会衆の使いに書き送るようにと告げられます。その会衆は,多くの労苦と忍耐,また悪人たちと歩みを共にすることを拒んだ記録を持つにもかかわらず,その最初の愛を離れましたから,悔い改めて以前の行ないをすべきです。スミルナにある会衆は,患難と貧しさの中にあっても実際には富んでいるのであるから,恐れてはならない,と告げられます。「忠実であることを死に至るまでも示しなさい。そうすれば,命の冠をあなたに与えよう」。ペルガモンの会衆は「サタンの座のある所」にありますが,キリストの名をしっかり守りつづけています。しかし,その会衆のただ中に背教者たちがいます。それらの者は悔い改めなければなりません。さもなければ,キリストはその口の長い剣で彼らと戦うことになります。テアテラの会衆は「愛と信仰と奉仕と忍耐」を保持していますが,それでも「かの女イゼベル」を容認しています。しかし,そのようなものをしっかりと守る忠実な者は,「諸国民に対する権威」を受けることになります。―2:10,13,19,20,26。
10 サルデス,フィラデルフィア,ラオデキアの会衆にそれぞれどんな音信が送られますか。
10 サルデスの会衆は,生きているとの名を持ちながら,その行ないが神の前で十分になされていないゆえに死んだものとなっています。しかし,征服する者たちは,命の書から自分の名を消されることはありません。フィラデルフィアの会衆はキリストの言葉を守ってきました。それゆえ,イエスは,その会衆を,「人の住む地全体に臨もうとしている試みの時から守る」ことを約束します。キリストは征服する者をご自分の神の神殿の中の柱とします。そして,キリストはこう言われます。「わたしは,わたしの神の名と,わたしの神の都市,すなわち……新しいエルサレムの名と,わたしの新しい名とをその者の上に書く」。キリストはご自分のことを「神による創造の初め」と呼んだ後,ラオデキアの会衆に対し,その会衆が熱くも冷たくもないので,自分の口から吐き出されるということを告げます。その会衆の人たちは富を誇りながら,実際には貧しく,盲目で,裸なのです。彼らには白い外衣が必要です。また,見えるようになるために目薬も必要です。キリストに対して戸を開く者がいれば,キリストはその者のところに来て晩さんを共にします。征服する者に対し,キリストはご自分の座に共に座ることを許します。キリストがみ父と共にみ父の座に座ったのと同様です。―3:10,12,14。
11 次に,どんな荘厳な幻がヨハネの注意を引きますか。
11 エホバの神聖さと栄光に関する幻(4:1-5:14)。第二の幻は,わたしたちをエホバの天の輝かしいみ座の前に導きます。さん然と輝く宝石にも似たその美しさはまばゆいばかりです。み座の周りには24人の長老が冠を頂いて座っています。四つの生き物は神聖さをエホバに帰します。エホバは,すべてのものの創造者であられるゆえに,「栄光と誉れと力を受ける」にふさわしい方として崇拝されます。―4:11。
12 七つの封印のある巻き物を開くにふさわしいのはだれだけですか。
12 「み座に座っておられる方」が七つの封印のある巻き物を手にしておられます。しかし,その巻き物を開くにふさわしいのはだれでしょうか。「ユダ族の者であるライオン,ダビデの根」だけがふさわしい方です。『ほふられた子羊』でもあるこの方が,その巻き物をエホバから受け取ります。―5:1,5,12。
13 初めの六つの封印が開かれると,どんな複合的な幻が現われますか。
13 子羊が巻き物の六つの封印を開く(6:1-7:17)。今や第三の幻が始まります。次いで子羊は封印を開きます。まず,白い馬に乗った騎手が「征服しに,また征服を完了するために」出て行きます。次に,火のような色の馬に乗る者が地から平和を奪い取り,また黒い馬に乗った別の者が穀物の配分を制限します。青ざめた馬には死が乗っています。ハデスがそのすぐあとに従っています。次いで第五の封印が解かれます。すると,『神の言葉のためにほふられた者たち』が自分たちの血に対する復しゅうを呼び求めているのが見えます。(6:2,9)第六の封印を開くさいに大きな地震が起き,太陽と月が暗くなり,地の力ある者たちは,山々が自分たちの上に倒れて,自分たちをエホバから,また子羊の憤りから隠してくれるようにと呼び求めます。
14 次いで,神の奴隷たちと,数え切れない大群衆に関するどんな情景が見えますか。
14 この後,第四の幻が現われ始めます。神の奴隷たちがその額に証印が押されるまで,4人のみ使いが地の四方の風を引き止めているのが見えます。それら証印を押される者の数は14万4,000人です。その後,ヨハネは,あらゆる国から来た,数え切れない大群衆が神と子羊との前に立ち,このおふた方に救いを帰し,神の神殿で昼も夜も奉仕をささげているのを見ます。子羊は自ら,「彼らを牧し,命の水の泉に彼らを導かれ」ます。―7:17。
15 七番目の封印を開くとどんな事が起きますか。
15 第七の封印が開かれる(8:1-12:17)。天には静寂があります。その後,七つのラッパが7人のみ使いに渡されます。第五の幻は初めの六つのラッパを吹くことによって構成されています。
16 (イ)初めの五つのラッパが相次いで吹かれると,何が次々に起きますか。三つの災いのうち最初のものは何ですか。(ロ)六番目のラッパは何をふれ告げますか。
16 最初の三つのラッパが相次いで吹かれるにつれ,災いが地と海と川,それに水の源を襲います。四番目のラッパが鳴ると,太陽と月と星の三分の一が暗くなります。第五のラッパが鳴ると,天の一つの星がいなごの災厄を放ち,そのいなごは「額に神の証印のない人々」を攻撃します。これは「一つの災い」です。なお二つの災いがやって来ます。第六のラッパは,4人のみ使いが解き放たれることについて告げます。それらの者は殺す業のために来ます。「万の二万倍」の騎手がさらに災いと殺りくをもたらしますが,人々はなおも自分たちのよこしまな行ないを悔い改めません。―9:4,12,16。
17 どんな出来事が最高潮に達して,第二の災いは過ぎたという発表がなされますか。
17 第六の幻が現われ始めると,別の強いみ使いが天から下り,『第七のみ使いが吹き鳴らす日に……良いたよりに基づく神の神聖な奥義』は終わりに至る,と宣言します。ヨハネは小さな巻き物を与えられてそれを食べます。それは彼の口には「蜜のように甘い」のですが,その腹には苦くなります。(10:7,9)二人の証人が粗布を着て1,260日のあいだ預言します。その後その二人は「底知れぬ深みから上る野獣」によって殺され,その遺体は「大いなる都市の大通りに」三日半のあいだ放置されます。地に住む者たちは彼らのことで喜びますが,神がその二人をよみがえらせるに及んでそれは恐れと驚きに転じます。その時刻に大きな地震があります。「第二の災いが過ぎ」ました。―11:7,8,14。
18 七番目のラッパを鳴らすと,どんな重要な発表がなされますか。今や何を行なうべき定めの時が来ましたか。
18 次いで第七のみ使いがラッパを吹きます。天からの声が次の発表をします。「世の王国はわたしたちの主とそのキリストの王国となった」。「二十四人の長老」は神を崇拝して感謝をささげます。一方,諸国民は憤りを抱きます。今や,死者を裁き,聖なる者に報いを与え,「地を破滅させている者たちを破滅に至らせる」,神の定めの時が到来しました。神の神殿の聖所は開かれ,その中に契約の箱が見えます。―11:15,16,18。
19 天にどんなしるしと戦いが見られますか。その結果,どうなりますか。
19 王国の樹立に関する発表に続いて,第七の幻は直ちに天の「大きなしるし」を示します。それは一人の女のことですが,彼女は「子」を産みます。それは「男子であり,あらゆる国民を鉄の杖で牧する者」です。「火のような色の大きな龍」はその子供を食い尽くす備えをして立ちますが,子供は神のみ座のもとに連れ去られます。ミカエルが龍と戦います。そして,この「初めからの蛇で,悪魔またサタンと呼ばれ(る者)」を地に投げ落とします。これは『地にとって災い』です! 龍は女を迫害し,彼女の胤の残っている者たちと戦うために出て行きます。―12:1,3,5,9,12; 8:13。
20 次にどんな二つの野獣が幻の中に現われますか。それらは地上にどのような影響を与えますか。
20 海から上る野獣(13:1-18)。次いで,第八の幻は七つの頭と十本の角のある野獣が海から上って行くさまを示します。その野獣は龍から力を得ます。その頭の一つはほふられて死んだかのようでしたが,しかしそれはいえて,全地はその獣のことで感服しました。その獣は神を冒とくする言葉を述べ,聖なる者たちと戦います。しかし,ご覧なさい,ヨハネは別の野獣を見ます。それは地から上って行きます。それには子羊のような二本の角がありますが,龍のように語りはじめます。それは地の住民を惑わし,初めの野獣の像を作ることを命じます。すべての者はその像を崇拝することを強いられ,そうしない者は殺されます。その野獣のしるし,もしくは数字を持たない者は,だれも売り買いできません。その数字は666です。
21 ヨハネはシオンの山の上に何を見ますか。み使いたちは何を携え,何をふれ告げますか。地のぶどうの木はどのように処理されますか。
21 「永遠の福音」とこれに関連した音信(14:1-20)。前述のこととは喜ばしい対照をなすものとして,ヨハネは第九の幻の中で,子羊がシオンの山に,子羊とみ父の名を額に記された14万4,000人の者と共に立っているのを見ます。「彼らは,み座の前(で)新しい歌であるかのような歌を歌って」います。彼らは「神と子羊に対する初穂として人類の中から買い取られた」者たちです。別のみ使いがあらゆる国の民に「喜ばしいおとずれとして宣明する永遠の良いたより」を携えて,中天に現われ,「神を恐れ,神に栄光を帰せよ」と宣明します。さらに別のみ使いは,『大いなるバビロンは倒れた!』と発表します。別の,3人目のみ使いは,野獣とその像を崇拝する者たちが神の憤りを飲む結果になることを布告します。「人の子のような者」が鎌を突き入れ,またもう一人のみ使いも自分の鎌を突き入れて地のぶどうを刈り取り,それを「神の怒りの大きなぶどう搾り場」に投げ込みます。搾り場が市の外で踏まれるにつれ,血が出て馬のくつわに届くほどになり,『千六百ファーロング(約295㌔)の距離に及び』ます。―14:3,4,6-8,14,19,20。
22 (イ)次にだれが,なぜエホバに栄光を帰していますか。(ロ)神の怒りの七つの鉢はどこに注ぎ出されますか。世界を揺るがすどんな事態がその後に続きますか。
22 最後の七つの災厄を携えたみ使いたち(15:1-16:21)。第十の幻が現われ始めると,天の法廷をもう一度かいま見ることができます。野獣に対して勝利を得た者たちは,その偉大で驚くべきみ業のゆえに,「とこしえの王」なるエホバに栄光をささげます。天の聖なる所から7人のみ使いが出て来ます。神の怒りを満たした七つの黄金の鉢が彼らに与えられます。最初の六つは,地,海,川,水のわき出るところ,太陽,野獣の座,そしてユーフラテス川の上に注ぎ出されます。その川の水はかれ,「日の昇る方角から来る王たち」のために道が作られます。悪霊的な表現がハルマゲドンにおける『全能者なる神の大いなる日の戦争のために人の住む全地の王たち』を集めます。七番目の鉢の中から空気の上に注ぎ出されると,恐ろしい自然現象の中で,大いなる都市は三つの部分に裂け,諸国民の数々の都市は倒れ,バビロンは「神の憤りの怒りのぶどう酒の杯」を与えられます。―15:3; 16:12,14,19。
23 (イ)大いなるバビロンに対する神の裁きはどのように執行されますか。(ロ)彼女の倒壊に伴って,どんな発表が行なわれ,またどんな嘆きの言葉が聞かれますか。そして,喜びにあふれたどんな賛美の声が天に響き渡りますか。
23 バビロンに対する神の裁き; 子羊の結婚(17:1-19:10)。第十一の幻が現われ始めます。ご覧なさい! それは,「大いなるバビロン,娼婦たちと地の嫌悪すべきものとの母」に対する神の裁きです。「地の王たちは彼女と淫行を犯し」ました。聖なる者たちの血に酔った彼女は,七つの頭と十本の角のある緋色の野獣に乗っています。この野獣は「かつていたが,今はいない。しかし底知れぬ深みからまさに上ろうとして」いるものです。その十本の角は子羊と戦いますが,子羊は「主の主,王の王」であるゆえに彼らを征服します。十本の角は転じて,その娼婦に向かい,彼女を食い尽くします。そして,第十二の幻が現われ始め,別のみ使いが自分の栄光で地を照らしながら,「彼女は倒れた! 大いなるバビロンは倒れた」と宣言します。神の民は彼女の災厄にあずからないようにするため,彼女から出るよう命ぜられます。王たちや地の他の力ある者たちは彼女のことで泣き,「気の毒だ,気の毒なことだ,大いなる都市よ,強力な都市ともあろうバビロンよ,あなたの裁きが一時のうちに到来したとは!」と語ります。彼女の大いなる富は荒れ廃れたのです。大きな臼石が海に投げ込まれるように,バビロンは速い勢いで投げ落とされ,もはや二度と見いだされません。ついに,神の聖なる者たちの血に対する復しゅうが行なわれました! 天では,「あなた方はヤハを賛美せよ!」という声が4回響き渡ります。そうです,大いなる娼婦に裁きを執行されたのですから,ヤハを賛美してください! エホバは王として支配を始められたのですから,ヤハを賛美してください!「子羊の結婚が到来し,その妻は支度を整えた」のですから,歓び,そして喜びにあふれてください!―17:2,5,8,14; 18:2,10; 19:1,3,4,6,7。
24 (イ)子羊の行なう戦いはどれほど決定的なものですか。(ロ)一千年の期間に何が起きますか。また,その終わりに何が生じますか。
24 子羊は義の戦いを行なう(19:11-20:10)。第十三の幻の中で,「王の王また主の主」は義の戦いのために天軍を率いています。王たちや強い者たちは天の鳥のための腐肉となり,野獣と偽預言者は,硫黄で燃える火の湖に生きたまま投げ込まれます。(19:16)第十四の幻が現われ始めると,ひとりのみ使いが,「底知れぬ深みのかぎと大きな鎖を手にして天から下って来る」のが見えます。「悪魔またサタンである龍,すなわち初めからの蛇」は捕らえられて一千年のあいだ縛られます。第一の復活にあずかる人々は「神およびキリストの祭司となり,千年のあいだ彼と共に王として支配」します。その後,サタンは解き放され,地の諸国民を惑わすために出て行きますが,彼に従う者たちと共に火の湖に投げ込まれます。―20:1,2,6。
25 胸の躍るどんな幻が続きますか。そこで見られるものをだれが受け継ぎますか。
25 裁きの日と新しいエルサレムの栄光(20:11-22:5)。次に,胸の躍るような第十五の幻が続きます。死者は,大なる者も小なる者も,神の大きな白いみ座の前で裁かれます。死とハデスは火の湖に投げ込まれます。それは「第二の死」を表わしており,だれでも命の書に名を書かれていない者たちも共にそこに投げ込まれます。新しいエルサレムが天から下り,神は人類の中にご自身の天幕を張り,人の目からすべての涙をぬぐい去ります。もはや,死,嘆き,叫び,あるいは苦痛もありません。そうです,神は「すべてのものを新しく」してゆかれるのです。そして,「書きなさい。これらの言葉は信頼できる真実なものだからである」と述べて,ご自分の約束を保証されます。征服する者たちはそれら新たにされるものを受け継ぎますが,憶病な者,信仰のない者,不道徳であったり,心霊術や偶像礼拝を習わしにしたりする者はそれを受け継ぎません。―20:14; 21:1,5。
26 (イ)新しいエルサレムはどのように描写されていますか。(ロ)その都市の中には,命を支えるためのどんなものが見えますか。その光はどこから来ますか。
26 今やヨハネは第十六の最後の幻の中で,「子羊の妻」を示されます。それは新しいエルサレムであり,その12の門と12の土台石には12使徒の名が記されています。それは正方形であり,その荘厳な輝きは,そこにある碧玉と金と真珠によって表わされています。エホバと子羊がこの都市の神殿であり,またその光でもあります。子羊の命の巻き物に書かれた者だけがその中に入ることができます。(21:9)清い命の水の川がみ座から出て,都の大通りを流れています。その両側には命の木があって,月ごとに新たな実を産出し,また人々をいやすための葉が付いています。神と子羊のみ座がその都の中にあり,神の奴隷たちは神の顔を見ます。「エホバ神(は)彼らに光を与え……彼らは限りなく永久に王として支配」します。―22:5。
27 (イ)ヨハネはその預言に関してどんな保証を与えられますか。(ロ)「啓示」の書は,どんな緊急な招きと警告のことばで結ばれていますか。
27 結びの言葉(22:6-21)。「これらの言葉は信頼できる真実なものである」という保証が与えられています。この預言の言葉を守り行なう人は皆ほんとうに幸いです。これらのことを見聞きしたヨハネはひれ伏して,み使いを崇拝しようとしますが,み使いは,ただ神のみを崇拝すべきことを思い出させます。預言の言葉を封じてはなりません。「定められた時が近いから」です。この都市に入る人たちは幸いです。その外にいるのは,不潔な者,また「すべて偽りを好んでそれを行ないつづける者」だからです。イエスはご自分がみ使いを通してこの証しを諸会衆に送ったこと,また,ご自分が「ダビデの根また子孫であり,輝く明けの星である」ことを述べます。「そして,霊と花嫁は,『来なさい!』と言いつづける。そして,だれでも聞く者は,『来なさい!』と言いなさい。そして,だれでも渇いている者は来なさい。だれでも望む者は命の水を価なくして受けなさい」。また,だれもこの預言の言葉に付け加えたり,何かを取り去ったりしてはなりません。その分が「命の木から,また聖なる都市の中から」取り去られることのないためです。―22:6,10,15-17,19。
なぜ有益か
28 聖書の最初の部分で始められた記録を「啓示」の書が締めくくっていることを,どんな例から理解できますか。
28 「啓示」の書は,霊感を受けて記され,収集された,66冊の書で成る聖書の何と輝かしい結末を示すものとなっているのでしょう。何も省かれてはいませんし,終わりには少しもあいまいな所がありません。今や,わたしたちは始まりと共に壮大な終局をはっきり見ることができます。聖書の最後の部分が,最初の部分で始めた記録を締めくくるものとなっているのです。創世記 1章1節は神が物質の天と地を創造されたことを述べているように,啓示 21章1節から4節は,イザヤ 65章17節と18節および66章22節,ならびにペテロ第二 3章13節でも預言されているとおり,新しい天と新しい地,および人類にもたらされる,言いようのないほどの祝福について述べています。最初の人間は,不従順になるなら,必ず死ぬと告げられたとおり,神は従順な者たちに,『もはや死がない』ことをはっきり保証しておられます。(創世記 2:17。啓示 21:4)蛇が人類を欺く者として最初に現われた時,神はその頭を砕くことを予告されました。そして,「啓示」の書は,悪魔またサタンである初めからの蛇がどのようにして最終的に投げ落とされて滅ぼされたかを明らかにしています。(創世記 3:1-5,15。啓示 20:10)不従順な人間はエデンの園の命の木に近づけないよう追いやられましたが,象徴的な命の木が従順な人類の「諸国民をいやすため」に現われます。(創世記 3:22-24。啓示 22:2)川がエデンから出て園を潤していたように,命を得させ,命を支える象徴的な川が神のみ座から流れ出るさまが描かれています。これはエゼキエルが見た以前の幻と類似しており,また「永遠の命を与えるためにわき上がる水の泉」に関するイエスの言葉をも思い起こさせます。(創世記 2:10。啓示 22:1,2。エゼキエル 47:1-12。ヨハネ 4:13,14)最初の男女が神のみ前から追いやられたのとは対照的に,忠実な征服者たちは神のみ顔を見ます。(創世記 3:24。啓示 22:4)「啓示」の書の胸の躍るようなこれらの幻について考えるのは本当に有益なことです。
29 (イ)「啓示」はバビロンに関する種々の預言をどのように結び合わせていますか。(ロ)ダニエル書と「啓示」には,王国や獣の幻に関してどんな対応性が見られますか。
29 また,「啓示」の書が邪悪なバビロンに関する預言をどのように結びつけているかにも注目してください。イザヤは,文字どおりのバビロンの倒壊を,それが起きるずっと以前に予見し,「彼女は倒れた! バビロンは倒れた」と言明していました。(イザヤ 21:9)エレミヤもまた,バビロンに対して預言しました。(エレミヤ 51:6-12)しかし,「啓示」の書は,「大いなるバビロン,娼婦たちと地の嫌悪すべきものとの母」について象徴的なことばで述べています。彼女もまた,覆されなければなりません。ヨハネはその様子を幻の中で見,「彼女は倒れた! 大いなるバビロンは倒れた」と言明しています。(啓示 17:5; 18:2)神によって立てられ,他の王国を打ち砕いて,「定めのない時に至るまで」続く王国に関するダニエルの幻を思い出されますか。このことと,「啓示」の書の天での,「世の王国はわたしたちの主とそのキリストの王国となった。彼は限りなく永久に王として支配する」という宣言がどのように結びつけられているかに注目してください。(ダニエル 2:44。啓示 11:15)また,ダニエルの幻は,『人の子のような者が天の雲と共に来て,定めなく続く支配権と尊厳と王国とを受ける』さまを描いていましたが,「啓示」の書も,イエス・キリストが「地の王たちの支配者」であり,「雲と共に来」て,「すべての目(が)彼を見る」ことを明らかにしています。(ダニエル 7:13,14。啓示 1:5,7)また,ダニエルの幻の中の獣と,「啓示」の書に描かれる獣との間にもある種の対応性が見られます。(ダニエル 7:1-8。啓示 13:1-3; 17:12)確かに,「啓示」の書は,信仰を強める研究のための一つの広範な分野を提供しています。
30 (イ)「啓示」の書は,王国によってエホバのみ名が神聖なものとされる時の完成したどんな光景を示していますか。(ロ)神聖さに関してどんなことが強調されていますか。これはどんな人々に影響を与えますか。
30 「啓示」の書は神の王国に関して,数多くの特色のある,何と驚嘆すべき幻を見させてくれるのでしょう。この書は,昔の預言者およびイエスやその弟子たちが神の王国について述べた事柄に見事に焦点を合わせています。ここに,「聖なるかな,聖なるかな,聖なるかな,全能者なるエホバ神」とたたえられているとおり,エホバのみ名が王国によって神聖なものとされる時の完成された光景を見ることができます。この方こそ,「栄光と誉れと力を受ける」のにふさわしい方です。「ご自分の大いなる力を執り」,キリストを通して「王として支配を始め(る)」のは,確かにこの方です。「王の王また主の主」なる,王にふさわしいこのみ子は諸国民を打ち,「全能者なる神の憤りの怒りのぶどう搾り場」を踏む際,何と熱心な方として示されているのでしょう。エホバのみ名の正しさの立証という聖書の壮大な主題が最高潮に向かって展開してゆくにつれて,エホバの目的にかかわっている人も事物もすべて神聖でなければならないということが強調されています。子羊,つまり「ダビデのかぎを持つ」イエス・キリストは聖なる者であると述べられています。天のみ使いたちについても同じです。第一の復活にあずかる者たちは「幸いな者,聖なる者」と呼ばれ,「神聖でないもの,また嫌悪すべきこと……を行ないつづける者」は決して「聖なる都市エルサレム」に入れないことが強調されています。子羊の血によって買い取られて,「わたしたちの神に対して王国また祭司」とされる人々は,こうして,エホバのみ前で神聖さを保たねばならないという強力な励みが得られます。「大群衆」もまた,「自分の長い衣を子羊の血で洗って白くし」なければなりません。それは,神聖な奉仕をささげるためです。―啓示 4:8,11; 11:17; 19:15,16; 3:7; 14:10; 20:6; 21:2,10,27; 22:19; 5:9,10; 7:9,14,15。
31 王国の特色のうち,ただ「ヨハネへの啓示」の中でだけ示されているものにどんな点がありますか。
31 「啓示」の書の中でのみ取り上げられている幾つかの特色に注目するにつれ,この壮大で神聖な神の王国に関する幻はわたしたちの思いの中でいっそう明確な形を取ってゆきます。ここで,わたしたちは,王国の相続者たちが子羊と共にシオンの山に立ち,彼らだけが学びうる新しい歌を歌う完成した幻を見ます。地から買い取られて王国に入る人の数が14万4,000人であること,またその人々は霊的なイスラエルの象徴的な12部族の中から取られて証印を押されることを告げているのは,「啓示」の書だけです。キリストと共に第一の復活にあずかる,これらの『王また祭司』たちがキリストと共に「千年のあいだ」支配することを示しているのも「啓示」の書だけです。また,「聖なる都市,新しいエルサレム」の完成した光景を示して,そのまばゆいばかりの栄光,その神殿であるエホバと子羊,その12の門と12の土台石,およびエホバが照らしてくださる,とこしえの光によって治める王たちを示しているのも,「啓示」の書だけです。―14:1,3; 7:4-8; 20:6; 21:2,10-14,22; 22:5。
32 (イ)「新しい天」と「聖なる都市,新しいエルサレム」に関する幻は,王国の胤について予告された事柄すべてをどのように要約したものと言えますか。(ロ)王国は地上の人類にどんな祝福を保証していますか。
32 「新しい天」と「聖なる都市,新しいエルサレム」に関するこの幻は,王国の胤に関して聖書が昔から予告してきた事柄すべてを確かに要約したものと言うことができます。その胤によって,『地のすべての家族は自らを祝福する』のですが,アブラハムはその胤と「真の土台を持つ都市」とを期待していました。『その都の造り主は神』なのです。今や,「啓示」の書の幻の中で,祝福をもたらすその都市とは,「新しい天」,つまり新しいエルサレム(キリストの花嫁)とその花婿で構成される神の王国という新しい政府であることがわたしたちのためにまさしく明らかにされています。これらの方々は全地を治める義の政府を一緒に運営します。エホバは忠実な人類が「その民」となって,エデンにおける反逆以前に人間が享受したような,罪や死のない幸福な状態で生活するようになることを忠実な人間に約束しておられます。そして,「啓示」の書は,強調のために,神が『彼らの目からすべての涙をぬぐい去られる』ことを2回述べています。―創世記 12:3; 22:15-18。ヘブライ 11:10。啓示 7:17; 21:1-4。
33 (イ)「啓示」の書は神の目的が成し遂げられるさまについてどのような驚嘆すべき全体的幻を与えていますか。(ロ)「聖書全体」は「神の霊感を受けたもので……有益」であることがどのように証明されましたか。なぜ今は神の言葉を研究してそれに従うべき時ですか。
33 そうです,霊感による聖書の何と壮大な結びのことばでしょう。これらの「必ず起きる事柄」は何と驚嘆すべきものなのでしょう。(啓示 1:1)「預言者たちの霊感の表現の神」であられるエホバのみ名は神聖なものとされます。(22:6)16世紀間にわたって記された預言的な著作の成就が示され,何千年にもわたる信仰の業がまさしく報われているのです!「初めからの蛇」は死に,その軍勢は滅ぼされ,悪はもはや存在しなくなります。(12:9)神の王国は「新しい天」として,神の賛美のために支配を行ないます。聖書の巻頭の章の中で述べられたエホバの目的にしたがって満たされ,従えられた,回復された地の祝福は,喜ばしいことに人類の前で永遠に続いてゆきます。(創世記 1:28)確かに,聖書全体は,「神の霊感を受けたもので,教え,戒め,物事を正し,義にそって訓育するのに有益」であることが証明されました。エホバは,十分な能力を備え,全く整えられた,信仰の人々をこの驚嘆すべき時代まで,その聖書を用いて導いてこられました。それゆえ,今こそ,その聖書を研究して自分の信仰を強めるべき時です。神の祝福を受けるために,その聖書の命令に従ってください。聖書に従って,永遠の命に至る,まっすぐな道を進んでください。そうすれば,あなたも保証された確信を抱いて,「アーメン! 主イエスよ,来てください」という聖書巻末の書の結びの言葉に和することができるでしょう。―テモテ第二 3:16。啓示 22:20。
34 どうすれば,わたしたちは今,比類のない喜びを持てますか。なぜですか。
34 わたしたちは今,胤である,「わたしたちの主とそのキリストの王国」を歓呼して迎えることによって,何と比類のない喜びを味わえるのでしょう。この王国は,「全能者なるエホバ神」の類まれなみ名を永遠にわたって神聖なものとするのです。―啓示 11:15,17。
[脚注]
a 「ニケア会議前教父」(英文),第1巻,240ページ。
b 「教会史」(英文),エウセビオス,VI,xxv,9,10。
c 「ニケア会議前教父」(英文),第1巻,559,560ページ。
d 「歴代のカエサルの生涯」(ドミティアヌス,XIII,2)(英文)。
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