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神の言葉を愛した人たちものみの塔 2009 | 6月1日
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枕に入れた聖書
米国の宣教師アドニラム・ジャドソンと妻のアンは,1812年2月に結婚し,その2週間後に長旅に出発して,1813年にビルマに到着しました。二人は直ちに,極めて難しい言語であるビルマ語の勉強を始めます。a 数年間の学習の後,ジャドソンはこう書いています。「我々は,地球の反対側にいる人々,我々とは思考回路が異なる人々の言語を学んでいる。辞書はなく,単語の意味を説明してくれる通訳さえいない」。
ジャドソンは,言語の難しさに負けてあきらめたりはしませんでした。1823年6月に,クリスチャン・ギリシャ語聖書のビルマ語訳を完成させます。後に,ビルマは戦禍に見舞われ,ジャドソンはスパイ容疑で投獄され,足かせを3組つけられて柱に縛り付けられます。「ジャドソン夫人が面会を許されて二人が英語で話せるようになった時,ジャドソンがまず欲しがったものの一つは,新約聖書の手書きの翻訳原稿だった」と,フランシス・ウェイランドはジャドソンの伝記(1853年)に書いています。家の床下に埋められた原稿が湿気とカビで朽ちてしまうことのないよう,アンは原稿を枕に入れて口を縫い,獄中の夫に届けました。こうして,原稿は何とか生き残りました。
ジャドソンは,獄中で何か月も過ごした後に釈放されます。しかし,喜びはつかの間でした。同じ年に,アンが熱病にかかり,数週間で亡くなってしまったのです。半年後には,まだ2歳の娘のマリアも,手の施しようのない病気で亡くなります。ジャドソンは悲しみに打ちひしがれますが,仕事を再開します。そして1835年,ついに聖書全巻が完成しました。
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神の言葉を愛した人たちものみの塔 2009 | 6月1日
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[11ページの図版]
アドニラム・ジャドソンと,彼のビルマ語訳聖書
[クレジット]
Judson: Engraving by John C. Buttre/Dictionary of American Portraits/Dover
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