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    ものみの塔 2001 | 5月1日
    • アミアティヌス写本の旅

      ジャロー

      ウェアマス

      アミアタ山

      フィレンツェ

  • 一冊にまとめられた聖書
    ものみの塔 2001 | 5月1日
    • 西暦678年には,アングロサクソン人の修道院長セオルフリッドが,ローマでの滞在を終えたのち,その冊子本<コーデックス>を携えてブリテンへ帰国しました。こうしてその冊子本は,セオルフリッドが統括していて姉妹関係にあった,ウェアマスとジャローの修道院に到着しました。その地は,今日の英国のノーサンブリアにあります。

      セオルフリッドと修道士たちは,カッシオドルスの一冊型の聖書に引かれ,その使いやすさに魅せられたに違いありません。それで,わずか二,三十年のうちに,一冊にまとめた全巻聖書をほかに3種類製作しました。そのうち唯一現存しているのは,アミアティヌス写本(コーデックス・アミアティヌス)と呼ばれる,非常に大型の写本です。子牛皮の紙面で2,060ページあり,縦51㌢,横33㌢,表紙を含めた厚さは25㌢,重さは34㌔を超えます。全巻一冊型のラテン語聖書で今日完全に残っているものとして,最古のものです。その冊子本は,19世紀の有名な聖書学者フェントン・J・A・ホートにより,1887年に確認されました。ホートは,「当代の人でも,この並外れた[写本]を見ると,畏敬に近いものを覚える」と述べました。

      再びイタリアへ

      カッシオドルスが作らせたコーデックス・グランディオルの原本は,現在見つかっていません。一方,アングロサクソン人の手になるその後継ともいうべき,アミアティヌス写本は,完成後まもなくイタリアに戻ることになりました。セオルフリッドは,死ぬ少し前に,再びローマを訪ねることにしました。教皇グレゴリウス2世への贈り物として,三つのラテン語聖書写本のうちの一つを携えて行きました。セオルフリッドは,西暦716年,旅の途上フランスのラングルで亡くなりました。しかし,携えていた聖書は旅行者団と共に旅を続けました。冊子本<コーデックス>は最終的にイタリア中部,アミアタ山にある修道院の図書館に収められました。アミアティヌス写本という名称は,その地名から取られています。1782年,その写本は,イタリアのフィレンツェにある,メディチ家のローレンティア図書館に移され,その図書館の最も貴重な所蔵品の一つとして残っています。

  • 一冊にまとめられた聖書
    ものみの塔 2001 | 5月1日
    • [30ページの図版]

      上: アミアティヌス写本 左: アミアティヌス写本に描かれているエズラ

      [クレジット]

      Biblioteca Medicea Laurenziana, Firenze

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