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  • レッド・ベイで大発見
    目ざめよ! 2005 | 10月8日
    • どうして分かるのか

      考古学者と歴史学者はバスク地方の公文書保管所で発見された文献を見て,レッド・ベイに関心を抱くようになりました。その記録から,サン・フアン号として知られるスペインのガリオン船が1565年に嵐に遭い,レッド・ベイ沖で沈没したことが分かったのです。

      レッド・ベイに近いサドル島で発掘を行なっていた際,矢印形の銛先のような,初期の捕鯨産業に関連した人工物が発見されました。今もそこに行けば,海岸のあちこちに,スペイン風の赤瓦が積み上げられているのを見ることができます。地元の子どもたちは何年もの間その赤瓦で遊んでいました。一人の住人は,「赤い瓦をチョーク代わりにして,よく石に絵を描いて色を付けました。大変なもので遊んでいたんですね。ちっとも知りませんでした」と語っています。

      1978年の夏,サドル島の沖合い30㍍ほどの地点に船を浮かべ,水中で作業していた考古学者たちが,オーク材の厚板を回収しました。オークはバスク人の船大工がよく使う木であり,緑の少ないラブラドルの海岸には見られないので,これは非常に重要な発見でした。その後の潜水調査で,サン・フアン号と思われる船の残骸が発見されましたが,保存状態は非常に良好でした。レッド・ベイ沖の冷たい海水によって守られていたのです。沈泥層に覆われたその残骸は深さ約10㍍の海底に横たわっていました。長い歳月にわたって大量の氷の重みが加わったためと思われますが,船体は縦に裂け,本を開いたように平たくなっていました。考古学者たちはこの発見に色めき立ちました。フロリダ以北のアメリカ沿岸で,16世紀の商船がほぼ原形をとどめたまま発見されたのは,これが最初だったからです。

      本当にサン・フアン号なのか

      ダイバーたちは根気強く船体のパーツを一つ一つ掘り起こし,各断片に番号を付しました。しかし慎重な調査・研究を終えてから,さらに保存を続けるため,それらは再び海底に戻されました。調査の結果どんなことが分かったでしょうか。推定300㌧のその船は,外見や華々しさよりも,耐航性を重視して造られたものでした。スペインに持ち帰る鯨油を最大限積み込めるよう,舳先も艫も四角い形に造られていました。沈没したサン・フアン号に関する古い記録によると,この船は鯨油を満載していたようです。しかし,その大部分は当時の乗組員によって引き上げられていました。今回,船底から450個近くの樽が発見されましたが,それらは回収が困難なために残されていたものと思われます。船から遺体は発見されませんでした。バスク人の文献には,人命が失われたという記述はありません。このように文献と符合する点が多いため,研究者たちはこの船を,沈没したサン・フアン号に違いないと考えてきました。さらに,このガリオン船発掘の過程で,チャルーパと呼ばれるバスク人の捕鯨船も発見されました。チャルーパについて,カナダ公園局の水中考古学の主任ロバート・グルニエは,「航海に関する工学技術において,人類が成し遂げた優れた業績の一つである」と説明しています。

  • レッド・ベイで大発見
    目ざめよ! 2005 | 10月8日
    • [15ページの図版]

      左はサン・フアン号と思われる船の縮尺10分の1の模型

      [クレジット]

      Parks Canada Agency, Photographer Denis Pagé

      [15ページの図版]

      右は沈没船を掘り起こすダイバー

      [クレジット]

      Bill Curtsinger/National Geographic Images Collection

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