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    1993 エホバの証人の年鑑
    • 支部事務所,つまりベテルの歴史も興味深いものです。1946年から首都で幾つかの建物を借りました。これは,何年もの間に何度か引っ越しをしたということです。しかし,ハロルド・ジャクソンが支部の僕として奉仕していた間に,王国の業は拡大し,必要に見合った建物を建てなければならなくなりました。その目的で,米国大使館を見下ろす便利な場所に土地が購入されました。建設は1961年に始まりました。その年までにはロイド・オールドリッチが支部の僕として奉仕していました。設計はエルサルバドルのバルタサル・ペルラが行ない,工事を請け負ったのはテグシガルパのペドロ・アルミホでした。道具や建設技術は単純なものでした。

      仕事の質がすばらしかったことについて,オールドリッチ兄弟はこう述べています。「近代的な機械や道具なしで兄弟たちが成し遂げた事柄には驚きました。ほとんどすべての作業が手で行なわれました。役に立った機械と言えば,セメントのミキサーと材料を現場に運ぶトラックの二つだけでした」。

      1961年当時,ホンジュラスの伝道者はわずか571人でしたから,支部の建物は十分過ぎるほど広いものでしたが,1986年までには4,000人を超える伝道者が報告されていたので,1978年に建て増しされたベテル・ホームも,もはや手狭になっていました。統治体は増築を承認し,その結果床面積は2倍以上になりました。建設は1987年10月に始まりました。国際的な自発奉仕者が働いているのを見るのは本当に大きな喜びでした。多くの会衆から人々が喜んで働きに来たこともあって,すばらしい建物が完成し,1989年10月21日にエホバへの奉仕のために献堂されました。

      回顧と将来の展望

      新しいベテルの献堂の日は,楽しい一日でした。王国の奉仕を長年行なってきた兄弟姉妹たちが全国各地からやって来て,久しぶりの再会を喜びました。集まった人の中には,アラン・ボーンとヘレン・ボーン,ダーリーン・ミケルセン,ランディー・モラレス,1950年代の初めに支部の僕として奉仕したウッディー・ブラックバーンなど,宣教者としてホンジュラスに最初に入った人たちが数人いました。

      1978年から支部委員会の調整者として奉仕しているバーナー・ツィンケは,ホンジュラスの野外での自分の経験を振り返って,こう語っています。「ここホンジュラスで奉仕を楽しんできた20年間のことを考えると,この国でエホバが私たちを豊かに祝福してくださったと言うことができます。1970年に1,341人だった伝道者が現在6,583人まで増加するのを見ることができました。この新しい支部事務所からホンジュラスの兄弟たちのためにより良い奉仕ができるのは本当に特権です」。

  • ホンジュラス
    1993 エホバの証人の年鑑
    • 1989年の新しいベテルの献堂の際,統治体を代表してライマン・スウィングルが献堂式の話をしました。

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