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エホバとキリスト ― 主要な意思伝達者ものみの塔 1991 | 9月1日
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エホバとキリスト ― 主要な意思伝達者
「主権者なる主エホバは,内密の事柄を自分の僕である預言者たちに啓示してからでなければ何一つ事を行なわないのである」― アモス 3:7。
1 今日,コミュニケーションのどんな方法が用いられていますか。
今日,コミュニケーション(情報伝達)は巨額の収益を上げる事業になっています。書籍の出版,新聞や雑誌の定期刊行,ラジオやテレビの番組の放送,さらに映画や演劇,これらすべてはコミュニケーションを目指した活動です。手紙を書き送ることや電話をかけることについても同じことが言えます。すべてはコミュニケーションを目指した活動なのです。
2 人間はコミュニケーションの技術面で進歩を遂げましたが,その例としてどんなものがありますか。
2 人間はコミュニケーションの技術面で驚異的な進歩を遂げました。例えば,光ファイバーケーブルは銅の電線と比べて非常に優れた性能を持ち,一度に何万通話も搬送することができます。さらに電話,電信,ラジオ,テレビなどの信号中継装置を搭載した通信衛星が地球の上空を回っています。そのような衛星の中には3万の電話通信を同時に処理できる衛星もあるのです。
3 コミュニケーション・ギャップがあると,何が生じますか。
3 しかし,このようにありとあらゆるコミュニケーションの手段があるにもかかわらず,個人間のコミュニケーション不足のため,悲惨な状態が世界中に数多く見られます。それで,「支配する者と支配される者との間の溝が大きくなっている,つまり“コミュニケーション・ギャップ(相互理解の欠如)”が広がっている」と言われています。そして,いわゆる世代の断絶とは,親子の間のコミュニケーション(意思の疎通,意思伝達)がうまくゆかないことを指すのではないでしょうか。結婚カウンセラーの報告によると,結婚生活における最大の問題となっているのは夫婦間の意思の疎通の不足です。ふさわしいコミュニケーションが欠けていると,命を失うことさえあり得ます。1990年の初めに起きた飛行機事故で73人の命が失われましたが,事故原因の一つはパイロットと地上管制官とのコミュニケーション不足だったようです。新聞の見出しは,「コミュニケーション障害が招いた悲劇」と断定していました。
4 (イ)「コミュニケーション」とは何を意味していますか。(ロ)クリスチャンが行なう意思伝達の目標は何ですか。
4 クリスチャンの関係する状況においては,コミュニケーションとは何でしょうか。ある辞書によると,「コミュニケーション」とは「こちらの思い通りに受け取られ理解されるよう,情報や思考や感情を伝達すること」を意味しています。別の辞書では,「考えを効果的に表現する技術」と定義されています。「考えを効果的に表現する」という点に注目してください。特にクリスチャンが行なう意思伝達は効果的なものでなければなりません。というのは,クリスチャンが行なう意思伝達の目標は,人々が学んだ事柄に基づいて行動することを期待して,神の言葉の真理をもって人々の心を動かすことにあるからです。ユニークな点として,この意思伝達の動機は利他的な精神と愛です。
意思伝達者としてのエホバ
5 エホバ神が人間に意思を伝達された最初の方法の一つは何ですか。
5 エホバ神が最も偉大な意思伝達者であられることに疑問の余地はありません。神はわたしたちをご自分の像と様に創造されたので,わたしたちに意思を伝達することがおできになります。またわたしたちが神に関して他の人に意思を伝達することも可能です。人間の創造以来ずっと,エホバはご自身に関してご自分の地的な被造物に意思を伝達してこられました。その一つの方法は,目に見えるご自分の創造物によるものです。それで詩編作者はわたしたちにこう語っています。「天は神の栄光を告げ知らせ,大空はみ手の業を語り告げている。日は日に継いで言語をほとばしらせ,夜は夜に継いで知識を表わし示す」。(詩編 19:1,2)さらにローマ 1章20節は,神の『見えない特質は世界の創造以来明らかに見える』とわたしたちに告げています。「明らかに見える」とは効果的なコミュニケーションを示唆しています。
6 エホバは,ご自分の地的な被造物がエデンの園にいた時,彼らに何を伝達されましたか。
6 神にもその神聖な啓示にも信仰を持たない人たちは,人間の存在理由を突き止めるには人間自身の持つ情報源に頼るしかないと思い込ませようとするでしょう。しかし神の言葉は,神が最初から人間に意思を伝達してこられたことを明らかにしています。例えば神は最初の男女に対して,「子を生んで多くなり,地に満ちて,それを従わせよ。そして……あらゆる生き物を服従させよ」という生殖に関する命令をお与えになりました。さらに神は,彼らが園の実を思う存分食べることを許可されました。ただし一つだけ例外がありました。その後,アダムとエバが命令に背いた時,エホバはメシアに関する最初の約束を伝達して,人間に一筋の希望の光をお与えになりました。「わたしは,お前[蛇]と女との間,またお前の胤と女の胤との間に敵意を置く。彼はお前の頭を砕き,お前は彼のかかとを砕くであろう」。―創世記 1:28; 2:16,17; 3:15。
7 エホバがご自分の僕たちに意思を伝達されることに関して,創世記は何を明らかにしていますか。
7 アダムの息子カインがそねみに満たされて殺意を抱いた時,エホバ神はカインに意思を伝達し,『気をつけなさい。あなたは問題を引き起こそうとしている』という意味のことを言われました。しかしカインはその警告に注意を払おうとせず,自分の兄弟を殺しました。(創世記 4:6-8)その後,暴虐と悪が地に満ちた時,エホバは,地を汚している者たちすべてを地からすっかり拭い去るというご自分の目的を義人ノアに伝達されました。(創世記 6:13-7:5)大洪水が終わり,ノアとその家族が箱船から出て来ると,エホバは命と血の神聖さに関するご自分の目的を彼らに伝達し,再びすべての生き物を洪水で滅ぼすことは決してしないという保証を虹によってお与えになりました。数世紀後にエホバは,人類のすべての家族はアブラハムの胤によって自らを祝福するというご自分の目的をアブラハムに伝達されました。(創世記 9:1-17; 12:1-3; 22:11,12,16-18)また神はソドムとゴモラの堕落した者たちの滅びを布告するに当たり,愛をもってその事実をアブラハムに伝達し,「わたしは自分の行なう事をアブラハムから覆い隠そうとしているだろうか」と言われました。―創世記 18:17。
8 エホバはどんな四つの方法によって,地上のご自分の僕たちに意思を伝達してこられましたか。
8 エホバはイスラエルに意思を伝達するため,モーセ以降連綿と続く預言者たちを用いられました。(ヘブライ 1:1)「あなたのためにこれらの言葉を書き記しなさい」とモーセにお告げになった時のように,口述筆記の方法を用いられたこともあります。(出エジプト記 34:27)エホバがそれよりもずっと頻繁に用いられたのは,すでにアブラハムに対して行なわれたように,幻によってご自分の代弁者に意思を伝達するという方法です。a エホバは,人間に意思を伝達するために夢もお用いになりました。しかも,ご自分の僕たちに対してだけでなく,ご自分の僕とかかわりのある者たちに対してもそうされました。例えばエホバは,ヨセフとともに獄に入れられていた二人の人に夢を見させ,ヨセフが二人にそれらの夢を解き明かしました。エホバはファラオやネブカドネザルにも夢を見させ,エホバの僕であるヨセフとダニエルがその二人にそれらの夢を解き明かしました。(創世記 40:8-41:32。ダニエル 2章と4章)それに加えてエホバは,多くの場合にご自分の僕たちに意思を伝達するためにみ使いを使者としてお用いになりました。―出エジプト記 3:2。裁き人 6:11。マタイ 1:20。ルカ 1:26。
9 エホバは何に動かされて,ご自分の民イスラエルに意思を伝達されましたか。そのことはエホバのどんな言葉から分かりますか。
9 エホバがご自分の預言者を通して行なわれたこのような意思伝達はすべて,ご自分の民イスラエルに対するエホバの愛を反映していました。例えば,神はご自分の預言者エゼキエルを通してこう言われました。「わたしは,邪悪な者の死ではなく,邪悪な者がその道から立ち返って,実際に生きつづけることを喜ぶ。立ち返れ。あなた方の悪の道から立ち返れ。なぜなら,イスラエルの家よ,どうしてあなた方が死んでよいであろうか」。(エゼキエル 33:11)歴代第二 36章15節と16節から分かるとおり,エホバは古代の反逆的なご自分の民に対して,辛抱強くて根気のよい意思伝達者であられました。「彼らの父祖たちの神エホバはその使者たちによって彼らに伝えさせ続け,何度も遣わされた。その民とご自分の住まいとに同情を覚えられたからである。ところが,彼らは……そのみ言葉を侮り,その預言者たちをあざけっていたので,ついに……いやし得ないまでになった」。
10 今日エホバはご自分の民にどのように意思を伝達しておられますか。エホバはどの程度,意思伝達を行なう神であられますか。
10 今日,わたしたちには霊感を受けた神の言葉聖書があり,エホバはこの聖書を通してご自身とご自身の目的,またわたしたちに関するご意志についての情報を伝達してくださいます。(テモテ第二 3:16,17)実際,傑出した意思伝達者であられるエホバは,「主権者なる主エホバは,内密の事柄を自分の僕である預言者たちに啓示してからでなければ何一つ事を行なわないのである」と宣言しておられます。(アモス 3:7)神はご自分が意図しておられることをご自分の僕たちにお知らせになります。
意思伝達者としての神のみ子
11 人間に意思を伝達する際にエホバが主要な手段としてお用いになるのはどなたですか。その方の「言葉」という称号がふさわしいのはなぜですか。
11 エホバがご自分の意志を伝達するのにお用いになるあらゆる代理者のうちでも主要な方は言葉つまりロゴスで,このロゴスはイエス・キリストとなられました。イエスが言葉つまりロゴスと呼ばれていることは何を意味するのでしょうか。それはイエスがエホバの主要な代弁者であられることを意味します。では,代弁者とはどんな人でしょうか。代弁者とは,別の人が述べようとする事柄を伝達する人です。それでロゴスは,エホバ神の理知ある地的な創造物に神の言葉を伝達する者となられました。その役割が非常に重要なものであるので,彼は言葉と呼ばれています。―ヨハネ 1:1,2,14。
12 (イ)イエスが地に来られた目的は何でしたか。(ロ)イエスがその目的を忠実に果たされたことを何が証明していますか。
12 イエスご自身,ポンテオ・ピラトに対して,自分が地に来た主要な目的は人類に真理を伝達することであると語られました。「真理について証しすること,このためにわたしは生まれ,このためにわたしは世に来ました」。(ヨハネ 18:37)さらに福音書の記録を読むと,イエスがその割り当てをどれほど立派に果たされたかが分かります。イエスの山上の垂訓は,人間がこれまでに行なった訓話のうちで最高のものと認められています。イエスはその垂訓を通し,何と見事に意思を伝達されたのでしょう。「[垂訓を聞いた]群衆はその教え方に驚き入っていた」のです。(マタイ 7:28)別の時のことについて,「大群衆が彼の話すことを喜んで聴いていた」と記されています。(マルコ 12:37)イエスを捕縛するためにある下役たちが遣わされた時,彼らはイエスを連れずに戻ってきました。なぜでしょうか。彼らはパリサイ人に,「あのように話した人はいまだかつてありません」と答えました。―ヨハネ 7:46。
意思伝達者となるよう任命されたキリストの弟子たち
13 イエスが意思伝達者は自分一人で十分だとはお考えにならなかったことを,何が示していますか。
13 意思伝達者は自分一人で十分だとはお考えにならなかったイエスは,王国の良いたよりの伝達者として出かけて行くよう,まず十二使徒を,次いで70人の福音宣明者を任命されました。(ルカ 9:1; 10:1)また,イエスは天に昇る少し前,特別な仕事を行なうよう弟子たちを任命されました。どんな仕事でしょうか。マタイ 28章19節と20節にあるように,イエスは意思伝達者となるよう彼らに指示されました。そして弟子たちは,他の人たちも意思伝達者となるよう,人々を教えることになっていました。
14 初期クリスチャンの意思伝達者たちはどれほど効果的でしたか。
14 弟子たちは効果的な意思伝達者だったでしょうか。確かにそのような人たちでした。西暦33年のペンテコステの日に彼らが宣べ伝えた結果,設立されたばかりのクリスチャン会衆に三千人の魂が加えられました。すぐに男たちの数は増加して五千人になりました。(使徒 2:41; 4:4)敵対するユダヤ人たちは,弟子たちがエルサレム全体を彼らの教えで満たしてしまったと非難し,後には,弟子たちが宣べ伝える業で人の住む地を覆してしまったと不平を述べましたが,それも不思議なことではありません。―使徒 5:28; 17:6。
15 現代において,エホバは人間に意思を伝達するためどんな手段を用いてこられましたか。
15 現代ではどうでしょうか。マタイ 24章3節および45節から47節に予告されていた通り,主人であるイエス・キリストは,油そそがれたクリスチャンたちで成る「忠実で思慮深い奴隷」を任命し,ご自分が臨在されるこの日の間,地上にあるご自分のすべての持ち物の世話をさせておられます。今日この忠実で思慮深い奴隷を代表しているのはエホバの証人の統治体であり,統治体には広報代理機関としてものみの塔聖書冊子協会があります。この忠実で思慮深い奴隷も神の意思伝達の経路と呼ばれていますが,それは非常に適切なことです。そして今度はこの奴隷が,良い意思伝達者になるようわたしたちを励まします。事実,「シオンのものみの塔およびキリストの臨在の告知者」誌の創刊号は読者に対して,「[この雑誌の]教訓に関心を持つ,またはその教訓から益を得ると思われる隣人や友人がいるなら,読者はその教訓に彼らの注意を引き,そのようにして,機会があればすべての人にみ言葉を宣べ伝え,善を行なえるであろう」と勧めました。
16 エホバがご自分の地的な僕たちに効果的に意思を伝達するためには,聖書だけでなく,それ以上のものが必要であるということを,何が示していますか。
16 とはいえ,単に神の言葉に接してそれを個人的に読むだけでは,命の道を歩ませてくれる正確な知識を得ることはできません。イザヤの預言を読んではいたものの,読んでいる事柄を理解できなかったエチオピアの廷臣のことを思い出してください。彼がキリストの弟子としてバプテスマを受ける準備ができたのは,福音宣明者フィリポがその預言を彼に説明した後のことでした。(使徒 8:27-38)独りで聖書を読むだけではなく,それ以上のことが必要であるということは,エフェソス 4章11節から13節に示されています。その箇所でパウロが示していることですが,キリストはある者を霊感を受けた使徒また預言者として与えただけでなく,「ある者を福音宣明者,ある者を牧者また教える者として[与えました]。それは,奉仕の業のため,またキリストの体を築き上げるために聖なる者たちをさらに調整することを目的としてであり,ついにわたしたちは皆,信仰と神の子についての正確な知識との一致に達し,十分に成長した大人,キリストの満ち満ちたさまに属する丈の高さに達するのです」。
17 わたしたちは見分けるためのどんなしるしによって,エホバが今日ご自分の目的を人類に伝達するために用いておられる代理者を識別することができますか。
17 クリスチャンになろうとする人々が十分に成長した大人の状態に達するのを助けるためエホバ神とイエス・キリストが用いておられる者たちを,どのように見分けることができるでしょうか。イエスによると,イエスが追随者を愛されたように互いに愛し合っているということが,それらの者たちを見分けるための一つのしるしになります。(ヨハネ 13:34,35)見分けるための別のしるしは,イエスが世のものではなかったのと同じように,彼らも世のものではないということです。(ヨハネ 15:19; 17:16)また,イエスがなさったように神の言葉を真理として認めて常にみ言葉の権威に訴えるのも,一つのしるしになります。(マタイ 22:29。ヨハネ 17:17)イエスがなさったように神のみ名を前面に出すことも一つのしるしです。(マタイ 6:9。ヨハネ 17:6)さらにもう一つのしるしは,神の王国を宣べ伝える点でイエスの模範に従うことです。(マタイ 4:17; 24:14)これらの必要条件にかなうグループはただ一つしかありません。すなわち,エホバのクリスチャン証人として知られている国際的な意思伝達者たちです。
18 この後の記事では,意思伝達に関するどんな三つの分野について検討しますか。
18 しかし,意思伝達には他の人に対する責任が含まれています。クリスチャンには,どんな人に意思を伝達する責任があるでしょうか。基本的に言ってクリスチャンが意思伝達の道を開いておくことに関心を持つべき三つの分野があります。それは,家族,クリスチャン会衆,キリスト教の野外宣教です。続く二つの記事ではわたしたちが考慮しているこの問題のそうした面を取り上げます。
[脚注]
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家族と会衆の中で意思を伝達するものみの塔 1991 | 9月1日
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家族と会衆の中で意思を伝達する
「あなた方の発することばを常に慈しみのあるもの,塩で味つけされたものとし……なさい」― コロサイ 4:6。
1 神からエバを紹介された時,アダムは何と言いましたか。
「人はだれも島ではない……人はみな大陸の一部である」。観察力の鋭いある学者は何世紀か前にそのように書きました。しかしこの学者はそう述べることによって,創造者がアダムに関して言われたこと,つまり「人が独りのままでいるのは良くない」という言葉を確証していたにすぎません。アダムには話す能力と言語という賜物がありました。それは,彼がすべての動物に名前を付けたことから分かります。しかしアダムには,意思を伝達し合える他の人間はいませんでした。アダムが愛らしいエバを自分の妻として神から紹介された時に,「これこそついにわたしの骨の骨,わたしの肉の肉」と感嘆の声を上げたのも少しも不思議ではありません。このようにして,最初の人間の家族が発足した当初から,アダムは仲間の人間に意思を伝達し始めました。―創世記 2:18,23。
2 テレビを見ることを制御しないなら,どんな害が生じ得ますか。
2 意思伝達の面で家庭は理想的なところです。実際,家族生活が成功するかどうかということ自体,意思伝達にかかっています。しかし,意思を伝達するには時間と努力が求められます。今日,最大の時間泥棒の一つとなっているのはテレビです。テレビは少なくとも二つの点で有害な道具になりかねません。一つの点として,テレビは大きな誘惑になるので,家族の成員がテレビ中毒になり,結果的に意思伝達が欠けてしまう場合があります。さらに別の点として,テレビは,誤解が生じたり感情が傷つけられたりした時の逃れ道になることがあります。問題を解決する代わりに,黙りこんでテレビを見ることにした配偶者もいます。このようにテレビは,結婚生活の最大の破壊者と呼ばれるコミュニケーション不足の大きな原因になる場合があります。テレビを見ることを二の次にしにくい人が,全くテレビなしで済ませることを考えるのも,もっともなことです。―マタイ 5:29; 18:9。
3 ある人たちはテレビを見る時間を制限することにより,どのように益を得てきましたか。
3 実際,テレビを見る時間を減らすか,全くなくした結果もたらされた祝福についての熱意あふれる報告が寄せられています。ある家族は,「互いに話をすることが増え,……聖書を一層研究するようになりました。……私たちは一緒にゲームをします。……野外奉仕のあらゆる分野に一層多くあずかるようになりました」と書いています。別の家族は,テレビを処分した後,このように述べました。「お金の節約になる[この家族は有線テレビに加入していた]だけでなく,私たちは一つの家族としてより親密になり,自分たちの時間を使って行なえる価値ある事柄がほかにもたくさんあることに気づきました。退屈することなど全くありません」。
見ること,話すこと,聴くこと
4 夫婦は互いへの感謝をどのように伝えることができますか。
4 家族内の意思伝達は様々な形で行なわれます。言葉を用いない方法もあります。二人が見つめ合うだけでも,それは一種の意思伝達です。一緒にいることによって,気遣っている気持ちを伝達することができます。やむを得ない理由がない限り,夫婦が長期間離れ離れになることは避けるべきです。夫婦は,結婚のきずなの中での親密な交わりから生まれる喜びによって,互いの幸福感を増すことができます。夫婦が公の場でも私的な場でも,互いに対して愛情深い,しかも敬意のこもった振る舞いをし,服装や行儀の点でふさわしい威厳を示すなら,無言のうちに互いへの深い感謝を伝えることができます。知恵のあるソロモン王はそれをこのような言葉で表現しました。「あなたの水の源が祝福されるように。あなたの若い時の妻と共に歓べ」― 箴言 5:18。
5,6 夫が妻に意思を伝達することの重要性をわきまえているべきなのはなぜですか。
5 意思伝達には,会話または対話 ― 互いに向かってただしゃべるのではなく,互いに話を交わすこと ― も必要です。男性より上手に自分の気持ちを表現する女性がいるとしても,それを言い訳として,夫が,事業に口出ししない出資者のように沈黙を守るパートナーになってよいわけではありません。クリスチャンの夫は,多くの結婚生活で主要な問題となっているのがコミュニケーション不足であることをわきまえていなければなりません。それで,クリスチャンの夫は意思疎通の道を開いておくよう一生懸命に努力すべきです。実際,夫が妻と共にエフェソス 5章25節から33節の使徒パウロの優れた助言に留意するなら,意思疎通の道を開いておくことになるでしょう。妻を自分の体のように愛するため,夫は自分自身の福祉や幸福だけでなく,妻の福祉と幸福にも関心を払わねばなりません。そのためには意思伝達が不可欠です。
6 夫は,自分が妻に感謝していることぐらい,妻にはともかく察しがつくはずだ,という態度を取ってはなりません。妻は自分に対する夫の愛を確信している必要があります。夫はいろいろな方法で,例えば,愛情を表現したり,思いがけない贈り物をしたりすることによって,また妻に影響を与えるかもしれない問題について十分に知らせておくことによって,感謝の気持ちを示せます。また,装飾品で身を飾ることであれ,家族のための労苦であれ,霊的な活動を心から支持したことであれ,妻が努力した事柄に対して感謝を表わすということも課題になります。それに加えて,夫がペテロ第一 3章7節にある『知識にしたがって妻と共に住む』ようにという使徒ペテロの助言に留意するためには,感情移入が必要です。感情移入は,共通の関心事すべてにおいて妻に意思を伝達し,弱い器として妻に誉れを与えることによって示されます。―箴言 31:28,29。
7 夫に意思を伝達するために,妻にはどんな責務がありますか。
7 同様に,妻がエフェソス 5章22節から24節にある服従に関する助言に留意するためには,夫との意思疎通の道を開いておくよう気を配る必要があります。妻は言行両面で夫に「深い敬意」を示さなければなりません。片時も気ままに,または夫の意向を無視して行動すべきではありません。(エフェソス 5:33)妻と夫の間には,いつでも内密の話し合いがあるべきです。―箴言 15:22と比較してください。
8 意思疎通の道を開いておくために,妻は喜んで何を行なわねばなりませんか。
8 さらに妻は,口をきかずにじっと我慢することがないよう用心すべきです。そのような我慢は自己憐びんの表われです。もし誤解があるのなら,その問題を持ち出すのに良い時を探すことができます。そうです,王妃エステルから教訓を学んでください。エステルには,夫に注意を向けてもらわねばならない生死にかかわる問題がありました。彼女が知恵と機転を働かせて機敏に行動した結果,ユダヤ人は救われました。自分の感情が傷つけられたのであれば,あるいは今そういう状態であれば,配偶者のためにも自分自身のためにも意思を伝達すべきです。機転をきかせ,敬虔さの伴うユーモアのセンスを示せば,意思を伝達することは容易になります。―エステル 4:15-5:8。
9 意思の疎通において,聴くことはどんな役割を果たしますか。
9 意思疎通の道を開いておくために話す能力を用いるということは,お互いに相手の言いたい事柄に耳を傾け,述べられていない事柄に注意するよう努力しなければならないことを意味します。そうするためには,話している人に注意を払うことが求められます。考えの内容を読み取るだけではなく,感情の内容や話し方に注意を払う必要があるのです。とかく夫はそういうことが苦手です。夫が話を聴いてくれないため,妻はつらい思いをするかもしれません。同時に妻のほうも,早合点しないために,話を注意深く聴く必要があります。「賢い者は聴いて,さらに多くの教訓を取り入れ」ます。―箴言 1:5。
親子の間の意思伝達
10 子供たちと意思を通わせる点で公平を期するために,親は喜んで何を行なわねばなりませんか。
10 親と子の意思の疎通がうまくゆかないという状況もあります。『少年をその行くべき道にしたがって育て上げる』ためには,意思疎通の道を確立しなければなりません。そうするならきっと,「彼は年老いても,それから離れない」でしょう。(箴言 22:6)子供を世に奪われてしまう親もいますが,ある場合,それは思春期に生じたコミュニケーション・ギャップと関係があります。親が絶えず子供に意思を伝達すべきことは,申命記 6章6節と7節でこのように強調されています。「わたしが今日命じているこれらの言葉をあなたの心に置かねばならない。あなたはそれを自分の子に教え込み,家で座るときも,道を歩くときも,寝るときも,起きるときもそれについて話さねばならない」。そうです,親は子供と共に時を過ごさねばならないのです。親は子供のために喜んで犠牲を払わねばなりません。
11 親が子供に伝達すべきどんな事柄がありますか。
11 親の皆さん,エホバが子供たちを愛しておられ,親も子供たちを愛していることをお子さんに伝達してください。(箴言 4:1-4)あなたがお子さんの精神的,感情的,身体的,霊的な成長のために様々な楽しみごとを喜んで犠牲にしていることを,お子さんに気づかせてください。この点で大切なのは感情移入,つまり子供の目を通して物事を見る親の能力です。利他的な愛を示すことにより,親の皆さんはお子さんとの結合の強力なきずなを作り上げ,同じ年ごろの仲間よりも親に問題を打ち明けるようお子さんを励ますことができます。―コロサイ 3:14。
12 若者が気兼ねなく親に意思を伝達すべきなのはなぜですか。
12 一方,若い皆さんにはご両親に意思を伝達する責務があります。ご両親が今まであなたのためにしてくださったことに感謝しているなら,ご両親に問題を打ち明けることができるでしょう。あなたにはご両親の助けと支えが必要であり,あなたが気兼ねなくご両親に意思を伝達するなら,ご両親が助けと支えを与えることは一層容易になるでしょう。では,どうして同じ年ごろの仲間たちの助言を第一にするのですか。ご両親と比べると,多分そのような仲間たちはあなたのためになることをほとんど何もしていないでしょう。彼らにはあなたと同じくらいの人生経験しかありません。それに,彼らが会衆の一員でないのであれば,彼らはあなたの永続的な福祉に真の関心を抱いていないのです。
会衆内での意思伝達
13,14 聖書のどんな原則に従うためには,クリスチャンの間の意思伝達が必要ですか。
13 もう一つの挑戦となるのは,会衆の兄弟たちとの意思疎通の道を開いておくことです。わたしたちは,「集まり合うこと」をやめないよう強く訓戒されています。わたしたちが集まり合う目的は何でしょうか。『愛とりっぱな業とを鼓舞する』ためです。そうするためには意思伝達が必要です。(ヘブライ 10:24,25)だれかに感情を害されたとしても,それは集会をずっと休んでよい理由には決してなりません。マタイ 18章15節から17節に記録されているような,イエスがわたしたちに与えてくださった諭しに原則的に従うことによって,意思疎通の道を開いておきましょう。自分を不愉快な気持ちにさせたと思われる人と話をしてください。
14 あなたの兄弟のだれかとの間で難しい問題が生じた時には,コロサイ 3章13節にあるような聖書の助言に留意してください。「だれかに対して不満の理由がある場合でも,引き続き互いに忍び,互いに惜しみなく許し合いなさい。エホバが惜しみなく許してくださったように,あなた方もそのようにしなさい」。これは,人に話すのを拒むのではなく,むしろ意思を伝達することを意味しています。さらに,もしだれかがあなたに対して冷たいように思えたなら,マタイ 5章23節と24節にある助言に留意してください。意思を伝達し,あなたの兄弟と和睦するよう努力してください。そのためには,あなたの側に愛と謙遜さが求められます。しかし,あなた自身とあなたの兄弟のために,イエスの助言に留意する義務があるのです。
助言と励まし
15 クリスチャンが助言を伝達する立場にいるなら,そうすることを怠るべきでないのはなぜですか。
15 意思を伝達する責務には,ガラテア 6章1節にあるパウロの助言に留意することも含まれます。「兄弟たち,たとえ人がそれと知らずに何か誤った歩みをする場合でも,霊的に資格のあるあなた方は,温和な霊をもってそのような人に再調整を施すことに努め,それと共に,自分も誘惑されることがないよう,おのおの自分を見守りなさい」。わたしたちが慎み深いなら,自分の言動の間違っているところをだれかに指摘されても,それを歓迎するはずです。実際,わたしたちは皆,次のように書いた詩編作者ダビデの態度に倣うべきです。「義にかなった者がわたしを打つとしても,それは愛ある親切です。彼がわたしを戒めるとしても,それは頭の上の油であり,わたしの頭はそれを拒もうとはしません」。(詩編 141:5)特に長老たちは謙遜さの点で際立った模範でなければならず,個人的な見解を言い張ったりせず,『愛ある友の負わせる傷は忠実である』ことを心に留め,再調整を喜んで受け入れます。―箴言 27:6。
16 若い話し手はどんな種類の意思伝達を歓迎すべきですか。
16 若者たちにとって,円熟したクリスチャンに助言や指導を求めるのは知恵と慎みの道です。円熟したクリスチャンは建設的な提案を持っていることでしょう。長老たちでさえそのようにして益を得ることができます。一例を挙げましょう。一人の長老はある話の中で,啓示 7章16節と17節で述べられている,もはや飢えることも渇くこともないという祝福は,ほかの羊が新しい世に期待できる事柄であると言いました。しかしこの聖句は,おもに現代に当てはまることが指摘されています。(「啓示の書 ― その壮大な最高潮は近い!」126-128ページをご覧ください。)話を聴いていた一人の長老は問題点を話してあげるべきだと感じました。ところが,こちらのほうからその機会を設ける前に,話し手から電話があり,自分の話を改善するための提案を求めてきました。そうです,自分が助言を求めていることを伝達することによって,わたしたちを助けたいと思っている人たちが助言を与えやすいようにしましょう。短気や過敏な反応は避けたいものです。
17 意思伝達は,兄弟たちを築き上げるのにどのように役立ちますか。
17 ソロモン王は,今討議中の事柄にちょうど当てはまる原則を述べ,「あなたの手に善を行なう力があるのに,それを受けるべき人から控えてはならない」と言いました。(箴言 3:27)わたしたちは兄弟たちに愛を負っています。「あなた方は,互いに愛し合うことのほかは,だれにも何も負ってはなりません。仲間の人間を愛する者は律法を全うしているのです」とパウロは述べています。(ローマ 13:8)ですから,惜しまずに励ましの言葉をかけてください。若い奉仕の僕が初めて公開講演を行なっていますか。では,ほめてあげてください。神権宣教学校の割り当てで一生懸命に努力した姉妹や大変上手にその割り当てを果たした姉妹がいますか。では,その努力をどんなに喜ばしく感じたかを伝えてください。わたしたちの兄弟姉妹たちのほとんどは最善を尽くすために奮闘しており,愛のこもった感謝を表わされると力づけられます。
18 自信過剰はどんなところに表われますか。そのような場合,何をするのは親切なことですか。
18 それとは対照的に,ある若い話し手はかなりの能力があるかもしれませんが,若さゆえに過度に強い自信をにおわせるかもしれません。そのような場合に求められるのはどんな種類の意思伝達でしょうか。円熟した長老が話の中の何らかの良い点をほめ,それと同時に,今後どのように慎み深さを培えるかを穏やかに提案するなら,それは親切なことではないでしょうか。そのような意思伝達は兄弟愛の表われとなり,若い人たちが早いうちに,つまり悪い態度が根づく前にそのような態度を取り除くのを助けるでしょう。
19 長老や家族の頭が意思伝達者となるべきなのはなぜですか。
19 長老たちは,審理問題に関係したような内密の事柄はもちろん明らかにしませんが,有益な事柄に関してはお互いに,また会衆に意思を伝達します。しかし,秘密主義が強すぎると不信感や落胆が生じ,会衆内の温かな精神が損なわれることがあります。家庭内でも同様です。例えば,だれにとっても築き上げる報告を聞くのは楽しみです。ちょうど使徒パウロが霊的な賜物を伝達することを切望したように,長老たちは築き上げる情報を他の人に分け与えたいという熱意を抱くべきです。―箴言 15:30; 25:25。ローマ 1:11,12。
20 続く記事では,意思伝達のどんな面を取り上げますか。
20 確かに,意思伝達はクリスチャン会衆においてもクリスチャンの家族においても肝要なものです。それだけでなく,意思伝達はもう一つの分野でも欠かすことができません。それはどんな分野でしょうか。クリスチャン宣教という分野です。次の記事では,このきわめて重要な活動において意思を伝達するための自分の技術を磨く方法を考慮します。
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クリスチャン宣教における意思伝達ものみの塔 1991 | 9月1日
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クリスチャン宣教における意思伝達
『それゆえ,行って,すべての国の人々を弟子としなさい』― マタイ 28:19。
1 キリストからゆだねられたどんな務めは,意思を伝達する必要性を暗示していますか。
上に引用された務めをイエスからゆだねられているので,わたしたちは,家から家に行き,再訪問をし,王国を宣べ伝える業の他のすべての面にあずかる際,宣教で出会う人々に意思を伝達するという挑戦に直面します。その務めの中には,エホバ神とイエス・キリスト,およびイエスが今や支配しておられるメシアの王国に関する真理を知らせるという責任が含まれます。―マタイ 25:31-33。
2 効果的に意思を伝達するため,わたしたちには何が必要ですか。
2 どうすれば効果的に意思を伝達できるでしょうか。まず第一に,自分が伝えている情報を信じていなければなりません。言い換えると,エホバが唯一まことの神であられること,聖書が本当に神の言葉であること,神の王国が人類にとって唯一の希望であることを確信していなければならないのです。そうしていれば,わたしたちが教える事柄は心からのものとなり,また,テモテに対するパウロの助言に留意していることにもなります。「自分自身を,是認された者,また真理の言葉を正しく扱う,何ら恥ずべきところのない働き人として神に差し出すため,力を尽くして励みなさい」― テモテ第二 2:15。
言葉を用いない意思伝達
3-5 (イ)何も言わなくても,どのように意思を伝達することができますか。(ロ)どんな経験がそのことを確証していますか。
3 大抵の場合,意思伝達には言葉が付き物です。しかし実のところ,わたしたちは人々に話しかける前でさえ意思を伝達します。どのようにでしょうか。わたしたちの振る舞い,それに服装や身繕いの仕方によってそうしているのです。何年も前のこと,ものみの塔ギレアデ聖書学校を卒業した宣教者が遠洋定期船で外国の任命地に向かっていました。船旅も二,三日過ぎたころ,彼は見知らぬ人から,あなたがこの船のほかの人たちとそんなに異なっているのはなぜですか,と尋ねられました。この宣教者は外見と態度だけで,注目に値する事柄,つまり他の人とは異なった規準を持っており近づきやすいということを伝達していたのです。そのおかげでこの宣教者には証言を行なうすばらしい機会が開かれました。
4 さらにこんなこともありました。ある姉妹は街路に立って,道行く人たちに聖書文書を提供していた時,そばを歩いていた一人の女性に親しみをこめてほほえみかけました。その女性は地下鉄の駅に向かって階段を降り始めましたが,思い直して姉妹のところに戻り,家庭聖書研究をしてほしいと言いました。何がその女性の心を捕らえたのでしょうか。その人は聖書文書を提供されたわけではありませんが,街路の業を行なっていたエホバの証人から親しみのこもったほほえみを受け取ったのです。
5 三つめの例を挙げましょう。若い証人たちの一つのグループがレストランで食事をしていると,驚いたことに,見知らぬ男性が証人たちのテーブルにやって来て皆の食事代を支払ってくれました。その男性はなぜそうしたのでしょうか。証人たちの態度に感心したのです。これらの若いクリスチャンたちはその見知らぬ男性に一言も語ることなく,自分たちが神を恐れる者であることを伝えていました。明らかなことですが,わたしたちは何も言わないうちに,振る舞いや外見や親しみ深さなどによって意思を伝達しているのです。―ペテロ第一 3:1,2と比較してください。
意思伝達には論じることが肝要
6 意思伝達に論じることがどのように重要か,例を挙げて説明してください。
6 言葉を用い,良いたよりについて人々に意思を伝達するには,準備ができていなければなりません。それは独断的に話すためではなく,人々と論じるためです。わたしたちは何度も読んで知っていますが,使徒パウロは自分が良いたよりを分け与えようとした人々と論じました。(使徒 17:2,17; 18:19)どうすればパウロの模範に従えるでしょうか。例えば,世の状況が悪化しているため,人類を顧みてくださる全能で愛ある神が存在することを疑う人がいるかもしれません。それでもそのような人と,神はすべてのことに時を定めておられると論じることができるでしょう。(伝道の書 3:1-8)例えば,ガラテア 4章4節には,ご予定の時が到来すると,神はご自分のみ子を地に遣わされたと記されています。神がみ子を遣わされたのは,神がそのようにすることを最初に約束されてから何千年も後のことでした。同様に,神はご予定の時が到来すると,苦しみと悪に終止符を打たれます。さらに神の言葉によれば,神はやむを得ない理由のゆえに,悪が非常に長く続くことを許されました。(出エジプト記 9:16と比較してください。)このような線に沿って論じ,例えや聖書からの強力な証拠で論議を裏づけるなら,誠実な人は,悪がはびこっているからといってエホバは存在しないとか,顧みてくださらないなどとは言えないことに気づくでしょう。―ローマ 9:14-18。
7,8 正統派のユダヤ教徒と意思を通わせる場合,論じることはどのように役立つかもしれませんか。
7 戸別訪問をしている時に,家の人から「わたしはユダヤ教徒です。関心がありません」と言われたとしましょう。そのような場合,どのように話を続けることができますか。ある兄弟は次のような方法を用いて成功したと報告しています。『かつて神がお用いになった最も偉大な預言者たちの中にモーセが含まれることには,あなたもきっと同意なさると思います。では,申命記 31章29節にあるモーセの言葉をご存じでしょうか。そこには,「わたしの死後……あなた方はわたしが命じた道からそれてゆくに違いない。……災いがあなた方に降り懸かることになる」と書き記されています。モーセは真の預言者でしたから,彼の言葉は成就しなければなりませんでした。神がユダヤ人にメシアを遣わされた時にモーセの言葉が成就し,そのためにユダヤ人はメシアを受け入れなかったということがあるでしょうか。そうだったかもしれません。では,これが事実で,ユダヤ人が間違いを犯したのなら,それを根拠にあなたや私が同じ間違いを繰り返してよいものでしょうか』。
8 さらに,ユダヤ人が,特に今世紀,キリスト教世界の手にかかって非常な苦しみを経験してきたということも思い起こしてください。それで家の人に,わたしたちはそのことにいっさい関与していないことを告げたいと思うかもしれません。例えば,このように述べたいと思われるかもしれません。『ご存じでしょうか。ヒトラーが政権を握っていた時期に,エホバの証人はヒトラーのユダヤ人排斥運動に抵抗しました。エホバの証人は「ヒトラー万歳」と唱えることやヒトラーの軍隊で働くことも拒みました』。a
9,10 地獄の火を信じている人を援助するために,どのように論じることができますか。
9 地獄の火を信じている人に意思を伝達しようとする場合には,もし地獄で永遠に苦しむのであれば人には不滅の魂がなければならない,と論じることができます。地獄の火を信じている人はすぐに同意するでしょう。そこで,アダムとエバの創造に関する記述に触れ,この記述の中にそのような不滅の魂について述べているところがありましたか,と親切に尋ねることができます。そして論議を続けて,今度は創世記 2章7節に注意を引くことができます。聖書はその箇所で,アダムは魂になったと述べています。そして,アダムの罪の結果について神が語られた言葉に注目してください。「あなたは顔に汗してパンを食べ,ついには地面に帰る。あなたはそこから取られたからである。あなたは塵だから塵に帰る」。(創世記 3:19)したがって,魂であるアダムは塵に帰りました。
10 さらに,創世記の記述には,神が地獄の火による永遠の苦しみについて述べられた箇所はない,という事実に注意を引くこともできるでしょう。神は禁じられた実を食べないようにとアダムに警告した際,「それから食べる日にあなたは必ず死ぬ」と言われました。(創世記 2:17)地獄の火については一言も述べられていません。アダムにとって罪の本当の結果が死,つまり『塵に帰ること』ではなく,とこしえにわたる苦しみであったのなら,神は全き公正のうちにそのことをはっきり説明なさったはずではないでしょうか。それで,注意深く親切に論じるなら,自分の信じていることの矛盾点を理解するよう誠実な人を助けることができるかもしれません。他の人に神の言葉の真理を伝える時には,道理に訴えることの重要性を見過ごすことが決してないようにしたいものです。―テモテ第二 2:24-26; ヨハネ第一 4:8,16と比較してください。
効果的な意思伝達に必要な特質
11-13 クリスチャンのどんな特質は,効果的に意思を伝達するための助けとなりますか。
11 さて,王国の真理を最も効果的に伝達するため,わたしたちはどんな特質を培わなければならないでしょうか。では,イエスの模範は何を教えていますか。マタイ 11章28節から30節にはイエスのこのような言葉があります。「すべて,労苦し,荷を負っている人よ,わたしのところに来なさい。そうすれば,わたしがあなた方をさわやかにしてあげましょう。わたしのくびきを負って,わたしから学びなさい。わたしは気質が温和で,心のへりくだった者だからです。あなた方は自分の魂にとってさわやかなものを見いだすでしょう。わたしのくびきは心地よく,わたしの荷は軽いのです」。ここで,意思を伝達する点でのイエスの成功の秘けつの一つを理解できます。イエスは気質が温和で,心のへりくだった方でした。心の正しい人々はイエスがさわやかさを与える方であることに気づきました。使徒パウロも立派な模範を残しました。エフェソスから来た長老たちに語ったように,彼らのところに来た最初の日から「へりくだった思いを尽くし」主のために奴隷として仕えていたからです。―使徒 20:19。
12 わたしたちがいつでも慎みとへりくだった思いを表わしているなら,他の人たちはわたしたちもさわやかさを与える者であることに気づくでしょうし,わたしたちがそのような人たちに意思を伝達するのは一層容易になるでしょう。恐らくそれ以外のどんな態度も,わたしたちとわたしたちが意思を伝達しようとしている人との間に壁を築いてしまうでしょう。確かに,「知恵は,慎みある者たちと共にある」のです。―箴言 11:2。
13 情報を効果的に伝えるためには,辛抱強くあり,機転をきかせることも必要です。使徒パウロはマルスの丘に集まった哲学者たちを前にして証言した時に,確かに機転をきかせました。パウロは哲学者たちが理解できる仕方で良いたよりを提出しました。(使徒 17:18,22-31)聴き手にうまく意思を伝達したいのであれば,使徒パウロがコロサイ人に与えた次の助言に留意しなければなりません。「あなた方の会話を常に慈しみのあるものとし,決して味わいのないものにしてはなりません。あなた方が出会うそれぞれの人とどのように話すのが最善かを学びなさい」。(コロサイ 4:6,新英訳聖書)わたしたちは常に上品な話し方をすべきです。そのような話し方は聴き手の思いを開くのに役立ちますが,無思慮な言葉は聴き手の思いを閉ざしてしまうでしょう。
14 余裕のある会話的な近づき方は,他の人に意思を伝達するのにどのように役立つかもしれませんか。
14 わたしたちはいつでも余裕のある外観を保ちたいと思います。そうするなら聴き手をくつろがせることができます。余裕があるということには,熱心になりすぎて話を独占してしまわないことが含まれます。かえって,わたしたちはゆったりとした態度を示し,親しみのこもった質問をして,聴き手に自分の考えを述べる機会を与えます。特に非公式の証言を行なっている時は,相手の人に話させるのは賢明なことです。例えば,ある証人は飛行機でローマ・カトリックの司祭と隣り合わせになりました。1時間以上にわたってその証人は司祭に巧みな質問を投げかけ,それに答える形でもっぱら司祭が話しました。それでも別れる時には,司祭は聖書の出版物を何冊か受け取っていました。このような辛抱強い近づき方をするなら,もう一つの必要な特質,つまり感情移入を用いることができるようになります。
15,16 意思を伝達するために,感情移入はどのように役立ちますか。
15 感情移入とは,言わば他の人の立場に自分を置くことを意味します。コリント人に書き送った事柄から分かるように,使徒パウロは感情移入が必要なことを十分認識していました。「わたしはすべての人に対して自由ですが,できるだけ多くの人をかち得るために,自分をすべての人の奴隷としたからです。こうしてわたしは,ユダヤ人に対してはユダヤ人のようになりました。ユダヤ人をかち得るためです。律法のもとにある人たちに対しては律法のもとにある者のようになりました。わたし自身は律法のもとにいませんが,こうして律法のもとにある人たちをかち得るためです。律法のない人たちに対しては律法のない者のようになりました。自分は神に対して律法のない者ではなく,キリストに対して律法のもとにある者ですが,こうして律法のない人たちをかち得るためです。弱い人たちに対しては弱い者となりました。弱い人たちをかち得るためです。わたしはあらゆる人に対してあらゆるものとなってきました。何とかして幾人かでも救うためです」― コリント第一 9:19-22。
16 これらの点で使徒パウロに見倣うためには,機転をきかせ,よく物事をわきまえ,観察しなければなりません。感情移入は,聴き手の考え方や感じ方に応じて真理を伝達するための助けになるでしょう。「聖書から論じる」という出版物はこの面で非常に役に立ちます。宣教の際には,必ずこの本を手元に置いておきましょう。
愛 ― 意思伝達の助け
17 クリスチャンの特質すべての中で,真理を効果的に伝達する点で非常に重要な特質は何ですか。その特質をどのように示せますか。
17 慎み深さ,へりくだった思い,辛抱,感情移入は,情報を伝える際の効果的な意思伝達に不可欠です。しかし何よりも利他的な愛は,首尾よく他の人の心を動かすための助けになります。人々が「羊飼いのいない羊のように痛めつけられ,ほうり出されていた」ので,イエスは彼らに哀れみをお感じになりました。「すべて,労苦し,荷を負っている人よ,わたしのところに来なさい。そうすれば,わたしがあなた方をさわやかにしてあげましょう」とイエスに言わせたものは,愛でした。(マタイ 9:36; 11:28)わたしたちも人々をさわやかにし,彼らが命の道を歩むように助けたいと思いますが,それはわたしたちが人々を愛しているからです。わたしたちが告げる音信は愛の音信です。ですから,その音信を愛に富んだ方法で告げ続けましょう。この愛は,親しみのこもったほほえみ,親切さや物柔らかさ,快活さや温かさに表われます。
18 パウロが主人に見倣ったのと同じく,わたしたちもどのようにパウロに見倣うことができますか。
18 この点で,使徒パウロは自分の主人であるイエス・キリストを立派に見倣う者でした。パウロが次々と会衆を発足させる点で大きな成功を収めたのはなぜでしょうか。彼が熱心だったからですか。その通りです。しかし,パウロが愛を表わしたことも理由の一つです。テサロニケの新しい会衆についてパウロが示した愛情に注目してください。「乳をふくませる母親が自分の子供を慈しむときのように,あなた方の中にあって物柔らかな者となりました。こうして,あなた方に優しい愛情を抱いたわたしたちは,神の良いたよりだけでなく,自分の魂をさえ分け与えることを大いに喜びとしたのです。あなた方が,わたしたちの愛する者となったからです」。パウロに見倣うことは,わたしたちが意思を伝達するよう努力する際の助けになるでしょう。―テサロニケ第一 2:7,8。
19 区域の反応が良くないからといって,がっかりすべきでないのはなぜですか。
19 意思を伝達するためにできる限りのことをしてきたのに期待した成果が見られない場合,がっかりすべきでしょうか。決してそうではありません。聖書研究者たち(エホバの証人は以前そう呼ばれていた)は,人々が真理を受け入れるには三つのhが必要だとよく言っていました。人々は正直で(英語はhonest),謙遜で(英語はhumble),飢えて(英語はhungry)いなければならないのです。不誠実な人々つまり正直でない人々が真理に好意的にこたえ応じることは期待できませんし,ごう慢な人や誇り高い人が良いたよりに耳を傾けることも期待できません。さらに,多少は正直で謙遜であるとしても霊的に飢えていないなら,恐らく真理を受け入れないでしょう。
20 どんな場合でもわたしたちの努力が無駄になってはいないと言えるのはどうしてですか。
20 あなたが自分の区域で出会う大勢の人たちには,多分この三つのhのうちの一つかそれ以上が欠けていることでしょう。預言者エレミヤも同様の経験をしました。(エレミヤ 1:17-19。マタイ 5:3と比較してください。)それでもわたしたちの努力は決して無駄にはなりません。なぜでしょうか。それは,わたしたちがエホバのみ名と王国を宣伝しているからです。わたしたちは宣べ伝えることにより,また自分の存在そのものにより,邪悪な者たちに警告を与えているのです。(エゼキエル 33:33)また,他の人に真理を伝えようと努力することによってわたしたち自身が益を得ているということを決して忘れてはなりません。(テモテ第一 4:16)わたしたちは信仰を強く保ち,王国の希望を明るく保ちます。さらに,忠誠を固守し,そのようにしてエホバ神のみ名を神聖なものとすることにあずかり,エホバの心を喜ばせます。―箴言 27:11。
21 要約として,どのように言うことができますか。
21 要約してみましょう。コミュニケーションとは情報を効果的に伝えることです。コミュニケーションの技術は肝要です。意思伝達が損なわれると大きな害が生じます。わたしたちは,エホバ神とイエス・キリストが主要な意思伝達者であられることや,イエス・キリストが現代のために意思伝達の経路を任命されたことを考えました。また,身繕いや振る舞いによって意思を伝達して他の人にメッセージを送ることにも注目しました。それに,人々に意思を伝達しようとする際には論じることが重要な役割を演じること,効果的に意思を伝達するためには,慎み深く謙遜になり,感情移入を示し,辛抱を働かせるとともに,何よりも愛に満たされた心に動かされる必要があることも学びました。このような特質を培い,聖書にある模範に従うなら,わたしたちはクリスチャンの意思伝達者として成功を収めることでしょう。―ローマ 12:8-11。
[脚注]
a 信心深いユダヤ人や他の人たちに意思を伝達する方法に関する,このほかの提案については,「聖書から論じる」21-24ページをご覧ください。
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