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「聖なる力が……証明します」ものみの塔(研究用)2020 | 1月
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研究記事4
「聖なる力が……証明します」
「私たちが神の子供であることを,聖なる力が私たちの精神と共に証明します」。ローマ 8:16
25番の歌 特別な所有物
何を学ぶかa
エホバはペンテコステの日に目覚ましい形で,120人ほどの弟子に聖なる力を注いだ。(1-2節を参照。)
1-2. 西暦33年のペンテコステの日に,どんな目覚ましいことが起きましたか。
西暦33年のペンテコステの日,エルサレムでのことです。日曜日の午前中です。イエスの120人ほどの弟子たちが,ある家の階上の部屋に集まっています。(使徒 1:13-15; 2:1)イエスは少し前,エルサレムを離れないよう弟子たちに指示していました。弟子たちに特別なものが与えられるからです。(使徒 1:4,5)この日,何が起きましたか。
2 「突然,激しい風が吹き付けるような音が天からして」,家全体に響き渡ります。そして,「炎のような舌」が弟子たちの頭上に現れ,皆が「聖なる力に満たされ」ます。(使徒 2:2-4)エホバはこのような目覚ましい形で,弟子たちに聖なる力を注ぎます。(使徒 1:8)弟子たちは聖なる力によって選ばれたb最初の人々となり,イエスと共に天で統治するという希望を与えられました。
聖なる力によって選ばれる時,どんなことが起きるか
3. ペンテコステの日に集まっていた人たちは,聖なる力によって選ばれたことがはっきり分かりました。なぜですか。
3 もしあなたが階上の部屋に集まっていた弟子の1人だったら,その日に起きたことを忘れないでしょう。舌のような炎が頭上にとどまり,外国語を話せるようになったからです。(使徒 2:5-12)自分が聖なる力によって選ばれたことは明らかです。では,聖なる力によって選ばれる人は皆,このような目覚ましい形でほかの人たちと同じ時に選ばれるのでしょうか。そうではありません。なぜそういえますか。
4. 1世紀に聖なる力によって選ばれたクリスチャンは皆,同じ時点で選ばれましたか。説明してください。
4 どの時点で選ばれるのか,という点を考えましょう。西暦33年のペンテコステの日に120人ほどのクリスチャンが選ばれましたが,当日選ばれたのはその人たちだけではありませんでした。同じ日の少し後,ほかにも3000人ほどが選ばれました。聖なる力を受けたのは,バプテスマを受けた時です。(使徒 2:37,38,41)しかしそれ以後にクリスチャンになった人は,必ずしもバプテスマを受けた時に聖なる力によって選ばれたわけではありません。例えば,サマリア人が聖なる力によって選ばれたのは,バプテスマの後しばらくたってからのことでした。(使徒 8:14-17)さらに,まれなケースですが,コルネリオと家の人たちは,バプテスマを受ける前に聖なる力によって選ばれました。(使徒 10:44-48)
5. コリント第二 1章21,22節によれば,人が聖なる力によって選ばれる時,どんなことが起きますか。
5 人が聖なる力によって選ばれる時,どんなことが起きるかということも考えましょう。選ばれた人の中には,自分が選ばれたことを意外に思う人もいるかもしれません。「なぜエホバは私を選んだのだろう」と思うのです。他方,選ばれたことを自然に受け入れられる人もいます。いずれにしても,聖なる力によって選ばれる人にどんなことが起きるかを使徒パウロは次のように説明しています。「皆さんも……信じた後,キリストにより,約束されていた聖なる力で証印を押されました。c それは私たちが財産を受けることを前もって保証するしるしで[す]」。(エフェ 1:13,14,脚注)このように,エホバは聖なる力を使い,選ばれたことを本人に非常に明確に知らせます。聖なる力はその人たちが将来地上ではなく天で永遠に生きることを保証する「しるし」,または誓約となります。(コリント第二 1:21,22を読む。)
6. 聖なる力によって選ばれたクリスチャンには,どんな努力が求められますか。
6 では,聖なる力によって選ばれたクリスチャンは必ず天に行けるのでしょうか。そうではありません。その人は,自分が天に行くよう選ばれたことをはっきり知っていても,次の助言を心に留めなければなりません。「兄弟たち,招かれ選ばれた者であり続けられるように,いっそう努力してください。これらのことを行い続けるなら,決して失敗には至りません」。(ペテ二 1:10)天に行くよう招かれ選ばれた人でも,忠実であり続けなければ報いを受けることはできません。(フィリ 3:12-14。ヘブ 3:1。啓 2:10)
自分が選ばれたことをどのように知るのか
7. 天に行くよう招かれた人は,そのことをどのように知りますか。
7 天に行くよう招かれた人は,そのことをどのように知るのでしょうか。答えは,パウロの手紙に明確に記されています。「招かれて聖なる人とな[った]」ローマのクリスチャンに宛てた手紙です。「皆さんは,聖なる力により奴隷とされて再び恐れを抱いたのではなく,聖なる力により養子とされたのであり,その力によって私たちは『アバ,父よ!』と叫びます。私たちが神の子供であることを,聖なる力が私たちの精神と共に証明します」。(ロマ 1:7; 8:15,16)エホバは,選ばれた人が天に行くよう招かれていることを,聖なる力によって本人にはっきり示します。(テサ一 2:12)
8. 天に行くよう選ばれたクリスチャンは,そのことを誰にも確かめる必要がありません。ヨハネ第一 2章20,27節には,どんな理由が書かれていますか。
8 天に行くよう招かれた人は,そのことを全く疑いません。招かれたという自覚をエホバが本人にはっきり持たせるからです。(ヨハネ第一 2:20,27を読む。)もちろん,選ばれたクリスチャンは他の兄弟姉妹と同じように,会衆を通してエホバに教えられる必要があります。しかし,選ばれたことを誰かに確かめないと不安になる,ということはありません。エホバはその人が選ばれていることを,宇宙で最も強い力である聖なる力によってはっきり示すからです。
天に行くのは「再び生まれ[た]」人
9. エフェソス 1章18節によると,エホバに選ばれる人は,考え方がどのように変わりますか。
9 天に行くよう選ばれる人は,どのようにそのことを知るのでしょうか。今日エホバに仕えている人の多くは,説明されても分かりにくいと感じます。選ばれていない人がそう感じるのは,当然の反応です。エホバは人間を造った時,天ではなく地上で永遠に生きるように造りました。(創 1:28。詩 37:29)しかしエホバは,一部の人間を選び,天で生活するようにしました。聖なる力によってエホバに選ばれると,その人の希望や考え方は大きく変わり,天での生活を楽しみにするようになります。(エフェソス 1:18を読む。)
10. 「再び生まれ[る]」とはどういうことですか。(脚注を参照。)
10 クリスチャンは聖なる力によって選ばれると,「再び生まれ」ます。「上から生まれ[る]」と訳すこともできます。d イエスは,「再び生まれ[た]」人,または「神の聖なる力によって生まれ[た]」人がどのように感じるかは,選ばれていない人にはどう説明しても理解できない,ということを暗に語りました。(ヨハ 3:3-8,脚注)
11. 神から選ばれる時,考えはどのように変わりますか。
11 クリスチャンが神から選ばれる時,考えはどのように変わりますか。エホバによって選ばれる前は,地上で永遠に生きるという希望を大切にしていました。エホバが悪を全て除き,地上を楽園にする時が来るのを楽しみにしていました。生き返る家族や友人を自分が迎えるのを思い描いていたかもしれません。しかし,神から選ばれた後は,考えが変わりました。地上で生き続けることに魅力を感じなくなったからではありません。ストレスや強いショックで気持ちが変わったわけでもありません。地上でずっと生きるのは退屈だ,と急に思うようになったのでもありません。エホバからの聖なる力によって,その人の考えや大切にしている希望が変わったのです。
12. ペテロ第一 1章3,4節によると,神から選ばれたクリスチャンは自分が抱く希望についてどう感じますか。
12 神から選ばれた人の中には,自分にこれほどの栄誉が与えられてよいのだろうかと感じる人もいるでしょう。しかし,だからといって神から選ばれたことを一瞬たりとも疑ったりはしません。将来の素晴らしい機会について考え,深い喜びと感謝の気持ちに包まれます。(ペテロ第一 1:3,4を読む。)
13. 神から選ばれたクリスチャンは,地上での今の生活についてどう考えていますか。
13 では,神から選ばれたクリスチャンは地上での命を早く終わらせたいと思っているのでしょうか。パウロは,人間の体を天幕に例えて,次のように答えています。「この天幕にいる私たちは,重圧を感じてうめいています。これを脱ぎたいわけではありませんが,別のものを身に着けたいと思っています。そのようにして,死んでいくものが命にのみ込まれるのです」。(コリ二 5:4)神から選ばれたクリスチャンは,生きる意欲を失って早く死にたいと思っているわけではありません。生きることを喜び,家族や友人と共に日々エホバに仕えたいと考えています。しかし,何をしていても,将来の素晴らしい希望を片時も忘れません。(コリ一 15:53。ペテ二 1:4。ヨハ一 3:2,3。啓 20:6)
自分は神から選ばれたのだろうか
14. どんな事柄は,自分が聖なる力によって選ばれた証拠にはなりませんか。
14 自分が聖なる力によって選ばれたのかよく分からない,という場合はどうですか。その場合,次の大切な点を考えてみてください。あなたは,エホバの望むことを行おうとする意欲にあふれていますか。伝道に際立って熱心だと感じていますか。聖書を意欲的に学び,「神の奥深い事柄」を掘り下げて考えるのが好きですか。(コリ一 2:10)伝道でエホバが大きな成果を与えてくださったと感じていますか。神と親しくなれるよう人々を助ける責務を強く意識していますか。エホバが生活の多くの面で助けてくださっている証拠を目にしていますか。全ての質問に,はいとはっきり答えることができるなら,天に招かれていることになりますか。そうではありません。なぜなら,神に仕える人は皆,聖なる力で選ばれていてもいなくても,このように感じることがあるからです。しかも,エホバはご自分に仕える人には誰にでも同じ聖なる力を与えます。もし,自分が聖なる力によって選ばれたのか確信を持てないなら,あなたは選ばれてはいません。神によって招かれた人は,自分が選ばれたのかどうか思い悩んだりはしません。誰に言われなくても分かります。
アブラハム,サラ,ダビデ,バプテストのヨハネは,エホバから聖なる力を与えられて目覚ましい働きをした。しかし,エホバはその人たちに天に行く希望を与えるために聖なる力を送り出す,ということはしなかった。(15-16節を参照。)e
15. エホバから聖なる力を受けた人が皆天に行くわけではありません。なぜそういえますか。
15 聖書には,聖なる力を受けて信仰を示しながらも,天に行く希望を抱かなかった人の例がたくさん挙げられています。例えば,ダビデは聖なる力に導かれていました。(サム一 16:13)そのおかげで,エホバに関する奥深い事柄を理解し,聖書の一部を書きました。(マル 12:36)それでも使徒ペテロが述べた通り,ダビデは「天に昇りませんでした」。(使徒 2:34)バプテストのヨハネも「聖なる力に満たされ」ました。(ルカ 1:13-16)イエスは,ヨハネより偉大な人はいないと言いましたが,ヨハネは天の王国に入らない,とも述べました。(マタ 11:10,11)これらの人はエホバから聖なる力を与えられ,目覚ましい働きをしました。しかし,エホバはその人たちに天に行く希望を与えるために聖なる力を送り出す,ということはしませんでした。では,その人たちは,天に行く人ほど忠実ではなかったのでしょうか。そういうことではありません。エホバはその人たちを楽園となるこの地球に生き返らせることにしたのです。(ヨハ 5:28,29。使徒 24:15)
16. 今日エホバに仕えている人の大多数は,どんな報いを与えられることを楽しみにしていますか。
16 今日エホバに仕えている人の大多数は,天で生きる希望を持っていません。アブラハム,サラ,ダビデ,バプテストのヨハネをはじめとする聖書時代の大勢の人のように,神の王国が治める時に地上で生きることを楽しみにしています。(ヘブ 11:10)
17. 次の記事でどんな点を考えますか。
17 とはいえ今日,天に行く希望を持っている人たちもいます。(啓 12:17)そのため次のような疑問が生じます。天に行く希望を持つ人は自分のことをどう見るべきですか。会衆の誰かが記念式でパンを食べぶどう酒を飲むようになったら,その人にどう接するべきですか。天に行く希望を持つと言う人が増えていることを心配する必要がありますか。次の記事で考えましょう。
a 西暦33年のペンテコステの日以来,エホバは一部のクリスチャンに驚くような希望を与えました。神の子イエスと共に天で統治するという希望です。それらのクリスチャンは,選ばれて天で統治するという素晴らしい機会を得たことをどのように知るのでしょうか。天に行くよう招かれると,本人にはどんなことが起きますか。興味を引くこれらの質問について考えます。この記事は,「ものみの塔」2016年1月号の記事から取られています。
b 語句の説明: 聖なる力によって選ばれる。エホバは聖なる力を使って人を選び,イエスと共に天で統治できるようにします。聖なる力によって将来に関する約束,もしくは「前もって保証するしるし」を人に与えます。(エフェ 1:13,14)それらのクリスチャンが天で報いを得るということを聖なる力は「証明」する,つまり明らかにします。(ロマ 8:16)
c 語句の説明: 証印を押される。この時点で押される証印は仮のものです。最終的な証印が押されるのは,本人が神に忠実を保って亡くなる前のある時点か,大患難が始まる前のある時点でのことです。(エフェ 4:30。啓 7:2-4。「ものみの塔」2016年4月号「読者からの質問」を参照。)
d 「再び生まれ[る]」とはどういうことか,詳しくは「ものみの塔」2009年4月1日号3-12ページを参照。
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「あなたたちと一緒に行かせてほしい」ものみの塔(研究用)2020 | 1月
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研究記事5
「あなたたちと一緒に行かせてほしい」
「あなたたちと一緒に行かせてほしい。神があなたたちと共にいる,と聞いたからだ」。ゼカリヤ 8:23
26番の歌 私にしたのです
何を学ぶかa
ほかの羊(「10人の人」)は天に行く人たち(「1人のユダヤ人」)と一緒にエホバを崇拝できることを栄誉と見ている。(1-2節を参照。)
1. エホバは今の時代についてどんなことを予告しましたか。
エホバは今の時代についてこう予告しました。「あらゆる言語の国々から来た10人の人が,1人のユダヤ人の長い服をつかむ。しっかりつかんで,『あなたたちと一緒に行かせてほしい。神があなたたちと共にいる,と聞いたからだ』と言う」。(ゼカ 8:23)「1人のユダヤ人」は,神から聖なる力によって選ばれた人を指しています。「神のイスラエル」とも呼ばれています。(ガラ 6:16)「10人の人」は,地上で永遠に生きる希望を持つ人たちを指しています。聖なる力によって選ばれた人たちをエホバが祝福していることを知っており,一緒にエホバを崇拝できることを栄誉と見ています。
2. 「10人の人」はどのようにして,聖なる力によって選ばれた人と「一緒に行[き]」ますか。
2 天に行くよう選ばれた人のうち,今地上にいる一人一人の名前を知ることはできません。b それでも,地上で生きる希望を持つ人が,聖なる力によって選ばれた人と「一緒に行[く]」ことはできます。なぜですか。聖書によれば,「10人の人」は「1人のユダヤ人の長い服を……しっかりつかんで,『あなたたちと一緒に行かせてほしい。神があなたたちと共にいる,と聞いたからだ』と言[い]」ます。ユダヤ人は1人ですが,「あなたたち」と表現されています。ですから,ユダヤ人は一個人を指すのではなく,天に行くよう選ばれた人のグループを指しています。天に行くよう選ばれていない人は,選ばれた人たちと共にエホバに仕えます。それでも,選ばれた人たちを指導者とは見ません。指導者はイエスだからです。(マタ 23:10)
3. この記事ではどんな点を考えますか。
3 今日エホバに仕える人の中には,天に行く希望を持つ人もいます。次の疑問が生じるかもしれません。(1)天に行く希望を持つ人は自分のことをどう見るべきか。(2)記念式でパンを食べぶどう酒を飲む人にどう接するべきか。(3)そうする人の数が増えていることを心配する必要があるか。このような点を考えましょう。
天に行く希望を持つ人は自分のことをどう見るべきか
4. 天に行く希望を持つ人は,コリント第一 11章27-29節のどんな警告を真剣に受け止めますか。なぜですか。
4 天に行く希望を持つ人は,コリント第一 11章27-29節の警告を真剣に受け止めます。(読む。)記念式で「不適切な態度で」パンを食べたりぶどう酒を飲んだりするとは,どういうことですか。パンを食べぶどう酒を飲みながら,エホバの基準に従わない生活をするなら,「不適切な態度」を取っていることになります。(ヘブ 6:4-6; 10:26-29)天に行く希望を持つ人は,「神からキリスト・イエスを通して天に招かれるという賞」を得るには,神に忠実でなければならないことを理解しています。(フィリ 3:13-16)
5. 天に行く希望を持つ人は,自分のことをどう見ますか。
5 エホバに仕える人は,聖なる力が働くと,高慢になるのではなく,謙遜になります。(エフェ 4:1-3。コロ 3:10,12)ですから,天に行く希望を持つ人は,自分が兄弟姉妹よりも優れているとは考えません。天に行く希望を持たない人よりも多くの聖なる力をエホバから与えられるわけではない,ということを知っています。ほかの誰よりも聖書の真理を深く理解している,と考えることもありません。誰かに,「あなたも神から選ばれていますから,記念式でパンを食べぶどう酒を飲むといいですよ」と勧めたりもしません。人を天に招くのはエホバだけであることを謙遜に認めます。
6. コリント第一 4章7,8節によれば,天に行く希望を持つ人はどのように行動しますか。
6 エホバから選ばれた人たちは,天に招かれたことを栄誉と考えますが,特別扱いされることを求めたりはしません。(フィリ 2:2,3)天に行くよう選ばれた時,エホバがそのことを皆に知らせたりはしなかったことを認識しています。ですから,自分が選ばれたことをすぐに信じてもらえないとしても,意外に思うことはありません。聖書にも,自分は神から特別な責務を委ねられたと誰かが唱えても,すぐに信じてはいけない,という警告が記されています。(啓 2:2)天に行く希望を持つ人は,自分が注目されることを望みません。それで,エホバから選ばれたことを自己紹介の時に知らせたりはしません。まして,自慢することもしません。(コリント第一 4:7,8を読む。)
7. 天に行く希望を持つ人は,どんな行動を避けますか。なぜですか。
7 天に行く希望を持つ人は,会員制のグループのように仲間同士だけで交流すべきだ,とは考えません。選ばれた他の人たちを探し,選ばれたいきさつについて語り合ったり,聖書研究の同好会を立ち上げたりもしません。(ガラ 1:15-17)そのようなことをすれば,会衆は分裂してしまいます。聖なる力に逆らっていることになります。聖なる力は,エホバに仕える人たちが平和を保ち一致するよう助けます。(ロマ 16:17,18)
天に行く希望を持つ人にどのように接するべきか
天に行く希望を持つ人や教え導く人たちを有名人のように扱うべきではない。(8節を参照。)f
8. 記念式でパンを食べぶどう酒を飲む人にどのように接するべきですか。なぜ注意が必要ですか。(脚注を参照。)
8 天に行く希望を持つ兄弟姉妹にどのように接するべきですか。人を過度に称賛するのは正しくありません。キリストの兄弟として選ばれた人を過度に称賛するのも間違っています。(マタ 23:8-12)聖書は長老たちの「信仰に倣[う]」ことを勧めてはいますが,人を指導者とするようにとは教えていません。(ヘブ 13:7)聖書は,「深い敬意を受けるに値[する]」人がいると述べています。その人たちが「立派に監督し」,「一生懸命に話したり教えたりしている」からであり,天に行くよう選ばれているからではありません。(テモ一 5:17)選ばれた人を過度に称賛するなら,気まずく思わせることになります。c もしかしたら,うぬぼれさせてしまうかもしれません。(ロマ 12:3)キリストの兄弟となるよう選ばれた人に,そのような大きな間違いをさせたくはありません。(ルカ 17:2)
9. 天に行くよう選ばれている人にどのように敬意を示すことができますか。
9 天に行くよう選ばれた人にどのように敬意を示すことができますか。選ばれたいきさつについて尋ねたりしないことによってです。この点は,他の人が知る必要のないプライベートな事柄です。(テサ一 4:11。テサ二 3:11)その人の夫や妻,親などの家族も天に行くよう選ばれている,と決めてかかるべきでもありません。天に行く希望は,家族から受け継ぐものではなく,神から与えられます。(テサ一 2:12)傷つけるような質問をすることも避けましょう。例えば,天に行く兄弟の妻に,「地上の楽園で兄弟と一緒に生活できないことについてどう思いますか」と尋ねたりはしません。はっきり言えることとして,エホバは新しい世界で「生きている全てのものの願いをかなえ[て]」くださいます。(詩 145:16)
10. 「人を称賛」しないことが私たちのためになる,といえるのはなぜですか。
10 選ばれた人たちをほかの人よりも持ち上げないことは,私たちのためになります。聖書が示す通り,天に行く希望を持つ人でも忠実を保つとは限りません。(マタ 25:10-12。ペテ二 2:20,21)「人を称賛」しないなら,誰かの弟子にならないで済みます。(ユダ 16,脚注)選ばれた人や,名の知れた人や,長くエホバに仕えてきた人の弟子になってしまうことを避けられます。そのような人がエホバに仕えるのをやめたり会衆を離れたりしても,私たちは信仰を失ったり,エホバへの奉仕をやめたりはしません。
パンを食べぶどう酒を飲む人の数が増えていることを心配すべきか
11. 記念式でパンを食べぶどう酒を飲む人の数について,どんな状況が見られますか。
11 多年にわたり,記念式でパンを食べぶどう酒を飲む人は減り続けてきました。しかしここ数年,その人数は毎年増えています。このことを心配する必要がありますか。ありません。そういえる理由を考えましょう。
12. パンを食べぶどう酒を飲む人の数のことで心配する必要がないのはなぜですか。
12 「エホバはご自分のものである人たちを知っている」。(テモ二 2:19)パンを食べぶどう酒を飲む人の数を数える兄弟は,エホバとは違い,誰が本当に選ばれているかを知りません。集計には,選ばれていると思い込んでいる人の数も含まれています。実際,以前はパンを食べぶどう酒を飲んでいたものの,そうしなくなった人もいます。精神的または感情的な疾患のために,自分は天でキリストと治めることになると信じている人もいるでしょう。天に行く人のうち地上に残っている人の正確な数は,知りようがありません。
13. 大患難が始まる時に残っている選ばれた人の数は,聖書に述べられていますか。
13 選ばれた人たちは,イエスによって天に集められる時,世界のいろいろな場所にいる。(マタ 24:31)聖書によれば,終わりの時代には少数の選ばれた人が地上に残っています。(啓 12:17)しかし,大患難が始まる時に残っている人の数は述べられていません。
記念式でパンを食べぶどう酒を飲む人がいるなら,どのように考えるとよいか。(14節を参照。)
14. ローマ 9章11,16節に述べられている通り,天に行く人をどう選ぶかは誰が決めますか。
14 天に行く人をいつ選ぶかはエホバが決める。(ロマ 8:28-30)イエスが復活した後,エホバは天に行く人を選び始めました。1世紀の本当のクリスチャンは全員,天に行くよう選ばれたと思われます。2世紀以降,クリスチャンととなえる人の大部分は,キリストの本当の弟子ではありませんでした。しかしその期間中ずっと,エホバは少数の本当のクリスチャンを天に行くよう選んできました。イエスが話した,雑草に交じって成長する小麦のような人たちです。(マタ 13:24-30)終わりの時代に入り,エホバは引き続き14万4000人の1人になる人たちを選んできました。d ですから,終わりが来る直前にエホバが天に行く人を選んだとしても,その判断に誰も異議を唱えることはできません。(ローマ 9:11,16を読む。)e イエスの例えに出てくる労働者のようにならないよう,気を付けましょう。それらの労働者は,最後の1時間だけ働いた人に主人が与えた賃金は多過ぎると,文句を言いました。(マタ 20:8-15)
15. 天に行く希望を持つ人全員がマタイ 24章45-47節の「忠実で思慮深い奴隷」を構成していますか。説明してください。
15 天に行く希望を持つ人全員が「忠実で思慮深い奴隷」を構成しているのではない。(マタイ 24:45-47を読む。)エホバとイエスは今日,1世紀と同じように,少数の兄弟たちが多くの人を養い,教えるようにしています。1世紀でもギリシャ語聖書を筆記したのは,天に行くよう選ばれた人のうち少数の人だけでした。今日でも,エホバに仕える人たちに「適切な時に食物を与える」責任を担っているのは,天に行くよう選ばれた人のうち少数の人だけです。
16. この記事からあなたはどんなことを学びましたか。
16 この記事からどんなことを学びましたか。エホバは,ご自分に仕える人の大多数に,地上での永遠の命を与えることにしました。イエスと共に治める少数の人には,天での命を与えることにしました。ご自分に仕える人全員に,「1人のユダヤ人」にも「10人の人」にも報いを与えます。全員が同じ律法に従い,神に忠実であり続けることを求めています。皆が謙遜であり,一致して共に神に仕えなければなりません。会衆の平和を保つために努力しなければなりません。終わりが近づく今,エホバに仕え続け,「1つの群れ」としてキリストに従っていきましょう。(ヨハ 10:16)
a 今年,キリストの死の記念式は4月7日,火曜日に行われます。記念式でパンを食べぶどう酒を飲む人のことをどう見るべきですか。そうする人の数が増えていることを心配する必要がありますか。このような点を考えましょう。この記事は,「ものみの塔」2016年1月号の記事から取られています。
b 詩編 87編5,6節によれば,神は将来,イエスと共に天で治めている人全員の名前を明らかにするかもしれません。(ロマ 8:19)
c 「ものみの塔」2016年1月号27ページの「愛は『みだりな振る舞いをせず』」という囲みを参照。
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