-
エホバに対する確信に支えられてものみの塔 1997 | 2月1日
-
-
その後,1946年10月にサンパウロ市で「喜びを抱く国々の民の神権大会」が開催されました。私が10年勤めていた職場の雇い主は,私がいないと困ると言って,行かせないよう私に圧力をかけました。しかし,その大会に出席するのが私にとってどんなに重要なことかを説明したところ,雇い主は気前よく贈り物をくださり,楽しい旅行を祈ると言ってくださいました。
サンパウロ市の市立劇場で開催されたその大会は,ブラジルの国語であるポルトガル語で行なわれただけでなく,英語,ドイツ語,ハンガリー語,ポーランド語,およびロシア語による集まりも行なわれました。その大会で,ポルトガル語の「目ざめよ!」誌が刊行されたという発表が行なわれました。公開講演に1,700人ほど出席したその大会でたいへん感動した私は,1946年11月1日付けで開拓奉仕を始めるため,申込書に必要事項を記入しました。
-
-
エホバに対する確信に支えられてものみの塔 1997 | 2月1日
-
-
その後,1968年にベテルはサンパウロ市の新しい建物に移転しました。そこに引っ越した時,成員42名の私たちベテル家族にとって,すべてが大きく広々としているように思えました。実際,私たちは,これから業がどんなに発展しても,この建物なら間に合うだろうと考えていました。
-