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「旧約聖書」の神 ― その方は愛の神ですかものみの塔 1986 | 9月15日
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エホバ ― 常に愛の神
『神は愛です』と使徒ヨハネは書きました。(ヨハネ第一 4:8)ヨハネはここでとこしえの真理を述べています。つまり,創造者エホバは不変の愛の神であられましたし,今もこれからもずっと不変の愛の神であられるということです。聖書の記録は初めから終わりまで,その言葉の正しさを支持しています。
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「旧約聖書」の神 ― その方は愛の神ですかものみの塔 1986 | 9月15日
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み子を通して表明された愛
エホバ神は幾世紀にもわたって,『女の胤』および『アブラハムの胤』に関するさらに詳しい情報を与え,メシアの到来についてご自分の預言者たちを通して予告なさいました。そして,定められた時が到来するや,前例のない方法でご自分の愛をお示しになりました。そうです,贖いの犠牲を備えるためにご自分の独り子を地に遣わされたのです。
この驚くべき備えについて使徒ヨハネは,「神は世を深く愛してご自分の独り子を与え,だれでも彼に信仰を働かせる者が滅ぼされないで,永遠の命を持てるようにされた」と書きました。(ヨハネ 3:16)み子イエス・キリストによる神の愛があまりにも大きいため,ある人々は,この神は処罰と裁きをもたらす方としてヘブライ語聖書の中で語られている神と同一の方であるはずはない,という間違った結論を下しました。
しかし,イエスが人々に教えた神はヘブライ語聖書で描かれている神とそれほど違っているのでしょうか。それとも,人々は自分が理解したいと思うことだけを選んで理解したということでしょうか。よく知られている聖句であるヨハネ 3章16節は,み子に「信仰を働かせ」ない者は『滅ぼされる』,ということをはっきり示しているのではないでしょうか。しかもヨハネはさらに,「み子に従わない者は命を見ず,神の憤りがその上にとどまっている」と述べています。(ヨハネ 3:36)このことで神の愛の大きさが損なわれるようなことが絶対にないのであれば,ヘブライ語聖書中に不忠実なイスラエル人や他の人々に対する不興が表明されているからといって,エホバが愛の薄い神であるなどとどうして言えるでしょうか。
あなたに対する神の愛ある目的
神は預言者マラキを通して,「わたしはエホバであり,わたしは変わっていない」と述べられました。(マラキ 3:6)エホバは愛の神として変わっていないだけでなく,人類と地球に関するエホバの愛ある目的も依然として変わっていません。エホバはアダムとエバの前に地上の楽園<パラダイス>での永遠の命という見込みを置かれましたが,それと同様に,この愛の神はあなたがそのパラダイスでいつまでも幸福な生活をする人の一人となるよう願っておられます。(ルカ 23:43。ペテロ第二 3:13。啓示 21:4)しかし,どんなことが求められているでしょうか。イエスは,「彼らが,唯一まことの神であるあなたと,あなたがお遣わしになったイエス・キリストについての知識を取り入れること,これが永遠の命を意味しています」と言われました。(ヨハネ 17:3)
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