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敬虔な知恵において成長するよう子供を助けるものみの塔 1987 | 2月15日
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教訓
この経験からわたしたちはどんな教訓が学べるでしょうか。十代の子供には,自分が何を考えているか,両親には分かっているはずだと考える傾向があるということです。よく耳にするのは,「だって,お母さんには分かっていると思っていたんだ」という言葉です。親の皆さん,誤解が生じた時に,十代のお子さんがこれと同じことを言ったとしても,この問題にぶつかったのはあなたが初めてではないのです。
青年期に近づくと,子供たちは親に頼ることが少なくなります。これは自然に起こる変化で,親はその点を考慮に入れ,調整を行なう必要があります。しかし,どれほど良い訓練を施していても誤解は生じ,親はやはり心配させられることになります。それでも,ヨセフとマリアの立派な模範に倣うなら,危機的な状態が実際に生じた時,子供たちに施してきた訓練がものを言うことになるでしょう。
イエスの両親は,イエスが十代の時イエスとずっと一緒に働いたようです。前述の出来事があったのち,イエスは素直に「両親と共に[自分の町に]下って」,「引き続き彼らに服しておられ」ました。どんな結果になったでしょうか。「イエスは,知恵においても,身体的な成長においても,また神と人からの恵みの点でもさらに進んでいった」とあります。こうしてこの出来事は良い結末を見ました。(ルカ 2:51,52)もし親がヨセフとマリアの模範に倣って,子供たちを神聖な知恵において進歩するように助け,家庭環境を良いものにし,神を恐れる人々とのよい交わりを持たせるなら,イエスの場合と同様なことが子供に生じる可能性は大きくなります。そのような世話を受ける子供たちのほうが,責任感のあるクリスチャンの大人へと成長し,より幸福な人生を送ることになるでしょう。
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