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  • カボベルデで「命の水」がわき出る
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1992
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  • サン・ビセンテは「清い言語」を聞く
  • 清められた人々
  • フォゴ島の燃えるような熱心さ
  • カトリックの国で結んだ実
  • 最後の寄航地 ― サル島
エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1992
塔92 3/15 24–27ページ

カボベルデで「命の水」がわき出る

「カボベルデにおいて,1958年以来エホバの証人の崇拝が存在し,実践されていることは注目に値する事実です」と,カボベルデ共和国の司法大臣は説明しました。大臣はその事務所に呼び出していた二人の証人に話をしていました。「私たちは,エホバの証人が法的に認可されるまで非常に長い時間がかかったことを遺憾に思います」と付け加えました。

1990年11月30日に行なわれたその会合は,カボベルデのエホバの証人の記憶に長くとどまることでしょう。それはカボベルデでエホバの証人が宗教団体として公式に認可されたことを示すものでした。しかし,そこにいた二人の証人にとってそれは特に個人的な感慨を抱かせるものでした。というのは,そのうちの一人,ルイス・アンドラーデが,偶然にものみの塔協会の出版物を数冊見つけたのは1958年のことだったからです。ルイスはそれらの出版物を読み通した後,真理を見いだしたことに気づきました。彼は学んだことを長年の友人であったフランシスコ・タバレスに熱意を込めて伝えました。それから数年の間,二人は「ものみの塔」誌と「目ざめよ!」誌を予約して読み,真理の水を飲み続けました。そして10年後の1968年に,二人は旅行する監督がカボベルデを初めて訪問したとき,バプテスマを受けました。

アンドラーデ兄弟とタバレス兄弟は「『来なさい!』……命の水を価なくして受けなさい」という招待をふれ告げる業の一端を担う責任を認識していました。(啓示 22:17)二人は広く散らばった,そして難しい区域に挑戦することを進んで引き受けました。カボベルデは,セネガルのダカールからおよそ560㌔西の大西洋に浮かぶ,10の主要な島と幾つかの小さな島で成る国です。「緑の岬」という意味のカボベルデは最初はアフリカの沿岸の半島のことを言うときに用いられました。とはいえ,この島々は降雨量が少なく,しかも35万人の住民がこの乾ききった土地から生活を支えるものを得ていかなければならないので,「緑」という名には程遠い状態です。

過去30年間,宣教者や特別開拓者たちは島民に命の水をもたらすため,全時間奉仕者として熱心に働いてきました。その働きはどんな結果をもたらしたでしょうか。最近,ポルトガルの旅行する監督がカボベルデの諸会衆を訪問しました。それでその監督にそこでの様子を話してもらうことにしましょう。

サン・ビセンテは「清い言語」を聞く

私たちがカボベルデに来て最初に訪問したのはサン・ビセンテ島のポルト・グランデでした。車で空港から町へ向かう途中,私たちは風に運ばれる砂で覆われた,岩の多い山腹を見ました。北アフリカの砂漠化はすでにカボベルデ諸島にも達していたのです。12月から2月まで,サハラ砂漠から熱くて乾燥した風ハルマッタンが海を越えて吹いてきて,島を砂とほこりのシーツで覆います。時にはこの砂の雲がとても厚くなって,飛行機が飛べないこともあります。ハルマッタンが吹くと,残っているほんの少しの植物も乾ききってしまうのです。

しかし,霊的な面から言えば,水源は容易に見いだせます。エホバの証人はポルト・グランデに二つの会衆を設立しました。そして167人の王国伝道者がサン・ビセンテ島の4万7,000人の住民に命を与える真理の水を携えてゆく業に忙しく従事しています。週末には400人ほどの人々が,王国会館で開かれる,聖書をもとにした集会にやってきます。

1週間の訪問の間に,町で一番の劇場で催される「清い言語」地域大会の,最終的な準備が整いました。(ゼパニヤ 3:9)この土地の人々と共に,サント・アンタン島やサン・ニコラウ島からの代表者が出席したので,出席者最高数は756人に達し,24人がバプテスマを受けました。プログラムには証人たちによる聖書劇もありました。大会に出席したある映画製作所のリハーサル監督はその劇を見て次のような感想を述べました。「私たちは訓練に1年かけましたが,それでもたくさんの問題が起きました。2か月だけの訓練にしては,あなた方の劇の出演者たちのほうが大分うまいようです」。大会は成功裏に閉幕し,サン・チアゴ島にあるカボベルデの首都プライア市に移る時が来ました。

清められた人々

近年になって,他の島々の住民が職を求めて首都に集まるようになりました。結果として,市の周辺に幾千もの粗末な小屋が建てられ,供給量に限りのある水や衛生設備に今まで以上に無理が生じています。収入を補うために多くの家ではやぎや豚や鶏を飼っています。ですから,それらの動物が道路を自由に歩き回っているのを見るのは珍しくありません。これは病気が広がる一因ともなっています。

しかしこのような難しい状況のもとにありながら,プライアには現在二つの活発な会衆があり,合計130名の王国伝道者がいます。これらの幸福な証人たちは確かに,聖書から学んだことを適用して「自分を益する」ことをしてきた人々です。清く神聖な民となるよう努力を傾けた結果,兄弟たちとその子供たちは,霊的にも身体的にもより良い健康を楽しんでいます。生活は厳しいものですが,霊的には富んでいるのです。―イザヤ 48:17。ペテロ第一 1:15,16。

私たちが到着したとき,兄弟たちは地域大会の準備で忙しくしていました。サン・チアゴ島のあらゆる場所から,またサル島やフォゴ島からも,証人たちや関心を持つ人々が大会にやってきました。エホバの祝福により最高出席者数は472人でした。みんな非常にうれしそうで,顔を輝かせた子供たちもたくさん混じっていました。私たちは注意を集中して話に聞き入る群衆の中に座りながら,「小さな事の日」を決して侮るべきでないことをはっきりと感じました。(ゼカリヤ 4:10)すべては,わずか30年余り前に真理を学んだ二人から始まったのです。

島を去る前に,市外にある二つの小さな群れ,ビラ・アソマーダとタラファルを訪問しました。この島は小山が多く,土地はやせているうえに乾燥しています。しかし,ここかしこに植物や樹木の生い茂る緑地が見られました。何エーカーにもわたってココヤシやバナナ,パパイヤ,マンゴーなどが栽培されているのです。それを見て,いつの日か砂漠にも花が咲くというイザヤの預言を思い起こしました。(イザヤ 35:1)今も証人たちのその二つの小さな群れは,オアシスのように,豊富な霊的な食物と飲み物をいわば霊的に乾ききった土地で,何千人もの人々に提供しているのです。

フォゴ島の燃えるような熱心さ

次の島は「火」という意味のフォゴ島です。この名前はこの島がもともと火山島であることに由来します。カノ山は今も活発に活動を続ける活火山で,海面から2,800㍍の頂上までほぼ完全な円錐形をしています。最近この島にかなりの量の雨が降りました。そういう大雨が降ったのは数年来のことです。人々の間にはなんとなく陽気な雰囲気が漂っており,カボベルデの主食である豆やキャッサバなどの作物の世話に人々はいつになく忙しくしていました。

しかし,感謝の念の厚い人々は,どんなに忙しくても手を休めて,聖書から真理の水を取り入れるようにしていました。車が少なく,しかもよく整備されていない状態だったため,彼らのところに行くのはとても大変なことでしたが,私たちは三つの群れと集まりを持つことができました。集会に合計で162人が集まったので私たちは大いに喜びました。というのは,この島の王国伝道者は42人しかいなかったからです。これは,真理と命という象徴的な水を3万2,000人のフォゴ島の住民に与えるため,毎月平均15時間を費やす,この小さな群れの兄弟姉妹たちの熱心さを反映したものでした。

カトリックの国で結んだ実

私たちは次にサント・アンタン島とサン・ニコラウ島の兄弟たちを訪問することになっていました。それらの名前が示唆しているように,ローマ・カトリック教会は数世紀にわたってこれらの島に強い影響を及ぼしてきました。カトリック教がカボベルデの主要な宗教として残ってはいるものの,多くの誠実な人々は,さわやかな真理の水を求めて聖書に心を向けています。

サント・アンタン島の両端にある二つの小さな会衆の49人の王国伝道者たちは,4万4,000人の住民の霊的な必要を満たすために忙しく働いています。ポルト・ノボ会衆で行なわれた公開聖書講演に512人が来たとき,32人の王国伝道者たちは,サント・アンタン島の多くの羊のような人々が真理の水に渇いていることをはっきり知りました。

サン・ニコラウ島での業は,幾年も前にポルトガルの開拓者の姉妹がこの島に住む家族と手紙で聖書研究をしたのが始まりでした。それから1978年に,ポルトガルの別の開拓者が1万5,000人の住民に真理を伝えるため,生まれ故郷のサン・ニコラウ島へ帰ることにしました。兄弟がその島で最初の聖書の集会を開いたとき出席者はたった一人,つまりその兄弟だけでした。しかし,神はその集会で兄弟がささげた熱烈な祈りにお答えになりました。私たちが訪問している間に,三つの会衆に交わる48人の伝道者は,合計335人が集会に集まったのを見て感動しました。

この島で最初の巡回大会は私たちの訪問中に行なわれました。その際その地域にある劇場を無償で使用することが許されました。当局は拡声装置や無料の交通手段を備えてくれました。主催会衆の19人の伝道者は100人の代表者のために宿舎の世話をし,208人の出席者のために食事を準備しました。兄弟たちは日ごとに数多くの困難に直面するにもかかわらず,協会の王国会館基金に寄付をしました。

エホバの証人の立派な行状はここでもよく知られており,多くの雇い主は従業員が必要になるとエホバの証人を探し出します。一例を挙げると,この島でただ一つのガソリンスタンドの所有者は,正直な人を求めていたので,ある証人に自分の所で働くように頼みました。その兄弟は仕事をすでに持っていましたが,だれかほかの人を探してみましょうと言いました。するとその人は,「バプテスマを受けた証人だけですよ」と念を押しました。2か月後にその人は兄弟に,「金銭を扱えるのはエホバの証人だけですね」と言いました。

最後の寄航地 ― サル島

私たちがこの度の旅行で最後に行った所はサル島です。この名は「塩」という意味です。ですからこの島の主要産業は容易に推察できます。ここには22人でなる小さな会衆があり,王国の音信を6,500人の住民に伝える業に忙しく従事しています。これら島民に良いたよりを伝えるのは大きな喜びでした。私たちはほとんどの家で中に入るよう勧められ,家族の何人かと話すことができました。

私たちの旅はサル島の訪問をもって終了しました。カボベルデのこれら忠実なエホバの僕たちと働くのはすばらしい祝福でした。現在この島々には531人の王国伝道者がいますが,1991年のキリストの死の記念式に出席した2,567人が引き続き霊的備えにあずかるにつれ,その数は必ず増加してゆくことでしょう。ここにいるエホバの証人のほとんどは物質的には富んでいませんが霊的には富んでおり,豊かに養われています。彼らは,エホバがこれらの島々に命の水を豊かにわき出させておられ,それがエホバへの栄光と賛美になっていることを心から感謝しています。

[24ページの地図]

(正式に組んだものについては出版物を参照)

カボベルデ

サント・アンタン島

サン・ビセンテ島

サン・ニコラウ島

サンタ・ルジア島

サル島

ボア・ビスタ島

マイオ島

サン・チアゴ島

フォゴ島

ブラバ島

プライア

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