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「自分に従う人たちを……最後まで愛した」「来て,私の弟子になりなさい」
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14. 人を許すように努力する必要があるのはどうしてですか。誰かから気に障るようなことをされたとき,具体的にどうしたらいいですか。
14 キリストの弟子である私たちは,人を許すように努力する必要があります。イエスと違って私たちは皆不完全で,互いに間違ったことを言ったりしたりしてしまうことがよくあるからです。(ローマ 3:23。ヤコブ 3:2)悔い改めている人を許すなら,自分も神に罪を許してもらえます。(マルコ 11:25)では,誰かから気に障るようなことをされたとき,具体的にどうしたらいいでしょうか。愛があれば,相手の小さな間違いや欠点はたいてい見過ごすことができるでしょう。(ペテロ第一 4:8)自分を傷つけた人がペテロのように誠実に悔い改めているなら,イエスに見習って快く許したいと思うことでしょう。根に持ったりせず,水に流すのが最善です。(エフェソス 4:32)そのようにすれば,会衆の平和に貢献でき,自分自身も穏やかな気持ちでいることができます。(ペテロ第一 3:11)
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「自分に従う人たちを……最後まで愛した」「来て,私の弟子になりなさい」
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18-20. (ア)兄弟姉妹を信頼する人はどんな見方をしますか。(イ)人に責任を委ねる点でどのようにイエスに見習えますか。(ウ)次の章ではどんなことを考えますか。
18 人に対する見方の点で,どのようにイエスの手本に倣えるでしょうか。兄弟姉妹を信頼することは,愛の表れです。愛がある人は,人の悪いところではなく,良いところを見るようにします。人にがっかりさせられることはあるものですが,愛情深ければ,相手に悪意があるとすぐに決めつけたりはしません。(マタイ 7:1,2)仲間の良いところに注目すれば,批判したりするのではなく,励まして力づけたいと思えることでしょう。(テサロニケ第一 5:11)
19 人に責任を委ねる点でもイエスに見習えるでしょうか。会衆の監督たちが人を信頼し,その人に合った有意義な仕事を任せるのは良いことです。経験のある長老たちはそのようにして,会衆の役に立とうと「努めている」若い兄弟たちが大切なことを学んで成長できるように助けることができます。(テモテ第一 3:1。テモテ第二 2:2)人を育てるのは大事なことです。エホバがますます多くの人を会衆に招き入れているので,教え導く資格のある兄弟たちがいっそう必要になっているからです。(イザヤ 60:22)
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